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OJBR80CB13 - 心理的な知識が終わること
ディヴィッド・ボームとの会話、第13回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年9月18日



0:32 K: 私たちは、昨日止めたところから、継続してもいいですか。
0:47 何が精神を、汚染しますか。 それはいつも、一定の様式に、従っています。 いつも探し求めています。 それは、一つの様式を手放すなら、もう一つの様式を、拾い上げます。 で、いつの時も、その中で、機能しつづけます。 なぜですか。 説明を与えることはできます。 なぜそうするのかは、分かります - 保護のため、安全のため、緩み、無頓着のためです。 一定量の冷淡さ、 自分の開花への全的な無視など、です。
1:42 しかし、なぜ私たちの精神が、いつも一定方向へ作動しているかを、 見出すことは、とても重要だと、思うのです。
1:56 私たちは、こう言ったとき、その地点へ来たからです - 自らは、あらゆる種類の苦労、究明、 洞察を通ってきた後、 自らは、出口のない壁に、来ました。 その出口のない壁は、 愛と智恵があるときだけ、 萎れてしまうか、壊れてしまえます。 それが、先日私たちが来たところです。 しかし、私たちがそれへ入る前に、私はお訊きしたいのです - なぜ人間たちは、どれほど智恵があり、どれほど学問があっても、 どれほど哲学的で、宗教的でも、 彼らはいつも、この轍に、陥るのですか。
2:59 B: 轍は、蓄積された知識の本性に 本来、具わっていると、私は思います。
3:06 K: するとあなたは、知識は間違いなく、 轍を創り出すにちがいない、と仰っていますか。
3:15 B: おそらく、「ちがいない」ではないでしょうが、 それが、人類において、発達してきたさまでは、そうだったのです - 言うならば、心理的知識が、です。
3:25 K: 私たちは、明白にそれについて、話しています。
3:28 B: 心理的な知識は、轍を創り出すにちがいないと、私は同意するでしょうね。
3:33 K: でも、なぜ精神はそれに、気づいていませんか。 それは、その危険が、見える。 その機械的な反復が、見える。 ゆえに、そこには何も新しいことが、ないことが、です。 けれども、それをしつづけます。
3:47 B: ええ、私たちは、この知識の蓄積について、議論していた、と思いますが、 それが本当に、轍を構成します。
3:55 K: ええ、轍を構成します。でも、なぜですか。
3:58 B: それは同じ問いだと、思います。 単に、知識の蓄積が、轍を作ることについて、 考えるだけなら、なぜ或る人物が そこに居つづけるかは、見えませんね。
4:10 K: ええ。それが、私が訊ねていることです。
4:12 B: さて、私には、轍、または、蓄積された知識は、 その真の意義なるものを、はるかに越えた、 意義を持っているように、思われます。 すなわち、それは必要性を帯びている、と。 私たちは、何かマイクロフォンのような対象について、知識を持つなら、 それは、何か制限された意義を、持っています。 さて、あなたの民族、自分が所属する民族についての知識は、 無量の意義を 持っているように、思われます。
4:46 K: ええ。で、この意義は、精神が この、狭まってしまうことの原因ですか。
4:56 B: それは、精神を保ちますね。 この知識は、他のすべての価値を越えた、 ものすごい価値を、持っています。 それは、精神を、それへ縋りつかせます。 なぜなら、それは、世界で最も重要なものに、思えるからです。
5:09 K: そうね、インドの一定の哲学、 一定の概念などにおいては、 知識は終わらなければならない、とのこの哲学が、あります - もちろん、それはご存じです。 ヴェーダーンタです。 しかし、見たところ、知識を終わらせて、 自由から話す人は、ほぼほぼいません。
5:36 B: 私はあの点へ、戻ってくるのでしょう - 知識は一般的に、とてつもなく重要に思われます - 取りすがるかいが、ある、と。 或る人物は言語的に、それは終わるべきだと、言うかもしれませんが。 すなわち、自己についての知識が、です。
5:54 K: 私は、とても愚かなので、 この知識が本質的に、ほとんど意義を持たないことが、 見えない、ということですね - 心理的な知識が、です - けれども、私の精神は、それへ縋りつく。
6:07 B: ええ、私は、或る人物がそんなに愚かだとは、すっかりは表さないでしょう。 むしろ、この知識は、頭脳を愚かにする、と言います。

K: ええ、いいですよ。

B: 私がいうのは、この知識に捕らわれた頭脳は、 愚かになる、ということです。
6:21 K: いいです。でも、それは、脱出するように、思われません。
6:25 B: なぜなら、それはすでに、愚かにされているので、 自らが何をしているのかが、見えないからです。
6:30 K: で、それは何を、するのでしょうか。 私はこれを、見守ってきました- 長年です。 なぜ人間たちは、一定の物事から、 自由になろうと試みるのか、けれども、これが、それの根です。 理解されますか。心理的な知識になる、この心理的な蓄積です。 で、それは、分割するし、 あらゆる種類の物事が、そのまわりとその内で、起きます。 けれども、精神は、手放すのを拒絶します。

