Krishnamurti Subtitles home


RV83DS3 - 私は、自分が何であるかを見るために、どこを見ますか。
インド、リシ・ヴァレー
学生との討論、第3回
1983年12月16日



0:18 クリシュナムルティ: これは、ここでの最後の講話ですから、 君たちは私に、何について話してほしいのでしょうか。
0:27 学生: 真剣さです。僕たちは、真剣さについて、知りたいです。
0:33 K: ええ。君は、それについて、何を知りたいと思いますか。

学生: 自分自身を見つめるこのこと全体と、 自己をじっと見つめて、 それを、ただの観念や、あちらの何かだけに、させないこと、 本当に、それと接触を持つこと、です。
1:01 K: 何との接触ですか。

学生: 何であれ、自分がやっていること、 何であれ、自分が見つめていることとの接触です。
1:13 K: それらは理解できます。 自分自身を見つめる、自分自身と接触している、 自分自身を観察する - 自分がしていることに、気づく。
1:25 学生: それに則って行為する。

K: それらです。 君はそれを、真剣さと呼びます。 そうでしょう?
1:34 学生: どうすれば、真剣にそうするのでしょうか。

学生: 僕がいうのは、どのようにそれを真剣にするのでしょうか。 僕は、説明を求めていません。
1:43 K: なぜ君は、それを複雑にしますか。 私は、自分自身を見つめたいと思います - 鏡の中を、ではなくて、 自分が何であるかを見るために、私は、どこを見つめますか。 君たちは、これらに興味がありますか。 私は、自分自身を知りたいです。 私は、とても複雑な人間です。 私は、多くの経験、多くの概念、意見、判断、伝統を、 継承してきました - 記憶の広大な蓄積を、 意識的なのも、無意識的なのも、です。 私はそれらです - 私の信念、私の信条、私の心配、 私のさびしさ、憂鬱、野心、 悔恨、罪悪、 痛み、悲しみ、慈しみ。 私はそれらです。 さて、私はどのように、自分自身を見つめますか。 私はそれらであるなら、どこで私は、自分自身を、ありのままに見ますか。
3:31 学生: 僕は、自分がそれらであることを、どのように見ますか。

K: 私は指摘しようとしています。 それについて、話しましょう。 先日、私が指摘しましたように、 聞こえるのと聞くのとは、二つの異なったことです。 私は言語的に、君が言うことが、聞こえます。 君が話していることを、言語的、知的に理解できます。 ですが、実際に私は聞いていません。 聞くことと聞こえることの間の違いが、分かりますか。 耳で聞こえることと、 耳でだけでなく、はるかに深く聞くことです。 君たちは昨夜、西洋のクラシックの幾つかが、聞こえていましたね。 君たちは、それを聞きました。 君たちは、もしも西洋のクラシックを鑑賞し、愛していたなら、 それを、よくよく気をつけて聞きます - その美しさ、その偉大さ、 その活力、独創性、深さを、です。 君は聞くにつれて、美しさが見えはじめ、 それとともに動き、それとともに走り、それとともに爆発しはじめます。 さて、君は、自分自身を理解する中で、どのように、同じことをするのでしょうか。 質問を理解できますか。

学生: いいえ・・・
5:34 K: 私は、自分が何であるかを、知りたいと思います。ごく単純に始めましょう。 私は、自分の鏡を、覗き見られません。 私の鏡は、私の外側がどう見えるかを、私に語ってくれます。 いいですか? ですが、その鏡は、何が内側にあるのかを、私に語れません - 私の思考が何であるのか、私の感情が何であるのかを、です。ですね? さて、私が、そこにきわめて明らかに 自分自身を見られる、別の鏡が、ありますか。 君は、関係について、話したいと思っていました。 君は、自分の関係において、きわめて明らかに、自分自身が見えませんか。 君はどう反応するのか、 君の応答は、何であるのか、 どのように君は、自分の先入観、 自分の意見の重みを、示すのか いいですか。 好き嫌いについて、褒賞と処罰について、です。 よろしいですか。 君は、関係の鏡において、ゆっくりと ちょっとずつ観察しはじめます。 いいですか? 私が君たちへ話しているとき、君は、そうしていますか。 君と私は、関係しています。 なぜなら、君たちはここで、何回も私を、見たことがあるし、 私たちは、一緒に散歩をしてきて、 一緒に幾らか議論を、行ってきたからです。 その議論の中、その散歩の中、 あの音楽を聞く中で、 君たちは、私よりはるかに多く聞きました。 一定の関係がありました。 いいですか? その関係が鏡ですが、その関係の中で、 君は、自分自身を観察できます - 自分の反応、自分のそれらを、です。 それはできますか。 そうするでしょうか。
8:16 学生: はい。 ですが、分離があります - それはやはり、外のそこにあります。
8:28 K: それは、外のそこにありません。 いいえ。ただそれを見つめてください。 君は、見つめています - その関係において、 君の反応を、です。ですね?

