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OJ82CNM1 - 心理的無秩序の根源
第1部 ボーム博士、ヒドレー博士、シェルドレイク博士との対話
カリフォルニア州オーハイ
1982年4月16日



0:05 【 心の本質 】
0:19 ~ 第1部 ~
0:23 ~ 心理的無秩序の根源 ~
0:37 これは J.クリシュナムルティと― その他の人々による一連の対話です これから行われるのは心の探究です 心理的無秩序とは何か 心理的変容に必要なものとは何か
0:57 クリシュナムルティ氏は宗教哲学者として この問題に長年携わってきました 米国、英国、インドでは 小中学校を設立しました
1:10 デイビット・ボーム氏は倫理物理学者 英国のロンドン大学の教授です 倫理物理学や― 意識の本質に関する本を執筆しています 2人は以前― 様々な対話を行いました
1:27 ルパート・シェルドレイク氏は生物学者 彼は最近『形態形成場』という仮説を 本の中で提示しました 現在 インドの国際作物研究所に― 植物生理学者の意見を求めています
1:46 ジョン・ヒドレー氏は精神科医 クリシュナムルティ学校に― 過去6年間 携わってきました
1:55 心理的問題を扱う上で どのように対処するかは 意見が分かれるところです 対処法の基本原則もまた 大きく食い違います 心は 苦痛や変容と関係しています 偏狭で特殊な視点を持たずに 意識の本質、つまり心を 理解することはできるのか? これらの問題を探究していきます
2:28 自我の本質とは無秩序でしょうか?
2:40 仮にそうだとして なぜそう思うんですか?
2:44 自我、私、エゴ… それは不和を生むものではありませんか? それは排他的、孤立的ではありませんか? 多くの無秩序を世界中にもたらす自己中心的な活動 それが あらゆる無秩序の原因では?
3:10 利己的な活動が原因だと…
3:13 ええ 人生全般において
3:17 確かに それが患者が来院する理由です 自分のうつ病―
3:22 自分の恐れ―
3:24 自分の充足感、満足、悩み、苦しみ― これらは皆自己中心的なものです
3:31 つまり― 自我が あらゆる無秩序の原因ではないでしょうか? その利己的な生活態度が無秩序の原因では? その個人的な意識、個人に重点を置くことが… 自分の救済、自分の満足 自分の幸福、自分の心配事などが…
4:01 それが原因かどうかはわかりませんが 患者は必ずそう表現します 自分のものとして
4:11 ええ しかし世界中どこに行っても― 表現は同じですし生き方も同じです 皆 個人的な生活を送っています 他と関係することなく 結婚していようが何だろうが 実際には 孤立した中心から機能しているのです
4:39 そして その中心、自我が― 問題の原因であり
4:46 人間関係において
4:47 苦しみを引き起こす、と。
4:52 心理学者はその問題に取り組みましたか? 自我は あらゆる矛盾の起源であり― 分裂的な活動、利己的な活動の始まりです
5:11 いいえ 精神科医や心理学者は― 適切な自我を持つことが課題だと考えています
5:21 適切な自我?
5:23 と言うと?
5:26 正常な自我…
5:28 十分に能率的に機能する―
5:31 そういった自我?
5:33 それは 更なる苦難を意味します
5:41 いや 精神科医が― それに同意するとは思えません 適切に構成された自我が― 別の適切な自我と会えば 秩序ある社会を築ける
5:54 だが あなたの意見は― まるで違う
5:58 つまり どんな自我の構造も― 秩序を作り出せないと?
6:04 その通りですまさにその自我の性質が― 本質的に無秩序をもたらすのです
6:15 なるほど しかし― それを どう明らかにするんです?
