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OJBR80CB5 - 存在の基盤と、人の精神
ディヴィッド・ボームとの会話 第5回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月12日



0:00 これは、1980年、カリフォルニア、オーハイでの、J.クリシュナムルティと ディヴィッド・ボームの間の第5回対話である。
0:12 クリシュナムルティ: あなたが仰るべきことが、何か?
0:16 ディヴィッド・ボーム: まあ、おそらく私たちは行けると、私は考えました - 私たちは、これら議論の後で、幾つも問いを、出しました。 一つは、私たちが議論したこの基盤の本性でした - 私たちはそれに来られるのかどうかと、 それは、人間たちに、興味を持っているのかどうか、です。 また私たちは、頭脳の物理的な振るまいに、 変化がありうるかもしれない可能性について、議論しました。
1:04 K: 全くです。 私たちはこの問いに、この視点から、接近できるでしょうか - なぜ観念は・・・なぜなら・・・基盤は観念ですか。 それが、私が初めに明らかでありたいことです - なぜ観念は、そんなに重要になったのですか。
1:47 B: 私はおそらく、こう言うべきでしょうね - 観念と、観念を越えているものとの間の 区別が、明らかでないからです。 観念はしばしば、観念以上の何かだと、取られます。 すなわち、私たちは、それは観念ではなく、実際に実在である、と感じます。
2:03 K: それが、私が見出したいことです。 いいですか。
2:06 B: ええ。
2:07 K: それは観念ですか。 または、それは、想像、幻影、 哲学的な概念ですか。 または、それを越えて何もないという意味で、 絶対的である何かですか。
2:34 B: どうして、それを越えて何もないと、言えますか。
2:37 K: 私はただ・・・私は、ゆっくり来ようとしています。 私は、私たちはあれを見つめるのか、私たちは概念から、あれを知覚するのか、 あれに洞察を持つのかを、見たいと思います。 なぜなら、結局のところ、西洋世界全体は、 そして、おそらく東洋世界もまた、 概念に、基づいているからです。 彼らの見通し全体、彼らの宗教的な信念は すべて、それに基づいています。 アジア世界でもまた、そうですが、 私たちは、あの視点から、それに接近しますか。 哲学的な・・・究明。 (語源的に)叡智の愛、真理の愛、究明の愛、 精神の過程へ(の究明)、という意味での哲学(フィロソフィー)的ですが。
3:57 私たちは、そうしていますか - あの基盤が何であるかを、議論するときや、 究明や説明をしたり、見出したりしたいとき、です。
4:11 B: ええ。まあ、おそらく、哲学者すべても、 概念には、基づいていなかったでしょうね。
4:19 確かに哲学は、概念をとおして、教えられます。
4:22 K: ええ。それが・・・私はそれを問うているだけです。
4:25 B: ええ。でも、哲学者すべてが、本当に、 あらゆる物事を、概念に基づけたいと思ったのか どうかは、別の疑問です。
4:31 K: 私は、「すべて」と言いませんでした。「幾人か」と言いましょう。
4:34 B: 実は、彼らのほとんどが、です。

K: 彼らのほとんどが、です!
4:37 B: 確かに、概念をとおして以外に、それを教えることは、とても難しいですね。
4:41 K: で、私はただ知りたいのです。 そのとき、宗教的な精神と、哲学的な精神との 間の違いは、何ですか。 私が何を伝えようとしているかを、理解されますか。 おそらく私は、適切にそれをしていないのでしょう。 私たちは、基盤を究明しますが、 知識の修練をされている精神から、ですか。
5:29 B: ええ。まあ、根源的に私たちは、 基盤は本来、知られていないと言いますね。
5:34 K: それが、私が知りたいことです。ええ。
5:36 B: ゆえに、知識は - 私たちは知識でもって、始められません。 ずっと何年も前に、私たちはロンドンで議論を行って、 知られていないものから始めることを、提起しましたね。
5:44 K: ええ、ええ。 例えば、Xは、そういう基盤がある、と言います。 私たちのみんな、X、Y、Zと、A、B、Cは、 その基盤は何であるかと、言います - それを証明してください。それを示してください。それを顕現させてください、と。 私たちがそういう質問をするとき、 それは、探し求めている精神、または、むしろ 真理へのこの熱情、真理への愛を持っている精神ですか。 私が言っていることに、付いてきていますか。 または、単に私たちは、「それについて話しましょう」と言うだけですか。
6:39 B: あの精神には、確実性への要求がある、と思います - それが、「それ自体を示しなさい。 私は確かめたい」と言うのです。 で、ゆえに、探究がないのです。でしょう?
6:49 K: さて、仮に、あなたが、そういうものがある、基盤がある、 動かしえないなど、と述べる、とします。 Xは - 私はXの役を引き受けます -Xは、「私は見出したい。 私にそれを示してください。私にそれを証明してください」と言います。 私の精神は、知識をとおして、進化してきましたし、 それは、高度に知識の修練をされてきましたが、それは、 どのように、あれに触れることさえできますか。 なぜなら、それは知識ではないし、 それは、思考により組み立てられていないからです。
7:40 B: ええ。「それを証明してくれ」と言うやいなや、あなたは それを、知識に変えたいと思っています。
7:45 K: そうなんです。ええ。私にそれを証明してくれ。私にそれを示してくれ、と。
7:48 B: 絶対的に確実であるために、知識が、あなたがほしいものです。
7:50 K: そうなんです。 

B: それで、疑いがありえないように、です。 けれども、もちろんまた、他の側からは、 自己欺瞞と錯覚の危険もある。

K: もちろんです。もちろんです。 私たちは、よく気をつけて、ずっとそれらを通ってきました。 まさに始まりから、です。 私たちは言いました - どの形でも幻影が、あるかぎり、 基盤は、触れるなり何なり、できない、と。 幻影は、欲望、楽しみ、恐れとそれらの投影です。
8:21 B: ええ。私は単に、こう言おうとしただけです - 「それを証明してくれ」と 言う人物もまた、それら幻影に対して、これを防護しようとしている、と。
8:28 K: そうなんです。そうなんです。

B: でも、それは、虚しい望みです。
8:33 K: で、私はどのように、Xとして、あのものを知覚しますか。 それが、私が見出したい・・・ 基盤は、究明されるべき観念ですか。 または、それは、究明できない何かですか。
9:06 B: そうです。
9:09 K: なぜなら、私の精神は、経験と知識により、 訓練され、修練されていて、 それはそこで、あの区域で機能できるだけだからです。 そして、あなたがやってきて、私に語ります - この基盤は、観念ではない、哲学的な概念ではない、 それは、何か思考により組み立てられたり、 思考により知覚できるものではない、と。
9:53 B: ええ。または、思考により理解できない。

