Krishnamurti Subtitles
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SD74CA2 - 人間関係における知識と葛藤
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| 0:37 クリシュナムルティの、アラン・ W・アンダーソン博士との対話 |
| 0:42 J.クリシュナムルティは、 南インドに生まれて、 イングランドで 教育を受けた。 過去四十年にわたって、 彼は、 合衆国、ヨーロッパ、 インド、オーストラリアと、 世界の他の地方で、 話をしてきた。 彼は、 生涯の仕事の最初から、 組織された宗教とイデオロギーとの 関連すべてを、拒絶して、 自らの唯一つの関心事は、 人を 絶対的に無条件に自由に することである、と言ってきた。 彼は、 多くの書物の著者であり、 それらの中には、 『智恵の覚醒』、 『変化の緊急性』、 『既知からの自由』、 『鷲の飛翔』が、 ある。 1:19 これは、クリシュナムルティと アラン・W.アンダーソン博士との間の 一連の対話のうちの 一つである。 博士は、 州立大学サンディエゴ校の 宗教学の教授であり、 そこで彼は、 インドとシナの聖典と 神託の伝統を、教える。 アンダーソン博士は、 詩人として作品を発表し、 コロンビア大学と ユニオン神学大学院より 学位を受けた。 彼は、 カリフォルニア州立大学より、 最優秀教育賞の 表彰を、受けた。 |
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1:48
A: クリシュナムルティさん、 私たちの以前の会話の中で、
私は、極度に喜びました - 少なくとも、私自身では、ですが -
私たちが、 知識と自己変容の間の
関係ということに立って、
区別をできたことに、 です。
一方では、
私が世の中と 維持する関係
- 世界は私であり、私は 世界であるからですが -
他方では、この機能不全の 状況との間で、です。
それは、あなたの言い回しでは、 こう表示します -
或る人物は、 叙述は叙述されたものである
と考えることに、 関与している、と。
すると、個人の中で 変化をもたらすために、
何かがなされなければならないと、 見えるでしょう。
そして、私たちの「個人」という 言葉の使用に、戻ってくると、
私たちはこう言えるでしょうし、あなたは 前に、その言葉を使われましたが、
私たちは、観察者を 取り扱っているのです。
2:54
で、個人が、叙述を、叙述されたものと 取ってしまう間違いを、
犯さないのであるならば、
彼は、観察者として、 観察されるものに、
特定の形で、 関係するにちがいありません
- それは、彼が自らの混乱の中で ずっとそうだったあり方とは、
全然違っているのです。
K: もちろんです。 A: 私は考えましたが、おそらく、 この特定の会話において、 もしも私たちが、それを 追求したなら、それは直接的に、 私たちが先に言っていたこととの 繋がりに、なるのでしょう。 |
| 3:25 K: 私たちが以前に 言ったこと、ですが、 それは、知られたものからの 自由の性質が、 なければならない、という ことではなかったですか。 さもないと、知られたものは、 単に、過去、伝統、 イメージなどを、 反復するだけです。 確かに、過去が、 観察者です。 過去は、 蓄積された知識です - 「私」と「私たち」、 「彼ら」と「我ら」として、です。 観察者は、過去としての思考により、 組み立てられています。 思考は、過去です。 思考は、けっして 自由ではない。 思考は、けっして 新しくないのです。 なぜなら、思考は、 過去の応答であるからです - 知識として、経験として、 記憶としての(応答)、です。 |
| 4:38 A: ええ、それは 分かります。 |
| 4:40 K: 観察者が、 観察するとき、 彼は、記憶、経験、 知識、傷、絶望、望み、 そのすべてをもって、 観察しています - そのすべての背景でもって、彼は、 観察されるものを、見つめます。 で、観察者は、そのとき、 観察されるものより、分離します。 観察者は、観察されるものより、 異なっていますか。 それへ、私たちは、後で まもなく入るでしょう。 それは、あらゆる種類の 他のことへ、つながります。 で、私たちは、知られたものからの 自由について、話しているとき、 観察者からの自由に ついて、話しています。 |
| 5:33 A: ええ、観察者から。 |
| 5:36 K: 観察者は、 伝統、過去です。 物事を見つめる、 条件づけられた精神です - それ自体を見つめる、 世界を見つめる、 私を見つめる、 などです。 で、観察者は、いつも 分割しています。 観察者は、過去です。 ゆえに、それは、全体的に 観察できません。 |
| 6:10 A: その人物が、 一人称代名詞「私」を使うなら - 彼が、叙述を、叙述されたものと 取りながら、ですが - これは、彼が「私が」と言うとき、 言及する観察者です。ええ。 |
| 6:27 K: 「私」は、過去です。 A: 分かります。 |
| 6:29 K: 「私」は、ありつづけたものの 構造全体です |
| 6:32 - 思い出、記憶、 傷、様々な要求。 そのすべてが、「私」と いう言葉に、まとめられます。 それが、 観察者ですし、 ゆえに、分割、 観察者と観察されるもの、です。 自分はキリスト教徒である と考えて、 非キリスト教徒や共産主義者を 観察する、観察者。 この分割、 この精神の態度 - 条件づけられた応答をもって、 記憶などをもって、観察するもの - で、それは、知られたものです。 |
| 7:29 A: 分かります。 |
| 7:30 K: それは論理的にそうであると、 私は思う、っていうことです。 |
| 7:33 A: ああ、いえ。あなたが仰ってきた ことからは、精確にそうなりますね。 |
| 7:37 K: で、私たちは訊ねています - 精神か、構造全体は、 精神は、知られたものより、 自由でありえますか。 さもないと、 反復的な行為、反復的な態度、 反復的なイデオロギーが、 進んでいくでしょう - 修正され、変化したが、それは、 同じ方向に、あるでしょう。 |
| 8:08 A: どうぞ、 進めてください。 私は、或ることを 言おうとしていましたが、 仰ってきたことを終了なさるまで、 待とうと思います。 |
| 8:13 K: で、知られたものからの この自由は、何ですか。 それを理解することは、とても 重要であると、思います。 なぜなら、 どの創造的な行為も・ ・・ 私は、「創造的」という言葉を、 その元来の意味で、使っています。 創造的な作文、 創造的なパンの焼き方・・・ |
| 8:33 A: 知っています。 |
