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OJ79D2 - そこでは自己中心的な活動が終わる生きる道があるのか home
第2回公開討論会
カリフォルニア、オーハイ
1979年4月12日


0:35 K: 私たちは、何について 対話を行いましょうか。
0:49 質問者: 心理的な痛み - すなわち、 物理的な痛みに変わるものです。
0:57 K: 心理的な痛みと 物理的な痛みです。
1:03 質問者: 変わっていく 心理的な痛みです。
1:05 K: ああ、物理的な痛みになる 心理的な痛み、ね。 身心的な痛みです。
1:15 質問者: 私には、 選択と責任との間に、 矛盾があるように、 思われます。 条件づけられている人物がどうして 選択をするかを、私は理解できません。 選択なしに、どうして 責任がありますか。 そして、どうして、或る人物は 善や悪でありえますか。
1:33 質問者: 選択と責任との間には 矛盾がありませんか。
1:38 K: 選択と責任との間には、 矛盾がありませんか。
1:46 何ですか。 質問者: 選択の欠如です。
1:47 K: 選択の欠如と 責任です。
1:53 質問者: 私は、老化について 対話を行いたいと思います。
1:58 K: 年老いていくことについて。 これらの言葉!  私たちはその言葉 「老化」を、どんなに回避するのか! なぜ私たちは、自分たちが 年老いていくと、言わないのか。
2:13 質問者: 私は、イメージについて 話したいと思います。
2:19 K: イメージ作り。 イメージ作りを 理解することは、可能ですか - そして、それらを終わりに する。そういうことですか。
2:32 質問者: 私は、間違った所での 思考の起源について、 話をしたいと思います。
2:51 質問者: 思考が間違った所に入る ことは、どうして起きましたか。
2:56 K: 思考が心理的平野の中へ 越えてくる、入る、 持っていくのは、 どうして起きますか。
3:13 質問者: 起源として、です。
3:16 質問者: それはどう始まりましたか。 K: これの起源です。
3:19 質問者: 冥想について話せますか。なぜ それは重要なのか、それは何なのか。
3:23 K: 冥想とは何ですか。
3:32 さて、これらのどれについて、あなた たちは、対話を行いたいと思いますか。 質問者: イメージ作り。
3:42 質問者: 冥想。
3:47 K: あなたは、冥想について 話したいですか。
3:53 質問者: はい。 K: 本当にそうしたいですか。
3:56 または、それは、何かまったく 不適切なことについて
3:58 話すための 空想的な導入ですか - 私たちの生より別に、です。 あなたが本当に、冥想について 話したいなら、そうしましょう。 が、私たちは、その問いに入るには、 きわめて真剣でなければなりません。 で、あなたは、どれに したいのでしょうか。 あなたは、それについて話したい ですか。 
4:30 質問者: はい。 質問者: いいえ。
4:31 K: いいえ!
4:34 質問者: クリシュナムルティ、先の火曜日、 私たちは条件づけについて話しました。
4:37 私たちが取り扱わなくては いけない条件づけの一つは、 権威の条件づけです。 私のような誰かが、ここで声を 上げることについて、考えるとき、 彼は本当に、 権威の問題に入ります - たとえば、私が尊敬から あなたへ与える権威、 私が集団へ与える権威、 私自身の権威のように、です。 私は、それについて あまり確かでありません。 たぶん私たちは、それについて 議論できるかもしれません。 ここに座っている、あらゆる人が、 それを、扱わなくてはいけません。
5:11 K: あなたは、権威について 話したいですか。 演壇の上に 座っている人の権威、 公共の権威、 専門家たちの権威、 自分の経験の権威 - それは、内的な権威に なるのです。 あなたは、それについて 話したいですか。 質問者: はい。
5:33 質問者: いいえ。
5:35 質問者: 私たちは、後の会合で 冥想について、話せるのでしょうか。
5:37 それは、後の会合で、もっと 適切なのかもしれませんね。 K: 冥想について話をする・・・ 後の会合で!
5:49 いいですよ。
5:56 質問者: (聞き取れない)
6:05 質問者: 私たちは、それを経験する自分 たちの能力について、話せるでしょうか - それについてあなたは 語られますが、 それを生きる私たちの能力、です。
6:15 K: あなたは、または私たちは、 私たちが話していることについて、 対話を行えるでしょうか。 私たちは、何と 変な群衆なのでしょう!
6:36 質問者: 私たちは、自分たちのすべてに 優る興味について、話せるでしょうか - 私たちが本当に ほしいのは、何なのか、です。
6:43 質問者: 私たちは本当に 何がほしいのか。
6:47 自分たちのすべてに 優る興味は、何ですか。 K: 私たちは、それについて 議論できるでしょうか。 私たちの探求とは 何ですか。 私たちが探し求めて いるのは、何ですか。 そして、何かを見つけたいとの 内の衝動とは、何ですか。 私たちは、それについて 話せるでしょうか。 あなたは、それについて 話したいですか。 それは何のためですか。
7:15 質問者: はい。彼らはそれに ついて話したいと思います。
7:18 K: いいですよ。 そうね、あなたたちが注目しなかった のかどうかを、私は知りません - 特にカリフォルニアで、です。 それは、東洋へ拡がり、 さらにまた東ですが、 ほとんどのアメリカ人は 何かを探し求めているのです。 いいですね?  様々な宗教的な 観念を、実験しています。 心理学的な追求、 集団療法、そうね、 何かを探し求める、ほしがる この現象全体ですが、 それが、あなたが 議論したいことですか。 確かですか。 いいですよ。
8:06 質問者: その人は、自分は尊敬から あなたへ権威を与えると、言いました。 私たちは、尊敬できることに ついて、話せるのでしょうか。
8:12 K: 尊敬できることに ついて話す。 いいですよ。 私たちは その言葉を導入するでしょうが、 その言葉の内容は、 何ですか - 私たちがみんなほしがっているのは、 私たちがみんな探し求めているのは、 何であるかのこの問いに 入る中で、です。 なぜあなたたちはみんな、 ここへ来て、この人に聞きますか。 何のためですか。 これは本当に、とても良い 問いであると、私は思います - もしも私たちが、それについて 真剣な対話を行えたなら、です。
8:48 質問者: 私たち自身から 散漫であるため、です。
8:51 質問者: 私たち自身から 散漫であるため -
8:55 そういうわけで、私たちは ここに来るんです。 K: 私たち自身から逃避するために あなたたちは、ここに来ますか。 私たち自身の日々の複雑なことを 回避するために、ですか。 それが、私たちが ほしがっていることですか。
9:11 質問者: 私は、注意、欲望、意志に ついて、見出したいと思います。
