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OJ77DT4 - あなたが集団と同一視するとき、観察は部分的である。 home
教師と親との討論会 第4回
カリフォルニア、オーハイ
1977年3月27日


0:34 クリシュナムルティ: 私たちは 何について、話しましょうか。
0:44 質問者: 私たちが議論していた ことを、継続しましょう。 K: 昨日、進んでいたことを、 継続しますか。
0:49 質問者: はい。
0:54 質問者: 私たちは特に、変容が何を 意味しているかを、話せるでしょうか。
0:59 K: 今ではない。 なぜなら・・・
1:01 質問者: 教育の枠組みの中で、です。
1:04 K: 教育について話しましょう。 それは、きわめて複雑な問題です。 私たちは昨日、何について 話していましたか。
1:18 質問者: 私たちは、余暇に ついて、話していました。
1:20 K: 余暇、 学ぶこと。 私たちが言いましたように、 余暇は、持たないこと・ ・・ 自由であること - 精神が 何かの問題、何かの思考、 何らかの物事に占有されること から(自由であること)、です。 もしも私が親であり、あなたたちが みんな、教育者であるなら、 学校へ、親へ、 子どもたちへの、 私の態度や責任は、 何ですか。 私たちは、少しそれに 入りましょうか。 いいですか。それは 甲斐があるでしょうか。
2:24 質問者: はい、もちろん。
2:27 K: 私が親であるなら、 私は、学校で他の 親たちを、どう眺めますか。 教師たちへ、 他の親たちへの、 私の関係は、何ですか。 私たちは、この問いに 入られますか。 マーク・ リー、あなたは、この問いが 甲斐があると、思いますか。 みなさんは、 何と言いますか。
3:14 質問者: はい。
3:31 K: 私は、親として 一定の責任を、持っています - 生計を立てるよう、 職を持つように、です。 私は、一週間の五日間、 出て行きます。 私は、相当に自由な土曜日と 日曜日を、持っています。 私は、あなたを助けに来ます。 あなたと働くように、などです。 私とあなたの間に 関係が、ありますか。 または、それはすべて、きわめて、 きわめて表面的ですか。 私は本当に、関心を持っていますか - 自分の子どもに、だけではなく、 他の人々の子どもにも、です。 私は本当に、関心を持っていますか - 教師たちが何を教えているのか、 彼らがどう教えるのかに、です。 私は、教師たちを 助けられますか。 または、教師たちと 働けますか - すっかり違った線に沿って、 です。 すなわち、 教えることは何であるのかと 学ぶことは何であるのか、です。 5:21 私たちは、これに 入っていいですか。 教えることは、私が教育者として 何か情報を集めてきたことを、 含意しています - 数学においてか、 何においても、です。 そして私は、学生に情報を与えようと します - 私の知識でもって、 私の数学知識でもって、です。 私は教師として、 それをどうしますか。 そして、学ぼうとしている 学生は? 私は、数学や歴史を 学生に、どう伝えますか。 違った種類の教え方で、です。 私は何かを伝えているのか どうかと、思われます。 伝わっていますか? すなわち、私は 歴史の教師です - それを取り上げましょう - または、数学の、です。 私は、全然違ったように 歴史を、どう教えますか。 これに興味は、ありますか。 私は、数学や歴史を どう教えますか。 7:08 これら二つを取りましょう。私は それらを、どう教えますか。 私は歴史を知っています。 なぜなら、私はそれを、 自分の科目として、取ってきた からです。 専門校、大学。 私は学位を持っています - 私が学位を持っているなら、です。 私は学生に、歴史を 教えたいと思います - 地球的な形で、です。 アメリカの歴史 だけではありません。 私は彼に、アメリカの 歴史を、教えるでしょうが、 歴史の、より大きな意義は、 人の進化です。 私たちは、それに 入られるでしょうか。 フリッツ・ ウィルヘルム: また、進化は、 何か人の外側で起きてきたこと ではなくて、 いまだに進んでいて、また 内側にもあるものである、と。
8:20 K: 私はそれに入るでしょう。 私は歴史家です。 私は、学生たちに 歴史を教えたい。 どんな視点から、私は 歴史を教えますか。 アメリカ人やイギリス人、 ドイツ人やロシア人として、 私は、歴史を どう教えますか。 人に何が起きつつあるのか という意味での歴史 - 一万年の間に、男や女は どのように・ ・・ 私が人(マン)を使っても、どうぞ許して ください。 私は女をも含めています。 アドリブをめぐって、 喧嘩しないようにしましょう。 で、人はどう成長してきましたか。 または、成長してきませんでしたか。 歴史は、何を 意味していますか。 歴史(ヒストリー)は、 何を意味していますか。 それは、本当は人の研究です - 色々な 水準において、です。そうでないですか。 9:30 私はその子に、アメリカの 視点から、歴史を教えるのか、 理解するように、 助けるでしょうか。 彼は、アメリカの歴史を 知らなければならないけれども、 または、イギリスの歴史や フランスのなどを、ですが、 私は彼に、あの狭い制限された 視点から、教えるのでしょうか。 または私は、人類、人の 歴史を、取るのでしょうか。 人がインド、日本、ロシア、 ヨーロッパやアメリカや、 オーストラリアにいても、何でも、日本 でも、です。 すべてを含めましょう。 もしも私が、 彼に教えたい、 彼が歴史的に理解するよう 助けたいと思ったなら - 人の歴史を、です。 歴史(ヒストリー)は 人の物語(ストーリー)を 意味しています。 私はそれに、どう取りかかりますか。 私の問題を理解されますか。 10:36 私は、全然違ったように 教えたいのです - 王と戦争の日時と、その他 すべての何やらかんやらと、 それらのことを、その子に 語るだけではなくて、です。 で、私は、 人の歴史(ヒストリー)、 人の物語(ストーリー)を その子に教えることや 学ぶのを助けることに、 取りかかりますか。 イタリア語でストーリアは、歴史を 意味していると、私は思います。 問題を理解されますか。 私は、それに どう接近しますか。 彼は、アメリカの歴史について、 知るか、学ばなければなりません。 また、人の歴史をも、です。 私はそれに、どう 取りかかりますか。
11:47 質問者: あなたは今、お話を なさりたいのですか。 または、私たちはできますか。
11:50 K: 進んでください。
11:53 質問者: あなたは昨日、自分はこれらの 問題への答えを知らないと、仰いました - そして、私たちはともに それらに取り組んでいる、と。 歴史を取り上げると、 子どもたちを伴うとき、 その日、歴史を教えたいのか、 観念を持っているかもしれませんが、 一番目のことは、 あなたは、 子どもたちが何をしたいのかを 見なくてはいけない、ということです。 あなたは、歴史を教えたくて、 現れるかもしれませんが、 それは、その時に子どもたちが 望むことではないかもしれません。
12:25 K: 子どもたちは何を 望みますか - 基本的に、です。 いい時を過ごすこと、楽しいこと、 駆け回ること、そうですね。
12:36 質問者: いえ。私は、それは 正しいと、思いません。 これへ入りましょう、と。 あなたは、子どもたちへ来ます。 さて、歴史を教える中で 一番目のことは、 子どもたちの数人に、歴史を知りたい との強い欲望があるところの状況が、 生ずるかもしれない、 ということです - その日の境遇からです。 そのとき、それが歴史を教えるのに 適切な時であると、私は思います。
13:03 K: あなたは、こう 仰っていますか - 子どもたちは自分の学科を 選択しなければならない、と。 質問者: はい。
13:13 K: 本当に仰っていますか。
13:15 質問者: はい、もちろん。
13:17 K: 子どもたちは自分の好きなものを食べ なければならないと、言うように、です。
13:19 質問者: いいえ。 K: なぜですか。
13:22 質問者: いいえ。でも、私は、それは とても深刻であると、思うし、
13:25 あなたは、それは対話であると、 仰っています・・・
13:27 K: 私は、対話をするのを 阻止していませんよ。
13:33 反対です。良い対話を しましょう。 あなたは、子どもたちに自分の学科を 選択させようと、仰っています - 彼らが好きなときに、です。 はい、彼らが好きな ときに、などです。
13:55 質問者: あなたは、「私は 幾らか数学と歴史、幾らか 体操をしたい」と言います。 そして、 あなたは、丸一日を過ごします。 或る時に、 この出来事に戻って、 子どもは、自分たちが食べたものと、 それが自分に与えつつある効果に、 関心を持つかもしれません。 彼らが 血液と影響について知ることに、 大いに興味を持つのは、 その時です。 または、彼らは、懐中電灯へ自分の手を かざすし、彼らは血液を見ます。 他の子どもたちも、血液を見ます。 もしもその日、あなたが、 解剖学について話をしたかった なら - それは自然な・ ・・ 私が言っていることは、 その週の何らかの時点で、 子どもたちの何人かは、歴史へ 強い欲望を持つと、いうことです。 14:31 それが、一つ目の点です。 二つ目に、 あなたが、地球的な視野から 歴史を教えているなら - それが、あなたが 言っていることです - 私は、地球的な視点からの 歴史を、知らないし、 私たちのほとんどは、それを 特定の形で、学んできました。 それでたぶん、わずかな きわめて偉大な歴史家が、います - それを地球的な視点から 知っている人たちが、ですが、 彼らは、たぶん 学校には、いません。 で、彼らがそれを、地球的な 視点から、学びたいのなら、 教師は、その視点から、それを 知ろうとしていません。 で、あなたはともに、それをそのように 学びはじめなくてはいけません。
