Krishnamurti Subtitles
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OJ82CNM3 - 安心の必要性
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| 0:05 【 心の本質 】 |
| 0:16 ~ 第3部 ~ |
| 0:19 ~ 安心の必要性 ~ |
| 0:29 これはJ.クリシュナムルティと― その他の人々による一連の対話です これらの議論の目的は 心の探求です 心理的無秩序とは何か? 心の変容に必要なものとは何か? |
| 0:49 クリシュナムルティ氏は 宗教哲学者として これらの問題に長年携わってきました 米国、英国、インドでは 小中学校を設立しました |
| 1:02 ディビッド・ボーム氏は倫理物理学者 英国のロンドン大学の教授です 倫理物理学などに関する本を 多数 執筆しています 2人は以前― 様々な対話を行いました |
| 1:20 ルパート・シェルドレイク氏は生物学者 彼は最近『形態形成場』という仮説を 本の中で提示しました 現在 インドの国際作物研究所に― 植物生理学者の意見を 求めています |
| 1:38 ジョン・ヒドレー氏は精神科医 クリシュナムルティ学校に 過去6年間携わってきました |
| 1:47 最初の2回の対話では― 次のことを考察しました 自己同一化の過程― 苦痛の問題― 思考と記憶の役割 イメージ そして 意識の唯一性と共通性 これらの過程を観察できるのか? 観察と秩序、責任、変容との関係とは? 今回 重点的に取り組むのは 絶対的な安心感の有無についてです |
| 2:21 揺るぎない安心感は あるのでしょうか? 自我をなくすことは 可能でしょうか? あなたは言いました もしそれが可能なら そのとき問題が… |
| 2:41 なぜ安心感を求めるのです? 身体の安全以外に 地球の安全以外に… なぜ安心を求めるのか |
| 2:55 平穏な瞬間を知っていて それを確かなものにしたいのです |
| 3:02 すぐ それは記憶になります |
| 3:05 真の安心ではありません |
| 3:07 幸せだったときの記憶があり その時に戻りたいと思います または観念を投影し いつか得たいと思います しかし なぜ 恐らく世界中の人間が― 安心を求めているのか? その理由とは? なぜ安心を必要とするのか? なぜ心理的な安全を求めるのか? |
| 3:44 問題に占領されているからです もし問題を解決できれば もし答えが見つかれば… |
| 3:58 それは安心ではありません そこには大きな不確実性があり― 大きな虚無感、孤独感があります 本当の孤独… 例を挙げてみましょう |
| 4:21 はい |
| 4:23 例えば 結婚して子供がいても― 依然として 疎外感を抱き 孤独を感じます それは恐ろしく 憂鬱なことです そして私は 孤立していることを実感します 結局 孤独とは分離の本質で 誰とも関係してないのです それが安心を求める理由の一つですか? |
| 4:58 はい それを埋めるためです |
| 5:01 もっと深い理由かも 自分の満足感を確保するため… 自分の恐怖、 苦痛から解放されるため それらから解放されて 完全な平穏と幸福を― 確保したいのです 違いますか? |
| 5:30 だから安心を求めるのでは? |
| 5:32 長期にわたった安定を |
| 5:33 変わらない安定… そんなものがあるとして― |
| 5:37 それが安心を切望する理由ですか? |
| 5:50 はい |
| 5:56 つまり 恐怖から解放されれば 完全な安心感が得られるわけです |
| 6:04 適切に機能するために? |
| 6:11 適切な機能は後で生じます |
| 6:14 と言いますと? |
| 6:16 安心なら 私は機能します |
| 6:18 仮に 何が真で何が偽か 強い固定観念を持っていれば― |
| 6:20 私はその原則に従って行動します しかし 人間はこの根深い恐怖を 解決することができずにいて― 未だに解決していません |
| 6:46 ‐その通りです ‐心理的な恐怖を |
| 6:48 なら それから解放されれば 素晴らしく安心なはずです |
| 6:50 つまり 根本的に― |
| 6:59 解決できるなら? |
| 7:04 でなければ 完全な安心は得れません |
| 7:07 はい… |
| 7:12 では 身体的な安全… 衣食住といったものは― 心理的な領域に 影響を及ぼしますか? どうですか? |
