Krishnamurti Subtitles home


OJBR80CB2 - 精神より、時の蓄積を浄化すること
ディヴィッド・ボームとの会話 第2回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月2日



0:00 これは、1980年、カリフォルニア、オーハイでの、J.クリシュナムルティと ディヴィッド・ボームの間の第2回対話である。
0:12 クリシュナムルティ: 良い休みをとられたことを、願っています。
0:29 あなた自身と私自身との間の、私たちの対話で、 私たちは、時は葛藤である、と言っていました。
0:41 ディヴィッド・ボーム: ええ、心理的な時、です。 

K: ええ。 時は、人の敵です。 その敵は、人の始まりから存在してきました。 私たちは、なぜ人は始まりから、間違った方へ曲がったのか、と言いました - 括弧付きの「間違った道」です。 そうであるなら、人を別の方向へ、向かわせることは、 可能でしょうか - 人が葛藤なく生きられる方へ、です。 私たちが昨日、言いましたように、 外の動きはまた、同じ内の動きでもあるから、 内と外は、ないのです。 それは、内的に行われていく、同じ動きです。 もしも私たちが、人を別の方向へ向かわせることへ、 深く、熱情的に関心を持っていたなら - そのため、人が、時の中に生きなくて、 外の物事の知識を持つように、です。 諸々の宗教は、失敗してきました。 政治家、教育者 - 彼らはみんな、これに関心を持ったことが、ありません。 これに同意なさるのでしょうか。
2:59 B: ええ。諸宗教は、時を越えた永遠の価値について、 議論しようとしてきた、と思いますが、 彼らは成功したようには思われません。

K: ええ、それが、私の論点です。 それが、私が取りかかりたいことです。
3:11 B: または、時には、政治家すらも、です。
3:13 K: 彼らにとって、それは観念、理想、原理、価値だったが、
3:22 現実ではなかった。
3:26 B: ええ。まあ、彼らの幾人かは、自分たちの幾人かにとって、 それは現実だったかもしれないと、主張しますが・・・
3:32 K: ですが、そうね、 宗教的な人々のほとんどは、信念に、根拠を置いていますよ。
3:45 B: ええ。
3:47 K: 彼らは、原理に、像に、知識に、イエスに、何らかのものに、 根拠を置いています。
3:56 B: ええ。ですが、もしも、すべての宗教を考慮するとなったなら、 例えば、様々な形の仏教ですが、それらは、 あなたが仰っている、まさにこのことを、言おうとするんです - 幾つかの面で、ね。
4:05 K: 或る程度は、ね。 ですが、私が取りかかろうとしていることは、こうです - なぜ人は、この問題に、けっして直面したことがないのか。 なぜ人は、私たちのみんなは - なぜ私たちは、「葛藤を終わらせよう」と言ってこなかったのか。 あるいはむしろ、私たちは奨励されてきました。 なぜなら、私たちは、葛藤をとおして、前進がある、と考えるからです。
4:46 B: ええ。対立を乗り切る、と。

K: ええ、ええ、ええ。
4:50 B: それは、一定の刺激の起源でありえます - 対立を乗り切ろうとすることは、ね。 

K: ええ。 もしも、あなたと私は、これの真理が、見えたなら - 抽象において、ではなく、実際に、深く、です - 私たちは、あらゆる主題が、 即時に、無媒介に解消されるように、行為できますか。 そのため、時が廃止されるように、です。 よろしいですか。

B: ええ。心理的な時は、廃止されます。
5:51 ええ。 いつも、そういう意味で言っています。
5:53 K: 心理的に、ね。私たちは、心理的な時について、話しています。
5:58 私たちが、昨日、言いましたように、 あなたがあの点に来るとき、 そのとき、何物もないし、あらゆる物事がある。 それすべては、エネルギーです。 そして、時は終わります。 そのとき、何か全的に新たなものの始まりが、ありますか。
6:24 B: ええ。それが論点です。
6:26 K: ええ。それが、私たちが昨日、やってきたところです。
6:28 B: もし、ないのなら、全部のことが、へしゃげます。 それはただ、あなたを世界へ、追い返すだけ、ということです。
6:35 K: ええ。 時に絡みとられていない始まりが、ありますか。 さて、私たちは、どのようにそれを、発見するのでしょうか。 伝達するには、言葉が必要です。 ですが、言葉は、そのものではない。 で、時すべてが終わるとき、何がありますか - 心理的な時が、です。

B: 一日の時が、ではない。

K: ええ。時は、「私」、自我です。 それが完全に終わりになるとき、 始まるのは、何がありますか。 こう言えるのでしょうか - 時の灰の中から、 新たな成長が、ある、と。 私は知っています- このすべては・・・ それは何ですか。 私たちは昨日、その点に来ました。 始まるのは、何ですか。 いえ。「始まる」という言葉もまた、時を含意しています。
8:40 B: それが何を意味しようとも、生ずるものです。
8:44 K: 生ずるもの、それは何ですか。
8:59 B: まあ、私たちは昨日、本質的にそれは創造であることについて、 議論していました - 何かへの創造の可能性、です。
9:07 K: ええ。私たちは、創造と言いました。 そうなのですか。 すなわち、何か新たなものが、生まれつつあるのですか - 各々・・・ そうね、時ではない。各々・・・ 何か新たなことが、起きつつある。
9:44 B: そうね、それは、なる過程ではない。
9:46 K: ああ、そうです。 それは終了しました。
9:48 B: それは心理的です。

K: なることは、最悪です。 それは時です。それは、この葛藤の本当の根です。 私たちは、見出そうとしています - 「私」は、時ですが、それが完全に終わりになったとき、 何が起きるかを、です。 ブッダは、ニルヴァーナ(涅槃)と言ったと考えられている、と思います。
10:27 B: ニルヴァーナ?

K: ニルヴァーナ(涅槃)。 ヒンドゥー教徒は、それをモークシャ(解脱)と呼びました。 私は知りませんが、キリスト教徒は、それを天国とか何であれ、呼ぶかもしれません。
10:41 B: まあ、ええ。 キリスト教の神秘主義者は、 何か同様なものを、持っていました。

K: ええ、同様ですが、
10:46 そうね、キリスト教の神秘主義者は、私が理解するかぎり、 彼らは、イエスに、教会に、信念全体に、根ざしています。 彼らはけっして、それを越えたことがありません。
11:04 B: ええ。そう思われますね。 とにかく、私が知るかぎりでは。
11:10 K: 例えば(フランスの)テイヤール・ド・シャルダンのような人です。 彼は偉大だった、その他すべてですが、 (カトリック司祭の)彼は、深く信じる人でした。 さて、私たちは、それらへの信念、執着は 済んだ、終了した、と言ってきました。 それはすべて、「私」の部分です。 さて、時の蓄積より、精神のあの絶対的な浄化が、あるとき - その蓄積が、「私」の本質ですが - そのとき、何が起きますか。 なぜ私たちは、何が起きるかを、訊ねたりすべきでしょうか。
12:28 B: それは良い問いではない、ということですか。
12:31 K: 私は、自分自身に訊ねているだけです。 なぜ私たちは、それを訊ねたりすべきでしょうか。 その裏には、微妙な形の望みが、ありますか。 微妙な形の言い方が、です - 「何だ? 私は、その点に到った。 そこには何もない!」と。 それは、間違った問いです。 あなたは、それを考慮しないでしょうか。
13:04 B: まあ、それは、探し出すように、招待します - ええ。それは、何か望みのある結果を探すよう、招待します。
13:12 K: ええ。私は、それをもまた、消去したいのです。 尽力すべては、「私」を越えた何かを見つけることであるなら、 その尽力と、私が見つけるかもしれないものは、 やはり、「私」の軌道の中に、あります。ですね? 

