Krishnamurti Subtitles

SA81T1 - 私たちの意識の本性は何なのか home
第1回公開講話 
スイス、サーネン
1981年7月12日


0:31 クリシュナムルティ: 私の古い友だちが数人、 ここにおられるのが、見えます。 お会いできて、うれしいです。 天気が悪くなっていることが 残念です。 ここはスイスです。
1:22 私たちは、六回か七回の講話を 行おうとしているので、 私たちは、私が言おうとしている ことへ、よく気をつけて 詳細に入るべきです - 生の平野全体へ及んで、です。 で、どうぞ、前に語り手に 聞いてきた人たちは、 どうぞ、辛抱してください。 どうぞ、或る種の忍耐を 持ってください。 もし反復してもいいなら、 反復は、一定の価値を持っています。 私たちは、自分たちの生の 多くの問題について ともに議論しよう、じっくり 話し合おうとしているので、 私たちが互いに 聞き合うことが、重要です - 気をつけて、 慈しみ深く、 了解の感覚をもって、 言語的な意味だけではなく、 言葉の裏に潜んでいるものをも、です。 神様、みなさんはここにおられますか。 私もまたそうです。
3:17 先入観は、 理想、信念、信仰と 何か共通するものを、持っています。 私たちはともに話し合おうと しているので - ともに、世界の状態を 観察します。 何が起きつつあるのかを 外的な世界においてと、 また内的な、人の心理的な 世界においても、ですが、 私たちはともに考えることが できなければなりません。 ともに考える中で、 私たちの先入観、 私たちの理想などは、 ともに考えるため、ともに観察するため、 ともに検討するために必要とされる 能力とエネルギーを、阻止します。 このすべての裏に何が潜んでいるのかを - このすべての混乱、悲惨、恐怖、 破壊、ものすごい暴力の裏に、です - 私たち自身で発見するために(必要と される能力とエネルギーを)、です。 4:53 このすべてを理解するには - 起きつつある単なる 外的事実だけではなく、 このすべての深さ、 このすべての意義を 理解するにもまた、 私たちはともに観察 できなければなりません。 あなたは一通りに観察し、 語り手は別通りに、ではなく、 ともに、同じものを 観察するのです。 その観察、 その検討は、阻止されます - もし私たちが、自分の先入観に、 自分の特定の経験に、自分の特定の 了解に、縋りつくなら、です。 で、もし私たちがともに 考えることになるなら 49 00:06:01,700 --> 00:06:07,260 - そしてともに考えることは ものすごく重要になります。 なぜなら、私たちは、急速に崩壊し つつあり、堕落しつつある世界に、 向き合わなくてはいけないからです。 そこには、 何の道徳の感覚もなく、 生に何の神聖なものもなく、 誰も他の一人を尊敬しないのです。 6:35 このすべてを理解するには - 表面的に、 気軽に、だけではなく、 その深みに入るのです - (すなわち、) このすべての裏に何が潜んでいるのか、 なぜ、これらすべての数百万年に 数百万年の進化の後、 なぜ人は、 あなたと世界全体は、 それが東でも、西でも、 北でも、南でも、 なぜ人は、このようになったのか、です - (すなわち、)暴力的で、 冷淡で、 破壊的で、 戦争に向き合っています。 原子爆弾と、 テクノロジーの世界すべてです。 それは、ますます なりつつあります。 進化しています。 おそらく そのテクノロジー的な改善は、 なぜ人がこのようになったかの 要因の一つであるかもしれません。 7:59 で、ともに、どうぞ、 ともに考えましょう - 私の道やあなたの道に 沿ってではなく、 考える能力です。
8:20 そして、思考は、人類すべての 共通の要因です。 東洋の思考や西洋の思考は ありません。 ただ、考える能力だけが あるのです。 自分がまったく貧しくても、 大いに洗練されていて、 裕福な社会に生きていても、 彼が外科医や 大工であっても、 田畑の労働者や 偉大な詩人であっても、 思考は、私たちみんなに 共通の要因です。 私たちはそれを悟るように、思われません。 思考は、私たちみんなを 縛る共通の要因です。 あなたは、違ったように考えるかも しれません - あなたの能力に、 あなたのエネルギーに、あなたの 経験と知識に応じて、です。 もう一人は、 自分の経験に、自分の知識に、 自分の条件づけに応じて 考えます。 で、私たちはみんな、この思考の ネットワークに、捕らわれています。 これは事実です。 論駁不可能で、現実的です。
