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OJ79D3 - 自由、愛と責任 home
第3回公開討論会
カリフォルニア、オーハイ
1979年4月17日


1:20 K: これは、 議論や対話です。 私たちは、何について 話しましょうか。
1:31 質問者: 先の日曜日、 私たちは、観察の芸術と 学びの芸術について話しました。 私には思えるのですが、 もしも私たちが、正しく それが何であるかを、見出すなら、 おそらく私たちは、毎年戻ってきて、 あなたに訊ねなくていいでしょう。 私たち自身が物事を 観察できるかもしれません。
1:48 K: もしも私たちが、あなたが いう聞くことの芸術、 観察の芸術、学びの芸術が どういう意味かを、見出せたなら、 もしも私たちが、 それを見出せたなら、 私たちは毎年、ここに 戻ってこなくていい。
2:08 質問者: 私たちは、それに ぐんぐん入れられるでしょう - 心理的な登録の意味に、です。
2:15 K: 心理的な登録。あなたは それに入るのでしょうか。
2:20 質問者: 愛と自由との間に 何か関係が、ありますか。
2:25 K: 愛と自由との間の 関係は、何ですか。 そもそも、何か関係が ありますか。
2:44 質問者: 心理的な死です。
2:46 K: あなたは、心理的な死に ついて、議論するのでしょうか。
2:51 質問者: 精神の静寂は 可能ですか。
2:58 K: 精神の静寂。
3:03 質問者: 生の意味。
3:09 K: 生の意味。
3:13 質問者: 平和と秩序について 話していただけるでしょうか。
3:19 K: 平和と秩序について 話をする。
3:22 質問者: 土曜日に あなたは、 「神が人を創造しなかった。 人が 神を創造した」と仰いました。 詳説して いただけるでしょうか。
3:32 K: 「神が人を創造しなかった。 人が神を創造した」と仰るのは、 どういう意味かについて、ともに 話し合ってもらえるでしょうか。 さて、これらの問いのどれを、 あなたは取り上げたいですか。 質問者: 愛と自由です。
3:55 K: 愛と自由。
4:03 質問者: 精神を静かにすることに ついて、話していただけるでしょうか。
4:11 K: 精神を静かにすることについて 話していただけるでしょうか。
4:14 質問者: 責任能力のある 実体が、ありますか。
4:39 K: 私たちの中に、 私たちの行為すべてに対して、
4:42 全的に責任能力のある実体が、 ありますか。そうですか。
5:04 質問者: または、責任能力のある 実体なしで、生がありますか。
5:08 質問者: セックスについて話して いただけるでしょうか。
5:11 K: セックスについて話す。 セックスについて話すべき何が あるのかを、私は知りません。
5:18 質問者: 責任とは何かについて、 話してもらえるでしょうか。
5:22 K: 責任とは何ですか。さて、 ちょっとお待ちください。 あなたたちは、1ダース ほどの質問を、されました。
5:41 質問者: 「問いへの真の答えは 問い自体である」と仰るのは、 どういう意味ですか。
5:52 質問者: 「問いへの答えは 問いである」と仰るとき、 それは、どういう意味ですか。
5:55 K: もちろんです。
5:57 質問者: ちょうど今、私たちを旅に連れて 行き、これを生じさせてもらえますか。
5:58 K: あなたたちが今朝、何についてともに 話したいと思うのか、私は知りません
6:07 - これらすべての 問いでもって、です。 あなたたちは、これら すべての問いの中で、 何が最も重要であると 考えますか。
6:23 質問者: 自由、愛と責任と、 それらがどう・・・
6:32 質問者: 自由、愛と責任です。
6:35 K: 自由、愛と責任 - それが、 あなたが話したいことですか。
6:41 聴衆: はい。
6:46 K: 私たちがいう「責任」 (レスポンシビリティ)とは、 どういう意味なのかと、 思われます。 その言葉自体は、応答する (レスポンド)、という意味です。 部分的に応答するのか、あるいは、 完全に、全体的に、です。 それが、その言葉の 意味です - 私たちの関係において 適切に、完全に応答する。 部分的に、 制限された形で、です。 私たちは、自らの関係に おいて、どう応答しますか。 関係は、接触している ことです - 部分的に、 全体的に、客観的に、 または、きわめて狭く、 個人的に、利己的に、ですか。 それが、責任(レスポンシ ビリティ)に、含蓄されています。 8:06 私たちがいうのは、どういう 意味かと、思われます - 言葉だけで、ではなく、 私たちが互いとの関係において、 どう内的に応答するのか、です。 私たちは、自分の性向に沿って、 他の一人へ応答するのか、 自分の傾向、欲望に 沿ってか、または、 私たちは、他の人たちの 欲望に、応答しますか - 他の人たちの体質に、 他の人の偏りに、か、 または私たちは、全的に、 全体的に、完全に応答しますか - 個人的、利己的で、狭く 制限されていることなく、です。 いいですか?
