OJBR80CB11 - 洞察の解放
ディヴィッド・ボームとの会話、第11回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年9月14日
0:30 | クリシュナムルティ: ボーム博士と私は、 彼自身と私との間のこれらの対話を、今年の初めに、 カリフォルニア、オーハイで、始めました。 私たちはそこで、対話を八回、ここ(ブロックウッド・パーク)で二回、 行いました - 私が正しく憶えているなら、です。 で、私たちは今年、全部で十回の対話を、行ってきました - ボーム博士と私と、です。それで、私たちは、その対話を継続しています。 |
1:03 |
私たちは、話してきました・・・思い出すのは、なかなか困難です。
私は、その記憶を、何も持っていません。
私が正しく憶えているなら、私たちは、
これらの、人間の動きすべての起源は、何なのかを、訊ねた、と思います。
本源、基盤が、あるのでしょうか - そのとおりでしょうか。ボーム: そのとおりです。
K: そこから、このすべてが、生じてくるところの基盤です - 自然、人、全宇宙、万物が、です。 それは、時により束縛されていましたか。 それは自体で、完全な秩序でしたか。 それを越えて、もはや何も無いのですか。 ボーム博士は、昨日、私に思い起こさせてくれました - 私たちは、秩序について、話をしました - 宇宙・万物は、そもそも、時に基づいているのかどうか、です。 あなたたちが、これらに興味があるのかどうか、私は知りません。 そして、人はいったい、了解して、あの至高の秩序に生きることが、 できるのかどうか、です。そのとおりでしょうか。 それが、かなり漠然と、私たちが止めたところだと、私は思います。 あなたたちが、これらに興味があるのかどうか、私は知りません。 しかし、ボーム博士と私は、究明したいと思いました - 単に知的にだけではなく、また深遠にも、 いかに了解するか、あの基盤より生き、 あの基盤より動くのか、です。 時がない基盤 - それを越えては、何もない。 私たちは、そこから始めるほうが、いいと、思います。 |
4:30 | B: 基盤から始める。 |
4:39 | K: あなたが、科学者、卓越した方として、そういう基盤が、あるのかどうかに、 同意されるだろうか、私は知りません - 人はいったい、それを了解でき、 そこに生きられるのか- 人がそこに生きる何かとして、ではなく、 それがそこに生きる、それ自体が生きている、という意味で、生きる、です。 そして、私たちは人間として、それへ来られるのかどうか、です。 私が憶えているなら、多かれ少なかれ、それが、私たちが話をしたことです。 |
5:31 | B: 今、構成されているような科学が、 それについて、多くを言えるのかどうか、私は知りません。 |
5:37 | K: 科学は、それについて話をしません。 でも、科学者としてあなたは、それの究明へ、 自らの精神を注ぐのでしょうか。 |
5:52 | B: ええ、科学は、暗黙裡に、この基盤へ来ようとすることに、 いつも関心を持っていたと、私は思います。 私たちがオーハイで、議論したように、です。 可能なだけ最大の深みまで、物質を研究することによって、です。 でも、もちろん、それは十分ではありませんね。 |
6:15 |
K: これは、あまりに抽象的ですか。 B: それを言うのは、難しい。 |
6:25 | K: 私が正しく憶えているなら、 それは、ずっと前のことでしたが、私たちは、訊ねなかったですか - この世界に生きている人間として、 そこは、こんなに騒乱になっていますが、 初めに、あの絶対的な秩序が、ありうるのかどうか、です。 宇宙・万物が、絶対の秩序にあるように、です。 そして、普遍的である秩序を、了解する・・・ |
7:07 | 私の問いが、明らかになっているのかどうか、私は知りません。 私は自分自身に、秩序を持てます- 気をつけた観察、 自己研究、自己究明によって、です。 そして、無秩序の本性を、理解する。 まさに理解こそが、それのまさに洞察こそが、 あの無秩序を、消し去ります。 それが、一つの水準の秩序です。 |
7:36 | B: ええ、それが、私たちのほとんどが、今まで関心を持ってきた水準です。 私たちは、世界に、そして、私たち自身にこの無秩序が、つづいているのが、見えます。 私たちは、それらを観察すること、それに気づくことが、 必要である、と言います。 そして、あなたが仰るように、 それを消し去ることが、です。 |
7:54 | K: でも、それは、とても小さな事柄です。 |
7:57 |
B: 私たちはそれについて、オーハイで議論しました。でも、一般的に人々は、
それを小さな事柄と感じないと、私は感じます。 K: ああ! B: 私たちは、それについて、大変長く議論してきました。 しかし、初め人々は、こう感じます - 自分自身と世界の無秩序を、 きれいに片付けることは、とても大きなことだろうし、 おそらく、必要なことすべてだろう、と。 |
8:19 | K: いや、相当に智恵と知識があり、 相当に教養がある人間は - 文明開化した、という意味での教養です - 彼は、大変多くの探究と究明でもって、 自分自身に、秩序をもたらせる時点へ、来られます。 |
8:45 | B: ええ。そのとき、或る人々は、今こう言いはじめるでしょう - 私たちはその秩序を、社会の全体へもたらせさえしたなら、と。 |
8:51 | K: 私たちは、そうするでしょう。 この部屋の私たちのみんなが、 私たちがみんな、ものすごく、あの内的な意味で、秩序立っているなら、 おそらく私たちは、新しい社会を、創り出すでしょう。 ですが、それはまたもや、とても小さな事柄です! |
9:08 | B: ええ、それは理解します。 気をつけて、それに入るべきだと、感じます。 なぜなら、人々はふつう、それを小さいと見ないからです。 わずかな人は、それを越えて、何か多くがあることを、見てきましたが。 |
9:21 | K: それを越えて、はるかに多くが、です!それが、私が望むことです・・・ 他の人たちが、これに付いてきているのかどうか、私は知りません。 |
9:29 | B: おそらく・・・ 考えるかいのありそうなことは、こうでしょうね - 人と社会のこの秩序に入ること、 秩序立った生活を、産出することだけが - そのように表しましょう - 十分ではないのは、なぜなのか。 どんな意味で、それは十分でないのか。 あなたは、それが小さいと感じますが・・・ |
9:58 | K: 私たちは、混沌の中に生きているから、私たちは、秩序をもたらすこと、 それがものすごい事柄だ、と思います。 |
10:04 | B: ええ、同意します。 それは、とても大きく見えます。 無秩序の現状からは、それはとても大きく見えます。 |
10:09 | K: ええ、甚大です。 でも、それ自体では、そうではない! |
10:13 | B: ええ、なぜそうでないかを、もう少し明らかに、していただけるでしょうか。 |
10:19 | K: おやまあ・・・ |
10:20 | B: それは重要だ、と思います。 |
10:22 | K: いいですよ。いいですよ! |
10:31 | なぜなら、私は自分の部屋を、秩序立てられますね - それが私に、一定の空間、一定の自由を、与えてくれるように、です。 私は、物がどこにあるかを、知っています。 私は直接的に、それらへ行けます。 それは、物理的なことです。 私は、人間として、私自身の中の物事を、秩序立てられますか。 すなわち、葛藤を持たないこと、比較を持たないこと、 私とあなたと彼らの感覚を、何も持たないこと。 そうね、それは、こういう分割をもたらします。 その分割の中から、葛藤、抗争が、成長します。 それは、単純です。 私はヒンドゥー教徒であり、あなたはイスラム教徒であるなら、 私たちは永遠に、互いに戦争をしています。 |
11:31 | B: ええ。あらゆる共同体において、人々は、同じように、ばらばらに崩れます。 |
11:36 | K: 同じように、社会全体が、そのように、壊れてしまいます。 で、それを理解し、 それを深遠に悟るなら、それは終了しています。 |
