Krishnamurti Subtitles home


OJBR80CB7 - 死はほとんど意味を持たない
ディヴィッド・ボームとの会話 第7回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月17日



0:00 これは、1980年、カリフォルニア、オーハイでの、J.クリシュナムルティと ディヴィッド・ボームの間の第7回対話である。 クリシュナムルティ: 私たちは、止めたところから、始めましょうか。
0:12 ディヴィッド・ボーム: いいですよ。

K: または、何か新しいことを?
0:15 B: あなたは、何をお考えですか。何を提案されますか。 

K: 私は知りません。
0:41 私たちは、人間たちはいまだに、
0:45 動物的本能でもって振るまっていると、言っていますか。
0:51 B: ええ。私たちは先日、それについて議論していたと、私は思いますが、 動物的本能は、見たところ、強烈さと速度において、圧倒的なのかもしれないと、 思われます。特に幼い子どもたちにおいては、そうです。 彼らにとっては、動物的本能でもって応答することが、 ただ自然であると、思われるかもしれません。
1:14 K: で、それは、私たちはいまだに、百万年か千万年か、 何年であろうと、その後に、私たちはいまだに、本能的に振るまっている。 先祖たちのように、という意味です。
1:29 B: まあ、幾つかの面では、ね。 たぶん、それは思考により錯綜しました - すなわち、動物的本能は今や、思考と絡み合ってしまったのです。 そして、事は、幾つかの面で、さらに悪くなりつつあります。
1:41 K: 幾つかの面で、はるかに悪い。
1:43 B: なぜなら、憎しみのこれらすべての本能は、 今、思考により方向づけられるし、思考により維持されるので、 それらは、もっと微妙で、もっと危険です。
1:58 K: これらすべての、きわめて多くの世紀の間に、 私たちは、道、方法、体系を見つけたことがないのです - 何か私たちを動かして、あの轍より離れさせるであろうものを、です。 そういうことですか。

B: まあ、ええ、それが一つの点です。
2:23 それが、確かに困難の一つです。 人々が互いへ怒りはじめるとき、彼らの怒りは積み上がり、 彼らは、それについて、何もできるように、思われません。 彼らはそれを制御しようとするかもしれませんが、そのときそれは、働きませんね。
2:55 K: Xは、私たちが言っていたように、 仮に、自然に振るまう、とします - すなわち、動物的本能に応答していません。 私たちが呼ぶであろう、そういう洞察は、人間社会の中で、どんな所を持っていますか。
3:32 B: まあ、そうね・・・

K: まったく何もないですか。
3:36 B: 今あるような社会の中では、それを収容できません。 なぜなら、社会は、楽しみと痛みと恐れが支配するだろうとの 想定のもとに、組織されているからです - それを制御できるとき以外は、です。 で、仲の良いこともまた、一種の動物的本能ですね。 人々は、本能的な理由のために、仲良くなってきたのです。
4:02 K: 人々は、どうなってきた?
4:03 B: 仲良くなってきた - 時々、動物的本能と同様な理由のために、です。 彼らは、同様な理由のために、敵になるかもしれません。 で、或る人々は、私たちは理性的であるべきだと言うだろうと、私は思います。 そうね、私たちが、あなたの問いに答えたいと思うのなら、 十八世紀の間に、或る期間がありましたね - そう、理性の時代です。 そのとき、人々は、言いました -人は理性的でありうる。人は、 理性的であるよう選択できて、あらゆるところに調和をもたらせる、と。
4:38 K: ですが、人は、そうしてこなかった。

B: が、それは、もっと悪くなりましたね。 それは、フランス革命と、恐怖政治などに、つながりました。 その後、人々は、それを抜け出す道としての理性に、 さほど信を置きませんでした。
4:56 K: で、それは、私たちをどこへ導きますか。 私たちは本当は、洞察について、話していました - すなわち、それは実際に、頭脳自体の本性を、変化させる、と。
5:17 B: ええ。私たちは昨日、それについて議論していました - すなわち、頭脳の中の闇を消し去ることにより、 それは頭脳に、新しい形で機能するのを、許すかもしれない、と。
5:28 K: ええ。思考は、闇の中で作動してきて、 自らの闇を創り出し、その中で機能してきました。 そして、洞察は、私たちが言いましたように、 闇を壊してしまう閃きに、似ています。 そのとき、あの洞察は、 闇を晴らし、 そのときそれは、理性的に行為し、機能しますか。
6:13 B: ええ。私たちは、それに入りました - 精神はそのとき、知覚という意味で、 理性的に機能するだろう、と。 私たちは議論しました。 規則と理性によってだけというより、です。 

K: ええ。

B: しかし、一種の自由に流れる理性が、あります。 そうね、或る人々は、理性を、一定の論理の規則と、同一視します - それは、機械的であるでしょう。

K: ええ、それは、機械的であるでしょう。
6:38 B: ですが、一つの形の、秩序の知覚としての理性です。
6:42 K: で、私たちは、洞察は知覚であると、言っているのでしょうか。
6:48 B: ええ、それは、知覚を可能にする光の閃きですらあります。
6:52 K: 可能にする。そうです。 そうなんです。
6:54 B:それは、知覚よりさらに根源的です。
6:57 K: で、洞察は、閃きです -純粋な知覚ですし、 その知覚より、行為があります。 それはそのとき、合理性により維持されます。そういうことですか。
7:20 B: ええ。

K: そのとおりです。
7:23 B: 合理性は秩序の知覚である、と、私は言うでしょうね。
7:26 K: ええ。で、こう仰るのでしょうか- 洞察、知覚と秩序、と。
7:34 B: ええ。
7:37 K: その秩序は、機械的ではない。

B: ええ。
7:40 K: なぜなら、それは、論理に基づいていないからです。
7:44 B: ええ。規則はないですね。
7:45 K: 規則はない。そのように表しましょう。そのほうがいい。 それは、規則に基づいていない。 そのとき、それは、洞察、知覚、行為、秩序、という意味です。 そのとき、私たちは、その問いに来ます - 知覚は・・・洞察は、継続的ですか。 または、それは、閃きですか.閃きによって、ですか。
8:32 B: 私たちは、それに入りました。 私たちは、それは或る面で、
8:35 間違った問いである、と言いました。 

K: ええ。
8:37 B: 私たちはそれを、違ったように見つめなくてはいけない、と。
8:40 K: で、それは時ではなくて・・・

B: ・・・時に縛られていない。
8:45 K: 時に縛られていない。 ええ、私たちは、それを言いました。 そこで今、さらに、少しさらに進みましょう。 私たちは、こう言ったでしょう - 洞察は闇の消去である、という意味である、と。 すなわち、自己のまさしく中心の、です。 すなわち、自己がこの闇を創り出す。いいですか? で、洞察は、まさにその中心を消し去ります。
9:26 B: ええ。闇でもって、知覚は可能でない。
9:29 K: 全くです。

B: それは、或る面で盲目です。

K: で、そのとき、次は何ですか。
9:44 どのように・・・いいえ。 私は、普通の人であり、自分の動物的本能すべてをもっています - 楽しみと痛みと、褒賞と処罰など、です。 私は、あなたがこう言うのが、聞こえます。 私は、あなたが言っていることは、 或る種の理性、論理、秩序を持っていることが、見えます。
10:20 B: ええ。いいですよ。私たちに見えるかぎり、それは、意味をなしますね。
10:23 K: それは意味をなします。 そのとき私は、どのようにそれを、自分の日常生活に、持つことになりますか。 私はどのように、もたらすことになりますか・・・ 理解されますね。 これらは、言葉であって、難しい。 これらすべての言葉は、時に縛るのですが、 それは可能ですか。

B: ええ。そう、時なしに、ですね。
10:53 K: ええ。私には、自分の狭い精神をもって、私の等々をもって、
11:01 この洞察を持つことは、可能でしょうか - それで、あの生の様式が、壊されるように、です。 私たちが先日、言いましたように、 私たちは、このすべてを試してきました- あらゆる形の自己否定を、です。 けれども、あの洞察は訪れません。 私は、ときたま、部分的な洞察を、持つかもしれませんが、 部分的な洞察は、洞察全体ではない。 ゆえに、やはり部分的な闇が、ある。
11:47 B: ええ。まあ、それが、自己の中心を消し去らないなら、 それは適切ではないと、私たちは言いました。 それは一定区域で、幾らか闇を、消し去るかもしれませんが、 闇の本源、それの創造者、 維持者は、やはりそこにある。

