Krishnamurti Subtitles
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SA83Q2 - 質疑応答会合、第2回
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| 1:34 たくさんの質問が、 ありました。 「あなたは、こう言うし、 あなたは、ああ言う」。 「私は、あなたの伝記を読んだが、 なぜあなたは、そう言うのか」、 「あなたのこれは、 何ですか」、などと。 それらの種類のことについて、 無数の質問です。 しかし、私たちは、 見たところ、 私たち自身について、直接的な 質問を、けっしてしません。 あなたたちは、いつも、他の 誰かしらを、引用しています。 または、誰が、最も偉大な マハートマー(大聖)、 偉大なアヴァター(化身) であるとか、 そうね、それらの種類の未熟で、 無思考なこと、です、 また、見たところ、 私たちは本当に、 私たち自身に関心を 持っているとも、思われません - 私たちの問題に、 私たちの嫉妬に、 私たちの憎しみと 誹謗中傷と、 私たちの日々の生で進んでいく 苦労のすべてに、です。 なぜかと思われます。 3:13 個人的に、私は、 ブッダや誰が言ったことにも 興味を 持っていませんが、 私は、自分が生きているさまを、 知りたいと思います - なぜ自分がこのように 生きているのか、 私の特異性、先入観、意見は、 何であるのか、などを、です。 私たちはけっして、そういう質問を するように、思われません。 なぜ私たちは、 自分の先入観、 自分の結論に、 縋りつくのか、 そしてなぜ、私たちは 誰かしらに従うのか、です。 私たちはけっして、 自分自身の・ ・・ 大変尊敬をこめて、 指摘していいなら、 私たちはけっして、自分自身の、より深い 心配に、気づくように、思われません - なぜ私たちの頭脳は、こうも 見かけ倒しになったのか、 明瞭で、利発で、生きて、 活動的なのではなく、 いつも、「なぜあなたは、 そう言うのですか」と、 「なぜあなたは、他のことを、 言うのですか」と。 そのようにして、 私たちは生きるのです。 |
| 4:39 それで、できるなら、 私は、あなたに 質問をしたいと思います。 あなたが語り手に、質問を するのではなくて、です。 私はあなたに、質問を したいと思います。 何が、あなたをして、 変化させるのでしょうか。 何が、あなたの精神を、 むしろ頭脳を、 とてつもなく 活動的にし、 生きて、自由に するのでしょうか - それで、あなたが、とてつもない 生の眺めを、持つように、です。 生の大いなる 複雑さへ、です。 自分の人生ではない。 自然の生、 大地の生、 樹々、海洋、 無量の空、 世界の美しさ、です。 もしもあなたに、その質問を することに、なったとしたなら、 あなたは、何と 言うのでしょうか。 6:03 私たちはなぜ、 みんなこうも - その言葉を使うのを、 お許しください - 鈍いのですか。 特定の路線を 進んでいき、 けっして、変わらず、 離れていかず、 けっして、本当の自由を、 探し求めない。 なぜですか。 それは、恐れですか。 それが 恐れであるなら、 それを取り扱って、済ませ、 終了させましょう。 しかし、指摘しても よろしいなら、あなたが、 「なぜあなたは、 こう言いますか」、 「あなたがいう、あれは、どういう 意味ですか」と、訊ねつづけるなら、 そのとき、あなたは 誰かに、依存しています。 で、どうぞ、 今日と明日、 私たちには、二回の質疑応答 会合だけが、残されています。 私たちは、自分自身に、 訊ねられるでしょうか - あなたが聞いているなら、 私たち自身に、訊ねるのです。 なぜ私たちは、今の 私たちなるものであるのか、 - この幾千年に幾千年の 進化の後に、です。 なぜ私たちは、 暴力的なのか、 自分の生において、 こうも無秩序なのか。 なぜ私たちは、他の一人へ、 この敵対を、持っているのか。 なぜ私たちは、傷つくのか - 理解されますか - 生の、 より深い主題です。 8:07 しかし、見たところ、自らは、それらの ことに、興味を持っていません。 で、よろしければ、私は、 普通の質問を、進めましょう。 |
| 8:28 第一の質問: 「正しい教育といったものが、 ありますか」。 あなたが子どもを持っている なら、これが、疑問です。 「正しい教育といったものが、 ありますか」。 |
| 8:53 親が、この質問を したのか - なぜなら、彼は、 多くの子どもを、持っていて、 世界がどうであるかを、 知っているからです。 とてつもない残忍さと、 低俗さ、 起きつつある、すべての ひどいことを、ですが、 彼らの未来とは、 何ですか。 親は、ものすごい関心を、 持つでしょう - もしも彼が、自分の子どもを 愛していたなら、です。 それは、きわめて 疑わしいと思いますが。 もしも彼が、本当に、自分の 子どもを、愛していたなら、 もしも、彼がこういう質問をした なら、正しい教育とは、何ですか。 そして、自らは、子どもを どうすることに、なりますか。 彼らは、すでに 汚染されています。 - 私が、その言葉を 使えるなら、です。 他の子どもたちによって、 社会によって、 彼らが持っている 友だち、 子どもがすでに用いる、 ひどい言語によって、です。 10:16 よろしいですか。 これらです。 自然に親は、 自分の子どもだけではなく、 世の中の子どもたちに、 関心を、持ちます。 なぜなら、それらの子どもは、 私の息子、私の娘を、 汚染しようと しているからです。 で、これが、疑問です - 私たちが、よく気をつけて、 探究しなければ ならないこと、です。 なぜ私たちは、 教育されつつありますか。 教育(エデュケーション)は、 何を、意味していますか。 (語源的に)普通の意味は、 引き出すことです - (ラテン語の)エデュカーレ、 引き出すこと(から)です。 しかし、それは、 辞書の意味だけです。 言語学的に、それは、 子どもが成長するのを、 助ける、という意味です 生きることの 過程全体を、 理解する、了解するのを、 (助けるの)です。 そして、子どもは、 学校へ行きます。 そこで彼は、教えられます。 本当は、記憶するよう、学びます。 12:01 で、彼は次第に、記憶の 構造全体を、築き上げます - 特定の線に沿って、です。 医師、工学、 哲学、心理学、 物理学者など、です。 そして、コンピューターが、教師に 取って代わりつつあります。 コンピューターは、普通の地元の教師 より、はるかにうまく教えられます。 コンピューターには、 特別の主題において、 トップの教師を、 載せられます。 で、彼らは、 コンピューターから、学べます。 そして、コンピューターは、 人間の頭脳より、 ますます 優りつつあります。 おそらくあなたは、それを 幾らか、ご存じでしょう。 私はすでに、それについて 話してきました。 だから、私たちは、 それに入らないでしょう。 |
