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SA83Q3 - 質疑応答会合、第3回 home
スイス、サーネン
1983年7月26日


1:22 私たちは、すばらしい天気に恵まれて きましたが、ちょっと暑いです。 昨日の雨以外は、 ずっと、 すばらしいお天気でした。 私たちは、二十二年間、 ここにいましたが、 これは、激しい雨に 打たれなかった 初めての四週間か、 三週間です。 みなさんが、すてきな休日を 過ごされたことを、望みます。 これが、 最後の講話です。 おそらく私たちは、 来年、再び、会うでしょう。
2:05 ここには、幾つもの 質問が、あります。 そして思い巡らすし、訊ねるのですが、 あなたはどう、問題に接近しますか。 生は、多くの問題を 持っています - 経済的、社会的、宗教的など、 テクノロジーのを、です。 あなたは、問題に どう接近しますか。 接近という言葉は、近寄る、 近づく、という意味です。 そして、問題(プロブレム) という言葉は、 何か投げつけられたもの、 という意味です。 ギリシャ語、ラテン語、 その言葉の根本的な意味ですが、 何か投げつけられたもの、 挑戦です。 そして、あなたは、その挑戦を、 どう受け取りますか。 私たちは、伝統の恍惚をもって、 問題に接近するなら - それは、良い言い回しです。 伝統の恍惚です - そのとき、あなたは、けっして 問題を、解決しないでしょう。 3:32 反対に、問題は 残っています。 そしてあなたは、それへ、もっと 多くの問題を、導入します。 それが、政治の世界などで、 起きつつあることです。 または、あなたが、 すでに出した結論をもって、 問題に接近する、 近づく、近寄るなら、 そのとき明白に、自らは、挑戦に、 または、問題に、答えません。 または、自らが、何かイデオロギー的な 結論、信念を、持っているなら、 そのときあなたは、それを もって、問題に接近するなら、 またもや、同じことが、 継続します。 ですね? 私たちは、これについて、 明らかですか。 すなわち、どの問題も、 それが、 テクノロジーの問題であれ、 社会的な問題であれ、 個人的な問題などや、 宗教的なのであれ、 自らが、何の動機もなく、 それに接近するのでなければ - それが可能である、 として、ですが - そのとき、問題は、ほとんど 意義を、持ちません。 大事なことは、自らがそれに どう接近するのか、です。 なぜなら、接近が、その主題を 規定しようとしているからです。 5:07 ですね? 私たちは、 ここで、一緒にいますか。 私たちは、あなたに、何を すべきかを、語っていません。 私たちは、あなたの 導師ではありません。 だから、語り手に 従わないでください。 語り手は、 重要ではありません。 が、彼が言うことは、重要です - そして、それが虚偽なのか、 真実なのかを、あなたが 見出すことが、(重要)です。 で、自らが、懐疑的であり、 疑いをもち、問う、大きな能力を、 持たなければ なりません。 ですね? それで、あなたの精神が、 鋭く、明らかであるように、です。
5:54 私たちは、これらの質問の 幾つかに、答えようとしています。 問題が ありますし、 私たちは、何の個人的動機もなく、 それに接近しようとしています - 伝統の押し殺す重みとか、 特定の偏見、先入観を 持つことなしに、ですね。 それで、あなたの精神、 あなたの頭脳が、 自由に、問題を 見つめられるように、です。 それが明らかであって ほしいと、望みます。 すなわち、問題を 理解するには、自らの頭脳は、 それを新鮮に見つめられるよう、 自由でなければならないのです。 さもないと、あなたは、反復し、 反復し、反復するだけです。 それは、むしろ、厄介で、 退屈で、役立たずになります。 それが 明らかであるとき、 これらの問いを、ともに 検討しましょう。 7:07 それは、語り手がそれらを検討しようと している、ということではありません。 それは、彼にとって 問題ではありませんが、 それは、質問者と、ほとんどの 人々にとって、問題です。 私たちは、ともに そうしようとしています - それで、導く者と、導かれる者が ないように、ですね。 明らかですか。 演壇に座っている 導師は、ありません。 幸運にも、私は 顎髭を、生やしていません。 変わった衣と、それらの種類の 戯言をも、持っていません。 で、私たちは、ともに 検討しようとしています - 何の偏見もなく、 何の伝統、先入観もなく、 この問題を、 探究しようとしています、 すでに、とても 暑いです。
8:08 第一の質問: 「欲望とは何ですか。 欲望は、外的な対象により、 目覚めるのですか」。
8:24 「欲望とは何ですか。 欲望は、外的な対象により、 目覚めるのですか」。
8:33 とても良い疑問です。 これには、これへの大変多くの 探究が、必要とされます。 あなたは、準備が できていますか。 あなたが、暑さの中で、 恍惚とそれらへ 入ってしまわれないことを、 望みます。 あなたたちの精神が、 新鮮であり、あなたたちが、 聞く能力があることを、望みます - 語り手を、だけではなく、 また、あなた自身の反応を、あなた 自身の態度をも、(聞くの)です。
9:08 質問者は、訊ねます - 欲望とは何ですか。 欲望は、外的な対象により、 目覚めますか。 で、初めに、ともに見ましょう - 欲望とは何ですか。 私たちの生における欲望は、 とてつもなく有力に、なったのです。 私たちは、こうも多くの 物事を、欲望します。 私たちは、天国を 欲望します。 あなたは、ヒンドゥー教徒である なら、解脱を、欲望します - 別の種類の天国、 解放を、です。 または、あなたは、車、 女や男を、欲望します。 または、あなたは、 麗しい庭を、欲望します - あなたが、充分、お金を 持っているなら、などなど、です。 欲望とは、何ですか。 それは、どのように 目覚めますか。 欲望の裏の、目的、 意図、衝動は、何ですか。 欲望(デザイア)という言葉が、何を 意味するかを、理解されますね (フランス語の) 「デズィレ」など、です。 どうぞ、これは、きわめて複雑な 問いに、なろうとしています。 私たちはともに、それに 入ろうとしています。 あなたが、それらを 聞こうとしているなら - それの小さな端切れだけ ではなく、その全体を、です。
