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RA85D - なぜ私たちは、霊的なものと世俗的なものを、分割するのか
インド、ラージガート
公開討論会
1985年11月21日



0:48 これは、私たちの間の対話であると、されています。 あなたは、対話とは何かを、ご存じですか。 二人の人たちの間の会話です。 で、あなたたちは、私に質問しよう、語り手に質問しようとしています。 私たちは、議論、熟慮を行おうとしています。 その熟慮という言葉は、ともに相談し合う、ともに重みを量る、 ともに考慮する、ともに物事を均衡させる、 という意味です。 それは、一人の人物が、あなたたちの質問、疑問に答えている、ということではない。 むしろ、ともに私たちは、会話を行おうとしています。 たぶん、あなたたちは、これに慣れていないでしょう - 誰かに対して開け広げに率直に、本当に話をすることに、です。 たぶん私たちは一度も、そうしません。 たとえ自分の妻や夫や、 近い関係の誰かに対しても、私たちは決して開け広げに、率直に話しません。 私たちは、たくさんの仮面を被り、ふりをします。 私たちは今朝、もしも、それらを脇に置けて、 私たちが持つ、どんな疑問をも考慮できたなら、 私たちは、何について、話をしたいんでしょうか。 あなたは、何に一番関心があるのでしょうか - 何か不条理なことだけでなく、 むしろ、あなたが本当に何を見出したいか、です。 で、私たちは、熟慮を行おうとしています。 その(デリベレーションという)言葉は、ともに重みを量る、均衡させる、 互いに相談し合う、ともに考慮する、という意味です。 語り手が考慮し、それからあなたが同意や不同意をするのではない。 それは、かなり子どもっぽいのです。
3:25 で、私たちは、今朝、ともに 話し合えるでしょうか。まるで、本当に真の友だちであるかのようにです。 私が演台に座っている、ということではない。 なぜなら、演台は、上の誰かを表示するからです。 一般的に、そのほうが便利です。 それで、私たちはお互いが見えるのです。 で、議論を始める前に、 あなたはどのように、問いに接近するのでしょうか。 私が訊ねていることを、理解できますか。 あなたは、どのように問いを、問題を注視しますか。 あなたは、どのように問題の重みを量りますか。 あなたは、どのように問題のすぐ近くへ来ますか。 で、私たちは、ともに考慮しようとしています。 問いが何であれ、問いがどれほどバカげていても、 問いがどれほど不条理であっても、です。 私たちは、ともに話し合おうとしています。 それは明らかですか。 語り手があなたたちの問いに答えるのを、期待することはできません。 なぜなら、問い自体の中に、答えがあるかもしれないからです。 理解できますか。 あなたが私に質問をし、それから私があなたに答える、というのではない。 それは、かなり無意味です。 しかし、あなたは問いを、どのように注視しますか。 問いに対するあなたの接近は、どうでしょうか。 あなたはどのように、問いを考慮し、 重みを量り、斟酌するのでしょうか。 なぜなら、問い自体の中に、答えがあるかもしれないからです - 質問し、それから答えを待つのではない。 で、私たちが今朝議論しようとしている問いが、何であれ、 初めに問いを検討しましょう - 答えを待つのではなくて。 理解されますか。 私たちはこれを理解しましたか。 それとも、あまりに神秘的ですか。
6:11 私は、あなたたちのために、問いを持っています。 問い、です。私は、それに答えようとしていません。 なぜあなたは、生を、生活、日々の生きることを、 自らの霊的(スピリチャル)なものの観念から、分離するのでしょうか。 なぜあなたは、二つを分離するのでしょうか。 私は、その問いをしてもいいですか。 なぜ私たちは、分離するのでしょうか -いわゆる宗教的な生活 - 僧侶と衣とそれら - と、 日々の単調なさびしい生活を、なぜ私たちは、分離するのでしょうか。 私の問いに答えてください。
7:12 質問者: なぜなら、それは私たちに、違った種類のエネルギーを与えてくれるからです。
7:28 K: では、あなたはエネルギーがほしい。 そういうことですか。
7:43 質問者: いいえ。霊的な生活と、普段の世俗的な生活 - それらには、二つの違った種類のエネルギーが関与しています。
7:54 K: すなわち、二つの異なった種類のエネルギー。 一つは、いわゆる霊的、宗教的な生活のため。 もう一つは、世俗的な生活、別の種類のエネルギーだ、と。 さて、私は問いに答えようとしていません。 あなたが言われていることが事実なのかを、見出しましょう。いいですね? それは事実でしょうか。 あなたはこれを述べられます。あなたは、「まあ、宗教的な人々は、 あれら変わった衣を身につけ、 全く違う種類のエネルギーが必要だ。」と言います - 旅行して回り、お金を稼ぐその他すべての人とか、 村の貧しい人とは、違う種類だ、と。 なぜあなたは、二つを分離するのでしょうか。 エネルギーはエネルギーです -電気エネルギーであっても、 モーターで駆動するエネルギーや、太陽エネルギー、 洪水の河のエネルギーであっても、エネルギーです。 あなたは、ここに来るエネルギーを、持っています。 散歩に行くエネルギー、 あなたたちがやらかす、あらゆる種類の面白いことをするエネルギー。 で、あなたはなぜ、エネルギーを分割するのでしょうか。 それは、あごひげを生やし、変な衣服を着た人は、 もっとエネルギーを持っている、ということですか。 それとも彼は、自らのエネルギーを、特定の主題に集中しようとしているのでしょうか。 理解されますか。エネルギーはエネルギーです。 水力発電のエネルギー、車のピストンのエネルギー、発電機のエネルギー、 太陽エネルギー。 それらはすべて、エネルギーでしょう。
10:04 質問者: 思考と呼ばれる或るエネルギーを、私たちは終わらせられます。 洞察と呼ばれる別のエネルギーが、あります。 それは、終わらないで、花開いて、気づきになる。 精神と呼ばれる、別のエネルギーが、あります。 それは、また精神として、始まりにある。 私たちが終わらせた後でさえ、それはまた精神です。 しかし、その精神は、慈悲に、美徳にある。 で、精神のエネルギーは、ずっと通して残ります。 思考のエネルギーは、終わります。 洞察のエネルギーは、 思考のエネルギーを消滅させますが、それでもなお残っています。
10:48 K: 気になさらないければ、発言を短くしていただけるでしょうか。
10:55 質問者: 私が・・・ 彼は、様々な種類のエネルギーがある、と言っています。 一つは、思考のエネルギーであり、それは止められます。 もう一つの洞察のエネルギーが、あります。 それは止められません。 もう一つの精神のエネルギーは、 慈悲と他のことを、もたらします。
11:15 K: 確かにそうではない。 私たちは、ともに話し合っています。 私は法を定めていません。 構わなければ、聞いてくださりますか。
11:26 質問者: エネルギーの三様相 - 思考のそれ、洞察のそれ、精神のそれの関係です。
11:41 K: あなたが答えなさい。 いいじゃないですか。あなたは、彼に答える完璧な権利を、持っています。
11:54 質問者: 私が思うに、(聞き取れない)・・・それはただ、 私たちが安楽で気楽であるからです。 私たちはそれを使いたくない。 そういうわけで、私たちは二つの側を分割するんです。
12:08 K: 一分間、待ってください。 礼節をわきまえて、初めに誰かの話を聞いてください。
12:15 質問者: 彼女は言います - 私たちはただ、安楽でいたいがために、 ゆえに、エネルギーを様々な部門に分割する、と。
12:24 質問者: 私は、多くの種類のエネルギーがありうるとは、思いません。 エネルギーは、ただ一つなのかもしれません。
12:30 K: ええ。私自身も、そう考えたでしょうね。 私たちがいかにあらゆるものを分割するのかが、見えますか。 私たちは、霊的なエネルギー、精神的エネルギー、 洞察のエネルギー、思考のエネルギーを分割します。
12:51 質問者: それは不必要な錯綜です。
12:52 K: 分かります。それにより錯綜しますね。 なぜ、それについて、ごく単純でいないのでしょうか。 身体のエネルギー、セックスのエネルギー、 思考のエネルギー。それはすべてエネルギーです。 それは一つのものです。 私たちが、それを分割するだけです。なぜでしょうか。 奥様、見出してください。なぜ私たちはそれを分割するのでしょうか。
13:22 質問者: 私たちは、それを分割するよう、条件付けられています。
13:29 K: では、なぜあなたは、条件付けられているのですか。 なぜあなたは、これを受け入れるのですか。 分割 - 理解なさりますね。 インド、パキスタン、ロシア、アメリカ。 なぜあなたは、これらを分割するのでしょうか。 教えてください。
13:52 質問者: それは現実です。
13:55 質問者: 何らかの幻想のためです。
13:57 質問者: 彼は、それは現実である。 この分割は現実である、と言います。
14:00 K: もちろんそれは、現実です。 あなたたちは戦争をします。 なぜあなたは、明白な発言をなさるのですか。
14:07 質問者: 真理と現実との間には、違いがあります。
14:20 K: よろしい。あなたは、何を現実と呼びますか。
14:23 質問者: 見えるものを、です。
14:26 K: ゆえにあなたは、現実は自分の真ん前にある、と言います。 視覚的、光学的に見えるものである、と。 その樹は現実でしょうか。
14:41 質問者: はい、そうです。
14:43 K: よろしい。あなたが考えることは、現実ですか。
14:48 質問者: 時折、そうでなくてはいけません。
14:54 K: あなたの奥さんは現実ですか。
14:59 質問者: はい、そうです。
15:03 K: あなたのいう奥さんとは、どういう意味ですか。
15:09 質問者: 現実生活は・・・
15:10 K: いえ、いえ。私はあなたに質問をしています。 あなたのいう奥さんとは、どういう意味ですか。
15:19 質問者: 心理的な要因があります。
15:21 K: 心理的とはどういう意味ですか。
15:32 質問者: 二つのことがあります。一つは・・・
15:34 K: 私たちはまだ、その問いを終了させていませんよ。
15:37 質問者: 私の失敗です。