B: ええ。
13:41 K: で、私は何の望みも、持ちません。 ええ、全くそうです。 望みの感覚は、ない。 何かを見つけたいとの感覚は、ない。
13:56 B: そうです。が、そのとき、何が探究するよう、あなたを動かしていますか。
14:00 K: 私の探究は、葛藤を終わらせることだったのです。
14:05 B: ええ。ですが、私たちはそのとき、気をつけなくてはいけません。 あなたは、葛藤を終わらせるとの望みを、生み出しがちです。 私たちは、葛藤を終わらせるとの望みに、陥りがちです。 それが危険です。
14:16 K: いえ、いえ。望みはない。 私はそれを終わらせます。
14:18 B: 望みはない。ええ。
14:21 K: 私が、「望み」という言葉を導入した瞬間に、 未来の感じが、あります。
14:27 B: ええ、それは欲望です。
14:29 K: 欲望です。ゆえに、それは、時のです。 で、私は・・・精神、私の精神は、それらを完全に、脇に置きます。 ほんとにそうです - 完全に、です。 そのとき、これらの本質とは、何ですか。 質問を理解されますか。 それは何なのか・・・いいえ、私は、間違った問いを、出しました。すみません。 私の精神はまだ、何か自らが捉えられ、保てる触知可能なものを、 探し求めたり、手探りをしたりしていますか。 そうであるなら、それはやはり・・・

B: まあ、それはやはり欲望です。
15:38 K: ええ、それは、やはり時の一部です。 欲望と、微妙な形の虚栄です。
15:46 B: なぜ虚栄ですか。
15:47 K: 「私は到った」という意味での虚栄です。
15:50 B: ああ、本当に自己欺瞞です。
15:53 K: ええ、欺瞞と、あらゆる形の幻影が、それより生じます。 で、それではありません。 進みながら、私はデッキを清掃しています。
16:03 B: 本質的に、あなたは、 微妙な形での欲望の動きを、清掃なさっていると、思われます。
16:08 K: ええ、その微妙な形のを、です。 で、それもまた、片付けられてしまいました。 そのとき、私たちが先日、別の議論で言いましたように、 ただ精神だけがある。 ですね?
16:54 B: ええ。私たちは、その問いを、幾らか未決着にしておきました。 なぜなら、精神だけがあるのなら、 私たちは、自然というのはどういう意味かを、 訊ねなくてはならなかったからです。 なぜなら、自然は独立していると思えるからです。
17:07 K: ええ。でも、私たちはまた、宇宙・万物すべてが精神であるとも、言いました。
17:14 B: 自然は精神である、と仰るんですね。
17:16 K: その一部です。

B: 普遍的な精神です。
17:18 K: 普遍的な精神です。

B: 特定の精神ではない。
17:21 K: そのとき、特定の精神は、分離していますが、 私たちは、(大文字の)「精神(マインド)」について、話しています。
17:29 B: ですが、そうね、私たちは、それを明らかにしなくてはいけませんね。 なぜなら、あなたは、自然は普遍的な精神の創造物である、と仰っているからです - にもかかわらず、その自然は、一定の実在性を持っていますが。
17:44 K: それはすべて理解されています。
17:48 B: ですが、それはほぼ、 まるで自然は、普遍的な精神の思考であるかのようです。
17:54 K: それは、その一部です。 私はただ・・・ 私は、手探りで行こうとしています - 特定の精神が、終わりになったのなら、 ただ「精神」、普遍的な精神だけが、ある。 いいですね?

B: いいです。 ええ、まあ、それが持っているなら・・・ 私たちは、特定の精神が、欲望をとおして、 手探りすることなどについて、議論してきました。 私たちは、そのすべてが止まったなら・・・と、言いました。
18:39 K: それが、私の論点なんです。 それらが完全に、終わりになったのなら、 次の歩みは、何ですか。 理解されますか。
18:59 B: ええ。

K: 次は何ですか・・・ 何か次が、ありますか。 私たちは昨日、言いました- 始まりがある、と。 その言葉もまた、時の一部を含意しています。
19:29 B: 私たちは、そう言わないでしょう - 始まりのほどに、おそらく終わりも、です。
19:34 K: 終わる。私たちは、それを言ってきました。
19:37 B: 終わる。ですね? そうですが、今、何か新しいものが、ありますか。
19:40 K: ええ。何か、精神が捉えられないものが、ありますか。
19:47 B: どちらの精神ですか - 特定のですか、普遍のですか。
19:52 K: 特定の(精神)は、終わってしまいました。 

B: ええ。 普遍的な精神もまた、それを捉えられない、と仰っていますか。
19:58 K: それが、私が見出しそうとしていることです。
20:00 B: 普遍的な精神を越えて、実在がある、と仰っていますか。 または、何かが、と?
20:08 K: ええ。 私たちは、次から次へ皮をむくゲームを やっていますか。 タマネギの皮のように、 終わりには、涙の他、何もない、と。
20:44 B: まあ、私には分かりません。
20:49 K: なぜなら、私たちは、終わりがある、 そのとき、宇宙的な、普遍的な精神がある、と言ったからです。 その裏に、もっと何かが、ありますか。
20:59 B: まあ、この「もっと」は、エネルギーであるとか、仰るのでしょうか。
21:01 K: 私たちは、それを言いました。
21:03 B: ですが、あなたがいわれること - エネルギーは、普遍的な精神を越えていますか。
21:10 K: 私は、そうだ、と言うでしょう。 なぜなら、普遍的な精神は、あのエネルギーの一部であるからです。
21:18 B: いいですよ。 ええ、それは理解します。 ええ、それは理解可能です。

