Krishnamurti Subtitles
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SA82T4 - 私たち人間は何になろうとしているのか。
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| 1:22 この三、四回の会合で 私たちが話してきたことを 継続してもいいですか。 これは、普通に理解 されているような、 説教でも、 講義でもないことが、 明らかにされるべき であると、思います。 指摘してもよろしいなら、 私たちは あなたに何も情報を 与えていません。 または、何の イデオロギー的な 新しい信念と信条の 組み合わせと、 異国風の宗教と哲学をも、 (与えていないの)です。 また、語っている人物も 重要ではありません。 |
| 2:40 私たちは先日、 指摘していました。 すなわち、私たちはともに 協働しているのです - 二万五千年か三万年かの後に 幾千年に幾千年に、 人間たちに何が起きてきたかを 究明する中で、です。 私たちは 粗くなったのです - 残忍に、暴力的に、 冷笑的に、です。 ものすごい敵対の感覚、 憎しみ、 敵を持っていること。 そして、現在の 諸宗教の構造は、 組織された、正統的な 教義的な諸宗教は、 まったく何の所をも 持っていません。 |
| 3:48 また私たちは、心理的に 誰かに従うことが いかに危険であるかを、 指摘しました。 私たちは指摘しました - すなわち、 人間たちは 混乱した世界において 自分たちの戦争と 自己破壊をもっていますが、 私たちは、誰かに 自分たちを、導いてほしい、 この混沌の中から自分たちを 助け出してほしいのです。 私たちは、政治的、 宗教的と他の形の 指導者たちに、 頼ってきましたが、 彼らは、新しい社会、新しい 生き方などをもたらすよう、 実際に深く助けて こなかったのです。 で、あなたがそもそも、 何が起きつつあるかに、 気づいているなら、 私たちは、私たち自身にとって 光でなくてはならないのです。 それは、私たちがしたい とおりにする、 という意味ではありません。 むしろ、私たちの関係、 人類の全体を考慮して、 私たちが全人類である ことを、悟るのです - 一人一人が、です。 私たちは、それについて 相当、話してきました。 |
| 5:35 そして思うのですが、 今朝、 私たちはともに、その 問いへ、入るべきです - 私たち人間が、なろうとして いるのは何であるのか、です。 お訊きしてもいいなら、 私たちの一人一人がしよう、 目的を達成、獲得しようと しているのは、何であるのか。 私たちが私たち自身を 探究するなら - たとえきわめて 表面的にも、です - 私たちみんなが ほしいものは、何ですか。 私たちは、良い所に いても、貧しくても、 知的に高度に 養成されていても、 私たちの一人一人は、 見たところ、 何かになりつつあります。 何かになりたいのです。 この世界で 何かになることは 自然であると、私は 考えます。 自然です。 すなわち、私たちは、 一定の言語を知らないなら、 大変多くの時間を使って、 それを学びます。 7:09 それは、特定の言語に 習熟することです。 または、学問的に 巧みでないなら、 そのときあなたは 奮闘します。 学問的に一定の地位を達成 するために、学習します。 なぜなら、それは、あなたに職 などを、与えてくれるからです。 また、自分が下手な大工 であるなら、 木の性質と道具などを 研究し、 良い大工の匠になることも、 全く自然です。 または、科学者 などでも、です。 それは 相当に明白です。 私が工場の 労働者であるなら、 私は、その工場での職工長に なりたい、などです。 |
| 8:16 そして、私たちは訊ねています - それは自然ですか。 私たちは、「自然」というその 言葉をこの意味で使っています - それは 回避不可能ですか。 それは 人間たちの本性ですか。 心理的に何かに なることが、です。 すなわち、何かに なることが、です。 何であれ、それは、 時が関与しています。 自然に、です。 私はこれであるが、 私はあれになるだろう、と。 それは、数日、数週間か 数ヶ月か数年を必要とします。 その期間の内に、あれに なろうと奮闘します。 すなわち、私は暴力的です。 自分は暴力的です。 自分は暴力から自由になろう と試みるだろう、などと。 そして、暴力からの 自由を達成した後、 さらに達成すべき何が ありますか。 それが、人間たちの 永遠の要求です - 心理的、内的に達成する、 何かになることが、です。 10:02 自らが検討するなら - 私たちの一人一人が 深く、です - 私たちがなろうとして いるのは、何ですか。 