Krishnamurti Subtitles
|
SA84T2 - 健康の、自由への関係。
|
| 0:20 私たちは、一昨日の朝、 止めたところから、 つづけてもいいですか。 私たちは、時について 話していました - 過去としての時 - 私が短く反復してもいいなら - 過去としての時、 未来としての時、 今、この秒の時。 私たちはまた、すべての時、 過去、現在と未来は、 今に収容されている、 とも言っていました。 私たちはそれへ、相当、 徹底的に、入りました - すなわち、未来は現在です。 なぜなら、今の私たちなるもの、 私たちの振るまい、私たちの卑俗さ 私たちの・ ・・何? 私たちの残酷さ、獣性、 恐怖、その他すべて。 今の私たちなるもの、 暴力的なのは、 明日もまた、 暴力的になるでしょう - 今、根源的な変化が あるのでなければ、です。 2:04 で、未来は、現在に 収容されています。 未来は、修正されるが、 やはり暴力です。 で、どうぞ、私たちが昨日、 もっと詳細に指摘したように、 すべての時は、 現在にある。 今にある。 それの真理を悟るなら、 それは、ものすごい意義を 持っています。 私は、「ものすごい」という言葉を、 誇張なく、意図的に使っています。 それは、ものすごい効果を、 持っています - 私たちの振るまいに、 私たちの関係に、 私たちが一日のあらゆる秒に、 実際にしていることに、です。 3:08 それは、大きな意義を 持っています。 それを捉えるなら - それの真理を、です。 単なる言語表現だけや、 知的な論理的な説明、叙述ではなく、 それの実体、それの性質、 それの深さ、それの真理を、です。 そのとき、真実であることの その香りが、 私たちの存在の全体に、 影響します。 |
| 3:48 私たちは今朝、また、 時との関係において、 ともに探究したいと思います - ともに、というのです。 私が説明し、あなたはただ 受け入れるとか、 あなたは拒否するとか、 同意するとか、ではない。 ともに、詳しく究明するのです。 知的に、論理的に、 健全に、理性的にも、 また、それを乗り越えるのです。 なぜなら、論理、理性は、 自らの制限を、持っているからです。 なぜなら、それはやはり、 思考の平野の中に、あるからです。 私たちは、それに入りました。 今日、 私たちは再び、それに入るでしょう。 で、私たちは、 時の意義を捉えるなら、 また、自由とは何かを、 探究すべきです。 健康とは何か、 エネルギーとは何かをも、 ですね? |
| 5:02 自由、健康と、 エネルギーの性質 - すなわち、すべての時が今に 収容されているとの真理を、 捉えるか、見るか、知覚するとき、 訪れるものを、です。 いいですか? 自由とは何ですか。 幾時代をとおしてずっと、 すべての人間は、 或る種の自由を、 探し求めてきました - 歴史的に、宗教的に、 などです。 自由は今、自分が望むとおりのことを、 することと、翻訳されています - あなたたちはみんな、 そうしています。 明白です。 選択 - 一つの所から別の所へ、 一つの職から別の職へ、 行くことを、選択できる。 全体主義国家とは違っています - そこには、完全な独裁制があって、 あらゆる物事が、管理されます。 あなたが考えること、感じることさえも、 様式に沿って、枠に入れられます。 で、全体主義国家には、 自由の否定が、あります。 ゆえに、全体主義国家は、 退行しています。 理解されますか。 動かないで、戻っていく。 |
| 6:48 で、私たちは、探究しなければ なりません - 自由とは何ですか。 自由は選択ですか。 二台の車の間、二枚の素材の間で、 選択すること、 行きたいところへ、行くこと、 他のあらゆる人を犠牲にして、 自分自身を充足させること - いいですか? これらに付いてきておられる ことを、願っています。 私たちのあるがままより、 はるかに上になろうとすること - より良く、より尊く、より賢く、 もっと取得し、 もっと多くの知識、です。 で、それは、なる過程全体です。 それは、充足することと呼ばれます。 私は充足しなければ ならない、 私はどこかに、根を 持たなければならない、と。 よろしいですか? 7:53 それらの含意は、なることです。 物理的に、なるだけではない - 従業員から所有者へ、 見習いから達人へ、 というように、ですが、 私たちはまた、内的にも、 なると、感じます。 私はこれだが、 私はあれになるだろう。 私は、妬んでいて、 貪欲で、暴力的です。 私たちは、「暴力的」という言葉を、 用いるでしょう。 それで十分です。 私たちは、暴力的です。 私は、いつの日か、非暴力を 達成するでしょう。 おそらく、一年か、二年で、 または、おそらく人生の終わりに、 私がちょうど死のうと しているときに、です。 いいですか? これらは、心理的に、 なることを、含意しています。 8:56 それは明らかです。 なることに、 自由はありますか。 