| 8:34 K: ・・・創造的なエッセイ、創造的な 絵画、という意味で、ではありません。 私は、それらの意味で 話していません。 その言葉の、 より深い意味では、 創造とは、何か全然新しいものが、 生まれつつある、という意味です。 さもないと、それは、創造的では ありません。 それは単に、反復的で、 修正され、変化したり、 過去なのです。 で、知られたものから 自由が、ないのなら、 創造的な行為は、 まったくありません。 すなわち、自由は、 知られたものの否定ではなく、 知られたものの理解を、 含意しています。 その理解は、智恵を もたらします - それは、自由の まさしく本質です。 |
| 9:31 A: ええ。私は、自分が理解した ことを、確かめたいと思います - あなたの、この言葉 「創造的」の使用について、です。 私にとって、それは、 きわめて重要に思われます。 「創造的」という言葉を 使う人々 - あなたが 叙述された意味で、 創造的なこれやあれや、その他ですが・・・ |
| 9:47 K: あれは恐怖です。 あれは、その言葉の 恐ろしい使い方です。 |
| 9:51 A: なぜなら、彼らの活動の 主題であるものは、 何か単に目新しいものであるからです。 |
| 9:58 K: 目新しい。目新しい。そのとおりです。 |
| 9:59 A: 根本的に新しいのではなく、 目新しい。 |
| 10:03 K: それは、創造的な作文のようなもの、 創造的な作文を教えるようなものです。 |
| 10:08 それは、こうも不条理です! A: そのとおり。 ええ。 私は今、 あなたが付けられた区別を、 精確に掴むと、思います。 私はそれに全く同意することを、 申し上げなければなりません - |
| 10:20 K: あなたは、新たに感じないなら、 何も新しいものを、創造できません。 |
| 10:26 A: そのとおりです。 私たちが指した他のこの意味で、 その人物は、自分は 創造的であると、想像しますが、 彼は、 自分の活動への言及が、 この観察者である人物です - すなわち、私たちが触れた、 過去へ繋がれている 観察者、です。 |
| 10:47 K: ええ、そのとおりです。 A: で、たとえ、何かが現れて、 |
| 10:48 それは本当に、とてつもなく 目新しい、単に目新しいだけ、 けれども、とてつもなく 目新しい、としても、 彼らは、自分自身を ごまかしています。 |
| 10:59 K: 目新しいものは、創造的なもの ではありません。 A: そのとおり。 |
| 11:00 K: 目新しいものは、 ただ・・・ |
| 11:01 A: 特に、今日、私たちの 文化の中で、これについて、 |
| 11:04 私たちはヒステリーに なってしまったと、私には思われます。 なぜなら、 創造的であるために、 ただもう、自分の頭脳を 絞り上げなければならないからです - 注意を引くほど、 それ自体が珍妙な何かを 産出するために、です。 |
| 11:20 K: それが、すべてです - 注意、成功、です。 |
| 11:24 A: ええ。それは、 目新しくなくてはいけません - それにより、私が頭をぶん 殴られたと感じる程度に、です。 |
| 11:31 K: 風変わりだ、その他すべて、です。 A: そのとおり。 |
| 11:33 が、その緊張が、 増大するなら、 後続の各世代において、 その人物は、ものすごい緊張に 置かれます - 過去を反復しないように、ですが、彼は それを反復せざるを、えないのです。 |
| 11:45 K: そうせざるをえない。 全くです。 そういうわけで、私は、 自由は一つのことであり、 知識は別のことである、と 言うのです。 私たちは、 その二つを関係させ、 精神が知識より自由で ありうるのかどうかを、 見なければなりません。 私たちは今、それに 入らないでしょう。 これは、私にとって 本当の冥想です。 |
| 12:08 よろしいですか。 A: ええ、分かります。 |
| 12:09 K: なぜなら・・・私たちは、 冥想について、話をするとき、 それに入るでしょうが・ ・・ そうね、頭脳が、 記録できて、 自由に記録しないで いられるのか、 頭脳は、必要なとき、 記録し作動できるのか - 記録する中、記憶において、 知識において、です。 そして、自由であり、観察者なしに 観察できるのか、です。 |
| 12:43 A: ああ、はい、はい。 分かります。 その区別は、絶対的に 必要だと、私には思われます。 さもないと、それは、 理解可能ではないでしょう。 |
| 12:53 K: で、知識は、 行為するには、必要です - 私が、ここから家に帰る、私の 生活する所へ、という意味で、です。 私は、知識を 持たなければなりません。 私は、英語を話すには、知識を 持たなければなりません。 私は、手紙を書くなどには、 知識を持たなければなりません - あらゆることに、です。 機能として知識 - 機械的な働き、役割ですが - それは、必要です。 さて、私は、あなたとの、 他の一人の人間との関係において、 その知識を使うなら、 私は、 障壁、分割を、あなたと私との間に、 もたらしつつあります - すなわち、 観察者との間に、です。 話は明らかになっていますか。 |
| 13:46 A: ええ、私は、その場合、 観察されるものです |
| 13:50 - ちょうどその脈絡に おいて、です。 K: すなわち、知識は、 関係において、 人間関係において、 破壊的なのです。 すなわち、知識は - それは、伝統、記憶、 イメージであり、 精神が、あなたについて 築いてきたものですが、 私たちが、ともに関係しあっている とき、その知識は、分離的です。 ゆえに、その関係に 葛藤を、創り出します。 私たちが先に言いましたように、 分割があるところ、 葛藤があるに ちがいありません。 インドとパキスタンの間、 インドとアメリカ、ロシア、 それらの間の分割です。 この分割的な活動は、 政治的に、宗教的に、 経済的に、社会的に、 あらゆる形で、ですが、 必然的に、葛藤をもたらすし、 ゆえに、暴力をもたらすに ちがいありません。 |
| 14:54 それは明白です。 A: そのとおり。 |
| 14:55 K: さて、関係において、 人間関係において、 知識が、 割って入るとき、 その関係には、葛藤が あるにちがいありません - 夫と妻、 男の子と女の子の間に、です。 どこでも、観察者としての 作動が、あるところ - 彼は、過去であり、 彼は、知識でありますが、 その活動には、 分割があり、 ゆえに、関係には、 葛藤があります。 |
| 15:29 A: で、今、次に 浮かんでくる問いは、 この反復的な円周に 従属することからの 自由のそれです。 |
| 15:41 K: そのとおりです。 |
| 15:42 さて、それは、可能ですか。 よろしいですか。 |