学生: はい。
8:41 K: 君の意見、君の先入観、君の恐れなどを、です。 さて、それらすべての反応は、君より異なっていますか。
8:59 学生: ええ。それらは・・・
9:03 K: ちょっと・・・ゆっくり、気をつけて、検討してください。 私が君に尊敬をもって言うのを、気にされないなら、 即時に答えないでください。
9:18 学生: 私は自分の関係を観察していると言うとき・・・
9:22 K: ここに、上がってきてください。
9:26 学生: 私は観察していると言うとき- いいえ、私は座りましょう - 私は、誰かとの自分の関係を観察していると、言っているとき、 それは、まるで私が自分自身を、二つの異なった実体へ、
9:37 分割しているように、思われます。

K: いいえ。
9:39 学生: 私は、何かを観察しています。 それは異なっているように、思われます。 私が、「これが私の精神です」と言うとき、それは、どういう意味ですか。
9:50 K: 君の精神は、君の先入観は、 君の怒りは、君より異なっていますか。
10:05 学生: 理解できません。
10:07 K: 私は、怒っています。 辛抱できません。 その辛抱できないこと、怒り、貪欲は、私より異なっていますか。
10:22 学生: いいえ。
10:24 K: ゆえに、君が「いいえ」と言うとき、それはどういう意味ですか。
10:27 学生: それは、同じことです。
10:29 K: で、君は怒りです。 君は先入観です。 いいですか? 君は貪欲です。 で、君の外側や君の内側に、 君が見つめている何かは、ない。 君がそれです。 仮に、君はこの色である、とします- 君はあの色です。 ですが、君は、あの色を叙述できます - 叙述は、色より異なっています。 見てください。私は、ヒマラヤを叙述できます。 なぜなら、私はそこに上がっていたからです - その美しさ、雄大さ、壮大さ、その無量性、 雪を被り、晴れた青空と、 すばらしいよそよそしさの感覚と、 大いなる堅固さの感覚、 山の栄光です。 私はそれらを叙述できますが、 叙述は、山ではないですね。 そうでしょう。

学生: ええ、そうではありません。
11:54 K: なぜ君は、そう言いますか。

学生: それは同じことですか。 それは、自分自身についても、同じことですか。
11:59 K: で、私は、自分の反応を叙述できます。 ですね? ですが、叙述は、私の反応ではありません。 困難は何ですか。
12:16 学生: それは明らかでありません。
12:19 K: 私は自分の反応を叙述できる、と言いました。 言語的な叙述は、実際とは異なっています。 いいですか? この講堂 - 「講堂」という言葉は、実際の事実とは異なっています。 それは分かりますか。

学生: ええ。
12:47 K: で、言葉は、そのものではありません。 明らかですか。

学生: はい。
13:00 K: 君の名前は、君ではない。
13:05 学生: ですが、しょっちゅう私たちがしがちな・・・
13:07 K: ちょっと、待って。 私は終了していません。 君は聞いていません。 それは、君は答えがとても速いとき、という意味です。 で、君は、何かを学びました - すなわち、言葉は、そのものではない。 実際のものではない、ということです。ですね? その意味合いを見てください。 私の妻 - 「妻」という言葉は、実際の人物ではありません。 ですが、人物ではなく、言葉が とても重要になります。ですね? で、君は、頭脳が、現実ではなく言葉に満ちていることを、 発見しはじめます。 いいですか? 君は、それを見つけましたか。 ここに、私の妹がいる。 それで、それは終わりです。 いいですか。 「妹」という言葉は、実際の人物ではありません。
14:35 学生: ですが、彼女は、その名前で呼ばれます - 「妹」です。 妹は、彼女を意味しています。
14:42 N: 彼女は、その名前で呼ばれます。
14:44 K: そのとおりです。
14:48 学生: 「妹」と言うとき - 精神の中の「妹」という言葉、 それは、その人物に連想されます。
14:57 K: そのとおりです。 君が、その人物に連想するとき、言葉ばかりが、重要になります。
15:10 学生: 言葉は、そのもの自体より分離しているようではないです。 なぜなら、それを、その人物へ連結させるからです。 あらゆる人が、共通の理解を持っています - 「妹」という言葉を言うとき、それは、そのものに連結されるということ、です。
15:27 N: 彼は、「妹」という言葉を言うとき、 それは、そのものを連想させられ、連結されると、言います。
15:36 K: いいですよ。マイクロフォン- いいですか? 「マイクロフォン」という言葉を、知っていますね。 マイクロフォンが、あります。 その言葉は、現実ではありません。
15:51 学生: 言葉なしでは、それを何と呼べますか。 言葉なしでは、そのものを、何と呼べますか。
16:02 N: 私が思うに、彼が言っている・・・

