Krishnamurti Subtitles
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SA84Q1 - 第1回質疑応答集会
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| 0:15 たくさんの質問が、ありました。 たぶん、二百以上ほど、です。 それらの中から、これらの 質問の幾つかが、選ばれました。 私は前に、それらを 見ていません。 私たちは本当に、何に興味が あるのかと、思われます - 私たちの一人一人が、です。 たぶん、健康、 たぶんあなたが、かなり年老いて、 墓に片足を入れているなら、 死の恐れ、 また、私たちがきわめて 若いとき、セックス、 あなたは、仕事を、 天職を持たないなら - それは、ますます 模倣になりつつありますが - 私たちは、何に、本当に 深遠な興味を持っていますか - そのために、あなたが進んで、 大変多く自らのエネルギー、 活力と真摯な意図を、 注ごうとしているもの、です。 |
| 1:57 私たちは、生の中で、 何かきわめて真剣なことを、 実行するか、追求する中で、 どれほど、行くのでしょうか。 |
| 2:17 私たちはみんな、きわめて 表面的になりつつありますか。 真剣で多くを要求する質問を、 けっしてしないで、です - 世界全体が、いったい どうであるのか、 私たちは、なぜ 今のように、振るまうのか、 なぜ世界に、 平和がないのか、と。 私たちはきっと、 これらすべての質問を、 たぶん自分自身にしたことが ある、と思います。 私たちは、それらへ 答えを見つけません。 または、私たちは 見つけるなら、 何か教説、何か哲学に沿って、 体系の或る種の受け入れ、です。 これらを別として、 自らは本当に、何に 興味を持っていますか。 3:41 私たちが、自分自身に その質問をするなら、 あなたはいったい、 絶対的な答えを、見つけますか。 または、それは すべて、相対的ですか。 自分が不幸せであるなら、 幸せになりたいと思います。 物理的、生物学的に、 不安全。 そのとき、一つの形の安全を、 探し求めます。 そして、階級差別との 闘いです。 世の中で進んでいるそのこと すべてを、ご存じです。 これらへの、 私たちの答えは、何ですか - きわめて多くを要求する これらの問題へ、です。 |
| 4:48 あなたはいったい、一つのことに拘って、 それを最後まで追求しますか。 私たちは、先日、 健康について、話をしました。 それは当然、とても重要です。 自らが、若いときから、 濫用してきたなら、 身体は、どうして 健康でいられますか - アルコール、タバコ、薬物。 健康の医学的な過程全体は、 ご存じです - 身体を健康的に保つ。 または、あなたは、 或る種の体操をします。 10マイルか、5マイルの間、 ジョギングをしていきます。 または、或る種の ヨーガをします。 私は、その言葉を 使っていいですか。 そして、ヨーガに、 かなり熱狂します。 6:08 かつて、インドで、 ヨーガは、きわめて、きわめて わずかな人にのみ、教えられました。 それは、お金儲けの 関心事ではありませんでした。 今、それは、大きな ビジネスになったのです。 私がこれらをお話するのを、 気になさらないことを、望みます。 そして、自分の健康に、 関心を持っています。 私は、自己がないとき、 健康は来る、と思います - 自我が、ものすごく 活動的でないとき、です。 それは、美しさに 似ています - 自己がないとき、 美しさがある。 自己が、その自己中心的な 活動とともに、ないとき、 大きな良い健康が、 あります。 |
| 7:26 また、私たちは、きわめて多くの 心理的な問題を、持っています - 物理的な問題を別として、です。 私たちは、生活するための 家を、持っていません。 町や、大都市で、(集合住宅の) フラットに、生活するだけです。 いわば、引き出しの中で、 生活します。 それもまた、身体に、大きな緊張を 掛けている、などです。 これらすべての 経済的な問題は、 本当に世界を 荒廃させています。 各国が、自分の経済問題に、 関心を持っています - 自分の安全、軍備、 その他すべてに、です。 各国がどうして、残りの人類より、 分離できますか。 人類は今・・・人口は、 百万ごとに、増加しています。 8:47 インドでは、毎年、千五百万の 人々が、生まれています。 それは、オランダと オーストリアの人口です。 千五百万の人々が、 失業し、貧困です。 これらを理解されますか。 確かに、これらすべての問題 - 階級闘争、イデオロギー闘争 - は、 私たちがみんな、本当に文明開化 するとき、終わりうるだけです。 すなわち、私たちは、国のどの 部分にも、執着していないとき、 私たちが、民族的に、宗教的に 分割されていなくて、 全世界を、私たちの世界として、 取り扱うとき、です。 そのとき、障壁は、 ないでしょう。 9:57 きっとそうだと思います。私たちは、 科学者の何人かへ、話してきましたが、 人類の全体が、適切に食べられ、 住居をもち、衣服を着られる、 その他すべてです - もし私たちが、戦争を、恐ろしい 兵器すべてを、廃止できるなら、です。 ですが、残念ながら、私たちは、 文明開化していないと、思います。 私たちは、あまりに野蛮です。 で、問題のどの一つも、 物理的な問題も、 けっして 解決されつつないのです。 |
| 10:36 そして、問いが生じます。 世界に、半ダースの 人々が、いるなら - 本当に自己を超越し、 乗り越えてしまった人が、です - それは、最高の形の 文明、文化です。 彼らは、残りの人類に対して、どんな 効果を、持つのでしょうか。 ですね? これは、何度も何度も、 訊ねられてきた疑問です。 あなたは、おそらく、 根本的に、根源的に変化し、 人類の痴呆すべてより 全く自由である - それは、残りの人類に、 どんな効果を、持つのでしょうか。 いわゆる、大衆に、です。 それは、何か効果を 持つのでしょうか。 あなたは、これらすべての 質問を、しませんか。 |
