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OJBR80CB1 - 心理的な葛藤の根
ディヴィッド・ボームとの会話 第1回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月1日



0:00 これは、1980年、カリフォルニア、オーハイでの、J.クリシュナムルティと ディヴィッド・ボームの間の第1回対話である。 クリシュナムルティ: これを、どのように始めましょうか。
0:24 D・ボーム: あなたは、何か言うべきことを持っておられると、私は理解しています。
0:26 K: たくさんのことについて、ね。 でも、私は、それを
0:29 どう始めるべきかを、知りません。

B: ああ。
0:32 K: 私は、人類は間違った方へ、曲がったのかどうかを、訊ねたいと思います。
0:39 B: 間違ったほうへ曲がった?
0:41 まあ、それは、なされたにちがいない- はるか昔に、だと、思います。
0:47 K: それが、私が感じることです。 はるか昔に、人類は、曲がったにちがいない。
0:54 B: ええ。
0:56 K: 私は、探究しているだけです。

B: そのように見えます。
1:01 K: そのように見えます。なぜか。 そうね、私が見るところ、 人類はいつも、何かになろうとしてきました - なること、です。
1:19 B: まあ、たぶんね。 そうね、私は思うのですが、 私は、ずっと昔に読んだものに、打たれました - およそ五千年か六千年前に、奪い取り、奴隷を取ることが できはじめたとき、人が間違ったことについて、です。 それから、その後、存在のおもな目的は、 ただ搾取し、奪い取り、奴隷を取ることだけでした。
1:47 K: ええ。ですが、内的に、なるとの感覚です。
1:51 B: ええ。で、私たちは、これがいかに関連しているかを、明らかにすべきですね。 そうする中に、どんな種類の、なることが、関与していましたか。 建設的であり、新しい技術、金属などを 発見する代わりに、彼らは、一定の時点で、 隣人たちより奪い取り、奴隷を取るほうが、 簡単だと、見ました。

K: ええ、ええ、それらです。
2:11 B: さて、彼らは、何になりたかったのか。
2:13 K: すなわち、葛藤が、これらの根だったのです。
2:17 B: ええ。でも、葛藤とは何でしたか。 そうね、もしも私たちが、はるか昔の人々の立場に、 自分自身を置けたなら、あなたは葛藤が、どう見えるでしょうか。
2:33 K: 葛藤の根とは、何ですか - 外的にだけではなく、 また、人類の、このものすごい内的な葛藤は? その根は、何ですか。
2:52 B: まあ、それは、矛盾し合った欲望だろうと、思われます。
2:56 K: いいえ。 それは、私たちはみんな、なろうとしている、ということですか。 いつもそうですが、すべての宗教において、そうだったのです - あなたは、何かにならなければならない、 あなたは、至らなければならない、と。
3:14 B: ええ。でも、何により、人々は、そうしたくなりましたか。 なぜ彼らは、何であれ、自分たちなるものに、満足しなかったのか。 そうね、もっと何かになることへ、何か魅力がある、と 人々が感じなかったのなら、宗教は、流行らなかったでしょう。
3:32 K: それは、回避ではないですか。 または、むしろ、事実に向き合い、事実を変化させることができなくて、 むしろ、他の何かへ動く - もっと多く、もっと多く、と。
3:50 B: ええ。まあ、人々がそこに留まれなかった事実とは、 何だったと、仰るのでしょうか。
3:56 K: 人々が、留まれなかった事実とは、何ですか。 キリスト教徒は、原罪と言いました。
4:11 B: ええ。それはすでに、長い時間です。 それは、そのはるか前に、起きました。
4:14 K: そのはるか前です。私はただ言っています。そのはるか前です。 ヒンドゥー教徒は、この業の観念を、持っていますね。 これらの起源は、何ですか。
4:32 B: まあ、私たちは、人々がともに留まれなかった事実がある、と 言ってきました。 それが何であったにせよ、 彼らは、何かもっと良いものを、想像したがりましたね。
4:41 K: ええ。何かもっと良いものを。 もっと、もっと、もっとなることを、です。

B: ええ。 テクノロジー的に、彼らが、 物事をより良くするために、技術を作りはじめたことは、 言えるでしょう - それは、分かります。 それから、彼らは、知らないままに、これを拡張し、 「私も、より良くならなければならない。 私たちは、みんながならなければならない」と言った。
4:59 K: ええ、内側も、より良くなる、と。
5:01 B: 私たちのみんなが、一緒に、より良くならなければならない、と。
5:03 K: ええ、より良く。そのとおりです。 これらの根は、何ですか。
5:12 B: まあ、思考において、より良くなるとのこの目標を 投影することは、自然だと、思うんですね - それは、思考の構造に、本来的に具わっている、と。
5:20 K: それは、外的に、より良くなることが・・・ 外的に、より良くなる原理が、 内側へ動いて、もっと良くなろうとするのか。
5:31 B: ええ。まあ、人が、なぜ自らがそうすべきでないかの理由を 何も知らなかったことは、明らかですね。
5:36 K: ええ。分かります。 もちろんです。
5:38 B: 彼は言います - 「外的に、より良くなることが、良いのなら、 なぜ私は内的に、より良くなるべきでないのか」と。
5:42 K: 内側で、より良く、ね。 それが、その原因ですか。
5:45 B: まあ、それは私にとって、それへ向かっていきます。 より近づいています。
5:50 K: 近づいていますか。 時が要因ですか。 「私はするために、知識が必要だ」という時、です。 何をするのでも、構いません。 「私はそのために、時が必要だ」と。 同じ原理が、内的に適用された。

B: ええ。 それは、同じ一般的な観念です。 私たちが、何か、より良いもの - すなわち、時を必要とするもの - を外的に投影する、と言うことは。 ゆえに、同じことが、内的に、されるにちがいない。
6:28 K: で、時が要因ですか。
6:30 B: まあ、時は自体では、それが唯一つの要因とは、見えません。
6:34 K: いえ、いえ。 時。なること - それは、時を含意しています。
6:40 B: ええ。しかし、ここで質問しなくてはなりませんね。時は自体では - それがどのように紛糾を引き起こそうとしているのか、私たちは分かりません。 外的に適用された時は、何も困難を引き起こさないと、言わなくてはいけませんね。
6:54 K: それは、一定量を引き起こします。

B: 一定量を。でも・・・
6:57 K: でも、内的に、時の観念が、です。
7:01 B: ええ。で、私たちは、時がなぜ内的に破壊的かを、見なくてはいけませんね。
7:07 K: なぜなら、私は、何かになろうとしているからです。
7:11 B: ええ。でも、もしも私が言えたなら - ほとんどの人々は、それは自然なだけだと言うんでしょうね。 私たちは、なることについて、間違っているのは何かを、言わなくてはいけません。
7:22 K: そこには、葛藤があります。
7:24 B: ええ。いいですよ。 すると、私たちは、それが見えます。
7:28 K: 明白に、そこでは、私は何かになろうとしているとき、 それは、常なる戦いです。
7:34 B: ええ。私たちは、それに入られますか- なぜそれは、常なる戦いですか。
7:38 K: ああ、それは相当に単純です。
7:42 B: そうね、私が外的に、自分の位置を、改善しようとするなら、 それは、戦いではない。

K: 外的には、ええ。
7:49 B: そのとおり。すると、それは、さほど明白ではない。
7:51 つまり、それを明るみで、大いにはっきりさせることは、良いでしょう - 私たちが内的に、何かをしようとしているとき、 なぜそれは戦いであるのか、です。

K: 私たちは、こう訊ねていますか
8:01 - それはなぜ、外的には、多かれ少なかれ、だいじょうぶだが、 内的に、その同じ原理が適用されるとき、 それは、矛盾をもたらします。