14:59 K: 私は、それをすっかり終了させて いません - 地球的な視野を、です。 私は、それに入りたいと思います。 なぜなら、どう教えるかを 私は検討しているし、私たちは 究明しているからです - アメリカの歴史だけ ではない。 いつ教えるのか、 ではない。 特定の時期に、とか、 午前に、午後に、とか、 いつそれがふさわしいのか、 などではない。 私たちは、見出そうと しています - 歴史はこれまで、イギリス人に 沿って、ロシア人、フランス人、 イタリア人、アメリカ人に沿って 教えられてきました。 まるで、彼らが、分離した 人間であるかのように、です。 15:46 私は考えました - もしも私が歴史を 教えなくてはいけなかったなら、 私はまったく、そのように 接近しないだろう、と。 当然、彼らは、アメリカの歴史を 知らなければなりません - もしも私がアメリカにいたなら、です。 または、ロシアやイギリスにいたなら、です。 しかしおそらく、違った道が あるかもしれません - アメリカの歴史を 教えるだけではなく、 人の歴史、人類の全体のを 教えるように、です。 よろしいですか? 私たちは、話しています - いつ 教えるのかを、ではありません。
16:34 質問者: はい。私はそれに同意します。 特定の国の特定の視点から、 歴史を、 教えないでください。
16:40 K: ええ。きわめて狭い、 制限された視点ですね。 で、私はそれに、 どう取りかかりますか。 理解されますか。 私は、人の歴史を含めたいと 思います。 それは、人という意味です - インドの人、ヨーロッパの人、 シナの、です。 人です。 私はそれに、どう 取りかかりますか。 なぜなら、私はアメリカ人と して、歴史を教えることと、 「それについて学びなさいよ」と 言うことに、飽きているからです。 または、ヨーロッパのを、です。 それは、こうも些細です。 で、私は、教えることに、 どう取りかかりますか - 或る集団の特定の 進展を、だけではない。 私はそこに、世界全体を 含めたいのです。 なぜなら、そのときそれは、 はるかにわくわくするからです。 よろしいですか? ディヴィッド・ムーディ: 私たちは 学校で、これをしてきました。 17:51 第一歩として私たちは、地球自体の 起源を、学習してきました - この惑星での 生命の発達と、 人の発達を、です。 まず第一に、進化する、 生物学的な生き物として、です。 それから、私たちには、初めのきわどい 問いと思われるものに、来ます。 それは、人の始まりを記す どんな変化が、起きたのか、です。 歴史以前か、 初期の歴史に起きた、 人の出現を記したものは、 何なのか、 人の本質的な特徴は、 何なのか、です。 それは、道具作りですか。 それは、言語ですか。 それは、思考ですか。 それは、文化ですか。
18:45 K: あなたは、私の論点に 応えていません。 または、私は、あなたの 論点に、応えていません。 マーク・ リー: 私たちが しようとしていたことは、 子どもたちに、人の発生の あらましを紹介することと、 そのことを全体として、 提示し、 そのようにその中へ取り組むことだと、 私は思います - 諸区分よりも、です。
19:08 K: それは理解できます。 あなたは、学生を 歴史の全体に、どう 関係させますか。 私が言っていることに、 付いてきておられますか。 人が類人猿からどう成長して きたのか、その他すべてではなく、 彼の関係は、何ですか。 学生の関係は、何ですか - 人類の全体に対して、です。 それが、歴史です。 理解されますか。 FW: 私は学生に、 どう伝えられますか - 彼は歴史の結果であり、 彼は基本的に、自分自身に、 同じ動きを持っているし、 彼は自分自身に、同じ動きを 観察できることを、です。 すなわち、彼が歴史において 観察できるものを、です。
19:59 K: 私たちは、人類について 話しています。そうですね?
20:04 人類は、その子どもです。 FW: そのとおりです。
20:05 K: 人類は、あなたと私です。 歴史の教師として 私は、その学生に、 人類すべての代表であって ほしいと、思います。 いいですか? ML: で、あなたは、こう仰っています - たとえば、人類学的な前進を 推定するよりむしろ・・・ 
20:33 K: それを 私たちはしてきた。その他すべてです。 ML: それは、何かの点で それの一部なのかもしれません。 が、むしろ、人類の研究の焦点は その子である、と。 はい、その子です。で、それは、 彼の中から出てきます。
20:47 K: あなたはそれに、何と言いますか。 DM: はい。私はそれは分かります。
20:49 質問者: 私はそれを 理解しませんでした。
20:51 DM: まあ、それは、まさしく マークが言ったように、
20:54 研究の焦点は、 王と戦争の表面的な 事実にもならず、 より重要な生成の事実の 幾つかにさえ、ならず、 歴史の研究の焦点は、 その子です。 なぜなら、彼は、歴史の産物と 歴史の発達であるからです。
21:13 質問者: 私はそこで、言葉を理解します。 私は、観念を理解します。 それは、民族主義と戦争の一時的な 不安全を、指摘することですか。 K: いいえ。 
21:19 質問者: すると、私は それをまったく理解しませんでした。
21:21 DM: 歴史の研究は、人の研究です。 質問者: いいよ。
21:22 DM: その子は人です。 K: はい。 そのとおりです。その子は人です。
21:24 FW: そうですが、そうね、 ただ一例として、
21:25 二人の子どもが、何か玩具を めぐって、喧嘩をしています。
21:28 あなたは、彼らに言います - 君たちは この玩具をめぐって喧嘩をしているね。 なぜ君たちは、それをめぐって 喧嘩をしていますか。 これはまさしく、戦争が 生じてくるさまです、と。 あなたは彼らに、示せます - これは、ちょうど全体の中にあるし、 彼は、ちょうど同じことをしている 小さな者であることを、です。
21:58 K: 理解しましたか。 すなわち、歴史は人類であると、 私たちは言いますね。 人類はあの子です。 いいですか? で、人類を理解する中で、あなたは 自分自身を理解しなければなりません。 よろしいですか? 「いいよ」ではない。
22:35 質問者: ええ。その問いは、 やはり、残っています。
22:39 K: 私は動悸がしつつ、 それに入っています。 それに触れています。 すなわち、 もし私が、人間としての 私自身を、学習するなら、 私は、人の歴史の全体を 自分の中に、持っています。 彼が指摘したように、 人類学的に、 私は、それについて学んで いいかもしれませんが、 本質において、 私自身を学習する中で、私は 人を、学習しています - 人類の全体を、です。 なぜなら、 私は、あの人間であるからです。 伝わっているのかどうか・・・ いいですか? DM: はい。
23:29 K: で、私は、 それを知り、
23:31 それを感じ、 それの真理を見て、 その子が自分自身を理解するよう、 どう助けることになりますか。 問題を理解されますか。 さて、私たちは、それに どう取りかかりますか。 もし私たちがこれに同意するなら - 同意する、ではない - 私たちは、その子や「私」や私が、 人類の歴史であることが、見えるなら - 心理的に、です。 人類学的に私たちは、 人がどうやって来たのか、 その他すべてを、見られます。 それを私は、学習しなくてはいけません。 それを私は、知らなければなりません。 が、歴史は、人の、 人類のであるし、 私は、その人であり、 その子は、その人であるので、 私は教育者として、 彼が彼自身を理解するのを、 どう助けることになりますか - すなわち、 人類の総和である者を、です。 それを、お分かりに なりましたか。 いいですか? よろしいですか? さて、私はそれに、どう 取りかかるのでしょうか。 ML: その学習はまた、心理学、 社会科をも含むでしょう。
25:10 K: あらゆる物事が、そこに入る でしょう。ゆっくりと始めましょう。 私は、人 - すなわち私と その子 - の学習の中で、 私は人の歴史全体を学ぶ との真理を、悟ります。 歴史的な日時と戦争と その他ではなく、 人の心理的な構造 全体を(学ぶの)です。 よろしいですか? DM: はい。
25:47 K: さて、あなたは、その子がこれを 学ぶのを、どう助けるのでしょうか
25:48 - 彼自身を学習するのを、です。 残りに対立した 「私」ではない。 残りから離れた個人としての 「私」ではない。 なぜなら、私は人類であるからです。 ご覧になるのかどうか、私は知りません。
26:13 DM: はい、分かります。
26:17 K: よろしいですか? さて、 私は、どう助けるのでしょうか 彼が彼自身を学習するのを、です - ジョーやビルとして、ではなく、 人の代表として、です。 私はその点を、手間暇かけて 説明しなくていいですね。 さて、私はそれを、どう 始めるのでしょうか。 これに、興味は ありますか。 質問者: 私は提案を持っています。
26:53 K: どうですか。
26:54 質問者: 歴史の視点から 出発しているなら、
26:56 君主制、すなわち、 王権より、出発できます。 または、歴史を 理解する領域の中で 何から出発してもいい。 そのとき、そこから 出てくるだろうことは、 そのようでなくてよかったかもしれない ことを、言うか、理解することでしょう - それは考案物である、と。 王権は、考案物であるし、 自分の中に、王権がある。 屈従がある。 支配や、威張り散らすことが、 ある、と・・・
27:23 K: いいえ、戻らないで、 詳細へ入らないでください。 初めに、それの原理を 掴みましょう。 すなわち、私自身を学習する中で、 私は、人類を学習しています。 私は、私を学習していません。
27:41 質問者: はい。
27:44 K: それをご覧になるのか どうかと、思われます。
27:48 質問者: 全体が、あらゆるところに、 存在します。 K: いいえ。
