Krishnamurti Subtitles
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SA85T5 - 永遠のものの基盤としての静寂
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| 1:50 これは、サーネンでの 最後の講話になるでしょう。 私たちは、イングランドの ブロックウッドで、継続するでしょう。 |
| 2:14 私たちが、前回ここで会ったとき、 話していたことについて、 継続してもいいですか。 私たちは、他のことの中でとりわけ、 これは講義ではないことを、 言っていました。 講義は、特定の主題について 情報を与えるもの、 教示するものと、されています。 これは、講義ではありません。 また、娯楽でもありません。 娯楽は、面白がる、という意味です。 または、映画へ行くとか、 教会、寺院、モスクでの 儀式へ行くことです。 これは娯楽ではありません。 また、単なる知的、 理論的、心理学的な 事柄でもありません - 私たちは、どういう言葉を 使いましょうか。 3:50 心理的な追求、 むしろ、哲学的な追求か。 哲学(フィロソフィー)は、 真理への愛を、意味しています - すでに話されてきたことについて、 話をすること、ではない。 私たちは、他の人たちが 言ってきたことについて、 議論していたり、 関心を持ったりしていません。 私たちはともに、あなたと語り手は、 二人の人間として、 あなた - この大きな聴衆ではなく、 一人の人物としてのあなたと、 語り手は、 ともに会話を行っています - 自分たちの生について、 自分たちの問題について、 生の苦労すべてについて、です。 自分たちの混乱、恐れ、切望、 成功を達成したいという自分たちの欲望 - ビジネスの世界でも、 いわゆる宗教的な世界でも、 霊的な世界でも、です。 5:35 すなわち、成功です。 涅槃(ニルヴァーナ)、 天国や覚りへ到ることは、 ビジネスの世界での成功と同じです。 私たちがお互いに 理解しあうことを、願っています。 それは、大きな違いではありません。 生で成功を収めていて、 大金を稼いでいる人は、 それから成長し、拡大し、 変化し、継続します - 成功の線において、です。 その人物と、いわゆる・ ・・ 真理を探し求めていて、 その方向で何らかの成功を 達成しつつある人との間には、 大きな違いがありません。 どちらも成功を、探し求めています。 一人は、世間的と呼ばれます。 もう一人は、非世間的、霊的、 宗教的と呼ばれます。 6:45 私たちは、それら二人のどらちをも、 扱っていません。 私たちは、関心を持っています - 人間としてのあなたと、 - 単独でも、二人でも - そして語り手は、ともに 会話を行っています。 彼は本気で、ともに、と言っています。 あなたは、そこに座っていて、不運にも 語り手は、上のここに座っています。 で、それは、あなたと語り手との 間でです。 |
| 7:26 あなたと語り手は、関係について 話してきました - 男と女、男の子と女の子の 間などです。 私たちはまた、恐れについても 話していました - そもそも、生において、 現代世界に生きていて、 まったく自由であることは、 いったい可能なのかどうか、です。 心理的に、すべての恐れから、です。 私たちは、よくよく気をつけて それに入りました。 また私たちは、時についても 話しました - それにより私たちが生きる時、 時の循環、すなわち・ ・・ 時の循環 - すなわち、過去が 現在において加工、処理され、 未来に継続します。 8:55 過去は、私たちの背景全体です - 人種的、共同体的、宗教的なもの、 経験、記憶。 そのすべてが、 私たちみんなのその背景です - 私たちが、遠い東洋や、 ヨーロッパや アメリカに生まれていても、です。 その文明、その文化は、 私たちみんなの背景です。 その背景は、変化を遂げていきます。 それは、現在において加工、処理され、 未来へ継続します。 人間たちは、あなたと他の一人は、 この循環に捕らわれています。 それは、何百万年に 何百万年もの間、つづいています。 で、過去が、現在を経てゆき、 それ自体を修正したのが、未来です。 10:20 それが、私たちの進化であったのです。 私たちは生物学的に変化してきましたが - 百万年前から今まで、です - しかし、心理的、内的、主観的に、 私たちは、多かれ少なかれ、 百万年前の私たちなるものです - 野蛮で、残酷で、 乱暴で、競争好きで、 自己中心的で、自己本位です。 それは事実です。 で、未来は現在です。 ですね? これは、あなたにとって、 語り手にとって、明らかですか。 未来。 それは過去です - それ自体を修正して、 それが未来になるのです。 その未来は、今なのです - 根源的な心理的変化が あるのでなければ、です。 11:41 私たちは一緒にいますか。 それが、私たちが関心を 持っていることです - 人間たち、あなたと他の一人にとって 心理的な変異をもたらすことは、 可能なのかどうか、です。 自分自身に、 心理的な全的な革命を、です。 私たちが今、傷ついているのか、 ほとんどの人がそうですが、心理的に けがをしているのかを、知って、です。 現在においてそれ自体を修正する。 未来へつづいていく。 で、未来の傷は、今なのです。 それは明らかでしょうか。 合意していますか。あなたと私は? |