9:16 K: 欲望と意志。私たちは 土曜日に、それをするでしょう。 私たちは、欲望の問い全体、 欲望の含蓄、 欲望が生ずることと、思考の そのイメージでもっての介入へ、 入るでしょう - それは、意志をとおして 追求されます。 で、私たちはそれについて議論する でしょう - あなたが構わないなら、 土曜日に、明後日の朝にですが、 この問いに入りましょう。 私たちがみんな、ほしがって いるのは、何ですか。 もっと多くのお金 - あなたが お金を持っていないなら、です。 明白に、自分はもっとお金を 持たなければなりません - あなたがそれを 持っていないなら、です。 それは私たちに、衣食住を 与えてくれます。 それを別にして、 可能であるなら、 世界中のすべての人間が、 十分な衣食住を持つこと。 それは、すばらしい世界に なるでしょう。 10:30 なぜなら、大変多くの 貧困が、あるからです - あなたたちはこの国で、それに ついて、ほとんど知りません。 そこには、絶対的な絶望の 堕落、破壊が、あります - 職、衣食とそれらを 持っていないのです。 私たちは それに入られますが、 それを別にして、 裕福な社会において - そこで私たちのほとんどは、 衣食住の、 或る種の保証を 持っています。 これを別にして、私たちが 探し求めているのは、何ですか。
11:14 質問者: 完全性です。
11:19 K: 私たちは完全性を探し求めて いることが、提起されています。 少しそれに入ってください。 かなり深くそれに入ってください。 私たちがほしいのは、 何ですか。 幸せですか。 なぜなら、私たちのほとんどは 不満足であり、 ありのままの物事に 不満であるからです - 私たちの私的な生活においても、 公的な生活においても、です。 私たちは、或る種の内的な 平和を、平静さ、秩序の感覚を、 もたらしたいと思います - 社会において、だけではなく、 私たち自身においても、です。 私たちがほしいのは、 何ですか。 この社会的秩序を持っているなら - それは存在していません - それを持っているなら、私たちは もっと何かを、ほしがります。 私たちは、神をほしがります。 私たちは、覚りをほしがります。 私たちは、一種の精神的平安 などなどなどを、ほしがります。 私たちの一人一人がほしい、 渇望し、追求するのは、何ですか。 私たちはこれについて議論 できたらなあと、思います。
12:34 質問者: 私たちは、自分たちが何を ほしいのかを、知ってもいません。 私たちはラベルを貼ります - 「神」や「覚り」と。でも、 私たちは知りません。
12:43 K: それなんですか。私たちは、自分 たちが何をほしいのかを、知りません。 ゆえに、私たちは、ウインドウ・ ショッピングに、行きます。
12:50 質問者: 私たちは自分が何をほしい のかを知っていると、私は思います。 そういうわけで、私たちは ほしがっているのです。 私たちは、自分が何をほしいのかを 知っているからです。
12:58 K: あなたは、自分が何を ほしいのかを、知っていますか。
13:02 そのとき何も 問題はありません。 質問者: 本当はそうではない。 ないんでしょうね。 まあ、本当は、たぶん ないんでしょうね。
13:12 K: 何ですか。 つまり、あなたは自分が何をほしいのかを 知っているなら、それを得られますね。 ただ面倒は、それを 得ることです。 そのとき、何も 問題はありません。 あなたは「ほら、私は お金がほしい」と言います - 「私は幸せでありたい。 私は 生に或る種の秩序をほしい」と。 そのときあなたは、そのために 働きます。 それはきわめて単純です。 が、私たちは、それに満足して いません。 私たちはいつも、 もっともっと多くほしがっています。 この「もっと多く」は、何ですか。
13:49 質問者: もしも私たちが、物理的な安全 をも含めることになったとしたなら - 私たちは、それでもって出発し なくてはいけないと、私は思います - また、心理的な平穏をも 含めます - もしも、それと、物理的な 安全がありえたなら、です。 なぜなら、二つは相伴うと 私は思うからです。
14:18 K: 物理的なのと、また 心理的な安全のどちらをも 探し出さなければならない ことが、提起されています。
14:31 質問者: それは、物理的な安全が なくてはいけない、 ということなのかも しれません - 私たちは、あれを ほしがらなくてはいけない。 つまり、あれを ほしがるだけでなく・ ・・ 思うんですが、或る意味で・・・ 私は物理的な安全をほしくて・・・
15:06 K: あなたはこう仰っていますか - 世界のほとんどの人々にとって、 増大する人口でもって、 進みつつある大地、空気の破壊、 あらゆる物事でもって、 物理的な安全を持つことは、 ますます困難になりつつあります。 それが一つの論点です。 二番目。 心理的に、内的に、 私たちはみんな、或る種の 執着を、ほしがります - 或る種の慰め、 或る種の解放を、 私たち自身の日々の課業、 騒動から、です。 さて、あなたはこう言っていますか - これら二つは、相伴えませんか。 ただそれを 探究してください。 あなたは、よく食べて、衣服とその他 すべてを、持っているかもしれません。 16:04 世界の大多数の人々は、 特にアジアでは、 インドを含めて、生は、尋常でなく 困難になりつつあります。 貧困と、 貧困の堕落です。 何が、これを 阻止していますか。 何が、この地上に 生きる人間たちが、 すべての人間のために、豊かな 衣食住を持つのを、阻止していますか。 この阻止の原因は、何ですか。 私たちは、探究しています。 私たちは、受け入れていません。 私たちはともに、問題を じっくり考えています。
16:48 質問者: それは、 幾らかの人たちが、
16:58 こうも富と食べ物と権力を 貯め込むからではないですか。 K: それは、幾らかの人たちが、 尋常でない富を貯め込み、 自分自身に関心を持っている だけ、ということですか。 それが原因ですか。 それはまた、 こういうことですか - 民族性、経済的分割、 政治的分割、宗教的分割、 これらすべての要因と 他の幾つかが、 私たちがみんな十分な衣食住を 持つように、人間たちがまとまり、 組織するのを阻止する、と。 明白です。 なぜなら、私たちは、他の人たちに 関心を持っていないからです。 私たちはただ 関心を持つ - 私が自分の安全を持っているかぎり、 私を放っておいてくれ、と。
17:55 で、それが、一つの問題です。 で、私たちのほとんどは、 少なくともここで、物理的な安全を 探し求めていません。 さもないと、あなたは、 ここにいないでしょう。 が、私たちは、 心理的な安全をほしい。 私たちは、内的に 何かをほしいのです。 あなたがほしいのは、 何ですか。
18:18 質問者: あなたが「心理的な安全」と 言うとき、それは、同じですか。 あなたはまた、「霊的な安全」 とも言えますか。
18:27 K: ああ、私は、「霊的」という 言葉を、まったく使っていません。 あれは、かなり 使われすぎた言葉です。 かなり迷信的な言葉と、 かなり引っかけやすい言葉です。 私は、「心理的」という 言葉を、使っています - 内的な要求がある、 という意味で、です。 私は何かをほしい。 私が、ではなく、 人々は、何かをほしい。 あなたがほしいのは、何ですか。見て くださったらなあと思いますが・・・
