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OJBR80CB4 - 自我中心的な活動の様式を破ること
ディヴィッド・ボームとの会話 第4回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月10日



0:00 これは、1980年、カリフォルニア、オーハイでの、J.クリシュナムルティと ディヴィッド・ボームの間の第4回対話である。
0:12 クリシュナムルティ: もしも私たち、あなたと私が始めて、 後で彼らが、加われたなら、だいじょうぶでしょうか。
0:30 私は質問をしたいと思います。それにより、私たちは何かへ、導かれるかもしれません。 何が人を、人間を変化させるのでしょうか - 深く、根源的に、根本的に、です。 人は、危機に次ぐ危機が、ありました。 人は、大変多くの衝撃を受けてきました。 人は、あらゆる種類の不幸、あらゆる種類の戦争、 個人的な悲しみなどを、経てきました - そして、少しの愛情、少しの喜びを、です。 ですが、このすべては、人を変化させるように、思われません。 何が、人間をして、彼が進んでいる道を、離れさせ、 全然違った方向へ、動かすのでしょうか。 それは、私たちの大問題の一つであると、私は思います。思いませんか。
1:56 B: ええ。仰ることは真実ですね。
2:01 K: なぜでしょう。 もしもあなたが、関心を持っていたなら- そうでなければなりませんが - 自らが、人類に、人間たちに、 起きつつあることすべてに、関心を持っているなら、 人を動かして、一つの方向から他のへ出す 正しい行為は、何なのでしょうか。 この問いは、妥当ですか。 何か意義が、ありますか。
2:41 B: まあ、私たちはこの行為が見えないのなら、 それは、大きな意義を持たないでしょう。
2:53 K: その問いは、何か意義がありますか。
2:58 B: まあ、それが意味することは、本当は間接的に、 何が人々を留めているかを、訊ねることです。
3:04 K: ええ。同じことです。

B: 同じ問いです。 もしも私たちが、何が人々を、現在の方向に留めているかを、見出せたなら、です。
3:13 K: それは、人の基礎的な条件づけでしょうか。 基礎的とは、このものすごい、 自我本位の態度と行為の感覚ですが、 それは、何にも屈しようとしません。
3:50 B: まあ、それは何にも屈しようとしない、と仰るのなら・・・
3:53 K: 見たところ、それは、まったく屈するように思われない、という意味です。 それは、変化するように見えます。 それは、屈するように見えます。 時にそれは、「ええ」と言うように見えますが、中心は同じままに留まります。 おそらくこれは、ここ二、三日間、二、三回の 私たちの対話の線には、ないかもしれませんが、 私たちはそれから始めてもいいかもしれない、と考えました。 それは、何の価値もないのか、それは、どこにもつながらないのかどうか・・・
4:44 B: あなたは、何が人々を留めているかについて、何か概念を持っていますか。 本当に彼らを変化させるだろう何か、ということです。
4:52 K: そう思います。

B: すると、それは何ですか。
4:57 K: これは、あらゆる真剣な人間の問いであった、ということです。 妨げているのは、何ですか。 私たちは、環境の条件づけをとおして、それに接近しますか - 外から内へ、 そして外から- 自らの活動ですが - 内を発見し、 そのとき、外は内である、 同じ動きであることを、発見し、 そのとき、それが何であるかを見るために、それを越えてゆきますか。 私たちは、それをできるのでしょうか。

B: いいですね。
5:55 K: 私の話が明らかになっているのかどうかと、思われます。
6:06 B: 外的と仰るとき、それは、どういう意味ですか。 社会的な条件ということですか。
6:11 K: 社会的な条件づけ、宗教的な条件づけ、 教育、貧困、富、 気候、食べ物 - 外です。 それは精神を、一定方向に条件づけるかもしれませんが、 それをもう少し検討すると、 心理的な条件づけもまた、幾らかは、外からです。
6:48 B: まあ、或る人物が考えるさまは、 彼の関係の仕組み全体により、影響されるであろうことは、真実ですが、 それは、なぜそれがそんなに堅牢であるか、なぜそれが留めるのかを、説明しません。
7:02 K: それが、私も訊ねていることです。

B: ええ。 そうね、もしもそれが、単に外的な条件づけであったなら、 それは、もっとたやすく変化させられると、期待されるでしょう。
7:10 K: たやすく変化させられる、と。
7:11 B: 例えば、何か他の外的な条件を、つけられるでしょう。
7:14 K: 彼らは、それらを試してきました。

B: 彼らは、それを試してきました。 共産主義の信念全体は、そうなるだろう、というものでした。 新しい社会でもって、新しい人があるだろう、と。
7:22 K: ええ、新しい人が、ね。 新しい社会でもって新しい人が、と。 ですが、それはずっとなかった・・・全くです。
7:32 B: まあ、内的なものの本性には、根源的に何かが、あると、 私は思いますね - 留めるもの、 変化に抵抗するものが、です。
7:52 K: それは何ですか。 この対話、この問いにより、私たちはどこかに、導かれるのでしょうか。
8:04 B: 私たちが実際にそれを暴かないなら、それはどこにも、つながらないでしょう。
8:09 K: もしも自らの精神を注入したなら、見つけられるかもしれないと、私は思います。 それはできると、思います。 精神を、というのは、分かりますね。 私はただ訊ねています - この問いは、そのかいが、ありますか。 それは、私たちがここ二、三回、会ったとき 話してきたことに、関係していますか。 または、私たちは、自らが話してきたこととの関係で、 他の何かを、取り上げるのでしょうか。
8:46 B: まあ、私たちは、時を終わりにすることについて、 話してきたと、私は思います - いや、なることを終わりにすることについて、です。 

K: ええ、ええ。
8:57 B: そのとき私たちは、完全な理性をとおして、 基盤と接触することを、言いましたが、 今、私たちは、精神は理性的ではないと、言えるのでしょう。
9:11 K: ええ。私たちは、人は基本的に非理性的である、と言いました。
9:14 B: ええ。これが、おそらく妨げの一部です。 例えば、もしもあなたが、完全に理性的であったなら、 私たちは必然的に、この基盤に来るでしょうね? それは正当でしょうか。
9:29 K: ええ。あなたは先日、ここにいなかったですね。 私たちは、時が終わることについて、対話を行っていました。 科学者も、物質の究明をとおして、 その点を見つけたいと思います。 また、いわゆる宗教的な人々も、 言語的にだけでなく、彼らは、時が止まりうるのかどうかを 見出すために、尽力してきました。 私たちは、かなりそれに、入りました。 私たちは、聞こうとする人間にとって、 洞察をとおして、時が終わるのを見出すことは、可能であると、言います。 なぜなら、洞察は記憶でないからです。 記憶は、時です - 経験、知識としての記憶、 頭脳に蓄えられている、などです。 それが作動中であるかぎり、 何に対しても洞察を持つ可能性は、ないのです。 部分的な洞察ではなく、全的な洞察、です。 芸術家は、部分的な洞察を、持ちます。 科学者、音楽家など、それらはすべて、部分的ですし、 ゆえに、それらはやはり、時に束縛されています。
11:18 全的な洞察を持つことは、可能ですか。 私たちはそれに一歩一歩、入りました。 それは、可能です - すなわち、「私」が終わることが、です。 なぜなら、「私」は、思考により組み立てられているからです。 思考は時です。 「私」は時です - 「私」、私の自我、私の抵抗、私の傷、それらが、です。 その「私」は、終わりうるでしょうか。 全的な洞察があるのは、それが終わるときだけです。ですね? それが、私たちが発見したことです。ですね?
12:14 私たちは、その問いに入りました - 人間は、「私」のこの構造全体を、 全的に終わらせることが、可能でしょうか。 私たちは、「可能だ」と言いました。 私たちは、それに入りました。 ほとんどの人々は、これを聞こうとしないでしょう。 なぜなら、おそらくそれは、あまりに怯えさせるからです。 そのとき、問いが生じます - もし「私」が終わるのなら、何がありますか。 ただの空っぽですか。 それには、何の興味もありません。 ですが、賞罰の何の感覚もなく、自らが究明しているなら、 何かが、あります。 私たちは、その何かは全的な空っぽである、と言います - それは、エネルギーと静寂です。 あなたは言います - 「それはとてもすてきですね。それは、すてきに聞こえます」と。 が、真剣であり、それを越えたい、自分自身を越えたい普通の人にとって、 それは、何の意味もありません。 私たちはそれを、さらに推し進めました- これらを越えて何かが、ありますか。 よろしいですか?

