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SA83T3 - どこに、完全な安全を、見つけるのか。 home
公開講話、第3回
スイス、サーネン
1983年7月14日


1:26 私たちは、 一昨日、話していたことを、 継続しましょうか。 私たちはそうすべきだと思いますが、 私が真剣に指摘してもよろしいなら、 あなたは、語り手から助けを、 探し求めていないのです。 私たち自身の外側に、 助けは、ありません。 それが、明らかに 理解されるなら - すなわち、政治的な体制や、 宗教的な体系や、 自分の体系と理論をもった、 あらゆる種類の導師が、 人々を助けよう、良いことをしようと していることは、ないのです。 私たちは前に、それら すべてのものを、持ってきました - ここ幾千年に 幾千年もの間に、です。 2:48 で、外側からの、 助けは、ないのです。 その言葉を 使っていいなら、 「救い」というキリスト教の言葉 - それは、なかなか醜い言葉です。 外側、です。 誰をとおして、でも、 どの体系、体制を とおして、でも、 どの神学的概念を とおして、でも、 共産主義のでも、あるいは、 民主主義などの、でも、です。 で、完全に、私たち自身に 頼らなくてはいけません。 全的に、私たち自身に 責任を持つ - 私たちがすること、 私たちが考えることに、です。 私たちがすることすべてを、他の 人たちのせいに、しないで、です。 または、環境や、遺伝や、遺伝子の 過程のせいにしないで、です。 3:55 私たちは、それらすべての物事を 玩んできました - いろいろな形で、 果てしなく、です。 私たちは、あらゆる種類の 哲学を、追求してきました。 そして、私たちは、 大きな信を、持っています - 何らかのものに 対して、です。 それは、いつも、 外側の何かです - 象徴、人物、 結論、観念、です。 それらは、すべて 失敗してきました。 なぜなら、幾千年に 幾千年の後、私たちは、 今の私たちなるもの であるからです。 混沌とした世界を 産出してきたのは、 過去の世代ではありません。 彼らは、助けてきましたが、 私たちもまた、それに 付け加えています。
4:58 で、もしも私たちが、ともに それに、留意できたなら - 書物はなし。 理論はなし。 人物はなし。 象徴はなし。 語り手を含めて、です。 私は、語り手を、 除外していません。 なぜなら、自らは、きわめて気を つけなくてはいけないからです - 彼により 影響されないよう、 彼により 刺激されないよう、 おそらく、彼の解明へ、 頼らないように、です。 それが、絶対的に、根源的に、 明らかであるなら - すなわち、私たちが自らが 何であるのかを、発見するために、 外側の助けが、 ないことを、です。 これらすべての 世紀の進化の後、 人間たちが、何に なってきたのか、です - 残忍だ、暴力的だ、 そうね、その事柄全体です。 あなたはそれを、誰の せいにも、できません。 または、はるか 過去に戻って、 様々な原因を 見出そうとできません。 そして、多数の原因が、 あります。 私たちは、それら原因をめぐって、 果てしなく、喧嘩をできます。 6:41 が、事実は、 残っています。 私たちは、幾千年の進化の後、 今の私たちなるものです。 何千年もの進化の後に、です。 で、それが 明らかであるなら、 二人の友が、一緒に 話し合っているように、です。 私たちは、二人の友だち、 実際の友だちです。 それが、語り手が友だちについて 感じることです。 私たちは、いろいろと 話し合えます - 互いに 影響し合ってもいないし、 互いに 支配し合ってもいない。 互いに 信頼し合っていない。 しばらくの間、互いに知り合ってきた 二人の友だちとして、です 人間の問題について、 議論し、話し合っている友だちです なぜなら、それは、 テクノロジー的な問題より はるかに 重要であるからです。 心理的な問題は、 解消されるのでなければ、 いつも、テクノロジー的な主題、 問題を、圧倒するからです。ですね? 8:05 あなたは、すばらしいテクノロジー 的な世界、機械的な世界、 コンピューターを、 持っているかもしれませんが、 人間心理は、コンピューターに 打ち勝ちます。 それは、一連の良い法律を、 もたらすかもしれません - コンピューターは、 あなたは、こうすべきだ、 ああすべきだなどと、ですが、 心理、私たちの一人一人は、 圧倒したり、 超越したりできるし、 コンピューターにもかかわらず、 自らがしたいことを、 するかもしれません。 ですね? これはきわめて 明らかであると、私は思います。