B: ええ。

K: それは見ない、ということですか。 または、それは、知識へ無量の重要性を、与えてきましたか。
7:18 B: それが、私がいう意味です。ええ。
7:21 K: なぜですか。それは、そこに安心が、そこに安全が、あるからですか。
7:30 B: その一部は、安全の起源だと、思われますが、 何らかの形で、知識は、絶対的なものの意義を、 帯びてきたと、私は思いますね。 知識は、適切には、相対的であるはずです。 しかし、精神のこの知識、 自己の心理的な知識や、 宗教の連係した知識は・・・

K: それらは理解できますが、あなたは、私の問いに、答えていません。
8:00 私は普通の人です。私はこれらを悟ります。 そして私は、様々な水準での 知識の意義と価値を、悟ります。 しかし、より奥底、自分の内側で、 この蓄積された知識は、きわめて破壊的です。
8:18 B: それは本当です。でも、自己欺瞞が、あります。知識は、精神を欺瞞します。 で、或る人物はふつう、それが破壊的であることに、気づいていません。
8:31 K: そういうわけで、人間たちはそれへ、縋りつくのですか。
8:35 B: まあ、彼らは本当はできません・・・ 私たちは、彼らがどのように、それを始めたかを、正しくは知りませんが、 ひとたび始まってしまうと、 精神は一般的に、これを見つめることができない状態に、あります。 なぜなら、それは、その問いを 回避しているからです - 問題全体を見つめるのより逃避する、 ものすごい防御的な機構が、あります。

K: なぜですか?
8:59 B: 何か至高に貴重なものが、 危うくなっているかもしれないと、思われるからです。

K: いえ、そうね、自分は、ふしぎにも他の方向で、智恵があり、
9:09 器量、能力、技能、より大きな技能が、あるかもしれませんが、 ここでは、これらの紛糾の根があるところで、 なぜ私たちは、それを十分に、了解しないのですか。何が精神を、阻止しますか。 あなたは、それは知識へ重要性を与えてきた、と仰ります。 私はそれを承認します。そのとおりですが、 けれども、それは取りすがる。 あなたは、ご存じにちがいない。
9:38 B: でも、ひとたびこれが起きてきたとき、 智恵に抵抗する、機械的な過程があると、私は思います。
9:48 K: で、私は何を、するのでしょうか。 私は、ふつうの人として、何をするのでしょうか。 私は、技術的な知識、それらを、悟りますが、 私が蓄積してきて、分割的であり、 破壊的であり、かなり些少である知識 - けれども、私はそれへ、取りすがります。 私は、それを手放さなければならない、と悟りますが、それができません! 私は何を、するのでしょうか。 これが、平均的な人物の問題である、と私は思います - 私たちが、これらについて、 少し真剣であるとき、生ずる問題です。 それは、エネルギーの不足ですか。

B: 一義的には、そうでない。 エネルギーは、その過程により消散されつつありますね。
10:55 K: それは理解できます。大変多くのエネルギーを、消散してしまって、 私は、これに取り組むエネルギーを、持っていませんか。
11:03 B: もしも私たちが、これから抜け出せたなら、それは、すばやく戻ってこられるでしょう。 エネルギーは常に、消散されつつあります。 或る人物は少し、くたびれたかもしれませんが、 これが止まるだろうなら、彼は、回復できるのでしょう。 私は、それが主な点であるとは、思いません。
11:17 K: ええ。それが、主な点ではありません。 で、私は人間として、何をするのでしょうか- この知識が、自然に、必然的に、 そこに私が生きる轍を、形成しつつあることを、悟って、です。 私の次の問いは、こうです - 私はどうやって、それを壊してしまうことになりますか。
11:40 B: この知識がこれらをしていることが、一般的に 人々にとって、明らかなのか、私には確かでありません - また、知識が知識であることも、ですね。 それは、何らかの存在、自己、私だと思われるかもしれません。 この知識は、何らかの実体として、経験されます。 この知識は、「私」を創り出します。

K: ええ。

B: 「私」は今、実体として経験されます - 知識ではなく、何か実在物である実体として、です。
12:10 K: この存在は、知識より異なっていると、仰っていますか。
12:15 B: そのように見えます。 それは、違いを装いますね。
12:18 K: でも、そうですか。
12:20 B: そうではない。でも、それは、とても強力な能力を、持っています・・・
12:23 K: でも、それは、私の条件づけだったのです!
12:25 B: それは本当です。さて、問いはこうです - 私たちは、条件づけを壊してしまうには、どうやって、それを切り抜けますか。
12:29 K: そうね、それが、本当の点なんです。
12:31 B: なぜなら、それは、或る存在の状態の 模造や見せかけを、創り出すからです。
12:39 K: そう、七億人のカトリックが、います。 何億何千万の中国人が、います。すべて・・・付いてきていますか。 これが、彼らの中心的な動きです。 それは、全く望みがないと、思われます! その望みがないことを悟って、私は、 座り込み、「私は何もできない」と言います。 しかし、私は精神を、それへ注入するなら、問いが生じます - 心理的な知識なく、この世界に 機能することは、可能ですか。 私はかなり、それに関心を持っています。 なぜなら、どこへ行こうとも、 それが、カリフォルニアでも、インドでも、ここでも、他のどこでも、 解消されなければならないのは、この中心的な主題であると、私は思うからです。
14:06 B: そのとおりです。でも、あなたが、これについて議論したり、 これを誰かへ語るようなら、彼はおそらく、それは合理的に見えると、 言うかもしれません。でも、彼の・・・ そうね、彼の地位が脅かされる、とします。 それは、心理的な知識である、と言わざるを得ないが、 彼には、それが知識であると、思われなくて・・・