K: それは理解可能ですか。ついに!
21:28 B: まあ、或る面で、エネルギーは生きている、と仰っていますね。
21:32 K: ええ、ええ。

B: また、智恵をも持つ。
21:36 K: ちょっと待って。 ちょっと待ってください。
21:38 B: 何らかの面で、それが精神であるかぎりは。
21:41 K: さて、そのエネルギーは智恵を持つのなら、 なぜそれは、人が、間違った方向へ、動いていってしまうのを、許してきましたか。
21:51 B: それは、過程の一部なのかもしれない、と思います - 発達の・・・ 何か、思考の本性において、回避不可能だったことかも、と。 そうね、思考が発達しようとしているなら、 その可能性が、存在するにちがいない。
22:07 K: ああ、仰ることの意味は、分かります。
22:12 B: 人の中に思考をもたらすには・・・
22:15 K: それが、人にとって、本来の自由ですか。
22:21 B: 何が、ですか。

K: 選択することが。
22:25 B: いえ、いえ。 すなわち、思考は、この間違いをする能力を、持たなくてはいけないんです。
22:33 K: ですが、もしあの智恵が作動していたなら、 なぜそれは、この間違いを許しましたか。
22:39 B: まあ、ともあれ、普遍的な秩序、法則が、 あることは、提起できますね。
22:49 K: いいですよ。 (普遍的な)宇宙は、秩序の中で、機能します。
22:56 B: ええ。これは、(普遍的な)宇宙の秩序の部分です - この特定の機構が、間違いを起こしうる、ということは。 もし機械が壊れてしまうなら、それは(普遍的)宇宙の無秩序ではない。 それは、単に普遍的な秩序の一部です。
23:09 K: ええ。 普遍的、宇宙的な秩序の中に、 無秩序がある - そこに、人は関連しています。
23:16 B: それは、(普遍的な)宇宙の水準での無秩序ではない。
23:19 K: ええ、ええ。はるかに低い水準で、です。それは、無秩序です。
23:22 B: 人の水準では、それは無秩序です。

K: 無秩序です。
23:25 なぜ人は、ああ、人の始まりからですが、 なぜ人は、この無秩序に生きてきましたか。
23:32 B: まあ、なぜなら、人はやはり無知であり、 人はまだ、要点が見えていないからです。
23:38 K: ですが、人は、この全体の一部であるとして、 一つの小さな片隅に、人は存在していて、無秩序の中に生きてきました。 この甚大な意識的な智恵は - 意識的、ではない。 この甚大な智恵は・・・
24:09 B: ええ、まあ、創造の可能性は、また無秩序の可能性でもある、と 言えるんでしょうね。 すなわち、もしも、人が、創造的である可能性を、持っていたなら、 また、何事かの間違いの可能性も あるのだろう、と。 人は、いつも完璧な秩序で作動するように、 機械のように、固定できないでしょう。 

K: ええ、ええ。
24:32 B: 智恵は、人を機械に変えようとしなかっただろう、 ということです。

K: ええ、もちろんです。
24:36 B: ・・・無秩序が不可能だろうものには、ね。
24:38 K: ええ、もちろんです。 で、何か越えたもの、宇宙的な秩序、精神を、越えたものが、ありますか。
24:59 B: ええ。今、あなたは、宇宙・万物は、あの精神は、 自然を創造してきたと、仰っていますか- ゆえにそれは、秩序を持っている。 それは単に、機械的に回っていくだけではない、と。 

K: ええ。

B: それは、何か、より深い意味を、持っている、と。
25:11 K: ええ。それが、私たちが見出そうとしていることです。
25:13 B: ええ。 で、あなたは、人類と同じく、全宇宙をも、
25:20 持ち込もうとしています。

K: 人類を、ね。
25:27 B: まあ、何があなたに、こうさせますか。 この知覚の本源は、何ですか。
25:37 K: 何の本源ですか。
25:39 B: あなたが仰ることの、です。

K: 何?
25:42 B: 宇宙・万物についてと、精神について、です。
25:45 K: 私たちはちょうど今、言いました。 もう一回、始めましょう - 時としての「私」が、終わることが、ある。 

B: ええ。

K: で、望みはない。そのすべてが、去りました。終了しました。終わりました。 それが終わる中で、 何物もないとのあの感覚が、ある- それはそうです。 何物もないことは、この宇宙・万物の全体です。
26:18 B: ええ。宇宙的・普遍的な精神。 物質の宇宙です。
26:23 K: ええ。宇宙全体です。

B: ええ。 私はただ訊ねています - 何が、あなたを導いて、そう言わせますか。
26:35 K: ああ!分かります。 ごく単純に表すと、 もはや・・・分割が、終わりになったのです。
26:48 B: ええ。
26:54 K: いいですか。 分割 - 時により創り出され、思考により創り出され、 この教育などなどにより創り出された分割、それらが、です。 それが終わってしまったから、それは、他は、明白です。
27:19 B: ああ、分割なしでは、そのとき、 他がそこにあって、知覚される、ということですね。
27:27 K: 知覚されるのではない。 それは、そこにある。
27:30 B: それはそこにある。 ですが、そのとき、 それがそこにあることを、どのように気づくことになりますか。 それはただ・・・
27:36 K: ええ、全くです。 あなたは、どのように気づくことになるのか - あなたがそれに気づくことになるとは、私は思いません。
27:51 B: すると、何があなたを導いて、そう言わせますか。
28:02 K: それはある、と仰るのでしょうか。 「私がそれを知覚する」とか、「それが知覚される」とか、ではない。
28:10 B: それはある。

K: それはある。
28:11 B: ほぼ、それがそれを言っている、と言えるのかもしれません。 或る意味で、あなたは、それが、言っているものであると、 提起なさっているように、思われます。
28:20 K: ええ。

B: ですね?
28:22 K: ええ、ええ、ええ!私は、そうしたくなかったが・・・ あなたが、そのように表したのが、うれしいです!
28:28 B: それは、仰っていることに、含意されていますね? 

K: ええ。
28:49 K: 私たちは今、どこにいますか。
28:52 B: まあ、私たちは、宇宙・万物は、いわば生きている、と言います。 そして、精神。 私たちはその一部ですね。
28:59 K: ええ。ああ、いえ。 私たちは、「私」がないとき、自らがその一部であると、言えるだけです。
29:03 B: 分割がないとき。

K: 分割がない。 私は、さらに少し推し進めたいと、思います。 すなわち、このすべてを越えて、何かが、ありますか。
29:26 B: エネルギーを越えて、ということですか。 

K: ええ。 私たちは、何物もなく、あらゆる物事、と言いました - すなわち、何物もないことは、あらゆる物事である。 で、それは、全的なエネルギーなるものである、と。 それは、純粋な清浄な、腐敗していないエネルギーです。いいです。 それを越えた何かが、ありますか。 なぜ私は、訊ねますか。なぜ私たちは、それを訊ねていますか。