| 13:13 そして、なぜ子どもは - どうぞ、 初めに、ただ聞いてください - なぜ、子どもは、 何かしらの科目について、 百科事典的な知識すべてを 持ち運び、 自分の頭脳に、そのすべてを保持 すべきですか。 それが、教育ですか。 問いを 理解されますか。 私たちは、本で、 百科事典で、調べられ、 そこから、働けます。 よろしいですか。 自らが外科医であるなら、 当然、あなたは、 人間の解剖学について、大変多く、 知らなくてはいけません。 あなたは、学習しなくてはいけないし、 それらを経ていかなくてはいけません。 それは、十年から十五年が 掛かるかもしれません。 そして、テクノロジー的に、 技術の世界全体へ、 とてつもない理解を 持つには、です。 それが、私たちがますます 養成していることです。 |
| 14:25 また私たちは、心理的な世界全体を、 全面的に無視しつつあります - 心理(サイキ)の 世界全体を、です。 ですね? これが、 起きつつあることです。 一方で、あなたは、 テクノロジーに、とてつもない 発達を、持っています - それが、科学、 生化学でも、 遺伝子工学でも、 トップの外科医療でも、 ですね。 あなたは、そのとてつもない 分野を、持っています - 高度に養成されて、 もっともっと多く、です。 そして、 人間存在の他方には - そのほうが、 はるかに重要です。 理解されますか - このほうが、はるかに重要です。 それは、無視され、 拒否されています。 あなたは、それは重要ではないと、 言います。理解されますか。 15:33 共産主義の世界、 イデオロギー的な 共産主義者は - 私は、レーニン、マルクスや、その どれも、読んだわけではありませんが - 私たちは、大変多くの 共産主義者に、話をしてきました。 あなたは、それに 怯えていますか。 私の友だちが、 何人か、おられますが、 気にされませんか。 彼らは、大事なのは、 心理(サイキ)ではなく、 環境であると、 言います。 環境を、根源的に変化させなさい。 そのときあなたは、 人を変化させるでしょうが、 それはけっして、起こりえません。 が、彼らは、その理論に 拘ります。 なぜなら、レーニンは、それに ついて、話をしていたからです。 マルクスは、です。 よろしいですか。 で、彼らは それに、取りすがります。 |
| 16:29 で、民主主義世界でも、 いわゆる 全体主義世界でも、 そして、宗教的な世界でも、 明白に、 教育は、学問的な訓練、 学術的な優秀さを、 意味しています - 議論できること、 就職すること、 教授になり、 あなた自身の、 その特定の専門分野の世界に 生きること、などです。 そして、 心理(サイキ)は、 いつも、外に打ち勝つのです。 理解されますか。 あなたたちは、すばらしい政府、 規則、法律などを、 持っているかも しれませんが、 野心、 権力、地位への衝動 - そのすべてが、 他方に、打ち勝ちますね。 あなたは、これが起きつつ あるのを、見てきました - 私たちのまさに目の前で、 共産主義の世界で、です。 17:47 で、教育されるとは、どういう ことですか。理解されますか。 親として - 私は、 親ではありませんが - もしも私が、親であったなら、それは 私のものすごい関心事でしょう。 一方での徴兵 - 軍隊での 二年間か、四年間、 アメリカには、徴兵が、 ありません。 または、 イングランドにも、 インドにも、です。 なぜなら、 そこには、貧しい人々が、 こうも多くいるからです - 軍隊に入って、 それでやっていける人が、です。 が、自らは、このような世の中で、 何をすることに、なりますか。 質問を 理解されますか。 |
| 18:38 で、正しい教育とは、 何ですか。 それは、世の中で 優秀に機能できる 頭脳の養成でも ないですか。 そしてまた、 心理的に、 存在の意味全体を 理解できるもの、です - 自己、「私」、 心理を、ですね。 これら二つは、 相伴えないのでしょうか - たとえば、二頭の、 よく調教された馬が、 協調し合って駆けてゆくように、 です。 理解されますか。 そして、見たところ、 一頭の馬は、高度に 成長しています。 他方は、まだ 赤ちゃん、子馬です。 正しい教育は、学問的な 訓練だけではないと、思われます - あなたは、職を持たなくては ならないから、といって、です。 あなたは、職を持ち、二時間だけ、 働くのかもしれません。 もしコンピューターが、 ますます重要になるなら、 あなたは、ますます 余暇を、持つでしょう。 それは、すでに 起きつつあります。 20:06 その余暇は、 娯楽の構造、産業により 使われよう、 利用されようとしています。 ますます、それが、 起きようとしています。 明白に、あなたは、それが今、 起きつつあるのが、見られます。 で、自らは、どのように、 学業は別として、 自らはどのように、良い人間に、 なりますか。 ですね? あなたが、質問を、しています。 私が、この質問を、していません。 私は、子どもを 持っていませんが、 私は、世界中で、何百もの 子どもたちと、会います。 私は、様々な学校へ 行く、などです。 それは、あなたの子どもです。 私のではありません。 あなたは、これを聞き、 見出さなくてはいけません - 或る博士が私に、何をすべきかを、 語る、と言うだけではありません - 或る心理学者は、私は自分の 子どもを、あのように、このように、 扱わなければならない、などと言う、 と(言うだけではない。)ですね。 |
