OJ82CNM3 - 安心の必要性
第3部 ボーム博士、ヒドレー博士、シェルドレイク博士との対話
カリフォルニア州オーハイ
1982年4月17日
0:05 | 【 心の本質 】 |
0:16 | ~ 第3部 ~ |
0:19 | ~ 安心の必要性 ~ |
0:29 | これはJ.クリシュナムルティと― その他の人々による一連の対話です これらの議論の目的は心の探求です 心理的無秩序とは何か? 心の変容に必要なものとは何か? |
0:49 | クリシュナムルティ氏は宗教哲学者として これらの問題に長年携わってきました 米国、英国、インドでは 小中学校を設立しました |
1:02 | ディビッド・ボーム氏は倫理物理学者 英国のロンドン大学の教授です 倫理物理学などに関する本を 多数 執筆しています 2人は以前― 様々な対話を行いました |
1:20 | ルパート・シェルドレイク氏は生物学者 彼は最近『形態形成場』という仮説を 本の中で提示しました 現在 インドの国際作物研究所に― 植物生理学者の意見を 求めています |
1:38 | ジョン・ヒドレー氏は精神科医 クリシュナムルティ学校に 過去6年間携わってきました |
1:47 | 最初の2回の対話では― 次のことを考察しました 自己同一化の過程― 苦痛の問題― 思考と記憶の役割 イメージ そして意識の唯一性と共通性 これらの過程を観察できるのか? 観察と秩序、責任、変容との関係とは? 今回 重点的に取り組むのは 絶対的な安心感の有無についてです |
2:21 | 揺るぎない安心感はあるのでしょうか? 自我をなくすことは可能でしょうか? あなたは言いました もしそれが可能なら そのとき問題が… |
2:41 | なぜ安心感を求めるのです?身体の安全以外に 地球の安全以外に… なぜ安心を求めるのか |
2:55 | 平穏な瞬間を知っていて それを確かなものにしたいのです |
3:02 | すぐ それは記憶になります |
3:05 | 真の安心ではありません 幸せだったときの記憶があり その時に戻りたいと思います または観念を投影しいつか得たいと思います しかし なぜ恐らく世界中の人間が― 安心を求めているのか?その理由とは? なぜ安心を必要とするのか? なぜ心理的な安全を求めるのか? |
3:44 | 問題に占領されているからです もし問題を解決できれば もし答えが見つかれば… |
3:58 | それは安心ではありません そこには大きな不確実性があり― 大きな虚無感、孤独感があります 本当の孤独…例を挙げてみましょう |
4:21 | はい |
4:23 | 例えば 結婚して子供がいても― 依然として疎外感を抱き 孤独を感じます それは恐ろしく 憂鬱なことです そして私は孤立していることを実感します 結局 孤独とは分離の本質で 誰とも関係してないのです それが安心を求める理由の一つですか? はい それを埋めるためです |
5:01 | もっと深い理由かも 自分の満足感を確保するため… 自分の恐怖、苦痛から解放されるため それらから解放されて完全な平穏と幸福を― 確保したいのです違いますか? |
5:30 | だから安心を求めるのでは? |
5:33 | 長期にわたった安定を |
5:37 | 変わらない安定…そんなものがあるとして― それが安心を切望する理由ですか? |
5:50 | はい |
5:56 | つまり 恐怖から解放されれば完全な安心感が得られるわけです |
6:04 | 適切に機能するために? |
6:11 | 適切な機能は後で生じます |
6:14 | と言いますと? |
6:16 | 安心なら 私は機能します |
6:20 | 仮に 何が真で何が偽か強い固定観念を持っていれば― 私はその原則に従って行動します しかし 人間はこの根深い恐怖を 解決することができずにいて― 未だに解決していません |
6:46 | ‐その通りです‐心理的な恐怖を |
6:50 | なら それから解放されれば素晴らしく安心なはずです |
6:59 | つまり 根本的に― 解決できるなら? |
7:04 | でなければ完全な安心は得れません |
7:07 | はい… |
7:12 | では 身体的な安全…衣食住といったものは― 心理的な領域に影響を及ぼしますか? どうですか? |
