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RV79DS3 - 君は、イメージより自由でありえますか。
学校討論、第3回
インド、リシ・ヴァレー
1979年11月21日



0:22 クリシュナムルティ: もしよければ、私は、三十分間ほど、話をするでしょう。 そして、君たちが、何でも自分のしたい質問を、 してくれるだろうことを、願っています。 それで、だいじょうぶですか。 それに賛同しますか。
0:42 学生たち: はい、先生。
0:48 K: 君たちは、何にでも賛同するのでしょう? 君たちは、車を運転したことが、ありますか。 車を運転したことが、あるなら、 自分が見守っていることに、注目しましたか - 少なくとも、自分の前の100メートル以上を、です。 運転するとき、君の目は、あらゆる物事を、取り入れています。 そばで起きつつあることすべてを、です。 いいですか? 見守っている - そちらか、他から車両が来るのかどうかを、です。 で、君は、目は思考より速いことを、見つけるでしょう。 それに入ったことが、ありますか。 たぶん君たちは、これのどれにも、入ったことが、ありません。 で、どうぞ、聞いてください。 何か、君が前に聞かなかったことを、学ぼうとしてください - または、たぶん聞いたことを、です。 聞いたことがあるなら、自分が学んだことを、忘れて、 聞いて学ぼうとしてください。 記憶するのではなく、学ぶ。 すなわち、君の目は、 この植物、人々を見て、 君の精神より、君の思考より、速いですね。 そこに座っていながら、今、実験してください。 あれらの樹々を、見つめてください。 どうぞ、見つめてください。 君の目は、君の精神より、はるかに速く、見ます。 君の精神は、あれを見るとき、それに言葉を与えます。 あれを、樹と呼びます。 あれを、緑、赤と呼びます。 これに付いてきていますか。 すなわち、君の目は、君の思考より、速いのです。 さて、目と思考を、 一緒に同期化させることが、注意です。 これを理解しましたか。 すなわち、 君は、何かを見るとき - 樹のように、友だちやあのカメラのように、です - 君の目は、すばやくそれへ焦点を合わせます。 そのとき、君の精神は、それに言葉を与えます。 あれはカメラだ、あれは誰それだ、と。 で、君の目は、精神より、速いのです。 精神と目が同期化し、 即時に、同時にまとまるとき、 君は、とてつもない注意の性質が、あることを、見つけるでしょう。 私が話しているとき、君は、こうしていますか。 いいえ、そうしていません。 君は、そうしていますか。 君は、そうするでしょうか。 私を見ないでください。 あの樹を見て、あれらの花を見てください。 そして、電話線を、です。 それを見てください。 君が見るとき、君の精神は、それに言葉を、与えつつあります - あれは電話線である、あれは緑だ、あれは赤だと、言っています。 で、初めに、君の目が見ます。 そのとき、精神が作動します。 さて、私は、二つをまとめなさい、即座に、と言っています。 そのとき、君は、全部が見えるでしょう。 私が話していることを、理解できますか。 君は、そうしていますか。 または、私を見つめていますか。 で、君の精神は - 私がいう精神とは、どういう意味かを、理解できますか - 君が考える性質は、 目が見るものより、遅いのです。 目と思考が、同じ瞬間にまとまるとき、 君は、注意の奇妙な性質があることを、見つけるでしょう。 君は、これを理解しましたか- 君たちの誰かは、です。
6:08 そうですか?

学生: はい。
6:10 K: で、君の精神は、目より遅く作用するよう、 訓練されています - 視覚的な目より、です。 視神経は、動く精神より、はるかに速い。 そして、精神、君の精神は、 すなわち、考える性質は、 言葉で満ちています。 いいですか? それに注目したことが、ありますか。 これは、あまりに困難ですか。 すなわち、君の精神は、 何世紀に何世紀もの間、訓練されてきました - 言葉で考えるようにか、 イメージで、映像で、象徴で考えるように、です。ですね? アシットジ、私と一緒に来てください。 私は誰かに、話さなければなりません。 彼らはみんな、あそこで変な顔をしています。 言葉は、とてつもなく重要になります。 インドという言葉が、君たちにとってとても重要であるように、です。 なぜなら、君たちは、ここに生きてきて、 宣伝がつづいてきたからです。 そして、君は、自分はインド人だと、言います。 で、その言葉は、イギリス人のように、フランス人、ドイツ人、ロシア人、 中国人、アメリカ人のように、 言葉が、とてつもなく重要になります。 君が、彼はインド人だ、と言うとき、 何が起きますか。 君は、一般化しています。 個人を見ていません。 神様! これらに付いてきていますか。 君が、フランスに行くとき、そこで生活するなら、 「フランス人」という言葉が- フランセ、です - 彼にとって、ものすごく重要であることが、分かります。 彼は、自分自身を、国の全体と同一視します。 この同一視の中で、彼は安全に感じます。 「私はインド人だ、私はヒンドゥー教徒だ。 私はイスラム教徒だ」と言うとき、君は、そうなっています。ですね? これに付いてきていますか。 で、その言葉は、事実より重要になったのです。 それがお分かりになるのかどうかと、思われます。いいですか? で、君は、あの樹を見つめられますか- 気をつけて、聞いてください - 君は、あの樹を、言葉なしに見つめられますか。 進んで、見てください。 それを見つめ、見出してください - 応答として、即時に何が起きるのかを、です。 君は、あれらの花を見つめます。 即時に、「赤」という言葉が、君の精神に、入ってきます。ですね? さて、君は、あれらの花を、言葉なしに、見つめられますか。 君は、そうしていますか。 で、精神は - それは、思考の動き全体ですが - 言葉をまとっています。 ですね? で、私たちは今朝、探究しようとしています - 考えるとは、何ですか。 私は、気をつけて、君をこの点まで、導いてきました。 すなわち、初めに、 君が車を運転しているときや、誰かが代わりに運転してくれるとき、 君は、見守っています。 君は、自分の100か200メートル先を、見守っています。 目は、精神よりはるかに速く、両側を見ます。 目は、左と右を見ます - こちら側かあちら側に、往来があるのかどうか、です。 そして、減速します。または、往来がないなら、進みます。 ですが、思考より、はるかに速いのは、目です。 ですね? それを理解しましたか。 私が話をしていながら、今、君は、それを実験してきましたか。 そのとき、精神と目が、即座にまとまるとき、 同時に、無媒介に、です。 君は、注意のとてつもない性質を、持つでしょう。 さて、それが、一点です。 私たちの精神のほとんどは、 言葉が慣習化しています。 言葉は、実在よりはるかに重要です - 現実に起きつつあることより、です。 さて、思考は、 言葉の動きです。 ですね?象徴の動きです。 象徴とは何かを、知っていますか。 知っていますか。 何かを表象すること、すなわち、 それは、真実なのかもしれないし、真実でないかもしれません。 または、イメージを表象する。 思考は、言葉、象徴、映像、イメージです。 いいですか?ここまでは、理解しましたか。 たぶん、誰も前に、このように、君へ、話したことがないでしょう。 で、少し手間を掛けて、語り手が何を言っているかを、見出してください。 で、私たちはともに、探究しようとしています - 君と私は、です。 考えるとは、何ですか。 なぜなら、君たちは、みんな考えているからです。ですね? そうではないですか。 君が、授業へ行くとき、 そこで、君は、数学か地理を、学んでいます。 または、それが何でも、物理学でも、です 君は、知識を蓄積しています。 いいですか? 君は、技術者や科学者になりたいのなら、 一定の事実を知らなくてはいけません。 で、思考は、動きです。 動きとは何かを、理解できますか- 動き、動くこと - 言葉の中、観念の中、 映像の中の動きです。 いいですか? それで、私たちは、訊ねています- 考えるとは、どういうことですか。 さて、ちょっと待ってください。 世界全体、私たちが生きているところの世界、 私たちがすること、私たちが建ててきた建物、 築かれていた寺院、神殿、 すべてのすばらしいモスク、教会、大聖堂は、 思考により組み立てられています。ですね? これに付いてきていますか。 列車を走らせるエンジンは、思考により、組み立てられています。 自動車は、思考により組み立てられています。ですね? で、君のまわりすべての世界、 すべての行為、すべての建物、 すべての建築、すべての工学、 科学的知識のとてつもない蓄積は - 私は何と言いましたか。
15:58 学生: 思考の動きです。