| 15:43 それは、無量の問いです。 なぜなら、人間たちは、 関係の中に、生きるからです。 A: ええ。 |
| 15:54 K: 関係なしに、 生は、ありません。 |
| 15:57 生は、関係することを、 意味しています。 |
| 16:07 A: そのとおり。 |
| 16:09 K: 僧院、修道院、 それらへ隠遁する人々、 彼らは、やはり 関係しています。 彼らが、どんなに自分は 一人であると、考えたいと思っても、 彼らは実際に、関係しています。 過去に関係しています。 |
| 16:21 A: ああ、はい。 大いにそうです。 |
| 16:23 K: 彼らの救い主、彼らのキリスト、 彼らのブッダに - よろしいですか - それらに、です。 彼らは、過去に関係しています。 A: そして、彼らの規則に。 |
| 16:30 K: そして、彼らの規則、あらゆる物事に。 |
| 16:31 A: ええ。 K: 彼らは、過去の中に生きます。 |
| 16:32 ゆえに、彼らは 最も破壊的な人々です。 |
| 16:33 なぜなら、彼らは、その言葉の、 より深い意味において、 創造的ではないからです。 |
| 16:46 A: ええ。 彼らはまた、 この混乱 - あなたが 話してこられたこと - に、 関与しているかぎり、です。 そして、何も目新しいものを、 生産してもいません、 それが、何かを意味する、 というのでもなくて、 おそらく、それは むしろ根本的に・・・ |
| 17:04 K: 目新しいことは、 話し好きな人にとっては、 話をしない僧院へ、 入ることなのでしょう。 それは彼にとって、目新しいことですし、 彼は、「それは奇跡だ!」と言います。 |
| 17:13 A: そのとおり。 |
| 17:15 K: で、すると、 私たちの問題は、こうです - 人間関係において、知識は、 どんな所を、持っていますか。 A: ええ。それが問題です。 |
| 17:25 K: それが、一つの問題です。 |
| 17:28 なぜなら、 人間たちとの関係は、 最高に重要であるからです - 明白です。 なぜなら、その関係の中から、 私たちは、 社会を、創り出すからです - 自らが その中で生きるところを、です。 その関係の中から、私たちの 存在すべてが、出てきます。 |
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17:50
A: これにより、私たちはまたもや、 先の発言に、引き戻されるでしょう
- 私は、世界であり、世界は、 私である。
K: そのとおりです。 A: それは、 関係についての発言です。 それはまた、他の多くのことに ついての発言でもありますが、 それは、 関係についての発言です。 「叙述は、叙述されたもの ではない」との発言は、 関係の破断についての 発言です・・・ |
| 18:15 K: そのとおりです。 A: ・・・毎日の活動に立って、です。 |
| 18:17 K: 毎日の活動が、 私の生です。私たちの生です。 |
| 18:19 A: あらゆる物事です。 ええ、精確です。 |
| 18:23 K: 私が、事務所、工場へ 行こうとも、バスを運転しようと、 |
| 18:25 それが何であっても、 それが、生、生きることです。 |
| 18:32 A: ですが、 興味深くですよね - その破断が、 きわめて破壊的な水準で、 なされたときですら、 思考と呼ばれるものは - 私たちの、その叙述と、 イメージの脈絡において、ですが - 自体が、さらに 歪曲されます。 |
| 18:53 K: もちろんです。もちろんです。 A: それで、歪曲は - |
| 18:55 私たちは、その適用と いうことに立って、 それを知識と 呼んできました。 叙述なさったように、「私は、 ここからそこへどう行くのかを、 知らなくてはいけない」 ではありません。 もちろんです。 それ自体は、私たちが 現在関係しているのより、 さらに悪い状況を、被りえますか。 そして、私たちは、 その病理学自体について、学術書に 次ぐ学術書を、持ちますよね。 ええ、どうぞ、どうぞ、 進めてください。 |
| 19:22 K: で、知識と自由、です。 それらは、共存しなければ なりません。 自由、そして、 知識、ではありません。 それは、 二つの間の調和です。 二つが、いつの時も 関係の中で、作動しています。 |
| 19:44 A: 調和の中で、 知識と自由が。 |
| 19:48 K: 調和の中で。それは、二つが けっして離別できないように、です。 私は、あなたとともに、 大きな調和の中に、生きたいのなら - それは、愛です。 私たちは、それについて 後で、議論するでしょう - あなたからの、この絶対的な自由の 感覚が、なければなりません。 依存、などなどなど ではなくて、 この絶対的な自由の感覚と、 同時に、知識の平野で 作動することが、です。 |
| 20:24 A: そのとおり。 で、どうにか、この知識は - もし私がここで、 私たちが話していることへ、 先入観を与えずに、神学の 言葉を、使っていいなら、 もし、この自由との 正確な関係において、 どうにか、継続的に 贖われるなら、 それはどうにか、もはや 破壊的に作動していなくて、 自由との協調の中で - 私は そこに生きるかもしれません。 なぜなら、私たちはまだ、 その自由に、到っていないからです。 私たちは、自由を、想定している だけです。そのとおり。 |
| 21:05 K: 私たちは幾らか、知識の疑問を、 分析、または議論してきました。 または、開いてきました。 A: ええ。 |
| 21:12 K: 私たちはまだ、 自由の問いへ、入っていません |
| 21:13 - それが何を 意味するのか、へ。 |
| 21:18 A: ええ。でも、私たちは、 何かを確立したと、思います - ここまでのこの会話は、 開示してきました。 それは、ひどく重要です - 少なくとも、 私の学生たちにとって、 彼らを助けるということに 立っては、そうでしょうね - あなたが仰っていることを、 誤解しないように、です。 |
| 21:38 K: 全くです。 A: 私は、 こういう感じを、持っています |
| 21:39 - 多くの人物は、あなたが仰ることへ、 充分に注意していないから、 あなたが仰る 多くの発言を、 単純に却下してしまいます。 手に負えない、と。 |
| 21:51 K: 不可能だ、と。 A: 不可能か、あるいは、 |
| 21:53 彼がその美学が 好きだとしても、 それは、やはり 自分たちには、通用しない。 それは、あちらの 麗しいものである。 「もしも私たちが、どうにかこれを できたなら、すばらしくなかろうか」と。 でも、あなたは、 そう仰っていませんね。 あなたが言ったと、彼らが考えることを あなたは、言ってきませんでした。 あなたは、知識について、病理に 関して、何かを言ってきました。 あなたは、知識について、 何かを言ってきました。 その中で、知識自体は、もはや 破壊的ではありません。 |