もっと覚る(開明する) ことですか。 天国を 達成することですか。 仏教の意味で、涅槃を 達成することですか。 または、ヒンドゥー教の 意味で、解脱を、ですか。 私たちの一人一人が達成 したいものは、何ですか。 これは、私たちの 一人一人が問うべき 重要な疑問であると、 思います。 何か達成すべきことが ありますか。 私たちは、何かになるとの概念に 予め填まってしまっています。 内的に (何かになるの)です。 すなわち、私たちは、何かに なるとの同じ精神性を、 持ち越してきたのです - 技術において、テクノ ロジー的知識において、 一定の地位へ到達することにおいて (何かになることを)、です。 私たちは、 あの同じ精神性を 心理的平野へ 持ち越してきました。 私たちがこれらに気づいて いるのかどうかと、思われます。 |
| 11:31 もしこれに 気づいているなら、 私たちがなろうとして いるのは、何ですか。 深く、私たちが達成しようと しているのは、何ですか。 各々の達成が、他のすべての 達成より分離しています。 それは、孤立した達成です。 私は内的に貧しいが、 私は内的に豊かに なりたいと思います。 豊かさは、知識を 達成するところ、 葛藤を乗り切るところに、 存しています。 で、私は、 私が投影するもの、 思考が投影するものに なろうと、 いつも格闘しています - 今、ないものに、です。 そして自らは、今そうでない ものに、なろうとしています。 12:56 いいですか。 この達成は、賞罰の 原理に、基づいています。 褒賞は、達成すること、 或る点に来ることです - 「私はこれを得た」と 言えるところに、です。 そして処罰は、投影された ものを、達成しないことです。 それは痛みです。 そこには充足の欠如、痛みと 憂鬱との感覚が、あります - そして、いわゆる失敗の 帰結すべてが、です。 この過程に、私たちは 捕らわれています。 |
| 13:52 どうぞ、 私たちはともに、 この問いの究明、検討の 中で、協働しています。 語り手は、何か現実でない ことを、述べていません。 現実的です。 私たちは検討しています。 どうぞ、語り手が言うことを 受け入れないでください。 これが、第一の原則です。 自らは、問う、疑う、 探究、懐疑の感覚を、 持っていなければ なりません - 私たちのどちらも、ともに 究明できるように、です - なぜ人間たちは、 今あるものになったのか、 永遠の葛藤、果てしない 戦争、テロ行為、 その他すべての中に 生きている。 15:11 外的に私たちは おそらく、 進歩と呼べそうなものを 遂げてきたのです。 馬車からジェット機へです。 それは、進歩と呼ばれます。 私たちは、同じ態度、同じ 考え方を、適用します - すなわち、私はこれである、 私はあれになるだろう、と。 牛車から現在の輸送まで 動く、進化するには、 多くの世紀が 掛かってきました。 人は言ってきました - 「私はこれであるが、 私はあれになるために、 数世紀を掛けるだろう」と。 このすべてが、 時を含蓄しています。 いいですか? 進化としての時。 そして、時は何ですか。 時の本性を理解する ことが、重要です。 日の出と日の入りによって (の時)だけではない。 晩、夜と朝、時計による時 (だけではない)。 そしてまた、私たちは、 心理的な時をも持っています。 「私はこれである。私はあれ でなければならない」と。 17:15 私はまた、社会は これである、と言います - すべての進んでいる ひどいこと、 憎しみ、暴力と そのすべてとともに、です。 そして、人の条件を変化させる には、時が掛かるだろう、と。 いいですか。 またもや私たちは、あの時の 動きに、捕らわれています。 |
| 17:52 で、私たちは、ともに 話しています - 私はあなたに語っていません。 どうぞ、留意してください。 私たちは、明白に あなたが何であるかを 言葉に 表しているのです - あなたが興味を お持ちであるなら、 あなたが 真剣であるなら、です。 私たちはともに、時の 本性を、考慮しています。 なぜなら、私たちは 時により生きるからです。 望みは時です。 未来 - それは、何らかのものを約束 しますが、時です。 過去を憶えている ことは、時です。 適切に行為するためには、 知識を必要とするでしょう。 で、知識の集積は、 時の平野の中にあります。 そして知識は、けっして 完全ではないので、 それは、無知と 伴います。 で、この過程全体を、 外的にと内的に、 私たちは、受け入れてきました - 進化の中(での動き)、 何かになる中での動きと して、です。ですね? |