11:51 | B: そのとき仮に、私たちはそれを達成した、と言うとします。すると、どうですか。 |
11:57 | K: それが、私が進めたいと思うことです。 彼らがこれに興味があるのかどうか、私は知りません。 |
12:02 | B: 人々は、こう言うかもしれないと、思います - 「それは、はるか遠いので、私たちはそれに、興味はない。 私たちが、他について気をもむ前に、それを達成するまで、待ってください」と。 |
12:10 | K: これは、あなたと私との間の対話でした・・・ |
12:15 | B: でも、私たちが進む前に、ここの誰もがみな、必ず分かるように しようとしているだけです - 問いが何なのかが、分かるように、です。 |
12:24 | K: いいですよ。始めましょう。 私は、無秩序になっています - 物理的に、心理的に、です。 私のまわりで、私がそこに生きる社会もまた、 まったく混乱しています。 大変多くの不正義が、ある - 悲惨な事態です。 私はそれが、見えます - ごく単純に、です。 私は、自分の世代と、過去の世代が、 これへ寄与してきたことが、見えます。 私は、それについて、何かをできます!それは単純です。 私は、「私は自分の家を秩序立てよう」と、言えます。 私自身が家です。 私がさらに動ける前に、私の家が、秩序立っていなければなりません。 |
13:23 | B: 仮に、誰かがこう言う、とします- 「私の家は、秩序立っていない。 だから、私はそれについて、気を揉む前に、自分の家を、秩序立てよう」と。 |
13:30 | K: いいですよ。私の家は、無秩序になっています。 私はそれを、秩序立てましょう。 それは相当に単純です。 私は、その問いの解消へ、精神と心を 注入するなら、それは相当に明らかです。 しかし、私たちは、そうしたくないんです! |
13:53 | B: それは、もう一つの問いです。 |
13:55 | K: ええ、私たちはそれを、ものすごく困難だと、見ます。 私たちは、過去へ束縛されています。 または、自分の習慣へ、 そして、自分の態度へ、です。 それで、私たちは、それから動いて抜け出す エネルギー、勇気、活力を、持っているように、見えません。 |
14:12 | B: それは、あのエネルギーと勇気を 産出するだろうものほど、単純だとは、見えません。 何がこれらを、変化させるのでしょうか。 |
14:21 | K: これらを変化させるのであろうものは、私たちがオーハイで議論したように、 これらへこの洞察を、持つことです。 |
14:33 |
B: ええ、それが本当に、要点です。
洞察なしには、何も変化できません - K: 何も変化できません。 B: たとえ私たちが、日常生活に洞察をもたらそうとしても、 そのまさに根へ、または、その基盤への このはるかに広い洞察なしには、ね。 K: そのとおりです。 |
14:48 | K: さて、その洞察は本当に、私の構造全体と、私の存在の本性を、 変更するのでしょうか。 それが問いなのでしょう。 |
15:05 |
B: 私には、こう見えます - 私たちは、日常生活の秩序のような、
かなり小さな問いを見つめるなら、
それには、あなたの存在全体が、関与しないだろう。 K: もちろんです。 |
15:17 |
B: ゆえに、洞察は、不適切であるだろう、と。 K: ええ。 |
15:21 | K: で、洞察とは何ですか。 私たちは、それについてもまた、 大変多く議論しました。 私たちは、ここでの集会と、 サーネンで、それについて話をしました。 ですが・・・私たちは、それを通りぬけますか。 |
15:34 | B: まあ、それを要約しましょう。 それにより、もっと理解可能になるだろうからです。 |
15:49 | K: 私たちは、何かへ繋がれていることから、始められるでしょうか。 信念へ、人物へ、観念へ、何か習慣、何か経験へ 繋がれていること。 それは必然的に、無秩序を、創り出すにちがいありません。 なぜなら、繋がれていることは、依存を、含意しているからです - 自分のさびしさ、恐れ、それらからの逃避を、です。 さて、この執着へ全的な洞察を持つ。 まさにその洞察が、執着すべてを、きれいに払いのけます。 |
16:49 | B: ええ。私たちは、自己は、暗闇の中心であることを、 言っていました - それは、精神に暗闇を創り出している中心、雲のように考えられるでしょうね。 洞察は、それへ透徹します。 それは、雲を消し去るでしょう。 それで、明晰さがあるでしょう。 ゆえに、この問題は、消滅するでしょう。 |
17:07 |
K: そのとおりです。 B: しかし、それには、とても強い強烈な洞察が、掛かるでしょう。 とても・・・全的なのです。 |
17:13 | K: そのとおりです。でも、私たちは進んで、それを通りぬけようとしていますか。 または、何かへの私の執着、私の繋がりは、とても強いので、 私は進んで、手放そうとしていません。 |
17:35 | B: ええ。でも、そのとき、何ですか? |
17:38 | K: それが、ほとんどの人々なるものです。 私は思うのですが、不幸にも、 この種のことをしたいのは、ごくわずかな人だけです。 |
17:54 | さて、私たちは、洞察の本性について、議論しています - この、繋がれて、執着し、依存し、さびしい、 それらの動き全体を、あの洞察は、拭い去れるのか、 消滅、解消できるのかどうか、です。 いわば、一撃で、です。 それはできると、思います。 このものへ深遠な洞察が あるとき、そうなると、私は思います。 その洞察は、単なる記憶ではありません - 記憶、知識、経験の動きではありません。 それは、「あの」動きすべてより、全然違っています。 |
18:51 |
B: それは、無秩序の全体へ、無秩序の本源への
洞察であるように、思われます。 K: ええ。 B: 執着や貪欲だけではなく、 心理的な本性の、無秩序すべてのへの、です。 K: ええ、それらです。 |
19:04 | B: ええ、そのとき、あの洞察でもって、精神は、きれいに片付けられます。 そのとき、宇宙的な秩序へ接近することが、可能でしょう。 |
19:14 |
K: それが、私が取りかかりたいと思うことです! B: ええ。 |
19:18 |
K: そのほうが、これより、はるかに興味深い。
なぜなら、これはすべて、かなり未熟であるからです
- すみません。その言葉を許してください -
どの真剣な人も、自らの家を、秩序立てなければなりません。
いいですか?それは、完全な秩序でなければなりません。
特定方向での秩序ではなく、
人の全体性における秩序です。
それができるのなら、そして、それは必要です。
なぜなら、今ある社会は、崩壊しつつあり、破壊的、その他すべてであるからです。
それは、人間たちを破壊します。
それは自体で、破壊的な機械です。
もし人間が、それに捕らわれているなら、それは、彼を破壊します。 B: ええ。 K: それを悟って、どの普通の人間知性も、 「私はそれについて、何かをしなければならない」と言います。 ただ座り込んで、それについて話をするだけでなくて、です。 |
20:34 | B: 物事を仕上げるなら、 ほとんどの人々は、それについて何かをすることは、執着のような 特定の問題を解決することから、成り立っていると、感じるかもしれません - または、人々の間の不和や何かを、取り除くことから、です。 |
20:47 | K: いいえ。特定問題の特定の解消は、 全体の解消ではありません。 |
20:58 |
B: それが、要点です - すなわち、この全体を生成する本源が、
見つかるのなら、
この本源へ、この根へ取りかかることが、唯一つの道です。 K: ええ、そのとおりです。 B: なぜなら、私たちは、特定問題を取り扱おうとするなら、 それはやはり、いつも本源から、来つつあるからです。 |
21:15 | K: 本源は、「私」です。分かりました。 |
21:17 | 本源 - 大きな源は別として、小さな源、 小さな池、小さな流れは、 干上がらなければなりません。 |
21:36 | B: ええ、小さな流れは、それ自体を 大きなものと混同すると、思います。 |
