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RA85T2 - すべての時は、今、含まれている。
インド、ラージガート
第2回公開講話
1985年11月19日



1:49 私たちが昨日の朝、話していたことを、つづけてもいいでしょうか。 私たちは、言いましたように、ともに長い旅を行っています - 鉄道で、世界中で、 とても長い旅を、です。 その旅は、二百五十万年前に、始まりました。 その長い時間と距離の間隔に、 私たちは、大変多くの経験をしてきました。 それら経験は、私たちの頭脳に、蓄えられています - 意識的、または、深く無意識的な、その深い諸層です。 ともに、あなたと語り手は、 検討しよう、探検しようとしています。 語り手一人が話をする、というのではない。 私たちはみんな、ともに話し合っています。 語り手がそれを言葉に表している、というだけです。 言葉は、とても意義深い意味を持っています - 語彙だけでなく、言葉の深み、 言葉の意義、言葉の意味です。 私たちが昨日、言いましたように、 あなたと語り手は、ともに旅を行っています。 あなたは、ただ眠りに就くことはできません。 ただ、「はい、同意します」とか「同意しません」とは、言えません。 私たちは昨日、それに入りました。 私たちは、同意や不同意をしていません。 私たちは単に、窓から外を見ています。 人が、何ととてつもないことを経てきたのかが、見えています。 何という経験、何という痛み、何という悲しみ、 何という耐えがたいことを、人は自分自身と 世の中のために創り出してきたのか、です。 私たちは、賛否、どちら側にも付こうとしていません。 どうか、よく気をつけて、これを理解してください。 私たちは、どの側にも付いていません -左にも、右にも、真ん中にも、です。 これは政治的会合ではありません。 これは娯楽ではありません。 これは、真剣な集会です。 あなたは、娯楽で楽しみたいのなら、映画やフットボールへ行くべきです。 これは、とても真剣な会合です - 語り手に関係するかぎりでは。 彼は、世界中で話をしてきました - 幸か不幸か、です。 彼は、評判を創り出したかもしれません。 たぶんあなたたちは、その評判のために、ここへ来ているのでしょう。 でも、それは全く価値がありません。
6:00 で、どうか、ともに私たちは、検討しようとしています。 その列車に一緒に座り、 無限に長い旅を行っているのです。 私たちは、あなたに感銘を与えようとしていません。理解できますか。 私たちは、あなたに、何かを見るよう、力で強いようとしていません。 私たちは、自分たちの日常の生を、見ています。 そして、百万年の背景すべてを、です - 百万年にしておきましょう。十分です。 そして、すべての囁きを聞き、 あらゆる動きが聞こえ、 あらゆるものが、ありのままに見えなければなりません - あなたがそれらにあってほしいと願うように、ではなく、 列車が行きすぎるとき、 実際に、窓の外に見えるものを、です。 あなたは、目覚めつづけていなくてはいけません - 自らが通り過ぎているものすべてが見え、 あらゆる囁きが聞こえ、あらゆる音が聞こえるには、です。 丘の美しさ、河、水面の広がり、 まわりの美しさすべて、です。 しばらくの間、美しさについて、話しましょうか。 それは興味があるでしょうか。 「はい」と言わないでください。 それは、とても深刻な主題です -生のあらゆることと同じくです。 で、どうぞ、たぶんあなたたちは、美しさとは何かを、訊ねたことがないでしょう。 少年の美しさではない。
8:27 何がご用ですか?これが適切に働いていない。 お気の毒! 一分間、待ちましょうか。 いいでしょうか? だいじょうぶでしょうか。 つづけてもいいでしょうか。 私は冗談を言っていません。 すみません。
9:14 で、聞くこと - 私たち自身の内的な思考、感情と 意見と判断だけではない。 また、他の人々が言っていることの音も、聞こえる - あなたの導師たちが、ではない。 それらはすべて、かなり子どもっぽい。 他の人々が言っていること、あなたの奥さんが言っていること、 隣人が言っていること。 あのカラスの声すべてを聞く。 世界の美しさ、自然の美しさを 感じる。 で、私たちは当面の間、美しさは何かを、 探究しようとしています。 なぜなら、あなたはその列車で、一番すばらしい風景を 通り過ぎようとしているからです - 丘、川、 雪をかぶった大きな山々、深い谷。 あなたの外側のものだけでなく、 また、あなた自身の存在の内的構造、本性も、です - あなたは何を考えるのか、何を感じるのか、欲望が何であるのか。 このすべてを、聞かなくてはいけません - 「ええ、正しい。間違っている。 これが私の考えることだ。私が考えるべきでないことだ」と言うだけでなくて、です。 または、単に何か伝統に従うだけではない - 心理学、物理学者、博士、コンピューター専門家などを ともなった現代の伝統でも、です。 また、何の反応もなく、とても静かに聞く。 樹の美しさが見える。 で、私たちはともに、美しさについて、話し合おうとしています。