| 7:30 つまり ある程度の安心感の欲求は |
| 7:37 そこからやって来ると? 人は衣食住を必要とします それは不可欠なものです 絶対的に |
| 7:47 衣食住を求めるうちに 心理的にも同等の安全を― |
| 7:48 欲するのでしょうか? |
| 8:00 結び付きがありそうです |
| 8:02 ええ 実際にそうなのか? |
| 8:06 ええ… |
| 8:07 あるいは安心感への欲求が 身体的安全を妨げているのでしょうか? |
| 8:24 安心感への欲求は― 現実の中で 機能するために生じるのでは? |
| 8:32 私は心理的な安心感を 得たいと思います |
| 8:37 はい |
| 8:39 それで団体、社会、国家に所属します |
| 8:43 はい |
| 8:44 そして それが安全を妨げるのです 『安全』とは 長期的に持続する安全です しかし心理的な安心感の探求の中で― もし国と同一化するならば まさにその分離が― |
| 9:09 私を破壊するのです |
| 9:13 なのに なぜ安心を求めるのか? |
| 9:18 つまり同一化や所属は 間違いであって そこに安心感を求めることは― 根本的に間違っていると… |
| 9:30 いえ 正しいとか 間違っているとかでなく |
| 9:34 尋ねているのです |
| 9:35 人間がそうする理由を 特定の地域だけでなく― 全世界がです 全人類が欲しているのです 揺るぎない安心を |
| 9:56 なぜでしょう? |
| 9:59 理由はいくつかあります |
| 10:03 例えば 幼い子供や幼児は― 両親に愛される必要性を感じていて― ある段階になると― ある種の安心感を必要とするようです しかし両親にあまり面倒を 見てもらえなかったせいで 喪失感、孤立、分離を 感じるようになり― そして 安心感への欲求が生じます |
| 10:39 幼児には安全が必要です |
| 10:42 はい 心理的にも身体的にも |
| 10:46 ええ 必要です |
| 10:48 しかし成長とともに |
| 10:51 それは変わります |
| 10:52 小さな幼児や 幼い子供などは― |
| 10:53 保護されなければなりません |
| 11:01 あらゆる点において |
| 11:02 心理的に |
| 11:03 愛情を注ぎ 膝に乗せたり |
| 11:05 抱きしめたり 手を握ることで 幼児は愛されていると感じます 面倒をみてくれる人がいて 安心だと感じるのです |
| 11:22 そして成長すると必要としなくなる |
| 11:26 そうです なのに成長するにつれて― 世界に向き合うにつれて なぜ安心を切望するのか? |
| 11:36 最初に愛を得れなかったからでは? |
| 11:40 その通りです つまりそれが問題だと? |
| 11:46 まあ原因の一つでしょう |
| 11:49 実際には愛がないから? 本当に愛があれば 安心の必要性はありません 考えもしないでしょう 私が本当にあなたを愛していれば… 利己的な理由からではなく… 本当に深い愛情を 誰かに持っているなら 安心が必要でしょうか? 私の責任は あなたの安心を考えることで |
| 12:40 求めたりしないはずです |
| 12:42 しかし人間は求めます ということは― 他を愛していないのか? |
| 12:53 つまり我々が愛しているのは… |
| 13:00 愛する理由は打算です |
| 13:02 はい 安心感を与えてくれるからだと |
| 13:07 そうです それで… 率直に言って なぜなのでしょう? なぜ安心を欲するのでしょう? 十分な満足を感じるために 恐怖、不安、 苦痛などを感じないように 恐怖が原因なのでしょうか? |
| 13:37 既に言及された通り 成長過程で愛されなかった幼児は 安心感を必要とし それを覚えていて 大人になってから得ようとします 保護されなかったので 恐怖感があるからです |
| 13:56 もしくは無意識に― 知っているからでしょうか? 自我、エゴとは― 非常に不安定なものであることを |
| 14:14 本質的に不安定だと? |
| 14:16 本質的に不安定なので― それ故に 内にも外にも 安全に対する不安があるのです |
| 14:28 なぜ非常に不安定だと? |
| 14:30 違いますか? 我々の意識は 不安的ではありませんか? |
| 14:38 しかし もし何かが手に入れば― 安定するかもしれません |
| 14:46 そして そこには矛盾があります 安定しないかも |
| 14:52 安定しないかも? |