19:02 質問者: 私たちは、自分の潜在能力を 実現したいと思います。
19:04 K: あなたは、自分の 潜在能力を、実現したい。 あなたの潜在能力とは、 何ですか。 もし私が、「私は自分の潜在能力を 実現したい」と言うなら、 初めに私は、自分の潜在能力が何で あるかを、見出さなければなりません。 そのとき私はそれへ、自分の エネルギーすべてを、注ぎ込めます。 が、私の潜在能力とは 何ですか。 幸せですか。 それは潜在能力ですか。またはそれは、 結末ですか。それは副産物ですか。
19:45 質問者: たぶん彼らは、私たちの潜在 能力は神である、っていうんでしょう。 なぜなら、すべての宗教は、それを 私たちに、語ってきたからです。
19:54 質問者: 彼はたぶん言います - 他の人は、 私たちの潜在能力は神であると感じる、と。
19:59 K: そうですか。 私たちの潜在能力は神である。 私は迷っています! 私たちは、この事柄について 明らかに考えていません。 K: 何ですか。 
20:18 質問者: 私たちは みんな、永遠の生を探し求めています。
20:25 K: 私たちはみんな、 永遠の生を、探し求めています。 あなたの、その言葉「永遠の」とは どういう意味ですか。 永遠だ - すなわち、 時を越えている。 「永遠だ」 - 私たちは 一般的に、継続的な存在を 意味すると理解します。 永遠だ。 それが、あなたが ほしいものですか。 あなたは、これらのことを 仰います。
20:56 質問者: 私たちは、自分がほしがるのを 終わらせたいと、私は思います。
20:59 K: ああ、あなたは、自分が ほしがるのを、終わらせたい。
21:05 質問者: 私たちは、自分の 混乱した精神を見たいです。 それが私が見たいものだと、 私は思います。
21:12 K: あなたは、明らかな精神を 持ちたい。そういうことですか。
21:17 質問者: 私は、自分の混乱した精神、 自分たちの混乱した精神を、見たい。
21:21 K: ええ、「私の精神は混乱しているが、 私は明瞭さがほしい」と質問者は言います。 私たちは、それについて 議論できますか。 あなたたちはこれに、こうも 多くの物事を、入れています。 私たちはともに、それについて議論 でき、それについて話し合えますか。 私たちの精神のほとんどは、 混乱しています。 それは明白です。 もしも、あなたたちの精神が 明らかであったなら、 あなたたちは ここにいないでしょう。 あなたたちは、どの会合にも 出席しないでしょう。 あなたは、どの導師にも、 どの哲学者にも、行かなくていい - 「私は、自分が話していることを知って いる」と言う、どの最近の人にもです。
22:02 質問者: たぶんそのとき私たちは、会話 と友情のために、来るだけでしょう。 ただあなたを知るためです。 あなたは、とてもすてきな人物です。
22:09 K: たぶんね。それが、 あなたがほしいものですか。 で、私たちのほとんどは 混乱しています。 なぜですか。 どうぞ、それに 入ってください。 あなたの心を、これに 込めて、見出しなさい。 なぜ私たちは、 混乱していますか。
22:32 質問者: 世界は行為を 要求しますが、
22:38 私たちは本当に、どう 応答するかを、知りません。 K: 世界は行為を要求しますが、 私たちはどう応答するかを知りません。 あなたの優秀さで、あなたの最高の 能力で、 自らはどう応答できますか - あなたの精神が混乱しているなら、 です。 どうぞ、これで通してください。 あなたたちは、自分の精神は 混乱していると、仰るのでしょうか。 いいです。 どうぞ、 そこから出発しましょう! なぜそれは 混乱していますか。
23:18 質問者: 私たちは、常に 矛盾の中に、生きています。
23:22 K: 私たちは常に 矛盾の中に生きます。 ゆえに、私たちの精神は、混乱して います。 それが一つの理由です。 もう少しそれに入ってください - 一歩一歩です。
23:35 質問者: 一つの理由は、 私たちの教育の中で、私たちは 色々な宗教について、 色々な政治的思想について、 聞いてきた、ということ かもしれません。
23:45 K: で、あなたは、私たちの 教育と、言っていますか。
23:49 質問者: 私たちの条件づけです。
23:51 K: 私たちの条件づけね。様々な人々が 様々な違ったことを、言っています。 一人の哲学者は、これを言う。 他の人たちは、その反対を言う。 科学者などなどです。 ゆえに私たちは、これら すべての人々に聞きますし、 私たちは、誰が真理を語って いるのかを、知りません。 そういうことですか。 あなたの思考を、どうぞ、 少しこれに注いでください!
24:23 質問者: 混乱した精神は、 どうしてこれを認識できますか。
24:29 質問者: 人々は私たちへ、これらすべての 物事、お金などが良いと、語ります。 で、私たちは それらを得るし、 私たちは、それらがまったく 良くないのを、見出します。
24:50 質問者: (聞き取れない)
25:11 K: 初めに私は、明瞭さのために 能力を、持たなくてはいけません。 私たちは初めに、この混乱の原因が 何であるかを、見なければなりません。 よろしいですか? それの原因は、何ですか。
25:27 質問者: それは、私たちの 意識の内容ではないですか。
25:37 K: 混乱の原因は、私たちの 意識の内容ではないですか。 私たちは、ゆっくり これに、入りましょうか。 なぜなら、それはあなたにとって、 とても重要であるからです。 もしもあなたが、なぜ私たちの精神が混乱 しているかを、理解できたなら、です。 それは、私たちが物理的に 不健康であるからですか。 ゆえに、その心身症的反応が 私たちを、混乱させますか。 それが、一つなのかも しれません。 二番目に、私たちは聞くか、 私たちは教育されるし、 私たちは、矛盾した意見、 矛盾した理論、 矛盾した宗教的観念を、 聞きます。 あなたは、キリストをとおして 救われるだけだ、とか、 あなたは、これ、あれ、あれ、他を とおして救われるだけだ、と。 26:33 で、私たちは常に、すべての 方向へ押されつつあります - 最新の導師、最新の哲学者、 最新の心理学者です。 私たちは、これらすべての人々に 聞くし、あなたは、「神様。 誰が実際の事実を語っているのか。誰が 真理を語っているのか」と言います。
27:00 質問者: 私たちは、精神が混乱しているなら、 どうして、何が正確なのかを認識できますか。
27:05 K: 私たちは、精神が混乱しているなら、 どうして真理が何なのかを認識できますか - 他の人たちが言っている ことの中で、です。 できません。 が、私たちは見出そうとしています - この混乱の原因は何であるかを、です。 なぜ男と女たちは、この 混乱の中に、生きますか。 あなたたちは、自らの精神を これに注ぎません。 あなたたちは、色々と 放り出すだけです!
