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RV80DS4 - 自由、責任と規律(修練)
学生たちとの議論、第4回
インド、リシ・ヴァレー
1980年12月17日



0:20 クリシュナムルティ: 私たちは、何について、話しましょうか。
0:23 学生: 前回、止めたところから、つづけられますか。
0:26 K: 私たちはどこで、止めましたか。
0:28 学生: 不安全について、です - 自分が何かに気づいているときの、です。
0:36 K: 私は憶えていません。もう少し説明してくれるでしょうか。
0:40 学生: 僕はこう言いました - 僕は、何かに気づいているとき、 その瞬間に、とても不安全です。 それが、僕たちが止めたところです。
0:52 K: ピンと来ませんね。 おそらく私たちは、それを持ち込めるでしょう。 不確実性、不安全を、 私が話そうとしていることとともに、です。 いいですか? 生において、これら三つの要因を理解することが、 とても重要であると、私は思います - 自由、責任と、規律です。 これらを理解できるなら - 単に言語的にとか、知的にとかだけではなく - 本当に、その問い、これら三つの要因に、入るのです。 自由、責任と、規律です。 私たちのほとんどは、自分たちは自由であると、考えます。 私たちのほとんどは、自分たちが自由であると考えて、 何でも好きなことを、したいと思います。 ですが、私たちは自由ですか。 どうぞ、これは対話です。 君と私は、ともに話し合っています。 私たちは、そもそも自由ですか。 または、自由は、事実ではなくて、単に観念ですか。 私たちは、選択できるとき、自由が存在すると、考えます。 これらに、付いてきていますか。 私たちは、選択できるから、自分は自由であると、考えます。 インドでは、一つの町から別のへ、 一つの職から別のへ行けるからです - いつでもそうしたいとき、自分の経歴を変更するため、 サンニャーシになるためや、ならないために、です。いいですね? で、私たちは、これとあれとの間で、選択できる能力において、 自分は自由であると、考えます。ですね? 私たちはまた、内的に、心理的に自分は自由であると、考えますが、 私たちは、自分たちはいったい自由であるのかどうかを、訊ねています - または、私たちはプログラムされているのか、です。 その言葉に、付いてきますか。 私たちは、その言葉を理解しました。 私たちはそれを、 ここでの過去三、四回の講話の間、充分に使ってきました。 私たちは、ヒンドゥーであるよう、プログラムされています。 私たちは、イスラムの人々、またはキリスト教徒であるよう、 プログラムされています。 私たちは、共産主義者であるよう、 社会主義者、資本主義者であるよう、プログラムされています。ですね? それで、私たちの精神は、条件づけられています。 コンピューターが条件づけられ、プログラムされているように、です。 さて、精神がプログラムされているとき - それは、「私はヒンドゥー教徒だ」、「私はイスラム教徒だ」と言います。 「私はキリスト教徒だ」、「私は仏教徒だ」、 「私はこれだ、私はあれだ」と - そのとき、君は自由ではありません。 分かりますか。 なぜなら、私たちは単に反復しているからです。 これは分かりますか。 この点は、はっきりしてください。 プログラムすべてより自由である精神だけが、自由な精神です。 これは分かりますか。

学生: はい。
5:34 K: よし。私はうれしいです。 少なくとも、一人はこれを理解します。 で、私たちは、囚人であるから、自由になりたいのです。 その自由は、牢獄の対極です。 ですが、その対極は、自由ではありません。これらを分かりますか。 君たちの精神を行使してください。 さあ、動いてください。 これを理解できますか。 で、精神は、プログラムに、結論に、信念に、 執着に、捕らわれていないとき、 自由であるだけです。 私は、神が存在するとの観念に、執着しています。
6:45 学生: もう一回、自分自身をプログラムしつつあります - 神があると信じるように、です。