11:05 まず第一に、あなたは、対象を見ます - あなたを魅了するものを、です。 車、 最新のモデルの一つで、 美しく磨き上げられています。 大きなタイヤがつき、 良い線をもち、強力です。 あなたは、その車を走らせる お金を、持っているなら、 それを見つめます。 理解されますか。 あなたは、対象を 見つめます。 そのとき、対象は、それを持ちたい との欲望を、目覚めさせますね。 ここまで、付いてきて おられますか。 すなわち、あなたは、何か美しい ものを、見ます - 絵画、 邸宅、庭、車、 男や女を、です。 そして、あなたは、 魅了されます。 車を製造する人々は、 あなたに、それを 買ってほしいのです。 それを所有したいとの、 あなた自身の欲望です。 で、外側にある対象が、 それを所有したいとの欲望を、 目覚めさせます。 ですね? あなたは、そのお金を持っているなど、 借りるなら、です。ご存じです。 12:48 で、私たちは、 その質問を、しています。 対象なしに、 欲望が、ありますか。 質問を 理解されますか。 もしも、車が なかったなら、 女、男、邸宅がなく、 聖者や導師としての魅力的な 地位が、なかったなら - あなたが、それらをどれも、 持っていないことを、望みます - または、 権力への欲望です。 それはすべて、外側です - それから それが、欲望を目覚めさせます。 それからあなたは、その欲望を充足 させるし、あなたは、満足します - 次の欲望まで、です。 それは、別の対象です。 車ではなく、 他の何かです。 で、私たちは、訊ねています。 どうぞ、気をつけて、見出してください - あなたが進んで 聞こうとするなら、ですが - 対象は、欲望を、創り出し、 目覚めさせます。 ですね? 外的な対象なしに、 欲望が、ありますか。 それが、 一つの問いです。
14:20 二つ目は、 あなたが自分自身で、 イメージを創り出すかもしれません - それは、外在化されています。 あなたは、そのイメージを、 充足したいと思います。 ゆえに、欲望が、 あります - 思考が創り出したものを、達成 したいとの(欲望)、です。 ですね? あなたは、暴力的ですが、 あなたは、非暴力を、創り出します - すなわち、 非事実を、です。 そのとき、あなたは、非暴力的に なりたいと、欲望します。 で、欲望を目覚めさせる、外側の 対象が、あるだけではなく、 また、内的なイデオロギー、 内的な象徴、 心理的な映像、 イメージも、あります。 それを創り出しておいて、 そのとき、あなたは、欲望します。 で、外的な対象や、内的な対象は、 どちらも、同じです。 なぜなら、それらはどちらも、 欲望を、目覚めさせるからです。
15:47 さて、私たちは、きわめて深刻、 真剣な質問を、しています。 これらを見て、欲望が、すなわち、 とてつもなく強いものが、ありますか - 外的な対象なしに、です。 または、心理的な思考の過程により、 創り出された対象なしに、です。 ですね?  私たちは、 見出そうとしています。 これらのどちらもなく、 欲望が、ありますか。 明らかですか。
16:27 で、私たちは、ともに 探究しようとしています。 私が探究し、あなたがただ 聞くだけではなく、ともに、です。 なぜなら、それは、 あなたの生であるからです。 欲望とは、何ですか。 なぜそれは、 私たちの生において、 こうもとてつもなく 優勢な力に、なったのですか。 私たちは、こうも多くの 物事を、欲望します - 最も些少なものから、 至高なものまで、です。 ですね?  それが、 私たちの生です。 で、自らは、探究し、ともに 探検しなくてはいけません - 欲望とは、何ですか。 それは、どうして 生じてきますか。 そして、それは、制御 できるのかどうか、です。 そのとき、あなたが、それを制御して いるなら、制御者は、誰ですか。 付いてきていますか。 あなたが、自分の欲望を、 制御しているなら、 制御者は、 別の形の欲望です。 17:52 すると、私たちは、 一緒にそこにいますか。 私は、或る種のいわゆる霊的経験を 達成したいと、欲望します。 私は、なぜなのかを、知りません。 私は、まぬけにちがいありません。 制御者は、「私は、自分の欲望を制御 しなければならない」と言うのですが、 制御者は、それを 達成したいと思います。 その種の可笑しな、 ロマンチックな戯言を、です。 そのとき、制御者は、 別の形の欲望です。 これを、お分かりに なりますか。 で、制御者と、 制御されるものは、 欲望の活動です。 トレクレール (きわめて明らかです) これは明らかですか。 私たちは、 ここに一緒にいますね? なぜなら、これは、 深刻な問いであるからです。 自らは、よくよく気をつけて、 これに、入らなくてはいけません。
19:05 私たちは、あなたが 欲望を制御、抑圧等 しなければならないと、提唱したり、 述べたりしていません。 私たちは、欲望の とてつもない動きを、 理解しよう、それを 覗きみようとしています。 欲望の動き全体を、 理解するとき、 あなたは、他の何かが 起きるのが、見えるでしょう - もしあなたが、一歩一歩、 非伝統的に、 それに入ろうとしている なら、です。 ですね? あなたが、「私は自分の欲望を制御 しなければならない」と、言うなら、 そのとき、あなたは 逸れてしまっています。 そのときあなたは、誰が制御者で あるかを、検討してきていません。 そのときあなたは、自分の 伝統的な恍惚へ、戻っています。 それは、明白に 何をも、しません。 あなたは、自分の国は一番 すばらしい国であると、言えるし、 それを反復しつづけられます。あなたは、 自分自身に、催眠を掛けます。ですね?
20:10 で、欲望とは、何ですか。 それは、どうして 生じてきますか。 原因が、あるに ちがいありません。 私たちは、自分自身で、発見しようとして います - 原因が何であるかを、です。 すなわち、 あなたは見ます。 私がこの直喩を 続けていいなら、ですが、 あなたは、 車を見ます。 最新のメルセデスを、です。 そして、見ること、 感受、 接触、感受。 ですね? それが、過程です。 見る、接触、感受。 ですね? それは、明らかです。 そのとき、何が 起きますか。 そのとき、思考が イメージを、創り出します - あなたが車に乗って、それを 運転しているのを、です。 理解されますか。 思考が、 イメージを創り出します - あなたがそれを所有し、 それを運転しています。 21:41 見る、接触、感受。そのとき、 思考が、引き継ぎます。 イメージが創り出される - あなたが 車に乗って、それを走らせている。 で、間隔や隔たり、 空きが、あります。 感受との間、ですね・ ・・ 見る、接触する、感受。 即座に思考が、 イメージを創り出す - あなたが車に乗って、 それを走らせている。 思考がイメージを 創り出す瞬間、 それが、欲望の 始まりです。 これを 理解されましたか。 どうぞ、みなさんの頭脳を、 働かせてください。 語り手が言っていることを、ただ 受け入れたり、拒絶したりしないで、 気をつけて、それを 見つめてください。ですね? 22:46 あなたは、見ます - 車の知覚が、あります。 そのとき、それに触れる。 接触する。 その触れる、接触から、 感受が、あります。 それは、自然で、健康的です。 なぜなら、 あなたは、麻痺していないからです。 そのとき、思考が イメージを、創り出します。 その秒に、欲望が 生まれています。 これは、明らかですか。 ですね? 私たちは、これについて、明らか ですか。 ああ、お願いですから。 私たちは、これを、もっと 探検しなければいけませんか。 はい、あなたは、それを もっと探検したいですか。 あなたたちの頭脳は、どこが 具合が悪いのですか。 あなたへ差し出された何かが、あります。 きわめて単純ですが、あなたは・・・