6:27 これは心理学というよりも― 更に広範囲な話です 世界にはあらゆる種が存在します 人間だけでなく 動物や植物、あらゆる自然の猛威― 星などが存在します 自然にも無秩序はあります 自覚はないにしろ 苦しんでいる猫、ライオン ネズミ、ミミズ― 彼らは精神科医を訪れませんが 自然にも無秩序があり 対立があるのでは? 自然の猛威と無生物の対立― 例えば地震などそして動物界の対立 植物界の対立― 光を求めて競争し 成長するものもあれば 枯れてしまうものもある 捕食者と被食者の対立 動物は他の命を食べて生きる あらゆる種類の対立、病気― 苦痛、パラサイトなどが 自然界にもある つまり これは心の苦痛、無秩序といった― 単に心理的な話なのか 又は 自然全体の話なのか 実際 世界はバラバラです そして バラバラのものが― 互いに影響し合っている そして そこには常に対立がある
7:57 しかし あなたは― 人の意識の中だけに 無秩序があると思われている?
8:06 その通り
8:07 それは本当に― 無秩序なんでしょうか? 自然界で起きていることと― 意識の無秩序の違いとは?
8:18 先日 テレビを見ました チーターがシカを襲っていました それは無秩序ですか
8:28 苦痛は伴いますね
8:30 苦痛…なるほど つまり 自然界でも人間社会でも苦しみや無秩序が当たり前だと― そう言っているのですか? その通りです
8:49 なぜ そう思うのですか?
8:51 セラピストはそのように思うものでしょう それらはある程度 生じるものです 成長の過程において うんと苦しむ人もいれば 生い立ちからして幸福な人もいる 遺伝などでね 必然ではないかもしれませんが― それは問題ではありません
9:18 それが問題なんです
9:20 私もお聞きしたい
9:22 ええ
9:24 シェルドレイク博士は言いました 人間とは苦しみ もがくものであり 不安、苦痛、無秩序を持つものであると…
9:36 確かに―
9:38 身体的苦痛は必然的なものです 人は病気になり 死にますそこで疑問なのが― 心理的苦痛も似たものなのか それとも違うのかという点です
9:52 いいえ そうではなく私が本当にお聞きしたいのは― 苦しみの必然性です 人はこの様な状態の中で― 永遠に人生の苦悩を味わなくてはならないのか それは必然でそうあるべきなのか?
10:19 望みはしませんね
10:21 そうではなく― もし それを必然的なものとして受け入れるなら― 結論は出ないでしょう
10:35 本当に必然なのか?
10:39 身体の苦痛は必然ですよ
10:42 病気、死―
10:43 ええ 例えば老化、事故、病気などがあります
10:49 身体的苦痛の増大は― 心の問題が原因かも
10:53 それです!母親は子供を生みます 出産のためにつらい経験をしますが 不思議なことに― 痛みを忘れて次々と子供を生みます ご存知の通り インドでは7、8人も子供を生みます 最初の苦痛を覚えているなら― もう生みません 母親たちと話しましたが どうも すっかり苦痛を忘れてしまったようなのです つまり そこには心理的な働きがあるのでしょうか 苦しみを拭い去るような… 最近 私自身ちょっとした手術を受けたんですが かなり痛かったです 本当に 長らく痛みましたが 今や忘れてしまいました ということは 我々に― 断続的な苦痛を 与えているのは 心理的な苦痛の記憶なのでしょうか?
12:31 つまり この世の身体的苦痛は― 心理的苦痛が原因ではなく 心理的苦痛はそれ独自の働きであると?
12:43 その通りです 歯痛の経験が?
12:49 ‐ええ でも…‐忘れてしまった なぜですか? もし痛みが必然なものなら― 苦痛が必然なら― あなたはそれを断続しているはずです
13:12 いえ 時々起こるものとして 必然なのです けれど体の痛みは忘れられます 心の苦痛はどうでしょうか 誰かを死で失ったり…
13:26 それは また後で 例えば― 結婚生活に問題があります 仮定の話ですが… 妻と折り合えない
13:40 ええ
13:43 互いに折り合えない そういった問題があるとき― どのようにあなたは手引きしますか? 誰もが直面する問題です
13:57 ええ
14:03 離婚するか
14:05 順応するか しかし 順応できるでしょうか? お互いがしたいようにするなら お互いがそれぞれの欲望を追うなら
14:25 つまり 問題が生じるのは― お互いの関心事が違うからだと?