| 14:53 でも いずれ安定します |
| 14:54 いいえ |
| 14:55 もっと根本的に見て― |
| 14:56 この自我そのものが 変動の状態にあるのではありませんか? |
| 14:58 不確実性、執着、 執着することへの恐れ― それは安定が欠如した状態です ですから― 人間は無意識のうちに― 自我の不安定さを知っていて 安心を求めるのでしょうか? 神や救世主などを… |
| 15:43 絶対的なものを |
| 15:45 ええ 完全な満足感を 与えてくれるものを… 我々の意識とは その中身そのものです |
| 16:08 違いますか? |
| 16:09 そして その中身は 常に矛盾しています 何かを信じる一方 |
| 16:14 信じるのが怖いのです |
| 16:14 だから不安定だと? |
| 16:19 どう見ても不安定です 明らかに不安定です |
| 16:21 何かを欲しても 反対の願望が現れて 矛盾を引き起こすのです そこには二重性、 恐怖、快楽、死への恐怖があります 意識の中にある全てのものが… 我々の意識の中身はご存知でしょう だから不安定なのです |
| 16:54 それをわかっているから 人はこう言うのです “この問題は複雑すぎて―” “手に負えない” “順応するしかない”と。 |
| 17:06 しかし その順応の中にも また安定の欠如があります だから無意識に安心を切望していて― 神を創り出したのです |
| 17:22 安心を与えてくれると― 思うものを… |
| 17:26 神は我々の創造物です 神が我々を創ったのではなく… 逆なら良かったのですが… だから 安心への 空虚な欲望があるのです |
| 17:46 空虚な欲望? |
| 17:48 安心を求めて創作するからです |
| 17:51 なるほど |
| 17:57 では もし意識の中身を 変えることができるなら― 安心を必要とするでしょうか? |
| 18:11 もし矛盾がなくなれば? |
| 18:13 ええ 矛盾がなければ… |
| 18:15 精神が安定して 安心が得れるかも |
| 18:18 なら 安心を求めないかも 失礼ですが 安心感とは実に嫌な欲望です 何に対して 安心するというのでしょう? 個人的に私は 安心を求めたことがありません 安心を求める必要がない理由は 私の世話を周りの人が してくれるからではなく 必要としないからです もちろん衣食住などは 必要ですが… |
| 19:07 心理的な話をされている |
| 19:09 ええ より深い話です |
| 19:13 意識の矛盾がなくなれば 安心を求めなくなると? |
| 19:19 その意識は― 我々が知っているものとは 全く違うものかもしれません 我々が知っているものと言えば 恐怖、報酬、快楽― そして死― 人間関係の対立です “愛してる”とは言うものの… |
| 19:46 制限がある… |
| 19:47 それが愛と言えるのか… つまり意識の中身はそんな具合です それが私です その意識が私自身なのです この複雑で矛盾していて 二面性がある存在… まさにその現実が 安心への要求を引き起こすのです |
| 20:19 ええ |
| 20:22 では 自我を消せるでしょうか? |
| 20:28 自我ですか? まるで内側に誰かが居て 何とか矛盾を― 消そうとしてるみたいです |
| 20:37 それは あなたが 意識とは別物であるという意味です |
| 20:44 ええ… |
| 20:46 しかし あなたが意識なのです あなたが恐怖、快楽― 信念であり すべてがあなたなのです どうか― 私の考えに同調しないでください すべて たわ言かも |
| 21:09 ほとんどの人は 同調しないでしょう |
| 21:13 そうでしょうね 大抵の人は― 見向きもしません |
| 21:18 つまり 別の自我があって それが矛盾を解消するのですか? |
| 21:24 まさか! |
| 21:26 しかし 錯覚かもしれませんが― 我々は問題とは別の存在で 自分の中の何かが 決断をしているように感じます |
| 21:42 私は自分の恐怖と別物ですか? 私は自分の苦痛、絶望から 切り離された存在ですか? |
| 21:53 自分の中の何かが それらを観察できることが 別物である証拠です |
| 22:00 つまり観察者は 観察されるものとは別の存在だと? |
| 22:07 ‐はい ‐そうでしょうか? |
| 22:08 しかし そう思えます |
| 22:10 そう思えるから問題なのです |
| 22:11 私の実体験や 他の人の体験によると― |