| 11:49 それはどんな効果を持つだろうかと、 訊ねるのは、正しい疑問でしょうか。 私たちは、効果のために、 変化しつつありますか。 または、私たちは、深く、 深遠に変化しつつありますか。 まさにそのもの、それ自体のため、 それ自体の美しさのため、 それ自体の強さのため、 愛と慈悲とそれらのため、ですか。 私たちが、そうであるなら - おそらく、世界の半ダースか、 1ダースの人々が、です - 確かにそれは、人類の意識全体に、 影響するでしょう。 ナポレオンが、世界の全体に 影響した、などのように、です。 そして、宗教的な教師たちは - 真の宗教的な教師、です。 まがいものではない - 人類の意識に、 影響してきました。 12:57 私たちは、自分自身に、 「私が変化するなら、それはどう、 私の隣人に、大衆の人々に 影響するのだろうか」と言うとき、 これらを、 気に留めておくべきです。 私は、それは、問いへの 間違った接近であると、思います。 自分は愛しています - 何かのせいではない。 自分が、世界や隣人に 影響しようとしているからではない。 その香りの性質こそ、 それの深さと、それの美しさが、 それ自らの結果を、 持つでしょう - 一人一人が、結果を ほしがらないで、です。 |
| 13:49 で、私たちは、これらの問いに、 取り組んだほうがいい。 今朝、それらが 七つ、あります。 私たちが、それらのすべてに 答えられるのかどうか、私は知りません。 なぜ私たちは、 質問をしますか。 私たちは、そうすべきですが、 誰に対して、あなたは これらの質問を、していますか。 私は知っています・ ・・ つまり、語り手は、知っています。 なぜなら、彼は世界中より、たくさんの 手紙を、受け取ってきたからです。 彼らは、誰かに話したいのです。 彼らは、自分の妻や夫に、 話せません - または、自分の 親しい誰かに、です。 が、彼らは、誰かに 話をしたい - 自分たちの問題、自分たちの職、 自分たちのけんかと、 生を全く悲惨にすること すべてについて、です。 15:04 で、手紙を書きます - 長い手紙を、です。 あなたが、語り手に手紙を書く べきでない、ということではなく、 ともに話し合うことは、 可能でないので - 私たちの一人一人が、 個別に、です - 私たちは、自分を助けてもらうよう 他の一人を頼れませんが、 その強さ、その性質を 持てます - 私たち自身の問題を 解消するそれを、です。 誰かへ話をするのが、すてきで あることを、私は知っています - 自らの痛み、自らの憂鬱、 自らの心配、自らの野心について、 語ることが、です。 その話の中、その会話の中で、 それは、自分を 助けてくれるかもしれません。 私たちは、質問をするとき、 どのように、問いに 接近しますか。 私たちが自分自身で 訊ねる問いに、だけではなく、 またあなたは、これらの質問をするなら、 どのように、問いに接近しますか。 16:46 あなたは、どのように 問題に接近しますか。 「接近」という言葉は、きわめて 近くに来る、という意味です - 問いへ、問題へ、 可能なかぎり、近くに来る。 どんなさまで 私たちは、接近しますか。 あなたは、英語のその言葉の 意味を、理解されますか。 きわめて近くに来る。 私は、あなたに接近する。 私たちは、どのように これらの問いに、接近しますか。 語り手に出されてきた 問いだけではなく、 また、私たちが持つ、 どの問題、どの問いにも、です。 私たちは、それに どのように、近づきますか。 私たちは初めに、問題の解決に、 関心を持っていますか。 17:51 質問を理解されますか。 仮に、私は問題を 持っている、とします。 私の関心事は、そのとき、問題への 解決を、見つけることです。 ですね? ですが、解決は、問い自体に、 潜んでいるかもしれません。 理解されますか。 私たちは、これに入るでしょう。 |
| 18:28 私たちは、かりそめに、ためらいつつ、 問題に接近すべきでないですか。 あなたは、動機を 持っているなら、 動機が、問題を、 方向づけます。 明らかですか。 いいですか。 これは、明らかですか。 私たちはともに、これについて 議論しています - その問い、その問いへ どう接近するのか、です。 私たちは、初めに、動機なく、 それに接近できるのでしょうか。 なぜなら、あなたは 動機を持っているなら、 それはすでに、問題への 方向を、定めたからです。 ですね? 理解されますか。 それは明らかでしょう。 私たちは、どの種の方向づけをも 持っているなら - それは解決ですが - そのとき私たちは、すでに それを制限したのです。 ですね? で、私たちは、動機なく、問題に 接近できるでしょうか - それへの解決を探し求めたり、 19:43 自分の楽しみと痛みに応じて、問題が 解決されるのを、望んだりせずに、です。 私たちは、何の反応もなく、 問題に、接近できるでしょうか。 それは、きわめて 困難になろうとしています。 なぜなら、私たちは、問題を持つとき、 それへ即座に反応するからです。 ですね? で、私たちは、隔たりを 持てるでしょうか - 何の動機、何の方向づけも、 好きや嫌いを、持たない感覚を、です。 そのとき、あなたは、問題を 見つめられますね。 ですね? 自分の願い、自分の欲望を 投影するのではない。 ですね? そのとき、あなたは、 問題を見つめられます。 問題を研究でき、 問題に入られます。 そして、問題を理解する中で、 解決は、そこにある。 問題の外側に、ではない。ですね? 20:52 私は、私たちは、これについて、 政治家の幾人かに、話しました。 私は、彼らが最も そうしない人々であるのを、 知っていますが、 私たちは、彼らに話しました。 彼らは、これらはあまりに 長く掛かりすぎると、言いました。 「私たちは、自らの問題を、即時に 解消しなくてはいけません。 なぜなら、彼らは飢えていて、 テロリストなどである人々が、 いるからです」と。 彼らは、けっして、 物事の原因へ、行きません。 理解されますか。 彼らは、すばやいのを、望みます。 私たちの みんなが、そうです。政治家だけではない。 私たちのみんなが、すばやい、即時の、 便利な答えを、ほしがります。 頭痛があるなら、ほとんどの人々が、 見たところ、そうであるように、 私たちは、なぜそれが生ずるか、その原因が 何であるかを、けっして見出しません。 私たちがすることは、すばやく 錠剤を飲むことです。 ですが、原因は、 そこにある。 22:02 で、原因を究明し、 きわめて深く、それに入るには、 すべての時、反応していない 頭脳が、必要とされます - 防衛し、攻撃し、侵略的でないのが、 です。 よろしいですか。 それは、柔軟性、すばやさの性質を、 持たなければなりませんが、 すばやさは、辛抱があるとき、 来るのです。 辛抱は、時ではない。 辛抱は、見ていて、眺めている 頭脳の性質です。 これらがお分かりになるのか どうかと、思われます。いいですか? |
