Krishnamurti Subtitles
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OJ77DT2 - 正しい教育をとおして、異なった人間をもたらすことは、可能なのか。
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| 0:43 K: これは、 教育事業ですね? そうです。 初めに、私は、よろしければ、 お訊きしたいと思います - なぜ私たちは、みんな 教育されつつありますか。 教育の目的とは、 何ですか。 なぜ私たちは、そもそも 教育されますか。 私たちは、この質問を しています - なぜなら、 世の中で何が 起きつつあるか、 世界の荒れ地が、 見えるからです。 起きつつある 大きな破滅、 暴力、テロ。 その すべてをご存じです。 不道徳 - すっかり 不道徳な社会です。 で、訊ねます - 教育の意味は何ですか。 なぜ私たちは 教育されますか。 そして、すべての教育は、 この混沌に、繋がるのでしょうか。 2:17 それが、訊ねられるべき根源的な 問いであると、私は思います。 私たちの子ども、 私たちの学生たちは、 成長して、残りの世界の ようになるのでしょうか。 学業面で よい教育を受けて、 人間存在の他の部分を、 全的に無視するのか - 心理的、内的な養成と、 それらが花開くことを、です。 あなたたちが この問いを出されたなら、 それにどう答えるだろうかを、 私は知りません。 |
| 3:14 教育は、人間存在の一部分 だけに、関心を持っていますか。 すなわち、 記憶の養成に、です。 それは、知識と呼ばれます。 情報を集めることです。 そして、その情報、 知識に応じて、 効果的に、健全に、 理性的に、 客観的に行為するのか、 または、 その知識でもって、 世の中で 悪さをするのか - 見たところ、それが、 今、進んでいることです。 私たちは、精神の部分的な養成に 関心を、持っていますか - 人間存在の全体に、まったく 関心を持たないで、です。 恐れ、悲しみ、 悲しみが終わること、 愛、慈悲、 そのすべてが、 適正な種類の教育に、 関与していると、 私には、思われます。 4:38 しかし、今、私たちは - 私は 間違っているかもしれませんが、 そう見えます - 私たちは、 人間存在の部分的養成に 精神を注ぐことに、関心を 持っているだけです。 そうであるなら - すなわち、私たちは、一人の 人間の全体を、ではなく、 そのきわめて小さな一部分 だけを、養成しているなら - そのとき、この問いを考慮し、 それに入ることは、 可能ですか。 人間の善が 花開くことに、です。 学校で、 専門校などをとおして、 それは可能ですか。 私には、それが、最も重要な ことであると、思われます - 単に頭脳を、特定の線に沿って 養成するだけではなくて、です。 |
| 6:00 心理的、内的に、 いわば肌の下で、 正しい種類の教育をとおして、 異なった人間をもたらす ことは、可能ですか。 技術的な知識を 持っていて、 それで、自分が生きて生計を 立てるべきなどの世界において、 巧みに行為する人間は、 また、未探検の心理的な 地盤をも、養成する。 それで、 その養成の中から、 善が花開くことが、 生じてこられます。 それは、そもそも 学校で可能ですか - 関心を持つ親たちと ともに、ですが、 7:12 これをもたらすことは、 可能ですか。 または、私たちは 果てしなく、 一つの様式の活動に参与し、 残りを無視しつづけますか。 これは、きわめて深刻な 問いであると、私は思います - あなたが教育に関心を 持っているとき、です。 世界中でそう見えるように、 全的な無視です。 どこへ行こうとも、 ほとんどの人間は、 頭脳の部分、すなわち 記憶の養成にのみ、 関心を持っています。 それで、その記憶が 上手にか下手にか、 生計を立てる中で、 使われるように、です。 残りの人間精神は、全的に 無視されています。 8:30 それが、私が議論したいことです - 私たちができるなら、です - 親たちは、これに 興味を持っているのか、 ここの学校は、それに関心を 持っているのかについて、です。 そして、一団の人々が、 ありえますか - 私は、「献身的な」という 言葉を使わないでしょう。 なかなか強い言葉です - 人間精神の全的な養成に、 深く関心を持っている人たちが、 ありえますか。 精神は、 生理的なものとともに、 心理的な状態をも、 含んでいます。 それを言った後で、私たちは これをめぐって、議論できますか。 |
| 9:41 もしも私が、 親であったなら、 私は何に、関心を 持つのでしょうか。 人口過剰の世界において、 どの一つの特定の職にも、 何千もの応募が、あります。 おそらくアメリカではそうで ないが、残りの世界は、です。 あなたが、インドへ行くなら、 この現象が、見られます。 インドでは博士の人が、料理人に なろうと、申し込みました。 料理人が間違っている、 ということではない。 専門校、大学など、 何年も学業に使い、 学位を取り、 職が見つからなくて、 料理人になる。 これが、世界中で起きつつ あります。 あなたたちが、 これらすべてのことに気づいて いるのかどうか、私は知りません。 10:56 もしも私が、親であったなら、 私は、何をすべきでしょうか。 私はどう、自分の息子や 娘を、助けられますか - テクノロジーの知識の 優秀さだけ、ではなく、 また、道徳的な振るまいの優秀さを 要求するように、です - 私の、他の人たちとの 関係における優秀さと、 愛の養成における 優秀さを、です。 私は、学校や専門校や大学に、 それを要求するでしょう - 彼らが、それらを提供しないなら、 私は、何をするのでしょうか。 見たところ、世の中は、それらに 関心を持っていません。 大学は、それに 関心を持っていません。 専門校と学校 - 彼らにとって、 それは、何の意味もありませんが、 12:31 私は、二人の子どもを持っている し、私は彼らを愛しています。 私は彼らに、全的に違った人間で あってほしいと思います - 世の中の凡庸さではない。 私は、何を するのでしょうか。 理解されますか。 それが 私たちの問題です。 私の責任とは、何ですか。 もしあなたが、「私は子どもを 持っていない」と言うなら、 それは別の事柄です。 しかし、幸か不幸か、私たちは 子どもを持っています。 私は、彼らをどう するのでしょうか。 私たちは、彼らの世話をします - 彼らが赤ちゃんであるとき、 こうも多くの 気づかいをもって、 こうも骨を折り、こうも優しさ などをもって、ですが、 五歳か六歳か七歳の後、 彼らは消え去ります。 私たちは、彼らを 失ってしまいました。 彼らは、残りの子どもたちにより 条件づけられます。 学校は彼らを、はるかに多く 条件づけた、などです - 生涯をとおし、 大学をとおして、です。 そして、彼らは 様式に、捕らわれます - 突き破るのがこうも困難に 思われるものに、です。 14:14 で、親として 私の責任は、何ですか。 私が、本当にきわめて 真剣に責任を取るなら、 親は、何をすることになりますか - 彼がこれを要求するなら、です。 ほとんどの親は、不幸にも - 私は間違っているかも しれませんが - これらを したくありません。 彼らは、 自分の子どもたちに、 特に西洋と東洋では - アメリカではありません - 良い学位を持ってほしい、 職を持ってほしいのです - それができるなら、です。 そして、古き良き生の様式に、 落ち着いてほしいと思います - 既成のもの、所帯に、です。 あなたは、古い既成のものを、 ひっくり返すかもしれませんが、 あなたは、別の新しい既成の ものを、形成できます。 新しいものは、古いものに なる、などです。 様式は、何度も何度も 反復されています。 それが 共産主義の世界でも、 民主主義の世界、その他 すべてにおいても、です。 15:26 自分はこれを、きわめて 間近で、観察してきました。 あなたが旅行するなら - 語り手がそうするように、 インド、ヨーロッパ、アメリカと 世界の他の地方で、ですが - この現象が進んでいくのが 見られます - 果てしなく、です。 伝統、 宗教的な条件づけ。 または、あなたが、 ここ西洋に来るとき、 伝統も規律もない。 何もない。 人々は、したいことを するのを、許されています。 それが、彼らが言うところの、 心理的な自由です。 この様式は、よくよく ご存じです。 私は、二人の娘、二人の 子どもを、持っています。 私は、何を することになりますか。 彼らを、狼たちへ 放るのですか。 私は彼らを、家に置いておけません。 私は、時間がありません。 16:43 私は外へ出て、生計を 立てなくてはいけません - 金を儲け、養うが、 私の妻もまた、 外へ出たがります。 彼女は、「私は子育ての重荷、 退屈をほしくない」と言います。 いいですか? そうね、それが、ここ、この国で 起きつつあることです。 で、私の責任は、何ですか。 そして、あなたが子どもを持って いるなら、あなたの責任は? 私たちはそもそも、社会に 関心を持っていますか - そして、 その社会の変容に、です。 今あるように、それは 大いに不道徳です。 私の子どもたちは、彼らの ようになるでしょう。 社会に 適応するでしょう - 殺せ、殺されろ、 と言うものに、です。 18:22 様式全体が、これなのです。 |
| 18:27 質問者: 私たちの責任は、 子どもたちを 正しく育てることである ように、思われます。 けれども、私たちはしばしば、 それをどうするかを、知りません。 私は、方法や技巧や 接近を、求めていませんが、 しばしば、私たちが直接的に 子どもたちに対面するとき、 私たちは、鈍感さを 見ますし、 あなたは、それに 接近しようとしますが、 あなたは、がみがみ 言っています。 それは、子どもにがみがみを 言っているようです。 なぜなら、あなたはそれを見るし、 あなたは関係にあるから・・・ |
| 19:08 K: その問いに答えるために、 それについて議論しましょう。 教育者は、教育が 必要ですか。 教育者は、教育される ことが、必要ですか。 または、彼は考えますか - あなたが、ではありませんよ。 または、彼は、それについて自分は すべて知っていると、考えますか。 彼は、自分の観念、自分の意見、自分の 判断、自分の条件づけを、持っています - 私の問いは よろしいですか。 それで、あなたは その子を条件づけます。 社会、その子の親、他の 学生たちなどと同じく、です。 その子は、枠に入れられ、 形作られるし、 何かとてつもない、醜い 人間へ、されてしまいます。 学生は、条件づけられて (ここに)来ますし、 教師は、条件づけられて (ここに)来ます。 よろしいですか? 私たちは 何をするのでしょうか。 それが問題です。 私たちは、何を するのでしょうか。 質問者: お訊きしても いいなら、私たちはなぜ |
| 20:32 子どもたちの教育に、関心を 持っているだけですか。 きわめて広い意味での 教育です。 |
| 20:38 K: それが、私たちが今、 していることです。 |
| 20:41 質問者: それは本当に、 分離不可能だと、私は思います - 親の教育から、 あなたが願うなら、 私たち自身の教育から、です、 私たちは、自分自身を 見なくてはいけないし、 自分自身に向き合わなくては いけないと、思います。 私たちは、子どもたちだけではなく、 回りのあらゆる人への関係において、 自分自身に向き合わなくては いけません。 私たちの真の道徳的な美徳は、 そこにあると、私は感じます - 教育する、教える。そして、学ぶ 過程自体が、私たち自身に、です。 |