B: ええ。進んでください。 その矛盾は・・・
8:21 K: 「あるもの」と「あるべきものになること」の間、です。
8:26 B: ええ。ですが、そのとき、外的にもまた矛盾があるように、見えるでしょうね。 なぜなら、私たちはここに、一定の状況を持っていて、 私たちはそれを、他の何かに変えようとするからです。 さて、それは、だいじょうぶに思われます。

K: それは正常だ、健康的だと思われます。
8:36 B: さて、困難は、こうです - なぜそれは、内的に矛盾であり、外的にそうでないか、 または、逆なのか、です。
8:45 K: 内的にそれは、中心を 築き上げるのではないでしょうか- 自我本位の中心を。
9:00 B: ええ。もしも私たちは、なぜそうなるのかの理由を、何か見つけられたなら、ね。 私たちが外的に、それをするとき、そうなりますか。 そうならなくてもいい。 そうならなくてもいいと、思われます。
9:08 K: そうならなくてもいい。

B: ええ。 さて、私たちが内的にそうするとき、 私たちは、何か自らがそうでないものであるよう、 自分自身に強いようとしていますね。
9:17 K: ええ。

B: それは戦いです。 それは明らかです。

K: それは事実です。
9:20 B: でも、外的にそれは、戦いでなくていいと、思われます。 なぜなら、物質は、自体が形作られるのを、許すだろうからです - そうね、あるものより、それがあるべきものへ、です。そうですね?
9:30 K: 私の頭脳、自らの頭脳は、あまりに葛藤が、慣習となっていて、 自らは、他のどの生き方をも拒絶する、ということですか。
9:49 B: まあ、それは、そうね、後で来たにちがいないですが・・・
9:52 K: それは理解します。 それは理解します。
9:54 B: しばらくの後、人々は、葛藤は 回避不可能で必然的だとの結論に、到ります。 自然に彼らは・・・

K: ええ。ですが、葛藤の起源に、
10:02 私たちは、入ろうとしています。そうです。 葛藤の起源は、何ですか。
10:11 B: 私たちは、自分自身に強いようとしていると、言うことにより、 それに触れたと、私は思います。 一方で、私たちは、一定のものであるとき、 それは、私たちがそうありたいものであり、 そのとき、私たちはまた、他の何かでもありたいのだと、 私は思います - それは異なっています。 ゆえに、私たちは同時に、二つの異なったものが、ほしい。 それは正しいと思われるでしょうか。

K: それは理解できますが、 私は、これら悲惨、混乱の起源を、見出そうとしています - 私のいう意味が分かりますか - 葛藤、格闘・・・ それの始まりは、何ですか。 そういうわけで、私は始まりに訊いたのです - 人類は、間違った方へ曲がったのか、と。 起源は、「私」と「非私」ですか。
11:31 B: それは、より近づきつつあるかもしれませんね。 それは、「私」と「非私」の間の分離に、より近づきつつあると、私は思います。
11:38 K: ええ、そうなんです。 そうなんです。 「私」は - なぜ人類は、この「私」を、創り出してきましたか。 それは必然的に、葛藤を引き起こすのに。 「私」とあなた、私はもっと良く、などなどなどと。
12:02 B: それは、はるか昔になされた間違いである、と私は思います。 または、あなたが、間違った方へ曲がる、と呼ばれるように、 それがまたもや、外的に、様々な物事の間に 分離を導入してきて、 私たちはそのとき、ましなことを弁えずに、
12:17 人々はやりつづけました。

K: つづけました。
12:19 B: 悪意からではなく、単純に、ましなことを弁えずに、です。
12:22 K: 全く、全く、全くです。
12:24 B: 自分たちが何をしているかが、見えないで、です。
12:27 K: それが、これらの起源ですか。

B: まあ、それは近いですね。
12:32 私には、それが起源であるかは、確かではありません。 あなたは何と感じますか。
12:41 K: 私は、それであると観察する方へ、傾いています - 起源は、それである。 自我、「私」である、と。
12:57 B: ええ。まあ、そう言えるんでしょうが・・・
12:59 K: 自我がないなら、何も問題はない。葛藤はない。時は、ない - なる、ならない、ある、ない、という意味での時が、です。
13:18 B: でも、それは、やはり私たちが、 何であれそこへ、滑り込むだろう、ということだったかもしれません - 私たちをして、自我を第一位にさせるものへ、です。
13:30 K: それは - ちょっと待って、ちょっと待ってください。 それは、エネルギーは広大で、無限であるが、 精神において濃縮されたり、狭められてきた、 そして、頭脳自体が、狭められてしまった、ということですか。 なぜなら、それは、このすべての甚大なエネルギーを、収容できなかったからですか。 私が言っていることに、付いてきていますか。 

B: ええ。
14:10 K: ゆえに、次第に、「私」へ狭められてしまった。
14:16 B: 私は、すっかりは、それには付いていきません。
14:18 それが起きたことであるのは、理解しますが、 私は、歩みのすべてが、よくは見えません。 エネルギーはとても広く、とても大きかった、と仰るなら - 頭脳はそれを扱えないと、あなたは仰るのか、 または、頭脳は、自らがそれを扱えないと、判断しましたか。

K: 頭脳は、それを扱えなかった。
14:38 B: ですが、それを扱えないなら、抜け出す道はないと、思われます。
14:41 K: いえ、いえ。ちょっと待って、待って、待ってください。ゆっくりと。 私はただ、それを探究したい、少し、押し込みたいのです。 なぜ頭脳は、思考すべてなどをもって、 この「私」の感覚を、創り出してきましたか。なぜですか。 外的には、家族- よろしいですか? - 外的には、そのようでなくてはいけなかった。
15:21 B: まあ、私たちは、機能するために、一定の同一性の感覚が、必要でした。
15:25 K: ええ、機能するために。 機能するように、商売を行い、機能するように。
15:32 B: 自分がどこに所属するかを知るように。 

K: ええ。それなどです。 それが、あれを持ち込んできた動きですか。 外の動きが - そこで私は 同一視しなくてはいけなかった。 家族、住宅など、ですが - 次第に「私」となりましたか。
15:54 B: まあ、話しておられるこのエネルギーもまた、 それに入ったと、思いますね。
15:59 K: ええ。私はゆっくり、それへ導いていきたいと思います。 私は内側に、アイディアを持っています。 私は少し後に、それをお話しましょう。
16:07 B: どうやら - 確かに、そうね、仰ることは正しいです。 すなわち、何らかの形でこれは、次第に強められたが、 それ自体では、自我が持つものすごい力は、 説明されないでしょう。 すると、それはただ、習慣だけでしょう。 自我が完全に支配的になることは、 それが最高のエネルギーの焦点になることを、必要としましたね - 最大のエネルギー、すべてのエネルギーの焦点に、です。
16:34 K: そうですか - 頭脳は、この広大なエネルギーを保てなかった。
16:44 B: まあ、頭脳は、これを制御しよう、保とう、 それを秩序に持って行こうとしている、と言いましょう。
16:51 K: エネルギーは、何の秩序も持ちません。
16:53 B: ええ。でも、頭脳は、何か内側で進んでいることを 自らが制御できないと、感じるなら、それは、 秩序を確立しようとするでしょうね。

K: それが、私が目指していることです。 つまり、私たちは、こう言えるでしょうか - 頭脳は、 あなたの頭脳、彼の頭脳、彼女の頭脳は、 ちょうど生まれただけではない。 それは、きわめて古いのだ、と。
17:19 B: まあ、私は、ともあれ、それがどういう意味かを、見なくてはいけないでしょうね。 どんな意味で、それは古いのですか。
17:24 K: それは進化してきた、という意味で、です。 

B: 進化してきた。ええ。
17:27 まあ、動物から。

K: 動物などからです。
17:29 B: 動物は、進化してきました。 で、この進化全体が、 どうやら頭脳に収容されている、という意味で、と言いましょう。
17:44 K: 私は、進化を問いたいのです。