| 22:19 K: ええ。 |
| 22:21 A: で、私たちは、 知識そのものが、悪玉であり、 他の何かが、善玉であるとは、 言っていません。 ええ、ええ。 それが分かることが、 ひどく重要だと、思います。 私は、それが再三再四、 反復されるのを、気にしないでしょう。 なぜなら、私は、誤解することは、 たやすいと、心より感じるからです。 |
| 22:44 K: それは、とても重要ですよ。 なぜなら、宗教(レリジョン)は、 少なくとも、その言葉の意味は、 (語源的に) 注意深くあるよう、一緒に 集めることであるからです。 それが、その言葉「宗教」 (レリジョン)の真の意味です。 |
| 23:03 私はそれを、辞書で探してみました。 A: ああ、はい、同意します。 |
| 23:04 K: 注意深くあるように、 エネルギーすべてを、一緒に集める。 注意深いこと。 さもないと、 それは、宗教ではありません。 宗教は、 すべての物事であり・ ・・ で、私たちは、そこに来るとき、 それについて議論するでしょう。 で、自由は、 完全なきびしさの感覚と、 観察者の全的否定の感覚を、 意味しています。 |
| 23:36 A: そのとおり。 |
| 23:40 K: その中から、きびしさ、 他のあらゆる物事が、出てきます。 私たちは、後で それに、入るでしょう。 |
| 23:45 A: が、きびしさ自体は それを、生み出しません。 |
| 23:48 K: ええ。逆さまです。 |
| 23:49 A: で、私たちは、それを 逆さまにしてしまいました。 |
| 23:51 K: きびしい(オースティア)とは、 本当は、その言葉自体は、 灰、乾いた、もろい、 という意味ですが、 私たちが話している、 きびしさは、 何か全然違ったことです。 A: ええ。 |
| 24:07 K: このきびしさを、内的に もたらすのは、 |
| 24:08 自由です。 |
| 24:13 A: これを指している、美しい バイブルの文句が、あります。 (英語で)ほんの三言です。 「灰の代わりに美しさを」 - 変容が起きるときに、です。 英語では、「口に灰を含んで」と いう言い回しが、あります - 全部のことが、灰燼に 帰してしまったとき、ですが、 灰から美しさへの 変化が、あります。 |
| 24:35 K: で、 知識の平野において、と、 人間関係の平野における、 行為の中の自由です。 なぜなら、それが、 最高に重要であるからです - 人間関係が、です。 |
| 24:56 A: ああ、 はい、はい。 ああ、はい。特に、私が世界であり、 世界が私であるなら、です。 |
| 25:02 K: 明白です。 A: ええ。 |
| 25:03 K: で、人間関係において、知識は どんな所を、持っていますか。 |
| 25:04 過去の経験、 伝統、イメージ、 という意味での知識、です。 |
| 25:21 A: ええ。 |
| 25:22 K: 観察者は、どんな所を 持っていますか - そのすべてが、観察者です - 人間関係において、観察者は、 どんな所を、持っていますか。 |
| 25:34 A: 一方で、知識は、 どんな所を、持っていますか。 観察者は、どんな所を 持っていますか。 |
| 25:38 K: 観察者は、知識です。 A: 知識です。 |
| 25:39 が、可能性が、 あります - 知識を、 単純に否定的に、ではなく、 真に創造的な関係での協働において、 見られる、と。ええ。 |
| 25:54 K: 私はそれを、言ってきました。 A: そのとおり。 |
| 25:55 K: すなわち、私はあなたに、 関係していると、しましょう。 |
| 25:57 それを、ごく 単純にすると、 私は、あなたに関係しています。 あなたは、私の兄弟、夫、妻です - それが何であっても、です。 知識は、観察者として、 どんな所を、持っていますか - それは、過去です。 知識は、過去です。 それは、私たちの関係において、 どんな所を、持っていますか。 |
| 26:28 A: もし、私たちの関係が、 創造的であるなら・・・ |
| 26:33 K: 創造的ではありません。 「もし、なら」ではない。 私たちは、それを、実際にありの ままに、取らなければなりません。 私は、あなたに関係しています。 私は、あなたと結婚しています。 私は、あなたの妻や夫です - それが何であっても、です。 さて、その関係において、 現実とは何ですか。 現実、です。 理論上の現実ではなく、 現実は、私があなたより 分離している、ということです。 |
| 27:00 A: 現実は、私たちが分割されて いない、ということにちがいない。 |
| 27:03 K: ですが、 分割されています。 私はあなたを、私の夫、妻と 呼ぶかもしれませんが、私は、 自分の成功に、 関心を持っています。 私は、自分のお金に 関心を持っています。 私は、自分の野心、自分の妬みに、 関心を持っています。 私は、自分自身で 一杯です。 |
| 27:23 A: ええ、それは分かりますが、 私は今、確かめたいと思います - 私たちがここで、混乱に 到っていないことを、です。 |
| 27:31 K: ええ、私たちは そうなっています。 |
| 27:32 A: 現実は、私たちは分離していない ことであると、私が言うとき、 私は、現象的な水準で、 機能不全が発生しつつあると、 言うつもりではありません。 私は十分に、それに気づいていますが、 私たちが、 世界は私であり、 私は世界であると、 言おうとしているなら・・・ |
| 27:49 K: 私たちはそれを、理論的に言います。 私たちは、それを感じません。 |
| 27:52 A: 精確ですが、 それが、実情であるなら - 世界は私であり、 私は世界であることが、ですが - これは、現実的であり、 これは、現実的で・・・ |
| 28:04 K: 私が自分自身に分割を持たない ときだけ、これは、現実的です。 |
| 28:08 A: そのとおり。そのとおり。 K: が、私は分割を持っています。 |
| 28:10 A: 私は分割を 持っているなら、 |
| 28:12 何も関係が、ありません - 自分と他者との間に、です。 |
| 28:17 K: ゆえに、自らは、 観念を、受け入れるのです - すなわち、世界は私であり、 私は世界である、と。 それは、観念だけです。ご覧ください。 A: ええ、理解できますが、 |
| 28:32 もしそれが起きるなら、 そして、そのとき・・・ |
| 28:35 K: いえ、待って。私の精神に、 何が起きるのかを、見てください。 私は、その種の 発言をします - 「世界はあなたであり、 あなたは世界である」と。 そのとき精神は、それを 観念に、概念に翻訳して、 その概念に沿って、 生きようとします。 |