| 12:49 で、人間に、あなたにとって、 完全に変異をもたらすことは、 可能でしょうか。 その変異は、脳細胞自体を 変化させます。 すなわち、人が生涯ずっと 北へ進んできたのなら、 或る人物がやってきて、言います - 「北へ行くことは、まったく 重要性がない。 何の価値もない。 そこには何もない。 東か、西か、南へ行きなさい」と。 あなたは聞くから、 あなたは関心を持っているから、 あなたは熟慮するから、 東へ行きます。 あなたが東へ向いて、行く まさにその瞬間、 脳細胞にすっかり変異があるのです。 なぜなら、北へ行くことは、 様式、型枠になってきたからです。 あなたは、東へ行くとき、 様式を破ります。ですね? 14:09 それは、さほどに単純です。 しかしそれは、ただ聞くだけではなく、 単に言葉をだけではなく、 単に耳で聞こえるだけではなく、 また、何の解釈もなく、比較もなく、 聞くことをも、必要とします。 直接的に聞くことを、です。 そのとき、まさにその聞くことこそが、 その条件づけを、壊します。 すべてのあなたの伝統、あなたの背景、 あなたの解釈を持ち出すのではない - それのどれでもない。 子どもが、良い物語を 聞くときのように、です。 彼は、自らのいたずらすべてを 脇に置いて、聞きます。 |
| 15:19 また私たちは、見えることについて 話をしました。 有るものが、きわめて明らかに 見えること、です - 現在の世界で起きつつあることが、です。 アフガニスタンでの戦争、 そこで、起きている 最もおぞましいこと。 レバノンで、南アメリカで、 極東で、です。 人は、百万年か二百万年前から、 棍棒でもって殺しました。 それから人は、弓矢を発明しました。 人は、それがすべての戦争を 止めるだろうと、考えました。 今あなたたちは、何百万に 何百万の人々を、一発の爆弾で 蒸発させられます。 私たちは、ものすごく前進してきました - 外的、テクノロジー的に、です。 コンピューターは、 取って代わろうとしています - たぶん、私たちの 考えることすべてを、です。 それは、私たちができるのより、良く やるでしょう。はるかに良く、一秒で、です。 16:53 あなたたちがこの問いへ入ったことが あるのかどうか、私は知りません。 でも、あなたは入るべきです。 人間の頭脳へ、何が起ころうと しているのでしょうか - コンピューターが、あなたができることを、 ほぼ何でもできるときに、です。 もちろん、セックス以外、です。 それは、星を見つめて、 「何てすばらしい晩なんだ! 」とは 言えません。 それは、美しさが何かを、 とうてい鑑賞できません。 で、人間の頭脳には、何が 起ころうとしているのでしょうか。 それは、萎れてしまうでしょうか - レーザー、コンピューターが、あなたから、 そのすべてを取り去ってしまえるときに、です。 それは、たくさんの労働を省くでしょう。 で、私たちは、娯楽へ向かうのか - 娯楽産業、スポーツのものすごい重み - または、そのもう一つの形、 娯楽で楽しむために、 教会、寺院、モスクへ行く - 感受、です。 18:23 または、全的に異なった方向へ、 向かうのか。 なぜなら、心理的、内的に あなたは、無限に行けるからです。 頭脳は、とてつもない能力を、 持っています - 一人一人の頭脳が、です。 テクノロジーが何を してきたかを、見てください。 しかし、心理的、主観的に 私たちは、今あるままに留まります - 年から年へ、 世紀から世紀へ、です - 葛藤、闘争、痛み、 心配と、その他すべてです。 それが、私たちがここ四回の講話か、 三回の講話にわたって、 話をしたことです - 三回の講話でしたか。 聴衆: 四回の講話です。 |
| 19:29 K: そうです。ありがとう。 |
| 19:33 私たちはまた、思考についても 話をしました。 |
