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OJ79T1 - 善さの中に生きること home
第1回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1979年4月7日


0:27 みなさんが快適である ことを、望みます - あなたたちが、地面に座ることに 慣れていることを、です。 そうね、世界で どこに行こうとも 生は、かなり危険に なりつつあるし、 大変多くの無秩序が、 あります - 政治的に、経済的に、 社会的に、です。 誰も、このすべてのめちゃくちゃに 秩序を、もたらすように思われません。 人間たちは、きわめて、きわめて 多くの問題を、持っています - 心理的なのと同じく、 関係の問題、 冥想の問題、 死の問題などです。 私たちは、これら六回の講話と 四回の討論会の間に、気をつけて これらすべての事柄に入ろうとしています - おそらく、きわめて詳細に、です。 私たちが、それらすべてに 入る前に、 私たちはもしもできたなら、これらの 事柄を、ともにじっくり考えることが、 賢いであろうと、 私は思います。 2:32 私たちは、 大きな危機があるとき、 ともに考えるように思われる だけです - 戦争のように、 または、大地震や 疫病のように、です。 それらが過ぎた瞬間、 私たちは、自分の特定の 小さな欲望へ、戻ります - 些細な反応、 私たち自身の小さな葛藤、 私たち自身の 個人的な問題へ、です。 私たちはけっして、ともに 考えるように、思われません。 そして、よろしければ、私たちが 初めにこの事柄へ入ることが、 きわめて重要であると、 私は思うのです - 私たちが、人間の諸問題へ 入る前に、です。 それらは、きわめて 複雑です。 それらは、 解答が必要です。 それは、人間の尽力と 明晰さが、必要です。
3:40 で、私たちは できるなら、今朝、 ともに考えるとは、どういうことか のこの問いに、入りましょう。 どうぞ、これは、真剣な会合です。 これは、娯楽ではありません。 何かそれにより、 あなたが刺激されたり、 信じるよう求められたり するものではありません。 これは、宣伝目的のための 会合ではありません。 で、私たちが、あなたに真剣である よう、お願いしてもいいなら - なぜなら、私たちは、 自らの生に影響する、 大変多くの問題について、じっくり 話そうとしているからです。 で、お願いしてもいいなら、 あなたは、 私たちの問題すべてに、解答を 見出すよう、あなたの注意、 あなたの気づかい、あなたの精神、 心を、注がなければなりません。 そして、私たちが 進んでいくにつれて、 私たちが入るであろう 解決が、あります。 5:01 しかし、初めに、私たちがともに 考えることが、重要に思われます。 私がいうそれらの言葉「ともに 考える」の意味ですが、 私たちのほとんどは、自分の特定の 思考の能力を、持っています - 自分の特定の先入観、 自分の概念、理想、 信念、結論を、です。 私たちは、それらに 取りすがります。 私たちが互いに意思疎通できるか どうかを見出すのより、 それらのほうが、 はるかに重要になります - 私たちがともに、私たちの問題を 考えられるのかどうかより、です。 私たちがどちらも、ともに究明し、 探検するのを要求する問題を、です。 私たちは、とうてい それをできません - 私たちが、どうやってともに 考えるのかを、知らないなら、です。
6:35 私たちがともに考えるのであれば、 初めに、私たちの一人一人が、 私たちが自らの特定の先入観を 落とすことが、 当然に、しかるべきことです - あなたの特定の経験を、 あなたの結論、あなたの概念、 あなたの理想を、 あなたの経験さえも (落とすの)です。 そのときだけ、私たちは 互いに出会えます。 それは相当に明白だと 私は思います。 あなたたちの幾人かは、 おそらく、この事柄について、 まったく考えてこなかったかも しれないけれども、です。 すなわち、互いとのどの種類の 意思疎通でも、あるべきところには、 ともに問題を分かち合う中で、 何も障壁が、 あってはなりません。 何も意見が、です。 それは、ほとんどの人々にとって、 きわめて困難です。 なぜなら、彼らの精神は、 意見に満ちているからです - あれこれについて、政治について、宗教に ついて、あらゆる物事について、です。 7:57 私たちは自由に、自分の問題を 観察できません。 私たちは自由に、 見られません - 私たちが生きるところの 複雑な社会を、 そのすべての無秩序、 空疎さ、狂気とともに、です。
