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SA81Q3 - 第3回質疑応答会合 home
第3回質疑応答会合
スイス、サーネン
1981年7月31日


0:22 これが最後の 質疑応答の会合です。 たぶん私たちは、来年 再び会うでしょう。
0:48 なぜ自らは質問をするのかと、 いつも思われます。 それは、好奇心からですか。 または、刺激するためですか - 語り手を刺激し、それで 何か新しいものを 引き出すであろう、 挑戦的な問いですか。 または私たちは、質問をします - それは、 深刻な問題をもった 真剣な人物から、出されます。 それが、自らの生において 深刻な問題であるなら、 そのとき、そういう問いは 重要性を持ちます。 活力の感覚を持ちます。 そういう問いは、真実をもって、 深みにおいて答えられます。 これらの問いの幾つかが、あります - すなわち、出されてきたもので、 今朝、私が選んで おいたもの、です。 むしろ、昨夜ですね。 2:22 全部で、あまりに多くの 質問が、あります。 たぶん百五十以上です。 それらすべての問いに 答えることは、不可能です。 で、私たちは、 たぶんそれらすべての問いに 応用可能であるものを、 選んでおきました - 自分が答えたいか、 答えやすいものに応じて、ではなく、 私たちはこれらを選んでおきました。 そして、私たちがすべての問いに 答えなくても、 ご容赦くださることを、 望みます。
2:58 質問者: ご迷惑をお掛けするのを 容赦してくださることを、望みます。 あまりご迷惑を お掛けしないことを、望みます。 私はあなたより縁遠く感じます。 あなたが自分は師匠、導師でありたくないと 仰ってきたことは、存じていますが、 私はやはり、あなたはそうだと、感じます。 あなたはそこに座っているし、 私たちはあなたから遠 で、思うんですが、 それは変化させられますか。 それが、私のただ一つの問いです。
3:24 K: 演台の上に座ることは、 権威を与えません。 少し高くした演台に 座ることは、 便宜のためだけです。 なぜなら、 あなたたちは語り手を見られるし、 語り手はあなたたちを見られるからです。 そして、権威、導師の 問い全体ですが、 私たちは、その問いをしょっちゅう 取り扱ってきました。 おそらく私たちは、もう一度 それを取り扱うべきでしょう。 少し後に、導師に関する 問いが、あります。 そのときまで、待ってもよろしいですか。
4:24 問い1: 「二人の人々が 葛藤と痛みの関係を、持っているなら、 彼らはそれを解消できますか。 または 関係は、終わらなければなりませんか。 そして、良い関係を 持つには、 双方が変化することが 必要でないですか。」
4:50 「二人の人々が、葛藤と痛みの 関係を、持っているなら、 彼らはそれを解消できますか。または 関係は、終わらなければなりませんか。 そして、良い関係を 持つには、 双方が変化することが 必要でないですか。」 問いが明らかであるのを、望みます。
5:10 関係において 痛み、葛藤の 原因は、何ですか - そして、関係に生ずる問題 すべての原因は(何か)、です。 その根は何ですか。 どうぞ、この問いに答える中で、 私たちはともに考えています。 私がそれに答えていて、あなたは それを受け取り、それを 受け入れるか、拒絶するかだけではない。 ともに私たちは、この問いを 探究しています。 これは、すべての人間に 関連する問いです。 彼らが東洋や、ここか、 ヨーロッパ、アメリカにいても、です。 これは、本当にほとんどの人間に 関連する問題です。 見たところ、二人の人々、 男と女は、 葛藤なく、ともに 生きられません - 痛みなく、 不平等の感覚なく 自分たちは深遠に互いに 関係し合っていない あの感じなしに、です。 6:39 なぜかと訊ねます。 複数の原因が、あるかもしれません - 性的なもの、 気質の欠如、 信念の、野心の 対立感情。 関係における この調和の欠如には、 きわめて多くの原因が あるかもしれませんが、 本当に起源は、何ですか - 私たちの一人一人において 葛藤をもたらす その起源の深みは(何か)、です。 それは訊ねるのが重要な問いで あると、私は思います。 訊ねる。 そのとき、 語り手のような誰かから答えを 待つのではない。 問いを出しておいて、 待つ辛抱を持つ。 躊躇う。 問い自体に、種をまき、 花開き、動くようにさせる。 私があの感じを伝えつつあるのか どうか、私は知りません。
8:04 私は、自分自身に訊ねます - なぜ私は、もし女と結婚しているか、 女とともに生活しているなら、 なぜ私は、自分たちの間に この基本的な葛藤を、持っていますか。 私は、表面的な答えを示せます。 なぜなら、彼女はローマ・ カトリックであり、 私はプロテスタントであるから、 または私はあれやこれであるから、と。 それらはすべて、表面的な理由です。 しかし、私は見出したいのです - 二人の人々の間の この葛藤の、深く根づいたか、 深い起源は、何であるか、です。 私は問いを出したのです。 そして私は、問い自体が 花開くのを、待っています - 問いの裏に潜む錯綜すべてを 露出するのを(待って)、です。 なぜなら、問いには、大変 多くの錯綜が、あるからです - そして、問いが 持ち出すものには(錯綜が)、です。 9:19 そのために私は、少し辛抱を しなければなりません - 少し、待つ、見守る、 気づく感覚を持つ、 それで問いが 開きはじめるのです。 それが開くにつれて、私は 答えが見えはじめます。 私は答えが欲しい、ということではない。 問い自体が、 二人の人々の間に横たわる とてつもない複雑性を 解き明かし、 私に示しはじめます - おそらく互いを好き合い、 おそらく互いに魅了され合った 二人の人間の間において (の複雑性を)です。 彼らは、きわめて若いとき、 性的になる・ ・・その他すべてです。 後に、彼らが少し 年を取るにつれて、 彼らは互いに 退屈するし、 次第にその退屈から 逃避します - 別の人物、離婚、 10:38 その他すべてをとおして、ですが、 同じ問題は、 他の人とでも存在します。 で、私は辛抱をしなくてはいけません。 辛抱 - 私がいうその言葉は、 時に作動するのを許さない、という意味です。 あなたがその問いへ入ったことが あるのかどうか、私は知りません - 辛抱と、辛抱しないこと、です。
