Krishnamurti Subtitles
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OJ79T4 - 人類の書物を観察する芸術
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| 1:06 私たちは、ともに話し合うのを 続けてもいいですか - 昨日か、先の週末にも 議論していたか、 探究していたことを、です。 そうしていいですか。 |
| 1:36 まず第一に、 お訊きしてもよろしいなら、 あなたたちはみんな、なぜ 来るのかと、思われます。 これは、軽々しい問い として、訊ねていなくて、 私たちのほとんどが、なぜ わざわざここに来るのかを、 実際に見出すために、です。 それは、私たちが何をするかを言われる ことに、こうも慣れているからですか。 私たちは、自分の些細な小さな問題を 解決することができません。 または、大きな問題を、です。 または、自分の探究と挑戦に 答えることができません。 で、私たちは、 他の人たちを、頼みにします - 分析者、 司祭者、専門家と 導師たちを、です。彼らは いつも、私たちとともにいます。 3:06 私は訊ねています - 私たちが自分の問題を 解決できないのは、 なぜなのか、と。 なぜ私たちは、探究したり、 訊ねたり、要求したり、 様々な種類の分析者と心理学者と 専門家などを探し出し、 彼らに、助けてくれるよう 頼んだりするのか。 それは、私たち自身が怠惰で あり、怠けているからですか。 私たちは、時間を 持っていませんが、 私たちは、自分たちが何を すべきかを、語ってもらうために、 他の人たちへ支払うとき、私たちは 時間を持っていると、考えます。 私たちは、この習慣やこの 条件づけに、入ってきました - すなわち、他の人たちが その主題へ入ってきた、 大変多く研究してきた、 大変多く知っているし、 おそらく彼らが、私たちを助けることが できるだろう、というものに、です。 4:35 で、私には思われますが、 私たちはいつも、 他の人たちに 頼っているようです - 私たちが掛かっているこの罠から、避難 するのを、助けてくれるように、です。 世界中の宗教は、これを 提供してきました。 組織され、優秀に 組み立てられています - 彼らの儀式、 教義などをもって、です。 私たちは幸せに、 それへ滑り込みます。 私たちは、私たち自身の深い問題を けっして、解消することができません。 私たちは、自分自身を 他の一人へ委ねます。 なぜ私たちはこう するのかと、思われます。 それは、物理的には だいじょうぶです - 組織体が健康的でないとき、 医師へ、外科医などへ 行くことは、です。 5:57 あなたが、住宅を建てたいなら、 建築家へ行きます。 で、おそらく、同じ概念が 私たちをして、 自分を助けてくれる他の誰かへ 行くよう、駆り立てます。 私たちはけっして、 自分の書物、自分の歴史を、 読むことが できません。 それで私たちは、永続的に 他の人たちに、依存しています - 集団療法、 様々な種類の心身治療、 心理療法 - そうね、 それらの増殖です。 |
| 7:02 私たち、人間は、 どこに生きていても、 極東でも、近東でも、 ここでも、 私たちは、人類、すなわち 私たち自身の物語全体を 読む能力が、ありません 私たちがこの書物を読む ことは、可能ですか。 それは、世代に次ぐ世代、 何千何万年もの間、 手渡されてきましたが、 私たちなる物語を読む ことは(可能か)、です。 一章をも読まないで 残さずに、 始まりから終わりまで、 人類の動き全体と 人の進化を、読むのです - 物理的にも、 心理的、内的にも、です。 私たちがこの書物を読むことが できるなら - それは驚くほど、 その言葉を使っていいなら、 娯楽になって、 魅力的ですし、 甚大な可能性へ 扉を開きます。 8:50 で、私たちは、心理的に 残りの人類であるので、 そして私たちは、この書物を どう読むのかを、知っているなら、 そのときおそらく私たちは、自分たちの 生の進路を、変更できるでしょう。 なぜなら、それが、私たちが関心を 持っていることであるからです。 少なくとも、語り手は、それに ついて、関心があります - 人間精神の根本的変容を もたらし、 それで、善い社会を もたらすように、です。 その中で、私たちが、 秩序、平和、 或る種の安全、 或る種の幸せを持つし、 測量不可能なものを 探究して、 そのすべてを乗り越えるだろう 社会を、です。 |
| 9:56 で、私たちは初めに、 この書物をどう読むのかを 学ばなければならないと、 私たちには思われます。 で、私たちは、 どう観察するかを 見出さなければなりません - 視覚的に、だけではなく、 私たちの意識の、私たち自身の 動き全体を、観察するのです。 私たちの複雑さすべてとともに、 私たちのすべての心配、 恐れ、楽しみ、喜び、 蓄積された迷信と ともに、です。 科学者の迷信も、 心理学者のも、 宗教的な人々のも、 全部です。 きわめてきわめて精確に、 明らかに、 何の誤りもなく、 読むことができる。 それが、私たちができるなら、 今朝、しようとしていることです。 学ぶ - 私があなたの指南役 である、ということではない。 私たちは、ともに これをしています - このとてつもない書物を どう見るかを、学ぶのです。 それが、自己です。 それが、自我です。 人格、傾向、特徴、 衝動、抑制、それらです。 それが、私たちの意識です。 それを読む。 11:51 それを読むには、 鈍くない目と耳を、 持たなければなりません - 塞がれていない、 或る種の空想的な幻影に 捕らわれていないものを、です。 ほとんどの人々は、 そうなっていますが。 |