10:11 そして、世界における 混沌すべてを理解するには - そして、私たちは 生物学的に プログラムされてきた。 すなわち、 物理的にも、 精神的、知的にも プログラムされてきたので、 このプログラムされたことに、 気づかなければなりません - コンピューターのように(されたことに)、です。 コンピューターは、専門家たちにより プログラムされつつあります - 自らが欲しいものに沿って、それを プログラムする人たちによって、です。 語り手は、大変多くの専門家、 コンピューターの設計者と 話してきました。 彼らは、急速に 前進しているので、 プログラムされつつある これらのコンピューターは、 思考で人を上回るでしょう。 これらのコンピューターは、学びます - どうぞ、これらに付いてきてください。 あなたは、それについてもっと 見出したいのなら、 議論できます。 それらについて読めます - これらのコンピューターは、学べます。 経験を集め、 その経験から学べます。 プログラムされているのに 応じて、知識を蓄積できます。 12:17 で、次第にそれらは、 私たちの考えすべてを 上回ろうとしています - もっと正確に、 もっと高速に、です。 で、そのとき、人は何ですか。 これらを理解されつつある ことを、望みます。 コンピューターの専門家と、 彼らの幾人かは、 とても怯えています - コンピューターが、人間ができる ことをほぼ何でもできるとき、です。 もちろん、それらはベートーヴェンや キーツなどのように 作曲したり、(詩を)書いたりできませんが、 それは、私たちの考えを 上回るでしょう。
13:38 で、私たち人間は プログラムされてきました - カトリックであるよう、 プロテスタントであるよう、 イタリア人であるよう、イギリス人、 スイス人などあるように、です。 幾世紀もの間、私たちは プログラムされてきました - 信じるよう、信仰を持つよう、 一定の儀式、一定の教義に 従うように、です。 私たちは、民族主義者であるよう プログラムされてきました。 私たちは、戦争をするよう プログラムされてきました。 で、私たちの頭脳は、 コンピューターのようになったし、 それは、さほど能力がありません。 なぜなら、その思考は制限されているからです。 ところが、コンピューターも また制限されているが、 人間たちよりはるかに急速に 考えることができて、 それは私たちを上回るでしょう。
15:00 で、これらは事実です。 これが、実際に 進みつつあることです。 特に、カリフォルニアと イングランドなどでは、です。 そのとき、人はどうなりますか。 そのとき、人は何ですか。 質問を理解されますか。 もし機械が、人間たちができることを ほぼすべて、できるなら - ロボットとコンピューターが、です - 人の未来の社会は 何ですか。 ロボットとコンピューターにより 車が組み立てられるとき - たぶんはるかに良く、です - そのとき、社会的実体としての人は どうなろうとしていますか。 これらと、他の多くの問題が、 私たちに向かい合っています。 16:22 私たちはもはや、キリスト教徒、 仏教徒、ヒンドゥー教徒、 イスラム教徒などとして考えられません。 私たちは、ものすごい危機に 向き合っています - 政治家たちがけっして 解決できない危機に、です。 なぜなら、彼らは、特定の道筋で考える ように、プログラムされているからです。 科学者たちもまた、危機を 解決するか、理解することができません。 ビジネス世界、 金銭の世界もまたそうです。 で、危機は、 転回点は、 私たちの意識にあるのです。 ですね? どうぞ、一歩一歩これに 付いてきてください。 なぜなら、私たちは、よく気をつけて それに、入ろうとしているからです。 転回点、 知覚的決断、 挑戦は - どんな言葉を 使いたいにしても - 政治には、宗教には、 科学的世界には、ありません。 自らが、人類の意識を 理解しなくてはいけません - (意識)それが、私たちを この点へ連れてきたのです。 18:37 この事柄については、きわめて 真剣でなくてはいけません。 なぜなら、私たちは本当に、 世界で何かきわめて 危険なものに、向き合いつつあるからです - そこでは、原子爆弾が 激増し、 そこでは、誰か狂人が それを使うでしょう。 私たちはみんな、これらに 気づいているにちがいありません。