| 22:12 実際に観察者がいるみたいに 自分の恐怖や反応などを 観察しているんです 例えば 不眠症者の場合― 自分の中の一部分が グルグルと考え事をしていて 他の一部分は― 寝たがっているんです ですから我々は実際に 分離を体験しています |
| 22:47 つまり これは持論などではなく― |
| 22:48 事実です |
| 22:54 同感です だが なぜ分裂が存在するのか? |
| 23:05 誰が生み出したのか? |
| 23:08 事実である可能性も… |
| 23:11 何です? |
| 23:14 ‐事実かも… ‐では確かめましょう |
| 23:16 ええ つまり意識にレベルがあって― |
| 23:18 あるレベルが 他のレベルを |
| 23:19 観察してるんですか? |
| 23:29 考えて下さい 恐怖と私は別のものですか? 私は恐怖に取り組み 恐怖を抑圧し 合理化し乗り越えるかもしれませんが 恐怖は私なのです |
| 23:46 恐怖に取り組もうとするときのみ |
| 23:48 分裂を生み出すのです しかし私が恐怖なのです |
| 24:01 普通に分析すれば― 恐怖とは感じるもので 自分とは別のものです 恐怖を感じたくないので そこから抜け出そうとし 何とか乗り越えて逃れるものです これが普通の考え方です |
| 24:19 その何が悪いのです? |
| 24:20 葛藤を持続させます |
| 24:23 彼はそれが必然だと言ってるんです |
| 24:26 ‐必然かもしれません ‐本当に? |
| 24:29 では なぜ必然ではないと思うのですか? |
| 24:31 まず第一に 怒りがあるとき 怒りの瞬間は― |
| 24:32 分裂がありません |
| 24:38 違いますか? |
| 24:50 非常に怒っているときは |
| 24:52 我を忘れてしまい |
| 24:53 怒りそのものになります |
| 24:59 その瞬間 そこに分裂はありません 分裂は後から生じます “私は腹を立てている”と。 さて なぜこの分裂は起こるのか? |
| 25:19 記憶によって |
| 25:21 ええ 以前怒ったことがあるからです つまり 過去が審査をしていて― 過去が認識するのです つまり過去が観察者なのです |
| 25:40 明白でないかもしれません 例えば 制御できない体の反応があり 手や体などの… 私はそういった身体反応を見て 元に戻したいと思います それと同じように― 心の反応が制御不能になり 一瞬 制御から外れてしまい 元に戻そうとするのです 多くの人には そう映っているかもしれないのです |
| 26:14 それで…? |
| 26:17 ですから明白ではありません この場合はどうなんですか? |
| 26:23 私が指摘してることが 明白でないようですが 人が本当に驚いたとき― 自己は恐怖から分離しません |
| 26:43 時間の隔たりがあるとき 分裂が生じるのです 時間の隔たりとは思考です 思考が入り込むとき 分裂が始まるのです なぜなら思考は記憶であり― 過去だからです |
| 27:13 思考は記憶を伴います |
| 27:15 ええ その他のものも つまり思考、記憶、 知識とは過去のものです したがって過去が観察者なのです それが分裂を生み 制御するのです |
| 27:39 ゆっくり行きましょう 観察者とは 現在であるように思えます 過去から未来を予測し 今ここで心配しているのでは? |
| 27:52 しかし その心配は 過去からの反応です そんな経験を以前 したことがあるからです ‐恐怖を感じたことがありますか? ‐もちろん |
| 28:08 本当に身震いするような 衝撃的な恐怖を― |
| 28:12 体験したことが? |
| 28:17 はい |
| 28:18 そして その瞬間 そこに分裂はなく― |
| 28:20 あなたは恐怖で一杯になります |
| 28:21 はい |
| 28:30 その通りです |
| 28:33 それから思考がやって来て “私は怖がっている―” |
| 28:34 “これこれの理由で… 私は己を守らなければ” |
| 28:35 と言って 恐怖を合理化するのです 議論するまでもありません |
| 28:52 体の反応の話に戻りますが |
| 28:54 それもまた あなたを圧倒します そして次の瞬間― 思考がやって来て “これは体の反応だ” |
| 29:06 と気づくわけです |
| 29:07 心の反応と同じことが この場合も言えるのでは? 以前 同じ反応をしたので 対策が取れるわけです |