11:11 私たちのほとんどは、かなり辛抱しません。 私たちは、自分の問いへ 即時に答えてほしいのか、 即時にそれから逃避し、 即時にそれに対して作動します。 で、私たちは、それとやっていくのへ かなり辛抱できません。 この辛抱できないことは、 問題の理解の深みを 与えてくれません。 ところが、もしも辛抱をしていた なら - それは時のではありません。 なぜなら、私は辛抱しています。私は 問題を終わらせたがっていないからです。 私は問題を、見守っています。 見つめています。 それを発展させ、成長させます。 で、この辛抱の中から 私は、答えの深さを 見出しはじめます。 いいですか。今朝、今、 ともにそれをしましょう。 12:15 私たちは辛抱しています。 即時の答えを欲しがっていません。 ゆえに、私たちの精神、頭脳は 開いていて、見つめます。 問題と、その複雑性に 気づいています。 いいですか?  私たちはしようとしています - いいえ、私は「しようとして」と いう言葉を、使いたくありません - 私たちは、問題へ透徹しつつ あります - なぜ二人の人々が けっして葛藤なくともに 生きられないと思われるのか、です。 この葛藤の根は 何ですか。 この葛藤の深さや 表面性は、何ですか。 そして、彼女との、または誰かとの 私の関係は、何ですか。 それは表面的ですか。 すなわち、性的なのか。 魅力、 好奇心、 興奮、 それらはすべて表面的です - 感覚的反応は、表面的です。 13:55 ですね? で、私は、これらの応答が表面的で ありつつあるのを、悟ります。 そして私が、表面的に答えを 見つけようとするかぎり、 私はけっして、問題の深さを 見ることができないでしょう。 で、私は、表面的な応答から 自由ですか - そして、表面的な応答が 創り出す問題から、そして、 それら問題を表面的に解決しようと することから(自由か)、です。
14:41 付いてきておられるのか どうか、私は知りません。 私はそれを見てきました。だから、私は 表面的に答えを見つけないでしょう。 ゆえに私は、それの根は 何であるのかと、言います。 それは教育ですか。 それは、私は男なので、 相手を支配したい、 私は相手を所有したい、ということですか。 私は深く執着しているので、 手放したくないのですか。 私は、繋がれ、執着している ことが、間違いなく 腐敗をもたらすであろうことが、 見えますか。 よろしいですか。 私は嫉妬している、 私は心配である、私は怯えている、 という意味での腐敗です - 自分がよくよく知っている 執着の次第すべて、です。 15:56 それが、その原因ですか。 または原因は、はるかに深いの ですか。よろしいですか。 まず第一に、私たちは、 表面的、と言いました。 それから、情動的な執着です。 情動的で、感傷的で、 ロマンチックな依存です。 もし私がそれらを捨て去るなら、 そのときここには、さらに 深い主題が、関与しているのですか。 分かりつつありますか。 私たちは、表面的なものから、もっと 下へ、もっと深く深く動きつつあります。 それで私たちは、その根が何であるかを 自分自身で見出せるように、です。 あなたが私とともにこれを しているのを、望みます。 聴衆: はい。
16:49 K: いいですか?
16:52 さて、私はどうやって その根を見つけますか。
16:55 あなたはどうやって、その根を見つけますか。 あなたは答えを欲しがっていますか。 その根を見つけたがっていて、 ゆえに、ものすごい努力を しつつありますか。 またはあなたは、自分の精神、頭脳が静かで 見つめているように、それを見つけたいですか。 いいですか? で、それは動揺していません。 それは、 欲望、意志の活動ではありません。 それはただ見守っています。 私たちはともに、これをしていますか。 ただ見守っているだけです - 人間たちの間のこの葛藤の 深い根や、深い原因や、 基礎が何であるかが 見えるように、です。 それは、個人的分離の 感覚ですか。 よく気をつけて、どうぞ、 それに入ってください。 それは、個人的な概念ですか - すなわち、私は相手より 分離している、と。 基本的に、です。 生物的に私たちは 異なっているけれども、 深く根づいた 個人的な、分離的な 行為の感覚です。 それが、その根ですか。 19:04 または、さらに深い根、深い層が ありますか。理解されますか。 これらに付いてきておられるのか どうかと、思われます。 私たちはともに、ここにいますか。 初めに、感覚的な応答、 官能的な応答、 それから、情動的、 ロマンチック、感傷的な応答、 そのとき執着が、 そのすべての腐敗とともに、です。 またはそれは、何か深遠に 条件づけられたもの、 「私は個人だし、彼女や彼は 個人だし、私たちは分離した実体だ」 と言う頭脳ですか - 「各々が自分なりに 充足しなければならないし、 ゆえに分離は基本的だ」と (言う頭脳か)。 そのとおりですか。
20:36 それは基本的ですか。または、 私はそれへ教育されてきましたか。 すなわち、私は個人であり、 彼女もまた個人で、 彼女なりに自分自身を 充足しなければならないし、 私も同等にそうしなければならない、と。 で、私たちは、すでに まさに始まりから、出発したのです - これら分離した二方向、です - ともに平行に走っている かもしれませんが、 けっして出会わない。 けっして出会わない二本の 鉄道線路のように、です。 そして私がしようとしている すべては、出会おうとすること 調和的に生きようとすること、 格闘することです。 「ああ、ダーリン、あなたは とっても良いね」と。 よろしいですか。 反復し、反復するが、けっして出会わない。 そうですね?
21:41 で、それが原因であるなら、 そして見たところ、 それがその原因、根だと 見えますが、 その個人の分離的な存在は 実在ですか。 またはそれは、幻影ですか - すなわち、私が養って、大切にして、 取りすがってきたもの - その裏に妥当性のないものですか。 それが妥当性を持たないのなら、 私は、それは幻影であることが まったく確かであり、絶対的に 取消不可能に確かでなければなりません。 そして頭脳は、 その幻影から離れられ、 私たちはみんな心理的に 同様であることを、悟られますか。 22:50 よろしいですか。 私の意識は、 残りの 人類の意識です。 生物的に私たちは異なるけれども、 心理的に私たちの意識は 人間すべてにおいて、同様です。 私が一度これを悟るなら - 知的にではなく、深みで、 私の心に、私の血に、 私の腹に、その感じを、です - そのとき、他の一人への私の関係は 根本的な変化を、被ります。 いいですか? 回避不可能です!