27:51 初めにただ 聞いてください。 私の名前は、JKです。 私は JKを、学習していません。 私は、人類である私自身を、 学習しています。 いいですね? 全部が変化します。 私はそれをできます。 なぜなら、 私は年上であるからです - 私は気づけるし、私は、 それをどうするか、 私自身を学習するかを、 知ります。 ロイドに沿って、ではない。 フランク ・ロイドではなく、他は誰ですか。 フロイトとアドラーやユングや、 最新の一人、スピラーや、 何であっても、です。 私は、彼らを学習し、 それから、彼らが言うことを、 私に適用しようとはしていません。 私は、自分自身を、学習しようと しています - 彼はフロイトです。 この点を分かりになるのか どうかと、思われます。 さて、私は、その子がこれを 理解するのを、助けたいと思います - 彼は本質において、 歴史です。 いいですか? さて、私は、何を するのでしょうか。 私はそれに、どう 取りかかるのでしょうか。 人類としての彼自身を 学習するには、私は・ ・・ あなたの子どもの名前は、 何ですか。 ビルですか。 質問者: はい。
29:40 K: ビルね。
29:42 私はそれに、どう 取りかかるのでしょうか。 あなたが、これの真理を、 これの事実を、見るなら、 私はそれに、どう 取りかかるのでしょうか。 これはとてつもなくなると、 私は思います。 そうでないですか。 あなたがこれをご覧になるのかどうか、 私は知りません。理解されますか。
30:07 質問者: ええ。それにどう取りかかる のかを彼らに訊ねるのは、どうですか。
30:09 K: かわいそうに。 彼らは、知らないでしょう。 彼らは、知らないでしょう。 彼らは、幼すぎます。
30:14 質問者: たぶんあなたが、彼はナポレオン やユリウス・カエサルであるのを 見るとき、あなたは、「ああ、 すると、君はナポレオンだ。 ナポレオンが何なのかを、私に 教えて」と言えるでしょう -
30:24 「君がしているのは何なのかを 私に見せて」と。 K: 私は目の前に、三十人の 学生を、持っています。 私は彼らに、歴史について このように、話してきました。 そして彼らは、私に言います - 「いい ですよ。 あなたの論点は分かります。 それはとても良い論点だと 私は思います。 それは、自我中心的な活動を消去 します」と。 その他すべてです。 彼はそのすべてを見ませんが、彼は 「それはとても良い論点だ」と言います。 あなたは、私が私自身を 学習するのを、どう助けますか。 それが問題です。 私は目の前に、 三十人の少年少女を持っています。 私は何をするのでしょうか。
31:04 質問者: 歴史の全体は、その安全を 得ようとすることだけでないですか。
31:11 K: いいえ。安全ではない。 私は、彼が彼自身を理解し、 学習するのを、助けたい - 彼自身を見つめるのを、 彼自身について学ぶのを、です。
31:32 質問者: 私がすでに答えを知って いるなら、彼は学べますか。 それはまた、本当の問いでなければ ならないのではないですか。
31:38 K: これは、彼にとって 本当の問いです。
31:41 質問者: はい。でも、私が答えを 知っているなら、彼は学べません。 私が答えを 知っているなら・・・
31:49 K: いいえ、どうぞ、マダム。 あなたは見逃しています。 私は、彼自身を学習するように、彼に 教えたいか、彼を助けたいのです。 それがすべてです。 さて、私は何を するのでしょうか。
32:05 質問者: 私はまた、自分に訊ね なければならないのではないですか。
32:07 K: いいえ。どうぞ、私は教師です - 目の前に三十人の学生を持っています。 私は歴史を教えています。 人類学的に私は、それを しっかりやってきました - 人がどう・ ・・ 等々です。 そして私は、こう言う 地点に、来たのです - 「ご覧、君は人類です。 アメリカ人やイギリス人ではない - それは、ラベルだけです。 君は人類です。 君自身を学習する中で、 君は、人の動き全体を 理解するでしょう」と。 彼らは、「はい。 私はそれを 分かります」と言います。 さて、彼らは 私に頼みます - 「私が私自身を学習するのを助けて ください」と。 他の何でもない。 よろしいですか。それが、彼が 私に訊ねる一つ目の問いです。
33:09 質問者: で、さらに進んで、 学習について話しましょう。 彼が彼自身を学習するとは、 どういう意味ですか - 私が私自身を 学習する最中に、です。
33:18 K: で、あなたは、こう 言っていますね - あなたがいう学習とは、どういう 意味ですか、と。 いいですね? ただそれで通して、 ゆっくり行ってください。 あなたがいう、私自身を学習する とは、どういう意味ですか。 私は、本を読むことにより、私自身に ついて学習するのを、学んできました。
33:40 質問者: それが、私が学習し はじめるとき、学ぶことです。
33:42 K: 待って、見てください。 私は、私自身をどう学習 するのかを、知っています。 なぜなら、誰かが私に、それをどう するかを、指摘してきたからです - フロイト、ユング、 その他すべての連中が、です。 で、私は、それは彼らの 解釈だと、言います。 ですね?  それは 彼らの条件づけだ。 彼らの先入観だ、と。 それはまた、あなたです。 で、あなたがあなた自身を 学習するなら、 あなたは、フロイトと残りの彼ら すべてを、乗り越えます。 それをお分かりになるのかどうか と、思われます。 ですね? で、「僕はどうするのでしょうか」 - 少年の一人が訊ねます - 「僕が自分自身を学習するのを 助けてください」と。 そして彼は、「あなたがいう学習とは、 どういう意味ですか」と言います。 「僕は、本をどう学習するかを 知っています」。 よろしいですね。 「学ぶ、ページを見つめる、 詰め込む、それを 暗記し、保っておく。 僕はどうやるかを、知っています。 僕はそれを学んできましたが、 ここで、あなたは、何か全然 違ったことを、言っています。 自分自身を学習する - それは どういう意味ですか」と。
35:00 質問者: 私はそもそも、自分自身を学習 できますか。私は自分自身に問います - 私の強力な頭脳が、そこで 自分自身を学習できる活動を 経てゆける道が、 ありますか。
35:11 K: なぜありませんか。
35:13 質問者: 私はすでにフロイトを見て、やって きたし、私は何も学びませんでした。
35:17 K: いいえ。私に二分間を 与えていただけるでしょうか。 私は初めに、学習するとは、どういう 意味かを、見出したいと思います。 それは、学ぶという意味です - 私自身について学ぶ。 いいですね? あなた自身について 学ぶ。 学ぶとは、 どういう意味ですか。 ML: 観察することは おそらく、初めの一歩です。
35:47 K: 学ぶとは、どういう 意味ですか - 学ぶ。
35:55 質問者: ただ、物事の原理へ 開いていること。 あなたが一瞬前に 仰ったように、 私たちは詳細へ入る前に、 原理を得ましょう。
36:06 K: どうぞ、彼は こう言います・・・ 私は、学生、少年や少女に 語ります。 「君自身について学習 しなさい」と、私は言います。 彼は、「あなたがいう、自分自身に ついて学ぶとは、どういう意味ですか」 と言います。待って、待って。 彼はそれを訊ねます。
36:26 質問者: ええ。彼は私にも 同じく訊ねますか。 私は教師ですか。
36:33 K: いいえ、私は教師です。 私の前には、 三十人の少年が、います。 少年の一人が、私に 言います - 「あなたがいう、自分自身について 学ぶとは、どういう意味ですか」と。 彼は、「学ぶという言葉、それは どういう意味ですか」と言います - 「僕は、ナポレオンに ついて、学んできました。 彼の戦争、等々を、です。 あなたは僕に、同じように自分自身に ついて学ぶよう、語っていますか」。 質問者: あなたは、「いいえ」と 言います。 
37:09 K: お聞きください。
37:12 K: 「あなたは僕に、僕がナポレオン について学ぶのと同じように
37:14 学ぶよう、頼んでいますか。 すなわち、 本から学ぶ。 または、 教師からです。 本はなく、教師はいないので - いいですね? - 僕は、自分自身について、 どう学ぶことになりますか。 僕は、あの種類の学びに、 慣れています。 ここには、本が ありません。 いいですか?  僕はどう 学ぶことになりますか」。 あなたがこれの論点を、ご覧に なるのかどうか、私は知りません。 理解されますか。 待って、待って。 私は終了させていません。 あなたがいう、学ぶとは、 どういう意味ですか。 私は前に、本から 学んできました。 今、私について本は ありません。 「僕について、本はない」 と少年は言います。 なぜなら、あなたは、フロイト、ユング、 最新の・ ・・と言ってきたからです。 質問者: R.D.レイン。
38:40 K: はい。最新の心理学者です。
38:43 あなたは、「彼らはすべてあなたに 含まれている」と、言います。 いいですか?  「で、僕は どう学ぶことになりますか」。 これをご覧になるのか どうか、私は知りません。 少年として、あなたは この質問をしませんか。 私は、少年として 訊ねています。 私は言います。 あなたは、あの 種類の学びを、知っているので - それは、記憶するのを 意味しています。 あなたが学んできたことを、 記憶に、頭脳に蓄えておくこと、 それから、それを上手にか、 下手にか、使うのです - ここであなたは、あなた自身に ついて、学ぼうとしています - それは、人類です。 それは、残りの 人類の格闘、幸せ、 痛み、心配、そのすべてです。 あなたは、そのすべてです。 あなたは、あなた自身について 学ぼうとしています。 彼は、「すみません。 理解できません」と言います。
40:01 質問者: 私は、自分の娘に言うでしょう - あなた自身について学びなさい。 でも、見えるものすべてを、 持ち運ぶな。 いつの時も、それを携えるな。 いつも新しくあれ。 毎回、あなたは 他の何かを、学んでいる。 あなた自身の、この古い 眺めを、持ち運ぶな、と。
40:14 K: いいえ、マダム。どうぞ、 あなたは、私が言っていることを 聞いてくださるでしょうか。 あなたが考えることではない。 あなたは、あなた自身の思考に 親しんでいます - あなた自身の経験に、 あなた自身の学習などに、ですが、 あなたは、他の一人の人に 聞いています。 で、あなたが学んできた ことを、脇に置いて、 この哀れなやつが、言っている ことを、見出しなさい。 いいですか。 で、私は、彼を 助けようとしています - 学びの意味を理解する ように、です。 ですね? 記憶より蓄えておくことを別として、 学ぶとは、どういう意味ですか。 どうですか。よろしいですか?
