Krishnamurti Subtitles
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SD74CA4 - 責任ある人間とは、何か
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| 0:37 クリシュナムルティの、アラン・ W・アンダーソン博士との対話 |
| 0:42 J.クリシュナムルティは、 南インドに生まれて、 イングランドで 教育を受けた。 過去四十年に わたって、彼は 合衆国、ヨーロッパ、 インド、オーストラリアと、 世界の他の地方で、 話をしてきた。 彼は、 生涯の仕事の最初から、 組織された宗教と イデオロギーとの 関連すべてを 拒絶して、 自らの唯一つの関心事は、 人を絶対的に無条件に 自由にすることである、 と言ってきた。 彼は、 多くの書物の著者であり、 それらの中には、 『智恵の覚醒』、 『変化の緊急性』、 『既知からの自由』、 『鷲の飛翔』が、 ある。 1:19 これは、クリシュナムルティと アラン・W.アンダーソン博士との間の 一連の対話のうちの 一つである。 博士は、 州立大学サンディエゴ校の 宗教学の教授であり、 そこで彼は、 インドとシナの聖典と 神託の伝統を、 教える。 アンダーソン博士は、 詩人として作品を発表し、 コロンビア大学と ユニオン神学大学院より 学位を受けた。 彼は、 カリフォルニア州立大学より、 最優秀教育賞の 表彰を、受けた。 |
| 1:47 A: クリシュナムルティさん、 ちょうど、私たちが前回、 会話の中で 止めた地点で、 私たちは、間の区別について、 疑問を取り上げました - 私は自分の行為に、責任を持た なければならないとの概念と・ ・・ ただ責任を持つこととの間で、です。 |
| 2:04 K: そのとおりです。 |
| 2:07 A: 私は、ここに座って、 一人で考えていました - 「ああ、私たちは、なぜ 続けられないのかな」と。 で、おそらく私たちは、あの点から 出発できるのでしょう。 |
| 2:17 それで、同意して いただけるでしょうか。 K: 私は、きわめて明確な区別が、 あると、思います - 何かに責任を持つのと、 責任を持つのとの間で、です。 何かに責任を持つことは、 方向を、含意しています - 方向づけられた意志を、 ですが、 責任(レスポンシビリティ)を感じる ことは、或る方向へ、ではなく、 あらゆる物事へ応答できる責任、 という含意です - どの特定の一方向へ、 でもありません。 教育に責任を持つ、 政治に責任を持つ、 私の生き方に、 責任を持つ。 私の振るまいに、 責任を持つ。 それは、完全な責任能力の 全的な感じです - それは、行為が起きる ところの基盤です。 |
| 3:20 A: すると、これにより、私は この事柄へ連れ戻されると、思います - 私たちが話していた 危機の事柄へ、です。 危機が継続的であるならば、 「私は自分の行為に責任がある」と 言うことは、 誤解につながります。 なぜなら、私はまたもや、そのことを あちらに置いてきたからです。 それは、私が混乱するための 機会に、なります - 手近にあって、 する必要があることと、 私の行為についての構想、 この概念との混乱です。 なぜなら、私は 私の行為であるからです。 |
| 3:52 K: ええ、まさにそうなんです。 そうなんです。 A: 私はそれです。 |
| 3:53 K: それは、 責任の感じが、 |
| 3:54 表現される、 という意味です - 政治的に、宗教的に、 教育的に、ビジネスに、 生の全体に、です。 全的な振るまいに、責任を持つ - 特定の方向に、 ではありません。 「私は、自分の行為に 責任がある」と言うとき、 大変多くの違いが、あると、 私は思います。 それは、 あなたが、観念に沿って 自分の行為に責任がある、 という意味です - すなわち、あなたが、行為について 予想していたことに沿って、です。 |
| 4:41 A: そのとおり。ええ。 人々は、時々、 こう言うでしょう - 子どもは、責任がないから、 自由である、と。 |
| 4:55 K: ああ、子どもは・・・ 子どもは、入れられません。 |
| 4:59 A: ええ、 もちろんですが、 私は時々、思います - 私たちは、こう言うとき、 過去に対して、この郷愁を 持っているんです。 まるで、私たちの自由は、制約からの 自由であるかのように、です。 ところが、自らは、真正に、絶対的に 自らの行為であるなら・・・ |
| 5:18 K: 制約は、ありません。 |
| 5:20 何も制約は、ありません。 A: まったく制約は、ありません。 |
| 5:21 K: まったく、ありません。 A: そのとおり。そのとおり。 |
| 5:22 K: なぜなら、ご覧ください。 |