| 28:56 A: そのとおり。 |
| 28:57 K: それは、実在より、 抽象化したのです。 |
| 29:04 A: これは、 破壊的な意味での知識です。 |
| 29:09 K: 私はそれを、破壊的とか、 肯定的とか、呼ばないでしょう。 これが、 進んでいることです。 |
| 29:13 A: まあ、そこからの結末は、 地獄だと、言いましょう。 |
| 29:17 K: ええ。で、あなたとの 私の関係において、 知識は、どんな所を持っていますか - 過去、イメージは。 それが、観察者です。 そのすべてが、観察者です。 私たちの関係において、観察者は、 どんな所を、持っていますか。 現実に、観察者は、 分割の要因です。 |
| 29:44 A: そうです。 |
| 29:46 K: ゆえに、あなたと 私との間の葛藤です。 これが、毎日、世界で 進んでいることです。 |
| 29:53 A: すると、こう言わなくてはいけない だろうと、私には思われます - 会話を逐一、追っていくと、 この観察者の所は - それを指摘してこられたように、 理解して、ですが - 関係不全の点です。 |
| 30:13 K: 本当に、現実に、 まったく関係が ない点なのです。 私は、自分の妻と寝る、 などなどかもしれませんが、 現実に 関係は、ありません。 なぜなら、私は、自分の追求、自分の 野心、すべての体質などを、 持っているし、彼女は、 彼女のを、持っているからです。 で、私たちは、いつも 分離しています。 ゆえに、いつも 互いに闘っています。 それは、 過去としての観察者が、 分割の要因であることを、 意味しています。 |
| 30:58 A: ええ。私はただ、 確かめたいと思っていました - その言い回しは、 「観察者の所は何か」の所が、 私たちが言っていることの脈絡で、 理解されたのである、と。 私たちは、そういうものが、 あるとの発言を、しました。 |
| 31:12 K: ええ。 |
| 31:13 A: まあ、その所そのものは、 私には、こう思えるでしょうね - 私たちがふつう、それが或る所を占有する と言っている意味ではない、と。 |
| 31:22 K: ええ。 A: 私たちは、むしろ、ここで |
| 31:23 活動について、話しています - 深遠に 無秩序であるものについて、です。 |
| 31:30 K: 観察者があるかぎり、 関係に、葛藤が、 あるにちがいありません。 A: ええ。それは分かります。 |
| 31:39 K: 待って、待って。 |
| 31:41 何が起きるかを、ご覧ください。 私は、その種類の発言を、します。 誰かは、それを翻訳して、 観念に、概念にし、 「私はどうやって、その概念を生きる ことになるのか」と、言うでしょう。 事実は、彼が彼自身を観察者と 観察しないことなのです。 |
| 32:03 A: そのとおりです。 そのとおりです。 彼は、 観察者であり、あちらを見ていて、 区別をつけています - 彼自身と・・・ |
| 32:09 K: ・・・発言との間に。 A: そうです。分割を作っています。 |
| 32:11 K: 分割を。 で、観察者は、 |
| 32:13 関係において、そもそも どこか所を、持っていますか。 私は、いいえ、と 言います。 関係において、 彼が存在した瞬間、 関係は、ありません。 A: 関係は、ありません。 |
| 32:35 K: ありません。 |
| 32:36 A: それは、何か、関係不全の中に あるものではありません。 |
| 32:38 K: ええ、そのとおりです。 A: 私たちは、何か |
| 32:42 実は存在さえしないことについて、 話しています。 K: 存在もしない。 |
| 32:43 ゆえに、私たちは、その問いに 入らなくてはいけません - |
| 32:46 なぜ人間たちは、他の 人間たちとの関係において、 そんなに暴力的で あるのか、です。 なぜなら、それが、世界中で 拡がりつつあるからです。 私は先日、インドで聞かされました。 或る母親が、私に会いに来ました - きわめて バラモン的な家族で、 大変教養がある、 その他すべてです。 彼女の息子は、 六歳ですが、 彼女がその子に、 何かをするよう、頼んだとき、 その子は、棒を取って、 彼女を叩きはじめました。 知られていないこと、です。 よろしいですか。 自分の母親を叩く、 という観念は、 伝統的に、 何か信じがたいことです。 この男の子は、 そうしました。 私は、「事実が何であるかを、 見てください」と、言いました。 私たちは、それに入りました。 彼女は、理解しました、などです。 で、暴力を理解するには、分割を 理解しなくてはいけません。 A: 分割がすでに、そこにありました。 |
| 33:56 K: ありました。 |
| 33:57 A: さもないと、その子は、棒を 取っていなかったでしょう。 |
| 33:59 K: 民族、国家の間の分割、 よろしいですか。 |
| 34:02 この軍備の競争は、 暴力の要因の一つです。 すなわち、私は、自分自身を アメリカ人と呼んでいます。 他の人は、自分自身をロシア人とか、 ヒンドゥーと、呼んでいます - それが 何であっても、です。 この分割が、本当の暴力と 憎しみの要因です。 精神は、 それを見るとき、 自分自身の中の分割すべてを、 断ち切ります。 彼はもはや、ヒンドゥー教徒、 アメリカ人、ロシア人ではありません。 彼は、人間です - 自らの問題をもっていて、それから 彼はそれを、解決しようとしています - インドやアメリカやロシアという ことに立って、ではありません。 で、私たちは、 その点に来ます - 精神は、関係において 自由でありえますか。 それは、秩序立っている、という意味です - 混沌としているのでない。 A: ええ。 K: 秩序立っている。 A: そうで なくてはいけません。さもないと、 「関係」という言葉を、使えない でしょう。 |
| 35:12 K: ええ、ええ。 |
| 35:15 で、精神は、それより 自由でありえますか。 観察者より 自由でありえますか。 A: そうでないなら、望みはない。 |
| 35:25 K: それが、論点全体です。 |
| 35:27 A: そうでないなら、私たちは さんざんやってきました。 K: ええ。 |
| 35:29 すべての逃避と、他の宗教へ 入ってしまうこと、 |
| 35:30 あらゆる種類のごまかしをする ことは、何の意味も、ありません。 さて、これは、大変多くの 知覚、洞察を、要求します - あなたの生の事実へ、自らが 自分の生をどう生きるのかへ、です。 結局のところ、哲学(フィロソフィー)は (語源的に、)真理の愛を、 意味しています - 何か抽象への 愛ではなく、英知の愛です。 |