K: 彼が言っていることは、分かります。 言葉なしに、そのものを何と呼ぶのでしょうか。 私は知りません。 君は、言葉なしに、自分自身を、何と呼びますか。 空を見上げないでください。 君は、もしも名前を持っていなかったなら、自分自身を何と呼ぶのでしょうか。 別の名前を、考案するのでしょうか。
16:45 学生: 私は何て・・・
16:47 K: 君は考えていませんね。君は、応答しているだけです。見出しなさい。 私は君に言いました - 「マイクロフォン」という言葉は、実際のものではない。 いいですか?それだけです。私は、少しも先へ行きませんでした。 で、君は区別しはじめます - 言葉は、現実にそのものではない。 で、君は、現実と観念との間を、区別しはじめます。 捉えましたか。 現実と、現実についての観念、です。 現実についての観念は、実在していません。 触れられるものなどだけ、です。 捉えましたか。 で、関係において、君は、自分が何であるかを、発見しはじめます。 その関係が、とても親密でも - 夫と妻のように、です。 または、友だちなどでも、です。 で、君は発見しはじめます。 逆の方から、それを表しましょう。 君は、自然に関係していますか。
18:33 学生: はい。自分自身が自然です。 自分自身が自然です。

K: ここに来なさい。 来て、楽に座りなさい。
18:50 君は、自分自身が自然であると、言っています。
18:53 学生: はい。
18:56 K: どうして分かりますか。

学生: 自分は、この大地より来ています。
19:05 自分は、この大地のみから、大地自体から来ています。
19:14 K: いいですよ。 で、自分は自然の一部であると、君は言っています。 君の自然との君の関係は何ですか - あれらすべての花々、すべての丘、樹々、 山、枯れた川。 いいですか? それへの君の関係は、何ですか。
19:40 学生: それは生です。 関係は生です。
19:46 K: 関係は愛です?

N: 生です。生命。
19:50 K: どういう意味ですか・・・ 私は君に訊ねています - 自然との君の関係は、何ですか。 ただ、生と言わないでください。 

学生: (聞き取れない)・・・生と自然です。
20:02 N: 彼は、はっきりしません。
20:06 K: ごらん。私は、「自然」という言葉を、使わないでしょう。 それは、あまりに大きな言葉です。 樹への君の関係は、何ですか。
20:15 学生: 自分は、いのちを持っていて、樹々は、いのちを持っています。
20:17 K: お兄さん、君は、私が君に訊ねていることを、聞いていません。 君は、あの樹が見えますね。 君はそれについて、何を感じますか。
20:28 学生: 愛情です。愛情。
20:35 K: 愛情ですか。 君は、あの樹を愛していますか。
20:40 学生: はい、先生。
20:48 学生: 賞賛です。 私は、その樹を賞賛します。
20:51 K: しますか。

学生: はい、します。
20:53 K: すると、何ですか。 君たちは、何かを逃しつつあります。 君たちは、私が君に訊ねていることに、注意を払っていません。
21:04 学生: 自分が存在するようになったのは、樹々のせいです。
21:15 N: 彼が存在するのは、樹々のせいです。
21:21 K: 君は、古いことを言っているだけです。
21:24 学生: 樹々との私の関係は、こうです - 私は、それを見つめています。 私は、それを感じます。 私は、何であれ、幾らかの時間、それと一緒にいます。
21:37 学生: それは、僕より分離しています。
21:42 K: そう願います。 君は、あの樹より分離しているけれども、 それへの君の反応は、何ですか。 質問を理解できますか。眠らないでください。 

学生: 僕たちは考えています。
22:08 学生: 樹が見えるとき、僕はただそれを見つめます。僕はその樹を感じません。 僕は、それが樹であるのを、知っているだけです。それだけです。
22:22 K: 「樹」という言葉は、現実のものではない。いいですか? さて、君はそれを見つめますか。それを見つめるのに、時間を掛けますか。 それを聞きますか。 君は、その響きを聞きますか。
22:44 学生: 僕たちは、それを当たり前だと、受け取ります。 僕たちは、その樹を見るように、そうしなくて・・・ただ・・・
22:49 K: 私は君に、何かを訊ねています。 君は、すばやく返事をします。 君は、誰かに聞きませんね。 君は、何を言うのかを、すでに決意しています。 私は、君を叱っていませんよ。私はただ、君に言っているだけです。 私はただ、君に言っているだけです- 君は聞きません。 私は言っています - 君はいったい、じっと立ち止まり、樹を見つめますか。 その全体を、です。 君は、それの響きが聞こえますか。 その美しさが、見えますか。 そのとてつもない能力が、です。
23:37 学生: いつもは見えない。
23:40 学生: 先生、いつでも・・・