| 21:20 K: それは理解できます。 私はお訊きしています。 親たちは、 条件づけられているし、 彼らは、子どもたちを 条件づけます。 その子の他の友だちと年齢は、 その子を条件づけます。 で、親たちは 条件づけられています。 教育者は 条件づけられています。 子どもたちは、条件づけ られています。 ですね? さて、私たちは、このジレンマを どう抜け出しますか。 教師にとって、 教育者と親にとって、 それは 可能でしょうか - 親と教師として教壇から 降りてきて、 これらの子どもへ、学生へ 説明することが、です - すなわち、あなたは条件づけられて いるし、私は条件づけられている。 私たちがどちらも、自分自身の 条件づけを解くことが 可能なのかどうかを、 見よう、と。 22:38 私が自分自身の条件づけを解くまで 待って、それから、ではない。 それは、 不可能な立場です。 しかし、学生に対して、その子が 条件づけられていることと、 教育者が条件づけられている ことを、認知する。 あなたは、全然違った 関係を、確立しますね - その子と、 学生と、です。 で、あなたは、条件づけられると いうこの問題全体へ、入ります。 教育者は、そうするのでしょうか。 または、親はそうするのでしょうか。 それは、同じことに なります。 なぜなら、親は、本当は 教育者であるからです。 親とともに、 教師とともに、 教育者と学生とともに、 この問題へ、一緒に入る。 |
| 23:42 質問者: この学校で、 子どもたちの幾人かは - 私が仕事をする子たち ですが - 五歳です。 質問者: 彼らは理解しません。 |
| 23:49 K: はい。彼らは五歳です。 |
| 23:50 あなたは、彼らと議論できません。 かわいそうな子です。 |
| 23:54 質問者: 私は継続的に、 彼らと議論したくありません。 |
| 23:57 K: ええ。あなたは、このことに ついて、議論できません。 彼らの頭脳は これに堪えないでしょう。 |
| 24:02 質問者: 七歳でも、です。 |
| 24:04 K: ですが、あなたは 雰囲気を、創り出せます - その中で彼らは、一定の 物事を知覚しはじめます。 実際に、言語的に 言われなくても、です。 |
| 24:16 質問者: あなたが五歳や七歳である なら、何か利点があります。 あなたは、 知的に、と仰った。 それはおそらく可能です。 なぜなら、 彼らは、さほど長く生きていないし、 さほど条件づけられて いないからです。 もし誰かが、五歳か、 二歳か、七歳であるなら、 あなたはおそらく、知的に 議論できませんが、 あなたは、たくさん学べます。 なぜなら、 それは起きるかもしれないからです。 彼らは、短く生きてきたからです。 彼らが運が良かったなら、 彼らは、さほど条件づけ られようとしていません。 K: はい。 |
| 24:37 質問者: たとえあなたは それについて議論できなくても、です。 |
| 24:38 K: すなわち、親と 学生と教育者はともに、 |
| 24:40 みんな、関心を持っています。 教育者だけが、ではない。 私たちは、これを できますか。 それは、こういう 含意です・ ・・ - 私は 述べないでしょう - それは、どういう含意ですか。 |
| 25:14 質問者: あなたは、 それは、教壇から降りてくるのを 含意することを、述べられましたね。 でも、私たちが教壇から 降りてくるなら・・・ |
| 25:19 K: いいえ。何が 含意されていますか - 親、教師と 学生や子どもが、 この中心的な主題に、関心を 持っているとき、です。 なぜなら、さもないと、 私たちは機械のようになり、 反復し、反復し、 反復するからです。 おそらく、 異なった様式で、ですが、 それはやはり、 様式作りと それら様式の中に 生きる区域の中に、あります。 で、私たちはどのように この問題に、接近しますか。 なぜなら、私がインドにいるのと、 世界の他の地方にいるとき、ですが、 ブロックウッドとインドに 学校があります。 私たちは、この問いについてきわめて きわめて真剣に、議論するからです - 年上の子どもたち、 年長の学生たちと、です。 26:18 私たちは、私たち自身の意識を 解き明かすことに、 関心を持っていますか - 学生と親とも同じく、です。 私たちは、自分たちの意識の 探検に、関心を持っていますか - それは、条件づけられて います。 ですね? フロイトと、最新の心理学者 - 半ダースの本を書いて、 新しい理論を見せびらかす人たち - に沿って、ではありません。 |
| 27:10 質問者: 私たちの毎日の 活動において、一つのことは 回避できないと、私は感じます。 すなわち、私たちは関係づける、と。 私は一般的に、人間の行為は関係である と、主張してもいいかもしれません。 この関係をとおして、私たちは 子どもたちに関係します。 私たちは、他の人たちに 関係します。 私たちは、自らの感覚のまわりの 素材などに、関係します。 しかし、この関係の間と中で 私たち自身の精神の中で、 作用が、起きつつあります。 自らは、それに気づいて いなくてはいけません。 または、始まりに、 それに気づいて、 何が起きるかを、見なくてはいけ ません。 それを外と呼びましょう - それは、一定の種類の 関係です。 同じく内も、です。 すなわち、私たち自身の精神の 中で、起きつつあることです。 28:02 子どもへの関係において、 そうするなら、 彼は、感じるでしょう。 彼はそれに、出くわすでしょう - たぶん、 その子とともに、ですが、 その出来事にとり、その行為に とり、その特定の関係が 本当に保有するもの、その実在、 その実際なるものに、です。 一度、彼自身において見ることが、 子どもたちへ関係づけるでしょう。 その中で、子どもたちは、たぶん 自分自身を見るための機会、 潜在能力を、持つでしょう。 が、彼がそうするかどうかを、 私たちは知らないし、私たちはそれに 心配をするかもしれませんが、 この作用が、子どもの中で、 起きなくてはいけません。 私ができる、 ただ一つのことは、 私自身の行為が完全なのをもって、 その子へ関係することです。 |
| 28:52 K: そうね、 完全な行為とは何ですか。 全体的な行為とは 何ですか。 |
| 29:04 質問者: 私が見るところ、 身心の中に調和があるとき - そして、私が、この補足的な 何かと呼ぶものが、ですが、 それが起きるなら、 作用が、あります。 それは、他の人たちへの関係を とおして、自らのものをもたらし・・・ |
| 29:23 K: はい。ですが、それは 一般的に、起きません。 これは理論です。 そうでしょう? |
| 29:28 質問者: 一般的に、ほとんどの子に それが起きないのが、真実です。 |
| 29:33 K: 私たちは、何をするのでしょうか。 私の問いは、こうです - あなたは親です。 あなたの 子どもたち、教育者が、います。 私たちはともに、どう働くので しょうか。 教育者、学生、親として 私たちは、ともに どう働くのでしょうか。 ともに、です。 なぜなら、あなたは その子に、責任があるからです - 教育者と同じく、です。 私たちはどう、ともに働くか、 ともに協働するのでしょうか - 異なった精神、人間の異なった 性質をもたらすように、です。 あなたが理論を持っていて、 私が別の理論を持っているなら、 私たちは、互いに やりあっているだろうし、 かわいそうな子どもは、 苦しみます。 これが一般的に、 起きることです。 30:35 親は、何かをほしい。 母親は、他の何かをほしい。 教師は、全然他の何かを ほしい。 よろしいですか。 その子は、それらすべての間に、捕らわ れます。 その子は、全く混乱します。 その子は終わりに、それを あきらめるし、逃げ去ります。 または、或る種の 荒っぽいことを、します。 で、私たちは、ともに 働いています。 もしそれが、事実であるなら - 理論なく、 私が結論を持つこと、 あなたが、違った結論を 持つことなく、です。 私がそれを持っているなら、私は それに気づいて、それを片付けます。 あなたは、同じことをしますし、 教育者は、同じことをします。 そのとき、私たちは ともに働けます。 しかし、私たちは、 自分たちが理論、結論、意見、 判断を持っていることに、 気づいていません - そして、自分の観念について きわめて頑固であることに、です。 よろしいですか。 ゆえに、常に 矛盾が、進みつつあります。 そして、子どもは 苦しみます。 31:53 で、私たちは、何を するのでしょうか。 理論ではなく、 事実です。 私たちは、ともに何をし、協働し、 互いに助け合うのでしょうか - 親、学生、教育者が、 学生にだけではなく、 自分自身に、 違った精神の性質と 人間の振るまいなどなどを もたらすのを、 見届けるように、です。 または、あなたは、これはまったく 不可能であると、考えますか。 それはまったく不可能であるなら、 ゲームはおしまいです。 あなたは、「参った」と 言い、続けていきます。 しかし、それが可能であるなら - 私はそれは可能であると思います - そのとき、私たちは 何をするのでしょうか。 あなた、親、 教育者と学生 - 私たちの主な関心事は、 何ですか。 33:09 私たちの、互いへの、子どもへの 主な要求は、何ですか。 紳士淑女のみなさまは、 何と仰るのでしょうか。 または、淑女がたを初めに、紳士 がたを、後に言うべきでしょうか。 私たちは、何を するのでしょうか。 ディヴィッド・ ムーディ: あなたは、また 私たちの主な関心事は 何であるかとも、お訊きです - 日常的に学校の実際の機能と いうことに立って、です。 |
| 33:49 K: 学校の機能の前に、その原理に、 その根に、取りかかりましょう。 私たちは、何をするのでしょうか。 あなたは教師です。私は親です。 私たちはどちらも、ともに働く ことに、関心を持っています。 どちらも、子どもを条件づける ことに、ではなく、 子どもが花開くのを助ける ことに、関心を持っています。 全的に違った人間 であるように、です。 凡庸な者を生産する、その他 すべてではなくて、です。 私たちは、何を するのでしょうか。 小さいことについて、私たちは何をする のでしょうかと、言わないでください。 |
| 34:30 DM: ええ。私はそうしようとしていま せん。私は、原理へ到ろうとしています。 |
| 34:33 K: 初めに、その根に到って ください - ともに、です。 |
| 34:36 DM: 私たちが実際に 学校の中で機能しているとき - 私は原理へ 到るでしょう - 私たちが直面する問題は、 子どもの振るまいですし、 私たちは、子どもの振るまいに ついて、何をするのでしょうか。 それは、行為の問いだと思われます。 子どもの行為と私たちの行為です。 あなたが、「私たちは何をするの でしょうか」と訊ねるとき、 これは、正しい行為とは何かを 訊ねるのと、同じですか。 |
| 35:03 K: 私たちは何をするのでしょうか - こうなっています。 あなたは教師です。 学生がいます。 私たちは、この問題に どう応えるのでしょうか。 |
| 35:18 質問者: 瞬間瞬間に、それに 向き合うことによって、です。 たぶん、子どもと 他の親とともに、 毎日の行為において、です。 毎回これをする。関心を持つ。 関心とは、 一つの与えられた主題に 関心を持つのより、多くを 意味しているでしょう - 色々と主題がやってくるに つれて、それらに、です。 たぶん他の人たちが、それを出す。 たぶん子どもが、それを出す。 たぶん私の行為、私の行為の 帰結が、それを出すが、 私がそれに向き合う時に、 その向き合うことは、何か説明が 必要なのかもしれません。 そのとき、私は それの根へ、行くのです - 境遇が、そうするのを 提議するように、です。 境遇は、子ども自身の 参加なのかもしれないし、 それが、調子を定める のかもしれない。 それの表現に、深さを 定めるのかもしれないんです。 36:08 私が行っているかぎりの 深さではなく、それの表現です。 私は、瞬間瞬間それに 向き合うこのことが - 子どもや他の親たちへの 関係をとおして、です - 教えることであると、考えます。 それはすでに教育を含んでいます。 それ以上に行かなくては いけないとは、私は考えません。 さもないと、彼はすでに、 助ける必要があると、考えます。 そのとき、なぜ他の一人を助け なくてはいけないのかの問いが、 出てくると、 私は考えます。 関係をとおして、助けは 自ずと来ると、私は考えます。 |
