Krishnamurti Subtitles
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SD74CA12 - 愛、性と楽しみ
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| 0:37 クリシュナムルティの、アラン・ W・アンダーソン博士との対話 |
| 0:42 J.クリシュナムルティは、 南インドに生まれて、 イングランドで 教育を受けた。 過去四十年にわたって、 彼は、 合衆国、ヨーロッパ、 インド、オーストラリアと、 世界の他の地方で、 話をしてきた。 彼は、 生涯の仕事の最初から、 組織された宗教と イデオロギーとの 関連すべてを、 拒絶して、 自らの唯一つの関心事は、 人を 絶対的に無条件に自由に することである、と言ってきた。 彼は、 多くの書物の著者であり、 それらの中には、 『智恵の覚醒』、 『変化の緊急性』、 『既知からの自由』、 『鷲の飛翔』が、 ある。 1:18 これは、クリシュナムルティと アラン・W.アンダーソン博士との間の 一連の対話のうちの 一つである。 博士は、 州立大学サンディエゴ校の 宗教学の教授であり、 そこで彼は、 インドとシナの聖典と 神託の伝統を、 教える。 アンダーソン博士は、 詩人として作品を発表し、 コロンビア大学と ユニオン神学大学院より 学位を受けた。 彼は、 カリフォルニア州立大学より、 最優秀教育賞の 表彰を、受けた。 |
| 1:48 A: クリシュナムルティさん、 私たちは、前回の会話において、 私たちの関心事への 関係において、 現象としての宗教について、 話していました - 個々人、各人間の変容、 知識や時に 依存していない変容を 探究する私たちの関心への 関係において、です。 私たちの、 宗教についての議論の間、 あなたは、 注意の行為への関係において、 真の意味での宗教と 見做されるものについて、 話しておられました。 そして、傷の 個人的な歴史全体が、 言及対象であるとき、 この注意の行為が、いかに 単純に毀損されるのか、 それが 叶わないのか、です。 私たちが行った 傷の議論をとおして、 私たちは、議論の終わりに かけて、愛に触れました。 ご都合がよろしければ、 おそらく私たちは、今、 この愛の問いを、 探検できるでしょう。 |
| 3:00 K: あなたが、「探検」という 言葉を、使われるとき、 私たちは、その言葉を 知的に使っていますか。 知能でもって 探検するのか、 または、その言葉への 関係において、探検し、 その言葉、 鏡の中に、見る - それにより、私たち自身が、その鏡の 中に、開示されるのでしょうか。 A: 後者を望みます。 |
| 3:30 K: ええ。 |
| 3:32 すなわち、 言葉が鏡です。 その中に、私は人間として、 観察しています。 で、「探検」という言葉は、本当に、 自分自身を観察する、という意味です - あなたが使ってきた 言葉の鏡において、です。 で、そのとき、言葉は そのものになります。 |
| 4:03 ただ、自体での言葉だけ ではありません。 A: そうです。 |
| 4:06 K: ゆえに、それは、 知的な探検、 理論的な説明では ありません。 |
| 4:14 A: それは、冥想の 始まりなのかもしれません。 |
| 4:17 K: それが、私がすっかり明らかに したいと思うことです。 |
| 4:18 A: まあ、それが、 その主題との関係で、 私がいたいと思うところです。 |
| 4:25 K: はい。 また、探検するとは、精神がとても真剣で なければならない、という意味です - 何かを達成したい、 どう愛するのか、 隣人の愛をどう獲得するかを 知りたいとの単なる欲望に、 捕らわれているの ではなくて、です。 |
| 4:54 よろしいですか。 A: ええ。 愛する者として、 成功を収めたい、と。 |
| 4:56 K: ええ。愛する者として、 成功を収めたい。 で、私は思いますが、 私たちが、その言葉と、 それの意味、意義を 探検するとき、 この事柄について、きわめて 真剣でなくてはいけません。 なぜなら、人々は、この言葉を、 こうも緩く使っているからです。 それは、こうも 腐敗してしまいました - 神の愛、私の妻の愛、 私の資産の愛、 私の国の愛、 私は読書を愛している、 私は映画に行くのを、愛して いる・ ・・と。よろしいですか。 私たちの困難の一つは、 現代の教育が、私たちを 真剣にしていないことです。 私たちは、専門家に なりつつあります。 私は、一流の医師だ、 一流の外科医だ、 一流の内科医だ、 などなどと。 ですが、専門家は、 そのように脅威になります。 A: 学識のある無知蒙昧の人。 |
| 5:55 K: はい。 |
| 5:56 そして、私たちが以前に 言っていましたように、教育は、 人間精神が真剣であるよう、 励ますこと、見届けることです - 生きるとは、何を意味するかを、 見出すよう、真剣です。 ただ、専門家になる だけではありません。 で、それがすべて 理解されるなら - そして、はるかに多くも、 ですが - 愛とは何ですか。 愛は、楽しみですか。 愛は、 欲望の表現ですか。 愛は、 性欲の充足ですか。 愛は、 欲望の対象への追求ですか。 家族との、女との、 男との同一視ですか。 愛は、 養成できるものですか。 私が愛を持っていないとき、 それは、成長させられる。 私は、それについて考える。 私は それへ、あらゆる種類のことを、する。 それで、私は、自分の隣人の 愛し方を、知るだろう、と。 |
| 7:34 A: 私たちは、時々、 勧告を、聞きます - すなわち、自らはそれを目指して 働かなくてはいけない、と。 ええ。 今までの私たちの会話と いうことに立って、 それは、その拒否に なるのでしょうね。 |
| 7:47 K: で、愛は 楽しみですか。 見たところ、 今は、そうです。 |
| 7:58 A: それは、そこへ低下して しまったように、思われます。 |
| 7:59 K: 実際にそうであるんです。 それが、私たちが愛と呼ぶものです。 神の愛。 私は、神が何であるかを、 知りません。 けれども、私は、神を 愛するのだと、されています。 ゆえに、私は、自分の 楽しみを、移転させます - 世の中の、物事の、 セックスのそれを - 自分が神と呼ぶ、上の水準に、です。 それは、やはり楽しみです! で、愛との関係において、 楽しみ(プレジャー)は、何ですか。 愛への関係において、楽しさ (エンジョイメント)は、何ですか。 喜び(ジョイ)は、何ですか - 喜びの無意識的な感じとは? 私が喜びを認識した瞬間、 それは、去ってしまいました。 そして、 喜び、楽しさと楽しみの、 愛への、 愛との関係は、何ですか。 私たちは、それを 理解するのでなければ、 愛が何であるかを、 理解しないでしょう。 |