7:30 | つまり ある程度の安心感の欲求は そこからやって来ると? 人は衣食住を必要とします それは不可欠なものです 絶対的に |
7:48 | 衣食住を求めるうちに心理的にも同等の安全を― 欲するのでしょうか? |
8:00 | 結び付きがありそうです |
8:02 | ええ 実際にそうなのか? |
8:06 | ええ… |
8:07 | あるいは安心感への欲求が身体的安全を妨げているのでしょうか? |
8:24 | 安心感への欲求は― 現実の中で機能するために生じるのでは? |
8:32 | 私は心理的な安心感を得たいと思います |
8:37 | はい |
8:39 | それで団体、社会、国家に所属します |
8:43 | はい |
8:44 | そして それが安全を妨げるのです 『安全』とは長期的に持続する安全です しかし心理的な安心感の探求の中で― もし国と同一化するならばまさにその分離が― 私を破壊するのです |
9:13 | なのに なぜ安心を求めるのか? |
9:18 | つまり同一化や所属は 間違いであって そこに安心感を求めることは― 根本的に間違っていると… |
9:30 | いえ 正しいとか間違っているとかでなく |
9:34 | 尋ねているのです 人間がそうする理由を 特定の地域だけでなく― 全世界がです 全人類が欲しているのです 揺るぎない安心を |
9:56 | なぜでしょう? |
10:03 | 理由はいくつかあります 例えば 幼い子供や幼児は― 両親に愛される必要性を感じていて― ある段階になると― ある種の安心感を必要とするようです しかし両親にあまり面倒を見てもらえなかったせいで 喪失感、孤立、分離を感じるようになり― そして 安心感への欲求が生じます |
10:39 | 幼児には安全が必要です |
10:42 | はい 心理的にも身体的にも |
10:46 | ええ 必要です |
10:48 | しかし成長とともに |
10:51 | それは変わります |
10:53 | 小さな幼児や幼い子供などは― 保護されなければなりません |
11:01 | あらゆる点において |
11:03 | 心理的に |
11:05 | 愛情を注ぎ 膝に乗せたり 抱きしめたり 手を握ることで 幼児は愛されていると感じます 面倒をみてくれる人がいて 安心だと感じるのです |
11:22 | そして成長すると必要としなくなる |
11:26 | そうですなのに成長するにつれて― 世界に向き合うにつれてなぜ安心を切望するのか? |
11:36 | 最初に愛を得れなかったからでは? |
11:40 | その通りですつまりそれが問題だと? |
11:46 | まあ原因の一つでしょう |
11:49 | 実際には愛がないから? 本当に愛があれば 安心の必要性はありません 考えもしないでしょう 私が本当にあなたを愛していれば… 利己的な理由からではなく… 本当に深い愛情を誰かに持っているなら 安心が必要でしょうか? 私の責任はあなたの安心を考えることで 求めたりしないはずです |
12:42 | しかし人間は求めますということは― 他を愛していないのか? |
12:53 | つまり我々が愛しているのは… |
13:00 | 愛する理由は打算です |
13:02 | はい 安心感を与えてくれるからだと |
13:07 | そうです それで…率直に言って なぜなのでしょう? なぜ安心を欲するのでしょう?十分な満足を感じるために 恐怖、不安、苦痛などを感じないように 恐怖が原因なのでしょうか? |
13:37 | 既に言及された通り 成長過程で愛されなかった幼児は 安心感を必要としそれを覚えていて 大人になってから得ようとします 保護されなかったので 恐怖感があるからです |
13:56 | もしくは無意識に― 知っているからでしょうか?自我、エゴとは― 非常に不安定なものであることを |
14:14 | 本質的に不安定だと? |
14:16 | 本質的に不安定なので― それ故に 内にも外にも安全に対する不安があるのです |
14:28 | なぜ非常に不安定だと? |
14:30 | 違いますか? 我々の意識は不安的ではありませんか? |
14:38 | しかし もし何かが手に入れば― 安定するかもしれません |
14:46 | そして そこには矛盾があります 安定しないかも |