質問を理解されますか。 または、自由は、 全然違った何かですか。 どうぞ、ともに私たちは、 究明し、探検しています。 私が説明していて、あなたがただ 受け取っているのではありません。 私たちはともに、 探究しています - それは、あなたが自分の頭脳を 行使することを、要求します - 何一つ、受け入れるのでなく、 何でも語り手が言うことを、 受け入れるのではない。 ゆえに、探究は、語り手のではなく、 あなたのでなければなりません。 語り手はただ、輪郭を描き、 言葉に表すだけかもしれませんが、 その活動、透徹は、あなたの側に、 なければなりません。 10:06 で、私たちはどちらも、 これを分かち合っています。 いいですか? 私が何かを差し出し、 あなたはそれに、同意や 不同意をするのではない - それは、分かち合いがないことを、 含意しています。 ですが、私たちはどちらも、探究し、 探査し、訊ね、疑っているなら - 私たちが考え、 感じることすべてと、 時へのその関係を、です。 そして、そのなることが、自由を 阻止するのかどうかを、見る。 いいですか? 私たちは、ここに、少し 一緒にいますか。 私はそれを、もっと 説明してもいいですか。 |
| 11:03 すなわち、 自分が教師であり、 大学で、次第に 教授になりたいと思うとか、 または、どの専門分野でも、 見習いであるなら、 彼は、いつの時も、何かに なろうと試みています - もっとなろう、 もっと大きな熟達者になろう、 もっと大きな技能、 もっと大きな知識、です。 一定の主題へ注がれた この制限されたエネルギーは、 制限します。 ゆえに、それは、 自由を拒否します。 理解されますか。 私たちは、ここに幾らか 一緒にいますか。 |
| 12:09 そうね、私たちは本当に、 自由を要求しないのです。 私たちはただ、制限された 区域の中でだけ、要求します - すなわち、私は、自分が感じることを、 しなければならない、 私は、自分の好き嫌いに沿って 行為しなければならない、 その行為の中で、私は自由である、 私は、あなたと他の人との間で 選択できる、などと、です。 で、そのすべての活動は、きわめて、 きわめて制限されています。 まさにその制限こそが、 自由を拒否します。 もちろんです。 私たちはまた、言語的にも 制限されています。 言語的に - 私は、言語の問いに、 入らないでしょう。 言語的に、私たちは 制限されています。 言語が自由を制限するのか どうかを、見出しましょう。 これらを理解されますか。 13:21 言語 - それは、 幾つもの言葉です。 語り手は、英語を 使っています。 その言語、言葉は、 頭脳を条件づける、 ゆえに、それは制限されるのか どうか、です。 言語は、頭脳を 条件づけるのかどうか。 いいですか。 これは分かっていますか。 または、言語は、頭脳を制限しない、 頭脳を条件づけないのですか。 あなたは、探究していますか。 どうぞ、ともに、 それに入ってください。 私は、もしも・ ・・ すみません。私は願いません。 もしも、あなたと語り手だけが、 一緒であって、 こんなに大きな聴衆でなかったなら、 よかったでしょう。 ともに、友と私自身と、です。 そのとき私たちは、それについて、 議論できます - きわめて親しく、です。 14:31 私は、そうしようとしています。 いいですか? すなわち、あなたは、 私の友を表示します。 私は、語り手を表示します。 語り手と友だちは、 この問いについて、議論しています。 すなわち、 自由は、いつの時も、何かに なるところに、ありますか。 自由は、自分の野心を 表現するところに、ありますか。 自由は、自分の欲望を充足させようと するところに、ありますか。 そして、友だちは、こう言います -「私は本当に、 あなたがいったい何について 話しているのかを、理解できない」と。 私たちは、これに 慣れています。 私たちの条件づけ、 私たちの習慣は、これです。 私たちはいつも、充足したい、 なりたいと、思っています - 外の世界でも、 また、内の世界でも、です。 15:42 私たちは、何かを 達成しなければなりません。 さもないと、何も前進が、 ありません」、 などと、友だちはこう言っています。 私が言っていること、 語り手が言っていること すべてに、反論しています。 語り手は、言います - それについて そんなに興奮しないでください。 ともにそれを見つめましょう。 あなたが野心的であるとき - 外面的な世界でも、 心理的な世界でも、です - 野心は同じです。 あなたが、ものすごく豊かに なろうと野心的であっても、 涅槃、天国や啓明に到ろうと 野心的であっても、 静寂になろうと 野心的であっても、 野心は、同じです。 語り手は、友へ 言っています - その野心は、制限します。 自由ではありません。 16:58 私たちは、「自由」という言葉を、 誤用してきました。 すなわち、各人物が、自分自身を主張 しようとしています - 攻撃的に、です。 自分の意見、判断、評価、 教義、信条などへ 取りすがっています。 このすべてを、私たちは、 自由と呼びます。 それは、自由ですか。 いいですか? 友は、言います - 「あなたが 何について話しているのかを、 私は理解しかけています。 同意します」と。 私はこう言います - 「同意しないで、 それの事実、それの真理を、 見てください」と。 いいですか? |