9:13 で、私たちが関係、 責任について、話すとき、 それが問いです。 そして私たちが、 自由について話すとき、 私たちがいうその言葉は、 どういう意味ですか。 一人一人が、その言葉を翻訳します - 自分の意見、経験に沿って、 自分の知識、条件づけ、 快や不快に沿って、です。 しかし、そのすべては、自由を表示 していますか。 私は訊ねています。 そしてまた、私たちが 「愛」について話すとき、 その言葉は どういう意味ですか。 国の愛、家族の愛、 美しいものの愛、 自分の妻、夫、子ども、 民族の愛、 神の愛、 美徳の愛、などです。 性的、感覚的 - そのすべてが 含蓄されています。 それで、これは、 ものすごい問いです。 それはただ、玩び戯れる べきものではありません。 私たちがいうこれら三つの 言葉は、どういう意味ですか - 愛、自由と責任とは? すみませんが、私には 聞こえません。
11:23 質問者: 愛は、それ自体のための 生の欲望に、関係しています。
11:35 K: いいえ。あなたが「私は あなたを愛している」と言うとき、 その言葉は どういう意味ですか。 そして、感覚的応答、 官能性、セックスの、 愛への関係は、何ですか。 よろしいですか。 そして、自由へは? それは、ものすごい 言葉です - 「愛」のように、 その言葉の内容は、です。 自由、です。 人が自由であることは、 可能ですか。 または、人はいつも、制限 された輪の中で、自由ですか - 人が自分の回りに 編んできたものの中で、です。 そして、「責任」(レスポンシ ビリティ)という言葉、 あなたは、何かすることを引き受ける なら、それをする責任を持ちます。 あなたは、それをしないなら、 罪悪を感じますか。 12:49 そのすべてが、その言葉「責任」 と「関係」に、含蓄されています。 これら三つの言葉、「愛」、 「自由」、「責任」 - それらは、分離していますか。 または、一つの全体ですか。 それらは、統一的な過程で、 全包括的ですか。 またはそれらは、三つの 分離した活動であるし、 人間たちは、三つを 統合しようとしていますか。 これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。 あなたがこの対話において、しよう と試みているのは、どれですか。
13:49 私たちは、 二人の友だちです。 麗しい朝に、 樹の下に座っています。 涼しいそよ風が 吹いています。 私たちは、これら三つのことに ついて、話しています。 私たちは、自らがどれほど 真剣なのを、見出したいのです。 なぜなら、これは、 私たちの生であるからです - 愛、自由、責任と、 世界における 平和の感覚です。 外的と、同じく 内的にも、です。 で、二人の友、 すなわち、発見へ、理解へ、 これら三つの生き方へ 参与している者たち - 分離してか、分割不可能な 全体として(生きる道に、)です。 私たちがしようとして いるのは、どれですか。 理解されますか。 私たちが実際にして いるのは、どれですか。
14:55 質問者: 私たちの自由と私たちの 愛は、いつも制限された愛であると 見えるのは、なぜですか。 私たちはいつも、輪の中にいて、 けっしてその中から 本当に抜け出さないのです。
15:11 K: この問いは、ものすごく 複雑です。理解されますか。 なぜなら、世界中、 あらゆるところで、 彼らは、個人性について 話すからです - 個人の愛、個人の表現、 個人の自由、 個人の責任、 などなどです。 個人は、こうも尋常でなく、 重要性を、与えられてきました。 個人に、「あなた」に (重要性が)、です。 そこに、私たちの文明は、 基づいています - 個人の自由、個人の表現、 個人の充足に、です。 16:02 それが、私たちが生きる ところの文化です。 そこに、私たちの すべての社会的応答、 経済的奮闘などが、 基づいています。 この個人概念全体は、 愛、自由、責任へ どんな関係を持っていますか。 よろしいですか。 これは、きわめて複雑な、 きわめて深刻な問いです - あなたがそれへ、十分に 入りたいなら、です。 あなたは、そうしたくない かもしれません。 あなたは、自分の注意と 気づかいすべてを要求する何かを、 気軽に掘り下げたいかも しれません。 で、私は、よろしければ、 ただお訊きしています。 私たちの文化が、個人性に 基づいているとき - 投票、選挙、 政府の仕組み全体、 選択の自由、個人の奮闘の自由、 個人の野心、個人の競争。 そのすべてが、 私たちの文化です - 宗教的に、社会的に、 文化的に、です。 17:36 個人の画家。 ヨーロッパの古い大聖堂は、 そうでなかった・ ・・ 個々人はいなかった。 彼らは、それを建てました。 誰がそれを建てたかのは、 知られていない、などなどです。
17:51 で、この問いは、私たちが それについて議論したいとき - 本当にこれに入りたい、 二人の友として、です - 私たちは、どこから 出発するのでしょうか。 理解されますか。
18:10 質問者: (聞き取れない)
18:17 質問者: あなたが、それに ついて自分の心から 言いたいことを言うこと から、出発しましょう。
18:23 K: ああ! 私たちは 二人の友だちです。
18:26 質問者: 私たちがこれら三つのことを全体 として見つめることは、可能ですか。
18:35 K: マダム、ご覧ください。 これが私たちの問いです。 個人、自由と責任、 愛です。 そして、個人、 「あなた」と「私」は、 これらの脈絡の中で、ものすごい 重要性を、与えられます。 あなたは、この問いに どう接近しますか。 友だちとして私は、あなたに お訊きします。 私は言います - 「ほら、あなたは、 この問いへ、どう来ますか。 あなたは、この問いを どう受け取りますか」と。 気軽に、ですか。 あなたは 何もすることがないから、 ゴルフコースが 一杯であり、 ゴルフコースには、あまりに 多くのプレイヤーがいるから、 それであなたは、「私はゴルフを する代わりに、樹の下に座って、 あなたに話をしてもいいかも しれない」と言う。
19:45 質問者: 私がきわめて真剣に お訊きしてもいいなら、 その問いは、どうして あなたの問いへの答えですか。 あなたは、何と 仰るのでしょうか。
19:53 K: もしあなたが私に 訊ねるなら、
20:02 語り手はその問いへどう接近しますか - そういうことですか。 質問者: その問いは、どうして 問いへの答えですか。
20:05 質問者: 問いが、 問いへの答えであるのは どのようにですか。
20:11 K: 問いは、こうです - あなたはどう接近しますか。 その上で、あなたが見出せるなら、 応答は正しいでしょう。 もし私がそれに 接近するなら - 私ではなく、もし誰かが、 もし自分が、それに接近するなら、 あなたがそれに、きわめて狭い 利己的な視点から接近するなら、 あなたの接近は、 制限されています。 ゆえに、あなたの答えは、きわめて、 きわめて制限されるでしょう。 なぜなら、それは、ものすごい 複雑な問題であるからです。 で、あなたの精神は、この挑戦に 出会う能力が、ありますか。 それに全体的に出会うのか、 部分的にか。 恐れている - 十分に答える中で、 自分の行為が、根本的な変化を もたらしかねない、と。 ゆえに、あなたは、恐れていて、 控えているのか。 よろしいですか。 これを見出すのは、とても重要です - 私たちが問いにどう接近するのか、です。
21:28 質問者: (聞き取れない)
