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OJBR80CB10 - 宇宙的な秩序
ディヴィッド・ボームとの会話、第10回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年6月7日



0:19 クリシュナムルティ: 聴衆を忘れましょう。 私たちは、あなたたちの面白さのために、執り行っていません。
0:32 私たちは先日、止めたと思うのは- 私が正しく憶えているなら - 精神が、思考がそこに置いた物事すべてより、 全的に空っぽであるとき、真の冥想が始まる、と。 しかし、私たちはその事柄へ、さらに入る前に、 私は、ちょっと戻って、 見出したいと思うのです - 頭脳はいったい、自由でありうるのかどうか、です。 すべての幻影、どの形の欺瞞からだけでもない。 そして、それは、自体の秩序を、持ちうるのかどうか、です - 思考により導入されていない秩序、です。 または、物事を、その適切な所へ置くために、努力、尽力をするのではない。 また、頭脳は、どれほど損傷していても - ほとんどの頭脳は、損傷しています。 衝撃により、あらゆる種類の刺激によって、です。 その頭脳は、自体を完全に、癒やせるのかどうか、です。 それが、私が入りたいと思うことです。
2:25 で、初めに、よろしければ、訊ねることから、始めましょう。 人が作っていない秩序が、 ありますか。 動揺の中から計算された秩序の結果でないものが、です。 たぶん大いに満足できる秩序、ではない。 それは、ゆえにやはり、古い条件づけの一部です。 人が作り、思考が作ったのでない秩序が、ありますか。
3:18 ボーム: あなたは、精神に言及なさっていますか。 自然の秩序は、それ自体で存在する、と言えますね。
3:26 K: 自然の秩序は、秩序です。

B: ええ。でも、人が作っていない。

K: でも、私は、そういうことについて、話していません。 それが、あの種の秩序であるのか、私は確かではありません。 宇宙的な秩序が、ありますか。
3:49 B: でも、それはやはり、拡大される同じものです。 宇宙的(コスミック)という言葉は、普通の意味では・・・
3:56 K: 宇宙的(コスミック)は、秩序を、意味しています。
3:58 B: それは秩序を意味しますが、秩序全体ですね。
4:01 K: 秩序全体です。私はそのことを、言っています。
4:03 B: それは、宇宙・万物の秩序と、精神の秩序を、含んでいますね。

K: ええ。
4:13 K: 私が見出そうとしているのは、こうです - 人がとうてい構想できない 秩序が、あるのでしょうか。 付いてきていますか・・・ なぜなら、どの構想も、やはり思考の様式の中に、あるからです。 で、そうでない秩序が、ありますか・・・
4:43 B: まあ、私たちはどのように、それについて、議論しようとしますか。
4:46 K: それが、私が議論したいことです。 私たちは議論できる、と思います。 秩序とは、何ですか。
4:58 ナラヤン: 私たちはちょうど、それについて議論していました。
5:02 K: 私たちは、何について、議論していましたか。

N: 食卓で、です。
5:04 K: 昼食時に、ですか。
5:06 N: 数学的な秩序が、あります。 一般的に、数学的な秩序は、より微妙な諸秩序の秩序です。 科学 - どの特定の秩序の裏にも、その秩序です。 それは、どの専門分野にも知られた、最高の種類の秩序です。
5:27 K: 数学者たちは、数学が完全な秩序であることに、 同意するんでしょうか。
5:37 N: ええ。数学自体は、秩序の整合性です。
5:41 K: 彼らは、それに同意するんでしょうか。
5:44 B: それは、数学者たちに依存する、と思います。 でも、フォン・ノイマンという有名な数学者が、いて、 彼は、数学を、諸関係の関係と、定義しました - 彼のいう関係とは、本当は、秩序という意味でした。 他の何かについて、ではなく、秩序自体の分野の内で、働いている秩序です。
6:03 K: 秩序の分野に働いている秩序です。
6:09 B: 何か対象物へ働いているというより、ね。
6:11 K: ええ、ええ。それが、私が取りかかろうとしていることです。
6:19 B: で、最も創造的な数学者たちは、これの知覚を、持っています - それは、純粋な秩序と呼ばれるかもしれません。 でも、もちろん、それは、制限されています - 一定の・・・ それはやはり制限されています。なぜなら、それは、数学的に、表現されなくてはいけないからです - 数式や方程式ということに立って、です。
6:47 K: 秩序は、私たちが知っているような無秩序の一部でしょうか。
6:55 B: それは、問いではありません - 私たちがいう無秩序とは、どういう意味か、というのは・・・ 無秩序について、首尾一貫した定義を、与えることは、可能ではありません。 なぜなら、無秩序は、本来的に・・・ 一貫した説明を、与えられません。

K: なぜですか。
7:12 B: 無秩序は、秩序に違反するものであるからです。 何でも実際に起きることは、秩序を持っています。 さて、望むなら、一定のことは、無秩序と呼べます。
7:21 K: 何でも起きることは、秩序である、と仰っていますか。
7:24 B: それは、何らかの秩序を持っています。 もし身体が、正しく機能していない、 癌が成長している、というなら、それは、癌細胞における一定の秩序です。 それは、一定のさまで、成長しているだけです - あまりに速すぎますが。 それは、身体を壊してしまいがちな、異なった様式を、持っています。 でも、全部が、一定の種類の秩序です。

K: ええ。

B: それは、自然の法則に、違反したことがありません。

K: ええ。

B: しかし、或る脈絡との相対関係では、それは無秩序である、と言えるでしょうね。 なぜなら、身体の健康について、話しているのなら、 癌は無秩序と呼ばれるからです。 しかし、それ自体では・・・
8:02 K: 癌は、自らの秩序を、持っている。全くです。
8:07 B: でも、それは、身体の生育の秩序とは、両立不可能です。
8:13 K: では、私たちのいう秩序とは、どういう意味ですか。秩序といったものが、ありますか。
8:20 B: 秩序は知覚である、と私たちは言っていました。 私たちは、秩序を捉えることはできません。