| 17:46 で、自由は、何か全然違った ことであるにちがいありません。 それへ来ること、その自由を 悟ることは、可能ですか。 すなわち、まったく 野心的でないことは、です。 それに入ってください。 それは、することの愛を、 阻止しません。 いいですか? 世界中の科学者もまた、 きわめて野心的です - 残りの私たちと似ています。 彼らは、何か最高の兵器を、 達成したいのです - ロシア人などに対して、です。 それらのゲーム、その怖ろしい ゲームを、彼らは、やっています。 で、世界のあらゆる人間は、 どんなに無教育で、愚かでも、 ひどく知的でも、 いつも、この過程に 捕らわれています。 18:57 それが、一般的に、 自由と呼ばれます。 語り手は、それは 自由ではないと、言います。 友は、言います - 言語は、阻止しますか・ ・・ または、頭脳の制限された活動を、 助長しますか、と。 これらに、付いてきて おられますか。 これに、興味はありますか。 あなたは、すっかり確かですか。 または、あなたは、私とともにゲームを やっている、ということですか。 言語は、頭脳を条件づけますか。 それは、頭脳を 条件づけるのです - 言葉が重要になるなら、です。 言葉が、英語の言葉でも、 フランス語の言葉でも、 ドイツ語やイタリア語や ロシア語でも、です。 言葉が、その深さを 失ってしまったとき、 言葉が何気なく使われるとき、 言葉が、一人一人にとって、 特別な意義を持っているとき、 言葉が、頭脳のネットワークに なってしまったとき、です。 20:44 理解されますか。 付いてきておられますか。 そのとき、言葉は、 頭脳を条件づけます。 いいですか? しかし、言葉は単に、一定のことを 伝えるために使われ、 伝達目的のために使われるとき、 あなたと私、語り手が - それには、 一定の敏感さ、注意、 柔軟性、慈しみが、 必要とされますが、 そのとき、言葉は、その制限する 性質なしに、使われます。 そのとき、頭脳は、言葉により 条件づけられません。 しかし、今、私たちが そうであるように、 言葉は、私たちの頭脳を、 条件づけるのです。 あなたが、「全体主義国家」と 言うとき、 即時に、私は その映像を、描きます。 21:53 あなたは即時に、世界の色々な 地方の様々な独裁者を、見ます。 なぜなら、彼らの映像が、ここ五十年の間、 あらゆる新聞に、載ってきたからです。 イメージが、跳び出てきます。 そのイメージが、頭脳を条件づけます。 これらに、 付いてきておられますか。 私が、「導師」という言葉を 用いるとき、 ほら、そのとおり。 あなたは即時に、反応をします。 または、「キリスト」のような言葉が、 キリスト教徒へ、使われるとき、 即時に、です。 または、ヒンドゥー教徒へ、 彼の特定の言葉でもって、 または、仏教徒へ、です。 どうぞ、言語的な条件づけの 重要性を、見てください。 そして、その条件づけの中、 あらゆる種類の紛糾が生じ、 あらゆる種類の葛藤が、 生ずるのかどうか、です。 ヒンドゥー教徒の、 イスラム教徒に対する葛藤、 イスラム教徒とアラブ人の、 ユダヤ人に対して、 神を信ずるキリスト教徒の、 全体主義者に対して、です。 よろしいですか。 23:14 これが、進んでいます。 |
| 23:18 で、言語的な牢獄より 自由であることは、可能ですか。 理解されますか。 あなたたちは、ご自分の精神を、 これらに注がれません。 いいですか? あなたは、今、ここに座っていて、 言葉のイメージより、全面的に 自由であることが、可能なのか どうかを、見てください で、自由があります - なることに、 自由はありません。 人が野心的であるときや、 男や女が野心的で、貪欲で、 妬んでいるとき、自由はありません。 人は、自分は自由であると、 考えるかもしれません - なぜなら、彼は、自分の 野心を表現するからです。 で、自由があります。 なることに、 自由はありません。 頭脳が、言葉に捕らわれていたり、 その牢獄に入っているとき、 自由はありません - それらのイメージをもって、です。 |
