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OJ82CNM4 - 健全な心とは
第4部 ボーム博士、ヒドレー博士、シェルドレイク博士との対話
カリフォルニア州オーハイ
1982年4月18日



0:10 【 心の本質 】
0:23 ~ 第4部 ~
0:25 ~ 健全な心とは? ~
0:37 これはJ.クリシュナムルティと― その他の人々による一連の対話です これらの議論の目的は心の探究です 心理的無秩序とは何か? 心の変容に必要なものとは何か?
0:57 クリシュナムルティ氏は宗教哲学者として この問題に長年携わってきました 米国、英国、インドでは 小中学校を設立しました
1:11 ディビッド・ボーム氏は倫理物理学者 英国のロンドン大学の教授です 倫理物理学などに関する本を 多数執筆しています 2人は以前― 様々な対話を行いました
1:28 ルパート・シェルドレイク氏は生物学者 彼は最近『形態形成場』という仮説を 本の中で発表しました 現在 インドの国際作物研究所に― 植物生理学者の意見を 求めています
1:46 ジョン・ヒドレー氏は精神科医 クリシュナムルティ学校に 過去6年間携わってきました
1:57 最初の3部では自己同一化の過程と その影響に焦点を当てました 安心感への欲求が基本的な分裂から生まれ その分裂の中で 意識の中身が― 意識そのものから分離します 今回は まず注意の重要性からです
2:21 分析とは何でしょうか? 観察とは何でしょうか? そこには分析者と分析されるものがいます よって常に不和が持続されます ゆえに葛藤が生じます 分裂が。 それが心理的自由に― 破滅をもたらす原因の一つです この葛藤、分裂が。 分析は この分裂を持続させます だが よく観察してみれば― 調べてみれば― 分析者は分析されるものです また同じ問題です 思考が分析者と分析されるものを分離したのです 分析者とは過去であり― 多くの知識と情報を習得し 分析されるものの誤りを訂正して― 同調させますが― 彼が分析されるものなのです このことを深く理解するならば― 心理的葛藤は終焉します なぜなら そのとき分析者と分析されるものの間に 境界はないからです あるのは観察のみです それが ボーム博士と私が去年 長らく話し合ったことです それを明確に理解したなら… 命令ではありません これまで観察してきました 葛藤というものをこれまで観察してきました 葛藤なしに人生を生きることができるかどうかを つまり支配者の不在です それは非常に危うい質問です 不注意、注意の欠如があるところに 葛藤の全過程が生じるのです
5:09 ええ わかります もし双方が最大の明晰さを持っているなら…
5:15 ええ 問題に英知を与えることになります
5:20 片方だけが明晰な場合は どうなるのですか? では 男女の関係を例にして― これを見てみましょう あなたは完全に注意を払っています 彼女があなたを侮辱するとき お世辞を言うとき 執着するとき それらはすべて注意の欠如です あなたが注意深くとも妻がそうでないなら どうなるでしょう?また同じ問題です 来る日も来る日も辛抱強く 彼女に説明して 共に調べるのか… 結局のところ 注意とは多大な配慮、愛情を意味します 単なる内的な注意でなく 全身全霊の注意です その結果 彼女はあなたと共に歩むことにし― 言わば あなた側に来るのか それとも 自分にしがみつくのか 分裂し矛盾した状態に それで どうなるのか? 1人は愚かで 片方は賢明です
6:58 つまり常にそこには 対立が生じます 愚かな者と賢明な者の間で
7:09 そこでは賢明な方が― 愚かな者に余地を与えているのでは? 自由に調べることができるように
7:24 しかし片方がそれを拒絶したら 関係はどうなりますか?
7:31 ‐なくなります‐それまでです 部族主義は根本的にひどく有害なものです あなたはそれを理解しています あなたは即座に理解したかもしれませんが 私はそこに至るのに何年も掛かるとします あなたは辛抱強く― いえ… あなたは配慮、親愛、愛を持てますか? 私の愚かさを理解するために 私は反発するかも 離婚するかもしれません 逃げ出すかもしれませんが あなたは私に種をまいたのです こういうことは実際にあり得るのでは?
8:43 はい
8:45 興味深い話ですね 片方は即座に理解し― もう片方は時間が掛かる この注意の中での理解とは 即座のものですよね?