K: ええ、もちろんです。
8:28 N: 一般的に、私たちが秩序と言うとき、それは、或る枠組みへの関係にあるか、 一定の分野への関係にあります。 秩序はいつも、その含蓄を持っています。 あなたが、数学の研究として、 秩序の秩序と仰るとき- 数学の幾つかの様相ですが - あなたは、秩序に対する有限のアプローチより、離れ去ろうとしています。
8:55 B: 私たちはもはや、物事を、秩序づけていません。
8:59 ほとんどの数学は、数の秩序より、始まります - 1,2,3,4のように。その上に、きわめて精緻な階層秩序を、築きます。 数の秩序というのが、どういう意味かが、見られます。 一連の関係があります - それらは、例えば定数です。 数の秩序には、秩序の最も単純な例が、あります。
9:27 N: ゼロの発見にともなって、新しい秩序が、創造されました。 新しい組み合わせの秩序が、生じました。 数学的な秩序と、自然における秩序は、 より大きな分野の一部でしょうか。 または、それは、局所化された形でしょうか。
10:06 K: 頭脳、精神は、とても矛盾していて、 傷が付いているので、 秩序を見つけられません。
10:28 B: ええ。でも、それは、どんな種類の秩序が、欲しいのですか。
10:32 K: それは、その中で自らが、安全になるであろう秩序が、欲しいのです。 それは、傷をつけられないだろうし、それは衝撃を受けないでしょう。 それは、物理的な痛みや、心理的な痛みを、感じないでしょう。
10:46 B: でも、秩序の全論点は、矛盾を持っていないことです。

K: そのとおりです。

B: それが、数学の全目的です。
10:52 K: ええ。でも、頭脳は、矛盾になっています。
10:56 B: ええ。何らかの形で、何かが間違ってしまったんです。 私たちは、それは間違った方へ曲がった、と言いました。
11:07 身体が間違った成長をしているなら、 私たちは癌細胞を持っている、と言えるでしょう。 それは、二つの矛盾した秩序です。 一つは、癌の成長であり、 もう一つは、身体の通常の秩序です。 それらは、隣り合っていられません。
11:23 K: でも、私は訊ねているだけです。 私は、或ることへ、入りたいからです。すなわち、 精神、頭脳は、組織された秩序すべてから、全的に自由でありうるでしょうか。

B: ええ。
11:43 B: 私たちは、なぜあなたが、それを、組織された秩序から、自由にしたいのかと、 組織された秩序とは、どういう意味かを、訊ねなくてはいけません。
11:49 K: そのとき、それは様式になります。
11:52 B: 固定した秩序、課された秩序、という意味です。
11:55 K: ええ。固定した秩序や、固定した様式です。

B: 課されたのや・・・

K: 課されたのや、自ら課したの、です。 なぜなら、私たちは、究明しようとしているからです - 少なくとも、私は見出そうとしています - 頭脳はいったい、自由でありうるのかどうか、です。 すべての賦課、圧迫、傷、負傷より、自らを、様々な方向へ押していく すべての存在の些細なことより、です。 それは、それらより、完全に自由でありうるのかどうか、です。 ありえないなら、冥想は、何の意味もありません。
13:03 B: もしそれを、それらより自由にできないのなら、 さらに進んで、たぶん生は何の意味もない、と言えるのかもしれません。
13:09 K: いいえ。私は、生は何の意味もない、とは言わないでしょう。
13:12 B: それが、無期限につづいていくなら・・・
13:15 K: あのように無期限に、ええ。 もしそれが、これまでのように、無期限に、 幾千年もの間、つづいていくなら、生は、何の意味もありません。 しかし、それがそもそも意味があるのかどうかを、見出すには - 私は、意味があると、思います - 精神、頭脳は、これらより、全的に自由でなければならないのではないですか。
13:41 B: あなたが無秩序と呼ばれるもの・・・ 無秩序と呼ばれるものの本源は、何ですか。 それはほぼ、癌に似ている、と私たちは言えるでしょう - 頭脳の内側で、つづいている、と。 それは、頭脳の健康と両立可能でない形で、動いています。

K: ええ。

B: それは、時がつづくにつれて、成長します。

K: 増大です。

B: 一つの世代から、もう一つへ、増大です。
14:11 K: でも、一つの世代から、もう一つへ、同じ様式が、反復されます!
14:16 B: それは、一つの世代から、もう一つへ、蓄積さえしがちです - 伝統をとおして、です。 さて、それはほとんど、誰かに対して、「私たちはどうやって、これら癌細胞が 拡がるのを止めようとしますか」と訊ねるのと、同じ問いです。
14:33 K: それが、私が取りかかりたいことです。 この様式は、定まってきて、 世代から世代へ、蓄積してきましたが、 それはどうやって、終わること、突き破られることに、なりますか。 それが、私の精神の裏での、真の問いです。
14:57 B: もう一つの問いを、してもいいでしょうか - なぜ頭脳は、 このものが、つづくため、成長するための土壌を、提供しますか。
15:04 K: それは単に、伝統、習慣なのかもしれません。
15:09 B: なぜそれは、そこに留まりますかね。
15:12 K: それは、何か新しいことが起きることを、恐れている、ということかもしれません。 なぜなら、古い伝統に、それは避難する、 それは安心を感じるからです。
15:30 B: すると私たちは、問います - なぜ頭脳は、自体を欺瞞しますか。 この無秩序の様式には、この無秩序について頭脳が 自体を欺瞞するという事実が、関与するように、思われます。 頭脳は、それを明らかに見ることができるように、思われません。
15:54 N: また、あなたが秩序と言われるとき、私の精神では、 秩序の裏には、智恵が、あります - それを使用するものが、です。 私は、一定の目的を持っています。 私は、秩序を創造します。 その目的が済んでしまうとき、私はその目的を、脇に置きます。 で、秩序は、自らを作り出す智恵を、持っています。 ふつうの語法においては、それが含蓄です。 でも、あなたは、他の何かへ、言及なさっています。
16:25 K: 私は訊ねています - 私と彼は、です - 諸世代のこの様式は、 破られるのかどうかと、なぜ頭脳は、すべての葛藤、悲惨にもかかわらず、 その様式を受け入れてきて、同じようにつづけていくのか、です。 そして、その様式を破ることは、可能でしょうか。 それが、私が本当に訊ねているすべてです。
16:51 N: 私は、同じことを、違った形で言っています。 秩序は、その目的を果たしてきたなら、それは、もはや役立たないとか、 適切でないからといって、脇に置けるのですか。
17:03 K: でも、見たところ、脇に置けません。 心理的に、私たちは話していますが、それはできません。そうなりません。 私たちの誰とも似た、ふつうの人間を、取ってみてください。 それは、つづいていきます。 恐れ、悲しみ、悲惨を、反復します。 それらは、その日々の食事の一部です。 ボーム博士は、訊ねます - なぜそれは、つづいていきますか、 なぜそれは、突き破れないのですか、と。 私たちは言います - それは、重く条件づけられているので、 そこを抜け出す道が、見えないのか、と。 または、それは単に、常なる反復なのかもしれません。 それで、頭脳は鈍くなってしまった。
18:04 N: で、反復の運動量、惰性が、あります。 あなたは、そこから抜け出せません。
18:10 K: 反復の運動量、惰性は、精神を、のろく、機械的にします。 その機械的なのろさの中で、それは避難しますし、 「行ってください。だいじょうぶです。 私はつづけてゆける」と言います。 それが、ほとんどの人間たちが、することです。
18:36 B: それは、無秩序の一部です。 そのように考えることは、無秩序の顕現です。
18:41 K: もちろんです。
18:48 N: あなたは秩序を、智恵に連結されますか。 または、秩序は、何か自体で存在するものですか。 どの種類の智恵でも、です。
18:58 B: どちらの場合に、ですか。 確かに、智恵には、秩序が関与しています。 智恵は、秩序の知覚を、必要とします - 矛盾なく、秩序立ったさまで、です。 しかし、私たちが前に議論していたことに関しては、 私たち自身は、これを創り出しません。 私たちは、この秩序を課しません。 むしろ、それは自然です。
19:33 K: では、戻りましょう。私は普通の人です。 私は、自分が捕らわれていることが、見えます - 私の生き方全体と、 私の考えと、私の態度など、信念は、 甚大な長さの時の結果であることが、です。 時は、私たちが先日、それに入ったように、私の存在全体です。 過去は、変化させられませんが、そこに、私たちは避難します。ですね?
20:11 B: もしも私たちが、普通の人へ、話をすることになったとしたなら、 彼が感じるだろう最初のことは、彼は本当に、時を理解しない、ということです。 すなわち、時は、何か彼へ起きるものです。
20:21 K: ええ。でも、私たちは、それへ入りました。 私は言っています - 私は普通の人であり、 あなたと話し合った後、 私は、自分の存在全体が、時に基づいていることが、分かります。 すなわち、時は過去です。 そこに、頭脳は避難します。
20:43 B: どういう意味ですか。 それはどのように、避難しますか。
20:46 K: なぜなら、過去は変化させられないからです。
20:49 B: ええ、同意しますが、そのとき人々はまた、未来は変化させられるとも、ふつう考えます。 それで、共産主義者たちは、言ってきました- 「過去をあきらめなさい。 私たちは変化させようとしている」と。
20:58 K: でも、私は過去を、あきらめられません。 私たちは、過去をあきらめられる、と考えます。
21:03 B: ええ、それが第二の点です。 過去をあきらめようとする人たち、 過去に避難したくない人たちさえも、やはりそれを、あきらめられません。
21:10 K: それが、まさに私の論点です。
21:13 B: で、どちらでやっても、行き詰まっている、と見えます。
21:20 K: で、次の一歩は、こうです - なぜ頭脳は、この生き方を受け入れますか。 なぜそれを、壊してしまわないのですか。 それは怠けですか。それを壊してしまう中で、それは、何の希望も持たないのですか。
21:47 B: それはやはり、同じ問いです。
21:49 K: もちろん、それは同じ問いです。
21:51 B: 過去から未来へ行く。
21:54 K: で、それは、何をすべきでしょうか。 これは、ほとんどの人々に適用可能だと、私は思いますが、どうですか? それで、どんな、なされるべきことが、ありますか。
22:07 B: 私たちはまだ、なぜそれがこうするかを、理解していません。 だから、何と言うべきかが、はっきりしません。 この振るまいは、無秩序で、非理性的だ、などとします。 人々は、「いいよ、過去をあきらめよう」と言ってきましたが、私たちは、それができないのを、見ます。
22:23 K: それはできません。