| 36:44 K: あなたは、その言葉を使い、「関係」 という言葉を、反復してこられました。 それは、 どういう意味ですか。 |
| 36:53 質問者: あらゆる行為 - 私たちが説明できること、 私たちが見られること、 私たちが触れられること - が、 関係性を、表現すると、 私は思います。 |
| 37:05 K: はい。ですが、あなたが、 学生との、あなたの子どもとの、 ともに働いている他の 親たちとの関係、と仰るとき、 それは、どういう意味ですか。 あなたのその言葉「関係」は、 どういう意味ですか。 その言葉、 その言葉の意味、 その言葉の意義、深さ - それは どういう意味ですか。 |
| 37:28 質問者: 私にとってそれは、出てくる かもしれない主題を、意味しています - 子どもとか、親たちとともに、 私が主題に接近するにつれて、 そのさまは、 接近の種類を、表現します。 |
| 37:39 K: いいえ。私たちは互いに理解し 合っていないと、私は思います。 私は、その言葉の実際の 意味を、訊ねています。 |
| 37:50 質問者: それは、 意志疎通ではないですか。 私たちは、完全な意思疎通を 持っていますか。 |
| 37:56 質問者: 互いへの効果、 実際の反応です。 |
| 38:00 質問者: または、本当の ありのままに、子どもを見る。 その子をありのままに 見るほど、気づかう。 その子について、 何かをするとか、静かとか、 あなたがその子があるべきだ と考えるものではない。 |
| 38:13 質問者: 私たちは、関係すると いうその言葉を、使います。 なぜなら、行為は、子どもから、 そして私からも、起きるからです。 |
| 38:22 K: いいえ。許してください。あなた たちは、質問に答えていません。 あなたがいう、その言葉は、 どういう意味ですか - その言葉の内容、その言葉 自体の意義、深さです。 それの外的な表現ではない。 私は関係しています。 私は 二人の子どもを持っています - 妻と二人の子どもを、です。 彼らへの私の関係は、何ですか。 理論的ではなく、実際に、です。 仮説上ではなく、 実際の関係です。 |
| 38:57 質問者: それは何であるべきだと、 お訊きですか。 |
| 39:00 K: 実際の日々の関係は、 何ですか - 母親、父親と、 彼らの子どもの間で、です。 実際のものです。 |
| 39:17 質問者: 二人の子どもと 母親との中には、 様々な変化の状態が、 あります。 瞬間瞬間のそれら変化は、 互いに連携し合っています。 互いへ話し合うことが、 あります。 色々とすることと、 互いに影響し合うことが、 あります。 人へ作用する - 相手を甘やかし、 互いに要請し合う。 このすべてが、互いに関係する ことを、意味しています。 |
| 39:55 K: それは、 実際の事実ですか。 事実 - 日々の関係の 実際ですか。 母親、父親と 学生との間で、 ゆえに、教師、教育者 などの間で、です。 実際の日々の関係とは、 何ですか。 親は、生計を立てるために 出て行ってしまいます - ですね? 彼は、子どものために ほとんど時間を持ちません。 彼は、疲れて 家に帰ります。 母親は、出て行ってしまいます。 またも、お金を稼いでいます。 子どもたちは 学校へ、送られます。 で、どこに関係が ありますか。 |
| 40:45 質問者: はい。あなたの 論点は、分かります。 すなわち、それは、活動のために 使われた言葉であり・ ・・ K: それは意味がない、ってこと なんです。 |
| 40:51 質問者: そうです。 |
| 40:53 別の種類の関係が、 あります - その中で、 あらゆるものが、あらゆる ものに、関係するのです。 |
| 41:00 K: 親、私の子ども - 彼は行って しまう、彼女は行ってしまうと、 私が言うとき、それは 意味がありません。 特に、この国では、です。 そして、子どもたちを 学校へ任せておく。 彼らは疲れて、 家に帰ります。 お互いにかなりムカつき、 苛立って、です。 子どもたちをテレビへ送って しまうか - よろしいですか。 残念ながら、私たちは、その言葉を かなりペラペラと使うと、思います。 私たちは関係している。 私たちは みんな・・・等々ですが、 実際の事実は、私たちが そうではない、ということです。 ここで、 親、教師と学生、 私たちは、本当の関係を 確立しようとしています。 それは、私たちが、子どもたちに深い 関心を持っている、という意味です。 質問者: が、ここで根源的に この問いは、こう始まります - |
| 42:04 私たちは何をするのか、と。 ですね? さて、それはきついです。 が、初めに私は、私たちが何をしようと しているかを、明らかにしたいのです。 私は、それをもっと 理解したいのです。 私は、自分が使うだろう言葉は 「解消する」だと、見ます。 K: 解消する? |
| 42:17 質問者: なぜなら、起きることは |
| 42:18 - 私は今、教えることを 考えていますが、 それが家であっても、 構いません - その観念は、あなたがこのすべての ごみや何かをもって、入ってくる、と。 そして私は、それを得るための学校を どう設けるかを、知らないし、 私は、自分がしたいほどに、それをどう するか、まったくかを、知りませんが、 少なくとも私は、私が望む現象に ついて明らかであろうとしているし、 それは、何か解消することです。 |
| 42:37 K: そうしましょう。 |
| 42:38 質問者: そこに二歳児がいて、私がここに いるかのように、それを落とします。 彼は二歳です。 私はここに います。私は親です。 あなたが、このすべての ものを、解消できるなら、 そのとき行為と原理は、きわめて 自然に付いてくると、思われます。 で、問題は、このすべてのものを 解消することだと、思われます。 |
| 42:54 K: いいです。もしよれけば、その言葉 「解消する」を、使いましょう。 脇に置く、洗い流す、 拭い去る。 それは、どういう意味ですか。 あなたの固有な 振るまいを、拭い去る。 |
| 43:12 質問者: すみません。 私は聞こえませんでした。 |
| 43:14 K: あなたの特定の形の 振るまいを、拭い去る。 |
| 43:18 質問者: そうです。 そして、意見と観念を。 |
| 43:20 K: 拭い去る。 質問者: いいよ。 |
| 43:20 K: 母親は拭い去る。 教師は拭い去る。 |
| 43:23 そのとき私たちは ともに働けます。 すなわち、私は酒を飲む。 私はタバコを吸う。 私は薬物を摂る。 私は、自分の喜びを得たい。 私は、自分固有のをほしい・・・ |
| 43:43 質問者: でも、あなたは 小さな子どもだし、 |
| 43:49 私は、あなたに教えるとか、 何でもしなくてはいけません。 K: あなたは教師として、 「すみません。 それはすべてごみです。 投げ捨てなさい」と言います。 私はそれを、あきらめられ ません。 よろしいですか。 これが、私たちが 置かれた立場です。 私たちの一人一人が、一定の 種類のごみを、持ち運んでいます - あなたが、その言葉を 使いたいなら、です - 私たちは、ごみを 投げ棄てるのを、拒否します。 |
| 44:17 質問者: ああ、いいです。 |
| 44:21 K: でも、私たちが、子どもに 関心を持っているなら - 違った種類の人間を もたらすことに、関心を持つ - そのとき私は、自分のごみを 即座に、投げ捨てるでしょう。 私は、ごみに 悩まされないでしょう。 なぜなら、 私の意図は・・・ |
| 44:43 質問者: いいよ。でも、待って。 それは、もう少し錯綜しています。 私は、直接的な経験で 進もうとしているだけです。 |
| 44:50 K: 私は、極端を望みます。 私は、凡庸でありたくない。 自分自身のために、ごみを少し 保っておき、残りを捨て・・・ |
| 44:57 質問者: いいえ。でも、それは、 あまりに道徳に煩いか、清教徒的です。 |
| 45:00 K: いいえ。それは、 清教徒的ではありません。 |
| 45:04 私は、範疇に 入れられるのを、拒絶します。 質問者: 私に言わせてください - 私が見つける現象は、 自らは、ごみの幾らかを 投げ捨てることができます。 そのとき、彼らは、他の人々と 相互反応するし、何かが起きます - あなたがもう幾つかを放り捨てるのを 助ける、あのものの中で、です。 |
| 45:21 K: もし私が、自分のごみを 少し投げ捨てたいのなら、 私は、少し 投げ捨てるのです。 あなたは私を、少し 変わり者と、見做します。 質問者: 変わり者? |
| 45:31 K: 変わり者、少し変だ、と。 |
| 45:32 私が酒を飲まないなら、私がタバコを 吸わないなら、私が薬物を摂らないなら、 私が、女の子を追いかけない なら、ね。 よろしいですか。 あなたは、「気の毒に、この人は どこが間違っているのか」と言います。 質問者: でも、私の論点を 言わせてください。 |
| 45:49 私は、経験で 進もうとしているだけです。 それは論点ではない。 私は、経験に 言及しようとしているだけです。 自らが、そのものを幾らか 投げ捨てるなら、そして、 それが、起きるすべてであるなら、 ふつうそれは、戻ってくるだけです。 でも、そのものを 幾らか投げ捨てて、 そのとき、子どもと、とか、 学校や何とでも、状況に入るなら、 そこには、何か解消が 起きます。 そのとき、何か経験が、起きたのです - 幾らかもっと投げ捨てさせるものが、です。 |
| 46:14 K: ええ。でも、私たちは、進んで そうしようとしていますか。 私たちは、自らが収集してきた ごみに、気づいていますか。 |
| 46:21 質問者: いいよ。私が見つけるのは、 もしその幾つかに気づくなら・・・ |
| 46:25 K: でも、そうしてください。 もし、ではない。もし、ではない。 理論的には、それは意味がありません。 私たちは気づいていますか・・・ |
| 46:34 質問者: 私は、直接的経験に ついて、話しています。 それは、理論的ではありません。 私はこう言っています - あなたは、幾らかを 投げ捨てるし、そのとき・・・ |
| 46:41 K: 私たちは、同じことを しています。 私たち、親は、子どもたちに 関心を持つなど、ですが、 私たちはまず第一に、自分たちの ごみに、気づいていますか。 または私たちは、「それは完璧に だいじょうぶだ」と言いますか。 私たちは、自分のごみに 気づいていますか。 私たちは、その幾らかが去らなければ ならないことに、気づいていますか - または、そのすべてが 去らなければならない、と。 私たちは、それを 望みますか。 |
| 47:09 質問者: あなたはあらゆる人に訊ね なくてはいけないと、私は思いますね。 |
| 47:11 K: それが問題です。 ごみは、「私はカトリックだ、 私はプロテスタントだ、 私はこれだ、私はあれだ、 私はタバコを吸い、ウイスキーを飲み、 あれこれを持たなければならない」です。 それが、私のごみです。 |
| 47:22 質問者: そうです。 |
| 47:24 K: あなたは、 これを創り出すように、 そのすべてをどう手放すので しょうか。 そうなのです。 私たちの誰一人として、進んで そうしようとしていません。 私たちは、このものに、 向き合いたくないのです。 私たちは、自分の小さなごみを 取っておきたいのです。 |