8:59 ‐蓄積したものでなく…‐それは理解とは違います
9:04 だから もう片方は 理解できないのかも
9:09 あなたは理解していて― 私が理解していないとき
9:16 2人の関係はどんなでしょう? 意思の疎通ができません
9:23 ええ
9:25 言葉の上でも配慮を持っても 大変難しい
9:29 話が通じない
9:31 私は常に反発し自分を正当化します
9:36 自分の考えを…
9:38 自分が正しいと思っていることを 自分が生まれ育った国の考えを― それを手放すのは危険だと思うのです 人に心が狭いと言われるかも 世論に頼っていると言われるかも 手放すのが怖いのです だから固執します そのとき2人の関係とは? ‐関係がありますか?‐いいえ
10:17 本当にそうでしょうか?
10:20 伝えることはできます
10:22 ええ そして執着や性的な理由からではなく あなたが本当に私のことを愛しているなら 関係を失う訳にはいきません 私が逃げたとしても 結び付きを感じるはずです 伝わったでしょうか?
10:45 つまり相手が拒絶しても 放り出すべきではないと?
10:50 ええ そして― 愛があるとき非常に深い関係を― あなたは築いているのです 私が拒んでもあなたには愛の責任があります 特定の人物だけにではなく 人類全体に対して どう思いますか?
11:25 これ以上言うことはあまりありませんが 配慮や注意は重要な点だと思います 例えば 観察者と観察されるものや― 分析者の話では 注意の欠如によって 分離が生じます
11:44 その通りです
11:46 ですから心理的な問題を調べるときも それと同じ姿勢でのぞむべきです
11:56 配慮の姿勢ですか?
11:58 今への配慮と注意です いつもの癖で分析してしまい それを非難するとします “正しい姿勢ではない”と。 しかし まさに今そこで起きていることに対して 我々は配慮と注意を払わなければならないのです そこに注意がなかったり 正しい注意でなければ 最初の段階で分裂が生じ 持続されるわけですから
12:35 しかし家族や友人に対しては そのような注意を払えるとしても― 見ず知らずの人に対しては? 大抵の人はロシア人に会ったことがなく ロシアの核兵器や脅威などに対して 恐怖を抱いています そして 我々も核爆弾を― 持とうとするわけです “ロシア人は恐ろしい”と。 つまり 面識がない敵に対しては ‐どうしたら?‐敵とは何ですか? 敵などいるのでしょうか?
13:24 ええ 例えば―
13:27 あなたに賛同しない者?
13:29 決定的に 観念や― イデオロギーが異なる者?
13:36 大抵 ロシア人は我々を恐れ 我々はロシア人を恐れます それが原因で― 敵の立場にあるのです
13:46 我々は依然として部族主義です
13:50 ええ 確実に
13:53 そこから抜け出しましょう 私がロシア人であなたはそれ以外の出身だとします 私が この手の部族主義を軽蔑しているとして そのとき2人の関係とは?
14:12 私はロシア人ではなく―
14:14 1人の人間です 多くの悩みを抱えています そして あなたもまた 悩みを抱えた人間です ラベルではなく人間なのです
14:31 しかし ロシア人は― このことを認めないかもしれません
14:37 ロシア人が我々を拒絶したら どうするんですか?
14:43 どうしましょう? いいですか 私は全人類の代表です 私が全人類なのです 実際に 私はそのように感じます ただの感情の爆発でもロマンチックな着想でもなく 私は全人類だと感じているのです 私は苦しみ 楽しみあらゆる苦痛を経験します あなた方もそうです つまり あなたが全人類なのです 故に 多大な責任があるのです そこで ロシア人、ドイツ人、英国人、アルゼンチン人に会うとき あなたは人間と接するのです
15:49 つまり 大多数が部族社会で政府や爆弾を備え 戦争兵器を持っている中で 散在する少数の個人が 部族主義を解消できると?