K: そうなんです。
6:50 私は信じています。 ですね? また私は、自分が正しいとも、信じています。 また私は、自分の経験が私に、そうだと語ってくれる、とも言います。 理解できますか。 これらすべては、 精神が自由でないことを標示する要因です。 私たちは、自由でないので、自由になりたいと思います。 理解できますか。どうぞ、これに、少し注意を、払ってください。 私は自由でないが、私は自由になりたい。 すなわち、私は牢獄の中にいます。私は牢獄より、逃避しなければなりません。 私は、自分の牢獄を放棄しなければなりません。 で、自由はそのとき、何か私がほしいものになる。 なぜなら、私は囚人であるからです。
8:07 学生: その牢獄から逃げる - 自分にとって、それが自由です。
8:10 K: ですが、牢獄を持っていないなら、私は自由です。 私は、自由になりません。 私は、自由を探し求めません。 ですが、私は、自分の牢獄の格子を、知るなら - それらは、信念、先入観、意見、執着です - そのとき、私は、それより自由であるなら、自由です。 私は、自由を探し求めません。 これを理解できますか。
8:50 学生: すでに、その牢獄の外側にいます。
8:52 K: 私は、自由について、話しさえしません。
8:56 学生: あなたは、こう仰っていますか - 牢獄の外側へ出ようと決断する中で、自分はやはり、その内側に留まっている、と。
9:05 K: いいえ。
9:06 学生: 自由を探し求めるなら、やはり不自由に留まります。
9:11 K: 私が言うことは、聞こえましたか。 すなわち、私は、牢獄の中にいて、いつも自由を探し求めているのです。 ですが、私は、自分の牢獄の本性が何であるかを、見出しません。 理解できますか。 私はそれを理解するとき、 私が、牢獄の状況、条件より自由であるとき、 自由がある。 私は、それを探し求めなくていい。 どうぞ、これは理解することが、重要です。 なぜなら、今、世界では、あらゆる人が、自分は自由であると、考えるからです。
9:59 学生: あらゆる人にとって、その感じはちょうど、 自分たちは一つ所より別へ自由に動ける、というものであるからです。
10:05 K: それで、彼らは、社会の中に、あらゆる種類の矛盾を、持っています。 私たちの一人一人が、自分の好きなことを、しています。 ゆえに、互いとの葛藤、抗争になっています。 そして、全体主義の国家が、あります。 (ソヴィエト・)ロシアと、 (東)ヨーロッパの地域と、中国の地域のように、です。 そこでは国家が、あなたは自由でないと、言います - あなたたちは、私たちが言うことを、しなければならない、と。 ですが、精神はいつも、自由を探し求めています - 痛みからの自由、悲しみからの自由、 心配からの自由を、です。 理解されますか。 これが、精神がいつの時もやっていることです - あらゆる問題から、あらゆる重荷から、 あらゆる痛みから、自由になりたがっています。 身体的とともに、内的な痛みからです。 で、私たちは、自由とは何かを理解するのなら、 それを理解するには、それを生きるには - すなわち、私が信念に、人物に、住宅に 執着しているなら、私は、自由ではありません。 私は、ではなく、自由はありません。
11:39 学生: なぜ、そう仰りますか。 あなたは初めに、自分は自由ではない、と仰った。 その後、あなたは、自由はない、と仰った。
11:48 K: 全くそうです。 私は、話を訂正しました。 すなわち、それは、「私は自由である」ではない。 ただ自由だけが、ある。 私が執着です。ですね?私が信念です。 私がヒンドゥーです。 私が、神を信じています。 私が、この場所に執着しています。 私が、自分の妻に、執着しています。 私が、自分の信念に、執着しています。 で、そのすべてが、私です。 私が執着しているなら、「私」は、けっして自由ではありません - 分かりますか。 これらを理解されますか。よし。 で、そのとき、初めに進んで、自由が何かを、究明していいかもしれません - 私たちがちょうど今、してきたように、です。 なぜ人間たちは、世界中をとおして、執着しているのか - 神に、住宅に、自分の妻に、自分の家族に、 信念に、自分の経験に、です。 理解されますか。なぜですか。 さて、ちょっと待って、ゆっくり行ってください。 君は、何かに執着しているでしょう。
13:22 学生たち: はい。
13:26 K: なぜですか。

学生: 安心を感じます。
13:29 K: 考えぬいてください。 きわめてゆっくり行ってください。 他の誰かが言うことを、反復しないでください。
13:38 学生: それから安全を得られます。
13:46 ナラヤン: 彼は、執着から安全を得ます。
13:50 K: 君は、こう言っています - 自分は、執着に安全を、見つけている、と。ですね? ゆっくり行って、考えぬいてください。 私は、この住宅に執着しています。 なぜなら、住宅の中に、安全があるからです。ですね? 住宅は、私を保護してくれます。 私に・・・それらを、与えてくれます。 それに、私は執着しています。その執着に私は安全を見つけます。ですね? 気をつけて。気をつけて、考えぬいてください。 私は信念に、執着しています。
14:33 学生: その信念の中に、僕は安全を見つけます。
14:35 K: そこに私は、安全を見つけます。
14:39 学生: 私は執着しているなら、安全を見つけません。 なぜなら、自分の執着の対象を失う恐れが、あるからです。 恐れがあるなら、安全はありません。
14:52 K: それで、君は、見出そうとしています。 君はそれを、見出したのですか。 すなわち、私は、信念において、安全をほしいが・・・
15:07 学生: ・・・安全がありません。
15:09 K: ありますか。 考えぬいてください。 ないと、言わないでください。 私は、天国がある、と信じています。ですね? あなたがやってきて、「なんという戯言か」と言います。 ですが、私は、立て籠もっています- その言葉を理解できますか - 深く条件づけられています。 天国があるのだ、と。 私は、君に聞くのを、拒絶します。
15:57 学生: ですが、同時に、あなたは揺すぶられます。
15:59 K: ですが、私はそれを、聞いてきました。 気をつけて。 考えぬいてください。 私は、天国を信じています。 あなたが、やってきて、 「見なさい。そんなものはないよ。 お兄さん」と言います。 「戯言だ」と。 ですが、私は、あの発言を聞いてきました。ですね? で、それは、私を動揺させはじめます。 で、私は、自分の信念を、問いはじめます- 私が生きているなら、です。 しかし、私は死んでいるなら、 私は、聞きもしないなら・・・何も言うことは、ないですね。 ですが、私は聞いた瞬間、読んだ瞬間、 懐疑的になった瞬間、そのことは、不確実になりますね。 これに、付いてきていますか。 で、信念に、幻影に、私は安全を、探し求めてきました。 ですが、今、私は、安全がないことを、見つけます。 で、私は、不安定になる。 ですね? それは、私が気づきつつある、という意味です。 あなたは、質問を出しました。 私は、気づきつつあります- 私の信念の中、 私の迷信すべての中、私の幻影の中に、 何の安全もない、ということに、です。 で、私は、とても不安定に感じます。 私は、自分の不安定さに、気づきます。ですね? そのとき、何が起きますか。 気をつけて、考えぬいてください。
18:03 学生: 僕は、他の何かに、安全を見つけるのを、試しますが、 そのとき、それは、進みつづけます。
18:08 K: 気をつけて聞いてください。 気をつけて見てください。 私は、天国、解脱、その他すべてを、信じています。 キリスト教徒は、自分の天国を持っています。イスラム教徒は、 自分の天国を持っています。 で、私は、天国を信じています。 あなたがやってきて、私に、「なんて戯言だ」と言います。 私は動揺します。それで私は、不安定になります。 動揺は、私の不安定の標示です。 ですね? で、不安定である精神に、何が起きますか。 考えぬいてください。私に答えずに、自分の精神を、見守ってください。