11:57 美しさは、何でしょうか。 あなたは、美術館へ行ったことがありますか。 古い中世やルネサンス、偉大な画家たちのです。 あなたは、それらを見たことがありますか -あなたたちの何人かでも。 たぶんないでしょう。 私は、あなたたちを連れて、美術館の中をまわりません。私は案内人ではない。 でも、絵、絵画、そして古代ギリシャ人、 古代エジプト人の彫像、ギリシャのとローマのと、 現代のを見る代わりに、 私たちは、見て、訊ね、探究し、 見出そうと要求しています -美しさは何でしょうか。 形ではない。女や男や、小さな子どもではない - 子どもはみんな、とてつもなく美しい。 で、美しさは、何でしょうか。 私は質問をしています。 どうか、お答えになってください。 初めに、あなた自身に対して、です。 または、あなたはそれについて、考えたこともなかった。 顔の美しさではなく、緑の芝生の美しさ、 一つの花の、 大きな山々の美しさ - 雪がそれらを覆っている。 深い谷。 川のしーんとした平穏な水。 そのすべては、あなたの外側にあります。 あなたは、「あれは何と美しいのか」と言います。 その「美しさ」という言葉は、何を意味しているのでしょうか。 なぜなら、それを見出すことは、とても重要であるからです。 なぜなら、私たちは日々の生に、ほとんど美しさがないからです。 あなたは、ベナレス(の街)を通りぬけると、それについて、すっかり知るでしょう - 汚い通り、塵、埃、牛車。ですね? あなたは、これらを見て、あなた自身に訊ねます - 木の葉の単なる優しさや、 人間たちの優しい寛大さではなく、 とても深く探究します - 詩人、画家、彫刻家が使っているこの言葉。 そしてあなたは今、自分自身に訊ねています -美しさのこの性質は、何でしょうか。 あなたは、私にそれへ答えてほしいのでしょうか。 それとも、あなたが答えるのでしょうか。 さあ、どうぞ。
15:48 質問者: あなたが答えるべきです。

K: なぜです?
15:52 質問者: なぜなら、私たちは知らないからです。

K: それなんです。 そのお方は、「あなたが答えなさい。 私たちは知らないから」と言われます。 なぜでしょう。なぜ、あなたは知らないのでしょうか。 なぜ私たちは、この甚大な問いを探究してこなかったのでしょうか。 あなたたちは、自分の詩人たちを持っています -古代の人々から、今まで、です。 彼らはそれについて書く。彼らはそれについて歌う。 彼らは、舞い踊る。 そしてあなたは、「私は、美しさは何かを知らない」と言う。 私たちは、何と変な人々なのでしょうか。 しかし、あなたが、あなたの導師は何者か、 誰があなたの導師か、誰があなたの神が、と訊ねると - インドには、三十万の神々がいるんだと、私は思います。なかなか良い! ヨーロッパとアメリカには、唯一つの神だけがある。 あなたたちには、三十万以上がいる。 あなたたちは、それらからどれでも選んで、おもしろくできる。
17:19 で、美しさは、何でしょうか。 それは、違った言葉で表された、同じ問いなのです - あなたは、何なのでしょうか。 あなたの本性と構造は、何でしょうか。 生物学的要因は別として、 あなたは、何でしょうか。 幾つかの試験に通る。学位、職を得る - 物理学者、科学者、政府の財務官 - あなたは、何でしょうか。 それは、美しさは何かに、きわめて近く関係しています。 あなたが山を見つめるとき - 頂に雪を被っていて、深い谷、 青い深い丘 - あなたは、何を感じるでしょうか。 それらに対して、あなたの本当の応答は、何でしょうか。 知らないですか。 一秒間か、二、三分間、あなたは、 それに絶対的に衝撃を受けないでしょうか。 偉大さ、無量さ、 青い谷、とてつもない光、 雪をまとった山々に際立つ青い空。 その瞬間、あなたがそれを、見つめるとき、あなたに何が起きるでしょうか - それら山々の壮大さ、威厳を、です。 あなたは、何を感じるでしょうか。 あなたは、その瞬間か、 二、三分間、そもそも存在しているでしょうか。 質問を理解できますか。 どうか、同意しないで、ごく近くで見つめてください。 何か壮大で無量で荘厳なものを、見るその瞬間に、 一秒間、あなたは存在しないのです。 あなたは、自分の気がかりと、 奥さん、子ども、仕事、人生の取り散らかしたすべてを、忘れてしまいました。 その瞬間に、あなたは、それに呆然とした、と言うのです。 すなわち、その一秒間、壮大さが、あなたの記憶すべてを、ぬぐい去ってしまった、 ということなのです - 一秒間です。 それからあなたは、戻ってきます。 その一秒間に、何が起きるのか。 さあ、どうぞ。 あなたがいないとき、何が起きるのか。 それが美しさです。 理解できますか。あなたがいないとき、です。 同意しないでください。 「はい、はい」と頷かないでください。