| 21:28 で、私は、 わずかな子どもを、持ち、 彼らが、他の子どもたちにより、条件 づけられようとしているのを、知り、 学校で、彼らはみんな、条件づけられ ようとしているのを、知って、です。 新聞、雑誌、 本、歴史書、 あなたの国に対立する、 私の国。 私の王は、あなたたちの 王より、良い。 そうね、 進んでいく戯言 すべて、です。 そして、私は、 親として、どのように、 良い精神を、もたらすことに なりますか - 良い頭脳、 良い人間を、です。 「良い」(グッド)という言葉は、 幾つもの意味を、持っています。 それは、 古風な言葉です。 それは、古風であるとしても、私は、 それは良い言葉であると、思います。 22:29 自らは、どのように、良い人間を もたらすことに、なりますか。 私の子ども - 私は、彼らに、 良くあってほしいと、思います。 感傷的ではなく、 ロマンチックではなく、 だらしない頭脳を 持つだけではなく、 私は、何をすることに なりますか。 理解されますか。 あなたは、子どもを 持っておられますね? いいえ? あなたたちは子どもを持って いないと、仰ろうとしていますか。 これは、あなたの 問題ではありませんか。 まず第一に、 「良い」(グッド)とは、 行為において、正確な行為、 という意味だけではありません。 正義の行為ではなく、 正確な行為です。 正義の行為と・ ・・ 精確な行為との間の 違いを、見てください。 精確に、明瞭に話す。 自分が言いたいことを、 他の一人へ、疎通する。 口ごもる、その他すべて、 ではありません。 24:04 また、良い(グッド)とは、(語源的に) 全体的だ(ホール)、という意味です。 私があの、すっかり擦り切れた 言葉を、使っていいなら、 全包括的 (ホリスティック)です。 私は、自分の娘と息子に、 世の中全体への 眺めを、持ってほしいと 思います。 人類の眺め - 彼の狭い視点からではなく、 人類、 人間世界の全体です。 また、自然と 良い関係を、持つこと。 いろいろとものを、 破壊するのではない。 鳥、動物、鯨 - 理解されますか - 破壊しない。 そして、美しさの 大いなる感覚を、持つ - 芸術の鑑賞ではなく、 美しさの感じを、 持つことです。 そして、慈しみ、愛、慈悲の、 あの大いなる感覚を、持つこと。 これらは、すべて 言葉だけです。 25:31 さて、私はどのように、 親として、ゆえに、教師として - 教師は、単に 学校だけに、いません。 また、親でもあり、 私は、教師でもあります。 で、どのように私は、彼が、これを 持つよう、助けることになりますか。 質問を 理解されますか。 どうぞ、この問いに、 答えてください。 あなたはどのように - もしあなたが、 これが、生きる道であり、 これが、関係において行為する道 であることなどを、見るなら、 あなたは、どのように、これを 学生に、あなたの子どもに、 もたらそうと していますか。 あなたが、 お手本であるなら - 親として、 お手本です - 彼は、あなたに、背を 向けるでしょう。 ですね? 理解されますか。 彼は、あなたに、 聞こうとしないでしょう。 だから、お手本であるの ではない。 すなわち、 あなたがタバコを吸うなら、子どもへ、 吸わないように、言わないでください。 なぜなら、彼は、こう 言うでしょう - 「あなたは、タバコを吸うよね。 なぜ僕が、吸うべきでないんですか」 26:52 そのとき、論争すべてが、 進んでいきます。 あなたが、そもそも お手本であるなら、 お手本であることの 含意を、見てください。 あなたは、彼に、 順応してほしいと思います。 あなたは、彼に、あなたの ままを、真似てほしいと思います。 それで、あなたは、彼に、働き、 考え、行為する自由を、拒否します。 ですね? これらを 理解されますか。 これは、あまりに 錯綜しつつありますか。 |
| 27:35 そして、彼は、 条件づけられています - あなたによって、 だけではなく、 あなたが使ってきた言語、 気候、食べ物、 社会的環境、他の 少年たちによって、です。 彼の祖母は、「ほら、神様を 信じなさい」と、言います。 または、「この新しい導師を、 信じてはいけない」と。 または、親がその子に語る 戯言が、何でも、です。 で、その子は、次第に、条件 づけられ、狭められつつあります。 私は親として、どのように、それを 阻止することに、なりますか。 理解されますか。 それは、可能ですか。 それは、私にとって、 可能ですか・ ・・ 私の息子へ 話す中で、 私は、自分が条件づけられて いるのを、悟ります。 私はまた、彼が条件づけられ つつあることをも、悟ります。 28:41 で、私は、彼に、 語ります - 「ほら。 私は、条件づけられているし、 君も、条件づけられつつある。 それについて、話そう。 私たちがそれより自由でありうるのか どうかを、見てみよう」と。 理解されますか。 それは、 「私は親だ。私のほうが、 おまえより、はるかに知っている」 ということではありません。 むしろ、この関係に、 上下は、ありませんね。 この関係において、私は 彼に、話します。 私は、「私もまた 条件づけられている」と言います。 「私は、カトリック、プロテスタント、 仏教徒として、育てられたきた」と。 戯言が何であっても、です。 そして、 「君は、条件づけられつつある。 それが世の中で、何を するかを、見てみよう」と。 29:23 私は、彼とともに、 それに入るでしょう。 私は、来る日も来る日も、 それに当たります - 色々な形で、彼を、 退屈させないように、です。 が、外側からの圧迫のほうが、 はるかに強い。 これらを 理解されますか。 ものすごく強い。 そして、たぶん、彼は それに、屈服するでしょう。 ほとんどの子どもが、 そうするように、です。 例外は、ほぼ、ほぼ いません。 私は、自分の息子が、例外に なることを、望みますが、 私はまた、彼が、そうなろうとして いないことを、よくよく知っています。 |
| 30:09 で、それは、 常なる観察です。 常に助けること、導くこと、 導かないことです。 よろしいですか。 私たちの間に、愛があるとき だけ、それは、起こりえます。 彼が、私を尊敬するし、私が、彼を 尊敬するなら、です - 尊敬です。 で、私はあなたに、訊ねています - あなたは、誰かを尊敬していますか。 尊敬していないなら、 子どもへ、あなたの息子へ、 尊敬をするよう、話をすることが、 何になりますか。 その言葉(尊敬、リスペクト)は、 どういう意味ですか。 その意味は、(語源的に) 顧みることです。 私は、当面、その言葉の意味に、 入らないでしょう。 尊敬(リスペクト)は、 愛の一部ですか。 または、愛があるなら、他の何も、 大事でないのですか。 理解されますか。 愛には、(気前のいい) 寛大さが、あります。 同情、憐れみが、ありますが、 憐れみは、愛ではありません。 同情は、愛では ありません。ですね? 31:46 で、私は、彼へ愛について、話すとき、 私の存在に、愛を持っていますか。 または、それは、 言葉だけですか。 私が言っていることを、 理解されますか。 あなたは、これに 興味がありますか。 または、あなたは、 涅槃に、到りたいのですか。 どうぞ、お分かりになりませんか。 私たちが、自らの生に 基盤を敷くのでなければ、 あなたは、あまり遠くに行けません。 あなたは、一定の姿勢で、果てしなく 座り、冥想するかもしれません。 インドに、或る人が いました - 二十五年間、 冥想した人です。 来る日も来る日も、です。 彼は、或る日、私たちに 会いに来ました。 何についても、正気に、 彼へ話せませんでした。 なぜなら、彼は、やはり 冥想しつつあったからです。 それで、私たちは、そもそも 何かを、愛していますか。 33:16 あなたは、自分の妻、夫や 彼女を、愛していますか。 または、それが 何であっても、です。 どうぞ、私たちは 愛していますか。 あなたは、もしも、 お子さんを愛していたなら、 すべての戦争を 止めるでしょう。 世界のあらゆる親が、もしも、 自分の子どもを、愛していたなら、 あなたは、自然に何が起きる だろうかを、ご存じですか。 あなたは、誰をしても、 彼を殺させたり、 彼をして、他の人たちを殺させたり するのを、許さないでしょう。 理解されますか。 が、世界中の 私たちの政府は、 権力、立場、地位に 基づいていて、 ゆえに、それらを保護することに なっています - 銃砲で、です。 その他すべてを、ご存知です。私が それらに、入らなくてもいい。 |