学生: 自分の精神が不安定であることが、分かるとき、
19:08 僕は、二つのことをできます。 自分の精神が不安定であることが、分かるとき、 僕は、二つの道を行けます。 一つは、僕は別の安全を探し求める、というものです。 または、別の道は、安全を探し求めることは、 何の安全をも与えてくれないことを、自分は見る、というものです - 安全を探し求めることこそが、間違っている、と。 それは、自分に安全を与えてくれません。 

K: いえ、いえ。
19:35 正しいとか、間違っているとかの言葉を、当分は、使わないでください。 私たちは、究明しています。 よろしいですか。 君は、悟りましたか- ちょっと待って - 君は、見出しましたか。 不安定があるところ - 君は、前に安定していましたが、 今、不安定になりました。 なぜですか。
20:10 学生: 問うてきたからです。
20:13 K: 待って。 問うてきたから - それは、どういう意味ですか。
20:18 学生: 執着するのを、止める。

K: 待って、聞いてください。
20:21 君たちは、みんな速すぎます。 ゆっくり行ってください。
20:24 学生: それは、それが、自分の牢獄から抜け出てきた 最初の局面だ、という意味ですか。
20:30 K: 見てください。君は、気をつけて見守っていません。 いいですか。私は、自分の崇拝において、自分の神において、 自分の天国において、安定していましたね。 それが私に、快適さ、慰めを与えてきました。 あなたがやってきて、「それらは何という戯言か」と言います。 私は動揺しています。ですね? 私は、なぜ自分が動揺しているかを、問いはじめます。 前に私は、問うたことがなかったが、今、私は問うています。ですね? 今、ちょっと止まってください。 問うている、君の精神の状態は、何ですか。
21:25 学生: 精神が問うているとき、それは、どの信念にも、填まっていません。
21:30 K: いいえ。問うているんです。

学生: はい。
21:32 K: お兄さん、君は質問を、理解していません。 問いはじめる、君の精神の状態は、何ですか。
21:43 学生: 鋭敏です。

K: 目覚めていますね?
21:47 学生: はい。 

K: ですね? 鋭敏で、気づいています。
21:54 前に、それは、受け入れました。 眠りに就きました。 それは、天国がある、神がおられる、と言いました - 供養がある、 これがある、あれがある、私はとても幸せだ、と。 すなわち、私はむしろ鈍く、眠たくて、懐疑的ではないですが、 私は問うた瞬間、目覚めはじめます。 さて、ちょっと待ってください。 私は、問うた瞬間、目覚めはじめます。 それは、どういう意味ですか。
22:28 学生: 気づきます。
22:30 K: 私はそれに気づくと、私たちは言いました。 それは、どういう意味ですか。
22:34 学生: 自分自身で考えはじめました。
22:44 K: それだけではない。 気をつけてください。 自分自身で考える- それは、危険な発言です。 自分自身で考える、というようなことは、ありません。 ただ考えることが、あるだけです。 これは、あまりに困難です。 私は君たちを、一歩一歩、連れて行くでしょう。 私は、自分の信念の中、とても幸せで、満足し、盲目的だったのです。 あなたは、私に問います。 あなたは、それを疑います。 あなたは、私の精神に、疑いを持ち込みます。 そのとき、何が起きましたか。 私は目覚めています。 私は目覚めています。 それは、何を標示しますか。 眠らないでください。 それは、何を標示しますか。
23:54 学生: 私は物事を、違ったように見つめます。
23:57 K: 見つめるのではない。お姉さん、私は、君に訊ねています。 精神に、何が起きたのですか - 信じてきて、揺すぶられて、 問いはじめている君の精神に、です。
24:15 学生: 安全は、安全の思考は、失われています。 信念において、自分は安全だと、考えました。
24:23 K: 私はそう言いました。
24:25 学生: で、それは揺すぶられるし、それから、それをもう持ちません。
24:34 K: いいですよ。君は、それをもう持ちません。 それは、どういう意味ですか。
24:38 学生: あなたは、またもや不安全です。
24:43 K: はい。私はそれを言いました。 私は君に、訊ねています。 君が、問うていて、疑っているとき - いいですか? - それは、何を標示しますか。
25:00 学生: 僕たちはちょうど、それは目覚めを標示することを、言いました。
25:04 学生: それは、自分に自信がないことを、標示します。
25:12 学生: そういう精神には、葛藤がないですか。
25:14 K: いいえ。いいですよ。 私は、君たちを手助けしましょう。 私は、眠ってきました。 あなたが来て、私を目覚めさせます。 目覚めることは、何ですか。 智恵の始まりです。 いいですか・