K: ええ。思考の動きです。 樹は、思考により作られていません。ですね? ですね?違いが、分かりますか。 このランプは、思考により作られていますが、 樹は、思考により作られていません。ですね? ですが、思考は、樹を使って、椅子を作られます。 ですね? これを捉えていますか。 で、思考は、知識の動きです。ですね? すなわち、君は、知識を蓄積してきました - 技術者として、ヴァイオリニストとして、歌手として、 または、何をしていても、君は知識を、蓄積してきました。 その知識より、行為します。 ですね? 彼女は、楽しい時を過ごしています。 そうしてもらいましょう。 で、思考は- どうぞ、聞いてください - 思考は、知識の応答です。 ですね? すなわち、君は、理科、工学、数学を、学んできました。 君は、その知識を蓄積してきました。 その知識より、行為します。 で、知識は、経験の結果です。ですね? 君の経験だけではなく、 何千年に何千年の人間の経験、 知識を蓄える頭脳に、蓄積されたもの、です。 その知識より、君は考えます。ですね? 待って、待って。私は、初めに、私に話させてください、 それから、君たちは質問をする、と言いました。 で、知識は、いつも制限されています。ですね? それに付いてきていますか。 それが、ウパニシャッドや いわゆる聖典すべての知識であっても、 科学者たちが蓄積してきた知識であっても、 生物学者、数学者、 工学の知識であっても、 知識は、いつも制限されています。 なぜなら、君は、完全な知識を持っていないからです。ですね? で、気をつけて、聞いてください。 で、知識はいつも、無知の影を、持っています。 それを理解しましたか。 で、知識は、けっして完全ではありえません。 で、考えるのは、けっして完全ではない。 これを理解しましたか。 すなわち、君は、思考を持っています。 その思考は、君の知識、応答の結果です。 思考は、その知識からの応答です。 その知識は、いつも制限されています - それが、アインシュタインでも、 ・・・博士 - 私たちの友だち、彼の名前は、何ですか。
20:03 ナラヤン: ボーム博士です。

K: ボーム博士。
20:06 彼がここにいないことが、うれしいです。 私は彼に、これを語ってきました。 で、それはだいじょうぶです。 で、知識は、いつも制限されています。 で、思考は、制限されています。ですね? それを見てください。
20:22 学生: 知識は、どのように制限されていますか。

K: お待ちください。お待ちください。 私は、こう言いました - 初めに、礼儀正しく聞いて、 それから、後で質問をしてください。 で、思考は、 神々、儀式を、創り出してきました - 大聖堂で、教会で、モスクで 君のビジネスで、家で、 起きるすべてのことを、です。 思考は、いつも制限されています。 完全ではありません。ですね? それは、分かりますか。 で、考えるのは、制限されています。 「私の観念は完全だ」と言う人は、 戯言を言っています。 理解できますか。 さて、待ってください。私は、さらに少し、それに入るでしょう。 君は、探究したことが、ありますか。 のぞき見たことが、ありますか - 観念とは何ですか。 理解できますか。観念です。 すなわち、君は、何かを観察します。 観察した後で、君は、自分の観察より結論します。 それを、観念にします。 観念(アイディア)という言葉は、観察を意味するギリシャ語から、来ています。 これに付いてきていますか。 観察する、見る。 ですが、見ることより、観念と呼ばれる抽象を、結論するのではない。 彼らがこれらを理解するのかどうかと、思われます。 で、君の神々、君の儀式、 君の導師、君の書物、 それらすべては、観念に、思考に、基づいています。 ゆえに、それらは、いつも制限されています。 ゆえに、それらは、神聖(ホーリー)ではありません。 いいですか? 寺院、神殿にあるものは、思考により、そこに置かれています。 ゆえに、思考は、制限されているので、像こそが、制限されています。 で、何でも制限されているものは、 断片です。 君が、その断片より行為するなら、 君の行為は、いつも制限されるでしょう。 それらが、制限されているとき、 君は、痛みを持ちます。 君は、苦しみを持ちます。 君は、心配です。 君は、怯えています。 で、見出してください。 君の精神は、 思考を、制限されているその所へ、置けるのかどうか、 そして、何が起きるかを、見てください。 それは、彼らにとって、あまりに困難です。
24:31 学生: あなたは、彼らに観察するよう、仰りますか。
24:34 僕たちに、観察しなさいと、 仰ろうとしていますか。