K: やはりある。 私は何をするのでしょうか。 これは、間違った問いです。 これは、どこにもつながりません。
12:35 で、私たちは、全般的な計画を述べてきました。ですね? そして、私は動きを、起こさなくてはなりません。または、まったく動きを起こさない。 私は、そのエネルギーを持っていません。 私は、それをすばやく見る能力を、持っていません。 なぜなら、これは、即時であるからです - ただ何か、私が実践して得るものだけではない。 いいですか? 私は、その能力を持っていません。 私は、切実な即時性のあの感覚を、持っていません。 あらゆる物事が、私に反しています - 私の家族、私の妻、私の社会、あらゆる物事が、です。 それは、私が結局、僧侶、修道士にならなくてはいけない、という意味ですか。
13:44 B: いいえ。僧侶、修道士になることは、 他の何になるのとも同じであることが、明らかです。
13:50 K: そのとおりです。で、僧侶、修道士になることは、実業家になるのに、似ています。
13:54 B: ええ。 

K: そうです。 それは、なかなか良い! そうね、私はこれらが見えます - 言語的にも、理性的、知的にも、です。 ですが、私は、このものを捉えられません。 あなたは、私を助けてくれません。 あなた、Xは、私を助けてくれません。 私は、ただ取り残されています。 この問題には、違った接近が、ありますか。 私はいつも、同じ問いを訊ねています - なぜなら、私は、同じ様式に捕らわれているからです。 で、私は、自分自身に訊ねています - 全的に違った道が、ありますか。 私は当分の間、その言葉、「道」を、使っています。 全的に違った道 - 動いて、生の騒乱全体に 接近する道が、です。 付いてきておられますか。

B: ええ。
15:56 K: それへ、違った 見方が、ありますか。 または、これが、唯一つの道ですか。 付いてきておられますか。

B: ええ。
16:19 K: 私たちは、言っています - 中心が闇を創り出していて、 思考があの闇の中で、作動しているかぎり、無秩序があるにちがいない。 今、社会がそうであるように、あらゆる物事が、あるにちがいない。 そして、それより動いて去るには、 あなたは洞察を、持たなければならない、と。 

B: ええ。
16:44 K: 閃き、突然の光が、あるとき、
16:49 洞察は、訪れうるのみです - 闇だけでなく、闇の創造者をも廃棄する閃きが、です。
16:58 B: ええ。

K: いいです。 さて、私は訊ねています - それは、絶対的だと思われます。いいですか? 私は、自分自身に訊ねています - この問いには、すっかり違った接近が、ありますか。
17:19 B: まあ、おそらくね。あなたが、それは絶対だと思われると、仰るとき、 それは、より絶対的でない接近が、ほしい、という意味ですか。
17:27 K: ・・・そうなのです。

B: そうなのです。ですが、 ・・・仰った、それは絶対的だと思われる、ということが、 明らかではなかったんです。

K: 他はない、という意味です。
17:36 B: 他の道はない。

K: 他の道はない。 

B: ええ。
17:40 が、そのときあなたは、たぶんもう一つの道があろうと、仰ります。
17:43 それからあなたは、たぶんもう一つの道があろうと、提案なさっています。
17:46 K: 私は、訊ねています。 それが唯一つの道であるなら、 私は、運命づけられてしまっています。
18:02 B: この閃きを、意のままに生み出すことはできませんね。
18:06 K: ああ、私たちは、それを通ってきました。 それは、意志をとおして、犠牲をとおして、 あらゆる形の人間的努力をとおして、生み出せません。 それは、だめです。私たちは、それらを終了させてきました。 私たちは、それらを二、三週間前に、終了させました。
18:27 また私たちは或る点に、来ました - Xにとって、この洞察は、自然に思われますが、 なぜそれは、他の者たちにとって、自然でないのですか。 それが、私たちが掲げた論点の一つでした。
18:50 B: ええ。
18:57 K: なぜそれは、Xにとって自然であり、他の者たちにとって、そうでないのですか。 もしも私たちが、それを見つけられたなら・・・ 

B: ええ。 まあ、子どもから始めるなら、自らの動物的本能をもって、 大きな強烈さをもって応答することは、その子にとって、自然に思われることを、 言いましょう - それらが、その子を押し流してしまうんです。 闇が生じます。なぜなら、それは、圧倒的であるからです。
19:23 K: ええ。ですが、Xにおいては、なぜそうですか。
19:26 B: いいですよ。でも、私はまず初めにそれは自然に思われる、といいます。 あなたは、ほとんどの人々にとって、これが起きるだろうことが、自然だと思われる と、仰ります - すなわち、動物的本能が引き継ぐだろう、と。
19:37 K: ええ。そのとおりです。それが、自然に思われます - 動物的な本能が。
19:40 B: それは、とても自然に思われるし、 彼らは、他の者が不自然であると、言うでしょう。
19:43 K: ええ。

B: いいですね? ゆえに、それが、人類が考えてきて、言ってきたさまです - 実に、そういう他の人々がいるのなら、 彼らは何らかの意味で、きわめて異例で、不自然であるにちがいない、と。
19:54 K: そうなんです。すなわち、 人間たちは、この様式、一つの様式に沿って、 行為してきました - 憎しみへ、憎しみにより応答する、などです。 そうではないと言う、わずかな人、おそらく多くの人が、います。 

B: ええ。

K: この分割は、なぜ起きてきましたか。 もしこれが、自然であるなら - すなわち、憎むのが、です - 私は・・・自らは、何に対して、闘っていますか。
20:35 B: ええ。もし、楽しみと痛み、恐れと憎しみが自然であると、言うなら、 人々は、私たちはそれを制御するために闘わなければならない、と言います - なぜなら、それらは、私たちを破壊するであろうから、と。 そうね、彼らは、望みうる最善は、理性でもってか、何か他の道でもって、 それを制御することだと、言います。

K: ですが、それで、これは得られません。
20:50 B: 私たちは、それらに入ってきました。

K: ええ。で、私は今・・・
20:52 B: ええ。今、あなたは、他の道が自然だと、仰います - 他の誰かは、言います。
20:58 K: ええ。

B: で、今、何ですかね。
21:07 K: もしそれが、自然であるなら、 わずかな者は、特権を持ったものですか - 何か奇跡により、何かふしぎな偶然の出来事によって、ですが。
21:23 B: ええ。或る人々は、多くの人々は、そう言いますね - 多くの人々は、彼らは何らかの面で普通でないと、言うでしょう。
21:34 K: いいえ。それは、性分に合いません。 私は、それを受け入れないでしょう。
21:40 B: ええ。まあ、それが実情でないのなら、 なぜこの違いがあるのかを、仰らなくてはいけません。
21:46 K: ええ。それが、私が取りかかろうとしていることです。 なぜなら、Xは、同じ両親から生まれたからです。
21:53 B: ええ。私たちは、彼らは根源的に同じであると、言いますが、 なぜ彼らは、違った振るまいをするのか。
21:57 K: ええ、違って、です。 この疑問は、多くの回数、何度も何度も、 世界の様々な地方で、問われてきました。 さて、なぜですか。 なぜこの分割が、ありますか。 私は見出せません。

B: いいですよ。
22:24 ムーディ: 分割は、本当に全的ですか。 そうね、なぜなら、憎しみへ、 憎しみでもって応答すると言うその人さえも、 にもかかわらず、彼は、それは意味をなさないことが、分かるからです。 彼はまた、それが間違っていることも、分かります。 で、たとえ彼は、それが自然であると、言うけれども、 彼は同時に、それは自然でない、それは違っているべきだと、言います。

K: ああ、それは違っているべきですが、
22:48 彼はやはり、観念と、思考と闘っています。
22:52 ムーディ: そのとおりですが、それは、全面的に自然ではない。 もしも、それが全面的に自然であったなら、 彼は、「いいよ。それが、私たちの生きる道だ」と言うでしょう。 彼は、そこから抜け出そうともしないでしょう。 私が言っていることは、お分かりですか。