K: それらは知っています。

B: 何かもっと大きなものと、思われますね。 さて、彼は、自らの地位についての知識が、 紛糾の裏にあることが、見えません。 知識は、一見して、何か受動的なものに、思われますね - 何か、あなたが知っているもの、 もしも使いたいなら、使えるだろうもの、 または、使いかねるだろうもの。 使いたくないなら、 それをただ脇に置く。それが、そのあるべきさまだ、と。

K: それらは理解できます。
14:50 B: でも、その瞬間が来るとき・・・

K: またも戻っている。
14:53 B: ええ、知識はもはや、知識だと見えない。 あなたは、もしも誰か政治家へ、話すことになったとしたなら、どうやって・・・
15:12 K: ああ!

B: 例えば、或る人はかつて、 あなたに、毛沢東へ話をしてほしかったと、私は思います。 たぶん、何にもならなかったでしょう。
15:22 K: 何にも、ね!政治家と、権力に就いた人々は、 あなたに聞こうとすら、しないでしょう - 宗教的な人々、いわゆる宗教的な人々が、 あなたに聞こうとしないように、です。 それは、不満足である人、挫折している人、 自分はあらゆる物事を失ってしまったと感じる人々だけなのです。 おそらく、彼らは聞くでしょう。 しかし彼らは、それが、本当の 燃えるものであるようには、聞かないでしょう。
16:00 それに、どう取りかかりますか。 例えば、私は、 カトリックやプロテスタントの教義、それらの戯言を、離れた、とします。 また私は、職歴をも、持っています。 私は、そこで知識を持つことが、必要であるのを、知っています。 でも、私は、人間として、或る点に来ました。 この世界に生きていて、私は、心理的な知識の過程に 捕らわれないことが、どんなに重要なのか、分かります。 けれども、私はそれを、手放せません! それはいつも、私を避けています。 私はそれで、いたずらをしています。 それは、隠れんぼうに、似ています。 いいですよ。そこから、私たちは言いました - それが、私が壊さなくてはいけない壁です。 私たちは、それへ違ったように、接近しています。 それが、私が壊さなくてはいけない壁です- 「私」が、ではない。 それが、壊されなくてはいけない壁です。 私たちは、その壁は、愛と智恵をとおして 壊されうる、と言いました。 私たちは、何か異常に困難なことを、頼んでいませんか。
17:25 B: それは困難です。
17:27 K: 私は、壁のこちら側の陰に、います。 あなたは、私に、あの愛と智恵を持つよう、 頼んでいます- 壁を破壊するであろうものを、です。 でも、私は、あの愛が何なのか、あの智恵が何なのかを、知りません。 なぜなら、私は、ここに、壁のこちら側に、捕らわれているからです。 あなたがちょうど今、指摘されたように、私は、論理的に、健全に、悟ります - 私は、普通の人間として、あなたが言っていることを、悟ります。 それは、正確で、真実で、論理的です。 私は、それの重要性が、分かります。 でも、壁は、強く支配的で強力なので、 私はそれを越えられません。 私たちは先日、その壁は、洞察をとおして 壊されてしまうと、言いました。 私たちはそれに、入りました。 その洞察は、観念になる。
18:37 B: ええ。
18:38 K: それは実際ではない - すると、あなたは、 「ええ、それを理解します。 私はそれが分かります」と言います。 でも、あなたが、洞察を叙述するとき - それは可能なのかどうか、それはどうやって、もたらされるのかなどを、です - 私は即時に、それを抽象にします。 それは、私は事実から動いて離れる、 抽象ばかりが重要になる、という意味です。 それは、知識、という意味です。 私がいう意味に、付いてきていますか。
19:06 B: それは、知識の活動です。
19:08 K: で、私はまたもや、戻っています!
19:10 B: 一般的な困難は、こうだと、思います - その知識は、情報の形として、 そこに居座っているだけではない。 それは、極端に活動的であり、 あらゆる瞬間に出会うし、 過去の知識に応じて、あらゆる瞬間を形作っています。 で、私たちがこの主題を取り上げるときさえ、 知識は、いつの時も、行為しています。

K: いつの時も、待っています。
19:30 B: 待っていて、それから行為しています。 一つの点は、私たちの伝統全体は、知識は活動的でない、ということである、と 知ることです。それは・・・
19:38 K: とても活動的です!
19:39 B: ・・・それは本当は活動的ですが、人々は、 一般的にそれについて、そのように考えません。 彼らは、それはそこに、居座っているだけだと、考えます。
19:45 K: それは待っています。