21:11 で、そこでは、山の壮大さ、威厳が、 または、湖や、朝早くのあの河が、 金色の小道を作り、 一秒間、あなたは、あらゆるものを忘れたのです。 すなわち、自己がないとき、美しさはあるのです。 私が言っていることを、理解できますか。 あなたが、いないとき - あなたの問題、責任、伝統すべてと それらごみくず - あなたの家族ではない -とともに、 あなたが無いとき、 美しさがあるのです。 玩具(おもちゃ)をもった子どもに、似ています。 玩具が複雑であり、その子がそれで遊ぶかぎり、 玩具は、彼を没入させ、乗っ取ってしまいます。 玩具が壊れた瞬間、彼は、何であれ、していたことへ戻っています。 で、私たちはそれに似ています。 私たちは、山に没入させられます。 一秒間か、二、三分間、それは私たちにとって、玩具です。 そして私たちは、自分たちの世界へ、戻ります。 私たちは、玩具なし、何もあなたを没入させるもの、乗っ取るものなし、と言っています。 私が言っていることを、理解できますか。できない? あなたは、子どもに玩具を与えるとき、彼がどのようにふるまうかを、知っていますね。 または、見守ったことがないですか。 玩具は、その子にとって、とてつもなくなります。 彼は面白がり、それで遊びます。 二、三分間か、二、三時間か、二、三日か、 玩具は、彼を乗っ取ります。理解できますか。 で、山があなたを乗っ取ったのです。 あなたは、何か偉大なものに没入せずに、 あなた自身から自由でありうるでしょうか。 質問を理解できますか。 あなたは、これを理解しない。 あなたは、あまりに利巧すぎるのです。 それが、あなたたちみんなの困ったところです - あまりに学びすぎている。 あなたは、十分に単純ではない あなたは、とても単純であるなら -質素な衣服ではない - あなた自身が深く単純ならば、 何かとてつもないものを、発見するでしょう。 しかし、あなたたちは、たくさんの知識、経験などにより 覆われています。
25:00 では、動きましょう。 私たちはともに、多くのことについて、話し合おうとしています。 私たちは、しばらくの間、美しさについて話をしました - 詩人の美しさではなく、詩歌、文学、 随筆、美しい小説、良いスリラーではなくて、です。 たぶんあなたたちは、スリラーを読まないでしょうね。 または、あなたたちは、あまりに神聖すぎる。 で、私たち自身を見ましょう。 私たちは、世界を創り出してきました - あなた、語り手、その先祖たち、 過去数千年の世代と時間が、です。 で、これらは、どういうことなのでしょうか。 理解できますか。 私が言っていることを、理解できますか。 これら騒ぎは、何なのでしょうか。 互いに殺し合う、 互いに不具にし合う、分割する - 私の神、あなたの神、と。 なぜ、この社会は、こんなに醜く残忍で冷酷なのでしょうか。 そうです。なぜですか。誰が、この奇怪な世界を、創り出したのでしょうか。 私は、悲観的とか楽観的とかになっていません。 世の中を見てください。 あなたの外側で起きていることを、です。 貧しい国々が、兵器を買っています。 あなたの国は兵器を買っています。 そして、無限の貧困、競争です。 いいですね?誰が、これらを創り出したのでしょうか。 神がそれを創り出した、と言われるのでしょうか。 彼は、取り散らかした神にちがいありません。 で、誰がこの社会を、創り出したのでしょうか。 あなたたちはいつも、社会について話しています。 誰がそれを創り出したのか、誰が組み立てたのか。 神様、あなたたちは・・・ あなたが、それを組み立てたのではないですか。 あなただけではない。あなたの父親、曾祖父、 百万年の過去の世代。 彼らが、この社会を、創り出したのです -彼らの強欲、妬みをとおし、 競争をとおして、です。彼らは世界を分割してきました - 経済的、社会的、宗教的に、です。 事実に向き合ってください。後生ですから。 あなたと語り手と、その父親、さらに父親たち、 あなたの父親 - 遡れるかぎりです。 私たちがこの社会を、組み立ててきました。 私たちが、それに責任があるのです。 それとも、あなたは、この事実を否認しますか。