K: ええ、思考により理解できない。 そのとき、私は何を・・・あなたがしている・・・
10:00 B: ええ。あなたは、何らかの意味で、さらに付け加えてもいると、私は思います。 なぜなら、その人物は、「私はそれを、経験により見つけたい」と言うからです - 思考だけではなく、また経験も、です。

K: もちろんです。
10:13 B: それは、経験できないし、それは、概念化できないし、
10:16 そうね、思考をとおして、理解できません。
10:18 K: ええ。すると、私は何を持っていますか。 私は、知識により条件づけられてきたこの精神だけを、持っています。 私は、Xとして、どのように離れることになりますか - それらより、動いて離れるのです。 なぜなら、宗教的な人々より、哲学者が多くいるからです。すみません!
10:54 B: まあ、それは事に依存しますね。 真の哲学者も、ほとんどいません。
11:00 K: 宗教的な人々も、ほとんどいません。
11:03 B: どちらも、ほとんどいません。
11:06 K: 私はそれを、冗談にしているだけです。
11:09 B: ええ。まあ、私は知りませんが、 たとえば、自分自身を哲学者と呼ぶ人、 自分自身を宗教的と呼ぶ人々の数を、比較できるかもしれません - はるかに多くが、自分自身を宗教的と呼びます。 それは、大事ではない。 それは、数に入らない。
11:25 K: で、どのように私は - ふつうの人で、教育を受け、読書し、経験した者は、 このものを感じること、それに触れること、それを了解することに、なりますか。 あなたは、私に語ります - 言葉はそれを伝えないだろう、と。 あなたは、私に語ります - すべての知識より自由である精神を持たなければならない、と。 テクノロジー的な、他の種類の知識以外より、です。 あなたは私に、不可能なことを、頼んでいます。そうではないですか。 私は、「私は努力をしよう」と言うなら、 それもまた、中心から、生まれています- 自己中心的な欲望の中から、です。 で、私は、何をするのでしょうか。 これは、まがい物の問いではない、と私は思います。 それは、とても深刻な問いです。 これは、あらゆる人が問うことです。 あらゆる人が - 私は、この一般的な用語を、用いてはなりません - 真剣な人々が訊ねる、という意味で、です。
13:30 B: 少なくとも、暗黙裡に、です。 彼らは、それを言わないかもしれません。
13:34 K: ええ、暗黙裡に、です。 あなたは - いわば、岸のあちら側にいるあなたは、 渡るための船はないことを、私に語ります。 あなたは、泳いで渡れません。 事実、あなたは何もできません。 基本的にそれが、到るところです。 で、私は、何をしましょうか。 あなたは私に、自由になるよう、頼んでいます・・・ あなたは、精神に、頼んでいます - 一般的な精神ではなく、この精神に・・・
14:51 B: ・・・特定の精神に。

K: 特定の精神に。 あなたは、この特定の精神に、知識すべてを避けるよう、頼んでいます。 何とまあ! これは、キリスト教世界やユダヤ教世界で、言われたことがありますか。
15:26 B: 私は、ユダヤ教世界について、まさしくそう言われたことが あるのかどうかを、知りませんが、 或る意味で、キリスト教徒は、あなたに 神へ信仰を捧げるよう、あなたの個人的なことすべてを、あきらめるよう、 いわばイエスにお任せし、彼に委ねるように、語るでしょう。
15:43 K: いえ。彼らは、そう言ってきましたが、 イエスをとおしてのみ、ですね。

B: ええ、彼が・・・

K: 彼が、あなたが通って行く扉である、と。
15:51 B: ええ。彼が、私たちの間、
15:53 あなたと神との間の仲介者である、と。 

K: ええ。 ですが、いいえ。私が見出そうとしていることは、こうです - 例えば、ヴェーダーンタは、知識の終わりを、意味しています。 もちろんあなたは、それをご存じです。 知識が終わることです。
16:12 B: それは、そういう意味かもしれない、と思います。 私はサンスクリットを、さほど知りません。
16:17 K: ええ、ヴェーダ。私は、それについて、議論してきました。
16:19 B: ヴェーダは、自体では、知識を意味するんですよね。
16:22 K: 知識です。それは、それの終わり、という意味です。
16:25 B: ええ。それは、それの終わり、という意味です。
16:33 K: 私は、西洋人なので、それは私にとって何の意味もない、と言います。 なぜなら、ギリシャ人とそれらより、ずっと、 私がその中で生きてきた、この文化は、知識を強調しているからです。 昨夜、(科学史の)ブロノフスキーがまたもや(BBCの番組で)・・・
16:57 B: それが再放送された、ということですか。
16:59 K: ・・・ええ、人の進化とそれらについて、話していました。

K: ええ。あなたが東洋の精神へ話をするとき - 私は、普通の者ではなく、 研究してきた精神(の人たち)について、話しています - 彼らは、自らの宗教生活において、知識が終わらなければならない時が、 来なければならないことを、知っています。承認します。 ヴェーダーンタ哲学 - それは、彼らの見方全体です。 彼らは、精神は知識より自由でなければならないことを、 即時に理解するでしょう。 しかし、それはただ、概念的な、理論的な理解だけですが、 西洋人としては、それは、私にとって絶対的に、何の意味もありません。
18:07 B: まあ、始まりには、ね。 類似しているが、 さほど普及しなかった西洋の伝統が、あった、と私は思います。 たとえば、中世に『未知の雲』と呼ばれる書物が、書かれていたように、です。 それは、その路線にありますが、それは西洋思想の主な路線ではありません。
18:23 K: ええ。それが、私が言っていることです。 それは、西洋思想の主な路線ではない。 で、私は、何をするのでしょうか。 私はどのように、その問いに接近するのでしょうか。 私は、それを見つけたいのです - それを見つけるだけではない。 それは、生に意味を与えます。 私の知能が、何か幻影や何か望み、何か信念を創案することにより、 生に意味を与えるのではないが、 私は、漠然と分かります - この基盤を理解したり、それに出くわしたりする、このことが、 生に無量の意義を与えることが、です。
19:15 B: ええ。まあ、人々は、生に意義を与えるために、 神のあの概念を、用いてきましたね。
19:20 K: いえ、いえ。神は単に概念だけです。
19:23 B: ええ。でも、その観念は、 東洋の観念に類似したものを、何か保有しています - すなわち、神は、知ることを越えているのだ、と。 少なくとも、ほとんどの人々は、それを、そのように受け入れます。
19:32 K: ええ。
19:33 B: 幾らかの人は、そうでないかもしれませんが。
19:36 で、或る種、同様な概念が、あります。
19:38 K: いえ。でも、あなたは私に、これは思考により創り出されていない、と語ります。 で、あなたは、どんな境遇のもとでも、 どの形の思考の操作をとおしても、それに出くわせません。
19:53 B: ええ。仰っていることは、理解できます。 私は、この問題、この危険、妄想があると、言おうとしています - 西洋では人々は、「ええ。それは全く真実です。私たちがそれに出くわすのは、 イエスの直接的体験をとおして、であり、 思考をとおして、ではない」と言うという意味で、ですよ。