K: いいですよ。
15:53 質問者: 私が妻に対して持っている心理的な態度が、あります。 そして、妻の現実があります - 彼女は、彼女自身の心理を持っていて・・・
16:05 K: で、あなたは言われているのでしょうか - 私自身の言葉で表してもいいなら、ですが。 私自身の言葉で表すのを、許してもらえるでしょうか。 あなたの奥さんのイメージ、あなたが築き上げてきたイメージは、 奥さんとは違っている。そういうことですか。
16:31 質問者: そうかもしれません。

K: かもしれない、とは、どういう意味ですか。
16:36 質問者: 仮に、妻はほとんどの時間、イメージに合っている、とします。 すなわち、彼女は生きた人物ではないように、です。 すると自然に、 私のイメージは、妻の現実と合致するでしょう。
16:48 質問者: イメージが、現実と、妻が何なのかと合致する ということは、時々起こるかもしれません。
16:55 K: あなたは奥さんを見たことがありますか。 彼女が見えたことがありますか。 彼女の野心、彼女の痛みと心配、子どもの痛みに堪えること、 その他すべてを、探究しましたか。 あなたは、妻とは何かを、考慮したことがありますか。 または、あなたは彼女とともに、十年か五年か五十年かの間、生きてきたかもしれません。 あなたは、彼女についてイメージを築いてきたでしょう。 ですね?
17:32 質問者: 必ずしもそうではない。
17:35 K: 私は、必ずしもとか必ずやとか、言いません。 あなたが結婚しているなら、そうしてきたのは、事実でしょうか。 または、あなたは誰か友だちを持っているなら、彼女についてイメージを築きます。 でしょう? 必ずしもそうでない。でも、それは起こります。 よろしいですね? 私はあなたを、脅しつけようとしていませんよ。 でも、各々が、相手についてイメージを持っています。 あなたは、私についてイメージを持っておられるでしょう。 さもないと、あなたはここにおられないでしょう。 で、私たちは、他の一人について、イメージを創り出します - 私たちの気質に依存し、知識に依存し、 私たちの幻想に依存し、私たちの空想に依存して、 などです。私たちは人々について、イメージを築きます。 あなたたちは、総理大臣についてイメージを持っています。 あなたたちは、自らへ語りかけている人物について、イメージを持っています。 で、私たちは訊ねています - はるかに深い問いです。 すなわち、あなたは、イメージなしに日々の生活を生きられるでしょうか。
19:06 質問者: ここに一つですね・・・
19:08 K: あなたが議長です。あなたが、ここに上がってきたほうがいい。
19:22 質問者: 私たちが築き上げるこれらイメージ、 それらは一般的に、私たち自身との関係において、です。 私は、自分のまわりにイメージを、気づき上げます。
19:34 K: ええ。あなたは、あなた自身についてイメージを持っています。
19:36 質問者: ええ。あなたが話しておられたあの状態を 私たちが達成できるなら - 中心を消去し、自己を消去するなら、 そのときイメージは、自動的に消えるでしょう。
19:56 質問者: それだけですか。もう終了しましたか。 彼は、私たちは自分自身についてイメージを持っている、と言っています。
20:05 質問者: 自分自身についてではない。 ただ、私たちは自分自身との関係で、イメージを築く、と、 妻についてのイメージは、私との関係においてです。
20:13 質問者: ええ。あなたが話されるあの状態を発達させられるなら、 そこには、自己が失われています。 そのとき、イメージなしに、生きられます。
20:25 K: で、あなたが関係について話されるとき、 そこで、その言葉で、どういう意味を言われるんでしょうか。
20:36 質問者: 関係というのは・・・
20:38 K: 答える前に、ただ静かに聞いてください。 一休みしてください。 あなたの、他の一人との関係は、何でしょうか。 関係 - その言葉を理解できますか。 ただ聞いてください。 関係すること。 私は、彼と関係がある。彼は私の父親である。 私の兄弟、姉妹である。何でも、です。 あなたが言う、その「関係」という言葉は、どういう意味ですか。 気をつけてください!そんなに急がないで! ゆっくり行ってください。私たちはたくさん時間を持っています。 「関係」という言葉は、理解されます。 関係すること。血縁をとおして - 彼は私の父親である。私の兄弟である。 私たちは、同じ母のお腹から出てきた。 私の父と母が、私たちを誕生させた。 その「関係」という言葉は、どういう意味なのでしょうか。
21:48 質問者: 私は、「関係」という言葉を、その意味では使っていませんでした。
21:57 K: 私は、その意味で話しています。
22:29 議長: 自分の友だち、両親、子どもたちへの 気づかいと関心です - 憎しみも含まれます。 そのすべてを含みます。
22:38 K: あなたは本当に気づかいますか。 それとも、それは観念だけでしょうか -自分は気づかうべきだという観念。 理解されましたか。礼節をもってお訊ねしてもいいのなら、 あなたの言われる言葉 - 言葉です -「関係する」とは、どういう意味ですか。 あなたが、それにどんな意味を与えるかではない。 辞書による、意味です。 「関係する」というその言葉は、どういう意味ですか。
23:25 質問者: 言葉やイメージをとおしてでなく、現実をとおした接触です。
23:30 K: 私はあなたに質問をしています。 蹴り回さないでください。 私は、大変尊敬を込めて、お訊ねしています。 あなたの言う「関係する」とは、どういう意味ですか。「私は彼に関係がある」 - それはどういう意味ですか。
23:50 質問者: 私は、自分は関係があると言うとき、 私はその人物の一部になると、思います。
23:57 K: あなたは奥さんの一部でしょうか。 全的とか部分的とかでなく、私は大変礼儀正しく、お訊ねしています。 「関係する」というその言葉は、どういう意味ですか。
24:19 質問者: 日々の生活で関連することです。
24:23 質問者: 私はその人物に近い。
24:31 質問者: 互いからの期待の網、 恩義と義務です。
24:35 質問者: もう一回、お願いします。 繰り返してください。
24:38 質問者: 一般的に、日常生活で関係といわれるものは、 互いからの期待の網です。 自分たちの義務と、恩義で・・・
24:46 質問者: 互いからの期待の網、 義務と恩義。それが関係を構成します。
24:52 K: あなたたちは、それをとても複雑にしてしまいますね。 もし聞いてくださるならば、 私はあなたにお訊ねしています - あなたのその言葉は、どういう意味でしょうか。 それ自体で、です。あなたが、あるべきだと考えることではなくて。
25:14 質問者: 親しく触れること。