21:40 | K: 私たちは、大きな流れ、生の無量の動きについて、 話していません。 私たちは、小さな「私」について、 話しています - 小さな動き、 小さな憂慮などなどをもったものについて、です。 それが、無秩序を創り出しています。 無秩序のまさに本質である その中心が、あるかぎり、 それが解消されないのなら、秩序は何もありません。 |
22:11 |
で、その水準では、それは明らかです。みなさんがそれを望むのかどうか、分かりませんが。
私たちはそこから、つづけられますか。 B: ええ、そう思います。 |
22:23 | K: さて、私はお訊きしたいと思います - これより全然違った もう一つの秩序が、ありますか。 これは、人が作った無秩序です。 ゆえに、人が作った秩序です。ですね? |
22:43 | B: ええ、どちらもです。 |
22:46 | K: 混沌(カオス)と宇宙(コスモス)は、人が作っています。 |
22:52 | B: 実在の宇宙ではない。 |
22:54 | K: ええ。すみません。 宇宙(コスモス)はそうではない。 |
22:57 |
B: この部屋に見られる秩序、
マイクロフォン、テレビは、人が作っています。
それは、高度の秩序です。また、闘いのすべてが、つづいているのが、
見られます。 K: それは、人が作っています。 |
23:06 | B: この秩序立ったテレビ・システムに出る ひどいプログラムは、人が作りました。 |
23:14 | K: ええ。で、それを悟り、無秩序と、 人間精神がそれ自体に、秩序をもたらせることを、見て そのときそれは、訊ねはじめます - 全的に違っていて、見つけることが必要な次元の 秩序が、ありますか。 なぜなら、これは、とても小さな事柄であるからです。 |
23:40 | B: ええ。 |
23:44 | K: 私は、自分の家を、秩序立てます。 いいですよ。すると、何ですか。 おそらく、私たちの多くがそうするなら、私たちは、より良い社会等々を、持つでしょう。 ええ、それは認めらます。それは妥当です。 それは必要です。 でも、それは、自らの制限を持っています。 |
24:03 |
B: 結局、人々は、それに満足することが、できないでしょう。
K: ええ、そうでしょう。 B: で、彼らはそれに、うんざりするでしょう。 |
24:10 |
あなたが仰るように、私たちは、それを持たなくてはいけませんが。 K: ええ。 |
24:16 | K: さて、私たちはどう、見つけますか - 人間はどうやって・・・ 無秩序が、人間たちにより作られ、 ゆえに、社会に影響する、それらを、 本当に深く理解した人間、彼は、こう言います - 「これらを越えている秩序が、ありますか」と。 |
24:48 | B: 私たちはどうやって、その問いへ入りますか。 |
24:51 | K: ええ、私たちはどうしますか。 人間精神は、単に物理的、社会的な秩序を持つことだけでは、 満足しません。 それは、自らの制限を持っています。 それは、自らの境界を持っていて、 「ええ、私はそれを理解しました。 動きましょう」と言います。 |
25:14 | B: ええ。例えば、科学において、人々は、 宇宙全体、森羅万象の秩序を、探し求めています - 終わりや始まりだと感じられるものや その構造の深みを、見ようとしています。 役立つ結果を得るためではなく、 その問いが、彼らを魅了するからです。 |
25:32 | K: ええ、これは、魅了される問いではない! |
25:34 | B: ええ。でも、そうだと、私は言っています。 |
25:36 |
K: 彼らには、そうです。 B: 彼らはそれに、興味を持ちます。 私は考えていましたが、おそらく人々は、絶対的なものを、探し求めてきました。 「絶対」という言葉は、制限すべてより、依存すべてより、 不完全さすべてより、解き放たれたことを、意味しています。 |
25:54 | K: ええ。動機すべて、その他すべてより、です。絶対、です! |
25:57 | B: で、絶対はずっと、ものすごい幻影の本源であったのです。 なぜなら、制限された自己が、絶対を捉えようと求めるからです。 |
26:06 | K: もちろんです。それは不可能です。 |
26:09 |
B: でも、それはふつうの・・・ K: もちろんです。 |
26:12 |
B: でも、仮に、私たちが、絶対がとても危険な概念であることを、
認識する、とします - 精神が、それを掴もうとするとき、です。
けれども、それは、何かの意味、自由の感覚において、
必要なものだと、思われます。
そうね、自由はただ、絶対と同じことを、意味するのかもしれませんね。 K: ええ。 |
26:32 | B: なぜなら、どの形でも依存しているものは何でも、自由ではないからです。 |
26:38 | K: で、私たちはどう、これに接近しますか。 私たちはどう、この問いに答えますか。 科学者として、あなたは、すべての人間的な秩序と無秩序を 越えている秩序が、あると、仰るのでしょうか。 |
27:05 | B: ええ、私はそう言うでしょうね。 私は、「科学者として」というのは、 特に意義深いとは、思いません。 科学は、この種のことを、探し求めているかもしれませんが、 科学は、本当にそれについて、もはや言うべきことを、持ちません。 それは、この問いについて、何を言うことも、できません。 なぜなら、科学により発見された、どの秩序も、相対的であるからです。 |
27:22 | K: もちろんです。彼ら自身の自我中心性・・・ |
27:24 | B: それだけではない。また、私たちが持つ情報は、制限されています。 |
27:29 |
K: 制限されている。全くです。 B: 私たちは、「ここまではそうだ」と言えるだけです。 |
27:33 | K: で、私たちは、幻影の世界へ、動いているのか - なぜなら、それを要求することは、幻影を創り出すかもしれないからです。 |
27:42 |
B: それは、幻影を創り出すと、私は感じます -
人が絶対を要求し、思考において、
それを満足させようとするなら、それは幻影です。 K: もちろんです。 |
27:51 | K: 私は、その視点から、その質問をしていません。 |
27:53 | B: ですが、人々は、何をすべきかを知らなくて、絶対への必要を、感じてきました。 それをどう得るのかを、知らなくて、彼らは、それの幻影を、創り出してきました - 宗教において、科学において、他の多くの形において、です。 |
28:05 | K: で、私は何を、するのでしょうか。 人間として - 人間たちの総体である、一人の人間として - 私の生に、秩序がある。 その秩序は、洞察をとおして自然に、もたらされます。 それでおそらく、それは社会に影響するでしょう。 私たちは、そこから動きます。 そのとき探究は、こうです - 人が作っていない秩序が、ありますか。 そのように表しましょう。 私はそれを、絶対的な秩序とか呼びさえしないでしょう・・・ |
29:01 | B: 少なくとも、それは、人の構築から自由です。 |
29:05 | K: ええ。 |
29:09 | B: 今、私たちは、自然、宇宙(コスモス)の秩序を、持っています - 私たちはそれを、本当に、深みで知りません。 しかし、私たちは、それを、その種の秩序だと、考えられるでしょう。 |
29:21 | K: つまり、宇宙(コスモス)という言葉こそが、秩序を意味しています。 |
29:24 | B: ええ。それは、秩序を表すギリシャ語です。 |
29:27 | K: ええ。自然は、秩序の中にある。 人がそれに介入しないのなら、自然は、秩序の中にある。 自らの秩序を持っている。 |
29:38 |
B: ええ。それは、自らの秩序を持っています。
私たちが自然における無秩序と呼ぶものさえも、秩序の一部です。
K: 秩序の一部です。 B: それは本当は、無秩序ではない。 |
29:46 | K: ええ。私たちはそれを、無秩序と呼びますが、それは、自体では、無秩序ではない。 いいですよ。それは終了しました。 さて、他の何かへ、動きましょう。 |