B: ええ。
13:57 K: 私たちは、ある、と言いました。

質問者: 基盤です。
14:01 K: 基盤です。あなたは、おそらく始まりに、ここにいたのでしょう。 そして、私が正しく憶えているなら、最後のことは、こうです - 人々は、これを聞くのでしょうか。 で、この探究の始まりは、聞くことである、ということですか。 私が正しく憶えているなら、それが、私たちが止めたところであると、私は思います。 よろしいでしょうか。で、私はそれらを、忘れてしまっていました。 私はちょうど、それを思い出したんです。 で、私は、この問いでもって、始めました- 私がちょうど始めた問いです。 その問いは、忘れましょう。 私たちは、おそらく少し後で、それに戻ってくるでしょう。 私は人間として、自らの自我中心的な活動を、 完全に、あきらめるのでしょうか。 何が、私を動かして、それより離れさせるのでしょうか。 私を、ではない。 それは、話し方だけです。 何が、人間を動かして、 この破壊的な、自己中心的な活動を、離れさせるのでしょうか。 それは、同じことに来ます。 彼が褒賞をとおして、動いて離れるなら、それはまったく・・・ それは、ただもう一つの・・・それには、処罰が伴います。 で、それを取り除きます。 そのとき、何があなた、人間をして、 - 私は、褒賞なく「放棄」という言葉を、使っていいなら - それを、完全に放棄させるのでしょうか。 よろしいでしょうか。 人は、この方向で、あらゆる物事を、試してきましたね - 断食、様々な形での苦行。 信念をとおした自己否定、 何かもっと大きなものとの同一視をとおした 自己否定などなど、です。 宗教的な人々すべては、これを試してきましたが、 それは、やはりそこにある。
17:14 B: ええ。さて、活動全体が、何の意味もない、意味をなさないことが、 明らかになる、と思います。 ですが、どうしてかこれは、明瞭になりませんね。 普通に言って、人々は、何の意味もない、意味をなさないことより 動いて、離れるでしょう。
17:37 K: ええ、ええ。
17:38 B: ですが、この事実の知覚は、 精神により拒絶されるように、思われますね。 精神は、それに抵抗しています。
17:45 K: 精神は、この常なる葛藤に、抵抗しています。 それは、この葛藤より動いて、離れていきます。
17:58 B: ええ。それは動いて、 この葛藤は何も意味がないという事実より、離れていきます。
18:05 K: 彼らはそれが見えない - そう仰ろうとしていますか。
18:08 B: それだけではなく、精神はほぼ、 意図的に、それを見るのを回避するよう、設けられています。
18:13 K: ああ、精神は、それを回避しています。
18:15 B: それは、ほぼ意図的にそれを回避していますが、全く意識的に、ではない。 例えば、それは意識的にそれを回避すると、 あなたは時々、仰いました -何もできないから、 自分たちはヒマラヤへ隠遁しようとしていると言う、 インドの人々の事例のように、ですね。

K: ああ、それは望みがない。 こう仰ろうということですか - 精神は、葛藤の中で、とても長く生きてきたので、 動いて、それより離れるのを、拒否する、と。
18:55 B: なぜそれが拒否するのかは、明らかでない。 それは、それをあきらめるのを、拒否しますね。
19:02 K: ええ、同じことです。 それをあきらめるのを、拒否します。
19:04 B: ええ。なぜ精神が、葛藤の十分な無意味さを 見たいと望まないのかは、明らかではありませんね。 精神は、自体を欺瞞しています。それは、持続的に、それを覆い隠しつつあります。
19:16 K: 哲学者たちと、いわゆる宗教的な人々は、 闘争を強調してきて、 闘争する感覚を、強調してきました - 制御し、努力をすることを、です。 それが、なぜ人間たちが、自らの生の道を手放すのを、 拒否するかの原因の一つですか。

B: それは、一つの点かもしれませんね。 人々は、闘うことや闘争することにより、 自分たちが、より良い結果を達成するだろうと、望みます。 それは、私たちが持っているものを、あきらめることではなく、 闘争により、それを改善することです。
20:05 K: ですが、人が、そうね、二百万年の間、生きてきたのは、分かりますね。 人は何を、達成してきたのでしょうか。もっと多くの戦争、 もっと多くの破壊、です。

B: 私が言おうとしていることは、 これを見ることに抵抗して、 持続的に望みへ戻る傾向が、ある、ということですね - すなわち・・・ 闘争が最終的に、何かもっと良いものを生み出すだろう、と望むことに、です。
20:40 K: 私たちが、この点を明らかにしてきたのかどうか、 私はすっかり確かではありません。 すなわち、世の中の知識人たちは - 私はその言葉を、尊敬を込めて使っています。その言葉 - 世の中の知識人たちは、これを、強調してきました。 この闘争の要因を、です。
21:02 B: 彼らのみんなが、そうしたのかどうか、私は知りませんが、 彼らの多くはそうしたと、思います。

K: 彼らのほとんどは、です。例えば・・・
21:08 B: カール・マルクス。
21:10 K: ええ。カール・マルクスと、〔科学史、統計学の〕ブロノフスキーさえもです - 彼は〔科学ドキュメンタリー番組で〕、ますます多くの知識を取得し、 ますます多くの闘争をとおして、ますます多く・・・と言います。 それは、彼らが私たちの精神に対して、 とてつもない影響力を持ってきた、ということですか。
21:26 B: まあ、人々は、知識人からの何の奨励もなく、 そうすると、私は思います。 そう、闘争は、あらゆるところで強調されてきましたね。
21:33 K: それが私が言いたい意味です。あらゆるところで、です。さて、なぜですか。
21:40 B: まあ、始まりに人々は、それを必要だと、考えました。 彼らは、生きるために、自然に対して闘争しなくてはいけなかったですね。
21:46 K: で、自然に対する闘争が、他へ移行させられてきましたか。
21:51 B: ええ、それは、その一部です。 「勇敢になれ」と言いますよ。 勇敢な狩人にならなければならないなら、 勇敢な狩人であるために、自分の弱さに対して、闘争しなければなりません。
22:01 K: ええ、そうです。 そうです。そうです。
22:03 B: さもないと、それをできません。
22:06 K: で、私たちの精神は、この様式の中に、条件づけられていたり、 形作られていたり、留められている、ということですか。
22:15 B: まあ、それは確かに真実ですね。 でも、それでは、 それを変化させることが、なぜそんなにとてつもなく難しいのかは、説明されません。
22:26 K: なぜなら、私は、それに慣れているからです。 私は、牢獄の中にいます。 私は、それに慣れています。
22:32 B: ええ。ですが、それより動いて離れることに対して、 ものすごい抵抗があると、思います。
22:42 K: なぜですか。なぜ人間は、これに抵抗しますか - あなたがやってきて、これの誤謬、これの非理性を指摘するときに、です。 そして、あなたは、原因と結果の全体と、実例、データと、 他のあらゆる物事を、示します。