8:54 で、どうぞ、私たちは、疑いを もって、始めなければなりません - 一定の懐疑の性質を もって、です。 それで、私たちは、人間存在において あらゆる物事を、問うように、です。 物理的なものは、 別として、です。 外科医が、あなたは癌を持っていると 言うなら、あなたは、彼を問えません。 あなたは、それを問うてもいい。 あなたは、彼に訊ねてもいいが、 幾人もの医師が、 あなたに告げるでしょう -「やあ、あなたは それに罹っていますよ」と。 そのときあなたは、それを受け入れます。 あなたは、それを疑えません。 あなたは、様々な治療を、 試せます。 世界中の藪医者が あなたに、加わるでしょうが、 結局、あなたは、彼らの発言を、 受け入れなくてはいけません。 しかし、心理的な世界は、 はるかに複雑であり、 大きな敏感さが、必要です。 その大きな錯綜、微妙さ、です。 それは、きわめて明らかである 精神、頭脳を、要求します - 混乱していなくて、 自己中心的でないのを、です。 10:23 あなたは、 自己追求の複合体全部を、 検討し、 見つめられません - あなたが、それについて、 批判的であるのでなければ、 あなたが、問い、疑い、 訊ねているのでなければ、です。 ですが、西洋世界における 現在の宗教は、 どの問いや疑いをも、 拒否します。 あなたは、疑いを持ってはなりません。 信仰を持たなければなりません。 それで、疑いの性質は、 人間存在にとって、 大変重大ですが、 それが、拒否されます。 ところが、仏教と ヒンドゥー教の世界では、 疑いが、 探究の柱の一つです。
11:28 で、どうぞ、 私たちは、ともに 話し合おうとしています - ともに、です。 これは、反復 しつづけなければなりません。 なぜなら、人間の傾向が、 あるからです - 受け入れる、導かれる、 助けてもらう傾向、です。 何らかの本を 読むことにより、 あなたは、それが、自分の ためになろうと、考えます。 で、自らが誰にも頼れないことが、 きわめて明らかでなければなりません - それは、自らが自分自身にとって、 光でなくてはいけない、という意味です。 それは、 自己主張的な態度、 自己に ものすごい自信を持つ、 という意味では ありません。 それは、自分の欲望、 自分の充足などの追求、 という意味では ありません。 12:44 自己にとって 光であるとは、 心理的に、全的に一人で 立つ、という意味です。 一人(アローン)という言葉は、すべて 一つ(オールワン)、という意味です。 ラテン語、 ギリシャ語などから、 その言葉は、すべて一つ、一緒、 全体的だ、という意味です - 断片化していない。 が、私たちは、その一人と いうことを、孤立へ翻訳します。 私たちは、孤立するのを、 恐れています。 ゆえに、私たちは、その言葉の 意味と深さを、理解しません - 一人(アローン) であることを、です。 それは、時の全体を、 含んでいます - 過去、現在、すなわち今を、です。 すべて一つ(アローン)です。 私たちは、今すぐ それらに、入るでしょう。 私たちがこれらにおいて 一緒であるのを、望みます。
14:02 語り手が言っていることを、 疑ってください。 また、語り手が言っているのを、 あなたが聞くことへの、 あなた自身の反応をも、 はるかに疑ってください。 疑い。 疑いの種子 - あなたが何を疑うのか、 ではなく、種子、です。 それをして、動かさせましょう。 それを、花開かせましょう。 それを 成長させましょう - ついに、それが、何が真理で あるかを、見つけるまで、です。 そして、 一人(アローン)であること、 それの本性を 探究すること、 それの真理を 見出すこと。 - それの発言ではなく、 発言の真理を、です。 理解されますか。 その発言が、聞こえる。 それから、その発言の言葉を 受け入れるが、 自分自身で、その言葉の 深さを、発見しない。 私たちはみんな、ここに一緒に 来ているのを、望みます。 ここは、 とても暑いです。
15:50 私たちが先日、 言っていましたように、 私たちは、安全を 探し求めてきました - 思考の物事に、 思考が組み立ててきた 物事に、です。 すなわち、共同体に - 家族に、共同体に、 より大きな共同体に、 など、です。 孤立の中での安全、 国の中、 民族の中での安全、 何かに所属する中、 この集団やあの集団に 所属する中、 あの教会に所属するか、しない中 - よろしいですか。 所属する。 私たちはそこに、安全を 探し求めてきました。
17:02 で、自分自身で 発見します - すなわち、孤立に、安全は ないことを、です。 ですね? さて、それは 事実ですか。 または、 理論だけですか。 それが理論であるなら、 多数の理論が、あります。 が、あなたが、安全でありたいとの 自分の欲望を、検討するなら、 あなたは、それを追求する なら、見出すでしょう - 自らは、孤立の中に、安全を 探し求めてきたのです。 孤立は、甚大であるかも しれませんが、やはり、孤立です。 この孤立の過程は、 断片化です。 ですね? 私たちは、何かとてつもない ことを、言っていますか。 または、私たちは、互いに 付いてきていますか。 孤立の中で安全の追求が、 あるところ - アラブ人や、ユダヤ人の中に、 よろしいですか。 外的に、です。 孤立の追求と、 その孤立の中で、 安全を探し求めることは、 断片化です。 18:44 そのとき、問題が 生じます - 諸断片は、どうすれば、まとめ られますか。 理解されますか。 それは、すっかり 間違った問いです。 ですね?  なぜなら、孤立の中での 安全への探求が、原因であるからです。 自らが、その原因から自由であるなら、 断片化は、ありません。 ゆえに、孤立の中での 探求は、ありません。 家族の孤立でも、 あるいは、 自己中心的な孤立でも、です。 これらを捉えられるのか どうかと、思われます。 誰かが、「はい」と 言います。