19:11 で、自らがきわめて、 きわめて真剣である - 浮ついたのではなく、気軽ではなく、 人類の全体に 関心を持っている。 そして、この人間の振るまい、 人間の思考を、理解するには - (すなわち、)私たちみんなを、 この点へ連れてきたものを、です - 私たちは、よく気をつけて 躊躇いながら、 大きな観察をもって、ともに理解する ことができなければなりません - 外のあちらと、内的に、何が 起きつつあるのかを(理解するの)です。 内的な心理的活動は いつも、外に打ち勝ちます。 あなたたちが どれほど多く規制、 罰則、決断を 外的に持っていて、 一定の規則、規制を 定めておこうとも、 これらすべては、私たちの 心理的な欲望、恐れ、 心配により、打ち砕かれます - 安全へのあこがれ、 さびしさの恐れによって、です。 20:53 私たちがそれらを理解するのでなければ、 どれほど多く私たちが、外的秩序の 見かけを持っていようとも、 その内的無秩序が、 外的に順応し、規律を課され、 規制されているものに、 いつも打ち勝つのです。 私たちがこれを明らかに 理解することを、望みます。 自らは気をつけて、制度、施設を 構築してきたかもしれません - 政治的に、宗教的に、 経済的に、です。 これらの構築が 何であろうとも、 私たちの内的な意識が 全的秩序の中にあるのでなければ、 その無秩序は、いつも 外に打ち勝つでしょう。 私たちは歴史的に、これを見てきました。 それは、ちょうど今、私たちの 目の前で起きつつあります。 22:20 これは事実です。 私たちの古き良き列車が、あります。 あの列車は、私たちがここに 来るのと同じく、規則正しい。 それはまったく面白いですね。 ここには、大変多くの ユーモアが、ありますが、 私たちは、当面の間、 それに入らないでしょう。
23:13 で、どうぞ、 この時間だけでも、真剣でいてください。 あなたがいつの時も 真剣でいられないなら、 少なくとも、ここにおられる間に、 真剣であることへ入ってください。
23:43 私たちが言いましたように、 転回点は、私たちの意識にあります。 私たちの意識は、 きわめて錯綜した事柄です。 それについては、何巻も 本が書かれてきました - 東洋においても、 西洋においても、です。 私たちは、自分たちの 意識に気づいていませんが、 その錯綜した意識を 検討するには、 自由に見られなくてはいけません - その動きに、選択なく 気づいているのです。 それが、私たちがともに しようとしていることです。 私たちが、「ともに」 という言葉を、使うとき、 それは、語り手があなたに、 それを特定の形で 見つめるように、指令している わけではありません。 すべての動き、私たちの意識の 内的動きを聞くように、 でもありません。 25:08 私たちはともに 意識を見つめています - (意識)それは、あなたのや私の、 彼らのや彼のではありません。 意識は、すべての人類に 共通しています。 人類すべてが - 彼らが 極東や近東、 西洋や極西に生きていても、 その意識は その内容すべてともに、 人類すべてに共通しています。 あなたがインドへ、 または極東へ行くとき、 そこで彼らは、苦しみます - ここと 同じく、外的にと同じく内的に、です。 彼らは心配で、不確実です。 まったく、絶望的にさびしい。 ここであなたが、そうであるように、です。 彼らは安全を持っていません。 彼らは嫉妬し、貪欲で、 妬み、苦しんでいます。 西洋で、それは 同じことです。 26:41 で、人間意識は 一つの全体です。 それは、あなたの意識や 私のではありません。 それは、 人類の意識です。 どうぞ、これを理解してください。 それは論理的で、健全で、理性的です。 なぜなら、あなたがどこへ行っても、 どんな気候風土に生きていても、 あなたが裕福でも、 不面目なほど貧しくても、 あなたが神やキリストを 信じていても、 何か他の実体を(信ずるの)でも、 信念、信仰は、人類すべてに 共通しています。 画像は、違っているかもしれません。 イメージは、違っているかもしれません。 象徴は、互いより全然 違っているかもしれませんが、 それは、人類すべてに 共通しています。 これは、単なる言語的 発言ではありません。 28:16 あなたがそれを、 言語的発言と、 観念と概念と取るなら、 そのときあなたは その深さが、見えないでしょう - ここに関与した 深い意義が、です。 意義は、あなたの意識が 人類すべての意識である、 ということです。 なぜなら、あなたは苦しむ、あなたは 心配である、あなたはさびしい、 不安全で、混乱しているからです。 