B: それが、私が言ったことです - すなわち、人々は、もしも完全な理性の能力があったなら、 それを落とすでしょうが、 それには、もっと何かがある、と思います。
23:14 K: もっと・・・

B: 問題には、ね。 そうね、あなたは、それの非理性を暴露するかもしれません。 一つには、人々は言うかもしれません・・・ 起きることは、もっと何かがある、ということなんです - 人々は、この思考の様式全体に、 十分に気づいていない、という意味において、です。 そうね、それは、一定の水準で暴露されてきましたが、 それはやはり、人々が気づかない水準で、継続します。
23:45 K: ええ。でも、何が、彼らをして、気づかせるのでしょうか。
23:49 B: まあ、それが、私たちが見つけなくてはいけないことです。 人々は、自らがこの傾向を持っていることに、気づかなくてはいけないと、 私は思います - 条件づけでもってつづけていく傾向、です。 例えば、それは、単なる習慣なのかもしれません。 それは、多くの過去の結論の結果なのかもしれません - 人々が知らずに、すべてが今、作動しているのです。 人々をこの様式に保つのは、多く違った物事が、あります。 で、抽象的にあなたは、誰かに、様式は意味をなさないことを、 確信させるかもしれませんが、生の実際の事柄となるとき、 彼は、千の違った進行の道を、持っています - その様式を含意するものを、です。

K: 全くです。すると、何ですか。
24:41 B: まあ、或る人物は、それらを壊してしまうには、
24:44 極度にこれに興味を持たなくてはいけないだろうと、私は思います。
24:48 K: すると、何が、人間をして、 極度にこれに、興味を持たせるのでしょうか。 そうね、彼らは、「これをするなら」と、褒賞として、天国を提供してきましたね。 様々な宗教が、これをしてきましたが、それは、あまりに子どもっぽくなります。
25:14 B: まあ、それは様式の一部です。 そのとき、そうね、褒賞です・・・

K: ええ。
25:18 B: ただ、何かをするため、です。そうね、誰かは、こう言うかもしれません - 「何か大きなことが、出てくるとき以外、 私は、自分の自閉的な様式に、従う」と。 そうね、人々は、本当の緊急時には、そのことをします。 彼らは、自閉的な様式を、落とします。
25:31 K: ええ。それはいつもです。 それは見られます。
25:34 B: ふつう規則は、こうです - 何か本当に大きいことが、出てくるとき以外、 私は、自閉的な様式に、従う、と。
25:40 K: 大きな危機が、起きます。 そのとき、彼らは・・・
25:41 B: または、大きな褒賞が、獲得されることになっている。 

K: もちろんです。
25:44 B: それを抜け出すためには、何か特別なことが、要るんです。
25:47 それから、その特別なことが過ぎ去ったとき、あなたは、元に戻ってしまいます。
25:50 K: またもや元に戻る。 さて、なぜですか。
25:53 B: まあ、それは、考える様式ですね。 人々は何らかの面で、 それは価値を持っているにちがいないと、感じると、思います。 人々は、それを信じていますね。 もしも、あらゆる人が、今一緒に働くことができて、 突然に調和を生み出すことができたなら、あらゆる人が、 「いいよ。私はそれをあきらめよう。自分自身をあきらめよう」と、言うでしょうが、 それの欠如においては、「私は、自分が持っているものに、 取りすがったほうがいい」と言いますね。 それが、その種の考えです。
26:14 K: すなわち、知られたものに取りすがるほうが、いい、と。
26:16 B: ええ。私は、多くを持っていないが、それに取りすがったほうがいい。 なぜなら、もしも、あらゆる人が、突然に調和的になる、としたならば、 たぶん私は、それを離れられるかもしれない、と。

K: ええ。で、あなたは、こう仰っていますか - あらゆる人が、こうするなら、私は、そうするだろう、と。
26:30 B: それが、共通の考え方です。 それが暗黙裡なのが、分かりますね。

K: ええ。共通の考え方です。
26:33 B: なぜなら、人々が緊急時に 協働しはじめるやいなや、大変多くの人は、 付き合っていくからです。 

K: で、彼らは、コミューンを形成しますが、 それらすべては、失敗してきました。
26:45 B: なぜなら、少し後に、この特別なものが、去ってしまい、 彼らは、古い様式へ、また陥ってしまうからです。
26:50 K: そのとおり。古い様式です。 で、私は、訊ねています - 何が、人間をして、この様式を突き破らせるのでしょうか。 進んでください。
27:14 D.ムーディ: それはまたもや、私たちが前回扱った問いに、関係していませんか - 時と、時のないことに、です。 葛藤があるとしても、精神は何を・・・
27:24 K: でも私は、時について何も知りません。 私は、それらについて、何も知りません。 それは、私にとって、ただの理論です。 しかし、事実は、こうです - 私は、この様式に捕らわれているし、私は、それを手放せないのです。 分析者たちは、それを試してきました。が、分析者は・・・ 宗教的な人々は、そうしてきました。 あらゆる人々が、人間たちにさせようとしてきました - 智恵ある人々は、これを手放させよう、と。 ですが、見たところ、彼らは、成功したことがありません。
27:57 ムーディ: でも、彼らは、それを手放そうとか、 その葛藤を終わらせようとのその試みこそが、 やはり葛藤を強めていることが、見えません。
28:07 K: いいえ。それは、ただの理論です。 ムーディ: いいえ。あなたは
28:10 それを、彼らに説明できます。

K: あなたは、説明できます。
28:13 私たちが言ったように、1ダースの説明が、あります - とても理性的です。 その終わりに、私はまた、これへ陥ってしまうのです。
28:23 ムーディ: まあ、あなたは、本当にそれを、理解していなかったなら、 またそれへ、陥ってしまうだけです。
28:28 K: あなたは、そう言うとき、それを理解しましたか。 あなたは、それを理解していなかったなら、 なぜ、私やあなたやムーディは、「終了」と言ってこなかったのですか。 あなたは、私に千の説明を、示せます。 すべてがたぶん、ちょっと理性的です。 私は、「ええ、とてもすてきです。 あなたは、それをしましたか。 では、何ですか?」と言います。
28:57 ムーディ: 私は、その問いを、理解すらしませんね。 あなたが私に、「あなたはそれをしましたか」と訊ねるとき、です。
29:02 K: あなたはすでに - いえ。私は、個人的には、言っていません。 あなたは、なぜ人間たちがこの様式より動いて離れたり、 それを突き抜けたりできないのかの 説明を、示してきたとき、 あなたは私に、何か説明を与えてくれます。
29:20 ムーディ: いえ。私は、あなたに説明以上のものを、与えます。
29:22 K: あなたは私に、何を与えてくれますか。
29:27 ムーディ: 私は何かを、正確だと観察するなら、 その観察についての説明は、 ただの説明以上です。
29:35 K: ええ。ですが、私はできません。 私はこれを、受け入れてきました。 私はこれを、明らかに観察できません。
29:41 ムーディ: まあ、それが問題です。
29:42 K: では、それが明らかに見えるよう、私を助けてください。
29:46 ムーディ: そのためには、興味が、なければなりません。
29:51 K: いえ。なければならない、と言わないでください。私は興味を持っていません。 彼がちょうど今、指摘したように、ものすごい危機があるとき、 私は、興味を持ちます - 戦争のように、です。 私は自分自身を忘れます。 事実、私は喜んで、自分自身を忘れます。 私は責任を、将軍たちに、政治家たちに、委ねます。 危機のもと、私は忘れますが、 危機が去ってしまった瞬間、私は、自分の様式に、戻っています。 それは、いつの時も、起きています。 さて、私は、自分自身に言います -何が、私をして、これを、様式を 放棄させるのでしょうか。または、それを、突き破らせるのでしょうか。
30:40 質問者: それは、偽りを見なければならない、 ということではないですか。