| 47:43 それは、時々、何がごみであり、 何がごみでないかを、 知らないだけの 問いであるのか。 |
| 47:48 K: ごみは、ごみです。 それは臭います。 あなたは、知らなくていい。 |
| 47:55 質問者: でも、あなたが 触れたごみは、 タバコを吸うこと、 酒を飲むことであり・・・ |
| 47:58 K: いいえ。それは、 きわめて小さなことです。 |
| 48:01 質問者: いいです。それらは、 見るのがとても容易いことです。 あなたは見られるし、あなたは「いいよ、 私はカトリックへ育てられてきた。 私はそうありたくない」 と言いますが、 ごみのほとんどは、 それではない。 それは、はるかに微妙です。 あなたにそれは見えません。 |
| 48:12 K: それは、はるかに微妙で、 はるかに深い。 |
| 48:15 質問者: それが問題です。 K: 待って。 |
| 48:15 でも、まず第一に、私たちは、 表面的なごみをも、捨て去り、 解消し、脇に 置いてきたのですか。 そのとき、私たちは 他方へ、前進できますが、 表面的なごみに取りすがり、 入ろうとすることは・ ・・ それは、なかなか ばからしくなります。 で、戻ってきましょう。 私は、これらについて、 清教徒的な暴君に なりたくありません。 私は、こう言っている だけです - 私たちは、何をするのでしょうか。 ここに問題があります。 親は、条件づけられて います。 あなたが、その言葉「条件づけ られた」を、使いたくないなら、 たくさんのごみを 収集してきました。 なぜなら、彼は、そのように 教育されてきたからです。 母親は、教育されています。 彼女は 自分のごみを、持っています。 教育者は、自分のを 持っています。 あなたはそれを、子どもへ与えます。 私たちは、何をするのでしょうか。 質問者: それを 明らかに見る。 |
| 49:29 それで、私たちが ごみをほしくないように、 私たちがごみを取り除く ように、明らかに見る。 私たちはそれを見るし、 私たちはそれを見たい。 私たちはそれを 見続けるように、です。 私たちは、それに 気づいている。 私たちはもっと、それに気づいて いる。 私たちは、もっと敏感です。 そのとき私たちは、もっとごみを 取り除くし、私たちはもっと敏感です。 そして今、私たちはそれを見つつ あるし、私たちは感じつつある。 私たちは、あの子との 関係に、いたい。 私たちは、互いとの関係に いたいと思います。 私たちは、それを 秩序づけます。 私たちは、幾らかエネルギーを得るし、 たぶん私たちは、もっと見ます。 |
| 49:55 K: はい。でも、 何が起きますか。 あなたは、ごみを取り除こうと しています。 私は教育者として、 私自身の中のごみが何で あるかが、明らかでありません。 ともに私たちは、子どもがごみを 収集しないよう、助けています。 いいですか? 私たちは 何を、するのでしょうか。 実際に、です。 それについて 理論化しないでください。 私は、大変多くのごみを 投げ捨ててきました - その言葉を使って、すみません。 それはかなり、醜い言葉です - 私が収集してきた、この くずを、大変多く、です。 教育者は、それに気づいて さえいません。 理解されますか。 |
| 50:44 質問者: 気づいていない・・・ |
| 50:45 K: 自分が収集してきた ごみ、くずに、です。 私たちは、その子を持って います。 私は訊ねています - あなたは、この問題を どう取り扱いますか。 理論的に、ではなく、 実際に、です。 あなたたちは、学校を持っています。 あなたたちは、親を持っています。 あなたたちは、教育者と 子どもを、持っています。 |
| 51:05 質問者: 私たちは、 ちょうど今、 ここにちょうど今、あるもの 以外の何かを、取り扱えますか。 私たちがこの問いを出していて、この時、 ごみとか、何とでも呼ばれているものを、 投げ捨てようとしているとの 事実こそが、 まさに私たちが 向き合えるものです。 まさに現在、ちょうど今の、 この一つのもの、 まさにこの一つのものを、 私は掴みたいのですが、 このごみは何ですか。 私が投げ捨てたい、私の精神の 中のこれらのものは、何ですか。 で、私が向き合えるものは、 私がまさに現在、何かを したがっていることです。 |
| 51:37 K: はい。ですが、私が 訊ねているのは、こうです。 あなたは・ ・・ 親、教師は - まだ、子どもではない。 彼は小さすぎます - 彼らは、互いに助け合う 準備が、できていますか。 くずの幾らかを投げ捨てるように、 です。 |
| 51:55 質問者: この学校で、ですか。 |
| 51:56 K: これが、学校です。 私たちはここにいますよ。 |
| 52:00 質問者: いいえ。 K: あなたは そうしたくない、という意味ですか。 |
| 52:03 質問者: ええ。あなたは、彼らはそう する準備ができているかと、仰った。 |
| 52:05 私は、いいえ、と言います。 K: そうなのです。 |
| 52:08 質問者: なぜなら、準備のための 必要は、ないからですね。 |
| 52:10 私たちは今も、それをするんです。 私たちは次回、そうします。 私たちは家に帰るとき、 そこでそうします。 私たちは、そうしつづけます。 投げ捨てつづけます。 投げ捨てられる、ただ一つのものは、 ちょうど今あるものです。 それが、私たちが向き合える ただ一つのものです。 私たちは、自分たちが子どもに しようとしていることとか、 自分たちが子どもたちにしてきた こととかには、向き合えません。 |
| 52:29 K: では、それをはるかに単純に しましょう。そうしてもいいですか。 あなたは準備が できていますか - 私は、あなた個人に 訊ねていません - 私たちは、準備が できていますか。 なぜなら、私たちは、子ども たちに、責任があるからです - 自らが収集してきた自分たちのくずを 彼らに投げつけないように、です。 私たちは、準備が できていますか。 あなたは親として、私は 教育者として、ともに助け合う - 私たちが 収集してきたくずを、 今、今日、今朝、 投げ捨てるように、です。 そうでないなら、教育者として、 親として、私たちは、 その少年や少女がくずを収集 するのを、助けようとしています。 で、私たちは今朝、親、教師は、 こう言う準備が、できていますか - 「私のくずはこれですね。私がそれを 払ってしまうよう助けてください」と。 53:42 そういうわけで、 私は言うのです - あなたは、条件づけられています。 子どもは、条件づけられています。 それが、くず、ごみです。 そして、教育者は、 条件づけられています。 で、私たちは、こう言います - 私は条件づけられている。 あなたは条件づけられている。 それについて話しましょう。 それに入りましょう。 私たちは進み ながら、それを拭い去りましょう。 何時間も、何日間、何ヶ月、 何年も、掛けるのではなく、 私たちが進んでいきながら、 それを拭い去る。 あなたは、その準備ができていますか。 あなたは、これを望みますか。 集団療法ではありません。 それは、 忌まわしいものです。 |
| 54:21 質問者: が、あなたがそれを望むなら、 このくずに向き合うだけではなく、 ちょうどその後、自分が望むこと にも、向き合わなくてはいけません。 私たちが話している間、出てくる かもしれない、まさにこの欲求です。 K: 私たちは今、そうするでしょう。 |
| 54:31 質問者: いいよ。 |
| 54:35 K: 私たちは、それの準備ができて いますか - みんなともに、です。 |
| 54:38 ともに、です。それは家族です。 これは、集合的なことです。 もし家族の中で、母親が、 「私は、自分のくずを投げ捨てる 準備が、できていないわ」と言うし、 父親が、「私はそれを している」と言うなら、 闘いがあろうと しています。 |
| 55:00 質問者: これがどうできるのかを 説明してもらえますか - 集団療法のことへ 入ることなく、です。 |
| 55:04 K: お示ししましょう。 まず第一に・・・ それは単純です。 お示ししましょう。 あなたは、それをできます。 が、私たちは、そうする 準備が、できていますか。 またはあなたは、自分が収集した ごみを、少し保っておきますか。 私は、自分の子どもたちにしてほしい - 括弧付きの「ほしい」です - 私は、子どもたちに、どの種類の ごみも収集しないでほしい。 インドのごみ、ヒンドゥーのごみ、 カトリックのごみ、アメリカのもの - よろしいですか。 私は彼に、 どのごみをも、持ってほしくない。 それで、その子は善の中、美しさの中で 花開けるのです - 何か値するものです。 で、私たちは、これの準備が できていますか。 56:08 あなたはそれができているなら、 私たちの問いは、初めに、 私たちは、ごみに 気づいていますか。 私は教育者ですし、 あなたは親です。 学校で、私は、 「見なさい」と言います - 「議論する中で、私は、 自分のごみに気づきたい」。 よろしいですか。 あなたと 対話、会話をする中で、 私は、自分が集めてきた、この くずの収集物に、気づきます。 私たちは、それをできますか - 親と教師は、です。 これが、今、私たちの 立場なるものです。 私はたまたま、 教師、教育者です。 あなたはたまたま、 子どもです。 または、その逆です。 それは構いません。 |
| 57:14 質問者: それは、一定の種類の鈍さを 含意しているようです・・・ |
| 57:18 K: 何ですか。 |
| 57:20 質問者: それは、一定の種類のぶっきら ぼうさを、含意しているようです・・・ ぶっきらぼうさ、直接さ - 人々が どうなのか、私は確かでない・・・ |
| 57:27 K: いいえ。 残忍な直接さではなく、 そうね、何かについて関心を 持っている二人の友だちですが、 彼らは、それについて 議論するでしょう。 |
| 57:45 質問者: 組織の中には、恐れが たくさんあると、思われます。 |
| 57:50 K: この組織の中には、何も 恐れるものが、ありません。 なぜなら、ここには何もない からです。 始まりだけです。 そうね、あなたたちは、 みんな逃避しています。 あなたは、そのことに向き合い、 「見なさい」と言いません - 「私は、ごみを持っている。 それについて話しましょう。 対話をしましょう。 私たちがその幾らかを 脇に置けるのかどうかを、 見ましょう」と。 ごみの一つは、 意見を持つことです。 K: いいですか? |
| 58:24 質問者: いいです。 |
| 58:26 K: 学校が何であるべきか、 等々。意見です。 |
| 58:28 それらは、事実とは何の 関わりもありません。ですね? さて、あなたは、 意見を投げ捨てられ、 絶対的に、いつの時も 事実に向き合えますか。 質問者: 時々、それは難しい・・・ |
| 58:52 K: いいえ。難しい、ではない。 |
| 58:54 質問者: いいえ。投げ捨てるの ではなく、知ることが、です。 |
| 58:55 ほとんどの人々は、自分の意見を 事実だと取る、ってことです。 |
| 59:01 K: いいえ。あなたが神経症 であるのでなければ、ね。 |
| 59:06 質問者: すると、神経症の 人が、たくさんいますね。 で、あなたは、 どう知りますか。 |
| 59:11 K: そのとき、それは 全く違った問題です。 意見が何であるかは、 ご存じです。 あなたが何も知らないことに ついて、結論に来ること、です。 |
| 59:24 質問者: いえ。私はそれを 受け入れません。すみません。 「あなたは菜食主義者でなければなら ない」と言う菜食主義者が、います。 でも、どちら側にも 事実があって・・・ |