14:32 いや 関心事の問題ではなく… 我々は皆ひどく利己主義です
14:41 ええ
14:43 皆 自分のやり方を通したがる 徹底的に
14:49 そして欲求が対立します
14:52 ええ すぐにそうなります 関係を結んだ数日後、あるいは数ヵ月後には― 快楽が薄れて 行き詰まります
15:05 母子関係もそうです 子供を玩具にする母親なんかは― 子供の欲求と対立します
15:16 どうぞ 何かありますか その母親の母親もそうだったのです
15:26 ええ
15:28 母親だけでなく世界全体がそうなのです
15:32 ええ
15:37 なのに あなたは母親が原因だと?
15:42 賛成できません
15:44 ‐そうは言ってません‐これは失礼
15:50 もっと広範な問題です
15:53 もっと深い問題です 母親が― 子供のおまるを間違えた話よりも…
16:05 そうですね つまり問題は欲求の対立だと?
16:14 いえ 欲求の対立だとは言ってません 彼らは基本的に分裂的で利己的なのです だから必然的に矛盾が持ち上がるのです 大体想像はつくでしょう
16:32 ええ
16:40 皆が快楽を求めているのですから
16:45 子育てにおいても― 結婚においても― 利己的な活動があり… 子供が被害を受けます
16:59 子供は被害者です
17:01 確かに
17:03 そして そのまま大人になる
17:06 誰もが代々そのようにしてきたわけです
17:11 ええ でも なぜそうなのか? 必然的なものなのか あるいは…
17:18 いやはや
17:21 まあ ある程度の対立は本来あるものでしょう 例えば ゴリラやヒヒの群れの中には… ヒヒにしろチンパンジーにしろ― オス同士が対立し 一番強いオスが―
17:45 魅力的なメスを独占しようとします 若いオスは分け前にあずかりたいと思います メスを奪うために― トップのオスを撃退します メスの独占という― この利己的な活動は― アカシカにも見られ雄ジカはメスを独占します これは動物の例ですが― 不要な対立です メスのエサは十分ある 例外に漏れず― 動物界にも対立はあります つまり この手の利己的な対立は― 人間社会やその構造に― 限ったものではなく 生物学的本質でしょう
18:36 つまり 我々は動物から進化したもので 動物から― 序列を受け継いだ、と そう言っているのですか?
18:48 ええ 多くの性質を― 動物から受け継ぎました
18:54 それは心理的問題にも現れます
18:58 ええ しかし我々はこのままであるべきなのでしょうか?
19:05 ああ!
19:06 我々は思慮深くて発明の才に優れています 特定の方面において非常に有能です ならば なぜ― こう言わないのか? “生き方を変えよう”と
19:27 多くの人が言ったでしょう
19:30 そうでしょうね
19:32 ただ効果がない
19:35 なぜ?
19:37 それが問題です 我々は完全に血脈の罠に陥っているのかも
19:43 あるいはひどく条件付けられている
19:50 条件付けは二種類あります 一つは生物学的なもの 我々は動物の性向を― 受け継いでいます
19:59 認めましょう
20:00 それは非常に強く― 動物に直結しています
20:05 ええ
20:06 もう一つの条件付けは― 議論中のものですが 人間の性質であるという説です ゆえに戦争や対立は― 今後もあり続けるでしょう 最小限に抑えるしかありません 人間関係において― 常に葛藤はあり 最小限に抑えるか― 適応するかです
20:32 要するに― 根本的に変えられないと?
20:37 ええ 根本的に変えられないと 我々はそう信じていて 私は その条件付けの被害者なんです 果たして逃げ道が?