| 19:22 さて、私たちが先日 言いましたように、 智恵は、原因を 持っていません。 愛が原因を持って いないように、です。 私たちは、時はまた 原因と、結果の動き であるとも、言いました。 それもまた時です。 時は、一秒なのか、 長年なのかもしれません。 原因と結果です。 原因の動き - 結果をもたらすものが、 時です。 ですね? で、原因があるところ、 時があります。 どうぞ、これは重要です。 なぜなら、私たちは、その問いへ 入ろうとしていうからです - すなわち、人の一定の 条件づけですが、 それらの条件は、自由である ために、そもそも 時を必要としうるのか どうか、です。 理解されますか。 私たちは訊ねています - 人間の頭脳は、 条件づけられています。 機械的で、反復的です。 それは、そのように 条件づけられています。 その条件は、 進化をとおして - すなわち、時(をとおして)です が、もたらされてきたのです。 そして、時は、 私たちがその道を進行し、 この常なる時の中に 生きているなら、 根本的な変化が ないのです。 21:23 それは、これまであった ものの継続です。 それの過程が 進んでいくでしょうが、 私たちはともに 訊ねています - 語り手は訊ねていません。 指摘してもよろしいなら、 あなたが訊ねています 人のこの条件は、 時の結果であるし、 原因を持っているし、 結果が、 私たちなるものですが、 もし私たちが、同じ 様式で継続するなら、 それは修正されて、 同じ路線になるでしょう。 継続性を持つものは、 時の過程です。 |
| 22:34 で、人の条件は、時なく 変容できますか。 問いを理解されますか。 私は条件づけられて います。 一定の文化の中に 生まれて、 一定の宗教的な教義、 迷信、現実をもち、 精神、頭脳を条件づけてきた 生の道をもって、です。 そして、条件づけは けっして変化させられないと 主張する人たちが、 います - それらは修正させられる、 それらは幾らかできる。 牢獄の中で生きていて、牢獄を かなりすてきにするように、です。 23:38 そして私たちは、 ともに問うています - この条件は、時なく 変容できるのか、 終わりうるのか、です。 いいですね? 私たちは それに入ろうとしています。 私たちは、何一つ 主張していません。 私たちはともに 究明しています - もしあなたが これらに気づいていて、 自分の頭脳を 行使しているなら、です。 あなたのロマンチックな 感じと活動ではなく、 あなたの、考える能力を (行使しているなら、)です。 私たちはあなたに、何を 考えるかを、語っていません。 どう考えるのか、です。 それは全く違っています。 私たちがまた 言いましたように、 |
| 24:42 原因があるところ、 その原因こそが、それ自体の 終わりを、もたらします。 怒り、暴力などの原因 - それには、 原因があります。 その原因の発見が あるとき、 結果は、根本的に 変化させられます。 いいですか。 私はさびしい。 それは、ひどい恐れと 心配と苦痛ですが、 それの結果は、孤立です。 もっともっと多くの孤立です。 孤立の原因は、もし それを発見できるなら、 原因の終わることこそが、 さびしさが終わることです。 ですね? なぜなら、私は 原因を発見したからです。 私は、自分が結核に罹って いることを、発見したのです。 そして、それは 治療できます。 それを治療できる 現代の医薬があります。 で、この分離の感覚の原因を 発見しなければなりません。 すなわち、こうも深い孤立を - それはさびしさと呼ばれます - もたらすものの(原因)を、 です。 いいですか? どうぞ、これに 入ってください。 |
| 26:36 さびしいとは、 どういうことですか。 あのさびしさの 感じの中には - それは、 外的と内的の関係 すべてからの 深い孤立です - それの原因は 何ですか。 何にも何の関係も全くないとの この感覚の(原因は)、です。 おそらく、みなさんが これをご存じでしょう。 あなたは、結婚している かもしれません。 子どもを持っている かもしれません。 あなたは、たくさんの 友だち、地位と その他すべてを、持って いるかもしれませんが、 人の中には、この深い要素、 種子が、あるのです。 それは、こうも絶望的に 一人ぼっちです。 どうぞ、それの原因は 何ですか。 28:02 語り手による説明は その事実ではありません。 説明は、けっして その事実ではありません。 叙述は、けっして 実物ではありません。 言葉は、そのもの ではありません。 で、どうぞ、言葉に、 叙述にか、説明に、 乗せられないでください。 それは、写真の中、 絵画の中の川の動きを 見つめるのに、 似ています - それは、みなぎって 流れている川の 実際の美しさとは 全然違っています。 で、私たちは、それの 原因を、訊ねています。 |