| 19:36 考えることの本性は、何でしょうか。 考えることは、何でしょうか。 私たちは、よく気をつけて それに入りました。 思考すべては、記憶です - 知識に基づいて、です。 知識は、いつも制限されています - 今でも、過去でも、未来でも、です。 知識はいつも、永続的に、永遠に 制限されています。 なぜなら、それは 経験に基づいているからです。 経験は、いつも制限されています。 それで、知識は制限されています。 記憶、思考 - それが、私たちが考える過程です。 思考は、宗教的な場所すべての 儀式すべてを、創案してきました。 それは、神々を創案してきました - 私たちの恐れなどをとおして、です。 私たちは、それについて話をしました - 相当の長さで、詳細に、です。 |
| 21:06 今朝私たちは、ともに話し合うべきです。 あなたと語り手が、ともに、です。 聴衆全体が、ではない。 聴衆全体は、ありません。 あなたと語り手だけがいるのです。 私たちは、ともに話し合うべきです - あなたと語り手は、 愛について、 死について、 宗教は何なのか、 冥想は何なのか、 人間の尽力すべてを越えたものが、 何かあるのか。 または、人が唯一つの度量なのか。 思考の構造すべてを越えた ものが、何かあるのか。 時がないものが、 何かあるのか。 これが、私たちが関心を 持たなくてはいけないことです - 今朝、あなたと語り手が、です。 それはよろしいですか。 |
| 22:41 私たちは、感受により生きます。 私たちは、それについて話しました。 私たちの構造全体が、 感受に、基づいています - 性的な、想像をかきたて、 ロマンチックで、夢想的な、などのです。 また、私たちが言いましたように、 利己性は、最大の断裂・ 腐敗です。 感受は、 諸感覚の刺激なのですが、 それは、愛でしょうか。 私たちは、このものを、 究明しています - あなたと語り手が、ともに、です。 私たちは、とても長い旅を 行っています。 それは、長い小道です。 あなたと語り手は、 ともに歩んでいます。 彼は先にいて、あなたは 付いていく、のではない。 ともに、歩みを合わせて、です。 おそらく、ともに手を取り合って、 仲良く、です。 互いにどちらかを、支配するのではなく、 互いに印象づけようとするのではない。 で、私たちは、あなたと語り手は、 静かに歩んでいて、 探検し、究明し、 見守り、聞き、観察しています。 |
| 24:53 で、私たちは互いに、訊ねています - 愛とは何でしょうか。 その言葉は、だめにされてきました。 唾を吐きかけられ、堕落しました。 で、私たちは、その言葉の濫用へ、 とても鋭敏でなければなりません。 で、愛は何なのでしょうか。 それは、単なる感受でしょうか。 私は、あなたを愛している。 私は、あなたに依存する。 あなたは、私に依存する。 おそらく私は、あなたを売り飛ばす。 あなたは、私を売り飛ばす。 私はあなたを使う。 あなたは私を使う。 もし、あなたたちがそこにいて、 私の虚栄を養うから、語り手が、 「私はあなたたちを愛している」と言うなら - あなたたちは、とても大きな聴衆であり、 私は、幸せに感じ、喜び、満悦な気持ちです。 で、満悦、充足、執着 - それは、愛でしょうか。 愛は、思考により 組み立てられるのでしょうか。 で、あなたと語り手は、 ともに究明しています。 で、どうか眠らないでください。 すてきな、うるわしい朝です。 |
| 27:00 で、愛は感受でしょうか。 愛は満悦でしょうか。 愛は充足でしょうか。 依存でしょうか。 愛は、欲望でしょうか。 どうか、ともにそれを、 究明してください。 どうか、同意や不同意を しないでください。 私たちは、そのことへ入りました - 私たちはいつも、同意するか 不同意するかにより、何かに接近します。 もしも、私たちは、自らの語彙から、 頭脳から、それをすっかり 脇に置けたなら - 「私は同意する」と 「私は同意しない」、「私の意見はこれで、 あなたの意見はそれだ」と言うこと、 判定を、です。 28:06 もしも、私たちが そのすべてを脇におけて、 ありのままの事実へ、ただ向き合えたなら - 世の中でだけではなく、 また私たち自身においても、 ありのままの物事へ、です。 それは、大きな正直さを、 正直さの切実さを、要求します。 私たちは今朝、それをでき、 ありのままの物事へ 向き合えるでしょうか - ロマンチックにや 感傷的に想像する、 または、「それは私たちの伝統だ」 とかではない。 それらを脇におく - そのとき、私たちは、愛とは何かを 問いはじめ、探究しはじめられます。 |
| 29:07 私たちは、それは感受でしょうか、 欲望でしょうか、と言いました。 私たちは以前にこれらの講話で 言いましたように、 私たちは、その問いに とても深く入りました - 欲望の構造全体へ、です。 私たちは、もう一度それに 入る時間が、ありません。 とても短くすると、 欲望は、感受の結果です。 その感受へ、思考が 形、イメージを与えます。 理解されますか。 すなわち、感受、 そのとき、思考が、その感受へ イメージを与えます。 その秒に、思考が感受を、 型枠へ入れるとき、 その秒に、欲望が生まれます。 私たちはそれに入りました。 |