29:05 で、私たちがこれに責任があるのです。 神々ではなく、何か外的な要因ではなく、 私たちが、私たちの一人一人が、この社会を、創り出してきたのです。 あなたは、この集団に所属している。 私は、別の集団に所属している。 あなたは、一つの神を崇拝する。 私は、別の神を崇拝する。 あなたは、一人の導師に従う - 彼らが、どれほどバカで、愚かであっても、です。 私は、別のへ従う。 で、私たちは、社会を分割してきました。 私たちは、社会的にだけでなく、また 宗教的にも、分割してきました。 ただ見てください。後生ですから、見てください。 地理的に私たちは、世界を分割してきました - ヨーロッパ、アメリカ、ロシア。 私たちは、文化を分割してきました - 西洋文化と、東洋文化。 私たちは、政府を分割してきました - 労働党、民主党、共和党、共産党の、です。 理解なさいますか。 私たちの頭脳が、どのように働くのか -分割し、分割し、分割する。 あなたはこの要因に、注目したことがないですか。 で、分割から、葛藤が出てきます。 あなたは、あなた自身を、良いものと悪いものに分割してきました - 私はそれらに入りません。それはあまりに複雑です。 あなたはたぶん、これらのことのどれについても、考えたこともないのでしょう。
31:12 で、私たちがこの社会を、創り出してきました。 で、あなたがこの社会です。 理解できますか。 あなたが社会です。 で、あなたが根本的に変化しないのなら、 社会をけっして変化させないでしょう。 共産主義者たちは、これを試してきました -力づくで強制し 秘密裏に、悪辣に、数百万人を破滅させました - 人に無理強いし、その心理、その存在を、 様々な形の強制に服従させるために、です。 あなたは、これらを知っているにちがいありません。 これは歴史です - 日々の新聞です。 それで、分割があるところ- どうか、聞いてください - 分割があるところ、葛藤があるにちがいないのです。 それは法則です。 私たちは、見たところ、葛藤が好きなのです - 永続的な葛藤とともに生きることが、です。
32:38 で、私たちは戻って、見出さなければなりません -このすべての原因は、何なのでしょうか。 それは欲望でしょうか。それは恐れでしょうか。 それは楽しみでしょうか。 これは、痛みすべての回避、ゆえに罪悪の回避でしょうか。 これらを理解されますか。 私はあまりに速く進んでいますか。 で、私たち自身で見出しはじめましょう -欲望は、何でしょうか。 それが基本です。 権力を持ちたいとの欲望、達成したいとの欲望、 何者かになりたいとの欲望。 私たちは、欲望に反対していません。 私たちは、欲望を抑圧しようとか、 超越しようとかしていません。僧侶のように、 あなたたちのほとんどのように、超越する、制御する、抑圧する。 私たちはそれに入ろうとしていません。 私たちはともに、理解しなければなりません -欲望は、何でしょうか。 欲望は、何でしょうか。 あなたは、語り手と同じぐらい働いていますか。 それともただ、「まあ、あの人の話を聞こう。 すてきな日、すてきな朝だ」と言うだけでしょうか。 で、私たちは訊ねています - 欲望は何でしょうか。 それはどのように起きるのでしょうか。 その起源は何でしょうか。 それをどう抑圧するか、どう制御するかとか、やらせておくか、ではない。 その根です。 それに興味はありますか。 あなたは、その根が何かを見出すことに、興味がありますか。 私に説明してほしいのですか - いつものように。
35:16 で、説明はそのものではない。 言葉は、これではない - 私はそれを「マイクロフォン」と呼ぶかもしれない。 あなたはそれを、「マイクロフォン」と呼ぶでしょう。 でも、言葉はそれではない。 ゆえに、説明はそれではない。 叙述はそれではない。 すばらしい樹を叙述するとき、 叙述は樹ではない。 で、私たちは、互いに伝えるために、言葉を使おうとしています。 しかし、言葉、叙述は、事実ではない。 で、少なくとも、それを学びます。 言葉はそのものではない。 私の妻 - 「私の妻」という言葉は、妻ではない。 その単純な事実を理解できるなら、 奥さんを、もっとましに扱うでしょう。
36:45 で、欲望は何でしょうか。なぜそれは、私たちを支配するのでしょうか。 その持ち場は何でしょうか。 その本性は何でしょうか。理解できますか。 欲望は何でしょうか。理解できますか。 世界中の僧侶は、欲望を抑圧します。 または、欲望を超越したいと思います。 または、欲望は、一定のイメージ、一定の象徴、 一定の儀式と同一視されます。 あなたたちのみんな、幾人かはそこにいます - 僧侶等です。 欲望は何でしょうか。 その質問をしたことが、あるでしょうか。 または、欲望に屈するのでしょうか - 帰結がどうであっても、です。