K: ええ。それは理解できますが、 彼は、思考の行使により、そこを抜け出そうとしています - それが、闇を生み育てます。
23:11 ムーディ: まあ、でも、彼はそれを理解しません。
23:13 K: 私たちは、彼に説明してきました。
23:16 ムーディ: ええ。まあ、私は、分割はさほど全面的であるとは 思われないと、言いたいだけです。 そうね、それは・・・
23:25 K: ああ、いいえ。 分割は、全面的、完全です。
23:29 私たちは、先日これについて、話をしました。
23:33 ムーディ: でも、すると、なぜ人々はただ、 「まあ、いいさ。 そのように生きよう。 互いに殺し合おう。最後の瞬間まで楽しもう」と、言っていませんか。
23:40 K: なぜなら、彼らは、自分の闇以外、他の何も、見えないからです。
23:45 ムーディ: ですが、彼らは、それを抜け出したいと思います。

K: さて、ちょっとお待ちください。 彼らは、それを抜け出したいのですか。
23:54 ムーディ: 少なくとも、彼らは、そう言います。
23:57 K: 彼らは実際に、自らがいる状態を、悟り、 意図的に、それを抜け出したいのですか。
24:08 ムーディ: そうだと、私は思います。 M.ジンバリスト: 彼らは、それについて、両義的です。
24:13 彼らは、その果実を得つづけたいが、それが間違っているとの勘を、 持っています - それは、自分にとって、苦しみにつながる、と。
24:21 B: あるいは、彼らは、それを避けられないと、見ますね - 怒る時や、楽しみや何かが来るとき、 彼らは逃げられないんです。
24:29 K: 彼らは、それを避けられない。
24:31 私たちは、それを通ってきました。 

B: ええ。
24:33 ムーディ: でも、彼らはそれを、抜け出したいのです。 彼らは、それを避けられない。 彼らには、助けがない。 彼らの意志よりも、さらに強い力が、ある。
24:39 K: で、私たちは何をするのでしょうか。 または、この分割は、偽りです。
24:52 B: まあ、それが論点ですね。 私たちはそれを、これら二つの間の違いと、呼んだほうがいいですね。 

K: ええ。 この違いは、根源的ではない。 一つの観念は、それは、絶対的な違いであると、言うものですね - 何も共通なものはない、と。
25:12 K: 何か共通なものが、あると、私は思いません。
25:14 B: 何ですか? ええ。 ですが、違いは偽りであるとか、 分割は偽りであるとか、仰るのなら、あなたは、 根源的に彼らは同じであると、仰ります。それが、仰る意味ですが、 彼らの間に、違いが発達してきました。 この分割は偽りであると、仰るなら - けれども、根源的に、と仰ると - 根源的に彼らは同じであるが、 彼らの間に、違いが発達してきた、ということですね。 おそらく、一つは、間違った方へ、曲がってしまったのです。

K: ええ、ええ、ええ。 そのように表しましょう。ええ。
25:46 B: ですが、違いは本来的ではない。 それは、構造的でない。 そうね、組み込まれていない。 樹と岩との間の違いのように、ですね。
25:54 K: ええ、そうです。
25:56 B: 樹は、岩になれませんね。
26:00 K: ええ。仰るように、岩と樹との間には、 巨大な違いが、ありますが、 そのようなことではありません。 

B: ええ。
26:08 K: すると、何ですか。 私たちは、見出そうとしていますか。 単純でありましょう。 私たちは、見出そうとしていますか- 彼らは、二つの・・・ 彼らは、本源より出発し、一つは、一方向へ進んできたが、 もう一つは、もう一つの方向へ進んできた。ですね? ですが、本源は同じです。 なぜ、彼らのみんなが、正しい方向へ、動いてこなかったのか。
26:45 B: ええ。私たちは、まだそれに答えていません。 私たちは、それに何とか答えられたことがありません。
26:50 K: ええ。私たちは、それに答えようとしています。 それに戻りましょう。
27:02 B: 私はただ、こう言っていました - それを理解できるなら、 それは、私たちが本源に戻って、間違った方へ曲がらなくていいことを、 意味する、ということを、です。 何らかの意味で、私たちは持続的に、間違った方へ曲がっています。 で、私たちは、この間違った曲がりを、理解できるなら、 変化することが、可能になります。
27:23 K: はい。はい。分かります。すなわち、私たちは、同じ本源より出発する。 Aは、一つの角を曲がり・・・
27:31 B: 私たちは、持続的に、同じ本源より、出発しています - 時の中で、本源へ戻って行くのではない。 それは正しいですか。
27:39 K: ちょっと待って。ちょっと待って。
27:40 B: ご発言の取り方は、二つの可能性が、あります。 一つは、本源は時の中にある。 はるか過去に遡って、と言うものです - 私たちは、一緒に出発したが、私たちは、違った道を取った。 もう一つは、本源は時がなくて、私たちは持続的に、間違った方へ 何度も何度も曲がっている、と言うものです。ですね?
27:58 K: ええ。私たちは、時を断ち切ります。 ゆえに、それは常に、間違った方への曲がりです。
28:05 B: 常に、間違った方への曲がり。ええ。
28:08 K: なぜですか。 M.ジンバリスト: それはまた、 常に、正しい方へ行く可能性もある、という意味です。
28:17 K: ええ、もちろんです。 そうなんです。そうなんです。私たちは、もう少し明らかになりつつあります。 すなわち、私たちは、私たちみんながそこより始まった本源と、言うなら、 ゆえに、それは終了しています。そのとき私たちは、時の中に捕らわれています。
28:32 B: 私たちは、時の中に戻っています。 戻ることはできません。
28:35 K: 戻ることはできません。 それはだめです。 ゆえに、それは、私たちは見たところ、いつの時も、間違った方へ 曲がっている、ということです。

B: ええ、常に。
28:46 K: 常に。そのように表しましょう。
28:48 常に、間違った方へ曲がっている。なぜですか。 私はそれに、少し入ろうとしているだけです。 思考によって作動していない者・・・ 洞察とともに生きている者と、 洞察とともに生きていない、別の者 - これらは、常です。 そして、闇の中に生きている人は、 どの時にも、離れて、他方へ動けます。 それが論点です - どの時にも、です。 

B: ええ。
30:09 K: いいですか?

B: ええ。 そのとき何も、彼を押しとどめません - 常に、間違った方へ曲がること以外は、ね。 すると、闇がこうであるので、彼は自分自身が間違った方へ曲がっているのが 見えない、と言えるのでしょう。 なぜなら、暗いからです。
30:31 K: ええ、自分の暗闇のせいで、ね。 これは正しいですか。 私たちは、正しい方向を、正しい問いを、追求していますか。 あなたは、あの洞察を持っています。 仮に、あなたは、あの洞察を持っている、とします。 あなたの闇、まさに闇の本源、中心は、完全に消し去られたのです。 私は、あなたに聞きます。私は、真剣であり、相当に智恵があり、 神経症的ではない人間です。 私は、あなたに聞きます。 何でも、あなたが言ってきたことは、合理的で、理性的で、健全だと思われます。 私は分割を問います。 それが、私が問うている・・・
31:57 B: ええ、いいですよ。

K: よろしいですか。
31:59 B: いいですよ。分割を問う -

K: 私は分割を問います。 分割は、闇を創り出す中心により、 創り出されます。いいですね?
32:17 B: ええ。それは、他の分割と同じです。それは、思考ですね。
32:20 K: ええ。思考が、この分割を創り出してきました。 他の人は、分割はないと、言います。 私の話は明らかなのか・・・

B: ええ。 ええ、闇の中で、思考は、この分割を創り出し、

K: そうなんです。

B: この分割を維持しますね。
32:38 K: あなたは、言います - 洞察等を持っているあなたですが、 あなたは、分割はないと、言います。
32:45 B: ええ。そのとき、分割の中、 闇から、陰が投げかけられます。

K: ええ。

B: それが、分割を作りますね?

K: ええ。 私はそれを、受け入れようとしないでしょう。 なぜなら、私の闇の中、分割より他に、何もないからです。 で、私は、闇の中に生きていて、分割を、創り出してきました。 私は、それは正しいと、思います。 私は、自分の思考において、それを創り出してきたので・・・
33:32 B: 私は常に、それを創り出しています。
33:34 K: 常に分割を創り出しています。 そのとおりです。常に分割を、創り出しています。 で、私はいつも、 分割がない状態に、常に生きたがっています。

B: ええ。

K: いいですか?
34:06 K: ですが、その動きは、やはり闇の動きです。 

B: ええ。
34:11 K: ですね?