K: はい。
24:38 私は、30分間、話してきました。 今、君たちが、私に言って、質問してください。 いいえ?
25:07 学生: 知識がどう制限されているかを、説明していただけるでしょうか。
25:16 ナラヤン: 知識は、どう制限されていますか。
25:18 K: 知識は、どう制限されていますか。
25:21 N: たぶん私は、それとともに、 彼らは、思考がどう抽象であるかに、 困難を持っているかもしれないと、思います。
25:39 K: 工学について、 すべてを知っている技術者は、いませんね。 「私は宇宙、万物を理解した」という科学者は、いません。 いいですか? 「私は人間の問題すべてを、解決した」と言う哲学者は、いません。ですね? で、科学者として、彼は、いつも知識を蓄積しています。ですね? - もっともっと多く、です。 で、知識は、けっして完全ではありません。ですね? で、知識は、いつも無知を伴います。 分かりましたか。 これを理解しましたか。 で、知識とは何ですか。
26:43 学生: 知識は断片です。
26:47 K: いえ、いえ。知識とは何ですか- 知ること。 さて、ちょっと待ってください。 君は、自分の姉妹を知っていますか - 姉妹を持っているなら、ですが。 君は、「はい、私は、彼女を知っています」と言います。 君の、姉妹を知っている、というのは、どういう意味ですか - 知っている。 それは、どういう意味ですか。
27:13 学生: 僕は、彼女がどのように見えるかを、知っています。 僕は、彼女の名前を知っています。
27:19 K: 彼女はどのように見えるのか、 彼女が何を言うのか、ですが、 君は、彼女を知らないでしょう。 君は、見かけを知っていますが、 君は、彼女が何を考えるのか、 彼女が何を感じるのかを、知りません。 で、君はけっして、「私は誰かを知っている」とは言えません。 私が言っていることを、理解できますか。 君たちは、(校長)ナラヤンさんを、ここ二年間、見てきました。 君たちは、自分は彼を知っていると、言えますか。
27:57 学生: いいえ、そうは思いません。
28:01 K: ええ。 気をつけて、見てください。 気をつけて、検討してください。 君は、彼を見てきました。 君は、彼が歩いているのを、彼の歩き方を、見てきました - 彼の歌い方、彼の、君たちへの教え方を、です。 が、君は、ナラヤンを、知りません。 理解できますか。 で、知識は、制限されています。 分かりましたか。 君が、知識より行為しているとき、 君の行為は、制限されています。 いえ、待って、次の一歩を辿ってください。 それは、制限されているとき、後悔、悲しみ、痛み、嘆きなどを、 もたらすにちがいありません。 ですね? それを理解しましたか。
28:52 学生: どうですか。
28:55 N: それは、どう、悲しみ、痛みを、もたらしますか。
28:57 学生: 知識が制限されているとき、僕たちはどう、苦しみますか。
29:02 学生: 知識が制限されているとき、私たちはどう、苦しみますか。
29:11 K: フゥー! 私はお話ししましょう。 君は、気をつけて聞くでしょうか。 適切に座ってください。 君は、聞いているとき、注意を払っているのでしょう。 で、君は、適切に座ります。 君は、制限されている知識が、 どう悲しみをもたらすのかを、訊ねていますね。 君は、その知識より何かをします。ですね? その知識は、制限されていて、小さい。 きわめて制限された知識より、何かをするとき、何が起きますか。
30:06 学生: 僕たちは、十分にそれを、することができません。
30:12 K: それは、どういう意味ですか。 進んで、君の精神、頭脳を使ってください。
30:26 学生: それは、不完全なままに留まります。
30:32 K: それは、どういう意味ですか。 進んで、押してください。 何か完全でないことを、するなら、何が起きますか。 私は、例をお示ししましょう。 ですが、私が例をお示しする前に、 考えぬいてください。 なぜなら、例は、とてもたやすい抜け道であるからです。 それは、君が考えるのを、阻止します。
30:57 学生: 何かを不完全にするなら、不満足の感覚が、あります。 不満足の感覚、です。
31:04 K: 誰が、こう言っていますか。 私には聞こえません。
31:06 学生: 不満足の感覚です。
31:08 K: ええ。さて、君が不満足であるとき、何が起きますか。
31:11 君は、不幸せなのでしょう。

学生: はい。
31:17 学生: それは、挑戦を創り出します。
31:20 学生: 挑戦を、創り出します。
31:24 N: 彼女は、こう言っています - それは、不満足へつながります。 彼は、こう言っています - それは、さらなる挑戦を、創り出します。
31:31 K: それは、挑戦として作用します。

N: はい。
31:37 K: さて、君は、それは挑戦として作用すると、言っています。 で、一分間、止まってください。 もう一人の人物は、それは君に、不満足をもたらす、と言います。 さて、待ってください。 なぜ君は、不満足ですか。 それは不満足をもたらすと、言うとき、 君がいうそれは、どういう意味ですか。 進んでください。
32:07 学生: 僕たちは、自分の仕事で幸せではありません。僕たちは、満足していません。
32:15 学生: 僕たちは幸せではありません。
32:20 K: 進んでください、お兄さん。 君は、満足がほしいと思います。 制限された知識より君がしていることは、 不満足をもたらします。 ですね? さて、不満足があるとき、何が起きますか。
32:44 学生: 僕たちは苦しみます。
32:47 K: 君は苦しみます。進んで、もっとそれに入ってください。
32:51 学生: 自分は不幸せです。
32:54 K: 君は、不幸せです。 他は何ですか。
32:59 学生: 自分がしたいことを、完成させられません。
33:04 K: そのとおりです。 そうね、あれらすべての成長した人たちは、まったく話をしません。
33:13 学生: その感じは、その仕事を二度としてはいけないと、自分に語ります。 不満足な仕事より得られる、その感じが、 その仕事を二度としてはいけないと、自分に語ります。
33:25 K: 君は、ここに出てきてください。
33:33 N: 彼は、バンガロールからです。
33:39 K: 君は、何を言っていましたか。
33:42 学生: 不満足な仕事をしたとの感じが、その仕事を二度としてはいけないと、 自分に語りますし、自分はその仕事が嫌いです。
33:51 K: それは、どういう意味ですか。 彼は、こう言っています - 君は、不満足です。 君は、後悔します。ですね? そのとき、それは、どういう意味ですか。 君は、不幸せです。 君は、悲しみの中にいます。 君は、「私はあれをしなかったら、よかった」と、言います。ですね? で、君が、何か完全でないことを、しているとき、 それは、必然的に、悲しみ、痛みを、もたらします。ですね? これを理解しましたか。