| 30:29 で、私たちは訊ねています - 愛は、欲望でしょうか。 愛は、思考でしょうか。 どうか、それに入ってください。 私たちが関心を持っているのは、 あなたの生です - 私たちの一人一人、 私たちの生、日々の生活です。 何か霊的な生活ではなく、 誰か導師 - 自らの空疎をともなった者 - へ従うことではない。 特別の衣を着たり、その他すべて。 中世の衣 - すなわち教会の中の - でも、 または、近頃の導師の衣でも、です。 この問いは、とても重要です。 愛は単に、思考の構造でしょうか。 私たちの関係 - 互いとの、 男、女、男の子と女の子など - において、 性的な感受を別として、 一人がもう一人へ、「私は あなたを愛している」と言うとき、 それは、依存でしょうか。 32:13 一人は、もう一人において、 自分自身を充足させています。 ゆえに、その関係に、 思考が入ってきます。 そのとき思考は、 イメージを創り出します - そのイメージを、私たちは愛と呼びます。 または、そのイメージを、愛と呼びます。 で、私たちは訊ねています。 愛は・・・ - その言葉を使うことは、不幸です - 愛は、思考により 組み立てられるのでしょうか。 愛は、敵対でしょうか。 野心があるとき、愛が ありうるでしょうか - 私たちが互いに 競争しあっているとき、です。 利己性があるとき、愛があるでしょうか。 どうか、単に語り手に 聞かないでください。 33:31 あなた自身に聞いてください。 聞いて、あなた自身で 見出してください。 実際に有るものをとおして、 発見するとき、 あなたは、はるか遠くへ行けるのです。 しかし、あなたが単に 他の一人へ依存するだけなら - 彼の言葉、書物、評判へ、です - それは無意味です。 それらを投げ捨ててください。 そして、 自分自身を見つめなくてはいけません。 熱情を持たなくてはいけません。 私たちが先日、言いましたように、 苦しみが終わるときにのみ、 熱情(パッション)は、存在しうるのです。 狂信なしの熱情。 狂信はそれからテロになります - 世界の狂信的な運動すべて。 彼らは、ものすごい熱情を 持っています。 34:53 狂信は、熱情を生み育てます。 その熱情は、悲しみの終わりがあるとき、 生じてくる熱情ではありません。 私たちは、それに入りました。 で、私たちは訊ねています - 愛はそれらでしょうか。 嫉妬ですか。 すなわち、憎しみ、怒り、 欲望、楽しみなど(の状態)にあること - それらは、愛ですか。 私たちは敢えて、これらに 向き合うでしょうか。 あなたは、そして語り手は、 その言葉の香りを 自分自身で発見するほど、 正直でしょうか。 |
| 36:04 そこから私たちは、 考慮しなくてはいけません - 私たちの生において、死は どういう持ち場があるのか、です。 死、それについて話をすることは、 陰鬱ではありません。 それは、私たちの生の一部です。 それは、子どもの頃から、私たちが 実際に死ぬまで、あるかもしれません。 死ぬことのこの怖い恐れが、 いつもあるのです。 あなたは、死を恐れていませんか。 私たちは、それを可能なだけ、 遠ざけてきました。 で、ともに探究しましょう - 死と呼ばれる、あのとてつもないものは、 何なのでしょうか。 それは、とてつもないにちがいない。 で、どの種のロマンチックな 慰めてくれる、 輪廻転生、死後の生を 信じることもなく - それは、抜群の観念です。 驚くほど慰めてくれます。 それの起源は、たぶん 太古のヒンドゥーで 始まりました。 エジプト人は、それについて話をしました。 それからピタゴラスと、ギリシャ人たちが、 それについて、話をしました。 38:09 私たちの一人一人の継続性が、 あるのなら、 すなわち、今、生きなさい。 同じことが、来世、 よりよい機会になるでしょう。 それを真摯に、深く信じているなら - 数百万人が信じています - そのとき、あなたが今 することが、大事です。 ですね? 今あなたなるもの、 あなたの行いであるもの、 あなたの日々の生であるものが、です。 なぜなら、継続性があるのなら、 そのとき、来世もちろん、あなたは、 もっと良いお城、もっと良い冷蔵庫、 もっと良い車、もっと良い 妻や夫を、持つでしょう。 熱心にそれを信じている人たち、 彼らは、適切に振るまいません。 彼らは、未来に関心を持っていません - あなたや他の人と同じく、です。 |