21:48 K: 私は、個人を叙述して いません。それは事実です。 それが、私たちの文化です。 それが、あなたたちの文化です。 アメリカの文化、 アメリカの文明、 アメリカの成長、進化などは、 個人に基づいています - 個人的な達成、 個人的な成功、 個人的な競争、 個人的な創造性。 よろしいですか。 その すべてが、そこにあります。 そして、どうぞ、 その個人と 愛、自由、責任との間の 関係は、何ですか。
22:31 質問者: 問題は、自由、愛、 責任は、理想であるが、 まったく現実ではない、 ということです。
22:44 K: そのとおりです。 私たちのほとんどにとって、 自由、愛、責任は、 観念、理想だけです。 それは、まったく価値を持って いません - これらの理想は、です。 私たちの日々の生に実在するのは、 私たちの個人的な欲望、 個人的な性的要求、 個人的な自己充足への衝動、 その欲望において、私は自由に 充足できなければなりません。 それが、私たちが関心を 持っているすべてです - 愛、自由、責任について、 ではありません。 それらはすべて、 言葉だけです。
23:38 質問者: 私たちはその問いに 答えられないなら - なぜなら、その問いは、 私たちを、相対性の苦悩と 無意味さへ、投げ込むから - 問いに答えられない 自分の無能力の苦悩を、 私たちは、どう 取り扱いますか。
23:55 K: 私は、それをしています。 私たちは、見出そうとしています。 私たちは本当に、二人の 友だちとして、関心を持ち、 この事柄について 話し合っていますか。 あなたは本当に関心を持っていますか - 自分自身で見出すように、です まくし立てられたり、 説教されたり、 信じるようようにか、信じないように 説得されたりするのではなくて、です。 私たちは、こう言う準備が できていますか - 「ほら。 私は初めに、妻を ありのままに、見つめよう。 そしてそこから、 動こう」と。 質問を 理解されますか。
25:14 質問者: もしも二人の友だちが 出会って、彼らが友だちであったなら、 彼らは、互いの必要へ 敏感でないのでしょうか。 互いの全体へ、です。
25:22 K: おそらく、ね。 それは、この問いと 何の関わりが、ありますか。
25:34 質問者: それは愛が何であるのかです - 私たちがそれを知りうるかぎりですが。
25:41 K: 私たちはどうして できますか。 私たちはみんな、意見、 判断を、提供しつつあります。 見出しましょう。 あなたは 責任を持っていますか。 その言葉の十分な意味に おいて、他の一人へ、 あなたの妻へ、あなたの彼女へ、 あなたの彼氏や夫へ、ですが、 あなたは、全的に 責任を持っていますか。 それは、気づかいを 意味しています。 それは、注意、愛を 意味しています - その中には、個人的な 要求が、ないのです。
26:31 質問者: (聞き取れない)
26:39 K: はい。 質問者: (聞き取れない)
27:03 質問者: 集団の中の個人、 奮闘している個人は、 他の人々と、何も 関係を、持てません。
27:10 K: 明白にそうです。
27:16 質問者: 私は、関係に関与して いるし、私は痛みを見ます。 私はそれに、応答 (レスポンド)しはじめます。 そのとき思考が、 私の精神に、入ってきます。 私は、自分が十分に応答して いないことを、見ます。
27:36 K: まず第一に、 明らかでありましょう これは集団療法ではない、 ということです。 私たちは、自分の罪、自分の 過失を、互いに告白し合って、 互いに暴露し合って いないのです。 私たちは、私たち自身を 探究しようとしています - 私たちは何へ責任を 持っているのかを、です、 「責任を持つ」(レスポンシビル) - その言葉は、 応答(レスポンド)することを 意味しています。 感覚的に、知的に、 情動的に、ロマンチックに、 あなたの心から、あなたの 精神から、感覚的に、です。 さて、私たちは、他の一人への 責任に、気づいていますか - 親密でも、 親密でなくても、です。 その責任には、何が 関与していますか。 自分が家族を 持っているなら、 どうぞ、少しの間、私と ともに進んでください。 自分が家族、妻、子どもを 持っているなら、 あなたは、それらの子どもへ 責任を持っていますか。 29:02 あなたは、気づかう、 あなたは、彼らへ愛を持つ、 あなたは、彼らの健康に、 彼らの衣服に、 彼らの教育に、 関心を持つように、です。 あなたは、関心を 持っていますか - 彼らが健康な良い市民に なるように、です。 または、あなたは、彼らのために まったく時間を持っていませんか。 なぜなら、あなたは、外へ出ていき、 お金を稼がなくてはいけないからです - 男として、母親と父親として、 です。 彼らが今、そうするし、 子どものために、ほとんど 時間を持っていないように、です。 で、それは事実です。 で、あなたの責任は、 どこにありますか。 そうね、そういうわけで、 私たちはそれに向き合わないなら、 愛、自由、その他すべてについて 話すことは、何にもならないのです。 30:03 この国では、家族は壊れて しまいつつあります。ですね? 離婚。 男や、彼氏や彼女との 二、三年の性的関係の後、 それは、壊れてしまいます。 別の関係が、形成されます。 その中から、子どもが生まれるかも しれませんが、離婚があります。 それで、この「責任」(レスポン シビリティ)という言葉は、次第に その意味をすっかり 失いつつあります。 私たちが言っていることへ、 どうぞ、注意を払ってください。
30:39 質問者: もし私が、 友だちへ話しているし、 私は、必要を知覚するなら - 私はこの友だちに見ます。 私の友だちは必要を 持っている、と。 これは、私自身が必要を 持っているからですか。 またはこれは、責任ですか。
30:57 質問者: 私が友だちに 必要を見るなら、
31:10 それは、私の必要ですか、 彼のですか。 K: 仮に、です - 私はこう 言っていません - 仮に、 私は聴衆が必要なら - ここのように、私の充足のため、 私の楽しみのため、ですが、 あなたは、私が自分の楽しみを充足 するのを、助けてくれるでしょうか - 私が話をできる、大きいか小さいかの 聴衆を持ちたいとの私の欲望を、です。 あなたは、私を助けて くれるでしょうか。 または、あなたは、「ばかなことは 止めろ」と、言うのでしょうか。 そのとき私は、あなたたちを 使っています - 自分の満足のため、 自分の栄光のため、自分の 栄達などのために、です。
32:07 彼は質問をしました。それを終了 させましょう。あなたたちはみんな・・・
32:08 どうぞ、一つのことに拘ってください。 どうぞ、してくださるでしょうか。 すなわち、私たちは、自分たちが生きて いる大地へ、責任を持っていますか。 理解されますか。 樹々、山々、 川や海、林と、 土地の美しさ、 それを維持すること。 または私たちは、次第にあらゆる 物事を、破壊しつつあります。 なぜなら、私たちは、もっと 多くの車、もっと多くの楽しみを 持たなければならないからです - もっと多く、もっと多くと。 あなたは、これらすべての ことに、向き合われません。
32:56 質問者: 私は、特別の 責任を、感じるなら - 私の妻や子へ、私の 一欠片の土地へ、ですが - それは、全体への私の 責任を、拒否しますか。
33:05 K: いいえ。反対です。 聞いてくださる でしょうか。 責任感と、何かへの 責任感が、あります。 二つの違ったことが 見えますか。 すなわち、自分は、この木立に、 この美しい所に、責任を感じます。 または、あなたは、 責任を感じます - あなたは、道路を歩いていく とき、責任を感じます。 投げ捨てられた紙切れを 拾うように、です。 あなたは、責任を感じます。 で、どこにいても、 あなたは、まわりのあらゆる 物事に、責任があります。 しかし、あなたが単に、この一つの 小さなものに責任があるだけなら、 その責任は、きわめて狭くかなり 見かけ倒しで小さな意味を、帯びます。