30:03 | 人は、違った次元を、探し求めてきました。 そしておそらく、「秩序」という言葉を、使ってきました。 人は、違った次元を、探し求めてきました。 なぜなら、人は、この次元を、理解したからです。 彼は、そこに生きてきた。 彼は、そこで苦しんできた。 彼は、あらゆる種類の乱れと悲惨を、経てきたのです。 彼は、「私はそれらの終わりに来た」と言います。 言語的にでなく、実際に、そのすべての終わりに、来ました。 あなたは、そうする人々は、ほとんどいない、と言うかもしれません。 でも、この問いは、立てられなければなりません。 |
30:52 | B: ええ、私は、この問いの意義とは何なのかと、 訊ねてもいいでしょう - 例えば、それを経てきていない 大多数の人々にとって、です。 |
31:01 | K: 私は、よく付いていけません。 |
31:04 | B: あなたは、それを経てきた人は、 この問いを立てるかもしれない、と仰ります。 では、それを経てきていない人にとって、それは、何か利益が、ありますか。 |
31:15 |
K: あると、思います。 B: それは何ですか。 |
31:17 | K: 知的にさえ、彼は、それの制限が、見えるかもしれません。 |
31:21 | B: ええ、彼がそれを見るのは、重要です - 彼がそれを終了させてしまう前にさえ、 「私は、それをきれいに片付けてしまうまで、待とう」と言わないことが、です。 |
31:30 | K: もちろんです。 それは、あまりに愚かでしょう! で、精神は、どのようにこの問題へ接近しますか。 人はこれを見出すために、格闘してきたと、私は思います。 つまり、宗教的な人々みんなが、です。 いわゆる宗教的な人々は、これを掴もうと、試みてきました。 神秘家、聖者 - 彼らの幻影、その他すべてとともに、です。 が、彼らは、これらでない何かを、理解しようとしてきました。 それは - 私がこの言葉を使っていいなら - 度量としての冥想をとおして、訪れるのでしょうか。 |
33:28 | B: ええ。私たちは、ここ、ブロックウッドで、それについて、議論してきました - すなわち、冥想(メディテーション)という言葉の元来の意味は、 測量すること、熟慮すること、価値と意義を量ることです。 |
33:40 | K: 量るとは、測量する、という意味です。 |
33:42 |
B: ええ。冥想(メディテーション)は、ただ定規でもってより、何か深い意味で、
測量する、という意味だろう、と思います。 K: ええ、もちろんです。 B: しかし、たとえそうでも、おそらくそれは、そういう測量は、 無秩序があることを見るために、意義があるだけだろう、 という意味であったかもしれません。 |
34:00 | K: そうなんです。それが、私が言おうとすることです。 無秩序があるところにだけ、測量は存在できます。 |
34:06 |
B: ええ。測量を見つめ、精神において
物事が均整を失っているさまを、見つめることにより、
無秩序があることが、見えます。 K: ええ。 B: でも、それは、もちろん、秩序ではない。 |
34:17 | K: ええ。で、私たちは、冥想(メディテーション)という言葉を、使っています - 度量としてとか、熟慮するとか、よく考えてみるとか、いうことでさえもない。 家に秩序をもたらすことと、 そこから動くことから、 出てきたものである冥想です。 |
34:53 | B: いいです。思うに、人々は、遠い過去に、それを標示するために、冥想 (メディテーション) という言葉を、使ってきたかもしれません - 度量を見つめることによって、 無秩序は、均整を失っていることと、見られますが、 それは、そこからさらに行くことを、意味していたかもしれません。 |
35:06 | K: でも、どうやら、彼らはそうしたように見えません。 |
35:09 |
B: 人々は一般的に、そうしません。 K: ええ。そうしようとしましょう。 おそらく、むしろ、途方もない発言ですが、見てみましょう。 |
35:19 | B: 私たちは、精神において物事が無秩序になっているのが、見えるなら、 そのとき冥想とは、何ですか。 |
35:26 |
K: ええ。でも、初めに、精神は、測量より自由でなければなりません。
B: ええ。 K: さもなければ、それは、他へ入れません。 |
35:34 |
B: それは、重要な点です。
ほとんど、この無秩序を見ることの、本能的な反応です -
この無秩序は、それ自体、均整を失った測量です。
ゆえに、本能的な傾向は、
度量を正そう、訂正しようとすることです。 K: 全くです。でも、それは言いました。 B: それは、根源的な間違いなのかもしれません。ええ。 |
35:54 | K: 私たちは、無秩序の中へ秩序をもたらそうとする努力すべては、 無秩序である、と言いました。 |
36:00 | B: ええ。これは、歴史全体にわたって、 ほとんど誰もが言ってきたことより、 きわめて違っていますね。 |
36:07 | K: ええ、知っています。 おそらく、私たちは例外です。 |
36:12 | B: たぶん、それを含意してきた人は、わずかに、いるでしょう。 それは、わずかな人たちが言ってきたことの中に、暗示されている、と思いますが、 私が知るかぎり、それはけっして、明示的に言われたことがない。 |
36:21 | K: いいですよ。それを、明示的に言いましょう。 |
36:26 |
B: で、仰ったように、間違っているのは、制御しようとする試みです。それは、何の意味もない。 K: ええ。 B: 今、私たちは、「制御がない。私たちはどうするのか」と、言います。 |
36:37 | K: ああ、いえ、いえ、いえ。 私は、制御の本性全体へ、洞察を持つなら、ね。 |
36:46 |
B: 制御は度量ですね・・・ K: もちろんです。制御は度量です。 ・・・あれは、精神を、その重荷より解放します。 |
36:59 | B: ええ。あなたは、この洞察の本性を、説明できるでしょうか - それが何を意味するかを。 |
37:06 | K: 私たちはそれを言いました。 洞察は、知識から、思考からの動きではない。 ゆえに、憶えたこと、その他すべてからではなく、 それらの終止です。 そして、それを見つめること、 純粋な観察でもって、問題を見つめること、 どんな圧迫もなく、どんな動機、それらもなく、 測量のこの動き全体を、観察することです。 |
37:38 |
B: ええ、私たちはそれが分かります - 測量は、なることと同じです。 K: もちろんです。それらです。 B: そして、自体を測量しよう、自体を制御しよう、自体に目標を定めよう・・・ K: 自体を比較しようなどとする・・・ B: ・・・とする精神の試みは、 無秩序のまさに本源です。 |
37:58 | K: それが、無秩序のまさに本源です。 |
38:00 |
B: 或る面で、それが、間違った曲がり角でした -
人が測量を、外的な領域より
精神の中へ、拡張したとき、です。 K: ええ。 |
38:14 | B: しかし、初めの反応は、こうだろうと思います - 私たちは制御しないなら、 このものは、荒れるだろう、と。 それが、誰かが恐れかねないことです。 |
38:25 | K: ええ。でも、そうね、私は、度量へ洞察を持つなら、 まさにその洞察は、度量の動きすべてを、放逐するだけではなく、 そこに、違った秩序が、あります。 |
38:40 |
B: ええ。それは荒れません。 K: 荒れません。反対です! |
38:45 | B: ええ。それを荒れさせるのは、本当は、測量しようとする試みです。 |
38:48 | K: そのとおりです。 測量が、荒れることです。 混乱です。ですね? さて、前進しましょう。 これを確立した後で、 この精神は、冥想をとおして - 私たちは、冥想(メディテーション)という言葉を、 測量、比較、その他のどんな意味もなく、使っています - その精神は、秩序、状態を、見つけられますか - そこには、何も・・・ そこには・・・もっと肯定的に言いましょう。 何か、人が作っていないものが、ある。 なぜなら、自らは、人が作った物事すべてを、通り抜けてきたからです。ですね? それらはすべて制限です。そこに自由は何もない。 混沌がある。乱れとそれらが、ある。 |
39:55 | B: 自らは、人が作った物事を通り抜けてきたと、仰るとき、 それらは何ですか。 |
40:02 |
K: あらゆる物事です!