| 39:32 で、私たちはまた、その慰める観念をも、 脇に置けるでしょうか。 それでないものを、 キリスト教世界は信じています。 あなたは、まっすぐ天国へ行く - あなたの魂が、です - または、下へ行く。 語り手は、それについてあなたに、 ジョークを語りたいとも思いますが、 そうしないでしょう。 これは、まったく可笑しなジョークです。 でも、それは、あまりに長く掛かるでしょう。 私たちの時間は、制限されています。 |
| 40:18 で、死とは何でしょうか。 生きるとは、何でしょうか。 生きることは、何でしょうか - 日々の生、です。 死とは何でしょうか。 私たちが、自らの日々の 生活を理解しないなら、 死は、それへどんな関係が、 あるのでしょうか。 理解されますか。 で、初めに私たちは、生きるとは 何かを、探究しなければなりません。 私たちがいう、生きるとは、 どういう意味でしょうか。 私たちがいう、良い生とは、 どういう意味でしょうか。 良い生は、たくさんの お金、車を持つこと、 妻や女の子を変更することでしょうか。 一人の導師から別のへ行くことと、 彼の強制収容所へ 捕らわれることでしょうか。 どうか、笑わないでください。 これは実際に、起きていることです。 良い生は、楽しむこと、 ものすごい快楽、 興奮、一連の感動、 朝から晩まで オフィスへ行くことですか - 六十年間。 41:58 後生ですから、これらに 向き合ってください! 働きに働いて、それから死ぬ。 これが、生きることと 呼ばれるものです。 すみません。 あなたと私は 競争できません。 すみません。 これが、生きると 呼ばれることなのでしょうか - 常なる葛藤、常なる問題、 次から次へ。 この生 - 私たちがそれへ縋りつくもの、 私たちがそれについて知っているもの。 私たちは、実質的にあらゆる 物事について、ものすごい情報、 知識を、取得してきました。 その知識へ、私たちは縋りつきます。 自らが持っているそれら記憶へ、 私たちは深く執着しています。 このすべてが、生きることと呼ばれます - 悲しみ、痛み、心配、不安定、 果てしない悲しみと葛藤。 44:20 そして、死が来ます - 事故をとおし、 老齢、老衰をとおして、です。 それは良い言葉です。 老衰とは何でしょうか。 なぜあなたは、それを老齢へ 帰するのでしょうか。 なぜあなたは、「ああ、彼は 老衰した老人だ」と言うのでしょうか。 私はそうかもしれません。 あなたは老衰していますか。 老衰は、物忘れ、繰り返すこと、 古い記憶へ戻っていくこと、 半ば生きていること などです。 ですね? それが一般的に、老衰と呼ばれます。 私は、あなたに訊ねています。 語り手は、自分自身にこの問いを、 しょっちゅう訊ねてきました。 で、私たちはどちらも、 同じ陣地にいるのです。 老衰は、老齢の問題でしょうか。 または、老衰は、あなたが繰り返し、繰り返し、 繰り返しているとき、始まるのでしょうか。 45:51 付いてきていますか。 あなたが伝統的であり、 教会、寺院、モスクへ 行き、繰り返し、繰り返し、跪くとき - 他の人は、額を地面に触れる。 ヒンドゥー教徒は、平伏します。 で、老衰は、どの年齢でも 始まりうるのです。 ですね? で、あなた自身に、 この問いを訊ねてください。 |
| 46:41 で、死は、老齢をとおし、事故をとおし、 ひどい痛み、病気をとおして 起こりえます。 それが来るとき、 あなたの継続すべてに、 終わりがあります。 ですね? あなたの記憶すべてに、 あなたの執着すべてに、 あなたの銀行口座に、 あなたの名声に、です。 あなたは、娯楽の中心的 人物であるかもしれません。 それもまた、終わりになります。 |
| 47:31 で、私たちは、継続とは何かを、 考慮すべきです。 理解されますか - そして、 終わりとは何かを、です。 私たちはそれに入っていいですか。 継続するのは、何でしょうか。 すなわち、継続となる一連の動き。 そして、「終わる」という その言葉の意味は、何でしょうか。 理解できますか。 何かが終わる。 なぜ私たちは、何かを終わらせる ことに、怯えているのでしょうか - それが、伝統でも、 習慣でも、 記憶でも、 経験でも、です。 そのすべてが、終わりうるでしょうか。 計算された終わりではない。 努力、決意ではない終わり。 48:58 私は、他の何かを達成するために、 何かを終わらせます。 死 - あなたは、死とは 論争できません。 ですね? 古代インドの すばらしい物語が、あります。 それもまた、あまりに長すぎます。 それは本当に、すばらしいお話です。 私たちは時間があるのか どうか、分かりません。 なぜなら、私たちは、宗教、冥想について 話をしなくてはならないからです - このすべての人間の尽力を 越えて、何かあるのか、です。 よろしい。私はその物語を、 きわめて短く繰り返しましょう。 |