学生: はい、先生。
34:30 K: よし。 他の子は、「挑戦」と言います。 さて、君がいう、その言葉は、どういう意味ですか。
34:42 学生: あなたは、それを完成したいです。

K: 何ですか。
34:45 N: 彼は、その仕事を完成したいと思います。

K: 君はどうして完成しますか - さて、ちょっと待ってください。
34:54 君は、友だちに何かを言ってきました - 困った中から、怒りの中から、です。 君はどうして、それを完成できますか。 進んでください。 君は、怒っているとき、私を、馬鹿と呼びます。 君はどうして、私から完全に拭い去れますか - 自分が私を傷つけてきたとの感情を、です。 質問を理解できますか。 私を馬鹿と呼ぶことにより、君は、私を傷つけてきました。ですね?
35:45 学生: はい。
35:47 君は、どのように、それを拭い去れますか。
35:57 学生: 僕は謝罪できます。
35:59 K: 君は、謝罪できます。 ですね?
36:01 学生: でも、それは、傷を拭い去らないでしょう。
36:03 K: で、君は、それは傷を拭い去らないだろうと、言います。
36:07 学生: はい。なぜなら、自分はやはり、それを感じるからです。
36:09 K: 君はやはり、それを感じます。 で、私は何をするのでしょうか。 待って、考えぬいてください。 君は、私を馬鹿と呼ぶことにより、私を傷つけてきました。 そして、君は、謝罪します。 が、それでもなお、君は私を傷つけてきました。 さて、そのとき問いは、こうです - 君は、自分の義務を果たしてきました。 君は、謝罪してきました - 「ほんとにすみません」と。 が、君は、私を傷つけてきました。 私は傷ついてきました。 私は、その傷を、どうするのでしょうか。
36:44 学生: 相手の人物は、敏感であるなら、 自分は、彼のように、二度と他の人物を 傷つけないだろうと、彼に請け合えます。 それで、彼は、満足を得るでしょう。
36:55 K: こちらに来なさい。

K: 何ですか。

学生: 他の人物が、敏感であるなら、
37:08 そして、自分は二度とそうしないだろうと、彼へ請け合えるなら、 - あの人物のように、別の人物を傷つけない、と、です - そのとき彼は、精神的な満足を、得るかもしれません。 あの人物は、この間違いをすることで、改善した、 ゆえに彼は、二度とこの間違いを犯さないだろうと、です。
37:25 K: 彼女は、二度とその間違いを犯さないかもしれませんが、 彼女は、私を傷つけてきました。ですね? 私は、その傷を持っています。ですね? 彼女は、「私は別の人を傷つけません」と言うかもしれませんが、 彼女は、私を傷つけてきました。 私は、その傷をどうするのでしょうか。 質問を理解できますか。 私の質問を、理解しましたか。 私は、何をするのでしょうか。
37:55 学生: それを拭い去ろうとします。 他には、何もできません。
37:59 K: それを拭い去ろうとします。 他には、何もできません。 私はそれを、どのように拭い去るのでしょうか。 これへ注意を払ってください。 なぜなら、君たちは、みんな傷ついているからです。でしょう? 君たちのみんなが、子ども時代から、傷つきます - 物理的に、ではなく、内的に、です。 で、私たちは、傷より自由であるように、何をするのでしょうか。
38:29 学生: それについて、考えないでしょう。 傷について、考えないでしょう。 そして、なぜ他の人物が、あなたを傷つけてきたのか、 何で他の人物は、あなたを傷つけたのかを、考えます。
38:37 K: ええ。君は訊ねます - 何で、他の人物はそのように、 君へ話して、それで、君を傷つけたのか、です。 他の人物は、怒っていました。 なぜなら、彼は適切に眠らなかったから、 なぜなら、他の誰かが、彼を、馬鹿と呼んだからです。 で、彼は、それを君にぶちまける、などです。 私はまったく、それを訊ねていません。 君は、私の論点を逃しています。 私は君に、訊ねています - 君は傷ついているなら、何をするのでしょうか。
39:10 学生: なぜ自分が傷ついているかを、見出します。
39:12 K: ええ、そうです。 なぜ私は、傷ついていますか。
39:17 学生: なぜなら、自分自身についてイメージを持っているからです。 そのイメージが、傷ついています。
39:23 学生: なぜなら、自分自身についてイメージを持っているからです。
39:25 学生: そのイメージが、傷ついています。
39:28 K: ちょっと待って、ちょっと待って。 君は、自分自身についてイメージを、持っています。ですね? 君は、これを考えぬきましたか。 または、誰かが君へ、語りましたか。
39:37 学生: 僕はそれを考えぬきました。

K: 何ですか。
39:39 N: 彼は、自分が考えぬいたと、言います。
39:40 K: お見事! こちらへ来なさい。 君は下がって、彼にここに座ってもらいましょう。 君もまた、バンガロールからですか。

学生: いいえ。 

N: 彼はここにいます。
39:59 K: 彼はここにいます。さて、君はそれを、どのように考えぬきましたか。 ゆっくり、ゆっくり。 

学生: なぜなら、僕は自分自身、それを経験したからです。
40:10 学生: 僕は一度、傷つきました。僕は、なぜ自分が傷つくのかを、考えていました。 或る位置で、僕は、傷つくのは、イメージ、僕が持っているものだと、 考えました - 実際に、僕が、ではなくて、です。
40:24 K: 全くそうです。君たちは、これを聞いてきましたか。 すなわち、彼は、自分は一度、傷ついたと、言います。 彼は、「なぜ私は傷ついているのか」と、言いました。 それについて考え、見守っていて、 彼は、自らが自分自身について、イメージを持っていて、 そのイメージが傷ついていることを、見出しました。ですね? さて、ちょっと待ってください。 君たちは、これを理解しましたか。 君は、自分自身についてイメージを持っていますか。
40:54 学生たち: はい、先生。

K: ええ。いいですね?
40:59 で、君が、自分自身についてイメージを持っているかぎり、 誰かが、君を傷つけることになります。
41:07 学生: はい、先生。