27:30 質問者: 私たちは、自分が本当は 必要でないものを求めるように、 条件づけられてきました。 それが、その一部です。
27:41 K: あなたたちは本当に、 なぜ自分の精神が混乱して いるかを、見出したいですか。 いいですか? あなたはそのために 進んで、どんな値を 払おうとしていますか。 金銭的にお金を、ではない。 お金ではない。 私は、あなたたちから1セントをも ほしくありません。 ありがたい! どうぞ、聞いてください。 どうぞ、聞いてください。 あなたたちは、きわめて深刻な 問いを、してこられました。 あなたがいう、「混乱した」 とは、どういう意味ですか。 私がお訊きしていいなら、 なぜあなたは、ここにいますか。
28:33 質問者: 混乱について見出すため ではない。そう望みます。 私は知りたいと思います - 慈悲は 何なのかと、愛は何なのかと、 私たちはどうやって そうするのかを、です。
28:48 K: ご覧ください。あらゆる人が色々な 「ほしいもの」を持っています。 あなたは、愛は何なのかを見出したい が、誰かは、他の何かを言います。 他の何かと、他の何かを、です。 質問者: これらすべての異なった 物事が、混乱を進めます。 
29:00 K: はい。
29:03 この会合、この集会の 終わりに、 あなたはやはり、自分の 混乱が、残っています。 で、重要なことは、私たちがこの混乱を きれいに晴らせるのかどうか、です - 本当にそれについて話をし、それに入り、 本当に明らかであることによって、です。
29:26 質問者: それは、 私たちが誰かに、
29:30 何をするかを語ってほしい、 ってことではないですか。 K: 私たちは、それに 来つつあります。マダム。
29:37 質問者: あなたは、混乱の原因が 何であるかを、お訊きになりました。
29:41 K: 私はそれを お訊きしています。 あなたたちはみんな、すべて 違った方向へ、押しています。 人がその中で生きる この混乱の原因は、何ですか。 この世紀の間だけではなく、それは いつも、そのようであったのです。 あなたは、聞きも しません。 人がこのように混乱の中に生きて きたことは、歴史的な事実です。 そして私たちは、なぜ人は 混乱しているかを、訊ねています。
30:18 質問者: 私は知りません。
30:21 K: あなたは、知らないなら、 見出したくないですか。
30:28 質問者: 問いはこうでした - 私たちは進んで、どんな値を 払おうとしていますか。
30:31 K: ええ。私は、どんな値を、と お訊きしました - 金銭的にではない。 あなたのエネルギー、あなたの 意図、あなたの要求の何を 出すのだろうか、という 意味で、どんな値を、です。 あなたの精神が明らかでありうるのか どうかを、見出すように、です。 あなたは、自分の注意を 注ぐのでしょうか。 あなたは、自分の エネルギーを、注ぐのでしょうか。 あなたは、自分の能力を注ぐの でしょうか - 見出すように、です。 それは、見出すように、 あなたの血、 あなたの心、あなたの精神を、 という意味です。
31:13 質問者: 私たちは、それらのものを どう注ぐのかを、知りません。 質問者: 私たちは、 どうするかを知っています。
31:22 私たちは今、注意を 注いでいます。 あなたは、「注意」と仰った。 私たちは今、それを注いでいます。
31:27 K: あなたは、見出すように、 自分の注意を注いでいますか。 私が言っていることへ、 ではない。
31:32 質問者: 問うて、答えを 見つけようとする過程へ、です。
31:35 K: ちょっと待って。私が言っていること へではない。それは全然、不適当です。 私たちがこの混乱をきれいに晴らせるか どうかを、ともに見出すように、です。 それは、ともにそれについて 話し合うことを、意味しています - あなたの意見と私の意見に 取りすがるのではなく、 私は、これの原因が何で あるかを、見出したいのです。 理解されますか。 原因は、一人一人がこうもひどく 利己的である、ということですか。 一人一人が自分の表現、自分の楽しみ、 自分のその他すべてをほしがっている、 人はこうも自己中心的である、と。 そういうことですか。 私は、質問をしたのです。 その問いを探究してください。 32:44 理解されますか - この国には、 すなわち、ここには、 自分がしたいことを する自由が、あります。 全体主義国家では、 それをできません。 ここであなたは、自分の したいことを、できます。 私たちは、自分のしたいことをしています - 一人一人が自己を主張していて、 一人一人が自分の成功、自分の幸せ、 自分の野心の自分の充足を、 ほしがっている、 などなどなどです。 それが、このとてつもない 混沌の原因ですか。 質問者: それは副産物です。
33:26 K: 副産物とは何ですか。
33:30 質問者: それは、何かの原因の副産物 です。それは、原因ではありません。
33:34 K: それは、原因ではない - 利己性は、原因ではないですか。
33:39 質問者: 利己性は、原因の副産物 です - それが何であっても、です。
33:45 K: さらに向こうに、何がありますか。 すなわち、自己本位ですか。
33:54 あなたの自分の欲求を 充足したいとの感覚ですか。 あなたは、カトリックであるなら、 あれをほしい - あなたは、 一定の人物をとおして、恩寵、 救いを、見つけられるだけです。 あなたは、そうでないなら、 他の何かです。 質問を理解されませんか。 私たちの一人一人が、自分自身の ために、何かをほしがっている - それが、その原因ですか。
34:34 質問者: ですが、自己の感覚は、 条件づけの一部ではないですか。
34:38 K: これを見出してください。 もしも私たちは、 見出すように、自分の精神を これへ注げたなら、です。
34:47 質問者: (聞き取れない)
35:01 K: 私は見出したいのです。 あなたたちのみんなを別にして、 私は見出したいのです - なぜ人間の精神は 混乱しているのかを、です。 これの基本的な理由、 根を、です。 この混乱の表現だけではなく、 それの根を、です。 それは、私たちの一人一人が 自分たちは とてつもない個人であると 考える、ということですか - 分離していて、 ゆえに、一人一人が、 自分の欲求、自分の反応、 自分の要求を 表現したがっている。 それらはすべて、「自己中心性」 の一言で、表現できます。
35:45 質問者: はい!
35:48 K: どうぞ、私に同意しないでくだ さい。それは同意ではありません。 あなたは、見出さなくては いけません。
35:54 質問者: これは、 その一部です。
35:57 K: いいです。 一部です。 さて、これを聞いてください。 二分間です。 部分、部分は、 全体を作りません。 いいですか?  明白です。 しかし、部分をとおして、あなたは 全体を見つけられます。 いいですね? よろしいですか。 理解されますか。 私は、なぜ自分の精神が混乱しているの かを、自分自身で見出したいのです。 私は、「それは、私が本当にこうも自己 中心的であるからですか」と言います。 そうであると、私は思います。 私はこうも自己中心的です - 私の妻、私の住宅、私の野心、 私の神、私の信念、私の経験、 私はこれをほしい。 私はあれをほしくない。 そうね、いつの時も、 自己中心的な行為です。 この自己中心的な行為は、その中に 私が生きる社会により、助長されます。 宗教により助長されます。 あなたは、それをとおして 自分自身を救えるだけです。 仏教と、ヒンドゥー教の一部は、 それらを拒否します。 37:24 よろしいですか。で、私は、世界を 観察することにより、見つけます - きわめて批判的に、 歴史的に、 すべての人間の活動を見守って、です - 政治的、宗教的、無意味なもの、 共産主義、全体主義、 共同体などなどを、です。 それらはすべて、何らかの 形で、自己中心的です。 それは事実です。 私は、自己中心的であるかも しれませんが、それを知りません。 が、「私は、神の願いを表現 している。 私は永遠のものを、 代表している」と言います。 それはやはり、自己中心性です。 で、それが原因であるなら - 私はそれが 原因であるのが、かなり確かです - そのとき私は、その混乱をきれいに 晴らすように、何をするのでしょうか。 その原因は、この永遠の 自己中心性ですが。