20:52 このことを議論しましょう 人間の条件付けは変えられるか? 受容するのではなく 哲学者や実存主義者は言います “人間の性質は条件付けられている” “変えることはできないが―” “利己心を和らげ―” “心の問題のつらさを和らげ堪えることはできる” “これは動物から継いだ性質である” 我々は未来永劫このように― 生きていくわけです 次世代の人々もそうです 我々はこの条件付けを受容するのでしょうか? または 変えられるかどうか 調べてみるべきでしょうか この条件付けを
21:59 調べるべきでしょう
22:02 “変えられない”と言えばそれまでです
22:06 ‐わかりました では…‐いえ 私は別に…
22:10 変えたいです本当にそう思ってます その可能性を調べることは― 非常に重要だと思います ただ私が言いたいのは― 多くの条件付けが 我々の生体に刻まれていて 変えたくとも 表面的にしか…
22:35 変化していませんね
22:37 社会構造を変えたり…
22:39 共産主義者のように
22:41 環境を変えるだけなら それは共産主義のやり方です いくつかの共産諸国から 結果を見ることができます もちろん信奉者は― その失敗を― 認めないでしょうが その信念の基盤はこうです “社会が悪の根源である” “社会を変えなくては!”
23:07 しかし社会は我々が作ったものです
23:11 変えるのも我々です なのに我々は自分を変えず 社会を当てにしているのです つまり 我々は罠に陥っているのです
23:26 ええ その通り ですから我々に― 植え付けられている遺伝 生物学的に過去から来たもの そこから話を始めるとして 社会にもまた様々な弊害があるからと 社会を変えても 遺伝が残っています
23:51 そうですね しかしそれらもまた変容できるのでは?
23:57 どうでしょう…
23:59 類人猿から受け継いだと思われるもの… 例えば暴力などは…変えられないものですか? ‐生物学的に受け継がれた…‐欲求?
24:16 条件付け!それは間違いなく変容できます
24:21 まあ あらゆる社会が― 生物学的欲求を変えようと 制御しようとしているのは確かです 子供の育成において 混乱を避けるために だが常にそれらは 社会や個人の中に持ち込まれます もちろん それは社会では奨励されません しかし実際に変わるものなのか? 戦争などとなって現れているのでは? つまり社会によって本能的欲求は 姿を変えます
25:03 しかし… 失礼 続けて下さい
25:05 実際には変わってませんが あなたが言う変容とは根本的なものであって 単なる表面的な変化や 攻撃の対象を転換することではないはずです つまり あなたが言う変容とは 欲求が消えるものでは? 違いますか?
25:29 いえ 別の形に…
25:31 しかし―
25:32 今ここで― 我々がしてるのは 本質的な解放の話です
25:38 ええ その通りですさて なぜ我々は― 社会と自分を分けるのか? まるで外から自分に影響を与えるもののように 自分を条件付けるもののように…しかし社会とは― 我々が代々 作ってきたものです つまり自分が社会なのです
26:05 なぜ我々は分けるのか?
26:08 それは 様々な社会が― 存在するからでは? 仮に私がインド生まれなら― 育ち方も言動も―
26:19 今とは違います
26:21 違う社会で育つ可能性があったことを 我々は想像することができます それで社会と己は別物だと思うのでは? いずれにせよ 我々は常に 社会の中にいて社会の中でのみ― 存在するわけで― どの社会に生まれるかは 廻り合わせによるものです
26:49 しかし どの社会であろうと我々の一部です
26:53 ええ 成長の過程で― 我々の一部となります
26:57 “社会と私は別のものである”というこの観念を この議論で 打破したいと思います 私が社会、世界なのです 私は影響や条件付けの産物です どこで生まれようと― 我々は条件付けられます
27:21 それなら取り組むのは 出身地ではなく条件付けです
27:27 ええ 問題は条件付けです 生物的なもの、社会的なもの
27:33 その通りです
27:35 ゆえに 私は自分を社会から分離しません 私が社会です 私が社会を作ったのです 己の不安によって 己の欲望などによって… 動物と同じようにすべてが生物学的に受け継がれ また 己の個人的な活動によって作り上げてきたのです この社会を… そこでお聞きしますが― 条件付けから自由になるのは可能ではありませんか? もし不可能だと言うならそれまでですが…