| 59:35 K: 待って、待って。存じて います。どうぞ。まず第一に、 私は、菜食主義者と非菜食主義 者について、話していません。 私は、あなたについてか、ここの、 この部屋のXについて、話しています。 意見を持つこと、 それは、ごみの一部です。 学校はこうでなければ ならないと言うことや、 なぜあなたは、青のズボンを履く のかとか - それが何でも、です。 意見。 私たちは、意見の 収集物を、持っていませんか。 政治的な意見、 宗教的な意見を、です。 私たちは、それらを 捨て去れますか。 それはまた、判断をも 意味しています。 私は、あの導師より この導師を、好む。 それは、判断です。 |
| 1:00:48 質問者: まあ、私は自分の ごみを分かち合うなら、 残念ながら、私は判断されようと していると、思います。 |
| 1:00:54 K: いいえ。誰が 気に掛けますか。 私が自分のごみを投げ捨てる から、あなたが私を判断し、 私を、あほう、頭がちょっとおかしい と呼ぶなら、私は気に掛けません。 私は、あなたが私を気違いと呼ぶのを、 恐れていません。 私を何と呼んでも、です。 私は構いません。 なぜなら、 私は事実を知っているからです。 私は、事実を取り扱っているだけ です。 他の何でもありません。 ご覧ください。 もし 私が妬んでいるなら、 私は、自分が妬んでいるのを、 知っています。 ですね? それは、ごみの一部です。 私は、説明や忌避を見つけません。 または、事実の回避を、です。 私は「はい。 私は貪欲で、 妬み深い」と言います。 そのとき、私たちは それを、取り扱えます。 あなたは、ともに それに取り組めますが、 あなたが、「私は自分が妬んで いるのか、あまり確かでない。 1:01:56 私は妬んでいるのが、 好きだ」と言うなら、です。 私たちの社会全体が、 あの原理に、基づいています。 いいえ? で、あなたは、その 事実に、向き合うでしょうか - 自分は妬んでいる、と。 そうね、それは、とても複雑な 問題です - 妬みは、ね。 それは、深く 根づいた問題です。 妬みは、進歩の観念全体を 含意しています。 いいえ? 何かに 到ることを、です。 なぜなら、他の人たちが 到ったからです。 妬みは、模倣、順応を 含意しています。 そのすべてが、妬みに 関与しています。 で、あなたは、私たちは、 それに気づけますか。 それに入られ、それを 拭い去れますか。 果てしなくそれを 玩ぶのではなくて、です。 そのとき私は、全く違ったように 私の学生を、取り扱うでしょう。 私は、彼と論議できるなら、 私は彼に、言うでしょう。 私たちは、小さすぎる子ども たちを、持っているから、 あなたは論議できませんが、 彼らが育ってくるにつれて、 私は彼とともに、問題全体に ついて議論するでしょう。 1:03:26 私は、妬むとはどういう意味 であるかを、知っています。 あなたは妬んでいます。 それについて議論しましょう。 それについて話しましょう。 それに何が含意されているかを、 見ましょう - それが世の中で 何をしてきたかを、です。 商業世界全体が、妬んでいます。 妬みに基づいていますね。 あなたは、このすべてを 見ません。 商業主義は、それです。 また、あなたが問題全体に、 はるかに深く入りたいなら、です。 私は親です。 私は自分の子どもを 愛しています。ですね? 私は、自分がそうだと 思います。 私は、「はい、 私は自分の子どもを愛しています」 と言おうとしていません。 私は、自分が愛していると思います。 それはどういう意味ですか。 それは実際に、どういう意味ですか - 理論的に、ではない。 それがどういう意味であって ほしいと、私が思うことではない。 実際に、日々の生活において、 それは、どういう意味ですか。 1:04:50 私は初めに、彼らを甘やかします。 彼らは、玩具です。 彼らは、人形です。 よろしいですか。 それらの事柄が、進んでいきます。 私は彼らを愛しています。 あなたは そうですか。私たちはそうですか。 もしも私たちが 彼らを愛していたなら、 社会がこのようだろうと、 思いますか。 はい。 それが、 私が言っていることです。 教育者として、 親として、私たちは 本当に、このことに、 関心を持っていますか。 それが、私の職と あなたの職です - 私たちが関心を持つように 見届けることが、です。 人間として、私は 関心を持っています。 そういうわけで、私は学校が何か 違ったものになることを望むのです。 私は、自分の子どもが育って、薬物を 摂る、その他すべてを、望みません。 一方で、です。 または、 或る導師と行ってしまう、 彼の不条理に 捕らわれるとか、 1:06:33 兵士になってしまい、殺される ことを、です。よろしいですか。 残念ながら、私たちにおいて、 これについて、 私たちが熱情を持つのを阻止する のは、凡庸さであると、思います。 で、再び始めましょうか。 私たちは何をするのでしょうか。 ともに私たちは、学校を 建てようとしています。 ともに私たちは、互いを、子ども、 学生たちを、助けようとしています - 彼らが凡庸でないよう、 見届けるために、です。 マーク・ リー: 私たちはさらに、この 関係の問いへ、入られるでしょうか - 関心を持っている人々、 この学校に関心を持っている とされる人たちの間の、です。 より易しい問いは、 子どもたちをどう取り扱うか、 凡庸さをどう取り扱うか等の 問いであると、私は思いますが、 1:07:42 より深い問いは、ともにこれへ働く 感じであると、私には思われます。 責任を持つ人々の間の 関係は、何であるか、です。 |
| 1:07:52 K: ご覧。マーク・リー、あなたと 私は、ともに働いています。 いいですか? 私たちは 実際にともに働いています。 私たちの関係は何ですか。 実際に、です。 虚構としてや、 ロマンチックにや、 思想的に、ではなく、 実際にそれは、何ですか。 私たちは、互いに どう聞き合いますか。 ML: 私たちは聞きます。 |
| 1:08:21 K: そうですか? 私は、他のことを取っています。 私たちは実際に、互いに聞き合いますか。 または、私は、あなたについて 自分の意見を進めながら、 あなたに聞きますか。 よろしいですか。 ML: でも、私たちは これらのことを、探検します。 K: 私たちは そうしていますか。 ML: 私たちは、意見をもってか、もたず に聞くとのこのことを、探検します。 |
| 1:08:52 K: 私たちは今、 それをしています。 あなたはどう、私に聞きますか。 私はどう、あなたに聞きますか。 あなたはそもそも、私に聞きますか。 私はそもそも、あなたに聞きますか。 または私は、あなたについて、 意見を持っています - 私はそれを持って いませんが、仮に、私が あなたについて意見を持って いると、します。 何が起きますか。 その意見は、あなたが言っている ことを、いつも歪曲しています。 「あなたは、学校の長である。 やれ まあ、私は気をつけなければならない。 私は自分の子どもをここに置きたい。 ゆえに私は、彼の機嫌を損ねられない。 私は少し、彼に取り入らなければ ならない」と。よろしいですか。 1:09:39 そのすべてが、進んでいます。 私のペテンが、進んでいます。 そして私は、「はい、私はお話を よくよく聞きます」と言います。 ML: で、それは多くの場合に きわめて明瞭です - 私があなたに 聞いているなら、です。 これらが、あなたが内側で 進んでいる物事です。 それらは、あなたの声に、 あなたの顔に、 あなたが使う言葉に、 露わになります。 私は、あなたに率直か、 あなたに正直であるなら、 私たちは、関係を持っているなら、 それについて、議論できます。 |
| 1:10:09 K: そのとおりです。で、私たちは、 「ご覧、友よ」と言います - 「私たちはどちらも、 学校に、子どもたちに、 関心を持っています」と。 このすべてのくずを、 切り捨てなさい。 そして、それについて、ともに 議論し、対話、会話をしましょう。 」 その会話は、一定の 気づかいを、要求します - 一定の言葉の理解を、 言葉の実際の意味に、です。 私が「愛」という言葉を使い、 あなたが、違った意義を持ち、 私が、違った意義を持っている なら、私たちは外れています。 で、言語的な理解、 私たちが使う言葉の明瞭さが、 あるだけではなく、 また、私たちの間に、 一定の慈しみ、気づかいが、 なければなりません - あなたは思っていることを言う、私は 思っていることを言うように、です。 その中から、互いへの尊敬、 慈しみが、あります。 私たちは、これらを するのでしょうか。 いいえ。そういうわけで、それは まったく無意味になるのです。 |
| 1:11:26 質問者: 私が何かを 言ってもいいですか。 私は、経験から 話しているだけです。 私が、これらのくずを取り除くために 見るさまは、経験をとおしてだけです。 ここで起きていることは、 こうです - 私が自分の生で色々と 考えていた時の幾つか、ですが、 凡庸な子どもを持たない ためには、あなた自身が 凡庸ではいられないように、 思われます。 あなたが本当に、彼を 愛しているなら、それは、 あなたが彼に、凡庸であって ほしくない、という意味です。 ゆえに、あなたは、自分自身、 凡庸でいられません。 ゆえに、あなた自身、 凡庸でないためには、 1:11:54 あなたは、このすべてのことを、 見なくてはいけません。 一度あなたがそれを見ると、 それは解消します。 さて、あなたはここにいます。 私は あなたと触れ合いを持っていて、 私が大いに愛している妻が、 ちょうどここにいます。 そして、私が、その上で 働いているもの、 私がこの会合から外して しまったことは、お金でした。 それで、私を覆ったものは、 こうでした - あなたが凡庸であるなら、あなたの 子どもたちは、凡庸であろうとします。 少なくとも、あなたは、彼らを 条件づけようとしています。 で、たぶん、彼らは そうなろうとしています。 で、私は、お金のことに 触れたんです。 私のは意味がありますか。私が 言っていることを、理解されますか。 |
| 1:12:24 K: あまりね。 |
| 1:12:27 質問者: 私は、お金を取り除きました。 そうね、私はこのことを 持っていました。 私は大きな住宅を 持たなくてはいけない、と。 で、私は、オーハイへ来られました。 クリシュナムルティ学校へ来られました。 アメリカで私たちは、大きな住宅と車と あらゆるものを持たなくてはいけません。 私はそれを投げ捨てましたよ。 |
| 1:12:38 K: いいですよ。それから? |
| 1:12:40 質問者: 私たちはそれを 持とうとしていません。 |
| 1:12:43 K: いいえ、前進して。 それを進めてください。 |
| 1:12:45 質問者: それは単純ですね。私たちは このすべてのお金は、要らないですね。 |
| 1:12:48 私たちは、一定額の お金が、必要です。 あなたは、良い食べ物を 持たなくてはいけないし、 あなたは、学校に 近くなくてはいけませんが、 私は、三台の車と、プールつきの 大きな住宅は、要りません。 |
| 1:12:57 K: それは理解できます。で、 そこから次の歩みは、何ですか。 |
| 1:13:02 質問者: それを特定してほしいですか。 この不動産帝国のすべてです。 私は、抜け出し、 それを取り壊しました。 |
| 1:13:09 K: いいですよ。あなたは、 一定のごみを、取り除いたのです。 |
| 1:13:12 質問者: そうです。それが 私が言っているすべてです。 |
| 1:13:16 K: それで、何ですか。 そのとき、何が起きますか。 |