23:42 さて、質問者は訊ねます - 私たちは葛藤の中にいます。 それは終わらなければなりませんか。 もし私たちが一日中、 互いに闘うなら - ほとんどの人々がそうであるように、 格闘、葛藤、 そうね、苦々しさ、 怒り、憎しみ、 嫌悪。 私たちは、できるだけ長く、 それを堪えます。 そのとき、私たちが別れなくては いけない瞬間が、来ます。 私たちは、この親しみ深い 様式を、知っています。 結婚の後、もっと多くの 離婚があります。 そして、質問者は訊ねます - 自らは何をすることになりますか。 もし私が自分の妻と果てしなく 葛藤の中にいつづけて、 どうにか私はそれに つぎはぎをできないなら、 関係は終わらなければなりませんか。 25:20 または私は、この断裂の、 この葛藤の原因を、基本的に 理解します。 (原因)それは、 分離した個人性の感覚です。 私は、その幻影のような本性を 見たのです。 ゆえに私は、もはや 個人の路線を追求していません。 ゆえに、何が起きますか - それを知覚して それを生きる(私)、 言語的にそれを 主張するのではなく、 実際にそれを生きる私と、 そのとき、やはり個人という ことに立って考える その人物、その女との 私の関係は、何ですか。
26:13 質問を理解されますか。 それはとても興味深い。 入ってください。 私は見ます。 または彼女は見ます - それは彼女に任せたほうがいい - 彼女は、個人の愚かしさ、 不条理、 幻影のような本性を 見ます。 彼女はそれを理解します。 彼女は それを感じますが、私は感じません。 なぜなら、私は男性であり、 私のほうが攻撃的であり、 駆り立てる、 その他すべてであるからです。 で、私たちの間に、何が起きますか。 彼女は本性を了解したのですが、 私はしていません。 彼女は私とけんかしないでしょう。 けっして、です。 彼女はその区域へ そもそも入らないでしょうが、 私は常に彼女に 押しつけ、 彼女を駆り立て、彼女をあの区域から 引っ張り出そうとしています。 私が葛藤を創り出しています。 彼女が、ではない。 全部がどう動いてきたのかを 理解されましたか。 これらに付いてきておられますか。

聴衆: はい。
27:38 K: 全部が動いてきたのです。
27:39 喧嘩している二人の人々は いなくて、ただ一人です。 何が起きたのかを、見てください。 そして私は、そもそも 敏感であるなら、 私は彼女へ本当の感じを持っている なら、私もまた変容しはじめます。 なぜなら、彼女は取消不可能にそこに いるからです。 理解されますか。 彼女は、あの区域から動いて 外へ出ないでしょう。 何が起きるかを、見てください。 二つの動かしえない物体が 出会うとき、葛藤があります。 しかし、一人が動かしえなくて - ご婦人が、です - 私は動かしうるのなら、自然に 私は、動かしえないものに、譲ります。 いいですか? これらを 理解なさるのかどうかと、思われます。 これはとても単純です。
28:52 で、そのとき問題は、解消されます。 自らが、イメージなしの関係へ 本当の了解を持っているなら - 私たちは以前にそれへ入りました - そのとき、彼女の存在こそにより、 彼女の現実の 活力こそにより 彼女は、私を変容しよう、 助けようとしています。 それが答えです。分かりましたか。
29:31 問い2: 「あなたがいう、 自分の生の書物を 一瞥で、または一目で読むとは どういう意味かへ、どうぞ、
29:42 入ってくださるでしょうか。」 「あなたがいう、自分の生の書物を 一瞥で、または一目で読むとは どういう意味かへ、どうぞ、 入ってくださるでしょうか。」 私たち人間が人類の歴史
29:56 (ヒストリー)であることは、相当に 明白であると、私は思います。 ですね? 私たちには、人間の心理的知識 すべての総体が、あるのです。 ですね? それは相当に明白です。そう望みます。 私はそれに入らなければなりませんか。
30:25 聴衆: はい。
30:27 K: すなわち、 人類の物語ですが、 それは、戦争、 涙、流血、 痛み、嘆き、 笑い、苦悶、心配、 さびしさ、悲しみ。 そのすべてが、私の一部です。 私はそれです。 私は、そのすべての物語(ストーリー)です。 歴史(ヒストリー)の書物は 私です。 王様たちとかではない。 王様たちの部分も、です。 私はそのすべてです。 さて、私はその書物を読めますか - すなわち、私を、です。 私はそれを、一ページずつ、一章ずつ 読まなくてはいけませんか。 書物の終わりに来るまで ただの一行をも見逃さないで、です。 質問を理解されますか。 私は、人類すべての物語です。 それは、相当に単純です - 知的にさえそれを見ることは(単純)です。 31:57 ですね? 私はそれを知的に見ますか - すなわち、私が人類すべての 物語であることを、です。 人類すべてが苦しみます。 涙を流してきました。笑い、 模倣、順応、 あらゆる屈辱感、 卑俗さ、表面性。 私は、そのすべてです。 さもないと、私は、今いるような 政治家たちを、選挙しないでしょう。 いいですか? で、私は、そのすべてです。 司祭者と、神々 364          00:32:41,130 --> 00:32:45,370 - すなわち思考が創案してきたもの - を含めて、です。 私は、そのすべてです。 さて、その書物は私です。 私は一ページずつ読まなくてはいけませんか。 または私は その書物全体を、一瞥で、 ただの一目でもって 理解できますか。 二つの問いを 理解されますか。
33:25 私たちは、その書物を 一ページずつ、一章ずつ 読むことは不可能であると、 言っています。 それには、あなたの一生すべてが 掛かるでしょう。 なぜなら、あなたの一生すべては 時の期間であるからです。 その時の間に、あなたは もっともっと付け加えています。 または、少しずつ取り去っています。 が、あなたはもっともっと 集めています。 で、その書物は、けっして 一ページずつ読めません。 それはけっして読まれません。 理解されますか。 あなたがそれを理解するなら - それは論理的で、客観的です。 あなたが、それは一ページずつ 読めないことを、悟るなら、 そのときあなたは、ただ一つの主題を持っています。 それは、了解する眼でもって それを見つめることです - 始まりから終わりまで 一瞥で、です。 34:47 それは、どういう含蓄ですか。 あなた自身を - すなわち、 人類の物語、ストーリアを - 見つめるとは、 どういう含蓄ですか。 人類を、です。 それを見つめるとは。 理解されますか。 またもや これは、辛抱を必要とします。 辛抱強い静寂な頭脳でもって それを見つめる - それで書物自体が、急速に 開いてくるのです。
35:26 さて、ちょっと待って。 あなたが地図を持っているとき - ここはスイスですか。 はい - あなたがスイスの地図を 持っているとき - すべての湖と山々、 そのすべて、 土地の美しさとともに、です - あなたは、グシュタードからベルンへ行く ために、特定の方向を持っているなら、 あなたは、その道筋に 関心を持っているだけです。 あなたは、残りの地図を 見つめません。 すなわち、あなたは 特定の方向を持っています。 あなたは、特定の方向を 持っているなら、 残りの地図を見るのを 無視します。 どうぞ、これを理解してください。 しかし、方向を持っていないなら、 あなたはそのとき、ぐるっと見渡します。 そのことを理解されましたか。 あなたが動機を持った瞬間 - それがあなたに方向を与えます - そのときあなたは、特定の方向を 見ているだけです。 36:48 しかし、動機を持っていなくて、 それで方向をも持っていないなら、 そのときあなたは、地図全体を 一瞥で見つめます。 理解されましたか。 さて、あなたはこれをできますか - 自らの自己について、同じことを、です。 怒り、嫉妬、残忍性、 攻撃、執着、それらです。 それが、あなた自身の 地図全体です。                417 00:37:21,280 --> 00:37:28,310 それは、頭脳の静けさと、 方向がないことを、必要とします。 そのとき、その全体が 明らかに見えます。 あなたは、その歴史の 調子全体が聞こえるし、 あなたは、即時に それを捉えたのです - その全体性を、です。 ですね? それが お分かりになりましたか。