28:21 全てから解放されるのは― 無理でしょう 例えば― 心臓をバクバクさせたり
28:30 肺を機能させたり…
28:32 それは無理です
28:34 どこで線引きをすべきでしょう? 必然的な条件付けを
28:39 ヒドレー博士の主張はこうです “私は苦しむように心理的に条件付けられてる”
28:48 その通りです
28:49 “人間関係で対立を経験するように条件付けられている” “私の妻と、父と…” そして こう言っています“それを調べて解放されるか―” “受容して緩和するかのどちらかである”
29:10 その通りです
29:12 どちらですか? 心理学者としてどちらを支持しますか もし問われたら…
29:23 そうですね… 通常 緩和しようとすると思います 患者がうまく進めるように
29:36 理由は? お答え願えますか
29:45 思うに それは条件付けが― 生物学的に不変なものに見えるからです 人は気質を持って生まれます 動物から受け継いだ欲求を持っています それから セラピストには不明瞭なのでしょう… この問題に全体的に対処できるかどうか 個別に対処することはできますが
30:29 厚かましい質問ですが…
30:32 どうぞ
30:35 心理学者は全体的に考えないのでしょうか? 人の唯一の関心事は個人の問題解決です
30:52 ええ それが彼らの関心事です
30:55 人間の苦悩を全体から考えていないと?
30:59 その通りです
31:01 関心事は ある特定の人物の特定の苦痛だけだと?
31:07 はい 特定の理由で
31:09 我々は絶望とは何かを追究しません なぜ世界中の人間が絶望しているのか?
31:21 我々は それを一つの問題として対処せず 特定の個人と一緒に取り組みます
31:29 ですから あなたは依然として―
31:33 ええ
31:35 特定の苦悩を重要視し持続させているのです
31:42 と言いますと?
31:45 例えば―
31:47 私は絶望しています
31:50 様々な理由により
31:53 ええ
31:54 そして 私はあなたに相談します ご存知の通り 厄介な話を あなたは私に言います“あなたの絶望は世界の絶望である”
32:13 いいえ 私はそうは言いません
32:17 ということは個人的な絶望を持続させる手助けを― していることになりませんか? 故に あなたの絶望ではなく私の絶望であり
32:33 ええ
32:35 胸に秘めておくにしろ解決しようとするにしろ―
32:41 ええ
32:42 関心があるのは己のことだけです
32:45 そこに戻ってくるのです
32:48 ええ 己の枠組みの中に
32:50 ええ
32:53 つまり あなたは私を更に利己的にしています
32:58 ええ
32:59 更に自分の心配をするように仕向けています
33:06 自分の中での取り組みですが― 利己的になるようには 仕向けてません 立ち直れば 自分の心配をせずに 人と関係を結ぶことができます
33:22 しかし それは表面的な話です
33:26 つまり自我が手付かずであると?
33:30 ええ
33:32 これは通常受容できることではありません 自我はあまり重要でないと 言ってるんですから しかし果たして自我は本当に存在し― 改善の必要があるのか…
33:48 まさにそこです!
33:49 ある程度の利己心は 適度な範囲内なら
33:53 正常だと思われてますが…
33:55 ええ
33:57 つまり利己心の緩和ですね 控えめに利己的であり続けるわけです
34:05 しかし 非常に極端な話では? 自我がないという観念は 受け入れ難いでしょう
34:15 その通り
34:19 受け入れ難いですね
34:22 大抵の人にとって… 受け入れる人もいるでしょうが ほとんどの人は思いもつかないでしょう
34:34 大抵の人にとっては これが現状でしょう
34:39 つまり 現状の緩和ですか?
34:42 ええ
34:45 私には非常にばかげたことに思えます
34:50 しかし そう思うのでしたら 少なくとも 何かしら 理由があるのでしょう?
34:58 それはですね…
35:01 なぜそのように思うんです?