| 24:48 また私たちは、探究すべきです - 健康とは何ですか。 これに、興味はありますか - 健康に。 さて、あなたたちは みんな、目覚めます! 健康とは、何ですか。 常なる葛藤、抗争が、あるとき、 健康な組織体が、 ありえますか - 生物学的な有機組織が、です。 お互いの間に、 一つの意見が、別のへ 対立していて、 一人が、他の人たちの欲望に対して、 自分の欲望を十分に表現するとき、です。 この常なる格闘、緊張、葛藤 - その中に、 人間たちは生きますが - それは、健康に 寄与しますか。 いいえ、と 言わないでください。 そのときそれは、それらが 不健康の要因である、という意味です。 心因性の病気、です。 これらを理解されますか。 で、知的な健康が、 ありえますか。 そして、健康的な情動が、 ありえますか - ロマンチックな感傷癖と、 それら、 不健康へ導くもの ではなくて、です。 あなたが、これらに付いてきて おられるのかどうか、私は知りません。 で、私たちは、きわめて深く 探究しなければなりません - 健康的であるとは、 本当にどういうことなのか。 |
| 27:28 この探究は、 あなたが死の床で、 死へ到ろうとしているとき だけではありません。 あなたが、きわめて 若いときからずっと、 探究しなければなりません - または、中年であっても、 老いていても、です。 語り手がそうであるように、です。 健康とは何ですか。 健康は、エネルギーを、含意しています - ものすごいエネルギーを、です。 私たちは、そのエネルギーを、 消散します - 葛藤をとおし、 緊張をとおし、あらゆる種類の タバコ、飲酒をとおして、です。 その事柄すべては、ご存じです。 「食べ物への熱狂」にならずに、 「食べ物への熱狂」 - それが、 どういう意味かを、ご存じですか。 食べ物について、熱中する。 自分の食べるものにのみ、関心を 持ち、他には、何も持たない。 28:40 食べ物への熱狂にならずに、 頭脳が、単一の葛藤もなく、 生きられるのかどうかを、見出す。 それは、 どの種の情動的な緊張や、 知的な緊張もない、という意味です。 これらを理解されますか。 私たちが話しているとき、 あなたは、そうしていますか。 または、ただ聞いて、 同意しているだけで、 おそらく一日の終わりに、あなたは、 それについて、考えようとするでしょう。 質問を理解されますか。 私たちは ともに、こうしていますか。 いかに、不健康が もたらされるかを、見る - 心臓病と、 その他すべてが、です。 29:43 仮に、私は、自分は大いに 知的である、としましょう - ほとんどの人々は、 そうではありませんが、 仮に、自分は大いに 知的である、としましょう。 知能と呼ばれる、頭脳の部分を、 使っているだけです - すなわち、新しい観念、 新しい表現、 その新しい表し方、 新しい概念を 発見することに、 関心を持っているだけで、 自らの存在全体、 生物学的と他の生き方を、 軽視するもの、です。 完全にそれに 捕らわれている。 ですね? そのとき、それは、当然、 健康に影響します。 自らが、大いに情動的、 ロマンチックで、感傷的であるなら - ほとんどの人々は、 そうですが - それもまた、様々な形の 葛藤を、もたらします。 それが、不健康の効果を もたらします。 31:01 健康は、エネルギーを、 意味しています - ですね? 薬物をとおして、ではなく、 アルコールをとおして、ではなく、 ああ、私は、これらばかげたことを、 説明しなくてはいけませんか。 ですが、いかなる葛藤も ないとき、 ものすごい健康が、あるのです。 私たちは、自由があると、言いました。 私たちは、話をしました - 健康とエネルギーについて、です。 |
| 31:50 知的なエネルギーが、 あります。ですね? 彼らが月にロボットを置いたとき、 知的なエネルギーが、あります - それは、ものすごい知的なエネルギーを 必要とします。 理解されますか。 怖ろしい武器すべてを、 考案するには、 大きな知的な能力と エネルギーを、必要とします。 いいですか? それ自体で、 情動的なエネルギーが、あります。 おそらく、知能により、 かすかに修正されていますが、 私たちが感傷的、情動的であるとき - 一種の・ ・・醜い卑俗な感傷癖、 それもまた、エネルギーを 剥奪します。 ですね? 私たちはここに、一緒にいますか。 あなたがそうなのか、私たちが そうでないかを、私は知りません。 私は自分自身に話していない ことを、願っています。 |
| 33:05 で、まったく消散されない エネルギーとは、何ですか - 消散され、むだにされない。 なぜなら、これを理解することは、 重要であるからです - エネルギーの性質、すなわち、 大いに智恵があり、 大いに推理する能力があり、 大いに分析し、見つめ、 観察できる能力があり、 自己批判的に気づき、 ゆえに、常に、動きの中で、 どの障害をも、取り除いている。 それは、大変多くの エネルギーを、必要とします。 人々は、純粋に・ ・・ 純粋に、ではない。 その半物理的なエネルギーは、 使えません。 そうね、あなたたちは、世の中で それらを、豊かに持っています。 彼らのエネルギーは、 制限されています - 当然です。 彼らのエネルギーは、すべての思考を、 制御します。理解されますか。 34:34 私が言っていることを、 理解していますか。 