| 34:14 で、正しい教育は - 私は、こう言っていません。 あなたが、見出すべきことです - 正しい教育は、その方向で それが優秀であるように、 学問的な訓練を行うため だけではないと、思われます また、良い全体的な 人間存在であるためにも、です。 断片化していない。 砕けてしまい、矛盾して、 常に自分自身と、他の人たちと 戦いの中に生きている、のではない。 それは、心理への大変多くの 探究を、必要とします - ユングやフロイトや誰かに 沿って、ではありません。 語り手のそれをも、 含めて、です - 自分の応答、自分の行為、 自分の振るまいを 見守るのです。 その中から、とてつもない 自由の感覚が、出てきます。 そして、自由(フリーダム)、 その言葉は、(フレンドと同じく) その根本の意味を、「愛」 (ラヴ)に、持っています。 それは、 それで十分です。 やれまあ、一つの問いに、 長い時間が、掛かりますね。 |
| 35:41 第二の質問: 「私たちは、頭脳と精神について、 語られるでしょうか」。 |
| 35:55 それが、たくさん あります。 私はそれを、短く 読みましょう - 二回、です。 あなたが、かなり長い疑問を、 理解されるだろうのを、望みます。 私は前に、それを 読んでいません。 |
| 36:09 「私たちは、頭脳と精神に ついて、語られるでしょうか。 考えることは、物質的に 脳細胞の中で、起きます。 考えるのが、止まって、 思考なく、知覚が あるなら、 物質的な頭脳の中で、 何が起きますか。 あなたは、こう言うように 思われます - 」 またもや、「あなたは、 こう言うように思われます - 精神は、頭脳の外側に、 居所を、持っている、と。 が、頭脳の中のどこかに、 ではないなら、 清浄な知覚の動きは、 どこで起きますか。 清浄な知覚が、頭脳に 関連を持たないのなら、 変異が、脳細胞に 起きることは、 どうして可能ですか」。 |
| 37:02 問いを 理解されましたか。 もう一回、読んでも いいですか。 それは、良い問いです。 だから、 どうぞ、それを聞いてください。 私もまた、それを 聞いています。 |
| 37:18 「私たちは、頭脳と精神に ついて、語られるでしょうか。 考えることは、物質的に 脳細胞の中で、起きます。 すなわち、考えるのは、 物質的な過程です。 考えるのが、止まって、 思考なく、知覚が あるなら、 物質的な頭脳に、 何が起きますか。 あなたは、こう言うように 思われます - 精神は、頭脳の外側に、 居所を、持っているが、頭脳の 中のどこかに、ではないなら、 清浄な知覚の動きは、 どこで起きますか。 清浄な知覚が、頭脳に 関連を持たないのなら、 変異が、脳細胞に起きることは、 どうして可能ですか」。 |
| 38:30 問いを、 分かりましたか。 で、初めに、彼は、 質問者は、こう仰ります - 精神と頭脳の間で、 区別する、 分離する、判別する、 などのことを、です。 それから、彼は こう訊ねます。 知覚が、清浄に 頭脳の外側に、あるのなら - それは、思考は知覚の動き ではない、という意味です。 そして、彼は、 こう訊ねます 知覚が、頭脳の外側で 起きるなら - すなわち、考える過程、憶えて おく過程の(外側で)、です - そのとき、脳細胞自体に、 何が、起きますか - 過去により条件づけられている ものに、です。 よろしいですか。 そして、脳細胞に、 変異が、あるのでしょうか - 知覚が、外側に あるなら、です。 ヴザヴェ・ コンプリ?(理解されますか) これは、明らかですか。 それが明らかであるのは、 確かですか。 |
| 39:47 で、頭脳と精神から、 始めましょう。 頭脳は、 物質的な機能です。 それは、心臓と同じように、 筋肉ですね。 そして、脳細胞は、記憶 すべてを、収容しています。 どうぞ、私は、脳の 専門家ではありません。 また、私は、精通者と 研究したことも、ありません。 が、私は今や、長い時を生きてきたし、 大変多く、見守ってきました。 他の人たちの反応を、 だけではない。 彼らが言うこと、彼らが考えること、 彼らが私に言いたいこと、だけでなく、 また私は、頭脳がどう反応するかを、 見守ってきた、などです。 よろしいですか。 私は、自分の頭脳が何であるかに、入らない でしょう。それは、重要ではありません。 40:53 あなたたちが、それをお好きだろう ことは、存じていますが、 それは、 重要ではありません。 で、頭脳は、時をとおして 進化してきました。 ですね? 一番の・ ・・単細胞から、 長年を、何百万年に 何百万年を掛けて、 ついに、それが 類人猿に到り、 さらに百万年、進んで、ついに、 立ち上がれるまで、です。 それで、究極的に、 人間の頭脳です。 人間の頭脳は、殻の中、 頭蓋骨の中に、収容されています。 ですね? それは、 そこにあります。 が、それは、それ自体を 乗り越えられますね。 あなたは、ここに座って、自分の国や 自分の家について、考えられます。 あなたは、即座に そこに、いますね - 物理的に、ではなく、思考において、 です。 あなたは、ここにいますが、 即座に、あなたは、 自分の家や、 はるか遠くの 自分の国に、います。 42:11 頭脳は、とてつもない 能力を、持っていますね。 テクノロジー的に、それが、何を してきたかを、見てください - 彼らがしている、最も とてつもないことを、です。 あなたが、彼らの幾人かに、 訊ねてきたなら、 そして、幸か不幸か、 私は、しょっちゅう、 彼らに会います。 彼らは私へ、それについて、 すっかり語ってくれます。 |