あなたから一万マイル離れて 生きる他の人と、そっくりです。 その悟り、 その感じ、 その言葉を使っていいなら、 あなたの腹で感じることは、 単にそれを言語的に受け入れるの より、全然違っています。 あなたが残りの人類である ことを悟るとき、 あなたは、ものすごいエネルギーを持っています。 あなたは、 個人性の狭い溝を破り、 私とあなた、彼らと我らの 狭い輪を、突き抜けたのです。 30:09 そして私たちはともに、 このきわめて、きわめて複雑な 人の意識を、 検討しようとしています。 ヨーロッパの人ではなく、 アジアの人や 中東の人ではない。 このとてつもない動きを、です - すなわち、 時の中で 意識的な動きとして 何百万年の間、進んできたものです。
30:56 どうぞ、 語り手が言っていることを 受け入れないでください。 なぜなら、そのとき、それは 意味がないであろうからです。 しかし、もしあなたが疑いはじめる、 あなたが問いはじめる、 懐疑的で、探究するなら - あなた自身の特定の信念、 信仰、経験へ 取りすがるのではない - または、あなたが 与えられてきたか、持っている 蓄積された知識へ、取りすがり、 そのすべてを、或る種の些細な小さな 「私」に、還元するのではない。 あなたは、そうするなら - きわめて尊敬を込めて 指摘していいなら - 人が向き合っているものすごい 主題に、向き合っていないのです。 で、ともに - 本気で「ともに」と申しています。 あなたは一通りに、 私は別にではない。 ともに人間として、 人類の全体の存在の このとてつもない 危険に直面して、です。 32:34 なぜなら、 原子爆弾、戦争は、 それが中東や他のどこかに あっても、 恐怖が、世界中に 拡がりつつあるからです - 誘拐、殺害、 そのすべての残忍さ。 私たちは人間として、 このすべてに、責任があるのです。 で、私たちは、ごく間近で 気をつけて、意識の状態を 検討しなくてはいけません。 私たちは、その言葉の 意味を理解します - 意識する、気づいている、 認識する、 私たちの実際の意識が 何であるかを、見る。
33:44 初めに、 思考と、思考が作ったか 組み立ててきた物事すべては、 私たちの意識の一部です。 (例えば)私たちが生きるところの文化、 美的な価値、 経済的な圧迫、 民族的な継承物です。 あなたが外科医や 大工であり、 特定の職業を 専門とするなら、 その集団意識は、 あなたの意識の一部です。 いいですか。 私たちが言っていることを 理解されますか。 私たちはそれを、困難にしつつありますか。 私たちは、学者ではありません。 少なくとも語り手は、そうではありません。 私たちは、人間存在を 取り扱っています - その複雑さすべてとともに、です。 あなたが特定の国に生きるなら - その特定の伝統をもち、 その宗教、文化などを もって、です - その特定の形が、あなたの 意識の一部になったのです。 集団意識、 民族的意識、 特定の専門職の意識、です。 35:45 これらは、またもや事実です。 あなたは、大工であるなら、 一定の技能を持ち、 木材を、 木材の性質、道具を 理解しなくてはいけません。 で、あなたは次第に 集団に、所属します - この特別な、特定の形を 養成してきて、 自らの意識を持っている 集団に、です。 科学者のように、 考古学者のように、 動物たちが集団として 自らの特定の意識を持っている などなどのように、それは あなたの意識の一部です。 ですね? どうぞ、これの事実を あなた自身で見てください。 あなたは、主婦であるなら、 自らの特定の意識を持っています。 他の主婦たちみんなのように、です。 それは集団意識です。 37:11 (大目に見る)許容性は、 世界中に拡がったのです。 それは、西洋で、 極西で始まりました。 そして、世界中に 拡がったのです。 それは、集団 意識的な動きです。 ですね? それの意義を見てください。 どうぞ、理解してください。 あなた自身でそれに入ってください。 そこに何が関与しているのかを、見てください。 彼らは科学的に 発見しつつあります。 彼らは、一定の動物で 実験しています。 例えば、イングランドで、 例えば、オーストラリアで、です。 それらの動物は はるかに速く学びます なぜなら、ネズミのような 一組の動物が、 20世代の後に 一定の行為を学んだからです。 そして第25や第28世代は はるかに急速に学びます。 38:39 そしてオーストラリアでは、 これらのネズミは はるかに速く学んだのです - 実験すべてを 経ていくことなしに、です。 これらを理解されますか。 で、それは、遺伝子的な 変容、遺伝的に進化すること ではありません。 作動しつつある集団的意識が あるのです。 これを理解されますか。 これを理解されるのを、望みます。