B: ええ。
34:16 K: 私はどのように、 この継続的な闇、常なる闇を、消し去ることになりますか。 それが、唯一つの問いです。なぜなら、それが存在しているかぎり、 私は、この常なる分割を、創り出すからです。ですね?

B: ええ。 

K: で、私は何をするんでしょう・・・
34:40 K: そうね、これは、ぐるぐると円周を回っています。 すなわち、私は、洞察をとおして闇を消し去られるだけですが、 私は、どの努力、意志などなどによっても、 その洞察を得られません。 で、私は、何もなしに取り残されています。ですね? で、私の問題は、何ですか。 私の問題は、闇を知覚すること、 闇を創り出している思考を、知覚することと、 自己がこの闇の本源であることを、見ることです。 なぜ私は、それが見えませんか。 なぜ私は、それを論理的にすら、分かりませんか。

B: まあ、それは論理的には明らかです。
35:54 K: ええ。ですが、どうしてか、それは、作動するように思われません。 で、私は、何をするのでしょうか。 私は初めて、悟ります- すなわち、 私が・・・自己が、闇を創り出している。 その闇が常に、分割を生み育てていることを、です。 私はそれが、きわめて明らかに見えます。
36:25 B: ええ。そして分割が、闇を生み出します。
36:27 K: 逆もしかりで、行ったり来たりです。 それらから、あらゆる物事が、始まります。 今、私はそれが、きわめて明らかに見えます。私は、何をするのでしょうか。 で、私は、分割を認めません。 よろしいでしょうか。
36:57 ムーディ: ですが、クリシュナジ、私たちは再び、にもかかわらず、 分割を導入しつつないですか - 洞察が必要な人がいると、私たちが言うとき、です。
37:08 K: 彼は、洞察を持っています。 Xは、洞察を持っています。 彼は、私に対して、闇がどう消滅されるのかを、 きわめて明らかに説明してくれました。 私は彼に聞きます。 彼は言います - あなたの闇こそが、分割を創り出している。 実際に分割は、ない。 光と闇といった分割は、ない、と。 それで、彼は私に訊ねます - あなたは、この分割の感覚を、 消滅できますか。 片付けてしまえますか、と。
37:58 B: ええ。ですが、今、あなたは、そう仰ることにより、 分割をまた戻しているように思われます - 「私はそれをすべきである」と仰ることによって、ですね。
38:05 K: いえ、いえ。「べき」ではない。 私はただ・・・
38:10 B: ええ。ですが、「できる」ということです。そう仰っている形で、ね - 仮に、私たちは、思考過程や精神は、自発的に 分割を導入するようだ、と言う、とします。 あなたは、私たちはそれを脇に置こうとしよう、と仰りますが、 同時にそれは、分割を作ろうとしていますね。
38:30 K: いいえ。私はその問いを理解しますが、 私の精神は、分割を片付けてしまえますか。 または、それは、間違った問いですか。
38:46 M.ジンバリスト: それが、分割されていて、闇の中にあるかぎり、 それは、分割を片付けてしまえますか。
38:53 K: いいえ、できません。で、私は何をすることになりますか。
38:57 ムーディ: ですが、私たちは再び、分割を導入しつつあります。
39:00 K: いえ、いえ、いえ。 聞いてください。 それは、分割ではありません。 彼は、何かとてつもなく真実なことを、言います - それは、無量の意義と美しさを、持っています。 私の全存在は、「それを捉えろ」と言います。 それは、分割ではありません。
39:29 ムーディ: 分割は、即時のようです - そうね、 私が、何か自分が捉えたいものがあると感じるときに、です。
39:35 K: いえ、いえ。 それは、分割ではない。 私は、自分が分割の創造者であることを、認識します。 よろしいですか。なぜなら、私は、闇の中に生きていて、 それで、その闇の中から、私は創り出すからです。 ですが、私は、Xに聞いてきました - 彼は、分割はない、と言います。 私は、それは、とてつもない発言であるのを、認識します。 で、それを私へ言う中で - 分割の中、常なる分割の中に生きてきた私へ、です - まさにその言うことこそが、私に対して即時の効果を、持っています。 ですね?
40:46 B: 自らがしなくてはいけないと、思います・・・ まあ、そう仰るのなら、分割を片付けてしまうことを、です。
40:52 K: 私はそれを、放っておくでしょう。 私は、片付けてしまわないでしょう。 その発言が・・・

B: ええ。どの発言ですか。
40:59 K: 間に分割がないとの、です。

B: ええ、分割がない。
41:03 分割がない。ですね?

K: ええ。
41:10 B: ゆえに、分割を考える必要はない。

K: いえ、いえ。
41:17 私は少し、これに取りかかりたいと思います。 私は、それでもって、どこかへ至ろうとしています。
41:22 分割はないとの、あなたの発言は、 あなたがこの洞察等々を持っているからですが、 まさにその発言は、私に対して、ものすごい効果を、持ちます。 理解されますか。 私は常に、分割の中に生きてきました。 あなたが、やってきて、議論した後、 分割はない、と言います。 それは、私に対してどんな効果を、持ちますか。 質問を理解されますか。 それは、私に対して、何か衝撃を持つにちがいありません。 さもないと、話をすることが、何の役に立ちますか。 

B: ええ。 あなたは、何でも言っています!
42:13 B: そうです。が、そのとき、あなたは分割はないと言う。それは意味をなします。 他方で、分割は存在しているように、思われますね。 私は、この矛盾を認識します。

K: 私は、分割を認識しますが、 分割はないとのあなたの発言は、 私に対して、ものすごい衝撃を、持ちます。 それは、とても自然に思われるでしょう。 私は、何か動かしえないものを、見るとき、 それは、私に対して、何か効果を持つにちがいありません。 あなたが、「そうですよ」と言うとき - 私が何に取りかかろうとしているのかに、付いてきておられますか。 私はそれへ、ものすごい衝撃でもって、応答します。 何かが伝わっているのかどうかと、思われます。
43:19 B: そうね、もしも、あなたが、例えば、 私たちの前にある何かについて話していて、 「いや、それは、そのようではない」と言ったなら - いいですね? - そのとき、そうね、私たちはそれを見つめて、 「いや、それはそのようではない」と言うでしょうね。 そのとき、それはもちろん、あなたのそれへの見方全体を、変化させるでしょう。 今、あなたは、この分割はそのようではない、と仰います。 私たちは「ええ」と言い、見つめようとし、「そうなのか」と言いますね。
43:51 K: 私は、「そうなのか」と言いもしません。 あなたは、よく気をつけて、全体の事柄を説明してきて、 その終わりに、あなたは、分割はない、と言います。 質問を理解されますか。 私は、敏感であり、よく気をつけて見守った、その他すべてですが、 自分が常に、分割に生きていることを、悟ります。 あなたがその発言をするとき、それが - 私は、それが様式を壊したと、思います。 私が表現しようとしていることに、付いてきておられるのかどうか、私は知りません。
44:43 ムーディ: 少なくともその瞬間には、それが様式を壊すと、仰っていますね。
44:46 K: それは、様式を壊してしまいました。 なぜなら、彼は、何か根源的に真実であることを、言ってきたからです。 神と人は、いない。 そうです。私はそれに拘ります!私は、そこに何かを見ます。 すなわち、私たちは先日、言いました - 憎しみが存在するところ、他方はない、と。 いいですか。 ですが、憎みながら、私は、他方がほしいのです。
45:41 B: ええ。

K: いいですか? で、常なる分割 - 分割は、闇の中から生まれます。 闇は常です。 あなたが、やってきて、私に語ります - なぜなら、私は、よく気をつけて、あなたに聞いてきたからです。 私は、ただの、何気ない聞き手ではありません。 私はただ、「まあ、私はこの午後、来ました。 それについて、すべて語ってください。 私はそうしたい・・・」と言うだけの人物だけではない。 それは、私の生涯の時であったのです。 あなたは、絶対的に真実だと思われる発言を、します。 付いてきておられますか。 それが、何かをします。 私に入ります。 ゆえに、この行為が、闇を消し去ってしまいました。 彼の発言の行為が、闇を消し去ります。 私は何かを捉えているのかどうかと、思われます。それはそうなると、思います。 私は、闇を取り除くために、努力をしていませんが、 あなたは光です。 そのとおりです。 私はそれを通します。
47:28 で、それは、何かへ来ます- すなわち、 私は、自分の闇をもって、自分の闇の中で、聞けますか - 闇は常ですが、あの闇の中で、 私は、あなたに聞けますか。 もちろん聞けます。