K: ですが、結局、イエスの直接的体験というのは・・・
20:15 B: まあ、それらは、私の言葉です。
20:17 彼らは、そのように話すことすら、しないかもしれません。私は知りません。 私は、彼らの見解を、正確に表現することが、できません。 何ですか。ええ、神の恩寵です。

K: ええ、神の恩寵です。
20:28 B: 何か思考を越えたものですね。

K: 私は拒否します。
20:32 相当に教育を受けてきた人、相当に思慮深い人として、私はそれらを拒否します。
20:39 B: ええ。なぜあなたは、それを拒否しますか。
20:41 K: なぜなら、まず最初に、それはありふれてきたからです。 あらゆる人がそう言う、という意味で、ありふれている。 またそこには、幻影の大きな感覚が、あるかもしれないか、おそらくあるでしょう - 欲望、望み、恐れにより創り出された幻影の、です。
21:08 B: ええ。或る人々は、そこに、この意味を見つけるように、思われるんです。 それは、幻影なのかもしれないが・・・
21:15 K: いえ。ですが、もしも彼らは、イエスについて聞いたことがなかったなら、 イエスについて一度も聞いていないなら、彼らは、イエスを経験しないでしょう。
21:22 B: それは、合理的に思われます。
21:24 K: 彼らは、自らが教えられてきたことを、経験するでしょう。 つまり、インドではイエスは・・・
21:31 B: それが、弱点であるように、思われます - 特定の形のイエスは、 彼らがその観念やそれらの言葉を、聞いてきたせいにちがいない、 ということです・・・

K: もちろんです。もちろんです。
21:40 明白です。

B: ・・・絵画などにおいて、です。

K: 日々、イエスがあなたの救い主であると、叩き込まれるとき、 自然に・・・ということです。
21:49 B: 誰か、イエスのことを一度も聞いたことがない人が、 この経験をしたなら、それは、興味深いでしょう。 すると、それは、それ以上のものがあるとの、或る種の証明に、なるでしょう。
22:00 ムーディ: でも、あなたはまた、すべての宗教には、 より真剣な人々が幾らか、いる、と仰らないんでしょうか - 本質的に、自分たちが言いたいことは、神もまた、それが何であれ、 絶対的なものや基盤は、考えるのをとおして 経験できない何かである、ということであると、言うだろう人々が、です。 あるいは、彼らはまた、 それはまったく経験されない、とまで言うかもしれません。
22:27 K: ああ、そうです。私は、それは経験できないと、言ってきました。 Xは、それは経験できないと、言います。
22:33 ムーディ: ですが、多くの宗教があります。 幾つかの宗教の本質も、そう言うだろうと、私は思います。
22:40 K: 私はそれらについて、知りません。 いいですよ。私は知りません。 ここに、或る人物が、います - そういうものがある、と言う人が、です。 私は、彼に聞きます。 私は、彼が自らの存在により、 それを伝えるだけではなく、 彼がまた、言葉をとおしても、それを伝えるのが、分かります。 彼は私に語ります - 気をつけなさい。 言葉はそのものではない、と。 ですが、彼は、私に何かを伝えるために、言葉を用います。 それを私は、漠然と捉えます - この無量の何かが、あって、 私の思考は、それを捉えられない、と。 私は、「いいですよ」と言います。 あなたは、よく気をつけて、 それを説明してきましたが、私はどのように - 私の頭脳は、 そのように条件づけられています。 知識において、修練されています。 それは、どのようにして、それらより自由になるべきでしょうか。
24:02 ムーディ: それは、自らの制限を理解することにより、自由になれるんでしょうか。
24:07 K: 何を理解することによって、ですか。
24:09 ムーディ: それ自体を。 何であれ思考が・・・ 思考自体は、自らが何をしていようとも、それは、何か自然な制限により 縛られていることを、理解できるのでしょうか。
24:19 K: で、あなたは私に、思考は制限されている、と語っています。
24:24 ムーディ: ええ。

K: それを私に示してください。
24:31 記憶、経験、知識。すべての知識は・・・と言うことによって、ではない。 私はそれらを理解しますが、 私は、それが制限されているとの感じを、捉えません。 なぜなら、私は大地の美しさが見えるし、 私は、建物、人物、自然の美しさが見えるからです。 私は、それらが見えますが、 あなたが、思考は制限されていると言うとき、私はそれを感じません。 それは、あなたが私に語ってきた、たくさんの言葉だけです。
25:10 ムーディ: それは、真剣な究明を必要とするでしょうね。
25:13 K: いいえ。私は、それを究明してきました。 私は、思考が制限されていることを、究明してきました。明白です。 そのとおりです。あなたは、究明しなくていい。それは明らかです。
25:26 ムーディ: ああ、分かります。思考は通常間接的にそれが分かる、と仰っていますね。
25:31 K: いえ、いえ。私は、私はそれが分かる、と言っています。 知的に私は、それを理解します。 それは明瞭です。 ですが、私は、それへの感じを、何も持っていません - 理解されますか。 そこには、香りがないのです。
25:51 ムーディ: それが、間接的な理解であると、私が言うだろうものです。
25:55 K: いえ。それは、理解ですらありません。 それは、何をも意味していません。
25:58 ムーディ: それはただ、もっと多くの知識です。
26:00 K: ええ。それは何の意味もない。 あなたは私に、どのように示すのでしょうか - 示すのではない。 あなたは、どのように私を助けるのでしょうか - 助けるのではない。 援助するのでしょうか - 私が、思考自体が脆いとのこの感じを、持つように、です。 それは、何も持っていない・・・それは、こんなに小さい事柄である、と。 そのため、それが私の血の中にあるように、です。理解されますか。 ひとたび、それが私の血の中にあるとき、私は、それを持っています。 あなたがそれを、説明しなくていい。
26:59 ムーディ: でも、それは、可能な接近ではないですか - 基盤について話をするのではない。 それは現時点で、はるかにかけ離れてすぎている、と。
27:09 K: それは、はるかに離れています。
27:11 ムーディ: が、むしろ、精神ができることを、直接的に見つめる。
27:14 K: それは、考えることです。
27:15 ムーディ: そのとおりです。 精神は、考えています。
27:17 K: それが、私が持っているすべてです。 考える、感じる、憎む、愛する - それらは、ご存じです。 精神の活動は何か、です。 私はそれを、よくよく知っています。 あなたが私に、語らなくてもいい。
27:30 ムーディ: あなたはそれを知らないと、私は言うでしょうね
27:33 - あなたはそれを知っていると、考えるだけだ、と。