B: いいですよ。

K: 私は、例えば、牛車からジェット機へは、理解します。 私は、その進化は理解します。
17:57 B: ええ。でも、問う前に、私たちは、 一連の歩みの発展の証拠が、あることを考慮しなくてはいけません - すなわち、一連の段階をとおして、人が発達するのが、見られることを、です。 それは疑えないでしょうね。

K: ええ。もちろんです。もちろんです。
18:09 B: つまり、物理的には、進化が 何らかの形で起きてきたことは、明らかです。
18:13 K: 物理的には、ええ。

B: 頭脳は、より大きくなった。
18:16 K: 全くです。

B: より複雑になった。 精神的に進化が、何か意味があるのかどうかを、問うてもいいですね。 それは理解できるでしょう。
18:33 K: そうね、私は、時を破棄したいのです。
18:36 B: いいです。 まあ、進んでください。
18:39 K: 心理的に、です。理解されますか。

B: ええ、理解します。
18:43 K: 私にとって、それが敵です。
18:47 B: いいですよ。ええ。私はそれを、よくよく理解します。
18:50 K: それを理解されますか。

B: ええ。
18:52 K: まあ、それは、なかなかのことです! あれが、その原因ですか。
19:04 B: 私たちのいう「原因」が、どういう意味かを、私は知りませんが、 それは重要な点です。

K: いえ、人の悲惨の起源ですか。
19:11 B: まあ、この時の誤用は、確かに・・・ 人は、一定の目的のために、時を使用しなくてはいけなかったが、
19:19 人は、それを誤用しました。

K: それは理解されています。
19:21 それは理解できます。

B: それが、ですか。
19:22 K: 私は、もしも言語を学ばなくてはいけなかったなら、 時を持たなければなりませんよ。
19:26 B: しかし、時を内的に拡張することによる、その誤用、です。
19:30 K: 内的に、です。それが、私が話をしていることです。
19:32 B: ええ。本質へ、です。
19:34 K: それが、これの - 人の混乱の - 原因ですか。 なることの手段として、時を導入すること、そして、 ますます完璧になり、ますます進化し、 ますます愛することが、ですか。 私がいう意味に、付いてきていますか。

B: まあ、ええ、理解します。
19:54 確かに、もしも私たちが、そうしなかったなら、 構造全体が崩壊するだろう、と思います。

K: 崩壊する。そうなんです。
20:01 B: でも、まだ、何か他の原因が、ないのかどうか、私は知りません。
20:04 K: ちょっと待って。私は少し、それに入りたいのです。 もし私は - いえ、個人的に私は、理論的に話していません。 私にとって心理的に、明日の観念は、存在していません。
20:21 B: そうですね。
20:25 K: すなわち、時は、内的に、あるいは、外的に、動きです。 ですね?

B: 心理的な時、ということですか。
20:37 K: ええ。心理的な時、そして、外的に時、です。
20:40 B: ええ。これら二つの間の、一定の関係、です。
20:43 K: もちろんです。
20:45 さて、心理的な時が存在しないなら、 何も葛藤はない。 「私」はない。 葛藤の起源である「私」は、ない。 理解されますか。私が取りかかろうとしているのは、こうです - 私たちは、外的に動きました。進化しました- このマイクロフォンなどです。
21:21 B: また、内的な物理的な構造で、です。
21:23 K: 構造、あらゆる物事、です。 が、心理的にもまた、私たちは外的に動いてきました。
21:31 B: ええ。私たちは、自らの生の焦点を、外的なものへ、合わせてきました。 それが、あなたが仰っていることですか。 

K: ええ。
21:36 B: 私たちは、自らの注意を外的なものへ、向けてきました。
21:38 K: いえ。私は、自らの能力を外的に、拡大してきました。
21:43 B: ああ、ええ。私たちは、外的に発達してきました。
21:47 K: 内的に、それは外的に同じ動きです。
21:52 B: ええ。私たちは、何であれ外的にすることを、内的にします。
21:55 K: ええ。私は、これが伝わっているのかどうかを、知りません。
21:58 B: 時と機構をとおして 一定の形で、外的に発達するために、 私たちは、その内的な構造を 採用しなくてはいけなかったことは、理解できます。
22:09 K: ええ。 さて、内的な動きが、 時として、動くこと、ますますなることが、ないなら、 そのとき、何が起きますか。 私が何を伝えようとしているかを、理解されますか。
22:24 B: ええ。まあ、そのとき、私たちが、この時の動き全体が、止まると、言うなら - それが何を意味するにしても、です - 「止まる」という言葉は、間違っています。 それは時であるからです。
22:34 K: 時は、終わります - または、それが何でも、です。
22:36 B: 時の動きなしには、エネルギーは・・・
22:39 K: そうね、外の動きは、内的な動きと同じです。
22:44 B: ええ。何であれ外的にすることを、 内的にするにちがいありません。 それは正確だと、思われます。

K: それは、同じ動きです。
22:51 B: ええ。それは、ぐるぐる巡っています。
22:53 K: ええ、ええ、時が関与しています。 

B: ええ。
22:57 K: その動きが止まるなら、何が起きますか。 何かが伝えられているのかどうかと、思われます。 私たちはみんな、戯言を話していますか。 私は、自分が戯言を話しているとは、思いません。 このように、表せるのでしょうか - 私たちは、外の動きより他のどの動きにも、 触れたことがありません。
23:50 B: ええ。まあ、ともあれ、一般的には、です。 私たちは、自らのエネルギーのほとんどを、外的な動きへ注ぎます。
23:56 K: 外的に。そして、心理的にもまた、外的です。
24:00 B: まあ、それは、あの外的な動きの反映です。
24:02 K: 私たちは、それは内的であると、考えますが、 それは、実際には外的です。ですね?
24:08 B: ええ。

K: さて、その動きが終わるなら
24:12 - それは、終わらなければなりませんが- そのとき、本当に内的な動きが、ありますか。 時ということに立っていない動きが、です。
24:30 B: こう仰りたいわけです - 別種類の動きが、あるのでしょうか。
24:33 K: ええ、動きが、です。
24:52 B: それは、やはり動きますが、時ということに立ってではない。
24:55 K: 時。そのとおりです。

B: さて、私たちはそれへ
24:57 入らなくてはいけません。あなたは、さらに行けるのでしょうか。
25:00 K: それは、なおさら・・・ その「動き」という言葉は、時を、意味しています。
25:09 B: まあ、それは本当は、一つの所からよそへ所を変える、という意味ですね。 でも、ともあれ、やはりあなたは、何か静止的でない概念を、持っています。 あなたは、時を拒否することにより、何か静止的なものへ、戻りたくはない - それも、やはり時です。
25:27 K: そうね、自らの頭脳は、幾世紀もの間、訓練され、慣習としています。 例えば、北へ行くことに、です。 それは突然、北へ行くことは、永続的な葛藤であると、悟ります。 それは悟ると、東へ動きます。 その動きの中で、頭脳自体が変化しつつあります。 ですね? 

B: まあ、何かが変化します。ええ。
26:05 K: 頭脳の性質が、変化します。

B: いいですよ。そうかもしれない。 私は、それが何らかの形で、違った動きへ、 目覚めるだろうと、分かります。ですね?