41:05 質問者: いいです。
41:07 K: あなたは、私たちとともに いますか。 質問者: ええ。
41:09 K: 「ええ」ではない。 ともにいますか。
41:11 で、私は、学ぶよう、彼を助けて いますか。何を学びますか。
41:12 理解されますか。 何を学びますか。 進んでください。これに ついて、議論してください。
41:47 質問者: でも、今あなたが話して おられる種類の学びは、 日時や登場人物について 学ぶのと比較して、ですが、 特に何事を学ぶことでも ありません。 それが、 一つ目の違いです。
41:58 K: いいえ、いいえ。私は、学びが 何であるかを、知っています。
42:04 質問者: はい。記憶すること。 そうです。
42:10 K: でもここで、あなたは、学んで います - 何について、ですか。
42:17 質問者: あなた自身です。 K: あなた 自身ですね? すなわち、人類です。
42:20 質問者: それについて本がない。 K: 待って。人類です。
42:23 で、あなたは、本から学んできた ことを、自分自身に適用しようとし、
42:26 「はい、私は本をとおして私自身に ついて学ぼうとしている」と 言おうとしていますか。 または、あなたは、私へ 来て、こう言いますか - 本は私自身の学習を 開示しないだろう、と。 で、私は、すべての本、すべての 権威を、脇に置きますか。 いいえ。 重要性を見てください。 私は、すべての本、すべての 権威を、脇に置きます。 で、私は自由です - 何をするように、ですか。 質問者: 観察する。
43:15 K: さて、私は、自由に 観察できる、と言います。
43:18 何を観察しますか。 質問者: あなた 自身を、です。 

質問者: 人類を。 K: どうぞ、急がないでください。
43:23 質問者: いいよ。
43:23 K: いいえ。答えないでください。 どうぞ、答えないでください。
43:25 どうぞ、あなたにお願いします。 これは、ものすごく錯綜しています。
43:31 何を観察しますか。
43:34 質問者: 観察するための何が、 ありますか。 質問者: 人類です。
43:48 K: いいえ。彼は、観察する、 と言います - いいですね?
43:50 あなたがいう、観察するとは どういう意味ですか。
43:52 私たちは、その意味を 当たり前と、取ります。 観察する。 それは どういう意味ですか。 私は、何を観察することに なりますか。 進んでください。私に言ってください。
44:26 質問者: 私たちが言いましたように、 それは、外へ出かけて、本からそれを 得る、という意味ではありません。 それは、私の眼と耳を使い、出ていく という意味ではありません。
44:35 K: なぜですか。
44:38 質問者: 私はまだ、見ることに ついて、話していないからです。
44:42 K: 私は観察します。 私たちは、その言葉の意味が何で あるかを、理解しようとしています。 観察するとは、どういう意味 ですか。 
44:52 質問者: 見守る?
44:55 K: いいえ、どうぞ、別の 言葉を使わないでください。 観察するとは、どういう 意味ですか - その言葉は?
45:05 質問者: 眼なしで見る。
45:08 質問者: 「あるもの」を見る。 実際にあるものを、です。
45:10 K: 私は眼で見る - 樹々を・・・
45:13 質問者: いいえ。私は、眼なしに、と 言いました - あの学習なく、と。
45:16 K: いいえ、どうぞ、 ただ聞いてください。 私は観察します。 私は、まわりのこのすべてを 観察します - 山々の雪、 樹々、影、光の深さを、です。 私は、自然の美しさすべてを 観察します。 そうですね? 質問者: それが、あなたが観察と呼ばれる ものです。 
45:40 K: 待って。私は観察します。
45:44 質問者: あなたは、一つの ものを、見つめています。
45:48 K: 私は、自然の全体を 見つめています。
45:51 すなわち、山々、 樹々、丘、 オレンジの果樹園、水の不足を、 です。 私は外的に観察します。 で、私は外的に観察しますか - 各々のものを、明らかに、です。 または、それは、すべて 塊、混合物ですか。 理解されますか。 私たちはその少年に、 「観察しなさい」と言います。 彼は、「あなたのいうその言葉は、 どういう意味ですか」と言います 観察する - それは、見つめる、 見る、という意味です。 あなたは、まわりの自然 すべてを、見ますか。 あなたは、ヨーロッパで 何が起きつつあるのか、 人が人自身に何をしつつあるのかを 見ますか、観察しますか。 質問者: あなたは実際にそれを見ますか。
46:54 K: あなたは実際にそれを見ますか。
46:56 あなたは、通りを歩いて行くとき、 何が起きつつあるかを、見ますか。
47:07 質問者: いいえ。 私が見ているとき - まわりの騒音すべてで 動揺した眼で、です - 私には見えていません。私は 見ているかもしれません。
47:17 K: いえ。私たちは、理解しようとして います - どうぞ、許してください - その言葉、「観察する」の意味を 理解しようとしています。 外的に観察するだけではなく、 また内的にも観察する。 そうですね?  それは、 どちらをも、含意しています。 いいですね? 私は外的に、風の中のあの枝の 動きを、観察しますか。 いいえ。 あなたは それを観察しますか。 または、あなたは、 「はい」と言いますか。 - あなたは、すでに 逸れています。 または、あなたは、あらゆる 物事を、観察しますか。 または、それはすべて、 ごまかしですか。 質問を理解されますか。 私は、どう観察するのかを 知るなら - あのあたり、私のまわりの あらゆる小さな物事をも、です - そのとき私は、どう私自身を 学習するかを、知ります。 48:25 なぜなら、私は、あの樹の 動きへ、注意を払ってきたから - 風の中のあの枝の(動き)、です。 それを、よく気をつけて見守った - 私は、見守ることを、学んできました。 すなわち、私自身を見守る、 私の思考、 私の振るまいを、見守る。 いいえ?  さて、 そこから進行します。 私は観察します。 で、私は彼に 言います - 「観察しなさい。 私が話をしている間、君が、 窓の外を見ているとき、 君に見えるもの - それを 完全に詳細に見つめなさい。 「あなたの話を聞かなければ ならない」と言って、矛盾しないで、 私が話している間、君が窓の外を 見るとき、見なさい」と。 49:24 理解されますか。 あの屋根のカーヴを見なさい。 釘がどう打ち込まれているかを 見なさい。 よろしいですか。 観察するのを学びなさい。 いいですね? そのとき、あなた自身を 観察するのを、学びなさい。 で、彼は言います - そうですね。 さて、私自身とは 何ですか。 あなたは、「私は人類の 歴史です」と言います - 「私は歴史全体です。 人の本質全体です」と。 そのとおりです。 私は、この甚大な私自身の動きを、 どう学習することになりますか、と。 理解されますか。 それは、あなたの問題です。さあ、私と ともに、それについて議論してください。
50:23 質問者: で、私は私自身を 見つめられますか - たとえば、 私は窓の外を見ていて、そこに 樹々があることを、見ない。 そこに花々があることを、 見ないが、 私は、あれを見られるように、 全部を見られますか。 私は、内に向かえますか。 または、私が見ていて、 すでにあちらを見ている間、 私はすでに、内に 向かったのですか。
50:44 K: で、私は、私の後ろに何が あるかを、実際に見られませんね。 なぜなら、私の眼は、そこまで 行けるだけだからです。 私は、自分の後ろを、実際に 見られません。 いいですね? いいえ。 これは、きわめて重要です。 ただそれを聞いてください。 で、私は、あの点まで、何が起き つつあるかを、見られるだけです。 ですね?  あの半円の中で、 外的に、です。 私は、私自身に訊ねています - 私は私自身の全体を、見られますか。 または私は、私自身の部分を 見るだけですか。 物理的に私は、自分の後ろで、何が 起きつつあるかを、見られません。 ですね? その同じ原理は、私自身の 学習に、通用しますか。 または私は、私自身を 完全に見つめられますか。 理解されますか。 私が言っていることを、お分かりに なりつつあるのかどうかと、思われます。 そうですか。 あなたは、これらを してきませんでしたか。 分かります。 今、あなたは、何と仰いますか。 今、理解しますか。 DM: 私は問いを理解します。
52:27 K: いいえ。あなたは問いを理解します。
52:29 あなたは、それを 乗り越えましたか。
52:36 問いに透徹しましたか。 DM: いいえ。
52:41 K: なぜですか。 あなたは、私の学生です。 あなたは、ビルですが、 私はあなたに、「あなた自身に ついて学びなさい」と言います。 あなたは、「私自身について学ぶとは どういう意味ですか」と言います。 いいですか? その学びは、本からの 学びと同じですか。 私は、「いいえ。 そのようでは ない」と言います。 その点までは、明らかです。 ですね? DM: はい。
53:11 K: すると、あなたがいう学ぶ とは、どういう意味ですか。
53:12 それが、本に沿って でないなら、
53:13 あなたがいう学びとは、 どういう意味ですか。 何について学びますか。 いいですか。 その点までは、明らかです。
53:27 DM: 確かに。