質問者: ですが、クリシュナジ、そのときそれは、やはり闇ですか。
47:55 K: いえ、いえ。気に掛けないでください。いえ、いえ。
47:58 私は、常なる分割の中に、生きています- それが、闇をもたらします。 誰かが、Xがやってきて、私に語ります - 「分割はないよ。 君、見なさい」と。
48:14 B: そうです。さて、なぜあなたは、闇の中で聞けると、仰りますか。
48:17 K: 何ですか。
48:18 B: あなたはちょうど、闇の中で聞けると仰ったと、私は言います。
48:21 K: そうです。 

B: いいです。 それには、幾らか必要で・・・
48:25 K: ああ、そうです。 私は闇の中で、聞けます。 それができないなら、私は運命づけられています。

B: いえ。が、それは、何の論争でもないですよ。
48:33 K: いえ、いえ。もちろん、それは何の論争でもないが、そうなのです。 もし、私が常に、闇の中に生きているなら・・・
48:48 B: いえ。ですが、それは明らかです。 私たちは、それに入ってきました - すなわち、常に闇の中に生きることは、甲斐がない、と。 ですが、今、私たちは、闇の中で聞くことは可能であると、言います。
49:03 K: はい、そうです。 はい、そうです。聞く。 それは、私が・・・もちろんです。
49:14 ムーディ: これは、分割がないと仰ることと、合っています。
49:17 K: 聞くことは、分割ではない。
49:19 ムーディ: そうです。もしも分割があったなら、私は聞けないでしょう。
49:23 K: ですが、私は分割の中にいます。 ムーディ: そのとおりです。
49:26 K: いいえ。あなたは、論点を見逃しています。 彼は、分割はないと、言います。 彼は、私にとって閃きです。 私の話は明らかになっているのかと、思われます。 ああ、いいえ、いいえ!
49:45 ムーディ: 私たちは、それを、もう少し明らかにできますか。
49:50 K: 彼、Xは、洞察、それらを言います。 彼は、私に対して、洞察が何であるかを、きわめて明らかに説明してくれます。 私は、何度も何度も、それらに入らないでしょう。 彼は、私に対して、よくよく気をつけて、説明してくれます。 私は敏感です。私は、自分の闇の中、彼に聞いてきましたが、 それにより、私は敏感に、生きて、見守るように、なりつつあります。 ですね? それが、私がしてきたことです。 私たちは一緒に、それをしてきました。 彼は、発言をします - 絶対的に、何の分割もない、と。 私は、自分が常なる分割の中に生きていることを、知ります。 まさにその発言こそが、常なる動きを、終わりにしたのです。 伝わっているのかどうか・・・・ そうです。
51:28 さもないと、これが起きないなら、私は何も持っていなくて・・・ 付いてきていますか。 私は、永続的に、闇の中に生きています。 荒野の一人、一声と、その声を聞くことは、 荒野の中で、とてつもない効果を、持っています。 私の話が明らかになっているのかどうか・・・
52:15 B: 今、あなたは、聞くことは、動きの本源に届くと、仰っています。 

K: ええ。

B: ところが、観察は届かない、と。

K: そうです。 私は、観察してきました。 私は、聞いてきました。 私は、生涯ずっと、あらゆる種類のことを、やらかしてきました。 私は、人間が創案したことや創案しつつあること すべてを、やってきました。 今、私は、唯一つのことがあるのが、分かります - すなわち、この常なる闇が、ある。 そして、私は、その闇の中、行為している、と。 この荒野の中で、です -それは闇です。それは本源で・・・ その中心が、自己です。 私は絶対的に、それが見えます。 絶対的に、とは、完全に、というのです - あなたはもはや、それに反論できません。 あなたが、やってきて、私に、これを語ります。 何が起きるかを、ごらんください。そうです。 その荒野の中で、声は、「水がある」と言います。よろしいですか。 それは、望みではありません。 私の中に、即時、無媒介の行為が、あります。そうです。 すなわち、あなたは、こう仰るのでしょうか - これは、またもや・・・ 自らが来なければ、自らが悟らなければ、理解しなければなりません - どの言葉でも、です - すなわち、闇の中でのこの常なる動きが、私の生である、と。 私は、それを認めるのでしょうか。私が言っていることに、付いてきていますか。 私は、自分の経験すべてをもって、自分の知識すべてをもって、 百万年の自分の等々すべてをもって、悟られるでしょうか - 突然に、私が全的な闇の中に生きていることを、悟られるでしょうか。 誰も、それを認めないでしょう。 なぜなら、それは、私が、すべての望みの終わりに、到った、 という意味であるからです。 いいですか? 私の望みもまた、闇です。 あなたは、すっかり未来を、断ち切ったのです。 私が言っていることを、理解されますか。 で、私は、この甚大な闇とともに、取り残されています。私はそこにいます。 いいえ。それは、それを悟ることは、なることが終わることである、 という意味です。いいですか。

B: ええ。
55:57 K: 私は、その点に到ったのです。 Xは、私に語ります。 当然ですよ・・・
56:26 そうね、彼らのすべてがすべての宗教が、 この分割が存在する、と言ってきました - 神と、神の子、です。
56:39 B: ええ。まあ、彼らは、それは乗り越えられる、と言いますね。
56:44 K: それは、同じ様式が反復されるのです。
56:49 B: ええ。まあ、私は、インドの諸宗教がこれを 言ってこなかったのかどうかを、知らないわけですが。
56:55 K: 残念ながら・・・私は確かではありません。私はそう思いません。 私は知りません。 私が知ることはないでしょうが、 私はこれについて、数人のパンディットと議論してきました。 それは疑わしい。いえ、いえ。 それは、きわめて疑わしい。 誰がそれを言ったのかは、大事なことではないが、 事実は、この荒野の誰かが、何かを言っている、ということです。 その荒野の中で、私は聞いてきました - あらゆる声を、聞いてきました- よろしいですか。 そして私自身の声を、です - それは、ますます闇を、創り出しています。 ええ、このとおりです。 それは、こういう意味でしょうか - 洞察があるとき、分割はない、と。

B: ええ。
58:10 K: それは、あなたの洞察や私の洞察ではない。それは洞察です。
58:15 そこには、分割がない。

B: ええ。
58:35 K: それは、こういう意味です - 私はこれを理解しますか。
58:46 すなわち、基盤について私たちは話しましたが、それは・・・
59:00 B: 基盤について、何ですか。
59:03 K: あの基盤には、 闇としての闇、光としての光が、ない。 あれは何ですか。 あの基盤の上にか、あの基盤の中には、分割がない。 だから、それは - 私たちはそれらを通ってきました。 それをただ再開すると - それは、意志から、時から、思考とそれらから、生まれていない。 で、あの基盤の上か、中には・・・
1:00:09 B: あなたは、光と闇は分割されないと、仰っていますか。
1:00:13 K: そうです。
1:00:14 B: それは、どちらもない、と言うことを、意味していますね。
1:00:17 K: どちらもない。 そうなんです。そうなんです。 他の何かがあります。 そうね、あなたがやってきて、私に、このとてつもない事実を、語ります。 私にとって、それはとてつもない事実です。 私はそれを、自分の存在すべてでもって、悟ります - すなわち、あなたが言うことは真実である、と。 単に、言語的に真実であるだけではなく、そのとおりだ、と。 私は見ます・・・ 私が見るのではない。 理解されますか。 知覚が、あります - 非二元的な違った動きが、あるとの知覚、です。 いいですか?
1:01:16 B: 非二元的とは、どういう意味ですか。分割がない、と?
1:01:19 K: 分割がない。私は、「非二元的」を使わないでしょう。 それは、インドで使われてきました。ひどいです。 分割がない。
1:01:28 B: が、にもかかわらず、動きがある。
1:01:31 K: 動きが - もちろんです。
1:01:33 B: それは、どういう意味ですか - 今や、分割なしで?
1:01:36 K: 動き - 私がいうその動きとは、それは時でない、という意味です。 あの動きは、分割を生み育てません。 それで、私は、基盤へ戻りたいと思います。それへ導きます。
1:01:52 もし、闇も光もないのなら - それは、本当に、ものすごい分割です。 ですね? あの基盤には、分割がない。 あの基盤は、神や、神の息子ではない。分割がない。 で、何が起きますか。 あなたは、あの基盤は動きであると、仰るのでしょうか。
1:02:57 B: そうかもしれませんね。ええ。 でも、私たちは、分割されていない、分割なしの動き、と言います。
1:03:03 K: いえ、いえ、いえ。
1:03:05 B: あなたは前に、動きがあることを、仰っていましたね。
1:03:08 K: いえ、私は、闇の中に動きがあると、言います。
1:03:11 B: ええ。ですが、私たちは、闇と光の分割はないことを、言いました - けれども、あなたは、動きがある、と仰りました。
1:03:18 K: ええ。あなたは、基盤は、終わりなき動きであると、仰るのでしょうか。
1:03:27 B: ええ、ええ。