K: 君はそれを、したことさえない! 「いつもは」と言わないでください。 君はけっして、樹を見つめて、その美しさが見えたことが、ない - 静けさ、威厳、響き、 樹という、とてつもないものが、です。 さて、待って。 君は、そのように 自分の妹や妻や夫を、見つめますか。 それを見つめてください。 または君は、「これは私の妹です。 いいよ、つづけてください」と言いますか。 私は君にお訊きしています。 なぜなら、これを理解することは、とても重要であるからです。どうぞ。 私たちは、関係によって生きます。ですね? 私たちは、関係なしには、存在できません。 隠者すら、サンニャーシすら、修行僧すら、関係しています。 彼は僧院の中、森の中に消え去るかもしれませんが、 彼はやはり、世界に関係しています。 いいですか? 記憶の、彼の経験すべての世界へ、です。ですね? 彼はやはり、それを、持ち運んでいます。 いいですか? で、関係は生です。 関係は、生においてとてつもなく重要なものです。 関係に、葛藤、抗争があるところ、 関係はありません。いいですか? で、君は自分自身を関係の鏡において、 見つけるか、発見するか、見えるのです。 それは、明らかですか。 その鏡は、君より異なっていません。 君がその鏡です。 で、毎日、はるかに深く、もっと深く、それへ透徹し、それに入ってください。 または、これははるかに困難ですが、 君は、自分自身をちょっとずつ理解するために、 二十年を掛けるかもしれません。 いいですか? または君は、それを捉えます - 一秒で全部を、です。 私が言っていることを、理解できますか。 私は、自分自身を知ることができます - 自分自身を研究し、 他の人々が私について言ってきたことを研究することから、です。いいですね? 哲学者、分析者、 フロイトとユングたちとその他すべてを、です。 私はまた、何かいわゆる聖典を読んで、 「私はそれである」と言うこともできますが、 書物と言葉は、私ではありません。 いいですか? で、私は、自分自身を見つけなくてはいけません。 これは、古代ギリシャ人と古代ヒンドゥー教徒からです。 彼らは、「汝自身を知れ」と言ってきました。いいですか? ほとんどの人々は本当に、自分自身を知りません。 彼らは、試したことすらありません。 さて、私たちは、君に言います - 関係は、生において最も神聖なものです。 最も神聖なものの一つです。 その関係の中で君は、君である物事すべてを、発見できます。 時間を掛けるのか、あるいは、それを即座に理解するのか、です。 こちらのほうが困難です。なぜなら、これは、時、思考、知覚の問い全体に 入ることを、必要とするからです。 そして、過去が、君の今の知覚へ 介入しないよう、見計らう - それは、とてつもない注意を、必要とするし・・・
28:59 学生: ですが、先生、僕たちは、関係を、 経験と記憶に基づけるように、思われます。
29:06 K: ええ。君の経験は、記憶に基づいています・・・
29:11 学生: 僕たちの関係が、です。

K: ええ。 さて、ちょっと待って、ちょっと待って。 もう少し、それに入ってください。 君は、経験なしに、考える能力を、持つのでしょうか。 質問を理解できますか。 持つのでしょうか。 お兄さん、考え抜いてください。 気をつけて考えぬいてください。 何か自分の知らないことを、答えないでください。 それから、オウムのようにならないでください。 私は、君たちにお訊きしています - 君みんなに、です。(大学入学資格試験の)AレベルとOレベルと、 あらゆる種類のことですが、 経験なしに、考えることがありますか。
30:15 学生: いいえ。
30:17 K: いいえ。待って。 一歩一歩行ってください。 なぜ君は、いいえ、と言いますか。
30:31 学生: 経験のみのせいで、僕たちは考えます。 経験なしに、僕たちは考えられません。
30:41 K: 君は、経験なしに、考えることはない、と言っています。 それが、君が言っていることですか。 神経質にならないでください。
30:50 学生: はい。
30:52 N: 彼は、経験のせいで、私たちは考える、と言いました。
30:54 K: ええ、そのとおり。同じことです。 さて、ちょっと待ってください。 経験は、制限されていますか。 気をつけて、これに答えてください。 一番上の大きな男の子たちと小さな男の子と女の子たち、みんな - 経験は、制限されていますか。