| 29:08 この問いを、どう 見つめますか。 この問いを、どう 探究しますか。 あなたは、探究するために 思考を行使しますか。 どうぞ、 理解してください。 思考は、そういう問題への 探究の道具ですか。 思考は、私たちが先日入った ように、制限されています。 なぜなら、それは知識より 出てきたものであるからです。 それ(知識)は 制限されています。 そして知識は、何についても けっして完全ではありえません。 で、思考はいつも 制限されています。 さて、あなたは、私たちは、 思考の行使により、 この問いを探究しますか。 あなたが思考を 行使するなら、 明白に思考は、それ自体が 制限されている、 それ自体が断片化 しているので、 断片的な原因を 発見できるだけです。 実際の原因を、ではない。 よろしいですか。 30:45 で、思考を 行使しないなら、 そのとき、別の道具が ありますか。 私たちは、この唯一の 道具に、慣れています。 それは、私たちの 条件づけです。 それは、 私たちの教育です。 それが、私たちが持っている たった一つの道具です。 そして私たちは、その道具が、 何かはるかに深遠なものを 掘り下げられないことを、 発見します。 いいですね? この点について、 しっかりしてください。 絶対的に明らか であってください。 |
| 31:49 人は、恐れ、不確実さ、 混乱、孤立をとおして 思考が、神と呼ばれる観念を 創り出してきました。 考案してきました。 神は確実に、私たちを 創り出さなかったのです。 もしそうであるなら、私たちは とてつもない人間であるでしょう。 私たちは、 そうではありません。 この考案の原因は、 自分の恐れです。 自分の望みです。 それが、この結果の 原因です。 で、思考の道具を要求しない 何かを、探究しているなら、 そのとき、道具は 何ですか。 理解されますか。 問いは 明らかでしょうか。 あなたが、この問いを 訊ねています。 語り手だけが、 ではありません。 ゆえにそれは、 あなたの問いなのです。 そして、あなたがそれに 答えなくてはなりません。 思考は、 道具ではありません。 |
| 33:25 そのとき私たちは 訊ねています。 他の道具は - もしそれが存在するなら - それは 思考の創案ですか。 それは無意識的かもしれません が - 付いてきておられますか。 私は、思考が全宇宙、万物を検討 できないことを、知っています - 宇宙、万物の とてつもない秩序を、です。 思考はそれを 検討できません。 なぜなら、思考自体が 制限されているからです。 で、私が、思考は 制限されているし、 それはとうてい無制限のものを 検討できないと、言うとき、 そのとき私は 訊ねています - 思考の道具ではない 観察の道が、ありますか。 私は、観察できますか。 この深いさびしさの問題を 観察できますか - その帰結すべてとともに、 この全的な孤立の感覚を、です。 35:00 孤立があるところ、葛藤が あるにちがいありません。 孤立があるところ、 様々な形の敵対、憎しみが あるにちがいありません。 戦争へ繋がることは 回避できません。 で、思考でない道具は 何ですか - すなわち、思考により 無意識的に創案されていて、 「はい。 あれはそうです」と 言わないもの、です。 で、自らはきわめて明らかで なければなりません。 それは、憶えていること - すなわち思考です - の 活動ではないことを、です。 私たちは、互いに 出会っていますか。 |
| 35:57 で、私たちは、観察の問いに 入らなくてはいけません。 それが、道具であるかも しれません。 私たちは、それが道具である とは、言っていません。 なぜなら、そのときそれは 教義的になるからです。 おそらくあなたは、それを 受け入れるでしょうし、 そのとき、それは 何の意味もありません。 しかし、探究すること - それは、 思考が全く制限されているのを自分 自身で見るときだけ、可能です。 そして、思考は、あなたの思考や 私の思考ではない。 思考である。 すべての境遇のもとで、いつも制限 されている、と(見るときです)。 そのときだけ、あなたは、 他の質問をできます。 思考により組み立てられていない 別の道具が、ありますか。 あなたが、思考は制限されている との実在、真理を見たときだけ、 そのときあなたは、 他の何かへ行けます。 37:09 しかし、あなたが 混乱しているなら、 あなたは、ゲームを やっているだけです。 これは明らかですか。 私たちがこの点で 明らかであるなら、 そのとき、 観察とは何ですか。 観察がありますか - 言葉なし、 連想なしで、です。 (連想)それは、 憶えていること、 それは、出来事、 思い出と活動の連鎖、 その連鎖です。 