8:32 で、私たちは、今朝、 ともに考えられますか。 それは、あなたが、よろしければ、 あなたが真剣であるなら、 少なくとも一時間、あなたの特定の 経験、あなたの特定の意見を、 自分の特別の反応を、脇に 置かなければならない、 という意味です。 それらは 一般的に、なかなか些少です。 それで、私たちがどちらも、ともに 観察でき、考えられるように、です。 それで、私たちの精神が、 私たちの無数の複雑な問題を ともに究明できる能力を、 持つように、です。 私たちは、それを できますか。 あなたは、それをできますか - あなたが進んで、ともに 私たちの問題を 考えたいなら、です。 あなたが到った結論、 あなたがしてきた経験、 あなたの特定の応答や 反応を、脇に置けますか。 それで、あなたの精神が 明らかであり、 それで、私たちがともに 見られるように、です。 10:24 それが一番目のことだと、私は 思います - それが最も重要です。 なぜなら、結局のところ、あなたは、手間 暇を掛けて、ここに来られたからです。 あなたがなぜ来られるのか、 私は知りませんが、 あなたは来られたからには、 見たところ、あなたは、真剣 であるにちがいないからには、 そのとき私たちは、互いに意思疎通 できなければなりません。 それは、私たちはともに考えられ なければならない、という意味です。 私たちは、語り手が伝えたいと願うことを 考えるよう、あなたに説得していません。 彼は、自分が言うことを信じるよう、 あなたに頼んでいません。 または、あなたを、特定の理想、 信念、概念へ転向するようにも、です。 反対です。 私たちはともに、 究明するように、ここにいます - 私たちのきわめて多くの 問題を、探検するように、です。 11:47 あなたが 自分の特定の虚栄に、 自分の特定の観念に、 取りすがるなら、 あなたは、とうてい それをできません。 どうぞ、これはきわめて深刻です - あなたがそうしたいなら、です。 で、あなたは進んで、ともに 考えようとしているでしょうか - 語り手とあなたとで、 私たちの無数の問題を、 究明しようとして いるのでしょうか。 それは明らかだと、 私は思います。 あなたは、同意されない かもしれません。 あなたは、受け入れないかも しれませんが、 あなたが進んで、語り手とともに 考えようとしているなら、 そのときあなたは、 はるか遠くに行けます。 いいですか? それは 明らかです。そう望みます。
13:06 私たちは、自分たちの生き方を 受け入れると、私は思います。 私たちは、 不満足なのかもしれません。 私たちは、不平不満なのかも しれません。 私たちは、自分たちの生き方へ 細やかに反逆するかもしれませんが、 一般的に言って、私たちは社会を ありのままに、受け入れます - その不道徳すべてとともに、 その無秩序とともに、 起きつつある、その とてつもない危険とともに、 すべての政治的な戯言、 人々の、宗教、その他の 分割とともに、です。 私たちは、これを 受け入れます。 なぜなら、私たちはそこにどう変化を もたらすのかを、知らないからです。 私たちは、変化が ほしいのです。 どの智恵ある人も、 世界中で、人類のすべての 問題に、気づいています。 智恵があり、 気づいている人は、 当然、訊ねます - 社会は明白に 変化しなければならない、 或る種の真っ当な秩序を もたらさなければならない、と。 14:43 私たちは、何をすべきかを、 知りません。 世界は、あまりにすぎる。 圧力は、あまりに大きすぎる。 私たちの日々の生活の要求、 パンとバターを稼ぐこと、 その他すべてが、 極度に切迫しています。 