| 36:03 A: ああ、はい、 はい、はい。 英知は、 最高に実践的です。 |
| 36:07 K: 実践的です。ゆえに、 さて、ここで、です。 すなわち、人間は、自由の中、 関係に生きられて、 なおかつ、知識の平野に 作動できますか。 |
| 36:24 A: なおかつ、知識の平野に 作動できますか。ええ。 |
| 36:26 K: そして、絶対的に 秩序立っている。 さもないと、それは 自由ではありません。 なぜなら、秩序は、美徳を、 意味しているからです。 |
| 36:40 A: ええ、ええ。 |
| 36:42 K: それは、現時点で 世界に、存在していません。 何事にも、美徳の感覚が、 ありません。 それから、私たちは 反復します。 美徳は、 創造的なものです。 生きているものです。 動いているものです。 |
| 36:57 A: 美徳(ヴァーチュー)について、こう 仰っているとき、私は考えていました - それは本当は (語源的に)、力です。 それは、本当は、 行為できる能力です。 お話に、正確に 付いていっているなら、 あなたが本当に 仰っていることは - 私がここで逸れてしまっている なら、どうぞ、訂正してください - あなたが本当に仰っている ことは、こうです - 厳密な意味で、 行為できる能力は、 創造的でなければならない。 さもないと、それは行為(作用)でない。 それは単純に、反応(反作用)です。 |
| 37:43 K: ええ、反復です。 A: 反復です。 |
| 37:46 すなわち、行為できる能力や、 あなたが表されたような美徳は、 必然的に、秩序の含意を、 自らに帯びています。 そうでなければなりません。 私にとって、そこからの 抜け道はないと、思われます。 ええ。私は、一時に一歩、それを 取り戻したいと思いました。 |
| 38:10 K: で、私は、 戻ってきていいですか。 今、存在するような、 人間関係において - 私たちは、それを見つめています。 実際に有るものを、です - その人間関係において、 葛藤が、あります。 性的な暴行、 などなどなど、 あらゆる種類の暴力、です。 さて、人は、全的な平和に 生きられますか。 さもないと、人は、 創造的ではありません。 人間関係において、です。 なぜなら、それが、生すべての 基礎であるからです。 |
|
38:55
A: あなたがこれを追求なさってきた さまに、私は大いに惹かれています。
私は注目しました。
すなわち、 私たちが、この質問をしたとき
- 「それは可能ですか」と、 ですが -
それへの言及対象は、いつも、 総体です。
K: ええ。 A: そして、こちらでの 言及対象は、断片です。 または、 断片化や分割です。 あなたは、 一方から他方への移行が、 存在さえする 動きであることを、 一度も 仰らなかったですね。 |
| 39:32 K: ええ。 それは、存在できません。 全くです。全くです。 絶対です。 |
|
39:35
A: クリシュナムルティさん、 私は思うのですが、
あなたが仰った この発言ほど、掴むのが
困難なものは、何もないんです。
K: これからあれへ、と。 A: 私たちが教わることは、何もない - 子どもの頃からずっと・ ・・ K: 知っています。 A: ・・・そういう可能性を、 真摯に捉える事柄へ、 与えることは、です。 なぜなら・ ・・ まあ、もちろん、 あらゆる人が 教育されてきたさまについて、 おおざっぱな発言を したくはないのですが、 私は、自分自身について、 考えています - 子どもから、 大学院を出るまで、 ずっと、 この知識を、たくさん 蓄積しています - あなたが 話してこられたものを、です。 私は、誰かが私に 言ってくれたことや、 断定的にこの区別をする文献を、 指し示してくれたことさえ、 憶えていません - 一方と他方の間で、 互いということに 立って、です。 移行をとおして 互いに到達可能、ではなくて。 |
| 41:00 K: ええ、ええ、ええ。 全くです。全くです。 |
| 41:02 A: さて、私がそこで、お話を 理解するのは、正確でしょうね。 |
| 41:05 K: 全くそうです。 |
| 41:08 A: おそらく私はこれを、余談と して、言えたのかしれません。 |
| 41:10 K: 断片は、 全体になれません。 |
| 41:13 A: ええ。断片は、 全体になれません - それ自体で、 自体から、です。 |
| 41:16 K: が、断片はいつも、 全体になろうとしています。 |
| 41:19 A: そのとおり、 そのとおり。 さて、もちろん、長年の、 これへの、きわめて真剣で 献身的な熟考と探検の中で - 全く明らかに、あなたは それを、大きな熱情をもって、 行ってこられました - あなたは思いついたに ちがいないと、私は思います。 すなわち、これを 初めて見ることは、 自分が 観察者の状況にいる間、 きわめて怯えさせるにちがいない - 観察者の状況において、 移行がない、という思考は、です。 |
| 41:59 K: いいえ。ですが、 私はけっして、それをそのように 見たことが、ないんですよ。 |
| 42:04 A: あなたがそれを、どうご覧に なったのかを、どうぞ教えてください。 |
| 42:11 K: 子どもの頃から、私はけっして自分が ヒンドゥーだと、考えませんでした。 |
| 42:17 A: なるほど。 |
| 42:18 K: 私は、イングランドで教育を 受けたり、その他すべてのとき、 自分はヨーロッパ人であると けっして、考えませんでした。 私は、けっして、あの罠に 捕らわれませんでした。 私は、それがどう 起きたのかを、知りません。 私は、あの罠に、けっして 捕らわれませんでした。 |
| 42:33 A: まあ、そのとき、 あなたが、全く小さくて、 あなたの遊び友だちが、 あなたへ、 「さあ、ごらん、君は ヒンドゥーだよ」と、言ったとき、 あなたは、何と言いましたか。 |
| 42:42 K: 私はたぶん、ヒンドゥー教とか、 バラモンの伝統の罠すべてを、 まとったでしょうが、 それは、けっして、 深く浸透しませんでした。 |
| 42:51 A: 地元の言葉で言うように、 それにけっして、靡かなかった。 |
| 42:54 K: それに、けっして 靡かなかった。そのとおりです。 |
| 42:56 A: なるほど。それは、きわめて 著しい。それは、とてつもない。 世界の大多数の人々は、 これに関して、 靡いてしまったように、 思われます。 |
| 43:08 K: そういうわけで、 思うのですが、そうね、 宣伝が、変化の手段に なってしまったのです。 |
| 43:27 A: ええ、ええ。 |
| 43:29 K: 宣伝は、 真理ではありません。 反復は、 真理ではありません。 A: それはまた、一つの形の暴力です。 |