37:53 で、私たちはともに - ともに、です。 私が、語り手が説明するのを待つのではなく、 ともに、私たちは、それを見ようとしています。 私たちは、感受により生きるでしょう。 橋を渡っていく列車があります。 それが聞こえます。あなたはそれを同定します。 で、私たちは、感受によって生きます - より良い食べ物、より良い住宅、より良い妻、と。 で、感受は生です。 生の一部です - セックスは生の一部です。 それは感受、楽しみです。 私たちは、大変多くの楽しみを、持っています。 所有の楽しみ、など。 私たちにとって、感受は、とてつもなく重要になります - 生の一部、私たちの存在の一部です。 あなたは、何も感受がないのなら、死んでいます。 神経すべてが去り、頭脳が萎む、などです。 で、私たちは、感受により生きます。 感受は、触れる、感じることです - 感受。 急に釘を、指に突き刺すようなものです。 それは感受です - それは痛みと呼ばれます。 あなたは、何か麗しいものを見るとき、それに微笑みます。 それは、感受の一部です。 涙、笑い、ユーモアを持つこと。 それはすべて、感受の一部です。 そのとき、何が起きるでしょうか。 私たちは、この感受を持ちます。 あなたは、美しい・・・ものを見る - 何かな。住宅を。 あなたがほしいのは、どれですか。 もっと多くの権力、もっと多くのお金ですか。 もっと多く - もっと多くは、感受の一部です。 よろしいでしょうか。 あなたたちは、とてもためらっていますね。
40:42 で、感受があるとき、何が起きるでしょうか。 何かとても美しいものが、見えるとき - 車、女、男や、すてきな住宅、です - 何が起きるでしょうか。 あなたは住宅を見る。感受がある。 そのとき、何が起きるでしょうか。 ゆっくり進んでください。 すると、理解できるでしょう。 あの麗しい住宅が見える - 清潔だ。美しい庭、 花もある。あらゆるものが、美しく保たれている。 見えるとき、それは感受です。 そのとき、何が起きるでしょうか。 感受は自然です。 それは、回避できません。 それは、私たちの生の一部です。 それから・・・私が説明する。 あなたたちは、同意して、「ええ、全くです」と言い、 家に帰り、同じことをするでしょう。
42:04 で、そのとき、何が起きるでしょうか。 あなたは、あの住宅を見ました。 庭を見ました。風景の美しさ、 そして、住宅が様式、風格、威厳をもって、 どう建てられているを、見ました。 そのとき、思考がやってきて、 その感受よりイメージを作ります。それから、 「私はあの住宅をもてたらいいな」と言う。 付いてきていますか。いいえ、付いてきていない。 あなたは、そこにあの住宅が見える - 感受がある。 一分間、待ってください - 私が進む前に、一分間。 感受。そのとき思考がやってきて、その感受から、創り出す - その住宅を持ちたいとの欲望、です。 または、他の何かを、です。 あなたは、誰か政治家が大きな車に乗り、先にバイク乗り(の警護)が付いている、 その他すべての事柄を、見る。 あなたは、「何とまあ、私は幾らか権力を持っていたならなあ」と言う。 すなわち、あなたはそれを見た。感受(がある)。 そのとき、思考が来て、「私はあの権力を持っていたならなあ」と言う。 その瞬間に、欲望が生まれます。 感受が形、形態を与えられるとき、 その一秒に、欲望が生まれます。ですね? 私が言ってきたことを、理解できますか。 もう一回、繰り返しましょうか。 繰り返してほしいでしょうか。
44:18 あなたがピンを、私の親指に突き刺す。 それは、痛みの感受です。 あらゆる記録、あらゆる応答は、感受の一部です - ですね?知的、理論的、哲学的 - 感受です。 私たちは、感受により生きます。 そこは、はっきりさせてください。 私たちは、感受により生きます。 すなわち、感受が応答しています -良い味、悪い味、 それは苦い、甘いなどと。 私たちは、感受により生きます。 私たちは、自らが持っていない何かが見えるとき - 例えば、住宅や車です - その感受は、支配的になる - 思考が、それにイメージを与えるとき、です。 理解できますか。 思考がやってきて、「私はあれを持っていたらなあ」と言うとき、 その瞬間に、欲望が生まれます。 まるで私が気違いかのように、私を見つめないでください。 その微妙さ、その深さを理解してください。 感受に対して、思考が形態、構造、イメージを与えるとき、 その一秒に、欲望が生まれます。
46:22 今、問いはこうです - 感受は、思考により捉えられないのでしょうか - それもまた、別の感受です。 理解されますか。 感受。そして、思考がそれへ形を与えるのに、時間を掛ける。 それは、感受と思考との間の間隔です - それに輪郭を与えるまで。ですね?やってください。 そうするとき、そこに、何が含意されているかを、見てください - 「はい、はい、あなたに同意します」と言うのでなく。
47:13 質問者: 私の手にピンが刺さるとき、チクッとします。
47:19 K: 痛みがある。そのとき、思考は何をしますか。