14:52 | 安定しないかも? |
14:54 | でも いずれ安定します |
14:56 | いいえ |
14:58 | もっと根本的に見て― この自我そのものが変動の状態にあるのではありませんか? 不確実性、執着、執着することへの恐れ― それは安定が欠如した状態です ですから― 人間は無意識のうちに― 自我の不安定さを知っていて 安心を求めるのでしょうか?神や救世主などを… |
15:43 | 絶対的なものを |
15:45 | ええ 完全な満足感を与えてくれるものを… 我々の意識とはその中身そのものです 違いますか? |
16:09 | そして その中身は常に矛盾しています 何かを信じる一方 |
16:14 | 信じるのが怖いのです |
16:19 | だから不安定だと? |
16:21 | どう見ても不安定です明らかに不安定です 何かを欲しても反対の願望が現れて 矛盾を引き起こすのです そこには二重性、恐怖、快楽、死への恐怖があります 意識の中にある全てのものが… 我々の意識の中身はご存知でしょう だから不安定なのです |
16:54 | それをわかっているから人はこう言うのです “この問題は複雑すぎて―” “手に負えない” “順応するしかない”と。 |
17:06 | しかし その順応の中にもまた安定の欠如があります だから無意識に安心を切望していて― 神を創り出したのです |
17:22 | 安心を与えてくれると― 思うものを… |
17:26 | 神は我々の創造物です 神が我々を創ったのではなく… 逆なら良かったのですが… だから 安心への空虚な欲望があるのです |
17:46 | 空虚な欲望? |
17:48 | 安心を求めて創作するからです |
17:51 | なるほど |
17:57 | では もし意識の中身を変えることができるなら― 安心を必要とするでしょうか? |
18:11 | もし矛盾がなくなれば? |
18:13 | ええ 矛盾がなければ… |
18:15 | 精神が安定して 安心が得れるかも |
18:18 | なら 安心を求めないかも 失礼ですが安心感とは実に嫌な欲望です 何に対して安心するというのでしょう? 個人的に私は安心を求めたことがありません 安心を求める必要がない理由は 私の世話を周りの人が してくれるからではなく必要としないからです もちろん衣食住などは 必要ですが… |
19:07 | 心理的な話をされている |
19:09 | ええ より深い話です |
19:13 | 意識の矛盾がなくなれば 安心を求めなくなると? |
19:19 | その意識は― 我々が知っているものとは 全く違うものかもしれません 我々が知っているものと言えば恐怖、報酬、快楽― そして死― 人間関係の対立です“愛してる”とは言うものの… |
19:46 | 制限がある… それが愛と言えるのか… つまり意識の中身はそんな具合です それが私ですその意識が私自身なのです この複雑で矛盾していて二面性がある存在… まさにその現実が安心への要求を引き起こすのです |
20:19 | ええ |
20:22 | では 自我を消せるでしょうか? |
20:28 | 自我ですか? まるで内側に誰かが居て何とか矛盾を― 消そうとしてるみたいです |
20:37 | それは あなたが意識とは別物であるという意味です |
20:44 | ええ… |
20:46 | しかし あなたが意識なのですあなたが恐怖、快楽― 信念でありすべてがあなたなのです どうか― 私の考えに同調しないでください すべて たわ言かも |
21:09 | ほとんどの人は 同調しないでしょう |
21:13 | そうでしょうね 大抵の人は― 見向きもしません |
21:18 | つまり 別の自我があって それが矛盾を解消するのですか? |
21:24 | まさか! |
21:26 | しかし 錯覚かもしれませんが― 我々は問題とは別の存在で 自分の中の何かが 決断をしているように感じます |
21:42 | 私は自分の恐怖と別物ですか? 私は自分の苦痛、絶望から切り離された存在ですか? |
21:53 | 自分の中の何かが それらを観察できることが 別物である証拠です |
22:00 | つまり観察者は観察されるものとは別の存在だと? |
22:07 | ‐はい‐そうでしょうか? |
22:10 | しかし そう思えます |