| 43:36 K: そうなんです。 |
| 43:38 で、単に観察する精神は、 自らの条件づけに 沿って、 観察されるものに、 反応しません。 それは、どの時にも、 観察者がない、 ゆえに、分割がない、と いう意味です。 それが、私に 起きました。 私は、どうしてそれが起きたのかを、 知りませんが、それが起きてきました。 これらを 観察する中で、 私は、 あらゆる人間関係を、 あらゆる種類の人間関係を、 見てきました - この分割があり、ゆえに、 暴力が、あるのです。 私にとって、 無関係の本質こそが、 私とあなたの要因です。 |
| 44:31 A: 私は、私自身の個人史に、 遡ろうとし、 私が子どもだったときについて、 考えようとしていたんです。 私は、自分が違っていることを、 受け入れながらも、 けれども、他の何かが、 あることを、信じていました。 受け入れるようになりました。 それが、いつも私を、 きわめてしっかりと、中心へ 保っていました。 あれを、究極的な主題とする、と いうことに立って、ですが、 あれは、私がボートを、漕いで いたとき、した経験でした。 私は、子どものとき、スカンジナビアで、 幾らか時間を、過ごしました。 私は、毎日、ボートに乗って、 フィヨルドへ出たものでした。 私は、漕いだとき、 水の作用に、深遠に 動かされました。 私が、オールを 動かしたとき、です。 なぜなら、私は、オールを 水から、揚げましたが、 水とオールの間には、 実体に、分離が ありましたが、 水は、支えのため、 足がかりのために、必要だったし、 それで、私は 推進できたのです。 けっして自体との触れ合いを、失わず、 それはいつも、自体へ戻りました。 始まりに、けっして自体を 残しておくことなしに、です。 46:00 ひとたび、私がしばしの間、 自分自身を笑って、言いました - もし、自分がこの水を、これ以上 長く見つめているのを、 誰かに 見つかったなら、 自分ははっきりと正気を失って いると、思われるだろう、と。 これはもちろん、観察者が 自分自身に話しているんですが、 あれは、私に 深遠な印象を、与えたので、 私が思うに・ ・・ それは、私にとって、言うところの、 小さな救いであったと、思います。 私はけっして、あれを 失いませんでした。 で、たぶん、何か 関係が、あります。 あの把握 - 私の存在を 変化させたと思うものと、 あなたが 話しておられること、 この分離の感覚をまったく 被ったことがない者として、 話しておられるのが、 何であるのかとの間に、です。 46:38 ええ、どうぞ、 先へ進んでください。 |
| 46:43 K: で、これで、私たちは その点へ、導かれますね - 人間精神は、分離の中、 断片化の中で、 進化してきましたが・・・ |
| 47:03 A: これが、 進化の在処(ありか)です。ええ。 |
| 47:05 K: そういう精神は、変容できますか。 再生を被れますか - 影響力により、 宣伝により、 脅しと処罰により、 生み出されていない 再生を、です。 なぜなら、それは、褒賞を得ようと しているから、変化するのなら・ ・・ A: それは、変化していません。 |
| 47:33 K: ・・・それは、変化していません。 |
| 47:35 で、それが、根源的なことの一つです。 自らが訊ねて、 答えなくてはいけないことです - 言葉ではなく、行為において、です。 A: 行為において、ああ、そうです。 |
| 47:47 K: すなわち、 |
| 47:51 私の精神、 人間の精神は、 矛盾の中、二元性の中で、 進化してきました - 「私」と「非私」です - この伝統的な 分断、分割、断片化の中で、 進化してきました。 さて、その精神は、この事実を 観察できますか - 観察者なしに、 観察する。 そのときだけ、 再生が、あります。 観察者が、これを 観察しつつあるかぎり、 そのとき、 葛藤があります。 話が明らかになっているのか どうか、私は知りません。 |
| 48:38 A: ええ、なっています。二つの水準で、 きわめて明らかになります。 談話のみの水準で - それが、あなたの主要な関心事で ないのは、存じています - 談話のみの水準で、 必然的に、そうなります - この可能性が存在することが、 実情であるにちがいない、と。 さもないと、私たちは、 戯言を話しているでしょう。 が、それから、広く 状況の苦悩が、あります - 私たちが 叙述してきたことですが、 単純に、これができるのか できないのかは、 けっして、或る人物には 思いつかない、ということです。 それが思いつくことすら 欠如した中で、 反復は、無際限に 進んでいこうとしているし、 物事は、ますます 悪くなろうとしています。 |
| 49:26 K: 困難は、ほとんどの人々は、 聞こうとさえしない、ということです。 |
| 49:33 A: 私は、ため息をついています。 私はそれを、知っています。 |
| 49:37 K: 聞こうとしません。 彼らは、聞くのなら、 自分の結論をもって、聞きます。 私は、共産主義者であるなら、 或る点まで、あなたに聞くでしょう。 その後、私は、あなたに 聞かないでしょう。 私はわずかに、痴呆に なっているなら、 私は、あなたに聞いて、 聞こえることを、自分の痴呆に応じて、 |
| 50:06 翻訳するでしょう。 A: そのとおり。 |
| 50:09 K: で、聞くには、とてつもなく 真剣でなくてはいけません。 私の固有の先入観と 体質を脇に置き、 仰っていることを聞く、 という意味で、真剣です。 なぜなら、聞くことは、 奇跡であるからです - あなたが言ってきたことを、私は どうしようか、ではありません。 |
| 50:38 A: 私は何を聞こうか、 ではありません。 |
| 50:41 K: 聞く行為です。 |
| 50:42 A: 聞く行為、自体です。 私たちは(現在進行形の)ing に、聞く こと自体があるところに、戻っています。 |
| 50:52 K: それに必要な・・・つまり、 あなたは、良くも、話を 聞いてくださいます。 なぜなら、あなたは、 見出したいからです。 が、大多数は、「あなたは、 何について、話していますか。 私は、 楽しみつづけたいんです。 だから、行って、他の誰かへ話して ください」と、言います。 で、雰囲気を、創り出す、 環境、感じを、創り出す - 「ほら、生は、 恐ろしく深刻ですよ。 友よ、どうぞ、聞いてください。 それはあなたの生です。 それをむだにしないで、 どうぞ、聞いてください」と。 聞くであろう人間を、 もたらすことが、 最も重大です。 なぜなら、私たちは、 聞きたくないからです。 それには、あまりに 動揺させられます。 |
| 51:41 A: 理解できます。 私は、時々、授業で、この点こそを 示そうとしてきました。 時々、私は、動物を 見守るべきだと、提案します - 特に、 野生の動物を、です。 なぜなら、それは、聞いていないなら、 死んでしまいがちだからです。 |