| 12:21 で、明白に自らは、初めに、 探究しなければなりません。 私たちはともに、これをしています。 私は、あなたのために、 それをしていないし、 あなたは、私のために、 それをしていません。 私たちはともに、それをしています。 それは、二人の人々の間の対話です。 ここには多くの人々がいる けれども、それは、 二人の友の間の 対話、会話です。 世界について、関心を持って いる人たちの(対話)です - 世界で進んでいる 怖ろしいことと、 自分たちの複雑な関係の問題、 自分たちの愛の欠如の感覚と、 自分たちの悲しみの重荷と、 死の問題について(関心を 持つ人たちの対話)、です。 最近、聞いたのですが、 この「冥想」という言葉は、 東洋から もたらされました。 キリスト教には、おそらく別の 形の観想が、あったけれども、 それは、冥想より 全然、違っています。 このすべてを越えた何かが あるのかどうかを、見出す - 思考により創案されたの ではなく、何か実際のもの、 何か想像ではないもの、 精神によってか、手により 組み立てられていないものを、です。 14:10 で、私たちは、そのすべてを 読もうとしています。 それをするには、明らかな視覚を 持たなければなりません。 この広大な書物 - すなわち、私たち 自身ですが - それを読むには、です。 |
| 14:33 観察は、私たちの読みに 歪曲があってはならないことを、 含意しています。 ですね? どの形の歪曲された観察も、読みの 明らかさを、阻止するでしょう。 で、私たちは、 歪曲されていますか。 私たちの知覚、私たちの探究、 私たちの観察、 それは、 歪曲されていますか。 どうぞ、私たちは互いに これを、訊ね合っています。 私はあなたに、そうであるとか、 そうでないとかを、語っていません。 私たちは訊ね、この問いを 探究し、探検しています。 それは、歪曲されています - もし私が、その書物を読む中で 動機を持ち、書物の中にあるものを 変化させたがっているなら、です。 15:50 なぜなら、観察がすでに、 書物の終わりはこうでなければなら ないとの結論に、到っているなら - または、精神が 自らの観察において 好きでない一定の章が、 あるとか、 自らはこのすべてを乗り越えなければ ならないと(の結論に)、です - それらすべての要因は、 歪曲を、もたらすからです。 明白です。 これらに付いてきて おられるのを、望みます。 私がその書物を読みはじめる 前に、明らかさと、 大いなるエネルギーが、 なければなりません - どの形の歪曲をも 脇に置くものが、です。 すなわち、自らがすでに 幻影に捕らわれているなら - ほとんどの人々は そうです - そのとき私たちの関心事は、 その書物ではなく、 なぜ精神が、幻影に 捕らわれているのか、です。 17:00 なぜなら、すでに幻影の中にいる精神 でもって、それは読めないからです。 ゆえに、そのとき、 関心事は、こうです - なぜ精神は、幻影に 捕らわれていますか。 これらに付いてきて おられますか。 それは、恐れですか。 それは、私が見つけるかも しれないことを、 嫌うかもしれない、 ということですか - 私は失望し、憂鬱に なるかもしれません。 ゆえに私は、自分の 幻影、自分の概念、 自分の結論を、その書物に ついて持つのを、好む。 ゆえに私は、それを読む 能力がない、と。 で、そのとき 私の関心事は、 なぜ、探究している この精神は - 自らはその書物を読むべきだ と要求しているものですが - なぜそれは、幻影に 捕らわれているのか、です。 18:23 それは、恐れですか。 私たちは昨日、それに入りました - 恐れの問いに、です。 私たちは今、それに 入らないでしょう。 なぜなら、私たちは他に、入るべき ことを、持っているからです。 それが恐れであるなら、 私たちは、恐れが、時としての思考の 動きであることを、説明しました。 あなたが昨日から、それに 入ってきたなら、です。 |
| 18:53 そして私たちは、こう 言いました - 観察の芸術は、 思考に自分の所を与える ことに、存している、と。 ゆえに、精神は、全的に、 完全に、絶対的に、 恐れより 自由でありえます。 私のその言葉を、 受け入れないでください。 それは、そうなのです - あなたが それに入ってきたなら、です。 心理的に、恐れに 終わることが、あります。 そして、痛みの恐れが、あります - 物理的な、有機体的な痛み、ですが、 私たちはまた昨日、それに ついても、話しました。 すなわち、痛みが済んだとき、 それは、記憶として、 継続することになりません。 それは、昨日の痛みの 登録ですし、 その登録が記憶です。 その記憶は、別の時に痛みがない だろうことを、望んでいます。 私たちはそれに入りました。私たちは はるかに詳細にそれに入るでしょう。 |
| 20:10 で、精神が幻影に 捕らわれているとき、 それは、自らが幻影の中にいる ことに、気づいていますか。 よろしいですか。 または、それは、自らが幻影の中に いるのを、まったく知りませんか。 精神は、自らが幻影の中に、 見せかけの世界に 生きているのを、 知らないなら、 それはどうして、それに気づく ことに、なりますか。 よろしいですか。 質問を理解されますか。 仮に、私が幻影に 捕らわれている、とします。 幻影(イリュージョン)という 言葉、(語源の)「ルードレ」は、 遊ぶことを、意味しています。 観念でもって遊び戯れること、 現実的でなく、 概念的な物事でもって 遊び戯れること、です。 現実的でない一連の結論と 信念でもって、です。 私は、それらでもって 遊び戯れます。 21:27 この信念が、私に合わないなら、 私は別の信念を、取り上げます。 私は、信念でもって 遊び戯れます。 この遊び戯れることが、 幻影です。 なぜなら、私は、実際に進んでいく ことの現実に、向き合えないからです。 で、精神は、信念、教義、そうね、 その他すべてを、考案します。 さて、それに気づくこと、私が 幻影の中にいるのを知ることは - あなたが、自分がそうであるのを 知るとき、それは終了しています。 理解されますか。 それは、私が自分が幻影の中にいる ことを、知らないときだけです。 そのとき、その中から動いて 出る可能性が、ありません。 しかし、私が、自分は幻影に捕ら われていることに、気づいた瞬間、 22:29 その気づきこそが、幻影を、 消し去ります。明白です。 で、そのとき私の精神は、この 書物を読む能力が、あります。 なぜなら、私たちは、 人間精神の根本的変容を もたらすことに、関心を持って いるからです - すなわち、 私たちが生きている このように、 幾千年の間、生きてきたものに (変革をもたらすことに)、です。 それは、喧嘩、心配、 暴力、残忍性です。 そのすべてが、私たちのまわりと 私たちの中で、進んでいます。 そういう人間たちは、無秩序の 中に、生きられるだけです。 けっして、善い社会、 善い人間を、もたらせません。 彼は、善さが何であるかを、 けっして理解しないでしょう。 で、私たちは、それをしています。 私たちは、これを探究しています。 |