| 22:46 で、ここに、幾つか 質問が、あります。 幾人かの友人が、 これらの質問を、選びました。 彼らは、私に、質問すべてを 見せてくれましたが、 彼らが、これらを選びました。 私は、それらを見ていません。 また、あなたたちも、 それらを見ていません。 ですね? で、私たちのどちらも、それに 接近しましょう - 動機なく、 どの種の反応も、 好きや嫌いもなく、 初めに、問いを、 ただ聞きましょう。 それで、あなたの答えか、 むしろ、解決が、真実であって、 ただの夢想や、想像力豊かで、幻影だけ ではないように、です。 いいですか? で、あなたと語り手は、 ためらいつつ、 この問いへ、 接近しようとしています - 何の動機もなく、 何の反応もなく、ですね。 |
| 24:13 質問1: 私たちは、どうやって 違いを、言い当てますか - 私たち自身を観察すること - あなたが言いたい意味での - と、 単に、私たち自身について 考えることとの間で、です。 |
| 24:29 私たちは、どうやって 違いを、言い当てますか - 私たち自身を観察すること - あなたが言いたい意味での - と、 単に、私たち自身について 考えることとの間で、ですね。 |
| 24:51 あなたは、答えを 持っていますか。 私たち自身について考えることと、 私たち自身を観察すること。 この質問によれば、それらは、 二つの違ったことです。 自分自身について考える。 私たちはみんな、そうします - 私は前進している。 私は、昨日より良い。 私は、自分の問題を持っている - それは、考えることです。 私は、もっと良い食べ物、良い衣服、 良い住居を持っていたらと、願うとか、 私は、もっとセックスをしたならと、願う - よろしいですか。 もっとお金を、と。 いつの時も、自分自身について考える - 私たちのほとんどは、そうします。 きびしい修道士、僧侶さえも、自分自身に ついて考えるのです - ですね? ただ、神の名において、です。 いいですか? そして、質問者は、 こう言います - それ - 自分自身について 考えること - と、 自分自身を観察することの間の、 違いは、何ですか。 いいですか? いいですか。それが、疑問です。 |
| 26:20 さて、私たちは、自分自身について考えるとは、どういう意味かを、知っていますね? それは本当に、ぐるぐると 円周を回ることです。 自己、自我を拡張するのか、あるいは、 自己を収縮させるのか、ですね? 私は世界である。 私は神である。 私は、もっと親切でなければならない。 私は、愛さなければならない。 私は、もっと智恵を 持たなければならない。 私は、達成するために、 冥想しなければならない - 彼らが、何を 達成したいにしても、です。 で、私たちは、みんな それに捕らわれています。 自分自身を観察することは、 何か全然違ったことです。ですね? |
| 27:21 それから、見出しましょう - 観察するとは、どういう意味ですか。 質問を理解されますか。 私たちは、ここに一緒にいますか。 さあ、みなさん! |
| 27:39 まず第一に、私たちは、 言葉なしに、何かを観察しますか。 私たちは、山を観察し、 それを山と呼ばないのですか。 私たちは、雲に照る夕日を、 観察しますか - そのとてつもない色、美しさと、 何か無量のものを、もっていますが、 私たちは、それらの雲と山を、 見つめられますか - 唯一つの言葉をも 使うことなしに、です。 私たちは、それを できますか。 質問を理解されますか。 麻痺したようすを しないでください。 すなわち、私たちは、何かを 客観的に見つめられますか - 樹々、自然、水面、 空と、夕べの星と、 朝の静寂、 私たちがそこに生きる、このとてつも ない世界、自然の世界を、です。 私たちは、唯一つの言葉もなく、 何かを、見つめられますか。 それを見出すには、私たちは、見つけ、 問いに、入らなくてはいけません - なぜ頭脳は、言葉のネットワークに 捕らわれているのか、です。 質問を理解されますか。 私たちは、一緒にここにいますか。 |
| 29:47 私たちは、訊ねています - 私たちは、何かを見つめられますか。 自分の妻、夫、娘、 政治家、様々な導師と、司祭者と、 宗教の名で進んでいるサーカス すべてを、含めて、 私たちは初めに、そのすべてを、 反応なく、見つめられますか。 それから、私たちはそれらを 見つめられるかを、見出してください - 言葉のネットワークが、私たちの 観察に介入することなしに、です。 私たちは、それをできますか。 あなたはいったい、それを 試したことが、ありますか。 自分の妻や夫を見つめるとき、 あなたは、彼女や彼を、イメージ すべてなしに、見つめられますか - あなたが彼女や彼について、 蓄積してきた物事すべてなしに、 ただ見つめられますか。 31:00 あなたは、それができますか。 あなたたちは、 並外れて静寂です - 私が、夫と妻と、彼女と彼氏に ついて、話をするとき、です。 で、見出さなくては いけません - なぜ頭脳は、こんなに言葉に、 捕らわれているのか、です。 あなたが、彼は共産主義者や 全体主義者である、と言うとき、 あなたは、それを 拭い去ってしまいました。 ですね? あなたは、彼を、範疇の中、 籠の中へ、入れてしまいました。 それで、 それは終わりです。 または、 彼はイギリス人だ、とか、 彼はフランス人だとか、彼はインド人だとか、 彼は、これやあれであるとか、です。 私たちの頭脳に、何が 起きつつあるかを、見てください。 言語的に、頭脳は、言葉でもって 捕らわれてきました - 言葉の意義と深さではなくて、 ただその言葉に、です。 32:28 これは、気をつけた見守りを、 必要とします。 見守ることは、 観察することです。 今朝、風船が、上がって 行きつつありました。 あなたたちはみんな、それを 見たにちがいありません。 あなたは、見守りました - きわめてゆっくりと、それが、 上へ、上へ上がっていくのを、です。 ゴンドラが、吊り下げられていて、 あなたは、全部が見えました。 そのとき、あなたは、「おやまあ、私は あそこにいたら、よかったのに」と 言うかもしれません。 または、あなたは自分自身に、 「何と危険な」などと、言います。 私たちはけっして、何をも見つめません。 言葉なしに、反応なしに、見つめる。 |