B: それは、行為するのを、待っていますね。 何でも、あなたが、それについてしようとすることは、 知識がすでに、行為しています。 これが問題であることが、悟られる時までに、 それはすでに、行為してきたのです。
20:02 K: ええ。私はそれを、問題として悟りますか。 または、私が実行しなければならない観念ですか。違いが見えますか。
20:14 B: ええ。第一の点は、知識は自動的に、あらゆる物事を、 実行しなければならない観念に、変える、ということです。それが、それの築かれるさま全体ですね。
20:22 K: それが、私が生きてきたさま全体です。
20:24 B: 知識は、他に何もできません。
20:27 K: 私は、どうやって、それを破るべきなのでしょうか - たとえ一瞬の・・・
20:39 B: 私には、もしもあなたが、見られた、観察できた、気づけたなら・・・ 知識は、それ自体が働いているのに、気づけるだろう、と思われます。 論点は、知識は気づかずに働くように、思われるんですね - それは単純に、そこに待っていて、それから行為するだけだ、と。 その時までに、それは、頭脳の秩序を、破断してしまっています。
21:08 K: 私はこれに、とても関心があります。 なぜなら、私がどこに行こうとも、これが、起きつつあることであるからです。 それは、問題になってきたのです- 私にとって、ではなく、 それは、何か解消されなくてはならないことなのです。 あなたは、聞く能力は、これのどれ、 どの説明、どの論理より、はるかに重要だ、と 仰るのでしょうか - 聞くことが、です。
22:03 B: それは、同じ問題へ来ます。
22:05 K: いえ、いえ。私が言おうとしているのは・・・それは来ません。 私は、可能性があるのかどうかを、見たいのです - すなわち、私が聞くとき、 あなたが言っていることを、完全に聞くとき、 壁は、壊れてしまったということ、です。 理解されますか。 そういうことは、ありますか。 私は見出そうとしています。 私は普通の人です。 あなたは私に、これらを語っています。 私は、あなたが言っていることは、そうであると、悟ります。 私はそれに、関心を持っています。 私は、あなたが言っていることに、本当に深く、関与しています。 そして、どうしてか炎が、灯されていない。 燃料すべては、そこにあるが、火が、そこにない。 で、普通の人として、私は何を、するのでしょうか。 これが、私の永久の叫びです。
23:24 B: それは、聞く能力であるなら、 私たちは、問いを持っています - 例えば、普通の人は、意見に満ちていますね。 それで、彼は聞けません。
23:34 K: ああ!もちろんです。 意見をもって聞いているなら、 あなたは、死んでいるのと同じでしょう!それは無意味です!
23:41 B: 知識は、あらゆる種類の防衛を、持っていると、思いますね。 もしあなたが、広めること、普通の人が、この知覚を持つことを 可能にしようとすることを、考えておられるなら - それが本当に、あなたが訊ねておられることなのでしょう。