過去なしで、 観察はありますか。 それは可能ですか。 理解されますか。 世界全体を、ありのままに 観察することは、可能ですか - 何の偏見からでもなく、 アメリカ、イギリス、ロシア (の視点)、理想主義者、 テロリストの視点からでもない。 それらはすべて偏見です。 それが、歴史的な 偏見であっても、 理性をとおして もたらされた偏見であっても、 それはやはり、偏見です。 38:47 この世界を、私たちのまわりの この社会を、観察できますか - ゆえに、私自身を、です。 すなわち、私のさびしさを、です。 理解されますか。 過去なしの 観察が、ありますか。 過去は言葉です。 過去は、経験の 蓄積された記憶です - すなわち、知識です。 それは、可能ですか。 あなたが、まわりの世界を、 社会を、まるで 初めて見つめているかの ように、新鮮に見つめる。 確かに、それは 可能でしょう。 語り手を見つめる - 私は それを例に取っています - 評判すべて、戯言 すべてなしに、です。 姿を、ではなく、 形態を、ではなく、 彼が言っていることを 見つめる。 それは、あなたが聞かなくては いけない、という意味です。 感覚的な耳で 聞くだけではなく、 内的な耳でもって、 それが虚偽なのか、 真実なのかを、見る。 40:36 で、この聞くことは、 注意を必要とします - 聞こえることを、あなたが うれしいように翻訳したり、 過去の記憶へ、それを適応 させたりするのではなく、 聞く - 思考の 唯一の動きもなく、 聞く。 |
| 41:09 あなたが、音を聞くとき、 音楽のように、ですが、 それは音です。 あなたはあの音を聞けますか - それが誰を書いたのか、 誰がそれを作曲したのかを、 名づけることなく、です。 ただ聞く。 その聞くことには、 大いなる美しさが、あります。 どんな形の連想もなく、です。 それは、あなたがそれを初めて 聞いている、という意味です。 または、あなたが ギリシャへ行って、 パルテノンを 初めて見るとき、 それは、とてつもない 意義を、持っています。 あなたは、それへ 跪きたいと思います - 美しさ、 空に映える色、 ギリシャ文明の無量の 努力全体です。 42:27 で、同じように、私たちは この問題を見つめられますか - 言葉なく、連想なく、 どの形の関係もなく、です。 私は私自身を見つめられますか - さびしいものを、です。 さびしさがあるし、私が それを感じるのではない。 または、私の中に さびしさがあるのでもない。 私が、このさびしさを もたらしてきたのです - 自己中心的な活動により、 自分の欲望、野心、 貪欲、その他すべてを 追求することによって、です。 |
| 43:42 で、孤立の外的な活動と 分離性の内的な活動が、 これを もたらしてきたのです。 それが原因です。 私は、原因を 観察できますか。 私が、ではない。 原因の 観察が、ありますか。 それを変容させたい、 変化させたいと 思うことなく、です。 理解されますか。 ただそれを観察する。 あなたが、あの川の流れを 観察するであろうように、です。 あなたは、あの水の深さを 変化させられません - あの水の純粋さ、 あの水の速さを(変化 させられないの)です。 で、あなたは、原因を 観察できますか - 原因とは、私たちの 生の道全体です。 あなたがそれを そう観察できるなら、 その観察こそは、 原因の終わることであり、 ゆえに、さびしさである 結果は、去ってしまいました。 これは、言葉だけ ではありません。 あなたはそれに取り組み、それを 見つめなくてはいけません。 |
| 45:31 で、そこから私たちは ともに、恐れの問いを 探究しはじめるべきです。 なぜなら、それは生における私たち の主要問題の一つであるからです。 未来の恐れ、過去の恐れ、 現在の恐れ、 世論の恐れ、誰かが言う であろうことの恐れ、 あなたが過去にしてきた ことを暴露される恐れ、 死の恐れ、 充足しないことの恐れ、 愛されないことの恐れ、 愛することの恐れ。 私たちはみんな、様々な形の 恐れを、知っています。 私は妻や彼女を失いかね ない(との恐れ)、 彼女が私について何を 言うだろうかの恐れ。 これらを 拡大してください。 47:10 何も楽しみを持たない ことの恐れ - 物理的にか、 心理的に、です。 さびしいことの恐れ、 傷つくことの恐れ、 傷ついて、あなたは 他の人を傷つけたい。 そして私たちは、この傷を 生涯にわたって持ち運びます。 その傷の帰結は、 もはや傷つかないために、 自分自身のまわりに 壁を築くことです。 どの形の関係にも 抵抗することです。 ゆえに、その中から、 苦々しさ、心配、さびしさ、 憂鬱、苦悩です。 そして、ならないことの 恐れが、あります。 