19:39 聴衆: はい。はい。
19:46 K: 世の中で実際に、何が 起きつつあるかを、見てください。 私は、自分の友だちに、 何が起きつつあるかを、 つくづくと見るよう、 頼んでいます。 家族、共同体、 より大きな共同体、 民族、国家 - 孤立化の過程。 ゆえに、 その孤立の中に、 最高権力への 探求が、あります - 政治的に、宗教的に、です。 権力を獲得する感覚全体、です。 それで、ますます多くの 混乱が、あります - ますます多くの問題、 ますます多くの破壊が、あります。 これは、きわめて明らかです - あなたがそれに入るなら、です。 気軽に、ではなく、 読書をたくさん するのではなく、 自分自身に、それの事実を 見出すのです。 で、はるかに 探究しなくてはいけません。 私たちは・・・それが どうであるかを、見出すには、です 21:09 - なぜ私たちが、安全を 探し求めているのかを、です。 私たちは安全を持つべきでない、 ということではない。 私たちが言いましたように、物理的に 安全が、なければなりません。 赤ちゃんが育つには、 安全が、なければなりません。 人が、少なくとも一時的に 幸せに、生きるには、 人は、安全を 持たなければなりません。 人は、衣食住を、 持たなければなりません。 が、この孤立化の過程は、あらゆる 人へのそれらを、拒否しています。 各政府が、自分自身に 関心を持っています - 自分の経済に、 自分の国民に、です。 戦争をとおして、自分の国民を 救っています - 他の国民を、ではない。 あなたが先日、聞かれたのか どうか、私は知りません - 先の戦争について、(イギリスの) 或る将軍が、話していました。 いや、はるか南の小島(フォーク ランド)をめぐる、この戦争です。 22:19 将軍は、こう 言いました - 「私は、人々を殺したくないが、 私たちは、彼らを殺さなければならない。 が、私たちは第一に、自分たちの 国民を、救わなければならない」と。 彼らは、そのために、 訓練されています。 で、尋常でない 意義、事実、 真理が、見えます - すなわち、 孤立の中に、けっして 安全は、ないことを、です。 いかなる安全も、 ないのです。 私たちは、これが 見えますか - 私たちが、少しでも 先へ進む前に、です。 頭脳の条件づけを、崩して しまうことは、とても困難です - 孤立の中に、いるよう、 生きるよう、 自分の充足を 探し求めるよう、 教えられ、教育され、 条件づけられている頭脳を、です。
23:27 さて、安全とは、 何ですか - 物理的な安全は、 別として、 安全であるとは、 どういうことですか。 どうぞ、あなた自身に 訊ねてください。 私たちは、ここに一緒にいます - 二人の友だちです。 静かな部屋に、 座っていて、 すてきな谷を、 見晴らしています。 うるわしい朝です。 同時に 真剣であって、 互いに 訊ねています - 安全とは、何ですか - 安全であるとは。 関係に、安全は ありますか。 あなたは、自分自身に その質問をします。 自らは、関係の中に 安全を、ほしがります。 さもないと、安全は、 ありません。 それは、信用、信頼、愛と それらを、含意しています。 けれども、私たちは、お互いに おいて、安全がほしいのです。 24:56 そして、お互いが、一人一人が、 自分の孤立、 自分の自己中心的な活動を、 追求しています。 ですね? 私たちは、 安全がほしい - 平和な生活を するように、です。 ですね? 何も葛藤を持たないよう、 何も厄介、問題を持たないよう、 ただ生きるように、です。 それもまた、 可能ではありません。 で、私たちは、訊ねています - 安全とは、何ですか。 私たちは、それを どこに、見つけますか。 何か理論に、 ではありませんね。 何か、思考が投影してきて、神聖に したイメージに、ではありません。 思考の活動である、 どの象徴にでも、ありません。 これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
26:09 で、どこに、全的で完全な 安全を、見つけますか。 頭脳は、安全が 必要です。 ですが、現在、頭脳は、 混乱しています。 一人の哲学者は、こう言います。 他の科学者は、ああ言います。 一人の導師、 一人の教師、 位階的な教会は、 他の何かを言う、などです。 頭脳は、これら 何千年に何千年もの後、 実際に、 混乱しています。 その混乱の中、それは、「私は安全で なければならない」と、言います。 で、そのときそれは、 新しい幻影を、創案します。 理解されますか。 私は、この幻影を、 落としてしまいました。 私はそこに、何も安全が ないのを、見つけるからです。 そのとき私は、また 別の幻影を、見つけます。 そして私は、その中に安全を 見つけたいと、望みます。 