B: 分かりません。
30:10 K: 私たちはまだ触れていない、と私は感じます。 私たちは触れていない、と感じます・・・ 何か越えたものがあると、私は感じます。
30:18 B: まあ、私たちは、この何か越えたものは、 いわば、全体の基盤である、と言えるでしょうか。すなわち、 これはすべて、もっと内的な基盤より出現する、と仰っていますね?
30:29 K: ええ。もう一つあります - 私はここで、怖ろしく気をつけなくてはなりません。 そうね、怖ろしく、気をつけなくてはなりません - ロマンチックにならないよう、幻影を持たないよう、 欲望を持たないよう、手探りさえしないように、です。 それは、起きなければなりません。私がいう意味に、付いてきておられますか。
30:59 B: 私たちは、そのものは、あれから来なければならない、と言っています。 何であれ、仰ることは、あれから来なければなりません。
31:05 K: あれからです。 そのとおり。そうなんです。 それは、かなり僭越に聞こえます。
31:11 B: あなたが、実際にそれを見ることなく・・・いや、 あなたがそれを見つめて、「それが、私が見たものだ」と言う、ということではない。
31:17 K: ああ、いいえ。そのときそれは、間違っています。
31:19 B: すでに分割があります。 もちろん、この種のことで、妄想に陥ることは、簡単ですね。
31:31 K: もちろんです。ですが、私たちは、欲望と思考があるかぎり、 妄想は存在すると、言いました。 それは単純です。 欲望と思考は、「私」の一部です - それは、時とそれらです。 それが完全に終わらされるとき、 絶対的に何物もないし、 ゆえに、それは、宇宙・万物です - エネルギーに充ちている空っぽです。 私たちは、当分、そこに止まることができます。
32:27 B: ええ。なぜなら、そこから、私たちはまだ、 エネルギーを越えていくことの必要性が、見えていないからですね。
32:32 K: ええ、ええ。 

B: 私たちは、それを必要だと、見なくてはなりません。
32:37 K: 私は、それは必要だと、思います。
32:39 B: ええ。でも、それは、見られなくてはなりません。 私たちは、それをはっきりさせなくてはなりません - なぜ、それは必要なのか。
32:51 K: なぜ、それは必要なのか。 暫定的に、ですが、 なぜなら、他の何かが、作動しつつあるからです - 他の何かが、ある。 もっとはるかに、はるかに・・・ 私はそれを、どう表すべきかを、知りません - はるかに大きい・・・ そうね、私は、ゆっくり、ゆっくり行こうとしています。 私が見出そう、私が言おうとしていることは、こうです - ちょっと待ってください。 私は今、・・・ それを越えて、何かがある、と私は思います。 私は言っています - 「私は思います」と言うとき、私がいう意味は、分かりますね。
34:15 B: ええ、私は理解しますね。ええ。

K: ええ、私はただ・・・ それを越えて、何かがある。 私たちは、それについて、どのように話せますか。 そうね、空っぽがあるときだけ、エネルギーは、存在します。ですね?
34:52 B: ええ。まあ・・・

K: ああ、いえ。
34:54 私は、そのように表さないでしょう。 それらは、相伴います。
34:58 B: この清浄なエネルギーは、空っぽなことです。 あなたが話される、この清浄なエネルギーは、空っぽなことです。
35:03 K: 空っぽなことです。
35:05 B: すなわち、それは、何か物として感じられません。 

K: ええ。
35:10 さて、その空っぽを越えて - 話をして、すみませんが・・・ 越えて、ということに立って、ではない。理解されますか。 越えて、というのは、もっと、さらに、時、という意味です。
35:28 B: ええ、内的に、です。
35:29 K: ええ。私は、それをどう、そのように表すべきかを、知りません。 

B: ええ。
35:33 ですが、あなたは、何かがあると、提起しようとなさっていますか - 越えているものが、そこにある。 それは、空っぽなことです。 空っぽなことの基盤が、ある?
35:41 K: ええ。
35:42 B: それは、実体の本性での何かに、なるのでしょうか。 問いは、こうでしょうね - それが空っぽなことでないのなら、それは何ですか。
35:51 K: 私は、あなたの問いに、よく付いていけません。
35:54 B: まあ、あなたは、空っぽなことを越えた何かを、言われます。 空っぽなことより他に、ですね。
36:01 K: 私は、空っぽがある。 それはエネルギーである、と言いました。
36:05 B: それは、エネルギーです。 それを越えて・・・
36:07 K: さて、ちょっと待ってください。 皆さんは、私の言葉に、縋りついていますか。 あなたは、何と仰いますか。
36:25 B: そうね、私たちはエネルギーと空っぽへ辿っていけると、私は思います。 さて、私たちは、それより他、空っぽより他の何かを、提起するなら・・・
36:35 K: ああ、はい。 他の何かが、ある。
36:37 B: ええ。他のそれは、空っぽより、異なっているにちがいない。
36:43 K: ええ、ええ。分かりました。
36:45 B: それは空っぽなことではないですね? 

K: ええ、ええ。
36:49 B: それは正しいですか。

K: ちょうど今、何と仰いましたか。
36:53 B: 私は、空っぽより他の何か、と言いました。
36:58 ゆえに、それは空っぽなことではない。 それで、意味をなすでしょうか。
37:05 K: すると、それは実体です。
37:07 B: ええ。それが、含意されると思われたことです。 それは、空っぽでないのなら、それは実体です。
37:13 K: 物質としての実体、ですか?
37:16 B: 必ずしもそうではないが、実体の性質を持っています。
37:18 K: それは、どういう意味ですか。
37:20 B: まあ、そうね、物質は、一つの形の実体です - 意味は、それが・・・

K: 物質はエネルギーです。
37:26 B: それは、エネルギーですが、実体の形態をも持っています。 なぜなら、それは、常なる形態を持っていて、 それは変化に抵抗するし、それは安定的であり、 それは、自体を維持するからです。

K: ええ。
37:41 ですが、空っぽなことを越えて、 「実体」という言葉を使うとき、 その言葉により、伝わりますか・・・ そのとき、その言葉は、意味を持ちますか。
38:01 B: まあ、私たちは、あなたが仰りたいことの、 ありうる意味を、探検しています。 さて、あなたが、それは空っぽではない、と仰っているなら、 それは、物質において知られているような、実体ではないでしょうが、 私たちは、実体一般に所属する一定の性質を、見られます。 もしそれが、その性質を持っているなら、私たちは、「実体」という言葉を使い、 「実体」という言葉の意味を、拡張できるのでしょう。
38:24 K: ええ、理解します。では、「性質」という言葉を、使えるのでしょうか。
38:29 B: まあ、そうね、「性質」という言葉は、 必ずしも、空っぽではありませんね。 エネルギーは、空っぽの性質を、持っているかもしれませんね。
38:37 K: ええ、分かります。
38:39 B: ゆえに、他の何かが、実体のその性質を、持っているかもしれません。 それが、私のそれへの見方です。 それが、あなたが言おうとなさっていることなのか、ということです。
38:55 K: 空っぽを越えて、何かが、あります。 私たちは、どのようにこれに、取り組むのでしょうか。
39:23 B: 第一に、何が、あなたを導いて、それを言わせますか。 何が、あなたを導いて、これを言わせますか。
39:32 K: 単純に、あるという事実が、です。 私たちはずっと、相当に論理的でした。 合理的で、相当に健全でした。 で、私たちはこれまで、どの幻影にも、捕らわれてきていません。 ですね? 私たちは、その同じ種類の見守りを、 すなわち、そこに幻影がないものを、保てますか - 見出すように、です。 見出すのではない。 空っぽを越えているものが、 実地に降りてくるように、です。 私がいう意味を、理解されますか。 伝達される、という意味で、実地に降りてくる。 私がいう意味を、お分かりですか。