K: いいですか?
41:11 これを理解しましたか。 次の問いは、こうです -どうすれば・・・ 君自身について、イメージを持たないことは、可能ですか。
41:25 学生: はい、先生。 それは可能です。 事実を受け入れます。 仮に、誰かが自分を傷つける、とします。 それが真実であるなら、それを受け入れます。終了します。
41:38 K: 何を受け入れる?
41:41 学生: 事実を受け入れます。
41:43 K: 自分が傷ついているとの事実を、受け入れる。
41:46 学生: つまり、イメージを持っていないなら、傷つかないだろう、って。
41:49 K: で、君は、自分自身についてイメージを持っていますか。 気をつけて、気をつけて、考えぬいてください。 速く答えないでください。 君は、自分自身についてイメージを持っていますか。 彼らはみんな、自分は持っていると、言いました。
42:05 学生: 僕は持っていると、思います。
42:08 K: なぜ君は、イメージを、持っていますか。 私は、君にも、訊ねていますよ、お兄さん。なぜ君は、イメージを持っていますか。
42:19 学生: 他の人物が、「あなたは大した人物だ」と、言ってくれるから、 イメージを持っています。 それで、自分自身について、自分は大したものだとのイメージを、形成します。 なぜなら、他の人物が、あなたを大したものだと呼んでいるからです。
42:29 K: で、誰かは、君に「おまえは馬鹿だ」と言います。 君は、自分自身についてイメージを持っていますか。
42:36 学生: 自分が好きなものについて、イメージを形成します。
42:39 K: いいえ。気をつけて、聞いてください。
42:44 学生: これがされるべきであると、社会により決められてきたと、思います。 それが、あなたが持っているイメージです。 誰かが、あなたを馬鹿と呼んで、あなたは、傷つきます。 社会は、あなたは馬鹿であるべきでないと、決めてきました。
42:57 K: で、社会は、イメージを持つよう、君を助けます。
43:02 学生: 僕たちは、その社会の一部です。
43:04 K: 君の親は、イメージを持つよう、君を助けます。 

学生: はい。 君の兄弟は、イメージを持つよう、君に言います。 で、君のまわりの人々みんなが、イメージを持つよう、君を助けます。ですね? そして、君自身が、イメージを持っています。 で、なぜ君は、イメージを持っていますか。 気をつけて。 気をつけて、考えぬいてください。 進んでください。君たちのみんなです。 なぜ君は、イメージを持っていますか。
43:35 学生: 何か裏に隠れられるものです。
43:39 K: 何か裏に隠れられるものです。 イメージの裏に隠れているものは、何ですか。
43:48 学生: 「私」です。
43:50 K: 「私」です。 その「私」は、何ですか。 進んでください。イメージの裏に隠れている「私」は、何ですか。
44:08 学生: 身体と精神です。

学生: 身体と精神です。

K: 待って。
44:15 で、君は、イメージの裏に、身体がある。 そして、精神が、と言っています。
44:27 学生: イメージはあなた自身だと、思います。
44:30 K: そのとおりです。 で、イメージの裏に隠れることは、ありえません。 なぜなら、「私」は、イメージであるからです。 

学生: はい。
44:39 K: 君は、それを捉えましたか。

学生: はい、先生。
44:45 K: で、君がイメージを持っているかぎり、それは、傷つこうとしています。 さて、君は、どうやって、そのイメージより、自由でありえますか。 見てください。君は、イメージを持っているかぎり、 傷つこうとしています。ですね? さて、次の問いは、こうです - イメージを持たないことは、可能ですか。
45:13 学生: 自分のイメージを見守るなら、 それが築き上がっていくのに、気づいているなら、 それは、けっして、築き上がらないでしょう。
45:19 K: いいですよ。君は、それに気づいていますか。 または、君はただ、言葉を投げているだけですか。 君は、自分がイメージを築き上げていることに、
45:31 気づいていますか。

学生: はい、先生。
45:33 K: すると、そのイメージは、傷つこうとしています。 で、君は、「私は傷ついている」と言うでしょう。 そして、傷つかないこと -イメージを集めないことは、可能ですか。 理解しましたか。

学生: それは可能です。
45:51 K: では、なぜ君は、それは可能だと、言いますか。
45:53 学生: それは、僕に起きてきたからです。 そういうわけで、それは可能なんです。 一つの事例に、それは僕に起きてきました。そういうわけで、それは可能なんです。
46:00 K: よし。一つの瞬間に、それは、君に起きました。
46:02 学生: はい。一つの瞬間、一つの特定の事例に、ではなくて、です。
46:06 K: 一つの特定の事例 - 誰かが、「おまえは馬鹿者だ」と言ったとき、 君は傷つきませんでした。

学生: はい、先生。
46:15 K: いいです。さて、でも、君は、イメージより自由ではない。
46:20 学生: 十分には、そうでない。 

K: いえ、十分には、と言わないでください。
46:25 なぜなら、君はそうであるのか、あるいは、そうでないのか、であるからです。
46:29 学生: それは、あなたはそうでなくてはいけない、という意味です。
46:31 なぜなら、仮に、誰かがそう言うことにより、僕を傷つけると、します。 おまえは背が低いとか、何かそのようなことを、です。 でも、あなたは、イメージを持っていないなら - 僕はイメージを持っていません。 だから、僕は、もう傷つきません。
46:52 K: で、私は訊ねています。 それは理解できますが、 君はどうやって、自分自身についてイメージを持たないのでしょうか。 誰かが君を、低いと呼びます。 彼は背が高いからです。
47:05 学生: それを見ます。それだけです。

K: いいえ。気をつけて考えてください。
47:11 君は、自分自身について、イメージを持っています - 背が低い、と。 君は、背が低いとのイメージを、持っているかぎり、 傷つくことになります。

学生: はい。 で、君は、どうやってイメージを持たないのでしょうか。
47:29 学生: 自分は背が低いことを知るときと、それは事実であるのを、知り、 事実を受け入れ、それについて忘れるとき、です。誰でも言える・・・
47:38 K: 気をつけて。君は、何かを言いました。すなわち、事実を受け入れる、と。
47:44 学生: 自分は背が低いなら、です。

K: 君は背が低い。
47:47 学生: はい、僕は低いです。
47:52 K: で、君は、事実を受け入れます。 イメージを、ではない。 いえ、いえ。 違いを見てください。 イメージは、思考によって組み立てられます - ですね? 社会により、君の親によって、です。 で、イメージは、事実ではありません。
48:18 学生: でも、本当に背は低いなら・・・