K: ええ。 それは、どういう意味ですか。
1:03:43 B: まあ、それは明らかではない。 それは、表現するのが困難です。
1:03:48 K: それに入ることはできる、と思います。 それを表現しましょう。 私は、他のどこかへ外れています。 ちょっと待って。戻ってきます。
1:04:10 動きとは、何ですか - ここからそこへ、を別にして、時を別にして、 他に何か動きが、ありますか。
1:04:24 B: ええ。

K: あります。 有ることより、なることへの動き- 心理的に、です。 距離の動きが、あります。 時の動きが、あります。 私たちは、それらはすべて分割である、と言います。 非分割的な動きは、ありますか。 いえ - それ自体が、分割を持っていないものは? あります - あなたが、あの発言を言ってきたとき、です。よろしいですか。 あなたが、分割はないとのあの発言を、してきたとき、 それは確かに、あの動きです。 いいですか? あなたがどうなのか、私は知りませんが・・・ 

B: ええ。まあ、 あなたは、分割がないとき、あの動きがあると、 仰っています。ですね?

K: ええ、ええ。 私は言いました、私たちは言いました、 Xは、言います - それが基盤である、と。

B: そうです。
1:05:48 K: そうね、またもや・・・ あなたは、こう仰るのでしょうか- これらは言葉です - それは、終わりを持たない、始まりを持たない、と。 

B: ええ。
1:06:09 K: それは、またもや、時を意味しています。 M.ジンバリスト: 訊いてもいいですか -
1:06:19 あの動きは、形態を持たないと、言えますか・・・
1:06:21 K: それら・・・形態がない。 私は・・・話していません。 私は、さらに少し行きたいのです。いえ、いえ。私が訊ねていることは、こうです - あなたが、分割がないと、述べてきたとき、それは、動きに分割がない、 という意味だと、私たちは言いました。

B: ええ。それは、そうね、分割なく流れますよ。 

K: ええ。 あなたは、それを言ってきたとき、私に、何かを指し示してきました - それは、その中に分割がない動きです。
1:06:59 B: ええ。
1:07:02 K: 私は、それの意義を捉えますか。 私がいう意味を、理解されますか。 私は、あの発言の深さを、理解しますか。 その中に分割がない動き。 それは、私たちが知っているような、時がない、距離がない、という意味です。 そこには、時の要素がまったくありません。 で、私は見ようとしています - あの動きは・・・ それは、人を推し進めていますか - ちょっと待ってください。私は、間違った言葉を、使っているんです。 それは、人を取り巻いていますか。

B: ええ、包み込んでいます。
1:08:18 K: 人を包み込んでいますか。

B: ええ。
1:08:22 K: 私が言っていることを、理解されますか。 

B: ええ。
1:08:29 K: 私は、これに取りかかりたいと思います。
1:08:39 私は、人に、人類、人間に、関心を持っています - それは、私です。 あなたは、Xは- それは大事なことではない - Xは、幾つもの発言を、してきましたが、絶対的に真実だと思われる発言を、 私は捉えたのです - すなわち、分割はない、と。 それは、分割的な行為がない、という意味です。 

B: ええ。
1:09:19 K: いいですか?

B: ええ。
1:09:27 K: 私は、それが分かります。
1:09:30 また私は、見えます - 時、等のないあの動き、 あれは世界であるように、思われます - 付いてきておられますか - 宇宙・万物、コスモスだ、と。
1:09:45 B: 宇宙・万物、そう、コスモス、ええ、その全体。
1:09:48 K: 天空全体、あらゆる物事。

B: 総体。 その総体、全体。

K: 総体です。 そうね、ユダヤ世界には、発言が、ないですか - 「神のみが、私はあると、言える」というのが。
1:10:12 B: まあ、それが、その言語(ヘブライ語)の行き方です。 その言語は、そのように築かれています。 それを述べることは、必要ではない。
1:10:19 K: ええ、ええ。理解できます。 私が何に取りかかろうとしているのか、
1:10:22 付いてきておられますか。

B: ええ。
1:10:29 K: 私は、何を言おうとしていますか。
1:10:32 B: まあ、ただこの動きのみが、ある、と。
1:10:39 K: そうですね・・・ 精神は、あの動きのでありえますか。 なぜなら、あれは、時がなく、ゆえに、死がないからです。
1:11:12 B: ええ。その動きは、死がない。
1:11:14 K: 死が、ね。
1:11:16 B: 精神が、あれに加わるかぎりにおいて、それは同じです。
1:11:18 K: そうです。私が何を言っているかを、理解されますか。 

B: ええ。
1:11:21 そのとき、個人が死ぬとき、何が死にますか。
1:11:24 K: それは、意味さえ持っていません。 なぜなら、ひとたび私が、分割はないことを、理解したとき・・・
1:11:31 B: そのとき、それは重要ではない。
1:11:34 K: ・・・死は、何も意味を持っていません。

B: 深みでは、持たない。それは、何か他の脈絡では、やはり意味を持っています。
1:11:46 K: ああ、身体が終わること。 それは全然、些細です。
1:11:53 ですが、理解されますか。 あなたの発言 - 私は、それの意義を捉えたいと思います - 分割がないと言うあなたの発言は、 私の闇のまじないを、破ってしまったのです。 私は、動きがあることが、見えます。それが、すべてです。 それは、死がほとんど意味を持たないことを、意味しています。
1:12:42 B: ええ。
1:12:43 K: あなたは全的に、死の恐れを廃棄したのです。 付いてきておられるのか・・・

B: ええ。それは理解できます。 精神が、あの動きに加わっていて、 あの動きの一部であるとき、 精神は、あの動きですね。

K: それがすべてです。 精神は、あの動きです。
1:13:07 B: 物質もまた、あの動きであると、仰るのでしょうか。
1:13:10 K: そうです。私は、あらゆる物事が、と言うでしょうね。 

B: ええ。

K: そういうわけで、私は・・・ ですが、私は、自分の闇の中、あなたに聞いてきました。 それが大変に重要です。 あなたの明瞭さが、私のまじないを破ってしまいました。 そうね、分割がない、と言うとき、 あなたは、生と死との間の分割を、廃棄してしまったのです。 付いてきておられるのかどうか・・・ 

B: ええ。
1:14:15 K: そのとき、「私は不滅だ」とは、けっして言えません。 よろしいですか。それは、子どもっぽいのです。 

B: ええ、それは分割です。
1:14:29 K: または、「私は不滅性(不死)を求めている」とか、
1:14:31 「私は、なりつつある」とかも、です - あなたは、闇の中で動く感覚全体を、拭い去ったのです。 これがお分かりになるのかどうかと、思われます。そうです。
1:14:50 ムーディ: そのとき、世界の意義とは、何でしょうか。 それに、意義はありますか。 世界の意義とは、何ですか。
1:15:00 K: 世界ね?