27:26 これが、私たちが していることです。 で、あなたは、どこに 安全を、見つけますか。 頭脳は、完全に 安全であり、 完全に確実で、 無混乱であるのでなければ、 それは、騒動の中にあるに ちがいありません。 ですね? あなたが、自分の生を、 検討するなら - 友よ、 あなた自身の存在を、です - 私たちがいかに混乱していて、 いかに不確実であるのかが、 分かるでしょう。 あなたは、何にも 頼られません。 ですね? で、あなたは、どこに 安全を見つけますか。 明白に、外的に、 ではありません。 あなたは心理に、安全を、 見つけるのでしょうか。 理解されますか -「私」に、 自己に、でしょうか。 いいえ。見出しましょう。「いいえ」 と言わずに、見出しましょう。
28:45 そのとき私たちは、訊ねなくては いけません - 自己とは何ですか。 「私」とは、 何ですか。 心理的な構造全体 - 「私」とは、何ですか。 「私」 - それは、 一連の結論ですか。 そうです。 私は、信じている。 私は、納得している。 私は、信仰を 持っている。 ですね? 私は、これである。 などと、です。 それを拡大してください。 で、それが、そこ、外側に 見つかることにならないのなら、 内的に、安全を見つける ことは、可能ですか。 どうぞ、これらの質問を してください。 私は、自分の友だちに 訊ねています。 私たちはどちらも、 無防備です。 私たちは、互いに 防衛していません。 ゆえに、互いに 抵抗していません。 それは、そこ、 外側に、ありません。 私は、それを、内側に 見つけたいと、望みます。 どこか内的に、ですね。 30:19 それは、私が自分自身に、もっと自信を 持たなければならない、という意味です。 それが、私たちがそれを 翻訳するやり方です。 私自身に自信を持つとは、 どういう意味ですか - 私の経験に、私の知識に、 私の祈りに、とは? すなわち、「私」は、思考に より、組み立てられています。 私は、何かに、 信を持っています。 私は、何かを 信じています。 私は、何かに 所属しています。 そのすべてが、思考の 動きです。 確かに。ですね? どうぞ、この事柄について、 きわめて明らかでありましょう。 思考が、外側のめちゃくちゃ、 混乱を、創り出してきました - 世の中で起きつつある、 ひどいことを、です。 また、思考は、「私」をも 創り出してきました。 31:38 ですね? 明らかですか。 私を創造したのは、 或る種の神聖な 爆発ではありません。 子ども時代から、私は 教えられ、教育され、 訓練されてきました - 「私」が、 一番である、と。 ですね? で、私たちは、「私」に安全が あるのかどうかを、検討しています。 「私」は、思考により、 組み立てられています。 私たちは、この点について、きわめて 明らかでなければなりません。 私が、「私は神を 信じている」と言うとき - 「私は、神への信仰を 持っている。 神様の中での 私の安全」と、です - 誰が、その神を 創造しましたか。 どうぞ、事実本位であってください。 私は、攻撃していません。 私は、自分の友を、攻撃していません。 それは、あまりにばからしいでしょう。 彼もまた、私を 攻撃していません。 33:05 ともに、私たちは、問い、 疑い、訊ねています。ですね? 私の友は、「あなたは、神を 信仰しているね」と、言います。 私は、おそらくそうだ、 と言います。 私たちは、友だちなので、 議論します。 私たちは、「私は信じている。 私は それに拘ろう」と、言いません。 私たちは、「ほら、誰が、この神の 観念を、創造しましたか」と、言います。 そのとき、彼は 訊ねます - 「でも、すべての存在は、どうして 生じてきたのか」と。 ですね? 科学的な答えのほうが、 合理的です - すべての理論と推測、 神への信念などより、です。 私たちは、海洋から来ました。 よろしいですか。 私たちは、幾千年に 幾千年も、掛けてきました - 四百、五百、一千万年を、 現在の状態に、 進化するために、です。 34:11 それは、一人の人間を もたらすには、 時間が掛かってきた、 という意味です。 或る宗教的な人々による、 ここ四千五百年の中で、 ではありません。 四千五百年前に、エジプト人は 暦を、発明しました。 理解されますか。 それは、彼らが前に、 ものすごい進化をしていたに ちがいない、という意味です。 暦は、その場ですぐに、 発明できません。