質問者: 執着すること。
25:19 K: 私には、通訳者が要るのでしょうか。
25:23 質問者: 何か共通のものを持つこと。
25:25 K: 私たちは英語で話していますよね。 よろしいでしょうか。私たちは英語で話しています。 私は、ヒンディー語や他のインドの言語も知りません。 私は、ヨーロッパの言語を幾つか知っているだけです。 しかし、「関係」という言葉は、大きな意義を持っています。 もしよければですが、私はお訊ねしています -あなたの言われるその言葉は、どういう意味ですか。
25:52 質問者: 何か共通のものを持つこと。
25:54 K: ああ、神様!みなさん、繰り返しますね。
25:59 よろしい、彼に叫んでもらいましょう。
26:01 質問: 私は、あなたについてイメージを持っています -あなたとの自分の関係において、です。
26:07 K: あなたは、私との関係を持っていますか。
26:12 質問者: はい。
26:14 K: どのようにですか。 私はこれを真剣に、お訊ねしています。 脇に放り捨てないでください。
26:21 質問者: 私はイメージなくあなたを見ているとき、 その瞬間に、あなたと関係を持っています。
26:28 K: あなたは本当に、それについて考えておられなかった。 私たちは、言葉を放り出しているだけです。
26:34 質問者: 私たちは、主な的確な問いから逸脱してしまったと、私は思います - 霊的な生、または現実の生です。
26:43 質問者: 彼は言います - 私たちは、元来の問いから逸脱してしまった。 霊的な生と現実の分割ということから、です。
26:49 K: 分かります。分かります。 私は見かけほど、ばかではないよ! で、戻りましょう。私はこの言葉に戻りましょう。 それは、私たちの生において、とても重要な言葉です。 なぜ私たちは、分割するのでしょうか -霊的なものと世俗的なもの、と。 ただ聞いてください。 どうか、ただ聞いてください。 私たちは、パキスタンに対してインドを、分割します。 私たちは、様々な宗教を分割します -キリスト教、仏教、 ヒンドゥー教などと。 分割、分割、分割します。なぜでしょう。 答えないでください。ただ見てください。 私たちは、ともに相談しあっています。 私たちはともに、同じ問題を見つめています。 理解されますか。なぜ私たちは、分割するのでしょうか。 もちろん、男と女には、分割があります。 あなたは背が高い。私は背が低い。 または、私は背が高い。あなたは、やせている。 何であっても、です。でも、それは自然でしょう。 あなたは背が高い。褐色だ。 または、白い。ピンクだ。黄色だ。 私はたまたま黒い。いいんです。 でも、それは、太陽のせい、遺伝などのせいです。 遺伝子の問題。私はそれらに入りません。 で、私たちはなぜ、分割するのでしょうか。
28:36 質問者: 私たちは、異なった観念と異なった信念、異なった利害を 持っているからです。私たちは、それにこだわりたいんです。
28:43 K: なぜ、それらにこだわりたいのでしょうか。
28:45 質問者: 私たちは利己的であり、自分の利害があるからです。
28:50 K: いや、すべてを利己性に還元しないでください。 なぜ私たちは分割するのでしょうか。 私は訊ねています。
28:57 質問者: 私たちには、何か内なる恐れがあります。
29:05 質問者: 私たちは分割しなくてはいけないのだと、思います。 なぜなら、私は妻についてイメージを持っていないとき、霊的になっているからです、 彼女が私に対して暴力的なとき、彼女はインドの・・・
29:21 K: 彼は何と言いましたか。
29:23 質問者: 彼は、私たちは分割しなくてはいけない、と言いました。 なぜなら、妻についてイメージを持っていないとき、私は霊的になっているからです。 でも、彼女は暴力的であるとき、現実になっています。 で、現実と霊的なものとの間に、分割がある。
29:43 質問者: 言ってもいいですか・・・ エネルギーは一つです。 根源的なエネルギーは一つです。 その根源的なエネルギーが、どの原子、どの物質にも粒子をぶつけるとき、 それは分裂して、散らばったエネルギーになる。 この散らばったエネルギーは、異なった属性を持つ。 私たちは、心理的な物質を収集してきました。 それが、根源的なエネルギーを分裂させて、散らばったエネルギーにする。 散らばったエネルギーのせいで、私たちは、異なった観念を収集してきた。 心理的な物質を、私たちは収集してきた。 それが、分割に責任がある。
30:19 K: それは何でしょうか。
30:21 質問者: 彼は言います - エネルギーそのものは、 散らばったエネルギーとは違っている。 原子がエネルギーの粒子を当てられるとき、 原子は散らばる。 散らばったエネルギーは、原子が粒子を当てられたときの 全エネルギーとは違った属性を、持っている。 同様のことが、心理的な分野でも起こる。
30:44 K: それは何ですか。
30:47 質問者: 心理的分野で顕現した異なった種類のエネルギーは、 互いに違っている、という意味です。
30:55 K: で、誰が、これらを分割しているんですか。 誰が、これらすべての様々な形態のエネルギーを、分割しているんでしょうか。
31:06 質問者: 精神自体が、初めに、内的な知覚へ分割します。 それから、自体を分割した後、 外的な知覚が・・・
31:15 K: それは、あなたの経験ですか。それとも、誰かを引用していますか。
31:21 質問者: 半々です。
31:38 K: どうか、私たちはしばらくの間、真剣であり、 これら事実に向き合えるでしょうか。なぜ初めに、私たちは分割してきたのでしょうか - まわりの世界を、です。理解できますか。 パキスタン、インド、ヨーロッパとインド、アメリカとロシアなど。 誰が、これらすべての分割をしてきたのでしょうか。
32:05 質問者: それは自我であると思います -私たちの分離した同一性(アイデンティティ)です。
32:12 質問者: 彼は、それは自我であると、言います。 彼は、それは思考であると、言います。
32:17 K: あなたは推測していますか。なぜ私たちは、初めに事実を見ないのでしょうか。 私たちは、異なったイデオロギー、異なった信念を持っています。 世界の一区分は、イエスを信じています。 他の区分は、アラーを信じています。 何か他の区分は、ブッダを信じています。 他の区分は、何か他のものを信じています。 誰が、これらすべての分割をしてきたのでしょうか。
32:48 質問者: それは私たち、人類です。
32:53 K: それは、あなたという意味です。
32:55 質問者: そうです。
32:57 K: あなたが世界を分割してきた。なぜでしょう。
33:01 質問者: 私たちはそれを継承してきました。
33:03 K: ただ聞いてください。どうか聞いてください。 なぜあなたは、分割してきたのでしょうか。
33:09 質問者: 恐れのためです。
33:13 質問者: 安全です。
33:15 質問者: 恐れと安全です。