私は、愚かなのかも しれませんが、 私は、ものすごいエネルギーを、 持っています。 正しいと私が考えること - それは、私を駆り立てます。 そういう人々が、世界中に、 見られます - とてつもない量のエネルギーを、 もっています。 そして、きわめて、 きわめて利巧な人々 - 彼らのエネルギーは、計算、 その他すべてに、注がれます。 さて、葛藤によってか、 葛藤をとおして、汚染されていない、 汚されていないエネルギーが、 ありますか。 これらを理解されますか。 いいですか? 私たちは、ここに一緒に いますか - 少しは? そのとき私たちは、探究しなければ なりません - 私たち人間は、なぜ 自らの進化の、過去 四万年か五万年の間 - それは、生物学者と 考古学者が、言っています。 すなわち、私たちはこの地上に、両足で 歩く人間として、生きていましたが、 なぜ、その時から、今まで、 私たちは、永続的な葛藤、抗争の 中にいるのか、です。いいですか? 36:25 なぜですか。 それは、同意と不同意ですか。 それを見てください。 私は、何かに同意しますが、 あなたは、それに不同意します。 葛藤の始まりが、あります。 私は、一定のことを信じています - 語り手、 または自分は、理想を信じています。 相手は信じていません。 即時に葛藤です。 自分は好きですが、 相手は好きでない。 自分は、わずかな者を 保護しますが、 わずかな者は、他のみんなと 対立しています。 お互いの関係には、 葛藤があります - 男、女。 葛藤です。 そして、導師と弟子との間には、 葛藤があります。 これらに注目しませんか。 弟子は、導師のように なりたいと思います。 37:33 それは、どんなに、 ばかげているのか。 ですが、導師自身が、たぶん かなりばかげています。 で、この永続的な闘争、 葛藤が、あります。 自分は、何かへ取りすがります。 自分自身を、その何かと 同一視します。 そして自分は、どんなつけを 払っても、抵抗します。 男と女の間に、 性的な葛藤が、あるだけではなく、 また、各人間、女と男や、 男と女の子などなど、 各々が、自分なりの形で、 色々と表現したいと思います。 彼は野心的ですし、 彼女は野心的です。 ゆえに、葛藤があります。 いいですか? なぜ、私たちは、 このように生きますか。 それは、無量のエネルギーの むだです。ですね? 38:47 ですが、なぜ私たち、人間は、 経験、知識、戦争、苦しみ、 永遠の心配などの、 この長い継続の後、 なぜ私たちは、 このように生きますか。 私たちは、こんなに 利巧ですし、 こんなに多くの知識を 持っていて、 学識がありますが、 なぜ、私たちは、このように 続けてゆきますか。 どうぞ、この質問をしてください。 見出すのを待たないでください。 それを訊ね、要求してください。 見出すように、裏に 熱情を秘めてください。 それは、私たちの頭脳が、葛藤を とおして進化したのですか。 いいですか? 自然との葛藤、 空中での葛藤、 あらゆる物事での葛藤、です。 で、私たちの頭脳は、 それが慣習になったのです。 慣習となったので、頭脳は、 それが生きる道である、 それが前進する道である、 と言います - 40:17 もしも競争が、なかったなら、 前進は、ないだろう、と。 それで、一定の環境の中で 生きることが、慣習となり、 慣れてしまった頭脳は、 それが生きる道である、と 言います。 あなたは、 その立場にいますか。 あなたは、そこに座り、「まあ、 私はこれに慣れている」と言いますか。 そして、それに慣れているから、 あなたは、それを合理化します。 「ええ、自然の中では、あらゆるものが、 格闘する」と言います。 「小さな木、小さな植物は、 光に向かって格闘している。 虎は鹿を殺す」と。 いいですか? 「だから、それは、私たちの 自然な本性の一部だ」と。 暴力的であること、 葛藤の中にいること、 互いと戦争をしていること、 ゆえに、はるかに大きな 意義のある戦争。ですね? 41:35 私たちは、そのように 生きてきました。 |
| 41:46 歴史的に、五千年の間、 戦争があったのです。 実質的に毎年、 戦争があったのです。 私たちは、戦争の状態に、 生きています。 ですね? あなたは、「それは自然だ」と 言います - 「私たちは五万年の間、そう してきた。 いいんじゃないか」と。 政治家たちは、これにより 利得を得ます。ですね? |