| 9:07 A: ええ、ええ。お話に 付いてきています。 |
| 9:12 K: 起きつつあることを、 取り上げてください。 愛は、セックスと 同一視されてきました。 性交(ラヴ・メイキング)。 性的に愛する - よろしいですか。 |
| 9:24 A: まさにその構文 - 性交 (ラヴ・メイキング)、情交。 |
| 9:28 K: それは、 怖ろしいことです! 私はそれに、衝撃を 受ける感じが、します。 性交(ラヴ・ メイキング) - まるで、 それが愛であるかのように、です。 そうね、これは、とても 重要であると、私は思うのです - 西洋文明は、これを 地球全体に、 広めてきたのです。 映画をとおし、本をとおし、 ポルノ写真をとおし、 あらゆる種類の広告、 物語をとおして、 この愛の感覚は、 セックスとの同一視です。 それは、基本的に、 楽しみです。 |
| 10:13 A: グラマー(性的魅力の)産業 全体が、それに基づいています。 |
| 10:15 K: それに。 A: それに。 |
| 10:16 K: すべての映画、 そうね、全部が、です。 |
| 10:16 で、精神は - またもや、私たちは その点に、戻らなければなりません。 精神は、楽しみの本性と、 愛へのその関係を、 理解できますか。 楽しみを追求している精神、 野心的な精神、 競争したがる精神、 「私は、生の中から、 何かを得なければならない。 私は、自分自身と他の人たちに、 褒賞しなければならない。 私は競争 しなければならない」と、言う精神 - そういう精神は、 愛せますか。 それは、 性的に愛せます。 が、セックスの愛 - それが、 ただ一つのものですか。 なぜ私たちは、セックスを、こういう 甚大な事柄に、してしまったのですか。 何巻もの書物が、それについて 書かれています。 本当にこれに、きわめて、 きわめて深く入るのでなければ、 他のものは、理解することさえも、 可能ではありません。 11:39 私たちは、愛が何であるか、 愛が何でないかについて、 果てしなく話せます - 理論的に、です。 が、私たちは、「愛」という言葉を 鏡として、使うなら - 内的に何が起きつつ あるかを、見るように、です。 そして、私は必然的に、質問を しなければなりません - それは、楽しみであるのかどうか、 その多様な形において、です。 最高経営者であり、 やる気をとおし、攻撃をとおし、 欺瞞をとおして、 非情さをとおして、 その地位へ就いた人 - 彼は、愛が何であるかを、 知りえますか。 そして、司祭者は、いつまでも 神について、話しつづけますが、 彼は、司教や大司教や何にでも、 なろうと、野心的です。 彼の野心は、 イエスの隣に 座ることです。 A: 右手に座るだろう人、です。 |
| 12:37 K: 右手に。 |
| 12:38 で、それについて話をする、あの司祭者は、 愛が何を意味するかを、知りえますか。 |
| 12:45 A: いいえ。彼は、自分は 知りうると、考えます - 何か、より高い愛と 呼ばれるものに照らして、です。 それは、より低い愛の拒否に、 基づいています。 |
| 12:55 K: はい。それはただ言葉だけだ、と いうんです。 A: で、それは、葛藤です。 |
| 12:57 その葛藤の中、 愛は、ありえません。 |
| 13:02 K: で、そのとき、私たちの社会的、 道徳的な構造全体が、不道徳です! |
| 13:11 A: ああ、はい。 |
| 13:12 K: これは、おぞましい ことなんです。 誰も、それを 変化させたいと思いません。 反対に、彼らは、 「はい、続けてゆこう。 それへ、たくさんの上塗りを しよう。 違った色合いで、 もっと快くして、 続けていこう」と 言います。 で、人が本当に、 愛と呼ばれるこのものに 出くわすことに、 関心があるなら、 彼は、この全部を、 否定しなければなりません。 それは、彼が、楽しみの所を、理解 しなければならない、という意味です - 知的な楽しみでも、 楽しみとしての 知識の取得、 権力としての 地位の取得でも、です。 よろしいですか。 全部を、です。 精神は、この腐った・ ・・社会的 条件づけの中で、訓練されてきて、 条件づけられ、 維持されてきましたが、 それは、愛について話す前に、 どうすれば、自由になれますか。 それは初めに、あれから、自由に ならなければなりません。 さもないと、あなたの、 愛についての話、 それもまた、ただの言葉だけです。 それは、何の意味も、ありません! |
| 14:42 A: 私たちは、 特に西洋文化の中で、 きわめてセックスに 縛られていると、思われます。 他方で、私たちは、性的に 成功を収めないなら、 不幸せに 脅かされます。 |
| 14:59 K: ええ、性的に。 そのとおりです。 |
| 15:01 A: けれども、他方で、 臨床心理学の歴史全体は、 性的なことの病理に、精確に、 焦点を合わせています・・・ |
| 15:11 K: もちろんです。 A: ・・・どうやら、それ自体で、 |
| 15:12 研究として、私たちを 解き放つことができる、と。 それら二つの活動の間の 相互関係は - 一方では、 成功を収めたいとの欲望と、 他方で、衝動のどこが いけないのかを 研究する必要性、 ですが - それは、麻痺を もたらします。 |
| 15:35 K: ええ。 で、そうね、このもの、 セックスは - 私は知りませんが - 今、世界中で、こんなに尋常でなく 重要になってしまったのです。 アジアでは、それは 覆い隠されます。 そこでは、それについて 話をしません。 あなたがセックスについて、話すなら、 それは、何か間違ったことです。 ここでは、それについて、 果てしなく話されますが、 そこでは、そうしません。 一定のことについては、 話をしません。 それについては、 寝室の中で、話をします。 または、おそらく、 寝室の中でさえも、です。 が、けっして・ ・・ それは、行われません。 私は、インドで話をするとき、 それを持ち出します。 彼らは少し、 衝撃を受けます。 なぜなら、宗教的な人は、 それらの種類のことを、 取り扱うと、 考えられていないからです。 |
| 16:23 A: 彼は、それを越えていると、 考えられています。 |