で、それは、 多くの枝をもち、 きわめて多くの葉を もった大樹に、似ています - おしゃべりをする 葉々に満ちています。 49:00 そして私たちは、何らかの形の 恐れに関心を持っています。 自らは死の恐れにのみ関心を持って いるにすぎないかもしれません。 または、明日の恐れに ついての思考に、 関与している かもしれません。 明日は、二十四時間後の 日だけではありません - 明日の動き全体です。 それは、終わりが ありません。 そして、生に何の意義をも 持たないことの恐れ。 生は、何の意味も 持っていません。 それは、今そうであるように 何の意味もありません。 それは、何かを追いかける 永続的な闘争、 葛藤、悲惨、不幸せと それらです。 |
| 50:18 で、恐れは、多数の形を 持っています。 それは、あなたの恐れや 私の恐れではありません。 それは恐れです。 あなたは それを一通りに翻訳し、 それを違ったように 表現するかもしれません。 そして私や他の一人は、 それを違ったように 叙述するかもしれませんが、 基本的にそれは恐れです。 いいですか? 当然、 ほとんどの人間は、 少なくとも正気の、理性的な、 健康的な人間たちは、 私たちは恐れを終わらせなければ ならないと、言います。 単に、恐れの枝々を 断つとか、 引き千切る - 枝々から木の葉を 引き千切るだけではなく、 むしろ、恐れの原因は 何ですか。 私たちが入ったように、 原因を発見できるなら - 原因があるところ、結果に 終わることがあります。 51:32 いいですか。どうぞ、それは 原理です。それは法則です。 癌は、そのすべての色々な 多様性がありますが、 それの原因を、彼らは まだ発見していません。 彼らはそれに、何十億ドルも 使ってきましたが。 彼らはいつの日かそれを 発見するだろうし、 結果は終わります。 いいですか。 どうぞ、これの意義を 見てください。 原因が、その結果とともに あるところ、 原因は、終わりに なりえます。 いいですか? で、私たちは今、 |
| 52:22 恐れの原因が何であるかに 関心を持っています - あなたの恐れや 私のではない。 原因です。 それは、人類すべてに こうも共通しています。 それは、人間すべてが 格闘するところの地盤です。 で、どうぞ、それはあなたの恐れ や私のでなく、人類の恐れです。 原因は何ですか。 これを、自分自身で 発見することは、重要です。 なぜなら、人は、 幾千年に幾千年もの間、 恐れを持ち運び、それと ともに生きてきたからです。 人はそれを解消しなかった。 人はそれから、逃避してきた。 人は、それを 鍛錬してきたか、 人はそれを、合理化か 正当化してきたのですが、 それはそこにあります。 それが意識的な 精神にあっても、 精神のより深い水準に あっても、です。 で、私たちはともに、 探求しなければなりません。 54:07 それの原因が何であるかを 探究しなければなりません。 あなたが、それを発見する なら - いいですね? - あなたが、これが原因 であると、言うなら、 そのとき、それを保って ください。 理解されますか。 貴重な宝石のように、 それを保ってください。 それを見つめてください。 「私は行ってしまなければ ならない」と言わないでください。 それは、あなたが手の中に すばらしいダイアモンドを 持ったのに、似ています。 自らの輝きを持っている 宝石を、です。 で、原因は何ですか。 |
| 54:54 私たちは先日訊ねていました - 智恵とは何ですか、と。 私たちは、智恵は思考の産物 ではないと、言っていました。 それは、思考により 組み立てられていない、と。 どうぞ、これは きわめて深刻です。 これを理解するには、 あなたはそれへ 入らなくては いけないでしょう。 その含蓄を見るだけ ではなくて、です。 思考は、あなたのでも私のでも ありません。 それは思考です。 あなたが、隠者として、 聖者として生きても、 または、探検者や 科学者として、でも、 考えることが あります。 それは、 制限されているのか、 もう少し制限されて いないのかもしれません。 55:57 で、思考は、けっして 個人的ではありません。 そのとき思考は、格闘を とおし、研究をとおし、 蓄積された知識をとおして、 思考はけっして、 智恵と呼ばれるあのとてつも ないものの能力を持てません。 私たちは、智恵は原因を 持たないと、言いました。 愛が原因を 持たないように、です。 それが原因を 持っているなら、 愛が原因を 持っているなら、 そのときそれは、智恵では ありません。 明白です。 それは、きわめて素早く 見られますが、 原因があるところ、智恵が ないことが、見えません。 |