| 42:22 で、私たちは、互いに 訊ねています。 唯一つの葛藤もなく、 生きることは、可能ですか。 で、そこから、私たちは 探究しなくてはいけません - なぜ私たち人間は、問題を 持っているのか、です。 問題は、葛藤という意味です。 ですね? なぜ私たちは、問題を 持っていますか。 なぜ頭脳は、問題を 受け入れますか。 頭脳自体が - 理解されますか。 私は、何かを訊ねようとしています。 どうぞ、聞いてください。 私はちょうど、それを 発見しつつあります。 頭脳自体が、問題の状況に ありますか。 ヴザヴェ・ コンプリ? (理解しましたか) 頭脳自体が・ ・・ 私たちは、航空機と 競争しないでしょうね! 頭脳自体が、問題に 捕らわれていますか。 44:29 頭脳自体が、 進みつつある活動すべてとともに、 その頭脳自体が、問題ですか。 理解されますか。 やれまあ。 この騒音が 止まるだろうことを、願います。 私たちの頭脳は、子ども時代より、 条件づけられます。 あなたは、学校へ行きます。 あなたは、数学に解答する問題、 どう書くのかの問題を、持ちます。 かわいそうな小さな子どもは、 学校へ行きますが、 書くことが、問題になります。 ここは小さな国ですが、 これらの騒音が、あります。 私たちは、頭脳自体が、問題である のかどうかを、訊ねています。 質問者は、頭脳の一部です。 理解されますか。 「頭脳が問題なのか」と 言う質問者 - 46:51 質問者もまた、 頭脳の一部です。当然です。 ですが、質問者は 頭脳に、訊ねています - なぜあなたは、 葛藤の中にいますか、と。 それは、こう言います - 私は、子ども時代から、問題を 解決するよう、訓練されてきました。 私は、子どもの頃、 学校へ行っていました。 彼らは私に、書き方を教えてくれましたが、 それは、私にとって、問題になりました。 そして、読み方 - その読むのが、どんなに快かろうと、 それもまた、問題になってきました。 なぜなら、私は初めに、 Aが何を意味するか、 それがどう見えるかを、 知らないからです。 で、私は学校、専門校、大学を通って 行きます - 私が運がいいなら、です。 知識を取得するその動き全体は、 どの専門分野においても、 私の頭脳を、 条件づけてきました。 48:01 で、頭脳は、 問題解決の機構です。 理解されましたか。 「問題(プロブレム)」 という言葉は、 あなたに投げつけられた何かを、 意味しています。 問題は、あなたへの挑戦を、 意味しています。 子ども時代から、かわいそうな 子どもに、何かが投げつけられます。 いいですか? 彼は、ABCを 学ばなければなりません。 彼は、数学などを、 知らなければなりません。 で、頭脳自体は、 問題を創り出し、 問題を解決しようとする機構に、 なってきました。 これを理解されますか。さあ、 どうぞ、動いてください。ええ? |
| 49:05 で、自分は、何をすべきですか。 いいですか? 頭脳は、 頭蓋骨の内側にあるものは、 問題を創り出す 機構であるなら、です。 そうなのです。 数学の問題、技術の問題、 男と女の間の問題、 政治での問題、 汚染での問題。 いいですか? 有毒物質すべての保管所すべて - よろしいですか。 過程全体 - それが、すべて 問題になりつつあります。 問題は、頭脳ゆえに、 生じてきたのです。 いいですか? ちょっと待ってください。 私たちは さらに進もうとしています。 それで、頭脳が、問題に対して、 責任があります - そして、それら問題の解消に 対して、です。 ですね? 私たちは、この事態について、 明らかですか - 幾らかは? 私は、もっとそれに、 入らなくてはいけませんか。 あなたは、私に、もっと それに入ってほしいですか。 なぜですか。 それは、単純でしょう。 |
| 50:37 宗教的に、それを 見てください。 あなたは、キリスト教徒として、訓練されて きました - 信仰を持つように、です。 救い主と信仰。 そして、それはすべて戯言である と言うのは、仏教徒です。 それは、西洋の 司祭者たちの創案でである、と。 たぶんそれは、真実です。 彼らは、救い主といったものは、 ないと、言います - 仏教徒は、です。 または、信仰を持つとかは、です。 彼らは、「疑え、問え、探究しろ。 けっして受け入れるな」と、言います。 で、二つが、あります。 キリスト教徒は、「それは すべてごみだ」と、言います。 教皇は、信仰が重要だと、 言います。 私の家族、私の教育は、 カトリックだったのです。 それで、私は プログラムされています。 アラブ人がプログラム されているように、です。 コンピューターのように、 などです。いいですか。 51:52 で、私たちの頭脳は、一つの形の、 プログラムされたコンピューターです。 私たちがそうであるように、 頭脳が、プログラムされるとき - 言語的に、宗教的に、 きわめて、きわめて多くの 問題でもって、です - 頭脳は、「私は疲れている」 と言います - 「私は考えられない。 あなたが、それに ついてすべてを、私に語ってくれ」と。 それが、ここで 起きつつあることです。 で、あなたの頭脳は、 次第に萎みつつあり、 次第に萎縮していきます - すなわち、問題でもって、です。 クリシュナムルティは、何かを 言いますが、それは問題になったのです。 |