| 49:46 バラモンの少年が - バラモンです。理解されますか。 古代インドのバラモン。 彼は、たくさんの物を 収集してきました - 雌牛とその他すべてを、です。 彼は、それらを与えてしまおうと 決断します - 一つずつ、です。 彼の息子が、彼へ来て、言います - 「なぜあなたは、これらを 与えてしまっているのですか」と。 彼は、なぜかを説明します - たくさんの物を収集するとき、 それらを与えてしまい、 再び始めなければなりません。 その意味、意義を、理解されますか。 あなたは、収集して、それから、自らが 収集してきたものすべてを、与えてしまう。 私はあなたに、こうするよう 頼んでいません。 で、少年は、その質問をしつづけます。 50:45 父親は、彼に怒って、 「おまえが、さらに私へ質問をするなら、 私はおまえを、死へ送るだろう」と言います。 少年は、「なぜあなたは、僕を 死へ送ろうとしていますか」と言います。 バラモンとして、話すとき、 何かを言うとき、それに 拘らなければなりません。 で、彼は少年を、死へ送ります。 少年は、死の家に着きます - すべての教師、哲学者、導師、 その他すべてに話をした後、です。 彼は、死の家に着きます。 私は、それを、ごくごく 短くしています。 そこで彼は、三日間、待ちます。 これらの意義を、これらの微妙さに、 付いてきてください。 51:48 彼はそこで、三日間、待ちます。 死がやってきて、彼を 待たせたことを、謝罪します。 なぜなら、結局のところ、 彼はバラモンであるからです。 で、彼は謝罪して、言います - 「私はおまえに、何でも 欲しいものを与えよう - 富、女、雌牛、資産、何でも おまえの欲しいものを」と。 少年は言います - 「でも、 その終わりに、あなたがいるでしょう。 あなたはいつも、あらゆる物事の 終わりにいるでしょう」と。 そのとき死は、様々な ことについて、話します - 少年が理解できないことを、です。 ですね? それは本当に、すばらしい物語です。 |
| 52:44 で、現実へ戻ってきましょう。 たぶん、あなたたちは、 たくさんの物語を、語ってほしいでしょう。 私は、大量に持っていますが、 語らないでしょう。 |
| 52:57 で、死とは何でしょうか。 時は、そこに関与しているでしょうか。 時。 時は死でしょうか。 私はあなたに訊ねています。 どうか、考慮してください。 時 - 時計によって、日の入りと 日の出によって、だけではなく、 また、心理的、内的にも、です。 時の利己性があるかぎり - いいですね? これらに 付いてきていますか- 利己性があるかぎり - それは時の車輪です - そのとき、死があるに ちがいないのです。 で、時は、死に 関係しているのでしょうか。 さあ、どうぞ。 もし時がないなら、死があるでしょうか。 私たちは一緒でしょうか。 どうか、これには、冥想が・ ・・ これが、真の冥想です。 まがい物すべて、ではありません。 54:45 時、心理的な時は - 大時計や、 あなたの腕時計の時ではない。 私たちにとって、時はとても重要です。 成功するための時。 その成功において成長し、 その成功において、変化を もたらすための時。 時は、継続性を、意味しています - 私はそうであった。 私はそうである。 私はそうなるであろう。 私たちには、この常なる継続性が あるのです - それが時です。 ですね? もし明日がないのなら - 私はこれらに入っていいですか。 これは、危険な主題です。 あなたは、それに興味があるなら、 どうか、注意を払ってください。 さもなければ、あくびをし、 休んで、寛いでください。 56:11 もし明日がないなら、 あなたは、死を恐れるでしょうか。 死が今、即座であるなら、 何も恐れはないのでしょう。 時はない。 私が言っていることを、 あなたは捉えていますか。 で、時は 死でしょうか。 思考が、時の分野で機能するかぎり - いいですね? 私たちは一日中、 そうしています - そのとき必然的に、 それの終わりが、ある - 「それは終わるかもしれない。 ゆえに 私は恐れている」と言って、です。 で、時は、死の敵である かもしれません。 または、時が死です。 |