K: それを私に、示してください。
30:47 質問者: 私は示せません。なぜなら、私はそれを、見ていないからです。
30:49 K: そのとき私は、人間として何をするのでしょうか。
30:53 あなたは私に、一万回、説明してきました。 それがどんなに醜いのか、 それがどんなに破壊的なのか、などなどを、です。 そしてあなたは、危機において等々と、指摘してきました。 私は、いつの時もまた、この様式へ陥ってしまいます。いいですね? 私を助けてください。または、様式をどう破るのかを、私に示してください。 質問を理解されますか。
31:27 ムーディ: すると、あなたは、興味を持っていますね。
31:31 K: いいですよ。さて、何が、私をして、興味を持たせるのでしょうか。 痛みが、ですか。
31:39 ムーディ: 私は知りません。 ふつう、そうならない。 時々、一瞬の間、そうなりますが、それは、去ってしまいます。
31:47 K: では、何が、人間としての私を、鋭敏にし、気づかせ、 強烈にするのでしょうか - それで私が、このものを突き破るように、です。
32:08 質問者: あなたは、その問いを、行為ということ、突き破る、放棄する ということに立って、述べられます。

K: または、何もしないこと、です。 対極を取ってください。 

質問者: それは、見るという事柄ではないですか。
32:21 K: ええ。私に見えるよう、示してください。私を助けてください。 なぜなら、私は、あなたに抵抗しているからです。 私の様式が、深く自分に染み込んでいて、 押しとどめているのです。 ですね? 私は、証明がほしい。 私は、納得したいのです。 ですね?
32:51 質問者: 私は、納得していますが、見えません。
32:55 ムーディ: そのとき私たちは、この問いに入らなくてはいけませんね - なぜ私は、証明がほしいのか。 なぜ私は、納得したいのか。
33:04 K: いいえ。なぜなら、あなたは私に、 これは、愚かな非理性的な生き方である、と言うからです。 あなたは私に、その効果、 その原因のすべてを、示してくれます。 私は、「はい」と言いますが、私は、手放せません!
33:28 B: まあ、実のところ、私は、このすべてが愚かで、 非理性的であることは、十分ありうると、感じますが、 私がそこにいる上は、これは、何をも変化させませんね。 あなたは、それが「私」のまさに本性である、 私は自分の必要を充足させなければならない、 と言うかもしれません - それらがどんなに非理性的であっても、です。
33:47 K: ええ、そうです。 それが、私が言っていることです。
33:49 B: で、非理性は結局、勝利できません。 なぜなら、あなたは、 「初めに私は、自分の必要の世話を、しなければならない。 それから私は、理性的になろうとできる」と言うからです。
34:00 K: すると、私の必要は何ですか。
34:02 B: 必要の幾つかは、実在し、幾つかは、想像上ですが・・・
34:05 K: ええ。そうなんです。 想像上の幻影の必要が、他の必要を、揺るがします。
34:14 B: ええ。 でも、私は、 自分が良くて正しいと、信じなくてはいけないかもしれませんね。 そうね - 私はいつもそこにあるだろう、と。
34:22 K: では、私がそれを破るのを、助けてください。 

B: ええ。 私は、これが幻影であることを、見なくてはいけない、と思います。 それが実在に思われるなら、私は、「私に何ができるのか」と言えますね - なぜなら、私が本当にそこにあるなら、私はこれらが必要であるからです。 そして、私が消滅しようとし、壊れてしまおうとか、何とかなら、 理性的であることについて、話をすることは、愚かですね。 そうね、あなたは私に対して、私がそこにない、もう一つの存在状態が あることを、提案なさったんですね。 私がそこにあるとき、これは何も意味をなしません!
34:56 K: ええ、全くです。 ですが、私はそこにいません。 仮に、人間として、天国は完璧である、あなたはそこにいる、とします。 私はそこにいない。どうぞ、私がそこに着くよう、助けてください。
35:07 質問者: いえ、いえ、いえ。 

B: いえ、いえ。それは、何か違ったことです。
35:09 K: 知っています。あなたが仰っていることは、知っています。
35:13 ムーディ: 私は天国へ行きたいとのその要求こその、
35:18 幻影のような本性を、分かりますか。 まさにその問い - または、私は覚りを開きたいとか、 私はこれでありたいとか、私はあれでありたいとか。 まさにこの問い、まさにこの要求こそが・・・
35:31 K: 私の要求は、なることに、基づいています。 ムーディ: そうです。
35:38 K: もっと多くに、です。 ムーディ: それは、幻影です。
35:41 K: いいえ。あなたはそう言います。
35:43 B: あなたはまだ、それを私に、立証していませんね。
35:47 K: それは、あなたにとって観念です。 それは、ただの理論です。 あなたはあまり・・・見えていない。 私に示してください。
35:57 ムーディ: あなたは進んで、本当にこの問いを、探検しようとしていますか。
36:03 K: 私は、一つの条件つきで、進んでしようとします。 私は実際、自分の条件を設けてきました。 なぜなら、私はその終わりに、 何かを見つけたいからです。 ムーディ: まあ、それが問題です。 いえ、人間精神がいかに働くかを、見てください。 ムーディ: ええ、まさにそうです。
36:24 K: 私は、それから何かを得られるのなら、一番高い山にも、登るでしょう。
36:30 ムーディ: 精神は、これが問題であることを、見られますか。
36:33 K: ああ、そうです。それは見ます。 ええ。ですが、それは手放せません。
36:36 ムーディ: まあ、見えるのなら、手放します。
36:39 K: いえ、いえ。あなたは、ぐるぐる円周を、回っています。
36:42 B: それは抽象的に、問題を見ます。すなわち、 それがとおして、それを見る・・・

K: そうなんです。 さて、なぜ私は、抽象的にそれを見ますか。

B: ええ。まあ、まず最初に、そのほうが、ずっとたやすいです。
36:58 K: いえ、いえ。 それに戻らないでください。
37:01 なぜ私の精神は、あらゆる物事を抽象にしますか。
37:06 B: 一定の程度、外的に抽象を作ることが、 思考の機能であることを、言うことから、始めましょう - そして、私たちは、それらをもう一度、内的に、運んでいきます。 それは、前と同じ種類のことです。

K: ええ、前と。
37:24 で、道がありますか - 私は、ただ訊ねています。見出しています - 私たちがここで、すっかり見逃していることが、他に何か、ありますか。 すなわち、私が指摘してもいいなら、私たちはまだ、考えています - まだ、同じ古い様式で考えています。ですね?
37:49 B: まあ、問い自体がその様式を収容していると、 私は思いますよ。そうでないですか。