B: 宗教のような・・・ K: 宗教、科学、崇拝、祈り、 心配、悲しみ、執着、無執着、 さびしさと苦しみと混乱と苦痛と、 心配とさびしさ、それら、です。 |
40:23 | B: また、革命による試みすべて・・・ |
40:26 | K: もちろんです。物理的な革命、心理的なもの、それら。 それらはすべて、人が作っています。 で、多くの人々は、この問いをしてきました。 明白に、したにちがいない。 ゆえに、彼らは「神」と言う。 それは、もう一つの概念です。 まさにその概念が、無秩序を、創り出す。 |
40:50 | B: ええ、それは明らかです - 人が、神を創案し、 神に絶対の力を与えてきた、ということは。 |
40:59 |
K: ええ、全くです。 B: それは、彼自身です。 |
41:02 | K: そのときそれは、彼自身になる。 |
41:05 | B: ええ。ゆえに、それは死んでしまう。 |
41:07 |
K: 混沌となる。 B: それは、彼を支配します。 |
41:10 | K: もちろんです。さて、自らはそれらを、終了させてきました。ですね? さて、そのとき問いは、こうです - これらを越えて、何かがあるのか。 人間の思考、精神により、けっして触れられていないものが、です。 |
41:36 | B: ええ。それで、困難な点になります - 人間精神により触れられていないが、 精神は、思考を越えていくかもしれません。 |
41:44 |
K: ええ、それが、私が言いたい・・・ B: すると、あなたがいわれる精神は、 ただ思考、感情、欲望と意志だけ、という意味ですか。 または、何かはるかに多いものですか。 |
41:52 | K: 当面の間、私たちは、精神、人間精神は、 それらである、と言ってきました。 |
41:57 | B: でも、精神は今、制限されている、と考えられます。 |
42:01 | K: いえ、いえ。 人間精神は、それに捕らわれているかぎり、制限されています。 |
42:06 |
B: ええ。人間精神は、潜在能力を持っています。 K: ものすごい潜在能力です。 |
42:10 | B: でも、それは、今、実現されていません。 それは、思考、感情、欲望と意志とその種のことに、捕らわれています。 |
42:19 |
では、これを越えているものは、
この制限された種類の精神により、触れられません。 K: ええ。 |
42:43 | B: さて、私たちがいう、この制限を越えている精神とは、 どういう意味になるのでしょうか。 |
42:49 |
K: まず第一に、そういう精神が、ありますか。 B: ええ、それが第一の問いです。 |
42:53 | K: そういう精神がありますか。 実際に - 理論的にとか、 ロマンチックにとか、その他すべての戯言ではなく、 実際に、「私はこれを通り抜けてきた」と言ったものが、です。 |
43:07 | B: 制限されたものを、通り抜けてきた。 |
43:10 | K: ええ。それを通り抜けたとは、それを終了させた、という意味です。 そういう精神が、ありますか。 または、それはそれを終了させたから、 または、それは、自らがそれを終了させたと、考えるから、 ゆえに、他の何かがあるとの幻影を、創り出すのか。 |
43:37 | 私はそれを、受け入れないでしょう。 人間として、一人の人物、またはXは、こう言います - 「私はこれを理解した。 私はこれらの制限が見えた。 私は、それを生きぬいてきた。 私は、それの終わりに来た」と。 この精神は、それの終わりに来たので、 もはや、制限された精神ではない。 ・・・全的に制限されていない 精神が、ありますか。 私の言うことに、付いてきておられますか。 |
44:26 | B: ええ。今、それは、問いを生じさせます - 頭脳はいかに、あの精神と接触することができるのかとの問い、です。 あの無制限の精神と、頭脳との 間の関係は、何ですか。 |
44:38 | K: まず第一に、私はこの点で、はっきりしたいと思います。 私たちがそれに入るなら、それはかなり興味深い。 この精神 - 頭脳、その全体。 精神の本性全体と構造。 それは、情動、頭脳、反応、 物理的な応答とそれらを、含んでいます。 この精神は、騒動の中、混沌の中、さびしさの中、生きてきましたが、 それらへの深遠な洞察を、得てきました。 そういう深い洞察を持つことにより、平野が、きれいに晴れました。 この精神は、もはや、あの精神ではありません。 |
45:26 | B: ええ。それはもはや、元来の制限された精神ではありません。 |
45:29 | K: ええ。元来のでなく・・・もはや、制限された精神ではない。 |
45:32 | B: それから始めたもの、 |
45:34 | K: 損傷した精神、ではない。ええ、損傷した、というその言葉を、使いましょう。 |
45:37 |
B: 損傷した精神。また、損傷した頭脳ですね。
同じ働きが、頭脳を損傷してきました。 K: ええ、いいです。 |
45:47 | B: で、私たちは、思考、損傷した精神、損傷した頭脳を、持っています。 |
45:50 | K: 損傷した頭脳は、損傷した情動、損傷した頭脳を、意味しています。 |
45:53 |
B: 細胞自体が、正しい秩序にない。 K: ええ、全くです。 |
45:56 |
しかし、この洞察があり、ゆえに、秩序があるとき、
損傷は、なくされます。
B: ええ。私たちは、以前の回で、それについて、議論しました。 |
46:08 | K: あなたが、それにさえ同意するのかどうか、私は知りません。 |
46:11 | B: ええ、それは分かります。 確かに、それは可能だと、見られます |
46:15 | - 推理することにより、それは全く可能だ、と見られます。 なぜなら、無秩序な思考と感情により、 損傷がなされた、と言えるからです - それらは、細胞を過剰に興奮させ、断裂させるが、 今、洞察でもって、それが止まるし、 新しい過程が起こされる、と。 |
46:31 | K: ええ。それは、或る人物が、五十年間、 一定方向へ進んでいるが、その方向ではないことを、 突然に悟るようなものです。 頭脳全体が、変化します。 |
46:42 |
B: それは、核心で変化します。 K: ええ。 B: そのとき、間違った構造は、分解され、癒やされます。 それは時間が、掛かるかもしれませんが、洞察は・・・ |
46:50 | K: ・・・変化させる要因です。 |
46:53 |
B: ええ。その洞察に、時間は掛からない。 K: そのとおりです。 B: でも、それは、過程全体が、起源を変化させた、という意味です。 |
47:02 | K: またもや、その精神、制限された精神は、 その意識とその内容とその他すべてでもって、 「私はずっと・・・」と、言います。 それは過ぎています - その部分は。 さて、その精神は、制限されてきましたが、 この制限へ洞察を得てきて、 ゆえに、その制限より、動き、離れてきました。 それは、実際ですか - 何か本当に、ものすごい 革命的なことですか- 言っていることに、付いてきていますか - ゆえに、それはもはや人間精神ではない - その言葉を使うのを、許してください。 |
47:59 | B: 私たちはそれを、きれいに片付けるべきです - 私たちがいう、人間精神とはどういう意味か、です。 |
48:04 | K: その意識をともなった人間精神です。 - それは、制限されています。 |
48:08 | B: ええ。条件づけられていて、自由でない、その制限された意識です。 |
48:12 | K: それは、終わらされました。 |
48:18 | B: で、事案となってきたのは、一般的な意識です。 個々人において、だけではない。 それは、そこら中にあったのです。 |
48:25 | K: もちろんです。私は、個人について、話していません。それは、あまりにバカげています。 |
48:28 |
B: 私たちは、それについて議論した、と思います -