K: ええ、違っている。 違った・・・またもや、動きです。 そうね、それは・・・
26:21 B: 「流れ」という言葉のほうが、ましですか。
26:29 K: 私が、北へ進んでいないなら - そして、私は、生涯ずっと北へ進んできたし、 突然、北へ行くことの停止が、あります。 だが、それは、東や南や西へ行っていません。 そのとき、葛藤は終止します。ですね? なぜなら、それは、どの方向にも動いていないからです。
27:12 B: いいです。で、それが要点です- 動きの方向、です。 動きは、方向が固定しているとき、 それは内的に、葛藤になるでしょう。

K: 葛藤。そのとおりです。
27:21 B: 外的に、私たちは、固定した方向が、必要です。
27:23 K: もちろんです。もちろんです。 それは理解されます。
27:25 B: ええ。で、もし私たちが、それは固定した方向を持たない、と言うなら、 それは、何をしていますか。 それは、すべての方向に動いていますか。
27:43 K: 私は、これについて話すことを、少しためらっています。 こう言えるのでしょうか - 本当にその状態に来るとき、 それは、すべてのエネルギーの本源である、と。
28:04 B: ええ。より深くとか、内的に、行くにつれて、です。
28:08 K: これが、本当の内面性です。 外的な動きが、内の動きになるのではなく、 外と内の動きが、ないときです。
28:21 B: ええ。私たちは、外的なものと内とのどちらをも、拒否できます。 そのため、あの瞬間に、それは止まるように、思われるでしょう。
28:28 K: それは、すべてのエネルギーの本源でしょうか。
28:37 B: ええ。まあ、おそらくそう言えるんでしょうね。
28:45 K: 私自身について、少し話してもいいですか。
28:48 B: ええ、もちろん。
28:50 K: どうぞ、それは滑稽に聞こえます。

B: いいえ、実際にはそうではない。 つまり、これまでは意味をなすように、思われます。
29:03 K: まず第一に、意識的な冥想は、けっして冥想ではない。ですね?
29:11 B: 意識的な冥想といわれるのは、どういう意味ですか。
29:13 K: それは、意図的な冥想です。 実践、そして、意図的です - それは本当に、予め熟慮された冥想です。ですね? 予め熟慮されていない冥想が、ありますか。 それは、自我が何かになろうとするとか、 自我が否定的にか肯定的に否定しようとしないとか、ではない。
29:55 B: ええ。今、私たちは先へ進む前に、冥想とは、何であれ、 何であるべきかを、要約できるでしょうか。 それは、観察している精神の観察ですか。
30:03 K: いえ、いえ、いえ。それは、それらを越えてしまいました。
30:07 B: ええ。いいですよ。それで・・・

K: すみません!
30:09 B: いいですよ。ですが、あなたは、「冥想」という言葉を、使われました。
30:12 K: 私は、こういう意味で、冥想(という言葉)を使っています - そこに、尽力の粒子もない、 なろう、意識的に或る水準に到ろうなどとする どの感覚の粒子もない、と。
30:32 B: 精神は単純に、そのとき、それ自体でもって、静寂です。
30:36 K: それが、私が取りかかりたいことです。

B: それは、何をも探していません。
30:48 K: 気にしないでください。 私は気にしません。 私たち二人が、話しています。 私は、阿呆なのかもしれない・・・ そうね、私は、その言葉の通常の意味では、冥想をしません。 私について起きることは、こうです - どうぞ、私は、個人的に話していません。 私について起きることは、こうです- 私は、冥想しつつ、目覚めます。
31:13 B: いいですよ。その状態で。
31:24 K: リシ・ヴァレーで、或る朝、或る夜、 私は目覚めました - 一連の出来事が、起きてきました。 幾日かの間、冥想が、です。 私は或る夜、夜中に目覚めました。 本当は、12時 15分でした。 私は、時計を見ました。 私は、これを言うのを、ためらっています。 なぜなら、それは、突拍子もなく、かなり子どもっぽく聞こえるからです - すなわち、エネルギーすべての本源に、到っていました。 それは、頭脳へ、とてつもない効果が、ありました。 また物理的にも、です。 ふーっ。私自身について、話して、すみませんが、 私が言おうとすることを、理解されますね。
32:35 B: いいですよ。 

K: ちょっと待って、ちょっと待ってください。
32:38 私は気にしません。 今、私はそれに入っています。 そして、文字どおり、どんな感覚も・・・ 私は、それをどう表すべきかを、知りません。 世界と私とあれの、どの感覚も- よろしいですか - まったく、分割がなかった。 ただ、ものすごいエネルギーの本源の、この感覚だけでした。 それが伝わっているのかどうか、私は知りません。 

B: ええ。

B: で、頭脳は、このエネルギーの本源と、接触していました。 

K: ええ。
33:40 さて、実地に戻ってくると、 私は六十年間、話をしてきたわけですが、私は・・・ 助けたいのではなく・・・私は、他の人に これへ到ってほしいと思います- それへ到る、のではない。 私が言っていることを、理解されますか。 なぜなら、私たちの問題すべてが、解消されると、思うからです - 政治的、宗教的、あらゆる問題が、解消されます。 なぜなら、それは、時のまさに始まりより、純粋なエネルギーであるからです。 伝わっているのかどうか、私は・・・

B: ええ、まあ。
34:41 K: さて、私はどうすれば - 私が、ではない。理解されますか。 どのようにして・・・ 教えるのではなく、助けるのではなく、推し進める、圧迫するのではない。 どのように、言うべきですか - 「この道は、完全な平和、愛とそれらの感覚へ、つながる」と。 これらすべての言葉を使って、すみません。 で、あなたは、それを持っておられます。 仮に、あなたがその点に来た、とします。 あなたの頭脳自体が、それで震えていますが、 あなたはどのように、私を助けるのでしょうか。 理解されますか。私を助ける- 言葉ではない。 あなたは、私があれへ来るよう、どのように助けるのでしょうか。 私が言おうとしていることを、理解されますか。 

B: ええ。
36:08 K: 私の頭脳は - 頭脳です。私のではない。 頭脳は、進化してきました。
36:17 進化は、時を含意しています。それは、時の中で考えられ、生きられるだけです。 さて、それが時を拒否することは、 何も問題も持たない、ものすごい活動です。伝わっているのかどうか・・・ 生ずる、どの問題、どの疑問も、即時に解決されます。 それは、問題の持続を持ちません。
37:01 B: まあ、これは維持されますか。 この状況は、維持されますか。 または、それは、あの期間の間ですか。
37:12 K: それは維持されます。明白です。 さもなければ、そこに意味はありません。 それは、散発的、断続的とそれらではない。 さて、あなたはどのように、扉を開き、閉じるべきですか - 何であれ、です。 あなたは、どのように、私に示し、助けることに、なりますか - 「さあ、私たちは、間違った方向へ進んできているよ。 ただ、別の・・・動きでないもののみが、ある。 それが起きるなら- よろしいですか? - あらゆる物事が、正確になるだろう」と言うように、です。 これらは、バカげて聞こえます。
38:07 B: まあ、ええ。あらゆる物事が正確になるだろうかどうかを、 私は知りえないと、思います。 あらゆる物事が、正確になるだろうことを、前もって知ることは、難しいが、 その動きは、とにかく、価値を持つでしょう。 確かにそれは、大きな違いを、起こすはずです。
38:22 K: では、私たちが始めたことへ、戻りましょう。 すなわち、人類は、間違った方へ曲がったのでしょうか - 物理的に、ではなく、心理的に、です。
38:35 B: ええ。私たちは、それに入りました。様々な面で、 その曲がったのが、見られました。 私たちは、それを見通してきました。
38:52 K: それは、完全に反転させられますか。 または、止められますか。 例えば、私の頭脳は、この進化的な観念が、慣習となっています - 私は、何かになるだろう、私は、何かを獲得するだろう、 私は、もっと知識を持たなければならない、などなど、というのが、です。 その頭脳は突然に、時といったものがないことを、悟られますか。 私が何を言おうとしているかを、理解されますか。
39:37 B: ええ。
40:03 K: 私は先日、テレビでダーウィンを聞いていました - 彼の航海と、彼が達成したこと、などなど、 彼の進化(論)全体、です。