| 42:33 で、頭脳は、とてつもない 能力を、持っています。 その頭脳は、条件づけられて きました。 ですね? そのとおりです - 言語の制限によって、です。 言語自体ではなく、 言語の制限によって、です。 違いを、理解されますか。 私は それらに、入らないでしょう。 それは、条件づけられてきました - 自らが生きているところの気候により、 自らが食べる食品により、 食べ物により、 社会的な環境、 自らが生きる ところの社会によって、です。 その社会は、頭脳により、 創り出されてきました。 理解されますか。 で、その社会は、頭脳の活動より、 異なっていません。 43:38 これらに付いてきて おられるのを、望みます。 そして、千年、 百万年の経験、 数百万年の 蓄積された知識 - その経験に、 基づいて、です。 それが、伝統です。 私は、イギリス人だ。 あなたは、ドイツ人だ。 彼は、ヒンドゥーだ。 彼は、黒人だ。 彼は、これだ。 彼は、あれだ - すべての民族主義的な分割です。 それは、部族的な分割ですね。 そして、 宗教的な条件づけ。 それで、頭脳は、条件づけ られています。 ですね? 条件づけられているので、 それは、制限されています。 頭脳は、とてつもない能力を、 持っていますが、 それは、条件づけられてきたし、 ゆえに、制限されてきました。ですね? 44:43 それは、テクノロジーの世界では、 制限されていません。ですね? コンピューターなど、 ですが、 それは、心理に関して、 きわめて制限されています。 人々は、「あなた自身を 知りなさい」と、言ってきました - ギリシャ人から、 古代ヒンドゥーなどから、です。 彼らは、他の一人の心理を、 研究します - 理解されますか。 しかし、彼らはけっして、 自分自身の心理を、研究しません。 心理学者、哲学者、 専門家 - 彼らは、けっして 自分自身を、研究しません。 彼らは、ネズミ、ウサギ、鳩、 猿、などなどなどを、研究しますが、 彼らはけっして、「私は自分自身を 見つめよう」と、言いません - 45:52 「私は、野心的だ。私は、貪欲だ。 私は、妬んでいる。 私は、隣人と、他の 科学者たちと、競争する。 私のほうが、良くなりたい」と - よろしいですか。 それは、何千年の間、 存在してきた、同じ心理です - テクノロジー的には、あなたは、 すばらしい外側の人物でありますが。 理解されますか。で、内的に、 私たちは、きわめて原始的ですね。 |
| 46:22 で、頭脳は、制限され、 原始的です - 心理の世界では、です。 さて、その制限は、 崩れてしまえますか。 質問を 理解されますか。 その制限は、自己、 自我、「私」であり、 自己中心的な関心ですが、 そのすべては、 拭い去られますか。 それは、そのとき頭脳が、条件づけを 解かれている、という意味です。 私が言っていることを、 理解されますか。 そのとき、それは 恐れを、持ちません。 今、私たちのほとんどは、 恐れの中に、生きます。 私たちのほとんどは、 心配しています。 何が起きようとしているかに、 怯えています。 死、そうね、その他すべての 1ダースの物事に、 怯えています。 心配です。 そのすべては、完全に拭い去られて、 新鮮でありえますか。 理解されますか。それで、 頭脳が自由であるように、です。 47:45 そのとき、精神へのその関係は、 全然、違っています。 精神は - ここで私は、 私たちがこの事柄について 議論してきたことを、 言わなければなりません。 あなたが、それを受け入れなければ ならない、ということではありません。 語り手は、この事柄について、幾人もの 科学者と、議論してきました。 政府にお仕えする地元のやつ ではなく、トップの人たちと、です。 彼らは、語り手が行ったほどには、 行こうとしません。 彼らはそのとき、理論的に 行きます。 理解されますか。 ですが、 実際に、です。 違いが、 分かりますか。 すなわち、自らが、自己の影を 持たないように、見届けるのです。 それは、とてつもなく 難儀です - 「私」がどの分野にも入らないよう、 見届けることは、です。 49:00 私が言っていることを、 理解されますか。 いいえ? いいえ。 自己は、多くの形で、隠れます。 あらゆる石の下に、です。 自己は、慈悲の中に、 隠れられます - インドへ行き、 貧しい人々の世話をします。 なぜなら、自己は そのとき、何かの観念、 何かの信仰に、 執着しているからです - 何かの結論、何かの信念に、です。 理解されますか。 それが私を、慈悲深く させます。 なぜなら、私は、 イエスやクリシュナを、愛していて、 私は、天国へ昇るからです。 自己は、多くの、多くの 仮面を、持っています。 理解されますか。 冥想の仮面、 最高のものを達成する ことの仮面、 「私は覚りを開いた。 私は、自分の語ることについて、 知っている」との仮面。 そうですね? 50:14 または、人類についての この関心 - それは、もう一つの 仮面です。 で、自らは、とてつもなく微妙な 精神、すばやい精神を、 持たなくてはなりません - 精神ではなく、 むしろ、すばやい頭脳を、です。 それがどこに隠れているかを、 見るように、です。 これを 理解されますか それは、大いなる注意を、 必要とします - 見守り、見守り、 見守りを、です。 あなたは、これらを、 しないでしょう。 たぶんみなさんは、 あまりに怠けています。 または、あまりに年老いていて、 「後生だから。 これらは、その甲斐がない。 私を 放っておいてくれ」と、言います。 が、自らが本当に、これに きわめて深く入りたいのなら、 鷹のように、見守らなくては いけません - 思考のあらゆる動き、 反応のあらゆる動きを、です。 それで、頭脳が、自らの条件づけより 自由でありうるように、です。 51:33 私は、語っています。 語り手は、 自分自身のために、語っています - 他の誰のためでも、ありません。 彼は、自分自身を、欺瞞 しているかもしれませんね。 彼は、何らかのものであるふりを、 しようとしているかもしれません。 理解されますか。 彼は、そうかも しれません。あなたは、知りません。 で、大変に懐疑的であり、 疑い、問うてください - 他の人たちが何を言うのか、 ではなく、あなた自身を、です。 |
| 52:25 で、頭脳の条件づけが、 何もないとき、 それは、もはや 退廃しません。 ですね? あなたが、年老いれば 老いるほど - おそらく、あなたが、 ではないが、 人々は一般的に、ますます 年老いていくし、 彼らの頭脳は、擦り切れはじめます。 彼らは、自分の記憶を、失います。 彼らは、大変奇妙な形で、 振るまいます。 それらは、ご存じです。 退廃は、単にアメリカにだけ、 ありません - ジャズと、低俗さですが、 退廃は、初めに、 頭脳に起こります。 頭脳が、完全に 自己より自由であり、 ゆえに、もはや 条件づけられていないとき、 そのとき、私たちは 訊ねられます - 私たちは今、訊ねようと しています - 頭脳、ではない。 そのとき、精神とは、 何ですか。 |