B: なぜできないのですか。
22:30 K: なぜ私たちは、過去をあきらめられませんか。お待ちください。 私は、過去をあきらめるなら、何の存在をも持っていません。
22:47 B: あなたはそれを、明瞭にしなくてはいけませんね。なぜなら、或る人々が言う・・・・
22:52 K: それは単純です。私は、自分の憶えていることすべて等々を、あきらめるなら、 私は何も持っていません。私は何でもありません。
23:02 B: 或る人々はそれを、少し違ったように見つめるだろうと、思います - マルクス主義者のように、です。 マルクス自身は、人間存在の条件を変容させることが、必要であり、 それがこの過去を取り去るだろう、と言いましたね。
23:19 K: でも、そうなされていません。 それはできません。
23:24 B: それは、彼は、それを変容させようとするとき、やはり、過去から働くからです。
23:29 K: ええ。それが、私が言っていることです。
23:34 B: もしあなたが、仰るように、「まったく過去に依存するな」と言うのなら、 私たちは何を、するのでしょうか。
23:39 K: ええ。私は何でもない! それが、なぜ私たちが、とうてい過去をあきらめられないことの理由ですか。 なぜなら、私の存在、私の考え方、私の生、 あらゆる物事が、過去からであるからです。 もしあなたが、それを拭い去りなさい、と言うなら、私には何が残っていますか。
24:08 B: 私たちは明白に、過去からの一定の物事を、保たなくてはいけません - 役立つ知識とテクノロジーのように、です。

K: ええ、それらは投げ捨てません。
24:16 B: 今、仮に、私たちは、過去のその部分を保ち、 矛盾している過去の部分すべてを、拭い去る、とします。
24:23 K: それらはすべて、心理的で、矛盾している、などです。 何が残っていますか。 オフィスへ行くことだけですか。 何も残っていません! それが、なぜ私たちがそれをあきらめられないかの理由ですか。
24:40 B: やはり、そこには矛盾が、ありますね。なぜなら、 何が残されているか、と仰るなら、やはり、過去を求めていますからね。
24:47 K: もちろんです。もちろんです。
24:51 B: あなたは単純に、こう仰っていますか - 人々が、自分たちは過去をあきらめている、と 言うとき、彼らは単純に、そうしていない。

K: 彼らはそうしていません。

B: 彼らは単に、それを、主題を回避する別の問いへ、変えている、と。
25:03 K: なぜなら、私の全存在は、過去であるからです - 修正され、変化していますが、それは、自らの根を、過去に持っています。
25:17 B: ええ。もしも、あなたが誰かに、「それらをあきらめなさい。すると、未来にあなたは、 何か違った、ずっと良いものを、持つだろう」と言ったなら、人々は、惹きつけられるでしょうね。
25:25 K: でも、「もっと良い」は、やはり過去からです。
25:29 B: そう仰るならね・・・おそらくそれは、さらに開いていて、創造的なのかもしれません。 そうね、人々は、少なくとも、そこにあるだろう何かについて、 保証してほしいのです。
25:41 K: まさにそうです!何もないんです! 私は、ふつうの人、人間として、何か自分が縋りつけるもの、 取りすがれるものを、保証してほしいのです。
25:56 B: ええ、楽しみに待ち、たどり着くものを。

K: たどり着くものを。
25:59 B: 彼らは、過去に縋りついているのではなく、 何かへたどり着こうとしていると、感じます。 それが、ふつうの感情です。
26:05 K: もし私が、何かにたどり着くなら、それはやはり、過去です。
26:09 B: ええ。それは、しばしば明白でないけれども - なぜなら、人々は、それは、大きな新しい革命的な状況であると、言うからです。 でも、それは過去に、自らの根を持っています。 そして、過去は無秩序です。
26:22 K: それが、私が訊ねていることです。私が過去に自らの根を、持っているかぎり、秩序はありえません。
26:28 B: 過去は、無秩序が浸透しているからですか。