学生: はい。
25:38 K: なぜ君は、そう言わなかったの? 私は不安定だ、私はこれだ、と言う代わりに、です。 それは、問わない精神です - 懐疑的でなく、要求、挑戦していない精神です。 そういう精神は、眠っています。 ですが、それは、挑戦し、問い、要求しているとき、 それは、目覚めています。 それは、智恵の始まりがある、という意味です。 ですね?分かりますか。 さて、君は、その智恵を持っていますか。 「君が持っている」ではない。 その智恵は、働いていますか - 君はけっして、何をも受け入れなくて、問い、探検しているだろう - それで、君の精神がいつの時も、目覚めているように、です。 君は、試験に通り、職を得て、その職で腐るのではない。 理解できますか。 で、自由は - 私たちがいう自由とは、どういう意味かを、今、君は理解しますね - 君は、自分の牢獄、自分の社会、自分の宗教、 自分の導師を問うているのです。 そのように、君は始めます -よろしいですか。 そのとき君は、自由が何であるかを、見出します - どうやって自由になるか、ではない。
27:33 学生: そのときだけ、問いはじめます。

K: もちろんです。

学生: 本当に、自分の牢獄の境界を、見出します。 

K: もちろんです。ですね?
27:41 さて、自由、責任、です。 君は、責任を持つとは、どういう意味かを、知っていますか。
27:55 学生: 自分自身で考えることができることですか。 

K: いえ。
28:00 K: 私は、教師として、教育者として責任を持っています - 君たちに、歴史の事実を語るべきだということ、ですね。 それが、私の責任です。
28:14 学生: それは自分の義務だと、言えますか。
28:17 K: いいえ。私は、その「義務」という言葉を、使わないでしょう。 私は、よく気をつけて、その言葉を使っています。 私は、自分が君に、自分の先入観でなく、事実を語るという責任を、持っています。 理解できますか。 私は、子どもを持っているなら、 彼らが教育を受けるよう、見届ける責任を、持っています。 私は、君たちが良い食事をとるよう見届ける責任を、持っています。 私は、ここにいるなら、 君たちが世の中、自然を見つめるよう、見届ける責任を、持っています。 君は、その言葉の意味を、理解できますか。 私は、責任を持っています。 君は、意味を理解しますか。
29:14 学生: 関心ですか。
29:17 K: それは、少し後に来ます。 初めに、私は、「何ともはや、これは私の責任だ」と、感じます。 「私は、この場所の世話をしなければならない」と。ですね? ナイドゥさんのように - 彼は、この場所に、責任を感じます。 彼は、樹を植えたい、水を見つけたい、 人々に支払いたい、働きたい、 この場所を美しくし、自活できるようにしたいのです。 それが、彼の気づかい、彼の責任です。ですね? 分かりますか。
29:53 学生: でも、なぜ、それは義務だ、と仰らないんですか。
29:59 K: 義務とは何ですか。 それは、私の義務ですか。

学生: 何か必ずすべきことですか。
30:07 K: いいえ。ちょっと待って。 国への私の義務 - いいですね? 私は兵士です。私の義務は、上官が言うことに、服従することです。 ここで私は、義務を受け入れません。 私は責任を持っています。
30:30 学生: はい。
30:32 K: ニュアンスが、分かりますか。 私は、ここにいるとき、責任を感じます - リシ・ヴァレーのようなこの場所が、地上で最も美しい場所であり、 そこで、君たちのような人々が、成長し、花開き、智恵を持ちつつあるように、です。 で、私は責任があります。 私は責任がありますが・・・ 次の一歩。次の一歩へ行きます。 すなわち、 私は、自分がすることに、全面的に責任があります。
31:12 学生: 責任は気づきですか。
31:14 K: いえ。 部分的に・・・そうね。 今、気づきを導入します。 いいですね? 当分の間、私はむしろ、それに入らないでしょうね。 私は責任があります - 君たち、学生が、 きちんと食べて、きちんと服を着て、 きちんと礼儀作法を持つように、君たちが、適切に英語を話すように、 君たちが、谷のこれら美しさを見つめ、敏感であるように、です。いいですね? さて、それが一つのことです。 すなわち、私は君に責任がある。
32:00 学生: 同時に、自分自身に責任がある。
32:03 K: 待って。君はこれを理解しましたか。 私は、君に責任がありますが、 また私は、全的に自分自身にも、責任があります。待って! それは、私は社会に依存していない、という意味です。
32:19 学生: または、誰にも、です。
32:22 K: 私は、自分自身に、自分の振るまいに、責任がある。 私は、言い訳を見つけません。 私は、「それは私のお父さんです。 私のお祖母さんです。 そのことで、私に何ができますか。社会が私に、こうしてほしいんです」と言いません。 これらを理解できますか。君がこれらを理解できるのかどうかと、思われます。 これを理解することは、とても重要です。ですね?
32:47 学生: 私は、自分自身に責任があると感じるなら、それは、 私は、自分がしたいことや、したいだろうことを、 していないだろうと理解する、という意味です。 自由は、何か全然違ったものを、意味しています。
33:03 K: それがすべてです。私はそれを指摘してきました - 自由、です。 今、私は、責任について、話しています。 見てください。私たちは、人間たちは、この社会を、創り出してきました。 ですね? それを理解できますか。 腐敗、不正、貧困。ですね?そのすべての腐敗。 私たち、人間が、それを創り出してきました。 私は、それを創り出さないように、責任を持たなければなりません。 それは、私は、腐敗しないように、自分自身に責任を持つ、という意味です。
33:52 学生: 残りの社会とともにやっていかないように。
33:55 K: 「お父さんが、僕にこうしてほしいんだ。僕はそうしよう」と言わずに、です。 または、「社会が、僕はこうしなければならない、と言う。 僕はそうしよう」と言わずに、 私は全的に、自分自身に責任があるのです - 私は完全に、自分自身で考えているように、です。 私は、誰かが言うことを、反復していない。よろしいですか。 無責任なのは、受け売りの人々です。 私が言ったことを、理解できますか。
34:35 学生: それは、自分が責任を持っているのを、 自分自身で見出すべきだ、という意味ですか。
34:41 K: はい。 ですが、今、私たちはみんな、受け売りの人々です。 すなわち、私たちは、他の人たちが言ってきたことを、反復します。 他の人たちは、「私は神を信じている」と言ってきました。 君もまた、「私は神を信じている」と言います。
34:55 学生: それは今、変化させられますか。
34:59 K: そうしてください - 私が今、話しているときに、です。 全的に責任を持ってください - 君の教師が、君に、 「7時に起きなさい」と言わなくていいように、です。 君は7時に起きます。 理解できますか。 時間をきちんと守り、適切に食べ、良い英語を話しなさい。 君は全面的に、自分自身に責任がある。 それでどうなるのか、分かりますか。 それは、君に、ものすごい活力を、与えてくれます。 これを理解できますか。 