K: 恐れ。 それは確かですか - あなたが言っていることは? 彼を指さないでください。
33:28 質問者: 彼は言います・・・私は、彼の言うことを反復しています。
33:32 K: あなたはどう言われますか。
33:37 質問者: 私たちは、楽しみを得るから、自分たち自身を分割してきました。
33:41 質問者: 私たちは、この分割より楽しみを由来させるから、 自分たち自身を分割してきました。
33:47 K: あなたがまた、他の党派により殺されているなら、 それもまた、楽しみですか。 あなたたちは、事実に向き合わない。
34:04 K: あなたは同一性(アイデンティティ)がほしい。 何との同一性ですか。 いや、ご婦人。私はあなたに訊ねています。 あなたが同一性と言われるとき、何とのですか。 いいえ、ご婦人。私はあなたに質問しているんです。 あなたは、同一視されたいのでしょう。 同一性(アイデンティティ)を持つ - 何との、ですか。大地との、ですか。
34:39 質問者: なぜなら、あらゆる人間は、自分は他の人より 良いことを、立証したいからです。
34:49 K: そのとおり。
34:52 質問者: それが理由です。
34:56 K: さて、見てください。あなたは、二、三分間、聞いてくださるでしょうか。 世界は、それ自体を分割してきました - ヨーロッパ、アメリカ、ロシア、インド、イスラム。 それは事実です。誰がそれを分割してきたのでしょうか。
35:17 質問者: 人間たちです。
35:20 K: 普通の発言をなさらないでください。 なぜなら、これは娯楽ではないからです。 私は娯楽で、あなたを楽しませるためには、ここにいません。 で、どうか聞いてくださるなら- 私はあなたに質問をしています - 誰が、世界を分割し、こうしたのでしょうか。 一分間、静かに聞いてくださいますか。 人がこれをしてきたのでしょうか。 あなたがこれをしてきました。なぜなら、あなたは、「私はヒンドゥー教徒だ、 イスラム教徒だ、シーク教徒だ」とか「何か他の宗派だ」とか、言うからです。 誰がこれらをしてきたのでしょうか。 人がやってきたでしょう。人です。 人は安全がほしい。それで、「私は仏教に所属する」と言う。 それは私に、同一性(アイデンティティ)を与えてくれる。それは私に、強さを与えてくれる。 それは私に、自分の居られる場所の感覚を、与えてくれる。 で、これの基礎は何でしょうか。 私の質問を理解できますか。 なぜ私たちは、こうするのでしょうか。 それは、安全のためですか。 なぜなら、もしも私は、イスラム教徒の世界でヒンドゥー教徒として生きたなら、 彼らに、いじめられるであろうからです。 または、もしも私がプロテスタントとしてローマで生きたなら、それは怖ろしく困難だと知るでしょう。 なぜなら、ローマはカトリック教すべての中心であるからです。 で、私はあなたに申しています -私が礼儀正しく要請できるなら - 誰がこれらをしてきたのでしょうか。 この巨大なめちゃくちゃを、です。理解できますか。 あなたですか。あなたはそれをやってきました。彼はそれをやってきました。彼女はそれをやってきました。 あなたはそれを、どうするのでしょうか。 ただそれについて、話すのでしょうか。 で、あなたは止まります。それだけです。 あなたは行為したくない。あなたは、「続けていこう」と言う。
37:52 質問者: 先日、あなたは、自分は私たちを助けるいかなる意図をも持っていないと、 観察されました。でも、私たちは、あなたが私たちを助けるよう、ここにおられるのを、見ますし、 あなたからの助けを見ます。
38:01 K: 何ですか?
38:03 質問者: 彼は言います - あなたは、私たちを助ける意図を、持っていない。 しかし、私たちは、ここにいるとき、あなたが私たちを助けてくださるのを、見る、と。 それはどうして起こるのでしょうか。
38:11 おあいにく様!私は、誰をも助けたいと思いません。 他の人を助けることは、間違っています -外科手術、食べ物など以外では。 語り手は、あなたの指導者ではありません。 彼はそれを千回、言ってきました - ヨーロッパ、 アメリカとここの至る所で、です。
38:41 質問者: あなたは、私たちを助けてくれなくても、物事を理解させてくれます。
38:44 K: いいえ。私たちはともに、会話をしています。 その会話の中、物事がはっきり見えはじめます。 私たち自身で、あなたにとって、です。 ゆえに、誰もあなたを助けていません。 それは会話です。
39:01 質問者: 私の問いはこうです - なぜ私たちは・・・
39:05 K: 私が申したことが、聞こえましたか。 そうです。でも、私が申したことが、聞こえましたか。 すなわち、語り手は、あなたを助けるために、ここにいない - どのようにも、です! 彼はあなたの導師でない。 あなたは、彼に従う者ではない。 語り手が言うことは、大嫌いである、ということのみです。 それだけです。ちょっと待って。彼はそこにいます。
39:54 質問者: なぜ自然には、こんなに多くの残虐さが、あるのでしょうか - 一つのものが生存するために、他のものを食べなくてはいけない、と。
40:02 K: それがあなたの問いですか。
40:04 質問者: そうです。
40:08 K: 虎は、小さなものたちにより生きます。 で、大きなものは、小さなものを食べます。 あなたは訊ねています - 自然は・・・その言葉は何でしたか?
40:24 質問者: 残虐。
40:25 K: 自然は残虐です。
40:28 質問者: いいえ。なぜ自然には、こんなに多くの残虐さがあるのでしょうか。
40:34 K: まず第一に、なぜ人間たちに、こんなに多くの残虐さがあるのでしょうか。 自然に、ではない。もちろんです。 それはおそらく自然でしょう。 なぜあなたは、そんなに残虐なのでしょうか。 「自然には残虐さがある」と言うのではない。 なぜ人間たちは、残虐なのか。
40:53 質問者: 私は、自分の痛みと悲しみを取り除きたいのです。 誰かが私を傷つけるとき、私もまた・・・
41:02 質問者: 私は、自分の痛みと悲しみを、取り除きたいのです。 ゆえに、誰かが私を傷つけるなら、私もまた、同様に、 反応か応答します。
41:17 K: あなたは、すべての人間が苦しむということを、考慮したことがありますか。 世界のすべての人間が、です。
41:27 質問者: 存じています。私は苦しむ・・・
41:31 K: あなたは、人間ですよね?

質問者: そうです。
41:34 K: で、私は、すべての人間は苦しむ、と言っています - ロシア、アメリカ、シナ、インド、 パキスタン、どこに生きていても、すべての人間は苦しみます。 さて、あなたはどのように、その苦しみを解決するのでしょうか。
41:51 質問者: 何と仰いましたか。
41:53 質問者: あなたはどのように、その苦しみを解決するのでしょうか。
41:55 質問者: 私は自分の苦しみに興味があります。
41:58 質問者: 彼は言いました - 私は自分の苦しみに関心がある、と。
42:06 K: あなたは、それをどうしていますか。
42:09 質問者: 私は、あなたから覚りを得たいので、ここに来ています。
42:14 K: ああ! 私たちはともに、何をするのでしょうか。 私たちはともに、何をするのでしょうか。 ともに、です。私があなたを助けるのではない。 または、あなたが私を助けるのではない。 悲しみを取り除くために、私たちはともに、何をするのでしょうか。
42:47 質問者: 私は知りません。
42:48 K: 本当に知らないんですか。
42:50 質問者: 何と仰いましたか。

K: 本当に知らないんですか。
42:54 質問者: 知りません。

K: 確かですか。
42:59 質問者: そうです。
43:02 K: 気をつけて答えてください。 これは、とても深刻な問いです。 あなたが知らないというのは、確かですか -悲しみからどう自由になるのかを、です。
43:10 質問者: はい。私が知らないことは、確かです。

K: あなたは知らない。
43:14 質問者: 私は、痛みと悲しみをどう取り除くのかを、知りません。
43:16 K: 一分間、待ってください。 その状態に留まってください。 どうか、みなさん、聞いてくださるでしょうか。 彼は、とても深刻な質問をしました。 彼は言いました - 「私は、悲しみからどう自由になるかを、本当に知らない」と。 「私は知らない」 - 「私は知らない」とあなたが言うとき、 それは、あなたが知ろうと待っているということですか。
43:51 K: 私の質問を理解されますか。