| 23:31 そのとき、この書物は 何ですか - すなわち、私自身、 すなわち、あなた自身、 すなわち、 人類の物語は、です。 書物に印刷された 人類の物語、 人の歴史的な進化だけではなく、 また、はるかに、 書かれていない書物、 すなわち、誰もけっして 叙述できないか、 けっして書物に 印刷できないもの、です。 なぜなら、このもの、 この人の甚大な進化 - それは、 現在での結果です - それはいつも、 動いて、変化して、 自体を 修正しているからです。 それは、けっして 静的ではありません。 で、私の精神・ ・・自分の精神は、 この書物を読むほどに、 鋭敏で、 明瞭でなければなりません。 いいですか? で、その書物を読むとは、 どういう意味ですか - その書物ではなく、 読むことが、です。 24:56 理解されますか。 読む能力、 それは、観察する能力、 物語を聞く能力、 書物が言っていることを 学ぶ能力です。 それら三つのものが、関与して います。 すなわち、見ること、 書物が言うことが聞こえることと、 書物から学ぶことです。 いいですか。 これに 付いてきておられますか。 私たちはともに、 これをしていますか。 すなわち、 私たちはともに、 その書物を、自由に 観察していますか。 または、私たちは、その 書物を解釈していますか。 よろしいですか。 これを理解されますか。 私は書物を読みますが、私の精神は 書物が言うことを、解釈しています - 私の欲望、私の願い、 私のあこがれ、 私の恐れ、 私のさびしさに沿って、です。 それで、私は本当は、 書物を読んでいなくて、 書物へ、私なるもの、私であると 思うものを、語っています。 26:33 これに付いてきて おられますか。 で、初めに私は、その芸術を 学ばなければなりません - 自らは学ばなければ なりません。 「私」という言葉を使って すみません。 それはただ・・・ 読む芸術を 学ばなければなりません。 それは、書物を 観察する芸術です。 すなわち、 観察者なく、観察すること、 見ることです。 私はそれに 入るでしょう。 どうぞ少し辛抱をして、 ゆっくりそれに入ってください。 観察者は過去です。 ですね? 観察者は、経験です - 蓄積されたのです。 観察者は、すべての影響、 圧迫、知識の結果です。 その知識でもって、彼は 書物を、読んでいます。 カピート(分かりましたか)? 理解されましたか。 28:00 しかし、過去なく その書物を読む。 ご覧になるのかなと 思われます。 これに付いてきておられますか。 またはそれは、抽象的すぎますか。 いいえ。 私は、それは抽象的すぎると 思いません。それはまったく単純です。 私たちは、自分は 知っていると、考えます。 私たちは、新鮮に その書物へ来ません。 初めて学校へ行く 児童のように、です。 彼は知りません。 彼は新鮮です。 彼は若い。 彼は、学びたいのです。 同じように、その書物を 読まなければなりません。 あなたは、新鮮さをもって それに来なければなりません - あなたが取得してきた蓄積された 知識すべてでもって、ではない。 それが その書物自体です。 それをご覧になるのか どうかと、思われます。 28:59 で、あなたが、書物の内容を すでに知っている観察者として、 そこに来るなら、 それを読むなら、 そのときあなたは、それが言う ことを読む能力が、ありません。 で、観察者の不在が なければなりません。 ただ読むことだけが、 ある。 いいですか。 あなたが読んでいるものを、 あなた自身の固有の体質と幻影と 欲望へ翻訳するのではない。 これは、明らかです。 で、ただ読む ことだけが、ある。 すなわち、ただ書物を 観察することだけが、です。 |
| 29:49 そのときまた、その書物は あなたに大変多く語っています。 いいですか? あなたは、書物が言っている ことが、聞こえますか。 私が言っていることを 理解されますか。 書物の歌が聞こえる。 それはあなたに、何かを 語っています。 明白です。 この甚大な物語を、それは あなたに語っていますが、 あなたは、それが聞こえる 能力が、なければなりません。 それを読めるだけではなく、 進んでいる、 このものすごい生の歌が、 聞こえる能力が、です。 いいですか? で、私は、耳で 聞こえるか、 あるいは、 外側の騒音なく、聞こえるのか。 理解されますか。 お示ししましょう。私は、少し それに入ろうとしています。 31:05 あなたは、音楽が 聞こえるとき - あなたが本当に 愛する音楽、 意味、深さ、活力と美しさを 持っているものが、です。 現代のポップの騒音だけ ではない。 すみません。 あなたは、それをお好きかもしれ ませんが、それは別の事柄です。 そのときあなたは、それが聞こえます - あなたの存在すべてでもって、です。 絶対的にあなたは、 それとともにあります。 あなたとそれとの間に、 分割が、ありません。 前に聞こえていた何かを 憶えているとの 感覚が、ありません。 あなたは、動き全体と ともに、あります。 バッハやベートーヴェンや モーツアルトが聞こえるとき、 あなたは、その本当の美しさが 聞こえ、それとともに動きます。 32:08 同じように、その書物が あなたに語っている物語を、 聞かなければなりません。 私たちは進んでいいですか。 これらに 付いてきておられるのを、望みます。 そういうわけで、あなたは ここにいるのです。 あなたが聞いていないなら、ご自分の 時間をむだにしないでください。 麗しい一日です。 行って、丘に登るか、 ゴルフをするか、 いわゆる面白い時間を 過ごしてください。 しかし、あなたは ここにいます。 だから、どうぞ、あなたが聞く ことへ、注意を注いでください。 なぜなら、それは あなたの生であるからです。 |