| 16:26 K: それを越えていると 考えられていますが、 彼は、それについて、 話してはなりません。 それが、 物事の一つです。 なぜセックスは、こうも重要に なってしまったのですか。 そうね、愛は、 結局のところ、 「私」の全的な 不在の感覚です。 「私」の 全的な不在、です - 私の自我、私の野心、 私の貪欲、それらの、です。 それが、「私」です。 そのすべての、全的な否定です。 否定 - 残忍な拒否や 外科手術ではありません。 それらの理解です。 「私」が、ないとき、 他方が、ある。 明白です。 それは、 こうも単純です! そうね、 キリスト教のしるし、十字は、 私は聞かされましたが、 太古からの象徴です。 |
| 17:26 あの象徴を、キリスト教が受け入れる 以前から、です。 A: ええ。 |
| 17:28 K: それは、「私」を拭い去れ、 という意味でした。 |
| 17:33 A: 私は一度も、それについて、 聞いたことが、ありません。 拭い去れ。 |
| 17:39 K: 「私」を拭い去れ。 「私」 - それを拭い去れ。 理解されますか。 |
| 17:47 A: ええ。イエスの 非正典(外典)の発言には、 彼がこう述べたことが、 記されています - あなたは、自分の上を下に、 自分の下を上に、 自分の右を左に、 左を右にする。 何かを完全に、全的に ひっくり返すこと - 自らが、するのを慣習としてきた ことを、180度、変えること。 それがなければ、 天国に来ないのだ、と。 それは、もちろん、 彼の言語では、 こちらにあって、期待される、 のではありません。 彼は精確に、こう言います - それは、観察によって来ない。 それは、ここにない。 それは、そこに ない。それは、自らの内にある。 ギリシャ語では、 それは、場所として、 「中に」という意味では ありません。それは、現存です。 |
| 18:28 K: それは、現存です。 A: はい。 |
| 18:29 K: で、私たちが、この愛の 問いを、探究しているとき、 |
| 18:30 私たちは、楽しみ(プレジャー)を 探究しなければなりません - その多様性 すべてでの楽しみと、 それの、愛への関係、楽しさ (エンジョイメント)の、愛へ、 本当の喜び(ジョイ)、 けっして招けない、このものと、 その、 愛への関係を、です。 で、私たちは、楽しみでもって、 始めたほうが、いい。 すなわち、 世界は、セックスを、無量な ものに、してしまいました。 世界中で、司祭者たちは それを、拒否してきました。 彼らは、女を 見ようとしません - 彼らは、 内側では、情欲と、 すべての種類の物事でもって、 燃えさかっているけれども。 彼らは、眼を 閉じます。 彼らは、純潔である人だけが、 神へ行けると、言います。 そういう発言の不条理を、 考えてみてください! で、誰でもセックスをする者は、 永遠に呪われている、と。 |
| 19:53 A: すると、私たちがそれへ、いわゆる 陥ったのは、どうしてかについて、 何か物語を、考案しなくては いけませんね。 |
| 19:59 K: 陥ったのか、または、 (処女懐胎した)聖母マリアを、です。 よろしいですか。その観念全体です。 A: ええ、その全部です。 |
| 20:03 K: それは、茶番劇です! |
| 20:06 で、なぜ私たちは、それを こうも突飛な、ロマンチックで、 感傷的な事柄に、 してきたのですか - セックスを。 それは、知的に私たちが、 不具になっているからですか。 私たちは、受け売りの人々です。 よろしいですか。 私は、プラトン、アリストテレス、ブッダ、 誰かが言ったことを、反復します。 ゆえに、私の精神は、 知的に三流です! A: そのとおり。 |
| 20:44 K: で、それは、 けっして、自由ではありません。 |
| 20:46 で、知的に 私は、奴隷です。 情動的に、私は ロマンチックになります。 私は、感傷的に なります。 そして、ただ一つの逃避が、セックス です - そこで、私は自由です。 その女か男が、同意するなら、 彼らが、相性がよい、その他なら、 それは、ただ一つの道路、 ただ一つの扉です。 それをとおって、私は、 こう言います - 「後生だから、少なくとも、 ここで私は自由だ」と。 オフィスで、私は虐められます。 よろしいですか。 工場では、私は ハンドルを回すだけです。 で、これは、私にとって、 ただ一つの逃避です。 インドの小作人、町や村の貧しい村人 - 彼らを見てください。 それは、彼らが持っている、 ただ一つのものです。 21:57 そして、宗教は、 他の何かです。 私は同意します - 私たちは、純潔であるべきだ、 私たちは、こうあるべきだ、 その他すべてですが、後生だから、 私たちの楽しみ、私たちの セックスは、放っておいてくれ、と。 で、そうであるなら - そして、 そのように見えるのですが、 私たちは、知的に、 道徳的に、霊的に、 不具になった人間、 退廃者です。 これは、私たちに、 何か解放、何か自由を 与えてくれる、 ただ一つのものです。 他の分野では、私は 何の自由をも、持っていません。 私は、毎日、オフィスへ 行かなくてはいけません。 私は、毎日、工場へ 行かなくてはいけません。 私は・・・よろしいですか。 映画、週に一回、三回か、 22:47 あなたがするのが、何であっても、 です。あなたは、しなくてはいけ・・・ ここで、やっと、 私は男、女だ、と。 で、私は、このものを、甚大な 事柄に、してしまったのです。 そして、私は性的でないのなら、 私はなぜ性的でないかを、 見出さなくてはいけません。 私は、 見出すために、何年も掛けるのです! よろしいですか。 書物は、書かれています。 それは、吐き気がすること、愚かな ことに、なってしまったのです。 私たちはまた、それへの関係で、 見出さなくてはいけません - 純潔とは、何ですか。 なぜなら、彼らはみんな、 それについて、話してきたからです。 あらゆる宗教が、それについて、 話してきました - あなたは、純潔で なければならない、と。 そして、彼らは言いました。 キリスト教は、言いました - 聖母(処女)マリアが・・・イエスは 汚れなく純真に生まれた、と。 23:46 よろしいですか。 そして、仏教徒は あなたが、あの物語について、 聞いたことが、あるのかどうか、 私は知りませんが、 ブッダの母は、妊娠したとき・ ・・ 人間の関係からではなく・ ・・ 同じことです! 彼らは、セックスを、宗教に 連携させたくないのです。 けれども、あらゆる司祭者は、 それで、燃えさかっています! そして、彼らは、「あなたは、純潔 でなければならない」と、言いました。 彼らは、純潔の誓いを 立てます。 |