| 29:22 何の話かわかりません |
| 29:24 反応に圧倒されてから 思考が入り込むわけですが さまざまな面において それは正常な流れです 衝撃的なことが起きて 少ししてから― “何だろう”と思うわけです |
| 29:41 場合によっては |
| 29:45 そうです |
| 29:47 なら 体の反応も同じでは? |
| 29:49 なるほど! どなたか回答を… 散歩中にガラガラヘビに 出くわしたとします |
| 30:05 あなたはガラガラヘビを見て― |
| 30:08 飛び上がります それは身体の自己防衛であり― 理にかなった反応です 恐怖ではありません |
| 30:35 心理的な恐怖ではないと? |
| 30:37 それも恐怖では? |
| 30:39 恐怖ではありません |
| 30:41 単なる身体の反応に過ぎないと? |
| 30:43 身体の反応であり― |
| 30:47 ヘビに噛まれないための 理にかなった反応です |
| 30:48 しかし数秒後に そのヘビの正体が |
| 30:49 ガラガラヘビではないと |
| 30:55 気づくかもしれません |
| 31:03 それなら そのまま通り過ぎます |
| 31:07 思考がやって来ても問題ないと? |
| 31:10 ええ |
| 31:11 ええ |
| 31:12 しかし怒ったり怖がる場合は― |
| 31:14 思考が入り込むことは― |
| 31:17 問題です |
| 31:18 やっと質問がわかりました |
| 31:20 なぜ問題なのか? |
| 31:21 なぜなら恐怖は破壊的です |
| 31:22 心や思考などを制約します 我々を萎縮させます |
| 31:44 ええ わかります 恐怖の真っただ中では― 合理的に考えられません |
| 31:51 そうですよね? |
| 31:53 身の危険の場合は合理的です |
| 31:54 恐怖の中では不合理になります |
| 31:55 お聞きしますが― |
| 31:58 なぜ我々は このひどい混乱を解消しないのか? |
| 31:59 いや それは… |
| 32:01 いいですか 我々の意識は混乱しています |
| 32:17 ええ 混乱してます |
| 32:19 混乱し 矛盾してます |
| 32:24 ええ |
| 32:25 多くの恐怖を抱いて 混乱しています |
| 32:28 なぜこれを解消しないのか? |
| 32:29 常にしようとはしています |
| 32:39 いえ 問題があるのです 我々は心から認識しません |
| 32:42 “この混乱した意識が私である”と。 それが私なら 私は何もできません お分かりになりますか? |
| 33:05 つまり自分と意識を 別物だと思っていると? |
| 33:10 別物だと思っているからこそ― 常にそれに取り組むのです しかし解消できないのは 混乱した意識が私だからです では どうすればいいのか? 我々は常に取り組みます 混乱した意識に。 自分が意識だと理解すれば 取り組むことはできません |
| 33:53 ‐では どうすれば? ‐何もしない事です |
| 33:55 なるほど |
| 33:58 それが まったく違う点です |
| 34:00 ええ 意識そのものに対する― |
| 34:04 意識の取り組みが問題であることを 理解すれば それは止みます |
| 34:19 それは非暴力とは違います |
| 34:22 失礼します つまり我々は この混乱した意識とは 別個の存在であると 考えていますが― |
| 34:31 その通り |
| 34:32 称賛されるときは 分離しません しかし― 悪口を言われると 切り離そうとします |
| 34:40 つまり― |
| 34:41 かなり選択的であるに関わらず 混乱した意識とは別の何かが― 自分の中にあると感じていて― 我々は普通 意識の内容を変えようとするか 人や世界との関係を変えようとします けど 分離のことは調べません 自我と意識の間にあるこの分裂… 我々はそれに疑問を持ちません さて 我々が実際に経験するこの分離… 大抵の人は経験するわけですが 実は それが疑問を持つべきことで 混乱した意識が自分だと 我々は直視するべきなのです 明白なことです! |
| 35:31 明白ではありませんし |
| 35:32 自覚しにくいことです 普通 そのようには考えません |
| 35:39 では― その条件付けから 脱皮できるでしょうか? その条件付けが私なのです 分離し その条件付けに取り組みます しかし それが私なら― 取り組まないことが 最も建設的です |