質問者: はい。
43:54 K: 私は知りません。でも、私は、或る種の答えを期待しているかもしれません。 ゆえに、私は、期待しているとき、知らないことより、踏み出すのです。 彼は理解していません。
44:14 質問者: 彼は言います - 私たちは、答えを期待しているとき、 引用符つきの「知らない分野」より、動いて離れてしまった、と。 彼は言います - 知らないことに留まりなさい、と。
44:28 質問者: 知らないことに留まる。 それはどういう意味でしょうか。
44:32 質問者: 彼は言います - それはどういう意味ですか、と。
44:36 K: 私はあなたに、それがどういう意味かを、語りましょう。 私は、あなたを助けていません。 私はあなたを助けていないと言うとき、これは、とても深刻な事態です。 なぜなら、私たちは何千年もの間、助けられてきたからです。 あなたが、「私は知らない」と言うとき、それはどういう意味でしょうか。 私は、火星が何かを知りません。 そうね、火星、星です。 私は知りません。 で、私は見出すために、他の人へ行くのでしょうか。 私は、火星が何かを知りません。 彼は天体物理学者です。 私は、火星が何かを見出すために、彼へ行きます。 後生ですよ。
45:41 質問者: 私は火星に興味がありません。
45:51 K: あなたが火星に興味がないのは、存じています。 私もです。 でも、私はそれを、一例として取り上げています。 私は、火星が何かを知りません。 私は、天体物理学者へ行きます。 彼はそうです。私は彼へ行き、 「先生、火星が何かを私に教えてください」と言います。 彼は私に、火星が様々なガスの結合体であること、 その他すべてを、語ります。 私は、「それは火星ではない。 あなたの火星の叙述は、火星とは違っている」と言うでしょう。 で、私はあなたに訊ねています。 大変尊敬を込めて、です - あなたが、「私は知らない」と言われるとき、それはどういう意味ですか。 私は知らない。 私は答えを待っていない。 それは、歪んでいるかもしれず、虚偽かもしれず、 幻影かもしれない。ゆえに、私は期待していない。 あなたは、その状態にありますか -私は知らない、と。
47:02 質問者: 私たちは、その状態に留まるとき、呆然としています。
47:09 K: その状態に留まってください - 私は、ガンジス河の泳ぎ方を、知らない。
47:19 質問者: 私はそれについて、何もできません。
47:24 K: できません。 あなたが、苦しみの原因を知らないとき - それがどうすれば終わるのかを、あなたは知らない。 で、その状態に留まり、見出しなさい。 一分間、待ってください。 あなたは質問をするとき、答えを期待するのでしょう。 正直で、単純であってください。 で、あなたは、問いについて、書物から、他の人物からとか、 或る哲学者などから、期待します。 誰か、答えを言ってくれる人に、です。 あなたは、問いを出し、問いを聞くでしょうか。 私が言っていることを、理解しますか。 私は、あなたに問いを出しました。 それが何だったかを、私は忘れてしまいました。 もう一つを、考えさせてください。 なぜカーシ(の街)は、重要になったのでしょうか。 私の問いを理解できますか。 カーシはこの場所、この土地ですが、 なぜあなたは、そこを重要だと考えるのでしょうか。 答えてください。
49:06 質問者: その古(いにしえ)の寺院のためです。
49:12 K: そうです。そうですね、イスラエルの、エルサレムでは、 8千年前の街や建物が、見つかりました。 あなたは、そこに行って、礼拝するでしょうか。
49:28 質問者: いいえ。

K: なぜです?
49:31 質問者: なぜなら、この場所も・・・古い行者、古い導師たちが、 ここで生活してきたからです。
49:44 K: で、そこ、イスラエルにも、それはある。 彼らは導師、 司祭者と王たちを持っている。8千年前のです。 なぜあなたは、そこに行って、礼拝しないのですか。
49:57 質問者: そこには、礼拝する人々がいます。
50:12 K: あなたは、考えておられません。 あなたは、すっかり正しい。 で、問いを出すとき、あなたは、問いが それ自体を開示するのを、待つでしょうか。 理解できますか。 私はあなたに、お訊ねしています。 大変礼儀正しく、です。私は、問いを出します。 私は、問いを知り、適切に理解できるなら、 答えを見つけるでしょう。 で、答えは、問いの中にあるかもしれません。 あなたは聞いておられません。あなたは退屈しておられるでしょうか。
50:54 質問者: 少しもです。
50:58 K: 私が言っていることを、実験なさるでしょうか。
51:01 質問者: はい。

K: 本当にそうするでしょうか。 すなわち、私があなたへ問いを出すなら、 答えを見つけようとしないで、自らが 問いを理解したのかを、見出してください - 問いの深さや問いの表面性、 問いの無意味さを(理解したか)、です。 初めに、問いを見てもらえるでしょうか、時間を掛けて、です。 または、あなたは、すぐに答えようとしている。 で、私は提案しています - あなたが、語り手へ問いを出すなら、 語り手は、問い自体が活力、エネルギーを持っている、と言います。 答えが、ではない。なぜなら、答えは問いの中にあるからです。 ですね?見出してください。 私が言ったことが、聞こえましたか。 私が言ったことを、理解されましたか。 神経質にならないでください。 あなたが、「地獄へ行け」というなら、それはけっこうです。 私は、とても単純な事実を、訊ねています -あなたは私に質問をする。 私はあなたに対して、問いの中に答えがある、と言う。 問いが、答えを含んでいます。 どうか、聞いてくださるでしょうか。 あなたは、後で質問できます。
52:42 そうしてもらえるでしょうか。

質問者: はい。
52:45 K: おとなしく「はい」と言わずに、見出しましょう。 それはとても重要です。 何ですか?あなたは、げっぷをしていますか?
53:02 質問者: 智恵ある精神は、正しい問いを出せます。 私は、自分は全く智恵がないと、思います。 私はどうすれば、正しい問いを出せるでしょうか。
53:13 質問者: 彼は言います - 智恵ある精神は、正しい問いを出せる。 私は、自分は全く智恵がないと、感じる。 それで私はどうすれば、正しい問いを出せるでしょうか、と。
53:25 K: 出せません! でも、あなたは、なぜ自分は智恵がないかを、見出せます。 私は、なぜ自分は智恵がないかを、見出せます。 彼は智恵があるが、私はそうでない。なぜですか。 智恵は、比較に依存するのでしょうか。 理解されますか。いいえ、理解なさらない。 私の問いを、聞かれましたか。
54:19 質問者: 多くの回数、私たちは自分の問いへ、答えを見つけます。 でも、私たちは、その答えが他の誰かに賛同されるのを、必要とします。
54:28 K: で、答えは重要ではなくて、 他の人の賛同が、重要ですか。
54:37 質問者: 正しい答えが重要です。 ゆえに賛同が重要です。
54:42 質問者: 彼は言います。 その質問をしたご婦人ではなく、 別のお方が、言います - 正しい答えが重要である。 ゆえに、正しい答えへの賛同が、必要とされる、と。
54:54 K: 誰からですか。同等に智恵のない、あなたの友人たちからですか。 あなたは、誰から賛同がほしいのでしょうか。 世論ですか。 知事ですか。総理大臣ですか。高位の司祭者ですか。 あなたは、誰から賛同がほしいのでしょうか。 すみません。あなたは、全く考えていない。 あなたはただ、繰り返し、繰り返し、繰り返すだけです。
55:21 質問者: 他の問いに行きますと、 私は、自分は知らないとの問いに、留まります。 でも、それは、くたびれます - 問いとともにいること、見出すことは、です。
55:30 質問者: 彼は言います - 私は、「知らない」 との状況に留まる。でも、それはくたびれる、と。
55:36 K: なぜくたびれるんでしょうか。
55:39 質問者: 私は見出そうとします・・・
55:41 K: 見出そうとしないでください。 ここに問いがあります - なぜ人は - あなたと世界です。 なぜ私たちは、世界をこんなめちゃくちゃにしてきたのでしょうか。 私たちの生活を、めちゃくちゃに、他の人々の生活を、めちゃくちゃに、です。 理解なさいますか。めちゃくちゃです。 混乱です。なぜでしょう。
56:05 質問者: なぜなら、
56:07 K: 奥様、どうか一分間、聞いてくださいますか。 私は、あのお方へ話しています。 なぜ、世界中の人間たちは、 世界を、こんなめちゃくちゃに、してきたのでしょうか。理解されますか。なぜでしょう? 問いを聞いてください。問いに入ってください。 理解されますか。 あなたはかつて、手にすばらしい宝石を、持ったことがありますか。 値段の付けられない宝石、です。 あなたはそれを見つめますよね。 あなたは、それを見つめます。 その複雑さを見ます - それがいかに美しく出来上がっているのか、 そこに、どれほどとてつもない技術が、注ぎ込まれたのか。 銀細工師は、すばらしい腕をしているにちがいない。 その宝石はとても重要です。 あなたはそれを見つめます。大切にします。 それをしまっておき、時折見つめます。でしょう?
57:15 質問者: 私はそれを持ちたいです。
57:17 K: あなたは、それを手に持ちます。 あなたはそれを見ていると、私は言っています。 あなたは、すばらしい絵画を持っています - 誰かしらにより描かれていて、あなたはそれを見つめます。 それはあなたの部屋にあります。あなたのものです。 そこにただ掛けておき、忘れるわけではない。 あなたはそれを見つめます。 同じように、私があなたに質問するとき、それを見てください。 問いを聞いてください。 でも、私たちは、あまりに速くそれに答えます。辛抱がない。 で、私は提案しています。大変尊敬を込めてです -それを見つめてください。 時間を掛け、重みを量り、問いの美しさを見てください。 またはそれは、全く重要でない問いかもしれません。 やってください。すると、見出すでしょう - 問い自体が、とてつもないエネルギーを持っている、ということを、です。
58:21 質問者: 先生、彼は質問をしたいんです。
58:25 質問者: なぜ私たちは変化しないんでしょうか。
58:30 質問者: なぜ私たちは変化しないんでしょうか。 それが問いです。
58:42 K: なぜでしょう。なぜあなたは、変化しないのでしょうか。
58:46 質問者: 私は知りません。でも、私は変化しません。
58:54 K: あなたは、ご自分のいるところに、満足していますか。
58:57 質問者: いいえ。