53:30 K: あなた自身について学ぶ。 あなた自身について、 本はありません。 で、あなたは、本について 学んできたようには、 あなた自身について、 学べません。 ですね? DM: はい。
53:52 K: ゆえに、新しい学び方が あります。ですね? DM: はい。
53:52 あの新しいやり方は、 何ですか。
54:05 DM: 観察すること。
54:06 K: で、あなたは、観察する、と 言います。何を観察しますか。
54:14 DM: 初めに外側を。
54:17 K: 初めに外側を。なぜなら、私は あの車を見る、あの丘を見るからです - あの屋根のうねりと、開いた扉とあなた たちみんなを、です。 私は観察します。 それはただ、 部分的な観察です。
54:31 DM: なぜなら、私は、自分の 後ろを、見られないからです。
54:34 K: もちろんです。 或る人たちは、見られます。 私はそれを試してみました。 それは、別の事柄です。 いいえ、いいえ。 笑わないで。 それは、全く違ったことです。 おもしろいことではない。 で、あなたは、同じ種類の 観察を、部分的に、 あなた自身に 適用していますか。 なぜなら、あなたは、あなた 自身を、学習しているからです。 ですね?  それは、いつの 時も、部分的な観察ですか。 または、それは、 全的な知覚ですか。 あなたは、私に訊ねます。 あなたは私に、それらの 質問をしていません。 その点までは理解されますか。 DM: まったくです。 K: 明らかですか。 DM: 明らかです。
55:27 K: ビャン(よし)。
55:33 学生は、あなたは、 私に言います -
55:33 私は、あの種類の 部分的な学びに、慣れています。
55:33 なぜなら、私は、自分の背後を 見られないように、 同じように、私は私自身の 全体を、見られないからです。 なぜなら、私の頭脳は、諸部分を観察 するよう、訓練されているからです。
56:04 ですね? DM: 私が外側を 見られる分野の中でさえ、 あの視野の中でさえ、 私は部分的に観察します。
56:10 K: いつも部分です。私はこの ように、同じことをしています。 なぜなら、私の頭脳は、その ように教育されてきたからです。 ですね? よろしいですか? で、この少年、ビルは 私に訊ねます - 「僕はどうして、自分自身の 全体を、見られますか。 僕が、幾世紀に 幾世紀もの間、 ただ部分的に見るよう、条件づけ られてきたとき、です」と。 理解されますか。 あなたはこれまで、 私たちは、一緒にいますか。

質問者: はい。 
56:51 K: いいです。
56:53 K: で、あなたはビルに言います - 「それが実在です。
56:53 君は、そこまで 行きました。
56:56 君は、小さな諸部分、 分離し断片的なのを 観察するこの条件づけを、 突き破られますか」と。 これらに付いてきておられますか。 これに興味がありますか。 私は知りません。 さて、あなたは、 突き破られますか。 あなたが、部分を観察するのを 突き破られないなら、 そのときあなたは、アメリカ等に 沿った歴史を、学習しています。 よろしいですか。
57:49 質問者: はい。
57:50 K: それは、 こういう意味です -
57:51 あなたは、アメリカの歴史により こうも条件づけられています。 なぜなら、あなたは、 あなた自身を、 アメリカと呼ばれるこの国と、 同一視してきたからです。 その同一視の中で、 あなたは安全を感じます。 ゆえにあなたは、部分的にのみ 観察するよう、条件づけられています。 ですね?  そして 私は、こう言います - 「君がそう 条件づけられているかぎり、 生の平野全体は、 けっして見えない」と。 で、彼は私に言います - 「僕はそれを どう破ることになりますか」と。 いいですか? DM: いいです。
58:41 質問者: 外的に、私が 外を見つめるとき、
58:46 私は、あなたを見つめているとき、 あなたに焦点を合わせられるだけです。 私は見えません・・・
58:58 K: ああ、いいえ、見られます。
58:59 私は、彼を見つめています。 私は、これらの人々が見えます。
59:02 質問者: でも、 明らかにではない。
59:04 K: ゆえに、それは部分的です。 私たちはそれを言いました。
59:08 質問者: でも、私が 明らかにあなたを見、
59:13 ディヴィッド・ムーディを 見ることは、可能ですか。 K: いいえ。 物理的にそれは 可能でないかもしれません。 これは明白です。ですね? 動きましょう。
59:25 質問者: で、それは、この条件づけです。 私は自分の条件づけを、どうしますか。 それが論点だったと 思います。
59:30 K: それがすべてです。私はビルと ともに、その点に来たのです。 私は言います - 「ビル、君が 何をしてきたかを、見なさい。 君は、長い距離を 旅してきた。 初めに君は、この点から 歴史を見たことが、ない。 今、君は、まるで自分が 歴史の全体であるかのように、 それを見つめています。 ですね? 君は、その歴史を学習しようとして います - すなわち、君自身を、です。 それは、君自身について 学ぶ、という意味です。 それは、君自身を観察する、 という意味ですが、 君は物理的に、水平線の 全体を見られないように、 君は、水平線の部分を 見るだけです。 1:00:21 なぜなら、君はそのように 条件づけられているからです。 君はまた、君自身をアメリカ人と して見つめるように、 条件づけられています - ロシア人、シナ人として、 それが何であっても、です。 で、君は条件づけられています。 君は、その条件づけを 破られますか」。 彼は、「自分自身を学習する中で、僕は その点に来たのです」と言います。 それは相当に単純です。 さて、彼は言います - 「僕はあの条件づけを 破られますか」と。 いいですか? あなたの答えは、何ですか。 私は、一休みしなければなりません。 私は、これをやってきました。 進んでください。 あなたの答えは何ですか。 すみません。
1:01:10 質問者: 二つの問いがありました - アメリカ人であることについて 条件づけを破ることと、その 視野から歴史を視ることです。 私は、それがどう 破られるのかを、見られますが、 あなた自身の、この全的な観察は ・・・ 
1:01:22 K: いいえ。 いいえ、あなたは聞いてきて いません。 許してください。 私の頭脳は、子ども時代から 条件づけられています - 私自身を、特定の人々の集団に 同一視するように、です。 アメリカの集団、ロシアの集団や シナの集団や、インドのなど、 条件づけられています。 それはこうも条件づけられている から、私は全体を見られません。
1:02:01 質問者: あなたは、どう 突き破るのかを、訊ねています。 K: あなたは初めに、それの事実を 見ますか。 
1:02:03 質問者: はい。
1:02:06 K: 事実が見えるなら、そのとき あなたは、自然と訊ねます -
1:02:09 「私はそのように、いつも 条件づけられているなら、 どうして全体を見るのか」 と自然に訊ねます。 次の問いは、こうです - あなたは、その条件づけを 崩せますか。 あなたは、その条件づけを 洗い流せ、解消できますか。
1:02:32 質問者: はい。が、そのとき、他の この主題が、浮かんできました - そこであなたは 仰いました。 あなたは、あなた自身を どう全的に観察しますか、と。
1:02:40 K: 私は、それに来ようとしています。 私は、それに来ようとしています。
1:02:42 質問者: はい。私は、条件づけを どう解消できるのかを、分かります - 歴史の中で特定の民族と 同一視するそれを、です。 K: はい。
1:02:48 質問者: それは理解できます。
1:02:49 K: さて、あなたは それをしてきましたか。
1:02:50 私はビルに訊ねます - 「君は 本当にこれをしてきましたか」。 または、あなたは、「はい。 それを やっていこう」と言うだけです。 あなたは本当に、この点まで 学んだのですか。 ビルは、言います - 「はい。 僕はそれを学びました。 僕はもうチェコ人、ブルガリア人 ではない。 何物でもない。 私はそれを見ます - 外的にです。 でも、僕はこの条件づけを 持っています。 で、僕は、この条件づけを突き 破れますか。 解消できますか」と。 「僕はもうアメリカ人ではないよ」 と言うことは、相当容易い。 それは、相当に単純ですが、 集団と、人物と 同一視する過程 - それが、それを 部分的にする原理です。
1:03:55 DM: あなたは、集団との 自分自身の同一視を、仰っています。
1:03:57 K: 集団と、観念と、教会と、 カトリックと、 プロテスタントと、です・ ・・ DM: これは、断片的な知覚のための 基盤作りです。 
1:04:02 K: そのとおりです。
1:04:07 なぜなら、あなたは 安心を探し求めている、 あなたは、安全を 探し求めているからです - カトリックの教えに、 プロテスタントの教えに、 集団に、観念に、国に、 民族に、です。いいですか?
1:04:29 DM: はい。私はあの集団と一つ であるとのその信念の中で・・・
1:04:36 K: 「信念」ではない。 あなたは、そうします。 なぜなら、あなたは、安全を 探し求めているからです。 ゆえに、あなたは 同一視します。 それをする中で、あなたは 断片的に行為します。 あなたは、断片的に考えます。 あなたは、断片的に生きます。 いいですか? DM: はい。
1:05:08 K: いいですか?