K: ああ、いいえ。あなたはそう考えます。 私は、それを知っています。 私は、それを見てきました。 私は、それを捉えてきました。 私は、自分が怒っているとき、知っています。 私は、自分が負傷したとき、知っています。 それは観念ではない。 私は、その感じを持っています - 傷は、私の内側で、続いて行っています。 私はそれに、取りかかりたいのです。理解されますか。 私は何かを伝えていますか。

B: あなたが仰りたいことは、何ですか。
28:02 K: 私は、究明に、飽き飽きしています。 なぜなら、私はそれを、生涯ずっとやってきたからです。 私は、ヒンドゥーの事柄へ行きます。 私は、自分はそれを究明し、研究し、それを見つめてきたと、言います - 仏教、これとその他、 キリスト教、何でも、イスラム教などを、です。 これらはすべて、言葉だけだと、私は言います。 私は人間として、どのように、 それについて、このとてつもない感じを、持つことになりますか。 理解されますか。 何かが伝わっているのかどうかと、思われます。伝わっていますか。 なぜなら、私は、その裏に熱情を持っていないなら、それはただ・・・
29:04 質問者: その感じは、何から発しますか。
29:07 K: 私は、究明していません。 私は、この熱情を持ちたいのです - 爆発して、この小さな囲い込みより私を放つだろうものを、です。 私が言っていることを、理解されますか。 私は、自分自身のまわりに、壁を築いてきました。 文化的になり、相当に体裁よく、教育されて、 壁です - それは、私自身です。 私は百万年の間、このものとともに生きてきました。 私は、それから抜け出そうとしながら、生きてきました - 研究することにより、読書することにより、導師たちへ行くことにより、 私がやってきた、すべての種類のことによって、です。 私はいまだに、そこに根拠を置いています! あなたは、基盤について話します。 なぜなら、あなたは、何か息を呑むもの、 生きていて、とてつもない、などと思われるものを、見るからです。 私は、ここにいます。 ここに、根拠を置いています。 あなたは、基盤を「見てきた」 - 括弧付きの「見た」です。 あなたは、何か爆発し、このものを完全に壊してしまうだろうことを、 しなければなりません。 

質問者: 私が、何かをしなければなりませんか。
31:02 あなたが、何かをしなければなりませんか。

K: 私を助けてください!
31:06 祈りとか、それらの種類の戯言によって、ではない。 私が何を言おうとしているかを、理解できますか。 

質問者: ええ。

K: 私は、断食をしてきました。 私は、冥想をしてきました。 私は、あきらめてきました。 私は、これとあの誓いを立ててきました。 私は、それらすべてのことを、してきました。 なぜなら、私は、百万年の命を持ってきたからです。 百万年の終わりに、私はやはり、 始まりにいたところに、います - それは、私にとって大きな発見です。 理解されますか。 私は、自分が始まりから、動いてきたと、考えました - 始まりに、これらを経て行くことによって、ですが、 私は突然に、自分が出発したのと同じ点に戻っていることを、発見します。 私は、もっと多くの経験を、持っています。私は、世の中を見てきました。 私は、絵を描いてきました。私は、音楽を奏でてきました。私は舞い踊ってきました。 よろしいですか。ですが、元来の出発点に、戻っていたのです。
32:28 質問者: それは、「私」と非「私」です。

K: 「私」です。 

質問者: ええ。 私は、自分自身に言います - 私は何をすべきなのか。 私の・・・人間精神の、基盤に対する関係は、何なのか、と。 それが、あなたが仰っていることです。 おそらく、もしも私は、関係を確立できたなら、 それは、この中心を、全的に壊してしまうかもしれません。よろしいですか。 それは、動機ではない。それは、欲望ではない。それは、褒賞ではない。 私は、もしも精神がそれとの関係を確立できたなら、 私の精神はそれになったことが、分かります。ですね?
33:22 ムーディ: でも、その精神はすでに、それになっていませんか。
33:24 K: ああ、いいえ!
33:26 ムーディ: でも、クリシュナジ、あなたはちょうど今、欲望はないなどと仰る中で、 最大の困難を拭い去ったと、私は思います。
33:32 K: いえ、いえ。なぜなら、私は百万年、生きてきたと、私は言ったからです。
33:36 ムーディ: でも、それは洞察です。
33:38 K: いいえ。私は容易に、洞察をさほど容易に、受け入れないでしょう。
33:44 ムーディ: または、このように表させてください。 それは、はるかに知識以上の何かです。
33:48 K: いえ、いえ。あなたは、私の論点を、見逃しつつあります。 私の頭脳は、百万年の間、生きてきました。 それは、あらゆることを経験してきました。 それは、仏教徒でした。それは、ヒンドゥー教徒、キリスト教徒でした。 それは、イスラム教徒でした。 それは、あらゆる種類の物事でした。 ですが、それの核心は、同じです。 ですね?

B: そうです。
34:16 K: そして、あなたがやってきて、言います - 「ごらん。基盤があるよ。 それは・・・何かです」と。 あなたは、私がすでに知っていたことに、戻っていきますか。 よろしいですか。 ヒンドゥー教徒、仏教徒に、です。 あなたが、そうするなら、私は、それらを拒否します。 なぜなら、私はそれらを通ってきたからです。 それらはまるで・・・ 私にとって、それらは、その終わりに、灰に似ています。
34:48 B: まあ、それらの物事のすべては、見かけの基盤を、 思考により、創り出そうとする試みだったと、思います。 知識と思考をとおして、 これらすべて、仏教と他の様々な道をとおして、人々は、 自らが基盤であると見做すものを、創り出すように、思われます。 それは、そうではなかった。ですね?