| 36:07 条件付けに取り組まないなら― 何も変わらないのでは? |
| 36:13 ああ! |
| 36:16 つまり それを認めることによって 向き合うことが… |
| 36:23 向き合う? 誰が向き合うのです?認める? 誰が認めるのです? 我々の観点は常にこうです “私はそれである” 我々は決して理解しないのです 完全に “私の中に明晰な部分があり それが明晰でない部分に―” “取り組もうとしている” 常にこの調子です |
| 37:02 ‐ええ ‐しかし実際には― |
| 37:03 我々の意識の中身 すべてが曖昧で混乱していて 澄んでいる部分がないのです 我々はあると思っている 混乱していない観察者である部分が。 観察者が観察されるものなのです 教祖なども… |
| 37:38 もしそうだとしたら どのように取り組むのですか? |
| 37:53 事実を理解するなら― まさにその事実で十分です |
| 38:00 その混乱したものが― 自分の混乱を理解すれば… |
| 38:10 ええ それで片付きます |
| 38:13 混乱したものが 己の混乱を理解すれば 混乱を解消できると? |
| 38:19 ええ “私は混乱している” といった分離性の理解ではありません 意識が混乱しているのです 取り組むことはできません 混乱した意識に取り組むのは エネルギーの浪費です それでは解消されません この混乱をなくすために 必死に努力し 修道会にさえ入りました けど解消されてません ある程度しか… |
| 39:04 それがもう一つの側面だと思います どうやら我々には ある程度の知恵があるようで 特定の問題を解決し 明晰さと秩序を得ます しかし しばらくすると― 問題は形を変えて |
| 39:25 戻ってきます |
| 39:26 または同じ形で つまり全体的に― 何とかしなければ… |
| 39:33 観察者が 混乱した意識に― 取り組む前にです はい |
| 39:43 “時間があれば いずれ解決するだろう” |
| 39:44 それはエネルギーの浪費です |
| 39:53 事実を理解するとき エネルギーの浪費は起こりません |
| 39:55 つまり注意を払うことです |
| 40:09 非常に興味深い話です |
| 40:16 混乱した意識に取り組むことは エネルギーの浪費だと思いませんか? |
| 40:25 ええ さらに無秩序を生み出します |
| 40:29 さらに無秩序を生んで 私と私でないものの間に 対立を引き起こします “私”とは観察者です 私は 混乱した意識と戦い 制御し抑圧し 不安になり心配します 本質的にすべてエネルギーの浪費です ところが この混乱した意識が 私自身なのです 注意を払うことで 私は理解に至ります ‐“私”ではなく… ‐つまり意識自体が― |
| 41:12 理解に至るということですか? |
| 41:17 “私”ではなく |
| 41:18 その通り |
| 41:19 つまり完全な注意を 意識に払うことです “私が”ではなく… 注意と不注意があります 不注意はエネルギーの浪費です 注意はエネルギーです 意識が混乱していることの 観察があるとき― 完全な注意があるときのみ その事実が現れるのです そして完全な注意があるとき もう混乱は存在しません 不注意が問題を生み出すのです 反論してください |
| 42:15 よくわかりません つまり完全な注意とは 今この瞬間にあって 全く回想しない― ということですか? |
| 42:27 注意とはそういうものです 私があなたに注意を払うならば― 回想することなく… 感覚器である耳を使って 聞くだけでなく 別の耳をもって聞きます つまり― あなたが言っていることに すべての注意を向けます 実際に この瞬間に そこに中心はありません |
| 43:14 注意と注意されるものが 一つになるからですか? 注意の中に中心がない理由は そこにあるものが― 注意だけだからですか? |
| 43:27 いいえ 混乱がある理由は 私が不注意だからです |
| 43:36 そうでしょう? |
| 43:38 “観察者は観察されるものである” という事実― その観察があるとき― その状態の中に 観察者は存在しません それが注意です ところで瞑想について 論じたことはありますか? |
| 44:08 関連がありそうですね あなたが言っている事は ある程度起こり得ると思います |
| 44:16 起き得ません ある程度の 混乱と非混乱を保持するなら― 同じ状況に逆戻りです |
| 44:26 なるほど |