B: ええ。
40:51 まあ、私たちは前に、その問いに戻ってこられます - なぜそれは、降りてこなかったのか。
41:01 K: なぜそれは、降りてこなかったのか。 人はかつて、「私」より自由でありましたか。
41:15 B: いいえ。一般的に言って、いいえ、そうではないですね。
41:19 K: ええ。 それは、「私」が終わることを、要求します。 

B: ええ。それは分かります。 私たちはそれを、このように見つめられるだろう、と思います。 すなわち、自我は、あの実体の幻影に、なります。 自我もまた、何らかの形で実体である、と感じられます。
41:37 K: ええ。自我は実体です。 全くそのとおり。
41:40 B: ゆえに、その実体は、見かけでは・・・
41:43 K: ・・・触れられない。ええ。
41:46 B: しかし、その自我は、真の実体の幻影です。そうね、 すなわち、精神が創り出そうとするもの、です。 たぶん精神は、あの実体の或る種の幻影を、創り出そうとする、と。
41:58 K: それは幻影です。なぜあなたは、それを、他へ関係させますか。
42:01 B: 精神が、自らはすでにこの実体を持っていると、考えるなら、 精神は、それへ開いていないだろう、という意味で、です。
42:09 K: ええ、もちろんです。もちろんです。 あのものは、いったい言葉に表せますか。 私は、自分がそれを、回避しているとは、言っていません。 付いてきていますか。 それは、回避するとか、 何か、結論より滑り抜けようとするとかの問題ではありませんが、 そうね、私たちは、これまであらゆる物事を、言葉に表してきました。
43:03 B: ええ、まあ、ひとたび、何かが知覚されるとき、 それは一般的に、後で言葉に表せると、私は思います。 何かを適切に知覚できるなら、 しばしの後、それを伝達できるだろう言葉が、来ます。
43:16 K: ええ。ですが、それは、知覚できますか。 ゆえに、伝達可能ですか。
43:44 B: この、越えたもの - それは生きているともまた、仰るのでしょうか。 生は、空っぽを越えていますか。 それはやはり、生ですか。
43:56 K: それはやはり、生きていますか。

B: ええ、生きる。生きているか。
44:00 K: ええ、生きています。ああ、そうです。

B: 智恵を持ちますか。
44:03 K: 私は、それらの言葉を、使いたくありません。

B: ええ。それは、あまりに制限されていますか。

K: ええ。生きている、智恵を持つ、愛、慈悲 - それはすべて、あまりに制限されています。 あなたと私は、ここに座っていますね。 私たちは、或る点に来ましたし、 あのものがあって、それは、おそらく後で、 言葉に表されるかもしれません。

B: ええ。

K: 圧迫や暗示のどんな感覚もなく、 言語的な伝達のどんな感覚もなく、 それで、どんな幻影もなく、です。 あなたは感じませんか - いや。あなたは・・・ あなたは、壁の向こうが、見えませんか。 私がいう意味を、分かりますか。 私たちは、一定の点まで来ましたし、 私たちは、さらにもっと何かが、ある、と言っています - もっと何かが、です。 理解されますか。 これらの裏には、何かが、あります。 それは、触知可能ですか。それは・・・ あなたはそれに触れられて・・・ それは、何か精神が捉えられるものですか。 お分かりですか。

B: ええ。それは捉えられない、と仰っていますか。
46:21 K: 私は、精神がそれを捉えることは、可能であるとは、思いません - 捉える - 言っている意味を理解されますか。
46:31 B: ええ。または、それを掴む。

K: それを掴む、理解する。 精神がそれを見つめることすらも、です。 あなたは、科学者でいらっしゃる。 あなたは、原子などなどを研究してこられました。 あなたは、それらを研究してきたとき、 それらを越えて、はるかに多くの何かがある、と感じませんか。
47:01 B: それを越えて、もっと多くがあると、いつも感じられますが、 それは、自らが何であるかを、語ってくれませんね。 

K: ええ、ええ。
47:07 ですが、あなたは、はるかに多くの何かが、あるのを、知ります。
47:10 B: ええ。何を知るにしても、それが制限されていることは、明らかです。
47:13 K: ええ。
47:14 B: そして、越えて、もっとあるにちがいない。 

K: ええ。 どのようにそれは、あなたと疎通、伝達できますか - あなたが、自らの科学的な知識をもって、 頭脳の能力などなどなどをもって、 あなたは、どのようにそれを、掴めますか。
48:00 B: 今、あなたは、それは掴めないと、仰っていました。
48:02 K: いえ、いえ。あなたはそれを掴めますか。 私は、あなたがそれを掴めないとか、言いません。あなたは、それを掴めますか。
48:11 B: それは、明らかではありませんね。 あなたは前に、それは掴みえないと、仰っていました。
48:16 K: いいえ。この意味で掴むのです - あなたの精神は、大いに訓練され、知覚能力があります。 そうね、理論などを越えて、ですが・・・ 私はあなたに、何を語ろうとしていますか。 私は、こう言おうとしています - あなたは動いて、それに入られますか。 動くのではない。私がいう意味を理解されますね。 動くとは、時とそれらを、意味しています。 あなたは・・・私は何を、言おうとしていますか。 あなたは、それに入られますか。 いえ、それらは、すべて言葉です。 何が、空っぽを越えていますか。 それは静寂ですか。
49:51 B: それは本当は、空っぽに類似していませんか。
49:54 K: ええ。それが、私が・・・私は・・・一歩一歩、です。 それは静寂ですか。または、静寂は、空っぽの一部ですか。
50:02 B: ええ、そう言うべきでしょう。

K: 私もそう言うべきでしょう。 それが静寂でないのなら・・・ こう言えるでしょうか・・・ちょっと待って。私は、ただ訊ねています - 私たちは、それは何か絶対的なものであると、言えるのでしょうか。 理解されますか。
50:45 B: 私たちは、絶対について、考慮できるでしょうね。 それは、何か全的に依存しないものでなくてはならないでしょう。 それが、本当にそれが、絶対が意味することです。 そうね、それは、何にも依存しません。
51:02 K: ええ、ええ。 私はうれしいです。 私たちは、そこに到ろうとしています - どこかその近くに、です。
51:11 B: いわば、全面的に自ら動く。 自ら能動的です。ですね? 