| 33:21 今、あなたたちは みんな、そこに座っています。 あなたは、不幸にも、 語り手を見ています。 あなたはすでに、彼を 範疇の中へ、入れたのです。 あなたはすでに、彼について イメージを、持っています。 あなたはすでに、彼はこれである、彼は あれであるとか、彼は或る種の白痴である、 と言います - または、彼について、 何でも言いたいことを、です。 で、あなたは、けっして・ ・・ (列車の機関士)彼は、汽笛を 鳴らすのを、忘れてしまいました! で、あなたはけっして、まるで 初めてかのように、彼を見つめません。 理解されますか。 あなたはかつて、この種のことを、 したことが、ありますか。 ただ一分間や、一時間や、 一日間だけではなく、 精神、頭脳の新鮮さ - 理解されますか - 言葉、反応に 捕らわれていないそれ、です。 あらゆる物事を、 見つめてください - まるで初めて、世界を 見つめているかのように、です。 34:59 その観察は、自分自身を 見守ることです - けっして、唯一つの思考も、 逃れるのを、許さない - それを見守ること、 それに気づくことなしに、です。 あなたの注意全体を、 あの一つの思考に、注ぐ。 そのとき、もう一つの思考、です - それを続けてください。 それで、あなたの頭脳は、 ものすごく注意深いのです。 理解されますか。 それで、見守ることは、 自我中心的な動きではありません。 ところが、あなた自身について考えることは 自我本位の、自己中心的な活動です。 それは、明らかでしょう。 |
| 35:57 さて、ちょっと 待ってください。 私たちはどのように、 これからあれへ、動きますか。 いいですか? あなたは、 当然、訊ねています。 あなたは、その質問を しなければなりません。 または、私が質問をしていて、 あなたは、それを受け入れていますか。 理解されますか。 仮に、自分は自己中心的である。 私は、 自己中心的、自我中心的である、とします。 私の見通しすべてが、個人的です - 私は愛されていない。 私は、愛さなければならない、と。 そうね、進んでいるその種の騒動、 ばからしさです。 私はあれだ。 自分はあれだ。 そのとき、私はどうやって・ ・・ 他へ動くのは、どのようにですか。 いいですか? あなたが、質問を していますね? 37:06 それは、正しい問いですか。 ここからそこへ動く。 それは、 間違った問いです。明白です。 なぜなら、あなたが ここから、あれへ動くなら、 あれは、これと 同じであるからです。 ヴザヴェ・ コンプリ (理解しましたか)? そうね、動く。 これを理解されますか。 私が、自分は利己的である、と 言うなら、 今、私は、利己的であってはなりません。 私は、観察しなければなりません。 「なければならない」は、やはり、 自分自身について考えるのと、 同じ範疇や同じ動きに、 あります。 ですね? 私たちは、これらに 一緒にいますか。 少なくとも、私たちの幾人かは、 そうであってほしいと、思います。 |
| 38:03 で、そのとき、問いは、 答えられます。 答えは、問いの外側に あるのではない。 答えは、問いにある。 ですね? それは、問い自体を 観察することです - それが何を開示するかを、です。 それは、ものすごく多くを、 開示します。 なぜなら、そうね、観察することは - 私がそれを、違うように表せるなら - 観察すること、知覚することは、 何も時を持ちません。 他は、時に 捕らわれています - 私自身について 考えることが、です。 私は・・・ 私は、或る日、 充足するだろう。 私は今、根を 持っていないが、 私は、いつの時か、 根を確立するだろう。 私は、アイデンティティを 持っていない - よろしいですか。 39:09 それらすべては、 時に縛る性質です。 時に縛る性質は、 本質的に自己です。 あなたが、それらに入りたいのか どうか、私は知りません。 私は、自分が話しながら、これらを 見つけています - ですね? ところが、見守ること - あなたが、あの鳥を見守るなら、 そこには、まったく時がありません。 ただ見守る。 ですね? で、言葉と思考が、 時を創り出します。 私は、それらに入りたくありません。 分かりましたか。 |
| 39:55 質問2: 他の一人との関係には、 記憶があります。 記憶を侵入させない行為は、 何ですか。 それは、それが生ずるままに、 その存在を見て、 即座にそれを落とすことですか。 または、記憶が必要でないのなら、 自らは、それが 頭をもたげない状態に、 いるべきですか。 |
| 40:30 私は、もう一度、質問を、 もっとゆっくり、読みましょう。 他の一人との関係には - どうぞ、私たちは、 問いを聞いています。 あなたの関係に、 反応していません。 あなたの奥さんは、あなたの隣に 座っていますが、反応しないでください。 それは、とても困難です。 へんてこりんな世の中ですよね。 他の一人との関係において 記憶があります。 記憶を侵入させない行為は、 何ですか。 それは、それが生ずるままに、 その存在を見て、 即座にそれを落とすことですか。 または、記憶が 必要でないのなら、自らは、 それが頭をもたげない状態に、 いるべきですか。 42:00 いいですか? 問いは、分かりましたか。 問いは、分かりましたか。 もう一回、それを読みましょうか。 もう一回、それを読んで ほしいですか。 ベネ(よし)。 他の一人との関係には、 記憶があります。 記憶を侵入させない行為は、 何ですか。 それは、それが生ずるままに、 その存在を見て、 即座にそれを 落とすことですか。 または、記憶が 必要でないのなら、自らは、 それが頭をもたげない状態に、 いるべきですか。 |
| 42:57 問いは、何ですか。 問いは、こうです - 私たちの、互いとの関係において - 親密でも、そうでなくても - 記憶がある。 ですね? それは、いつも、そこにある。 なぜなら、その人物とともに、 生きているからです - 料理、セックス、皿洗い。 語り手は、たくさん、 皿洗いをしてきました。 彼は、どこに行っても、 皿洗いをします! インド以外では、です。そこでは、 それを許してもらえません。 |
| 44:04 さて、私たちの、他の一人との 関係において、実際の状態は、 記憶の活動です。 それへの論駁は、 ありえません。 そのとおりです。 ですね? みなさんは、それに 同意されますか。 いいえ? あなたは、はっきりしません。 私たちの関係は、認識、言葉に 基づいていませんか - 私の妻、私の夫、と。 今朝、彼女が言ったこと、 彼は不機嫌だった。 あなたは、新聞を見ただけで、 けっして、私を見なかった。 彼の自分の職への関心、など。 それが、作動中の記憶です。 誰も、それを拒否できません。 行為とは何ですか、と 質問者は、訊ねます - 記憶を侵入させない行為、です。 45:40 記憶は、そこにある。 ですね? それは、記憶が侵入する、という 問いではありません。 ですね? その問いは、間違って 表されています。 すなわち、別の結論が、 あるのです - 記憶は、関係に侵入すべきではない、と。 よろしいですか。 あなたはすでに、 その結論に、到っています - 語り手に聞いて、 「ええ、まったくそうだ。 記憶は侵入すべきでない」と 言うことからです。 そのとき、あなたは、私に 言います、その質問をします - 「それはどうやって可能ですか」と。 あなたは、間違った問いを、出したのです。 そのとき、あなたは それに、間違って答えます。 ですね? それを 明らかにしましょう。 |