47:22 質問者: 思考が来て・・・
47:23 K: 待ってください。見てください。 慌てないで、ゆっくり行ってください。 私は、親指に、指に痛みがある。 そのとき私は、その痛みを止めたいと思う。 それで私は、医師に行くとか、何であれ、します。ですね? 私は、その痛みを止めたいと思う。 私たちは、眠っているんでしょうか。 痛みは、他の形の感受です - ですね? そのとき、思考は、「私はそれを止めなければならない」と言う。 あなたは、「待てよ、その痛みを見てみよう」とは言いません。 あなたは、これらをしたことがないですか。 私は、病気であるなら - 私は何度もそうなりました -「よし、気分が良くなるまで、待とう」と言う。 それが何を意味するか、痛みが何を意味するか、楽しみが何を意味するかを、見る。 あなたは、そうしないですか。 それとも、即座に医師ですか。 何?即座に、医師。
49:14 質問者: 痛みの反応全体は・・・(聞き取れない)
49:19 K: そうです。間隔を開けなさい。 理解できますか。「まあ、医師に行けなければならない。急ごう」と言わず、 間隔、時間を開けなさい。すると、そこからたくさんを学びます。
49:41 で、私は言っています - 感受と思考の間に、時間が、間隔があるなら - 長い間隔か、短い間隔か、です - あなたは、欲望の本性を理解するでしょう。 そこには、抑圧がなく、超越がない。 あなたは、車を持っておられるなら、それを運転するとき、 そのメカニズム、 その内燃機関を知らないなら、 いつも少し、神経質です - 何か変なことになりかねない、と。ですね? しかし、車を知っているなら、車を分解したことがあるなら - 語り手がやったようにです。完全に解体する - 神経質とか、何かしらにならないでください。 それを分解し、よく気をつけて組み立て、 部品すべてを知るとき、 あなたは、その機械、 その仕組みを、極めています。 そのとき、恐れていないし、もう一回、組み立てなおします。 理解できますか。 で、あなたは、欲望の本性を、 欲望が始まる道筋を理解するなら、それを恐れていません。 そのとき、それをどうすべきかを、知っています。
51:27 質問者: (聞き取れない)
51:33 K: 私はすでに説明しましたよ。 で、他の何かへ移りましょうか。
51:44 あなたと私、語り手が、ともに 話し合うべきことが、あります。 私たちは、何千年も間、生きてきましたが、 恐れの本性を、一度も理解したことがありません - 恐れの起源が何なのか、恐れの原因は何なのか。 私たちは見たところ、恐れを終わらせていません。 生物学的な恐れ、同じく、 確かにはるかにもっと、心理的な恐れ、内的な恐れ、 死の恐れ、持たないこと、 所有しないことの恐れ、さびしさの恐れ。 私たちは、多くの恐れを持っています。 それをご存じないですか。 ご自分の恐れを、知らないですか。知らない? あなたたちは、へんてこりんな群衆です -自分の恐れを知らない。 あなたたちは、これら恐れの中から、神を創り出します。 これらの恐れの中から、儀式を創り出します - 霊的な位階制度、導師を、です。 世界の寺院すべては、恐れからです。 あなたの妻への恐れ、知事への恐れ、 警察官への恐れ - 私たちは、幾千もの恐れを持っています。 私たちは訊ねています - 恐れは何でしょうか。 あなたの特定の形の恐れではない。理解されますか。 私の恐れとあなたの恐れではない -恐れは何でしょうか。 車の機械の仕組みを理解するなら、 あなたは、車を恐れません。ですね? それをどう走らせるのかを、知っています。 それがいつ点検サーヴィスされ、手入れされるべきなのか等を、知っています。 で、あなたは、その本性、その原因、その根を、知り、悟り、 それとともにいて、理解するなら、 そのとき、恐れを超越するでしょう。 そのとき、恐れは去っています。 私たちは今朝、それをしようとしています。
54:46 私たちは訊ねています - 恐れは何でしょうか。 その原因は何でしょうか。 それをどう終わらせるかではない。 それをどう超越するか、制御するか、 抑圧するか、それから逃げ出すかではない - あなたが今、やっているように、です。 で、恐れの原因、起源は、何でしょうか。 考えぬいてください。 一分間、それに入ってください。 あなたの恐れを、取り上げてください -あなたの特定の恐れ、です。 その根は何でしょうか。 安全、もっと多くへの欲望。 理解できますか。 で、あなたは、それを見つけていないのなら、誰か、語り手のような人に 訊ねるでしょう - 「その原因は何ですか」と。 あなたはそれを聞くでしょうか。 聞く。実際に聞く - あなたの上役に聞くように。 彼は、あなたを放り出すかも、給料を減らすかもしれません。あなたは聞きます。 あなたは、心のすべて、恐れのすべて、 憂慮のすべてをもって聞く -「自分は職を失うかもしれない。 だから、どうか、何をすべきかを言ってください」と。 あなたは、彼が言うことを、そう聞くでしょうか。 または、「はい」と言う。 で、私は説明しましょう。いいですか? しかし、あなたは、オフィスで自分の仕事をどうするかを、知っています。 で、私は説明しましょう。 それは、なかなか複雑です。 あなたは、複雑さが好きです。 しかし、説明はそのものではない。 「恐れ」という言葉は、恐れではない。 言葉はそのものではない。