もしあなたが 観察するなら、 人は条件づけられていると 言う人たちが、います - そして、人はとうてい、 その条件を、変化させられない。 人は、それをできるだけ 役立てなければならない、と。 あなたがこれらに親しんでいる ことを、望みます。 そこにあるものを、それを できるだけ、役立てなさい。 社会を、できるだけ、 役立てなさい。 人間精神は、条件づけられている。 それはとうてい変化できない、と。 それを信じている思想の 大きな学派が、あります - すなわち、人間精神は、 きわめて多くの年をとおして、 条件づけられているし、 とうてい突き破られない、と。 16:29 で、それらすべての知識人、 理論家、偉大な哲学者が、います - 今あるような 人間の意識は、 自らを、わずかに より良くできるだけだ。 それはとうてい、根本的な 変化を、遂げられないと、 主張する人たちが、です。 また、こう言う 人たちも、います - 「私たちの社会を、できるだけ 役立てなさい。 それを改革しなさい。 より良い政治家を。 もっと正気を もって投票しなさい」などと、です。 そして、宗教的な 集団全体が、います - その「宗教的」という 言葉を、使ってすみません - なぜなら、ほとんどの人々はむしろ その言葉を、軽蔑するからです。 こう言う宗教的な 人々が、います - 「あなたはとうてい地上に、楽園を 作られません。天国にだけです。 18:13 あなたは、とうてい 逃避できないのです - あなたの悲しみより、 あなたの悲惨より、 あなたの痛みより、 ですが - あなたが、何か神を、何か 人物を信じているなら、 そのときおそらく、あなたは 救われるでしょう」と。 これらはすべて、世界で 実際に起きつつあります。 私たちは、何か存在していない ものを、叙述していません。 そして、物理的な革命を もたらしたい人たちが、います - 共産主義者、テロリスト、 革命家たち、です。 世界中を観察すると、 環境を変化させることにより、 独裁制をもたらすことにより、 人間精神は、変化しようと していないのです。 彼らは、順応するかもしれません。 彼らは、適応するかもしれませんが、 人間の意識は、その複雑さすべて とともに、同じに留まります。 19:39 で、あなたが観察すると、 自らは、 これら様々な集団により 取り囲まれています - すべて、自分たちは正しい道を 持っていると言い張り、 導師たちを含めて、 みんなが主張します - もしあなたが従うなら、 あなたが服従するなら、 あなたが順応するなら、 あなたが受け入れるなら、 私たちは社会に変化を もたらすだろう、と。
20:18 私たちのうち、充分長く 生きてきた人たちは、 このすべてを、ずっと 見てきました。 彼らは根源的に、人間意識の 変容を、提示しません - 異なった人間をもたらす人間の 尽力の(変容)を、です。 私たちは、それらに、 入ろうとしています - 人間精神は、あなたのそれは、 根源的、根本的な、 心理的革命を遂げることが、 可能であるのかどうかに、です。 それが、私たちが 関心を持っていることです。 善い社会をもたらすことは 可能であるのかどうか、です。 古代のヒンドゥー、ギリシャ人、 エジプト人、古代の人たちは、ですね、 みんな、これを要求してきました - 良い社会がなければならない、と。 21:53 そして、「善い」(グッド) という言葉 - 知識人たちは、むしろその言葉を 軽蔑します。 それに唾を吐きます。 彼らは、善いとはきわめて 相対的だと、言います。 善いとは、絶対的ではない。 それは、悪いものの 修正だけだ、と。 あなたは、これらを 聞いておられますか。 これらに、興味を 持っておられますか。 あなたたちが そうであるのを、望みます。 なぜなら、あなたは、 私たちが生きるところの、この 醜い社会の一部であるからです - そのすべてのとてつも ない不幸、事故、病気、 痛み、苦しみをもって、です。 あなたは、興味を持っていないなら、 人間ではありません - 明白です。 なぜなら、それは、私たちの 生の一部であるからです。 