38:32 質問者: 私たちは、それが 原因の一部であると、言いました。 それから、私たちは 言いました - 部分をとおして、全体を 見つけられるのか、と、
38:41 K: 部分をとおして、あなたは 全体を見つけられますが、 部分は 全体ではありません。
38:50 質問者: 私が混乱している 理由の一つは、 諸部分がどう全体に関係するかを 私は知らないからです。
38:56 K: いいえ。あれは副産物でした。 あれを持ち込むのを、お許しください。 それは、自己中心性です。 で、あれが、その根であるなら、 私は何をすることになりますか。 私はどれほど深く、この自己中心性 より、自由でありたいですか。 私はどれほど深く、 自己中心性を創り出す物事を、 進んで脇に置こうと していますか。
39:41 質問者: あれの深さは、あなたが危険を 見るほど深まると、思います。
39:49 K: ゆえに、心理的に、 内的に、無意識的に、 自らは、自己中心的でないことの 危険を、見るかもしれません - それは、こういう深い心理的 革命を、もたらすかもしれません。 無意識的に、自らは、それに 怯えているかもしれません。 ゆえに私たちは、「どうぞ、 私の混乱の中に留まらせてください。 私の心配の中、私の不確実さの中に 留まらせてください」と言います - 「私は、余生の間、ウィンドウ ショッピングして回るでしょうが、 私は、きわめて深くこれに入る ことの危険が、見えます」と。 それが、私たちのほとんどにおける 実情ですか。 
40:37 質問者: はい。
40:40 質問者: 私たちは、明瞭さの 責任を、恐れます。
40:51 K: もちろんです。
40:59 質問者: 明瞭さの責任を 恐れることは、またもや 注意の焦点を、自己へ 合わせることです。
41:14 質問者: 彼は、こう言います - 「私たちが責任を恐れるなら、 またもや私たちは、注意の焦点を 自己へ合わせている」と。
41:19 K: いいえ。私は、問題への 違った接近の仕方を 指摘しようとしています。
41:28 質問者: 無知です。
41:39 K: 何ですか。無知。ええ、 私自身の利己性への無知。 質問者: 無知と、愛の欠如です。
41:44 K: はい。愛の欠如は・・・
41:50 私が利己的であるとき、なぜ私は、 愛について話しますか。後生ですから! 私の生全体が自己中心的 であるとき、どうして私は、 愛や神について話せますか - それらのものが何でも、です。
42:01 質問者: その切望は、完全性 ではないですか - すなわち、 頭脳は条件づけられていて、精神は 総体へ空っぽであることですか。
42:07 K: あなたは、私たちが自己中心的 であるとの中心的な事実から、 動いて、 離れつつあります。 私たちは、神へ動くかもしれませんが、 それはやはり自己中心的です。 中心からの拡張は、 やはり自己中心的です。 で、私は自分自身に言います - それは 可能ですか。 私は訊ねています。 対話です。 対話をしていて、自己 中心的でないことは、可能ですか。 自己中心的でないことの 含蓄は、何ですか。 もし私が意志により、そうするなら、 私はやはり自己中心的です。 もし私が、「私は自己中心的 であってはならない」と言うなら、 「あってはならない」は、やはり 自己の一部です。 ですね? 私たちはそれを見るのか どうかと思われます。 私は放棄できます - 私は、ではない。 自らは、資産、信念、 それらを、放棄できます。 何かを達成するための その放棄こそが、 この自己中心性の一部です。 ですね? 43:28 で、見出したいのです - 日々の 生を生きる道が、ありますか。 天国においてとか、或る種の 共同体において、ではなく、 私たちがいるところで、 私たちの日々の生において、 自己中心的であることなく、 生きることが、です。 これは、甚大な複雑な問いです。 理解されますか。 或る種の幻影、思想の中へ 逃避が、あってはなりません - 或る種の空想的な生活の中へ、では なく、実際の日々の生活です。 その中で、自己中心的な 行為が、起きないものが、です。
44:17 質問者: (聞き取れない)
44:26 K: 現在へ、あなたの完全な 注意を注ぐ。 質問者: 私たちはそれを生きなくては いけないんだろうな、って。 
44:29 K: ええ。
44:30 あなたがいう「現在」とは、どういう 意味ですか。 質問者: ちょうど今です。
44:36 K: ちょうど今。「ちょうど 今」とは、どういう意味ですか。
44:40 質問者: 今の瞬間の このわずかな点です。
44:42 K: あなたがいう、それらの 言葉は、どういう意味ですか
44:45 - 「瞬間」、「今」、 「現在」とは?
44:52 質問者: あなたは、「ちょうど今」を 少量、取って、それを割り、 それを割り、それを割りましたか。 
44:55 K: いいえ、いいえ。私は割っていません。 私は、言葉を割っていません。 私は、 きわめて深刻な質問を、しています。 あなたが、「今」と 仰るとき、 それは、過去もなく、未来も ない、という意味です。
45:17 で、戻りましょう - その中で自己が、 この自己中心的な活動が、終わる ところの生きる道が、ありますか。
45:32 質問者: まったく自己中心的な 活動なく、自己が 存在することは、 可能ですか。
45:39 K: 自己が、自らの活動なく、 存在することは、可能ですか。 その活動こそが、自己です。 自己が活動を持っていないなら、 それは死にます。 明白です。 それは、実質を 持ちません。どうぞ!
46:00 質問者: 事実は、私たちがそれが どういう意味かを知らない、 ということです - 自己中心的な 活動なく、生きることが、です。
46:08 K: 私たちは、 見出そうとしています。
46:12 質問者: 自己中心的な 活動とは、何ですか。
46:15 K: あなたは、自己中心的な活動が 何であるかを、知りませんか。
46:21 質問者: 実際に、っていう意味です。 K: 私は実際に示しています。
46:23 私の執着 - 私の妻へ、私の夫へ、 私の彼女へ、私の住宅へ、 私の信念へ、私の民族性へ、 私の経験へ、 私の教義へ、 私の神々へ、です。 私の信念、私の執着、 野心、傲慢などの私の活動、 そのすべてが、 自己中心的な活動です。 それは明白ですね。 
47:10 質問者: その根は本当は何ですか。
47:13 K: その根は、エネルギーです。 特定の方向へ流された この広大なエネルギーです - 野心(の方向)へ、貪欲、妬み、 暴力、信念(の方向)へ、です。 そのすべてが、これらをとおして 流された、これらのエネルギーです。 これのまさに中心こそが、 エネルギーです。 このエネルギーは、今、特定の 狭い制限された線に沿って 使われつつあります。 ゆえに、それは自己中心的です。
47:59 質問者: 私たちはこの点で、 どこに思考が入ってくるかを、
48:02 訊ねられるのでしょうか。 K: 私たちはそれへ来るでしょう、 マダム。 思考は、 この自己中心性の一部です。 私は、自分自身を 私の集団と、同一視します - 私の社会と、私の妻と、私の神と です。 私は同一視します。 同一視する過程が、この 自己中心性の一部です。 私はこれを言ってきました。 どうぞ、 私はこれを言ってきました。 それが真理なのか、 虚偽なのかを、見てください。 あなたは他の何かへ 跳びつきます。
48:37 質問者: このエネルギーは、どうにか 罠に掛かっていませんか。
48:41 K: よろしいですよ。それは、 あなたの欲望の罠に掛かっています。 あなたは、その終わりに どこにいますか。どうぞ!