| 53:31 古代のヒンドゥーは - 私は、何人かに、 話してきました。 私は、暑くなりつつあります。 あなたは、そうでないですか。 私たちは、インドで、いわゆる 学識者たちの幾人かに、話してきました。 彼らは、学識はあるが、 それらは、実際の実在ではない。 彼らは、他の人々が言ってきた ことに、通暁しています。 彼らは、精神を探究 してきました。 ですね? 彼らは、様々な陳述を してきましたが、 そのすべてを 拭い去り、 誰かに依存しない - どれほど古代のでも、 どれほど伝統的でも、です - 精神とは、何ですか。 キリスト教の理論によれば - 創世記ですが - 人は、紀元前四千五百年に、 突然、生じてきたとのことです。 そうね、それは、かなり 不条理に思われます。 なぜなら、 紀元前四千五百年に、 古代エジプト人は、暦を 発明したからです。 54:59 私が言っていることが、正確であるのを、 見たいのなら、あなたは調べられますよ。 が、その発明は、 世代に次ぐ世代の、 ものすごい調査、探究の後で、 できたにちがいありません。 だから、その時に、 インド、エルサレム、 イスラエルとエジプトの間に、 連関が、ありました。 私は、それらに入らないでしょう。 私は、歴史家ではありません。 |
| 55:25 で、精神とは、 何ですか。 (創世記での)生成は、無秩序、 混沌であると、私は言います。 その中から、秩序が、 出てきました。 ですね? 理解されますか。 そこには、 二つのものが、関与していました - 無秩序は、自らの秩序を 持っていますね。 私たちは、これについて、 明らかですか。 列車は、時間通りに 走りませんね - 一日遅れ、 二時間遅れです。 あなたが東洋にいるなら、おそらく それは翌日、来るでしょう。 機関士は、途中で、自分の妻に会い、 何人かの友だちに、話をするために、 行ってしまいました。 そうね、のんびりとやります。 が、そのきわめてのんびりの、たるんだ やり方は、自らの秩序を、持っています。 それは、今日の代わりに、 明日、到着しますが、 少なくとも、それは到着します。 それは、秩序です。ですね? あなたが、タバコの煙が まっすぐ昇っていくのを、 見守ったことがあるのか どうか、私は知りません。 風通しのない部屋では、 それは、まっすぐ 昇っていきます。 一定の点に届いた後、 それは、消えてしまいます。 56:46 その消えてしまう中に、 秩序が、あります。 彼らは、それを探究しています。 それは今、私の用件ではありません。 それで、 私たちは、無秩序の中に 生きます。 ですね? 私たちの頭脳は、 無秩序の中で、機能します。 私たちの頭脳は、常に葛藤の中に あります。 ゆえに、それは無秩序です。 そういう頭脳は、精神が 何であるかを、理解できません。 精神が、 見られるのは - 私の精神や、あなたの頭脳や、 私の頭脳ではない。 精神です。 万物、宇宙を 創り出してきた精神、 細胞を 創り出してきた精神。 それで、精神は、清浄な エネルギーと智恵です。 あなたは、これらを 信じなくていい。 で、その精神は、 頭脳が自由であるとき、 その精神は、頭脳へ 関係を、持てます。 しかし、頭脳が、条件づけられている なら、それは、関係を持ちません。 58:01 で、智恵は、 その精神の本質です - 思考の 智恵ではありません。 無秩序の 智恵ではありません。 それは、清浄な秩序、 清浄な智恵です。 ゆえに、それは、 清浄な慈悲です。 頭脳が自由であるとき、その精神は それと、関係を持ちます。ですね? |
| 58:35 さて、私は 進まなければなりません。 私は、もっとたくさん、これに入られる でしょうが、私は、そうしないでしょう。 あなたは、疲れつつありますか。 または、聞いていますか。 あなたは、自分自身を、聞いていますか。 または、私の話を聞いているだけですか。 あなたは、どちらも、 していますか。 そのとき、あなたは、自分の 反応を、見守っていますか - あなたの頭脳がどう 働くのかを、です。 すなわち、行為、反応 (作用、反作用)、 行ったり来たり、 行ったり来たり、ですが、 それは、あなたが 聞いていない、という意味です。 この行為、反応が、止まるとき、 あなたは、聞いているだけです。 ただ清浄に聞いている。 理解されますか。 これに付いてきて おられますか。 さあ! ご覧ください。 海は、常に動きの中に、 ありますね - 潮が満ちてくる。 潮が引いていく。 これが、 その行為です。 59:48 そして、人間たちもまた、 この行為の中に、あります - 行為、反応 (作用、反作用) その反応が、 別の反応を、産出します。 私の中のその反応が、 別の反応を、産出します。 それで、 行ったり来たり、です。 ゆえに、その行き来の 動きが、あるとき、 当然、静けさは、 ありません。 その静けさの中、あなたは、 聞こえます - ですね? - 真理や虚偽が、です あなたが、行ったり来たり、行ったり 来たりのとき、ではありません。 ですね? 少なくとも、それを 知的に、論理的に、見てください - 常なる動きが、あるなら、 あなたは、聞いていません。 どうしてあなたは、 聞けますか。 1:00:38 しかし、絶対的な静寂が、ある ときだけ、あなたは、聞けます。 ですね? それの論理を、 見てください。 そして、この行き来の動きを、 止めることは、可能ですか。 私は、それは 可能であると、言います。 語り手は、それは 可能であると、言います - あなたが、自分自身を 研究してきたとき、 あなたが、自分自身に、 きわめて深く入って、 あなた自身を 理解するとき、です。 そのときあなたは、その動きが本当に 止まってしまったと、言えます。 |
| 1:01:13 そして、質問者は、 訊ねます - 精神は、頭脳の外側に あるので、 精神は、頭脳に収容されて いなくて、外側にあります。 私たちは、これについて、幾人かの 科学者と議論してきました。 彼らは、「はい」と 言います。 おそらく、気軽に私を喜ばせるためか、 理論的に彼らは、見ます。 が、語り手は、自分自身としては、 事実本位で、話していますね。 彼は頭に、穴が開いて いるかもしれませんが・ ・・ で、彼は、こう言います - どうすれば、この知覚は、 思考の活動がないときだけ、 起きるのですが、 そのとき - 脳細胞は、 物質的な過程ですが、 どうやって、変異を もたらしますか。 それが、問いです。 ですね? あなたは、問いを聞いてきました。 私はそれを、反復してもいいですか。 いいえ。私は、問い全体を、 反復しなくてもいい。 |