K: そうではなかった。 なぜなら、私は、それに百万年を使ってきたからです。
35:08 B: で、知識が基盤に入ってくるかぎり、それは偽りでしょうか。
35:15 K: もちろんです。 で、私は・・・私は、ただ訊ねています - あれと人間精神との間に、関係が、ありますか。 その問いを訊ねる中で、 私はまた、そういう問いの危険にも、気づいています。
35:41 B: ええ。 まあ、私たちがすでに経てきた同じ種類の妄想を、 創り出すかもしれませんね。

K: ええ。 私は前に、あれを奏でてきました- あの歌を、です。 メアリー・ジンバリスト: あなたは、関係は、自分によって作られない。
35:58 それは、来なければならない、と提起なさっていますか。
36:03 K: 私はそれを訊ねています。 いいえ。 それは、私が関係を作らなくてはいけない、ということかもしれません。 今、私の精神は、こんな状態にあるので、私は何一つ、受け入れようとしません!
36:16 MZ: でも、橋は・・・そういうものがあるのなら・・・
36:18 K: いいえ。待って、私の精神に、聞いてください。

MZ: どちらの側からですか。
36:22 K: 私の精神は、言います - 私は前に、これらを通ってきた。 私は苦しんできた。 私は探求してきた。 私は見つめてきた。 私は究明してきた。 私は、この種のことに怖ろしく利巧な人々と 生きてきた、などなどです。 で、私は、十分に気づいて、この問いを訊ねています - その問いの危険に気づいて、です。 なぜなら、それが、ヒンドゥー教徒が言うことであるからです - 神が、あなたの中にある。最高の原理、ブラフマンが、あなたの中にある、と。 それは麗しい観念です。 私は、それらを通ってきました。
37:09 で、私は、Xに訊ねています - 人間精神は、それに関係を持たないのかどうか。 そして、それは一方的な通路です。 あれから私へ、と・・・
37:39 B: すると、それは、神の恩寵に似ていますね。
37:42 K: ええ、そうなんです。 分かりますね。
37:45 B: 創案されたものです。
37:47 K: 私は、それを受け入れないでしょう。
37:51 ムーディ: またそのとき、私たちは再び観念の区域に、戻っていませんか。
37:55 K: いいえ。 それは、あるかもしれない。 で、私はそうでなく・・・私は、その説明を拒否しています - 神の恩寵を、です。
38:06 B: あなたは、関係は一方的だと、仰っていません。 またあなたは、それは一方的でないとも、仰っていません。
38:10 K: たぶんね。私は知りません。

B: あなたは、何をも仰っていない。
38:13 K: 私は、何をも言っていません。 私がほしいすべては- 括弧付きの「ほしい」ですが - この中心が、吹っ飛ばされることです。 理解されますか。 私は(その言葉を)用いています- この中心が存在しないことです。 なぜなら、私は、あの中心が、悪さのすべて、 神経症的な結論すべて、幻影すべて、尽力すべて、努力すべて、 悲惨すべての原因であることが、分かるからです - あらゆる物事が、あの核心から、です。 百万年の後、私は、それを取り除くことが、できませんでした。 それは、去っていません。 で、何ですか・・・そもそも、関係がありますか。 善と悪や悪いものとの間の関係は、何ですか。いいですか? それは、同じことになります。 関係は、何もない。
39:44 B: それは、関係といわれるのが、どういう意味かに、依存しますが・・・
39:47 K: いいですよ。 接触、触れあい、疎通、 同じ部屋にいること。

B: 同じ根を持つこと。
40:00 K: ええ、同じ根を持つ。
40:03 ムーディ: でも、クリシュナジ、そのとき私たちは、 善があるし、悪がある、と言っていますか。
40:11 K: いえ、いえ、いえ、あなたは・・・
40:14 ムーディ: 私は、はっきりしようとしているだけです。
40:16 K: いえ、いえ、いえ。 善 - 別の言葉を用いましょう。 全体的と、 全体的でないもの。 それは、観念ではありません。 さて、これら二つの間に、関係はありますか。明白にない。
40:41 B: ええ。まあ、あなたは、何らかの意味で、 中心は幻影であると、仰っているなら - 幻影は、真実であることに、関係しているはずはない。 なぜなら、幻影の内容は、真実であることに、何の関係もないからです。
40:57 K: そうです。そうです。 分かりますね。 それは、大きな発見です。 私は、あれとの関係を確立したいと思います。 したいと思う - 私は、同じ意味を伝えるために、 すばやく迅速な言葉を、用いています。すなわち、 この小さな些細なものが、 あの無量性と、関係を持ちたいと思います。 それは持てません。
41:38 B: ええ。それは、ただその無量性のせいだけではない。 実のところ、このものは、実在しないからです。
41:46 K: ええ。
41:50 質問者: でも、私はそれが見えません。
41:52 K: それは、どういう意味ですか。
41:54 質問者: 彼は、中心は実在しないと、言います。 それが、私の困難の一部です。 私は、中心が実在しないのが、見えません。
42:00 B: 真正であり、幻影ではない、という意味で、実在する(アクチュアル)。 何かが作用(アクト)しているが、 それは、私たちが知っている内容ではない、ということです。
42:14 K: あなたは、それが見えますか。
42:17 質問者: いいえ。彼は、中心が爆発しなければならない、と言います。 それは爆発しません。なぜなら、私はそこの偽りが、見えないからです。
42:24 K: いえ、いえ。いいえ、いいえ! あなたは、私の論点を逃してしまいました。 私は、百万年を生きてきました。 私は、このすべてを、してきました。 その終わりに、私はやはり、始まりに戻っています。
42:38 質問者: そうです。あなたは、そのとき中心は爆発しなければならない、と仰る。
42:43 K: いえ、いえ。 私が望むのは・・・ 精神は、これはあまりにちっちゃすぎると、言います。
42:53 質問者: そうです。
42:55 K: それは、それについて何もできません。 それは、祈ってきました。それは、あらゆることを、やってきました。 それはやはり、そこにある。
43:05 質問者: そうです。
43:10 K: 彼がやってきて、私に、このものがある、と語ります。 私は、あれとの関係を確立したいと思います。
43:19 B: ええ、それは・・・
43:21 質問者: 彼は私に、このものがある、と語ります。 彼はまた私に、中心は幻影であるとも、語ります。 

K: いいえ。
43:26 B: 待って。それは、あまりに速すぎます。
43:27 K: いえ、待って。私は、それがそこにあるのを、知っています。 お好きなように、呼んでください。

質問者: ええ。
43:33 K: 幻影、実在、固執 -
43:35 何とでも、お好きなように。それは、そこにある。 ムーディ: そうです。 精神は、それは十分ではない、と言います。 それは、あれを捉えたい。 ゆえに、それは、それとの関係を持ちたいと思います。 あれは、「すまないね。あなたは私と関係を持てないよ」と言います。 それだけです!