B: ああ、ダーウィンね、ええ。
40:27 K: 私にとっては、それは心理的に間違ったものだと、思われました。 全的に非真実だ、と。
40:40 B: またもや、彼は、これらの種が、時の中で変化したとの 証拠を示したと、思われます。 では、なぜそれが、非真実ですか。

K: もちろん、それは明白でした。
40:48 B: ええ、それは、あの面では真実でした。 

K: ええ。

B: 精神が時の中で進化したと言うことは、非真実だろうと、思いますね。
40:55 K: ええ、もちろんです。
40:57 B: しかし、物理的には、進化の過程があったことは、 明らかだと、思われます。
41:04 K: ええ、曲線が上がっていく。
41:07 B: これは、一定のことをする頭脳の能力を、 増大させてきました。 例えば、もしも頭脳が、大きく成長していなかったなら、 私たちは、これについて、議論していられないでしょう。
41:15 K: もちろんです。 それらは理解できます。
41:17 B: ですが、あなたは、精神は頭脳より発生していないと、 仄めかしておられると、私は思いますね。 それが、あなたが仰る・・・ 頭脳はおそらく、そのための、精神の道具ですか。
41:28 K: 精神の、ね。 精神は時ではない。

B: 精神は時ではない。
41:34 K: それが何を意味するかを、ただ見てください。私たちは、近づきつつあります。
41:37 B: それは、頭脳とともに進化しませんね。
41:39 K: ええ。変に聞こえるでしょうね。
41:44 B: ええ。それに慣れていない人物たちには変に聞こえるでしょう。 でも、過去に人々は、全くたやすく、この観念を受け入れていたものです。
41:52 K: 分かります。 精神は、時のではなくて、頭脳は、時のである - それが、葛藤の起源ですか。

B: それが、重要な点なのかもしれません。
42:09 K: それが何を意味するかを、理解されますか。

B: ええ、進んでください。

K: ヒンドゥー教徒は、アートマン(我)、最高原理が、人の中にある、と言います - それは、精神です。 私はそれを、間違って翻訳し、間違って解釈しているかもしれません。 頭脳は、時のです。 私がそう表しています。 彼らはそれを、そのように表さないかもしれません。 で、それが、葛藤の起源ですか。
42:45 B: まあ、私たちは、なぜそれが葛藤を生み出すかを、見なくてはいけませんね。 頭脳は時のである、と言うことさえも、明らかではありませんが、 むしろ、それは、時がその中にあるように、発達してきたのです。
43:01 K: ええ。それが、私が言っていた意味です。
43:03 B: でも、必ずしもそうではない。

K: それは進化してきました。
43:07 B: それは進化してきたので、それは、内に時を折り込んでいます。
43:10 K: ええ。それは進化してきたので、時がその一部です。
43:14 B: それは、それのまさに構造の一部になったのです。
43:17 K: ええ。

B: それは必然的でした。 けれども、今、精神は、時なしで作動しますが、 頭脳は、ゆえに、そうすることが、できません。
43:28 K: いえ。そうね、それは、神が人の中にあるが、 頭脳が静かであるとき、頭脳が時に捕らわれていないときのみ、 神は作動できる、ということを、意味していますね。
43:43 B: まあ、私はそういう意味で、言っていませんでした。 私は、頭脳は、時の構造を持っていて、 精神に適切に応答できないことを、言っていました。 それが本当に、そこに関与していると思われることです。
44:01 K: 頭脳自体は、自らが時に捕らわれていることを、見られますか - そして、それはその方向へ、動いているかぎり、 葛藤は永遠で、終わらない、と。 言っていることに、付いてきておられますか。 

B: ええ。 さて、私たちは言わなくてはいけませんが、頭脳は、そのとき見ますか。
44:23 K: ええ。頭脳は、見る能力を持っていますか - 時に捕らわれて、自らが今、何をしているのか、 その過程には、葛藤に終わりがないことを、です。
44:37 B: ええ。 あなたは、頭脳は全的には、 時に捕らわれていないと、仰らないのでしょうか。 それは、もう一つへ目覚められる、見られる、と?
44:45 K: それは、こういう意味です - 時のでない頭脳の一部が、ありますか。
44:50 B: ええ、時に捕らわれていない。 何らかの機能か、何らかの・・・
44:54 K: ええ、それを言えますか。

B: 私は知りません。
44:58 K: それは、こういう意味です - 私たちは違った言葉で、同じことに戻ってきます。 すなわち、頭脳は、時により完全には条件づけられていないので、 頭脳の一部があって・・・

B: まあ、一部ではない。 むしろ、頭脳は、時により支配されて、機能しますが、 それは必ずしも、それが移れないだろう、という意味ではない。 一般的な傾向は、時が頭脳を支配することです。
45:23 K: ええ。すなわち、 頭脳は、時により支配されているが、それに屈従しないでいられますか。
45:31 B: そのとおりです。あの瞬間に、それは、時の中から出てきます。 それが支配されるのは- 私は今、これが見えると思います - それに、時を与えるときのみ、それは支配されます。 そうね、時が掛かる思考は、支配されますが、 何でも速いものは、支配されません。

K: そのとおり。ええ、そのとおりです。 時に慣れてきた頭脳、 それは、その過程において、葛藤に終わりがないことが、見えますか。 頭脳は、これが見えますか。 見えますか - それを悟られるか、という意味で、です。 それは、圧迫のもとで、悟るのでしょうか。確かにそうではない。 頭脳は、強制と、賞罰のもとで、それを悟るのでしょうか。 その種の何のもとでも、悟らないでしょう。 それは抵抗するか、あるいは逃避するか、その他すべてでしょう。ですね?
46:43 で、頭脳をして、見させる要因は、何でしょうか - 自らが進んできた道は、正確でないことを、です。 当面の間、その言葉を使いましょう。 何が、頭脳をして突然に、 それが全的に有害であることを、悟らせるのでしょうか。 言っていることに、付いてきておられますか。 

B: ええ。
47:09 K: 何がそれに、悟らせるのでしょうか。 薬物ですか。
47:24 B: まあ、それが働かないだろうことは、明らかですね。
47:27 K: 薬物は、確かに働かない。 或る種の化学物質ですか。
47:43 B: まあ、いいえ。それのどれ一つ、働かない。これらは、すべて外的です。
47:46 K: ええ。それだけです。 私は、これらがすべて、 外的な圧迫であることが、明らかであってほしいと、思います。 すると、何が、頭脳をして、これを悟らせるのでしょうか。
47:56 B: さて、あなたがいわれる「悟る」とは、どういう意味ですか。
47:58 K: 自らが進んできた道が、 いつも葛藤の道であるだろう、という意味で、悟るのです。
48:11 B: ええ。まあ、これにより、頭脳がそういう悟りに 抵抗しているとの問いが、出てくると、私は考えます。
48:18 K: もちろんです。もちろんです。なぜなら頭脳は、それに慣れているからです - 幾世紀もの間、慣れています。 あなたはどのように、頭脳をして、この事実を、悟らせるのでしょうか。 理解されますか。 もしもあなたは、それをできたなら、それは、終了しています。
49:34 そうですね、彼らは試してきました - あなたは、多くの人々へ話をしてきたにちがいありませんが、 彼らは、断食、セックスなし、 きびしさ、貧困を、試してきました - 本当の意味での純潔、清浄さ、 絶対的に正確な精神を持つことを、です。 彼らは、自分一人で去ってしまうことを、試してきました。 彼らは実質的に、人が創案してきた物事すべてを、試してきましたが、 そのどれ一つとして、成功しませんでした。

B: まあ、あなたは何と仰りますか。 これらが、すべて外的な目標であることは、明らかです - それらは、やはりなっていくことです。
50:27 K: そうなんですが、彼らはけっして、それが外的であることを、悟りません。
50:29 B: それは、なることです。 それらのどれもがみな、なる過程- 精神の一部 - を 破ろうとする試みですね。