34:55 で、彼は私に、言います - 気をつけて、見てください。 あなたが 創造してきたもの、 思考が 創造してきたもの - 安全を探し求めて、 死に怯えて、 などです。 あなたがそれを、創造してきました。 思考がそれを、創造してきました。 それから思考は、それを崇拝します。 そこに安全を、見つけようとします - あなたがしていることに反して、 あなたの生に反して、です。 これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。 私は、最もとてつもない物事を、 信じているかもしれません - 神、至高の智恵、 最高原理のように、ですが、 それは、私の生における 実在でなくてはいけません。 さもないと、それは、 何の価値もありません。 どうぞ、私は、説教していません。 無神論を提唱していません。 35:55 私は 問うています。 私たちは、互いに、根源的な 主題を、問い合っています - すなわち、安全への衝動、 要求、必要性を、です。 私たちは、 自分たちが幻影の中に、 安全を探し求めてきたのを、 見つけます。 さて、何が起きますか。 どうぞ、気を つけて、それを見つめてください。 あなたが、何か偽りの ことを、見るなら - 実際に、事実として、 偽りであると、です。 そして、あなたが その偽りに、取りすがるなら、 あなたに、智恵は ありません。 私の話が明らかになっているのか どうか、私は知りません。 私が友だちに、こう語るなら - 「ほら、これは現実ではない。 これは、発明だけだ。 その種の発明、 考案、幻影、 何かロマンチックな、 感傷的な戯言の中に、 そこに、何も安全は、 ない」と。
37:14 で、どうぞ、理解してください。 偽りを、偽りと見ること - それは、あなたがすでに、何が真実で あるかを、発見した、という意味です。 これは 明らかですか。 私は、何かを 偽りだと、見るなら - 何か幻影を、 幻影として、です。 幻影(イリュージョン)という 言葉は、英語で、 何かと遊び戯れる、という意味です - (語源)「ルーデレ」は。 実在でない何かと、です。 で、私は友だちに 語ります - 「ほら。 あなたは、偽りの物事と ともに、生きるよ。 そして、彼が、偽りの物事を、 偽りだと見るとき、 彼の頭脳には、 何が起きたのですか。 質問を 理解されますか。 頭脳は、 幾世紀もの間、 何か現実的でないことを、 受け入れてきました。 すなわち、人類の大多数は、 神を信じています。 なぜなら、神は、彼らの 安全であるからです。 ですが、神は、 考案物であり・ ・・ その他すべて、です。 38:46 私の友が、それを見て、 私が、それを見るとき、 頭脳の条件づけが、 壊れたのです。 分かりますか。 私は、生涯ずっと、 北へ進んでいきました。 あなたが、やってきて、 私に指し示します - 北は幻影である ことを、です。 北はあります。 私が話しているのは・・・ それは、幻影です。 彼は、私に それを、示してくれます。 私たちは、友だちなので、 それについて話し合います。 そして私は、「おやまあ、 それは正しい」と、言います。 私は、向きを変えて、 東へ行きます。 それは、 どういう意味ですか。 私は、体制、習慣を、 破ったのです - 一方向に進んできた 頭脳の条件を、です。 突然にそれは、それより離れて しまい、別の方向へ進みます。 ゆえに、条件づけが 壊れることが、あります。 これを理解されるのか どうかと、思われます。
39:54 私たちは、条件づけ全体に、 入ろうとしています。 私たちは、少し後に、 それに入るでしょうが、 私は、幻影を追求する習慣を、 破ってしまったのです。 ゆえに、細胞自体が、 変化したのです。 理解されますか。 脳細胞は、 それら自体が、変化したのです。 なぜなら、それは、習慣を落として こなかった、追求してきたが、 習慣を壊して しまったからです。 力尽く、実行をとおし、意志をとおし、 どの行為をとおして、でもなく、 清浄で、論理的で、 正気であり、 事実を見るのです。 ですね? 私は、あなたたちのために、 一生懸命働いているのでしょう。
40:53 で、どこに、安全が ありますか。 確かに、 経験にはないですね。 これらについて、全く 明らかであってください。 知識にはない。 なぜなら、知識は、けっして 完全ではないからです。 ですね? 知識は、経験に 基づいています。 科学的な経験、 仮説、理論、 そのとき、その理論、仮説を、 真実か、虚偽だと証明する - 科学的世界に おいて、ですね。 で、どこに、安全が ありますか。 どうぞ、それに 入ってください。 すみません。 退屈なさっていない ことを、望みます。 そうであるなら、 それは、あなたの事柄です。 それは本当に、きわめて深刻な問いです - 私たちが訊ねているのは、です。 気軽な何かでは ありません。 安全であることは、 頭脳の要求です。 それは、そこに、外側に 見つかってきませんでした - 外側の機関、 外側の神々に、です。 または、それは考案できます - 「私の中に、神がいる」と。 たくさんの人々が、そうします。 数百万人が、そうします。
42:54 聴衆: 私は、そうします。
42:56 K: 自分はそうすると、 仰る方が、おられます。 彼は、それに取りすがろうと しています。 それは、 議論ではありません。 講話すべてが、済んだとき、 私たちは、そうするでしょう。