| 46:40 私たちは、記憶とともに 生きます - 私たちの、他の一人との 親密な関係に関して、だけではなく、 また、長い記憶の連続、 すなわち、私たちが、時をとおして 蓄積してきたもの、です。 人種的な記憶、言語的な記憶、 社会的な記憶、 法制的な記憶、 読書をしてきた記憶。 子ども時代からの、 この記憶の蓄積全体と、 人種的な記憶 - すなわち、私たちに 刻印されてきたものなど、です。 で、私たちは、記憶を 持っています。 私たちは記憶です。 ですね? はっきりしてください。 この点を、はっきりしてください。 私たちは、 過去と現在の記憶です。 また、未来の記憶です - 何か、カタルシス(浄化)や、 危機などが、 起こらないのなら、です。 48:02 で、過去、現在と未来の記憶が、 私たちなるものです。 伝統的に、宗教的に、 社会的に、など、 階級、経済。 私は、それらに入って、何度も 何度も反復しないでしょう。 で、私たちは、記憶です。 彼女は、その記憶に 付け加えます。 または、彼は、その記憶に 付け加えます。 で、私たちは、いつの時も、 記憶を蓄積しています。 その記憶が侵入するのではない。 ですね? あなたが、記憶は 侵入すべきでない、と言うとき、 それは、別の形の記憶です。 タンピ(まあ、いいか)、 私たちは理解しましたか。 なぜなら、あなたは、語り手が 言うのを、聞いてきたからです - 関係において、 知識は危険である。 知識は障害である、と。 それを あなたは、受け入れてきたのです。 または、あなたはそれが、分かります。 そして、あなたは、こう言います - 「さて、私はどのように、その記憶が 侵入するのを、防止すべきか」と。 49:28 ですが、あなたは、 記憶の束です。 あなたは、自分の妻や夫との あの特定の記憶に、 侵入してほしくないのです。 そこで、あなたは、 良い関係がほしい。 が、他のところでは、 構わない。いいですか? |
| 50:01 質問者は、訊ねます - それは、それが存在すること、すなわち、記憶が生じているのを、見ることですか。 そして、それが生ずるままに、 それを即座に落とす。 関係において、です。 理解されますか。 あなたは、理解されましたか。 さあ、みなさん! 誰かが、はいか、いいえを言います - あなたは、理解するのかしないのかを、です。 または、記憶が、 必要でないなら、 それが頭をもたげない状態に、 いるべきですか。 それは、とても錯綜した 問いです。 ですね? そして、錯綜した頭脳を、 必要としません。 きわめて単純な頭脳が これを観察できます。 私は一分で、それを お示ししましょう。 |
| 51:12 私は記憶ですし、あなたもそうです - 記憶の束です。 たとえ、あなたが、私の中に神が いる、光が、霊性の感覚がある、 と言うとしても、 それはやはり、記憶です。 で、私は、 自我、「私」の構造全体です。 私の知識すべては、記憶です。 さて、私は、妻や夫や 子どもたちや隣人との関係に、 これらの記憶が、 いつも含まれているのが、 分かります。 妻の記憶 - 彼女が、何か嫌味なことを 言ったり、私をいじめたり、 何か気持ちよいことや、わくわくする ことを、言ったりしたこと - それはやはり・・・私は、その記憶を 集めてきたのです。ですね? 52:12 で、問いは、こうです - これらに付いてきておられますか - 問いは、こうです - なぜ頭脳は、これらすべての 記憶を、保持しますか。 ですね? あなたは、その質問をなさるの でしょうか。 よろしいですか。 なぜ頭脳は、彼女が私に語ってきた 何か気持ちいいことを、保持しますか。 そして、彼女が昨日言った何か気持ち よくないこと - それもまた、記録されます。 気持ちいいのも、 よくないのも、記録されます。 それが、記憶になります。 ですね? なぜ頭脳は、記録しますか。 それが問いです。 理解されますか。 |
| 53:10 四十年前に、戦争がありました - 四十年近く前に、です。 彼らは、それについて、本を書きます。 彼らは、それについて、話しています。 彼らはテレビで、戦争について、 様々な興奮する場面を、 様々な破壊兵器を、 映します。 そうね、保っておく。 いつの時も、 これを、つづけておく。なぜですか。 理解されますか。 私たちは、それに入るでしょう。 |
| 53:41 で、私たちは、はるかに深刻な 根源的な質問を、しています - なぜ頭脳は、あらゆる物事を、 記録しますか。 なぜそれは、気持ちよくないことと、 気持ちよいことを、記録すべきですか。 それは、常に記録する状態に、 あります。 ですね? 私たちは、これに同意ですか。 これは、事実です。 語り手の創案ではありません。 さて、問いは、 こうです - どう車を運転するのかを、記録 することは、必要です。 ですね? どう手紙を書くのか、 道具使いが巧みであること、 車の解体と組み立ての 知識を持つこと - それを、語り手は、 したことがあります。 で、そこでは、 それが必要です。 ですね? さて、なぜそれは、心理的に、 内的に、記録しますか。 あなたは、その問いが、分かりましたか。 私たちは、この質問をしています。 55:00 気持ちいいこと、 気持ちよくないこと、 お世辞、侮辱を、 記録することは、必要ですか - そうね、その他すべての 感覚を、です。 それは、必要ですか。 または、心理的な記録は、 強さを与え、自我、「私」、人格を 築き上げます。 理解されますか。 それを見てください。 記録することは、必要です。 さもないと、私たちは、物理的な世界で 何をも、できないでしょう。 あなたは、ビジネスマンであるなら、 かなり多くを、知らなくてはいけません。 あなたは、銀行家であるなら、大変 多くを、知らなくてはいけません。 あなたは、外科医や医師、 眼の専門医 - よろしいですか。 または、コンピューターの 設計者であるなら、 あなたは、大変多く 知らなければなりません。 そこでは、それが、 絶対的に必要です - ですね? |
| 56:17 さて、私たちは、内的に、いわば、 肌の内側で、訊ねています - すなわち、心理(サイキ)、 心理的な区域です - なぜそこに、記録が あるべきでしょうか。 それは、外の物理的な必要の、 心理的な必要への、拡張ですか。 それは、その拡張ですか。 それは、その拡張ですか。 理解されますか。 それは、必要な外の知識の 継続であり、 私たちは、心理的にもまた、 それは必要である、と言いますか。 私たちは、けっして それを問いません。 私が言っていることを、 理解されますか。 私たちは、幾らか ここで一緒にいますか。 確かに、あなたは、 麻痺していないでしょう。 で、どうぞ、私は、あなたを 催眠に掛けていません。 |