K: ええ、無秩序が。 私の精神、私の頭脳は、絶対的に何もないことを、 進んで見ようとしていますか - 私が過去をあきらめるなら、です。 付いてきておられますか。
26:57 B: たどり着こうとすべきものは、何もない、と仰ります。
27:00 K: 何もない。 何も動きがない、という意味です。 ゆえに、私はとうてい、過去をあきらめられません。 それで、人々は、私の前ににんじんを、ぶら下げます。 私は、愚かな人物のように、それに従います。 それで、私は、にんじんがなく、賞罰として何も持たないなら、 どうして、この過去は、解消されるべきでしょうか。 なぜなら、さもないと、私はやはり、時の分野に、生きているからです。 ゆえに、それはやはり、人が作っています。 で、私は何を、するのでしょうか。 私は、絶対的な空っぽに、進んで向き合おうとしていますか。よろしいですか。
28:19 B: あなたは、向き合おうとしない誰か、できないと感じる誰かに、何と仰るんでしょうか。
28:23 K: 私は気にしません。もし誰かが、「すまないね。 私はこれらナンセンスをできないよ」と言うなら、「まあ、続けていってください」と言います。 でも、私は進んで、自分の過去を、完全に手放そうとしています。 それは、何も努力がない、報酬がない、処罰がない、にんじんはない、 という意味です - 何もない。 頭脳は、何もない状態でのあり方、存在の このとてつもない状態に、向き合おうとしています - 自らにとって全的に新しいことに、です。 それは、おぞましく恐ろしい。
29:13 B: これら言葉さえも、過去に根づいた意味を、持つでしょう。

K: もちろんです。

B: それが、恐れが入ってくるところです。
29:20 K: 私たちはそれを、理解しました。 言葉はそのものではない。
29:22 B: でも、そのとき、それは恐れの原因です。 過去の中の根より、何もないというこの概念は、恐ろしいからです。
29:29 K: 私の頭脳は、「私は進んで、そうしよう」、 「私は進んで、この絶対的な無、空っぽに、向き合おう」と言います。 なぜなら、それは自体で、すべての避難、 自らが避難してきた様々な所が、幻影であることが、見えたからです。 だから、それは、それらを終了させました。
30:04 B: これで、何かが残される、と思います。 私たちは議論してきて、 あなたはまた、頭脳への損傷や傷の問いをも、 取り上げられました。

K: まさにそうです。

B: すなわち、頭脳は、もしも損傷されていなかったなら、おそらく、相当にすぐに、それをできたでしょう。
30:20 K: さて、私は、何が頭脳へ損傷を、引き起こしてきたのかを、発見できますか。 要因の一つは、強い情動です。
30:34 B: ええ。強い持続した情動です。
30:36 K: 強い持続した情動です。憎しみのように。
30:39 B: たぶん、情動の閃きでは、そうならないのでしょうが、人々はそれを、やりつづけます。
30:44 K: ええ、もちろんです。憎しみ、怒り・・・

B: 恐れ

K: ・・・暴力の感覚。それらは明白に、衝撃であるだけではなく、 頭脳を負傷させるでしょう。ですね?
31:02 B: まあ、過剰な興奮も、ね。 楽しみのような、他の手段により、過剰に興奮することも・・・
31:08 K: もちろんです。薬物、その他すべてです。 過剰な興奮、 過剰な怒り、暴力、憎しみ、それらです。 自然な応答は、頭脳を損傷しません。ですね? さて、私の頭脳は、損傷しています- 仮にそうだとします - それは、怒りをとおして、損傷してきました。
31:43 B: たぶん神経が、間違った形で連結していて、 連結があまりに固定しすぎている、とも言えるんでしょう。 これらのことが、実際に構造を変化させるだろうとの証拠が、ある、と思います。
31:56 K: ええ、構造を。 それが私が言っていることです。 すなわち、私は、動揺の本性全体へ、洞察を得られますか - 怒り、暴力(の本性)へ。 それらはすべて、同じものの一部です。 私は、それへ洞察を、持てますか。 それで、その洞察は、 負傷してきた頭脳の細胞を、変化させます。
32:29 B: おそらくそれは、それらを癒やしはじめるでしょう。
32:32 K: いいですよ。それらを、癒やしはじめます。 その癒やしは、即時でなければなりません。
32:39 B: 何らかの形で、それは、時間が掛かるかもしれません - もし、間違った連結が、作られてきたなら、素材を配置しなおすために、 時間が掛かるだろう、という意味で、ですが、

K: ええ。

B: それの始まりは、即時であると、私には思われます。
32:51 K: いいですよ。そのように取ってください。 私はこれができますか。 私は、あなたに聞いてきました。 私は、気をつけて、読んできました。 私は、これらについて、考えてきました。 そして私は、怒り、暴力、憎しみ、 それらすべての過剰な、とか、どの形の興奮なども、 頭脳を傷めることが、分かります。 この事柄全体への洞察は、細胞に 変異をもたらすのです。そうなのです! 神経と、それらの調整すべては、 可能なだけ、急速でしょう。
33:48 B: 同じことは、癌細胞にも、起こります。 時々、癌は突然に、成長を止めます。 そして、何か知られていない理由のために、逆に退いていきます。 でも、それらの細胞には、変化が、起きたにちがいありません。
34:03 K: お訊きしていいなら、私は間違った道筋に、いるかもしれませんが、 脳細胞は・・・そこに、根源的な変化が、あるとき、 癌の進行は、止まりますか。
34:18 B: ええ。根源的にそれは止まるし、分解しはじめます。
34:21 K: ええ、分解する。そうなんです。
34:27 N: あなたたちは、それは、正しい種類の連結を、 動かしはじめた、と仰っています。

B: ええ。
34:32 N: そして、間違った連結を止める、と?
34:34 B: または、間違った連結を、分解しはじめる、とも。
34:37 N: で、始まりがなされる。それは今、なされる。
34:41 B: 一瞬に、ええ。

K: それが洞察です。
34:44 N: それが洞察です。でも、時の問いは、関与していません。 なぜなら、正しい動きが、始まったからです。

B: ええ。
34:53 K: 何?何?何?
34:56 N: ディヴィッドが言っていることは、時が関与していない、ということです。 なぜなら、正しい動きが、今、始まったからです。
35:02 K: ええ、もちろんです。
35:04 N: 過去について、私がお訊きしたいことが、もう一つ、あります。 ほとんどの人々にとって、過去は、楽しみを意味しています。
35:12 K: 楽しみだけではなく、物事すべての思い出です。
35:16 N: 楽しみが古くさくなるときや、それが困難につながるときだけ、 それを嫌いはじめます。しかし、いつの時も、楽しみをほしがります。