23:48 私は、店のウィンドウに、 この青いシャツを、見ます。 私は、内へ入ります。 それに触れる。 それが 良い素材がどうかを、見る。 それが自分に合うなら、 私は感受を持ちます。 「これは、すてきな 青いシャツだ」と。 そのとき私は、それは自分にどう 似合うだろうかと、言います。 で、私は、鏡へ 行きます。 私は、これらすべてのことを、 しませんが、それは、構いません。 私は、鏡へ行き、それを着て、 自分自身を見つめます。 そのとき、イメージが、 創り出されます - その瞬間に、 それを所有したいとの欲望、です。 これが、あなたたちが みんな、することです。 そのことが、こうも急速であり、 こうもすばやい、というだけですが、 もしもあなたが、それをゆっくり させてしまい、それを見守ったなら - 動きを見守る。 接触、感受の動き、 それを、ゆっくりさせてしまう。 そのときイメージが、 思考により創り出される。 その秒に、 欲望が生まれています。ですね? すみません。 この暑いお天気です。
26:00 で、問いは、 制御のではなくて、 その過程がゆっくりして しまうのを、見守ることです。 見る、接触、感受、 思考がイメージを 創り出す - その瞬間に、欲望、 などの過程です。 それを充足させるのか、 欲求不満であるのか。 ですね? さて、これらの過程を、 ゆっくり見守る - 気をつけて、 一歩一歩ですね。 で、そのとき、問いが生じます。 制御の、ではなく、 抑圧の、ではなく、欲望より逃避 することの(問い)、ではない - 修道士、僧侶が、世界中で、 してきたように、です。 彼らはそれを、制御してきました。 彼らはそれを、抑圧してきました。 が、彼らは、それで 燃えさかっています。 ゆえに、彼らは、バイブルやギーターや 何か他の本を、手に取って、 それを読みつづけます。 けっして、 すばらしい天空を、見つめません。 ですね? これらに、 付いてきておられますか。
27:20 で、あなたは、私たちは、この過程 全体を、ゆっくりさせてしまえますか。 それで、私たちが、あらゆる歩みを、 よく気をつけて、見守るように、です。 あなたは、それを、 そう見守るとき、 隔たりが、ありうることを、 見つけます - 感受と、思考がそれを引き継ぐ 瞬間との間に、ですね。 間隔です。 付いてきておられますか。 これは、明らかです。 いいえ? これは、 明らかでないですか。 ついに、或る若者が、 同意します。 で、その隔たりを、 拡大すると、 すなわち、私は、ウィンドゥに 青いシャツを、見る。 内へ入る。 それに触れる。 その品質を見る。 そして、待つ。 それで、思考が即時に入って、 引き継がないように、です。 理解されますか。 それには、よく気をつけた注意、 見守りが、必要とされます - あなたの反応 すべてに、です。 それで、感受と、イメージを ともなった思考の活動との 間に、間隔が あります。 29:10 その隔たりを、 拡大してください。 そのときあなたは、欲望が、ほとんど 効力を持たないことを、見るでしょう。 ヴザヴェ・ コンプリ? (理解されますか) それで、欲望はそのとき、 主人にならなくて、 感受と思考が、ゆっくり してしまう。 分かりましたか。 それで、あなたは、 とてつもなく鋭敏です。 欲望の奴隷であるのは、 不注意な者です。 ですね?  問いは、 今、明らかですか。 対象、車 - 見ること、接触、感受が それを所有したいとの欲望を、 目覚めさせます。 そのとき、戦いです。 私は、それを持つべきか。 それを持つべきでないのか。 私は、そのお金を、持っているか、 等。 充足したいとの欲望、 そして、それを持たないことの 欲求不満など、です。 が、あなたが、 理解するとき - 欲望は、外側の対象へ だけではなく、 また、イメージの 心理的な投影からも、です。 神、涅槃、天国 - 何か滑稽な戯言の 何か高みへ、到ること。 それもまた、内側から、ですが、 それは、外側に投影されています。 31:08 で、私たちは、この過程全体を、 全的に観察できるなら - それは、あなたの注意、あなたの気づかい、 あなたの見守りを、必要とします - そのとき、欲望です。 あなたは、車を見つめられるし、 あなたは、それがほしくなければ、 何も反応を、持たないでしょう。 理解されますか。 いいです。
31:39 語り手は、一時間を、 許されています。 今朝、進むために、 一時間半、です。
31:48 あなたがそれを 堪えられるのを、望みます。 第二の質問: 「あなたは、 意見を持たないことが、 必要であると、 言いました。 」 そうね、またもや、あなたは、 私に言及なさっています。 「あなたは、 言いました」とね。 なぜあなたは、自分で、 見出さなかったのですか。 私は、質問を読み上げて、 後で訊ねましょう。
32:12 「あなたは、何についても、 意見を持たないことが、 必要であると、 言いました。 私は、ナチズム、 共産主義、軍備の拡散、 政府による 拷問の使用といった 深刻なことについて、 意見を持つことは、 必要であると、 感じます。 自らはただ、これらのことが 起きつつあるのを、座視できません。 何かを言うか、おそらく何かをし なければならないのではないですか」。
32:48 質問を理解されますか。 もう一度、読み上げましょう。 「あなたは、何についても、 意見を持たないことが、 必要であると、言いました。 私は、ナチズム、軍備の拡散、 政府による拷問の使用といった 深刻なことについて、 意見を持つことは、 必要であると、感じます。 自らはただ、これらのことが 起きつつあるのを、 座視できません。 何かを言うか、おそらく何かをし なければならないのではないですか」。
33:37 あなたは、私を 捕まえようとしていません。 私もまた、あなたを 捕まえようとしていません。 これは、私たちがやっているのは、 ゲームではありません。 なぜ、私たちは 意見を、持っていますか。 私は、それが必要であるとか、 必要でないとか、言っていません。 なぜ私たちは 意見を、持っていますか。 意見は、何かまだ 証明されていないことです。 先入観は、もう一つの 形の意見です。 ですね? で、なぜ私たちは、 それらを、持っていますか。 彼らが持っていない、ということ ではない - ナチズムの拡散、 軍備の拡散と、 政府により拷問の使用 - それは、進んでいます。 あらゆる政府が、これらに 耽溺しています - 平和の名において、 法律の名において、 愛国心の名において、 神の名において、です。ですね? 34:50 あらゆる宗教が、人々を 拷問してきました - 仏教とヒンドゥー教 以外は、です。 さて、これらは、 事実です。 イギリスは、武器を売っています - (紛争相手の)アルゼンチンに、です。 それの滑稽さを、ご覧ください。 それは、事実です。 フランスと、 他の国々が、です。 そしてあなたは、これは 起きるべきでないとの 強い意見を、持っている かもしれません。 そして、あなたは、何を しようとしていますか。 集団に加わる、 デモをする、 叫ぶ、警察によりボコボコに される - 催涙ガス、ですか。 あなたは、それらが起きつつあるのを 見てきました - テレビでか、 あなたが、そのサーカスの一部、 その見世物の一部であるなら、です。 さて、あなたの意見は、何を、 変化させてきましたか。 