37:54 私たちは、次の問いへ 進みましょうか。
38:05 問い3: 「私自身を含めて 私たちの数人は、 光を見る経験を してきました - 宇宙と一体の感じ、 エネルギー、 クンダリニーの目覚め、 内的な明晰さを、です、 これらは時々、数瞬間か、 数時間か、続きます。 これらは、開明に向かう 歩みではないですか。」 神様、私たちは、何とばかげた 多くの人たちなんでしょうか。
38:47 「私自身を含めて私たちの数人は、 光を見る経験を してきました - 宇宙と一体の感じ、 エネルギー、 クンダリニーの目覚め、 内的な明晰さ、です、 これらは時々、数瞬間か、 数時間か、続きます。 これらは、開明に向かう 歩みではないですか。 」 少し可笑しくてもいいですか。 あなたが光、閃きと それらを見るとき、 肝臓はだいじょうぶなのか どうかと思われます。 ちょっと待ってください。
39:46 そうね、或る人々は真剣に 一定の経験をする、 一定の知覚をするのです。 私は、それらを 経験とは呼ばないでしょう。 さて、経験が何であるかを 検討しましょう。 経験とは何ですか。 それは、感覚的な経験、 官能的な経験、 あるいは、心理的な経験、 あるいは、純粋に物理的な経験です。 (例えば)痛み、歯痛などのように、です。 私たちはここで、心理的な 経験について、話しています。 さて、私たちがいう経験とは どういう意味ですか。 出来事、たまたま起きたこと - それをあなたは 認識し(なければなりません)、 それを名づけなければなりません。 ゆえに経験は、 経験しつつあるあなたより、 異なっています。 41:04 これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。 ゆえにそれは、こういう意味です - 経験者が何かを 経験しつつあるなら、彼は、 それが何であるかを、知らなければならない、と。 彼は、それを認識できなければなりません。 さもないと、それは経験ではありません。 いいですか? これらに付いてきて おられるのかどうか、私は知りません。 私が経験を認識できないなら、 それは存在していません。 私はそれを認識します。 なぜなら、 私はすでにその兆候、知識を 持ってきたからです。 ゆえに私は、それは 経験であると、言います。 私は何か神を見てきました - ヒンドゥー教徒として 経験によって、です。 私が ヒンドゥー教徒であるなら、です。 なぜなら、私の頭脳は、それへ 条件づけられているからです。 41:59 あなたは、キリスト教徒であるなら、 イエスの(経験)や、 何であれ、経験をします。 で、経験より 分離した 経験者があるかぎり、 あなたが「新しい経験」と呼ぶ ものは、本当は古い経験です - 違った形に 顕現したし、 あなたは、それを認識します。 あなたはそれを、経験と呼びます。
42:28 さて、明らかである(精神)、 絶対的に 自己の影のない精神 - それは、何も経験をしません。 なぜなら、経験されるものは 何もないからです。 開明は 経験の状態ではありません - それは、こうも不条理です。 なぜなら、 真理やあの究極の エネルギーを、あなたは 経験できないからです。 487 あなたは、「うん、私は あれに到った」と言えません。 あの発言 - 「私は あれに到った」というのは、 虚栄と傲慢に 満ちています。 傲慢から自由である精神、 頭脳や精神は - それは、その単純さにおいて まったく謙虚です。 そこには いかなる自己も、ありません。 そのとき、あの永遠が そこにあるかもしれません。 しかしあなたが、「私はあれを 経験しつつある」と言うなら、 そのときあなたは・ ・・それは、 怒りを経験するのに似ています。 それは、怒りと同じようなものです。 それを開明と 呼ばないようにしましょう。
44:10 そして、この新しいものが、あります - またもや、インドからもたらされました。 彼らはそれを自分自身に取って おけばいいのに、と私は思います。 クンダリニーについて インドから、もたらされました。 たぶんあなたたちの多くは、 これを聞いてきました。 聞いてこなかったなら、忘れてください。 しかし、聞いてきたなら、 それについて書く人々は - どうぞ、許してください。 私は大変 尊敬を込めて、これを言っています - それについて話をする人たちは それについて何も知りません。 あなたは、こう言うかもしれません - あなたはどんな権利があって、そう言うのか、 なぜあなたは、彼らは 知らないと言うのか。 45:03 それは、あなたは知っている、 という意味だ、と。ですね? 当然、それが 明白な問いです。 個人的に私は、この問いに 入りたくありません。 なぜなら、誰でも「私はそれが何を 意味するかを知っている」と言う人は、 知らないからです。 それはあまりに複雑すぎます。 観念全体は、こうです - エネルギーは 誤用されるとき、 エネルギーの全的な起源を 了解できるエネルギーを、 破壊します。 理解されますか。 私が自分のエネルギーを様々な形で 誤用するなら - (例えば)傲慢、利己的行為、 競争、攻撃、 悲しみに浸る、それについて 果てしなく話しているか、 常に何らかのことに占有されて いて、私はエネルギーを むだにしています。明白です。 46:25 それは、いつの時も車庫の中で 回っているモーターに、似ています。 それはすぐに擦り切れます。 しかし、これらの観念は こうです - このエネルギーが どの方向にも むだにされないとき、 まさにその人間のエネルギーこそは、 葛藤により 創り出されたエネルギーや、 思考により創り出された エネルギーではないのですが、 あの(人間の)エネルギーは、宇宙 (万物)の全的エネルギーを、捕捉します。 それが、クンダリニーと それらの種類のことに ついての観念です。
47:18 で、質問者は、こう言います、訊ねます - これは 開明の過程ですか、と。 またもや大変尊敬を込めて 指摘してもいいなら、 あなたは、開明のために 準備をできません。 それは、すてきな一品を 料理すること、時間を掛けて ポテトの皮を剥くこと、その他 すべてには、似ていません。 開明は、何かあなたが次第に 来られるもの、過程ではありません。 あなたがまったく全的に利己的で ないのと、まったく葛藤の 影のない頭脳を持っているなら、 それはそこにあります。
48:27 問い4: 「あなたは、 自分の聴衆、聴き手を 疑い、問うよう、招待してきました。 正しく問うことが 必要になります。 それで、間違った問いの主題と、 問うことの芸術全体へ 入る甲斐が あるでしょうか。」 私たちはそれをしてきましたが 私はもう一度、それを読みましょう。
48:45 「あなたは、自分の聴衆、聴き手を 疑い、問うよう、招待してきました。 正しく問うことが 必要になります。 それで、間違った問いの主題と、 問うことの芸術全体へ 入る甲斐が あるでしょうか。」