39:17 カトリックの意識 - 一つの集団は、何かを信じています。 それは、活性化しはじめ、生きて、 拡がります - 理解されますか。 で、私たちの意識は、 集団だけではない - 民族的な、 経済的な意識、 専門職の意識だけではなく、 また、はるかに深い 意識も、です。 それは、私たちの恐れです。 人は、幾世代に幾世代もの間、 恐れとともに、生きてきました。 楽しみとともに、妬みとともに、 さびしさの苦労 すべてとともに、 憂鬱、混乱とともに、です。 私たちが話しているとき、あなた自身に おいて、それを見守ってください。 そして、大きな悲しみとともに、 愛と呼ばれるものとともに、 そして、果てしなく続く 死の恐れと。 40:38 これが、人の意識です。 専門職のもの、集団、 民族的なものだけではなく、 その他も、です - それは 人類すべてに、共通しています。 それがどういう意味かを、悟られますか。 すなわち、あなたはもはや・ ・・ - どうぞ、それに抵抗しないで、 それを見つめてください - あなたは、もはや 個人ではないのです。 これは、きわめて受け入れがたい。 なぜなら、私たちは、コンピューターの ようにプログラムされてきたからです - 自分たちが個人であると考えるように、です。 私たちは、宗教的に プログラムされてきました - 私たちは、他の人すべてより分離した 魂を持っていると、考えるように、です。 そしてプログラムされているので、 私たちの頭脳は 同じ様式で働きます - 何世紀に何世紀も、です。
42:02 で、私たちが自らの意識の 本性を理解するなら - 特定の尽力、 苦しむ「私」、すなわち、 地球的になった何かを、です - そのとき、全然違った活動が、 起きるでしょう。 それが、私たちがいるところの危機です。 私たちは、コンピューターのように プログラムされてきました。 コンピューターのように プログラムされていて、 私たちは学べます。 時折、洞察を持てます。 そしてプログラムされているので、 私たちの頭脳は、何度も 何度も何度も反復します。 いいですか? それの実際の事実を、見てください。 すなわち、私はキリスト教徒だ。私は 仏教徒だ。私はヒンドゥー教徒だ。 私は共産主義に反対だ。 私は 共産主義者だ。民主主義者だ、と 反復し、反復し、反復する。 この反復の状態には、 時折の突破が あります。
43:54 で、人間はどうやって - 彼は実際に 残りの人類ですが - 人はどうやって、この危機に、 この転回点に、向き合うのでしょうか。 あなたは 人間として 幾千年に幾千年をとおして 進化してきたし、 個人として考えます - すなわち、実際に あなたが観察するなら、 あなたは個人ではないのです。 それは幻影だけです。 そうね、 どの神経症の人物とも同じく、 自らに深く根づいた一定の信念を 彼があきらめることは、 きわめて困難です。 で、私たちは人間として、 転回点に向き合う 準備が、できていますか。 何が実際にあるのかを見る。 その知覚こそが、 別の方向へ全的に 動くことの決断です。
45:37 で、初めに、見るとはどういう意味かを ともに理解しましょう。 私たちの精神を、 私たちの頭脳を、 思考の実際を、見つめる。 私たちはみんな考えます。 そういうわけで、 あなたたちはここにいるのです。 私たちはみんな考えます。 そして思考は、言葉に 自体を表現します。 それらの言葉は、意思疎通 するための手段です - 仕草をとおしてか、 眼差しをとおしてか、 何か身体の動きをとおして、 あなたが考えていることを 手短に表現するため、です。 あるいは、言葉の使用を とおして、です。 言葉は、私たちの一人一人に 共通していて、 私たちは、 言われつつあることの意義を、 それらの言葉をとおして、 理解します。 47:05 そして思考は、人類すべてに 共通しているので、 あなたがそれを発見するなら、 それは、大変とてつもないことです。 そのときあなたは、それは 自分の思考ではないと、言います。 それは思考です。 それで私たちは、観察しなくてはいけません。 またはむしろ、物事をありのままに 実際にどう見るのかについて、 学ぶのです。 