K: ええ。
51:26 あらゆる物事が、原因を持っているが、 それは、まったく原因を持っていない、と仰るのでしょうか。
51:36 B: いいですよ。 私たちは、これを言えます。 そうね、この概念はすでに、古いものです。 この概念は、たとえば、アリストテレスにより、展開されてきました - すなわち、この絶対は、それ自体の原因である、と。
51:51 それは神と言えるかもしれません。

K: ええ。いえ・・・
51:53 B: それは或る意味で、何の原因をも持っていませんね? それは、同じことですね。
52:07 K: そうね、アリストテレスと仰った瞬間、それはあれではない。 私たちは、これに、どのように取りかかるのでしょうか。 空っぽは、一部であり・・・空っぽは、エネルギーであり、 あの空っぽは、静寂の中に存在します。 または、その逆に、です。それは大事なことではないですね。
52:57 B: いいです。
53:06 K: ああ、そうです。 これらを越えて、何かがあります。 たぶん、それはけっして、言葉に表せないでしょう。

B: おそらくは・・・私たちが、ともあれ言えるかぎりでは。 

K: ええ。
53:44 ですが、それは言葉に表されなければなりません。 

B: ええ。
53:52 K: お分かりですか。

B: ええ。 あなたは、絶対は言葉に、表されなければならない、と仰っています。 けれども、私たちは、それはできないと、感じます。 それを言葉に表そうとのどの試みも、それを相対的にします。 

K: ええ。
54:09 私は、これらを、どう表すべきかを、知りません。
54:18 B: 私たちは、絶対について一定の危険の長い歴史を、持っていると、思いますね。 人々はそれを、言葉に表してきたし、それは、とても抑圧的になってきました。
54:29 K: いえ、それらを放っておいてください。 そうね、他の人々が言ってきたことに、 無知であるので- よろしいですか - アリストテレスと、さらにブッダなども、です。 それは、利点を持っています。 よろしいですか。 私がいう意味を、理解されますか。 それは、こういう意味で、利点を持っています - 精神が、他の人々の観念により、染められていない、という意味で、です。 それは、他の人々の発言に、捕らわれていません。 それは、私たちの条件づけなど、それらの一部です。 さて、あなたは、そのすべてを越えていくなら・・・ 私たちは、何をしようとしていますか。

B: まあ、この絶対、 この越えたものに関して、伝達するんだ、と思います。
56:17 K: 私は、その言葉を、即時に取り除きました。取り去ってしまいました。
56:20 B: 何ですか。 それが何であれ、越えたもの、 空っぽと静寂を越えているもの、です。
56:24 K: それらを越えている。 それらを越えて、ある。
56:36 B: 困難は、ですね・・・
56:38 K: それらは、何か、無量のものの一部です。
56:51 B: ええ。まあ、空っぽと静寂すらも、 無量のものなのでしょう。 エネルギーはそれ自体が、無量のものです。

K: ええ。それは理解できますが、 それより、はるかに無量なものが何か、ある。 あの空っぽと静寂とエネルギーは、無量です。 それは本当に、測量不可能です。 しかし、何かが、あります・・・ 私は、それより「もっと大きな」という言葉を、使っています。 私にはできません。 私は知りません。 なぜあなたは、これらを受け入れますか。
58:01 B: まあ、私は考慮しているんです。 私はそれを見つめているんですが、 空っぽについてとか、他のどのことについても、 あなたが何を言われるにしても、 越えた何かが、あることは、分かりますね?
58:18 K: いえ。科学者として、あなたはなぜ、受け入れますか - 受け入れる、ではない。 その言葉を使うのを、お許しください。 なぜあなたは、相手のやつと、ともに動くことすらしますか。
58:33 B: ええ。まあ、なぜなら、私たちはここまで、一歩一歩来たからです - 各々の歩みの必要性を、見ながら、です。

K: で、あなたは、
58:42 これらは、とても論理的だ、合理的だ、健全だと、見ますね。
58:45 B: また、そうであることが、分かりますね。 

K: ええ。
58:56 で、もし私が、これら、静寂、エネルギーより 大きなものが何かある、と言うなら、 あなたは、それを受け入れるのでしょうか。 今まで私たちは論理的であった、という意味で、受け入れるのです。
59:16 B: 何であれ、あなたが何を仰っても、確実に、 何かそれを越えたものがあると、私たちは、言うでしょう。 あなたが何を仰るにしても、 何であれ言うことを、静寂、エネルギーに、何にでも、持って行くと、 そのとき、いつも論理的に、それを越えた何かへの余地が、あります。
59:32 K: ええ、それを越えて。
59:33 B: それは、終わり、最終的なものではないことが、分かります。
59:36 K: それは、終わりではない。
59:39 B: ええ。でも、たとえ、あなたが、何かがある、と仰ることになったとしても、 論点は、こうです - たとえ、それを越えた何かがある、と仰ることになったとしても、 それでもなお、論理的に、 再びそれを越えていく余地を、残せるだろう、と。
59:53 K: いえ、いえ、いえ。

B: まあ、それが問いです。
59:55 K: それが論点です。 それが論点です。 それが論点です。

B: まあ、なぜそうですか。 そうね、なぜなら、あなたが何を仰っても、 いつも論理的に、越えた何かへの余地が、あるからです。
1:00:04 K: もちろんです。もちろんです。 それが、私が・・・ 越えたものは、何もない。

B: ええ。まあ、今、どうして・・・ その点は、明らかではありませんね。 なぜなら・・・
1:00:16 K: ええ。それを越えて、何もない。 私はそれに拘りましょう。 教理的にとか、頑迷にとか、ではない。 私は、それは、あらゆる物事の始まりと終わりである、と感じます。 ただ、ふつうの語法で、ふつうの伝達で、ですが、 終わることと始まることは、同じです。ですね?
1:01:08 B: どの意味で、ですか。
1:01:10 K: ええ、そうです。 ここに、何かが見えますね。
1:01:14 B: つまり、あらゆる物事の始まりを、 あらゆる物事の終わりとして、使っておられる、という意味で、ですね。
1:01:19 K: ええ。いいですか?あなたは、それが見えるのでしょうか。
1:01:23 B: ええ。もし、それが来るところの基盤を、取るなら、 それは、それが落ちていく基盤であるにちがいない。
1:01:28 K: ええ、落ちていく。 そのとおりです。 それが基盤です。

B: いいです。
1:01:40 K: その上に・・・ どうぞ、上に、ではない。
1:01:43 B: まあ、それは言葉のあやです。
1:01:45 K: ええ。言葉のあやです。その上に、あらゆる物事が、存在します。 空間・・・