学生たち: いいえ、先生。
31:22 K: いえ。気をつけて、見てください。 気をつけて。答えないで、 考えぬいてください。 気をつけて、見つめてください。
31:32 学生: 毎日、新しい経験をしつづけます。
31:42 K: いいですよ。君がいう経験とは、どういう意味ですか。
31:50 学生: 何か興味深いことが、僕たちに起きるんです。
31:54 K: 何か興味深いことが、私たちに起きる。 それはまた、不快なのかもしれません- 痛いなど。 で、この経験は何を・・・いいえ、これはあまりに困難です。君たちはまだ・・・
32:11 学生: それは、自分に依存します -経験が制限されているとか・・・
32:19 教師: 彼は、それは、自分に依存すると言います - 自分の経験が、制限されているのか、制限されていないのかは、です。
32:29 K: 経験は、君に依存する - それが制限されているのか、 制限されていないのかを、見出すには、です。 お兄さん、君は、私の質問に答えていませんよ。
32:44 学生: それを望もうと望むまいと、経験を獲得します。
32:55 K: これが、君がこの学校で学んできたことすべてですか - ただ反復することが、ですか。 さて、私は、君たちとともに、ゆっくり行きましょう。学んでください。 記憶しないで - 理解できますか - 学んでください。 進みながら、発見してください。 いいですね? 私は、車で経験をします。 私は、注意を払っていませんでした。 私は他の車に、ぶっつけました。 いいですか? いいですね? それで、ラジエーターが破損しました。 で、その出来事が、 頭脳に登録されてきました。ですね?記憶として、です。ですね? 私は、丘のてっぺんへ登り、 向こう側に何があるかを見る経験を、します。いいですね? 他の丘々があり、はるかに高い。 で、この小さな丘に登ることは、制限された経験です。 いいですか?理解できますか。 より高い山に登って、見る- もう少し多くの・・・経験ですが、 やはり制限されています。なぜなら、さらに高い山々が、あるからです。 経験すべては、いつも制限されています。 気をつけて、気をつけて。 考えぬいてください。 よろしいですか。 科学者たちは、ここ二百年の間に、 ものすごい経験、知識を蓄積してきました。ですね? ちょっとずつ、です。 理論。その理論は、証明されたり、反証されたりします。 それから、新しい理論、新しい仮説が、 証明されたり、反証されたりします。 で、次第に彼らは、甚大な量の知識を、築き上げますが、 それはやはり、制限されています。 なぜなら、発見されるべきことが、もっとあるからです。いいですか? で、知識すべては、過去においても、未来においても、 いつも制限されています。
35:56 学生: もし経験が制限されているなら、それは、或る種の分割を、含意しています。 私が理解しないのは・・・

K: いえ、いえ。 分割とそれらを、気に掛けないでください。 ただ、経験すべては制限されているという事実を、見つめてください。
36:12 学生: いいですよ。

K: いいですよ、ではない。
36:16 学生: 経験は、制限されているでしょう。
36:19 K: そうなのです。

学生: ええ、そうです。
36:22 K: それは、君にとって事実ですか。または君は、私に続いて反復していますか。
36:25 学生: いいえ、それは事実です。
36:27 K: それは、経験すべてを、意味しています。 ゆえに、経験から知識を持ちます。 ゆえに、知識は、いつも制限されています。いいですか? さて、さらに一歩、前進します。 知識すべては、頭脳に記憶として、蓄えられています。 いいですか? 同意しますか。 で、記憶は - 何ですか? - 過去の物事の思い出などです。 いいですか。 その記憶。その記憶から思考が生じます。 いいですか? いいですか?明らかですか。 で、思考はいつも、制限されています。 ひとたび、経験は制限されている、 知識は制限されていることを、認めると、 そのとき、記憶は制限されていて、 思考は、間違いなく制限されています。 で、これの重要性を、見てください。 年長の人々は、これらに注意を払っていますか - 年上の少年たちです。 そうでないと、思いますが。 君たちは、これらに退屈していますか。 上級の、第九、第十、第十二学年は? ええ、残念ながら、君たちはそうだと、私は思います。 彼らは、注意を払いません。 それは、だいじょうぶです。 君たちの何人かは、これに注意を払います。 で、思考は、記憶より生まれますが、 記憶は、知識より生まれます。 知識は、経験より生まれます - ずっと通して、制限されています。 いいですか? 制限された思考が、してきたことは、 人々を分割することです - インド人、イスラム教徒。 思考がこうしてきたのです。 いいですか。同意ですか。 思考が、宗教を分割してきました。 大聖堂、大きな寺院とモスクなどなどを、築いてきました。 その中にある物事すべては、思考により、創案されています。 理解できますか。 気をつけて、本当に、これらの真理を見てください。 なぜなら、それは君を、ものすごく助けてくれるだろうからです。 で、私たちの行為、私たちの感情すべて、することすべてが、制限されています。 なぜなら、それは、思考により、制限されているか、形作られているからです。
39:51 学生: 僕たちの生全体が、思考のまわりを回転します。
39:54 K: そのとおりです。で、君の生全体が、制限されています。 制限があるところ、葛藤があるにちがいない。 ですね? ごらん。君が自分自身について、一日中、考えているとき、 それは、とても制限された事柄です。 彼は、彼自身について考えるし、私は、私自身について考える。 ゆえに、何が起きますか。 私たちは、永続的に葛藤の中にいます。 彼とではありません。なぜなら、彼はすてきな少年であるからです。 理解できますか。 何であれ、制限されているものは、葛藤を誘発します。 私は、私自身について考えるし、君は、君自身について考える。 私自身は、とても小さい事柄ですし、 君が君自身について考えるのは、きわめて小さい事柄です。 私たちの関係は、とても小さい事柄ですし、 ゆえに、小さいもの、制限されているものは、 葛藤を、誘発するにちがいない。 もたらすにちがいないのです。 国に所属することは、とても小さい事柄です。いいですか? たとえば、「私の国家、民族。私はインド人だ」 - それは、とても制限されています。 イスラム教徒は、「私はパキスタン人だ」とか何とか、言います。 で、分割がある。葛藤、抗争がある。 すなわち、制限があるところ、分割がある。 ゆえに、葛藤、抗争がある。 これは法則です。
41:54 学生: 葛藤があるところ、関係がないと、仰ります。
41:57 K: それは、さらに先です。 これは分かりますか。 お分かりですか。