16:03 もし世界中のあちこちにいる100人の人間が― 実際に非部族的な姿勢を示せば それはまるで― 暗闇の中の光となるでしょう 我々はそうしません ただの理想主義的な着想に過ぎないと 断念します皆 我を通すからです
16:35 ええ
16:37 ここで注意と集中の違いを 見極めておきましょう 集中とは 一つの事柄に焦点を合わせることです そして注意とは― 一つの事柄に焦点がないことです それが注意です
17:12 集中には目標があります
17:15 目標、動機―それは限定的な行為です 私は本に集中しますが― 思考が窓の外に奪われ 何度も本に引き戻します 一方 もし完全な注意を 窓から見えるものに払うなら その同じ注意をもって― 私は本を読むことができます 己の現状が見れます
17:47 集中には支配者がいて 思考を引き戻します
17:58 注意には支配者がいないなら それは単なる反応なのでは? 何であれ現状に対する…
18:06 注意を払うなら 侮辱されても その屈辱を記録することはありません
18:20 その通りです
18:23 あなたは私にお世辞を言います “先日の講演は素晴らしかったです” だから何だと言うんでしょう? わかりますか? これは更に難しい質問です 記録せずにいられますか? 必要な場合以外に 運転には記録が必要です 運転の仕方を習うために 仕事をするときなども記録は必要です しかし 心理的に記録する必要が?
19:07 勝手に記憶されるのでは?
19:11 記憶は選択的なものです
19:15 我々が記憶するものは
19:18 自分にとって― 重要なことのように思えます
19:24 しかし通常 注意を払っている中で― 何を記録し何を記録しないか決めるなら 無意識とは言えないのでは?
19:35 もっともです
19:37 過去、集中、分析が原因なら― 無意識のものでしょうが…
19:46 議論すべき問題がもう一つ 昨日 我々が言ったことですが宗教、瞑想― 神聖なものについて 話し合うと言いました 神聖なものがあるのか? 思考によって神聖なものを創り出し 崇拝するのではなく…それは ばかげたことです インドの寺院の象徴などは彼らのイメージです キリスト教の教会のように イスラム教の寺院には 素晴らしい文字がありそれもまた同じことです それを崇拝するのです
20:48 ‐偶像崇拝ですね‐いえ 思考がこれを創り出したのです 思考がイメージを創り それを崇拝するのです 何とばからしいことか
21:06 ええ
21:07 確かにそうですが さらに洗練された信者なら 崇拝しているのは 思考のイメージではなく それが指し示すものだと 言うのではありませんか? 象徴とは― 現実のものではありません では なぜ象徴を創り出したのか? 答えてください 超越したものがあるとしてなぜ仲介物を創ったのか?
21:47 これは特定の宗教の人々にとって 中核をなしてきた問題で ユダヤ人は偶像崇拝に反対しています イスラム教も偶像がありません
22:00 ‐けど彼らには…‐文字はあります
22:03 その通り
22:05 文字は象徴の向こうにあるものを 教えてくれるものです
22:11 単なる象徴ではなく それは我々を支えてくれる言葉です 例えば あなたの言葉が 私を救ってくれるかもしれません それを書き出せば同じことです
22:27 それで なぜ仲介するものが必要なのでしょう?
22:38 私はここに居て神聖なものは― 向こうにあるからですか?
22:44 質問に答えていません 仲介者が真実を理解していて― それで私にそれを― 伝えているのでしょうか?
23:03 見たことを伝えたいのかも
23:06 ええ でもなぜ通訳の役を買って出るのか? なぜ仲介者になるのか? 『それ』と私の間の。 私は無知で苦しんでいます 『それ』より悩みに対処しては?
23:26 『それ』が悩みを解決するのです 仲介することで…
23:31 その手口が世界中の聖職者によって 使われてきたのです 聖職者は 太古の時代から 存在しますが
23:48 人は悲しみから解放されてません 百万年たっても苦しんでいます 何のために? 解放してください 恐怖から解放してください 身分、権力、地位が欲しいのでしょうか? 他の人々と同じように だとしたら かなり深刻です
24:27 もし聖職者を 好意的に解釈するなら 彼らの中で最良の者が 詩的なイメージによって超越したものを表せると 考えたのかもしれません それによって 彼らは神聖なものを 指し示めそうとしているのです 恐らくは。 さて あなたはこのことを 無意味だと言うのですか?
24:57 しかし なぜ現状を理解する手助けをしないのですか?
25:04 神聖なものを示すより まず現状を見ろと?
25:08 解放しなさい!
25:10 ええ わかります
25:14 誰も深く調べようとしないのです 常に 神や救済者、ブラフマンといった話ばかりです これがいわゆる宗教です 儀式は思考の産物です 素晴らしい建築物も思考の産物です 教会、寺院の中にあるものも すべて思考の産物です そして それを思考が崇拝するのです 思考は神聖ではありません
25:59 つまり思考を― 停止できるかと?