K: では、変化しなさい。
59:12 質問者: どうか、私は質問をしたいと思うんです。 私たちが議論していた暴力の問いです。 学級に一人、教師がいます。 何人かの子は、わんぱくです。 わんぱくを終わらせるために、彼らを罰しなくてはいけません。 彼は、罰でもって、やるべきでしょうか。
59:36 質問者: それがあなたの問いですか。 学級に一人、教師がいます。そこで、数人の少年がわんぱくです。 それを正すために、彼は彼らを罰しなくてはいけません。 彼は、罰の行使をやるべきでしょうか。
59:50 質問者: そして暴力ね。 議長: それは、暴力を意味しています。
59:55 K: 「暴力」というのは、どういう意味ですか。 急がないでください。あなたのいう「暴力」は、どういう意味でしょうか。 互いに叩き合いますか。 それを暴力と呼ばれるのでしょうか。 私はあなたを叩く - どうか、ただ聞いてください -私はあなたを叩く。あなたは私を叩きかえす。 それは、一つの形の暴力でしょう。 大人が、自らの子どもを叩く。 それは、一つの形の暴力です。 他の一人を殺すことは、一つの形の暴力です。 他の一人を悩ませること - 悩ませる。 その(ハラスという)言葉がどういう意味かを、ご存じですか。それは一つの形の暴力です。 他の一人を模倣しようとする。 模倣は、一つの形の暴力です。 あなたはそれに、同意されるでしょうか。 模倣する。他の一人の一定の様式へ順応する -それは暴力です。 ですね? あなたは、私が話していることを、聞いておられますか。 で、私はあなたに訊ねています。 心理的な暴力と、物理的な暴力。 で、あなたはそれを、どのように止めるでしょうか。 あなたが、です - 人々が、と言わないでください。 あなたはそれを、どのように止めるでしょうか。 そういうことです。 あなたは、私が言ってきたことを、聞いていましたか。 どうか、礼儀、礼節をもって、 他の誰かの問いを、聞いてください。 いつも、「みんなを閉め出しておけ、 自分の問題だけだ」と言わないでください。
1:02:03 質問者: なぜ自然には、多様性があるのでしょうか。
1:02:16 K: やれまあ!なぜあなたは、自然を気にされるのでしょうか。 なぜあなたは、自然に関心を持つのでしょうか。
1:02:26 質問者: 私は多様性が見えています。
1:02:31 K: あなたは、ここに多様性が見えませんか。
1:02:34 質問者: 外側にさえ、それが見えます。
1:02:38 K: あなたはそれを、どうしようとしていますか。
1:02:40 質問者: 私は、なぜそれがあるかを、知りたいんです。
1:02:44 K: 私はどうか、まず初めにあなた自身を研究なさるよう、お願いします。 理解できますか。 まず初めに、あなた自身を知るのです。 でも、あなたは、外側のあらゆるものについて、知っています。 でも、あなたは、あなた自身について、何も知りません。 で、これは古い問いであったのです。 ギリシャ人たちは、彼らなりに表しました。エジプト人、 古代インド人も、それを言いました -まず初めに、あなた自身を知りなさい、と。 あなたは、それから始めるでしょうか。
1:03:32 質問者: 私はいつも、この問いを自分自身にしています - なぜ私は、物理的な痛みに拘束されているのか、と。 私はいつも、この問いを自分自身にしています。 でも、私は何も答えを得ていません。
1:03:49 質問者: 私はいつもこの問いを、自分自身にしています - なぜ私は、物理的な痛みに拘束されているのか、と。 私は、この質問をつづけていますが、何も答えを得ません。
1:04:00 K: あなたは、間違った医師へ行っているのかもしれません。 私は、医師から医師、さらに医師へと行く人々を、存じています。 彼らはたくさんお金を持っています。 それで、一人の医師から別のへと小走りで駆けつけます。 あなたは、そうするのでしょうか。 それとも、心理的な痛みでしょうか。
1:04:39 質問者: 心理的とともに、物理的です。
1:04:43 K: どちらが重要ですか。
1:04:47 質問者: 何と仰りましたか。 議長: どちらが重要ですか。
1:04:52 K: どちらのほうが、大きな痛みですか。
1:04:56 質問者: 物理的な痛みが極端であるとき、確かにそれが重要です。
1:04:59 質問者: 物理的な痛みが極端であるとき、 確かに、重要なのは、物理的な痛みです。
1:05:03 K: そうです。それらは知っています。 でも、私は、礼儀正しくお訊ねしています - 何の痛みへ、あなたは重要性を与えますか。
1:05:12 質問者: 私が分かるのは・・・
1:05:13 K: あなたは、私の問いに答えておられません。 何へ、重要性を与えますか。
1:05:23 質問者: 私が苦しんでいる瞬間には、 それへ重要性を与えます。
1:05:29 K: あなたは、私の問いに答えておられないでしょう。 私はお訊ねしています -どちらのほうが、重要でしょうか。 心理的な痛みですか、物理的(身体的)な痛みですか。
1:05:50 質問者: 心理的な痛みというのは、どういう意味ですか。
1:05:55 K: 言いましょう。 恐れの痛み、さびしさの痛み、 心配の痛み、悲しみの痛み、など。 そのすべては、精神・心理(サイキ)です。 さて、あなたは、何に重要性を与えますか。 精神・心理に、ですか。 物理的(身体的)な痛みですか。
1:06:24 質問者: 精神・心理です。
1:06:28 K: 本当ですか。
1:06:30 質問者: そうです。
1:06:33 K: あなたは、頑固になりつつありますか。 で、心理的な痛みに重要性を与えるなら、 誰が、医者へ行くのでしょうか。
1:06:47 質問者: 私です。
1:06:51 K:「私」というのは、どういう意味ですか。 あなたは痛みです。 あなたは、「私」から異なっていません。 「私」は、痛み、心配、退屈、さびしさ、恐れ、楽しみから、出来上がっています - そのすべてが、「私」です。 まあ、私が答えてしまいました。 ここに、問いがあります。 すべてかなり、ごちゃごちゃになって、すみません。
1:07:18 質問者: 先生・・・
1:07:24 K: あなたは、誰の話も聞かないでしょう。 なぜわざわざ、私から聞こうとするのですか。
1:07:33 質問者: 私は、気づいたままでいることの切実さを、理解しました。 私が、一日のほんの二、三分だけ気づいたままでいるのは、なぜでしょうか。
1:07:44 質問者: 私は、いつの時も気づいていることの切実さがある、と理解したなら、 私が、一日の間、ごく短い間だけ、 その状態にいつづけるのは、どうやってでしょうか。
1:07:55 K: 気づくとはどういう意味かを、あなたが理解しないからです。 ここに、問いがあります。 やれまあ、私はこれらのゴミに、入らないといけないのかな?
1:08:12 質問: インドK財団の様々なセンターが、常に継続的に、 自分たちはKの教えの中心であると言って、 強調し、広めているのは、事実です。 そこで今、私たちは、すなわち、仏教の教え、キリストの教え、 クリシュナムルティの教えを持っているとき、 これらいわゆるKの教えは、ブッダとキリストについて起きたのと、 同じ運命に会おうとしているのでしょうか。 問いを理解しましたか。
1:09:05 質問者: はい。
1:09:07 K: あなたは問いに退屈していますか。 私は気にしませんよ。 私自身、それに退屈しています。 Kは、「教え」という言葉について、大変多く考えてきました。 私たちは、「仕事」という言葉を、使うことを、考えました - 鉄製品の仕事、大きな建物の仕事、水力発電の仕事 - 理解できますか。 で、私は、「仕事」というのは、きわめてありふれている、と考えました。 で、彼は、「教え」という言葉を、使っていいかと、考えました。 しかし、それは重要ではありません - 言葉は。 あなたの問いは、こうです -ブッダの教えは、誰も知りません。 私は、彼らに訊ねてきました。 ブッダの元来の教えは、誰も知りません。 キリストは、存在したかも、存在しなかったかもしれません。 それは、ものすごい問題です -彼がそもそも存在したのかどうかは、です。 私たちは、偉大な学者たちと、それについて議論してきました。 私はそれには入りません。 Kの教えもまた、残りと同じく、消え去るのでしょうか。 あなたは、問いを理解しましたか。 もちろん、あなたはそれを、言っていません。 誰かが、私に書いてきました。 ゆえに、興味深いのです。 質問者は言います - たぶん、あなたたちも考えます - Kが去るとき - 彼は去る、旅立つにちがいありません - 教えには、何が起きるのでしょうか。 それは、ブッダの教えのように、去るのでしょうか - それは今、腐敗しています。 何が起きつつあるかは、ご存じです。 同じ運命が、あなたたちを待つのでしょうか。 問いを理解しましたか。 それはあなたに依存しています。 他の誰かに、ではない。それは、あなたに依存しています - あなたがそれをどう生きるのか、あなたがそれをどう考えるのか、 それがあなたにとって、何を意味するか、です。 それがあなたにとって、言葉以外に何も意味しないなら、それは、残りの道を行くでしょう。 それがあなたにとって、何かとても深いことを意味するなら - あなた本人にとって、です - そのとき、それは腐敗しないでしょう。 理解されますか。それは腐敗しないでしょう。 で、それは、あなたに掛かっているのです。 センターと、 情報センターとその他すべての事柄に、掛かっているのでない。 それはあなたに、掛かっているのです - あなたが、教えを生きるのか、生きないのかに、です。
1:12:11 質問者: 真理は、自らの力を持っていないのでしょうか。
1:12:25 K: 持っています。あなたが、それを放っておくなら、ね。
1:12:40 質問者: その問いは、私が出しました。 私が、問いを明確化させてもいいですか -それがどういう意味なのか。 この問いは、私が書いて、昨日あなたに送られました。 なぜなら、私は、自分がそうするとして、 この場所の当局者が、この問いをあなたに渡すだろうか、確かでなかったからです。 そういうわけで、私はそれを封筒に入れたのです。 なぜなら、あなたが質問を受けるとき、 まわりの人々が、それをあなたに手渡さないからです。 それは事実です。で、私がしたことは、或る人に、 「あそこに行って、封筒の中のこの問いを届けてもらえるでしょうか」と、頼みました。 この問いを、はっきりさせてもいいですか。
1:13:26 K: ええ。何でもお好きなようにしてください。
1:13:30 質問者: 私は、これを知りたかったし、しばらくの間、知ろうとしてきました。 ボンベイでも、私はこの質問をしましたが・・・
1:13:37 K: ええ。仰ってください。
1:13:40 質問者: 答えを頂けませんでした。 そういうわけで、この問いをしたのです。
1:13:44 K: はい。問いは何ですか。