| 1:02:46 ご覧ください。それを、きわめて 単純にしておいてください。 それが、私たちの 困難の一つです。 私たちは、複雑なものを、けっして、 きわめて単純に、見つめません。 ですね? これは、きわめて 複雑な問いですが、 自らは、きわめて単純に、 始めなければなりません - きわめて広大な何かを、 理解するには、です。 で、単純に 始めましょう。 伝統的に、あなたは、 一定の道を、追求してきましたね - 宗教的に、経済的に、 社会的に、 道徳的に、など、 あなたの生涯ずっと、 一定の方向を、です。 私は、そうしてきました - 仮に、 私はそうしてきた、としましょう。 あなたがやってきて、 言います - 「ほら、その道、 あなたが進んでいる道は、 どこへも、繋がらない。 それは、あなたを、はるかに 多くの難事へ、導くだろう。 あなたたちは、果てしなく 互いに殺しつづけるだろう。 あなたたちは、ものすごい 経済的な困難を、持つだろう」とね。 そして彼は、あなたに、 論理的な理由、実例 などを、示します。 が、あなたは、言います - 1:04:04 「いいえ、すみません。これが、 私の物事のやり方です」と。 あなたは、そのように進みつづけます。 ほとんどの人々は、そうします。ですね? ほとんどの人々、 99パーセントの人々は、 その道を、進みつづけます - 導師たちを含めて、 哲学者たちを含めて、 新しく覚りを成就した人々を、 含めて、です。 そして、あなたがやってきて、 言います - 「ほら、 それは、危険な道だよ。 そこへ行かないで、 向きを変え、全然、他の方向へ 進んでください」とね。 あなたは、私を納得させます。 あなたは、私に、それの論理、 理由、真っ当なことを、 示してくれます。 私は、向きを変え、全然 違った方向へ、進みます。 1:04:54 何が、起きたのですか。 質問を理解されますか。 私は、生涯ずっと、 一方向へ、進んできました。 あなたがやってきて、言います -「そこへ行かないでください。 それは危険です。 それは、 どこにも繋がりません。 あなたは、もっと多くの難事、多くの 苦痛、多くの問題を、持つでしょう。 別の方向へ、行ってください。 物事は 全然、違っているでしょう」とね。 私は、あなたの論理を 受け入れます - あなたの発言を、健全に、 論理的に、それら、ですね。 そして私は、 別の方向へ、動きます。 頭脳に、何が 起きたのですか。 理解されますか。 それを、 単純にしておいてください。 その方向へ進み、突然に、 別の方向へ動く。 脳細胞自体が、変化したのです。 理解されますか。 1:05:46 私は、伝統を 壊したのです。 これに付いてきておられますか。 理解されますか。 それは、さほどに 単純です。 が、伝統は、 こうも強い。 それは、自らの根すべてを、 私の現在の存在に、持っています。 そして、あなたは私に、何かをするよう 頼んでいます - 私が反抗することを、です。 ゆえに、私は、聞いて いません。 理解されますか。 ところが、私は、聞きます。 あなたが 何を言っているかを、見出します。 それが真実なのか、 虚偽なのかを、です。 私は、事態の真理を、 知りたいのです - 私の願い、私の楽しみ、ではなく、 私は、それの真理を、知りたいのです。 ゆえに、真剣なので、私は、自分の 存在すべてでもって、聞きます。 私は、あなたが全く正しいのを、見ます。 私は、動いたのです。ですね? 1:06:46 その動きの中で、脳細胞に、 変化が、あります。 それは、さほどに単純です。 これを、お分かりになりましたか。 あなたたちの何人かは? ああ、そんな顔をしないで・・・ |
| 1:07:01 ご覧ください。私は、カトリックや、 信心深いヒンドゥーであり、 実践的なカトリック などであるなら、 あなたが、来て、私に語ります - 「ほら、ばかなことを止めなさい。 そのすべては、 戯言です。 それらは、伝統、言葉だけです。 あまり意味のない言葉です」。 言葉は、意味を、蓄積してきた けれども、です。 理解されますか。 で、あなたは、「指摘して ください」と、言います。 私は、あなたが言うことが、真理で あるのが、分かります。 私は動きます。 私は、その条件づけより 自由です。 ゆえに、頭脳に、 変化、変異が、あります。 ご覧ください。 私は、 恐れとともに生きるように、 育てられてきました。 私たちは みな、育てられてきました。 ですね? 私たちはみな、 育てられています - 何かへの恐れだけ ではなく、恐れ、です。 私は今、それに入らないでしょう - 恐れの本性に、です。 1:08:07 あなたは私に、それは 終わりうると、語ります。 私は本能的に、 こう言います - 「ともに行きましょう。 見出しましょう」と。 ですね? 私は、あなたが 言っていることが、 真実なのか、虚偽なのかを、 見出したいのです - 恐れが本当に、 終わりうるのかどうかを、です。 で、私は、時間を使います。 私は、あなたと議論します。 私は、見出したい、 学びたいのです。 で、私の頭脳は、活動的で、 見出そうとしています - 何をすべきかを、 語られるのではなくて、です。 で、私が 探究しはじめた瞬間、 働き、見つめ、恐れの動き 全体を、見守ります。 そのとき、私はそれを受け入れ、「まあ、 私は、恐れの中に生きたいな」と言うか、 または、動いて、 それより離れます。 あなたが、それを見るとき、 脳細胞に、変化があります。 1:09:04 それは、さほどに 単純です - もしもあなたが、このものを、きわめて 単純に見つめられたなら、です。 変異が、あります。 それを、 もう少し複雑にすると、 脳細胞こそに、どの努力を とおして、でもなく、 意志をとおして、でもなく、また、 どの動機をとおして、でもなく、 知覚があるとき、です。 知覚は、観察があるとき、 あります - 思考の動きなしに (観察が)、です。 ですね? 記憶の絶対的な 静寂が、あるとき - すなわち、時、すなわち、 思考の(静寂が)、です。 過去なしに、何かを 見つめること。 そうなさってください。 語り手を、 見つめてください - あなたが、彼について、 蓄積してきた思い出すべてなく、 彼の身振りを、ではなく、 彼を見守る。 または、あなたの 父親、母親、 あなたの夫、妻、彼女などを、 見守ってください。 1:10:32 それが何でも、 構いません。 過去の何の思い出もなく、 見守ってください - 傷と、罪悪と、それらが 生じてくることなしに、です。 ただ見守る。 そのとき、あなたが、何の 先入観もなく、そう見守るとき、 ありつづけたものからの 自由が、あります。 |
| 1:11:06 私は、もう五分間を、 持っています。 私は、次の質問を 進めましょうか。 きっと、あなたたちは、私に 進んでほしいのだと、思います。 が、あなたは、活動的ではありません。 あなたは、疲れるでしょう。 |