23:03 私たちは、自分たちの生き方に、 興味を持っていないなら - 私たちがそこに、私たちの生に 変化をもたらせるのかどうかに、です - そのとき私たちは、単に、 巨大な機構の中の歯車になります - それは、まったく 無意味です。 私たちは、すべての価値を失って しまいました。 あなたが観察すると、 生は、ほとんどの人々の生は、 全体的に無意味になったのです。 彼らは、オフィスへ行くかもしれ ません。 彼らは、たくさんお金を稼ぎ、 裕福な社会に生き、 車を持ち、 華麗な庭園、プールとその他 すべてを、持つかもしれませんが、 生は、かなり浅い。 まったく、何の意義もない。 24:03 これが、私たちの生です。 私たちはそれへ、意味を 与えようとします。 哲学者たちは、色々な形で、 生に意義を与えようとします - そのときそれらは、理論、 抽象物になります。 そして理論と抽象物は、それ 自体では、まったく無意味です。
24:37 で、どうぞ、指摘してもいい なら、留意してください - 私たちはともに 考えているのです。 あなたは、語り手に聞いて いません - 彼は、一定の観念を、 生への一定の接近を 持っているかもしれませんが、 観念は単に、 思考の結論です。 あなたが一定の観念を持っているし、 語り手もまた、持っているなら、 そのとき、ともに考える 可能性が、ありません - 生きることと呼ばれる この広大な存在をめぐって、です。 で、どうぞ、お願いしてもよろしい なら、一時間、真剣であってください。 25:43 それは、アメリカ人にとって とても困難です。 なぜなら、彼らは、娯楽でもてなされる ことに、こうも慣れているからです - 映画、本、雑誌。 彼らは、あなたを、娯楽で もてなそうとします。 あなたが自分の毎日の悲惨、混乱、痛み より逃避するのを、助けようとします。 これは、娯楽ではありません - 知的やその他の、です。 あなたは、自らの精神と心を、 これに込めなくてはいけません - 私たちの生を 理解するように、です。 で、私たちは、ともに 考えられなければなりません。
26:51 で、私たちが 言っていましたように、 私たちがまた、語り手が見ているのと 同じことを見ているのを、私は望みます - すなわち、これら様々な 理論、信念、教義があり、 救い主、導師、哲学者がいて、 自分たちの影響力すべてを行使 しています - 文学をとおし、 個人的な拡大をとおし、個人的な 欲望などなどをとおして、ですが、 根源的に人を 変化させてきませんでした。 そして、訊ねます - なぜ人は・ ・・ 私たちは、人(マン)という言葉を使う とき、ご婦人、女をもまた含めています。 だから、私たちが人(マン)について 話すとき、怒らないでください。 これは、狂った世界です。 なぜ男、女は、変化することが できなかったのですか。 人は、あちらこちらで、 少し変化します。 けれども、人は、善い社会が あるべきだと、要求します。 28:41 人は、秩序がほしいのです。 自分自身において、 自らの関係において、だけではない - どれほど親密だとか、その他でも、です。 人は、世の中に、或る種の 平和が、ほしいのです。 人は、放っておかれたい、 花開きたい、 或る種の至福を持ちたいと 思います。 あなたが観察するなら、これが、 人の要求であったのです - 歴史をとおしてずっと、 古代の日々からです。 けれども、人は、 文明開化すればするほど、 もっと多くの無秩序を 創り出しています。 もっと多くの戦争を、です。 大地は、戦争がなかった 時期を、知らなかったのです。 人は人を殺し、 一つの宗教は、 他の宗教を滅ぼし、 一つの制度は、他の制度を 支配し、破壊し、 一つの組織は、他のを 抑圧しています。 この常なる、果てしなく つづく格闘です。 30:32 これらに気づいておられるのか どうかを、私は知りません。 あなたは、気づいておられる なら、そもそも訊ねませんか - この世界に生きることは、 可能であるのか。 それから逃げ去るのではなく、 コミューンへ入ってしまったり、 隠遁者や僧侶になったり するのではなく、 この世界に、正気に、 幸せに、智恵をもち、 内的と外的に進んでいくこのすべて の闘いなく、生きることが、です。 あなたがそうするなら - あなたが今、 そうしているのを、望みます - なぜなら、私たちは ともに考えているからです。 あなたが、そうするなら、 そのとき、あなたは 善い社会があることを、 要求するにちがいありません。