35:04 まず 非常に実用的に思えるからです 我々の生き方は非実用的です 戦争、軍備の蓄積―全く非実用的です
35:17 しかし人は言うでしょう “それが人間なんだから―” “仕方がない” あなたは人間のあり方に 実際に挑んでいるのです
35:30 仰ることがよくわかりません
35:33 我々は個別の存在として― 争い ベストを尽くします しかし あなたは― 異論を唱えている
35:45 わかりましたでは聞くことはできますか? 私の話を受容せずとも 探究することはできますか? どうですか?
36:00 または こう言いますか? “聞きたくない 消え失せろ” 大抵の人はそうです
36:11 普通 考えもしませんね
36:13 確かに
36:20 さて なぜあなたは― 利己的な活動を無益だと思うのでしょうか
36:29 それよりも まず― 我々はこの現状を受容するのでしょうか? “我々にできるのは緩和だけで―” “変えることはできない”と。 この不安から決して解放されることなく できるのは深い絶望を緩和することだけ 理解できますか拷問のようなこの過程を “それが普通だ 受容しよう” “絶望を緩和して少し静かに暮らそう” もしそう受容するなら私たちは通じ合っていません しかし 条件付けのことを承知していながら それでも探究してみる気があるなら 我々は繋がってます 互いに交流しています しかし 鼻先でドアを閉めてしまうなら それまでです
37:41 つまり 現状を甘受し変えれないと言う人もいれば そうでない人もいて 例えば 宗教のリーダーなど “我々は変えることができる” と言う人もいるわけです
37:56 その通り
37:58 そして 宗教には多くの追随者がいて 広く分散していることから 実際には 我々の社会にも どの社会にも変容を信じる人はいます 全ての宗教が変容の可能性を 掲げているからです
38:17 ええ ところであなたが言う『宗教』とは― 組織宗教のことですか? 権威主義的宗教で― 信仰や教義、儀式がある宗教のことですか?
38:36 それとも― 自由の可能性を探るエネルギー という意味ですか? どちらですか?
38:55 そうですね 後者だと思いますしかし組織宗教の歴史や― その信者のことを調べるなら 彼らを奮い立たせたのは 後者の理由からでありそれは今も― 生きていると思います しかし― それが しばしば腐敗、劣化し 新手の教義になったりもします とはいえ 全ての宗教の中に この後者の宗旨が生きているのでは? それが全ての大宗教の推進力なのでは? その後 様々な形で劣化したり 堕落するにしても この構想はどの宗教にもあり 信者も持ち続けています この内なる光によって 人は進んでくわけです 確かに 確かに しかし 例えば私のような人間は伝承を拒絶します 真理について言われている全てを拒絶するとします 神のこと どんなことであれ しかし 他の人々はあれこれ信じているわけです つまり 人間は実際にこういった全てを拒絶したり― 伝承を本当のことだと信じたり― それを非難したり― “確証がある”と言ったりしてきましたが こういった全てを拭い去って 探究してみては? 個人としてでなく そのとき その真理、その至福、その啓発は― 信仰に左右されずとも生じるでしょうか? 例えば ヒンズー教に縛られているとします 表面的にではなく… 儀式や迷信などにでなく もしヒンズー教の宗教的信念に縛られているとしたら 非常に遠くへ行ける可能性があるにも関わらず― 繋ぎ止められますそれは自由ではありません 真理を見つけるには自由でなくてはなりません
41:43 ええ…
41:44 話が行き過ぎましたか?
41:47 いえ ただ話を少し戻したいのですが… 伝承を否定する者の話をされましたね 例えば あなたが その者であるとして なぜ 全ての伝承を 拒絶するのでしょうか?
42:07 それは議論中の問題の一環では? 人は遺伝、社会、家族によって 条件付けられています伝承もその一つで― それが今 議論中の問題です 人の性質は変えられるのか? あるいはそれぞれの問題を個別に 対処すべきなのか?