57:27 恐れは何でしょうか。その原因は、何でしょうか。 「恐れ」という言葉は、恐れを引き起こしますか。 理解できますか。 「恐れ」という言葉 - それは、あなたに恐れを喚起しますか。 確かですか。 で、恐れは事実です。 その言葉は事実ではありません。 悩んだ顔をなさらないでください。 とても単純ですよ。 「樹」という言葉は、その樹ではない。 で、説明は、恐れを終わらせる手段ではない。 すると、私たちは、検討しなくてはいけません -時は何でしょうか。 なぜなら、時は恐れであるからです。 明日、何かが起きるかもしれない、と。 私の住宅が、崩れるかもしれない。 妻が、他の男のほうを振り向くかもしれない。 夫が、出て行ってしまった。 私は悲しい - 恐れ、です。 理解できますか。 過去の恐れ、未来の恐れ、 現在の恐れ - 何が起きるかもしれません。 で、過去、未来、現在は、 時の輪に捕らわれています。 昨日、今日、明日は、時です。 私はああだった。私はああならないだろう。 だが、今、私はああではない。 私はこうだった。こうなろう。 だが、今はそうではない、と。 で、その過程全体が、時の中の動きです。 動きは、時を意味しています。 ここからそこへは、動きです。 それは、時を意味しています。 この場所からあの場所へ到るには、時が要ります。 で、動きは時です。 動きすべては、時です。 時計により・・・
1:00:23 あなたが日向にいるのなら、もっと近くへいらしてください。 来て、そこに座ってください。 十分な空き間があります。後生です。 よし。近いからといって、神経質にならないでください。
1:00:52 で、過去、現在、未来は、 動きです。それは時と呼ばれます。 私はかつて若かった。今、私は九十です -それは時です。 で、時は何でしょうか。 時間は何でしょうか。 あなたが、ベナレスからここへ来るには、時が掛かりました。 あなたが戻るには、時が掛かるでしょう。 で、時計による時が、あります。 或る距離を行くための時が、あります。 過去、現在、未来としての時が、あります。 ですね?このすべてが時です。 過去が現在を形作る - 境遇などが、です。 どうか、これはとても難しいのです。 同意や不同意をしないでください。 ただ聞いて、見出してください。 過去は今、作動しています。 未来は、現在により形作られます。修正されます。 境遇が変化してきました。 一定の出来事が起こります。 で、過去は、修正され、変化させられ、変更されます。 未来は、今起きることです。 で、時すべては - 過去、現在、未来は、 今、収容されています。
1:03:08 これには悩むでしょう。ゆっくり行ってください。私は急いでいません。 これは、生に通用するのです。理論にだけではない。 あなたはバラモンです - すみません。 ここでは、バラモン(への批判)はお好きでない。 あなたは昨日、何かでした。 今日、出来事が起こります。それが、過去を 変化させ、修正し、わずかに変更します -境遇、過去を、です。 未来は、今あるあなたです - 修正されて、です。 それは明らかでしょう。それともまだ、悩みますか。 すなわち、過去、現在、未来は、今です。 今、変異がないのなら - 「変異」という言葉は、理解できますか - 今、変異がないのなら、 あなたは、前にそうでありつづけたのと、まさしく同じになるでしょう。 私は、自分がインド人であると、考えます -その裏のサーカスすべてをともなって、です。 私は明日、再びインド人になるでしょう。 それは論理的です。 しかも、インド人であることで、私はイスラム教徒より分割されます。 私は彼とけんかをするでしょう -彼の土地のためだけでなく、 彼の人口増加等で、です。 で、明日は今です。私は、あなたたちに、これを説明しつづけられません。 これを理解されますか。 で、あなたが今、何をするかが、大事です - あなたが明日、何をするだろうかより、はるかに、です。