| 5:23 この全的な責任の感じを 持っているなら、 あなたの子どもたちに 関して、 あなたの責任は、 何ですか。 それは、教育、 という意味です。 あなたは、様式に順応する精神を、 もたらすように、 彼らを 教育していますか - その様式は、社会が 確立してきたのです。 それは、あなたが、 今ある社会の不道徳性を 受け入れる、 という意味です。 あなたは、全的に 責任を感じるなら、 その子が 生まれた瞬間から、 その子が死ぬ瞬間まで、 あなたは、責任があります。 正しい種類の教育 - 子どもを順応させる 教育ではありません。 成功の崇拝と、 民族性、国籍の分割 - それは、戦争をもたらします。 よろしいですか。 6:31 そのすべてに、あなたは 責任があります。 特定の方向に、 だけではありません。 たとえあなたが、 特定の方向にいるとしても - 私は、自分の行為に 責任があります - あなたの行為は、何に 基づいていますか。 あなたの行為が、 あなたへ手渡されてきた 定式の結果であるとき、 あなたは、どうして 責任を持てますか。 |
| 7:00 A: ええ。仰る意味は、 すっかり分かります。 |
| 7:02 K: 共産主義者のように、です。彼らは 「国家が責任がある」と、言いますね - 「国家を崇拝しなさい。 国家が神である。 あなたは、国家に 責任がある」と。 それは、彼らが、 国家が何であるべきかを 構想してきた、という意味です - 観念的に定式化してきた。 それに沿って、 あなたは行為する、と。 それは、責任ある 行為ではありません。 それは、(応答しない) 無責任な行為です。 ところが、行為は、 今、する、という意味です。 動詞「する」の、 能動的な現在です。 それは、今、すること、 今、行為することです。 今、行為することは、過去より 自由でなければなりません。 さもないと、あなたは、 反復しているだけです - 反復、伝統的に 続けてゆくこと。 それは・・・ |
| 8:08 A: 私は、「易経」の何かを、 思い起こします - それは、 指し示されたこの原理の、 反映であると、 私は思います。 私は、抽象における原理、 ということで、言っていません。 私が、 標準的な翻訳の一つから、 それを正確に 引用しているなら、 それは、このように 言います - 「優れた人は・ ・・」 それは、 自由な人は、という意味です。 上下関係の構造で、 ではありません。 「・ ・・自らの思考をして、 自らの状況を、越えさせない」。 それは、彼はただ単に、ありのままに 存している、という意味でしょう。 あちらの何かへ、責任を 持つのではありません - どう責任を持つべきかとか、 彼が何をすべきかを、 彼に語ろうとしている 何かへ、です。 彼がいる瞬間に、 彼は、いつも・・・ |
| 9:12 K: 責任がある。 A: ・・・責任がある。 |
| 9:12 K: いつも、です。 A: 彼はただ単に、 |
| 9:13 自らの思考をして、 自らの状況を、越えさせません。 |
| 9:14 それは、あの言葉「否定」へ、 戻ってゆきます。 なぜなら、彼は、 自らの思考をして、 自らの状況を、 越えさせないのなら、 彼は、思考がそうする可能性を、 否定したからです。 そうでないですか。 |
| 9:25 K: ええ。全くです。 |
| 9:29 A: ああ、ええ、ええ、ええ。 それは分かります。 私が、これら他の引用へ 言及している理由は、 あなたが 仰っていることが、 真実であるなら、 そして、彼らが言うことが、 真実であるなら - それらがいかに理解されて いるか、理解されていないかに、 全く関連なしに、です - そのとき、ここには、何か共通した ものが、あるにちがいありません。 私は、あなたの強調が、 実践的であると、悟ります - 著しく実践的で、 行為に則っていますが、 私にとって、それは、 大きな価値があると、思われます - もしも、偉大な文献と会話し、 親交することが、できたなら、です。 それらには、 多くの発言があり、 それらが理解されていない事実について 苦情が、ありますが、 私は、それを 大きな得と、見ます。 |
| 10:33 K: 私は、どの書物、 どの文献をも 読んだことが、 ありません・ ・・ A: ええ、理解できます。 |
| 10:45 K: ・・・その意味において、です。 |
| 10:47 仮に、世界に、 書物がないと、しましょう。 A: 問題は、同じです。 |
| 10:54 K: 問題は、同じです。 |
| 10:55 A: もちろんです。 もちろんです。 |
| 10:57 K: 指導者はいない。 教師はいない。 |
| 10:59 あなたに、「これをしろ、 あれをしろ、これをするな、 あれをするな」と 言う人は、誰もいない。 あなたは、 そこにいます! あなたは、全的に、 完全に、責任を感じます。 |
| 11:13 A: そのとおり、ええ。 |
| 11:16 K: そのとき、あなたは、 驚くほど活動的で明晰な頭脳を、 持たなくてはいけません - まごついたのではなく、 戸惑ったのではなく、 うろたえたのではなくて、 明瞭に考える精神を、あなたは、 持たなければなりません。 あなたは、 過去に根づいているなら、 明晰に考えられません。 あなたは単に、継続しています - おそらく修正されて、 現在をとおして、未来へ。 それが、すべてです。 で、そこから 問いが、生じます - 人間関係における 責任とは、何ですか。 |