1:05:12 いえ、いえ。あなたがそれを正しく 見るまで、私は動かないでしょう。 なぜなら、私が進んでいく ことに、意味はないからです。
1:05:16 質問者: それは、自分自身を集団に より何かにするとき、彼はそれを 自分の背後に置く、ということですか。 いわば、自分の分野の外側に、と。
1:05:23 K: いいえ。ご覧ください。私がインド 人、ヒンドゥーと呼ばれる集団と 自分自身を同一視するとき、それは 私に、大きな安全を与えてくれます。
1:05:35 質問者: でも、私はそこで 関連が、見えません - それのあの安全と、 その後、全体的に見ることが できないこととの間の、です。
1:05:42 K: 私はお示ししています。 私は、水平線の全体が 見られないように、 同じように私は、私自身の 全体を、見られません。 なぜなら、私の頭脳は、 幾世紀に幾世紀もの間、 何かに所属するよう 条件づけられてきたからです。 ヒンドゥー、バラモン、 アメリカ人、などなどとです。 この条件づけ - それは、突き破られますか。 あなたは、この条件づけを 乗り越えられますか。 それは、あなたが自分自身で 見るときだけ、可能です - ビル、君は 学んでいます - 君は、自分が全体を見られない ことを、学ぶときに、です。 なぜなら、君は、自分自身を 集団と同一視してきたからです。 特定の教会、カトリック、 プロテスタント、何とでも、です。 1:06:58 いいですか? 君は、 自分自身を同一視します。 なぜなら、それは、君に 安全を与えてくれるからです。 それは、明白な事実です。 君がイタリアに 行くとき・ ・・ 共産主義の国へ行くとき、 君が共産主義者でないなら、 生は困難になります。 で、君は、同一視 するよう、強いられます。 いいですか? 君は同一視します。 なぜなら、君は、 安全でありたいからです - 物理的にも、 職を得る。 心理的にもそれは、君に安心を与えて くれます。 君は安心を感じます。 で、君が、集団と 同一視しているかぎり - すなわち、君に 満足を与えてくれるもの、 君に安全を与えて くれるものと、です - 君はいつも、部分的に 見るでしょう。 ですね? それは単純で論理的です。 DM: はい、そうです。
1:07:59 K: いいですか? そして私は、こう言います -
1:08:02 「ビル、君は、それが見えますか。 言葉で同意するのではなく、 君は実際に、自分が何をして いるのかが、見えますか」と。 彼は、「いいえ。 僕は 国旗が好きです。 なぜなら、あれは、僕を助けて くれるからです」と言います。 もし僕が、たくさんの少年といて、 僕はアメリカ人ではないと言うなら、 彼らは、僕を蹴飛ばすでしょう。 で、僕は怯えています。 いいですか? これらをご存じないですか。 後生ですから。 で、私はそれに 入るでしょう。 で、ビルは、私と同じぐらい 智恵を持ちつつあります。 よろしいですか。 私はビルに、最高に 智恵を持ってほしい、 論議、推理、論理のできる、 これの真理を見られる能力を、 持ってほしいと思います - そこから、 論理が続きます。 私たちは、少し後に それへ来るでしょう。
1:09:22 で、私はビルへ言います。 「ビル、君は自分自身を集団と 同一視したくないということは、 すっかり確かですか」と。 初めて彼は、自分がどんなに 怖がっているかを、悟ります - 彼が同一視されていない なら、です。 いいですね? それは、歴史の一部です。 よろしいですか。 で、私は こう言います - 「ビル、君は、 きわめて単純な事実へ来るために、 長い距離を旅してきた。 その恐れへ、です。 」 よろしいですか? DM: はい。
1:10:07 K: それが、人類の歴史です。
1:10:08 で、ビルは私に言います - 「僕は、この 恐れを、どう乗り切ることになりますか。 僕は、自分自身をアメリカ人と 呼ぶ少年すべてと、遊びたい - 立ち上がって国旗を振る、 その他すべての子たちと、です。 そして僕は、あなたが仰っている ことが正しいのを、見ますが、 あれは、あまりに 魅力的です。 すなわち、僕はできません。 僕はあまりにか弱い。 僕は、彼らと遊びたい。 もし僕が、 それはすべて、ばからしいと言う なら、彼らは僕を蹴飛ばすでしょう。 で、僕は何を することになりますか」。 はい! で、ビルは、それを 私に言います。 1:11:12 それは、彼がエネルギー、活力、 強さを持っていない、という意味です - 「いいよ。 僕は構わない」 と言うように、です。 いいですか? 一人で立つ。 あなたはそれを、学生に 求められませんよね? やってくる小さな男の子たち。 かわい そうに、彼は他の子と遊びたいのです。 で、あなたは、何をしますか。 あなたは、彼が見るように、 どう助けますか - すなわち、知覚の真理のほうが はるかに強いことを、です。 それは、そこに恐れが ない、という意味です。 他方には、恐れが あります。 よろしいですか。 理解されますか。 

質問者: はい。
1:12:06 K: あなたは、彼がそうするのを
1:12:08 どう助けますか。進んでください。 それが、あなたの職です。
1:12:19 質問者: 私は、彼、ビルとともに その点に来たんです - すなわち、ここに私たちは いて、条件づけられている、と。 君は、この恐れを持っている。 君は、それと同一視する。 そして、私が 言うだろうことは - 彼へ、ではなく、 彼とともに、です -
1:12:34 「ほら。この同一視だが、これは 本当は何を意味しているのか。 君はこれと同一視するが」 ということです。 同一視するのは、分離したもの ですか。 
1:12:46 K: 同一視する。 なぜなら、そのほうがはるかに 強くて、楽しめるからです。 私があなたに 申し上げてきたように、 私は共産主義者でなくて、ロシアで 共産主義に反する話をするなら、 私は叩き出されます。 私は、ひどい 実体になります。監獄へ入れられる、 その他すべて、です。 それに ついては、すべてご存じです。 で、私は「はい、いいです。 私は 共産主義者です」と言います。 あなたは、あの少年やあの少女に、 一人で立つよう、頼んでいますか。 よろしいですか。
1:13:23 質問者: 私は彼に、一人で 立つよう、頼んでいませんが、 私は彼に、このものを 見つめるよう、頼んでいます。
1:13:28 K: はい。彼はそれを 見つめてきました。 彼は、「僕はあれらの 少年と遊びたい。 僕は、自分一人では 遊べない」と言います。
1:13:40 質問者: 決定的な点は、こう ではないですか - すなわち、 集団とともに行くことにより、 あなたは恐れを持つだろう、と。 ここに、言われつつ あることが、あります - 集団とともに 行くことにより、 集団とともに行く者は、 恐れを持つだろう、と。 K: 恐れはない。 
1:13:56 質問者: いえ、 集団とともに行くことによって、です。
1:13:57 K: もちろん、あなたは 恐れを持ちません。
1:13:59 質問者: どうぞ、言わせてください。 集団とともに行くことにより、
1:14:00 同一視することにより、 そのほうが即時に容易いけれども、 または、何でもですが、 そのほうが容易く見えるが、 論点は、あなたがその活動から 派生する恐れを持つことです。 ところが、同一視しないことにより、 あなたは、恐れを持ちません。 それが、言われつつ あることです。
1:14:20 K: いいえ。それが、言われつつ あることではありません。 同意なさるのは、残念です。 それは、 言われつつあることではありません。 あなたが集団と同一視されている かぎり、恐れはありません。
1:14:35 質問者: ええ。あなたは同一視します。 なぜなら、あなたは・・・
1:14:37 K: いいえ、マダム。あなたは、 論点全体を、逃しつつあります。
1:14:40 質問者: いいよ。 K: 何ともはや。私は、もう一度、
1:14:42 改めて出発しなくては いけません。ご覧ください。
1:14:51 質問者: 明らかに してください。
1:14:54 K: 私たちはそれを、完璧に 明らかにするでしょう。 なぜなら、私はあなたに、これを 理解してほしいからです。
1:15:00 質問者: もちろんです。私は それを理解したいのです。
1:15:02 K: なぜなら、あなたは、あなた 自身を学習しているからです。 あなたはビルです。 私はビルに、違った人間で あってほしいのです。 で、私は話しています - あなたは、そのビルです。 で、私は、「ビル、君は 見えない」と言います - 「君の頭脳は、部分的に見る ように、条件づけられてきた - アメリカ人として、 です」と。 私はアメリカ人に 反対していません。 むしろ私は、アメリカに 反対していません - その国、 その国の美しさでなく、 国民に、です。 まあ、 それは、別の事柄です。 私はこう言います - 「ビル。 君が 水平線全体が見られないように、 君の頭脳は、いつも部分、断片を 見るように、条件づけられている。 君は、断片を見るように 条件づけられている。 なぜなら - 気をつけて聞きなさい - なぜなら、 あの小さな集団の中で、君は 安心を感じるからです」と。
1:16:19 質問者: いいよ。
1:16:21 K: 安心を感じて、 恐れがない。 もし私が、「私はアメリカ人だよ」と 言うなら、恐れはありません。 他の種類の恐れが、 あります。 ちょっと待って。他の種類の 恐れが、あります。
1:16:35 質問者: でも、その発言は ややこしい。いいよ、 一時的に恐れはない?
1:16:40 K: ご覧ください。 私が、(社会主義の)チェコ・ スロヴァキアか、ハンガリーに 生活していて、または、それが どこであっても、ロシアにいても、 私が、集団全体に加わらないなら、 私は、恐怖します。 質問者: いいよ。
1:16:54 K: でも、私が、
1:16:56 「私もまたあなたと同じだ」 と言うなら、私は安心を感じます - 内的に私は震えている かもしれませんが。 よろしいですか。 それは、別の事柄です。 私は安心を感じます。 少なくとも、物理的に、です。 で、あなたが自分自身を 集団と同一視するとき、 あなたは安心を感じるし、ゆえに そこに、恐れはありません。 あなたが、その集団の中から踏み 出すときだけ、恐れは生じます。 これは単純です。いいえ?