| 57:38 で、私たちは、記録過程 全体を、問うています。 私は、 彼女が今朝、言ったことは、 重要でない、 それは必要でないことが、 分かるとき - 彼女は明日、何か違ったことを 言うでしょう。 私は彼女へ、何かを言うでしょう - 何か全然違ったことを。 ですね? 私たちは どちらも、このゲームをします。 それは、何が大事なのですか。 それは必要ですか。 それは、私が彼女について イメージを築きつつある、 彼女は、私についてイメージを、私について映像を、築きつつある、という意味です。 映像、イメージ、象徴は、 とても強くなります。ですね? 58:48 これらは、ご存じでしょう。 それは、ものすごく 強くなります。 ゆえに、私は、「彼女は、 あのようだ」と言います。 そして、彼女は、 「私は、あのようだ」と言います。 そして、私たちは、離れています - おそらく、ベッド以外は、です。 分割は、もっと広く、 広く、広く成長します。 私が別れるか、彼女が別れる。 私は、別の女を追求し、 そこで、再び、 古い同じゲームを、始めます。 彼女は、まさに同じことを、 します。 ですね? あなたは、これらに同意しますか - 多くの結婚をした人々は。 |
| 59:39 で、これが、進んでいます。 私たちは、こう 言っています - 問いを検討する中で、 回避不可能な問いが、生じます。 心理的に、記録しないことは、 可能ですか。 それは、どういう意味ですか。 これは、起こりえますか。 この機械的な過程は・ ・・ それは、機械的な過程です。 頭脳は、それが 慣習になってきました。 それは、 その伝統の一部です。 それは、それ自体を 自己として維持する その継続の一部です - ですね? で、私たちは、訊ねています - それは可能ですか。 それが絶対的に必要な そこで、記録するが、 心理的に、まったく 記録しないことは、です。 1:00:44 あなたは、これの美しさが 見えませんか。後生です。 それは、こういう意味です - まず第一に、心理的に記録する ことの危険を、見てください。 私は、ヒンドゥー教徒です。 あなたは、キリスト教徒です。 ですね? あなたは、仏教徒や チベット人です。 または、何か、いかれた 小さな導師に、所属しています。 彼は、たくさんのお金、たくさんの 権力、地位を、持つかもしれませんが、 それはやはり、きわめて いかれた小さな事柄です。 で、あなたは、 これらを見ます。 で、私たちは訊ねています - 内的に 記録しないことは、可能ですか。 あなたの答えは、何ですか。 私は、あなたに 質問をしました。 あなたたちは、私に 幾つか質問をしましたが、 私は、あなたに、 質問をしています。 1:01:52 心理的に記録しないことは、 可能ですか。 それは、傷つかないとか、 おだてられない、という意味です。 それは、同じことです。 あなたは、それは可能だと、 言うかもしれません。 または、それは可能でないと、 言うかもしれません。 あなたは、それらのことの どちらかを、言うなら、 自分自身を 妨げています。 ですね? あなたは、「私は、あの山へ 歩いて上がれない」と言うなら、 歩くのを、止めます。 ですが、あなたが、「まあ、私は歩こう。 何が起きるかを見てみよう」と言うなら、 そのとき、全然違った行為が、 起きます。 |
| 1:02:47 で、あなたの答えは、 何ですか。 質問者の答えは、こうです。 |
| 1:03:09 あなたは、何かに 気づいていますか。 このテントの形に 気づき、 このテントに 幾つ区分が、あるのか、 そこの、テントの所有者の 印刷された言葉 - あなたは、これらに 気づいていますか。 その均整、その長さ - 測量するのではなく、 その長さ、です。 あなたは、まわりに座って いる人々に、気づいていますか - 様々な色、顔と顔。 異なった顔、 若い、老いた、白い髪の、 黒い髪など、 あなたは、これらに 気づいていますか。 または、あなたは、 一度も見ていませんか。 1:04:07 あなたは、 気づいていないなら、 あなた自身の反応に、 気づかないかもしれません。 あなた自身の応答に、 気づかないかもしれません。 あなたは、自分の身体に、 気づかないかもしれません。 なぜなら、あなたは、恐ろしく知的であり、 すべてあそこに生きているからです。 または、あなたは、 とてもロマンチックです。 あなたは、これらに気づいていますか - 感傷的だ、執着している、などと、です。 あなたは、気づいているなら - 気づく。 「まあ、私は気づいているが、 あのシャツは好きでない。 それは青すぎる」と 言うのではない。 私は今朝、そう 言われました。 で、私たちは、その意味で、 選択することなく、気づいていますか。 選択なしの気づき。 1:05:16 そのとき、あなたは、 選択なく気づいているなら、 注意しています。 理解されますか。 選択なしの気づきは、 注意を、意味しています。 養成されて、「私は注意しなければ ならない」と言うのではない。 樹々、鳥たちに、気づく - 昇っていく風船、 山々、 雲に照る光、 夕べ、月の光、などに、です。 見守り、見守る。 これらに気づく。 そして、これらへの あなたの反応に、です。 応答しない、 選択しないことによって、です - 「私はこれが好きだ。 私はあれが好きでない。 1:06:07 それは私のだ。それはあなたのだ」と。 よろしいですか。ただ気づく。 この選択なしの気づきから、 注意が、ある - いいですね? あなたの眼でもって、 あなたの耳でもって、 あなたの神経でもって、 あなたの全存在でもって、注意する。 そのとき、彼女が私に、何かを言うとき、 私は、十分に注意しています。 ですね? 彼女は、「あなたは、 けだものだわ」と、言います。 私は注意深いから、反応が ありません。 理解されますか。 反応があるのは、不注意が あるときだけです。分かりますか。 |