| 57:27 それは、こういう意味です - 語り手が、自らの聴衆へ 執着しているなら - これに執着している。 なぜなら、彼は、その執着の中より、 大変多くの興奮、感受、重要性、 利己を招来するからです。 より大きな聴衆を持っている 人物を、羨んで、です。 ですね? もし語り手が、執着しているなら - 聴衆へでも、 書物でも、経験へでも、称号でも、 名声へでも、です - そのとき彼は、死に怯えています。 執着は、時を意味しています。 あなたがこれらを 理解できるのかと、思われます。 58:32 執着は、時を意味しています。 で、私は、あなたは、完全に 執着から、すなわち時から、 自由でありうるでしょうか。 ですね? 私は、あなたに執着しています。 私は、あなたに依存しています。 私は、あなたを求めて泣きます。 あなたは、私に対して まったく同じことをします。 私たちは、互いに執着しあっています。 死がやってきて、それを終わらせます。 で、私は、その執着を、今 終わらせられるでしょうか。 死を待つのではなく、 その執着から完全に 自由であるのです。 ええ、そうです。 その事実に向き合ってください。 |
| 59:53 で、生きることは、死ぬことです。 ゆえに、生きることは死です。 ともに、です。 私が言っていることを、理解されますか。 さあ、どうぞ。 そういうわけで、 自分自身を理解する基盤を、 敷かなくてはいけないのです - 哲学者、精神科医 などに沿ってではなくて、です。 自分自身を理解する。 書物をとおしてではなく、 自らの振るまい、行い、 習慣を見る、見守る。 幾千年に幾千年をとおして、 私たちが収集してきた蓄積を、です。 あなたの内側のそれらを、知る - 人種的、共同体的、 伝統的、人格的なのを、です。 1:00:59 それの知識、 気づきは、時のではありません。 それは即座でありえます。 そして、あなたがこれを 見るところの鏡は、 関係です - あなたともう一人との間、 あなたと妻との間。 その関係に、すべての過去、現在、習慣、 未来が、見える。 あらゆるものが、そこにある。 どう見るか、どう観察するか、 あらゆる言葉、あらゆる思考の動きを どう聞くかを、知る。 それは、大いなる注意、 見守りを、必要とします。 |
| 1:01:56 で、死は、未来にありません。 死は今です - 時がないとき、 何かになる「私」がないとき、 利己性、自己本位の活動が ないとき、です。 それはすべて、時の過程です。 |
| 1:02:26 で、生きることと死ぬことは、 いつも一緒です。 あなたは、それの美しさを 知りません。 そこには、大いなるエネルギーがある。 私たちは エネルギーによって、生きます。 あなたは、充分な食物、 正しい食事などを、とります。 それは、一定の質のエネルギーを与えます。 あなたが喫煙、飲酒、その他すべてを するとき、 そのエネルギーは、歪曲されます。 頭脳は、とてつもないエネルギーを 持っています。 自分自身で見出すには、 そのとてつもないエネルギーが、 必要とされるのです - 他の人に方向づけられるのではなく、 発見するには、または、 そのことが起きるには、です。 |
| 1:03:37 で、私たちは、それを 探究しようとしています。 すなわち、宗教とは何でしょうか。 どうか、理解してください。 私たちは、恐れについて、話してきました。 私たちは、心理的なけがについて、 話してきました - 余生の間、運んで 行かないことを、です。 私たちはともに、話をし、 それに入りました - 関係は何なのか、 関係の意義に、です。 関係なしには、地上に 何も存在できません。 私たちの一人一人が、自分の野心、 自分の貪欲、自分の充足などを 追求するとき、 その関係は、破壊されます。 1:04:40 私たちは、恐れについて、話しました。 私たちはともに、それに入りました - 思考、時の問いに、 悲しみと、悲しみが終わることに、です。 私たちはまた今朝、 死についても、話しました。 今、私たちは、有能で、生きていて、 宗教とは何かを、見出せます。 なぜなら、私たちはエネルギーを 持っているからです。 理解できますか。 なぜなら、私たちは、そのすべての人間的な 葛藤、利己性を、脇へ置いてきたからです - あなたがそうしてきたなら、です。 そのときそれは、あなたに、 無量の熱情とエネルギーを、与えます - 計算不能なエネルギーを、です。 そして、宗教とは何でしょうか。 |
| 1:05:49 宗教は、思考が組み立てて きたことすべてでしょうか。 儀式、衣、導師、 永続的な反復、 祈り、全部のこと - それが、宗教でしょうか。 または、それは、 大きなビジネス的な関心事でしょうか。 南インドには、寺院があります - 三日ごとに、百万ドルを 稼ぐところ、です。 私が言っていることを、理解されますか。 三日ごとに、その寺院は 百万ドルを、集めます - 三日ごとに、です。 それが宗教と呼ばれます。 彼らは、様々な形で お金を使います。 1:06:52 そして、キリスト教 - それが何をしてきたかを、見てください。 ものすごい富。 ヴァチカン、世界中の教会。 ニューヨークの五番街へ 行ってください。 そこに、一番の壮観が ありますよ。 それが宗教でしょうか。 日曜日の朝ごとに、どこかへ行く - 誰か説教師の話を聞き、 儀式を反復するため、です。 