B: ・・・エネルギー・・・
1:01:53 K: ・・・エネルギー、空っぽ、静寂。 そのすべてが、その上にある。 地盤ではない。理解されますか。
1:02:03 B: ええ。それはただ、あや、隠喩だ、ということです。
1:02:07 K: あれを越えて、何もない。
1:02:33 B: この基盤は、何の原因をも、持ちません。 私は、基盤は原因を持たないと言いました。

K: 原因はない。もちろんです。 私たちは、原因を持つなら・・・

B: ええ、私たちは、もう一つの基盤を持つ。 

K: ええ。
1:02:45 いえ、いえ、それは、始まりと終わりです。 ええ、そのとおりです。

B: それは、もっと明らかになりつつある。
1:02:56 K: そのとおりです。 それで、あなたに何かが、伝わりますか。
1:03:23 B: ええ。まあ、それで何かが伝わる、と思います。ええ。
1:03:29 K: 何かが、です。 それで、さらに仰るのでしょうか- 始まりもなく、終わりもない、と。
1:03:45 B: ええ。それはすべて、出現していて・・・ それは、基盤から来て、基盤へ行くが、 それは、始まったり、終わったりしない。ですね?
1:03:52 K: ええ。始まることもなく、終わることもない。 ですね?

B: ええ。
1:04:10 K: 含意は、甚大です。 それは、死ですか - 死ではない。「私は死ぬだろう」という意味で、ではない。 それは、あらゆる物事の完全な終わりですか。
1:05:13 B: ええ。そうね、初め、あなたは、 空っぽは、あらゆる物事の終わることであると、仰ったでしょう。 で、どんな意味で、今、これは、さらにそうですか。
1:05:22 K: 私は、そのものに取りかかろうとしています。
1:05:25 B: まあ、ちょうど今、それに取りかかりましょう。 さあ、私たちは、空っぽは、物事の終わることである、 ということから、始めたでしょう。

K: ええ、ええ。
1:05:36 あれは死ですか。

B: 何が?
1:05:40 K: この空っぽが?

B: まあ、あれは・・・
1:05:44 K: 精神が養成してきた物事すべての死、です。
1:05:52 B: いいです。すると、今、どんな意味で、そうではないのですか。 なぜ、そうではないのですか。

K: 空っぽは・・・
1:06:00 あの空っぽは、精神の産物ではありません - 特定の精神の、ではない。

B: ええ、それは、普遍的な精神です。
1:06:09 K: ええ、あの空っぽが、それです。

B: ええ。
1:06:16 K: 特定のものの死があるとき、あの空っぽは、 存在できるだけです。
1:06:25 B: ええ。特定のものは、去ります。
1:06:27 K: 特定のものの、全的な死が、あるとき、です。 

B: ええ。
1:06:30 K: これが伝わっているのかどうか、分かりませんが。
1:06:32 B: ええ。それが、空っぽです。
1:06:34 今、いいですよ。でも、それから、あなたは、さらにある、と仰っています - この基盤において、死はさらに進む、と。
1:06:42 K: ああ、そうです。ああ、そうです。

B: いいです。 で、私たちは、特定のものが終わること、特定のものの死が、 空っぽである、と言いました。

K: ええ。

B: それは普遍的です。

K: ええ。
1:06:51 B: 今、あなたは、普遍もまた死ぬと、仰ろうとしています。
1:06:56 K: そうです。それが、私が言おうとしていることです。
1:07:00 B: 基盤の中へ、です。
1:07:04 K: それで何かが伝わりますか。

B: たぶん、ええ。
1:07:06 K: ちょっと待ってください。 見てみましょう。 私は、それで何かが伝えられる、と思います。そうではないですか。
1:07:24 B: ええ、もちろん、そうすることは、難しいが・・・ 

K: ええ。
1:07:33 B: ええ、まあ、今、特定と普遍が死ぬのなら・・・

K: ええ、そうです。

B: ・・・それは死です。ですね?

K: 結局のところ、私は知りません。 私は、星占術師ではない。星占術師でなく、天文学者ではないですが - 宇宙のあらゆる物が、死につつある。 爆発しつつあり、死につつある。
1:07:57 B: ええ。でも、もちろん、そうね、これを越えた何かが、ある、と 仮定できるでしょうね。
1:08:02 K: ええ、ええ。 まさにそうです。
1:08:21 B: すると、私たちは動きつつあると、思います。 普遍と特定。 初めに、特定が死んで、空っぽへ入る。 

K: そうです。

B: そのとき、普遍が来る。

K: それもまた死ぬ。
1:08:32 B: 基盤の中へ。ですね?

K: そうです。
1:08:35 B: で、基盤は、生まれもしない、死にもしない。ですね?
1:08:38 K: そのとおりです。
1:08:48 B: ええ、普遍が去ってしまったと、仰るなら、 それは、ほぼ表現不可能になる、と思います。 

K: そうです。

B: なぜなら、表現は普遍であるからです。
1:09:00 K: そうね、私が説明してもいいですか。 あらゆる物事が、死につつある- あれ以外は、です。 これで、何かが伝わりますか。

B: ええ。まあ、 あらゆる物事が生ずるのは、あの中からです。 あの中へ、それは死にます。

K: ええ。
1:09:29 で、あれは、始まりがないし、終わりがない。
1:09:33 B: ええ。 普遍の終わることについて、話すことは、 どういう意味に、なるのでしょうか。そうね・・・ 普遍の終わりがあるとは、何を意味するのでしょうか。
1:09:48 K: 何もない。 それが起きつつあるなら、なぜそれが意味を持つべきでしょうか。 あれは、人とどんな関わりが、ありますか。 私がいう意味は、分かりますか。

B: ええ。
1:10:24 K: ひどい時、その他すべてを経て行っている人 - あれは、人とどんな関わりが、ありますか。
1:10:32 B: まあ、人は、自らの生において、 究極的な基盤と何か接触を持たなければならない、と 感じることは、明らかです - さもなければ、何の意味もない、と。ですね?
1:10:49 K: ですが、そうなってこなかった。

B: 何ですか?