変化を もたらしてきましたか。 36:08 武器の販売は、幾世紀もの間、 進んできましたね。 彼らはみんな、「私たちはしてはならない」 と言うけれども、大きなビジネス、 巨大産業は、「私たちは、武器を 売らないと、存在できない」と言います。 で、あなたは、税金を払うのを、 止めるのでしょうか。 あなたは、そうするなら、 監獄へ送られますね。 まず第一に、これらの 論理を、見てください。 あなたは、これらすべての物事に ついて、何をするのでしょうか。 彼らは、みんな、 間違っています。 残酷です。 彼らは、大変多くの暴力を、 もたらしますね。 それは、事実です。 (南米)チリ(の軍事政権)は、 今、人々を、拷問しています。 そして、(北アイルランドの) ベルファストなどなどなども、です。 どの政府も、それより 自由ではありません。 彼らは、より微妙に、より明瞭に、それを しますが、それは、進んでいます。 37:24 さて、自らは、何を することになりますか。 あなたは、ナチズムに、強く 反対するかもしれません。 彼らは世界で、ひどいことを、 してきました。 ヒットラーと その仲間は、です。 そのすべてを、 見守ってください。 ドイツは、ヨーロッパで、 最も文明化した国でした。 哲学を研究し、そうね、発明。 彼らは、一時、偉大でした。 あれら、きわめて偉大な文化的な人々が、 一人の狂人に、乗っ取られました。 みなさんは、これを ご存じです。
38:15 さて、意見とは、 何ですか。 私はこれらに 反対するとの意見。 その意見は、どんな価値を 持っていますか。 私は、自分の意見で、 何をできますか。 それは、武器の販売を止める 効果が、あるのでしょうか。 それはナチズムを、阻止するのでしょうか。 それは拷問を、阻止するのでしょうか。 または、全部が、単に意見を持つ ことより、はるかに深いのですか。 ヴザヴェ・ コンプリ? (理解されますか) 私たちは、互いに出会っていますか。 私は、法を敷いていません。 または、私は、これについて、 何の意見をも、差し出していません。 が、問題は、意見より、 はるかに深い。 39:20 もっと深刻で、もっと 深い問いは、こうです - なぜ人は、他の一人の人に、 対立していますか。 その質問を、 してください - 私の意見が正当化されるのか、 されないのか、ではなくて、です。 なぜ、これらすべての世紀の 文明と、いわゆる文化の後、 人は、人に 対立していますか。 なぜですか。 もしも私たちが、 それに入れたなら - それは、はるかに多くの 真剣な探究を、必要とします。 意見に取りすがることや、意見を 持たないことより、です - そのとき、私たちは、 入るでしょう - 私たちが、何かをするかもしれない 区域の中に、です。ヴザヴェ・コンプリ?
40:31 なぜあなたは、人間として、他の 一人の人に、対立していますか。 他の一つのイデオロギーに、 対立していますか。 あなたは、自分のイデオロギーを、 持っています。 あなたは、他の一つの イデオロギーに、対立しています。 民主主義のイデオロギーと、 全体主義のイデオロギー、 彼らは、戦争中です。 なぜ人たちは、イデオロギーに より、生きますか。 イデオロギーは、 実在していません。 思考が創案してきた 何か、です。 ですね? または、思考は、 大変多くの研究の後 - 歴史的な 唯物論哲学ですが - 一定の結論に、 到ります。 ですね? そして、それが、彼らに とって、法になります。 彼らは、他の人たち、みんなに、 それを、受け入れてほしがります。 反対側は、違った形で、全く 同じことを、します。 ですね? そこで、民主主義の世界では、 いわゆる自由世界は、 あなたを、監獄に入れません。 私たちは、座って話し合えるからです。 全体主義の国家では、たぶん それは、可能でないでしょう。 ですね? これは、 起きつつありますよ。
41:57 で、私たちは、はるかに根源的な 問いを、深い主題を、訊ねています - なぜ人は、 人に対立していますか。 あなたは、誰かに 対立していませんか。 あなたは、暴力的では ないですか。 あなたは、 人類の全体です。 私たちは、自分たちが分離した 個々人、分離した私的な魂であると 考えたいのを、私は 存じています。 それへ私たちは、以前に入ってきました。 私は、それらに入らないでしょう。 なぜなら、あなたは、 そうではないからです。 あなたは、残りの人類です。 なぜなら、あなたは、苦しむからです。 あなたは、苦悶の中にいる、 あなたは、さびしい、 あなたは、憂鬱であるからです。 残りのみんなのように、です。 で、あなたは基本的に、 根源的に、残りの人類です。 あなたは、人類です。 ですね? あなたが、人類であるなら - あなたはそうです。 あなたが、それを好きでも、 好きでなくても、です。 犬さえも、そちらへ 向かいます。 そして、あなたが敵対的で、 暴力的で、攻撃的で、愛国的であり、 「わが国のほうが、 おまえの国より良い」、 「わが文化は、最高の文化である」と、 それらの戯言ならば、 そのとき、あなたは 武器を、売っています。 あなたは、人々を 拷問しています。 なぜなら、彼らはそこで、そうしている からです - あなたはそれの(存在)です。 あなたは、人々を拷問 するのを、助けてきました。 なぜなら、あなたは、カトリックであり、 あなたは、プロテスタントであり、 あなたは、ヒンドゥーで あるからです。ですね? 44:11 で、分割があるところ、葛藤が、 あるにちがいありません。 そして、 その他すべても、です。 で、あなたは、全体的に行為 していますか。 理解されますか。 または、小さな「私」が、 行為していますか。 理解されますか。 そのとき、あなたは、 対立しています。人が人に対立しています。 ヴザヴェ・コンプリ? それは、 理解されますか - その問いは。
44:44 第三の質問: 「私たちが読むことから、 あなたは、ふしぎで 神秘的な経験を・ ・・」 「私たちが読むことから、あなたは、 ふしぎで神秘的な経験を、してきました。 これは、クンダリニーですか。 または、もっと大きな何かですか。 そして、あなたが経てきた、いわゆる プロセスは、或る種の意識の拡大だと、 あなたが考えることを、 私たちは読みます それは、代わりに、 緊張により引き起こされた、 自己誘導した、心因性の ものでありうるのでしょうか。 Kの意識は、思考と言葉により、 組み立てられていませんか」。
45:54 誰かがこれに、興味を持っています。だから 私は、それに答えなければなりません。 「私たちが読むことから・ ・・ 私たちが読むことから、 あなたは、ふしぎで神秘的な 経験を、してきました。 これは、クンダリニーですか。 または、もっと大きな何かですか。 そしてまた、あなたが経てきた、 いわゆるプロセスは、 或る種の意識の拡大だと、あなたが 考えることをも、私たちは読みます それは、代わりに、 緊張により引き起こされた、 自己誘導した、心因性の ものでありうるのでしょうか。 Kの意識は、思考と言葉により、 組み立てられていませんか」。