それが宗教でしょうか。 または、宗教は、それらの事柄と いかなる関わりも、ないのでしょうか。 なぜなら、それは、 それらから自由であるとき、 この問いを訊ねられる だけだからです - もつれに、上演に、 それらの位階制度の権力、地位に 捕らわれていなくて、です。 1:08:00 そのときだけ、あなたは問いを 訊ねられます - 宗教とは何でしょうか。 神は、思考により、恐れにより 創造されたのでしょうか。 または、人は、 神の似姿(イメージ)でしょうか。 または、神は、人の似姿(イメージ) でしょうか。 ですね? そのすべてを脇に置けるなら - 思考により、感受により、 反復により、儀式により 組み立てられていないものを、 見出すように、です。 それらは、宗教ではありません - 少なくとも、語り手にとっては、です。 それは、神聖なものと、 いかなる関わりも、ありません。 |
| 1:09:10 で、そのとき・・・ 真理は何でしょうか。 真理といったものが、 あるのでしょうか。 そういうものが、あるのでしょうか - 絶対的な、改変不可能な真理が、です。 時、環境、伝統、知識に 依存しないもの、 ブッダが言ったことや、誰かが 言ったことに(依存しないもの)が、です。 言葉は真理ではありません。 象徴は真理ではありません。 人物は真理ではありません。 ゆえに、個人崇拝はないのです。 Kは、まったく重要ではありません。 で、私たちは、何が真理であるかを、 探し求めています - 何かあるなら、です - そして、何か時を越えて いるものが、あるのか、です。 すべての時が終わること。 これに出くわすには、冥想が 必要であると、言われてきました - ですね? - 静かな精神を持つことが、です。 私たちは、それに入ろうとしています - あなたが許してくださるなら、です。 私たちは、とても短い時間を、持っています。 すみません。時計によれば、です。 |
| 1:11:08 冥想とは何でしょうか。 その(メディテイションという)言葉は、 辞書によれば、熟考する、 よく考える、という意味です。 またそれは、違った意味をも持っています。 それは、測量することです - サンスクリットでも、 ラテン語などでも、です。 冥想する(メディテイト)とは、 熟考する、考えることだけではなく、 また、測量できることをも、 意味しています。 ですね? それは、比較を意味しています。 もちろんです。 比較なしに、測量はありません。 で、頭脳は、測量から 自由でありうるでしょうか。 定規による、物差しによる測量、 キロメーター、マイルではなく、 頭脳は、測量すべてから 自由でありうるでしょうか - なること、ならないこと、 比較すること、比較しないことから、です。 1:12:24 理解されますか。 頭脳は、この測量の体系から、 自由でありうるでしょうか。 私は、スーツを作ってもらうには、 測量しなくてはいけません。 ここから別の所へ行くには、 測量が要るのです。 距離は測量です。 時は測量です。 さあ、どうぞ。 理解されますか。 それで、頭脳は - 精神が、ではありません。 私たちは、精神と頭脳が何かへ、 すばやく入るでしょう。 頭脳は、測量から 自由でありうるでしょうか。 それは比較です。 いかなる比較もない。 これが、真の冥想です - 1:13:21 そのため、頭脳は全的に 自由であるのです。 この現代の世界に生きて、お金を稼ぎ、 セックス、子どもを産むこと、 すべての雑音、卑俗さ、 宗教の名でつづいているサーカス。 それらから 自由でありうるのでしょうか。 何かを得るために、ではない。 理解されますか。自由であること。 |
| 1:14:02 で、冥想は、意識的な冥想ではありません。 これを理解されますか。 それは、意識的な冥想ではありえません - 体系、導師に従うこと、 集団的な冥想、団体の冥想、 単独の冥想、 禅、仏教、ヒンドゥー教による ものではありえません。 そうですね。 それは、体系ではありえません。 なぜなら、そのとき、あなたは 実践し、実践し、実践するし、 あなたの頭脳は、ますます鈍くなり、 ますます機械的になるからです。 で、何も方向を持たない、 意識的、意図的でない 冥想が、あるのでしょうか。 見出してください。 |
| 1:14:58 それは、大いなるエネルギー、 注意、熱情を、必要とします。 欲情、ではありません。 それはただ・・・ そのとき、 まさにその熱情、エネルギー、 それの強烈さが、静寂です。 企画された静寂ではない。 それは、無量の静寂です - その中に、時、空間がないものです。 そのとき、名づけられぬもの、 聖なる、永遠であるものが、 あるのです。 |
| 1:16:28 立ち上がってもいいですか。 |