K: ええ。 ですが、様式はやはり・・・ 様式の追求は、伝統的です。
38:02 B: ええ。でも、この問いを組み立てる中ですら、 様式は、継続してきましたね。
38:08 K: ええ。で、私たちは、これより、すっかり動いて離れられ、 それを違ったように見つめられますか。 それはできますか。 すなわち、私たちは、やはり言っています - あなたは、私に聞きなさい。 あなたは、興味を持たなければならない。 訊ねるな、と。よろしいですか。 それより、すっかり動いて離れる。 私は、それらより動いて、離れられますか。 人間精神は、こう言えますか - 「いいよ、私たちは、このすべてを試してきた。 マルクス、ブッダ、と」。 よろしいですか。 あらゆる人が、何らかのことを、指摘してきました。 私たちは、試してきました。 百万年の後に、明白に、です。 私たちはやはり、どうにか、その様式に捕らわれています - あなたは、興味を持たなければならない、聞かなければならない、 これをしなければならない、などと、言っています。 

B: それは、やはり時です。
39:17 K: ええ。そのすべてを離れてください。 そのとき、私がそのすべてを離れるなら、何が起きますか - 実際にそれを離れるのです。私は、それに立って、考えることすらしないでしょう。 私の話は明らかになっているのかどうかと、思われます。
39:44 質問者: そのすべてを離れる行為は、・・・
39:47 K: 行為ではない。 私は、あなたが私に、そのすべてを語ってきたのを、知っています。 私は、そのすべてを知っています。 宗教的な人々は、それを言ってきました。 マルクス主義者は - よろしいですか - あらゆる人が、です。 そしてあなたは、何かもっと説明、新しい捻りを、 付け加えますが、それは、同じ古い捻りです。 で、私は、「その区域を完全に去って、 問題を違ったように見つめよう」と言います。
40:18 質問者: 問題は、すなわち・・・

K: すなわち、なぜ私は
40:22 いつも、この「私」「私」「私」「私」の中心に、生きるのか、です。 よろしいでしょうか。 こういうことでしょうか - 私は、真剣な人、真摯な人間であり、 私は、これらを聞いてきました。 六十年か、五十年の後、 説明すべてを、私は知っています - 私は何をすべきか、何をすべきでないか、などなどを、です。 私は、「いいよ。私は、そのすべてを捨て去ろう」と言えますか。 それは、私は完全に一人で立つ、という意味です。 それは、どこかにつながりますか。
41:48 B: おそらく、ええ。 おそらくそうだと思います。
41:53 K: 私は、それはどこかにつながる、と思います。 

B: ええ。 基本的にあなたは、こう仰っていると、私には思われます - 人類のこの知識すべてを、離れてください、と。
42:01 K: そうです。

B: いいですね?
42:02 それが、私が言っていることです。

B: あなたは、見たところ、それは自らの所から外れていると、仰っています。
42:08 K: ええ。 知識と経験と説明、原因すべてを、離れてください - 人が創り出してきたもの、私が人間として創り出してきたものを、です。 そのすべてを、捨て去ってください。
42:32 ムーディ: でも、あなたはやはり、同じ精神とともに、取り残されています。
42:35 K: ああ!私は、そういう精神を、持っていません。 それは、同じ精神ではありません。
42:40 ムーディ: すると、あなたが仰っていることは、明らかではないですね。
42:43 K: ああ、いいえ。 私がこのすべてを捨て去るとき、私の精神は、変化したのです。 私の精神は、これです。

B: ええ。
42:53 ムーディ: いえ、いいですか・・・精神はまた、基本的な仕組みでもないですか。
42:59 K: それを、私は捨て去りました。
43:01 ムーディ: でも、それは捨て去れません。

K: ああ、できます。
43:03 ムーディ: これは、有機組織なんですね。

K: さて、ちょっと待ってください。 私の有機組織は、知識により、経験により、形作られてきました。 ですね?
43:14 ムーディ: 或る程度は。

K: ええ。 私が取得してきた、より多くの知識 - 私が進化してくるにつれ、私が成長してくるにつれ、 私がもっと、もっと多くを経験し、集めてくるにつれ、 それは、「私」を強めてきました。 ムーディ: ええ。 

K: 私は、一千年の間、その道を歩んできました。 そして私は、おそらく・・・私はこの問題を、 全然違ったように、見つめなくてはいけないかもしれない、と言うのです。 それは、まったくその道を歩まないことです。 私が取得してきた知識すべてを、捨て去るのです。 すみません。 ムーディ: 理解します。
44:04 B: この区域に、私たちがしていることに、この心理的な所に、です。
44:08 K: もちろん、心理的に、です。
44:09 B: 核心において、本源において、知識は不適切です。
44:13 K: そうです。
44:16 B: さらに下っていくと、それは適切になる。
44:18 K: もちろんです。もちろんです。 それは理解されます。
44:21 ムーディ: 私は、疑問を一つ持っています。 精神は、その進化の始まりか、 その始まりにおいて、 その同じ位置にありましたか。 何であれ、人と呼ばれるものの始まりに、 精神は、その位置にありました。 それは、何も知識を持っていませんでした。

K: いえ、いえ、いえ。 私は、それを受け入れません。 なぜあなたは、そう言いますか。 それは、存在した瞬間、すでにその中に形成されています。 それはすでに、知識に捕らわれています。
44:55 ムーディ: 私は、よく理解できません。
44:58 K: あなたは、そう仰るのでしょうか。
44:59 B: まあ、私は、それは、思考の構造に暗黙裡にある、と思います。
45:04 K: ええ。まさにそうです。
45:06 B: まず最初に、外的なものについて、知識を持つ。 それから、内的なことへ来て、それを適用する。 ゆえに、それを理解せず、 それは、そこに捕らわれようとしていました。
45:17 K: 即時の形成が、あります。
45:18 B: 頭脳が、内的なことについて 考えるほど良くて、発達したとたんに、 それは、外的な知識を、内的なことへ、 心理的に、なっていく区域の中へ、拡張させるでしょう。
45:32 ムーディ: そうね、精神は、もしも、新たに始められたなら、 再び、同じ間違いを、経てゆくでしょう。
45:39 K: いいえ。確かにそうではない。
45:42 ムーディ: それが学んでいないなら、です。 

K: いいえ! 私は学びたくない。 あなたたちはみんな、あなたは、やはり、同じ古い道を、追求しています! それが、私が反対していることです。 ムーディ: 私は、言葉の問題を
45:56 持っていると、思います - 正しい言葉を選ぶことに、です。
45:58 K: ああ、私は、学びたくありません。 いいえ、どうか私に、少しこれに、入らさせてください。
46:05 B: 私たちはそれを、はっきりさせるべきだと、言いましょう。 なぜなら、他の場合にあなたは、 学ぶことが重要である、と仰ってきたからです。

K: 学ぶのは重要です。 

B: 自分自身を観察することについてすら、です。
46:18 K: もちろんです。もちろんです。
46:19 B: でも、今あなたは、何か全く違ったことを、仰っています。
46:21 K: ええ。
46:22 B: それが違っていることは、明らかであるべきです。なぜか。 あなたがこの段階で、学ぶ概念を、あきらめてしまったのは、なぜですか。
46:30 K: この段階では、ね。なぜなら、私はいまだに、記憶を集めているからです。
46:33 B: ええ。ですが、精神について学ぶことが、 重要である段階が、ありました。

K: もちろんです。
46:38 いえ、私が言ったことに、戻らないで、ちょっと待ってください。 私はこのように、始めようとしています。 

B: ええ。
46:44 K: 私はちょうど始めています。 私は、六十年か、八十年か、百年の間、生きてきました。 私は、これらを聞いてきました - インドの説教師、インドの教師、 キリスト教徒、イスラム教徒。 私は、説明すべてを聞いてきました - 心理学的な説明、原因を、フロイト、マルクス主義者、あらゆる人に、です。
47:08 B: ええ。私たちは、もうちょっと行くべきだと、思いますね。 それは、すべて否定的なものですが、 付け加えておそらく、私は自分自身を観察し、

K: 私は自分自身を、観察してきました。
47:16 B: 自分自身について学んできました。

K: ええ、それを加えてください。
47:19 B: そうです。 それも加えてください。

質問者: Kを加えてください。

K: Kを加えてください。
47:24 B: それらが、学ばれてきました。

K: それら、そのすべてです。
47:27 その終わりに、私は、 おそらくこれは、それへの間違った見方である、と言います。 ですね?