34:19 質問者: 愛、自由、責任の 最大の行為とは、何ですか。
34:24 K: 私はそれを、あなたに お示ししています。 お訊きしていいなら、 あなたは、 あなたは、そのように 責任を感じますか - 自分の子どもへ、だけではなく、 人類の全体へ、です。 あなたが子どもを持って いるなら、ですが、 あなたは、それらの子どもへ 責任を感じますか。 彼らが正しく教育されて、 彼らが戦争で殺されないように、 彼らが凡庸にならないように、 見届ける。 ああ、あなたは、これらに 興味を持っておられません。 で、お訊きしますが、あなたは 何に、興味を持っていますか。 それは、正当な問いであると、 私は思います。 あなたは、愛、自由と、 空の美しさについて、話せますが、 それは、外側の興味だけです。 基本的に、私たちは、何に 興味を持っていますか。
35:41 質問者: 私たち自身に、です。
35:42 K: そのとおりです。あなたは、あなた 自身に、興味を持っていますね。 お待ちください。 完璧に正しい。 一人一人が、自分自身に 興味を持っています。 私たちの社会、文化、宗教は、 それに、基づいています。 一人一人が、自分自身に 興味を持っています - 自分の前進、自分の表現、 そうね、その他すべてに、です。 自分の自己中心的な活動は、自由へ どんな関係を持っていますか。 理解されますか。 私は、自由でありたい。 自分は、自由でありたい。 進んでください。 考え抜いてください。
36:45 質問者: (聞き取れない)
37:11 質問者: 彼女は、自分自身への 責任と、全体への責任との間に、 関係があると、 言います。
37:20 K: 自分自身への責任と、 全体への責任。 あなた自身とは、 何ですか。 どうぞ、それに、その一つのものに入って ください。 あなた自身とは何ですか。 あなたは、あなたの親の 結果ではないですか - 遺伝子的に、遺伝ですが。 あなたは、自分の文化の、 自分の宗教の、 すべての文学などの 結果ではないですか。 あなたは、それです。 ヨーロッパ人は、それです。 インド人は、それです。ですね? 彼らは、自らの環境の、 自らの文化の、自らの宗教の、 自らの社会的、経済的条件 などの結果です。 それらが、私たちが生きるところの この社会を、生産してきたのです。 あなたは、人間として、 私たちがみんな一つであることを、 悟りますか - 基本的に、です。 38:50 観念として、ではなく、 事実として、です。 なぜなら、あなたは、インドへ 行くとき、人々の悲惨、混乱、 心配、絶望を 見るからです - 自らが創り出してきた自分たちの 些細な小さな神々へ、駆けつけます。 あなたがヨーロッパへ来るとき、 それは、まったく同じことです。 彼らは、自分のイエス、自分の キリストを、持っています。 彼らは駆けつけます。 よろしいですか。 経済的な状況 - 彼らは、飢えています。 彼らは、悲惨で、 不幸せです。 無秩序です。 あなたは、ここに来ます。 それはまったく同じです。 で、あなたは、責任を持つなら、 人類すべてへ、責任を持ちます。 理解されますか。
39:37 質問者: 人類は基本的に 一つであると、仰るとき、 それは、条件づけは基本的に一つ である、という意味ですか。 または、条件づけを越えて、 私たちは一つであるのですか。
39:50 K: いえ、私は、条件づけに拘って います - 越えて、ではない。 あなたは、自分の条件づけより 自由であるときだけ、 何が越えているかを、 見出せます。 で、それを悟るなら - すべての人間は、この とてつもない悲惨、混乱、 心配、悲しみを世界中で経ていく ことを(悟るなら)、です。 理解されますか - 世界中で、です。 あなたが、それを 経ていくのではない。 あらゆる人間が、それを 経ていきます - アフリカ、シナ、オーストラリア、 ここ、あらゆるところで、です。 あなたもまた、それです。 あなたは、そのすべての部分です。 で、あなたが、責任を 持っているなら、 あなたは、その意味で、人類 すべてへ、責任を持っています。
40:54 質問者: 無責任さは、個人性への 奮闘と、連携していますか。
41:02 K: はい。そのとおりです。 質問者は訊ねます - 無責任さは、 個人の充足への奮闘ですか。 それが、無責任なのですか。 明白に、そうです。 理解されますか。 初めに、言語的にではなく、 あなたの心に、あなたの血に、 あなたの考えること 全体において、悟る - すなわち、 世界中で人間たちは、 自らが経ていくのと同じ苦悩を 経ていくことを、です。 さびしさ、絶望、 憂鬱、 とてつもない不確実さ、 不安全、 彼らが一万マイル離れて生きて いても、二千マイルでも、ここでも、 彼らはみんな、心理的に、 一緒に結びついています。 自らがそれを深遠に悟るなら - あなたの腹で、あなたの血で、 あなたの心で、あなたの 精神で、です - そのとき、あなたは 責任を持っています。
42:20 質問者: 私たちが自分たちの責任を 見るのへ立ちふさがるのは、何ですか - 責任を見るだけではなく、 愛を見ることをも、です。
42:32 K: 見るのではない。初めに、 このものすごい事実を、悟りますか。 マダム、ご覧ください。 あなたがそれを 悟るなら、あなたの行為は何ですか。 質問者: 私は、それを悟るとき、知る でしょう。 
42:49 K: いえ、いえ、いえ。
42:51 あなたが、自分は何々夫人、もの すごい個人でないことを、悟るなら - 心理的に、内的に、あなたは 残りの人類に、似ています。 あなたはブロンドかもしれません。 肌が 白いかもしれません。黒いかもしれません。 あなたは褐色、黄色なのかもしれません。 または、それが何であっても、です。 内的に私たちは、 みんな類似しています。 外的に私たちは、 相違しているかもしれませんが。 それを悟るなら、 あなたの行為は何ですか。 あなたは何をするのでしょうか。 あなたの責任は、何ですか。 そのときあなたは、単純な 質問をしないでしょうか - 私に、これを見る人物に、 それは可能ですか。 その人物は変化することが 可能ですか。 流れに従わないで、です。 44:09 それが、中心的な問いです。 それが責任です。 なぜなら、自らが 根源的に変化できるなら、 そのときあなたは、もはやその 流れに、寄与していないからです。 その川に、 その混乱の海に、です。 それ(海)は自己充足です。 よろしいですか。 私は、もっと 良くならなければならない。 私はこれをしなければならない。 私は もっとお金を持たなければならない。 私は、水泳プールを 持たなければならない。 私は持たなければ ならない・ ・・と。 そうね、進んでいく、 他のすべてのことです。
44:48 質問者: ここには、 困難があります - 私たちの幾人かは、私たちは 変化しなくてはいけないことを、 たぶん知的に理解します - なぜなら、 私たちは、残りの世界であるからです。 が、そのとき、私たち個人の変化したい との欲望を、連携させることは・・・
45:08 K: ああ、いいえ。いいえ。それは 個人の欲望ではありません。 これは重要です。 理解されますか。ご覧ください。 言語的に、知的に自分は 理解するかもしれません - 心理的に、私たちはみんな 類似していることを、です。 それは、たやすく論理的に、合理的に、 言語的に明らかでありえますが、 その言語的な明らかさは、 それの感じではありません。 理解されますか。 言語的な発言、 論争、推理の後の受け入れは、 あなたが世界であるとの 事実や感じではありません。