| 32:51 また、学ぶ芸術も あります。 これは、もう少し複雑です。 私はそれに入りましょう。 私たちが、学校と専門校と 大学へ、行くとき、 私たちは、学んでいます。 私たちは、情報を取得しています - それは、様々な主題、学科に ついての知識と呼ばれます。 良い経歴、良い職を 持つために、です。 または、失敗するなら、 あなたは進む、などなどです。 それは、知識の蓄積です - 少年時代から、 あなたが大学を出るまで、 一定の時の期間に、です。 それは、知識の蓄積です。 それは、上手にか、 その他で使われます。 あなたが、配管工になりたいなら、 あなたが、教授になりたいなら、 あなたが、科学者になりたなら、 あなたが、数学者になりたいなら、 過程全体が、同じです - 学ぶことです。 それは、知識を蓄積し、 その知識から行為することです。 34:07 ですね? また、行為し、 その行為から学ぶ。 それもまた、あります。 それは 明らかですか。もちろんです。 すなわち、蓄積された知識、 そして行為する。 行為して、学ぶ。 行為した後、学ぶ、 知識を蓄積する、行為する。 本質的に、どちらも 同じです。 しかしまた、別の種類の 学びも、あります。 そちらは、もう少し困難です。 これら 二つを、私たちは知っています。 知識を蓄積し、行為する。 行為し、行為しておいて、 自分の行為から学ぶ。 それが、知識になる。 で、どちらも同じです。 さて、私たちは、何か全然 違ったことを、言っています。 なぜなら、これは 機械的であるからです。 これらに付いてきて おられますか。 なぜなら、これは、知られたもの より行為する過程であるからです - 指揮者、ピアニスト、 配管工、ヴァイオリン弾き、 教授、科学者、 これらすべては、知識を 蓄積してきて、行為します。 35:49 ゆえに、彼らは、 知られたものから、 知られたものへ、 知られたものへ、動いています。 いつの時も、 修正しています。 ですね? さて、私たちは、違った 学び方があると、言っています。 あなたがこれに興味を持っておられる のかどうか、私は知りません。 なぜなら、これは、もう少しともに 考えることを、必要とするからです。 |
| 36:19 知識の蓄積が必要である ことは、分かります - 車を運転するため などには、です。 あなたは、橋を架けたいなら、 全部を、知らなければなりません - 圧力と緊張と、大地の 性質などなどを、です。 すなわち、私たちの精神は、 情報を与えられ、 知識を取得してきて、 そこから行為しています。 これが、人の果てしなく つづく動きです。 理解されますか。 すなわち、情報、知識を 集める、行為する。 で、知識は過去です。 もちろんです。 その知識から、 あなたは、行為します。 これは明らかでしょうね。 いいですね? 私たちは、ともに 出会わなければなりません。 さもないと、私は 自分自身に話しています。 それは、何の役にも立ちません。私は それを、自分の部屋でできます。 37:33 で、私たちは、違った種類の 学びがあると、言っています。 それは、知られたものの中に 根付いていません。 いいですね? 知識、そして 行為する、という意味で、 「知られたものの中に」です。 違いを見てください。 私は気をつけて、これを 指摘しようとしています。 知識を取得することと、そのとき、 そこから行為することが、あります。 で、行為は、知識を修正します。 知識は、行為を修正します。 これが、私たちがいつの時も していることです。 ゆえに、それは課業に、 機械的になります。 何か知られていないものを探究する 自由が、けっしてありません。 知られたものからの自由 - 何かあなたが知らないものを 観察するように、です。 38:44 よろしいですか。付いてきて おられるのかどうか・・・ 私たちは互いに出会って いますか - 少し? で、語り手にとって、 人の向上は、蓄積された 知識に、ありません。 いいですか? 初めに それを聞いてください。 同意や不同意をしないで、 初めに聞いてください。 科学者と他の人たちは、もっともっと 多くの知識を持つことによってのみ、 人は進化できると、 言ってきました - 上へ登る、向上する、と。 しかし、知識は いつも過去です。 そして、過去からの 自由が、ないなら、 人の向上は、いつも 制限されるでしょう。 それはいつも、特定の様式に 限定されるでしょう。 で、私たちは、違った学び方が あると、言っています。 すなわち、総合的に、 全体的に、包括的に、 知識の動き全体を 見ることです。 - いいですか? - どこで それが必要であるかを、です。 なぜなら、さもないと、あなたは 生きられないだろうからです。 40:32 しかし・・・ その制限を理解する ことこその中に、 知識の動き全体へ 洞察を持つことが、あります。 私がそもそも何かを伝えたのか どうかを、知りません。 私は説明しましょう。 私は、それに入りましょう。 たぶんあなたたちのほとんどは、これに ついて、考えたこともないでしょう。 私たちは知識を、 事実のように取ってきて、 知識とともに生き、知識で もって機能しつづけます - 余生の間、です。 しかし、私たちは、探究したことが ありません - 知識自体は何であるのか、 自由へのその関係は、 何であるのか、 実際の出来事へのその関係は、 何であるのかを、です。 41:37 理解されますか。私たちは、これらを 当たり前だと取ってきました。 それが、私たちの教育的な 条件づけの一部です。 |
| 41:48 で、私たちは、こう 言っています。 あなたが、知識の動き全体を 探究しはじめるとき - それは時です。 それは思考です - そして、 知識の制限を見る。 というのは、知識はいつも過去に あり、ゆえに断片的であるからです。 あなたは、それに付け加えられます。 それから取り去られます。 それを拡げられるか、 制限できますが、 それはいつも、それ自体を修正 している過去の動きです。 それで、その動きには、 けっして自由が、ありません。 あなたは、これに入ったことが ないかもしれません。そうですね? 42:36 これは、あなたにとって 新しいかもしれません。 で、どうぞ、聞いて 見出してください。 同意したり、不同意したり するのではなく、見出すのです。 私たちは、その平野の中に、人に とって自由はないと、言っています。 人は、もっと良いバスルーム、 もっと良い暖房装置、 ソーラーなどなどなどを、持つ ことが、できるかもしれませんが、 心理的に、内的に 何も自由が、ありません - 精神が常に、駆り立てられて いるか、抑えられて、 過去に 束縛されているなら、です。 |