K: そのとおり。

学生: そして、自分より背が高い人物が、来て、 「おまえは僕より低い」と言うなら、 そして、自分は本当に、その人物より低いなら、 当然、自分は低いことを、受け入れなくてはいけないでしょう。
48:31 K: それだけです。それだけです。
48:35 学生: 自分を傷つけるのは、いつもイメージではありません。 誰かが自分に、何かを言うからではありません 傷つくのは、イメージではありません。 背丈の例を取ってください。 背が低い人物、です。 仮に、僕が行って、背が低い人物へ、 「あなたは低い」と言うことになった、とします。 その人物は、自分は低いのを、知っています。彼は、それを受け入れてきました。 彼は、自分は背が高いとのイメージを、持っていませんが、 やはり彼は、傷つきます。

K: 君はそうですか。
48:59 学生: 僕はなりません。 もうなりません。
49:01 学生: いいえ、彼ではない。誰か他の人物です。それは僕かもしれません。 僕は教室で、のろまかもしれません。 僕は、事実を受け入れますが、 誰かが来て、「おまえはのろまだ」と、僕に言うなら、 それで僕は傷つきます。
49:12 K: それは、どういう意味ですか。
49:14 学生: 僕は、自分がまぬけだという事実を、受け入れたんです。
49:17 K: いいえ。君は、事実を受け入れていません。君は考える・・・
49:23 学生: 自分は間抜けであることを、知っています。その事実を受け入れました。
49:25 K: 君は、自分が事実を受け入れたと、考えます。 私が、「おまえは馬鹿だ」と言うなら、 君は、馬鹿かもしれません。君は、それを受け入れるかもしれませんが、 君は、やはり傷つきます。
49:38 学生: はい。

K: なぜですか。
49:40 学生: 僕は、馬鹿でありたくないからです。
49:43 K: それは、君が自分自身についてイメージを持っている、という意味です。
49:50 学生: いいえ。でも、それは違っています。 自分は馬鹿でありたいとは、思いません。 自分は馬鹿ですが、馬鹿でありたいとは思いません。 自分が馬鹿でないとは、思いません。 そうありたくないんです。
50:00 K: いいえ。私は、こう言っています- 誰かが私を、馬鹿と呼びます。 私は聞きます。私は、自分自身についてイメージを持っていないなら、 それは、大事なことではありません。 ですが、私は、イメージを持っているかぎり、傷つくでしょう。 そうではないですか。ラヴィ?
50:30 学生: 僕はそう思いません。いいえ、僕は、あなたが正しいとは、思いません。
50:33 K: すると、お兄さん、君は、私が言ったことを、聞きませんでした。 私は、イメージを持っているかぎり - それが、小さなイメージでも、大きなイメージでも、 世界的なイメージなどでも、 それを持っているかぎり、私は、傷つくでしょう。
50:52 学生: それには、条件づけが関与していませんか。
51:04 K: そうです。
51:07 学生: でも、そのとき、子どもの頃より自分は、条件づけられています。
51:11 K: 待って。全くそのとおりです。 子どもの頃より、君は、 条件づけられています。 それは、どういう意味ですか。
51:19 学生: それは、親が自分に、何かを語ってきた、 社会が自分に、何かを語ってきた、という意味です。
51:23 K: そのとおりです。そのとおりです。 私は、君に何をも、語りません。 で、社会、君の親、君のおばあさん、おじいさん、 君の友だちが、君を条件づけます。 それは、どういう意味ですか。 君がいう、条件づけとは、どういう意味ですか。
51:48 学生: 自分自身へ、一種の重要性を、発達させます。 自分の関係をとおして、イメージを発達させます。
51:55 学生: 彼は、自分自身へ一種の重要性を発達させると、言っています。
51:59 K: はい。 君の条件は、君がインド人である、 君がバラモンであるか、非バラモンである、という意味です - 君は、寺院に行かなければならない、君は、技術者にならなければならない、 君は、お兄さんやお姉さんほど良くないが、 君は、弟より良い、などと、です。 次第に、君の親、社会、環境が、 君の精神を、形作ります。 いいですか? いいですか? 座り込まないでください。 誰がそれを言ったにせよ、考えぬくのを、つづけてください。 で、君の親は、君を条件づけてきました。 ですね? さて、君は、その条件づけより、自由であるのでしょうか - そして、別の条件づけに陥らないのです。
52:52 学生: 実在を見ることによって、だけです。
53:02 K: 何の実在を、ですか。
53:07 学生: 何であれ、自分のそれを、です。
53:10 K: 進んでください。君は、完璧に正しいよ。もっと説明しつづけてください。
53:14 N: 彼女は、言います - 自分が何であるかの実在を、です。
53:17 K: 君が何であるかの実在を。 君は、何ですか。 考えぬいてください。
53:27 学生: あなたは、あなたのイメージです。
53:33 学生: 彼は、あなたは、あなたのイメージだと、言います。
53:39 K: 私のイメージですか。