K: ええ、もちろんです。
35:27 N: さて、楽しみと、それが持ち込む古くささや困難の間を、 区別することは、とても困難です。 なぜなら、それがもたらす古くささや問題を、持たないで、 楽しみを新鮮に保っておきたいと思うからです。 私は、通常の人間のことを、いっています。 私はあなたに、お訊きしています - 楽しみに対するあなたの態度は、何ですか。
35:51 K: 私の態度というのは、どういう意味ですか。
35:53 N: この楽しみの無量の問題を、どう取り扱いますか - その中に、ほとんど人々は、捕らわれています。 なぜなら、それは過去であるからです。
36:01 K: 楽しみは、いつも過去です。 ちょっと待ってください。 それが起きつつある瞬間には、何の楽しみも、ありません。 それは、憶えられるとき、後で入ってきます。 で、憶えるのは、過去です。 私は言いました - 私は、人間として、進んで、何も無いのへ、向かい合おうとしています - それは、それらを拭い去る、という意味です。
36:37 N: 楽しみへのこのものすごい本能を、どうやって拭い去りますか。 それはほとんど、本能だと思われます。
36:50 K: いいえ、私たちは、それに入りました。 すなわち、楽しみの本性は、何ですか。 楽しみとは、何ですか。 それは、起きてきた過去の物事を、常に憶えていることだ、と言いました。
37:07 B: また、起きるだろう物事への期待です。
37:11 K: もちろんです。いつも過去からです。
37:14 B: あなたはふつう、楽しみと楽しさとの区別をつけられました。

K: ええ、そうしました。
37:18 N: もちろん、区別をされました。 でも、私は言っています - やはり人間は、あなたが仰っていることを、 理解するけれども、一種、この分野に引き留められています。
37:29 K: いいえ、ナラヤン。 なぜなら、彼は進んで、この空っぽに、 向き合おうとしていないからです。
37:42 楽しみは、慈悲ではない。 楽しみは、愛ではない。 しかし、おそらく、この変異があるなら、 慈悲は、楽しみより、強い。 で、楽しみは、慈悲において、どんな居所も、ありません。

B: さらに、単純に、秩序のほうが強い・・・ 秩序の知覚のほうが、楽しみより、強いかもしれません。

K: そのとおりです。

B: 人々は本当に、何か自らが秩序でもってしていることに、関心を持っています・・・

K: そのとおりです。

B: ・・・芸術家や科学者、です。 楽しみは、あの瞬間に、何の役割をも果たしません。
38:24 N: それが、私が仄めかそうとしていることです。 それは、あれを自らの所に保てる一定の強さを、持っています。
38:30 K: 慈悲は、ものすごい強さ、計算不可能な強さを、持っています。 楽しみは、その中で、どこにもありません。
38:40 N: でも、楽しみが支配的である人には、何が起きますか。
38:45 K: 私たちは、それを言いました。 彼は、このとてつもない空っぽに、 進んで向き合おうとしていないかぎり、古い様式でもって、続けていくでしょう。
38:57 B: 私たちはまた、この人が損傷した頭脳を持っていることをも、言わなくてはいけません - 持続する楽しみへのこの強調を、引き起こす一定の頭脳の損傷、です。 同じく、恐れ、怒り、憎しみへも、です。
39:10 K: ですが、損傷した頭脳は、洞察があるとき、癒やされます。

B: ええ。
39:21 B: しかし、思うに、多くの人々は、「私は、憎しみと怒りなどが、 損傷した頭脳の産物であることを、理解します」と言うでしょうが、 彼らは、楽しみが、損傷した頭脳の産物である、と 言うことは難しいと、見るでしょう。
39:32 K: ああ、そうです。もちろん、そうです。
39:34 B: ところが、あなたは、真の楽しさがある、と言われます - それは、損傷した頭脳の産物ではないが、 それは、楽しみと混同されています。
39:44 N: ええ、それが困難です。なぜなら、楽しみが、怒りを生じさせるなら、 怒りは、損傷した頭脳の一部であるからですが・・・
39:53 K: また、楽しみへの要求も、です。
39:57 B: それは、怒り、憎しみと欲求不満、恐れを、生じさせるかもしれません。
40:02 K: 私は、自分のほしい楽しみを、得られないなら、困りはじめます。 私は、欲求不満を感じるし、その他すべてが、付いてきます。 で、私は、あなたは、人間として、 過去へ、洞察を持ちますか - それが頭脳にとって、いかに破壊的なのかへ、です。 そして、頭脳自体は、それを見て、それへの洞察を持ち、 動いて、それを抜け出しますか。
40:46 N: あなたは、秩序の始まりは、洞察から来る、と仰っています。
40:50 K: 明白です。 そこから動きましょう。
41:04 N: 私は、違ったように、表してもいいですか。 一定量の秩序を集めることは、可能ですか・・・
41:10 K: 人為的に、ですか。

N: 人為的に、ではなく、様式の意味で、です。 で、それが、一定量の洞察を、生じさせるように、です。

K: ああ、虚偽をとおして、真理を見つけられません。
41:31 N: 私はそれを、意図的に言っています。 なぜなら、多くの人々にとって、
41:36 洞察に必要とされるエネルギーや鋭さは、欠けています。
41:43 K: あなたは、生計を立てることには、ものすごく鋭いですよ - お金を稼ぐことには、何かをすることには、ね。 あなたが、何かに興味を持っているなら、です。 あなたは、この変容等へ、懸命の興味を持っているなら、 そのエネルギーを、持つでしょう。
42:11 つづけてもよろしいですか。 人間として、私は見て・・・ この洞察は本当に、過去を拭い去ったのです。 そして、頭脳は、何も無いことに、進んで生きようとしています。 私たちは、違った方向から、この点に、幾度も来ました。 そこから、私は進みたいのです。 いいでしょうか。 それは、思考がそこに置いたものが、一つもない、という意味です。 思考の動きが、何もない - 知識、技術、それらが、自らの所を持つの以外は、です。 ですが、私たちは、そこに、思考の動きが何もない、 ゆえに、絶対的に何もない精神の 心理的な状態について、話しています。
43:31 B: そのとき、感じがない、という意味ですね。 思考と感じの動きは、一緒にある。 それが、あなたが仰る意味ですか。
43:38 K: いえ。ちょっと待ってください。 そこの感じ、というのは、どういう意味ですか。
43:41 B: ふつう人々は、「いいよ。思考は何もない。 でも、私は、あらゆる種類の様々な感じを、持つかもしれない」と、言うかもしれません。
43:49 K: もちろん、私は感じを持ちます。 ピンを刺した瞬間・・・
43:52 B: これらは感受ですが、また、内の感じもあります。
43:58 K: 何の内の感じですか。
44:00 B: それらを叙述することは、難しい。 たやすく叙述できるものは、明白に、間違った種類です - 怒りと恐れのように、です。
44:08 K: 慈悲は、感じですか。