すなわち、個人は、一般的な意識から、出てきたものである、と。 K: ええ。 B: 独立したものというより、むしろ、特定の結果です。 それが、困難の一つです。 K: それが、混乱の一つです。 |
48:40 |
B: 混乱は、私たちが、個の精神を、
具体的な実際だと取ることです。 K: ええ。 B: 議論してきたように、この一般的な精神を、 そこから個の精神が形成されてきた実際だと、考えることが、必要です。 |
48:54 | K: ええ、それはすべて、とても明らかです。 |
48:57 | B: しかし今、私たちは、その一般的な精神からも、動いて離れる、と言います。 でも、それはどういう意味ですか。 |
49:02 |
K: ええ。一般と特定の精神、です。 B: そして、特定の精神です。 |
49:05 | K: さて、自らが全的に、それから動いて離れたのなら、 そのとき、精神は何ですか。 |
49:14 | B: ええ、人物とは何ですか。 人間とは何ですか。ですね? |
49:16 |
K: ええ、そのとき、人間とは何ですか。
そのとき、その精神、すなわち、人が作った精神でないものと、
人が作った精神との間の関係は、何ですか。 B: ええ。 |
49:30 | K: 話が明らかになっているのかどうか、私は分かりません。 |
49:32 | B: ええ、私たちは、それを、普遍的な精神と呼ぶことに、同意しましたか。 または、あなたは、そうしないほうを、選ばれるのでしょうか。 |
49:39 | K: 私は、その言葉、普遍的な精神が、好きではありません。 たくさんの人々が、それを使いました。 はるかに単純な言葉を、使いましょう。 |
49:51 | B: それは、人により作られなかった精神ですね。 |
49:55 | K: そのほうが単純だと、思います。 私はそれで通しましょう。 人により作られていない精神。 |
50:01 | B: 個別的にでもなく、一般においてでもない。 |
50:04 | K: 一般的にとか、個別的に、それは、人により作られていない。 本当に、深く、観察できますか - どんな動機、先入観、その他すべてもなしに、です。 そういう精神は、存在しますか。私が言おうとしていることに、付いてきていますか。 |
50:35 | B: それを観察するとは、どういう意味かを、見ましょう。 ここには、言語の困難が、幾つかある、と思いますね。なぜなら、私たちは、 観察をしなければならない、というようなことを、言うから・・・ |
50:46 |
K: 私はそれを観察します。 B: ええ。誰が観察しますか。 それが、出てくる問題の一つですね。 |
50:52 | K: それは単純です。私たちは、それらを通ってきました。 観察において、何も分割がありません。 私が観察する、ではない。 ただ観察だけが、ある。 |
51:01 |
B: 観察が起こります。 K: ええ。 B: それは、特定の頭脳で起こると、仰るのでしょうか。 または、特定の頭脳は、観察に加わる、と?なぜなら・・・ |
51:13 | K: ああ、私は、ここでの取っ掛かりを、知っています。 いいえ。それは、特定の頭脳では、起こりません。 |
51:22 | B: ええ。でも、特定の頭脳が、応答するかもしれないと、思われます。 |
51:25 | K: もちろんです。でも、それは、Kの頭脳ではない。 |
51:29 | B: 私はそういう意味で、言っていません。 私が、特定の頭脳というその言葉でいうのは、 与えられた、空間と時間の中の特定か一定の人間は - 彼の形態が何であっても、彼に名前は付けませんが - そこやあそこにいそうな別の一人より、判別されると、言えるのでしょう。 |
51:48 | K: ごらんください。この点について、はっきりさせましょう。 私たちは、人が作った世界、人が作った精神に、生きます。 私たちは、人が作った精神の結果です - 私たちの頭脳など、です。 頭脳は、その反応すべてとともに、実際のでなく・・・ |
52:17 | B: 頭脳自体は、人が作っていないが、 それは、条件づけられてきました。 人が作った条件づけです。 |
52:22 |
K: いいです。それが、私が言う意味です。
さて、その精神は、自体の条件づけを、
完全に解いて、それで、もはや
人が作っていないように、できますか。 B: ええ、それが問いです。 |
52:41 | K: それが、問いです。 その単純な水準で、通しましょう。 その人が作った精神は- 今あるようなものですが - それは、その程度まで、行けますか - それ自体から、自体を完全に解放するように、です。 |
53:05 | B: ええ。もちろん、それは幾らか、逆説的な発言です。 |
53:08 | K: もちろんです。逆説的ですが、それは、実際です。そのとおりです。 待ってください。もう一度、始めましょう。 人類の意識は、その内容であることを、観察できます。 その内容はすべて、人が作った物事です - 心配、恐れと、その他すべてです。 それは、特定なだけではない。 それは一般です。 これへ洞察を持ったので、 それは、あれより自体を、浄化しました。 |
53:49 | B: それは、それがいつも潜在的に、あれ以上である、という含意ですが、 あの洞察は、それをして、あれより自由になれるように、しました。 それが、あなたが仰っている・・・ |
53:59 | K: あの洞察は - 私は、それは潜在的だ、と言わないでしょう。 |
54:05 | B: ええ。言語の困難が、少しありますね - すなわち、もしあなたが、頭脳や精神が、自らの条件づけへ 洞察を持ったと、仰るなら、 そのとき、ほぼあなたは、それは他の何かになった、と仰っています。 |
54:22 | K: ええ。私はそう言っています。 私はそう言っています。 |
54:24 | B: ええ、いいですよ。 |
54:27 | K: 洞察は、人が作った精神を、変容させます。 |
54:32 | B: ええ。でもそのとき、それはもはや、人が作った精神ではない、と仰る。 |
54:36 | K: もはやそうではない。 あの洞察は、意識の内容すべてを、拭い去る、という意味です。 ですね?ちょっとずつ、ちょっとずつではない。その総体を、です。 あの洞察は、人の尽力の結果ではない。 |
54:59 | B: ええ。でも、すると、それは、どこから来るのかという問いを、 生じさせるように、思えます。 |
55:06 | K: いいです。それは、どこから来ますか。 ええ。頭脳自体に、精神自体に、です。 |
55:20 | B: どちらですか。頭脳ですか、精神ですか。 |
55:23 | K: 精神です。私は、その全体を、言っています。 |
55:27 |
B: 私たちは、精神がある、と言いますね。 K: ちょっと待ってください。 それは、かなり興味深い。ゆっくり行きましょう。 意識は、人が作っています - 一般と特定です。 論理的に、合理的に、それの制限が、見えます。 そのとき精神は、はるかに先へ、行っています。 そのときそれは、こう言う地点に、来ます - 「このすべては、一息、一撃、一つの動きで、拭い去れますか」と。 その動きが、洞察です。 洞察の動きです。 それはやはり、精神の中にある。 しかし、あの意識から、生まれていない。 話が明らかになっているのかどうか・・・ |
56:32 | B: ええ。そのときあなたは、こう仰っています - 精神は、意識の彼方より動く可能性や潜在能力を、持っているが、 私たちはその多くを、実際にしてこなかった、と。 |
56:41 | K: ええ、そのとおり。もちろんです。それは、頭脳の一部、精神の一部にちがいありません。 |
56:45 |
B: 頭脳、精神は、それをできます。 K: ええ。 B: でも、それは一般的に、そうしてこなかった。 |
56:51 | K: ええ。さて、これらをしてきて、 そういう精神が、ありますか - 人が作っていないだけではなく、 人が構想できない、創造できないものが、です。 それは、幻影ではない。 そういう精神が、ありますか。 話が明らかになっているのかどうか、私は知りません。 |