49:14 どうぞ、語り手は、あなたたちを 問い、疑うよう、 懐疑的であるよう、 招待してきませんでした。 それは、自らの自然な 智恵の一部です。 それは、語り手が「疑おう」と 言うわけでありません。 それ(を言うの)は無意味です。 が、私たちは騙されやすくないなら、 私たちは問いたいなら、 私たちは見出したいなら、 私たちは探究したい、透徹したいなら、 あなたは懐疑的でなくてはいけません。 あなたは、自分の経験を 疑わなくてはいけません - 自分の標準を、 自分の結論を、 自分の先入観を(疑うの)です。 しかし、私たちはそうしません。 私たちは、他の人たちが言って いることを、問い、疑います。 ですね? さて、自分の生来的な探究、 透徹、疑いの中から 問うているとき、そのとき それは、重要性を持っています。 それは、活力を持っています。 それは、自らの先入観から 頭脳を浄めます。 50:33 私が先入観を持っていて、 それに取りすがるなら、 私はけっして、それを問うていません。 私の頭脳は、次第に鈍ります。 しかし、私が自分の先入観を問うなら - 私の信念、私の結論を 宗教的な振るまい、その他すべてに ついての私の概念全体を、です - (そのとき)私の頭脳は、もっと 軽く明らかに活動的になります。 当然です。 で、語り手は、あなたを 疑うよう、招待していません。 あなたは、疑わなくてはいけません。 それは、生の一部です。 あえて疑わないのは、 騙されやすい人たち、 何か空想的な、ロマンチックな 感傷的なイメージへ 取りすがりたい人々だけです。
51:25 そして、問うことの芸術。 そうね、三つの芸術が ありますよ - 聞くことの芸術、 見ることの芸術と、 学ぶことの芸術です。 ですね? 聞くことの芸術は、 解釈なく 聞くことです。 言われつつあることを、 あなた自身の快適さと 欲望に合うように翻訳する ことなく、聞くことです。 耳に聞こえることでもって 聞くだけではなく、 言葉と、言葉の裏に潜むものをも、 聞くことです。 そして、注意深く聞き、 それであなたは 意味の深さを捉えるのです。 見ることの芸術は、 言葉なく、 名なく、形態なく 観察することです。 52:48 それは、どの方向もなく、 どの動機もなく 観察する、という意味です。 観察し、それであなたは 自分自身の動き全体を捉えるのです                607 00:53:04,580 --> 00:53:08,900 - 樹々の(動き)、川の、 丘の動きを、です。 見ることです。 そして、学ぶことの芸術は、 私たちがその芸術を学んできたように、 今、知識を蓄積することです。 それが、学ぶことの芸術です。 私は数学を知りませんが、 私は研究します。 私は、教えてくれる教授を 持っています。 そして次第に、私は 数学を学びます - それで私は、 技師や技術者として テクノロジーの世界全体へ 応用できるのです。 ですね? あれを待ってもいいですか。
54:57 学ぶことの芸術は、 どの主題についても知識を集積し、 その主題を専攻し、 巧みに行為することです。 それが、私たちが学びと呼ぶものです。 すなわち、知識、情報を集める、 そのとき行為する。 他方は、行為する。 その行為から、学びます。 それは、他方と同じです。 これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。 いいですか? 私は、生きられる(ため)、 生計を立てられるために、 情報を集めます。 55:45 そこで巧みに行為するか、 巧みでなく(行為するの)です。 または他方は、行為し、 その行為から学ぶのです。 すなわち、その行為から 私は、知識を蓄積してきました。 それらはどちらも同様です。 それらは分離していません。 それらはどちらも同様です。 しかし、或る人たちは 他方を強調しています。 すなわち、初めに行為し、 行為から学びます。 これは或る人たちが持ち出しつつあります が、私はそれに入らないでしょう。 で、どちらも同じです。 すなわち、知識を蓄積し、 行為する。
56:28 さて、別の形の学ぶことが ありますか。 あなたがそれに入り、それを問うなら、 とても興味深いのです。 私たちは、古い体系に 親しんでいます。 知識を蓄積し、行為する。 他の学ぶことがありますか。 私たちは当面、「学ぶ」という言葉を 括弧付きで使うでしょう。 蓄積することではない、 別の学ぶことが、ありますか。 なぜなら、何が起きるかを見てください。 あなたが知識を蓄積し、 (巧みに)技能をもって行為するとき、 あなたの技能は、いつも制限されています。 そうですね? あなたの知識に応じて 制限されています。 知識はけっして 完全ではありえません。 ゆえに、あなたの行為は、 必然的に不完全になり、 ゆえに、葛藤を引き起こすでしょう。 57:29 いいですか? それは明らかです。 さて、私たちは訊ねています - 知識に 基づいていない行為が、 ありますか。 これは、困難な問いです。 どうぞ、 辛抱をして、見出してください。 別の形の行為が、ありますか - すなわち、学び、知識を蓄積する ことに、基づいていないものが、です。 知識から生まれた行為が 何を含蓄するかを、見てください。 それについて、きわめて明らかでなければなりません。 あなたは疲れつつありますか。
58:16 聴衆: いいえ。
58:20 K: それについては、きわめて 明らかでなければなりません。 彼らは面白がっていますか。
59:33 もう一度、出発しましょう。 きわめて明らかでなければなりません。 学ぶことの含蓄、 情報を入れること、 その知識から、行為する。 その知識は、けっして 完全ではありえません。 ゆえに行為は、けっして 完全ではありえません。 ゆえに、 そういう行為は、後悔、罪悪を もたらすにちがいありません - 罪悪感と 葛藤を、です。 ですね?  それは明らかです。 別の行為の性質が ありますか - すなわち、知識に 基づいないものが、です。 (知識)それは、思考に基づいて います。理解されますか。 思考に基づいていない 行為が(あるか)、です。 思考は、知識、 経験、記憶の応答です。 (それらは)頭脳に 蓄えられています。 思考の行為は、制限されています。 ゆえに、後悔、痛み、悲しみ、 その他すべてが、あります。 思考から生まれていない 行為が、ありますか。 問いは分かりますか。 私たちは、問いに出会っていますか。 見出しましょう。
1:01:09 あなたが、知識と行為が何を含蓄 するかと、それの真理を、見るなら - それの知的な概念と 受け入れではなく、 それの真理を、です - 思考に基づいたその行為は、 必然的に葛藤、罪悪、後悔、 それらを創り出すにちがいありません。 なぜなら、思考自体が、深く取消 不可能なほど制限されているからです。 なぜなら、知識が制限されているからです - 何についても、です。 さて、思考から生まれていない 行為が、ありますか。 たぶんこれは、あなたが それを聞く初めての時です。 ゆえに、あなたの態度全体は、それに 抵抗することでしょう。 または あなたは「証明してくれ」と言うかもしれません。 「私たちは他方をよくよく知っているが、 私たちはこれを知らないので、 それを私たちに証明してくれ」と。 いいですね? 1:02:27 私はあなたにそれを証明しつつありません。 私は呪術師ではありません。 語り手が言っているすべては、 こうです - 二つを見守りなさい。 思考から生まれた行為の制限を、 きわめて明らかに見守りなさい。 そして、思考から生まれていない 行為を 問い、探究し、透徹しなさい。 私たちにとり - あなたは、「私はそれが 何を意味するかを知らない」と言います。 「なぜなら、私はけっして、それを見つめた こと、考慮したことさえ、ないから」と。 で、誰かがやってきて、「ともに それを見つめよう」と言います。 いいですか? 語り手は、「ともにそれを 見つめよう」と言う人物です。
1:03:31 愛は思考ですか。 質問を理解されますか。 質問を理解されましたか。 愛は、思考から生まれていますか。 欲望から生まれ、 楽しみから生まれていますか。 語り手は、単純な質問を しています。 もしあなたが、愛は思考の 一部であると、言うなら、 そのとき愛は、憎しみの一部です。 当然です。 憎しみと愛は、ともに 存在できますか。 それで論理的に、客観的に、 おそらく、きわめてきわめて健全に 愛は、思考といかなる 関係をも、持ちません。 そして思考は、 愛に関係していないので、 愛の行為は、何ですか - すなわち、思考とは何の 関係をも持たないものは、です。 私たちは互いに出会っていますか。