31:37 私たちは、その「善い」(グッド) という言葉へ、入るでしょう - よろしければ、です。 なぜなら、ほとんどの人々は、 知識人、高度に 養成された精神は、 「善い」は、かなりありえない 言葉であると、考えるからです。 彼らは、その言葉が 好きではありません。 なぜなら、それは、かなり 照れる言葉であるからです。 これらに付いてきて おられますか。 ですか、それらにも関わらず、私たちは その言葉に拘るべきだと、私は思います。 で、私たちは、その言葉の 意味に、入らなければなりません。 「善い」(グッド)。 なぜなら、あなたは、 善い社会を、持てないからです。 それは、古代インド人、 ヒンドゥーの、 古代のギリシャ人とエジプト人 などの夢であったのです - 善い社会を もたらすことが、です。 33:14 善い社会は、善い人がいる ときだけ、存在できます。 なぜなら、人は、善いので、 善さを創造できる、 善さを もたらせるからです - 自らの関係に、自らの行為に、 自らの生の道に、です。 で、私たちは、その「善い」 という言葉の理解において、 きわめて明らかで なければなりません。 その言葉を、 軽蔑しないでください。 「善い」(グッド)とは、また、 美しいものをも、意味しています。 「善い」とは、また、聖なる ものをも、意味しています。 それは、神へ関係しています - 最高の原理などへ、です。 で、その言葉「善い」は、きわめて 深く理解されなくてはなりません。 自らにこの善さがあるとき、何でも あなたがすることは、善くなるでしょう - あなたの関係、あなたの行為、 あなたの考え方などが、です。 34:47 で、どうぞ、私たちは ともに考えているので、 その言葉を検討しましょう。 なぜなら、自らは、その言葉の意義全体を 即時に捉えるかもしれないからです -その言葉のとてつもない 性質を、即座に、です。 しかし、一般的に 人々は、そうしません。 彼らは、説明をほしがります - 善いとは、どういうことかを、です。 語り手は、その言葉を 使うことを、恥じていません。 あなたは、それに 唾を吐くかもしれません。 一般的に、知識人は そうします。 彼らは、そういうものは、もはや 存在していないと、言います。 私たちは、それがどういう 意味かを、見出そうとしています。
36:01 善さは、悪いものの 対極ではありません。 どうぞ、気をつけて、このことを ともに、じっくり考えましょう。 なぜなら、あなたが本当に これに、きわめて深く入るなら、 それは、あなたの意識に 影響しようとしているからです。 それは、あなたの考え方に 影響しようとしています。 それは、あなたの生の道に 影響しようとしています。 で、どうぞ、その言葉の理解へ 少し注意を、注いでください。 初めに、その言葉は、そのもの ではありません。 ですね? 私は山々を 大変美しく叙述し、 それを絵に描き、詩歌を 作るかもしれませんが、 その言葉、叙述、詩歌は、 実際のものではありません。 37:09 しかし、私たちは一般的に、情動的に、 非理性的に、流されてしまいます 叙述により、言葉によって、です。 で、どうぞ、私たちは、言葉は実際の ものではないと、指摘しています。 で、私たちは、善さは、悪いものに 関係していないと、言っています。 善いは、悪いものから 出てきたものではありません。 善さは、醜いもの、美しくない ものに、全然関係していません。 で、善さは、それ自体では、 邪悪だ、醜い、悪いと考えられる ようなものに、関係していません。 それは、ともに考える中で、 了解すべき一番目のことです。 38:28 もしあなたが、 善いものは 悪いもの、邪悪なもの、醜いもの から出てきたものだと、言うなら、 そのとき、善いものは自らに、悪いもの、 醜いもの、残忍なものを、含んでいます。 理解されますか。 これを理解されますね。 善いものは、 そうでないものに、 全然関係していないに ちがいないし、そうなのです。 どの権威の、 どの受け入れもあるとき、 善いものは、とうてい 存在できません。 いいですか?  私はそれに 入ろうとしています。 どうぞ、私たちは、きわめて深刻な 問題について、ともに考えています。