K: ええ、そのとおりです。 で、それは、完全にそれらを拒否する、という意味です。
50:59 B: そうね、思うのですが、さらに行くには、 時の概念こそを、拒否しなくてはいけませんね。 未来を前向きに見る、そして、過去を顧みる、という意味で、です。
51:10 K: まさにそうです。 まさにそうです。
51:17 B: それが時の全体ですし、いつもです。
51:20 K: 時が敵です。それを迎えて、それを乗り越えなさい。
51:24 B: それが、独立した存在であることを、拒否すること。 そうね、私たちは、時は自分たちより独立的に存在しているし、 自分たちは時の流れの中にいるとの印象を、持っていると、私は思いますね - ゆえに、私たちがそれを拒否することは、初め、不条理に思われるでしょう。 なぜなら、そうね、それは、私たちなるものであるからです。
51:43 K: ええ、全くです。全くです。 で、それは本当に、動き去っていく、という意味です - またもや言葉ですが - 時のないことの手段として、人が組み立ててきた物事すべてより、です。
52:06 B: ええ。まあ、人が外的に使う物事、 方法のどれ一つとして、 内的にそれをきれいにできないだろうと、言うことです・・・
52:15 K: ええ、絶対的に、できません。 絶対的に、できません。
52:18 B: なぜなら、あらゆる方法は、時を含意しているからです。
52:20 K: もちろんです。もちろんです。 それは、単純で、明らかです。
52:22 B: で、あなたは、時の構造全体を設けることにより、 即時に始めます - 時の全概念が、あなたが始める前に、前提条件にされています。
52:29 K: ええ、全くです。 あなたはこれを、どのように、私に伝えるのでしょうか。 あなたやXは、どのように、 時に捕らわれていて、それに抵抗し、それと戦うだろう人に対して - 彼は、「他の道はない」などと言います。 あなたは彼に、どのようにこれを伝えるのでしょうか。
52:55 B: 私が思うに、あなたはただ - つまり、たとえ時は論点ではないとしても - 誰かが、これを見つめて、そうね、 それに入ってきたのでなければ、 街で拾ってくる誰かに対しては、 それは、まったく伝わりそうにない。
53:13 K: では、私たちは、何をしていますか。 それは、言葉をとおして伝えられないのですが、 そのとき、人は何をすべきですか。
53:38 B: 言葉と、言葉を越えてあるものの どちらも、そうね、 疎通の、あの伝達の一部であると、思います。
53:49 K: あなたは、こう仰るのでしょうか - 問題が生ずると、即時にそれを解消する、と。 それへ入らなくてはなりません。 なぜなら、あなたは、それを即時に解消できますが、 最も愚かなことを、するかもしれないからです。
54:17 B: まあ、自分はそれを解消していると、考えるかもしれません。
54:20 K: ええ、ええ。私は、それを言っています。あなたは、最も愚かなことをして、 自分はそれを解消したと、考えるかもしれません。
54:26 B: なぜなら、即時との感覚は、 時より、思考より、得られるからです。 なぜなら、思考が、今の感覚を与えるからです。
54:33 K: ええ。時を許さない。 仮に、私は、問題を持っている、とします - どの問題でも、構いません。 心理的な問題です。 精神はそれを、即時に悟って解消できますか。 私自身を欺瞞しない。それに抵抗しない- 理解されますか - それらです。 それに向き合って、それを終わらせる。
55:20 B: ええ。心理的な問題にとっては、 そうでなくてはならない。 それが、唯一つの道です。
55:23 K: 私は、心理的な問題について、話しています。
55:25 B: なぜなら、さもないと、私たちは、問題のまさに本源に 捕らわれるだろうことが、明らかであるからです。
55:29 K: もちろんです。もちろんです。 その活動は、時を終わらせるのでしょうか - 私たちは、心理的な時について、話しています。
55:44 B: もしも私たちが、この即時、無媒介の行為を、 問題と呼ばれるもの - すなわち自己 - に、係わらせられたなら、です。 

K: ええ。
55:56 自らは貪欲です。 または、妬んでいます。 それを即時に終わらせる - 貪欲、執着などを、です。 1ダースの物事が、あります。 私が伝えようとしていることは、こうです - それは、時が終わることへ、手がかりを与えてくれないでしょうか。
56:34 B: ええ。なぜなら、即時、無媒介でない、どの行為も、 すでに、時を持ち込んだからです。
56:40 K: ええ、ええ。 私は、それらを知っています。
56:43 B: 時が終わることは、即時です。ですね?
56:46 K: もちろん、即時です。 それは、人類が間違った方へ 曲がったことを、指し示すのでしょうか。
57:29 B: ええ、心理的に媒介する時と思考を 持ち込むように、です。
57:34 K: ええ、もちろんです。私たちは、心理的に通しています。それで通してください。
57:40 B: もし人は、何かが心理的に秩序を失っていると、感じるなら、 人は、時の概念と、なる思考を、持ち込みます。 それは、果てしない問題を、創り出します。
57:53 K: それで、扉は開くでしょうか- これは、言い回しです - それで、この感覚へ、扉は開くでしょうか - 時は、内的にどんな所をも、持たない、と。 そうね、それは、こういう意味ではないでしょうか - 思考は、外的に以外に、どんな所をも持たない、と。

B: あなたが、思考は、時に関与している過程であると、
58:43 仰ろうとしているなら、です。

K: もちろん、そうです。
58:46 B: ええ。あらゆる人がその観念を使ってきた、 それをそのように使ってきた、という意味ではなくて・・・
58:51 K: 思考は、時の過程である、と仰らないのでしょうか。 なぜなら、時は、 経験、知識、記憶と応答に、基づいているからです - それは、時の全体です。

B: ええ。でもやはり、
59:07 私たちは、しばしば一種の思考について、議論してきました - それは、智恵への応答であるのでしょうが、 私たちが一般的に知ってきた思考は - こう表しましょう。 私たちが一般的に知ってきた思考は、時の中にある、と。
59:20 K: 私たちが今、知っている思考は、時のです。
59:24 B: ええ。まあ、おそらく人々は、時々 それを、少し違うように、知ってきたかもしれませんが、 私は、一般的に言って、と言うでしょう。
59:31 K: 一般的に言って、今のところ、思考は時です。
59:35 B: それは、時の概念に、基づいています。時が初めです。
59:38 K: ええ。いいですよ。 その概念に基づいている・・・ いや、私にとっては、それ自体が時です。

B: いいですよ。 思考自体が、時を創り出す。そうです。
59:49 K: それは、時がないとき、思考がない、という意味ですか。
59:56 B: まあ、その種類の思考はない。
59:59 K: ええ、思考はない・・・ 私は、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり行きたいです。
1:00:06 B: なぜなら、さもないと、私たちは、 他の幾つかの物事を、否認するかもしれません。
1:00:10 K: もちろんです。もちろんです。 私は、それらを知っています。
1:00:21 B: 私たちは、こう言えるのでしょうか - 時により支配されている一種の思考が、ある、と。 そうね、私たちがそこに生きてきたものが、ですね。

K: ええ。それは終わりになりました。
1:00:32 B: ええ。時により支配されていない 他の種類の思考が、あるかもしれませんが、 それは、ですね・・・なぜなら、それでも、 いろいろとするために、思考を使用できる、と仰っていたからです。
1:00:43 K: もちろんです。それは・・・