学生: あなたは、あなたのイメージです。
53:45 K: 全くそのとおり。あなたは、あなたのイメージです。全くそのとおりですね。
53:52 あの子は、どこにいますか。 ああ、君は、そこにいますね。 あまりに多くいます。君はここに来て、座りたいですか。 で、君はまだ、私の質問に答えていません。 君は、自分自身についてイメージを、持っています。 君は、イメージを持っているかぎり、傷つこうとしています。ですね? さて、君はどうやって、そのイメージより、自由になりますか。
54:21 学生: 再び始めます。 それが可能であるなら、まさに最初から、再び始めます。
54:27 学生: それが可能であるなら、まさに最初から、再び始めます。
54:30 K: 君は、イメージを持っているなら、 まさに最初から、どのように始められますか。
54:40 学生: 私が自分自身について持っているイメージは、 幾年もかけて、私が収集してきた何かです。 私の記憶は、私のイメージにおいて役割を果たします。 なぜなら、私は、それに取りすがるからです。 私が自分の記憶とともに生きなくてこそ、 私のイメージは、成長するのを止めます - 私が、自分の過去とともに生きなくて、今とともに生きるときだけ、です。
55:04 K: ええ、それはどういう意味ですか。 何か現実的なことを、言ってください。 理論的なことでなくて、です。 何かを考案しないで、自分が言っていることが、 真実であるのを、見てください。
55:26 学生: 私が今とどの瞬間にも経験すること、 私が経験すること - 私は、それを、経験に任せておきます。
55:38 K: 君は、経験すべての結果ではないですか。
55:48 学生: それは、こういう意味だと、思います - あなたが、或る人物を見つめていたり、何でも見つめているとき、 「彼はすでに、私にこれをした。 彼はすでに、私にあれをした」と 考えるべきではない、と。 それは、記憶が役割を果たしています。 その時に、彼を見つめます。
56:03 K: ええ、全くそのとおり。 さて、君は、そうできますか。
56:11 学生: 僕は、やってみましたが、けっして、できませんでした。
56:17 K: 君は、何をできなかったんですか。
56:19 学生: 人物を見つめることと、 彼が前に私にしてきたことについて、考えないことが、です。 僕は、その人物を見つめるやいなや、 彼が僕にしてきた、良いこと、悪いことすべてについて、考えます。
56:28 K: そのとおり。すなわち、君は私を見つめます。 私が君に、何か害をしてきたなら、 君は、その記憶を、持ち運びます。 待って、待って。 君は、その記憶をとおして、私を見つめます。明らかですか。 私は君に、害をしてきました。 君は、それを憶えています。 そのスクリーンをとおして、君は、私を見つめます。 で、君は、けっして私を見つめません。 スクリーンをとおして、私を見つめますね。 で、君はどうやって、スクリーンなく、私を見つめるのでしょうか。
57:05 学生: 僕たちが、あなたについてイメージを持っていないなら、です。
57:11 K: 君は、私についてイメージを持っていませんが、 私は、自分自身について、それを持っています。
57:18 学生: 双方がイメージを持たないときだけ、それは、可能です。
57:22 K: そうなんです。君は、何かを言ってきました - 君がイメージを持っていなくて、 私が自分自身についてイメージを持っていないなら、 私たちはけっして、互いに傷つけあえません。いいですか? それなら、君は、イメージを持たないでしょうか。 進んでください、お兄さん。 頭を垂れないでください。 それに入ってください。なぜ君は、イメージを持っていますか。 君がイメージを持っていないなら、何が起きますか。
58:00 学生: 僕は傷つきません。
58:03 K: いいえ。私はイメージを持ちません。何が起きますか。 君は、傷つかないだろうだけでなく、何が起きますか。
58:17 学生: その人物を見つめます。
58:19 K: いえ、いえ、お兄さん。 気をつけて、聞いてください。 仮に、私は自分自身についてイメージを持たない、とします。 君は、私を傷つけられません。 が、私の精神には、何が起きますか。 私はイメージを持ちません。 私の精神は、何ですか。
58:41 学生: それは、現在にあります。 それはちょうど、現在です。
58:47 K: それはちょうど、現在です - それは、どういう意味ですか。
58:50 学生: 現在。

N: それは、現在にある。
58:54 K: ええ。君がいうそれは、どういう意味ですか。
58:58 学生: 自分がしていることを、つづけてゆきます。 他の何についても、考えません。 自分がしていることを、つづけていくだけです。
59:05 K: すなわち、君は現在のみに、生きているのです - 過去なしに、ですね?または、未来なしに、です。 これは、君にとって、観念ですか。 または、現実的ですか。
59:25 学生: イメージを持たないことが、可能であるなら・・・
59:29 K: いいえ。 私は訊ねています - 君は、イメージを持っていませんか。

学生: 僕は、イメージを持っています。
59:34 K: では、それについて、話さないでください - それを持っていないなら、と、です。 いいですか?

学生: 観念だけです。
59:44 N: すると、それは観念ですと、彼は言います。
59:46 K: そのとおりです。 観念だけです。
59:48 そのような観念は、無価値なのでしょう。 それは、重要性を持ちません。 重要性を持つのは、君が、 君たちのみんなが、イメージを持たないことです。 なぜ、君たちは、私に訊ねないのですか。 進んでください。 なぜ、君は、私に訊ねないのですか - 私が自分自身について、イメージを持っているのかどうかを、です。

学生: あなたは、イメージを持っていますか。
1:00:19 学生: あなたは、イメージを持っていますか。
1:00:22 K: 君は、私にそれを訊ねていますか。なぜですか。 なぜなら、私が君に、私へ訊ねるよう、頼んだからですか。 君は、何と考えますか。
1:00:37 学生: あなたはイメージを持っていると、僕は思います。
1:00:40 K: 何ですか。 

学生: 彼は、あなたはイメージを持っていると、思います。
1:00:43 K: どうやって知りますか。
1:00:46 学生: 僕があなたとで経験した何かのせいで、です。
1:00:53 学生: 彼があなたとで経験した何か、です。
1:01:01 K: 理解できます。彼がいうそれは、どういう意味ですか。 それは、君が私に対してイメージを投影してきた、 君は、そのイメージを見る、ということですか。 質問を理解できますか。 君は、私にイメージを被せてきました。 君は、「ええ、あなたはイメージを持っている」と言います。 なぜなら、私は演台に座る、 ですね?私は話をする、 私はたまたま、世界中を回って行く、 そして私は、一定の評判とそれらを持っているからです。 で、君は、私についてイメージを持っています。ですね? 私は、自分自身について、イメージを持っていないかもしれません。 これらに、付いてきていますか。 で、私は君に、訊ねています - 君は自分自身について、イメージを持っているのかどうか、です。 君は、持っています。ゆえに、君は、何をするのでしょうか。 それを保っておきますか。そして、余生の間、傷つきますか。 それは、ばかげていますね?ならば、それを取り除いてください。 そのようなものだと、言わないでください。 君が、今、「どうやって、イメージより自由であるかを、 言ってください」と言うなら、私は、君に言いましょう。 ですが、君たちは、私にその質問をしません。
1:02:32 学生: でも、僕たちが自分自身、それを見なくてはいけません。
1:02:34 K: 全くそのとおりです。 が、私はそれを、君に指し示せるし、君は自分自身、それを見られますね。
1:02:41 学生: では、それを、僕たちに言ってください。
1:02:45 N: それを言って、私たちに知らせてください。どうぞ、私たちに語ってください。
1:02:52 K: 君は、本当にそれを知りたいです。
1:02:54 学生たち: はい、先生。

K: それは、どういう意味ですか。
1:02:59 学生: 僕たちは、あなたに聞かなくてはいけない、ということです。
1:03:02 K: 君は、私に聞くだろうだけでなく・・・ 