42:30 いえ 私が言ってるのは あらゆる大宗教の中心核が 変容であるということです 救済、解放、解脱―何と呼ばれていようと この構想がある それで それらの宗教内では常に― この構想を実践してきた人々がいて…
42:54 ああ…!失礼 続けて下さい
42:58 恐らく あなたはそれも含めて 徹底的に拒絶しているのでしょうが なぜ それほど拒絶を…
43:07 お聞きしますが…私は罰当たりかもしれないし― 不信心者かもしれませんが もし私が組織的な信仰に繋ぎ止められているとしたら― 他のものを見いだすことが? 例えば 私が仏教徒だとして 仏陀が救世主であると信じています そう仮定しましょう 子供のときからそう教わり 私の両親も仏教徒だとします そして 私がその観念の中に― その信念の中に その人物の中に 安全を見いだしている限り 自由はありません
44:10 しかし そこから始めたとしても 先へは進めます
44:16 だから全て拭い去るのです
44:20 拭い去ると言っても最初から― 拭い去るのか…
44:26 最初からです
44:28 又は 信仰から始めてそれを超えるのか…
44:33 待ってくださいこれはお決まりの議論です 大切なのは最初に全ての障害を取り除くことです 最後にではなく 私はヒンズー教がどんなものなのか多くの迷信を知っています それを終わらすために なぜ何年もかける必要があるでしょうか 初日に終わらせては?
45:15 しかし それでは― 多くのことを再考察、再発見することが できません
45:25 いえ そうではなく… 私は人との関係の中で生きています その中で私は対立します 彼は言います“宗教や解脱などに―” “取り組んだりせずに” “正しく生きることに転換すれば扉は開かれます”
45:53 口で言うだけなら簡単です
45:59 確かにそうですですから突き止めましょう 皆で一緒に見いだしましょう この世で対立することなく生きる方法を いかがですか?
46:18 そうしましょう
46:20 しかし 見いだせるでしょうか?
46:24 わかりません
46:26 そこが始まりです
46:27 わかりました
46:29 調べてみましょう もし私が自分の人生と正しい関係を結んでいなかったら― 『正しい』関係を どうして広大なものを見つけることができるでしょう 時間、思考、尺度を越えたものを できません 我々が正しい関係を築かない限り― 究極の秩序を見つけることはできません まず 我々から始めなくては わかりますか
47:15 しかし逆に言うことも -できるのでは?‐確かに
47:20 “あれを得ない限り―” “これを正すことはできない”と。
47:25 故に 人は考え出すのです 非論理的なことを考え出すのです 真実ではなく単なる思考の作り事であることを そして それが秩序であると思い込み その秩序が浸透することを望むのです それは非常にばかげていて不合理なことあって 合理的なのはその逆です
47:57 ‐しかし可能ですか‐調べてみましょう
48:05 しかし 今や議論は反転しています そもそも彼の出発点は患者の人間関係を 混乱と対立の状態から― もっとマシなものにしたい というものでしたが…
48:21 お許しください 博士…私は もしかしたら― 天使も恐れる領域に踏み込んでいるかも… それは正しい方法でしょうか
48:36 しかし彼らの方法は 人間関係から始まっています
48:41 しかし 彼らは本当に人間の間に 正しい関係をもたらしているでしょうか? 上辺でなく 根本から その場限りの順応ではなく
48:57 つまり 解決策がどんなものなのか 概念をでっち上げるべきではないと 言っているのですよね
49:07 ええ 例えば 悩んでいてあなたを訪れるとします 他人と馴染めない または ひどく絶望している または 自分を偽っている… 仮の話ですが あなたは私に― こう言います“もっと自分に正直になりなさい”
49:36 ええ
49:37 しかし 本当の正直さとは何でしょうか?
49:44 その概念について― 今 定義しますか?
49:48 いえ 私は不正直です
49:51 ええ
49:52 なぜ不正直なのか?