26:03 できますか?
26:05 思考は― イメージを創り
26:09 我々を妨げます
26:11 私が神聖なものを探していると あなたが来て こう言います “全部教えるからそれを構築しなさい” そして全て見失います
26:28 思考の中に留まるわけですね
26:30 つまり 思考は神聖なものではありません 神聖なところなどありません ただ思考が己の創造物を崇めているのです ええ それでは時間は 神聖ですか?
26:55 もちろん―
26:57 神聖ではありません
26:58 永遠なものは神聖では?
27:01 永遠なものを知るには時間を止めなくては!
27:07 それにしても微妙な問題です 完全な注意が自我を消滅した結果― 注意が思考になるかもしれません
27:17 観念の上ではあり得ます 観念を創り上げる可能性がある ‐危険ですね‐あなたがこう言います
27:27 ええ
27:29 “完全な注意”と。 その意味の深さを私は把握していません あなたは調べたので言うことができます 私はそれを聞き 観念化して その観念を追いかけます
27:50 我々はいつもこの調子です
27:53 ええ
27:54 だから見失うのですあなたが言ったことは― 観念ではなく…
28:02 しかし我々は― 観念を追っていると思ってません
28:08 もちろんです 我々は何でも抽象観念に変換することに 慣れていますから 従って 理解することはできますか? 思考が行うことは何であれ神聖ではないことを
28:40 自明の理です
28:43 はい 自明の理です このような宗教に神聖なものは何もありません そうでしょう?
28:54 いえ 言葉や建物自体は 神聖ではないですがそれらを超越したものを 宗教は示しているはずです
29:06 ええ しかし それらを超越するためには― まず 己を苦悩から解放し― 人間関係を理解しなければなりません もし 心の中に混乱があれば― 何の意味もありません 私は物質主義でも 他者を排除しているわけでもありません ただ 非常に遠くに行くためには 身近な所から始めなくてはなりません 自分は大変 身近です つまり己を理解することです 私は全人類です 私は個人ではありません 私の中に人類の本があり 私がその本なのです もし それを読むことができれば そのとき私は― 確かめることができるでしょう 本当に計り知れない神聖なものがあるかどうかを 単に『それ』があると言われても― それは私を救ってくれません 宗教は長年存在してきましたが― 救ってくれないどころか あなたを現状から遠ざけます 従って もし神聖なものがあるかどうかを確かめたいなら 身近から始めることです 非常に身近なのは己です そして己を恐怖から解放できるでしょうか? 苦悩、悲しみ、絶望などから 自由があれば山に登ることができます
31:36 つまり 恐怖などを解消すれば 神聖なものが明らかになると?
31:42 もちろんですそれが本当の瞑想です
31:51 我々の中で起きていること―
31:54 ええ
31:56 人間関係で起きていること― あなたと人々の間で
32:01 それらに注意を払うことによって…
32:05 それから以前ボーム博士と話し合ったことですが― 自我の運動全体を洞察することです それは回想ではありません 洞察とは己を完全に理解することです 分析したり審査したりすることなく― 完全に あなたの意識の中身すべてを― 即座に理解するのです 少しずつでは きりがありません
32:54 分裂した断片ではなく
32:56 分裂しているから全体が見えないのです 言うまでもありません
33:06 では 分裂せずにいられるでしょうか? 何が分裂するのか? この意識の混乱について― 昨日お話したわけですが… ご覧なさい誰もそれほど深く調べたくはないのです まず 時間がありません己の仕事に専念しています 己の職業、己の学問― 何であれ己がしていることに そして誰もが“難しすぎる 難解すぎる―” “実用的でない”と言うのです 己がしていることは実用的であるかのように 軍備は実用的なことですか?部族主義は― お分かりでしょう? では そこから前進しましょう 心の静寂とは注意を払っている状態のことですか? あるいは 注意を超えたものですか?
34:38 “注意を超えたもの”とは? 説明してください
34:48 注意とは― 意志による行為ですか? “注意を払おう”
34:58 いえ それは集中です
35:01 では お聞きしますそこに注意があるとき― 何らかの努力がありますか? 奮闘が?“注意しなければ” もう少し踏み込みましょう 注意とは何でしょう? 『勤勉』という言葉は注意の中に含まれます 勤勉になることです怠慢ではなく
35:48 油断がないという意味ですか?