見るようにプログラムされるのではない。 違いが見えますか。 私たちは、プログラムされるのから 自由であり、見つめられますか。 もしあなたが、キリスト教徒として、 民主主義者として、 共産主義者として、社会主義者として、 カトリック、プロテスタントとして見るなら - それらはすべて、 こうも多くの先入観です - そのとき私たちは、 自分たちが向き合っている 危険、危機の甚大さを 理解できないでしょう。 48:33 もしあなたが一定の集団に 所属しているか、 一定の導師に従うなら - そう 申し上げるのを許してくださるなら、 あなたたちの誰もそうしないのを、望みます - または、一定の形の行為に 参与しているなら、 そのときあなたは、能力がなくなるでしょう。 なぜなら、あなたはプログラムされてきたからです。 そのときあなたは、物事を 実際に、ありのままに見つめる能力が なくなるでしょう。
49:19 で、私たちはともに見つめられますか。 なぜなら、語り手は、どの組織にも 所属していないからです - どの集団にも、 どの特定の宗教、 どの民族性等々にも、です。 あなたが観察できるのは、そのときだけです。 もしあなたが 大変多く学んできて、 大変多くの知識を 蓄積してきたなら - 本から、 経験などからです - あなたの精神は、 すでに満たされたのです。 あなたの頭脳は、混雑しています - あなたの経験でもって、 あなたの特定の傾向 などによって、です。 そのすべてが、あなたが見るのを 阻止しようとしています。 私たちは、そのすべてより 自由であり、見つめられますか。 世の中で何が実際に起きつつ あるのかを、見つめる。 それが判断基準です。 50:44 テロ、そのすべて、 ひどい宗教的、党派的な 分割を、です。 一人の導師が、もう一人の 馬鹿な導師へ対立している。 そのすべての裏の虚栄。 これらの導師の 権力、地位、富 - それはおぞましい。 さて、それを見つめてください。 同じように、 自由であって見つめられる - 私たちが何へプログラム されてきたのかを、です。 もしあなたが技術者であるなら、 あなたは、技術者であることの 含蓄すべてを学んで、 何年に何年も何年も 掛けてきました。 それが、あなたの意識の 一部です。 もしあなたが、 一定の導師に従ってきたなら、 それが、あなたの意識の 一部です。 それが、あなたが プログラムされることの一部です - カトリック などなどなどとして、です。 52:04 あなたは、あなた自身を見つめられますか - 分離した人間として、ではなく、 実際には残りの人類である 人間として、です。 そういう感じを持つことは、 あなたが人間たちへものすごい 愛を持つことを、意味しています。 そのとき、あなたが明らかに 見ることができるとき - 何も歪曲なく、です - そのときあなたは 意識の本性を 探究しはじめます。 専門職、その他すべての 集団だけではなく、 意識のはるかに 深い諸層をも、です。
53:17 私たちは、思考の動き全体を 探究しなくてはいけません。 なぜなら、思考は、 意識の内容すべてへ 責任が あるからです。 それが、意識の、 より深い諸層であっても、 表面的な諸層であっても、 すべての内容、 専門職のもの、集団、 特定の宗教的なプログラム、 そのすべてが、 思考の動きです。 ですね? もしもあなたが、思考を持たなかったなら、 恐れはないでしょう。 楽しみの感覚はなく、 時はないでしょう。 思考が、責任があるのです。 ですね? すばらしい大聖堂の美しさに 責任があるだけではなく、 思考はまた、 大聖堂の内側にある戯言 すべてにも、責任が あるのです。 54:54 すべての偉大な絵画、 詩歌、音楽、 そのすべてが、 思考の活動です。 音を知覚すること、 すばらしい響きが聞こえることと、 それを紙に転写すること。 それは、思考の動きです。 詩人が想像する - (ジョン・ )キーツのように、です - そして、言葉に表す。 多くの頌歌、 キーツのすばらしい頌歌です。 そして思考は、世界のすべての 神々に、責任があります - すべての救い主、 すべての導師と、すべての服従、 付き従うこと、 仕事全体が 思考の結果です。 それは、楽しみ、満足へ、 さびしさからの逃避、 それらへ 変えられるかもしれません。 56:14 思考は、人類すべての 共通の要因です。 インドや、アジア世界の 最も貧しい村人も、考えます - ビジネスマン、最高経営責任者が 考えるように、です。 