45:56 質問者: そのとき、何が自分を して、この気質を越えさせますか。
45:59 K: 待って! 初めに、私は それを悟らなければなりません。 初めにそれは、絶対的な、取消 不可能な真理でなければなりません。 そのときあなたは、訊ねます - 私の 責任は何ですか、と。よろしいですか。
46:18 質問者: 責任は、世界が何であるを 見て、理解することです。 あなたが世界であるなら、 あなたは、 私である実体が何であるかを、 理解し、見ますか。
46:33 K: 実体とは何ですか。 世界とは何ですか。
46:36 質問者: 自分の責任は、 世界である実体が何であるかを 見ることです。
46:42 質問者: いえ、すみません。それは、 世界が何であるかを理解することです。
46:56 K: ちょっと待って。それは、きわめて 単純です。世界とは何ですか。 外の世界があるし、 内の世界がある。 いいですね? 外の世界。 あなたは、何が 起きつつあるかを、ご存じです。 私は、外の世界を 叙述しなくていい - すべての混乱、怒り、 嫉妬、傲慢、 自己充足、戦争と ともに、です。 あなたたちが、ここで戦争をして いるのでも、ヴェトナムで、でも、 それは、この地上での 戦争です。 そして内的に、私たちは混乱して います。 私たちは不幸せです。 私たちは不快です。 私たちは 利己的です。ご存じです。 で、この内が、外を 創り出してきました。 そのとき外が、内を 助長します。 ですね? それは単純です - この事実は。 で、私は言います - このすべてを 見て、あなたの責任は何ですか。
47:59 質問者: 私たちの責任は、私たち 自身に、変容をもたらすことです。
48:05 K: あなたは、ありません。 「あなた自身の変容」 - あなたは、このことを 理解なさっていません。
48:13 質問者: 「観察者は観察される ものである」が、鍵です。 なぜなら、観察者が 観察されるものであるなら、 そのとき、私の精神の中の 怒りは、怒りを見つめるし、 それでそれは 終わりです。
48:26 K: もしあなたが、あなたは 本質的に、心理的に、 残りの不幸な人類に似ている ことを、悟るなら、 あなたの応答 (レスポンス)は、何ですか。
48:47 質問者: 変化することです。
48:51 質問者: なぜ私がないのかを 観察することです。
48:55 K: よろしいです。あなたが それを観察するし、 あなたは変容をもたらさなくては いけないことを、悟るなら - よろしいですか? - なぜあなたは、 それをしませんか。
49:15 質問者: 私は十分な間、それに 留まらない、って思います。
49:21 K: あなたは、生計を立てるために 自分の職に十分の間、留まります。 あなたは、何年も何年も 何年も、過ごします - お金を得るため、 その他すべてで、です。 なぜあなたは、これで 一日を過ごしませんか。 私がいう意味を理解されますか。 見出すよう、時間を掛けるのです。
49:43 質問者: 人々は、本当の 必要を、持っています。 私たちの責任の一部は、それらの必要の 幾つかに応えることだと、思います。
49:58 K: もちろんです。私たちはそれを 言っています。私たちは同意しました。 が、もしあなたが、 自分の時間すべてを過ごし、 - 自分の必要物を取得して、 自らがそうするように、です - おそらく、この人類の悲惨を 時折、ちらりと見るのなら、 まあ、あなたが時折ちらりと見る のは、ほとんど価値がありません。 質問者: 愛は、自由なしに存在 できますか。
50:30 K: 何ですか。
50:39 K: 愛は、自由なしに 存在できますか。 あなたがいう自由とは、 どういう意味ですか。 あなたたちは、この国に 自由を持っています - あなたがしたいことを するように、です。 いいですか? そうです。 あなたたちは、言論の自由、働く機会を 持っています - そうしたいなら、です。 或る種の仕事、庭師、工場、 料理人、どの種の仕事でも、 あなたたちはここに、それを する機会を、持っています。 あなたは、職に就くために、自由に 一所からもう一所へ、行けます。 あなたは自由に、好きなことを考え、 考えることを表現できます。 51:31 人々は聞かないかもしれません。それは 別の事柄です。あなたは自由です。 が、ロシアへ行くと、 そうではありません。 で、あなたがいう自由とは、 どういう意味ですか。 選択の自由ですか。 あなたがしたいことを 選択する自由。 あなたは今 そうしています。 それが自由ですか - 選択することが。 明らかであり、 正しく見る人 - 彼は選択しません。 何も選択は ありません。彼はそれをします。 で、選択は、自由の 拒否なのかもしれません。 これらをお分かりに なりませんね。
52:38 質問者: すみません。私たちは、 私たちは世界であるとの あなたの発言の中心点を、 見逃すと、思うんです。 私は、それが 中心点だと、思います。
52:49 K: はい。 この議論の中では、ね。
52:53 質問者: はい。理解は 知的なように思われます。
52:58 K: で、それが言語的、 知的であるなら、 あなたは、どう 見出すのでしょうか - この真理を、単に言語的にしないで、 です。 よろしいですか。 あなたは私に、何かきわめて 深刻なことを、語ります - 何かきわめて、きわめて 重要なことを、です。 あなたは、それを 私に、伝えたい。 あなたは、言わなくてはいけない ことを、言葉で表現します - 明らかで、 精確で、現実的です。 あなたが使用した、あらゆる 言葉の意味が、です。 私はそれを受け入れます。 私は、 「あなたは完璧に正しい」と言います - 「私は、あなたの道理、 あなたの論理が、分かります。 明瞭さがあります。 その裏に 健全さがありますが、 それはすべて、この上にあります。 私はそれを感じません。 54:01 私は、「おやまあ。これは 何と真実なんだ!」と言いません。 私にとって、 単なる言語的表現と、 言語的発言の明瞭さは、 ほとんど意味がありません - 私がそれを生き、それの 真理を見出さないなら、です。 で、それが、とりわけ、 私たちの困難の一つですか。 それが、私たちの 困難の一つですか - 私たちがこうもひどく 言語的になってしまった、 その意味で、表面的に、知的に なってしまったことが、ですか。 自分は言葉をきわめてすばやく 理解し、それでやっていきます。 私たちの探究には、何も深さが ありません。 そういうことですか。 質問者: 私たちの探究に、深さが ありません。 
55:02 K: はい。
55:04 あなたは、この探究の深さを どう取得するのでしょうか。
55:14 質問者: おそらく、なぜかを理解 しようとすることによって、です - 何が私たちに立ちふさがっているのか、 なぜ私たちはそれに干渉するのかを、です。
55:27 質問者: 私たちは習慣的に、結論を もって、問いに接近します。 私たちは、表面的に 結論がほしいのです。 または私たちは、表面的な 水準で、結論を見つけないなら、 そのとき、他の誰かが私たちのために 問いに答えてくれるのを、待ちます。