B: 世界です。
1:15:03 ムーディ: 人との、です。

B: 社会、ということですか。
1:15:06 ムーディ: ええ、こう思われます。 あなたが、この発言をされるとき - 分割がない、生は死である、というのですが - そのとき、格闘すべてとかをともなった人の意義は、何ですか。
1:15:28 K: 何もない。彼は、闇の中で格闘しています。 それが、どんな重要性を持ちますか。 それは、鍵の掛かった部屋の中で格闘しているのに、似ています。 それが、論点全体です!
1:15:46 B: 闇が消し去られたとき、意義が生じうるだけです。
1:15:51 K: ええ、もちろんです。
1:15:52 ムーディ: または、唯一つの意義は、闇を消し去ることです。
1:15:56 K: ああ、いえ、いえ、いえ。
1:15:58 B: 私たちは、闇を消し去ることの他に、 もっと何かができると、言おうとしていませんか。
1:16:02 K: あなたが、私にしてきたすべては - 私はよく気をつけて、あらゆることを聞いてきました。 すなわち、あなたは洞察等を持ってきた、 あなたは中心を消し去った、ということを、です。 闇の中で、私は、たくさんの意義を、考案できます - すなわち、光がある、神がある、美しさがある、これがある、と。 それはやはり、闇の区域にあります。 闇に充ちた部屋に捕らわれていて、私は、たくさんの映像を、考案できます。 ですが、私は、他の何かを得たいのです。すなわち、 人の精神は・・・この洞察を持ち、 ゆえに、闇を消し去ってしまい、 ゆえに、時などがない動きであるあの基盤の理解を、 持つ者のですが、 そのとき、あの精神自体が、あの動きです。
1:17:15 B: ええ。ですが、それは総体ではない。 そうね、ええ、精神はその動きですが、 私たちは、動きは物質である、動きは精神であると、言っています。
1:17:25 K: そうです。そうです。

B: 私たちは、基盤は、
1:17:34 普遍的な精神を越えているかもしれないと、言っていました。 あなたは前に、仰っていました -動きは、基盤は、 普遍的な精神以上であり、空っぽ以上である、と。
1:17:49 K: それ以上です。私たちは、それを言いました。はるかに越えています!
1:17:52 B: はるかに越えている。 が、それは、収容しています・・・ - 私たちは、それを明らかにしなくてはいけませんね。 私たちは、精神はこの動きであると、言います。

K: ええ、精神はこの動きです。
1:18:03 B: 私たちは、この動きは精神だけであるとは、言っていません。
1:18:06 K: ええ、ええ、ええ。
1:18:09 B: それが、私が明らかにしようとしていた点です。
1:18:12 K: 精神は、この動きです - 基盤という意味での、精神です。
1:18:20 B: ですが、基盤は、精神を越えてゆく- それが、あなたが仰ったことです。
1:18:26 K: さて、ちょっと待って。精神を越えていく、というのは、どういう意味ですか。
1:18:31 B: まあ、私たちが、二、三日前に議論していたことに、戻るんですが、 私たちは、空っぽを持つことを、言いました。そして、普遍的な精神を持つ。

K: ええ、ええ。

B: そのとき、基盤は・・・
1:18:48 K: それである。それを越えている。

B: ・・・それを越えている。ええ。
1:18:57 K: それを越えて、この動きがある、と仰るのでしょうか。
1:19:00 B: ええ。動き、そこから・・・ 精神は、基盤としてのその動きより出現し、 

K: そのとおりです。

B: 基盤へ戻って行く。それが、私たちが言っていたことです。
1:19:10 それは、基盤へと死ぬ。

K: ええ。 精神は、動きより出現する。
1:19:15 B: それは死んで、その動きへ戻る。

K: 動きへと。そのとおりです。
1:19:19 それは、その動きの中にその存在を持っている。

B: ええ。物質もまた、そうです。

K: 全くです。
1:19:27 で、私が取りかかりたいことは、こうです - 私は、人間です。この終わることと始まることに、向き合っています。 あなたは、それを廃棄したのです。
1:19:50 B: ええ、それは根源的ではない。

K: ええ、それは根源的ではない。 それで、あなたは、生の最大の恐れの一つを、 すなわち、死を、取り除いてしまったのです。 理解されましたか。

B: ええ。
1:20:15 K: そうね、死がないとき、 それにより、人間はどうなりますか。 それは、精神が老いない、という意味です。 私は、普通の精神について、話しています。 これが伝わっているのかどうか、私は知りません。

B: ゆっくり行きましょう。 ゆっくり調べてみましょう。 あなたは、精神は老いないと、仰っていますが、脳細胞が老いるなら、どうですか。
1:20:50 K: 私はそれを問うのです。

B: ええ。まあ、 私たちは、どうすればそれを知りうるのですか。
1:20:57 K: なぜなら、葛藤がないから、 緊張がない、 なること、動くことが、ないからです。よろしいですか。
1:21:10 B: ええ。まあ、これは、何かできないことですが・・・ それについて、確実性を伝達することは、難しい。なぜなら・・・
1:21:17 K: もちろんです。 これのどれも、証明できません。
1:21:19 B: ええ。つまり、ですが、他のこと、ここまで私たちが言ってきたことは・・・
1:21:23 K: ・・・推理できる。
1:21:24 B: それは道理ですし、またあなた自身も、それを感じられますね。 でも、今、あなたは、脳細胞について、何かを述べておられます - 私が何の感じをも持たないことを、です。そうなのかもしれない。 そうね、ありうるかもしれない。

K: 私は、そうだと思います。
1:21:38 私は、それについて、議論したいです。 それについて議論しましょう。 精神は、闇の中に生きてきましたが・・・ 闇の中に生きてきた精神は、 常に・・・

B: ええ。
1:21:57 K: ゆえに、細胞の擦り切れ、衰退が、あります。

B: ええ、確かに。 私たちは、この葛藤が、 細胞を衰退させるだろうと言えるでしょうが、 誰かは、おそらく葛藤なしですらそれらは、より緩やかな割合で、 衰退するかもしないと、議論するかもしれません。 そうね、もしも、あなたが、例えば数百年、生きることになった、としましょう。 時の中で、あなたが何をしようとも、細胞は衰退するでしょう。
1:22:29 K: いえ、私はそうでなく・・・私は問いたい。ゆっくり、これに入りたいのです。
1:22:33 B: ええ。そうね、葛藤を取り除くとき、 細胞の衰退の割合が、減らせるだろうことを、 私はすぐに受け入れられます。

K: 緩やかにできる。
1:22:42 B: 大変、緩やかにできる。

K: 衰退の割合は、緩やかにできる。
1:22:45 B: おそらく大変に。
1:22:48 K: 大変に、です。90パーセント。
1:22:51 B: いいです。それを、私たちは理解できますが、 100パーセントと仰るなら、理解するのは、難しい。
1:22:56 K: 90パーセント。 ちょっと待ってください。 それは、きわめて、きわめて、大いに緩やかにできます。
1:23:03 B: ええ。
1:23:16 K: それは、どういう意味ですか。 葛藤を持たない精神には、何が起きますか - 90パーセントか、80パーセント - その精神は、何ですか。 どんな問題をも持たない精神の性質は、 何であるか、という意味で、精神は、です。 そうね・・・ 仮に、そういう精神が、清らかな、汚染されていない空気等々と、 正しい種類の食べ物などなどなどの中で、生きる、とします。 なぜそれは、ああ、二百年、生きられませんか。
1:24:14 B: まあ、それは可能です。 或る人々は、百五十まで生きたと、 言われています。

K: ああ、そうです。

B: そうね、きわめて清らかな空気と良い食べ物の中で、生きて、です。
1:24:24 K: ですが、そうね、 百五十年、生きたそれらの人々こそが、 もしも、葛藤を持たなかったなら、彼らは、 はるかに長く生きたかもしれません。

B: ええ。そうかもしれません。 私が読んでいた、イングランドの或る人の事例が、ありました - 百五十まで生きた人で、それは記録されました。 医師たちは、彼に興味を持ちました。 彼をロンドンに招待して、ワインと晩餐で、もてなしましたが、 すると、彼は、二、三日で死にました。
1:24:47 K: 気の毒に!
1:24:55 ムーディ: クリシュナジ、通常、私たちは、 何でも、時の中に生きるものは、また時の中で死ぬと、言います。
1:25:01 K: ええ。ですが、頭脳は、洞察を持ってきて、 細胞を変化させてきました。 ムーディ: で、あなたは或る面で、
1:25:11 仄めかしておられますか - その有機的な頭脳さえも・・・・
1:25:14 K: そうです。私たちは、それを言いました。私たちは、それに入りました。
1:25:17 ムーディ: ・・・もはや時の中に生きない。 時系列的な時の中にすら、と。

K: いえ、いえ。まだ、時を持ち込まないでください。 私たちは、洞察が、脳細胞に変化をもたらすと、言っています。 私たちは、それを言いました。 それは、脳細胞がもはや、時ということに立って考えていない、という意味です。 よろしいですか。
1:25:39 ムーディ: それは心理的な時です。 