| 43:23 で、単に知識を 取得するだけでない、 学び方が、ありますか。 質問を理解されますか。 ご覧に なるのかどうかと、思われます。 どうぞ、聞いてください。 見る、 学ぶ、聞ける道が、ありますか - そこから行為するための、常なる 知識の蓄積ではないものが、です。 過去により縛られていない 行為が、ありますか。 私はこのように 表しましょう。 そのとき、おそらく私たちは 互いに理解し合うでしょう。 すなわち、私は知識を取得します ・ ・・知識の取得が、あります。 その知識から、行為します。 その行為において、その行為 こそが、自体を制限しています。 それは、全包括的ではない。 それは、全体的ではない。 後悔があります。 その行為の中で、あらゆる 種類の苦労が、生じてきます。 さて、私たちは訊ねています - 過去に根づいていない 行為が、ありますか。 なぜなら、私の行為が 過去から生まれているなら、 それはいつも、制限されている、 それはいつも、砕けているからです。 それはけっして、完全、 全体的ではありません。 45:03 で、過去より自由である 行為が、ありますか。 質問を理解されますか。 問いを理解してください。 そのとき 私たちは、それに入られます。 あなたは、「その問いは ばかげている。 それは意味がない」と 言うかもしれませんが、 あなたが知識の複雑さ全体と その制限を見るとき、 それは、意味が あります。 この制限から 生まれた行為は、 制限されていて、ゆえに混乱 させるにちがいありません。 ゆえに、 この知識の中から、 善い社会は、けっして 生じてこられません。 お分かりですか。 |
| 45:47 で、私たちは、こう言って います、訊ねています。 過去の動きなく、 行為がありますか。 私は、ある、と言います。 それは、 知識の構造全体へ 洞察を持つことです。 洞察 - このもの全体への 深い理解、全的な了解です。 知識、行為は制限されている。 自由がない。 ゆえに、その中から、 善い社会は、ありえない、と。 あなたは、それが 見えるなら - それの真理を、です。 その真理の知覚が、 違った種類の学びの解放です。 それは、全包括的です。 これをお分かりになるのか どうかと、思われます。 あなたは、働いていますか。 私たちは、ともに働いていますか。 またはあなたは、ただ聞いていますか。 |
| 46:58 ご覧ください。このように、 違ったように、表させてください。 男と女の間の関係とは、 何ですか。 関係とは何ですか。 一般的に受け入れられて いるように、 関係は、一緒にいる、 という意味です - 性的に、 行為において、です。 あなたは、生計を 立てます。 妻は留まるか、生計を立てるために 外へ出ます。 料理をします。そうね、 関係は、それらを含蓄しています。 慈しみ、苛立ち、小言を言う。 変更する。 あなたは、一人の彼女や 一人の彼氏が好きでないなら、 他の人へ行きます。 この過程が、関係です。 そう呼ばれます。 私たちは訊ねています - 実際の関係とは、何ですか。 そういうものが いったい、ありますか。 あると、私は言っていません。 私たちは、探究しています。 ゆえに、この事柄において、 教義的な発言は、ありません。 48:22 私たちの関係は、実際に 何に基づいていますか。 どうぞ、それを探究して ください。 あなたが、です。 あなたは、誰かに関係して います。 生は、関係です。 関係なしに、あなたは 存在できません。 しかし、その関係とは 何ですか。 あなたは、「はい、 それは愛です」と言います。 その言葉は、なかなか 気恥ずかしい。 なぜなら、「愛」には、 あらゆる種類の愚劣な意味が 積み込まれているからです。 それは一般的に、「セックス」 という言葉に、伴います。 ゆえに、愛は、単なる 性的な楽しみになります。 しかし実際に、あなたが 関係の問いへ入るとき、 それは、何に 基づいていますか。 それは、あなたたちが互いに築いてきた イメージに、基づいているのでしょう。 明白です。 これら二つのイメージが 関係を、持っています。 49:39 これに付いてきて おられますか。 お好きでないのは、 存じていますが・ ・・ おそらくこの観念や この実際の事実を お好きでないかも しれませんが、 あなたは、それを 飲み込まなくてはいけません。 あなたがそれを好きでも、 そうでなくても、です。 事実は、一人一人が、相手について イメージを創り出すことです。 そして、これらのイメージが、 或る種の関係を、持っています。 なぜなら、一人一人が、わが道を 行くからです。 野心、貪欲 - そうね、いつの時も 分離しています。 おそらくベッドの中で一緒になりますが、 それは、関係ではありません。 それは、表面的で、 感覚的で、楽しめますが、 実際に、このイメージは 二人の間で、分割的な要因です。 |
| 50:35 さて、このイメージを築く 機構が、憶えておくことです。 彼女が言ったことや、あなたが 言ったことを、憶えておく、 あなたの性的なイメージを 憶えておくこと、などなどです。 親切である、怒っている、小言を 言うなどなどのイメージです。 あなたたちは、互いについて大いに イメージを、築いてきました。 これが、思考の動きです - それは、憶えておくことです。 さて、私たちはこう言っています - イメージなしに関係がありえますか。 それが、たった一つの 関係です。 51:29 さて、これの真理を 見ること、 イメージがあるところ、 分割があることを、見ること。 ゆえに、あなたが彼女について イメージを持っているし、 彼女があなたについて イメージを持っているなら、 これらイメージが、人々を 分け隔てておきます。 あなたが、これの 十分な意義を、見るなら - あなたは それを見られます - そのとき、イメージを 築く機構は、終わります。 自然に、です。 なぜなら、すべての生は、 関係であるからです - それが自然とでも、互いとでも、 天空とでも、それは関係です。 しかし私たちは、天空について イメージを、持っているなら - 天国ではなく、天空、 コスモス、宇宙です。 あなたは、それについてイメージを持って いるなら、それと関係を持ちません。 52:41 あなたが、自然について イメージを持っているなら、 イメージのほうが 現実より、重要です。 で、あなたが、これの真理を見るとき、 イメージ作りは、終わりになります。 そのとき、実際の関係の 可能性が、あります - 自然と、宇宙と、です。 それは愛です。私たちは 別の時に、それに入るでしょう。 |