48:48 質問者: 外への この常なる動きは、 本当に、一人であることの 恐れではないですか - 基本的に私たちのみんなが、 一人でありたくない、と。
48:57 K: はい。 この自己中心性の一部は、 一人であるのを 恐れることです - さびしさを恐れていること です。 ゆえに、一緒に集まれ。 何かへ執着しろ。 娯楽で楽しめ - テレビ、新聞、説教師、 神々、そうね、 娯楽で楽しむ。 フットボール。 それらは、すべて同じです。 大聖堂の娯楽でも、 フットボールの娯楽でも、 それらは同じです。 なぜなら、あなたたちはみんな、 娯楽で楽しみたいからです。 で、どうぞ、私が言っていることを ただ聞いてください。 後生ですから! あなたが受け入れなければならない のではない。 私たちは、 自分たちが自己中心的であるのを 見る地点へ、来たのです。 そして、そうでないことは 可能ですか。 
49:48 質問者: いいえ。
49:50 K: あなたは、「いいえ」と言います。 そのときあなたは、阻まれています。 あなたは自分自身が、それが可能で あるかを見出すのを阻んできました。 もし人が、「はい。 それは可能です」 と言うなら、彼もまた阻まれています。 「いいえ」と言う人と、 「はい」と言う人は、 どちらも、自分自身を 阻んでいます。
50:18 質問者: 私たちが、 この自己中心性の過程を 理解しようとできる、 たった一つの道は、 苦しみへ行き、それに留まり、 それについて何もしないことです。
50:30 K: そうしてください。あなたはそうして いますか。または、ただ話していますか。
50:33 質問者: 私はそうしています。 K: 頑張ってね。
50:36 はい。あなたがそうしているのが、 うれしいです。どうぞ、進んで・・・
50:45 質問者: 私たちは、自己中心性の様式を 見ますが、それは継続します。
50:54 K: で、私たちは、次の歩みへ 来ます。すなわち、 もしあなたが、この混乱の原因が 自己中心性であるのを見るなら、 もしあなたが、自己中心性を、その 無数の活動すべてとともに、見るなら、 そのとき、あなたは 何をするのでしょうか。 もしあなたが、「自己中心的でない ことは、可能でない」と言うなら、 そのときあなたは、それを あきらめます。 そうですね? しかし、あなたがまた、 「それは可能だ」と言うなら、 あなたはまた、それを助長した のです。 どちらも、同じです。 あなたがどちらをも捨て去り、それ から、「ほら、私は自己中心的だ。 見出そう」と 言えるなら、です。 「表現の一つは執着だ。 私の妻へ、私の家族へ、 私の神へ、私の信念へ、 私の意見、私の判断への執着。 そうね、何かへの執着だが、 私は、その執着から自由で ありうるのかどうか」と。 52:06 葛藤なく、放棄なく、 意志の行使なく、です。 なぜなら、それはやはり、 自己の一部であるからです。 あなたは、聞いてきませんでした。 どうぞ、これを聞いてください。 それはこういう意味です - あなたは 自分の執着を、観察できますか。 様々な種類のを、です。 妻や夫や彼女だけではない。 特定の観念へ、特定の意見、特定の 信念への執着だけでなくて、です。 執着している。 その執着こそが、含蓄しています - あなたはそれである、と。 理解されますか。 もし私が 執着しているなら・・・ ただお聞きください。 お聞きください。 もし私が、自分の家具に執着 しているなら、私は家具です。 理解されますか。 53:15 この単純な事実を 理解されますか。 なぜなら、家具なしには、 私は迷っているからです。 で、私は、これへ、あれへ、その他 へのこの執着を、観察できますか。 そして葛藤なく、動機なく、 ただそれを落とせますか。 質問者: どうやってそれをしますか。
53:41 K: お示ししてきましたよ。
53:44 あなたが「どうやって」と 訊ねた瞬間 - その理由をご覧になってください。 その論理を見てください - 私が「どうやって」と 訊ねた瞬間、 あなたは様式がほしい。 あなたは体系がほしい。 その体系こそが、 自己の表現です。 ちょっと、ちょっと・ ・・ マダム、二分間。 理解されますか。 私は、この混乱の 原因を、理解したいのです。 この混乱の原因は、 この自己中心性です。 この自己中心性の様相の 一つが、執着です。 私はこれを、きわめて 明らかに見ます - それの論理、 それの道理を、です。 私は、自分の理性を 行使してきました - 私の先入観をではなく、私の冷淡さを ではない。 私はそれを検討してきました。 その検討こそが、一定の智恵の 性質を、もたらします。 54:53 その智恵は、「終了した。私は 執着していない」と言います。 「私は執着していない」と言うのは、 あなたの意志ではありません。 それは、執着していることへの 観察をとおして 生じてきた智恵なのです - その含蓄すべて、 恐れ、嫉妬、心配と、 私が「苦しみ」と呼ぶ喪失へ (の観察をとおして)です。 そのすべてを、私は見ます。 それの観察こそが、智恵です。 質問者: それは、 理解でしょうか。
55:36 K: あなたが、「理解」という 言葉を、使いたいなら、です。
55:38 質問者: でも、私たちは、それを 十分明らかに、見ません。
55:41 K: マダム、あなたがそれを 明らかに見ないなら、なぜですか。
55:44 それは、あなたは聞こえてもいないし、 付いていってもいない、という意味です - あなたは興味を持っていない、 あなたは、散漫になっている、 あなたの注意が、十分に 探究にない、と。
56:06 質問者: 自らは、そのすべてを あきらめたくはないからです。
56:11 K: ああ、それなら、 取っておきなさい! それなら、取っておきなさい。 それを 取っておき、混乱の中に生きなさい。 誰も、何をも あきらめたくないのです。 私はあなたに、それをあきらめるよう 頼んでいません。 反対に私は言っています - あきらめることにより、あなたは 問題を解決しなかったのです。 あなたは、自分の信念を落とせますが、 あなたは問題を解決しなかったのです。 問題は、自己中心性です。 その自己中心性の表現の 一つが、執着です。
56:52 質問者: (聞き取れない)
56:57 K: 私はお願いしています - マダム、 他の要因を持ち込まないでください。 ただ、単純な要因を 見つめてください - すなわち、 自分は執着している、と。 そして、その執着の含蓄を 見てください。 仮に、自分が、女や男に 執着している、とします。 彼らはどちらも、互いに 執着し合うのが、好きです。 それは、彼らの性的な、 個人的な感覚的な要求です。 そして、どちらかに 何でも起きるなら、 自分は逃げ去るか、または 三年後、別の男を選択します。 そのとき それが始まります - 嫉妬、敵対や無頓着の 問題全体、です。 なぜなら、あなたはいつでも、別の 男や彼女を拾い上げられるからです。 いいですか?