22:12 | そう思えるから問題なのです 私の実体験や他の人の体験によると― 実際に観察者がいるみたいに 自分の恐怖や反応などを観察しているんです 例えば 不眠症者の場合― 自分の中の一部分が グルグルと考え事をしていて 他の一部分は― 寝たがっているんです ですから我々は実際に 分離を体験しています |
22:48 | つまり これは持論などではなく― 事実です |
22:54 | 同感です だが なぜ分裂が存在するのか? |
23:05 | 誰が生み出したのか? |
23:11 | 事実である可能性も… |
23:14 | 何です? |
23:16 | ‐事実かも…‐では確かめましょう |
23:19 | ええ つまり意識にレベルがあって― あるレベルが 他のレベルを 観察してるんですか? |
23:29 | 考えて下さい恐怖と私は別のものですか? 私は恐怖に取り組み恐怖を抑圧し 合理化し乗り越えるかもしれませんが恐怖は私なのです |
23:46 | 恐怖に取り組もうとするときのみ 分裂を生み出すのです しかし私が恐怖なのです |
24:01 | 普通に分析すれば― 恐怖とは感じるもので自分とは別のものです 恐怖を感じたくないので そこから抜け出そうとし 何とか乗り越えて逃れるものです これが普通の考え方です |
24:20 | その何が悪いのです? |
24:23 | 葛藤を持続させます |
24:26 | 彼はそれが必然だと言ってるんです |
24:29 | ‐必然かもしれません‐本当に? |
24:32 | では なぜ必然ではないと思うのですか? |
24:38 | まず第一に 怒りがあるとき怒りの瞬間は― 分裂がありません 違いますか? |
24:50 | 非常に怒っているときは |
24:53 | 我を忘れてしまい 怒りそのものになります |
24:59 | その瞬間 そこに分裂はありません 分裂は後から生じます “私は腹を立てている”と。 さて なぜこの分裂は起こるのか? |
25:19 | 記憶によって |
25:21 | ええ 以前怒ったことがあるからです つまり 過去が審査をしていて― 過去が認識するのです つまり過去が観察者なのです |
25:40 | 明白でないかもしれません 例えば 制御できない体の反応があり 手や体などの… 私はそういった身体反応を見て 元に戻したいと思います それと同じように― 心の反応が制御不能になり 一瞬 制御から外れてしまい 元に戻そうとするのです 多くの人にはそう映っているかもしれないのです |
26:14 | それで…? |
26:17 | ですから明白ではありません この場合はどうなんですか? |
26:23 | 私が指摘してることが 明白でないようですが 人が本当に驚いたとき― 自己は恐怖から分離しません |
26:43 | 時間の隔たりがあるとき分裂が生じるのです 時間の隔たりとは思考です 思考が入り込むとき 分裂が始まるのです なぜなら思考は記憶であり― 過去だからです |
27:13 | 思考は記憶を伴います |
27:15 | ええ その他のものも つまり思考、記憶、知識とは過去のものです したがって過去が観察者なのです それが分裂を生み 制御するのです |
27:39 | ゆっくり行きましょう 観察者とは現在であるように思えます 過去から未来を予測し 今ここで心配しているのでは? |
27:52 | しかし その心配は過去からの反応です そんな経験を以前したことがあるからです ‐恐怖を感じたことがありますか?‐もちろん |
28:12 | 本当に身震いするような衝撃的な恐怖を― |
28:17 | 体験したことが? |
28:20 | はい |
28:21 | そして その瞬間 そこに分裂はなく― あなたは恐怖で一杯になります |
28:30 | はい |
28:33 | その通りです |
28:35 | それから思考がやって来て“私は怖がっている―” “これこれの理由で…私は己を守らなければ” と言って恐怖を合理化するのです 議論するまでもありません |
28:54 | 体の反応の話に戻りますが それもまた あなたを圧倒しますそして次の瞬間― 思考がやって来て “これは体の反応だ” |
29:06 | と気づくわけです 心の反応と同じことが この場合も言えるのでは? 以前 同じ反応をしたので 対策が取れるわけです |