| 53:07 で、私たちは、即時の行為 である学び方があると、 言っています - それは 知識から生まれていません。 それは、衝動的な行為 ではありません。 それは、情動的、ロマンチックな 行為ではありません。 それは、知識の動き全体の 了解の中から生まれた行為です。 それは、知識の 制限の真理です。 さて、精神は、 読む準備が、できています。 よろしいですか。 どんな歪曲もなく、その書物を 読む準備が、できています。 幻影がないから、 それは、物語全体を 聞くことができます - 「私は好きだ。好きでない」 と言うことなく、完全に、です。 54:15 それは読みます。 音楽のように、です。 「私はあの部分が好きでない」と あなたが言う部分は、ありません。 それは、音楽です。 その書物より学ぶ - 読むことこそに、 行為が、あります。 読む、そして 行為する、ではない。 なぜなら、あなたがそうするなら、 それは記憶になるからです。 制限されていて、 そして、行為です。 これらを理解されて いるのを、望みます。 あなたがこれに入るなら、 すばらしい。 |
| 54:48 で、精神は、読む準備が できています。 それは、発見します - どうぞ、聞いてください - その書物は精神です。 いいですか? その書物は意識です。 その書物は、私が読むために あちらに、台に載っていません。 その書物は、私の意識の、あなたの 意識の、この内容全体です - 貪欲、 妬み、これ、他、と。 で、 これに付いて きておられますか。 その書物は、そこにありません。 その書物は、ここにあります。 いいですか? そのときあなたは、その書物を どう読むのでしょうか - それがここにあるなら、です。 質問に付いてきておられますか。 私たちは、読むのはそこにあると考えて きましたが、書物はこれなのです。 こうも歪曲の能力がある、 この精神の性質です - テクノロジー的にこうも 大きな出来事の能力があり、 無秩序の能力があり、 こうも大きな恐れ、心配、 残忍さ、暴力、慈しみ、 喜び、それらの能力が あるもの、です。 56:30 で、その書物は、これです。 いいですね? で、私は、何を 読んでいますか。 何が起きてきたかを、 見てください。 前に私は、その書物は私が読むために あそこにあると、考えましたが、 今、私は、書物はこのもの、それ自体 であると、発見したのです。 ゆえに、絶対的な静かな 観察が、あるときだけ、 それは読めるのです - 関係において(観察があるとき)、 です。 理解されますか。 よろしいですか。 これを お分かりになっていますか。 その書物が読まれうるのは、 関係においてだけなのです。 関係が、私の現実です - 私の妻、私の友、 私の犬と、自然と、丘と、 この谷の美しさなどと、です。 57:45 いいですか? で、 何も葛藤が、ありません。 私は書物へ、それが何である べきかを語っていません - そのとき 葛藤がありますが、 その書物が、私であるなら、 分割の終わりが、あります - 逃避の終わり、 抑制の終わりが、です。 その書物は、私です。 で、何も制御が ありません。 書物自体より異なった 欲望は、ありません。 これを捉えておられるのか どうかと、思われます! なぜなら、そのとき、 葛藤、格闘の動き全体 - より良くなること、 集団の中で、私自身を理解しよう とすることの(動き)ですが、 そのすべてが、終わります。なぜなら、 そのものが、そこにあるからです。 58:55 そしてあなたは、それの 動き全体を、発見します - 日々の関係の中で、です。 その関係において あなたは、観察しています。 何も葛藤が ありません。 いいですか? |
| 59:15 何時ですか。 もしこれが、明らかであるなら、 私たちは今、問いに入られます - 何か全然違ったことへ、 です。 すなわち、 なぜ人は、太古の日々から、 幾つもの時代をとおして ずっと、苦しんできましたか。 理解されますか。 これは、本当に きわめて重要な問いです。 見たところ、人はけっして悲しみを 終わらせてきませんでした。 いいですか? キリスト教は、「他の誰かが 私のために苦しんでくれる」と 言うことにより、それより 逃避してきました。 償ってくれる人、そうね、 その事柄全体です。 そしてアジア人たちは、「それはあなた の過去の業だ」と言うことにより、 それを翻訳してきました。 すなわち、 過去の行為です。過去の生です。 「あなたは今、その付けを 支払っている」と。 1:00:33 あなたが適正に振るまうなら、来世、 あなたは、宮殿で暮らすでしょう! または、もっと良く、です。 そうね、靴磨き人になる代わりに、 あなたは法律家になる だろう、などなど、と。 それは、自己改善です。 私たちが互いへやっている、これら両方 のごまかしの危険を、見てください。 イデオロギーをとおして、 苦しみから逃避する - 概念をとおし、 イメージをとおして、です。 そして、過去のせいとの、 悲しみの別の説明です。 すなわち、原因、 出来事だ、と。 しかし、出来事は、 原因になります。 もちろんです。 いいえ? これを 理解されましたか。 あらゆる物事が、説明 されなければなりませんか。 ご覧ください。 原因と 結果が、ありますが、 結果が、それ自体を 修正します。 そのときそれが、別の結果の ための原因になります。 1:01:48 で、それは、常なる 原因・結果、因果です。 結果は、いつの時も、 原因になります。 そして、人、あなた、 私たち、人間たちは、 ここに生きていても、アジアでも、 インドでも、他のどこでも、 私たちは、この悲しみのとてつも ない重荷を、持っています - このいわゆる個人的な 悲しみだけではなく、 人類の集合的な 悲しみも、です。 そういうものが、ないですか。 理解されますか。 インドの小さな村の 貧しい人は、 けっして温かい風呂に入られず、 清潔な衣服を着られず、 知識を持てません。 けっして 航空機に乗られません。 大地の美しさを けっして見られません。 なぜなら、彼は、骨折り仕事をし、 骨折り仕事をしているからです。 1:02:54 そして、戦争で殺されてきた 何千、何万の人々、 そして、母親、彼らの彼女、彼らの 妻たちは、泣いて、泣いていますね。 あなた自身の小さな悲しみと同じく、 世界の悲しみが、あります。 あなたがこれに入ったことが あるのかどうか、私は知りません - それについて 考えたことさえも、です。 私たちは、自分の小さな悲しみに、 自分の小さな涙に、 関心を持っているだけです。 私は、枯れ草熱に罹っています。それ だけです。それは涙ではありません。 |