46:44 これに、興味が、 おありですか。 もちろん、これには、欲望より、 はるかに興奮させられます。 あなたが、これらについて 単純であろうことを、願います。 Kは、見たところ、様々な 経験を、してきました。 それらは、心因性であり、緊張に より誘引されたのかもしれません。 または、彼自身の欲望の 楽しめる投影などかもしれません。 インドでは、クンダリニーという 言葉は、大きな意味を、持っています。 彼らは、それについて、 本を、書いてきました。 幾人も、自分はそれを 目覚めさせたと、主張します。 私は、それらに入らないでしょう。 この言葉の催眠術に、掛からないでください。 一種のエネルギーの解放、 それで、そのエネルギーは、 無尽です。 それが、 その言葉の意味です。 48:22 が、それは、他の意味を 持ち、違った種類の・・・ 事実だけが、エネルギーを 目覚めさせることになり、 それを完全に 機能させることに、なります。 そして、 いわゆるプロセスもまた、想像 などなのかもしれません。 これらすべてのことが、 大事ですか。 自らは、他の人々の思考を、 読むことが、できます。 (ソビエト・ )ロシアで彼らは、それを 実験しています。理解されますか。 (共産党書記長)アンドロポフは、(米 大統領)レーガン氏の思考を、読めます。 または、レーガン氏は、 アンドロポフ氏の思考を、読めます。 そのとき、ゲームは、 済んでいます! あなたが、私の思考を読めるし、 私が、あなたの思考を読めるのなら、 そのとき生は、ひどく複雑に、 かなり厄介になります。 49:39 アメリカのデューク大学では、 これを、実験してきました。 彼らは、テレパシーが存在する ことを、証明しました。 すなわち、思考が物質を 制御できることなどを、です。 これは、 古いインドの伝統です。 おそらくKは、これらのことの 幾らかを、してきましたが、 こればかりが、 重要ですか。 それは、良い入浴をする ことに、似ています。 ですね?  暑い一日の後、良い、 清潔で、健康的な入浴を、する - 清潔なタオルと、 良い石鹸でもって、です。 その終わりに、 あなたは、清潔です。 大事なことは、あなたが 清潔であることです。 ですね? これらを、その水準に、置いて ください。 理解されますか。 これに、これらの重要性を、与えないで ください。それは、重要ではありません。 50:53 Kは、これらを 経てきました。 彼は、これらについて、 大変多く、知っています。 突然に目覚めないで ください! しかし、彼は、これらを 不必要と、扱います。 私たちにより誤用されてきた エネルギーが、ありますね - 戦いにおいて、けんかにおいて、 ふりをすることにおいて、です。 「私のは、あなたのより、良い。 私は、この演壇に到ったのだ」 と言おうとすること などにおいて、です。 それを探究するほうが、 はるかに重要です - なぜ人間たちは、今している ように、振るまうのか、です。 これらの些細なことではない。 これは、些細なことです。 私たちは、この事柄について、 議論してきました - これらの目覚めを主張する、すべての 人々と - 幾らかの人々と、です。 52:10 私は疑います。そうね、 あなたは、小さな経験を、します。 それからあなたは、店を 構えます。 理解されますか。 それがどういう意味かを、 ご存じですか - 店を構える、とは。 私は、この種の小さな 経験を、しています。 そのとき私は、導師になります。 そのとき私は、営業しています。 私は、弟子を持っています。 私は 彼らに、何をすべきかを、語ります。 私は、金銭を持っています。 私は、或る 姿勢で、座ります。私はきわめて・・・ よろしいですか。それらの ばかげたことです。
52:45 で、自分の小さな経験に、ひどく 気をつけなくてはいけません。 ですね?  重要なのは、 本当に重要なのは、 健全に、理性的に、論理的に 見出すことです - あなたがいかに、自分のエネルギーを むだにするのかを、です。 葛藤により、 喧嘩により - よろしいですか - 恐れと、ふりを することによって、です。 むだにされつつある、そのすべての エネルギーが、むだにされないとき、 あなたは、世界のエネルギー すべてを、持ちます。 あなたの頭脳が、 衰退しつつないかぎり - 葛藤をとおし、 野心をとおし、 闘争、さびしさ、憂鬱と戦うこと、 その他すべてをとおして、です。 私たちは、それらに 入ってきました。 頭脳が、そのすべてより 自由であるとき、 あなたは、豊富な エネルギーを、持っています。 が、あなたが、或る種の小さな エネルギーを、解放するなら、 そのときあなたは、他の人たちへ、 無限の害を、加えます。 ですね? この問いは、 答えられましたか。 私たちは、次へ 進んでもいいですか。
54:22 で、どうぞ、罠に、 嵌まらないでください - 「私は知っている。 あなたは知らない。私が 教えてあげよう」と言う導師たちの、です。 アメリカには、様々な センターが、あります。 たぶんヨーロッパと インドにも、です。 そこで、一人か、二人の人々が、 こう言っています - 「私は、この奇妙なものを、 目覚めさせた。 私があなたに、それについて、すべて 語ろう。 私が教えてやろう」と。 そうね、 古き良きゲームです。 それはすべて、こうも些細に なります - 人が人と闘っていて、 世界が退廃しつつあり、 崩壊しつつあるとき、 あなたは、取るに足りない 小さい経験について、話しています。
55:27 そしてまた、質問者は、 こう言います - Kの意識は、思考により 組み立てられていませんか。 あらゆる意識が、 その内容とともに、 思考の動きの結果である ように、です。 ですね? あなたの意識は、 その、恐れ、信念、さびしさ、 心配、悲しみの内容とともに - 誰かに従うこと、 信仰を持つこと、 「私の国は、最高の文化である」と 言うこと、それらの事柄ですが、 それは、あなたの意識の部分です。 それが、あなたなるものです。 ですね?  あなたが、 それより自由であるなら、 そのとき、あなたは、全然 違った次元に、います。 それは、意識の拡大 ではありません。 それは、意識の内容を 否定することです。 ですね? 拡大すること、ますます自己中心的に なること、ではありません。 次の問いへ 行きましょう。
56:38 第四の質問: 「あなたにとって、 死とは、どういう意味ですか」。
56:43 「あなたにとって、 死とは、どういう意味ですか」。