| 57:00 で、私たちは、智恵で もって探究しています - すなわち、原因を 持たない智恵です。 その智恵は、 観察することです。 どうぞ、気をつけて これに入ってください - 恐れの本性、それの根に、 です。 理解されますか。 智恵が原因を 持っていないとき、 その智恵 - すなわち、 観察することは・ ・・ 私はあなたに語らないでしょう。 あなたが、進んでください。 私は今すぐ、それへ 来るでしょう。 恐れの原因は 何ですか。 それは、思考ですか。 それは、時ですか。 どうぞ、ゆっくりそれに 入って、探究してください。 58:08 それは、欲望ですか - 欲望は、恐れからの 自由ですが。 で、私たちは、原因を 持たない智恵でもって、 原因を見つめていますか。 よろしいですか。 または私たちは、 見るために 努力しようと していますか。 ゆえに、努力は 原因を持っています。 なぜなら、あなたはそれ より自由になりたい、 あなたはもっと幸せに 生きたい、とか何とか、 その他すべてである からです。 で、あなたは、欲望、時、 思考を、観察できますか。 それらは 分離していません。 それらは、相互に 関係し合っています。 ゆえにそれらは一つです。 いいですか? |
| 59:25 で、それが原因ですか。 死の恐れ。 私は死んでいませんが、 私は死ぬでしょう。 生きることと終わることとの 間のこの間隔、です。 私はそうではない。 私はそうなるだろう。 「なるだろう」は、不確実 であるかもしれません。 で、時が、ここには 関与しています。 私は、何か間違ったことを してきました。 自分は、 間違っていることを 暴露されるのを、 恐れています。 自分は、それを恐れて います - それは時です。 欲望は、もっと 錯綜しています。 あなたがそれに入る時間を 持っておられるのかどうか、 私は知りません。 それは、 欲望、時、思考ですか。 一つの統合された 動きとして、です。 それが、恐れを 引き起こしていますか。 原因が 引き起こしている - 1:00:38 努力は原因を持っています。 恐れは原因を持っています。 智恵は原因を持っていません。 愛は原因を持っていませんね。 心理的に、あらゆる物事が 原因(コーズ)を持っています。 私はこれをする。 なぜなら(ビコーズ)、と。 で、それが原因です - 欲望、思考、時が、です。 時は、動きです。 心理的に明日です。 ゆえに それは制限されています。 で、これらが、要因である かもしれません。 私たちは、それを 拡げられます。 欲望の本性の詳細に入られます - 欲望は何であるのか、です。 おそらく次回、私たちは それに入るでしょう。 |
| 1:01:47 見たところ、これは 一つの原因です。 それらは分離して見えるが、 それらはすべて同じ動きです - 同じ区域の中、 同じ平野の中、です。 で、それが原因です。 どうぞ、私はあなたに 語っていません。 あなた自身が、自らの観察 する能力を、用いています - 何の偏見もなく、 恐れを抑圧したい、 恐れより逃避したい、 恐れを合理化したいとの 何の感覚もなく、です。 ただそれを 観察しています。 あなたは、恐れの動き、 内的な動きを、見ます - それの原因を、です。 さて、あなたが、それの 原因を発見するとき、 あなたはそれを どうしますか。 どうぞ、気をつけて、少し それに入ってください。 1:03:07 あなたは、原因を 発見したのです。 あなた自身で発見した。 それを見つけたのです。 そのとき、あなたの 行為は、何ですか。 または、 無行為ですか。 何かをすることが、 私たちは慣習化しています。 それは、私たちの習慣、 私たちの条件です。 私は原因を 発見したのです。 私はそれについて、何かを しなければなりません。 それを揉み消す、 忘れる、分析する、 それをバラバラに 引き裂く。 私は行為しなければ なりません。 それはまたもや、行為が 原因を持っていることです。 すなわち、思考が 「これは耐えられない」と 言っているのです - 「私はそれを取り除く、 乗り越える、変質させるので なければならない」と。 何でも、です。 で、その行為の条件に 気づかなくてはいけません。 それについて何かをしたい との(条件)を、です。 1:04:26 さて、それについて何かを しているのは、誰ですか。 質問を理解されますか。 確かに、欲望、時、 思考は、あなたです。 いいですか。 あなたは 恐れより分離していません。 あなたが恐れです。 あなたは、「私はそれを 取り除ける。 その事実から 自分自身を分離できる」と 言いたいかもしれませんが、 あなたは、あれなのです。 ですね? あなたが暴力的であるなら、 そうであるように、です。 永続的に恐れを探し求めて、 何か幻影に捕らわれていて、 あなたは 人類の敵なのです。 それは事実です。 もしあなたが 民族主義的であり、 一定の宗教、一定の教義へ 縛られているなら、 あなたは、人類の 全体の敵なのです。 |