B: たぶんそうではない。

K: いいえ、それは感じではない。
44:13 B: 人々は、慈悲を感じる、と言うかもしれませんが。

K: もちろんです。
44:17 B: でも、まさに(コンパッションという)その言葉さえもそれが一つの形の感じであることを、提起します。
44:21 K: もちろんです。私は、慈悲を「感じる」、と。
44:24 B: 慈悲(コンパッション)は、その中に熱情(パッション)を含んでいます。それは感じですね。 または、それは、その意味とともに、取ることができます。 で、それは、困難な問いです。
44:37 ともあれ、ふつう感じと呼ばれるものは、 叙述可能な性格の感じとして、 認識されるであろうものです。
44:47 K: 少しそれに、入りましょう。 私たちのいう感じとは、どういう意味ですか。 感受ですか。
44:53 B: 人々はふつう、そういう意味で、言いません。 感受は、そうね、身体と連結しています。
44:59 K: 身体、諸感覚ね。

B: または、身体の内の器官です。
45:02 K: ええ。で、あなたは、身体のではない感じを、言っています。
45:06 B: または、所属していると言われるのは・・・ 昔の日々には、それらは魂のだと、言われたでしょう。

K: もちろんです。それは、たやすい逃避ですが、それは、何をも意味していません。
45:17 B: ええ。

K: 内の感じとは、何ですか。楽しみですか?
45:25 B: それをそのようにラベル付けできるかぎりでは、
45:28 それは妥当でないことが、明らかですね。
45:33 K: で、何が妥当ですか。 非言語的な状態ですか。
45:39 B: たぶん、何かを含んでいる、非言語的な状態・・・ それは、固定しなかった感じに類似した何かを 持つのでしょうか - 名づけられなかった何かを?
45:55 N: あなたは、それは感じではない、と仰っています。 それは、感じに相似していますが、それは、固定していません。
46:01 B: ええ。私は、それが存在しうるのかどうかを、考慮しています。
46:04 N: 慈悲ね。

K: え?
46:05 B: 慈悲ではない。思考が何もない、と言うなら - それを明瞭にするため、です - 誰かは、こう言うかもしれません - 「私は理解します。私は考えていません。 私は話していません。 私は、何をすべきかを、計らっていません」と。

K: ああ、いえ、いえ。それではない。
46:20 B: で、私たちはさらに、進まなくてはなりません。 それは本当に、何を意味していますか。
46:28 K: いいですよ。それが本当に意味していることは、こうです - 思考は動きです。 思考は時です。ですね?時と思考は、何もありません。
46:39 B: ええ、おそらく、内側に、実体の存在の感覚は、何もない。 例えば、それは、感じと呼ばれるかもしれません。
46:45 K: 絶対に、絶対に、もちろんです。もちろんです。 実体の存在は、記憶の束、過去です。
46:52 B: しかし、その存在は、それについて考えている思考だけではなく、 また、それがそこに、内側にあるとの感じですね。

K: ええ、もちろんです。

B: あなたは、一種の感じを得ます。
46:59 K: すなわち、何も存在はない。 さもないと、あなたは・・・精神は・・・何もない。 存在が継続しているとの感じが、あるなら・・・
47:14 B: たとえ、それは、言語化可能に見えないとしても・・・
47:17 K: もちろんです。 そういう状態があるとの幻影に、私たちは、 捕らわれているのかどうか、と思われます。
47:28 B: そうかもしれません。 あなたは、意志なく、欲望なき 状態があるだろう、と仰ります。
47:35 K: もちろんです。それらは、去っています。
47:37 B: ええ。でも、私たちは、この状態が真実であり、真正であることを、どうやって知りますか。
47:41 K: それが、私が訊ねていることです。 私はどうやって、 そうであることを、知るか、悟るか、述べるのですか。 言い換えるなら、あなたは、それの証明がほしい。

B: うーん・・・少なくとも・・・

N: いいえ。証明でなく、あの状態の伝達です。
48:05 K: さて、ちょっと待ってください。 あなたはどうやって、私と伝達しあいますか。
48:10 仮に、あなたが、この独特の慈悲を持っている、とします。 あなたはどうやって、楽しみとそれらの中に生きている私に、 伝達できますか。できません!
48:23 N: ええ。でも、私は、あなたに聞く準備が、できています。
48:25 K: ゆえに、聞く準備ができている - どこまで、どれほど深く、ですか。
48:32 N: 私の聞くことが、連れて行ってくれる程度まで、です。
48:34 K: それは、どういう意味ですか。
48:39 N: それが、私が言えるすべてです。
48:41 K: いいえ。それは、とても単純です。 あなたは、安全、安心であるかぎり、行くでしょう。
48:50 N: いえ、必ずしもそうではない。
48:54 K: その人は、有るということは何もない、と言います。 自らの生全体はずっと、このなること、有ることなどでした。 その状態においては、有るということが、まったくない、と彼は言います。 言い換えるなら、「私」は何もない。 よろしいですか? 今、あなたは、「それを私に示してください」と言います。 それは、それが持つ一定の性質、一定の行為をとおしてのみ、 示すことができます。 有るということが、全的に空っぽである精神の、 行為とは、何ですか。それは、良い・・・ その行為とは、何ですか。 ああ、ちょっと待ってください。 どんな水準での行為ですか。 物理的な世界での、行為ですか。
50:20 N: 部分的には。