56:49 なぜ、私にとって、 ですか。 それは、あなたにとって、どういう 意味ですか - はるかに重要です。 理解されますか。 生、生きる ことと、その終わりに来ること - それは、あなたにとって、 どういう意味ですか。 あなたが、輪廻転生を 信じているなら - それがどういう意味かを、 ご存じですね - あなたが、輪廻転生を信じているなら - すなわち、あなたは来世に生まれる、と - そして、あなたが正しく、 正確に、幸せに生きてきたなら、 あなたは、来世で、もっと 良い機会に、恵まれるでしょう - より上の梯子へ 到るように、ですね。 理解されますか。 ですが、輪廻転生を 信じている人々は、 他の普通の人々のように、 生きます - 戦い、喧嘩し、攻撃的で、 さもしい。 ですね? 悪質で、暴力的です。 輪廻転生へのその信念は、 ほとんど、意味を持ちません。 が、それは、とても 慰めになります。 58:31 さて、それを 探究してください。 生まれ変わろうと しているのは、何ですか。 理解されますか。 仮に、あなたが、輪廻転生を 信じている、としましょう - あなたたちの幾人かは、 信じているかもしれませんが。 なぜなのか、私は知りません。 それは 慰めになるのかもしれませんが、 あなたが、生まれ変わることに なるものを、検討しはじめるとき、 それは何ですか。 それは、 恒常的な魂ですか。 恒常的な何か、 時を越えているものですか。 それが、時の(何か)であるなら、それは 恒常的ではありません。 ですね? で、生まれ変わろうと しているのは、何ですか。 あなたの傾向、あなたの体質、 あなたの経験ですか。 Kは死にます。 来世、彼は 再び生まれます。気の毒に。 そして、そのKとは、 何ですか。 それは、何ですか。 あなたは、 誰ですか。あなたは、何ですか。 一連の・・・ 1:00:07 私たちはあの犬に、しばらくの間、静かに してくれるよう、頼めるでしょうか。 あなたは、誰ですか。 実際に、です。 理論的に、 たくさんの観念を、玩ぶのではない - あなたは、アートマンであるとか、 あなたの中に、神がいるとか、です。 それはすべて、 思考の活動ですね。 で、あなたは、 何ですか。 あなたは、 あなたの経験です。 ですね? あなたは、あなたが知識として 取得してきたものです。 あなたは、記憶の動き全体です。 そうでないですか。 または、あなたは、 それが好きではない。 または、あなたは、自分の中に、何か すばらしいものが、あると、考えたい - そのすべては、不条理です。 私は それについて、議論さえしないでしょう。 事実は、あなたが 何物でもない、ということです。 私は、「何物でもない」と使っては なりません。 それは、間違っています。 あなたは、一連の記憶の 動き全体です。ですね? 1:01:28 それを検討してください。どうぞ、 同意しないで、それを見つめてください。 あなたは、記憶を持っていない なら、ありません。 ですね? 一定の手術が、頭脳に 行われるなら、 あなたは、自分の記憶を、失います。 あなたは、植物状態になりますね。 語り手は、カリフォルニアで、アメリカで 病院へ行ったことが、あります。 そこでは、これらが行われていました。 私は、それを見守りました - 怖ろしい!
1:02:09 で、あなたは、伝統、 集合的な記憶です。 地域社会の、家族の伝統、 国の伝統 - すべての記憶です。 ですね?  あなたは、 そのすべてです。 そして、あなたが 死ぬなら、 あなたは、それらすべての記憶に 続いていってほしいですか。 記憶とは、何ですか。 去ってしまった物事です。 何か幸せで、楽しめた、 憶えていることや、 何かあなたが、あこがれている ことです。 ですね? それはすべて、記憶としての 過去の動きです - 修正されて、 進んでゆきますね。 で、死とは、 どういう意味ですか。 あなたは、個人として、 終わりになる。 ですね? 物理的に終わりになるが、 心理的に、あなたは、こう言います - 「いや、それは、 そのとおりでもない。 私は、自分の 身体以上のものだ。 私は、自分の 思考以上のものだ。 私は、反応以上の ものだ」と。ですね? 1:03:47 あなたは、そうですか。 伝統が、あなたはそうだと 言うのを、私は知っています。 あなたもまた、その観念が 好きなのです - 自分は、これらの 事柄以上のものだ、と。 で、あなたは、それに 縋りつきます。 そして、あなたは、「以上のもの」が 来世に生まれるだろうと、望みます - より良い住宅、より大きな権力、より 大きな地位に、より神の近くに、です。 理解されますか。 このすべては、 信念と思考の事態です。ですね? 思考はまた、信念をも 創案してきました。 なぜなら、何かへの信念は、あなたに 大きな慰めを、与えてくれるからです。 ですね?  で、その種のことを お好きなら、続けてください。 何百万人もが、 そうします。 ですね? それら他の人たちは、「生は、 けっこう良かったよ」と、言います - あなたが成功を 収めているなら、です。 または、「生はひどく、 悲惨で、不幸せだった。 私は死ぬのが、 うれしい」とね。 そして、死ぬ前に、 病気の苦悶すべて、 長い、長期化した 病気の年々。 生きつづけるために、医師たちに より、維持されて、です。 1:05:30 ですね? これが、 私たちの生です。 これが、私たちみんなが 生きる道です。 そして、私たちは、死に、怯えて います - 終わりになることに、です。 あなたは、輪廻転生を 信じているけれども、 あなたは、けっこう 死に、怯えています。 あなたは、あらゆる物事を、 持ち運べませんが、 あなたは、最後の瞬間まで、それを 持っていたいのです。 理解されますか。 あなたは、たくさんの お金を、持っているなら、 最後の瞬間まで、それを 持っていたいのです。 自分がそれを持ち運べないのを、 知っているけれども、です。
1:06:14 で、これが、私たちが、生きることと 死ぬことと呼ぶものです。ですね? なぜ私たちは、あの世へ、 死後に起きることへ、 こうも多くの重要性を、 与えますか。 なぜですか。 死の前に起きつつあることのほうが、 はるかに重要ではないですか。 理解されますか。 私が言っている ことを、理解されましたか。 後で何が起きるのか、 ではなく、 長年、生きる間に、何が 起きつつあるのか、です - 格闘、痛み、心配、 憂鬱、苦しみ、さびしさ。 あなたたちがみんな、 経てゆくこと、ですね。 それを考慮するほうが、 重要ではないですか - そのすべてが 変化させられるのか、 そのすべてが、終わらされるのか どうかのほうが、 死の後に、何が起きるかについて、話し つづけるのより、むしろ(重要)です。 理解されますか。
1:07:28 仮に、私は、自分の家族に 執着している、とします。 仮に、です。 私は家族を 持っていません - ありがたい! 仮に、私は、自分の家族に 執着している、とします - 自分の妻、自分の子ども、 自分の住宅、自分の家具に、です。 死がやってきます - 事故、病気や、 自然な疲れをとおして、です。 死がやってきて、「あなたは、それを 持ってゆけないよ」と、言いますね。 理解されましたか。 私は、執着しています - 観念に、信念に、 概念に、理想に、です。 または、私は、家具に、住宅に、 家族などに、執着しています。 1:08:24 死は、それらが終わることを、 意味しています。 私は、自分に来世があるだろう、 兄弟とともに、姉妹とともに、と それらを信じているかも しれませんが、 生きている間、それらを 終わらせることは、可能ですか。 ヴザヴェ・ コンプリ? 私が言って きたことを、理解されましたか。 私が生きている間に、 唯一のものにも 執着しないことは、可能ですか。 自分の家具へ、自分の住宅へ、 自分の経験へ、自分の書物へ、 自分の評判へ、自分の戯言へ - よろしいですか - それらです。 それらを即座に 終わらせる。 それが、死です。 ですね?