K: ええ。

B: 少なくとも、興味を持っている人たちに、です。

K: ええ。
24:00 B: さて、知識は、ものすごい数の防衛を、持っていると、思います。 それは、これを知覚することに、反しています。 それは、これを見ることに抵抗するように、 築かれる形で、進化してきました。 で、それは、また即時に行為もする意見を、持っています。
24:21 K: 私はそれを理解します。 でも、私は見つけたいんです! 薬物ではなく、薬ではなく、道ではない。 あなたと、普通の人である私との間には、伝達が、あるにちがいありません。 疎通 - 伝達がとても強くて、 そのため、あなたに聞く私の行為と、 あなたが私と疎通するのが、作動するものが、です。付いてきておられますか。
25:02 B: ええ。それで、あなたは、この意見をとおし、 この構造全体をとおして、割り込まなくてはいけません。
25:06 K: もちろんです。そういうわけで、私はここに来たのです。 普通の人、私は、そのために来たのです。 私は、教会すべてと、それらのものを、離れてきました。 私はそれらを、何マイルも遠くに、投げ捨ててきました。 私はそれらを、終了させてきました。 私はちょうど、ここに来たのです。 私は、ここで言われてきたことすべてが、真実だ、と悟ります。 私は、見出そうと燃え立っています。 あなたが私と疎通するとき、あなたの伝達は、とても強く、迫真です! あなたは、知識から語っていません。 あなたは、意見、その他すべてから語っていません。 あなたは本当に、自由な人間です - 私と疎通、伝達しようとしている人です。 私は、強烈さをもって、聞けますか - あなた、伝達者が、与えてくれているそれをもって、です。
26:13 B: 私たちは、訊ねなくてはいけないでしょうね。 普通の人は、あれに満ちていますか。
26:19 K: ああ、いいえ。満ちていません。 彼は、パブがほしいのです。 いいえ。私は、自分は普通の人だ、と言いました。 でも、私は動いて、それらを離れました。 私はここに来たのです。 私は、それらを去ったのです。 私はまた、意見の中で、 自分が成長できる、意見を増殖させられる、集められることをも、悟ってきました。 それは部分的に、先入観、その他すべてです。 私は、それらを悟ります。 そして、私は、真理を語っている誰かに、 聞きたいと思います。 まさに、それを語る中で、 私の中に、何かが起きつつあります。 私が熱心に聞いているから、それは起こります。 私が何かを伝えているのかどうか、と思われます。
27:24 結局、あなたは、偉大な科学者であり、 私は、あなたの学生の一人ですから、あなたは、私に何かを語りたいと思います。 あなたは、何かについて、私に語りつつある - 私は、それが、尋常でなく重要にちがいないと、知ります。 なぜなら、あなたは、それへ自らの生を捧げてきたからです。 そして、学生として、私は、 ここに来るためだけに、とても多くを、あきらめてきました。 私がそれを、即座に受け取らないのは、私と疎通、伝達している人、 あなたの過失でしょうか。理解されますか。 または、私が、本当にあなたに聞く能力がないのは、 私の過失でしょうか。
28:15 B: まあ、どちらにしても、仮に、困難は、 私が、聞く能力がないことである、とします。 そのとき、何ができますか。
28:26 K: いえ、何もできません。 そうね、それが困難です。 私は聞く能力がないのなら・・・私は、先入観と意見と判断、 防衛、そうね、その他すべてに、 満ちているからです。 そうね、組み立てが、です。 そのとき、もちろん私はあなたに、聞こうとしないでしょう。
28:47 B: 例えば、ここに、誰かがやって来る、としますね - これら防衛の幾つかを通りぬけてきた人ですが、 おそらく、彼が気づいていないのも、幾つかありますね。 さほど単純ではないですね。
29:01 K: それは単純だと、私は思います。 それはどうやら、恐ろしく単純であると、私は感じます。 私が思うに、もしも、私は、自分の存在すべてでもって、 注意すべてでもって、聞けたなら、それは起きるのです。 それは、さほどに単純だ、と私は思います。 そうね・・・私たちは一般的に・・・あなたは私に、何かを語っています。 私はそれを、吸収しています。 それで、あなたが語るのと、私が吸収するのとの間に、 間隔が、ある。お分かりになるのか・・・

B: ええ。
30:00 K: その間隔に、危険がある。 もしも、私が、吸収しないで、私の存在すべてでもって、 それを絶対的に聞いたなら、それは終了しています。 それは、ここに、楽しみの陰が何もないからですか。 言っていることに、付いてきていますか。 あなたは私に、どんな楽しみ、どんな満悦をも、差し出していません。 あなたは、「そうなのです。 それを取りなさい!」と、言っています。 しかし、私の精神は、あまりに楽しみに、関与しています。 それは、聞くために、楽しくなければなりません。 私がいう意味に、付いてきていますか。

B: ええ。
31:01 K: 私は、完全には満足できないものを、 何も聞こうとしないでしょう。 私はまた、それの危険をも、悟ります。
31:15 B: 危険ですか。
31:16 K: 満足、楽しみとそれらを探し求めることの(危険)、です。 で、私は言います - 「いいよ、私はそうしないだろう。私は、自分が何をしているのかを、見る」と。 で、私はそれをもまた、脇に置きます - 聞くことには、何も楽しみはなく、 報賞はなく、処罰はない。純粋な観察だけが、ある。
31:37 で、私たちは、あの点へ戻ってきます- 純粋な観察は、 実際に聞くことですが、その純粋な観察は、愛ですか。 私は、そうだと、思います。 またもや・・・

B: またもや、何ですか。
32:04 K: あなたは、それを述べてきましたが、そのとき、私の精神は言います - 私は、相当に普通です。 私はここに来ています - 私の精神は即時に、こう言います。 「それを私に与えてください。 何をすべきかを、語ってください!」と。 私が、あなたに、「何をすべきかを、語ってください」と頼むとき、 私は、知識の中へ、知識の分野の中へ、戻っています。 それは、即時です。 で、私は、あなたに、何をすべきかを、訊ねるのを、拒否します。 そのとき、私はどこにいますか。 あなたは、私に語ってくれました - 何も動機、方向づけなき知覚、 純粋な知覚は、愛である、と。 その知覚、愛は、智恵です。 それらは、三つの別々のものではない。 それらは、一つのものです。 私は、それへの感じを、持っています。 なぜなら、あなたは、よく気をつけて、私を導いてきたからです - 私を導いた、のではない。 あなたは、よく気をつけて、一歩一歩、指し示してきました。 そして、私は、あの点へ来たのです。 私は、それへの感じを、持っています。 私は、これらを聞くことにより、十分に敏感であり、 あの点に来ます。そのとき、私は感じを、持っています - それは、「やれまあ!そのとおりだ」と言います。 でも、それは、すばやく去ってしまいます。 そのとき、「私はどうやって、それを取り戻すべきか」が、始まります。 またもや、その思い出が- すなわち、知識が - 塞ぎます。
34:09 B: あなたが仰っていることは、毎回、伝達があるごとに、 知識が、多くの違った形で 働きはじめる、ということです。