学生: はい。

K: そうしてください。
35:43 それで、自由と責任です。 さて、規律です。 君は、その言葉(ディシプリン)がどういう意味かを、知っていますか。
35:59 学生: それは、秩序という意味ですか。 

K: いいえ。
36:06 それは、学徒(ディサイプル)という言葉から、来ています。 学徒は、学ぶ人です - 服従するのではなく、学ぶ。 常に気づいていて、学びに、学び、学んでいる人です。 模倣しているのでなく、順応しているのでなく、服従しているのでなく、 責任を持っている。 彼は、修練されています。 それは、彼は学んでいる、という意味です。 論点が分かりますか。

学生: 分かります。
36:56 K: 君は分かりますか。 君たちの何人かは、それが分かりますか。 

学生たち: はい。

K: 教師、教育者たちは、これについて、何と言いますか。
37:15 さあ、ナラヤンさん。 私が知っている他の教師たちは、誰ですか - 私は名前を忘れてしまいましたが。
37:23 N: 私は、学ぶことが、それ自体の規律、修練をもたらすと、思います。 もし数学を学んでいるなら、数学を学ぶ必要性こそが・・・
37:33 K: 仰る意味を、説明してください - 学ぶことが、それ自体の規律、修練をもたらす、とは。 説明せずに、発言だけをしないでください。
37:42 N: 学ぶことは、それ自体の規律、修練をもたらします - 学んでいるなら、学ぶことに興味を持っているなら、という意味では・・・
37:48 K: 興味を持っている、ではない。 そうね、あなたは責任を持っているとき・・・
37:52 学生: ・・・学んでいます。

K: 論点が分かりますか。
37:55 学生: はい。

K: 分かりますか、ナラヤン。
37:57 N: 規律、修練は、他の人物から課されません。
38:00 規律は、学ぶことから来ます。
38:05 K: 見てください。 私は大工の見習いです。 私は、大工の親方から学んでいます。 で、彼は、「見守りなさい。自分の道具をきれいにしなさい」と言いますね。 「ドライバーを正しく使いなさい」と。 で、私は、道具を正確に使うことを、学んでいます。 まさにその使用こそが、自体の学びを、もたらします。 分かりますか。 私が言っていることが、分かりますか。 

学生: はい。
38:46 K: 私は、車を運転しなくてはいけないなら - 私は運転しますよ -
38:52 私は、それをどう操作するかを、学ばなければなりません - いつブレーキを踏むのか。 いいですね? それで、学ぶことこそが、自体の行為を、もたらします。 私は、弛んでいるなら、死んでしまいます。 論点は分かりますか。 すなわち、責任を持つことが、私が学ぶことを、必要とします。 よろしいですか。私は学びます。 学ぶには、私の精神は、 鋭くなければなりません。 鋭敏でなければなりません。
39:36 学生: そして、問いつづける。
39:38 K: ゆえに、すなわち、学ぶことは、自体の規律、修練です。 分かりましたか。 押されなくてはいけないのは、鈍い精神です。 圧力、それらが起きますが、 精神が目覚めていて、責任を持っているなら、それは・・・
40:01 学生: それは、自体の規律・修練を持っています。 