55:42 K: そのとおりです。 そうね、私はあなたに、 物語をしたいのです。 あなたは、それを 聞かれるでしょうか。 物語 - 面白いとか 深刻な物語ではなく、 私はあなたに、何かを語りたい。 あなたはそれを聞かれるでしょうか。 耳で聞こえるだけではなく、 聞く - すなわち、言葉の意味、表現の 意図、その裏の感じを、です。 それで彼は、あなたに 何かを、語りたいのです。 あなたはそれを、 自分の心でもって、 精神でもって、完全に 聞くのでしょうか。 またはあなたは、「はい、 私はあなたに同意します。 あなたが言うべきことに」と言うの でしょうか - 「すてきな朝です。 私は、自分の日常生活に戻ろうと しています」と。よろしいですか。
56:53 あのお方は、この問いの始まりに お訊きになりました - もしも私たちが真剣に、議論 できたなら - 聞くことの芸術、 見ることの芸術、学ぶことの 芸術について、です。 もしも私たちが、 それに入られたなら、 私たちは、必死に 見出したいのです。 理解されますか。 もしも私たちが それに入られたなら - 表面的にではなく、 そのまさに深みへ、です - おそらくそれは、私たちの問題を 解消するかもしれません。 なぜなら、そこには、 一緒での大変多くの注意、 大変多くの了解が、 関与しているからです。 私は聞けません - 自分の声を 永遠には聞けません! で、私たちは、それに 入られるでしょうか - あなたが、愛とは何か、 自由とは何か、 責任とは何かとの 質問をする前に、です。 58:18 あなたは私に、何か真実な ことを、語るかもしれませんが、 私は、それを受け取る能力が ないかもしれません。 私は、あなたがいうそれがどういう 意味かを、知らないかもしれません。 私は、あなたに 聞かなければなりません - 共感をもち、同情をもち、 慈しみをもち、気づかいをもち、 本当の深い注意をもって、あなたが何を 言っているかを、見出すように、です。 そうね、あなたは、小さな 子どもを、持っているなら - あなたに物語をしたいとか、何が 自分に起きたことを語りたい子を、です - あなたは、気づかいをもって 聞くのでしょうか。 またはあなたは、自分のコーヒー 沸かし器で、自分の野心で、 自分の夫の喧嘩で 忙しいので、 聞くための時間を 持っていないのですか。 質問を理解されますか。 あなたは、その子に 聞くのでしょう。
59:21 質問者: (聞き取れない)
59:24 K: いいえ。どう聞くのかを 見出してください。 条件づけ、ではない。 あなたは、その子に 完全に聞くのでしょうか。 または、あなたは 時間がないのですか。 あなたの娘に、 あなたの息子に、です。 彼はあなたに、何かを 語りたいのです。 あなたは、気軽に 聞くのでしょうか - その子は、あなたが気軽に 聞くのを、知っています。 それで彼は、あなたとの 触れ合いを、即時に失います。 彼は、あなたを信頼していません。 なぜなら、あなたは、 あなた自身に関心を持っている、 その他すべてであるからです。 で、彼は、他の誰かへ行きます。 または彼は、あなたから逃げ去ります。 よろしいですか。これは、起き つつあります。後生ですから。 1:00:22 で、あなたは、聞くことの 芸術を、学ぶのでしょうか。 私たちが先日、言いましたように、 「芸術」(アート)は、 あらゆる物事にその適切な所を 与えることを、意味しています。 理解されますか - あらゆる物事に その適切な所を、です。 その言葉(アート)は それを意味しています。 そのとき私は、聞きたい - つまり、聞くことの芸術です。 あなたが、誰かに 何かを、言いたいとき、 あなたは、完全な注意を 払うでしょうか。 または、それは 部分的な注意ですか。 興味なく気軽に 聞くことですか。 またはそれは、「どうぞ、私は 理解したいのです。 後生だから、 あなたがいう意味を、私に教えて ください」と言うことですか。 それであなたが、言われつつあることへ 十分に完全に注意深いように、です。 1:01:32 よろしいですか。 解釈するのではなく、 「私は同意しないな」と 言って、行ってしまい、 他の何かについて 話すのではなくて、です - 彼があなたに、「私はあなたを愛して います」と語っているときに、です。 あなたは、 聞くのでしょうか。 または、それがあなたに満足を 与えるとき、聞くだけですか。 または、何かあなたに楽しみを与える だろうことが、言われるとき、です。 あなたは、あなたを傷つけたい 人に、聞かないでしょう。 で、よろしいですか。 聞くことは、ものすごい 注意を、含蓄しています。
1:02:25 質問者: あなたは、雑談を たくさん聞くのでしょうか。
1:02:33 K: あなたは、雑談をたくさん聞くの でしょうか。それは場合に拠ります。 私は個人的にそう しないでしょうが・・・
1:02:43 質問者: 二種類の聞く ことが、あります。 あなたは、自分が何を聞きたいのかを 決断しなくてはいけません。
1:02:47 K: ああ! それなんです。 もしあなたが、自分が何を 聞きたいのかを、決断するなら、 あなたは、聞くことを すっかり止めてしまいます。
1:03:00 質問者: どうすれば違いを 言えるのですか。 その人が言ったように、「雑談とは 何ですか。意義がなく・・・
1:03:06 K: あなたたちはみんな、 雑談をしています。 ゆえに、私は 気軽に聞いています。 しかし、あなたが 真剣であり、 「ほら、私は何かを 理解したい」と言い、 完全に注ぎ・ ・・ 「教えてくれ!」と。 そのとき、私たちは 互いに出会えます。 そういうわけで、です。 あなたは物語を憶えていますか - あなたがそれに入るなら、 まったくとてつもない事実です。 あなたは、ブッダ、仏教について 聞いたことが、ありますね? 紀元前500年の ブッダです。 彼は、愛とその他すべてに ついて、話しました。 キリストよりはるか前、 はるか昔に、です。 彼は五十年間、 説法をしました。 彼は、大勢の中でも、本当に 理解してくれた弟子を、 二人、持っていました - 知的に ではなく、理解してくれ、 彼とともに生き、彼の深さ、 彼の美しさを、了解したのです。 彼らは毎日、彼の話を 聞きに来ました。 1:04:20 彼らは、「私はあなたに聞きましょう かね。私はすべて分かりました」 と言って、 去ってしまいませんでした。 彼が言っていることに、美しさが あったから、彼らは来ました。 これらの二人の弟子は、彼が 亡くなる前に、亡くなりました。 それがどういう意味かを 理解されますか。 あなたが理解されるの どうかと、思われます。
1:04:45 で、みなさま。 あなたたちは、どう 聞くのかを、学びたいですか。 そして、 見ることの芸術 - 何かを見る。 樹々、丘、 山、あなたの妻、 あなたの友だちを、です。 それが何であっても、です。 まるで初めてかのように、 それを見る。 課業ではない。 慣れ親しんだ顔を 見つめる。 まるであなたが、初めての瞬間、 出会っているように、それを見つめる。 それは、あなたがその人物について 蓄積してきた記憶すべてが、 落ちてしまったときだけ、 可能です。 そのとき、あなたは見られます。 理解されますか。 私たちは、学びの 問いへ、入りました。 1:05:54 あなたは、それに 入ってきたなら、 それがどういう意味かを 見出すでしょう。 単に知識の蓄積と その知識から行為すること だけではない学びです。 ゆえに、(知識からの)その 行為は、いつも常に不完全です。 ゆえにそれは、いつも後悔、 混乱、悲惨を、もたらします。 私たちは、違った学びの 道があると、言いました。 それは、記憶の 行為ではありません。 私たちは少し、 それに、入りました。 で、このものを学びたいなら、 あなたは、ひどく真剣になります - 一時間でさえも、です!