K: ほぼそれです。

N: ほぼではなく、部分的には、です。
50:26 K: いいえ。私は訊ねています- それは部分的ですか。
50:33 いいですよ。この人は、空っぽのこの感覚を持っていて、有るということが、何もない。 それで、彼は、自己中心的な利益から、行為していません。 で、彼の行為は、日常生活の世界にある。 それだけです。 あなたは、そこだけで判定できます - 彼が偽善者なのか、彼は一つのことを言い、 次の瞬間、それを反駁するのか、 彼は実際に、この慈悲を生きているのかどうかを、です。 「私は慈悲深く感じる」ではない。
51:13 B: あなたは、同じことをしていないなら、言い当てられません。
51:16 K: まさにそうなんです。 それが、私が言っていることです!
51:19 N: そこで私は、あなたを判定できません。
51:21 K: できません。では、あなたは、どうして私へ、 精神のあの独特の性質を、言葉で伝えられますか。 叙述すること、それを巡ることはできます。 でも、あなたは、それの本質を、与えられません。 私がいうのは、ディヴィッドは、例えばアインシュタインと議論できます。 彼らは、同じ水準にいます。 彼と私は、一定の点まで、議論できます。 もし彼が、無い、空っぽだとのこの感覚を、持っているなら、 私は、それにすごく近づけますが、私がそれを持つのでなければ、 私はけっして、あの精神に入れないか、出くわせない。
52:17 N: 言葉をとおさず伝達する道が、ありますか- 開いている人のために、です。
52:23 K: 私たちは、慈悲と言いました。 それは・・・ディヴィッドがちょうど今、表したように、 それは、「私は慈悲深く感じる」ではない。 そのとき、それはすっかり間違っています。 結局、日常生活において、そういう精神は、 「私」なく、自我なく、行為します。 ゆえに、それは、間違いをするかもしれませんが、即時にそれを訂正します。 それは、その間違いを、持ち運んでいません。
53:14 N: それは行き詰まっていません。
53:22 K: 私たちはここで、間違いへの言い訳を見つけないよう、よく気をつけなければなりません!
53:35 で、私たちは、先日言いましたように、その点へ来ます - そのとき、冥想とは何ですか。ですね? なりつつある人や、ありつつある人は、冥想をしますが、 それは、いかなる意味もありません。 それは、ものすごい発言です。 この、ならないこと、ないことが、あるとき、 冥想とは何ですか。 それは、全的に無意識的でなければなりません。よろしいですか?ちょっと待ってください。分かります・・・ 全的に・・・招かれていない。
54:27 B: 意識的な意図なく、というのが、あなたが仰る意味です。
54:31 K: ええ。意識的な意図なく、です。 ええ、これは正しいと、思います。
54:45 バカげて聞こえますが、あなたは、宇宙・万物、 宇宙的な秩序は、冥想中だ、と仰るのでしょうか。
54:58 B: まあ、それが生きているなら、 それを、そのように見なくてはいけないでしょう。
55:02 K: いえ、いえ。それは、冥想の状態にある。

B: ええ。
55:10 K: それは正しいと、思います。私は拘ります・・・私は、それとともに行きます。
55:15 B: 私たちは、冥想とは何かについて、調べようとすべきだ、と仰るなら、 それは、何をしていますか。
55:36 N: 宇宙・万物は冥想中である、と仰るなら、 それの表現は、秩序ですか。 私たちは、どんな秩序を、判別できますか - それは、宇宙的な冥想や普遍的な冥想を、 標示するでしょう。
55:57 K: 日の出と日の入りは、秩序です。 すべての恒星、 惑星、全部の物事が、完璧な秩序にある。
56:12 B: 私たちは、これを、冥想と連結しなくてはなりません。
56:17 K: 彼は、「秩序」という言葉を、持ってきています。
56:20 B: 辞書によれば、冥想(メディテーション)という意味は、 考慮すること、精神の中で思い巡らすこと、 近い注意を払うことです。

K: また、測量することです。
56:30 B: それは、さらなる意味です。 でも、それは、量ることと熟慮することです。 それは、量るのと熟慮するという意味で、測量することです。
56:37 K: そうです。熟慮する、思い巡らす、などです。
56:40 B: 何かの意義を量ること - それが、あなたが仰る意味ですか。

K: いいえ。
56:45 B: すると、なぜその言葉を、使われますか。
56:49 N: 私はこう聞かされました - 英語では、観想(コンテンプレーション)は、 冥想より、異なった含蓄を持っている。 観想は、精神のより深い状態を、含意する。 ところが、冥想(メディテーション)は・・・
57:01 K: 観想する。

N: それが、私が聞かされたことです。
57:04 B: 知ることは難しい。 観想(コンテンプレイト)という言葉は、 本当は、「テンプル」という言葉から、来ています。

K: そのとおりです。

B: 開いた空間を作ることが、その基本的な意味です。 一種、開いた空間を創り出す - それを見つめられるように、です。

K: その開いた空間は、神と私の間にあり、それで・・・
57:23 B: それが、その言葉の生じたさまです。

K: 全くです。
57:27 N: テンプル、空間からです。

B: それは、開いた空間を、意味しています。
57:34 N: サンスクリットの「ディヤーナ(禅定、静慮)」は、 冥想(メディテーション)と同じ含蓄を、持ちません。

K: ディヤーナには、ない。
57:40 N: 冥想(メディテーション)は、測量の含みを、持っているからです。 たぶん、婉曲的な形で、その測量は秩序です。
57:49 K: いいえ、私は、秩序を持ち込みたくありません。 秩序という言葉を、外しておいてください。 私たちは、それを通りぬけてきました。 私たちはそれを、叩き殺しました。
57:56 B: 私は、なぜあなたは、冥想(メディテーション)という言葉を、使われるのかを、お訊きしました。
58:00 K: 冥想という言葉を、使わないでください。
58:02 B: ここであなたが本当に、どういう意味で仰るのかを、見出しましょう。
58:23 K: あなたは、無際限の状態、測量なき状態と、 仰るのでしょうか。

B: ええ。
58:42 K: そこには、どの種の分割もありません。 そうね、私たちは、たくさんの叙述を示していますが、それはそれではない!
58:56 B: ええ。でも、何らかの形で、それ自体に気づいている 精神の意味が、ありますか。 それが、あなたが仰ろうとしていることですか。
59:10 他の時にあなたは、精神は、それ自体より内容を 空っぽにしている、と仰ってきました。
59:16 K: ええ。あなたは、何に取りかかろうとしていますか。
59:23 B: 私は、それが単に無際限なだけではないことに、取りかかろうとしています - それは、思うに・・・・何かもっと多くが、関与しています。
59:31 K: ああ、はるかに多くが、です。
59:43 B: でも、この、内容を空っぽにする中で、私たちは、 この内容は、無秩序になった過去であることを、言いました。 そのとき、或る意味では、それは、常に過去を、きれいに 片付けていると、言えるかもしれません。 あなたは、それに同意されるでしょうか。
59:59 K: それは常に、過去をきれいに片付けていますか。 いいえ、同意しないでしょう。
1:00:02 B: するとあなたが、精神はそれ自体より内容を空っぽにしている、と仰るとき・・・
1:00:08 K: それ自体から空っぽにしました!
1:00:11 B: いいです。すると、私たちはこう言います- 過去がきれいに片付けられるとき、 それは冥想である、と仰ります。
1:00:17 K: それは冥・・・ああ、いいえ。何の観想ですか。
1:00:23 N: ほんの始まりです。それは、始まりにあります。
1:00:26 K: 何の始まりですか。