29:22 | 何の話かわかりません |
29:24 | 反応に圧倒されてから思考が入り込むわけですが さまざまな面において それは正常な流れです 衝撃的なことが起きて少ししてから― “何だろう”と思うわけです 場合によっては |
29:45 | そうです |
29:47 | なら 体の反応も同じでは? |
29:49 | なるほど! どなたか回答を… 散歩中にガラガラヘビに出くわしたとします |
30:08 | あなたはガラガラヘビを見て― 飛び上がります それは身体の自己防衛であり― 理にかなった反応です 恐怖ではありません |
30:35 | 心理的な恐怖ではないと? |
30:39 | それも恐怖では? |
30:41 | 恐怖ではありません |
30:43 | 単なる身体の反応に過ぎないと? |
30:47 | 身体の反応であり― |
30:49 | ヘビに噛まれないための理にかなった反応です |
30:55 | しかし数秒後に そのヘビの正体が ガラガラヘビではないと 気づくかもしれません |
31:03 | それなら そのまま通り過ぎます |
31:07 | 思考がやって来ても問題ないと? |
31:10 | ええ |
31:12 | ええ |
31:14 | しかし怒ったり怖がる場合は― |
31:17 | 思考が入り込むことは― |
31:20 | 問題です |
31:22 | やっと質問がわかりました なぜ問題なのか? なぜなら恐怖は破壊的です 心や思考などを制約します 我々を萎縮させます |
31:44 | ええ わかります 恐怖の真っただ中では― 合理的に考えられません |
31:53 | そうですよね? |
31:55 | 身の危険の場合は合理的です |
31:58 | 恐怖の中では不合理になります |
32:01 | お聞きしますが― なぜ我々はこのひどい混乱を解消しないのか? |
32:17 | いや それは… |
32:19 | いいですか我々の意識は混乱しています |
32:24 | ええ 混乱してます |
32:25 | 混乱し 矛盾してます |
32:28 | ええ |
32:29 | 多くの恐怖を抱いて混乱しています なぜこれを解消しないのか? |
32:39 | 常にしようとはしています |
32:42 | いえ 問題があるのです我々は心から認識しません “この混乱した意識が私である”と。 それが私なら私は何もできません お分かりになりますか? |
33:05 | つまり自分と意識を 別物だと思っていると? |
33:10 | 別物だと思っているからこそ― 常にそれに取り組むのです しかし解消できないのは 混乱した意識が私だからです では どうすればいいのか? 我々は常に取り組みます 混乱した意識に。 自分が意識だと理解すれば 取り組むことはできません |
33:53 | ‐では どうすれば?‐何もしない事です |
33:58 | なるほど |
34:00 | それが まったく違う点です |
34:04 | ええ 意識そのものに対する― 意識の取り組みが問題であることを 理解すれば それは止みます |
34:19 | それは非暴力とは違います |
34:22 | 失礼します つまり我々はこの混乱した意識とは 別個の存在であると 考えていますが― |
34:31 | その通り |
34:32 | 称賛されるときは 分離しません しかし― 悪口を言われると 切り離そうとします |
34:40 | つまり― |
34:41 | かなり選択的であるに関わらず 混乱した意識とは別の何かが― 自分の中にあると感じていて― 我々は普通意識の内容を変えようとするか 人や世界との関係を変えようとします けど 分離のことは調べません 自我と意識の間にあるこの分裂… 我々はそれに疑問を持ちません さて 我々が実際に経験するこの分離… 大抵の人は経験するわけですが 実は それが疑問を持つべきことで 混乱した意識が自分だと 我々は直視するべきなのです 明白なことです! |
35:32 | 明白ではありませんし 自覚しにくいことです 普通 そのようには考えません |
35:39 | では― その条件付けから脱皮できるでしょうか? その条件付けが私なのです 分離し その条件付けに取り組みます しかし それが私なら― 取り組まないことが最も建設的です |