43:19 が、私たちは、 見出さなくてはいけません - 完全な安全が、あるのか どうかを、です。 私たちは、思考の過程について、 きわめて明らかでなくてはいけません。 思考は - 私は再び、 それに入るでしょう - 思考は、 制限された過程です。 物質主義的な過程です。 なぜなら、思考は、経験に 基づいているからです - 経験は、感覚的です。 ですね? 反応、反射、 そこから、経験が 生じます。 その経験は、 制限されています。 その制限から、 知識です。 で、知識は、いつも 制限されています - 科学的な世界においても、 心理的な世界においても、ですね。 そのとおりです。 つまり、それは、 こうも単純です。 44:53 それで、記憶は、 制限されています。 なぜなら、それは、時に、基づいて いるからです - 時の持続に、です。 私は今すぐ、時の問いに、 入るでしょう。 そして、思考は、 制限されています。 記憶なしに、思考は ありません。 ですね? あなたの記憶、憶えているのは、 小さく、制限されています。 あなたは、自分の子ども時代より、物事 すべてを、憶えているかもしれません - そうでないことを、 望みます。 そのとき、あなたの頭脳は、 記憶にすぎません。 ゆえに、それら記憶は、 制限されています。 それで、思考は、間違いなく 制限されています。 それで、それが何をしようとも、 制限されています。 あなたの祈りは、 制限されています。 教会の中の物事すべてと、 それらは、制限されています - 思考により、 組み立てられています。 46:18 ですね? それは、 こうも明白です。 みなさんは、何のために これに、抵抗していますか。 なぜあなたが抵抗しているかは、 存じています - きわめて単純です。 あなたは、怯えています。 それだけです。 あなたは、自分の職を 失うかもしれません。 私たちは先日、或る司祭者に、 話をしていました。 私たちは、良い議論を行っていました。 私たちは、仲良しでした。 そして彼は、こう言いました - 「いいですよ。 私は、あなたに 同意しますが、私は、どうやって、 生きることになりますか」と。 どうぞ、それを 笑わないでください。 私たちのほとんどに とっても、そうです。 どうぞ、このとても単純な ことを、理解してください。 あなたが、何か偽りの ことを、見るとき、 あなたが、思考の 制限された活動と、 それが世界で何をするかを、 見るとき - なぜなら、制限が、あるところ、葛藤が あるにちがいないからです。ですね? 47:42 もし私が、 「私はキリスト教徒だ、 私は仏教徒だ。 私はこれだ。 私はあれだ」と、 反復しつづけるなら、それは、 きわめて制限されています。 その制限こそが、葛藤を もたらすにちがいありません。 葛藤には、明白に、 何も安全が、ありません。 あなたが、葛藤を愛していて、 「いいよ、それは、 自分の存在の一部だ」と 言うのでなければ・ ・・ そのときそれは、何かが・・・あなたの 頭に、穴が開いている、という意味です。
48:22 で、私たちは、この点に 戻ってこなければなりません。 あなたが、偽りを偽りと見て、 偽りを放棄するとき - ただ、「はい、私は偽りが 偽りと見えます」と言って、 ただ留まるだけではない。 あなたが、真実ではなく、 実際でないものを、見るとき - 偽りで、 幻影であるものを、です。 あなたがそれを見るとき、それは、 その幻影が終わることです。 あなたが、それを終わらせようと 結論するだろう、ではない。 事実を 見ることこそが、 事実を見ることこそが、 その幻影を終わらせることです。 で、偽りへ条件づけ られてきた頭脳に、 何が 起きてきたのか - そのとき、それが 壊れるとき、 脳細胞自体に、 変異が、あるのです。 49:30 これをご覧になるのか どうかと、思われます。 理解されますか。 仮に、私は、とても強い習慣を、 持っている、とします。 習慣は、色々な種類です。 「私は信じている」は、 習慣です。 私が拘る結論は、 習慣です。 私たちは、習慣の問いに、 入らないでしょう。 私が習慣を破るとき、 習慣の無益さを 見ることが、あるとき、 それを破ることが、 あります。 そして、頭脳の構造こそに、 変化が、あります。 で、何が 起きたのですか - 私が、偽りであることを、 偽りだと見るとき、です。 そして、それが終わることこそ ですが、何が起きたのですか。 あなたは、そうしていません - 私たちが進んでいくときに、です。 50:39 私たちが進んでいきながら、 友よ、あなたがそうするなら、 そのとき、何が 起きたのですか。 どうぞ、私と議論しないで、 ただ見出してください。 頭脳は、明らかに なりましたか。 それは、偽りである重荷を、 片付けてしまいましたか。 偽りであることを、見る。 見ることが、行為することです。 あなたは、何か危険なものを、 見るとき、行為します。 で、見ることが、 行為です。 さて、見る頭脳に、 何が、起きたのですか。