1:05:32 で、あなたは、何をするのでしょうか。 明日が今であるなら - それは事実です。それは、私の理論やあなたの理論ではない。 それは事実です。 私は今、貪欲です。 今それについて、何もしないのなら、私は明日、貪欲でしょう。 それだけです。 私は貪欲であるのを、今日、止められるでしょうか。 あなたは止めるでしょうか。もちろん止めません。 で、あなたは、これまであなただったものに、なるでしょう。 これが、数百万年の間、人類の様式です。 あなたは、殺すのを気に掛けない - ですね? 正直でありなさい。あなたは、殺すのを気に掛けない。 あなたは、それに賛同します。 あなたは自国に、強くあってほしいのです。 それを恥じないでください。これは事実です。 で、あなたたちは軍備を集めます。 あなたは実際にそうしないかもしれないが、 税金をとおし、切手を買うことをとおして、そうします。支援します。 で、あなたがインド人であるのを、今、止めないなら、 あなたは明日、インド人であるでしょう。 で、あなたは今、どうしようとしていますか。 ああ、みなさん、あなたたちは、そこで止まってしまう。 私は訊ねています - あなたは今、何をするのでしょうか。
1:07:20 質問者: インド人であるのを止めます。
1:07:24 K: 止めますか。 その意味合いが何であるかを、ご存じですか。 パスポートではなく、書類ではない。 どの国とも関連しないこと、です。 どの集団、どの宗教とも関連しないこと、です。 それらはどのみち、すべて、まやかしです。 それは可能でしょうか。 そうなさるでしょうか。あなたが、ではない。 あなたは、重要性が見えるでしょうか - すなわち、もし今、今日、変異がないならば、 あなたは明日、まさに同じになるであろう、ということが、です。 これは楽観的でも悲観的でもない。 これは事実です。 二百五十万年の間、私たちは、人々を殺してきました - 仏教徒として、ヒンドゥー教徒として、キリスト教徒として。 おそらくキリスト教徒は、他の誰よりも、多く殺してきました。 あなたたちはキリスト教徒ではない。だから、私はそれを容易に言えます! 私はキリスト教徒たちの前で、この問いに取り組んできました。 で、あなたは、理解されますか - その深刻さを、です。 それを玩ばないでください。 今、私が・・・根本的な変異がないのなら - 今です! 私は明日、同じになるでしょう。
1:09:26 で、時は、恐れにおける要因です。 私は、明日起こるかもしれないことを、恐れています。 私は、試験に通らないことを、恐れています。 女の子や男の子は、何か試験に通りたいと思う。 もっと多くのお金、もっと良い機会、もっと良いこれを、得るために、です。 「私は一生懸命、勉強しよう、勉強しよう。 あの試験に通るために」と言う。 私は通らないかもしれない -恐れが入ってくる、などです。 恐れは、人類すべての共通の要因です。 それはあなたのではない。人類すべてのです。 で、その恐れは - 恐れの一つの枝だけでなく、 恐れの根は、完全に破棄できるでしょうか。 すなわち、どの種類の恐れも持たないことです。 語り手は、それは著しく可能である、と言います。 すなわち、それは根本的にできる、と。 あなたは、語り手を殺すのか、または崇拝します。 それらはどちらも同じです。理解できますか。 それが、今、あなたたちがしようとしていることなのです。
1:11:22 で、それは、私たちの生の要因の一つです。 私たちは、百万年以上の間、恐れとともに生きてきました。 私たちはいまだに、続けています。 で、語り手は言っています - 恐れは完全に終わらせられるのだ、と。 「それは悟りを開いた人である」とか、それら戯言(たわごと)を言わないでください。 あなたは、自らの頭脳、心をそれに注ぎ込むなら、それを終わらせられます - 部分的にでなく、完全に、です。 そのときあなたは、自分自身で見えるでしょう - そこには、何と無量の美しさがあるのか、です。 全くの自由の感覚です。 国や、或る政府の自由ではなく、 自由の甚大さ、自由の偉大さの感覚です。 あなたは、そうするでしょうか - 今日、今です。 今日から、恐れの原因が見えて、それを終わらせる。 それは時です。 時は、思考という意味です。 なぜなら、時は動きであるからです - そうでしょう。 私たちはみんな同意します。 そして、思考もまた動きです。 これらに、目くらましをされないでください。 とても単純です。 時は動きです。思考は動きです。 それで、時は思考です。 思考は時です。 思考は、知識に、 記憶、経験などに、基づいています。 時もまた、とても制限されています- 私たちの生において、です。 恐れがあるかぎり - 生物学的に、物理的に、 心理的にです - それは私たちを破壊します。 で、お訊ねしていいならば、理論でなく、この事実を聞いた後、 あなたは、何をしようとするのでしょうか。 時は、恐れと思考の要因です。 で、あなたは、今、変化しないのなら、 二度と再び変化しないでしょう。 この常なる先送りです。
1:14:38 よろしい。