| 1:03:38 で、個人的な、即時の 様々な種類の悲しみが あるだけではありません。 究極的な悲しみは 死です。 あなたが自分が愛していると 考える誰かの死 - あなたは、その人に 依存してきました。 その人は仲間であった、 などなどです。 しかしまた、人類のこの無量の 集合的な悲しみも、あります。 で、私たちは、この悲しみがいったい 終わりうるのかどうかを、訊ねています。 なぜなら、それが終わらない なら、愛はないからです。 あなたたちは 善い社会を、持てません。 善さは、ありえません。 で、見出さなければ なりません - 自分の個人的な悲しみ、それが 終わりうるのかどうかだけではなく、 また、広大な集合的な悲しみへ 寄与しないことも、です。 どうぞ、これは、きわめて、 きわめて深刻です。 それは、あなたが 玩ぶことではありません。 それは、あなたが論争し、 悲しみについて対立陣営を 構えることではありません。 1:05:19 誰も、どの償ってくれる人も、 救い主も、 人が悲しみより自由であるよう、 助けたことが、ありません。 彼らは、悲しみより 逃避するよう、助けてきました。 で、私たちは、きわめて、きわめて 深刻な質問を、しています。 そして、ただ、きわめて 真剣な精神、 私たちが議論してきたすべてを 経てきた精神だけが、見出せます。 または、真剣な質問を できます - 悲しみが - 私たち自身の特定の、個人的な 制限された悲しみですが - 悲しみの巨大な流れに付け加えない ことは、可能であるのかどうか、です。 |
| 1:06:16 で、悲しみとは何ですか。 質問を理解されますか。 さて、この種類の 質問をする中と、 私たちが以前にしてきた 質問をする中で、 問いと探究は、分析的な 過程ではありません。 それは 分析ではありません。 理解されますか。 私は、これを 少し説明しなければなりません。 分析は、分割を含意しています - 分析者と分析されるもの、です。 分析者は、過去です。 いいですか? 彼が学んできたこと - フロイトからと、そうね、 心理学的な知識全体と、 この専門的な、心理学的構造の 様々な分割です。 で、分析者は、分析される ものより、異なっています。 1:07:29 そうなのですか。 または、分析者は、 分析されるものですか。 どうぞ、探究してください。 もちろん、そうです。 私は、自分の抑制を検討しています - 私が何かを持っているなら、です - 私はそれを分析していて、自分の 子ども時代へ戻るか、または 何らかのこと、過去の出来事へ、です。 私はそれを分析していますね。 で、分割が、あります。 私たちは、分析者は分析される ものであると、言っています。 すなわち、分割は幻影のよう だとの真理を、見る - 分析者は、分析されるものである、 経験者は、経験されるものである、と。 いいですか? これらに 付いてきておられますか。 私たちは、「私は、経験を しなければならない」と言います。 私たちは、もっと大きい、もっと広い、 もっと尊いものを、探求しています - 広汎な、神々しい経験、 神秘的な経験を、です。 それは、経験者が、 自らの経験していることより 異なっていることを、 示します。 1:09:01 その過程において、経験者は、 経験を認識しなければなりません。 さもないと、それは、 経験ではないでしょう。 その認識こそが、彼が得てきた 何かを憶えていることです。 で、経験者は、経験です。 思考者は、思考です。 思考は、思考者より 異なっていません。 で、分析者は、 分析されるものです。 それで当面の間は、十分です - それを取り除いても、受け取っても、 それは、事実です。 あなたは、それに入ります。 |
| 1:09:41 で、私たちは、質問をする とき、分析していません。 私たちは 観察しています。 観察の中に、分析はありません。 あなたは観察しているからです。 そのものは、自体を 開示しつつあります。 あなたは、それに語っていません。 それが、あなたに語っています。 で、純粋な観察だけが、 あります。 で、同じように、私たちは 質問をしています - なぜ人、人間は、 何千年もの悲しみの 貯蔵庫である人は - 個人的なだけではなく、この 集合的な悲しみの重荷も、です - なぜ人類は、それを 堪えてきたのか、です。 たぶん人は、それを解決する ことが、できなかったのです。 人は、こう言う能力が、 ありません - 「ごらん。私はこのものを どうすべきかを、知らない。 1:11:00 私は苦しい。私は泣く。私は、 自分がさびしいのを、知っている。 私は成功がほしかった。 私は失敗して しまった」と。よろしいですか。 嘆き、悲しみ。 挫折、抑制の感覚。 そのすべてが、その一言に含蓄されて います。 そしてもっと多くが、です。 今、訊ねる中で、 私たちは、言っています - 私たちは、観察しています。 分析していません - なぜ人は、このものを堪え、 それに忍耐してきたのですか。 あなたは、歯痛を 忍耐しません。 あなたは、それについて 即時に、何かをしますが、 人は、これから、自由に なってきませんでした。 それは、人が無能力 であるからですか。 または人は、それをこう受け入れて きた。 それが、習慣になってきた。 で、人は、「私はそれを 解決できない」と言います - 「私は、それから 自由になれない。 1:12:21 自由になれないので、どうぞ、 私を助けてください」と。 人は、「神様、キリスト、クリシュナ、 ブッダ、外側の誰かが、 どうぞ、私の悲しみを取り去って ください」と言います。 それもまた 働いてきませんでした。 自らは、その中へ 逃避できますが、 それは、現実ではありません。 それは、そこにあります。 あなたは、日曜日ごとに教会へ行くか、 一日五回、祈るかもしれませんが、 それは、そこにあります。 |