質問者: さて、私の問いはこうです - あなたは、七十年間、何度も繰り返してこられました。 一番目、あなたは、誰にも何をも説得しようとしていないということを、です。 あなたは教師ではない。あなたは誰にも何をも教えない、と。 さて、インドK財団のセンターは、 総裁はあなたですし、あなたはまだ生きていて、 亡くなろうとしていません。

K: うれしいです。
1:14:19 質問者: さて、彼らは、「ここに来なさい」と言います。公衆を招待します。 「ここには、クリシュナムルティの教えがあります。 あなたはここで、彼が言うべきことを研究します。 彼は、とても多くのことを発見しました。 どうかここに来て、研究しようとしてください。 私たちは、あなたに、ビデオとか 何であれ、提供するでしょう」と。 あなたが、あなたは鏡として働くと、言われるとき、 私が拡大鏡を使うとき、 拡大鏡は、私を助けるでしょうか。 それは確かに私を助けます。 光が、私を助けています。
1:15:03 K: 誰が、です?
1:15:07 質問者: それらは、助けていないでしょうか。 これらのことは、あなたの教えではないのでしょうか。 それらは明瞭に、あなたの教えです。 で、あなたが自分は教師であると言うなら、害はないのです。 なぜなら、あなたは何かを教えているからです。 あなたは何かを明らかにしています。 あなた自身は、自分は鏡として働くことを、言われます。 鏡として働くものは、何でも、 その鏡は、明確に私を助けています。 それが私の問いです。
1:15:32 K: で、問いは何ですか。 Kは、その講話すべての中で、 自分は単に鏡であるという事実を、強調してきました。 いいですね? 彼は単に、あなたの生が何かを反映する鏡である、ということを、です。 彼はまた、あなた自身がきわめてはっきりと見えたなら、 あなたはその鏡を壊していいとも、言ってきました。 鏡は重要ではない。 でも世界中で、起きてきたこと - 小さな世界で、です。 彼らはみんな、楽隊の車(バンドワゴン)に乗りたいのです。 それが何を意味するか、ご存じですか。 みんな、サーカスに加わりたいのです。 で、私は言います - どうか、構わないでください。 教えをただ聞いてください、と。 誰かが、何かをしたいのなら、 (インド西部)グジャラートで小さなセンターを作りたいのなら、させておきなさい。 でも、彼は、自分はKを代表している、すなわち、Kに従っている、と言う権限を、持ちません。 彼は、何でも好きなことを、言えます。 彼は、好きなことを、自由にやっていい。 私たちは、誰にも賦課していません -これをすべきである、あれをすべきである、と。 例えば、彼が始めて、ビデオ等を買う。 自宅で、わずかな友だちを集める。 それは彼の用事です。 私たちは、「これをしてはいけない。 あれをしなさい」とは、言っていません。 もしも誰かがそうしたなら、私は、「すみません。 やらないでください」と言うでしょう。 でも、彼らはこれをやりたい。 彼らは、解釈者になりたい。 彼らなりにささやかに、導師になりたい。 みなさんがやるゲームすべてを、ご存じでしょう。 で、あなたがそれをしたいのなら、どうぞ、そうなさってくださって、完璧にかまいません。 しかし、(インドK)財団は - 不幸か幸か、私は、たまたまそこに所属していますが、 財団は、あなたは自分の好きなことを自由にできる、と言います。 理解されますか。 Kの本を買う、本を読む、本を焼く。 何でも好きなことを、してください。 それは、あなたの手にあります。 あなたがそれを生きたいのなら、生きなさい。 それを生きたくないのなら、それはけっこう。それはあなたの案件です。 これは、結局のところ、明らかでしょうか。 すなわち、(インドK)財団は、あなたの生に対して、何の権威をも、持っていないのです - あなたに対して、何をすべきか、何をすべきでないと言ったり、 ラジオ放送局やテレビ放送局のように、 「ここは、すべての発信が行われる中心である」と言ったりする権威は、何もない。 私たちはそうではない。 私たちが言っていることは、これだけです -ここには何かがあります。 独創的かもしれないし、独創的でないかもしれない。 ここには、あなたが見るべき何かが、あります。 時間を掛けて、読んでください。 時間を掛けて、理解してください。 興味を持たないなら、放り投げてください。 大事なことではない。 あなたは25ルピーをむだにした。それだけです。 でも、そのように生きたいのなら、生きなさい。 生きたくないのなら、捨てなさい。 それについて、大騒ぎをしないでください。 私が言っていることを、理解されますか。 そのまわりで、サーカスを、歌ったり踊ったりをしないでください - 私は理解したのだ、と。あなたは理解していません。 私はあなたに、それについてすっかり語りましょう、と。 私が言うことを、理解されますか。 で、もう止める時間です。 さて、私がお訊きしてもいいのなら、あなたは、 今朝の話、議論から、何を得たのでしょうか。 何もないか。何かあるか。
1:20:10 質問者: 問いをまだ見通していて、 私は、問いとともにあります。 でも、考えることは、それ自体、止みます。
1:20:17 質問者: 問いを見つめていて、 私は、問いとともにあります。 でも、考えることは、止みます。
1:20:23 K: そうです。よろしい! 私はお訊ねしています - みなさんは、今朝の後、何を得たのでしょうか。 あなたに花が開いたでしょうか。 宵越しに、咲く花のように、です。 あなたに、何が花開いたでしょうか。 あなたから、何が出てきたでしょうか。
1:20:53 質問者: 私たちはともに考える習慣を、持つべきであるということ、です。
1:20:59 K: あなたは本当に、ともに考えましたか。
1:21:02 質問者: ええ、考えました。
1:21:05 K: ともに、あなたと私が、です。それとも、あなたは、あなた自身に話していたのでしょうか。
1:21:11 質問者: 私はまた、私自身に話していました。