| 1:11:20 第三の質問: 「私はかつて、或る人を、 大いに傷つけました。 なぜ、罪悪の感じは、あらゆる ことにも関わらず、持続する、 こうも深い 強固なものなのですか」。 |
| 1:11:37 「私はかつて、或る人を、 大いに傷つけました。 なぜ、罪悪の感じは、それより自由で あろうとするあらゆる努力にも関わらず、 持続する、こうも深い 強固なものなのですか」。 |
| 1:11:59 いいですね? 質問を 理解されましたか。 あなたは、罪悪を 感じますか。 ここの、あなたたちのほとんどは、 何らかのことについて、 罪責感を、 持っていませんか。 いいえ? または、あなたたちは、みんな、 清浄な人間ですか。 で、罪悪が、 あります。 私たちの一人一人にとって、 その言葉は、どういう意味ですか。 すべきでないと感じる 何かを、することですか - きわめて単純な 水準で、です。 心理的に、他の一人を 傷つける。 そして、その相手は、自殺を します。 そして、あなたは、 「神様、私は、何てひどいことを してしまったのか」と、感じますね。 または、あなたは、悔恨します。 それは、同じことですね。 理解されますか。 私たちは、 罪悪について、話しています。 カルパ(罪)、メア・カルパ (私の不徳の致すところ)。 |
| 1:13:34 人々はあなたに、罪悪を感じさせます。 それが、彼らのごまかしの一つです。 なぜなら、そのとき彼らは、あなたについて 自分が好きなことを、できるからです。 私たちもまた、よくよく、その立場に いたのです - 私たちのみんなが、です。 父親、母親、 大きないじめ役、 または、誰かが あなたを、いじめます。 そして、あなたは、自分が何か ひどいことをしたと、感じます。 そのとき、彼らは、あなたの首根っこを 押さえたし、あなたを強請っています。 これらを理解されますね。 これらを、ご存じないですか。 なぜ自分は、罪悪を 感じますか。 なぜあなたが、私に、罪悪を 感じさせるのかを、私は理解します。 なぜなら、あなたは、私に対して、 権力が、ほしいからです。 そのとき、あなたは、私の尻尾を 掴まえています。 ですね? で、それは、全く 違った事態です。 1:14:47 が、あなたは、 不親切だったのです。 あなたは、他の一人へ 何かを、してきたのです - 物理的にか、心理的にか、です。 そして彼は、橋から、飛び降ります。 そしてあなたは、「神様、私は、何を してしまったのか」と、感じます。 私は、自分があれをしなかったら、 よかったと、思いますね。 そして、あなたは 罪悪を、感じます。 その言葉を、理解されますね - 私たちのみんなが、です。 で、私は、その言葉に、その言葉の 意味に、入らなくてもいい。 なぜですか。 私は、自分ができることを、 すべて、してきました。 あなたは、私に、あなたを もっと、愛してもらいたい。 そして、私は、心から、 あらゆることを、するでしょう。 自分自身を忘れて、です。 あなたが 私をもっと、ほしがるからではない。 理解されますか。 これらに 付いてきておられますか。 それは、あなたの生です。 私のではありません。 私は、あなたの母親、父親です - それが何であっても、です。 私は、あらゆることを、 してきました。 私は、あなたを愛してきた。 あなたの世話をしてきた - そのすべてを、 私の側で、ですが、 あなたは、私に、もっと多く してほしい - 排他的に、です。 1:16:14 私は、できません。私は、 あなたに、心を捧げてきましたが、 あなたは、心全部を、 ほしがります。 しかし、私は、その少しを、他の 誰かのために、したいと思うのです。 そして、あなたは 傷つきます。 ですね? そのとき、あなたは 飛び降りるか、自殺をします。 あらゆる種類の怖ろしいことを、 します - 私を傷つけるように、です。 そのとき、私は 罪悪を、感じます。 これらは、実情です。 私は一例を、取り上げています。 これは、ありふれています。 あなたはそれを、きわめて小さく するのか、大変多く、ですが、 この強請は、 進んでゆきます。 |
| 1:17:04 で、民族的に、 彼らはそうします。 あなたは、 政府全体を妨げます。 なぜなら、あなたは、 断食しようとしているからです。 彼らがやっている、ごまかし すべてを、ご存じでしょう。 で、なぜ自分は 罪悪を、感じますか - そのすべての心配とともに、 その恐れとともに、 その一種、この縮みあがる感じと ともに、です。 理解されますね。 「神様、私は、あれを しなければよかった。 私は、もっと与えておけば よかった」との感じ、です。 が、私は、持てるすべての中で、 一番良いものを、与えてきました。 しかし、あなたは、もっと多くの何かを、 ほしがりますが、私は与えられません。 が、あなたは私に、罪悪を 感じさせたいと思います。 なぜなら、私はもっと 与えられないからです。 あなたは、湖へ飛び込むことにより、 私にもっと罪悪を、感じさせます。 または、薬を飲んで、 自殺することによって、です。 で、私は、強請られようと していません。理解されますか。 1:18:26 私は、可能なものすべてを、 与えてきました。 または、私は、それを与えたく ありません。 理解されますか。 私は、罪悪を 感じたくありません - あなたの行為に よって、です。 が、あなたは、私に 罪悪を、感じさせたい。 そのとき、あなたは 私を、抑えています。 私は、その立場に入れられるのを、 拒否します。 理解されますか。 私は、罪悪を持たないでしょう。 つまり、 私は、それの不条理を、見るのです。 これは、私に対して、仕掛けられ てきた、ごまかしだったのです。 それは、 異なった事柄です。 私は、きわめて明らかに 見ます - すなわち、 私は、人間ができる可能なことを すべて、してきたことが、です。 そしてあなたは、もっとほしがります が、私は、もはや与えられません。 それは、あなたの用件です。 あなたが、自殺したいとしても、 私は、何もしてきませんでした。 理解されますか。 なぜ私たちは、これらについて、 賢明でいられませんか。 |
| 1:19:56 私たちは、生涯ずっと罪悪を持ち運んだ 人々を、多く多く知っています。 それは、けっして癒えない傷に、 似ています。 なぜなら、彼らは、 いつも憶えているし、 それが、彼らの生を、 破壊するからです。 自分は、可能なことを すべて、してきました。 譲った、嘘をついた - よろしい ですか - 与えてきましたが、 いじめ役は、もっと ほしがります。 責任は、あなたのではなく、 いじめ役のものなのです。 ですね? フィニトゥ(終わりました)。 どうぞ、立ち上がっても いいですか。 |