| 1:12:57 で、私たちは今、 訊ねています - なぜ人は、あなたは、それを 解消してこなかったのか。 悲しみは何ですか。 どうぞ、答えてください。 その問いをあなた自身にして ください。 悲しみとは何ですか。 誰かを失うこと、 あなたの特定の願い、 あなたの欲望を失うこと、 あなたが頼ってきた 誰かを、失うこと、 仲間付き合いを 失うことですか。 悲しみは、この甚大な孤立、 さびしさの感覚ですか。 で、私たちは 訊ねています - 「私」と「あなた」との間の関係は 本質において、何ですか。 「あなた」がそこにいないとき、 涙を流す「私」。 いいですか? 充足を探し求める「私」 - 尊いのか、卑しいのか、 想像上か、実在か、 何らかのものに、です。 充足は拒否されるし、 私は欲求不満を感じます - 抑制された、 惨めだ、憂鬱だ、と。 1:15:05 それが、悲しみの 理由ですか。 または、自らは本当に、悲しみと ともに生きてこなかったのですか。 それより逃げ去るのではなく、 生きたのか、です。 質問を理解されますか。 どうぞ、 これを理解してください。 自らは理性的に、それを 説明してしまいませんでした - 論理的に、「ええ、あれが原因だった。 これが結果だ。ゆえに私は苦しい」と 言ってきませんでした。 よろしいですか。 私たちは、訊ねています。 分析していません - これらすべてが、悲しみの理由、 悲しみの原因ですか。 または、周辺的な出来事より はるかに深い何かが、ありますか - 悲しみを もたらすものが、です。 理解されますか。 1:16:15 私たちのほとんどは、周辺的な 出来事、事故に、捕らわれています - 嘆きをもたらすものに、です。 私たちは、それら外的な出来事を 解消しようとしています - それらを解消することができなくて、 私たちは、逃避します。 おそらく私たちは、それらを 解消してきましたが、 この甚大な、終わりなき 人の悲しみには、 はるかに深い原因が あるかもしれません。 |
| 1:17:00 その深い原因は 何ですか。 そうね、私は探究しています。 語り手は、探究しています。 あなたもまた、 探究していますか。 質問を理解されますか。 またはあなたは、周辺的な悲しみに 関心を持っているだけですか - 充足、非充足の (悲しみ)に、です。 私は怒っている。 妻は私から 去る。私の夫は行ってしまう - 私たちが収集してきた 些細な小さな悲しみです。 そして、「あれが 悲しみです。 私たちは それらより自由で ありたい」と、言います。 それは、きわめて 容易い。 それらは些細で、かなり未熟です。 それらは、脇に置いておけます。 自らは、それらを容易く 解消できますが、 1:18:00 私たちは、訊ねています - この長続きする、果てしなく続く 人の悲しみには、 深い原因が、ありますか。 もし語り手が、 原因を指摘するなら - そして、原因が あります。 語り手はそれを 発見したのですが、 それは、あなたにとって、 どんな価値が、ありますか。 私がやっているこれは、 ごまかしではありません。 それで、あなたが どうなるのでしょうか - もし私が、あなたに「これが それだ。 これが本当のことだ。 これが、なぜ人類が苦しむかの 真理である」と語るなら、 あなたはそれを、どうするので しょうか。 理解されますか。 またはあなたは、「はい。 それは、とても良い観念です。 私はそれについて考えなければ なりません」と言うのでしょうか - 「おそらくそれは、私の悲しみを取り 除くのを助けてくれるかもしれない」と。 1:19:28 付いてきておられますか。 誰かが、あなたに 貴重な宝石を、与えてくれます。 あなたはそれを、 どうするのでしょうか。 理解されますか。 あなたはそれに、何を 支払うのでしょうか。 あなたが単に、思考のコインで 支払っているだけなら、 それは無価値です。 それは、もはや 宝石ではありません。 しかし、あなたが、 「宝石は、そのものだ。 私の人生で最も重要なものだ。 私はそれを保たなければならない。 私はそれを見つめなければ ならない」と言うなら、 そのときあなたは、それを 保つために、自分の心、 自分の精神、自分の血、 あらゆるものを、注いでいます。 |
| 1:20:28 で、人類の深い原因は、 何ですか - こうも甚大な悲しみの重荷を もたらす原因、です。 個人的なものだけではなく、この 巨大な集合的な重荷を、です。 あなたは私に、 語ってもらいたいですか。 どうぞ、明らかであってください。 ただ頷かないでください。 きわめて明らかで あってください - あなたが問いを 受け入れた、ということ、 あなたの精神すべてで、あなたの心で、 あなたの存在全体でもって、 あなたが問いを受け取った、 ということが、です。 なぜなら、それが、 全的に解消するであろう 最も肝要な問いであるからです - 些細な問題だけではなく、 人の葛藤を解消するのです。 よろしいですか。 あなたが、その問いを 完全に受け取るなら、 問い自体が 答えです。 いいですか。 これをお分かりになるのか どうかと、思われます。 |
| 1:22:15 そうね、あなたが その質問をなさるなら、 あなたは、誰かがそれに 答えるのを、期待しているのか、 あるいは、あなたは考えに、考え、 考えています - いいですか - 答えを見つけようと しています。 しかし、考えることや、他の誰かがあなた の問いに答えてくれるのを待つことは、 それを解消しようとしていません。 いいですか? で、あなたが問いをどう 受け取るのかが、重要です。 あなたが問いにどう 接近するのかが、です。 もしあなたの接近が、 全包括的で、完全であるなら、 そのとき答えは そこにあります。 1:23:04 しかし、あなたが「それについて 私に語ってくださいよ」と言い、 反っくり返って待つか、 自分の司祭者や 導師や書物や、 自分の権威に、語って くれるよう、頼むなら、 そのときそれは、 何の意味もありません。 それらは、あなたに 千回語ってくれたのです。 で、それは、 まるで、ですね、 湖に似ています。 あなたは 石を落とします。 湖は、とても静かですが、 あなたは、石を落とします。 そして、波が 進んでいきます。 問いは、あなたが湖に 落とすその石です。 理解されますか。 よろしいですね。 |
| 1:24:06 今朝、私が話しておこうとして いたことが、幾つもあります - 愛と死と冥想のように、です。 私たちは今、時間が ありません。 私たちは、次の土曜日と 日曜日に、それをするでしょう。 なぜなら、それらもまた、きわめて 本質的な問いであるからです。 - 全的な答えを 要求する問いです。 冥想の本性、 死は何であるのか、 生と死の動きは 何であるのかと、 愛の意味は 何であるのか、です。 私たちは、次回、 それに入るでしょう。 |