39:25 権威は、きわめて複雑です。 法律の権威が、 あります - きわめて多くの世紀をとおして 人が組み立ててきたものです。 自然の法則が、あります。 私たち自身の経験の 法則が、あります - それに応じて、 私たちは服従します。 私たち自身の些細な反応の 法則に応じて、ですが、 それらが、私たちの生を 支配します。 それから、制度の 法則が、あります。 宗教、教義と呼ばれる組織化された 信念の法則が、です。 私たちは、善さは あらゆる形の権威に 全然関係していないと、 言っています。 40:37 どうぞ、それを見つめ、それを検討し、 理解してください。それを拒絶せず、 「それは複雑すぎる。 私たちは理解 できない」と言わないでください。 それは、きわめて単純です - あなたがそれを検討するなら、 あなたがそれに、自らの精神を 注入するなら、です。 善さは、順応の 追求ではありません。 あなたが、信念に、概念に、 観念に、原理に、順応するなら、 それは、善くありません。 なぜなら、 それは、葛藤を創り出すからです。 善さの本質は、葛藤の 中にない精神です。 それを検討し、 それを見つめてください。 善さは、他の一人をとおして 花開けません - 宗教的な人物像をとおし、教義を とおし、信念をとおして、です。 それは、全的な注意の土の 中に、花開けるだけです - そこには、何も 権威がありません。 41:58 これらに 付いてきておられますか。 これはすべて、複雑すぎますか。 そして、善さは、大いなる 責任を、含意しています。 あなたは善くて、戦争が起きるのを 許すことは、できません。 で、本当に善い人は、 自らの生すべてに、全的に 責任があるのです。 で、私たちは、 それに入るでしょう。
42:50 で、私たちは、 訊ねています。 社会の中で生きてきた人 - そこに、制度の圧迫、 信念の圧迫、 権威主義的、宗教的な人々の 圧迫が、あるところに、です - そういう人は、 善くありえますか。 これらに付いてきて おられますか。 どうぞ、これへあなたたちの 精神を、注いでください。 なぜなら、それは、あなたが 善いときだけであるからです。 あなたが、人間として 全的に、絶対的に善いなら - 部分的に、ではなく、 絶対的に、です - そのときだけ、私たちは、 異なった社会を、 善い社会を 創り出すだろうからです。
44:07 で、そのとき、 私たちの問いは、こうです - この世界に生きていて、 それは、可能ですか。 結婚していて、 子ども、職を持ち、 善いことは、可能ですか。 私たちがそれを、気をつけて 使っている意味で、善い。 そこには、大いなる責任、 気づかい、注意、勤勉、 愛が、含蓄されています。 すなわち、その全体が、です。 「善い」というその言葉は、 そのすべてを、収容しています。 それは、あなたにとって可能ですか - 気づかってここに来て聞く人に、です。 それは、あなたにとって、 可能ですか。 それが可能でないなら、あなたは 社会を、ありのままに受け入れます。 どうぞ、これは、私たちが指摘 しましたように、きわめて深刻です。 これは、小さな子どもたちの ためではありません。 それは、生の特定の様相を すっかり考え抜きたくない 人たちのためではありません。 46:01 これは、あなたの注意を 要求します。 それは、あなたの エネルギー、という意味です。 人間たちは、豊かな エネルギーを、持っています。 彼らは、何かをしたいとき、 それをします。 これは、無量のエネルギーを 要求します。 すなわち、あなたは、異なった 社会を、創り出したいなら、です - 私たちがその言葉を使っている 脈絡で、本質的に善い社会を、です。