N: 過去を空っぽにすることの、です。
1:00:30 K: それは、されなければなりません。 内容、すなわち、怒り、嫉妬、 信念、教義、執着を、空っぽにすること。 そのすべてが、内容です。 それのどの部分でも、存在するなら、 それは必然的に、幻影へつながるでしょう。 で、私たちは、それを言いました。 頭脳や精神は、幻影すべてから、 全的に自由でなければなりません - 欲望により、望みにより、安全を欲しがること、 それらにより、もたらされた幻影から、です。
1:01:16 B: それがなされるとき、これが扉を開きます - 何か、より広いもの、深いものへ、です。
1:01:24 K: ええ。 さもないと、生は、何の意味もありません - ただ、この様式を反復するだけです。 さて、私はこれへ入りたいのです。
1:01:37 B: いいですよ。

K: 今、5時です。
1:01:40 N: あなたが、宇宙・万物が冥想中だと仰ったとき、それは正しくは、どういう意味でしたか。 あなたは、宇宙・万物が冥想中だ、と仰るとき、 何かを、伝えようとしています。
1:01:50 K: ええ。私はそのように感じます。 冥想は・・・ 「動きのない動き」の状態です。

B: いいですよ、ええ。
1:02:06 私たちは、まず最初に、こう言えるでしょうか - 宇宙・万物は、実際に、 過去により支配されていない、と。 それが、第一の点です。

K: ええ、そうです。

B: それは自由で創造的です。

K: それは、創造的です。動いています。
1:02:22 B: そのとき、この動きは秩序の中にある。
1:02:27 K: あなたは、科学者として、そういうことを、受け入れるでしょうか。
1:02:31 B: まあ、実のところ、私は受け入れるでしょう!

K: 私たちはどちらも、狂っていますか?

B: まあ・・・
1:03:07 宇宙・万物は、一定の形態を、創造しますね- それらは相対的に、恒常的です。 で、人々がそれを表面的に見つめて、それが見えるだけなら、 それは、そのとき、過去から決定されているように、見えます。

K: ええ。
1:03:24 K: 問いを、逆にするならば、 時が終わることは、本当に可能ですか。 時とは過去です - 時、時間の観念全体です。 まったく明日を持たないことは、です。 もちろん、明日はあります。 あなたは、講演に行かなくてはいけないし、私もそうだ、などです。明日はあります。 しかし、明日を持たないとの 感じ、本当の実在。 そうです - それは、最も健康的な生き方だと、私は思います。 それは、私が無責任になる、という意味ではありません。 それはすべて、あまりに子どもっぽい。
1:04:47 B: ええ。それは単に、物理的な時という問いです。 それは、自然の秩序の一定の部分です。

K: もちろんです。それは分かっています。

B: 私たちはやはり、それを精神に持っていますが、問いは、 私たちが、過去と未来を経験する感覚を、持っているのか、 または、私たちは、その感覚より自由であるのか、です。
1:05:07 K: 科学者として、あなたに、私は訊ねています - 宇宙・万物は、時に基づいていますか。
1:05:13 B: 私は、いいえ、と言うでしょうね。でも、それが公式化されてきた、一般的なさまは、
1:05:17 K: それが、私が望むすべてです。 あなたは、いいえ、と言う。 時の中で進化してきた頭脳は・・・
1:05:29 B: それは、時の中で進化してきましたか。 それは、一つの話し方ですが、 それは、時の中で、絡み合ってきました。

K: いいですよ。

B: 何らかの形で、時の中で、絡まり合ってきました。なぜなら、宇宙・万物は、 時に基づいていない、と仰るなら、頭脳は、宇宙・万物の一部であるからです。 それは単に、時に基づいているわけがない。
1:05:48 K: ええ。思考という意味で、頭脳です。
1:05:53 B: 思考が、頭脳を、時の中で絡まり合わせてきました。
1:05:57 K: いいですよ。 その絡まり合いは、解きほぐされ、 解き放たれますか。それで、宇宙・万物が精神であるように、です。いいですか? 宇宙・万物は、時のでないなら、 精神は、時の中で絡まり合ってきましたが、 それ自体を解きほぐせて、それで、宇宙・万物でありえますか。付いてきていますか。 それが秩序です!
1:06:34 B: それが秩序です。さて、あなたは、それは冥想であると、仰るのでしょうか。
1:06:37 K: それなんです。今、私は、それを冥想(メディテーション)と呼ぶでしょう。 熟慮する、量る、それらの、普通の辞書の意味で、ではない。 それは、冥想の状態です - そこには、過去の要素が、何もない。
1:06:59 B: あなたは、精神は、時の絡まり合いより自体を解き放っている、と仰います。 または本当に、時の絡まり合いより、頭脳を解き放っている、と。
1:07:09 K: あなたはそれを、受け入れるのでしょうか。

B: まあ、私はそれは分かります。
1:07:13 K: 理論として。

B: ええ、提案として。
1:07:15 K: いいえ、私はそれを、提案として望みません。
1:07:18 B: あなたがいわれる理論とは、どういう意味ですか。
1:07:20 K: 理論は・・・誰かがやってきて、 「これが、本当の冥想です」と言う。 待ってください。誰かは言います - 人はこのように生きられる、 すると、生は、とてつもない意味を含んでいる、 慈悲に満ちている、等々と。 物理的な世界のあらゆる行為は、即時に訂正できる、などなどと、です。 あなたは、科学者として、そういう状態を、受け入れるでしょうか。 または、この人は頭がおかしい、と言うのでしょうか。
1:07:53 B: いいえ。私はそうは言わないでしょう。 私は、それは完璧にありうる、と感じます。 それは、私が自然について知っていることの何とも、全く両立可能です。

K: ああ、それはけっこうです。 自分は、バランスを失ったおかしな人ではない!
1:08:12 B: ええ。絡まり合いの一部は、科学自体が、
1:08:16 時を、根源的な地位に入れてきた、ということです。

K: そのとおりです。

B: それは、それをさらにいっそう絡まり合うよう、助けます。
1:08:50 K: 止めたほうがいい。私たちは、もう幾らか、継続しましょうか。
1:08:53 B: あなたはいつ、継続したいのですか。

K: 次の日曜日。
1:08:56 B: 次の日曜日、私はアメリカにいるでしょう。
1:08:59 K: ああ、あなたはいつ、アメリカへ行きますか。

B: 木曜日です。
1:09:02 K: 私たちは継続できませんね。

B: テレビを使う以外は、ね。
1:09:06 K: それはとても単純です。
1:09:10 B: 秋に、9月に、ですか。
1:09:12 K: ええ。9月にそうしましょう。 もちろん、言葉に表すことは、そのものではない。 それは、理解できています。でも、それは、他の一人へ伝達できますか。
1:09:29 B: 私が思うに・・・これの伝達についての要点は、 それをもたらすことです。
1:09:40 K: もちろんです。さて、私たちの何人かは、ここに来られますか - それで、そうね、私たちが実際に伝達できるように、です。
1:09:59 まあ、私たちは止めたほうがいい。