51:55 私たちは、違ったように、 それに接近しましょう。 私たちのほとんどは、 何かになりたいのです。 物理的な世界で、私たちは、 何かでありたい、 何かになりたいと 思います。 私は、大きな事務所の、 会社の中の、ただの事務員です。 そして、次第に私は 働いて、上がっていきます。 私が良くて、有能であるなら、 私は、課長になります。 課長から、私は、 一歩ずつ昇っていきます - ついに、私は、重役と 社長になるまで、です。 私は、時をとおして、 社長になったのです。 これが、 物理的な過程です。 さて、私たちは、同じ動きを、 心理的領域の中へ、拡張します。 53:03 「私は、これであるが、 私は、あれになるだろう」と。 それは、 同じ動きです。 それは、 異なっていません。 どちらも、時を 必要とします。 なる(ための)時。 ですね? なるとは、何ですか。 私は、物理的な世界では、 理解できます。 私は、もっと多く お金を、稼げます。 もっと良い車、もっと良い住宅、 もっと多くの絵画。 私は、お金を持っているなら、 レンブラントを買うか、 - よろしいですか - 私は もっと、酒を飲みます。 そうね、それの事柄全体、 現代の文化です。 私たちは今、文化の問いに 入ってはなりません。 私たちは、別の時、 そうするでしょう。 私は、そこで 何かになります。 私は、同じ動きを、 拡張します - その同じ動きを、 何かへなることに、です。 54:17 或る日、私は、覚りを 開くだろう。ですね? 覚る。 最高原理、神に、 なる、到る - あなたがそれを、何と呼ぼうと、 です。 正しき振るまいによって、 一歩一歩、また一歩一歩、 私は、何かになるでしょう。 ですね?  それが、 宗教的思考の体系全体ですね。 私は、導師へ 行きます。 ばかな導師が、私に 教えてくれます。 私は、いつの日か、 彼のように、なるでしょう。 それは、権力という意味です。 私は、弟子を持つでしょう。
55:03 で、よく気をつけて、これらに 付いてきてください。 私は、友に 語っています。 で、なっていきつつあるのは、 何ですか。 私が、心理的に、 こう言うとき - 「私は次第に、覚りを 経験するだろう。 次第に、それを築き上げるだろう」と、 です。 それは、どういう意味ですか。 なっていくことが、 ありますか。 それを 問うてください。 私は心理的に、何かに なるべきだ、ではなく、 私たちは、問わなければ なりません。 何か、なるものが、 ありますか。 私自身、私の経験、 私の記憶、 私があるべきものについての 私の投影 - それは、私が これらのために、時を 持たなければならない、という 意味です。 理解されますか。 で、人は、言ってきました - 賢明になる、 覚りを開く、なる・ ・・ それらですが、 それは過程である、と。 ですね? 私たちは、正反対のことを、 言っています。 56:34 私は、友に言っています - それは、戯言に聞こえます。 そうね、仏教の概念全体です。 仏教を、ご存じないでしょう。 構いません。 私は それに、入るでしょう。 ブッダは、一連のことを、 経てゆき、 ついに究極的に、彼は 覚りを開きました。 私はそれを 問います。 覚り、理解、知覚は、時の 事柄ですか。 理解されますか。 時とは、何ですか。 時は、動きです。 ですね? ここから、あなたの家へ 行くための時 - あなたの山荘へ、あなたのフラットへ。 それが何であっても、です。 モンテレーやローザンヌへ行くため、 または、どこであっても、です。 それは、時の中の動きです - 距離を行くための、ですね。 あなたは、物理的な時を、 持たなくてはいけません - ここから、あなたの家へ 行くには、です。 57:47 それは、時です。 何かになることは、 時を必要とします。 あなたは、自分自身のために 目標を、立ててきました。 物理的な世界で、あなたは、自分自身の ために、目標を立ててきました - 課長になる ように、です。 あなたは、時を 必要とします。 またあなたは、何かになる 目標を、立ててきました。 ですね? 非暴力的になる、と。 それを例に 取りましょう。 ですね? あなたは、暴力的です。 私の友と私、私たちは、こう言っています - 私たちはどちらも、そうしています。 おそらく、あなたはそうでないが、私は そうかもしれません。 私たちは暴力的です。 暴力から自由になるには、 時が、掛かります。 非暴力的になるには、時が、 掛かります。 ですね? 私たちは、それを 問うています。 それを疑っています。 よろしいですか。 非暴力的になる、との この観念全体を、 あなたは 疑わなくてはいけません。 インドでは、それが、大変 多く、説教されてきました。 59:23 事実は、暴力です。 ですね? 私は、怒っている。 私は、嫉妬している。 私は、激怒している。 私は、誰かを憎んでいる。 私は、もっと権力のある 誰かに、なりたい。 それは、事実です。 が、非暴力は、 非事実です。 で、私は、何を していますか。 非事実を、追求し、 養成しています。 非事実を達成するには、 時が、必要とされます。 それの不条理を、 見てください。 何百万に何百万の人が、 これを、信じています。 彼らは、こうも強力であるから - 何百万もの人です - 彼らは、政治家すべてを 選挙します。