学生: それは、やはり思考です。 それは、やはり思考です。なぜなら、そこからは、何も出てきていないからです。
42:22 K: いいえ。 なぜ、何かが出てくるのですか- 何からですか。
42:31 学生: 見ることから出てきます。 (聞き取れない)
42:36 K: 君たちは、何かが見えません。 君たちの頭脳は、萎縮しています。
42:45 学生: それは、どこでも葛藤があるところ、 それは小さいにちがいない、という意味ですか。
42:50 K: もちろんです。 ごらんください。 アメリカと(ソヴィエト・)ロシアが、あります。いわゆる超大国です。ですね? この分割は、彼らの国籍、民族性により、存在します。 分割は、政府とは何であるかの彼らの概念により、存在します。 理想により、もたらされた分割です - 私は、マルクス主義を信じています。 彼らは、民主主義を信じています。 で、私の国、私の理想。そして、彼らは闘い、闘い、闘います。ですね? で、理想は、制限されています- 当然です。 それで、葛藤、抗争があります。 分かりましたか。 幾らか、分かってください。 さて、私たちは、君が関係の鏡において、 君自身を、自分が何であるかを見られると、言うことから、始めました。いいですね? さて、君は自分自身へ、無際限に遠く入れます。 君は外的には、あまり遠く行けません。 君は、ヒマラヤへ行けます。 何日も掛けて、または、歩いて何ヶ月か、または、 飛行機で二時間を掛けて、です。 理解できますか。 ですが、それもまた制限されています。 君は、地球を回れます - 2万4千マイル、 二回か、三回か。 それは、制限されています。 ですが、君は、自分の関係をとおして、 自分が何であるかを知り、 それへ透徹するとき、 内的に、測量不可能な距離を、行けます。 いいですか? 私は、それに入らないでしょう。 なぜなら、それは、本当の冥想であり、 あらゆる種類のことが、そこに関与しているからです。 先日、私たちが会合したとき、私は君たちに、訊ねました - 君の未来は何ですか。 君の未来だけではなく、 君たちの教育者の未来、 人類の未来も、です。 理解できますか。 理解できますか。 私は君たちに、これを訊きました。 眠らないでください。 君の未来は、どうなるのでしょうか。 逸れてしまわないでください - 私たちが先日そうしたように、 時は何なのか - よろしいですか - それらに、です。 私たちは、それに入りました。 それに迷わないでください。 君たちは若い。七歳、十歳、十五歳、十八歳、二十歳です。 君たちは、出て、専門校、大学へ行きます。 君は、学位を取り、結婚します。 君は、できるなら、就職するか、 何か他のことを得ます。君はそこにいて、生涯、行き詰まっています。 ですね? それが、君の未来です。 いいですね? その未来は、きわめて制限されていませんか。

学生: ええ、それは、きわめて制限されています。 

学生: ええ、それは、思考により、
47:06 もたらされます。 

K: それは、思考とたぶん他の要因により、
47:09 もたらされます。 それは、制限されています。 で、君の生は、制限されているので、 他の人たちのためと、君自身のために、ものすごい紛糾を、 創り出そうとしています。それを悟りますか。 

学生: はい。
47:28 学生: はい。

学生: はい、先生。
47:31 K: で、君は、何をしようとしていますか。 理解できますか。 戦争は、凡庸な制限をとおして、創り出されます。 私たちは、それらに入りました - 凡庸さとは何なのか。 凡庸さは、そうね、根本の意味を、私は説明しました - 丘を途中まで上っているのです。 君は、経歴がとても良いが、けれども、徹底的に凡庸なのかもしれません - ほとんどの人々が、そうであるように、です。 君の未来の生は、 君の親が計画するように、君の社会が計画するように、 君は、とても制限された生を、送ろうとしています。 まさにその制限こそが、葛藤、抗争をもたらそうとしています。 私が、私自身について考えていて、君が、君自身について考えているとき、 私たちのみんなが、必ず葛藤、抗争の中にいることになる。 よろしいですか。 で、君は、何をするのでしょうか。 「はい、先生」と言わないでください。
48:48 学生: なぜですか。なぜそうでなくてはいけないのですか。
48:52 K: どういう意味ですか。

学生: なぜ、そのようなのですか・・・
48:55 僕たちは、なぜそのように生きるのですか。
48:57 K: 君たちは、なぜそのように生きるのですか。 なぜなら、私たちは、そのようなのを手放すのを、恐れているからです。
49:06 学生: それなら、手放します。 つまり、それが分かるなら。
49:09 K: それなら、手放して、何が起きるだろうかを、見てください。 やり抜いてください。そんなにユートピア的で無頓着でいないでください。 何が起きるかを、見てください。 私は、試験に通りません。 私はそれらに、興味がありません。 そのとき私は、何をするのでしょうか。 私は、生計を立てなくてはいけません。
49:35 学生: 僕は、可能性を見るでしょう。
49:39 K: 君は、可能性を見る。 可能性とは、君は料理人か、庭師か、 教師になるかもしれないし、 あれらひどい政治家の一人と実業家の一人か - いいですか? - または、大学教授になるかもしれません。 それはすべて、ひどく制限されています。 いいですか?