1:05:07 聴衆: はい。
1:05:10 K: ヴ・ゼテ・アンプ・パラリゼ?(少し麻痺していますか) 私たちは、この問いにより 少し麻痺していますか。 残念ながら、私たちはそうだと思います。 もし私たちが、愛を思考に関連づける なら - 私たちはそうしますが - そのとき愛は、必然的に葛藤を もたらすにちがいありません。 明白です。 なぜなら、私たちは愛を 欲望に、関連づけてきたからです - 性的、 他の形の欲望に、です。 また、私たちが、楽しみを 愛に関連づけるなら、 またもや、それは 思考の作動です - 私たちがそれに入ってきたように、です。 そのとき、愛は全的に 思考と関与しています。 それは思考と 関与しているので、 それは人間たちへ、大きな苦労を もたらすにちがいありません。 それは単純です。ですね? で、思考から生まれていない 行為が、ありますか。
1:06:24 おそらく私は、「愛」という言葉を 使いさえしないでしょう。 なぜなら、それにより それは錯綜しかねないからです。 私たちはこう言います、語り手はこう言います - きわめて明らかに、 断定的に、取消不可能に、です - すなわち、思考から 生まれていない行為がある、と。 彼はあなたにこれを、きわめて 明らかに説明するでしょう。 あなたが何かを 明らかに知覚するとき - その明瞭さの知覚は、 頭脳が自由であるとき、 来るだけです。 すべての繋留から、 すべての執着 - 信念、人物、観念 などへ(の執着) - から自由で ある(とき、来る)のです。 それが、頭脳を自らの 条件づけから自由にします。 で、それは新鮮に見られるのです。 1:07:31 ですね? 新鮮に見ることは、 観察者と観察されるものとの間に 分割を持たないことです。 私たちは、またもやそれを 気をつけて、説明しました。 で、知覚の行為が あります - そこに観察者と 観察されるものがない、 ゆえに思考の活動が ないものが、です。 そして、行為は 思考から自由です。 私はよく気をつけて、それを 説明してきました。ですね? すなわち、もし私が、何の 先入観もなく、観察できるなら - 人物を、 特に関係において、です。 きわめて明らかに観察する - 自らが彼女や彼について この二十年、四十年、 十日の間、集めてきた 記憶すべてなしに、です。 1:08:44 それからまったく自由である - 傷、侮辱とそれらを 収集していない頭脳、 そういう頭脳は、自由に観察できます。 その観察は 全的な頭脳の作動です。 なぜなら、何も妨げがないからです。 ですね? それは全体として作動します。 そのとき、その全体性から 生まれた行為は、 葛藤なしです。 それは、思考の行為では ありません。ですね? 私はそれを説明してきました。 それはあなた次第です。
1:09:45 第五の問いは、こうです - 「あなたは誰ですか」。
1:10:01 それは、重要な問いですか。 またはあなたは、「私は誰であるか」と言うでしょうか。 あなたは誰であるか、ではなく、私は誰であるか、と。 もし私が、私は誰であるかをあなたに語る なら、それが何事だというのでしょうか。 それは、好奇心からになるでしょう。 そうでないでしょうか。 それは、ウィンドゥのメニューを 読むのに、似ています。 あなたは、レストランへ入って、 物を食べなくてはいけませんが、 単に外に立って メニューを読むだけでは、あなたの 空腹は、満足しないでしょう。 で、私が誰であるかをあなたに語る ことは、本当にまったく無意味です。 まず第一に、私は何者でもありません。 いいですか。  それですべてです。 それはさほどに単純です。 私は何者でもありません。 重要なことは、 あなたが誰であるのか、です。 あなたは何ですか。 1:11:15 彼らが、あなたは誰であるかを、訊ねるとき、 その問いには、あなたがきわめて偉大な 何者かであることが、含意されています。 ゆえに私は、あなたを 模倣しようとしているのです - あなたの歩み方、 あなたの話し方、 あなたの歯の磨き方や、 それが何であっても、です。 私はあなたを模倣しようとしています。 それは、私たちの様式の一部です。 理解されますか。 英雄や、覚りを開いた人や、 導師が、います。 そしてあなたは、「私は、あなたがする ことすべてを真似よう」と言います。 それは、不条理なほど ばかげてきます - 誰かを模倣することは、子どもっぽい。 私たちは、たくさんの模倣の 結果ではないですか。 1:12:09 宗教は、こう言ってきました - 彼らは、模倣という言葉を使いませんが、 「あなた自身を委ねなさい。 降参しなさい。私に従いなさい。 私はこれだ。 私はあれだ。 崇拝しなさい」と。そうですね? このすべてが、あなたなるものです。 学校であなたは、模倣します。 どうぞ、知識を取得することは 一つの形の模倣です。 もちろん、ファッションがあります - ショートドレス、ロングドレス、 長い髪、短い髪、 口髭、髭なし。 模倣する、模倣する、模倣する。 また私たちは、内的にも模倣します。 で、私たちはみんな、それを知っています。
1:13:07 しかし、あなたが誰であるかを 見出すほうが、はるかに重要です - 語り手が誰であるか、ではなく、 あなたが誰であるかを、です。 あなたが誰であるかを見出すには、 あなたは、探究しなくてはいけません。 あなたは、人類の物語です。 あなたが本当にそれを見るなら、 それはあなたに、ものすごい活力、 エネルギー、美しさ、愛を与えてくれます。 なぜなら、それはもはや、 大地の片隅で 格闘している 小さな実体ではないからです。 あなたは、この人類全体の 一部です。 それは、 ものすごい責任、活力、 美しさ、愛を持っていますが、 私たちのほとんどは、これを見ないでしょう。 私たちのほとんどは、自分自身に 関心を持っているからです - 私たちの特定の小さな問題、特定の 小さな悲しみなどに(関心を)です。 1:14:33 その狭い輪から 踏み出すことは ほとんど不可能に思われます。 なぜなら、私たちは条件づけられ、 コンピューターのようにプログラムされていて、 それで私たちは、何か新しいことを 学べないからです。 コンピューターは学べますが、私たちは学べません。 その悲劇を見てください。 私たちが創り出してきた機械、 コンピューターのほうが、 はるかに速く学べます。 私が学べるより、頭脳が学べるより もっと無際限に、です。 頭脳がそれを 発明してきたが、 それは、超知的機器に なったのです。 ですね? ところが、私たちの頭脳は 弛んで、遅くて、鈍い。 なぜなら、私たちは順応してきた、 私たちは服従してきた、従ってきたから、 導師がいる。 司祭者がいる。 儀式があるからです - よろしいですか。 1:15:45 あなたが反逆するとき - 革命家やテロリストが そうするように、です - それはやはり、きわめて表面的です - 政治の(様式)、 いわゆる社会の様式を 変化させるのです。 社会は、単に人々の 間の関係です。 私たちは、革命について話して います - 物理的なのではない。 心理的な革命です。 そこには、深みにおいて 何の順応もないのです。 あなたは、ズボンをはくかもしれません なぜなら、あなたはこの国にいるからです。 インドでは 違った衣服です。 それは、順応ではありません。 それは何でもない。子どもっぽい〠1:16:38 しかし、内的に 順応の感じも、ない。 比較があるとき、 順応は存在します。 精神が全的に比較から 自由である。 すなわち、 あなたに埋め込まれた 歴史全体を、観察するのです。
1:17:13 残念ながら、これが最後の質問で なくてはいけないと、思います。 それらはあまりに多くあります。
1:17:20 問い6: 「どうぞ、時、測量、空間について さらに語っていただけるでしょうか。」 疲れておられないことを、望みます。 そうですか? 