K: そのとおりです。 分かりますか。

学生: はい。
40:06 K: いえ。君はそうするのでしょうか。 「私は理解できます」と言わないでください。 それは単に、「はい。私はあなたに同意しますが・・・」と言う、という意味です。 ですが、君は、自由とは何か、責任とは何か、 規律の意味が何かが見えるなら、 それらはすべて、一緒です。 分離していません。 それは、一つのものすごい動きです。 これを理解できますか。
40:52 学生: 自分は責任を持つから、学びが自分にとって 規律である、と仰っていますか。
40:58 K: 聞こえません。
41:00 学生: 責任を持つから、学びが自分にとって規律ですか。
41:07 N: 彼女は、責任を持つから、学びが規律である、と言っています。
41:12 K: 私はそう言いました。 見てください。君はこの場所に責任を持ち、 自分自身に責任を持つから、 君は、道路に紙切れを見るとき、それを拾います。ですね? 拾うことが、規律(ディシプリン)です。 私は、規律・修練という言葉を、違った意味で、使っていますよ。 前に私は、気づかわなかった。 今、私は見守っています。
41:49 学生: 今、自分の責任を持っています。 その責任のために、自己の規律を持ったのです。 

K: ええ。 で、生涯をとおして、これらは、精神に留めるべき、おもな要因です。 自由、責任、 ゆえに、規律・修練、学びです。 そのとき君は、自らが、何の矛盾もなく生きることを、見つけるでしょう。
42:24 学生: 私たちは、規律・修練は学ぶことだ、と言いました。
42:35 N: 彼女は、「私たちは、規律は学ぶことだ、と言った」と言いました。 それが、彼女が言っていることです。 他に何?
42:46 学生: さて、紙を拾う行為は、規律です。
42:53 K: いいえ。紙を拾うことは、君の責任です。 なぜなら、君は気づかうから - 見守っていて、鋭敏であり、 敏感であり、 ゆえに、君はそれを、拾います。 君は、責任を持つから、そうします。 で、君の精神は、今、訓練されつつあります。いいですか?
43:30 学生: で、それが、規律が何かなのですか。 それは訓練される、と仰りました。
43:35 K: あらゆる物事を見守っている、という意味で、訓練されます。ですね? それは、樹々、鳥たち、通りすぎる人々、貧困を、見守っています。いいですか?
43:52 学生: それらを見ることができる。

K: ええ。そして、君は行為しています。
43:55 ただ見て、「私は何もしない」と言うのではない。 君たちは、君たちの何人かは、憶えていますか - 雌牛たちが、乳搾りをされていた、村からの、あの一角です。 憶えていますか。 そこには、四年間、ペンキを塗られていない壁が、ありますね。 君はそれを、見守ったことがありますか。 それは、君たちがそれをまったく見守っていなかったことを、示します。 今、私はこれを、(校長)ナラヤンさんに、話しました - 四年間、それは、磨かれて、白塗りされてこなかった、と。 ここ二日、それは、白塗りされました。 (首相の)ガンディー夫人が来ようとしているからです。
44:44 学生: はい。まったく突然に・・・
44:46 K: 見守ってください。それが、私たちがみんな、していることです。
44:50 学生: はい。紙を拾うことさえも、です。 まったく突然に、あらゆる人が、紙を拾いはじめました。
44:56 K: そのとおりです。 で、君をして、紙を拾わせるのは、君の責任です - 場所を美しくするように、です。
45:05 学生: 他の誰かが来ようとしているからではない。 

K: そのとおりです。 君は、自分の精神に、何が起きたのかが、見えますか - 君たちみんなの精神に、です。 で、私が、大変礼儀正しくお訊きしていいなら、 君たちは、自由であるとは、どういうことか、 自由とは何であるかを、学んできましたか。 牢獄に気づくこと・・・
45:45 学生: そして、それを問うことができる。
45:47 K: そう。牢獄に気づく。そして、牢獄から動いて離れること。
45:54 学生: でも、牢獄に気づくやいなや、 牢獄の外に出ています。

K: そのとおりです。
46:00 K: で、君は、責任があることに、気づいていますか。 「それは私の業だ」と、けっして言わないでください - または、「親がこれを求めている」とか、 社会が、「私は技術者にならなければならない」とか、言わないでください。 いいですね? 君は責任がある。 君は、正しいことを・・・ - 私は気をつけて、その言葉を使おうとしています - 正しいことを、しています。

学生: はい。
46:35 K: 正しいこと - 気をつけて!昨日、私たちが議論したように、
46:38 正しいことは、断片化していなくて、全体的です。 君たちが理解するのかどうかと、思われます。
46:53 学生: 僕は、まわりのあらゆる物事に気づいているとき、 それについて、絶対的に責任があります。
46:58 K: そのとおりです。
47:00 学生: で、僕は、自分の側での、どんな弛みも、どんな気づかわないことをも、 許しません - 何事にも、です。

K: そのとおりです。

学生: それで明白に、僕が何をしようとも、完璧です。それは、弛んでいません。
47:10 K: いえ。君が何をしようとも、全体的でなければなりません。
47:14 学生: ええ。それは、断片化していない。
47:16 K: いいえ。私が言っていることを、聞いてください。 私は、何をしようとも、私たちは、正しくなければならない、と言いました。 さて、私は、その言葉「正しい」の意味に、入ろうとしています。 正しいとは、「壊れていない」という意味です。 一つの行為をし、別の行為をする- まさにその正反対を、ですね。
47:44 学生: 矛盾です。
47:46 K: それは矛盾です。 それは、壊れてしまうことです。
47:48 学生: では、これらすべてのことに、気づくやいなや、 それは自動的になる。
47:53 K: そのとおり。いや、自動的という言葉を、使わないでください。
47:55 学生: それは全体になる。
47:58 K: それが、正しいという意味です。 全体的であることは、正しい。 断片化していることは、不正確です。 理解できますか。