| 1:13:21 質問者: 何が起きるかは、私はお金から たくさん緊張を持っていたんです。 私は、その緊張を 持とうとしていません。 今朝のように、私は起き 上がります。 子どもたちは、 グレープ・ ジュースを飲んでいます。 私はコーヒーを飲んでいます。 彼らは、「ああ、グレープ・ ジュースは もういい。コーヒーだよ」と言います。 なぜ私はコーヒーを飲むか。 カフェイン です。なぜ私は夜更かしをしていますか。 なぜなら、私は、お金のことで 悩んでいるからです。 私たちはそれを 投げ捨てようとしています。 言っている意味は、分かりますか。 |
| 1:13:42 K: あまりね。 |
| 1:13:47 質問者: まあ、たぶん私は、 単純な発言をすべきなんでしょう。 私は、お金ってものが欲しかったが、 それを取り除きました。 それが、私があなたに言って いるすべてです。 |
| 1:13:53 K: いいですよ。 |
| 1:13:55 私は、お金を取り除きます。 大きな住宅への欲望を、です。 お金ではなく、 大きな住宅、車への欲望です。 あなたは、あの種類の 行為の無益さを、見ます。 質問者: そうです。それが与える 緊張を、です。 |
| 1:14:06 K: はい。 |
| 1:14:07 でも、それはあなたに、抵抗、 緊張を、目覚めさせますか。いいえ。 |
| 1:14:16 質問者: いいえ。私はそれを経て きました。そうね、論争を、です。 ああ、あなたは、その車を持つべきでない。 その車を持たなくてはいけない、と。 なぜなら、オーハイの外へ出なくては いけないからと、これらのことです。 いいえ、その議論は 終わりました。 K: そのとき、主題は何ですか。 |
| 1:14:27 質問者: 何も主題はなかったです。 |
| 1:14:34 私はあなたに、経験を 説明していただけです。 ああ、あなたは手助けしてくれた し、妻は手助けしてくれた。 それが、私が言って いることです。 |
| 1:14:45 K: あなたは、何について 話していますか。 |
| 1:14:48 質問者: いいえ。私は正直でいるん です。あなたは笑っておられます。 |
| 1:14:50 質問者: 彼は、自分がお金に洞察を持った と言っていると、私は思います。 お金への必要です。 |
| 1:14:57 K: 理解します。 マダム。それから、何ですか。 そこから前進してください。 |
| 1:15:00 質問者: はい、いいよ。 |
| 1:15:01 質問者: 止まりませんか。 |
| 1:15:03 K: コーヒーで止まらないで、 進んでください。 |
| 1:15:06 質問者: そのすべてを 取り除く。 K: いいえ。 |
| 1:15:11 ご覧ください。私たちは、何かに ついて話しています。すなわち、 |
| 1:15:12 私たちは、 教育者、親として、 自分たちが収集してきたごみに、 気づく準備ができていますか - 親、教育をとおして手渡されて きたごみ、過去ですが、 私たちは、ごみの収集のそれらの 動きに、気づいていますか。 私たちは、それらに 気づいていますか。 それが、マーク・ リーと 私たちが話していることです。 私は、彼に訊ねているし、 彼は、私に訊ねています - この学校で、何かに熱心である 二人の友だちとして、です。 あなたが、ごみを持っているし、 私が、ごみを持っているなら、 あなたは、良い、一流のものを、 創り出せません - かつて存在しなかった 学校を、です。ですね? 1:16:27 私たちはどちらも、 その事実を、認知します。 そのとき、次の問いは - 事実ですが - あなたは、ごみに 気づいていますか。 あなたが収集してきた 物事に、です。 そして私は、 気づいているのか、等です。 どんな程度に、ですか。 よろしいですか。 どんな程度に、あなたは この収集に、気づいていますか。 お金、表面的な物事ですか。 または、 はるかに深遠に気づいていますか。 あなたは、どう 見出すのでしょうか - あなたは、表面的に気づいているのか、 または、深遠に、深く、です。 さあ、どうぞ、対話です。 これが、私がいう意味です。 あなたと教育者との 間の対話です。 あなたは、学生です。 私は あなたの教師ではありませんが、 私はたまたま、 当分の間、教育者です。 私は、「これについて話しましょう、 互いへ露出させましょう」と言います。 1:17:42 集団(療法)の意味で、ではなく、 それについて議論しましょう。 ML: 私は、自分のくずの幾つかが、 一定の効果を持っていることに、 注目します。 そして、 これら効果、私の態度、 私の言葉、私の意見は、 継続的に挑戦されるか、 他の人々に 明白であるだろう、と。 |
| 1:18:07 K: いいえ。あなたは、ごみの 収集に、気づいていますか - あなたが収集してきたし、あなたに 手渡されてきたなどのものに、です。 どんな程度に、あなたは 気づいていますか。 そして、どんな深さまで、あなたは これに、気づいていますか。 なぜなら、あなたが、 表面的に気づいているなら、 あなたの収集の、より深い層が、 子どもに、感染するだろうからです。 あなたがそれを望んでも、望まなくても、 そうなるでしょう。 必ずなります。 病気のように、です。 で、マーク・リーは、表面的に気づいて いますか。または深くですか。 |
| 1:19:10 質問者: で、彼は、 自らの精神において、 自らが悟った後、さらに 進めなくてはいけません。 自分がごみを持っていることを 悟るとき、ですが、 この悟りは、精神に新しい中心を 形成することによって、起こります。 |
| 1:19:24 K: ああ、いいえ。私は お示ししようとしています。 あなたが、一組のごみを 取り除いて、 もう一組のごみを 収集したいのなら、 あなたは、どのごみをも 取り除きつつありません。 |
| 1:19:34 質問者: はい。でも、私は、 それが本質的であると、思います - 少なくとも、私の精神には、 それが起こります - 私は新しい中心を 形成するとの悟りが、です。 私にとって、 ごみを収集する問いにおいて、 さらに進むことは、こうです - この収集は、本当に 何を意味していますか。 それはどう起きますか。 それが、私の次の問いです。 |
| 1:19:50 K: 私たちは、それについて議論するで しょう。私たちは今それをしています。 それはどう起きますか。 |
| 1:19:56 質問者: 一つの水準で、それは、もう一つの 中心を形成することにより、起こります - それにもまた、私は今、 向き合わなくてはいけません。 |
| 1:20:02 K: いいえ。 中心を忘れてください。 あなたは、 人間として、ですが このごみの収集は、 どう訪れますか。 ごみ - それは、 どう訪れましたか。 |
| 1:20:19 質問者: その時に、それらを 処分しないことによって、です - 何か見つめるべきものが あったときに、です。 物事を暗記することによって、です。 それらは、私の精神に残滓として 留まります - 以前の区分から、です。 |
| 1:20:31 K: あなたの親は、そのくずの幾つかを あなたに与えませんでしたか。 |
| 1:20:34 質問者: 明確に 彼らはそうしました。 |
| 1:20:35 K: 社会は、そのくずの幾つかをあなたに 与えませんでしたか。 質問者: はい。 |
| 1:20:38 K: 環境は、そのくずの幾つかを あなたに与えませんでしたか。 |
| 1:20:40 あなたは、あなた自身、幾つかの くずを、収集してきました。 で、誰が、これに 責任がありますか。 |
| 1:20:56 質問者: 或る程度まで、私がそうです。 或る程度まで、親が、です。 道を指さなくて・・・ |
| 1:21:04 K: 親、社会、隣人。 で、何ですか。誰が、あなたに それを与えましたか。 |
| 1:21:12 質問者: 誰が、私に それを与えましたか。 |
| 1:21:15 K: 誰がこの収集物を あなたに、与えましたか。 |
| 1:21:23 質問者: 私が受け入れる 環境が、です。 |
| 1:21:26 K: それは、何ですか。 あなたのまわりの世界です。 いいです。 あなたは 世界より異なっていますか。 あなたが結果であるとき・・・ |
| 1:21:40 質問者: いいえ。私は それに気づいていません。 私は異なっていません。 |
| 1:21:47 K: で、あなたは異なっていません。 あなたは、このすべての結果です。 |
| 1:21:50 質問者: はい。 |
| 1:21:52 K: さて、あなたは、それが 結果であると、気づいていますか。 |
| 1:21:58 質問者: でも、そうね、 これらすべての問いは・・・ |
| 1:21:59 K: いえ。私はその言葉を、気をつけて 使っています。聞いてください。 あなたは、この収集が結果である ことに、気づいていますか。 |
| 1:22:07 質問者: はい。 |
| 1:22:10 K: ゆえに、それは、原因が あるにちがいありません。 |
| 1:22:18 K: いいですか? 質問者: はい。 |
| 1:22:18 K: あなたは、原因に 気づいていますか。 |
| 1:22:19 質問者: はい。 K: 原因は何ですか。 |
| 1:22:23 あなたは、言います - 私は収集に責任がある。 |
| 1:22:25 私の親、 私が受けてきた教育、 専門校、大学、 社会、隣人。 すなわち、あなたの まわりの世界が、です。 文化 - そのすべてが、 あなたのまわりの世界です。 それが、あなたがこのすべてを 収集するのを、助けてきました。 で、あなたは、 このすべての結果です。 いいですか? あなたは結果です。 ゆえに、この結果のための原因が あります。 または、幾つかの原因が、です。 それら原因は、何ですか。 |
| 1:23:16 質問者: 私に言わせてもらえるかぎり、 私はたった一つのことを言えます - 私自身です。 |
| 1:23:20 K: いいえ。 あなた自身は、このすべての結果です。 |
| 1:23:24 質問者: そうですが、 原因は、真実のままです。 あなたが出されたそれらの問いは、 すべて、含まれています - 私の親、私の環境など、です。 |
| 1:23:32 K: 私たちはそれを言いました。で、 あなたは、このすべての結果です。 結果があるとき - それは効果です - 原因があるにちがいありません。 人間たちの原因は、 何ですか - すなわち、 私たちのまわりの、このめちゃくちゃを 創り出してきたものの(原因)、です。 |
| 1:23:55 質問者: 恐れです。 |
| 1:23:58 K: いいえ。ゆっくり それに入ってください。 |
| 1:24:02 質問者: 精神が働く 機械的なさま、です。 |
| 1:24:12 K: あなたは、一番 何がほしいですか。 いいえ。 根源的に、深く、このすべての 原因は、何ですか。 それは、こういう意味です - 人間たちは、深く 何をほしいのか、 渇望するのか。 |
| 1:24:30 質問者: 安全です。 |
| 1:24:34 K: はい。そうでないですか。 彼らは、安全をほしい - 生理的にも、心理的にも、です。 私がその言葉を使っていいなら、 霊的に、です。 いいですか? で、あなたは、安全をほしい瞬間、 このごみを持つにちがいありません。 いいですか? で、安全の問いに、 入らなくてはいけません。 物理的には、安全を 持たなければなりませんね - 衣食住、お金を、です。 私たちは それを持たなければなりません - さもないと、私たちは 機能できません。 が、他の形の安全が、 ありますか。 いいえ。 けれども、あなたは それをほしいのです。 教会は、それを提供してきました。 司祭者は、それを提供してきました。 現代の導師たちは、それを 提供しつつあります。 本は、提供しています。 で、心理的に、内的に、 あなたは、すべての安全から 自由でありえますか。 それは、妻への依存など (から)、という意味です。 で、あなたは、問題がどんなに 複雑なのかを、理解されますね。 で、あなたは、子どもを、 どう助けようとしていますか。 |