B: そうです。 その道を探検してきて、私たちは、 最終的に、それは間違っているかもしれないと、見ることができます。
47:39 K: 私は、おそらく、と言っているだけです - おそらく、と。 私は、ただ押していき・・・
47:42 B: でも、或る意味で、おそらくそれは、 その道を探検することが必要だったんです。
47:46 K: または、必要でなかった。

B:そうでなかったかもしれませんが、 条件の組み合わせ全体を、与えられていて、それは、起きるに決まっていました。
47:51 K: もちろんです。で、今、私は、自らがそのすべては知識であると言う点に、 来たのです - 私たちは、それをその言葉に、表しましょう。 私は、それを捨て去ります。 なぜなら、それは、私をどこにも、導いてこなかったからです。 私が自分の自我中心主義より自由でない、という意味で、導いてこなかった。
48:09 B: それのみでは、十分でないですね。 なぜなら、それは働いてこなかったと仰るなら、 働くかもしれないと、いつも望んだり、そう仮定したりできるからですが、 事実、それは働きえないことが、見えました。
48:17 K: それは働きえない。ああ、私はそれについて、確定的です。
48:20 B: ええ。ですが、それはそれ以上です。 それは働いてこなかったと言うことでは、十分でない。実際にそれは、働きえない。
48:24 K: それは働きえないのです。

質問者: 私は、それについて、確定的ではありません。 それが、まさに困難ではないですか。
48:36 K: それは働きえない。 なぜなら、それは、時と知識に、基づいているからです - すなわち、思考に、です。 これら説明は、思考に基づいています - 知識を取得するなどなど、です。 あなたは、どう仰る・・・
49:12 B: まあ、私たちが行ったかぎりでは、 私たちはそれを、知識と思考に基づけてきました - 思考だけではなく、また、技能の習慣的な様式にも、です。 すなわち、思考の拡張であるすべてに、です。
49:26 K: で、私がそれらを脇に置くとき - 何気なく、ではなく、 未来への興味、関心をもって、ではなく、 私は、同じ様式が反復され、反復され、反復されるのを、見ます - 違った色合い、違った言い回し、 違った絵図、違ったイメージで、です。 私は、そのすべてを全的に、捨て去ります。 私は、幾千年の間、行ってきたように、北へ行く代わりに、私は止まってしまい、 東へ行っています。それは、私の精神が変化した、という意味です。
50:18 質問者: 「私」の構造は、去ったのですか。
50:25 K: 明白にそうです。
50:31 質問者: それへの洞察なしに、ですか。
50:34 K: いいえ、気をつけて。私は当分の間、洞察を持ち込まないでしょう。
50:39 B: でも、そうするには、洞察があったんです。 それをするのを考慮することは、洞察であったと、言うことなんです。 洞察が、働く全部のことでした。
50:46 K: おそらくは、ね。私は、その言葉を、持ち込みたくありませんでした。
50:49 B: 何ですか?あなたが、全部のことが働きえないと、仰ったとき・・・
50:52 K: それは働きえません。
50:53 B: それは洞察であると、私は思いますね。
50:55 K: 私には、ね。 それは働きえないと、見えます。 ですが、そのとき私たちは、再びそれに戻っていきますね - 私はどうやって洞察を取得するのかと、その他に、です。
51:04 B: でも、それらを脇に置いておいて、それは洞察であったと、ただ言うが、 どうやってそれを取得するかの問いは、論点ではない。
51:10 K: 「だめだ」と言うのは、洞察です。 

B: ええ。
51:15 質問者: 様式はだめだ?
51:18 K: ああ、いいえ。 経験、知識をとおした、 この常の、なっていくことを、終了させた。 よろしいですか。様式を、です。 終了しました。
51:33 ムーディ: ですが、その種類の、そのとき、後で考えることは、 全的に違った種類の考えることである、と仰るのでしょうか。 明白に、やはり考えなくてはなりません。

K: 私には確かではありません。
51:44 ムーディ: それは、他の何かと呼ばれるかもしれませんが。
51:46 K: ああ。私はそれを、他の何とも呼ばないでしょう。 どうぞ、私は漁っています。 すなわち、私は、百年間、生きてきた後、 あらゆる人が自己を終わらせる道を、指摘しているのを、見ます。 その道は、思考、時、知識に、基づいています。 私は、「すみません」と言います。 私は、そのすべてを知っています。 私は、洞察を持っています - 私は、その言葉を使いたいと思います - 私は、それへの洞察を、持っています。 ゆえに、それは私より、落ちてしまいます。 ゆえに、精神は、様式を完全に壊してしまいました - あの北へ行くことを、です。 そして、東へ、です。 あなたは、様式を壊してしまいます。
52:57 さて、いいですよ。ボーム博士は、これを達成しました - 達成した、ではない。 彼は、この洞察を得ていて、様式を破って離れました。 どうぞ、他の人間がそれへ来るのを、助けてください。 あなたは興味を持たなければならない、聞かなければならない、 こうしなければならない、と言わないでください。 するとあなたは、また陥ってしまいます。よろしいですか。 どうすれば・・・いえ、「どうすれば」ではない。 もう一人の人間との、あなたの疎通、伝達は、何ですか - それで、彼が、これらのめちゃくちゃを、経て行かなくてもいいように、です。 私の問いに、付いてきておられますか。 あなたは、どのように・・・「どのように」ではない。 何が、私をして、あなたが言ってきたことを、完全に吸収させるのでしょうか - そのため、それが、私の血に、私の頭脳に、私の道、あらゆる物事にあるように、 私は、このことが見えるように、です。 あなたは、何をするのでしょうか。 または、することは、何もないのですか。 付いてきておられますか。

B: ええ。
54:40 K: なぜなら、あなたはその洞察を、持っているなら、 それは熱情であるからです - それは、ただの利巧な洞察であって、 私は座り込んで、快適にいるだろう、ではない。 それは熱情です。 この熱情は、あなたを、じっと座らせておかないでしょう。 あなたは、動かなければならない、与えなければならないのです - 私がいう意味は、お分かりですか -それが何であっても、です。 あなたは、何をするのでしょうか。 どのようにあなたは・・・いえ。 あなたは、その熱情を持っています。 Xは、この無量の洞察のその熱情を、持っています。 その熱情は、きっと・・・ 大量の水をもった河が、岸を越えていくように、 その熱情は、同じように、動くにちがいありません。
56:03 さて、私は人間です -普通で、相当に智恵があり、 読書し、経験をし、あれやこれや他の物事を試してきました。 私は、このXに会います。 私はこう言います・・・ 彼はこれに満ちています。 なぜ私は、彼に聞こうとしないのでしょうか。
56:31 質問者: 聞くと、私は思います。
56:34 ムーディ: ですが、それは古い問いです。クリシュナジ。
56:37 質問者: クリシュナジ、聞きますよ。
56:40 K: 私は聞きますか。 あなたは聞きますか。
56:42 質問者: ええ。そう思います。