35:52 ええ 油断がなく非常に的確であることです
35:58 本来の意味は『骨を折る』です
36:00 その通り 『骨を折る』つまり 配慮をすること― 愛情を持つこと すべてを的確に秩序立てて行なうことです 反復的にではなく 注意は 思考の行為を必要としますか?
36:33 分析者の行為は― 必要としません
36:37 故に 思考を必要としません そして意志の行為も必要としません 意志が 心の中の分離や努力に― 関与している限り 注意は『何かに成る』という意味を 含みません『成る』は― 人を現在から遠ざけるからです
37:03 注意深くなることはできません
37:07 それが何を意味するか見てみましょう 注意深くはなれません 注意の中には時間がないからです 『成る』とは時間を意味します
37:22 注意中 時間は生じません 故に 注意は思考の産物ではありません
37:29 ええ
37:39 その注意とは心の静寂のことでしょうか? それは健全で分別のある心― 整頓されていて執着がなく 自由な心、最も健全な心のことです そこでお尋ねしますが その注意の中にあるとき心は静寂でしょうか? 思考の動きはないですか?
38:30 ないと思います それはどちらかと言うと 存在している状態です 『存在している』とは? それはどういう意味ですか?
38:50 『あるがまま』に在ることです
38:53 『在る』とはどんな意味ですか? 『成る』の反対の表現ですか?
39:02 ‐そうです‐それなら― それは反対語ではありません
39:09 『存在している』とはやがて別のところへ行く過程の中には― ない状態という意味です
39:19 つまり 運動がない状態ですか?
39:26 そうだと思います
39:30 運動がない状態
39:31 つまり それは― 静的な状態ですか?
39:35 いえ 動的な状態です
39:37 少し分かりにくいです
39:39 ここからそこへと動きません
39:42 別の種類の運動であると?
39:45 それを論じましょう 『存在している』とは― そこに運動がない状態でつまり思考や― 時間といった運動が ない状態のことだとして― しかし一方 独自の活力があり 時間や思考ではない独自の運動が あるものだとして それが『存在』ですか?
40:31 そうだと思います
40:39 それは静かなものですか? どうですか? 静寂には様々な形態があります そうでしょう? 無音ではないかもしれませんが
41:01 ここで言う“静寂”とは 思考の動きが全くないことです
41:09 それなら確かに静寂です
41:12 ええ つまり心が考えることをやめたのでしょうか? というより 思考が自分の居場所を見つけたので それが故に― もはや運動、おしゃべり、指図をしないのでしょうか? なぜなら支配者がいないからです もし そこに卓越した静寂があるなら― それが永遠なるものです 探す必要はありません それは作業でも 成し遂げるものでもありません 断食や儀式といったばかばかしいことによって さて あなたはこれを聞いて―
42:29 ある人からこれを聞いて― そこに どんな価値が? それで どうするのですか? 何か意義があるのでしょうか? 皆 自分の道を進みます あなたは精神分析医で私は私の道を進みます 言うべきことを言ってそこで終わりです 次に何が? 誰かが現れて通訳を申し出るのです あなたは時間がないので彼がすべてを 通訳するわけです そして術中に陥ります 常にこうです 太古の時代から 彼らは― これを演じてきたのです そして依然として同じままです 宗教は人類に何かしたでしょうか? 救っていません 非現実な架空の慰めを与えました 実際に起きているのは殺し合いです そんなわけで 始めましょう 健全な心とは何でしょう?
44:28 囚われがなく…
44:31 無傷な心 健全な心― 分別がある心 神聖な心 全て健全な心を意味します それを議論しましょう 健全な心とは何でしょう? 世界は非常に神経症的です 精神分析医として健全な心とは何かを どう伝えますか? 誰も気にかけません 彼らはテープやテレビに耳を傾け 賛同はしますが我が道を行きます では どうしましょう? 第一 私は健全な心を持っているのでしょうか? それとも ただの想像でしょうか? まったく執着がない心 自分の国、自分の観念に すべてにおいて完全に冷静で執着がない心
45:58 つまり患者と話す立場なら まず健全な心が必要だと? もちろんです 私が結婚しているとして 妻に執着する必要が?