聴衆: いいえ。
1:17:35 K: どうぞ、かしこまらないでください。
1:17:37 疲れておられるなら、 ただ静かに聞いてください。
1:17:38 私たちのほとんどは疲れているので、 私たちの頭脳は 疲労困憊したのです - いつもの反復によって、です。 (すなわち、)オフィスへ行くこと、 楽しみを探し求めること、 葛藤に抵抗することによって、です。 私たちの頭脳は - どうぞ、それらが 疲れた頭脳であることを、悟ってください。 もしもそれらが疲れていなかったなら、 あなたたちは、ここにいないでしょう。 私もまた、ここにいないでしょう。 私たちは、疲れた人間です。 なぜなら、私たちは怯えているからです。 恐怖があります。 通りには、危険があります。 金銭的な不確実性、戦争、 原子爆弾があり、 私たちは本当にとてつもなく 疲労困憊した人間です - 飲酒、薬物、あらゆる形の 耽溺をとおして、です。 1:19:11 私たちは、 大変多くの透徹、 大変多くの注意を 必要とする 何かについて、話そうとしています。 それにきわめて深く入るには、 あなたもまた、寛がなくては、自由に 見られ、透徹できなくてはいけません - どれほど自分が 疲れていようとも、です。
1:19:39 「どうぞ、時、度量、 空間、思考について、さらに
1:19:55 話していただけるでしょうか。」 これは理解することが重要です。 なぜなら、人はいつも訊ねてきたからです。 - 真剣な人たちは、です - 時が止まるのかどうか、 人は、自らが生きるところの制限された空間から、 いったい自由でありうるのか どうかを、です。        物理的に(自由な)だけではない。 物理的な空間は、ますます 狭く、狭くなりつつあります - 過剰な人口、 都市のせいで、です。 私たちは、集合住宅、タンスの中に 生活するようです - 引き出し、 押し込むものに、です。 物理的に空間は、きわめて 小さくなりつつあります。 おそらく、それが、 世界に 暴力がある理由の一つです。 なぜなら、私たちは空間を持っていないからです。 1:21:11 そういうわけで、ニューヨーク、 ロンドン、パリのような大都市では、 彼らは暴力を生み育てるのです。 私たちはみんな、あまりに 近く一緒にいます。 これは、究明されてきた 事実の一つです。 彼らは小さな空間に、多くの ネズミを、入れておきましたが、 これらのネズミは、全然 見境がなくなってしまいます。 彼らは、自分の子どもを食べ、 互いに殺し合うのです。 まさに私たちが今やっているとおりにです。 なぜなら、彼らは、物理的に 空間を持っていないからです。 で、これは、きわめてきわめて 真剣に入らなければならない 問いです - あなたが興味を 持っているなら、です。
1:22:07 三つのことが、あります - 時、度量、空間です。 時は何ですか。 空間は何ですか。 度量は何ですか。 私たちは、それを 探究しようとしています。 時、度量、空間です。
1:22:34 私たちが言いましたように、 作家の幾人かは この問いを訊ねてきました - 時は止まるのかどうか、です。 心理的な時について 私たちは、話しています。 時計による 年代順の時ではない。 あなたは、太陽が沈むのと 昇るのを、止められません。 しかし私たちは、なることの動きとしての 時について、話しています。 - あることや、 登ることや拡大することの(動きとして)、です。 時は、 進化の一部です。 心理的な進化の(一部)です。 生物的な進化は、人にとって ほとんど終わりになったのです。 明白です。 人は、三番目の腕や四番目の腕や、 何らかのものを、 発達させようとしていません。 で、私たちは、心理的な時について 話しています。 希望として(の時)、 何か昨日や去年 起きたこととしての時。 それについての記憶は、時です。 その反復は、時です。 それからの逃避しようとする 尽力は、時です。 それを抑圧すること、それについて何かをする こと - そのすべてに、時が関与しています。 1:24:26 そして人々は、訊ねます - 時、その他すべてについて、 何巻も書いてきた 作家、学者だけではなく、 また、古代のヒンドゥーも この質問をしてきました。 時が止まるのかどうか - 新しい動きが 起こりうるように、です。 想像上ではなく、 空想的ではなく、ロマンチック、 それらの種類のものではない。 実際に、心理的な時が 終わりになるのです。 いいですか? それが一つの問いです。
1:25:07 他方は、度量です。 テクノロジーの世界全体は 測量に基づいています。 もしもあなたたちが測量を 持たなかったなら、テクノロジーは ないでしょう。 定規に沿った測量や、 思考による測量など、 測量です。 この測量は 必要になったのです - 航空機を製造するため、 このテントを持つためにさえも、です。 この測量は 手渡されてきました - ギリシャ人をとおして 西洋世界へ、です。 私はギリシャ学者ではありませんが、 あなたはこれを観察できます。 古代ギリシャ人は、測量に 関心を持っていました。 彼らは 数学などの創始者でした。 数学の一部の、です。 で、西洋世界は、測量を 継承してきました。 1:26:23 測量は、テクノロジー的に だけではなく、 一人の画家を別の画家に対して 比較する測量、 一人の詩人を別の詩人に対して、 一人の彫刻家、(ヘンリー・ )ムーア氏を 他の人に対して(比較する) - 測量です。 また、私たち自身においても 測量があります。 私は、私があるべきほどには 良くない。 もっと良い、もっと多い - 物理的にとともに、 心理的にも、です。 もっと多くのお金、もっと多くの権力、 もっと多くの面白さ、それらです。 私が、もっと多くのお金、権力を 持つなら、もっと面白いことがある。 それが測量の一部です。 私たちはいつも比較しています - 心理的に、です。 偉大な教師がいるが、 私はそうではない。 私は自分自身を比較し、結局、私は、 彼がいるところへ、到ろうとしています。