57:27 | B: あなたが仰っていることは、こうだ、と思います - 精神は、自体を解き放ったので・・・ |
57:32 | K: 一般と特定より・・・ |
57:34 | 精神は、人類意識の一般と特定の構造より、 自らの制限より、それを解き放って、今、 この精神は、今、はるかに大きい。 今あなたは、この精神が、問いを出している、と仰ります。ですね? |
57:48 |
K: この精神が、問いを出しています。 B: それは何ですか。 |
57:51 |
K: それは・・・
初めに、あの精神は、人が作った精神より、自由ですか。
それが、第一の問いです。 B: それは、幻影なのかもしれません。 |
58:08 | K: 幻影ね。そういうわけで・・・とてもはっきりと、していなくてはいけません。 いえ、それは幻影ではありません。なぜなら、彼は、測量は幻影であると、見るからです。 彼は、幻影の本性を知っています。 欲望があるところには、幻影があるにちがいない。 幻影は、制限を創り出すにちがいない、などなどと。 彼は、それを理解しただけではなく、それを済ませています。 |
58:36 | B: 彼は、欲望より自由です。 |
58:38 | K: 欲望より自由です。それが本性です。 私は、そんなに残忍に、表したくありません。 欲望より自由です。 |
58:47 | B: でも、それは、エネルギーに充ちています。 |
58:49 |
K: ええ。で、この精神は、もはや一般と特定ではなく、
ゆえに、制限されていない。
この制限は、
洞察をとおして、壊されてしまいました。
ゆえに、精神はもはや、あの条件づけられた精神ではない。
ですね? B: ええ。 |
59:20 | K: さて、そのとき、あの精神は何ですか。 自らがもはや、幻影に捕らわれていないことに、気づいている。 |
59:32 | B: ええ。でも、あなたは、それが問いを出していると、仰っていました - はるかに大きな何かが、あるのかどうかについて、です。 |
59:37 | K: ええ。そういうわけで、私はその問いを、出しているのです。 人が作っていない精神は、ありますか。 それがあるなら、 人の作った精神への、それの関係は、何ですか。 |
1:00:00 | B: ええ。 |
1:00:03 | K: これは、とても困難です。 |
1:00:08 |
十二時半です。つづけますか? B: そう思われるなら。 |
1:00:11 | K: 私はつづけられます。おもしろいです。 一時の十五分前まで、行きます。 |
1:00:17 | B: 一時の十五分前まで。ええ、それは良い。 |
1:00:38 |
K: そうね、あらゆる形の主張、
あらゆる形の言語的な発言は、それではない。ですね?
で、私たちは訊ねています - 人が作っていない精神が、ありますか。
他方が、制限が終わったときに、
それは訊ねられるだけだと、私は思います。 B: ええ。 K: さもないと、それはただ愚かな問いです。 |
1:01:07 |
B: それは同じでしょう・・・ K: すると、ただの時間のむだです。 それは、理論的、無意味になるんです。 |
1:01:13 | B: 人が作った構造の一部です。 |
1:01:16 | K: もちろんです。で、自らは、絶対的に・・・ - 私はその言葉を使っています - 人は、絶対的に・・・ |
1:01:23 | B: 「絶対的」という言葉は、そこで使えると、私は思います - 私たちが、よく気をつけているなら、です。 |
1:01:28 |
K: ええ、よく気をつけて。
絶対的に、これらから自由でなければなりません。
そのときにだけ、その問いをできるのです。
あなたがその問いをするとき・・・あなたが、ではない。その問いが出されるとき、
人が作っていない精神が、ありますか。 そういう精神があるのなら、
人が作った精神への、それの関係は、何ですか。
さて、初めに、そういう精神が、ありますか。
もちろん、あります。もちろんです。
教条的とか個人的とか、それらの事柄にならずに、それはある。
しかし、それは神ではない。 B: ええ。 K: なぜなら、神は・・・私たちは、それらを通り抜けてきました。 |
1:02:25 | B: ええ、人が作った構造の一部です。 |
1:02:27 | K: それは世界に、混沌を創り出してきました。 それはある。 そのとき、次の問いは、こうです - そういう精神がある、そして誰かが、それはある、と言うなら、 人間精神、人が作った精神への、 それの関係は、何ですか。 |
1:02:49 | B: ええ、一般へ、です。 |
1:02:52 | K: 特定と一般へ、です。 それは、何か関係がありますか。 |
1:03:00 | B: その問いは、困難なものですね。 なぜなら、人が作った精神は、 幻影でもって浸透されている、と言えるだろうからです - その内容のほとんどは、実在ではない。 |
1:03:14 | K: ええ。で、これは実在です。 - 私たちは、実在(リアル)という言葉を、現実(アクチュアル)という意味で、使うでしょう - それは、測量可能で、混乱しています。 これはどんな・・・これは、あれへ関係がありますか。明白に、ない。 |
1:03:32 | B: まあ、表面的なものです - 人が作った精神は、 一定水準、技術的水準で、何か実在の内容を持つ、という意味で、です。 テレビ・システムなどで、です。 で、その意味で、その区域で、 関係がありうるでしょうが、あなたが仰っていたように、 それは、とても小さな区域です。 でも、根源的に・・・ |
1:03:52 |
K: いえ、私たちが議論したように、
人が作った精神は、あれへ何の関係をも持っていません。 B: ええ。 K: でも、あれは、これへ関係を、持っています。 |
1:04:02 | B: ええ。でも、人が作った精神の中の幻影へは、持っていない。 |
1:04:08 | K: ちょっと待って、ちょっと待ってください。 はっきりさせましょう。 私の精神は、人間精神です。それは、幻影、欲望、その他すべてを持ってきました。 そうでない・・・制限すべてを越えている 他の精神が、あります。 この幻影の精神、人が作った精神は、いつも、あれを探し求めています。 |
1:04:42 |
B: ええ、それが、そのおもな困り事です。 K: ええ、それが、そのおもな困り事です。 それは、それを測量しています。それは、前進しています - 私は、より近づいているのか、 さらに行っているのか、その他すべてを、です。 この精神、人間精神、 人間たちにより作られている精神、 人が作った精神は、いつも、それを探し求めています。 ゆえに、それは、ますます多くの害悪、混乱を、創り出しています。 この、人が作った精神は、あれへ、何の関係をも、持っていません。 |
1:05:17 |
B: ええ、なぜなら、・・・ K: 明白です。明白です。 |
1:05:20 | B: ・・・それへ到ろうとするどの試みも、幻影の本源であるからです。 |
1:05:24 | K: 明白です。さて、あれは、これへ何か関係を、持っていますか。 |
1:05:30 | B: 私が提起していたことは、 それが持たなくてはいけないであろう・・・ その精神における幻影を、取り上げるなら、例えば欲望と恐れなどは、 あれへ、何の関係をも、持っていません。 それらは、いずれにせよ、作り事であるからです。 |
1:05:45 | K: ええ、理解しています。 |
1:05:47 | B: でも、あれは、その真の構造を理解する中で、 人が作った精神へ、関係を持てます。 |
1:05:58 | K: あなたは、こう仰っていますか - 人間精神が、制限から動き、離れつつある瞬間、 あの精神が、それへ関係を持つ、と。 |
1:06:08 | B: ええ、それら制限を理解する中で、それは、動いて離れます。 |
1:06:12 | K: ええ。そのとき、あれは関係を持ちます。 |
1:06:16 |
B: そのとき、それは、真正の関係を持ちます -