1:00:23 で、戻ってきましょう。 で、事実は、私が 暴力的であることです。 が、非事実を達成するには、 時が、必要とされます。 で、暴力に留まることに、 時は、要りません。 暴力の本性、構造と因果を、 理解するには、 観察するには、知覚するには、 時は、要りません。 それは、 事実であるからです。 私が気をつけて、 それを見つめるなら、 それは、全部を 開示するでしょう。 が、私は、非暴力を追求している なら、観察していません。 ですね? で、どうぞ、何かを 理解してください。 知覚は、時を 必要としません。 お示ししましょう。 私は暴力的です。 私は、友に言います 「仮に、私は本当に暴力的である、 としましょう」と。 1:01:31 彼は、こう言います - 「あなたの その言葉は、どういう意味ですか。 あなたは、物理的に 暴力的ではありません。 私は、これらすべての年に、あなたが 誰かを叩くのを、見たことがありません。 私は、あなたが怒ったのを、 見たことがありませんが、 あなたは、 暴力的な人です」と。 彼は言います - 「暴力的であるとは、 どういう意味かを、私に 語ってください」と。 私に矛盾があるときだけ、 暴力は、存在できます。 どうぞ、これらを 理解してください - 二つの分離した活動、 互いに矛盾し合ったものが、 あるとき、です。 理解されますか。 私は、一つのことを、言い、 別のことを、します。 一つのことを考え、事実より 全然違った行為を、します。 それは、矛盾です。 1:02:34 それは、対極を 創り出します。 で、彼は私に、語ります - 「ほら、 あなたは、何かを発見したよ。 矛盾、対極が あるところ、 葛藤があるに ちがいない、と。 その葛藤は、暴力を 表示します。 暴力 - 私は、暴力のもっと 詳細には、入らないでしょう。 それは、 模倣、順応です。 比較は、本質的に 暴力です。 ですね? 私が、自分自身を、はるかに 利発なあなたと、比較するとき - はるかにこれと、 はるかにあれです - 私は、あなたを 妬んでいます。 私は、あなたに 敵対的です。 私は、あなたに 嫉妬しています。 嫉妬、順応、敵対は、 暴力です。 なぜなら、それは、 明らかであるからです - 私が、非実在、非暴力を 片付けてしまったとき、 私は、これが、きわめて 明らかに見えます - 暴力の暗示、 複雑さのすべてが、です。 1:03:50 これの知覚が あるとき、 それの終わりが、 あります。 その暴力は、私より 分離していません。 理解されますか。 私は、これに 入らなければなりませんか。
1:04:12 あなたが怒っているとき、怒りは、 あなたより、異なっていますか。 あなたが、性的に 興奮しているとき、 その興奮は、あなたより 異なっていますか。 で、暴力、比較は、あなたより 異なっていますか。 または、あなたは、 それらですか。 私の友は、子ども時代より、 比較するよう、訓練されてきました。 彼は、自分の学校へ 行きます。 そこで、彼は、点数を 付けられます - 比較する。 その過程をとおして ずっと、大学まで - 彼が運が良いなら、または、 運が悪いなら、です - そのとき彼は、就職します。 彼はやはり、比較しています。 戦い、格闘しています。 ですね? 1:05:24 そのすべては、一つの形の暴力 であると、私たちは言います - もちろんです。 攻撃などです。 さて、 それの事実を見て、 暴力の非事実、すなわち 非暴力を、ではありません。 が、私が暴力的 であるとの事実、です。 暴力の全部を、見る。 私は、それを 見られるだけです・ ・・ それの知覚が、 あります - 非事実が、完全に 片付けられるときだけ、です。 どの種類でも非暴力の 追求が、ないとき、 私の注意全体、 注意全体は、 事実に対して、です。 そのとき、事実は、 動きます。 それが何であるかを、 開示します。示します。 1:06:31 その知覚こそが、 それが終わることです。 なぜなら、葛藤が ないからです - 私より分離している 暴力として、です。 暴力は、私です - 怒りとして、 あなたの反応として、です。 あなたが、お腹が痛かったり、 歯が痛かったり、 頭が痛かったりするとき、 それが、あなたであるように、です。 あなたは、それらより 分離していません。 分離が、あるところ、葛藤が、 あるにちがいありません - アラブ人、ユダヤ人、 ヒンドゥー教徒、仏教徒として、です。
1:07:15 で、智恵にのみ、 安全があります。 私たちは、智恵が何であるかの 問いに、入らないでしょう - 私たちの時間は、 切れたからです。 それは偽りであると言うのは、 智恵です。 ですね? なぜなら、あなたは、それを検討 してきたし、それを見つめてきたし、 それを疑ってきたし、 それを問うてきたからです。 が、あなたが、「私は、偽りを真理 として受け入れる」と、言うなら、 あなたに、智恵は ありません。 ですが、あなたが、 物事の偽りを、見つめて、 偽りが偽りと 明らかに見えた瞬間、 その知覚が、智恵の 始まりです。 ですね? さて、その智恵へ 深遠に入ること - 私たちは進みながら、そうする でしょう - それが、安全です。 その種類の智恵が、 至高の安全です。
1:09:02 私たちがまだ、友だちに 留まっていることを、望みます。
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