学生: 間違っていると、言えますか。
48:23 K: 世界は、壊れてしまっています- 民族性、国籍へ、
48:31 様々な宗教へ。 すなわち、壊れてしまい、壊してしまう過程です。 一つの民族・国家は、別のと闘っています。いいですね? それは、人間精神を、壊してしまい、断片化しています。 

学生: はい。
48:52 K: で、それは、不正確な行為です。
48:57 ところが、君は、民族性、国籍を、持たないなら、 君は、共同体精神、共同体を持たずに、地球的な見通しを、持つなら - 地球的とは、どういう意味かを、知っていますか。それは、全体的です。 そのとき、それは正確な行為です。 これは分かりますか。 後生ですから、分かってください。 君たちのみんなが、です。 なぜなら、そのとき君は、幸せな生活をするだろうからです。 私が言っていることを、理解できますか。 君は、葛藤を持たないでしょう。 君は、不幸せにならないでしょう。 君は、エネルギーを、いっぱい持つでしょう - 悪さをするためではない。 で、君はこれを、理解しましたか。 生の三つの要因です - 自由、責任、ゆえに、学びです。 君は、けっして学ぶことを、止めません。 そうね、とても有名な画家が、いますよ。 スペインの画家だと思いますが、ゴヤです。 彼のことを、聞いたことがありますか。 ない。それは構いません。 彼は、すばらしい絵を描いてきましたが、 九十五歳の時に、彼は、「私はまだ学んでいる」と言いました。 私が言っていることを、理解できますか。
50:40 学生: はい。

K: 理解できますか。
50:45 では、君は、自分の年齢で学んでいますか。
50:53 学生: 僕はそう思いません。
50:56 K: 学ぶ - 書物からだけではない。 見守ることにより、学んでいる。
51:02 学生: それは疑わしいと思います。
51:04 K: そのほうが、はるかに直接的です。 問うこと、訊ねること、挑戦することにより、学ぶ。 君たちは、そこに民主的な委員会を、持っていますよね。 

学生: はい。
51:21 K: 質問を出しなさい。 それに署名しなさい。
51:29 けっして匿名にせずに、署名してください。 自分が言うことに、責任を持ってください。 君たち、学生だけではなく、教師たちも、です。 教師は、「君はなぜ、このように振るまっていますか」と言うでしょう。 よろしいですか。場所全体を、生きたままに、保ってください。 (首相の)ガンディー夫人が来ようとしているからではない。 今朝は、これで十分ですか。 君たちの誰かは、或る種の冥想を、しますか - 静かに座って、です。 自分の部屋で、樹の下で、ベンチで- それは、大事なことではない。 または、歩いていって、見ているが、静かに、です。 話して、話して、話して、ではない。 君たちは、そうしたことが、ありますか。

学生: はい、ときたま。
52:49 K: ああ、それは、ときたま、食事をとるようなものです。
52:57 学生: あなたの仰る冥想とは、どういう意味ですか。
53:01 K: 私は、そう言いました - 静かであること、です。 私は、冥想の錯綜しきった事柄に、入らないでしょうが、 ただ、静かであることから、始めてください。 精神もまた静かです - いつの時も考えていなくて、見守っています。 理解できますか。
53:26 学生: 僕たちは毎日、(日の入りを見る)アスターチャルの時に、そうします。 アスターチャルの間、です。
53:31 K: アスターチャルをして、静かにしてください。
53:38 学生: 僕は、そう思いません。 精神は、つづけて・・・
53:42 K: ええ。で、君の精神を見守ってください。 精神に問うてください - なぜそれは、動いていて、考えているのか、と。 付いてきていますか。 私たちは、あそこのそれらの岩に、座っているとき、 空を見てください。 日の入りを、見てください。 フクロウを聞いてください。 道路、大地の色を、見てください。 それらを見てください。 よろしいですか。 眠らないでください。
54:22 学生: (聞き取れない)
54:29 N: もっと大きな声で、言ってください。
54:32 学生: 日の入りと、あらゆるものを眺めているとき、 思考がいつも、精神に浮かんできます。 起きていることすべてを、観察している間のように、ですが、 私たちは、完全に、考えていない、思考のない精神を、持てません。
54:48 N: 彼女は、太陽と、日の入りを眺めているとき、思考もまた入って来る、と 言っています - 静かであることは、可能でない、と。
54:56 学生: 僕たちはすでに、自分の思考を見守りなさい、と言いました。 ちょうど今、僕たちは、そう言いました。 すなわち、自分の精神が回転しているなら、自分の思考が、巡っているなら、です。
55:07 K: それが、彼女が言っていることです。
55:09 学生: あなたは、それを見守るように、仰いました。
55:11 K: さて、待ってください。 私は、アスターチャルのために、あそこの岩に座っています。 または、歩いています。 私は静かでありたいのですが、私の思考は、進んでいます。 今、私は、なぜ私の思考が進んでいるかを、問うています - 私は静かでありたい、ではなくて、です。違いが分かりますか。 君たちはこれが分かるのかどうかと、思われます。 そのとき私は、精神に、静かになるよう、強いています - それは、非修練です。
55:43 学生: はい。何かを強いる代わりに、自分自身でそれに 気づかなくてはいけないから、自分自身、それを見出さなくてはいけません。
55:52 K: すなわち、私は静かでありたい。 私の精神は、彷徨っている。 さて、私は、なぜ自分の精神が、一つのことから別へ行っているかを、 見たいのです。なぜですか。 進んでください。見出し、動いてください。
56:10 学生: 問うている間、またもや考えています。
56:13 K: いいえ。それは、大事なことではない。 何が重要ですか。
56:21 学生: なぜ自分が考えているかを、見出すことです。
56:23 K: いいえ。 君は、静かでありたいが、君の精神は、考えています。 君は考えています。 どちらが、重要ですか。
56:36 学生: 明白に、考えている自分の精神が、重要です - 自分がそうしたいことではなくて・・・
56:41 K: いえ。 ええ、全くそうです。 さあ、答えてください。 何が重要ですか。
56:51 学生: ひとたび、なぜ精神が彷徨っているかの理由に、気づくなら、 それはもはや、彷徨いません。
56:58 K: それから、それは、やはり彷徨います。 一秒の間、止まりますが、それは、進んでゆきます。ですね? さて、君たち、みなさんは、私の問いを聞いてください。 私は静かでありたいが、私の精神は始まっています。思考が始まっています。ですね? さて、私は自分自身に、言います - どちらのほうが、重要なのか。 静かな精神を持つために、静かに座ることか。 または、私の精神はなぜ、進んでいき、考えに考えているかを、究明することか。 それが、重要です - 静かに座ることが、ではない。
57:42 学生: なぜなら、そうするやいなや、自動的に・・・
57:44 K: ああ、自動的という言葉を、使わないでください。 それは、ロボットの表現です。 で、今、重要なのは、こうです - 私は、なぜ思考が進んでいくかを、見出したいのです。 それが、重要です - 静かに座ることが、ではない。 で、何が起きますか。 私の精神はなぜ考えているかの究明の中、私は静かです。見ています。 理解できますか。 私は静かです。
58:20 学生: なぜなら、究明しているからです。
58:25 K: 私は静かです。 私は、見つめています。 さて、ここで誰が、私を引き継ごうとしていますか。 質問を理解できますか。 私は、二、三日で、去ろうとしています。22日に、です。 誰が、私に取って代わり、君を押そうとしていますか。
58:53 学生: 私たち自身が、それをしようとしています。
58:57 K: 君は、そうするでしょうか。