K: ああ、いえ、いえ。 きわめてゆっくりと行ってください。 あなたは、完全に聞きますか - 何も抵抗がないように、です。 なぜとか、原因は何か、なぜ私はすべきか、とか言わずに、です。 私のいう意味に、付いてきておられますか。 私たちは、そのすべてを通ってきました。 私たちはその区域を、果てしなく歩いてきました。行ったり来たり、隅から隅へ、 北、南、東。私たちは、その区域のいたるところを、歩いてきました。 Xが、やってきて、「ごらん」と言います。 「違った生き方が、あるよ。違っていて、全然新しい何かが」と。 それは、「どうぞ、聞いてください」という意味です。 あなたは聞くでしょうか - 完全に、それであなたは・・・そうね・・・
57:57 質問者: 抵抗があるなら、その抵抗が見えません。
58:03 K: ならば、学校へ戻りなさい。 私は無礼にしていません。 学校へ戻りなさい。
58:12 質問者: どういう意味ですか。
58:14 K: もう一度、一から始めなさい - なぜあなたは抵抗するかを、説明して・・・
58:20 質問者: でも、その抵抗が見えません。
58:22 K: いえ。それなら、私はあなたに、あなたの抵抗を示しましょう。 そうね、話をすることによって、です。 けれども、あなたは戻ってしまいます。
58:39 ムーディ: クリシュナジ、あなたの最初の問いは、 これを越えていかなかったですか。 そこであなたは、頼まれました - この聞くこと、この理性を、離れよう。 それは古い。 それを離れなさい、と。
58:51 K: そうですが、それは観念だけです。 あなたは、そうするのでしょうか。 Xは、やってきて、「ごらん。 これを食べなさい」と言います。
59:04 質問者: もしも、それが見えたなら、私はそれを、食べるでしょう。
59:10 K: ああ、はい。それは見えますよ。 きわめて明らかに、それは見えますよ。
59:19 質問者: 「私」は・・・

K: ああ、いいえ・・・ それが、私が阻止していることです。よろしいですか。 彼は、「様式に戻るな」と言いました。 見なさい。 するとあなたは、「どうやって私は、見ることになるのか」と言う - それは、古い様式です。 話が明らかになっているのか・・・ ただ見なさい! Xは、拒否します・・・その様式へ入ることを、拒否します。
1:00:14 質問者: 説明の様式ですか。

K: ええ。知識、そのすべてへ、です。 彼は、「渡ってきなさい。 戻っていくな」と言います。
1:00:26 ムーディ: クリシュナジ、世の中の通常の状況について話をすると、 同様の言葉でもって、見るよう、思考を脇に置くよう、 頼んでくる人々が、全く多数います - 「あなたは本当に、これを見つめるなら、それが見えるだろう」と。 それが、司祭者が語ってくることである、ということなんです。 で、違いは何ですか。

K: いえ、いえ、いえ。 私は、司祭者ではありません。 Xは、司祭者ではありません。 Xは言います - 「私は、そのすべてを離れてしまった。 私は、教会、神々、イエス、ブッダ、クリシュナを、去ってしまった。 私はそのすべてを去ってしまった - マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、 すべての分析者、すべてのパンディット、あらゆる人を」と。 そうね、私たちは、それをしたことがないんです! Xは、「そうしなさい」と言います。 ああ、あなたは、「いいえ。私はそれをできません。それらを越えて 他の何かがあることを、あなたが私に示してくれるまでは」と言います。 Xは、「すみません」と言います。 それは、何か意味を持っていますか。
1:01:49 B: ええ。 そうね、あなたが、「知識すべてを残して去りなさい」と仰るなら、 その知識は、自分には見えない多くの微妙な形を取ると、私は思いますね。

K: もちろんです。

B: そうね、たとえ・・・

K: いいえ。あなたは、この洞察に満ちています。 あなたは、そのために、知識すべてを捨て去ってしまいました。 私は、知識の小さな池で、バチャバチャやりつづけます。 あなたは、「それを去りなさい」と言います。 あなたが説明に入った瞬間、 私たちは、そのゲームに戻っています。 あなたは、説明するのを拒否します。 それは、なかなか良い。 そうです。
1:03:13 説明が、向こう岸へ渡るための船であったことは、 お分かりでしょう。 向こう岸の人は、「船はない」と言います - 「渡りなさい」と。 さて、Xはそう言います。 彼は私に、何か不可能なことを、頼んでいます。ですね?
1:04:02 B: それは、直ちに起きないのなら、不可能です。
1:04:07 K: 絶対にそうです。 彼は私に、何か私がすることが不可能なことを、頼んでいます。
1:04:37 K: ミツバチだ。
1:04:39 B: ミツバチが、とても活動的です。 とても暖かい。
1:04:55 K: 私は、動かしえないXに、出会っています。 私は、彼を避けて行く、彼を回避するのか、あるいは、彼を乗り切るのか。 私は、それのどれをも、できません。 しかし、Xは絶対的に、言葉のゲームに入るのを、拒否します。 そのとき私は・・・私は、言葉でゲームをやってきましたが、私は何をすべきですか。 Xは、私を一人に放っておかないでしょう。よろしいですか。 「一人に放っておく」というのは、 彼個人は、去ってしまうかもしれないが、 そのものは - 私は、動かしえない何かに、会った、という意味で、です。 それは、夜も昼も、私とともにある。 私はそれと戦えません。なぜなら、私が取り付きうるものが、何もないからです。 で、私に何が起きますか。 進んでください。 私に何が起きますか。 何か完全に堅固で動かしえない、 絶対的に真実であることに、私が出会うとき、 私に何が起きますか。 それが、問題ですか - 私たちはけっして、出会ったことがない、ということが、ですか。 すみません - 私はそれを表しているだけです。 そのようなものに、一度も出会ったことがない、と。 あなたは、ヒマラヤに登るかもしれませんが、エベレストは、いつもそこにある。 同じように、おそらく人間たちは、 取消不可能な何かに、一度も出会ったことが、ないのです。 絶対的に動かしえない何かに、です。 私は、それによりひどく悩んでしまうのか。 あるいは、私は、「それについて、私は何もできないな」と言い、 それより歩み去るのか。 あるいは、それは、私が究明しなければならない何かです。よろしいですか。 私はそれを、捉えなければならないのです。 いいですか? どちらですか。
1:08:44 ムーディ: でも、そのとき、私たちは古い様式に、戻っています。
1:08:47 K: いいえ、いいえ。
1:08:49 ムーディ: 私は究明したいです。

K: ああ、私はそれらを用いているが・・・ ここに、堅固なものが、ある。 私は、それに直面させられています。 私が言いましたように、私は、それより逃げ去るかもしれません。 一般的に、私はそうします。 または、それを崇拝するのか、 または、それが何なのかを理解しようとします。 私が、それらすべてのことをするとき、私はまた、古い様式に、戻っています。 で、私は、それを捨て去ります。 動かしえないXに出会うとき、私は、それの本性が何であるかが、見えます。 話が、明らかになっているのかどうか・・・ 私は、人間として、動かしうるが、Xは動かしえない。 それとの接触が、何かをします。 するにちがいない。 それは、何かの神秘性ではない。 それは、何かオカルト的なことと、それらの種類のことではない。 それは、単純なのでしょう。
1:10:19 質問者: それは、磁石のように機能します。 そういうわけで、あらゆる人がこの部屋にいるのですが、 それは、何かを破りません。
1:10:29 K: いえ、いえ。なぜなら、あなたは、様式を手放したことが、ないからです。 それは、彼の過失、Xの過失ではない。