この制限された精神が実際に何であるかへ、です。 K: ええ。 B: それが、自らが何であるかと考えるものへのように、幻影へ、ではない。 |
1:06:27 | K: 何ですか。はっきりさせましょう。 |
1:06:29 | B: 私たちは、言葉を正しくしないといけません。 制限されていなくて、 人が作っていない精神は、幻影へ、すなわち、人が作った精神の中にあるものへ、 関係できません。 でも、それは、いわば、本源へ、人が作った精神の真の本性へは、 関係していなくてはなりません - そちらは、幻影の裏にあります。 |
1:06:51 | K: 人が作った精神は、何に基づいていますか。 |
1:06:56 | B: 私たちが言ってきた、これらすべての物事に、です。 |
1:06:59 |
K: ええ。それは、その本性です。 B: ええ。 |
1:07:01 | K: ゆえに、あれはどうして、これへ関係を、持てますか - たとえ、基本的にも、です。 |
1:07:10 | B: 唯一つの関係は、それを理解する中にある。 それで、何か伝達が可能でしょう。 それが、相手の人物へ伝達するかもしれません。 |
1:07:22 |
K: いいえ、私はそれを問うています。 B: ええ。 なぜなら、人が作っていない精神は、制限された精神へ、 関係するかもしれないが、逆の方ではない、と あなたは仰っていたからです。 |
1:07:35 | K: 私は、それを問うこともします。 |
1:07:37 | B: いいですよ。あなたは、それを変えつつある。 あなたはなぜ、それを問うていますか。 |
1:07:41 |
K: 私はただ、それを少し推し進めています。 B: そうなのかも、そうでないかもしれない - |
1:07:44 |
問うというのは。 K: ええ。私はそれを問うています。 B: いいですよ。 |
1:07:50 | K: そのとき、愛の、嫉妬への関係は、何ですか。 それは何もありません。 |
1:07:56 | B: ええ、嫉妬自体へは、ない。それは幻影です。 でも、嫉妬している人間へは、あるかもしれない。 |
1:08:02 | K: 私は、愛と憎しみを、取り上げています - 二つの言葉です。 愛と憎しみは、互いへ何の関係も、ありません。 |
1:08:14 |
B: ええ、本当はない。 K: 何もない!本当は、ではなく・・・ |
1:08:17 | B: 愛は、憎しみの起源を理解するかもしれないこと以外は、ね。 |
1:08:22 | K: ああ、それは・・・はい、はい。 |
1:08:26 | B: その意味で、私は関係について、考えるでしょう。 |
1:08:28 | K: 分かります。理解します。 あなたは、愛は、憎しみの起源、憎しみがどう生ずるか、その他すべてを、 理解できる、と仰っています。 愛は、それを理解しますか。 |
1:08:46 | B: まあ、何らかの意味で、それは、 人が作った精神におけるその起源を、理解すると、私は思いますね - 人が作った精神を、その構造すべてとともに、見て、動いて離れた・・・ |
1:09:03 | K: 私たちは、こう言っていますか - 愛は・・・私たちは当面、その言葉を使います。 愛は、愛でないものへ、関係を持っている、と。 |
1:09:18 | B: それを解消するという意味で、だけです。 |
1:09:21 | K: それは確かだとは思いません。 それは確かではない。 私たちはここで、恐ろしく気をつけなければなりません。 または、それ自体が終わることが・・・ |
1:09:34 | B: どれが、それ自体ですか。 |
1:09:35 | K: 憎しみが終わること - (そのとき)他がある。 他が、憎しみの理解へ、 関係を持っている、のではない。 |
1:09:50 | B: ええ。すると、私たちは、それがどう始まったのかを、訊ねなくてはいけませんね。 |
1:09:54 | K: それはとても単純です。 |
1:09:55 | B: いえ。でも、仮に、私たちは憎しみを持っている、と言うとしますね。 |
1:10:00 | K: 私は憎しみを持っています。 仮に、私が憎しみを持っている、とします。 私は、それの起源が、見えます。 あなたが、私を侮辱したからです・・・ |
1:10:07 | B: それは、起源についての、表面的な概念です。 なぜ自分はそんなに非理性的に振るまうのか、と言うことは、 より深い起源です。 あなたが単に、「あなたが私を侮辱した」と言うなら、 私は、「なぜあなたは、その侮辱に応答するのですか」と言います。 |
1:10:23 | K: なぜなら、私の条件づけすべてが、それであるからです。 |
1:10:25 | B: ええ。それが、私がいうその意味です。 そのとき、あなたは起源を理解しつつある・・・ |
1:10:29 | K: 私はそれを理解します。 でも、愛は、私が憎しみの起源を理解するのを、助けてくれますか。 |
1:10:37 | B: いいえ。でも、思うに、憎しみの中の誰かが、 この起源を理解し、動いて離れるのを、です。 |
1:10:43 |
K: 動いて離れるのを! B: ええ。 |
1:10:46 | K: そのとき、他がある。 他は、離れる動きを、助けられません。 |
1:10:51 | B: ええ。でも、問いは、仮に、一人の人物、一人の人間が、 この愛を持っていて、もう一人は持っていない、としますね。 一番目の人は、何かを伝達できますか - 二番目の人に、動きを始めるだろう何かを、です。 |
1:11:07 | K: それは、AはBに影響できる、という意味です。 |
1:11:14 | B: 影響ではなく、単純に・・・ 問いを出してもいいでしょう - 例えば、 なぜ、誰でも、これの何かについて、話をしたりするのでしょうか。 なぜ、私は、それについて話をしたりするのでしょうか。 |
1:11:27 | K: それは、違った事柄です!それは、違った事柄です! いいえ。問いは、こうです - 憎しみは、愛により、消し去られますか。 |
1:11:39 | B: いいえ、そうではない。 |
1:11:41 | K: または、憎しみを理解し、 それを終わらせると、他がある。 |
1:11:48 | B: そのとおりです。 でも、今、私たちはそれを言うなら、 Aは今、ここにいて、他がある。 Aはそれへ到った。他がある。 Aにとって、愛がある。 そして彼は、B、C、Dを見ます。 |
1:11:59 | K: Bは、他を持っています。 |
1:12:02 | B: 今、私たちは、言っています - 彼は何をしようとしますか。 |
1:12:07 | K: 二人の間の関係は、何ですか。 |
1:12:09 | B: それは、同じ問いです。 彼が何をしようとするかは、それのもう一つの表し方ですね。 |
1:12:21 | K: 私が思うに・・・ちょっと、お待ちください。 私は憎む。もう一人は愛する。 私の妻は愛するが、私は憎む。 彼女は、私に話をできます。 彼女は私に、それを指し示せます - 非合理的なことなどなどを、です。 でも、彼女の愛は、私の憎しみの本源を、 変容させようとしていません。 |
1:12:57 | B: ええ、それは明らかです。 愛が、話の裏にある エネルギーであるだろうこと以外は、ね。 |
1:13:03 | K: 話の裏に。 |
1:13:05 | B: でも、愛自体は、まあ、 そこに入ってこないし、憎しみを解消しません。 |
1:13:10 | K: もちろんです。それは、ロマンチック、それらの事柄になる。 で、憎む人、その本源、その原因、その動き。 洞察を持ち、それを終わらせる。 すると、他がある。 |
1:13:29 |
B: ええ。思うのですが、もし、Aがこれらを見てきた人であり、
彼は今、それをBへ示すエネルギーを持っている、と言うのなら、
何が起きるのかは、Bしだいです。 K: もちろんです。 |
1:13:45 | K: 私たちはこれを、追求したほうがいい、と思いますね。一時まで十五分です。 |