質問者: いいです。
44:07 ムーディ: でも、クリシュナジ、あれと関連したい精神か、 関係を持ちたい精神 - それは、「私」であるのと同じ精神ですか。
44:18 K: ええ、ええ。いいえ、それを、割ってしまわないでください。 あなたは、私が伝えようとしている何かを、逃しています。 私は、このすべてを生きてきました。 私と論争しないでください。 私は知っています。私はあなたと論争できます - 行ったり、来たりです。 私はずっと・・・ 百万年の経験が、私に一定の能力を、与えてきました。 私は、そのすべての終わりに、悟ります - 私と真理との間には、何も関係がない、と。 いいですか? それは、私にとってものすごい衝撃です。 よろしいですか。 それは、あなたが私を、殴り倒したようなものです。 なぜなら、私の百万年の経験すべては、こう言うからです - あれを追いかけなさい、 それを探し求めなさい、それを探求しなさい、そのために祈りなさい、 そのために格闘しなさい、そのために泣き叫びなさい、犠牲にしなさい、と。 私は、そのすべてをやってきました。 突然にXは、言います - あなたは、あれと関係を持てない、と。 理解されますか。 あなたは、私と同じことを、感じていません。 私は、涙を流してきました。自分の家族を去ってきました - あらゆる物事を、です。 あれのために、です。そして、あれは、「すまないね」と言います。 で、私には、何が起きてきましたか。 それが、私が取りかかりたいことです。 理解されますか。 私が言っていることを、理解されますか。 このように生きてきた精神、あれへの探求において 人がしてきたことすべてを、してきた精神には、何が起きてきましたか。 そして、あれは、或る朝、「あなたは私と何の関係もない」と、言います。 ふーむ、これは、最も偉大なことです。ですね? あなたが、私のいう意味に、付いてこられるのか、私は知りません。
47:19 ムーディ: これは、「私」にとって、ものすごい衝撃です - あなたがそう仰るなら。
47:25 K: あなたにとって、そうですか。
47:27 ムーディ: そうだったと思います。 そのとき・・・
47:31 K: 言わないでください・・・私は、あなたに訊ねています。 それは、衝撃ですか - あなたの頭脳とあなたの精神、 あなたの知識は、無価値であることを発見することは、です。 あなたの検討すべて、あなたの研究すべて、 何年も何年、幾世紀もかけて自らが集めてきた物事すべては、 絶対的に値打ちがない。 私は、気が狂うのか。 なぜなら、私は、「神様!私は、むだにこれらをやってきたのか」と言うからです。 私の美徳、私の禁欲、私の制御、あらゆる物事 - その終わりに、あなたは、それらは無価値である、と言います。 それが私に何をするかを、理解されますか。 あなたは、それが見えません。
48:59 B: まあ、全部のことが去るなら、それは何の重要性もない、ということです。
49:13 K: なぜなら、あなたが言ってきたこと - すなわち、絶対的にあなたは何の関係も持たない、ということですが、 あなたがしてきたこと、してこなかったことは、 絶対的に何の価値もない。 理解されますか。
49:38 B: どの根源的な意味でも、ない。

K: そうです。

B: それは、相対的な価値を持っています。 それは、一定の枠組みの内で、相対的な価値だけを、持っています。 それ自体は、何の価値をも持っていない。
49:52 K: ええ、思考は、相対的価値を持っています。私たちはそこに、
49:55 それを固定してきました。

B: が、枠組み一般は、
49:58 何の価値をも、持っていません。

K: ええ。そのとおりです。 何であれ、あなたが地上でしてきたことは- 括弧付きです - 何の意味もない、と 基盤は言います。 それは観念ですか、現実ですか。 理解されますか。

B: ええ。

K: 観念とは、あなたは私に語ってくれたが、私はやはり、つづけていくのです。 闘争し、ほしがり、手探りし、探求しているが、 それは、現実ではない - 私は、自分がしてきたことすべての 無益さを、突然に悟る、という意味で、です。
51:31 で、私は、よく気をつけなければなりません。 私が、「私」という言葉を用いるとき、その意味は・・・ 私は、それが概念ではないことを、見届けるように、よく気をつけなければなりません。 あるいはむしろ、私はそれを概念、観念に翻訳しないで、 その打撃を、十分に受け取るように、です。
52:27 私たちは、どこにいますか。
52:32 ムーディ: そうね、クリシュナジ。数百年の間、 たぶん人類が存在してから、 人は、これを追求してきました - 自らが神や基盤と呼ぶものを、です。
52:45 K: 観念として、です。
52:47 ムーディ: 観念としてです。 多くの人々にとって、それはきわめて・・・
52:50 K: 知っています。 すべての人々にとって、です。
52:52 ムーディ: 私は知りません。

K: そうにちがいない。
52:54 ムーディ: 私は知りません。 が、ともかくそのとき、科学がやってきました。科学的精神がやってきて、 また、その精神へ、それは観念だけだ、それは愚かなだけだ、と語りました。
53:03 K: いいえ、いいえ、いいえ。 科学的精神は、物質を究明するのをとおして、 私たちはおそらく、基盤に出くわすだろう。 出くわすかもしれない、と言いますね。
53:17 B: ええ、多くの人がそのように感じます。