学生: はい。
50:10 K: さて、それを辿って行ってください! 君が、それは制限されていると言うとき - そうですね? - 何が君に、そう言わせますか。
50:28 学生: それが分かります。

K: はい。それが分かります。 そのとき君はまた、制限があるところ、空間がないことも、 分かります。理解できますか。 それは制限されています。 ゆえに、様々な形の矛盾、闘争、その他すべてが、 あるにちがいない。ですね? さて、君が、「はい、分かります」と言うとき、 それは、智恵が作動していますか。または、君は単に、観念に同意するだけですか。 私が言っていることを、理解できますか。 これらの子は、辛抱できなくなりつつあります。すみません。
51:14 学生: 僕は、関係の中で自分自身を観察するとき、 自分は何かになりたいが、自分は他の何かをすることが、分かります。 でも、それは、思考のせいです。
51:25 K: ええ、それもまた制限であると、私は言いました。私たちは、それへ入りました。
51:29 学生: 僕たちはどうやって、それを破りますか。 僕はどうやって、それなしに自分自身と関係を持ちますか。
51:39 N: 彼は、私たちはどうやって、それを破るか、と言います。
51:42 K: 君はそれを破りません。 君は、それがどんなに白痴的なのかが、分かり、それより離れます。 私は、民族性、国籍が戦争の原因、百万ずつ人々を殺すことの 原因の一つであることが、分かるなら- おぞましい観念で、 残忍で、邪悪です - 私はもはや・・・ 私はどの国にも、所属していません。 君たちは、何か本当に重要なことを、見逃しています。
52:24 学生: 先生、すると、どのように生きますか。 それを悟った後、どのように生きますか。
52:29 K: 私はどのように、何を生きますか。
52:31 学生: つまり、こちらの誰もがみな、 料理人や庭師になるのが、凡庸であることが、分かるなら、 つまり、彼らは、料理人や庭師にならないでしょうし、 僕たちは、どこから食べ物を得ますか。
52:46 N: あらゆる物事が、凡庸で制限されていると言うなら、私たちは何をしますか。
52:52 K: 君は、自分が凡庸であることを悟り、 それを破って抜けるなら、 智恵があります。そのとき君は、凡庸であるのを、止めます。 君は、智恵ある人間です。 そのときその智恵が、君に、何をすべきかを、語るでしょう。 君たちはそのとき、それについて気に掛けなくていい。 そうね、これが、その不幸な部分です。 私は、何かとても興味深いことの最中に、去って行きます。 君たちはまだ、本当のことを、まったく掴んでいないのです。 さて、逆の方から見つめてください。 君は、宗教とは何だと、考えますか。 君にとって、宗教は何ですか。 君にとって、です。 君にとって、宗教は何ですか。 理解できますか。君は、この問いに答えなければなりません。

学生: どのように生きたいのか、です。
54:03 K: それが宗教ですか。 君が生きたいさまですか。
54:07 学生: 一通りには、それが宗教です。
54:11 K: いいえ。私はお訊きしています。
54:13 君たちは、人々が寺院へ行くのを、見ます - インドの寺院すべて、そしてモスクを見ます。 教会を見ます。 教会の内側、モスクの内側、 ヒンドゥー寺院の内側を、です。 彼らは崇拝し、それらが進みます。 君は、それを宗教と呼びますか。 進んでください。私に答えてください。 君は速すぎます。答えてください。
54:51 学生: 自分自身を他人より分離する、たやすいやり方です。
55:02 K: ああ、いいえ。君が寺院へ入るとき、そこにも、たくさんの人々がいます。
55:16 学生: 他の誰かに従うとき、 自分自身で考えたくなくて、 体系に従っているとき、です。
55:26 K: 君たちは、自分はこの国に生きてきたが、 それらを探究したことがない、と言うつもりですか。 君は何と仰りますか。 君にとって、宗教とは何ですか。
55:45 学生: 宗教は、憎しみに満ちています。 なぜなら、僕たちは、互いに理解し合えないからです。

K: 私たちは憎しみに満ちているから、私たちは互いに理解し合わないので、
56:00 宗教は、ほとんど意味がない。 そういうことですか。
56:04 N: 彼は、宗教は憎しみに満ちている。 なぜなら、私たちは互いに理解し合わないから、と言います。
56:09 K: 同じことです。 そうね、君たちは、 どうやって世の中へ出て行って、これらを理解しないでいられますか。
56:21 学生: 宗教といって、僕が理解するのは、これらです - 寺院とモスクと・・・
56:29 K: 君はそれを、宗教と考えますか。
56:31 学生: それが、宗教であると僕が言われてきたものです。 僕は、他に何も知りません。
56:37 K: なぜ君は、それを受け入れますか。 なぜ君は、それを究明しませんか。 君は十分に年長です。 なぜ君は、宗教とは何であるかを、見出しませんか。 このすべての迷信、信念、伝統、 寺院へ行くこと、供養をすること・・・
56:55 学生: でも、それは、宗教ではありません。 それは、宗教ではありません。
56:59 K: では、何が宗教ですか。