1:06:44 質問者: 人がどう神を創造したのかを 説明してくださるでしょうか。
1:06:55 K: 人がどう神を創造したのかを 説明してくださるでしょうか。
1:07:00 質問者: 私たちが聞けないなら、あなたの 説明が、何になるのでしょうか。
1:07:07 K: マダム、あなたは、 ご自分が指摘なさったように、 あなたは、何と仰るのでしょうか。 もしもあなたが、 自分の宗教により、自分の恐れにより 条件づけられていなかったなら、 あなたは、神について 何と言うのでしょうか。 もちろん、神は、 すばらしい投資です。 あなたは、神について説教し、 お金をたくさん稼げます - 彼らが しているように、です。 で、どうぞ、よく気をつけて、 これを聞いてください。 インドで彼らは、一通りに条件づけ られています - 理解されますか。 彼らは、違った神々を 信じています。 ヨーロッパへ来ると、 彼らは、一定の神と、 神の息子を、信じています - 絶対だ、などと、です。 そして、全く一度もキリストに ついて聞かなかった人々が、います。 彼らは、「彼がそうなら、何なのか?」 と言います。「彼は誰なんだ。 1:08:17 私の神のほうが、 あの男より重要だ」と。 で、それはすべて、あなたの 条件づけに依存します。 そうですね?  自らは それが見えません。 精神が、その条件づけより自由 であるとき、神とは何ですか。 で、そういうわけで、人は自分の恐れ の中から、自分のさびしさの中から、 自分のとてつもない救い ようのない状態の中から、 「私を保護してくれるだろう何かがなけ ればならない」と言うのです。 ですね? 父親像 - 何かを 彼は崇拝します。 それで人は、神を 創造します。
1:09:15 で、私たちは、 その点に来たのです - 何時ですか。
1:09:20 質問者: 1時まで25分です。
1:09:26 K: で、あなたは、話し 合っている二人の友として、 彼らは、互いに 聞き合っていますか。 私たちは、互いに 聞き合っていますか。
1:09:39 質問者: あなたの問いはどうですか - あなたの問いへの答えは?
1:09:46 K: あなたは、それに 戻ろうとなさっています。 ご覧ください。 私は昨日、 いいえ、一昨日、訊ねました。 私たちは、言いました - 悲しみの根本原因は、何ですか。 理解されますか。 悲しみは いったい終わりえますか。 私たちは、その質問を しました。 個人的な悲しみだけではなく、 人類の悲しみ、 人類の集合的な悲惨も、です。 もしも自分がそれに答えたなら - 理解されますか。 根本原因です - あなたは「はい、やりましょう」と言う でしょう。 それは論議になるでしょう。 私は、それに入るでしょうし、 あなたは、 「私はどうしてそれを乗り越える ことになるか」と言うでしょう。 1:10:41 言い返す。よろしいですか。 が、もしもあなたが、 自分の心と精神すべてでもって、 本当にその質問をしたなら、 その問いこそが、 答えるでしょう。 なぜなら、問いの中に 答えが、あるからです - 問いの外側に、 ではありません。 ご覧ください。 悲しみの 根本原因は、何ですか。 それが問いです。 それが挑戦です。 あなたは、それに どう応答しますか。 あなたは、「私は知らない」 と言うのか - それは、論理的で健全でしょう。 「私は知らない」と。 なぜなら、あなたは、そういう質問をした ことさえないかもしれないからです。 1:11:42 しかし、あなたがここにいるなら - あなたはここにいてくださっているし、 あなたは、「その根本原因は 何ですか」と言うなら、 私はお話ししましょう。 私は お話しできますが、何ですか。 それは、知的になるでしょう。 そのときあなたは、 「そのとおりであるなら、私を 助けてください」と言うでしょう。 または、このものよりどう自由 であるかを、見出すでしょう。 またもや、私たちは・ ・・ よろしいですか。 あなたが、自分の 意図すべてでもって、 自分の真剣さすべてでもって その質問をするなら、 そのとき問いは、 開示しはじめます。 質問者: で、そのとき、 それはすべて、
1:12:24 あなたが見出す中で、どれほど 気づかいを持つかに、煮詰まります。 問いが何であるかは構いません。 それが突破口です。
1:12:34 K: いいえ。問いは、ばかげていて、 きわめて個人的なのかもしれません。 きわめて表面的とか、無意味な 問いなのかもしれませんが、 このような深刻な 質問をするなら - 人類は、あなたは人間として、 残りの世界に関係していますが、 あなたは人間として、自分の悲しみを 終わらされるかどうか、です。 それは、悲しみの根を発見する ことを、意味しています。 そのときあなたは、 きわめて深刻な問いへ、 ものすごい注意を 注がなくてはいけません。 それは、気軽な、表面的な 問いではありません。 人類は、この質問をしてきました。 あなたは、しなかったかもしれません。 きわめて、きわめて真剣な人、 人生を捧げてきて、 これを見出すためにあらゆる物事を あきらめてきた人たちは、です。 それの根本原因は、 何ですか。 質問者: (聞き取れない)
1:14:24 K: 何ですか? 聞こえません。 質問者: 私は、問題や混乱を解消できない 自分の無能力を、見るとき・・・
1:14:28 K: さて、ちょっとお待ちください。 あなたの問いを、理解しました。 すなわち、私は見ます - これは、 あなたが仰っていることです - 私は問題を見ます。 私は、それを 解決する能力が、ありません。 質問者: そうです。
1:14:40 K: ちょっとお待ちください。
1:14:42 私は、きわめて明らかに 問題を、見ますが、 私は、それを解消する能力が ありません。 そうですね? なぜですか。 なぜ自分は - どうぞ、 これを聞いてください - なぜ自分は、心理的な問題を 解決する能力が、ありませんか。 よろしいですか。 なぜですか。 それは、あなたが他の一人に頼るよう 教育されている、ということですか - あなたのためにそれを解決して くれるように、です。理解されますか。
1:15:38 質問者: または記憶に頼るように - それを 解決するために、自分の記憶に、です。