K: 多くが、です。
53:20 B: 或る人たちはさらに、頭脳を究明しろ、とも付け加えるでしょうね。
53:23 K: ええ。出くわすように、です。 結局、それが、精神を究明するための、彼らの目的です。 互いを吹っ飛ばすため、銃砲とそれら、ではない。 彼らは、科学者として言います - 私たちは、良い科学者について、 話しています。 彼などのように、良い人です。 政府系の科学者ではなく、良い科学者は、 「私たちは、物質を、頭脳とそれらを、検討している。 これらを越えて、何かあるのかどうかを、見出すためだ」と言います。
53:59 ムーディ: 多くの人々、多くの科学者は、こう言うでしょう - 「まあ、私たちは基盤を見つけた。 基盤は、空っぽだ。 空っぽであることだ。 それは、エネルギーであり、人に無頓着である」と。
54:13 K: さて、それは、彼らにとって、観念ですか。または、現実ですか - すなわち、彼らの生活に影響するものですか。 彼らの血、精神、世の中との関係に、です。
54:24 ムーディ: 私は、それは本質的に、観念だけだと、思いますね。
54:27 K: すると、すみません。 私は、それを通ってきました。 私は、一万年前に、科学者でした! いえ、いえ。よろしいですか。私はそのすべてを、通ってきました。 それが単に観念であるなら、私たちはどちらも、そのゲームをやれます。 私は、あなたへボールを送れます。 それは、あなたのコートにあります。 あなたはそれを、私に送り返せます。 あらゆる人が、それをやれますが、 私は、その種類のゲームを、終了させたのです。
55:01 B: そうです。なぜなら、一般的に人々が、物質について発見することは、 彼らに、深く、心理的に影響するように、思われません。
55:09 K: ええ。もちろんです。
55:10 B: 彼らは、宇宙・万物の統合を見たなら、 違った行為をするだろうと、 考えられるかもしれませんが、彼らはそうしません。
55:16 K: ああ、神様。私は、「すみません」と言うでしょう。 彼らは、ノーベル賞のために競争するなどを、していないでしょう。
55:24 ムーディ: それは、彼らの生の幾らかに影響してきたと、 言うことさえ、できるでしょう。 そうね、共産主義の観念全体は、 彼らが事実だと考える観念の上に、築かれていますね - すなわち、何であれ、それは物質的な過程だけである。 その過程は、本質的に空っぽである。 そのとき、人は、自らの生を組織しなくてはいけなくて、 人は、社会を組織しなくてはいけません- それら弁証法的原理に沿って、です。
55:47 K: いえ、いえ。

B: それは、何をも変化させないでしょう。

K: 弁証法的な原理は、一つの意見に対立する別の意見であり、 意見の中から、真理を見つけたいと、望むのです。
55:58 B: まあ、違いがあって・・・私たちは、これを 脇に置いておくべきだと、思います。 「弁証法」という言葉には、 違った見方、違った意味が、あります。 

K: もちろんです。 が、それはまた、実在を、流れる動きと見る、という意味ですね。 物事を固定しないで、物事を固定していると見ないで、 それらを、動きと相互関連の中で見ることです。 でも、こう言えるのだろうと、思います - どのようにでも、人々は何とかそれを見られようとも、 彼らがこの統合を見た後、それは根源的に変化させなかった、と。
56:26 K: 彼らの生を、です。
56:28 B: (ソヴィエト・)ロシアでは、精神の同じ構造は、 他のどこかとも同じく、保たれます。 悪くなっていないとしても、です。 どこでも人々が、これを試してきたところでは、 それは実際に、根源的に、彼らの感じ方と考え方と生き方に、 影響してこなかったのです。
56:48 ムーディ: そうね、私が言いたかったことは、 基盤の追求の棄却が、人々に対して、何も衝撃的な効果を 持っていなかった、ということです。 東の共産主義世界全体は・・・
57:08 K: いいえ、いいえ。私は興味がありません。私は人々です。 真理を発見することは、私に、ものすごい衝撃を、与えてきました - 観念ではない。 教会すべて、祈りすべて、書物すべては、 絶対的に何の意味もないと、発見することが、です。 私たちが、より良い社会を築けるなどなどのように、 それらが意味を持つ以外は、です。
57:42 B: もしも私たちは、この点を何とか秩序立てられるなら、 それらは、良い社会を築くために、 大きな意味を持つでしょう。

K: そうです。 そこから私は、社会を創り出すのを、始めます。
57:53 B: ですが、この無秩序が中心にあるかぎり、 私たちはそれを、正しい形で使えません。 それらには、大きな潜在的な意味がある、と言うほうが、 もっと的確だろうと、思いますが、 それが中心に影響しないかぎりは・・・そして、 それがかつて、そうしてきたとの印は、何もありません。
58:19 ムーディ: そうね、クリシュナジ、私が理解しないことは、 人生において一度も、基盤と呼ばれるものや宗教を 本当に追求したことがない人々が、多くいる、ということです。
58:32 K: 彼らは、興味がありません。
58:35 ムーディ: まあ、私はさほど確かではありません。 あなたは、そういう人物へどのように、接近するのでしょうか。 つまり、彼はただ・・・
58:45 K: 私は、どの人物へ接近することにも、興味がありません。 私が興味を持っている・・・興味を持つ、ではない。 私がしてきたすべての仕事、良い、私がしてきたことすべては、 価値がない、と基盤は言います。 私は、そのすべてを落とせるのなら、私の精神は、基盤です。 そのとき、そこから私は動きます。 そこから、私は、社会を創り出します。 すみません!
59:27 B: まあ、ええ。 知識の手段により、 どこかに基盤を探しているかぎり、 あなたはじゃまをしていると、 言えるだろう、と思います。
59:45 K: それで、実地に戻ってくると、 なぜ人は、これをやってきましたか。

B: 何をやってきましたか。
59:55 K: ・・・知識を蓄積してきましたか。 一定の区域での知識の必要性は、別として、 なぜ、この知識の重荷は、そんなに長く、継続してきたのですか。
1:00:08 B: まあ、それは、或る意味で人は、知識をとおして、 堅固な基盤を産出しようとしてきたからであると、 私は思うでしょうね。 知識は、基盤を創り出そうとしてきました。 

K: ああ!

B: それが、起きてきたことの一つです。
1:00:26 K: それは、どういう意味ですか。
1:00:28 B: それは、またもや幻影という意味です。
1:00:31 K: それは、聖者、哲学者たちは、知識において、知識をとおして 私を教育してきた、という意味です - 基盤を見つけるように、です。
1:00:41 B: まあ、私は、見つけなくてはいけませんが、 実のところ、知識を使うことにより、基盤を創り出すことさえも・・・
1:00:46 K: ええ、そうです。それはよくよく理解できます。 ですが、あなたは、Xは、言います・・・
1:00:56 ムーディ: 或る基盤を創り出すために、そして、前に或る面で仰ったのですが、 私たちは、人類の諸々の社会において、 人類が、最も狂った迷信に捕らわれている、これらすべての期間が、ありました。 そこでは、知識は、それを取り除くことができました。
1:01:15 K: ああ、いいえ。
1:01:17 ムーディ: 或る程度は、そうでした。

K: ああ! 知識はただ、私を不具にして、真理が見えないように、してきただけです。 すみません。 私はそれに拘ります。 それは私から、幻影をきれいに払ってくれませんでした。 知識は、それ自体が幻影なのかもしれません。
1:01:39 ムーディ: そうかもしれませんが、それは、幾つかの幻影を、きれいに払ってきました。