学生: それは宗教ではありません。
57:03 K: もし君が、それは宗教でないと言い、本気でそのつもりなら - お兄さん、ちょっと待って。 もし君が、それは宗教でないと言い、本気でそのつもりなら、 君は、何が宗教であるかを、見出さなければなりません。 なぜなら、人は、一番古い時代から、「これらは何なのか。 これらよりはるかに大きな何かが、あるにちがいない」と、 言ってきたからです。 一番古代のシュメール人、ギリシャ人、エジプト人から - いえ、エジプト人、ギリシャ人、イスラエル人、 ハラッパー、モヘンジョダロにいた、それらすべての人々。 ハラッパーを知っていますね。君たちは、それらすべてを、知っていますか。 彼らはみんな、神が何であるかを、見出したいと思いました。 神でなければ、他の或るものが何であるかを、です。 それはすべて、或る種の迷信的なごみへ、落ちこんでしまいました。いいですか? ですが、何かがあるにちがいない。 いいですか? 宗教とは何ですか。 これらは、何なのですか。
58:26 学生: 宗教は、自分の一組の観念に、従うことでしょうね。
58:35 K: ああ、何と! 宗教は、自分の一組の観念に、従うことであるはずだ、と。 君の観念は、何ですか。
58:47 学生: (聞き取れない)
58:55 K: 君は、観念が何を意味しているかを、知っていますか。 いえ、私はそれに入らないでしょう。

学生: 宗教は愛です。真の宗教はそうです。
59:10 K: 宗教は愛ですと、小さな男の子が言います。
59:16 君は、その樹を、愛していますか。草の葉を? 君は、鳥たち、来る猿たちを、愛していますか。 おそらく君たちは、みんなたくさんのお猿さんなんでしょう。 私たちは、止めなければなりません。 ですが、これへ心を注いでください- 成長した方々は、見出してください。 なぜなら、さもないと、生は、何の意味もないからです。 理解されますか。 毎日、オフィスへ行くこと、 一日中、料理人とか、偉い政治家とかでいること。 これらは、何になりますか。 または君は、すばらしい経歴を持つ。

学生: どうにか生きていくには、何かをしなくてはいけません。
1:00:21 N: 彼女は、どうにか生きていくために、
1:00:25 何かをせざるをえない、と言っています。
1:00:30 K: それへは答えが、ないでしょう。 それなら、そのことをつづけるだろうことを、何かしてください。 それなら、君は、機械の中の歯車になる。 そうね、君たちはみんな、防御に立っています。いいですか? 君は究明しない。君は、それをやり遂げない。それに入らない。 これで君を助けることが、教育者の機能です。 私が、もしも、ここ(リシ・ヴァレー)に留まったなら - 私はそうしようとしていません。 だから、悩まないでください - もしも私がここに、君たちの教育者として留まったなら、 私は、君たちとともに、このすべてに、入るでしょう - 冥想とは何なのか、 これらを越えた何かが、何か神聖なものが、あるのかどうか、 そして、精神は・・・頭脳は静かであり、本当に静かでありうるのか、 などなどなど、です。 ですが、そうね、君たちはみんな、職を持つよう、訓練されて、 志向していますね。 それが、君の関心事すべてです。 結婚し、良い経歴を持ち、 他のすべてなんか、くそくらえ、と。 いいですか? よろしいですか? いいですか。 正直でいてください。ええ。 で、君は、自分自身に、関心を持っているだけです。 君自身は、とても小さな事柄です。 それは、小さな池のガマガエルに、似ています - たくさん騒ぎ立てています。 世界全体が、ものすごい破滅を被ろうとしています - 核戦争です。 核戦争がないのなら、細菌戦争、 普通の戦争、通常の戦争。 コンピューターは、君たちの頭脳に取って代わろうとしています。 アメリカのスーパーマーケットに入るなら、 そこの女の子は、数えもしません。 それは、電子とレーザー光線で、行われます。 それがされて、二、三秒でお勘定が、出されています。 で、私たちの頭脳は、次第に、萎縮しつつあります。 君たちのが、そうであるように、です - 君たちが、反復し、反復し、反復するのではなく、実際に働かないなら、です。 まあ、私たちは、十分に話をしてきました。 しばらくの間、静かに座って、見ましょう。 君が静かに座るとき、 自分の思考を見守り、それらに付いていってください - 一つの思考を追求できるのか、または、 一つの思考が、別の思考により中断させられるのか、など、 ただそれを見守ってください。 よろしいです、みなさん。