1:21:15 K: で、私はただ、あなたにお訊ねしています - あなたは、語り手に何も言わなくていい。 私はただ、よろしければ、礼儀正しくお訊ねしています - 私たちは、一時間以上、会合をしました。 ともに話し合いました。 私たちの意見に沿って、多くのことを言いました。 今朝の旅の終わりに、あなたは、どこにいるのでしょうか。 私たちが始めたところですか。 私たちが終わったところですか。 または、新たに花開くことが、あるでしょうか。 それだけです。私は、「ああ、あなたはやっていない」とか 「あなたはやった」とか、言おうとしていません。 それは、私の側の不遜でしょう。 いいですね。 もうすぐ立ち上がってもいいですか。 私はあなたたちに、たくさんのことを話したいのですが、時間がありません。 あなたたちは、創造とは何か、そして、創案、発明とは何かを、考慮したことがありますか。 あなたたちは、これらということに立って考えません。 創造とは何か。 そして、創案、発明と、創造との間の関係は、何か。 なぜなら、語り手は、アメリカのニューメキシコ州、 ロス・アラモス(国立研究所)に、招待されたからです。 そこには、アインシュタイン、オッペンハイマーと他の人たちが、初めて 原子爆弾を発明したセンターが、あります。 私の言っていることを、理解できますか。 それに興味がありますか。
1:23:48 聴衆: はい。
1:23:49 K: よろしい。 語り手はそこに招待されました。 ものすごい名誉とか 何とかかんとかです。 彼らが訊ねた第一の質問、話し合いたかった質問は - そこには、900人ほどのトップの科学者たちがいました - 彼らは初めに、私に話をするよう、頼みました。 それで、質問はこうでした - 科学に対する創造の関係は、何でしょうか。 理解できますか。 私が言っていることを、理解できますか。 創造と科学、です。 私は、まったく何も関係はない、と言いました。 創案、発明と、科学の間に、関係はある。 創造とではない。 質問は理解できますか。 ただ聞いてください - そこには、900人のトップの科学者たち、です。 私は、創案、発明は、知識に基づいている、と言いました。 創造は、基づいていない。 わざわざ、それが何かを言わなくていい。 私は当座、それについて、あなたたちと議論しません。 私たちは、それに入りました。 翌日、彼らは私に訊ねました。 彼らは15の質問を、私に手渡しました。 後で私は聞かされたのですが、15の質問をするために それら科学者は、一ヶ月ほどを掛けたのだと、思います。 理解できますか。トップの科学者たちが、です。 一番目の問いは、こうでした - 冥想は、科学とどんな関係があるのでしょうか。 あなたたちとは違っている - あなたたちが行う冥想ではない。彼らは知りたいと思った。 それが、最初の問いでした。 最後の問いは、こうでした - あなたは、何をするでしょうか。 Kは、もしも、この研究所の長であったなら、何をするでしょうか。 そこは、アメリカの国立研究所です。 そこでは、国を守らなくてはなりません。 今も開発はつづいていますが、彼らは最初の 中性子爆弾、水素爆弾、あらゆる種類の爆弾を、発明しました。 彼らはまた、潜水艦を生産し、数学、 超人工知能を生産します。 それはものすごい事柄です。 彼らは言いました - 科学において、冥想はどんな場所があるのか。 そして、あなたは、もしもそこの長、この研究所の長であったなら、 国を守らなくてはいけないことを知り、他のみんなの長でなくてはいけないことを、 知って、あなたは、何をするのでしょうか。 私が言っていることを、理解できますか。 テクノロジーで、独創的に、 新しい潜水艦、新しい戦闘機、それらです。 で、語り手は言いました - ありがたい。自分はその立場にいません、と。 彼は、問題全体に入りました - すなわち、あなたたちは、いろいろな出来事の後で、この質問をしています。 始まりに、ではない、と。 私が話していることを、理解できますか。それとも、これはあなたにとって、全くちんぷんかんぷんですか。 もしも、あなたがまさしく始まりに、この問いをしていたなら、 おそらくあなたは、これらをやっていないでしょう。 で、彼らはまだ、それを突き詰め、Kが言ったことを話しています。 また彼は、国際連合にも招待されました。 二回か三回です。 「パーチェム・イン・テリス」という言葉を、ご存じですか。 いや、ご存じない。 それは、ラテン語で「地上の平和」を意味しています。 それは、ローマ教皇が果てしなく話していることです。 で、彼らは、私にそれについて話すよう、頼みました。 講話の中で、Kは「諸国は連合できない。 諸国は互いに戦いうるし、現にそうしている」 と言いました。 「ゆえに、国民性、国籍がないときにのみ、 地上に平和はありうる」と。 その終わりに、彼らはみんな同意し、拍手やら何やらしました。 すると、彼らのトップの人たちの一人が、立ち上がり、「このお方の話を聞けて光栄だ」だとか 何とか言いました。 彼は言いました - 「昨年私は、講演者の話をお聞きしましたが、 聞いた後、私は、この機関すなわち国際連合で 四十年間、一生懸命働いた後、 或る結論に到りました。」と。 彼は、「私は、他の人をけっして殺すべきでないとの結論に、到りました」と言いました。 四十年の後に、です! あなたは、全く同じことをしようとしています。ですね? あなたは、ごく単純な事実が見えるのに、四十年が掛かるでしょう - 大変尊敬を込めて、指摘させていただけるなら、です。 とてつもない世界です。あなたたちは、悟られるように見えません。 すばらしい世界です。大地 - 美しく、豊かで、広大な平原、砂漠、河、山々、 そして、土地の輝き。 人間たちは、余生の間、互いに殺し合うよう、定められています。 もしも、あなたが、自らの生活するこの国を担当していたなら、 もしこのように進むなら、様式を続け、 繰り返すでしょう - 殺す、殺す、殺す。 あなたたちは、サンスクリットで、大変すばらしい詩歌を繰り返すかもしれません - 私もそうします。 でも、あなたがそれを生きないのなら、それらは1セントの値打ちもありません それだけです。 引き留めておいて、すみません。 立ち上がってもいいですか。