36:07 | 条件付けに取り組まないなら― 何も変わらないのでは? |
36:13 | ああ! |
36:16 | つまり それを認めることによって 向き合うことが… |
36:23 | 向き合う?誰が向き合うのです?認める? 誰が認めるのです?我々の観点は常にこうです “私はそれである” 我々は決して理解しないのです 完全に “私の中に明晰な部分がありそれが明晰でない部分に―” “取り組もうとしている” 常にこの調子です |
37:02 | ‐ええ‐しかし実際には― 我々の意識の中身すべてが曖昧で混乱していて 澄んでいる部分がないのです 我々はあると思っている 混乱していない観察者である部分が。 観察者が観察されるものなのです 教祖なども… |
37:38 | もしそうだとしたら どのように取り組むのですか? |
37:53 | 事実を理解するなら― まさにその事実で十分です |
38:00 | その混乱したものが― 自分の混乱を理解すれば… ええ それで片付きます |
38:13 | 混乱したものが己の混乱を理解すれば 混乱を解消できると? |
38:19 | ええ “私は混乱している”といった分離性の理解ではありません 意識が混乱しているのです 取り組むことはできません 混乱した意識に取り組むのはエネルギーの浪費です それでは解消されません この混乱をなくすために 必死に努力し修道会にさえ入りました けど解消されてません ある程度しか… |
39:04 | それがもう一つの側面だと思います どうやら我々にはある程度の知恵があるようで 特定の問題を解決し明晰さと秩序を得ます しかし しばらくすると― 問題は形を変えて 戻ってきます |
39:26 | または同じ形で つまり全体的に― 何とかしなければ… 観察者が混乱した意識に― 取り組む前にです はい |
39:44 | “時間があればいずれ解決するだろう” それはエネルギーの浪費です |
39:55 | 事実を理解するときエネルギーの浪費は起こりません つまり注意を払うことです |
40:09 | 非常に興味深い話です |
40:16 | 混乱した意識に取り組むことはエネルギーの浪費だと思いませんか? |
40:25 | ええ さらに無秩序を生み出します |
40:29 | さらに無秩序を生んで 私と私でないものの間に対立を引き起こします “私”とは観察者です 私は 混乱した意識と戦い制御し抑圧し 不安になり心配します 本質的にすべてエネルギーの浪費です ところが この混乱した意識が私自身なのです 注意を払うことで私は理解に至ります ‐“私”ではなく… ‐つまり意識自体が― 理解に至るということですか? |
41:17 | “私”ではなく |
41:19 | その通り つまり完全な注意を意識に払うことです “私が”ではなく…注意と不注意があります 不注意はエネルギーの浪費です 注意はエネルギーです 意識が混乱していることの観察があるとき― 完全な注意があるときのみその事実が現れるのです そして完全な注意があるときもう混乱は存在しません 不注意が問題を生み出すのです 反論してください |
42:15 | よくわかりません つまり完全な注意とは 今この瞬間にあって 全く回想しない― ということですか? |
42:27 | 注意とはそういうものです 私があなたに注意を払うならば― 回想することなく… 感覚器である耳を使って聞くだけでなく 別の耳をもって聞きますつまり― あなたが言っていることにすべての注意を向けます 実際に この瞬間に そこに中心はありません |
43:14 | 注意と注意されるものが 一つになるからですか? 注意の中に中心がない理由は そこにあるものが― 注意だけだからですか? |
43:27 | いいえ 混乱がある理由は私が不注意だからです そうでしょう? |
43:38 | “観察者は観察されるものである”という事実― その観察があるとき― その状態の中に 観察者は存在しませんそれが注意です ところで瞑想について 論じたことはありますか? |
44:08 | 関連がありそうですね あなたが言っている事はある程度起こり得ると思います |
44:16 | 起き得ません ある程度の混乱と非混乱を保持するなら― 同じ状況に逆戻りです |