1:09:24 聴衆: それは、 すばらしい。
1:09:26 K: 何が すばらしいですか。 あなたがそうするなら、 すばらしい。 あなたがそうしないなら、 たくさんの言葉だけです。
1:09:42 で、私たちが言っているのは、 こうです - 死は、身体について、 蓄積された記憶すべてについて、 終わりにします。 もちろんあなたが、他方を、輪廻転生を 信じているのでなければ、です。 あなたは、何か恒常的なものであり、 それが、転生しようとしています。 そのすべてが、 思考の創案です。 で、私が生きている間に、 終わることは、可能ですか - 生きている間、すべての執着より、 全面的に自由であることは、です。 あなたの導師への執着、 あなたの観念、 経験への執着、ですね? なぜなら、それが、死がしようと していることであるからです。 で、生きている間に、 終わることは、 死とともに生きることを、 意味しています。 1:10:51 私が言っていることを、 理解されますか。 いいえ、 理解されません。 終わること。 あなたが 喫煙を終わらせるなら - 仮に、あなたが、タバコを吸う習慣を 持っているなら、それを終わらせる。 身体は、ニコチンとそれらの種類のものを 要求するけれども、それを終わらせる。 なぜなら、あなたが死ぬとき、それが、 起きようとしていることであるからです。 あなたが、何かの経験に、何かの記憶に 縋りつくのを、終わらせる。 それで、あなたの頭脳は、 新しく、新鮮で、 明瞭です。 このごみ、がらくた すべての重荷を、負っていません。 記憶は、がらくたです。 私は存じています。 で、生きることは、いつの時も 死とともに、生きることです。 理解されますか。 そうしてください。 1:12:17 あなたが一番大切にしている 一つのものを、そうしてください。 それを 終わらせてください。 「私はそれを 終わらせなければならない。 私はどうやって、それを 終わらせることになるのか。 それを終わらせる道を、教えてくれ」とか、 それを終わらせる薬物を摂るとか、ではない。 あなたは、死がそれを意味するのを、 見るから、それを終わらせます。 で、生を生きることは、可能ですか。 それは、自由の生を、意味しています。 ゆえに、愛の生を、 意味しています。 なぜなら、 愛は、執着ではない、 愛は、 嫉妬ではないからです。 あらゆる種類のものの重荷を 負っている精神、 あらゆる種類の問題を 持っている頭脳は、 慈しみ、愛の能力が、 ありません。
1:13:36 で、それの美しさを、 理解なさってください。 生きることと、あなたが執着している 物事が、終わることです。 それで、あなたが本当に、 自由の深さを、理解するように、です。
1:13:56 第五の質問:  「お話を聞いて、 これらの事柄を 自分自身で考えた後、 私はどうやって、本当に、自分の 問題を解決するだけではなく、 根本的に私の生に、変化を もたらすことに、なりますか。
1:14:21 問いは、 ごく単純に表すと、 問いは、こうです - 私は、自分の存在全体に、 根本的な変異をもたらすために、何を するか、しないことに、なりますか。 それが、問いです。 ですね?
1:14:40 さて、あなたは、どのように その問いに、接近しますか。 あなたは、どのように、 それに近づきますか - それで、あなたが、問いと、 問題と、接触するように、です。 まず第一に、自らは、 私たちの頭脳が いかに条件づけられているかに、 気づいていますか。 あなたは、 気づいていますか。 ああ、いいえ、後生ですから。 私たちは、気づいていますか。 あなたは、自分が条件づけられて いることに、気づいていますか。 二千年の着実な宣伝、 洗礼、ミサ、常なる反復、 反復、反復の後、 あなたは、カトリックに なったのです。 または、他の常なる反復は、ヒンドゥー 教徒やイスラム教徒に、なることです。 それは、同じ過程です。 1:15:57 あなたは、自分の頭脳が、条件づけ られていることに、気づいていますか。 はい、そうです。 気づくことは、困難では ない - 私は条件づけられています。 あなたが、「私はイギリス人だ、 イギリス人だ、イギリス人だ」と 言うとき、あなたは、 条件づけられています - ドイツ人、ロシア人、 ヒンドゥー教徒、です。 ヒンドゥー教徒は、「私は最大の文化を 持っている」と考えるかもしれませんが、 その文化は、 去ってしまったのです。 インドで、彼らは、 完全に迷っています - 無秩序などです。私は、 それに、入らないでしょう。
1:16:34 で、あなたが条件づけられている ことに、気づくなら、 その気づきは、 観念ですか、実際ですか。 理解されますか。 あなたは、自分の反応に、 実際に気づいていますか。 悩まないでください。 それは、 何も、悩むことではありません。 あなたは、自分が誰かに 出会うとき、彼を嫌っているか、 彼を好いていることに、 気づいていますか。 あなたは、 自分の先入観に、気づいて いますか。 よろしいですか。 あなたは、自分の怠け、 明瞭に考えられない 自分の無能力に、 自分は何かであるとのふり すべてに、気づいていますか - ああ、自分は、何かとてつもない ものに、到った、と(いうふりに)。 あなたは、これらに 気づいていますか。 あなたが気づいているなら、 そして、あなたが、 「私はこの種類のことが、好きだ」 と言うなら、それを生きてください。 誰もそれへ、あまり注意を、 払おうとしていません - 少なくとも、智恵ある人々は、 そうしていません。 1:17:51 あなたは、たくさんの神経症の、無思考の 人々を、収集するかもしれません。 それもまた、 だいじょうぶです - あなたが、その種類の ことを、望むなら、です。 が、あなたは、 気づいた瞬間 - あなたの反応すべてを 見守って、ですが、 自分の反応を訂正することは、 或る実体を、含意しています - 彼もまた、反応です。 理解されましたか。 あなたは、反応します - 私は、あなたを 叩くし、あなたは、私を叩きますね。 私は、あなたを叩きます。 なぜなら、 あなたは前に、何かを言ったからです。 それへ私は、反応します - あなたを叩くことによって、です。 そして、あなたは、反応します。 あなたは 叩かれるのが、好きでないからです。 で、どちらの反応も、 同様ですね。 私はそれに、入らないでしょう。 それは、明らかです。
1:18:49 で、自らが条件づけられている ことに、気づいていて、 それを見つめるとき - 覗きみている 外部者として、ではない。 自らは条件づけられていることを、 観察しているか、 気づいている実体こそが - その実体は、その条件づけの一部です。 ああ、眠りに就かないでください。 いいですね?