| 24:23 私はあなたに、あの哀れな僧侶の物語を しましたね。 A: ああ、はい、はい。 深く動かされる物語です。 |
| 24:29 K: そして、純潔とは何ですか。 それは、ここ、内に、あなたの心と あなたの精神に、ありますか。 または、ただ 行為だけですか。 |
| 24:40 A: 私が正確に、お話に 付いてきていたなら、 あなたは、ここでセックスを、 功利的な形で堪えられたもの、と 指し示されたように、 私には思われます。 それは、何かへの手段であり、 ゆえに・・・ |
| 24:58 K: 課業、要求、助長、 よろしいですか。 |
| 25:03 A: ええ。いつも、活動の 外側にある目標です。 ゆえに、それには、けっして 追いつけません。 |
| 25:09 K: 全くそのとおり。 |
| 25:12 ゆえに、葛藤です。 A: ゆえに、葛藤と反復です。 |
| 25:14 K: ゆえに、 純潔とは何ですか。 清純であるのは、 行為ですか、精神ですか。 よろしいですか。 A: それは、精神にちがいありません。 |
| 25:27 K: 清純。清純な精神です。 |
| 25:30 それは、ものすごく きびしい精神、という意味です。 厳格さと、 原理の非情な受け入れ、 その他すべてのきびしさ、 ではありません。 |
| 25:48 A: これは、先の会話へ、戻っていきます - 私たちが、傷について、 話していたとき、です。 |
| 25:51 K: そのとおりです。 |
| 25:52 A: 清純な精神は、けっして傷つかない でしょう。 K: けっして、です。 |
| 25:54 ゆえに、(無傷の) 無垢の精神です。 それは、女や男や行為の映像を、 持っていません - その想像を 一つも、です。 |
| 26:14 A: これは、きわめて、 きわめて根源的です。 私は、私たちの会話の中で、 自分が読んで、研究してきたことを、 いろいろと持ち出しているのを、 知っています。 なぜなら、それが、おもに 私の人生の業務であったからです。 お話を聞く中で、 深く私が感動することは、 幾世紀にもわたって、 言われてきて、 幾世紀にもわたって 書かれてきたことの多くは、 あなたが、それらを 提示してこられた形で、 理解されるべきで あったことなのです。 私たちは、例えば、 キリスト教神学に、 或る伝統を、 持ってすらいます - すなわち、(楽園からの) 人の堕落と呼ばれるものは、 想像の地点で始まった、と いうものです。 |
| 27:04 K: そうです。 |
| 27:05 A: けれども、それは、適切に 理解されてこなかった、と 私には思われます。 さもないと - もしも、それが 適切に理解されていたなら、 私たちは、今いる、この無量の 葛藤の中に、いないでしょう。 |
| 27:19 K: キリスト教徒は、 初めに、原罪を創案し、 それから、その他すべてを 創案しました。 |
| 27:23 A: それは、 本末転倒だったのです。 ええ。仰っていることは、 分かります。 |
| 27:30 K: で、精神は、 清純でありえますか。 精神が、 純潔の誓いを立てて、 燃えさかる欲望を、持っていられるか、 ではありません。 よろしいですか。 私たちは、先日、 欲望について、話しました。 私たちは、欲望で 燃えさかっています。 私たちの(ホルモン)分泌腺は、 それに満ちています。 で、清純は、 傷を、イメージを何も 持たない精神を、 意味しています - それ自身の映像の感覚、その食欲、 それらを、持たないのです。 そういう精神は、この世界に 存在できますか。 さもないと、 愛はありません。 私は、イエスの愛、これの愛、 あれの愛について、 果てしなく話せますが、 それは、見かけ倒しになります。 |
| 28:39 A: それは、 何かの愛であるからです。 |
| 28:40 K: ええ。 A: ええ。 |
| 28:41 活動としての愛は、 手段として引き受けられた愛と、 同じではありません。 |
| 28:51 K: はい。 で、愛は、 楽しみですか。 私は、楽しみを 理解したとき、 そうではないと、 答えられるだけです。 言語的に、ではなく、 深く、内的に理解する。 その本性、その残忍さ、 その分割的な過程を、 見る。 なぜなら、楽しみ(プレジャー)は、 いつも、分割的であるからです。 楽しさ(エンジョイメント)は けっして、分割的ではありません。 喜び(ジョイ)は、けっして 分割していません。 分割しているのは、 楽しみだけです。 あなたが、石油、エネルギーについて アラブ人の話を聞くとき、 それは、彼の誇りです。 よろしいですか。 それは、見られます・ ・・ それは、大臣に、政治家に、 見られます - この傲慢の、権力の 感覚全体が、です。 同時に、彼らは 愛について、話します。 |
| 30:04 A: が、それは、いつも 何かの愛です。 |
| 30:05 K: もちろんです。何かしらの愛・・・ 彼らが、どういう意味で、言うのか、 ともあれ、私は知りません。 それは、何の意味も、ありません。 彼らは、わが国への愛と、 言います。 そして、私の愛は、おまえを 殺そうとしている、と! A: ええ、ええ。 |
| 30:18 K: で、そうね、私たちは、 |
| 30:22 この殺すことをもまた、 理解しなくてはいけません。 西洋文明は、殺すことを、 完璧な芸術に、仕上げてきました。 戦争、軍事学、 彼らは全世界に、これを 教えてきました。 たぶん、キリスト教徒は、 最も殺す人たちです。 イスラム教徒の次に、です。 本当の宗教的な人たち、 元来の仏教徒は、本当に、 殺さない人たちだったと、思います。 |
| 31:05 A: ええ、ええ。 |
| 31:06 K: 「殺すな。取っておけ!」と言った、 ただ一つの宗教です。 私は、この麗しい物語を、 お話ししなければなりません。 私は、何年も前に、セイロン (スリランカ)に、いました。 仏教徒の夫婦が、私に 会いに来ました。 彼らは、言いました - 「私たちは、 一つ、大問題を抱えています。 私たちは、 実践的な仏教徒です」と。 彼らは、「私たちは殺しませんが、 私たちは、肉を食べます」と、言いました。 私は、「それは、どういう 意味ですか」と、言いました。 彼は、こう言いました - 「私たちは、 屠殺人(肉屋)を取り替えます。 私たちは、屠殺人を取り替えます。 ゆえに私たちは、責任がありません」。 A: びっくりします。 |
| 31:55 K: 「私たちは、肉が好きです」と。 |