学生: はい。

K: 君は、こうしてきましたか。 私は、君たちを押してきましたね。
59:05 学生: 「はい」と言うことは、とても簡単ですが、それは可能ですか。 それは可能です。僕は今、分かります。
59:13 K: ええ。ですが、誰が、君たちが動きつづけるのを、助けるのでしょうか。
59:21 学生: 僕たち自身が、それを悟らなくてはいけません。
59:23 K: ええ。ですが、今朝、私が始める前、君たちは、悟りませんでした。
59:30 学生: 誰かが、言いつづけてくれなくてはいけません - 自分自身、それを悟るまで、です。

K: 君の先を、行きつづけて、ね。
59:38 ここで、誰がそれをするのでしょうか。
59:44 学生: (校長の)ナラヤンさんです。
59:51 K: ナラヤンさん。 (教頭の)トーマス夫人、(上級学校主任)ヴェンカタラーマンさんがいて、 (初級学校主任)ラジェシュさんと・・・ あの背の高い人は、誰ですか。
1:00:12 N: トーマスさん?
1:00:14 K: いいえ。私はトーマスさんに触れました。 

N: ラジェシュ・ダラル?
1:00:18 K: 私は彼に触れました。 あなたは、聞いていませんか。
1:00:30 N: 私は繰り返しています・・・
1:00:33 K: いえ、あの背の高い人。 ナタラージャン。 ナタラージャンさんは、どこにいますか。
1:00:42 ナタラージャン: はい。
1:00:55 K: 彼らが、君たちのために、そうするでしょうか。 私は、それらの人々みんなに、とても真剣な質問を、しています。 ナタラージャンさん、ラジェシュ・ダヤル- ダラルか、ダヤルか、何にせよ。 ヴェンカタラーマンさん、トーマス夫妻と、ナラヤンさん。 彼らは、君たちがそれを、生かしつづけるのを、助けるでしょうか。 さて、ちょっと待ってください。 それらを生かしつづけることは、君の責任です。 理解できますか。 「先生、あなたは動いていません」と言うことは、君の責任です。 私が言っていることを、理解できますか。 君は、そうするのでしょうか。 または、君は、眠ってしまうのでしょうか。 ごらんください。 責任は、どちらの方にも、です - 君の側にも、教育者の側にも、です。 君が眠ってしまうなら、彼らもまた、眠ってしまうでしょう。
1:02:05 学生: それは、双方の反応でなくてはいけません。
1:02:08 K: で、君は、彼らが目覚めつづけるのを、助けます。 彼らは、君が目覚めつづけるのを、助けるでしょう。 それが、彼らの責任と、君のです。分かりましたか。 してください! よろしいです。 または、君たちは、静かに座りたいですか。
1:02:28 学生: 僕たちは静かに座るだろうと、思います。
1:02:31 N: 静かに座ると、彼らは言います。

K: よろしい。
1:02:33 静かに座りましょう。 とてもうれしいです。 よろしいです。