| 53:15 で、頭脳は、問題より 自由でありえますか。 理解されますか。 すなわち、生には、諸問題があります。 それは避けられません。そうなのです。 ですが、問題を持たない頭脳でもって 問題に出会うこと - 理解されますか。 少なくとも、私の発言を 理解されますか。 あなたは、語り手の前に、 問題を出します。 彼の頭脳もまた、 問題で満ちているなら、 彼は、あなたの問題を解決し、 その中から、もっと多くの 問題を、創り出すでしょう。 いいですか? あなたは、それに 注目したことが、ないですか。 それが、政治家たちが やっていることです。 経済的な問題は、 専門家たちにより解決されますが、 他の専門家たちが、やってきて、 「すみません。 それはすべて間違っている」と言います - ですね? などなどなど、です。 |
| 54:28 で、あなたが、 機械的な頭脳でない頭脳を、 持ちうるのかどうかを、 見出すこと - 問題を解決している 機構でない頭脳を、です。 それは、何も問題を 持っていない、という意味です。 それは可能です。 私は、それを 一分後に、お示ししましょう - あなたが、気をつけて それに入るなら、です。 あなたが時を理解するときにのみ、 それは可能です。 |
| 55:16 私たちが言いましたように、 時は、過去、現在と未来です。 そのすべての時、 すべての過去、現在と未来は、 今に、保たれています。 ですね? 理解されますか。 問題は、未来を 意味しています。 分かりますか。 さあ、みなさん。 理解されますか。 どの問題も、それの解消を、 含意しています - すなわち、 未来にあるものを、です。 いいですか? そういうわけで、 すべての時が今であることを、理解する ことが、とても重要であるのです。 それの美しさを、ごらんください。 で、あなたは、 問題を出します。 問題が、あります - 幾つもの問題が、あります - 私は 知っています。 私は気づいています。 私が行く所すべてに、 私が行く様々な学校に、です。 自分が出会う様々な政治家、 自分が出会う科学者たち - 彼らはみんな、訊ね、要求し、 問うています。 あなたの頭脳もまた、問題、 心配、不安定さで満ちているなら、 あなたの答えは、彼らのと同じく、 ごたまぜになるでしょう。ですね? 56:55 それで、私たちは、 訊ねています - 頭脳は、問題より、 自由でありうるのかどうか、です。 そして、その自由の本性を 理解するには、 あなたは、時を探究しなくては いけません。 ですね? すなわち、何もない・ ・・ 今は、未来を持ちません。 今は、未来にあります。 ですね? これを理解されるのかと、思われます。 で、どの問題も生じますが、 解決は、時を意味しています。 ですね? ゆえに、あなたは、 きわめて明らかに理解するなら - 私は、きわめてゆっくりと、 それに入ろうとしています。 私もまた、進みながら、 学んでいます。 これは、魅力的です。 一息、つかせてください。 |
| 58:06 幾つも問題が、あります。 生は、問題を持っています。 なぜなら、人間たちは、 こんなに頑固で、傲慢であり、 自尊心に満ちているからです。 私は、これをしてきた。 私は、それに拘ろう。 それらは、問題を創り出します。 語り手は、それらに 出会わなくてはいけません。 ですね? もし彼もまた、問題で 満ちているなら、 彼はそれを、めちゃくちゃに するでしょう。 ですね? で、問題から自由であるとは、 時への探究を、含意しています。 ですね? なぜなら、問題とその解決は、本来的に その中に、時を含意しているからです。 いいですか? 私は、問題を持っています。 私は、それについて 考えなければなりません。 私は、それについて議論するでしょう。 私は、それに入るでしょう。 私は、それについて、 本を読むか、 導師に相談するでしょう。 よろしいですか。 そのすべてが、進んでいます。 で、問題とその解決は、本来的に それ自体が、時なのです。 明らかですか。 |
| 59:33 そのとき私たちは、以前に言いました - 時は、今に収容されている、と。 問題と時との間の関係を、見てください。 それが見えますか。 ゆえに、私が出会うどの問題も、 時を持ちません。 それは、即座に 解決されなければなりません。 これを理解されましたか。 それは、意味合いとして・ ・・ 私は進めてもいいですか。 あなたが、語り手のように、わくわく なさっていることを、望んでいます。 なぜなら、彼は、何か新しいことを、 毎回、発見しつつあるからです。 それは、問題の知覚、 という含意です。 あなたの先入観に沿ったり、 あなたの判断に沿ったり、 あなたの意見に沿ったり などの知覚ではなく、 あなたの頭脳でもって、 心でもって、 あなたの存在全体でもって、 知覚するのです。 1:00:48 ですね? 見ること - その中に、歪曲はありません。 動機がある瞬間、歪曲があります。 で、動機、方向づけを片付けてしまい、 絶対的に、ありのままに知覚する。 そして、解決を遅らせるのを、 一秒間も、許さない。 これを理解されますか。あなたがこれを 理解されるのかどうかと、思われます。 |