| 31:56 私は、言いました - 「それが問題ですか」、 彼は、「いいえ、まったく」と言いました。 「私たちの問題は、私たちは、 有精卵を食べるべきか、です。 それは、命を 孕んでいるからです」と。 A: ああ、やれやれ。 |
| 32:08 K: ただ・・・ |
| 32:12 で、私たちは、 愛について話すとき、 暴力と、殺すことについてもまた、 話さなければなりません。 私たちは、殺します。 私たちは、 大地を、破壊してきました - 理解されますか - 大地を、汚染してきました。 私たちは、動物と鳥たちの種を、 消し去ってきました。 私たちは、赤ちゃんアザラシを、 殺しています。 テレビでそれらを、ご覧になりましたか。 A: ああ、見ました。ええ。 |
| 32:42 K: どうして人間が、 そういうことが、できるのか。 |
| 32:43 A: それは、深く衝撃的です。 |
| 32:46 K: 誰か女が、その毛皮を 着るために、です。 |
| 32:48 そして、彼は、戻っていき、「私は 妻を愛している」と、言います。 私たちは、殺すよう、 訓練されます。 すべての将軍、彼らは、 果てしなく、 他の人たちを殺す手段を、 準備しています。 それが、私たちの文明です。 よろしいですか。 で、野心的である人は、 愛せますか。 A: いいえ。 |
| 33:30 K: いいえ。ゆえに、 |
| 33:32 野心を 終了させなさい! 彼らは、そうしようとしません。 彼らは、どちらも、ほしいのです。 ゆえに、それは、殺すな、 という意味です - どんな状況下でも、です。 食べるために、動物を殺すな! 私は人生で、肉を食べたことが、 ありません。 一度も、です。 私は、それがどのような味が するのかさえも、知りません。 私は、自分が菜食主義や何かであるのを 誇っている、ということではなく、 私はそれを、 できませんでした。 殺すことは、産業に なってしまっています。 人間に食べさせるために、動物を 殺すことが、です。よろしいですか。 |
| 34:16 A: ええ。そうなっています。 そうです。 清純について、あなたが話して おられたとき、私は、考えていました。 私は、思いつきました - 清純な精神は、 分割されていない精神で なくてはならないだろう、と。 |
| 34:38 K: はい。 殺しながら、愛している。 |
| 34:42 A: そして、それらを まとめようとしている。 それから、それらをまとめられない 私の明白な失敗を、 言い繕うために、 あらゆる形の手段を、 取る。 |
| 34:59 K: もちろんです。 |
| 35:04 A: あなたが、出してこられた ことの甚大さには、 真に唖然とします。 私は、一秒間、これとともに、 留まりたいと思います - もし、あなたが 構わなければ、です。 私は、ひたむきに 聞いてきました。 自分自身において この停止をすべきとの あなたの根本的な助言は、 とても根本的なので、 それは、一種の真剣さを、 必要とします - それは、真剣さへの 量的な関係ではありません。 事実、私たちは本当に、その言葉が どういう意味かを、理解しません。 真剣さと愛との間の関係が、 ここで、 私の気づきに、 入ってきました。 |
| 36:09 K: ええ。私は、真剣であるなら、 けっして、殺さないでしょう。 そのとき、愛は・ ・・ それは何か・・・ それは本当に、 慈悲(コンパッション)です。 (語源的に、)すべてへの熱情 (パッション)です。 慈悲は、すべてへの熱情を、 意味しています。 |
| 36:30 A: 愛しているなら、けっして 殺さないだろうと、仰るとき、 それは、自らが 計画的に殺すところの、 このイメージ作りの活動の 脈絡の中で、という意味ですね。 |
| 36:40 K: ええ。それだけでなく・・・ 仮に、私の姉妹が - 私は姉妹を持っていませんが - 私の姉妹が襲われると、します。 或る男が、彼女を 強姦しに来ます。 |
| 36:51 私はその瞬間に、行為するでしょう。 A: まさしく。 |
| 36:54 K: 私の智恵が - 私は愛し、慈悲を持っているから、 その慈悲が、 その智恵を創り出す。 その智恵が、その瞬間に、 作動するでしょう。 あなたが私に、 「自分の姉妹が襲われるなら、 あなたは、どうするので しょうか」と、言うなら、 私は、「知らない」と言うでしょう。 私はそのとき、知るでしょう! |
| 37:15 A: ええ。それはすっかり分かります。私は それに、すっかり付いていっていますが、 私たちは、計画を 産業にしてきました。 |
| 37:22 K: 計画された殺しです。 A: すべての水準で、 |
| 37:24 自分自身だけではありません。 K: 私は知りません。 |
| 37:26 私は先日、 テレビで見ました - (ソビエト・ ロシアの首都、 モスクワの)赤の広場に、 巨大な大陸間弾道ミサイルが、 ありました。 発射して、どれだけ多く殺すのか。 盲目的な殺しです。 アメリカ人は、それを持っています。 インド人は、それを持っています。 フランス人は、それを持っています。 よろしいですか。 A: それを持たざるを得ない。 |
| 37:52 K: もちろんです。 |
| 37:55 私たちは、存在しなければ なりません。 A: ええ。 K: で、精神は、殺したいとの この衝動より、自由でありえますか。 それは、こういう意味です - 精神は、 傷つくのより、自由でありえますか。 で、傷があるとき、 それは、あらゆる種類の 神経症的なことを、します。 楽しみは、愛ですか。 欲望は、愛ですか。 ですが、私たちは、楽しみ、欲望を、 愛にしてきたのです。 私は、神を 欲望します。 よろしいですか。 私は、神について、 学ばなければならない、と。 よろしいですか。 その全部です。 神は、私の創案、 私のイメージです。 私の思考の中から、私は、 そのイメージを、作ってきました。 で、私は、ぐるぐる、 円周を回ります。 38:56 で、私は、楽しさが何であるかを、 知らなければなりません。 楽しさ(エンジョイメント)は、 楽しみ(プレジャー)ですか。 私は、良い食事が、楽しいとか、 良い日の入りが、楽しいときや、 美しい樹や女や、 何であれ、見るとき、 その瞬間に終わらないなら、 それは、楽しみになります。 理解されますか。 精神、思考が、その楽しさを 持ち越してゆき、 翌日、それを 反復したいなら、 それは、楽しみになったのです。 それはもはや、楽しさではありません。 私は楽しい。それで、 それは終わりです! |