| 44:28 しかし あなたが言う注意とは 素晴らしい美しさや音楽の中で 多くの人が時々経験するもので 我を忘れてしまうようなことでは? このような経験の中で― 垣間見るものでは? |
| 44:46 その通りです 例えば 山を見るとき― その威厳、その深みが 我を忘れさせます おもちゃは子供を没頭させます 山は私を没頭させ おもちゃは子供を没頭させました つまり外側に 何かがあるということです 我を忘れさせるものが 私を穏やかにするものが つまり外部の媒体が 私を静寂にするのです 神や祈りの言葉、 崇拝している物事などが もし私が外部の媒体を 完全に拒絶するならば 何にも没頭されなければ… 例えば 何かに没頭しても それが消えれば 我に返ります |
| 45:50 ええ |
| 45:52 つまり 私を没頭させる外部の媒体を 捨ててしまえば 元の自分に戻ってしまうのです |
| 46:02 なるほど つまり ある程度しか起こらないのは 依存してるからだと… |
| 46:08 その通りです |
| 46:10 ‐妻に依存するように ‐またはセラピーなどに… |
| 46:11 様々なものに |
| 46:13 ヒンズー教や カトリックなどに依存します |
| 46:16 ゆえに依存が執着を求めるのです |
| 46:16 これでやっと あなたが言ってることを |
| 46:17 実践できます |
| 46:29 できません あなたはまた行為してます |
| 46:36 そこから何かを得ることを 期待しています それではただの取り引きに過ぎません そうではなく あなたが調べていることは 多大な考察を必要とし 多大な知力と注意力を 必要とすることなのです なぜ世界は分裂、混乱してるのか それは我々の意識が 混乱しているからです そこで質問が生じます 自我をなくすことは可能でしょうか? この混乱した意識を |
| 47:38 意識の中身、さまざまな経験を なくすことはできません 私の目が開いている限り それで先程 注意についての話で 人が山を見るときの話が出ましたが もし同じような注意を― 私が経験する全てのことに向けるなら… |
| 48:03 ほら また! “私が経験する” |
| 48:06 ‐ええ でも… ‐あなたがその経験なのです |
| 48:08 はい… |
| 48:11 そうでしょう? つまり そこに経験はありません |
| 48:13 あるのは注意だけだと? |
| 48:21 経験は記憶をともないます |
| 48:28 時間も… つまり過去です 故に経験者が 経験されるものなのです もし啓発を求めているなら もし悟りを求めているなら― あらゆることをして 得ようとするでしょう しかし悟りがどんなものか知りません 悟りについて 話を聞いたことはあっても 知らないものを探しているのです ならば 心は完全に 自由でなくてはなりません 先入観、恐怖、混乱などから 49:24 ですから私の関心事は悟りではなく 意識の中身を― 取り除くことです それが私の探求すべきことです 自分と意識を分離している限り 私はそれを経験し 分析し 取り組みます それは私と意識の 絶え間ない葛藤を意味します なぜ これらを 受容しているのでしょう? なぜ ヒンズー教徒であることを カトリックであることを 受容するのか? |
| 50:25 なぜ人が言う事を受容するのか? |
| 50:26 自分でも言います |
| 50:30 いえ 自分で言うだけでなく |
| 50:33 外部の人々によって 助長し 断続するです なぜ受容するのでしょう? 生物学の勉強であれば 私は教授を受容します 私よりも知識があるので 授業に行き 彼の話に耳を傾けます しかし彼は 私の教祖でも指導者でもありません 彼は生物学に関する情報を与えてくれ 私は勉強し 現場に出て したいことがあるのです しかし なぜ我々は― 精神的な権威を― 霊的な権威を受容するのか? またしても安心の問題です どうするべきか分からないので 教祖に頼るのです 私はその立場を拒絶します |
| 51:44 しかし それが権威ではなく 責任だとしても 同じ問題に辿り着くのでは? 例えば私が父親で― 子供がいるなら… |
| 51:57 指導が必要です |
| 51:59 世話が必要ですよね |
| 52:00 そして安全のことで 頭が一杯になります |
| 52:01 子供を養うために… |
| 52:08 仕事のことや |
| 52:09 家のことなどで |
| 52:11 その結果 権威からでなく 責任から |
| 52:12 安全などに執着します 他人や子供のために |