49:54 なだめたりせず入り込んで邪魔しなさい
49:59 ええ
50:01 正直になるよう助言したりせず 私を揺さぶってください 本当の正直さを見つけられるように
50:14 わかりました…
50:16 条件付けから離脱できるかもしれません 妻から、両親から あなたはそうしません
50:26 ‐いえ…‐それが私の見解です
50:29 ‐そうしてますよ‐不十分です
50:31 それは…
50:33 あなたは問題の解決を邪魔しているのです
50:37 ‐では 確かめてみましょう‐失礼
50:43 私は あなたが順応できるように介入します
50:47 ええ
50:49 “それについて調べよう”とは言いません
50:53 言いますよ
50:55 本当に正直になるまで入り込むのです
50:59 完全に目覚めさせるには どこまで入り込んだら?
51:03 では 実際にやってみてください
51:08 では あなたが来院してきて私たちは話をします あなたは常に誰かを探しています 自分の人生を完全にしてくれる誰かを
51:22 ‐ええ 依存している‐ええ とても
51:26 しかし自覚してません
51:28 ええ
51:30 そこで それを示し 自覚させます
51:34 ええ
51:35 依存していることを
51:37 ええ
51:38 ‐十分ですか?‐いいえ
51:41 なぜですか
51:44 何を示したのです? 言葉による説明…?
51:51 ‐いえ 言葉では…‐待ちなさい
51:53 はい
51:55 言葉による説明などによって 私が不正直だと言って それが私に何を与えてくれるのですか?
52:07 自分についての知識です
52:09 それだけです!自分についての知識…
52:13 知識は私を変えますか?
52:16 ‐いいえ…‐いえ どうか慎重に… では なぜ来院の必要が?
52:27 知識の為でないなら… あなたは私から答えがもらえることを 期待していて…
52:38 なぜ“自分でやれ、依存するな”と言わないのですか “探究しなさい 見いだしなさい”と。
52:48 では 言います“自分で探究しなさい” そして あなたは言います
52:55 “できません”と。
52:56 ‐その通り!‐ええ
52:58 では 依存せずに探究するのを どう手助けしますか? どうでしょう?
53:08 どうか参加して…私の一人舞台ではないのですから これは非常に重要な問題です どのように手助けしますか私が深く自分の中に入り込み― 理解し 超越するのを…わかりますか?
53:39 いえ わかりません その方法は理解できますが…
53:45 私は誰にも依存したくありません
53:48 では 実際には依存しているという事実を 共に発掘しましょう しかし どれほど深く?
53:59 では 依存について調べます
54:02 ‐どうぞ‐なぜ依存するのか? ‐安全のためですか?‐はい
54:08 安全などというものがあるのでしょうか?
54:15 成長する過程で 何が安全か 経験から学習しました
54:21 それは投影された観念では?
54:24 原則―
54:26 信仰、信念― 教義、理念―これらは全て自分が投影したものです あるいは あなたの投影であり現実ではありません
54:41 では それらを押しのけられますか?
54:47 ええ そうすれば絶望しません
54:50 ああ!私は依存しているからこそ腹を立てたり― 嫉妬したりするのですその依存が執着を生み― 更なる恐怖、不安を生むのです わかりますか?
55:09 では 本当の安全とは何か見つけるのを手伝ってください 深く不変の安全はあるでしょうか? 家具や家の中ではなく 妻や観念の中ではなく 完全な安全というものがあるかどうか深く探るのです 失礼しました…
55:44 つまり 依存を自覚するだけでは 不十分で― 不変の安全を 見つけるべきだと?
55:55 私が欲しいのはそれだけです 家の中に安全を求めます しかし ありません 妻に安全を求めますが 得られないので 妻を代えます しかし ここでも得られないので 教会、神、信仰、信念、象徴に安全を見いだすのです 私たちは外部に求めているのです とどのつまり そこに安全はありません 国にも その他のものにも 探すのを手伝っていただけないでしょうか? もし揺るぐことのない完全な安全があるなら
56:47 安全が最も基本的なニーズだと? そうでしょうね
56:58 それなら確かに 揺るぎない安心感を得れるか否かは 根本的な問題ですね 一旦 手に入れば問題がなくなるわけですから
57:15 つまり個人がそれを得れるということですか?
57:22 いいえ 個人はその安全を得ることはできません なぜなら分裂しているからです