K: そのとおりです。
34:22 K: で、そうね、知識から自由であることは、 尋常でなく困難です。
34:31 B: ええ。私たちは、訊ねていいでしょう- なぜ知識は、 必要になるまで、待たないのか、と。
34:39 K: ああ、それに必要となるのは・・・それは、心理的に、 知識から自由であることを、意味しています。 ですが、機会が生ずるとき、あなたは、自由から行為しています - 知識から、ではない。
35:00 B: 知識から、ではない。しかし、知識は、情報として、入ってきます。

K: ええ。

B: それは、あなたの行為の情報を知らせますが、それは、本源ではありません。
35:09 K: すなわち、それを、かなり簡潔に表すと、 知識からの自由と、自由であること - 伝達するのは、自由からです。 知識からではない。 どうですか・・・

B: ええ。
35:30 K: すなわち、空っぽから、伝達がある。 その言葉や言語を、使うかもしれません - それは、知識から出てきたものです。 でも、それは、あの完全な自由の状態からです。
35:52 B: ええ。そして今・・・伝達が起こります。 でも、それは、知識の問いに、関連しています - 心理的な知識が、妥当しないことのように、です。 それが、伝達、疎通です。
36:06 K: ええ。 さて、私は自由から、あなたと疎通、伝達できますか。 仮に、私は人間として、その点に来た、とします - 知識からの完全な自由が、あるところに、です。

B: ええ。

K: その自由から、 伝達は、言葉を使って、起こります。ですね? さて、あなたは、科学者、大いに科学的に傑出した人、その他すべてとして・・・ - 私は・・・どうぞ、私は礼儀正しくしています - あなたは、私と疎通し、伝達するのでしょうか。 私は、どんな障壁もなく、あなたと疎通できますか。付いてきていますか。 私のいう意味を、理解されますね。 私は、何かしようとしていませんが・・・ 私は、他の一人と疎通、伝達できますか。 または、それを表させてください - 全的に、知識から自由であるその人は、 単に伝達の手段として、知識を使いますが、 私は、その伝達を受け取る、 そういう精神の状態に、いられますか。
37:48 B: ええ。もし知識が、情報だと見られるなら、です。 知識は普通、情報以上に見えます。 知識はそれ自体、自由であるように、思われます。 ふつう、知識は自由でないことは、見えませんね。
38:06 K: 知識はけっして、自由ではない。
38:08 B: ええ。でも、それは、一見して、そう思われるかもしれません。

K: もちろんです。

B: 自由に、自分の知識を、使える、と。
38:13 でも、それは自由でないし、 知識のどの活動も、不自由の一部です。
38:20 K: もちろんです。 私は、自分自身を理解したいのなら、 自由であって、自分自身を見つめられなければなりません。
38:25 B: ええ。知識は内に、見つめるのを阻止する圧迫を、持っています。
38:28 K: 知識は、私が見つめるのを、阻止します。 とても明白です!すみません。
38:32 B: それは、あの段階では、明白なのかもしれませんが、 一般的に人々は、それが見えません。 でも、今、それを脇に、置いておきましょう。
38:43 K: もし、私は、意見と判断と評価に満ちているなら、自分自身を見つめるには、 私は、幾らかそれから、自由でなければなりません - 見るように、です。 それは明らかです!
38:57 B: ええ。しかし、たぶん一般的には、 先入観のように、有害である 一定種類の知識がある、と言いがちです。 そのときあなたは、有害でない、先入観でない、 他の種類がある、と言う。
39:08 K: ええ、全体の事柄です。
39:09 B: 全体のことが、すべて一つの構造です。 他の部分では先入観を持たずに、 一部分でそれを、持つことは、不可能です。
39:24 K: あなたはどのように、私と疎通、伝達するのでしょうか - 私が本当に・・・それが終了するように、あなたが言っていることを、 完全に受け取りたいと、掴み、望み、燃えている 一定の点へ来た私に、です。 私は、ここへ来たのですが、私は本当に、その状態にいますか。 または、私は自分自身を、だましていますか。
40:05 B: まあ、それが、別の・・・問いですね - 知識は常に、それ自体を欺瞞しています。
40:10 K: もちろんです。
40:12 B: 思うに、それは、私が自分自身を欺瞞しつつある、 ということですらないと、言うことでしょうね - 知識は、それ自体を欺瞞する組み込まれた傾向を、持っています。
40:25 K: それで、私の精神はいつも、それ自体を、欺瞞していますか。
40:32 B: 知識が心理的に作動しているとき、 その傾向は、常にそこにある。
40:37 K: で、私は何を、するのでしょうか。 同じひどい問いへ、戻ってきます。
40:42 B: 自分自身を欺瞞するとの問い - またもや、それは同じ点だと、思います。聞くことです。
41:01 K: なぜ私たちは、聞かないのですか。 なぜ私たちは、即時にこのことを、理解しないのですか。 即座に、無媒介に、なぜですか? 私たちは、なぜかの理由を、示せますが、それは・・・ 何ですか。老齢、条件づけ、 怠け。十もの違ったことです。 それは、すべて・・・
41:32 B: それは表面的です。