K: もちろんです。それは理解されています。
1:25:43 B: それらは、さほど動揺しないなら、秩序立ったままに留まるでしょうし、 おそらくそれらは、もっとゆっくり壊れていくでしょうね。 それで、年齢の限界を、百五十年から二百年に、増大させるかもしれません - またあなたが、すっかり健康的な生活を、したという条件づきで、です。
1:25:57 K: ええ。 それはすべて、 むちゃくちゃ些細に聞こえます - そのすべてが、です。で、何ですか。
1:26:03 B: ええ。それは、大きな違いを出すように思われませんね。 それは、興味深い観念です。
1:26:08 K: 私がさらに百年生きるなら、何ですか。何ですか。
1:26:11 B: ええ。まあ、百五十まで生きた人は、 何もありませんでした。それを越えて、何も変わったことは、ありませんでした。
1:26:23 K: 私たちが見出そうとしていることは、こうです - このとてつもない動きは、頭脳に対して、どんな効果を持ちますか。 理解されますか。

B: ええ。もし私たちが、 頭脳が何らかの形で、この動きに、直接的に包み込まれていると言うなら、です。
1:26:46 K: ええ。そうです。 そのとき、どんな効果を・・・
1:26:49 B: それは頭脳に、秩序をもたらすでしょう。 

K: ええ。
1:26:53 B: 実在の直接的な流れが、ある、と。 物理的に、と仰っています- 動きが、です。
1:27:09 K: 物理的に、だけではない。

B: また、精神的にも、どちらでもです。
1:27:12 K: ええ。どちらもです。 それは、頭脳に対して、とてつもない効果を、持つにちがいありません。
1:27:20 M.ジンバリスト: あなたは先に、エネルギーについて、話されました - クリシュナジ。 エネルギー - 毎日のエネルギーではなく、何かきわめて原始的な・・・
1:27:29 K: 私たちは、あの動きは、全的なエネルギーであると、言いました。 私たちは、それらを言ってきました。 さて、この洞察は、あのとてつもない動きを、捉えた、見たのです。 そして、それは、あのエネルギーの一部です。 私は、はるかに実地へ近づきたいのです。すなわち、 私は、死とともに、死の恐れ、無いことの恐れなどとともに、生きてきました。 突然に私は、分割がないことを、見ます。 私は、この全部を理解します。 で、私の頭脳に、何が起きてきましたか。 付いてきておられますか。
1:28:26 何らかを見てください。 あなたは、この全部を、言語的にではなく、見ます。 それが、ものすごい実在、真理として、見えます。 あなたの心、精神すべてでもってだけではなく、このものが、見えます。 その知覚こそが、あなたの頭脳に、影響するにちがいありません。
1:28:58 B: ええ。それは、秩序をもたらします。
1:29:04 K: 生での秩序だけではなく・・・
1:29:07 B: 頭脳の中の秩序、ということです。

K: ・・・頭脳の中にも、です。
1:29:09 B: ええ。それが、私がいう意味です- 今や脳細胞は・・・ ストレスのもとにいるなら、 脳細胞が壊れはじめることを、人々は証明できます。 そうね、それは証明されています。 脳細胞に、秩序を持つなら、それは全く違っています。
1:29:25 K: ええ。 私は、感じがしています - それを笑わないでください。 それは、偽りなのかもしれないし、真実なのかもしれません。 私は、頭脳はけっして、あの動きの性質を失わないと、感じます。 伝わっているのかどうか・・・

B: ええ、頭脳がそれを持つなら、
1:30:01 ひとたびそれを持つなら、です。

K: ああ、もちろんです。 私は、これらなどを通ってきた人物について、話しています。
1:30:08 B: ええ。で、たぶんそれはどうしてか、けっして あの性質を失わない。

K: あの性質を、です。 ゆえに、それは、もはや時の中で、進化していません。
1:30:27 B: まあ、私は、それがどういう意味かを、知りません。 それはもはや、時により支配されていないでしょうね。

K: ええ。 

B: 私たちが言っていることからは、頭脳は、 どの意味でも、どうにも、進化していません。それは、混乱だけです。 人の頭脳は、この一万年以来、 進化してきたとは、言えません。

K: 何ですか。
1:30:46 B: ここ一万年に、頭脳の 本当の進化があったとは、言えませんね。 

K: ええ。

B: なぜなら、遡るなら、それは、同じであるからです。 そうね、科学、知識は、進化してきましたが、 人々は、幾千年も前に、生について、 今感じるのと同じことを、感じました。
1:31:07 K: 私は見出したいのです。 すなわち、 あの静寂な空っぽ - 私たちが経てきたことの中で、頭脳は・・・ 頭脳は、絶対的に止まっていますか。 質問を理解されますか。
1:31:26 B: まあ、それは、絶対的に真実ではないですね。なぜなら・・・
1:31:29 K: 私がいうのは、動きがない、という意味で、絶対的に、ということです。
1:31:32 B: ええ。私は見える前に、これについて議論しなくてはいけません。 血液は、頭脳の内側を流れています。それは動きです。
1:31:36 K: ええ。私たちはそれについて、話していません。
1:31:38 B: どんな種類の動きについて、議論していますか。
1:31:40 K: 私は、思考の動きについて、話しています。 どの反応の動きも、何もない。

B: ええ、いいです。 頭脳が独自に動くところの動きが、ない。 あなたは、全体の動きがあると、仰っていました。 

K: ええ。 が、頭脳は、それ自体では逸れて行きません。
1:31:59 K: ええ、ええ、ええ。

B: 思考のように、ね。 ご自分が、ものすごい行為をしてきたことが、お分かりですね。 すなわち、あなたは死を廃棄したのです。 それは、意義において、ものすごいことです。付いてきておられますか。 それで、私は、頭脳とは、精神、頭脳とは何であるかと、言います - 死がないときに、です。 よろしいですか。 それは全く・・・ それは、外科手術を受けたのです。
1:32:52 B: まあ、それに入って、なぜ私たちがそれについて話をするかを、見ましょう。 頭脳は通常、そこに持続的に、 死の概念を、背景に、持っています。
1:33:01 K: 背景に、絶対的に、です。
1:33:02 B: そして今、その概念は、常に、頭脳を動揺させています。
1:33:06 K: はい、そうです。
1:33:07 B: なぜなら、頭脳は、その死を予見するし、それを止めようとしているからです。
1:33:11 K: ええ。それ自体が終わることなどなどを、です。
1:33:13 B: それは、それらを予見し、自分はそれを止めなければならないと 言いますが、止められませんね。

K: 止められません。
1:33:18 B: ええ。ゆえに、それは、自分が解決できない問題を、持っています。
1:33:21 K: 自分との常なる格闘です。

B: 背景に。
1:33:24 K: 背景に。それで、そのすべてが、終わりになったのです。
1:33:27 あなたは、何ととてつもないことをしてきたのか! 言っていることに、付いてきておられますか。 それは、私の日常生活に、どのように影響しますか。 なぜなら、私は、この地上に、生きなくてはいけないからです。 それは、私の生に、どのように影響しますか。 私の日常生活に、です。 ああ、そうです。 私の日常生活は、攻撃、 この果てしなく、なること、成功を収めることです。 そのすべてが、去ってしまいました。 何ととてつもないことが、起きてしまったのか! 付いてきておられますか。
1:34:23 明日、土曜日、最後の日です。 私たちは、これを追求するでしょうが、 私たちは今日、大変多く理解しました。
1:34:33 B: ええ、日常生活の問いを持ち込む中で、あなたは、 慈悲の問いを、持ち込むかもしれませんね。
1:34:39 K: もちろんです。 もちろん、それらです。 そうですね、 あの動きは - そうね、慈悲はかなり・・・なってしまいます。 あの動きは、慈悲ですか。
1:34:58 B: まあ、それは越えているでしょうね。
1:35:01 K: ええ、そうなんです。 そうなんです。 そういうわけで、ひどく気をつけなければならないのです。 

B: ええ。
1:35:08 ですが、またもや慈悲は、その中から、出現するかもしれません。 

K: ええ。
1:35:15 ああ、もちろんです。もしも、それを持っていなかったなら、上辺を掬い取って・・・ 私たちは止めたほうが、いい。 なぜなら・・・