宗教的なトップが考えるように、です。 それは、共通の、毎日の事実です。 それが、すべての人間が 拠って立つところの地盤です。 あなたはそれから逃避できません。 私たちは、見出さなくてはいけません - 思考は、世界の偉大な物事を もたらしてきた だけではない。 外科手術、通信、 人工衛星のように、 テクノロジー的に、それが 世界でしてきたことも、です。 そしてまた思考は、人の分割へも 責任があったのです - アメリカ人、ロシア人、 イギリス人、 フランス人、スイス人、 イスラム教徒 - よろしいですか。 57:35 思考は、人の分割へ 責任があったのです。 思考は、すべての宗教の分割へ 責任があったのです。 ですね?  明白です。 もしも思考がなかったなら、今、組織 されたような宗教は、ないでしょう。 - 洗礼、そうね、その他すべては、です。
58:03 で、思考は、人を助けるために すばらしいことを、してきましたが、 また思考は、世界に 大きな破壊、恐怖をも もたらしてきました。 で、私たちは、思考の本性と 動きを、理解しなくてはいけません - なぜあなたが、一定の形で考えるのか、 なぜあなたが、一定の形の 思考に縋りつくのか、 なぜあなたが、一定の経験に 取りすがるのか、 なぜ思考は、けっして 死の本性を 理解したことがないのか、 などなどなどを(理解するの)です。 あなたが真剣であり、 誰か哲学者、脳の専門家などに 頼っていないなら、 または、そのとき - あなたは自分自身で それを見守れます。 すなわち、思考は 人を助けるために とてつもないことをしてきましたが、 また、思考はなぜ 同時に そういう堕落、退廃、破壊を もたらすのか。 いいですか?
1:00:08 私たちは探究しなくてはいけません - 思考は何ですか。 なぜあなたが特定の形で 考えるのか、ではない。 私たちは後で、そこへ来るでしょうが、 私たちは、思考のまさに 構造こそを、検討しています。 あなたの思考を、ではありません。 なぜなら、あなたの思考が何であるかは、 相当に明白であるからです。 なぜなら、あなたは プログラムされてきたからです - 技術者として、詩人として、 科学者として、主婦として、 学者として、宗教者、 導師として、です。 あなたは、訓練され、訓練され、 訓練されてきました。 あなたが、もし自分の特定のプログラム された頭脳を、見つめはじめるなら、 自分の見通しを制限しつつあります。 1:01:04 しかし、あなたが真剣に、考えるとは 何であるかを、探究するなら、 そのときあなたは、全く 違った次元へ、入ります。 あなたの特定の小さな 問題の次元ではない - 私たちは少し後に そこへ来るでしょうが、 初めにあなたは、思考のものすごい 動き、考えることの本性を 理解しなければなりません - 哲学者として、ではなく、 宗教者として、ではなく、 特定の専門職や主婦、 あれやこれとして、ではなく、 考えることの 甚大な活力を、です。 ですね? これは明らかですか。
1:02:09 私たちはここで止まるべきですか。 11時半です。 もっと忍耐できますか。
1:02:22 聴衆: はい。
1:02:27 K: なぜなら、たぶんあなたは、単に 語り手に聞いているからです。 あなたは実際に働いていません。 あなたは実際に聞いて、 見守って(いません)、 検討して、あなた自身を 探検していません。 なぜなら、私たちはまたもや、誰かに 聞くよう、プログラムされているからです。 どうぞ、教師と教えられる者は ありません。 預言者と弟子は ありません。 導師と、彼に従う者は、 ありません - 知っている者と、 知らない者は(ないの)です。 ただ苦労の中の人間存在だけ (が、あるの)です。 それは、このすべての中から 踏み出した人だけです - 彼は、真理が何であるかを、知っています。
1:03:44 私たちはずっと後で、そこに来るでしょう。 で、11時半ですから、私たちは それを続けましょうか。 私たちは明後日、これを 継続するでしょう。 思考は、すべての残酷、 戦争へ、責任があります - 戦争の兵器、機構と、 戦争の残忍さ、 殺すこと、テロ、 爆弾を投げること、 人質を取ること - 大義の名においてか、 大義なしでも、です。 思考はまた、大聖堂にも 責任があります - それらの構造の美しさに、 麗しい詩歌にも、です。 それはまた、それらにも 責任があります。 思考はまた、テクノロジー的発展 すべてにも、責任があります - 学んで、人を越えていく とてつもない能力をもった コンピューターに、 思考が、です。 