58:03 質問者: 私たちはここで、心理的用語で 話していると、私は理解しますが、 実際に私たちは、心理的な 世界に、生きるだけではなく、 私たちは同じく、自然の 世界にも、生きています。 日常生活において、それは、 「心理的」と呼ばれるものより、 別の様相を持っています。 それは正しいですか。
58:24 K: いいえ。私たちはそうでない。 私たちは、両方の世界に生きています。
58:27 質問者: 私たちはそうします。同意します。 それが、私が言うことの含蓄です。
58:30 K: 私たちは、心理的な世界にも、 物理的な世界にも、生きています。 心理的な世界が、 物理的な世界を支配します。 物理的な世界は、 心理的な世界を支配しません。 あなたは、すべてのお金、すべての 食べ物、すべての車、あらゆるものを 持てますが、あなたは 不幸せであるかもしれません。 なぜなら、あなたの夫や妻が逃げて しまった、その他すべてだからです。
58:56 質問者: これは、ここで 私の混乱の根に、来ます。 私は画家です。 あなたが 執着について話されるとき、 私は心理的用語で、それの 愚かしさを理解しますが、 私は、自分の仕事の中で、自分自身を カンバスに実現しようとし、 自分自身をカンバスに載せよう、 絵画、絵を描こうとするとき、 それを執着と見ません。 私は、自分の 潜在能力を実現しようとします。 私は、意思疎通の線を 確立しようとします。 で、私はそれを 執着と見做すなら - おそらくそうです。 そこには一種の執着ですが、 別の意味では、それは 執着ではありません。
59:43 K: それは、執着では ありませんか。 あなたが、「私は自分の潜在能力を 達成したい」と言うとき、 私が偉大な成功者で ありたいとき、ですか。
59:54 質問者: いいえ。私は、成功と 潜在能力との間で、区別をします。
1:00:03 質問者: 彼は、成功と潜在能力 との間で、区別をします。
1:00:10 K: 潜在能力と充足との間の区別ね。 一分間、お待ちください。 気をつけて、「はい」と言わず、 ゆっくり行ってください。 あなたは、潜在能力と充足との 間を、区別しています。 あなたが潜在能力を持っている なら、それは作動するでしょう。 あなたは、その充足を 探し出しません。 あなたが、音楽へ一流の 感情を、持っているなら、 あなたは、働きつづけ、 働きつづけます。 あなたが、「私は充足 したい」と言った瞬間、 自己中心的な活動が、 始まります。 それは、大きな潜在能力を持って いるヴァイオリニストに、似ています。 彼は、自分自身を充足させる ために、その楽器を使います - 豊かになるため、有名になるため、 これやあれになるために、です。
1:01:09 質問者: はい・・・ (聞き取れない) 私たちはこの点で、 一緒にいます。 混乱と呼ばれるもの - それは、それが私たちの日常 生活でどう現れるのか、です。 私たちは、執着が自分の悲惨の 起源であることを、聞きます。 そのとき私たちが、自分のしている ことに何か執着があるのを、感知し、 それで自分たちが 混乱するなら、 私たちは、自分がしたいことを 先へ進めるのか、または、 私たちはこのように或る種の執着に 仕えているのかどうかを、知りません。
1:01:44 K: 私は、それはその 一部だけだと、言いました。 自己中心性はまた、 傷ついていきます。 心理的に傷つく。 それは、 自己中心性の一部です。 自己中心性の一部は、 暴力的であることです。 自己中心性の一部は、「私は 充足しなければならない。 私は能力を持っている。 私の 中には、一定の潜在能力があるし、 私はそれを表現しなければ ならない」、です。 その表現に 充足がないとき、 欲求不満、失望、憂鬱、 怒りが、あります。 そのすべてが、 自己中心性の一部です。
1:02:51 で、私はこう言います。あなたが この混乱を観察するとき - そして人は、この生き方を 受け入れてきました - すなわち、混乱に繋がるもの、 混乱を助長するものを、です。 私たちは、それと ともに生きます。 私たちは、けっして「それは 終わりうるのか」と言いません。 私たちがするすべては、それを どう終わらせるのかを、知らなくて、 私たちは、それより 逃げ去るのです。 私たちは冥想について知りたい、 私たちは神について知りたいのです - 不死があるのかどうかなど、 これ以外の何でも、です。 で、私たちは、対話の中で 指摘しています。 私は、あなたの権威では ありません。 私は演台に座っているけれども、 それは単に便宜です - それで、私たちは互いに 見えるように、です。 1:03:54 少し高くしてあることは、 自分に権威を与えません。 或る年、私はインドにいました。 きわめて有名な導師が、 自分の弟子を、送ってきました - 私に会いたくて、です。 弟子たちが、三日間来て、 言いました - 「あなたは来て、私たちの導師に 会わなければなりません」と。 私は、「すみません。 私は、どの導師を 探しにも、出かけません」と言いました。 ついに導師が来ました。 なぜなら、 彼は私に会いたかったからです。 私たちは、小さな台に 座っていました。 あれほど厚い 敷物の上に、です。 礼儀から、私たちは立ち上がって、 彼に敷物の上に座るよう、頼みました。 即時に彼は、導師になりました。なぜ なら、彼は少し高かったからです! 1:04:46 彼は私たちに、何をすべきかを 語りはじめました。 これを理解されますか - その不条理を、です。 で、私がそうしているように、 演台に座っていることは、 私に何も権威を与えませんが、私は ただ一定のことを、指摘しています - あなたが進んで、 聞こうとするなら、です。 すなわち、私たちの混乱の 私たちの原因は、 この甚大な、深く根づいた 意識的、意図的なのとともに、 無意識的な、利己性です。 自己中心的な活動です。 自らはそれを観察できますか - 親密に、関係においてだけではなく、 また私たちの仕事に おいても、です。 自らは、これがいつの時も 進んでいるのを、観察できます。
1:05:43 さて、どうぞ、ただ聞いてください - あなたが興味を持っているなら、です。 観察する。 それは どういう意味ですか。 あなたがその外側にいて、 覗きこむかのように、観察する - これを理解されますか - あるいは 観察者は、観察されるものです。 観察者と観察されるものとの 間に、分割がありません。
1:06:16 質問者: これは、私にはまさしく 明らかではありません - この分割は。
1:06:23 K: 何の分割ですか。私はそれを 明らかにしましょう。何時ですか。
1:06:28 聴衆: 1時まで25分です。
1:06:30 K: 私はこれを、きわめて 明らかにしましょう。 あなたが、山を 観察するとき - あなたがそれを 観察できるように、です - どんな様態で、あなたは それを観察しますか。 あなたは、山が ありのままに、見えますか。 または、「山」という言葉 - 言葉が、観察に介入しますか。 なぜなら、あなたが あのものを、見つめるとき、 言語的な反応が、即時に来る からです - 「あれは山だ」と。 で、あなたが観察するとき、 その言葉が介入して、あのものを 見つめさせなくします。 いいですか?  あれが 見えますか。あれは、単純です。 さて、同じように、あなたは 自分の反応を、観察できますか。 過去があなたに、「これは良い。 悪い。これは正しい。 これは間違っている」と言うこと なく、ただ観察する。 質問者: ラベルを貼らずに、です。
1:07:59 K: そのとおりです。
1:08:02 質問者: そのとき私は、私が何を 見つめているかを、知りますか。
1:08:05 K: 何が起きるかを ご覧ください。
1:08:09 自分は貪欲です。 あなたは、何かを見ます。 ドレス、ズボン、靴 - それが 何でも、です。 車、女や男。 あなたは見ます。 あなたは、過去の記憶がそれに介入 することなく、観察できますか。 過去が介入するとき、あなたは 実際に見ていません。 そうですね? 過去の記憶が、見ています。 今起きつつあることを、 実際に見ることが、 ありません。 で、観察者は過去です。 過去が、今起きつつある ことを、見つめています。 で、分割があります。 理解されますか。
1:09:48 質問者: 自らが一瞬間に その明瞭さを持っているが、 次の瞬間に持たないことが、 起こりえますか。