46:43 さて、それを述べておいて、 何が、私たちを阻止しますか。 質問を理解されますか。 何が、ここにいる あらゆる人間が、 まったく善くあるのを、 阻止しますか。 障壁は、何ですか。 妨げは、何ですか。 なぜ 人間たちは、あなたは、 まったく正気に 善くないのですか。 それは、私たちが、自分の些細な反応に 捕らわれている、ということですか。 どうぞ、それを投げ捨てないで、 検討してください。 私たちの反応は - 私たちは、「私は好きだ」、 「私は好きでない」、 「私は怒っている」と言います。 そうね、反応、 感覚的な反応です。 それらは、次第に 心理的な事実になります。 それらを、私たちは 受け入れます。 しかし、すべての反応は、 感覚的でも、その他でも、 本当に、きわめて 些細で浅いのです。 それが、私たちを 阻止しているものですか。 48:14 どうぞ、これは、 集団療法ではありません。 語り手は、その種類の戯言に、 特定の嫌悪を、持っています。 私たちは、ともに考えています。 私たちは、ともに究明しています。 私たちは、 語り手が言っていることを 受け入れたり、拒否したり していなくて、見出しています。 見出すには、自分のエネルギーを 注入しなければなりません。 自らが世界に満足しているなら - あなたが、お金を持っている、 あなたが、車を、すてきな妻や 夫を持っているからです - そして、あらゆる物事が 満足できるなら、 そのときあなたは、ただ 存在していない人間です。 世界が何であるかを 観察し、悟る人 - そして、彼は世界です。なぜなら、 世界は、彼より異なっていないからです。 49:27 彼が、その世界を創り出したのです。 彼が、その社会を創り出したのです。 彼が、宗教を創り出したのです - 自らの教義、儀式とともに、 自らの分離主義とともに、 自らの派閥とともに、 自らの無数の教義と 信念とともに、です。 人間たちが、それを 創り出してきたのです。 それが、私たちを阻止 しているものですか。 あなたが信じている からですか。 または、あなたは自分の問題でもって こうも自己関心を持っているので - 性的なもの、恐れ、 心配、さびしさをもち、 充足したがり、 何らかのものと 同一視したがって、です。 それが、人間が善いのを 阻止しているものですか。 どうぞ、これは 修辞学ではありません。 私たちは、何かきわめて深刻な、 真剣なことを、訊ねています。 50:53 それらが、阻止しているなら、 それらは、価値がありません。 あなたは、そのすべてを 自然に、脇に置くでしょう。 なぜなら、あなたは見る からです - この善さの性質を もたらすには、 どの方向からの どの圧力も - あなた自身の信念、あなた自身の 原理、あなた自身の理想が、 その善さがあるのを、まったく 阻止することを、です。 そのときあなたは、それが見えるなら、 自然に、それを脇に置くでしょう - どの曖昧な言葉も、 どの葛藤もなく、です。 なぜなら、それは 愚かであるからです。
51:49 で、私たちは訊ねています - これが、 あなたを阻止しているものですか。 世界中で人間たちを、です。 それは、アメリカで、 この国で、だけではなく、 この大きな混沌、無秩序、 生への危険が、あります。 それは、ヨーロッパに、インドに、 あらゆるところに、あります。 それは、ますます、 ますます拡がっていきます。 どの人も - 自分自身とともに 世界への、どの真剣な観察者も、 この質問を するにちがいありません。 そうですね、科学者、 政治家、哲学者 - どうぞ、これらを 聞いてください - 導師たちは、彼らがインドから 来ても、チベットからでも、 あなた自身の国からでも、 彼らは、私たち人間の問題を 解決したことが、ないのです。 53:23 彼らは、あらゆる種類の 理論を、与えてくれます。 心理分析者も、そうしていません。 彼らは、問題を解決していません。 誰もしないでしょう。 私たちは、これらの問題を自分自身、 解決しなくてはいけません。 なぜなら、私たちが、問題を 創り出してきたからです。 私たちは不幸にも、進んで 自分の問題を、見つめよう、 それらに入り、 究明しようとしていません。 なぜ私たちが、 今生きるように まったく自己に関心をもった 利己的な生を、生きるのかを、です。