質問者: 私は、そうだと、言いませんでした。
1:10:44 K: いいえ。意味合いはそうです。

質問者: いえ。
1:10:47 K: あなたが、「磁石」という言葉を用いるとき、それは、 そういう意味です - 引力、魅力です。

質問者: それは、その効果を持っています。
1:10:54 K: いいえ。ゆえに、あなたは・・・あなたは、依存しています。
1:10:58 質問者: でも、それが、起きつつあることです。 

K: それは理解します。 私はこう言っています - あなたは、ムーディは、Xに出会う。 何が起きますか。
1:11:21 質問者: あなたは、理解しようとする努力を、仰りました。

K: ああ、そのとき、あなたは迷っています。 あなたはまた、古い様式に戻っています。
1:11:33 ムーディ: ですが、出会うとの言語さえ、暗示します - すなわち、あなたは・・・
1:11:37 K: いえ、いえ。 言葉を砕かないでください。 出会う。あなたは向き合う、それを見る、それを感じる、 それを知る。認識する。 どんな言葉を用いようと、構いません。それは、ある。
1:11:50 B: まあ、Xが、古い様式をつづけていかないことの 絶対的な必要性を、伝達するなら、そうは言えませんね。 

K: そうです。

B: なぜなら、それが絶対的に、単純に、働きえないことが、見えるからです。
1:12:03 K: そうです。ご自分の言葉で表してください。いいですよ。

B: ゆえに・・・あなたは、それは変更不可能である、
1:12:09 それは動かしえない、と仰っています。 それが、仰ることの意味ですか。
1:12:12 K: ええ。私は動かしうる。 Xは動かしえない。
1:12:17 B: まあ、Xの裏にあるものは、動かしえない・・・ そう仰らないのでしょうか。 Xの中で、何が働いていますか。
1:12:28 K: 働いているものは、初め、幾らかの衝撃です。当然です。 私は、動いて、動いて、動いてきています。 そして、私は、何か動かしえないものに、出会います。 突然に何かが、起きます。 明白です。 何ものか、ではない。 何が起きるのかは、分かります。 Xは、なっていかないが、私は、なっていく。 Xは、説明とその他すべてを、通ってきました。 彼は、なっていくことは痛みであることを、示します。 私はそれを、すばやく、わずかな言葉に、表しています。 私は、それに出会います。 で、敏感さがある・・・ いいですよ。 それを逆の方に表しましょう。 説明と、きわめて多くの、多くの説明すべてを捨て去ったことにより、 私は、敏感になってきたのです。 明白です。はるかに鋭敏に、です。 私が、Xのような何かに、出会うとき、 当然、応答があります - 説明や理解ということに立ってではなくて、 それへの応答が、あります。 ないですか?必ずあるはずです。 もし私は音楽家であるなら、私はベートーヴェンやモーツアルトや 何であれ、好いています。 私は、聞いて、聞いて、聞いてきて、 それで私は、音楽に敏感になります。 で、同じように、説明は、 何度も何度も何度も何度も、示されてきました。 私は、それを聞いてきましたが、 それにより、私は鈍くなってきたのか、あるいは、 私は、説明がまったく価値を持たないことが、見えはじめます。 で、この過程において - 私は、この言葉「過程」を、用いています - この過程において、私は、説明のどの言葉にも、 とてつもなく敏感になってきました。 私は、アレルギーになっています! ここにもまた、危険があります。 なぜなら、ご存じでしょうが、 人々は、導師のもとに行くとき、彼が与えてくれると、言ってきたからです - 静寂でありなさい。すると、あなたは受け取るだろう、と。それは・・・ そうね、それは幻影です。 まあ、私は十分に言いました。
1:15:58 B: で、私は、こう言えるでしょうね - 説明は・・・ 時と知識などのこの過程全体が、働かないだろうことが、見えるとき、 それは止まると、ね。 さて、そのとき、 それにより、自らは、より敏感になって残されます。ですね?
1:16:17 K: そうです。あなたの精神は、鋭くなりました。
1:16:21 B: なぜなら、これらの動きは、じゃまになりつつあるからです。
1:16:26 K: ええ。 心理的な知識は、私たちを鈍くしてきたと、私は思います。すみません!
1:16:35 B: ええ。それは頭脳を、不必要なさまで、動かしつづけてきました。 それは明らかです。
1:16:40 ムーディ: すべての知識が?

B: まあ、いいえ。 或る意味で、知識はあなたを鈍くしなくてもいいと、 言えるんだろう、と思いますが・・・ それは、明瞭さから、始まるなら・・・ 私たちがこの心理的・・・知識を、核心に持たないところのそれですが・・・
1:16:57 K: そうです。 あなたは、私たちの議論においても言ったことを、憶えていますね - 基盤は、知識ではない。

B: ええ。そうね、
1:17:05 第一のことは、それが空っぽを創り出すということだ、と私は思います - これが見えるように、ですね。

K: ええ。そうなんです。
1:17:10 B: でも、まだ基盤ではない。

K: ええ。 即時に基盤ではない。

K: そのとおりです。 そうね、あなたは述べてきました - 私たちは、これらについて議論してきましたね。 私はそれを、録音テープで聞きます。 それは、書物に印刷されています。 私は、「ええ。それは分かる」と言います - よろしいですか - それを読むことによって、です。 私は、それを説明してきたし、あなたは、それを説明してきた。 私は、知識を取得してきた。 そのとき私は、「私はあれを持たなければならない」と言います。

B: ええ。まあ、危険はこうです - これを書物で伝達することは、とても困難ですね。なぜなら、それは、 あまりに固定しているからです。

K: いえ。それが、一般的に起きます。
1:18:03 B: ですが、主な点は、伝達し、伝達できるかもしれませんが、 それは、見ることである、と私は思います - 微妙なのと明白なのとすべての形での知識は、 心理的な問題を、解決できない。 それはただ、悪くさせられるだけだ、と。 しかし、そのとき、もう一つのエネルギーがあって、関与している。
1:18:32 K: そうですね。でも、今、何が起きつつありますか。 どんな紛糾でも起きるなら、私は、心理学者へ行きます。 どんな家族の紛糾でも、私は、 何をすべきかを語ってくれる誰かへ、行きます。 まわりのあらゆる物事が、組織されつつあり、 私を、ますますもっと助からなくしつつある。 いいですね?それが、起きつつあることです。
1:18:59 B: ええ。まあ、それは、同じ趨勢の一部です・・・
1:19:06 K: 趨勢。もちろんです。 もちろんです。同じ趨勢の一部です。
1:19:09 B: ・・・あらゆる局面に自分の知識を入れ込もうとし、 私たちの生を、ますます詳細に組織しようとしています。
1:19:20 K: 何時ですか。

B: 5時を20分過ぎました。
1:19:24 K: 5時20分か。私たちは止めたほうがいいと、思います。思いませんか。 私たちはまた会いましょうか。

B: 土曜日に、私たちは提案しました。
1:19:32 K: ええ。土曜日にそうしましょう。
1:19:34 B: 同じ時刻ですね?

K: ええ。