1:17:29 質問者: いいえ。 あなたは、この内的なことに ついて話しておられるから・・・
1:17:37 K: いいえ。私は、内的に ついて話していません。
1:17:39 質問者: まあ、私たちは 二つの恐れを持っています。 あなたは、集団と同一視する なら、安心を感じます。
1:17:44 K: それは事実です。 待って、それは事実です。
1:17:49 質問者: 集団と同一視する。 まあ、事実について 気をつけましょう。 あなたが駆け回り、集団と同一視する なら、一時的に、より良く感じます。 「安心」は、 強すぎる言葉です。
1:18:00 K: いいですよ。より良く感じる。 もっと確実だと感じる。
1:18:03 質問者: そうです。あなたは、 その瞬間に蹴飛ばされないでしょう。
1:18:07 K: あなたが、居心地悪く感じるのは、 あなたがそこから踏み出すときだけです。 あなたは、不安全に感じます - それが、恐れなどなどです。 いいです。 アーシャ・リー: それは、恐れのために 集団と同一視する、ということですか。
1:18:23 K: いいえ、どうぞ。私は それらに入りたくありません。 私はそれを説明してきました。 私は疲れています。 あなたは、ぐるぐるぐるぐる 回っていますが、 私は進んでいきたいのです。 そしてビルは、十か、 九つか、五つですが、 彼は、「いいよ。 僕はここまで これを理解しましたが、 僕は行って、あれら少年たちと 遊びたいんです」と言います。 それは、どういう意味ですか。 僕は自分 自身を、あれらの少年と同一視します。 しかし、あなたは僕に語っています - 「君が、集団と同一視するとき、 君の観察全体が 部分的です」と。 けれども、僕は、行って、 彼らと遊びたいんです。 あなたは、これを見ません。 かわいそうな少年たち。 あなたたちがそうなって いるのも、ふしぎでない。 あなたは、それが 見えないなら、 いったいぜんたいあなたは、 あれらの少年、 あなたの子どもたちに、これを どう見させようとしていますか。
1:19:40 質問者: 私は、それを見るまで、 そうしようとしていません。
1:19:52 K: これを理解されますか。
1:19:54 DM: 仰っていることは、 理解しますが、 私はまた、なぜ彼が 悩んでいるかも、理解します。
1:19:58 K: 私も、ばかでは ありませんが、 私はあなたに、他の何かを訊ねて います - あなたはこれを見ますか。
1:20:05 DM: 示しておられる 論点は、分かります。
1:20:06 K: そのときあなたは、あの少年、 ビルを、どう助けますか。 彼は、「僕はしなければ ならない・ ・・」と言いますが。 質問を理解されますか。
1:20:18 質問者: はい。
1:20:19 K: あなたは、彼を どうするのでしょうか。 あなたは、この問題を どう取り扱いますか。 彼が、出て行って、 他の少年たちと遊びたい、 ドラッグストアへ行き、アイス クリームを - よろしいですか - 後で酒、薬物を、と思う とき、です。 よろしいですか。 集団と同一視する 動き全体です - 国旗に従う、 お隣のジョーンズ家を 模倣する。 動き全体です。 それが、これです。 これの 始まりです。いいですか? DM: はい。
1:20:56 K: さて、あなたは、その少年を
1:20:56 どう助けるのでしょうか - 九つ、十か、何歳であれ、 「僕はそれらをしたい」と言うけれども、 あなたの論点を見る子を、です。 理解されますか。 あなたは、彼に葛藤を 持ってほしくない。 彼が葛藤を持った瞬間、あなたは 彼を失ってしまったのです。 なぜなら、葛藤は彼をして、これより むしろそこへ行かせるだろうからです。 理解されるのかどうかと、 思われます。 動いてください。
1:21:34 質問者: 私ができる、ただ一つの ことは、言わないことか、 私自身に言うことです - 私は その場合に何をすべきかを知りません。
1:21:44 K: あなたは、目の前に ビルを持っています。
1:21:45 質問者: はい。そして 私は行為するでしょうが、 私は、「そこへ行って、それを しなさい」とは言わないでしょう。 私は彼とともに、 してきました。 彼の注意は、あの時点まで そこにありました。
1:21:56 K: いいえ。あなたは、ビルを どうするのでしょうか - 「僕は行って、 あれらの少年と遊びたい。 彼らとアイスクリームへ 行きたい」と言う子を、です。
1:22:06 質問者: 彼に、一人で 立つ力を、与えます。
1:22:09 K: あなたは、十歳のあの少年が 一人で立つのを、どう助けますか。
1:22:12 質問者: 許しです。 K: みなさんは 何について話していますか。
1:22:14 質問者: それは、学校がどういう ものかということではないですか。
1:22:15 あなたは、学校を 創り出します。 あなたは、その雰囲気を創り出します - それで、あの子は・・・
1:22:23 K: 何? それは、あなたがこのまわりに 有刺鉄線を張り巡らす、という意味ですか。
1:22:27 質問者: いいえ。私は、 学校について、話しています。
1:22:30 K: あなたは、私の問いに 答えていません。 親として、教育者として、 あなたは、これを理解した 少年を、持っています。
1:22:40 質問者: それは、それを恐れに 留めておけないのに、似ています。
1:22:43 K: 私はあきらめます。 質問者: いえ、あきらめないでください。
1:22:46 K: なぜなら、あなたは自分自身、 このことを、見ないからです。
1:22:50 いいえ、どうぞ、 あなたが、ではない。 私は、あなたたちみんなの ことを、話しています。 私は恐れていない、と 言わないでください。 私は、何かを言っています。 どうぞ、聞いてください。 あなたは、この少年を持っています - 十歳です。 または、少女をです。 その子は、他の子たちが することを、したい。
1:23:18 質問者: あなたはそれを どうやりますか。
1:23:20 K: 私に訊ねないでください。 初めにあなた自身を、 その少年のその立場に置いて、 彼のために感じてください。
1:23:35 質問者: で、あなたは、彼を 他の子たちと遊ばせられません。 それは論外です。
1:23:40 K: すると、あなたは どうして彼を孤立させますか。 何とひどい仕打ちですか。 問題をご覧になりますか。 あなたたちは、この問題を 持とうとしています。 あなたたちは、それを持っています。 ML: 私たちはそれを持っています。
1:24:05 K: で、あなたは、何を しようとしていますか。
1:24:11 質問者: 私たちは、ここまで 彼とともに行きました - 彼とともに理解して、です。
1:24:21 K: あなたはビルです。 いえ、待って。 あなたはビルです。 あなたは、他の人たちがしている ことを、したくないですか。
1:24:34 質問者: たぶんしたいです。たぶん私は、 出かけて、他の人たちと遊びたいです。
1:24:38 K: そうしたくないですか。
1:24:40 質問者: すみません。私は 質問を理解しませんでした。
1:24:41 K: あなたは、他の人々がしている ことの多くを、したくないですか。 酒を飲むこと - あなたのまわりで 起きつつあるすべてを、です。 そのすべてを、ではなく、 部分的に、です。 もちろんです。 で、あなたは、あの少年を どうすることになりますか。
1:25:06 質問者: それが、私が言おうと していたことです。
1:25:07 K: 何ですか。
1:25:09 質問者: あの場所で、 あの境遇で、 私は何をも しないでしょうが、 あの状況の理解でもって - それは、自ずと進展することへ 進展しました。 すなわち、 私たちが話してきたことへの 少年の理解、です。 幾日か前に私たちが 話したことですが、 私は自分の側で、愛と智恵を して、行動させるでしょう。
1:25:36 K: いいえ。あなたは、 論点を逃しつつあります。 あなたたちは、これらの 少年と少女を、持っています。 あなたたちは、月曜日の 朝に、彼らに会います。 明日の朝、彼らはみんな、 ここで会おうとしています。 あなたは彼らに、このすべてを 説明してきました - よくよく気をつけて、 或る期間にわたって、です。 そして彼らは、こう言う その時点に、到ります - 「僕は、あなたの論点が きわめて明らかに分かりますが、 僕は、あちらへ 出て行きたいです」と。 彼は砕けています。 あなたがしたい こと、すべきことを、したいが、 また、他の子たちとも 遊びたい。 他の子たちとも、やっていきたい。 これをご存じないですか。
1:26:20 質問者: 彼らがそれを総体と見るよう、 集団を与えることは、どうですか。
1:26:23 K: 私はどうして、すべての 集団を、確信させられますか。
1:26:25 質問者: でも、学校っていうこと です。これは今、学校です。 ビルは、他の六人とか、 他の二十人とか、 三十人と仰る クラスの一人です。 集団全体が会っているとの 感じについては、どうですか。
1:26:38 K: あちらには、 百人がいます。 ああ、あなたは 論点が見えません。
1:26:48 質問者: 私たちは、一人で 立てなければならないですか。 私たちは、その点に 応えなければなりませんか。 いいえ、そうしなければなりませんか。 教師として私たちが、です。
1:26:56 K: あなたは何をしますか。あなたは ビルです。大人になったビルです。
1:26:59 質問者: 私は、実のところ、 そのように感じます。 ビルの叙述は、私が 立っているところです。
1:27:04 K: あなたは、何を しようとしていますか。
1:27:06 質問者: 私自身について? K: ビルです。あなたはビルです。
1:27:07 質問者: もし私がビルであり、私が 一人で立つのを恐れているなら、
1:27:10 私はちょうど今、それについて 何をするかを、知りません。 そこが、私がちょうど今、 いるところです。
1:27:16 K: いいえ。あなたは、私が言って いることを、理解していません。 あなたはビルです。
1:27:21 質問者: 私はビルです。
1:27:22 K: そしてあなたは、この事実に 向き合っています。 あなたは、これをしたいし、 あなたは、あれをしたい。 質問者: ええ、分割されています。
1:27:28 K: 分割されています。
1:27:30 K: あなたは、それについて 何をしようとしていますか。
1:27:31 質問者: あなたはたぶん、一番容易い ことを、しようとしています。
1:27:37 K: あなたがそのように分割されて いるとき、あなたに何が起きますか。
1:27:40 あなたは、引き裂かれます。 あなたは、葛藤の中にいます。 あなたは、神経症に なります。
1:27:56 K: で、あなたは、何を するのでしょうか。
1:27:59 質問者: 神経症になる 以外に、ですか。
1:28:03 K: あなたは、何を するのでしょうか。
1:28:06 質問者: 何もできません。あなたが できることは、何もありません。
1:28:13 K: 私はお示ししましょう。 本当ですか。 理解されますか。 ビルは分割 されています。かわいそうに。 小さな男の子が、 すでに分割されている。 すでに砕けている - 親に より、社会によって、です。 理解されますか。
1:28:39 質問者: はい。
1:28:42 K: あなたは、「私は何もできない。 ああ、彼はこれをしなければならない。 私は彼を放っておこう。 私は 慈悲に満ちている」と言います。 あなたは明日の朝、目の前に あれらの少年を、持っています。 あなたは、何を するのでしょうか。 あなたたちは、 ここの教育者の一人です。 あなたは、何を しようとしていますか。 この砕けること、 分割された生は、 最もぞっとする形の 生活であり、 あらゆる種類の過ちに、繋がって いるのを、知って、です - 暴力、進んでいるあらゆる種類の こと、です。 いいですか? 教育者として、あなたは、目の前に 十人の少年を、持っています。 あなたは、何を しようとしていますか。 マーク・ リー、あなたたちは みんな、何をしようとしていますか。 明日の朝、あなたたちは、 これに向き合おうとしています。 よろしいですか?