| 39:44 A: (詩人)ウィリアム・ブレイクは、 きわめて、きわめて美しく、 これを指してきた、と 私には思われます。 もちろん、彼は気違いだと、 見做されていました - ご存じのように。 私は言葉を、精確に 憶えていないかもしれませんが、 彼の小さな詩の一節は、 こう言うと、思います - 「喜びが飛び去るとき、 それにキスする者は、 生きて、永遠の日の出を見る」と。 |
| 40:10 K: ええ、ええ。 |
| 40:12 A: 飛び去るとき、彼が キスするのは、喜びです - 楽しみでは ありません。 |
| 40:15 K: ええ、ええ。 A: それは、 それが飛び去るとき、です。 |
| 40:16 あなたが仰ったことは、 こうです - もし彼が、それを飛び去らせないで、 それを保つなら、 私たちは、喜びの行為の中から、 落ちこぼれて、この・・・ |
| 40:29 K: ・・・楽しみの追求へ入る。 A: ・・・果てしなく、反復的で、 |
| 40:31 最後には、悲しげに 退屈なことに、なってしまう。 |
| 40:35 K: そして私は、 思うのですが、 それが、この国(アメリカ)で 起きつつあることなのです - ヨーロッパとインドと同じように、 ですが、主として、この国で、です。 即座に 充足したいとの欲望、 楽しみを 探し求める原理、です。 娯楽で楽しめ。フットボール・・・ よろしいですか。娯楽で楽しめ、と。 |
| 41:01 A: これは、あなたが先に指摘して おられたことへ、戻ってゆきます - 私たちが行った 前回の会話で、です。 ここに、誰かが居て、空っぽに感じて、 充足しなくてはなりません。 |
| 41:13 K: さびしい。 A: さびしい。充足される。 |
| 41:14 充足と呼ばれるもの、 十分に充たすことを、探す。 |
| 41:19 K: 十分に充たす。 A: 十分に充たす。 |
| 41:21 けれども、 自らが、この注意の行為を 行うよう、請け合うなら - 宗教について、私たちの議論の中で、 あなたが言及なさったことを、です。 穴を十分充たすために、ですが、そのとき 私たちは、しっかりやってきたのです。 私たちは、そうしようと していません。 その試みの果てしない歴史が、 あったのです - 思考の制御という名のもとに、です。 |
| 41:51 K: もちろんです。 |
| 41:55 A: こう思われるでしょうね - 自らが愛に、始まらないなら、 彼は、 非功利主義的な形で この注意の行為を、 行わないでしょう。 彼は単純に、それを 功利主義的な形で、行うでしょう - もし彼が、愛に 始まらないなら、です。 |
| 42:13 K: それは、市場にありません。 全くです。 |
| 42:14 A: そういうわけで、私たちが行った ごく初期の会話の一つで、 |
| 42:19 あなたは、始めが終わりである、と 仰ったのです。 K: ええ。始まりが、終わりです。 A: 始まりが、終わりです。 |
| 42:23 K: 最初の一歩が、 最後の一歩です。 |
| 42:25 A: 最初の一歩が、最後の一歩です。 K: 全くそうです。 |
| 42:26 A: 私が、これまで私たちの会話を とおして、ずっと考えていたことは、 |
| 42:28 何が 関与しているのか・・・ |
| 42:29 - 「関与した」という言葉を、 私は好きでないです - 何を自らがしなければならないのか ・ ・・それも、良くない。 何かが、あって・ ・・ 私たちは、行為について 語っていました - すなわち、 進んできた、これらの戯言に とって、根本的な終わり、 すなわち、恐ろしく破壊的な戯言に とって、です。 |
| 42:59 K: 存じています。 |
| 43:02 A: 何かをする ことが、ある。 |
| 43:06 K: それが、これらを 見ることです! |
| 43:08 A: あなたは、見ることが、すること である、行為であると、仰いました。 |
| 43:15 K: 私は、危険を 見るとき、行為します。 私は、楽しみと いうことに立っての 思考の継続の危険を、 見ます。 私は、危険を見ます。 ゆえに、私は それを終わらせます - 即座に、です。 私は、危険が見えないなら、 続けてゆくでしょう。 私は、民族性の危険が、 見えないなら - 私はそれを、きわめて 単純だとして、取り上げています - 私は、続けてゆきます。 殺害し、 分割します。よろしいですか。 私自身の安全を 探し求めます。 が、私は、それの危険が、見える なら、それは、終了しました。 |
| 43:52 A: 私たちはここで、一瞬の間だけ、 愛を教育へ、関係させてもいいですか。 |
| 43:57 K: ええ。 |
| 43:59 A: 教師として、私はこれに、 無量の関心を、持っています。 |
| 44:05 K: 私たちが この先週と今の対話の中で、 議論してきたことは、 教育の一部です。 |
| 44:13 K: もちろん、そうです。 |
| 44:14 K: それは、教育はあちらにある、 ということではありません。 それは、精神を、違ったことへ 教育することです。 |
| 44:23 A: 私は、時々、教師へ来て、 こう言う学生について、 考えています - 「私はただもう、自分の生き方を、 変えなければなりません」と。 すなわち、時たま、 ここへ迫っている学生が、 見つかるでしょう - 本当に、言うところの、 うんざりしているんです。 彼らがふつう、出してくる 最初の質問は、こうです - 「私は何をしなければ なりませんか」と。 さて、もちろん それは、罠です。 私は、お話に付いてきました。 私は それを見ることに、なりました - 私が前に自分自身で、 それを観察したのより はるかに大きな明瞭さを もって、です。 ただ単純に、彼らは、そう言うとき、 手段を探しているからです。 |
| 45:15 K: 「私は何をしなければ ならないのか」と。 |
| 45:17 A: 私たちは、手段について、 話していません。 K: ええ。 |
| 45:19 手段は、(最終的な) 目的です。全くです。 |
| 45:23 A: 私はここにおいて、キリスト教の 歴史について、考えています。 問いが、あるんです - 「救われるために 私は、何をしなければならないのか」。 答えは、「信じなさい」です。 |
| 45:32 K: ええ。 |
| 45:33 A: そのとき、これがどういう意味かに ついて、行き詰まっている、 気の毒な人物は、信念を信ずる ことに、終わってしまうんです。 |
| 45:39 K: ええ、信ずる。全くです。 A: それは、もちろん頓挫します。 |