| 1:06:51 やれまあ。これらを語るには、 長い時間が、掛かりますね。 それは、分かりましたか。 完全な注意が、あるとき、 記録することが、ありません。 ですが、私はそこで、完全に 注意しなければなりません - 車を運転する中で、私は ものすごく注意深くなければなりません。 そことここに、注意がある - 注意、です。 ですが、彼女が言っていることへ、 私が不注意である瞬間に、 それは、記録されます。 当然です。 分かりましたか。 あなたは、そうするでしょう。 それが、おもしろさです - ただ たくさんの言葉を聞くだけではない。 しかし、実際に、そうね・ ・・ 行為に移すのではなく、 それの真理が見えるなら、 記録することが、 何もありません。 ですが、あなたが記録するなら、 不注意に記録するなら、 あなたは、即座に それを取り扱えます。 1:08:10 が、私たちがそうであるように、 あなたが、常に不注意であるなら - 私たちの、他の一人との 関係において、です。 なぜなら、それが、 私たちの習慣であるからです。 私は彼女を、四十年の間、知ってきました。 後生です。または、十日間です。 理解されますか。 で、注意の性質と、 不注意 - 注意しないこと - の性質は、 二つの別々のことです。 不注意があるところ、 選択がある - 気づかないこと、 注意の欠如が、です。 そのとき、記録過程が、進んでいます。 古い習慣が、確立されます。 ですが、注意があるとき、 古い習慣は、破られます。 分かりましたか。 第3の質問: どのように 和解させられますか・・・ |
| 1:09:20 ああ! すみません。 質問3: 私は、内の静寂が 実践されたり、追い求められたり できないことを、理解しますが、 それが訪れるかもしれない ところの基盤は、何ですか。 |
| 1:09:35 私は、内の静寂が実践されたり、追い求められたりできないことを、理解しますが、 それが訪れるかもしれない ところの基盤は、何ですか。 明らかですか。 質問は明らかですね。 |
| 1:09:59 質問者は、静寂は、 冥想をとおして達成できない、 実践できないことを、理解します。 いいですね? 制御できない、と。 あなたたちがなぜ、それを受け入れる のかを、私は知りませんが、 見たところ、あなたは それを受け入れます。 ですが、それが訪れるかもしれない ところの基盤は、何ですか。 |
| 1:10:44 あなたが、何かを観察するとき - 雲、山、川、樹や、 あなたの妻や隣人、 この背の低い、 教育を受けていない人物を、です - あなたは、生の現象すべてを、 静寂に、観察できますか。 「ええ、私はそう思う」 と言うのではない。 すなわち、意見の反応なしに、 見る、観察する。 なぜなら、私たちは、あらゆる物事について、意見に満ちているからです。 ですね? なぜ私たちは、意見を 持っていますか。 進んでください。 私に言ってください。 なぜ人間たちは、こういう深く 根づいた意見を、持っていますか。 または、きわめて表面的な意見を、 です。 私は信じています。 なぜですか。 私の導師は、正しい。 あなたのより、良い。 私は、すぐに 闘おうとしています。 で、これらの意見、結論、 概念、理想は、 人間たちを分割します。 これは、明白です - 1:12:40 全体主義の理想論と、 民主主義の理想論のように、です。 ですね? それらは、人々を分割しています。 理想は、人々を分割します。 質問者は、訊ねます - 私は、内の静寂が 実践できないことを、理解します。 彼が、「私は理解します」と いう言葉を、使うとき、 彼のいう「理解する」とは、 どういう意味ですか。 理解されますか。 私は あなたに、質問しています - あなたがいう「理解する」とは、 どういう意味ですか。 私は、このテントが いかに組み立てられるか、 それがいかに解体されようと するかを、理解します。 私は、こことジュネーヴの間の 距離を、理解します。 私は、誰かが言ったことを、 理解します。 ですね? 私は、(自動車の)内燃機関を、 理解します、などと。 1:14:01 その理解は、知的で、 言語的ですか。ですね? それは、ただ理解することです。 あなたが、何かを言ってきたから、 私は、言葉の意味を、 理解します。 または、本当の理解は、 いつ起きますか。 すなわち、私は何かを 即座に分かります。 真理へのその知覚こそが、 私の存在全体を、変化させます。 それは、どちらですか。 なぜなら、「理解する」という 言葉の意義を、 理解することは、重要で・ ・・ 掴むことは、重要であるからです。 私は、知的に 何かを理解します。 または、私はそれを、情動的に、 感傷的に、ロマンチックに、 想像力豊かに、掴みます - それらです。 または、私は本当に、言葉の深さと 意義を、分かるだけではなく、 また、互いとの 意思疎通において、 1:15:15 私は、あなたが言っていることの 真理を、見ます。 それの真理を見る - あなたが言っている ことの結論や観念を、ではない。 それの真理、それの香り、 深み、味を、です。 そのとき、その理解は、 革命です。 ですが、何気なく、「ああ、はい、 私は、Kが言っていることを、 理解します」と言うこと、 それは、戯言です。 語り手は、言います - 私は、内の静寂は実践したり、 追い求めたり できないことを、理解します。 ですが、あなたたちは、みんな 或る種の内的な静けさ、 或る種の平和を、 ときどき、探し求めませんか。 あなたたちは、みんな、 探し求めています。 「私たちは探し求めていない」と 言わないでください。 私たちは、食べ物、快適さを 探し求めています - 自らが生きるところの、 このひどい騒動からの逃避を、です。 1:16:36 ですが、「私は、内の静寂は、 実践したり、追い求めたり できないことを、理解します」と、 何気なく言うことは - お許しいただけるなら、です。 語り手が言うのを、許してください - あなたは本当は、ご自分が言ってきた ことを、理解しないのです。 ですが、それが訪れるかもしれない ところの基盤は、何ですか。 それが、本当の疑問です。 ですね? |
| 1:17:04 頭脳の状態が、全く静寂である ために、何が、必要ですか。 あなたはなぜ、 静寂でありたいと思いますか。 あなたが、何かを観察し、 知覚するとき、 あなたは、それへの反応、それへの 応答を、持たないなら - ですね? ただ観察する。 その観察自体が、静寂です。 ですね? 理解されますか。 当然です。 私は、あなたたちを見守っています。 あなたたちは、私を見守っています。 もし私が、もし語り手が、 見守る中で、反応を持っているなら、 彼は本当に、 応答していません。 ですね? 彼は、あなたの反応、あなたの感情、 その他すべてを、見守っていません。 あなたは、語り手を見守っていて、 反応を持っているなら、 あなたは、彼を見守っていません。 あなたは、自分の反応を、見守っています。 単純です。 |
| 1:18:25 で、静寂が訪れうる ところの基盤は、 実践をとおして、ではない。 決意をとおして、ではない。 意志や欲望を とおして、ではない。 それは、自由があるとき、 自然に来ます - 葛藤からの自由、です。 で、あなたは、葛藤を 理解しなくてはいけません。 「私は静寂を持たなければならない」と 言うのではない。 それは戯言です。 で、基盤 - その上に、 自然な、明らかな、美しい 無量の静寂の深みは、 完全な自由が あるとき、来ます。 で、自らは、静寂の性質、それがどう 訪れるか、ではなく、こう訊ねるべきです - 自らは、自由でありえますか。 葛藤から自由であり、 傷つくことから自由であり、 恐れ、心配、さびしさ、そうね、 悲しみとそれらから、自由です。 そのとき、静寂の家は、 無量です。 |