| 1:26:29 質問者: あなたがちょうど今、して いるのと同じように、です。 なぜなら、あなたが私に問うことに より、私はそれに到ったからです - 引用符つきの「結論」に、です。 そしてともに、私たちは、何かを してきたかもしれません。 私にとっては - 私は 色々と見てきました。 |
| 1:26:47 K: すなわち、 結論は安全です。 |
| 1:26:51 質問者: いいえ。私は その言葉を言いません。 |
| 1:26:56 K: 結論は安全です。 意見は安全です。 判断は安全です。 模倣は安全です。 様式への順応は、安全です - 内的に、心理的に、です。 権威、導師に従うこと。 全部が、それです。 安全を要求し、安全を与えて くれるものを創り出す。 私は、導師を 創り出します。 なぜなら、私は、安全を ほしいからです。 キリスト教の世界で、私は イエスを創り出しました。 なぜなら、私は、彼から 安全をほしいからです。 私が、司祭者を創り出しました - 「私があなたを助けよう。 私が、あなたと神との間の仲介役に なろう」と言う人を、です。 1:27:51 で、私は、自分の子どもを 助けられるでしょうか - 安全と呼ばれるこのものの重荷を けっして持たないように、です。 それは、 存在していません。 理解されますか。 で、私は、何を するのでしょうか。 学校で、私たちは 何をするのでしょうか。 あなたと私は、この安全への 要求の深さを、理解します。 さて、子どもは安全を ほしい。 ですね? その子は、それを 持たなければなりませんね。 なぜなら、その子は、それを 家で見つけないなら、 それを薬物に 見つけるだろうからです。 その子はそれを、導師に見つける でしょう - 理解されますか - または、コミューンに、です。 または、逃げ去ります。 で、あなたは、 親と教育者は、 これを学生に、どう伝えて、 その子がそれを持たないように、 見届けるのでしょうか。 1:29:17 そのときその子は、自由な人です。 その子は、すばらしい人です。 安全を探し求める人々は、 凡庸な人々です。 で、私たちは、何をするのでしょうか - マーク・ リーは教師として、 そしてここには、他の教師もいます。 私たちは、この特定の主題について、 学生を助けるのに、どう 取りかかるのでしょうか。 私は、一つを取り上げています。 その一つの主題で、通しましょう。 ML: これらの人々がみな、本当に 理解しなくてはいけません - 初めに、安全の 詳細な微妙さを、です。 |
| 1:30:03 K: 本当です。初めにそれは、 あなたと私がそれを理解し、 それを生き、それに入らなければ ならない、という意味です。 ML: なぜなら、実は、子ども への接近は、ないからです。 すなわち、これが、私たちのそれをどう 取り扱うだろうと言う道は、ないのです。 |
| 1:30:16 K: ええ。で、あなたと私は、 互いに助け合います - その意味、その深さを見て、 それより自由であるように、です。 |
| 1:30:28 質問者: それは、 私たちが一度理解したなら、 それを子どもへもたらすし、彼が かつて出くわしたものに基づいて、 それを関係づけようとする、 という意味ではなく、 もう一度、その子とともに彼の 言語で反復する、ということです。 |
| 1:30:40 K: ご覧ください。仮に、私たちの 十人がこれを理解した、とします。 私たちは、正しい環境を創り出します - 心理的に、そうでしょう。 私たちはこれが見えるのか どうかと、思われます。 私たちは深く、安全がない ことが、見えるとき、 そして、その子は、 安全をほしいし、 安全、保護を 持たなければなりませんが、 そのとき、その子への あなたの関係は、何ですか。 理解されますか。 |
| 1:31:26 質問者: 私は、どう 反応しますか。 |
| 1:31:27 K: 気をつけて 聞いてください。 あなたと、私たちの数人は、この 安全の問いへ、入ってきました。 すなわち、あなたは 世界の結果です。 ですね? 結果は、効果を 含意しています。 原因は・ ・・ 原因は何ですか。 人間たちは、心理的に 安全をほしいのです。 いいですか? 物理的な安全より、もっと 心理的な安全を、です。 ゆえに - 理解されますか - 私がもっと、心理的な 安全を、要求するとき、 そのとき地位が、 重要になります。 その他すべてが、です。 で、あなたと私たちの幾人かが、 このことの深さを、理解するなら、 私たちは、その子を どう取り扱うのでしょうか - 安全を持たなければ ならない子を、です。 |
| 1:32:32 DM: 心理的な安全を 持たなければならない子を、です。 |
| 1:32:34 K: 心理的、生理的、 あらゆる形の安全です。 あなたはその子を、どう 取り扱うのでしょうか。 |
| 1:32:40 DM: その子は、心理的な安全を 持たなければなりませんが、 |
| 1:32:43 それは存在していません。 K: いいえ。 あなたと私は、 それを理解したのです。 それを理解して、それを 生きるし、それに入ってきた。 あなたと私は、それを 理解したのです。 そして、「後生だから、私は 安全を持たなければならない」 と言うその子が、います。 あなたは、何を するのでしょうか。 学生との、その子との あなたの関係は、何ですか。 質問を理解されますか。 マーク・ リー、あなたは 私の問いを、理解しますか。 で、あなたはこれに、 どう答えますか。 |
| 1:33:19 質問者: 一度それが 理解されると、 - その子がその問いを出すとき、 私は本当に理解しました - あなたは、それを もたらします。 で、その子に対して 私からの反応は、 私はこの時に、 知らなかったんですが、 それは、実際の状況に 依存するでしょう - その子がこの問いを どう出すのかに、です。 たぶん私は理解しません。 |
| 1:33:36 K: いえ。あなたは答えていません。 |
| 1:33:38 質問者: 常に今、生きる ことによって、です。 |
| 1:33:39 即時のことをどう取り扱うかを、 ともに探検することにより・・・ |
| 1:33:47 K: いえ。あの かわいそうな子ですが、 あなたは、その子と議論 できませんね? |
| 1:33:53 質問者: でも、ともに 私たちの行為により・・・ |
| 1:33:55 K: 「ともに」はありません。 あなたは、私の論点を逃しています。 その子は、安全を ほしいのです。 いいですか? その子は、それを 持たなければなりません。 ML: 私たちがそれを持たなければ ならない以上に、ですか。 |
| 1:34:10 K: いいえ。 ご覧なさい。 あなたと私は、 それについて話してきました。 あなたと私は、それの意味、 それの性質を、見てきました。 そして、あなたと私は、 心理的に、自分たちが安全として 収集してきたこのごみを、 拭い去りつつあります。 司祭者、薬物 - 安全です。 全体的に、誰かに依存する こと、などなどです。 さて、私は、あなたに 訊ねています - 安全を持たなければならない 子どもを、 あなたは、どう 取り扱うのでしょうか。 |
| 1:34:51 質問者: あなたが、 同じ水準で扱うなら・・・ |
| 1:34:53 K: いいえ、あなたはそうではない。 質問者: それなら、 |
| 1:34:56 その子は違いを見ないでしょう。 その子は進もうとしないでしょう。 |
| 1:35:01 質問者: あなたはただ、その子に 安全を、与えられませんか。 ML: 混乱させそうな言葉は、 「しなければならない」との言葉です。 K: 子どもは、安全を持っていないなら、 その子は、ばらばらになります。 それは、神経症の 原因の一つです。 家出をしてしまうことの 原因の一つです。 ML: で、あなたは、その子に、 安全に感じさせなければなりません。 |
| 1:35:28 K: あなたは、それを どうするのでしょうか。 あなたは、心理的に 安全より自由でないですが、 あなたは、その子が安全である よう、どう助けるのでしょうか。 |
| 1:35:40 DM: 特に、あなたが、安全は存在 しないと、承認してきたなら、です。 |
| 1:35:44 K: あなたにとって、 それは存在しません。 |
| 1:35:46 DM: でもそれは、 彼にはありえますか。 |
| 1:35:48 K: かわいそうに。後生ですから、 あなたは、どうしちゃったんですか。 |
| 1:35:52 DM: 私たちは、心理的な 安全はないと、言っています。 それが存在しないなら、どうして それを与えられますか。 |
| 1:35:57 K: でも、その子は、 それをほしいのです。 その子は、それが 必要です。 赤ちゃんはお母さんがほしい、彼女の スカートに縋りつくように、必要です。 あなたたちは、子どもを 持っていないのですか。 あなたたちは、子どもを 持っていないのですか。 彼らがあなたへ、どう依存 するかを、知らないのですか。 |
| 1:36:23 質問者: ええ。 メアリー・ ジンバリスト: 子どもに とって、それは通常です・・・ 成人にとって、それは 欠如です・・・ |
| 1:36:34 K: それは、未熟さです。 さて、あなたは未熟ですが、未熟な 人を、どう取り扱うのでしょうか。 質問を理解されますか。 |
| 1:36:49 質問者: いいえ。 |
| 1:36:55 K: ご覧ください。 私は心理的に、 安全より自由です。 私は、自分がそうだと知って います - 個人的に、です。 依存でない、等々です。 そして、私は息子を持って います - 少年、学生を、です。 彼が私といて、完全に安全に感じる のを、私はどう助けるのでしょうか。 理解されますね - 彼は それが必要であるからです。 |
| 1:37:28 質問者: あなたは優しい。 |
| 1:37:32 K: いいえ、気をつけてください。 私はこれに、入りたいと思います。 私とともに、ゆっくり 行ってください。 私は、必要が分かります。 よろしいですか。 そうね、彼らは、 見つけたのです・ ・・ あなたは、あの変わった本、『水中の 精神』を、読んだことがあるなら、 彼らは見つけたのですが、 鯨は・ ・・ なぜなら、彼らは、こうも 巨大な動物であるから、 何物も - 人間たち以外に - 何物も、彼らを 滅ぼせません。 理解されますか。 深みにおいて、です。 人間たちが、彼らを五千万頭、 滅ぼしてきた以外は、です。 おぞましい。 で、彼らは、とてつもない 精神を、持っています。 理解されますか。 なぜなら、彼らは 安全であるからです。 そして心理的に、 安全より自由であるので、 ものすごい安全が あります。 あなたがこれをご覧になるのか どうかと、思われます。 これを理解されますか。 私は前に、司祭者に 安全を、見つけてきました - 仮に、です。 そして私は突然に、それがどんなに 不条理であるかを、見つけます。 私は見つけませんでしたか。 それで、私は安全です。 |
| 1:39:18 質問者: で、すると、 あなたはそのとき、 古い安全は、実在のものへの 不注意であると、仰っていますか。 |
| 1:39:26 K: いいえ。私が、安全を 検討し、それの偽りを見るとき、 智恵があります。 その智恵は、安全を 要求しません。 それは、それ自体で 安全です。 いいですか? で、私はその子に、これを どう伝えるでしょうか - 保護、気づかい、安全、その他 すべてが必要な子に、です。 |
| 1:40:01 質問者: あなたがちょうど今 していることしか、しませんが、 その子とともに、です。 それは、愛と熱情を もたらします。 |
| 1:40:07 K: 待って。あなたは 速すぎます。 あなたは、付け加えています。 あなたは、跳んでいきます。 それは、どういう意味ですか。 |