1:19:19 それを別の形で、表しましょう。 経験する観察者 - 観察者は、観察されるもの より、異なっていません。 思考者は、自らの思考より、 異なっていません。 ですね? 分析者は、自らが分析する ものより、異なっていません。 ただ、彼が、自分自身を 分離してしまっただけです。 私は、自分自身を 検討します。 「私」は、思考により、分離されて います - もう少し博識であり、 もう少し累積的な、 過去の記憶として、です。 その実体が、 観察しています。 その実体は、 観察しているものの一部です。 まあ、私はそれに、入らないでしょう。 あなたがそれを、理解しなかったなら、 読む、格闘する、眠りに就く、何でも 好きなことを、してください。 それについて怠ける - たぶん あなたは、そうでしょう。
1:20:21 で、見たところ、外在的か、内在的な 何も、人を変化させません。ですね? 宗教は、人を制御しようと してきました。 人を拷問し、人に 無理強いしてきました。 すべての洗礼と、すべての サーカスを、経てゆく。 またインドでは、それは、 彼らなりの形で、やられます。 そして、世界の 色々な地方で、です。 彼らは、あらゆる物事を、 試してきました。 あなた自身も、変化をもたらそうと してきました。 ですね? そうではないですか。 あなたがそうしてきて、 結果が、怠慢であるなら、 そのとき、あなたは、 何をしますか。 あなたは、指導者たちを、試してきました。 あなたは、導師たちを、試してきました。 あなたは、様々な哲学者を、 試してきました。 あなたは、様々な宗教を 試してきました。 けれども、私たちは、 今あるままに、留まっています。 怠けて、怠惰で、 無頓着で、冷淡で、 愛の閃きもなく、 暴力、その他すべてです。何が 私たちを、変化させるのでしょうか。 1:22:00 何もない。 外側からの何も、ない。 または、あなた 自身の、変化したいとの欲望も、です。 で、何も変化させようと していないと、出発してください - 内的か、外側の、どの機関も、 あなたを変化させようとしていません。 その事実でもって、 出発してください。 ですね? どうぞ、眠りに 就かないでください。
1:22:35 そのとき、あなたは、 何か実際のこと、 何か実在のものでもって、 出発します。 そのとき、あなたは それに、食いつけます。 外側の誰も、あなたを 助けようとしていないからです。 諸々のブッダは、あなたを 助けてきませんでした。 キリスト教の宗教すべては、 あなたを、助けてきませんでした。 あなたは、今のあなた なるものです。 ですね? そこから、出発してください。 外側からの何物も、 あなた自身の欲望も、あなたを 変化させようとしていません。 で、あなたは出発します。 そのとき、あなたは、こう言います - 「さあ、私は本当に、 基本的に、変化したいのか」と。 私たちのほとんどは、 そうではありません。 で、あなたは、 続けてゆきます。 1:23:31 しかし、あなたが本当に、 変化したいのなら、それは単純です。 あなたの恐れを、変化させなさい。 あなたの恐れを、完全に終わらせなさい。 「どうやって」と言わないでください。 私たちは、それらを通ってきました。 あなたが、自分を助けてくれる、 あらゆる形の外側の機関を、 全的に 拒否するのでなければ - または、あなた自身の意志、あなた自身の 欲望、あなた自身のやる気を、です。 それもまた、機能してきませんでした。 だから、それらを脇に置いてください。 そのとき、あなたは、あるがままの 自分から、出発します。 そして、そのものが、根本的に変化 させられないのかどうかを、見ます。 それは、あなた しだいです。
1:24:40 私は、もう七分間、 許されています。 最後の問いです。
1:24:46 第六の質問: 「霊的な生とは、何ですか」。
1:24:57 「霊的な生、 宗教的な生とは、何ですか - すべての宗教ではなく、 僧侶、修道士とそれらではない。 彼らは、 宗教的ではありません。 私がそれを言うとき、彼らが、私を 嫌悪するだろうのを、私は知っています。 私はそれをあなたに、論理的に示しましょう - なぜそうでないかを、です。 それはすべて、思考により 組み立てられています。 神の考案は、思考により そこに置かれています。 それは、単純です。 このすべては、明らかです - あなたが、思考の活動を 理解するとき、です。
1:25:38 で、霊的な生とは、 何ですか。 私はあなたに、 訊ねています。 あなたは、変わった衣を、着ています。 教会、ミサへ出席します。 または、インドで、或る種の供養を 行ったり、寺院とモスクへ行ったりします。 宗教的な生・ ・・ 霊的な生とは、何ですか。 「霊的」という言葉は、気持ちよくない が、私たちは当面、それを使いましょう。 霊的な生とは、 何ですか。 あなたは、霊的な生とは、全的な 自由の生であると、仰るのでしょうか。 悲しみからの自由、 恐れからの自由、 条件づけ すべてからの自由、 ですね? 自由であること。 私たちのほとんどは、 監獄の中に、います。 私たち自身が作った、観念や、 他の人々の概念、彼ら自身の先入観、 彼ら自身の経験の、監獄です。 それらは、私たちを監獄に留めおく 鉄格子に、似ています。 1:27:19 私たちのほとんどは、 伝統の奴隷です。 或る種の信念、信仰の(奴隷)、 または、経験の奴隷です。 そのすべてより、全的に、 完全に自由である。 自由(フリーダム)は、 私たちが前に言いましたように、 その言葉こそが、(語源的にフレンドと 同じく)愛を、含意しています。 自由がないなら、 愛は、ありません。 あなたは、何かの人物像、 象徴、人格、観念をとおして、 その自由を、とうてい 達成できません。 自由は、終わることを、 意味しています。 自己、「私」が終わる、 私が自分自身について、持っている イメージが、(終わるの)です。 そのとき、精神、頭脳が 自由であるとき、 そのときだけ、あの至高の 智恵が、あるのです。 すべての儀式、すべての、そうね、 些細なことではない - 後生です - 或る姿勢で座って、冥想し、呼吸する こと(ではない)。 よろしいですか。 それは、霊的ではありません。 その言葉を使えるなら、ですが、 それは、 それらではありません。 1:29:23 それはすべて、 記憶と思考の動きです。 思考は 制限されているので - 私たちは、それに入ってきました。 私は、今、入らないでしょう。 で、私たちは、 自らの生を、 きわめて小さな些細な事柄に、 還元してしまったのです。 全面的にそれより自由であること、 そして、それは可能です。 私の言葉を、真に 受けないでください。 私は、それは可能であると、言います - 見出し、そうしてください。 それで、宗教的な、 いわゆる霊的な生は、 そのとき、あなたと他の一人との 間に、分割が、ありません。 あなたは、他の一人を、 殺さないでしょう。 あなたの国は、 世界の国です。 世界は、 あなたの国です。 世界は、 あなたの宗教です。 1:30:46 あなたは、自分がどの宗教にも 所属していないのを、見るとき、 霊的な生、 聖なる生を、生きる - それは、何かエリートのため、わずかな 者のためのものではありません。 それが、必要なものであるなら、 あなたは、それに取り組みます - ふりをするとか、それらの 種類の戯言ではなくて、です。
1:31:21 で、宗教的な精神、 宗教的な人間、 どの宗教にも 所属していない者、 真理とともに(機能し)、 ゆえに、 大いなる智恵と慈悲でもって 機能している頭脳、です。 そうです。
1:32:16 どうぞ、 立ち上がってもいいですか。
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