| 1:19:57 今、12時です。 今朝は、それで十分ですか。 または、もう一つ質問を ほしいですか。 私が働いていますか。 あなたも また、働いていますか。 私たちは、ともに 働いていますか。 または、あなたは単に、たくさんの 言葉を、聞いているだけですか。 あなたが本当に、能動的に、 協働していて、 能動的に分かち合い、それのまさに 終わりまで、行こうとしているなら、 あなたは、疲労困憊するでしょう。 ですが、あなたは、何気なく・ ・・ それは、あの川が、音を立てているのに 似ています。 あなたは、それに慣れます。 ともかく、今、12時ですが、 私たちは、最後のものを、するでしょう。 |
| 1:21:00 質問: どうやって、自らは、 社会の要求を、 全的な自由の生と、 和解させられますか。 |
| 1:21:10 どうやって、自らは、 社会の要求を、 全的な自由の生と、 和解させられますか。 |
| 1:21:21 社会の要求とは、何ですか。 社会の要求とは、何ですか。 どうぞ、私に言ってください。 あなたが、9時から5時まで、 事務所へ行くこと、 あなたが、9時から5時まで 工場へ行くこと、 あなたが、事務所の退屈すべての後、 ナイトクラブへ行くこと、 そこでの興奮、 日当たりのいいスペインやイタリアで、 二週間か三週間の休日を取る。 社会の要求とは、何ですか。 あなたは生計を 立てなければならないこと、 あなたは、余生の間、 国のその特定の地方で 生きなければならないこと - そこで、法律家として、または、 医師や外科医として、開業する。 または、工場で、組合の指導者として、 などなどです。いいですか? 1:22:43 ゆえに、また、質問を しなければなりません - こんなに多くを要求する 社会とは、何ですか。 社会とは、何ですか。 誰が、そのひどいものを、 創り出しましたか。 誰が、これらに 責任がありますか。 教会、寺院、モスク - よろしいですか - その内側で進む サーカスすべて。 誰が、これらに 責任がありますか。 社会は、あなたより 異なっていますか。 または、あなたが、 社会を創り出してきましたか - 私たちの一人一人が、 私たちの野心をとおし、 私たちの貪欲をとおし、 私たちの妬みをとおし、 私たちの暴力をとおし、 私たちの腐敗をとおし、 私たちの恐れをとおし、 共同体に、民族、国家に、私たちの安全を ほしがって、です。よろしいですね? 1:23:50 私たちが、この社会を 創り出してきましたが、 それから、それが要求することに 対して、社会を責めます。 ゆえに、あなたは訊ねます - 私は、 絶対的な自由に、生きられますか。 私は、社会と、 自由を求める私自身を 和解させられますか - そのほうがいい。 それは、とても不条理な質問です。 理解されますか。 すみません。 誰がその質問を したにせよ、私は失礼にしていません。 なぜなら、あなたが、 社会であるからです。 私たちは本当に、 それが見えるなら - 観念や概念として、受け入れなければ ならない何かとして、ではない。 あなたが、 この地上の私たちの一人一人が、 ここ四万年以上もの間、 私たちが、自分たちが生きるところの この社会を、創り出してきたのです。 1:24:57 宗教の愚かしさ - いいですか? 各国が武装していることの 愚かしさ。 後生です。 私たちが、それを 創り出してきたのです。 なぜなら、私が、 自分はアメリカ人だとか、 フランス人だとか、ロシア人だとか 主張するからです。 私たちは、自分はカトリックだ、 プロテスタントだ、ヒンドゥーだ、 仏教徒だなどと、主張します - イスラム教徒だ、と。 それは、こう呼ぶことにより、 私たちに、安全を与えてくれます。 そして、安全への探求は、私たちの 分割により、破壊されつつあります。 それは明らかです。 私は知りませんが・・・ |
| 1:25:42 で、社会とその要求と、 あなたの自由への要求との間に、 和解は、何もないのです。 要求は、 あなた自身の暴力から、 あなた自身の醜い、 有限な利己性からです。 それは、 最も複雑なことの一つです - 利己性がどこにあるのか、自我がどこに きわめて、きわめて微妙に隠れるのかを 自分自身で見出すことは、です。 それは、政治的に隠れられます - 国のために良いことをして、です それは、宗教世界に、隠れられます - 大変美しく、です。 「私は神を信じている。 私は神に仕える」と。 または、社会の手助け、です。 私は、社会の手助けに反対している、 ということではない。 その結論に跳びつかないでください。 それは、そこに隠れられます。 1:27:03 それは、結婚に、愛に 隠れられます - ですね? それは、きわめて注意深い、 分析的でなく、観察する 精神、頭脳を、必要とします - 自己の微妙さが、利己性が、どこに 隠れているかを、見るには、です。 そのとき、それがないとき、 社会は存在しません。 あなたは、それへ和解しなくていい。 「私は、自由のために 働いているとき、 どうやって、社会に 応答すべきか」と言うのは、 不注意な者、無思考の者、気づかない者 だけです。理解されますか。 |
| 1:28:08 指摘してもよろしいなら、 私たちは、再教育 されなくてはなりません - 専門校、学校と大学を とおして、ではない。 それもまた、私たちの頭脳を、 条件づけます。 または、私たちが工場などで 働くとき、です。 気づくこと - 私たちが、いかに 言葉に捕らわれているのか、などを、 見ることにより、 自分自身を教育するのです。 私たちは、これをできますか。 それをできないのなら、 私たちは、 永続的に戦争を しようとしています。 私たちは、永続的に 泣いているでしょう。 いつも、葛藤、抗争、悲惨、 その他すべての中に、いるでしょう。 語り手は、楽観的でも、悲観的でも ありません。 これらは、事実です。 あるがままの、観察されるままの 事実とともに生きるとき - コンピューターや世論調査が 与えるデータではなく、 あなた自身の活動、 あなた自身の自我本位の 追求などを、見守る。 その中から、すばらしい自由が、 成長します - このすべての大いなる美しさと 強さとともに、です。 |
| 1:30:00 長く話をしてしまって、 すみません。 どうぞ、立ち上がっても いいですか。 |