K: ・・・無意味です。
41:39 B: しかし、それに深い理由を、示すことは、可能でしょうか。
41:44 K: 知識です - 私たちは同じことへ、戻ってきます! そうね、思うに・・・「私」である知識は・・・
41:56 B: ええ、それが論点です。
41:58 K: ・・・「私」である知識は、 ものすごく強い、ということですか - 事実としてではなく、観念として、です。
42:07 B: ええ、私は、それが観念であることを、理解します。 でも、観念は・・・それが、私が言おうとしたことです - 観念は、ものすごい意義と意味を、持っている、ということです。

K: もちろんです。

B: 例えば、仮に、あなたが、神の観念を持っている、とします。 これは、ものすごい力を、帯びます。
42:27 K: それは、「私はイギリス人だ」とか、「フランス人だ」とかに、似ています。 それは私に、大きなエネルギーを、与えてくれます。
42:32 B: また、それは、自己のまさに存在だと 思われる身体の状態をも、創り出します。 今、その人物は、それを単なる知識として、経験しません。 彼は初めに、とても強力な何かを、感じます - 知識だとは思われないものを、です。
42:52 K: ええ。私たちは、ぐるぐるぐるぐる回っていますか。そのように思われます。
43:00 B: まあ、私は、思い巡らせていました - 知識に伴い、自己と伴うと思われる、あの圧倒的な力について、 何か伝達できるかもしれないものが、あるのかどうか、と。
43:15 K: 同一視と伴う・・・
43:16 B: 同一視と伴うもの、です。 それは、のぞき見るかいが、ある 何かなのかもしれません。
43:20 K: その言葉は何ですか- 私は忘れてしまいましたが - 「同一視(アイデンティフィケーション)」の根本の意味は、何ですか。
43:26 B: 「いつも同じ」ですね。
43:28 K: それは、「いつも同じ」です。 そのとおりです。そうなんですよ。 それはいつも同じです。 日のもとに、新しいものは、何もない。
43:42 B: それが、それの本質です。 自己はいつも同じである、と言うなら、 それは、いつも同じであろうとします - 詳細はそうでなくても、本質において、です。
43:55 K: ええ、ええ。
43:57 B: これが、知識について、おかしくなることである、と 私は思います - すなわち、知識は、 いつも同じであることの知識であろうと、試みますね。 で、それは、保つのです。
44:07 K: もちろんです。 それは、いつも同じです。
44:09 B: 知識自体が、何が恒常的で完璧で、 いつも同じであるかを、見つけようとします - 私たちの誰にも依存しないものをも、です。 それは、細胞のように、組み込まれていますね。
44:27 K: ここから、問いが生じます - 注意することは、可能ですか。 私は、「勤勉(デリジェント)」という言葉を、使おうとしています。

B: ええ。

K: 勤勉に注意することは、可能ですか。 そうね、正確である、という意味での、勤勉です。
44:58 B: 文字通りにそれは、「手間を掛ける」という意味です。それが、その語源です。
45:02 K: もちろんです。手間を掛ける。 その全体を取る。 これら知的な事柄をよける、他の道が、 何かあるにちがいありません! 私たちは、知的能力を大変多く、行使してきました。 その知的能力は、出口のない壁へ、つながってきました。 私は、あらゆる方向から、それへ接近します。 結局、壁がそこにある。それは「私」です - 私の知識、私の先入観、 その他すべてとともに、「私」です。 そのとき「私」は、「私はそれについて何かを、しなければならない」と言います。 それはやはり、「私」です。 私たちはみんな、それを知っています。
46:03 B: まあ、「私」は、いつも同じでありたいと思います。 同時にそれは、違っていようとします。
46:07 K: ええ、違っていよう、と。 違ったコートをまといます。 それは、いつも同じです。 で、「私」でもって機能している精神は、 いつも同じ精神ですね。 何ともまあ、そうね、またもや戻っています!
46:30 B: ええ。その「いつも同じ」は、ものすごい力を、与えます。

K: ええ。

B: さて、その「いつも同じ」を手放すことは、可能ですか。
46:48 K: そうね、私たちは、あらゆる物事を、試してきました - 断食、あらゆる種類のことを、です。 「私」を、その知識すべて、 その幻影すべてなどとともに、取り除くために、です。 自らは、他の何かと、同一視しようとします- それは、同じことです。 真剣な人は、これらをやってきて、 根源的な問いに戻ってくる、ということなんです - 何がこの壁を、全的に消え去らせるのでしょうか。 あなたが仰っていることへ、私が、全的な注意を注げるとき、 それは可能なだけだと、私は思います。 壁を壊してしまうための他の手段は、ありません - 知能も、情動も、それらのことのどれも、です。 あなたが - 壁の向こうにいる誰か、壁を越えていき、壊してしまった誰かが、 「聞きなさい。後生ですから、聞きなさい!」と言います。 私は、あなたに聞けますか・・・あなたに聞くとき、私の精神は空っぽです。 で、それは終了しました!私が言っていることに、付いてきておられますか。
48:50 B: 私が思うに、一般的には、こう感じるでしょう - 「いいよ、それは終了した。でも、何かが起きるだろうし、それは、戻ってくるだろう」と。

K: ああ!