54:18 で、私たちは、 訊ねています - なぜ私たち人間は、私たちが 生きているように、生きますか。 私たちの教育は、私たちが自らの 問題を解決するのを、助けません。 あなたは、良い職を 得るかもしれません。 あなたは、医師、博士などなどと 名乗るかもしれませんが、 あなた自身の生、私たち自身の生は それらにより、変化していません。
55:06 で、私たちは訊ねています。 この善さは、 その美しさとともに、 その聖性とともに - その言葉は、それを 意味しています - 私たちは、そのように 生きられますか。 私たちは、それが できないなら、 私たちは、この増大する混沌の 危険を、受け入れるでしょう - 自分の生へ、自分の子どもたちの生へ (の危険)などを、いずれ、です。
56:07 で、聞いた後、私たちは ともに考えていますか。 私たちは、同じことを 見ていますか。 あなたと私は、ともに、 同じことを、です。 または私たちは、これらへの 説明を持っています。 または私たちは、「まあ、他の誰かが 私たちの生を、変更してくれるだろう - 外的な力、 外的な機関、神、観念、 原理が」と言います。 それらが、私たちの生を 変化させようとしていますか。 それらは、これまで、してきていない し、けっして、しないでしょう。 なぜなら、理想、 概念、イメージ、 それらすべては、自ら 創り出されているからです - 人間たちにより、 彼ら自身の混乱の中から、 彼ら自身の悲惨の中から、 彼ら自身の醜さ、混乱の 中から、創り出されたのです。 で、そうね、私たちは、いつの時も 私たち自身を、欺瞞しています。
57:42 で、私たちは、そのとき 問いへ来ます - 何が私たちを、変化させるので しょうか。 質問を理解されますか。 もっと多くの衝撃ですか。 もっと多くの破滅ですか。 違った形の政府ですか。 違ったイメージですか。 違った理想などですか。 あなたたちは、多様な これらを、持ってきました。 けれども、私たちは 変化していません。 より洗練され、 教育が良くなるほど、 私たちは、 文明化しつつあります。 自然よりもっと離れた、 という意味での文明化、です。 私たちは、もっと非人間的に なりつつあります。 ですね? で、私たちは、何を するのでしょうか。 私たちの外側の物事のどれ一つとして、 私たちを助けようとしていないので - すべての神々を 含めて、です - そのとき、それは 明白になります。 59:25 私は、私自身を理解 しなくてはいけません。 私は、私が 何であるかを、見て、 私自身を根本的に 変化させなくてはいけません。 そのとき、その中から 善さが、出てきます。 そのとき、善い社会を 創り出せます。 で、私たちは進んで、この問いへ 入られるでしょうか。 自分自身を知る。 自分自身を理解する - なぜなら、 自分自身は、世界であるからです。 理解されますか。 人間たちは、その色、 その宗教、その民族性、 その信念が、何であっても、 世界中の人間たちは、心理的に、 内的に、苦しみます。 彼らは、大きな心配、大きな さびしさを、経ていきます - とてつもない絶望、 憂鬱の感覚、 私たちの生き方を生きることの 無意味さの感覚を、 世界中で、心理的に、です。 彼らは、私たちの一人一人と 類似しています。 1:01:15 それは、実在です。それは、 真理です。それは、現実です。 で、あなたは、世界です - 心理的に、です - そして、世界は あなたです。 で、あなたが、あなた自身を 理解するとき、 あなたは、人間の構造と本性 全体を、理解しつつあります。 それは、単なる利己的な 究明ではありません。 なぜなら、あなたは、自分自身を理解する とき、自分自身を乗り越えるからです。 生じてくる、違った 次元が、あります。
1:02:03 で、私たちは、これについて ともに、じっくり考えています。 私たちは明日、それに 入るでしょう。 なぜなら、あなたは、この種類の話に 一時間以上、堪えられないからです。 もう立ち上がって、 行ってもいいですか。
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