| 1:40:23 K: ご覧ください。 その少年、学生は、 安全がほしい。 ですね? 彼は、それを 持たなければなりません。 彼は、木に登りますが、 彼は落ちて、足を 折るかもしれません。 さて、あなたは、どう扱うので しょうか - どうぞ、聞いてください - あなたはその子を、どう 取り扱うのでしょうか。 あなたは、最高に智恵を 持っているので - 私たちがその「智恵」という 言葉を使っている意味で、です - それは、それ自体で 完全に安全です。 なぜなら、智恵は 安全であるからです。 あなたに安全を与えてくれる 何かへの依存、ではない。 いいですか? それを 理解されましたか。 で、あなたは、その子を どう取り扱うのでしょうか - 木に登るし、落ちて首を 折るかもしれない子を、です。 1:41:22 あなたは彼に、安全で あってほしいと思います。 彼は、安全が必要です。 よろしいですか。 あなたは、その子を どう取り扱うでしょうか。 彼を叩きのめしますか。 彼を叱りますか。 「そうするな」ですか。 彼に苛立ちますか。 私は、あなたに 訊ねています。 その子に苛立ちますか。 彼を叱りますか。 「けっして木に近づくな」 と言いますか。 あなたは、何を するのでしょうか。 あなたはこれを、どう 取り扱うのでしょうか。 ML: 私は、二つのことをできる かもしれません。 まず第一に、 私は彼とともに、木登りの危険に ついて、議論するでしょうね。 それから私は、彼に、木登りの 仕方を、教えるでしょう。 |
| 1:42:17 K: 待って。いいですよ。 それよりはるかに深く行って くださいよ。 進みなさい! ML: あなたは、どの状況にも、 これを、持ち込めるかもしれません。 質問者: その子は、 木に登っています。 |
| 1:42:30 彼は、それをどうするのかを 知っています。 私たちは、どう登るのかを、 彼に教えなくてもいい。 |
| 1:42:34 K: 彼は行って、ガラガラヘビと 戯れるかもしれません。 出来事を 取り上げないでください。 あなたは、 やんちゃで、悪戯好きで、 危険な遊びをする 少年や少女を、 どう取り扱うのでしょうか。 あなたは、その子を、どう 取り扱うのでしょうか。 あなたは、日々の生活で 何をされますか。 |
| 1:43:03 質問者: 常にその子へ それを指摘します。 |
| 1:43:07 K: でも、彼は それをしつづけます。 |
| 1:43:10 質問者: たぶんね。でも、私が できる、ただ一つのことは、 その状況において、完全に 自分自身であることです。 |
| 1:43:20 K: あなた自身ではない。あなた自身 というのは、どういう意味ですか。 |
| 1:43:22 質問者: その中で私が調和を 見つける境遇を、見る - その子がそうしている間、 彼は、それの一部です。 |
| 1:43:29 K: いいえ。あなたは、このすべて の過程を、経ていきませんね。 |
| 1:43:34 質問者: あなたは、そこで ほぼ即座に反応しますね。 |
| 1:43:38 K: あなたは、私の論点を 見逃しておられます。 さあ、マーク・ リー、あなたは これにどう答えますか。 あなたは、彼を 甘やかしません。 ですね? ML: ええ。でも、私は 彼と関係を持っています。 |
| 1:43:53 K: どうぞ、その問いから 始めてください。 安全への欲望の中から、 あなたは、それがどういう 意味かを、見出したのです。 あなたは、それへ洞察を持ちます。 その洞察が、智恵です。 その智恵は、「君、安全は ないよ」と言います。 で、その智恵は、 それ自体、すばらしい。 いいですか? それを 理解しましたか。 さて、あなたは、この子を 取り扱わなくてはいけません - やんちゃで、 悪戯好き等々であり、 安全が必要な子を、です。 あなたはその子を、どう 取り扱うのでしょうか。 それが、あなたの問題です - 理解されますか - あなたの日々の生活で、です。 あなたたちが学校を持っているとき、 あなたは、それをどう 取り扱おうとしていますか。 |
| 1:44:55 質問者: あなたは或る意味で、自分の 安全の観念を、その子へ拡張します。 彼は、自分の安全の観念が本当に 極端であるところの状況に、います - 彼が怖がっているように、です。 |
| 1:45:04 K: はい。気の毒に、 彼はそれが必要です。 |
| 1:45:06 質問者: で、その子はちょうど、自分が 安全と考えるものの焦点に、います。 あなたは、その状況を 取り扱わなければなりません - そこであなたは、自分の安全の 観念を、その子へ拡張します。 あなたは、狼狽しません。あなたは 通常、行為するだけでしょう・・・ |
| 1:45:19 K: 私は一分で、それを お示ししましょう。 あなたは、その主題に 向き合っていません! あなたは、それについて 理論を持っています。 質問を理解されますか。 彼は安全が必要です。 彼は、あなたの保護が 必要です。 彼は、あなたの気づかいが 必要です。 彼は、あなたの気づかいに、あなたの 保護に、依存するかもしれません。 そのすべてを当たり前だと 取っておいて、あなたは、 彼がここで重要性を見るのを、 どう助けるのでしょうか。 彼を助けますか。 あなたは、迷っていますか。 |
| 1:46:10 質問者: いいえ。私は ちょうどそこにいます。 |
| 1:46:13 K: あなたは、 迷っていますか。 なぜなら、あなたは、これをどう 取り扱うかを、知らないからです。 あなたは、理論を 持っています - 自分がそれをどう 取り扱うだろうかを、です。 あなたは、自分の古い伝統に 沿って、それを取り扱っています。 あなたは、私の論点を 見逃しています。 |
| 1:46:32 質問者: あなたは知りません。 それは、ここで事例は、人為的に創り 出されるってことかもしれませんが、 私が或る状況の子どもを どう取り扱うだろうかを、 私はこの時に、知りえません。 なぜなら、私は、その状況の 境遇を、知らないからです。 私自身に向き合うことにより、 その瞬間に、まさに その子とともに・・・ |
| 1:46:51 K: あなたたちは 学校を、持っています。 あなたたちは、六十人の子どもを 持っています。 五十人か、十人か、 それほどの学生を、です。 これは問題です。ですね? 彼らは、マイナーズ・ オークスへ 行きたいと思います。 彼らは、他の人たちがしていること すべてを、したいと思います。 なぜなら、彼らはそこに 安全を、見つけるからです。 いいですか? 彼らは、 違っていたくありません。 そのようにして、ヒットラー、 彼の青年運動すべて、 共産主義の青年運動は - よろしいですか。 それはすべて、この原理に 基づいています。 カトリック教徒 - よろしいですか。 それはすべて、その原理に基づいています - 「一人でいるな。それは 恐ろしい。一緒にいろ」と。 1:47:44 理解されますか。で、彼は、安全を 見つけます。彼はそれが必要です。 あなたはこれを、どう 取り扱うのでしょうか。 私は少し、それに 入っていいですか。 まず第一に、実際に 何が起きますか - あなたがこの安全の問いを、きわめて 深く探究してきたときに、です。 あなたは、物理的な 安全が、必要です。 あなたは、それを持たなければ なりません。 ですね? 安全は、依存等々を 意味しています。 もし私たちが、 そのすべてのごみ、 そのすべての収集物を、 拭い去ってしまったなら、 あなたの精神の状態は、 何ですか。 |
| 1:48:33 質問者: 大変多くの 明瞭さが、あります。 あなたが、明瞭さから 行為するなら、 あなたが、きわめて明らかである なら・・・ |
| 1:48:38 K: いいえ、どうぞ。 「あなたは行為するだろう」ではない。 あなたはそうしていますか。 後生ですから! |
| 1:48:45 質問者: そうなんです。 |
| 1:48:47 K: いいえ。そうではないです。 いいえ。なぜなら、 あなたは心理的に、まだ 安全を探し求めているからです。 そうでないですか。 |
| 1:48:57 質問者: 私個人に訊いておられますか。 |
| 1:48:59 K: いいえ、 そうではありません。 |
| 1:49:01 質問者: そうではないなら、 あなたは、明瞭さを持っています。 |
| 1:49:06 K: そうでないなら、あなたは 明瞭さを持っていません。 明瞭さは、あの太陽の明瞭さの ようなのか。 どうぞ、自らが、この安全の 問いに、入ってこなかったなら - そして、そこに関与した幼稚な 愚かな物事すべてに、です。 あなたがそれに 入ってきたなら、 このとてつもない智恵の性質が あります - いいですか? 「それはくずだ」とあなたに 言うのは、智恵です。 理性ではない。 論議ではない。 それの観察こそが、智恵です。 それが、「それはくずだ」と 言います。 で、あなたは、その智恵を 持っています - それは、本の学び、それら ではありません。 さて、何が起きますか。 私は、安全をほしい その子に、会いますね。 彼は、それが必要です。 どんな起源から、あなたは、彼に 安全を与えつつありますか。 今、私の質問を 理解されますか。 起源は何ですか。 どんな深さから、あなたは、彼に それを、与えつつありますか。 ML: その智恵からです。 |
| 1:50:35 K: その 智恵から。付いていってください。 その智恵からです。 いいえ。 どうぞ、そうしないで。 あなたは、これをしないのなら、何か 表面的なことへ逸れていくでしょう。 その智恵から、あなたは 行為するでしょう。 それは、どういう意味ですか。 智恵とは、どういう意味ですか。 それは、愛、慈悲を意味しています。 いいですか? そうでないですか。 あなたは、慈悲深くなくて、 子どもに対して行為します。 しかし、あなたは慈悲深いなら、 その慈悲が、行為します。 あなたの判断、評価、 その他すべてが、ではない。 それをお分かりに なりましたか。 |
| 1:51:33 質問者: あなたは、愛を与えませんが、 愛が与えるし、愛が行為します。 |
| 1:51:37 K: あなたたちは・・・ あなたが、その事実に 来ていなかったなら - 心理的な安全は、 まったくない、と。 それは、智恵があるとき、 起こりうるだけです。 それは、司祭者へ行くことは 愚かであると、言いますね - 導師へ行くこと、 誰かに依存することは、 愚かである、と。 なぜなら、それら すべてのものに、 あなたは安全を 探し求めているからです - 薬物、あれやこれと、 十の色々な物事に、です。 で、判断なしの観察が、 智恵です。 そうでしょう。 で、智恵は、知的な、合理化された 観念の収集物ではありません。 いいですか? で、それは智恵です。 さて、あなたは、そこから その子を、取り扱うでしょう - あなたの 収集物からではない。 私たちは、そこまで行く 準備ができていますか。 1:53:12 理解されますか。 親として、教師等として、 私たちは、 自らの生において、そうもはるかに 行く準備が、できていますか。 よろしいですか。 ほとんどの人々は、ごくわずかな道を 進んで、怯えて、こう言います - 「後生だから、 私は、あの導師へ行く代わりに、 他の誰かへ行こう」と。 よろしいですか。 私たちは、すべての導師の 放棄を、言っています - それは、すべての権威を、 という意味です。 私たちは、権威に 安全を探し求めるから、 それで、私たちは、 権威を創り出します。 理解されますか。 アメリカの各人物が、 正しき振るまいをするとき、 あなたたちは、政府を 持たなくていいのです。 私たちは、正しき振るまいを していないから、 政府を持っています。 それは事実です。 いいですか? |
| 1:54:27 私たちは、止めたほうがいい。1時です。 私たちは明日、会うんですね。 |