1:27:28 そしてまた、空間です。 物理的にと同じく、 心理的にも、 私たちは、ほとんど空間を持っていません。 特にあなたは、混雑した街、 都市へ入るとき、 これを観察します - そして、インドのような人口過剰な 国々において、です。 膨大な群衆です。 あなたは、その概念をも持っていません。 当然、彼らは、 狭い通りに生活します。 小さな家に生活します - 物理的に、です。 当然、いつも、空間のために闘いが、進み つつあります - 物理的な空間へ、です。 後生だから、あの隅へ 引っ越してくれ。 私のほうへ群れるな、と。 また心理的に、 すなわち、意識においても、私たちは ほとんど空間を持っていません。 1:28:37 それは混雑しています。 そうですね? それは、私たちの知識で 混雑しています。 私たちの恐れ、心配、絶望、 憂鬱で混雑しています - 幸せを探し求める、 開明を探し求める、 クンダリニーの力を探し求める - 占有されています。 もっと多く、 もっと良い理解、 もっと大きな力を欲しがる。 私は断食しよう。 私は断食して、 もっと多くのエネルギーを持とう。 物理的にそれは必要である、と。 よろしいですか。 いつも占有されています。 ゆえに、ほとんど 空間がありません。 あなたが観察するなら、あなたの 意識は、充たされています。 ゆえに、空間がありません。 そのとき、空間がないのを悟って、 あなたは、宇宙の空間を 探究しはじめます。 1:29:47 天体物理学者はこれをしています。 あのとてつもない コズモスの世界 - それは本質的に秩序です。 ギリシャ語で「コズモス」は、秩序を意味しています。 科学者たちの頭脳は 制限されています。 彼の知識のせいで、 他の一人との関係における 彼の条件づけ(のせい)、 彼の飲酒、 彼のもっと多くの権力、 もっと多くのお金、もっと多くの地位、 多くの世評への欲望のせいで、です。 その小さな頭脳が、 測量不可能な何かを 探究しています。 そして、望遠鏡をとおして 見えるものを、数学的な問題へ 翻訳しています。
1:30:56 私は最後の問いに 答えてしまいました。すみません。
1:31:01 で、あなたが観察するなら、 心理的に、時を止める感覚は ありません。 測量の終わることは ありません。 いいですか? 私たちは、いつも測量しています。 いつも未来を見ています。 もっと良い政府、 もっと良い経済的な地位。 国際連合が結局・ ・・ よろしいですか。 その観念 - 連合した諸国家。 その不条理を考えてみてください。 部族主義が連合する。 どうしてそれができますか。 そうしないで・ ・・ で、これらを知って、 私たちは訊ねています - 時は、 測量は、止まることがあるのかどうか、と。 すなわち、本質的に、考えることに 止まることがありますか。 理解されますか。 なぜなら、時は思考である、 時は動きであるからです。 今日、明日、昨日 - 時は動きです。 1:32:44 時はまた、年代順です。 それは動きです。 思考は動きです。 ですね? で、思考は 時の動きです。 思考は時です。 私たちは訊ねています - 時に、そして思考に 止まることが、ありますか。 または人は、この動きへ果てしなく 運命づけられつづけていますか - それは地獄です。 理解されますか。 地獄 - その言葉は忘れてください。 それはキリスト教の言葉です。 アジアでもまた、彼ら自身の 特定の言葉を、持っています。 私たちはまた、測量とも 言っています。 そうね、 冥想の一部ですが、 冥想(メディテーション)という言葉も また、測量する、という意味です。 サンスクリットでもまた、 (語根の)マーは、測量することです。 理解されますか。 冥想は測量です。 その言葉と、 サンスクリットの言葉もまた 測量を、意味しています。 1:34:13 私たちは、測量へ 条件づけられています。 測量は、こうです - 私はこうだ、私はなるだろう。 理想と、 理想の追求、 私がどれほど近く、間近に 理想に接近しつつあるのか。 私は暴力的であるが、私は 暴力的であってはならない、と。 それは測量です。 で、測量は、 物理的にとともに 心理的にも、 時、思考の動きです。 ですね? そして、空間です。 私たちの頭脳、私たちの意識は 混雑しているので、 覆われていない点も ありません。 それに注目なさったのかどうか、 私は知りません。 あなたは、覆われていない空間が あると、考えるかもしれませんが、 あなたが、それは覆われて いないと考えるとき、 その思考こそが、それを覆いつつ あります - 理解されますか。 1:35:22 これに付いてきておられますか。 私が、自分の中に 平野や状態があると、考えるとき - すなわち、測量不可能であり、 無量の空間を持ち、 時を持たないところが、です。 私がそれについて考えるとき、 それは、思考の産物や 考案物です。 ゆえにそれは、考えることの一部、 測量の一部です。 ゆえに、超、超、超自我の 概念は、 やはり、その思考の一部です。
1:36:04 で、これが、私たちの問題です - 時、思考は、終わりに なりうるのかどうか、です。 それは測量ですが、 それらは、空間を持てますか。 無際限の空間を、です。 思考により 創案された空間を、ではない。 これは可能ですか。 それは、あなたが測量の 真理か虚偽を見るときだけ、 可能です。 心理的に、 模倣する、順応する、それらですが、 あなたが、私たちの生きる不条理、 智恵のないさまを、見るとき そして、どこで思考が - すなわち時が、です - 必要であるのかを、見る。 言語を学ぶには(必要)ですが、 心理的に、それは 何の所をも持ちません。 あなたが、それの真理を見るとき、 そのとき意識は、 それは混雑していて、 消散しはじめているけれども、 あなたがそれを見るとき - それの真理を、です - そのとき、空間があります。 1:37:27 それは、時を終わらせるために あなたが何をするのか(ではなく)、 測量を終わらせるために「私は測量を 止めなければならない」と言って、 あなたが何をするのか、ではない。 それの真理を 見ることが、頭脳を自由にするでしょう。 頭脳に自由をもたらすでしょう。 なぜなら、そのときあなたは、文字通り 測量不可能な空間を、持つからです。 そして、そのときだけです - 永久から永久へ 続いているものへの、 人格的ではない、 捕捉や 知覚です。
1:38:28 終了しました。
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