1:15:40 K: いえ。ただそれを 見つめてください。 あなたが、自分の人間的心配を解決 する能力がないのは、なぜですか。 心配を取り上げましょう。 それは、人類すべての 共通の問題です - 心配は。 明日を心配する。 心配する・・・ 心配 - その言葉を理解されますね。 なぜ私は・・・なぜ人間は、 それを解決できませんか。
1:16:14 質問者: その壮大さのせいです。
1:16:19 K: いいえ。あなたはすでに、それが 甚大であるとの結論へ、来ています。 そうですか。 私は・・・いいえ。 私は質問をしています。 それは、あなたが他の一人に 頼るよう教育され、 条件づけられてきた、 ということですか - 心理学者、心理療法者、ゲシュタルト 派、フロイト派、最新のものなどに、 司祭者、教皇、教授、専門家に (頼るように)、です。 で、私たちは、いつも他の 誰かに、頼っています。 ですね? あなたが他の誰かに頼らないなら、 あなたは、何をするのでしょうか。 あなたは、それを 解決しなくてはいけません。 質問を理解されますか。 あなたのためにそれを解決しようと している人は、地上に誰もいません。 あなたは、これらすべての 方法を、試してきました。 あなたは、日本へ行って きました - 禅、仏教。 あらゆる種類の探求を あなたは、してきましたが、 あなたは、自分の心配を 解決してきていません。 で、あなたは、誰もとうていこれで 私を助けられないのを、悟ります。 私がそれを、解決 しなくてはいけません。 質問者: ベートーヴェンは、 多くの問題を、持っていましたが、
1:18:08 彼はそれらを 解決しませんでした。 代わりに彼は、音楽を 創造しました。
1:18:21 K: 彼は、音楽のために、大変な 才能を持っていました - すばらしい。 私は、それらすべてを聞いて きました。 すばらしい。 しかし彼の生活は、かなり・ ・・ 残りの人類に似ていました。 で、あなたは、何を 仰ろうとしていますか。 才能は危険です。 いいですか? なぜなら、それをとおして あなたは、自分自身より 逃避できるからです。 で、誰も、あなたの心配を 解決できないので - 集団療法、人類が試して きた物事すべてが、です。 この世代だけではなく、過去の歴史を とおして、です - 理解されますか。 何千年も、彼らは試してきました。 いつも、「神様、私を助けてください。 誰か、どうぞ、私を助けて ください」と言って、です。 誰も、あなたを 助けたことが、ありません。 彼らは、あなたが 逃避するのを、助けます。 1:19:30 で、あなたは、このものに取り残されて います。あなたは何をするのでしょうか。 そのときあなたは、「私は能力を 持っていない」と言いません。 あなたはそれに 答えなくてはいけません。 またはあなたは、ただ続けていき、 「私は心配だ。 私はそれを解決できない」と言い、 そのように死にます。 それが、ほとんどの人々が することです。 しかし、あなたが「生は、私の 余生の間、心配だけではない。 私はそれを解消しようと している」と言うなら、 そのときあなたは、心配が何で あるかを、見出しはじめます。 あなたは、注入しはじめた瞬間、 能力を持っています。 しかし、他の一人に依存する とき、その能力を失います。 それは、普通の知恵です。 常識です。
1:20:21 質問者: 私たちはみんな、 その能力を、持っていますか。
1:20:24 K: 絶対にそうです。 あなたは、生計を立てる能力を 持っておられませんか - お金、車、セックス、 住宅、水泳プール、です。 自らは、ものすごい能力と エネルギーを、持っています。 私たちはそれを、一方向へ注入するだけ です - これへは全くそうしない!
1:21:03 質問者: 私たちは、あなたに 聞くのを、あきらめるのでしょうか。
1:21:10 K: おそらく私たちは、あなたに 聞くのを、あきらめるべきでしょう。 おそらくあなたは、すでに あきらめてしまったのです! いいえ。 ただ お聞きください。 あなたは、何か美しいものを、 毎日、行って見ないでしょうか。 そうしないでしょうか。 美しい樹々、山々。 毎日、光は変化します。 異なった影、風。 そよ風は 色々な葉を、動かします。 あなたは毎日、行って、 それを見ます。 同じように、誰かが真理を語っている とき、あなたは行って聞きます。 こうも多様さ、 こうも形が、あります。
1:22:03 質問者: でも、そのとき、 私たちは、あなたに依存します。
1:22:07 K: そうね、私は、「ただ気をつけて 聞いてください」と申しました。 私はこう言いました - あなたが 毎日あれらの山々を見つめるとき、 それらは、山ではありません。 それらは、美しさです。 岩々、丘、谷、影、 山々に掛かる雲の動き、 山々の線、光の深さと多様さ。 一日中、それは 変化しつつあります。 が、私たちは、 「それは山だね。 私は行ってゴルフをしなくては いけない」と言います。 それは終了しています。 しかし、あなたが、美しさと、 美しさを見ることに興味があるなら、 そのときあなたは、 毎日そこへ行きます。 あなたは窓から、 それを見つめます。 同じように、あなたが語っているとき - 何かとてつもない美しいもの、 ベートーヴェンのように、です。 あなたは毎日、彼を聞きます。 毎日、あなたは聞きます。 毎日、それは違っています。
1:23:15 質問者: あなたの大いなる覚りを 私たちと分かち合ってくださって、 ありがとうございます。さて、あなたは それへ何と仰るのでしょうか。
1:23:22 質問者: あなたの大いなる喜びを 私たちと、分かち合ってくださって、
1:23:25 ありがとうございます。 質問者: 覚りを、です。
1:23:27 質問者: あなたの大いなる覚りを 私たちと、分かち合ってくださって、 ありがとうございます。さて、あなたは それへ、何と仰るのでしょうか。
1:23:34 K: ケス・キル・ディ?(彼は何と 言いましたか) 私は理解できません。 私たちは止めたほうが いいと、私は思います。 私たちは木曜日に 継続するでしょう。 質問者: あなたは、物語をすることに ついて語られたと、彼は言いました。
1:23:59 あれは、ブッダに ついての物語でしたか。
1:24:03 K: いいえ、物語だけです。 聞こえませんでしたか。 その子は、あなたへ 物語を語りたいのです。 あなたは、その物語をどう 聞きますか。それがすべてです。
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