| 1:05:37 で、あなたは、 あの欲望、時と思考です。 あなたは、あれです。 あなたは、あれより 分離していません。 で、何が起きますか - それへの悟り、それの 真理があるとき、です。 ただ、それの言語的叙述、 それの言語的説明だけでなく、 あなたがあれであるとの 事実が(あるとき)、です。 あの恐れは、これに 根付いています。 で、あなたは あれの全体です。 「私もそうでないか」と 言わないでください - 時々、私は時間が無い。 私は世界を新鮮に見つめる。 ある朝、目覚める。 深い、夢のない夜の後、 朝に目覚めて、 「新鮮であることは、 何と美しい、 麗しい感じだ」と言う。 それらの朝は、 きわめて稀です。 1:06:56 私たちは、それらの朝を 当てに生きられません - それは、死んだ記憶を 当てに、生きることです。 しかし、これは事実です。 これが原因です。 原因は、「私」です。 いいですか。 原因は、 時、思考、欲望などです。 それは、私の意識の 構成全体です。 その意識の内容は、 人類の共通の内容です。 で、恐れの本性への 私たちの探究は、 利己的な活動 ではありません。 どうぞ、これに 留意してください。 それは、利己的な活動 ではありません - 私が恐れより自由で ありたいことは、です。 私たちは、人間的な恐れに 関心を持っています - あなたは、 それの一部です。 |
| 1:08:17 で、私たちは、恐れの 本性を見つめるとき、 私たちは、人間的な恐れの 全体を、考慮しています。 しかし、あなたが、 まるでそれは 自分の個人的恐れであるかの ように、見つめているなら、 そのときあなたは、 なぜあなたが それは自分の個人的恐れ であると考えるのかを、 検討しなくてはいけません。 そのときあなたは、 見出すでしょう - あなたがそう考えるとき、 それは制限されている、と。 あなたが、そのように 生きたいのなら、 当然あなたは、そのように 生きるでしょう。 誰も、あなたに 強いようとしていません。 それが、人類が してきたことです - 分離した区画に 生きていて、 互いに闘っていて、 互いに破壊し合っています。 |
| 1:09:10 で、この観察が、あなたを これへ、導いてきました。 あなたの検討が、です。 それは、 恐れの本性への よく気をつけた 究明、探検です。 今、あなたは、 頭脳は、 逃避するのが慣習に なっています。 それは、合理化するよう 条件づけられています。 それは、回避し、何か他の 形の娯楽へ逃避するよう 型枠に 入れられていますが、 その頭脳は、 様式を破り、 自らの過去の条件づけの 何の動きもなく、 見つめられます。 これは、あなたの応用を 必要とします。 そのときあなたが、 そう見るとき、 すなわち、 あなたが原因へ 完全な全的な注意を するとき、ですが - 理解されますか - 私たちは、そうしません。 なぜなら、私たちは 逃避したいからです。 原因へあなたの注意の 完全な焦点化が、あるとき、 何が起きますか。 その注意の光こそが 原因を、消し去ります。 それで、恐れが全的に 終わることが、あります。 |
| 1:11:17 訊ねないでください -「ああ、 時折、恐れが再びやってくる。 この恐れの終わることは 永続的でありうるのか」と。 私たちの精神がどう働くのかに 付いてきておられますか。 あなたが指摘したとき、 私が悟った状態ですが、 私はそれを、一秒間、 捉えたのです。 その秒は、継続できますか - それは欲望です。 それは時です。 それは思考です。 あなたは再び、 循環に戻っています。 そうね、私たちの頭脳は、 こうも継続性に慣れています。 私は、幸せを 持ってきました。 それは余生の間、 続かなければなりません。 |
| 1:12:17 で、思考の何の動きも なく、見つめる。 すなわち、完全な、全的な エネルギーを注ぐこと、 あなたが捉えた宝石を 観察することです。 すなわち、原因を、です。 原因があるところ、 結果に終わりがあります。 そして、原因自体にも 当然、(終わりが)、です。 |
| 1:12:51 私たちは、よろしければ、 火曜日に継続するでしょう - あなたが興味を お持ちであるなら、です。 そして、指摘しても いいなら、 あなたは、その全体を 見なければなりません。 あなたが恐れについて私に 語ってくれた、だけではない。 それは十分ではありません。 あなたは生を、全的な動きと して、見なくてはなりません - あなたが追求している断片的な 動き(として)ではない。 よろしいです。 |