B: ええ、そのとおりです。 で、私たちは、思考は必ず、時により支配されていると 言わないように、気をつけなくてはいけませんね。
1:00:51 K: ええ。 私は、ここからそこへ、自宅へ行かなくてはいけません。 それには、時、考えること、その他すべてが、必要です。 私は、その種類の時について、話していません。
1:01:01 B: ええ。いいです。すると、あなたが、精神を目指している思考について、 お考えになっていることを、明らかにしましょう - その内容は、精神の秩序ですね。
1:01:10 K: ええ、ええ。
1:01:11 B: 私たちは、その思考は明らかに時であることを、言うでしょう。
1:01:15 K: ええ。思考は・・・ あなたは、こう仰るのでしょうか。こう表させてください - 知識は時である、と。
1:01:28 B: ええ。まあ、知識は・・・
1:01:33 K: 知識すべては、時です。
1:01:36 B: まあ、それが知られてきたし、 未来へ投影するかもしれないなどのかぎりにおいては、ね。
1:01:41 K: もちろんです。未来、過去です。 知識は、時です。 時をとおして、それは知識を取得してきました。 科学、数学、何であっても、です。哲学 - 私は哲学を読む。 私は、あれやこれを読む。 で、知識の動き全体が、時に関与しています。 

B: ええ。

K: ですね? それに何が・・・見てください。ふーむ。
1:02:24 B: そうね、私が思うに、またもや私たちは・・・
1:02:27 K: 理解します。知識、椅子をどう作るのか・・・
1:02:31 B: まあ、それだけではない。 私たちは、人は間違った方へ曲がったし、 この種の知識に捕らわれた、と言うと、私は思います - それは、時により支配されている。 なぜなら、それは、心理的な知識であるからです。
1:02:45 K: ええ。で、彼は、時の中に生きます。

B: 彼は、時の中に生きます。 なぜなら、彼は、精神の本性について、知識を生産しようと、試みてきたからです。
1:02:52 K: ええ、ええ。
1:02:53 B: 今、あなたは、精神は精神について、真の知識を持っていない、と仰っています。 そのように表されるのでしょうか。

K: それは何ですか。
1:02:59 B: 精神についての知識は、何もない - あなたは、そのように表されるのでしょうか。
1:03:06 K: 「知識」という言葉を使った瞬間、それは、時を含意しています。
1:03:10 B: ええ。それからあなたは、精神は時のでないと、仰っています。
1:03:18 K: ええ。時を終わらせるとき - 私たちが話している意味において、ですが - 経験としての知識は、何もない。
1:03:32 B: 私たちは、「経験」という言葉が何を意味するかを、見なくてはいけません。
1:03:35 K: 経験、記憶・・・経験。
1:03:39 B: 人々は、言いますね - 「私は経験により学ぶ。 私は何かを経てゆく。 私は経験する・・・」と。
1:03:45 K: それは、なることです。

B: まあ、それを明らかにしましょう。 そうね、一種の得られる経験は、あります。 例えば、職のように。 それは、技能と知覚になります。
1:03:56 K: もちろんです。 それは、全く違っています。
1:03:58 B: ええ。それから私たちは、精神について 経験を持つことには、何の意味もないことを、言うでしょう - 心理的な経験について、です。

K: ええ。そのように表しましょう。 すなわち、心理的な経験は、時の中にある。
1:04:14 B: ええ。それは何の意味もない。 なぜなら、「私は自分の職の技能に巧みになるように、 私は、自分の精神を操作する技能に巧みになる」とは、言えないからです。
1:04:24 K: そのとおり。 そのとおり、全くです。
1:04:26 B: 一定のさまで考える技能には、巧みになるが、 根源的には、技能に巧みにならない、と。
1:04:31 K: ええ。それで、 これがどこへ、つながっていくかを、理解されますか。 仮に、私は、知識は時であると、悟る。 頭脳はそれを悟る、とします - そして、一定方向での時の重要性と、 別の方向での、時のまったくの非重要性や無価値が、見える。 それは矛盾ではない。 ですね?
1:05:14 B: ええ、まあ、いいですよ。 私たちは・・・ 私は、こう表しましょう - 時の価値は、一定の方向や区域に、制限されている。 それを越えて、それは何の価値もない、と。 

K: ええ。 で、知識なしでは、精神や頭脳は、何ですか。 理解されますか・・・
1:05:39 B: 知識、心理的な知識なしに、ですか。
1:05:41 K: ええ。私は、心理的に話しています。
1:05:43 B: ええ。それはさほど、それが時である、ということではなく、
1:05:46 それ自体を組織する心理的な知識なしに、です。
1:05:49 K: ええ。
1:05:50 B: で、私たちは、こう言っています - 頭脳は、心理的に自体について すべてを知ることにより、自体を組織しなければならない、と感じる、と。
1:05:58 K: そのとき、精神、頭脳は、無秩序ですか。 確かに、そうではない。
1:06:05 B: ええ。ですが、人々は、これに向き合って、無秩序があるだろうと 感じかねないと、私は思います。

K: もちろんです。
1:06:12 B: あなたが仰っていることは、こうだな、と私は思います - 心理的に自分自身を制御するとの概念は、 何の意味もない、と。
1:06:19 K: ええ。で、「私」の知識は、時です。
1:06:26 B: ええ、まあ、その知識は・・・
1:06:28 K: 心理的な知識です。

B: ええ。それは理解できます - 「私」についてのその知識、知識の総体全体は、 「私」であり、時である、と。

K: ええ。 すると、これなしの存在は、何ですか。
1:06:47 B: ええ。
1:06:49 K: 理解されますか・・・

B: ええ。 いいですよ。で、・・・
1:07:03 K: 時はない。知識はない - どうぞ、心理的な意味で、です。 「私」の感覚は、ない。 そのとき、何がありますか。 その点に来るには、 ほとんどの人々は、「これは何という恐怖か」と言うでしょう。
1:07:36 B: ええ。まあ、何もないだろう、と思われますね。
1:07:38 K: 何もない。 

B: それは、なかなかつまらないでしょう!
1:07:42 K: あなたは、私たちを空っぽの壁へ、導いてきた、と。
1:07:45 B: それは、かなり怖ろしいか、つまらないか、ですね。
1:07:49 K: ですが、その点に来たのなら、何がありますか。 またもやそれは、かなり古くさく標語っぽく聞こえますが、そうではない。 何もないから、それは、あらゆる物事である、と仰るのでしょうか。
1:08:26 B: ええ。私は、それを受け入れるでしょう。ええ、私は、それを知っています。 それは、真実です。 それは、すべてを持っていて・・・
1:08:34 K: いえ、それは何物でもない。

B: それは、どんな物でもないですね。
1:08:37 K: どんな物でもない。 そのとおりです。
1:08:39 B: 物は制限されていて、 これは物ではないかぎりにおいては、ね- なぜなら、何も制限がないからです。 少なくとも、それは、何らかの意味で、潜在的に、 あらゆる物事を持っている、ということです。
1:08:53 K: 待ってください。 それが何物でもなくて、 だから、あらゆる物事であるなら、すると、あらゆる物事は、エネルギーです。
1:09:02 B: ええ。 あらゆる物事の基盤は、エネルギーですね。
1:09:09 K: もちろんです。 あらゆる物事は、エネルギーです。 そして、このものの本源は、何ですか。 または、エネルギーの本源は、まったくないのですか。 エネルギーだけがある。

B: エネルギーが、ただある。 エネルギーが、有るものですね。
1:09:27 K: よく分かりません。

B: エネルギーが、有るものです。 本源の必要はない。 それが、一つの接近ですね。
1:09:37 K: いえ。 何物もない。ゆえに、あらゆる物事があり、 あらゆる物事は、エネルギーであるなら - 私たちは、よく気をつけなければなりません。 なぜなら、ここでヒンドゥー教徒もまた、この観念を、持っているからです - すなわち、ブラフマンはあらゆる物事である、と。 理解されますか。 それは、観念に、原理になる。 それから、成し遂げられる、それらです。 ですが、その事実は、こうです - 何物もないなら、ゆえに、あらゆる物事がある。 それらは、宇宙的なエネルギーです。 ですが、何が、このエネルギーを始めましたか。
1:10:33 B: それは、意味のある問いですか。