44:26 | なるほど |
44:28 | しかし あなたが言う注意とは 素晴らしい美しさや音楽の中で 多くの人が時々経験するもので 我を忘れてしまうようなことでは? このような経験の中で― 垣間見るものでは? |
44:46 | その通りです例えば 山を見るとき― その威厳、その深みが我を忘れさせます おもちゃは子供を没頭させます 山は私を没頭させ おもちゃは子供を没頭させました つまり外側に何かがあるということです 我を忘れさせるものが 私を穏やかにするものが つまり外部の媒体が私を静寂にするのです 神や祈りの言葉、崇拝している物事などが もし私が外部の媒体を完全に拒絶するならば 何にも没頭されなければ… 例えば 何かに没頭してもそれが消えれば 我に返ります |
45:50 | ええ |
45:52 | つまり 私を没頭させる外部の媒体を 捨ててしまえば 元の自分に戻ってしまうのです |
46:02 | なるほど つまりある程度しか起こらないのは 依存してるからだと… |
46:08 | その通りです |
46:11 | ‐妻に依存するように‐またはセラピーなどに… |
46:16 | 様々なものに |
46:17 | ヒンズー教やカトリックなどに依存します ゆえに依存が執着を求めるのです |
46:29 | これでやっとあなたが言ってることを 実践できます |
46:36 | できませんあなたはまた行為してます そこから何かを得ることを期待しています それではただの取り引きに過ぎません そうではなくあなたが調べていることは 多大な考察を必要とし 多大な知力と注意力を 必要とすることなのです なぜ世界は分裂、混乱してるのか それは我々の意識が混乱しているからです そこで質問が生じます自我をなくすことは可能でしょうか? この混乱した意識を |
47:38 | 意識の中身、さまざまな経験を なくすことはできません 私の目が開いている限り それで先程 注意についての話で 人が山を見るときの話が出ましたが もし同じような注意を― 私が経験する全てのことに向けるなら… |
48:03 | ほら また!“私が経験する” |
48:06 | ‐ええ でも…‐あなたがその経験なのです |
48:11 | はい… |
48:13 | そうでしょう?つまり そこに経験はありません |
48:21 | あるのは注意だけだと? |
48:28 | 経験は記憶をともないます 時間も…つまり過去です 故に経験者が経験されるものなのです もし啓発を求めているなら もし悟りを求めているなら― あらゆることをして得ようとするでしょう しかし悟りがどんなものか知りません 悟りについて話を聞いたことはあっても 知らないものを探しているのです ならば 心は完全に自由でなくてはなりません 先入観、恐怖、混乱などから ですから私の関心事は悟りではなく 意識の中身を― 取り除くことです それが私の探求すべきことです 自分と意識を分離している限り 私はそれを経験し 分析し 取り組みます それは私と意識の絶え間ない葛藤を意味します なぜ これらを受容しているのでしょう? なぜ ヒンズー教徒であることを カトリックであることを 受容するのか? |
50:26 | なぜ人が言う事を受容するのか? |
50:30 | 自分でも言います |
50:33 | いえ 自分で言うだけでなく 外部の人々によって 助長し 断続するです なぜ受容するのでしょう? 生物学の勉強であれば私は教授を受容します 私よりも知識があるので授業に行き 彼の話に耳を傾けます しかし彼は私の教祖でも指導者でもありません 彼は生物学に関する情報を与えてくれ 私は勉強し 現場に出て したいことがあるのです しかし なぜ我々は― 精神的な権威を― 霊的な権威を受容するのか? またしても安心の問題です どうするべきか分からないので 教祖に頼るのです 私はその立場を拒絶します |
51:44 | しかし それが権威ではなく 責任だとしても同じ問題に辿り着くのでは? 例えば私が父親で― 子供がいるなら… |
51:57 | 指導が必要です |
51:59 | 世話が必要ですよね |
52:01 | そして安全のことで頭が一杯になります 子供を養うために… |
52:08 | 仕事のことや 家のことなどで |