K: あの基盤は、人と何の関係をも、持っていません。
1:10:56 B: 見たところ、なかった。

K: ええ。 人は、自身を殺しています。人は、基盤に反することすべてを、しています。
1:11:05 B: ええ。そういうわけで、人にとって、生は、ほとんど意味がないのです。
1:11:10 K: で、私は訊ねています。 私は普通の人です。 私はこう言います - 「いいですよ。 あなたたちは、すばらしく話をしました。 それは抜群に聞こえますが、 あれは、私と何の関わりがありますか」と。 あれは、または、あなたのお話は、どのように、 私が自分の醜さを乗り越えるよう、助けてくれるのでしょうか。 私の妻は、私とけんかをします。 妻は・・・それが何であっても、です。 そして私は・・・何ですか。 あなたの抜群な、お話ですか。
1:11:55 B: 私は、戻って行って、私たちがこれに論理的に入ったことを 言うだろう、と思いますね - 人類の苦しみより始めて、 それが、間違った方へ曲がったことに、起因するのを、示す。 それが必然的につながる・・・

K: ええ。ですが、彼は言います -
1:12:09 私が正しい方へ曲がるよう、助けてください。 私を正しい道に立たせてください、と。 それに対して、あなたは、 「どうぞ、何にもならないでください」と言いますね。
1:12:36 B: そうです。

K: でも、お分かりでしょう。
1:12:38 B: そのとき、問題は何ですか。 

K: 彼はあなたに聞こうともしないでしょう。
1:12:42 B: ええ。まあ、今、私に思われるのは、私たちはそのとき、見なくてはいけない・・・ 自らがこれを見ることが、必要です - 聞くことへの障壁が、何なのかを、見出すように、です。
1:12:52 K: ああ、そうです。明白に、障壁が何であるかは、見られます。
1:12:54 B: 障壁は何ですか。

K: 「私」です。
1:12:56 B: ええ。でも、私は、もっと深く、というつもりでした。それで・・・
1:12:59 K: もっと深くは、私たちの思考すべて、私たちの知識すべて。そうね、 深い執着とそれらが、じゃまをしています。 あなたは、それを離れられないのなら、 あれとは、何の関係をも、持たないでしょう。 ですが、彼は、それらを離れたくないんです!
1:13:29 B: ええ。それは理解できます。 でも、彼が望むことは、彼が考えているさまの結果です。
1:13:37 K: ええ。彼が望むことは、何の紛糾もない 何か快適で安易な生き方ですが、 彼はそれを得られません。

B: ええ。 まあ、これらを落とすことによってだけ、ですね。 

K: そうです。 関連があるにちがいありません。 さもないと・・・
1:14:01 B: 関連ね。

K: 基盤とこれ、普通の人とには、
1:14:07 何か関係があるにちがいありません。 さもないと、生きることの意味とは、何ですか。
1:14:14 B: ええ。まあ、それが、私が前に言おうとしていたことです - あれなしには・・・

K: ・・・何も意味がない。
1:14:19 B: ええ。そのとき人々は、意味を創案します。
1:14:22 K: もちろんです。 (福音派伝道師)ビリー・グラハムは、毎日、それをします。
1:14:29 B: まあ、遡ってさえ、 古代の諸宗教は、同様のことを言ってきました - 「神が基盤である」と。そう、彼らは、「神を探し求めなさい」と言いますね。
1:14:38 K: ああ、いいえ。 これは、神ではない。
1:14:40 B: ええ。それは神ではないが、 それは、同じことをやらかそうとしている、ということです。 神は、この概念を、表そうとする試みであった、と言えるんでしょう - おそらく、ちょっと人格的にすぎますが。 

K: ええ、ええ。

K: 彼らに望みを与える、彼らに信仰を与える - お分かりですか。 生を、生きるために、もう少し快適にする。
1:15:03 B: あなたは初めに、この点で、訊ねておられますか - これは、普通の人へ、どのように伝えられることになるのか、と。 それが、あなたの問いですか。

K: ええ、多かれ少なかれ。 また、彼がこれを聞くことも、重要です。
1:15:17 B: ええ。私は、まさしくそういう意味で、言いました。
1:15:28 K: あなたは、科学者です。 あなたは、良くも聞いてくださいます。 私たちは、友だちであるからです。 ですが、あなたの友だちの中で、誰が、聞くのでしょうか。 彼らは、「あんたは、いったい何について話しているんだ」と言うでしょう。 私は感じるのですが、これを追求するならば、 私たちは、すばらしく秩序ある世界を、持つでしょう。
1:16:03 B: ええ。私たちは、この世界で何をするのでしょうか。

K: 生きるのです。
1:16:09 B: ええ。ですが、そうね、私たちは、創造性について、何かを言いましたね。
1:16:14 K: ええ。 もしも、何も葛藤を、「私」を持たなかったなら、 他の何かが、作動しつつある、ということなんです。
1:16:23 B: ええ。それを言うことは、重要です。 なぜなら、キリスト教の、完成としての天国の観念は、 かなり退屈そうに思われかねないからです。 なぜなら、何もすることが、ないからです。
1:16:36 K: それで、私は、良いジョークを、思い起こします! あなたたちは、ジョークを待っていますか。 或る男が死んで、(天国の門の)聖ペテロへ行きます。 聖ペテロは、言います - 「おまえは、相当に良い人生を、生きてきた。 おまえは、あまり、だまし取らなかった。 だが、おまえがこの天国に入る前に、私はおまえに、一言、言わなければならない - ここでは、私たちは、みんな退屈している。 私たちは、みんな大まじめだし、神はけっして、お笑いにならない。 あらゆる天使は、気むずかしくて、憂鬱だ。 おまえが、この世界に入りたいのでなければ、ためらいなさい」と。 ペテロは言います - 「だが、おまえは、天国へ入る前に、 おそらく、下に降りて行き、そこがどのようなのかを、見たいだろう。 それから、来て、私に言いなさい。 それは、おまえしだいだ」と。 で、聖ペテロは言います - 「あのベルを鳴らしなさい。 エレベーターが、上がってくるだろう。 おまえはそれに乗り込んで、降りて行きなさい」と。
1:18:07 で、その男は、行って、ベルを鳴らし、降りて行って、扉が開く。 彼は、最も美しい女の子たちに、出迎えられる、等々々です。 で、彼は、「何とまあ、これが人生だよ。 私は、上に上がって行って、ペテロさまに言ってもいいかな」と言いました。 で、彼はベルを鳴らし、エレベーターに乗り込み、上がって行って、言います - 「私に選択を与えてくださって、ありがとうございます。 私は、下のほうが、好みです。」と。 ペテロは、「そうだと思ったよ!」と言う。 で、男は、ベルを鳴らして、降りて行き、扉を開く。
1:18:49 二人の人たちが、彼を出迎えて、ぼこぼこに殴り、 突き回すなどをする。 男は言います - 「ちょっと待って。 一分前にここに来たとき、私を王様のように、もてなしてくれたのに!」と。 「ああ、あんとき、あんたは、観光客だったんだ!」と。
1:19:12 すみません。 崇高なことから、滑稽なことへ - それもまた、良いんですが。
1:19:38 私たちは、いつか他の時に、これを継続しなければなりません。 なぜなら、それは、何か言葉に表さなくてはいけないことであるからです。
1:19:49 B: それは、不可能に思われます。

K: 見てみましょう。 私たちは、かなり遠く来ましたよ。