K: いえ。何が始まりましたか。
1:10:39 B: ですが、私たちは、時について話していませんね。
1:10:41 K: ええ。私たちが時について話していないのは、知っていますが、 そうね、キリスト教徒は、「神がエネルギーであり、 彼が、エネルギーすべての本源である」と、言うでしょうね。
1:11:01 B: ええ。
1:11:03 K: そして、彼の息子が、世界を助けに来た、とか何とかです。 さて、それは・・・
1:11:14 B: まあ、キリスト教徒は、神性と呼ばれるものの観念を持っています - それもまた、まさしく神の本源ですね。 彼らは、さらに行くんです。
1:11:23 K: ヒンドゥー教徒もまた、これを持っています。 

B: ええ。

K: アラブ世界とユダヤ世界もまた、この感覚を、持っているんですね。 私たちは、そのすべてに逆らっていますか。
1:11:40 B: まあ、それは、いくつかの面で、同様に聞こえます。
1:11:43 K: けれども、同様ではない。私たちは、怖ろしく気をつけなければなりません。
1:11:46 B: ええ。私たちはそれを、明らかにしなければなりませんね。
1:11:49 このようなことは、時代を越えて、多く言われてきました。
1:11:51 K: 知っています。知っています。
1:11:52 B: それは、馴染み深い概念ですよ。
1:12:11 K: そのとき自らは、空っぽの中を歩んでいるだけですか。 空っぽの中に生きていますか。
1:12:27 B: まあ、それは、明らかではないですね。
1:12:30 K: 何物もなくて、あらゆる物事は、エネルギーである。 これは何ですか。
1:12:37 B: まあ、これは、エネルギーの中の形態ですね。
1:12:46 K: で、これは、エネルギーより異なっていない。

B: 何が、ですか。 

K: これは、ね。

B: ええ、ええ、身体は。
1:12:54 K: ですが、内側にあるものは、「私はあれより違っている」と言います。
1:12:59 B: それをもっと、明らかにしていただかなければなりません。
1:13:01 K: 「私」は、「私はこれらより全然違っている」と言います。
1:13:06 B: ええ。「私」は、自体を閉ざして、 「私は違っている。 私は永遠である」と言います。
1:13:11 K: さて、ちょっと待ってください。 なぜそれは、こうしてきたのですか。
1:13:16 B: まあ、私たちはそれに入りました。 なぜなら、それが、 この分離の概念を、始めたからです。

K: なぜそれは、生じたのですか。
1:13:26 分離は生じた。なぜなら、外的に私は、住宅などと同一視するし、 それが内的に、動いてきたからですか。
1:13:32 B: ええ。そのとき、第二の点は、 ひとたび私たちが、何か内的なものの概念を確立したとき、 それを保護することが、必要になったのでした。
1:13:39 K: それを保護すること、その他すべてが、です。
1:13:41 B: ゆえに、それが、分離を築き上げました。
1:13:43 K: もちろんです。
1:13:44 B: 内的なものは、明白に、最も貴重なものだったし、 自らのエネルギーすべてでもって、保護されなくてはならないでしょう。
1:13:51 K: 理解しますよ。 すると、それは、 生体組織だけがある、という意味ですか - それは、エネルギーの一部ですが。 Kは、まったくない - パスポート、名前と形態以外には、ね。 その他では、何物もない。 ゆえに、あらゆる物事、ゆえに、すべてのエネルギーです。 付いてきておられますか。
1:14:25 B: ええ。形態は、何も独立した存在を、持っていません。
1:14:28 K: ええ。いえ、いえ。私は、形態だけがある、と言っています。
1:14:34 B: ええ、形態だけがある。

K: それがすべてです。
1:14:37 B: またエネルギーも、ありますね。
1:14:40 K: それはエネルギーの一部です。

B: ええ。
1:14:42 K: で、これだけが、ある - 外的な殻が、です。
1:14:45 B: エネルギーの中に、外的な形態がある。 

K: ええ。
1:14:53 私たちが何を言ってきたのかを、悟られますか。 

B: ええ。
1:15:14 K: これが、旅の終わりですか。

B: まあ、むずかしいですね。
1:15:18 いいえ。私は、そうだとは、思いませんね。
1:15:26 K: 人類は、これに来るために、幾千年をかけて、旅してきましたか -
1:15:31 すなわち、私は何物でもない。 ゆえに、私は、あらゆる物事と、すべてのエネルギーである、と。
1:15:39 B: まあ、それは、終わりではありえない - それは、始まりなのかもしれない、という意味で、ね。
1:15:44 K: 待って、待って。それが、私が話しているすべてです。 

B: 何ですか。 それがすべてです - 私は、あなたにそこより始めてほしかったのです。 それはただ・・・そこでの終わることは、始まることです。 ですね? さて、私は少し、それに入りたいと思います。 もう時間ではないですか。
1:16:04 B: 私は時間はあります。 5時20分です。 5時15分です。
1:16:18 K: そうね、 このすべてが終わること - 私たちは、それを手短に、時が終わることと、呼ぶでしょう。 それは・・・新しい始まりがある。 それは何ですか。 なぜなら、これは、ちょっとの間、まったく無益に思われるからです。
1:16:48 B: 何が、ですか。
1:16:49 K: 私は、すべてのエネルギーである、ただ殻だけが、存在する、 時は終わってしまった、と。 私はただそれを、取り上げています。 それは、とても・・・
1:17:02 B: 理解できます - もし、そこで止まるのなら・・・
1:17:05 K: ええ。それですべてです。
1:17:11 B: それは本当に、基盤より、すべての瓦礫、 すべての混乱を、浄めることであると、私は思います。
1:17:17 K: ええ、ええ。で、終わることは、始まることです。 それは何ですか。 始まりもまた、時を含意しています。

B: 必ずしも、そうではない。 私たちは、時を持たない動きが、ありうると、言った、と思います。
1:17:45 K: 時を、ね。そういうわけで、私はそれを、明らかにしたいのです。
1:17:48 B: ええ。でも、それを表現することは、難しい。 それは、静的、静止している、という問いではない。 何かの意味で、その動きは、時の秩序を持っていません。 私たちは今、それを言わなくてはいけないだろう、と思います。
1:18:02 K: ええ。で、私たちは、「始まり」という言葉を使い、 それより、時を剥奪するでしょう。

B: ええ。なぜなら、
1:18:09 終わることと始まることは、何も特別な時ではないからです。 それらは、どの時なのかも、または、何の時でないかもしれない。
1:18:15 K: ええ、何の時でもない。時はない。

B: 時はない。そのとおり。時はない。
1:18:19 K: そのとき、何が起きますか。 何が起こりますか。 そのとき、何が起きつつありますか。 私に、ではない。 私の頭脳に、ではない。 何が、起きつつありますか。
1:18:36 B: エネルギーに、ということですか。
1:18:42 K: 私たちは、こう言ってきました - 時を拒否するとき、何物もない、と- この長い話の後で、です。 何物もないとは、あらゆる物事を、意味しています。 あらゆる物事は、エネルギーです。 私たちは、そこで止まりました。 ですが、それは、終わりではない。 ですね? 

B: ええ。
1:19:13 K: ええ。それだけです。 それは、終わりではない。 そのとき、何が進んでいますか。 私たちは明日、続けてゆけますか。

B: いいです。
1:19:44 K: 私たちは止めたほうがいいと、思います。 私は、つづけたいですが、私たちは止めたほうがいい。
1:19:51 B: いいですよ。
1:20:19 K: それは創造ですか。

B: ええ、何かそのような・・・
1:20:34 K: 創造的な作文術ではない。 私は、それについて話していません。
1:20:38 B: ええ。まあ、私たちがいう創造とは、 どういう意味かについて、議論するなら、ね。 おそらく私たちは、それをできるでしょう。

K: 私たちは始めなければいけません。 明日、そうするでしょう。