| 52:21 確かに |
| 52:23 では どうなんですか? 責任を拒絶しろと? |
| 52:28 もし私がお金を稼いでいるなら― 自分自身の面倒や 使用人や子供の面倒 恐らく彼らの子供のことも 私には責任があります |
| 52:42 物理的な責任があります |
| 52:44 食事や賃金を与え 子供をきちんとした学校に行かせたり すべて私の責任です |
| 52:59 でも それでは不安定な状況に 引き戻されてしまうのでは? あなたは権威を拒絶していたはずです |
| 53:14 なぜ霊的、精神的な権威が 必要なのか理解できません もし自分で文字が読めれば 誰の助けもいりません しかし『自分』という本を 本当に読もうとしたことがないので 誰かに助けを請うのです そして全てを見失います |
| 53:43 しかし彼が聞いているのは もし他の人々に対して 責任を負うのであれば― ‐それに必要なのは… ‐収益力ですか? |
| 53:56 ‐つまり安全です ‐ええ 可能な限り |
| 53:59 失業者が多くてはいけません |
| 54:02 責任があれば 不安になるのでは? |
| 54:08 なりません しかし もし私が使用人に |
| 54:11 身の程をわきまえさせるなら― |
| 54:19 使用人としてあしらうなら― |
| 54:21 ええ |
| 54:23 それは無責任なことになります |
| 54:25 しかし使用人は去りますが 子供は去りません |
| 54:31 家族ですからね |
| 54:37 つまり こういう質問です |
| 54:39 家族への責任があるにも関わらず 仕事が得れず 心配し始め 不安になる可能性も |
| 54:49 あるでしょう? |
| 54:50 私は心配しません 賃金を― |
| 54:51 払えなくとも 使用人が残りたいなら 食物を分け与えます |
| 55:02 家族への責任があるにも関わらず 失業しても 心を乱されないと? |
| 55:09 乱されません |
| 55:10 知的な解決方法が? |
| 55:12 対処するのです |
| 55:13 責任があるから心配するのです |
| 55:15 それは心配とは言いません 私は責任がある |
| 55:18 ええ |
| 55:22 故に できる限り面倒をみます |
| 55:24 もし できなければ? |
| 55:27 ‐そのときは? ‐できません |
| 55:29 なぜ心配する必要が? “できない”それが事実です |
| 55:31 大きな困難を目の前にして |
| 55:33 心配事から完全に免れると? |
| 55:40 ええ それが私の言っていることです |
| 55:46 注意があるところに 心配事はありません そこには中心がないからです |
| 56:02 依然として問題はあり 責任もあります |
| 56:06 ですから解決するだけです |
| 56:09 もしできないなら? |
| 56:11 なら できません |
| 56:12 なぜ心配する必要が? 英国の女王になれますか? |
| 56:13 なれません |
| 56:17 では心配の必要が? |
| 56:18 例えば あるインド人が |
| 56:20 家族は餓えているのに 仕事が見つからず でも心配しないんです 驚くことに多くのインド人が 実際に心配しないんです しかし外部の人間から見れば それは運命論です |
| 56:39 それはインドの病と見なされる程 |
| 56:40 実際に彼らは そんな状況の中で 心配しないんです |
| 56:48 質問があります このような話― 意識が混乱していること それを理解し 意識の中身を空にすること― 恐怖… こういった話に― ‐興味はありますか? ‐はい |
| 57:09 ‐本当に? ‐はい |
| 57:11 それなら何を? |
| 57:12 ただ耳を傾けます |
| 57:13 いえ ここで対話をするのです |
| 57:16 深く深く 調べるのです |
| 57:18 つまり自由でなければなりません 己の先入観から 己の過去の経験から… でなければ調べられません これは探求なのですから さらに深く踏み込むのです それをやる意志がありますか? 実際に自我をなくすことが? 58:14 だからと言って 妻や子供をおざなりにする― という意味ではありません それは非常に愚かなことです 苦行者のように― 山中に入ったり― 修道院に入ったり それは極端な逃避です 実際にすべきことは 家族と向き合うことです 自我を完全に なくすことは可能でしょうか? 知的に 問題に対処するために |