B: それは終了しましたか。

K: 私は、戻ってきたいと望む感覚が、何もない
49:05 - 私が未来に、それを持つだろうかどうか、です。 それは、空っぽです。ゆえに、聞きます。 それは終了しました!
49:48 私たちは、止めたほうがいい。 私たちは、或る点へ来ました。構わないな。 五分間で十分です。 私は、違ったように、つづけたいと思います。 あなたは科学者です。 何か新しいことを、発見するには、 あなたは、一定の空っぽを、持たなければなりません - そこから、違った知覚が、ある。
50:47 B: ええ。ふつう、問いが制限されている、 という意味で、違いがある、と思いますね。

K: ええ。

B: それで、精神は、その問いに関して、空っぽなのかもしれません。
51:01 K: 特定の問いに、ね。ええ。
51:03 B: その問いにおける発見と洞察を許す、と。

K: でも、その精神は、専門化してきて、
51:14 ゆえに、何かを探究していますが、それは空っぽになり、 その空っぽから、何か新しいことが、発見される。 私はそれを理解します。 でも、どんな専門化もなく、 この空っぽが、他のあらゆることを保つ・・・私は分かりません・・・
51:43 B: 私たちは、訊ねなくてはいけない、と思います - 私たちは、特定の区域を問うていなくて・・・

K: ええ。

B: むしろ私たちは、知識の全体を問うているんです。

K: ええ。
51:57 K: それへ入ってくるとき、それは、最もとてつもない。
52:02 B: あなたが仰っていたように、それは、知識の終わりです - ヴェーダーンタのように。
52:05 K: それが、本当の答えです。
52:12 B: 或る人物が、この科学的な態度を取り、 知識の全体を問えるのなら・・・
52:18 K: ああ、もちろんです。
52:25 B: でも、一般的に人々は、 「私は、一つの区域で、知識を問うことができるには、 もう一つの区域で、それを保っていなければならない」と、感じるでしょう。 それで、人々は悩んで、 「どんな知識でもって、私は自分の知識を問うのか」と、言うかもしれません。
52:37 K: ええ。どんな知識でもって、私は自分の知識を問うのか、と。全くです。
52:54 B: でも、或る形で、私たちは、知識を持っているんです。 なぜなら、私たちは、論理的に、理性的に、それを通ってきて、 構造全体が意味をなさないことを、見てきたからです - それは、整合的でなくて、何の意味も持たない、と。 心理的な知識の構造は、何の意味をも持ちません。 それはすでに、何らかの形で、なされてきましたね。
53:15 K: そのとき、あなたは、そこから・・・ その空っぽから、基盤、または本源が、ありますか - そこより、すべての物事が始まるものが、です。 物質、人間たち、彼らの能力、彼らの白痴 - 動き全体が、そこより始まります。
53:42 B: ええ、私たちは、確かに、それを考慮してもいいでしょう。 それを少し、明瞭にしようとしましょう。 で、私たちは、空っぽを持っていますね。
53:54 K: ええ。その中に、思考の動きが 何もない空っぽです - もちろん、知識としての(動きが)、です。
54:02 B: 知識、心理的な知識として、です。
54:04 K: もちろんです。それは理解します。

B: いいですよ。すると・・・
54:08 K: ゆえに、時はない。

B: 時はない。心理的な時間がない。
54:12 K: ええ、心理的な時間がない。
54:14 B: 私たちはやはり、時計を持っていますが。
54:16 K: ええ、もちろんです。 私たちは、それを越えていきました。 それへ戻らないようにしましょう。
54:19 B: でも、ときおり、それは・・・ 言葉はしばしば、混乱させます。 それらは、間違った意味を、伝えます。
54:25 K: 心理的な時です。心理的な時は、ありません。 思考の動きは、ありません。 その空っぽは、動きすべての始まりですか。
54:44 B: すると、あなたは、空っぽが基盤であると、仰るのでしょうか。
54:47 K: それが、私が訊ねていることです。 ゆっくり、私は進んでいます・・・ ゆっくり、それへ入りましょう。 または、私たちは、これを別の日へ、延期するんでしょうか。
54:55 B: おそらく、それへは、もっと気をつけて、入るべきでしょう。
54:58 K: 気をつけて、いいです。 私たちは止めたほうがいい。
55:15 B: まあ、ただ一つのことは、カリフォルニアで私たちは、空っぽがある、 それを越えて、基盤がある、と言っていました。
55:24 K: 全くです。知っています。 私はそれへ、入りたくありません。
55:26 B: 当分の間、それを放っておきます。

K: それを、放っておきましょう。 私たちはいつ、また会いますか。

B: 二日後、土曜日に、です。
55:31 K: 明後日ね。

B: ええ。
55:38 K: よろしいです。