| 45:41 学生は、来て、「私は何をしなければ なりませんか」と、言います。 さて、私たちの先の、 一緒の会話の中で、 私たちは、教師と学生が、 ともに話し合っている地点に、 到りました。 |
| 45:55 K: はい。 |
| 45:58 私たちは今、それをしています! A: 私たちは今、それをしています。 |
| 45:59 K: 私は、あなたの教師ではありませんが、 私たちは今、それをしています。 |
| 46:04 A: まあ、はい。 私たちの会話の中で、 それがあなたの役割でない ことを、理解しますが、 それが、この順序で 働いてきたことを、私は、 告白しなければなりません。 なぜなら、 私は、無量に学んできたからです。 ここには、私が明らかにしたい ことが、二つ、あります。 あなたの助けが 必要です。 一方では、この純粋な 注意の行為を、行うには、 私は、自分自身だけが、 必要です。 それは、正確ですか。 |
| 46:41 K: いいえ。 さほどそうでもありません。 |
| 46:42 A: さほどそうでもない。 K: さほどそうでもない。 |
| 46:43 初めに、問いを 出しましょう。 問いは、こうです - 私は、 この世界で、何をすべきですか。 A: ええ。 |
| 46:51 K: すなわち、 この世界で、私の所は何ですか。 |
| 46:55 まず第一に、世界は私です。 私は世界です。 それは、 絶対的な事実です。 私は、何を すべきですか。 世界は、こうです - 腐敗し、 不道徳で、殺していて、 愛が、ありません。 迷信、偶像崇拝が、 あります - 精神と手のそれへ、です。 戦争が、あります。 それが、世界です。 それへの私の関係は、 何ですか。 それへの私の関係は、私がそれで あるときのみ、あるのです。 私がそれでないなら、私は、 それへの関係を、持ちません。 |
| 47:46 A: 私はそれを、行為という ことに立って、理解します。 |
| 47:49 K: そうなんです。 A: 行為、ということに立って。 |
| 47:50 私が持っている概念、 ではありません。 |
| 47:53 K: 私にとって、世界は腐敗しています。 殺すために、ギアが入っています。 私は、殺さないでしょう。 行って、赤ちゃんアザラシを 殺す男への、 私の関係は、何ですか。 私は、「神様。 どうしてあなたは、そういうことが、 できますか! 」と、言います。 よろしいですか。 私は、それについて 泣け叫びたいです。そうします。 あなたはどうやって、あの男を、 教育できますか - または、そういうことが起きるのを 許す社会を、です。 |
| 48:26 A: そのとき おそらく、私は、 その問いの言い回しを変えて、 こう言うべきです - まあ、何であれ、されることを、 私がするとき - この純粋な注意の行為を、 行う中で、ですが - 私は、自分がいるところの世界 より、分離していません・・・ |
| 48:46 K: 私は、すっかり違った 角度から、それへ来ます。 |
| 48:49 A: そのとおり。いいです。 |
| 48:52 K: 私は、それへ来ます。 なぜなら、何か違ったものが、 私の中で、作動しつつ あるからです。 A: ええ。 K: 慈悲、愛、智恵、 それらが、私の中で 作動しています。 |
| 49:03 A: でも、それは思うに・・・ ここには、二つの可能性が、 あるように、思われます。 一方で、この純粋な注意の行為を、 行うことは、 私が物理的に、別の人間の面前に、 いることを、必要としません。 もちろん、私は、そこに いようが、いまいが、 いつも関係の中に、います。 |
| 49:22 K: もちろんです。 |
| 49:23 A: ええ。私は十分に それを掴みます。 が、そのとき、 第二の可能性は、 会話の中で - 私たちが今、それを、楽しく 行っているように、ですが - 何かが、発生します。 何かが、起きます。 それは、それが起きるために、 私たちが一緒にいなければならない、 ということではありません。 それは、それが起きるために、 私たちが一人でいなければならない、 ということではありません。 ゆえに、私たちが 確立してきたことは、 何かが発生する、ということです。 それは全く、 内と外の、これらすべての区別を、 越えています - あなたがあちらにいて、 私がこちらにいるとかを、です。 |
| 50:08 K: 何が起きるかを、ご覧ください。 何が起きるかを、ご覧ください。 まず第一に、私たちは、 真剣です。 本当に真剣です。 第二に、 殺すこと、腐敗 - 私たちは それを、断ち切ってきました。 私たちは、それを 終了させてきました。 で、私たちは、 一人で立ちます。 一人です - 孤立して いるのではありません。 なぜなら、精神は、それでない とき、一人、一つであるからです。 それは、引き下がってこなかった。 それは自体を、切り離してこなかった。 それは、自体のために、 象牙の塔を、築いてこなかった。 それは、幻影の中に、 生きていないのです。 それは、言います - 「あれは虚偽だ! あれは腐敗している。 私はそれに 触れまい!」と。心理的に、です。 私は、ズボンをはく、等々 かもしれませんが、 私は、内的に、心理的に、 あれに、触れないでしょう。 ゆえに、それは、完全に 一人、一つです。 |
| 51:10 A: それは、これらの悲しげな巡りの 最中で、これを言っています。ええ。 |
| 51:14 K: ゆえに、それは、 一人であるので、純粋です。 A: 清純です。 |
| 51:19 K: ゆえに、 |
| 51:20 純粋さは、百万切れに 切り刻まれるし、 それはやはり、純粋に 留まるでしょう。 それは、私の純粋さや、あなたの純粋さ ではありません。 それは、純粋です。 純粋な水のように、 それは、純粋な水に留まります。 |
| 51:38 A: また、全面的に 充ちている。 全体的に充ちている。 |
| 51:42 K: 全体的に、です。 |
| 51:44 A: それで、私たちは、あの サンスクリットへ、連れ戻されます - 「これは充実している。 あれは充実している。 充実から、充実が 発する」と。 英語では、これが 伝わらないのが、残念です - サンスクリットが 伝える旋律が、です。 |