| 1:01:29 ごらんください。 男と女の間に、問題があります。 他の問題は、あります。 私はただ、その 一つの問題を、取り上げているだけです。 男と女。 彼らは、けんかをします。 これは、関係に起きる 不幸なことの一つです。 彼らは、けんかをしますが、 何についてかは、誰にも分かりません。 地上の、あらゆる些細な 小さなことについて、です。 彼らは、けんかをします。 彼らはけっして、 けんかを、解決しません。 理解されますか。 彼らは、続けます。 それが耐えがたくなって、 彼らの一人が、「すまない。 もう 出て行ってくれ」と言うまで、です。 それにより彼らは、自分は 問題を解決したと、考えます。 それから、彼らは、 別の男や女と結婚し、 ゲーム全体を、再び始めます。 あなたたちは、みんな、これに 親しんでいるにちがいありませんね。 そういうわけで、あなたたちはみんな、 これに同意しているのです。 分かります。 で、これは進んでいきます。 |
| 1:02:51 さて、もしも、男や女が、 時の本性を理解したなら - それの真理を、です。 理解されますか。 すなわち、けんかが 進んでいくのを、見る - 葛藤が進んでいくのを、です。 そして、見る、知覚する。 あなたはそれを知覚します - 即座に、原因を、です。 そして、即座に、 原因を取り除きます。 なぜなら、あなたは、時が、 問題の解決に介入するのを、 まったく 許していないからです。 これを理解されますか。 さあ、どうぞ。 これは幾らか、明らかですか。 すなわち、時が、生で 最も重要なことになるとき - それの理解です。 その単なる言語的な叙述、 それとの同意だけではなく、 あなた自身が、それの真理を、 深遠に見るのです。 そのとき、頭脳にとって、 まったく問題がありません。 1:04:06 あなたは、問題を 持つかもしれませんが、 問題に出会う頭脳のみが 重要です。 あなたがいかに、問題へ 接近するのかが、です。 もしあなたが、すでに 問題への解決を持っていて、 問題に接近するなら、 それは、解決可能ではありません。 ですね? あなたは、自分の様式に沿って それを解決します。 ですが、あなたが、 何の偏見もなく、 何の心配の感覚もなく、 それに接近するなら - あなたは、時の深さと強さと 活力を、理解するとき、 それをできるだけです。 それは、いいですか、 明らかですか。 |
| 1:05:08 で、あなたの頭脳は、 もはや、言語的な制御、 言語的なイメージの 奴隷ではなくて、 自由の本性を理解したのです - 本当の自由を、です。 その中には、何かより離れてしまうとの 感覚が、何もありません。 あなたが、離れてしまうなら ・ ・・たとえば あなたが、心配より 離れてしまうなら、 その動きは、時です。 ゆえに、その動きは、安全に 見えるかもしれません - 安全だ、と。 が、その動きは、本来的に それ自体が、不安定さです。 いいですか? それを分かりつつありますか。 これは、あまりに知的に すぎますか。 いいえ。 それは、ほんの常識です。 |
| 1:06:27 で、自由を探究する、 健康とは何かを、探究する。 なぜなら、あなたは、健康的でない なら、自由を持ちえないからです。 なぜなら、それは、あなたを 妨害するだろうからです。 私は、麻痺しているかもしれませんが、それでも私は、健康的です。 理解されますか。 私は、はっきりと見る目を、 一つだけ持っているかもしれませんが、 それは、私を、 私の健康を、阻止しません。 健康は、この常なる葛藤によって、 破壊されます - 達成、成功、野心、 不安定、混乱、 生の痛みすべてによって、です。 そして、エネルギー。 けっして消散しないエネルギーです。 理解されますか。 おしゃべり、論争、自分がしてきたことへ 取りすがることによって、です。 「これは正しい。私は それへ拘ろう」と言う。 1:07:40 理解されますか。 エネルギーは、常なる動きを、 含意しています - 何か新しいことを、常に 発見することを、です。 テクノロジー的に、ではなく、 心理的に、です。 それで、あなたの頭脳は、 とてつもなく活動的になり、 そのエネルギーを 消散しないのです。 あなたは、そのエネルギーを 持つとき、問題を見つめられます。 理解されますか。 そして、時を理解するのです。 それらはすべて、ぴったり収まります。 それらはすべて、まとまります。 それらは、分離していません。 理解されますか。 それは、一つの 長い着実な動きです。 |
| 1:08:36 また、私たちは、ともに 話し合うべきです - なぜ、人間たちは 傷ついているのか、 心理的に 負傷しているのか、 なぜ人間たちは、 自らの関係において、 けんかをするのか、 などです。 今朝、そのための時間が あるとは、私は思いません。 今、12時まで20分です。 で、私たちは、今朝、止めて、 木曜日の朝に、 継続してもいいですか。 それで、だいじょうぶでしょうか。 |