K: ああ、私は、自分が持つ幻影すべてを、きれいに払ってしまいたいのです。
1:01:47 幾つかを、ではない。誰が気にしますか。 ムーディ: それは違った問いです。
1:01:51 K: 私は、民族主義について、自分の幻影を、取り除いてきました。 私は、信念について、幻影を取り除いてきました - キリストについて、これについて、あれについて、です。何ですか。 その終わりに、私は、自分の精神が幻影であると、悟ります。 すみません!
1:02:23 そうね、私、千年間生きてきた者にとって、それが、絶対的に 甲斐がないことを、見つけること。 それは、何か甚大なことなのです。
1:02:35 B: あなたが、自分は千年や百万年の間、生きてきたと仰るとき、 それは、或る意味で、人類の経験すべては・・・
1:02:43 K: ・・・私だ、と。

B: ・・・私だ、という意味です。 あなたはそれを感じますか。

K: 感じます。
1:02:49 B: あなたは、それをどのように感じますか。
1:02:53 K: 私は、それはまるで・・・そうね、あなたは、何でも、どのように感じますか。
1:02:58 いや、ちょっと待ってください。 お話しましょう。 それは、同情や共感ではない。 それは、私が願望してきたことではない - 私は人類すべてである、ということは、です。 それは、事実です。 私にとって、絶対的な、取消不可能な事実です。
1:03:28 B: ええ。おそらく、もしも私たちは、その感じを分かち合えたなら、です。 それは、失われている歩みの一つであるように、思われますね。 なぜなら、あなたは、それを、全部の中のとても重要な部分として、 しょっちゅう反復してこられたからです。
1:03:39 K: それは、こういう意味です - あなたが誰かを愛しているとき、 何も・・・何ですか。 「私」がないのです。 それは愛です。 同じように、私が、私は人類であると、言うとき、 そうなのです。 それは、あの指に似ています。 それは、観念ではない。 それは、結論ではない。 それは、そうね、私の一部です。
1:04:14 B: まあ、それは、私がそれらを経てきたとの感じであると、言いましょう - あなたが叙述されるすべて、それら百万年を、です。
1:04:23 K: ええ。なぜなら、人間たちはそれらを、通ってきたからです。
1:04:25 B: ええ。誰でもそれを経てきたなら、 どこかで私もまた、それを経てきたのです。
1:04:33 K: もちろんです。 しかし、それに気づいていません。
1:04:36 B: ええ。私たちは、分離します。
1:04:41 K: 私たちは、自分たちの頭脳が、私の特定の頭脳ではなくて、 幾千年をとおして進化してきた頭脳であることを、認めるなら、です。
1:04:52 B: ええ。なぜこれは、さほど容易に伝達されないのかを、言わせてください。 あらゆる人が、自分の頭脳の内容は、何らかの形で個別である、と感じます - 自分は、それらを経てきていない、と。 何千年も前の誰かが、 科学や哲学を経ていった、としましょう。 

K: ええ。 さて、それはどう、私に影響しますか。 それが、明らかでないことです。
1:05:11 K: なぜなら、私は、この自己中心的な狭く小さい独房に、捕らわれているからです

B: ええ。 

K: それは、彼方を見るのを、拒否します。
1:05:25 B: それが、つづいてきたことです。

K: ええ。
1:05:34 ですが、あなたがやってきて、科学者として、宗教的な人として 私に、語ります - あなたの頭脳は、人類の頭脳である、と。
1:05:49 B: ええ。また、すべての知識は、人類の知識です。 それで、何らかの形で私たちは、すべての知識を、持っています。
1:06:00 K: さもないと・・・もちろんです。
1:06:03 B: もちろん、詳細において、ではない。
1:06:07 K: で、あなたは、私にそれを語ります。 私は、あなたが言う意味を、理解します - 言語的に、ではなく、 知的に、ではなく、私は知ります -知るのではない。そうなのです。 ですが、私は、そうね、民族性、国籍のような普通の物事を あきらめてしまったときだけ、そこに来ます。
1:06:39 B: ええ。私たちは、分割をあきらめてきました。 

K: ええ。

B: 私たちは、自分たちの経験は、人類すべてのであることが、分かります。
1:06:46 K: それは明白ですよ。 インドの最も未開の村に、行きますと、 彼はあなたに、自分の問題すべてについて、語るでしょう - 自分の問題、自分の妻、子どもの不足、貧困について、です。 そして、ここに来ます。 それはまさしく、同じことです。 ここでは、ズボンをはいていて、そこでは他の何かをはいているだけです - キモノや何であっても、です。 Xにとって、それは、議論の余地なき事実です。そうなのです。 彼は言います - 「いいですよ。 このすべて、百万年の終わりに、 私は突然に、それが空っぽであることを、発見するか、示されたのです。 そうね、私たちは、それを受け入れませんよ。 私たちは、あまりに利巧です。 私たちは、論争と議論と知識に浸りきっています。 私たちは、単純な事実が、見えません。 私たちは、それを見るのを、拒否します。 あなたが、Xがやってきて、「それを見なさい。それはそこにある」と言います。 証明します。 即時に、思考の機構全体が、始まります。 それで、彼らは、「静寂であれ」と言います。 それで、私は、静寂を実践します。 私は千年の間、それをしてきました。 それは、どこにも、つながってきませんでした。
1:09:38 で、ただ一つのことが、ある。 それは、私がしてきたことは、役立たないと、発見することです - それらは、灰です。 そうね、それで、自らは憂鬱になりません。 それが、その美しさです。 それは、不死鳥に似ていると、私は思います。 

B: 灰から生ずる。
1:10:37 K: 灰から生まれる。
1:10:39 B: まあ、或る面で、それは自由ですね?- それらより、自由であること。
1:10:45 K: 何か全然、新しいことが、生まれます。
1:11:03 B: さて、あなたが前に仰ったことは、精神が基盤である、ということです。 それは、知られていないものですね。
1:11:11 K: 精神ね。ええ。ですが、この(特定の)精神ではない。
1:11:15 B: ええ。でも、その場合に、それは同じ精神ではない、ということでした。
1:11:19 K: 私は、そのすべてを通ってきましたが、 そのすべてを終わらせなくてはいけない時点に、来たのなら、 それは、新しい精神です。

B: ええ。 それは明らかです。 精神は、その内容です。 内容は知識です。知識なしでは、それは、新しい精神です。
1:11:51 K: 三人の魔女のように、私たちはいつ、また会いましょうか。
1:11:56 B: さて、あなたは何を、提案されますか。 火曜日の午後は、どうですか。
1:12:00 K: 火曜日。いいですよ。