1:30:13 質問者: あなたは、ビルが一人で立つの を期待すべきでないことを、仰いました。
1:30:19 K: かわいそうな十歳のビル。 後生ですから。
1:30:23 質問者: で、それが、私たちが する一番目のことです。 たぶんそれらの期待を 持たないのです。 なぜなら、私たちは、 期待を持てないからです。
1:30:31 K: 私は彼に、砕けた生、分割された 生を、持ってほしくありません。 あなたは、何を しようとしていますか。
1:30:41 質問者: 分割を 事実として扱う。
1:30:43 K: 私たちは同意して きました。それは事実です。
1:30:46 質問者: 私たちは、しばしば それについて同意しませんよ。 私たちがそれについて同意する というのは、実情ではありません。 それは、私たちの生の中で きわめて遅く来ます。 実は、それは、今朝のところは、 来るかもしれません。 言い換えると、あなたが期待に ついて仰ったことが、です。
1:30:56 K: 私は何をも 期待していません。
1:30:59 質問者: 何ともまあ、本当だ! 私は、期待を あなたに帰しません。 私は、「あなたが私たちに 仰った」と言いました。 自分は、その子が一人で 立つのを、期待すべきではない。 彼は幼すぎる。かわいそうに。
1:31:11 K: はい。
1:31:13 質問者: でも、私たちは、しばしば まさにそれを期待するんです。 さて、おそらくそれが、初めの動きです - それらの期待を止めることが、です。
1:31:21 K: いいえ。私たちは、それより 少し先へ行ったのです。
1:31:26 質問者: まあ、私を「私たち」 より外してください。
1:31:29 K: ビルは、砕けた生、 分割された生を、送っています。 そして私は、それの危険を 見ます。 
1:31:37 質問者: はい。
1:31:40 K: それの本当の危険、 それの深遠な危険を、です。 そして私は、それを 防止したいのです。 彼は、それを経て、その悲惨を 経て行きつつあります。 そして、教育者として、 あなたは、 明日の朝、それらの少年を 目の前に持っています。 あなたは、それを悟りますが、 何をしようとしていますか。
1:32:05 質問者: それは、私たちの生での どの葛藤とも、異なっていますか - そこであなたが怒りや 他の何でも持つものと、です。 あなたは、何かを感じるなら - 本当にそれを感じて、 あなたが、「私はそのように 感じるべきでない」と言うか、 何らかの形でそれを止めようとする なら、いつも同じ葛藤があります。
1:32:20 K: いいですよ。あなたは、一通りに 感じますが、もう一通りに行為します。
1:32:30 質問者: または、あなたは、それを感じる べきではないみたいに、感じます。
1:32:33 K: 同じことです。 分割されている。 あなたは、ここの教師として、 どう防止するのでしょうか。
1:32:42 質問者: 私は知りません。 これが、その起こり方である ように、思われます。 私たちが何をすべきかを、 私は知りませんが・・・
1:32:50 K: マダム。あなたは、この問題に 向き合ったことがありません。 あなたたちの誰一人として、この 問題に向き合ったことがありません。
1:33:01 質問者: 本当です。
1:33:02 質問者: それは、私たちが 知らない、という意味ですね。
1:33:06 K: あなたは、それに 向き合ったことがない。
1:33:09 質問者: でも、私は知りません。 私は間違ったことをしてきて・・・
1:33:11 K: いいえ、どうぞ、間違ったことや 正しいことをしたのではない。 あなたは基本的に、根源的に、この 問題に向き合ったことがありません。 これは、あなたがこの問題に 向き合わされつつある初めての時です。 あなたは、生を分割するのは悪いと 言って、進んでいくかもしれませんが、 あなたは、「ほら、それが、 まさに私の目の前にある。 それは私の生だ」と けっして言いませんでした。 で、あなたは、それに向き合う とき、何をしようとしていますか。 古い道を 続けていきますか。 質問者: いいえ。 
1:33:52 K: いいえ、 どうぞ、私に答えないでください。
1:33:53 なぜなら、あなたは、これらの 意味を、知らないからです。 すみません。 私は苛立って いません。私は進みたいのです。 さて、私は何をするのでしょうか。 マーク・リー、どうぞ。 あなたは、問題に向き合います。 そうでしょう。 いいですか? ML: ちょうど今。
1:34:21 K: あなたは、それについて 何をしようとしていますか。 これをほしがり、あれを ほしがる。 ですね? それが、 ビルの砕けた生です。 砕けた生ではなく、分割された生です。 砕けた生は、分割された生です。 で、あなたは、何を しようとしていますか。
1:34:45 質問者: あなたが、これらを見て、 本当にそれに向き合うとき・・・
1:34:48 K: 私はあなたに、今それに 向き合うよう頼んでいますよ!
1:34:51 質問者: そうします。私は そのとき、その答えを持つのです。 一度私がそれに向き合うとき、私は、 自分が知らないことを、認めます。 答えはそこにあります。 K: 答えは何ですか。 
1:34:59 質問者: 言語的なことは何もないが、
1:35:01 自らが問題を見るとき、 それ自体は、去ってしまいます。
1:35:09 K: 私はそれに、少し入られますか。 私は、五分で止めるでしょう。 なぜなら、私たちは果てしなく 続けられないからです。 大人になった人々として、 私たちは、この問いへ入られます。 なぜ、分割された生が ありますか。 いいですか? 私たちの生に、なぜ この分割が、ありますか。 ML: 私たちは安全がほしいからです。
1:35:39 K: いいえ。なぜこの分割がありますか。 ご覧ください。 あなたが、初めに一つを 理解しないときだけ、分割は存在します。 いいですか。 分割は存在します - AとBが 分割されているとき、ですね。 分割は、AとBです。 あなたがAを完全に理解しない とき、Bは存在します。 いいですか。 論点を見てください。 私がAを完全に理解するなら Bはありません。 私がAを完全に見つめたことが ないとき、Bは存在するだけです。 私は、Aについて何をすべきかを 知らないとき、Bへ行きます。 これを分かりましたか。

質問者: はい。 
1:36:47 K: それは確かですか。
1:36:47 道理ですか、論理ですか。 質問者: はい。
1:36:49 K: で、Aの了解がないとき、 対極が創り出されます。
1:36:54 で、あなたがAを 理解するなら
1:36:58 - 対極ということに立って 考えないで、それを見つめると - 対極はありません。 Aだけです。 例えば、私はゴルフを して遊びたい。 私はしてきました。 私はそれが きわめて上手だったのです - そう言っていいなら、です。 私はそれをあきらめました。 なぜなら、 何も格闘がなかったからです。 なぜなら、他のことのほうが、 重要であるからです。 他のことが私には、ゴルフより はるかに興味深かった。 何かを理解なさるのか どうかと、思われます。 ゆえに、何も葛藤が ありませんでした。 で、私はビルに、どう 伝えることになりますか - 一人で立つことではなく、 遊ぶことではなく - 対極ではなく、あるものだけが あることを、ビルに伝える。 1:38:40 理解されますか。 私が言っていることを、 本当に理解されますか。 事実は、対極を 持ちません。 善さは、対極を 持ちません。 ゆえに、それは 花開きます。 で、私はビルに 伝えようとしています - 出かけてゆき、遊びなさい。 でも、 これを学びなさい。対極はない。 理解されますか。 これを理解されますか。 いえ、いえ。 私は 止めなければなりません。 純潔の問題全体です。 純潔は、他方の対極 ではありません。 これらを理解なさるのか どうかと、思われます。 で、私は、この問題を 持っています。 私は自分自身において、これを きわめて明らかに理解します - すなわち、 対極はないのだ、と。 ゆえに、私は酒を飲みたい なら、飲むでしょう。 1:40:37 いいですか? アルコールですが、 私は、その愚かさ・ ・・ それの動き全体を、見ます - そこに何が関与しているのかを、です。 ゆえに、それは終了しています。 ゆえに、格闘はありません。 で、私は、その少年について、 ビルについて、何をしますか。 で、大人になった人々が理解する には、これは無量に困難です。 私はその少年に、あれを、どう 入れようとしていますか。 理解されますか。 少年は、 良し悪しに慣れています - これをしろ、あれをするな、これは 正しい、これは間違っている、 君は 処罰されるだろう、とか、 君は褒賞されるだろう、と。 よろしいですか。 褒賞と処罰、 褒賞と処罰。 それが、彼が 知っているすべてです。 1:42:08 それで私は、彼の精神から、この 褒賞と処罰を、取り除くでしょう。 「それを抜け出しなさい」と 私は言います。 天国と地獄、そうね、 それの歴史的な過程全体、 宗教、あらゆる物事を、です。 何も褒賞や処罰が、 ありません。 いいですか? 見てください - あなたが、あの少年と、ビルとの自分の 関係を、どう変容させたのかを、です。 あなた自身が、褒賞と 処罰を感じないし、 あなたがあの少年に語っているとき、 何が起きたのかを、見てください。 いいですか? もしも私が、この褒賞と処罰の 観念を、取り除いたなら、 そのとき、 行為とは何ですか。 ああ、私は、これらに 入りたくありません。 左や右がないとき、あなたは まっすぐ歩きます。 1:43:35 それがすべてです。 いいですか。よろしいですか。 私はそれを、あの少年に 伝えようとしています。 私はこのことを、彼に伝えて、 人生を過ごそうとしています。 私は、これに過ごしてきましたが、 ほとんどの人は、これを理解しません。 で、私は朝から、彼がこれを分かる まで、これについて話すでしょう - 左や右はない。 ただあれだけだ、と。 ゆえに、正しい行為が あります。 私は止めなければなりませんね。 なぜなら、十時であるからです。
1:44:24 質問者: あなたが行かれる前に、 私は何かを分かち合えますか。 今、話しておられる ことですが、 私は一週間ほど前、一種、これを 自分の息子で、しました。 そこで私は一種、これを 拭い去ったんです - この褒賞と 処罰のことを、です。 そして私は、彼と私の中に ものすごい変化を、経験したんです - そして、彼の内側に起きた 一種の平和を、です。 それは彼に、一種の寛ぎの感じを 与えるようだったと、思います。
1:44:54 K: が、どんなにものすごい変化が 起きたのを、ご覧になりますか。
1:44:59 質問者: ええ。
1:45:02 K: いえ、どうぞ、そこには、 はるかに多くが、関与しています。 左や右がないとき、頭脳の中に 何が起きたのかを ただ見てください。 私がいつも、左と右、良し悪し、 地獄と天国、褒賞と処罰 ということに立って 考えてきたときに、です。 そして、あなたが そのすべてを取り除くとき、 あなたの内側に、何が 起きたのですか。
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