| 52:03 K: ええ、死んでしまう。 |
| 52:05 A: それが行う、この とてつもない注意が、あります。 その生のあらゆる 瞬間が、危機です。 |
| 52:17 K: ああ、絶対に、です。 |
| 52:20 A: 何が起きるか、 ご存じですか - あちらの目は、おおむね、彼らが こう考えていることを、示します - 私が、動物心理学について、 話しているのだ、と。 私は、心理学について、 まったく話していません。 私は、そうか、そうでないかの実情が 何であるかについて、話しています。 「どちらか」から、 抜ける道は、ありません。 それが、私がいう意味です。 で、お話を理解できると、思います。 |
| 52:41 K: そうね、アメリカで、 今、起きつつあることは、 私が観察するところ - 私は間違っているかもしれません - 人々は、 真剣ではありません。 人々は、新しい物事、 愉快な物事で、 遊び戯れています。 一つの ことから、別のへ行きます。 彼らは、これが探求であると、 考えます。 |
| 53:06 A: 探求か! |
| 53:09 K: 探求し、訊ねているが、 彼らは、 |
| 53:13 それら各々の罠に、掛かります。 A: ええ。 |
| 53:15 K: その終わりに、彼らは、 灰しか持っていません。 で、人間たちが、 真剣であること、聞くことは、 ますます困難に なりつつあります - 自らが何であるべきか、ではなく、 自らが何であるかを見ることが、です。 A: ええ、実情が何であるか。 |
| 53:36 K: 有るもの、です。 |
| 53:37 A: そのとおり。 |
| 53:38 K: それは、「どうぞ、五分間、 聞いてください」という意味です。 |
| 53:39 この会話の中で、 あなたは、聞いています。 なぜなら、あなたは、興味を持ち、 見出したいと思うからです。 が、大多数の人々は、 言います - 「後生だから、 私を放っておいてくれ。 私は、 自分の小さな家、自分の妻、 車、ヨットを持っている」 - それが何であっても、です - 「後生だから、私が生きているかぎり、 何をも、変化させないでくれ」と。 |
| 54:13 A: そうね、私がそれについて何かを 知っていることへ、戻っていくと - すなわち、学会です。 なぜなら、 私は、日々の活動ということで、 そこに、立場を置いているからです。 私は、会議に出席する中で、 しばしば、自分自身に述べてきました - そこでは、文書が読み上げられ ますが、誰も聞いていない、と。 それは、 一つの長い独白です。 しばらしの後で、 それは本当は、 衝撃的な時間のむだだ、 という感じを、受けます。 それから、座って、 コーヒーを飲むのさえ、 たとえば、 授業の合間の議論は、 ふつう、ぺらぺらと しゃべる基調で進みます。 私たちは、自らが真実には 興味を持たない物事について、 空間を埋めるために、 話をしているだけです。 けれども、これは、単純に、 進んでいることの叙述より、 はるかに深刻な事態です。 |
| 55:13 K: それは、生と死の事態であると、 私は感じます。 A: そのとおり。 K: 家が燃えているのなら、私は 何かを、しなければなりません。 それは、誰が家を 燃やしたかについて、 私は議論しようとしている、 ってことではありません。 A: ええ、ええ。 |
| 55:25 K: 彼の髪が何色だったのか、 |
| 55:26 それは黒か、白か、 紫だったのか、と。 私は、あの火を、 消したいのです。 |
| 55:32 A: または、もしも、これこれが 起きていなかったなら、 家は、燃えていないだろう、と。 そのとおり。 分かります。分かります。 |
| 55:40 K: 私は、 それは切迫していると、感じます。 なぜなら、私はそれを インドで見るし、 私は、ヨーロッパと アメリカで、見るからです - 私がどこに行こうとも、 この弛みの感覚、 そうね、絶望の感覚、 進んでいる 望みなき活動の感覚、です。 で、私たちが言っていることへ、 戻ってくると、 関係は、 最高に重要です。 その関係に、 葛藤があるとき、 私たちは、その葛藤をさらに 進める社会を、生み出します - 教育をとおし、 国家主権をとおし、 世の中で進んでいる その他すべてをとおして、です。 で、真剣な人は - 本当に関心をもち、参与している人、 という意味で、真剣です - 自らの全的な注意を、 この関係、自由と知識の問いへ、 注がなければなりません。 |
| 56:48 A: 私は、お話を正確に 聞いてきたのなら - 私がいうのは、私たちの間で交わされて きた言葉、ということではなく、 あなたに真に 聞いてきたのなら、 私は、何か、とても恐ろしいことを、 聞いてきました - すなわち、部分的に私たちが 叙述してきた、この無秩序は、 そこに、組み込まれた必然性を 持っている、っていうことです。 それが存続しつづけるかぎり、 それは、けっして変化できません。 それは、けっして変化できません。 |
| 57:25 K: 明白です。 |
| 57:26 A: それへのどの修正も・・・ K: さらなる無秩序です。 |
| 57:28 A: ・・・同じことが、 もっと出てきます。 |
| 57:30 K: 同じことが、もっと出てくる。 A: 同じことが、もっと出てくる。 |
| 57:31 私は、その感じが していますし、 |
| 57:32 私は、お話を正確に理解したことを 望みます - すなわち、 この必然性の頑なさと、 段階的な前進がありえない との事実との間には、 関係があるのだ、と。 または、 哲学者が表すようなら、 何か、本質的な前進と いったものは、ないが、 にもかかわらず、何か 悪魔(デーモン)的な前進が、ある - この無秩序の中で 起きることであり、 それは、前進である、 というより、むしろ、 同じことの激増です。必然的に、 そうです。 |
| 58:19 K: 全くです。 それが、あなたが仰ってきたことですか。 必然的に、そうである、と。 K: そうね、「前進」というその言葉は - 私は先日、聞かされましたが - 完全に武装して敵国へ 乗り込むことを、意味している、と。 |
| 58:29 A: 本当ですか。ああ! 前進は、完全に武装して敵国へ 乗り込むことである、と。 やれまあ。 |
| 58:43 K: これが、起きつつあることですよ。 A: ああ、知っています。 |
| 58:45 次回、私たちが 会話をするとき、 次回、あなたによろしければ、 私たちがちょうど到ったことを、 精確に追求したいと、 大いに思っています。 言うところの、 この必然性と、 あの発言を生み出した必然性を、です。 |
| 59:06 K: ええ、全くです。 |