1:05:10 で、私たちは、思考を 探究しなくてはいけません。 考えるとは、何ですか。 考えることは、記憶への応答です。 反応です。 ですね? もしも記憶を持たなかったなら、 あなたは考えることができないでしょう。 記憶は、頭脳に 知識として蓄えられています - 経験をとおして 来た知識、です。 気をつけて、これを聞いてください。 このようにして、私たちの頭脳は作動するのです。 語り手は、頭脳の専門家では ありません。 ありがたい! また神経学の専門家でもないが、 あなたはそれを見守れます - 自分がどう行為するのかを、あなた自身で、です。 どの教授へ行くこともなく、 どの心理学者なども なしに、です。 あなたは、自分の頭脳の作動を 見守れます。 初めに、経験。 1:06:20 その経験は、人の始まりから あったのかもしれません。 それを私たちは継承してきました。 その経験は 知識を与えます。 そのとき、その知識は 頭脳に蓄えられます。 知識から、記憶があります。 その記憶から、思考です。 考えることから、あなたは行為します。 で、その行為から、あなたは もっと学びます。 で、あなたは循環を反復します。 理解されますか。 経験、知識、 記憶、思考、行為。 その行為から、もっと学ぶし、 反復する。 これに付いてきていますか。
1:07:35 いいですか? で、これが、プログラムされていることです。 私たちはいつも、こうしています。 痛みを憶えておく。 未来に、痛みを回避する - 痛みを引き起こすであろう ことを、しないように、です。 それは知識になる。 それを反復する。 性的な楽しみ、それを反復する。 これが、思考の動きです。 どうぞ、これは明らかです。 それの美しさを、見てください - 思考がいかに機械的に 作動するのかを、です。 そして思考は、それ自体へ言います - 「私は自由で、作動できる」と。 思考はけっして自由ではありません。 なぜなら、それは知識に基づいているし、 知識はいつも制限されている からです。 明白です。 ですね? どうぞ、それを見守ってください。 気をつけて見守ってください。 知識はいつも、制限されているにちがいありません。 なぜなら、知識は 時の一部であるからです。 1:09:23 私はもっと学ぶだろうし、 もっと学ぶために、私は 時を持たなければなりません。 私はロシア語を知りませんが、 私はロシア語を学ぶでしょう。 それで私には、六ヶ月か一年が掛かる でしょう - どんな時間でも、です。 で、知識は、 時の動きです。 ですね? で、時、 知識と、思考と、 行為です。 この循環に、私たちは生きます。 で、思考は制限されています。 明白です。 で、思考がする行為は何であれ、 制限されているにちがいありません。 どの形の思考の制限も、葛藤を 創り出すにちがいありません。 制限されているものは何でも、 分割的であるにちがいありません。 いいですか? 理解されますか。さあ、どうぞ!
1:10:44 すなわち、私が、「私はヒンドゥー教徒、インド人 だ」と言うなら、それは制限されています。 その制限は、腐敗だけではなく、 葛藤をも、もたらします。 なぜなら、あなたは、「私はキリスト 教徒だ。 私は仏教徒だ。私はこれだ」 と言うからです。それは制限です。 だから、私たちの間に葛藤があります。 理解されますか。 はい? で、何でも制限されているものは・・・ 思考はいつも制限されています。 なぜなら、知識と無知は いつも相伴っているからです。 そして、思考は 知識の子どもです。 ゆえに、それは制限されています。 その行為が何であれ、その行為は 制限されているにちがいありません。 ゆえに、それは葛藤を もたらすにちがいありません。 1:11:50 私たちの生は 誕生から死亡まで、 一連の格闘と 葛藤です。 私たちはいつも、その葛藤から 逃避しようとしています。 それは、またもや もう一つの葛藤になります。 で、私たちは、この永続的な、終わり なき葛藤の中に、生きて死にます。 私たちはけっして、その葛藤の根を 訊ねません - それは思考です。 なぜなら、思考は制限されているからです。 どうぞ、「私はどうやって思考を 止めるべきか」と、言わないでください。 それは論点ではありません。 論点は、思考の本性を 理解することです。
1:12:48 それを見つめることです。 それで十分だと、思います。 もう私は立ち上がってもいいですか。 ドーポ・ドマーニ。 明後日です。
🢁