学生: 注意を払う。

K: 君はまた、彼が言うように、注意を払うでしょうが、 聞く中で、君は、自分のイメージより自由になろうとしています。 ですね? 「ええ、私はあなたに聞きましょう。それはとてもすてきですが、 私はその終わりに、まだイメージを持っています」と言うのでは、何にもなりません。 ですね? それは、何の意味もない。ですね? で、君は、私が言っていることに、注意を払うのでしょうか。 そして、自分はイメージを持っているかを、見出すのでしょうか。 君がイメージを持っているのなら、なぜイメージを持っているかを、見ましょう。 そして、それより自由であることは、可能でないのかどうかを、見ましょう。 いいですか? 君は、何を、イメージと呼びますか。 君が、「私はイメージを持っている」と言うとき、それは、どういう意味ですか。
1:04:05 学生: 何かあなたである・・・
1:04:07 K: 気をつけて、気をつけて考えぬいてください - で、それが、君にだけでなく、あらゆる人に、通用するように、です。
1:04:13 学生: 条件づけです。
1:04:16 K: ええ、自分の条件づけです。 それは、どういう意味ですか。

学生: 私の中の良いものと、悪いものです。
1:04:26 私は、自分自身についてイメージを持っています - 私は、何について良いかと、何について悪いかの、です。
1:04:31 学生: 彼女は、自分自身について、イメージを持っています - 彼女自身について、何が良いのかと、何が悪いのかについて、です。
1:04:42 K: そうね、あのお嬢さんは、聞いていませんでした。 彼女はただ、何が良いのかと、何が悪いのかの観念を、持っています - それは、イメージの一部です。ですね? で、私は言います - なぜ、君はイメージを持っていますか。 そのイメージは、君の親、等々により、創り出されてきました。 さて、君は、それを知っていますか。 いえ、待って、気をつけてください。 または、それは、君が自分は知っていると考える観念ですか。
1:05:15 学生: 僕は、自分がイメージを持っていることを、知りません。
1:05:18 K: 私が言ったことを、理解しましたか。

学生: あなたは、「自分がイメージを
1:05:21 持っているのかどうかを知っていますか」と、仰いました。
1:05:23 K: 君は、自分がイメージを持っているのを、知っていますか。 または、自分がイメージを持っているとの観念ですか。 違いを理解できますか。 分かりますか。
1:05:37 学生: 僕たちは、それを知っています。 

K: 待って、お兄さん。
1:05:42 学生: 僕たちのほとんどは、それを知らないと、僕は思います。それは観念だけです。 なぜなら、僕たちは、それを見るなら、落とすからです。
1:05:46 K: いいえ、君は、私が言ったことを、聞いていませんでした。 君は実際に、これを知っていますね? 

学生: はい。
1:05:56 K: でも、君は、それについてイメージを持っています。 君がイメージを持っているとして、観念は、それではありませんね。 それは分かりますか。 良い子だ。利巧ですね。 で、君は実際に、自分がイメージを持っていることを、知っていますか。 または、自分はイメージを持っているとの観念ですか。
1:06:17 学生: それは、観念です。

K: そうなんです。
1:06:25 さて、それは観念であるなら、それは、現実的ではない。ですね? さて、君は、観念を脇に置いて、現実に向き合えますか。
1:06:38 学生: 僕たちは、自分がイメージを持っているのかいないのかを、 どうやって知るのかを、語ってもらえますか。
1:06:42 K: 私は君に、訊ねています - 君はイメージを持っているのか、それは観念なのか、現実的なのか、です。 君がリシ・ヴァレーにいることは、観念ですか。
1:06:54 学生: いいえ。僕たちは、ここにいます。

K: 私たちは、ここにいます。
1:06:58 同じように、君は、自分がイメージを持っていることを、 知っていますか - 現実、です。
1:07:06 学生: おそらくは。

K: おそらくは、ではない。
1:07:15 学生: 誰かが、小さな形で自分を傷つけるとき、
1:07:19 それを深刻に取りません・・・
1:07:22 K: 私は、それについて、話していません、お兄さん。 私たちは、それを越えていきました。 私は、君に、自分がイメージを持っていることを、知っているのか - 知っているのかどうかを、訊ねています。 または、それは、自分はイメージを持っているとの、観念ですか。 それは、こういう意味です- いいかな、気をつけて聞いてください - 君は、事実とではなく、観念とともに、生きてきました。ですね? 君の教育すべては、事実でもって、ではなく、観念でもって、です。 観念は、事実より重要になります。 で、私は君たちに、訊ねています - 君は、自分がイメージを持っているとの事実を、見つめていますか。
1:08:31 学生: それは本当に、事実ではありません。なぜなら、仰ったように、 経験全体が、観念であるからです。 で、あらゆる物事が観念であるなら、 自分のイメージもまた、観念であるにちがいないです。
1:08:42 K: で、君は、観念の中に生きているだけです。 で、君は、イメージでもって、生きていません - それは、観念なのかもしれません。 分かりますか。

学生: それを繰り返してもらえますか。
1:08:59 K: 君のイメージは、観念なのでしょう。
1:09:06 分かりますか。 待って、気をつけて聞いてください。 すべての宗教は、一組の観念です。 君の行為は、観念の中から、生まれます。 君の教えは、一つの観念を、別のへ変容させることです。 で、君の精神の仕組み全体が、観念の上に、築かれています。 で、君のイメージは、観念なのかもしれません。ですね? さて、君はどうやって、その観念より自由であるのでしょうか。 君は、自由でないなら、傷つこうとしています。
1:09:59 学生: あらゆる物事を、事実として見る- 事実である物事すべてを、です。
1:10:04 K: いいえ。お兄さん、観念は、事実ではないよ。
1:10:06 学生: ええ。でも、事実である物事すべてを、見つめます。
1:10:08 K: で、君は、どのように、それを見つめるのでしょうか。 それがどんなに困難なのかが、分かりますか。 理解できますか。君の精神が、何をしてきたのかを、見てください。 それは、観念とともに、生きてきました。 で、それは、君自身について観念を、創り出してきました。 その観念は、イメージの構造、動きです。ですね? そして、君は突然に、悟ります- 自分の生すべては - 君が、ではない。 君はまだ、若い - 自分の生すべては、観念でしかないことを、です。 それの悲劇が、見えますか。 それがすべてです。 そこに留まってください。 今朝は、それで十分です。 私たちはみんな、疲れつつあります。 さて、快適に座ってください。 さて、眼を閉じる前に、見出してください - なぜ自分は、考えているのか、自分は、何について考えているのか、 自分は、何の原因や起源から、考えているのかを、です。 さて、目を閉じて、それを解き明かしてください。 よろしいです。