1:09:58 K: 自らが一瞬間、 明瞭さを持っているが、 別の瞬間、明瞭さを持っていないなら、 それは、明瞭さではありません。 明瞭さは明瞭さです。 いいえ、どうぞ、これを 終了してください。 あなたが一度、これの 原理を、理解するなら - 私に同意するのではない。 私は、それの論理、 それの道理を、指摘しています。 すなわち、私たちはいつも 過去から、見つめています。
1:10:34 質問者: 見ている人や者は、 それ自体、 過去、知識であると 仰っているのですか。 K: はい、そのとおりです。
1:10:42 質問者: あなたがそれを
1:10:44 「山」と名づけた前の瞬間に、 それは明瞭さでなかったですか。
1:10:53 K: なぜなら、私は、あなたの ために、それに名づけたからです -
1:10:59 それを標示するためですが、それを 言葉なく見つめるように、です。 質問者: いいえ。 でも、私が それを自分自身で見つめるなら、 あなたがそれを 言ってこなかったなら、です。
1:11:02 K: 私はあなたに、何かを お示ししようとしています。 あなたは、自分の彼女や自分の 妻や夫を、見つめられますか - どうぞ、聞いてください - 過去なく、過去の記憶、 過去の感受、過去の不和、 積み 上がったすべてなしに、です。 あなたは、彼女や彼を 見つめられますか - あなたが彼女についてか、彼について 築いてきた唯一のイメージもなく、 それができますか。 質問者: 一度もやってみたことがない。
1:11:42 K: 一度もやってみたことがない。
1:11:45 まったくそうです。 一度もやってみたことがない。 一分間お待ちください。 あのお方がちょうど今仰った ことを、お聞きください。 彼は一度もやってみたことがない。 それは、どういう意味ですか。 彼は過去を、当たり前と 取ってきました。 それは私の妻だ、 私の彼女だ、私の夫だ、と、 そこに関与した過去の 含蓄すべてとともに、です たぶん彼は - あなたが、ではなく、 私は申しているだけです - 蓄積された過去の出来事すべてに 気づいていませんでした。 それがイメージ、映像に なったのです。 それで、映像は、「私は、私の 妻を知っている」と言います。 教皇が「神は存在する」 と言うように、です。
1:12:46 質問者: あなたが 妻を見るたびに、 彼女が同じことをしつづけて いるなら、どうですか。
1:13:10 K: そうです。過去の 蓄積なく、観察できますか。 あなたが、過去の蓄積なく 観察できないなら、 そもそも観察することは、 可能ではありません。 しかし、私たちのほとんどに おいて、過去はこうも甚大です。 私たちの精神は重荷を負っているので、 私たちは過去なく、見られません。 何が実際に起きつつあるのかを 見られません。
1:13:52 質問者: 私たちは それをできますか。
1:13:54 K: で、見て、見出してください。 あなたがこれを、真実だと見出すなら - あなた自身で、です。 私は あなたに語っていません - そのとき、全然違った関係が、 起きつつあります。 それは、課業だけではない。 それは、過去がいつの時も作動して いる機械的な反復だけではない。
1:14:18 質問者: あなたが私たちに 質問されるとき、 記憶からの答えが、浮かんでくるし、 私たちはやってみる・・・
1:14:25 K: しないでください。 やってみないで、 ただ見てください - 記憶が いかに即時に跳び出す、 ぽんと出るかを、です。 で、あなたは それを見守ります。 これは、大変多くの探究と 注意を、必要とします。 それは、「まあ、私は これを暗記するだろう。 すると、他の何かが起きる だろう」だけではない。 あなたは、きわめて注意し、 見張っていなくてはいけません。 しかし、あなたが 観察するなら、 過去がいつも、現在に 出会っています。 現在の出来事が、 それ自体を修正し、 進んでいきますが、それは やはり、いつも過去です。 1:15:19 で、人は、このように 生きてきました。 偉大な科学者、 哲学者たちは、 知識が、人を進化させるであろう ただ一つのものである、と言います - 知識をとおした 人の向上、です。 すなわち、知識は いつも過去です。 で、私たちは言っています - 反対に、過去が 過去の知識すべてとともに、 自らの正しい所を持ち、 知られたものより自由である ときだけ、人は向上できます。 そのとき、動く自由が あります。
1:15:56 質問者: 私は、あの批評に おいて、真剣でした。 なぜなら、それは、 私の妻が機械的である、 ということかも しれないからです。 ゆえに、あなたが彼女を見つめる とき、あなたは、同じものを見ます。 なぜなら、本質的に、機械的な 様式は、同じであるからです。 私がいう意味を、 理解されますか。
1:16:14 K: 私は理解すると、 思いますよ。 私たちの精神は、機械的になった のです。 そうでしょう。 なぜですか。 そうね、私たちは これらを観察しません。 なぜ私たちの精神は、 機械的になったのですか。 私たちの職は、機械的になったのです。 いいですか? いいですか? 朝に起きる。 その他すべてです。 オフィス、課業、課業。 私たちの考え方は、 課業です。 水平にも、垂直にも、いつも 特定の線に沿って、 切望するか、 浮ついていく。 で、私たちの精神は、信念などの 溝に、捕らわれています。 で、あらゆる物事が、機械的に なったのです。 あなたのセックス、 あなたの野心、あなたの切望、あなた の神々、あらゆる物事が、機械的です。 あなたはそれを 悟りません。 で、何も新しいものが、 ありません。 で、私たちは、何かそれらに 反対のことを、言っています。 すなわち、観察者なく観察する - すなわち、過去なく、です。 ウズラさえも同意します!
1:18:09 質問者: でも、私が「あるもの」を 過去なく、観察しようとするとき、 そして、過去は 作動して・・・
1:18:19 K: そのとき、過去を 追いかけてください。 なぜ過去が作動するかを 見出してください - なぜ過去が私たちの生において こうも重要になったかを、です。 ご覧ください。 あなたが車を運転して いるとき、過去は重要です。ですね? なぜなら、あなたが、車に乗せられ、 ハンドルを持たされるだけで、 運転の技術を 知らなかったなら - それは、あなたが、常なる 反復により学んできたし、 それが、知識に なりますが - あなたは、運転することが できないでしょう。 あなたは、運転する かもしれません。 あなたは、自分自身を死なせるか、 他の誰かを死なせるでしょう。 1:18:59 で、言語での、 ビジネスでの知識、 日常生活の必要なことすべてを すること - 必要なことです - 知識は、重要です。 しかし、精神 - すなわち、 思考の動き全体ですが - それは、過去の知識、過去の経験、 過去の記憶から作動する過程です。 そのときそれは、 危険な道具に、なります - 人々を分割するもの、 人々を破壊するものに、です。
1:19:51 質問者: 言い換えると、冥想なしには、 生は、何の意味もありません。
1:19:58 K: 私たちが今していることは、 冥想の一部です。 これが冥想です - 自分の精神を すっきり晴らすことが、です。 ご覧ください。 もし私が カトリックであるなら、 私の冥想は、一つの特定の 様式へ、限定されるでしょう。 それは 冥想ではありません。 冥想は、何か制限を 持っていないものです。 私は、それらに 入らないでしょう。 あなたは、その中へ逃避したいの でしょう。 私はそうしません。 なぜなら、冥想することは、 とてつもない活動であるからです。 精神が完全に混乱より自由である ときだけ、それは来られます。 混乱した人は、冥想します。 彼の 冥想は、やはり混乱しています。 それが、超越のでも、 他のどの戯言でも、です それはやはり、混乱した冥想です - それは、幻影へ繋がるだけです。
1:21:19 これらの様々な導師が、何らかの 時に、私に会いに来たんですね。 私はただお話ししています - その面白さを、です。 大いなる者と、 小さな者が、です。 彼らはみんな、「あなたが仰って いることは、最大の真理です。 あなたが生きていることです」等を 言います - 「大いに光栄です」と。 そして彼らは、自分の道を 進んでいきます。 なぜなら、彼らは、 「すみません。 私たちは、 理解しない貧しい人々を助けなければ なりません」と言うからです。 ゲームを理解されますか。 いいです。それで十分ですか。
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