| 52:06 K: で、そうね、この会話から、 出てきたことは、 とても興味深いのです。 そのことは、こうです - 私たちは、 一人であることに、怯えています。 すなわち、私たちは、孤立 することに、怯えています。 が、人間がする、あらゆる行為は、 自分自身を、孤立させつつあります。 すなわち、人の野心は、自分自身を 孤立させつつあります。 人は、民族主義的であるとき、 自分自身を、孤立させつつあります。 人が、「それは私の家族だ」と言う とき、自分自身を、孤立させています。 「私は、充足したい」 - 自分自身を、孤立させています。 あなたが、それらを否定するとき - 暴力的に、ではなく、 それらの愚かさを、見る。そのとき、 あなたは、一人、一つです。 53:00 それは、内に、ものすごい 美しさを、秘めています。 ゆえに、その美しさは - あなたはそれを、 あらゆるところへ、拡げられますが、 それはやはり、一人に留まります。 で、慈悲の性質は、 それです。 ですが、慈悲は、 言葉ではありません。 それは、起きます。 それは、来ます - 智恵とともに、です。 この智恵が、指示するでしょう - 私の姉妹が襲われるなら、 その瞬間に、です。 が、「もしそうなら、 あなたは、どうするのだろうか」 と言うなら、それは、 智恵ではありません。 そういう問いと、それへの答えは、 智恵がありません。 話が明らかになっているのか どうか・・・ |
| 53:47 A: ああ、はい。私は、精確に お話へ、付いていっています。 |
| 53:50 K: が、「ふむ、私の敵である それらすべての人々を 殺すために、私は 準備しよう」と、言うのは、 非智恵です。 よろしいですか。 それが、陸軍や海軍です。 主権を有する政府全体が、 それをしています。 で、愛は、何か、本当に 清純であるものです。 清純は、一人、一つである ことの性質です。 ゆえに、けっして 傷つきません。 話が明らかになっているのか どうか・・・ |
| 54:22 A: この一つの行為において、 自らは、自分自身をも、 他の一人をも傷つけないことは、 興味深いです。 それは、 傷からの全的な謹慎です。 |
| 54:33 K: ちょっと、 お待ちください。 私は、あなたを信用しているから、 自分のお金すべてを、預けてきました。 あなたは、それを 私に、返そうとしません。 私は、「どうぞ、私に少し 返してください」と、言います。 あなたは、返そうとしません。 私は、何をするのでしょうか。 智恵の行為とは、何ですか。 よろしいですか。 慈しみの行為、 慈悲の行為 - 「それは何をするのだろうか」と 言うもの、です。 質問に、付いてきて おられますか。 私の或る友人が、 第二次世界大戦中に、 彼は気がついたら、 スイスにいました - 彼は、大量のお金を、持って いました - 大金を、です。 55:16 彼は、子ども時代からの 親友を、持っていました。 その友だちに、 彼は言いました。 彼は、次の瞬間に、 発たなくてはいけませんでした。 なぜなら、何かが、 そうね、戦争が起きて、 彼はその国を、発たなくては いけなかったからです。 で、彼は、お金すべてを持って ゆき、彼は、言いました - 「さあ、友よ、私のために、 それを持っておいてくれ。 私は戻ってくるだろう。 戦争が終わった とき、私は戻ってくるだろう」と。 彼は、戻ってきて、 「どうぞ」と、言います。 彼は、「何のお金?」と 言います。 |
| 55:40 A: 何とまあ。 |
| 55:43 K: お分かりですか。で、 彼は、何をすべきでしょうか。 理論的に、ではありません。 あなたは、その立場に置かれます。 あなたは私に、何かを預けます。 あなたは私に、何かを信託します。 そして、私は、「ああ、 もっともだ」と、言います。 「あなたは、私に与えてくれた。 今は遠吠えでも、していなさい」と。 あなたの責任とは、 何ですか。 |
| 56:10 ただ、立ち去るだけですか。 A: いいえ。 もしも、それを取り戻す手段が、 あったなら、 その瞬間に、それが されるでしょう。 |
| 56:17 K: 智恵が、です。 A: 智恵が、引き受けるでしょう。 |
| 56:18 K: ゆえに、それが、 私が言っていることです。 |
| 56:19 愛は、許しではない。 - よろしいですか - 私は許して、 立ち去ってしまう、ではない。 愛は、智恵です。 智恵は、敏感さを、 意味しています - 状況へ敏感である。 あなたは 敏感であるなら、 状況が、あなたに、 何をすべきかを、語るでしょう。 が、もし、あなたは、 鈍感であるなら、 あなたはすでに、何をすべきかを、 決意しているなら、 あなたは、自分がしてきた ことにより、傷ついているなら、 そのとき、鈍感な行為が、 起きます。 話が明らかになっているのかどうか・・・ A: ええ、ええ、もちろんです。 |
| 57:03 ええ、もちろんです。 ここから、きわめて、きわめて 興味深い問いが、出てきます - 良心について、私たちがいうのは、どういう 意味なのかについて、です。 |
| 57:10 K: ええ。 |
| 57:12 A: そして、「良心」 (コンシャンス)という言葉は、 招いてきたように、私には思われます - 驚くほどの量の・・・ |
| 57:20 K: ・・・ごみを。 A: ・・・ 進んでいることへの、誤った了解を。 |
| 57:22 K: ゆえに、意識(コンシャスネス)とは 何であるかを、究明しなくてはいけません。 |
| 57:23 A: ええ。 |
| 57:28 K: 今、時間があるのかどうか、私は 知りませんが、それには・・・ |
| 57:29 私たちは、明日、別の日に、 そうするでしょう - 意識とは何ですか。 そして、良心とは何ですか。 そして、あなたに、すべきことや、すべき でないことを語るのは、何ですか。 |
| 57:50 A: 関係への関係において、意識は、 私たちが機会があるとき、 私があなたとともに、 探検したいと思う何かです。 私は、何年も前に、 大学院で、 大いに 引き留められました - 或るアメリカ人思想家の行った発言に、 ふと出くわしたことから、です。 モンタギューが、 彼の名前だったと、思います - そのとき彼は、意識は、ひどく 誤解されてきたと、言いました。 なぜなら、識ること(シャスネス)と 呼ばれる何かが、 あると、 考えられてきたからです。 が、識ること(シャスネス)と いったものは、何もない。 私たちはそこに、(接頭辞の) コンを、入れなくてはいけません。 (コンの意味する)ともに、 関係を、です。 それなしでは、私たちは、 もううんざりです。 次回、私たちは、次の会話に おいて、機会があるとき、 それを探検できるだろう ことを、私は望んでいます。 |
| 58:35 K: 私たちは、この問いについて 議論しなくてはいけません - 生きること、です。 |