46:14 それが結婚というものです
46:17 愛は執着ではありません 私は理解したのでしょうか? 健全な心は愛してるが故に執着しないことを それは可能でしょうか?
46:35 とても簡単そうに言いますが非常に難しいことに思えます どこが難しいのですか?
46:43 なぜなら あなたの話を聞いて これは大変素晴らしいと 健全な心を持ちたいと思います なのにその後 健全な心の状態には なれないことに気付くんです 意志の行為や欲望ではこの状態に入れないことを。 それは生じるもので意志では起こせません
47:08 その通り
47:10 なら生じさせなくては
47:12 では 調べてみましょう あなたは尋ねます なぜ健全ではないのか? なぜ家に執着するのか? 妻、人間関係―人間関係なしに生きることはできません 人生とは人間関係です しかし人に執着する必要が? 観念、信仰、象徴―わかりますか? 執着の連鎖です 私の国、私の教祖、私の神 これらの一貫した執着から 自由になることが?もちろんなれます
47:58 しかし欲するだけでは…
48:00 いえ 執着の結果を見るのです それに関与していることを 苦痛、快楽、苦悩、恐怖― 関与する全てを見るのです そんな心は不健全であると!
48:26 ええ 人はそれに賛同することも 己の執着を知ることも― 有害な結果を見ることもできます けど本質的には解放されません
48:39 もちろんですそこで全く違う質問が生じます あなたは単に耳の感覚器を使って聞いているのか それとも実際に聞いてるのか 質問がわかりますか?
48:59 文字通り ただ聞いているだけなのかそれとも 心から聞いているのか? 非常に深く聞くならそれは あなたの一部になります どうでしょう
49:23 通常そこまで深くは聞きません 条件付けによって阻止されます
49:31 または聞きたくないのかも
49:34 それもまた条件付けです
49:36 確かに
49:38 不本意なことです
49:40 妻に“愛してるが執着はない”と言えば “寝ぼけるな”と言われるでしょう しかし もし健全な心を持つことの絶対的な必要性を― 理解するなら― そして それを求めるなら…自分にだけでなく― 自分の子供、自分の社会にも…
50:23 まさか それを人々に 説いて回れと?
50:27 いえ 自分に求めるのです なぜ自分の心は健全ではないのか? なぜ神経過敏なのか? そして調べ始めます 熱心に観察し 注意を払うのです
50:53 健全な心の絶対的必要性を 理解するにしても― 執着を持続することが 絶対的に必要であると 我々は条件付けられてます
51:10 一概にそうとは言えません 心に問題があることを 多くの人が認識していて 変えたいと思っています そして瞑想などの精神修行を 始めるわけです しかし あなたは― 瞑想やチャクラなどは すべて同じ類のものだと?
51:34 ずっと前にやったことがあります
51:37 ええ
51:40 それらは ばからしいことです それでは思考は止まりません
51:48 止めるものもあるのでは? 私には効果がありませんでしたが… 修行が足りないのかも…
52:00 では そうする代わりに 調べてみては?思考とは何なのか 終焉できるかどうかを わかりますか?探究なさい! これら4回にわたる議論の末― 健全な心を得ましたか? 混乱のない心を得ましたか? もはや模索していない― 求めていない心を どうですか? なんと厄介な! それはヘビを見て― 近づかないことと同じです
53:01 内側から見れば途方もなく深く― 困難な問題ですが 外側から見れば ヘビの話と同じくらい 単純なことであると?
53:13 私にはそう思えます
53:16 涅槃や天国など要らないからです 観察するだけです
53:23 なぜ事実と違って― 深く見えるのですか?
53:30 我々は皆 非常に浅薄なのです でしょう? それで満足すると思うのです 良い家、良い妻― 良い仕事、良い人間関係―何も打破しません それぞれが教会、モスク― 寺院に行き現状を維持するのです
53:59 つまり目を背けていると?
54:01 もちろんです
54:04 もし自らの部族主義に目を向けていれば 戦争をやめたはずです しかし皆 目を向けたくないのです わかりますか? 非情になるよう教育されます 詳しくは言いません つまり 健全な心とは― いかなる葛藤もない心です つまり全体観的な心です そこに神聖なものとなる可能性があるのです でなければ子供じみたことです