52:12 | その結果 権威からでなく 責任から 安全などに執着します 他人や子供のために |
52:21 | 確かに |
52:23 | では どうなんですか? 責任を拒絶しろと? |
52:28 | もし私がお金を稼いでいるなら― 自分自身の面倒や 使用人や子供の面倒 恐らく彼らの子供のことも 私には責任があります |
52:44 | 物理的な責任があります 食事や賃金を与え 子供をきちんとした学校に行かせたり すべて私の責任です |
52:59 | でも それでは不安定な状況に 引き戻されてしまうのでは? あなたは権威を拒絶していたはずです |
53:14 | なぜ霊的、精神的な権威が必要なのか理解できません もし自分で文字が読めれば 誰の助けもいりません しかし『自分』という本を本当に読もうとしたことがないので 誰かに助けを請うのです そして全てを見失います |
53:43 | しかし彼が聞いているのは もし他の人々に対して責任を負うのであれば― ‐それに必要なのは…‐収益力ですか? |
53:59 | ‐つまり安全です‐ええ 可能な限り 失業者が多くてはいけません |
54:08 | 責任があれば不安になるのでは? |
54:11 | なりませんしかし もし私が使用人に 身の程をわきまえさせるなら― |
54:19 | 使用人としてあしらうなら― |
54:23 | ええ |
54:25 | それは無責任なことになります |
54:31 | しかし使用人は去りますが子供は去りません 家族ですからね |
54:39 | つまり こういう質問です 家族への責任があるにも関わらず 仕事が得れず 心配し始め 不安になる可能性も |
54:49 | あるでしょう? |
54:51 | 私は心配しません賃金を― 払えなくとも使用人が残りたいなら 食物を分け与えます |
55:02 | 家族への責任があるにも関わらず 失業しても心を乱されないと? |
55:09 | 乱されません |
55:10 | 知的な解決方法が? |
55:12 | 対処するのです |
55:15 | 責任があるから心配するのです |
55:18 | それは心配とは言いません私は責任がある |
55:22 | ええ |
55:24 | 故に できる限り面倒をみます |
55:27 | もし できなければ? |
55:31 | ‐そのときは?‐できません なぜ心配する必要が?“できない”それが事実です |
55:40 | 大きな困難を目の前にして 心配事から完全に免れると? |
55:46 | ええ それが私の言っていることです 注意があるところに心配事はありません そこには中心がないからです |
56:02 | 依然として問題はあり 責任もあります |
56:06 | ですから解決するだけです |
56:09 | もしできないなら? |
56:11 | なら できません |
56:13 | なぜ心配する必要が?英国の女王になれますか? |
56:17 | なれません |
56:18 | では心配の必要が? |
56:20 | 例えば あるインド人が 家族は餓えているのに 仕事が見つからず でも心配しないんです 驚くことに多くのインド人が 実際に心配しないんです しかし外部の人間から見れば それは運命論です |
56:40 | それはインドの病と見なされる程 実際に彼らはそんな状況の中で 心配しないんです |
56:48 | 質問がありますこのような話― 意識が混乱していること それを理解し意識の中身を空にすること― 恐怖…こういった話に― ‐興味はありますか?‐はい |
57:11 | ‐本当に?‐はい |
57:13 | それなら何を? |
57:16 | ただ耳を傾けます |
57:18 | いえ ここで対話をするのです 深く深く 調べるのです つまり自由でなければなりません 己の先入観から己の過去の経験から… でなければ調べられません これは探求なのですから さらに深く踏み込むのです それをやる意志がありますか? 実際に自我をなくすことが? だからと言って妻や子供をおざなりにする― という意味ではありません それは非常に愚かなことです苦行者のように― 山中に入ったり― 修道院に入ったり それは極端な逃避です 実際にすべきことは 家族と向き合うことです 自我を完全になくすことは可能でしょうか? 知的に 問題に対処するために |