| 12:01 A: ええ。今、私たちは、 関係に戻っています。 |
| 12:03 K: なぜなら、それが、生の 基本的な土台であるからです。 関係、すなわち、 関係すること、 接触しあっていること。 A: 私たちは現在、関係しています。 |
| 12:20 K: 関係しています。 |
| 12:22 A: これが、有るものです。 K: ええ。 |
| 12:23 さて、人間関係とは 何ですか。 |
| 12:25 私が全的に責任を 感じるなら、 その責任は、関係において いかに表現されますか。 私が子どもを持っているなら、 私の子どもに対して、 私の家族に対して、 私の隣人に対して - 隣人が お隣にいようと、 一万マイル、 離れていようと、 彼は、やはり 私の隣人です。 で、私の責任とは、 何ですか。 人の責任とは、 何ですか - 全的に感じて、自分自身に とって光である、この感じに、 完全に関与し、全的な責任が あると感じる人の、です。 これが、問いであると、 思います - 究明されなくては いけないことだ、と。 |
| 13:30 A: ええ。私が何を 考えているのかを、お分かりですか。 私は、考えています - あなたが仰ってきたような、 責任のある人物だけが、 私たちの言語で言うところの、 明瞭な決断をできる、と。 |
| 13:46 K: もちろんです。 もちろんです。 |
| 13:48 A: 多くの決断は、 ほつれています。 |
| 13:56 K: 私はあなたに、これを お訊きしたいと、思います - いったい決断が、 ありますか。 決断(デシジョン)は、 選択を含意しています。 A: ええ。 |
| 14:11 K: 選択は、 |
| 14:12 混乱している精神を、含意しています - これとあれとの間で、です。 |
| 14:17 A: それは、根本的(、語源的)に、 断ち切る、切り離すことを、 |
| 14:22 意味していると、 思います。 K: ええ。 ですが、明瞭に見る 精神は、選択を持ちません。 それは、決断しません。 それは、行為します。 |
| 14:32 A: ええ。これにより、 私たちは、またもや 「否定」という、この言葉に、 連れ戻されませんか。 |
| 14:36 K: ええ、もちろんです。 |
| 14:38 A: こういうことかもしれません - 明瞭な決断は、 この否定の点で起きることに立って、 解釈されるかもしれなくて、 そこから、違った行為が、 流れる、と。 |
| 14:49 K: が、私は、「決断」という その言葉を、使いたくありません。 なぜなら、これとあれとの間で、 決断することは・・・ |
| 14:59 A: あなたは、それを 使いたくない。 そこでの、 葛藤の含意のためですか。 |
| 15:04 K: 葛藤、選択。 A: 分かります。 K: 私たちは、選択するから、 自分は自由であると、考えます。 |
| 15:15 自分は選択できる、と。ですね? A: ええ。 |
| 15:16 選択が可能な精神は、 自由ですか。 または、選択するのは、 自由でない精神ですか。 選択は、これとあれとの間を、 含意していますね。 明白です。 さて、それは、 精神が、明瞭に見ない、 ゆえに選択がある、と いう意味です。 混乱が、あるとき、 選択が、存在します。 |
| 15:48 A: ええ、ええ、ええ。 |
| 15:49 K: 明瞭に見る精神 - そこに、選択は ありません。それは、しています。 これが、 私たちがかなり紛糾に 入り込んでしまったところ であると、私は思います - 私たちが、 自分たちは自由に選択できる、 選択は自由を含意している、 と言うとき、です。 私は、正反対だ、と 言います。 選択は、 混乱していて、ゆえに、 自由でない精神を、 含意しています。 |
| 16:18 A: 今、私に 思いつくことは、 自由を、状態というより、 むしろ、 行為の属性や性質と 見做すことの間の違いです。 ええ。 ですが、私たちは、 自由は 状態、状況であるとの概念を、 持っています。 それは、あなたが私を 導いてゆかれるところの強調とは、 全く違っています。 |
| 16:45 K: ええ、そのとおりです。 A: ええ、ええ、ええ。 |
| 16:46 K: で、これに戻りましょう。 すなわち、 |
| 16:48 関係において、 人間の責任は、何ですか - この感覚を 感じる人の、です。 なぜなら、関係が 生であるからです。 関係が、 私たちの存在の基盤です。 関係は、絶対的に 必要です。 さもないと、あなたは 存在できません。 関係は、協働を 意味しています。 あらゆる物事が、その一言に、 関与しています。 関係は、愛、寛大さを 意味しています。 そうね、そのすべてが、 含意されています。 さて、関係において、 人間の責任とは、何ですか。 |
| 17:42 A: もしも私たちが、真正に、 完全に分かち合っていたならば、 責任は、十分に 存在しているのでしょうね。 |
| 17:53 K: ええ。ですが、それは、どのように 関係の中に、表現されますか。 今、あなたと私の間だけではなく、 男と女の間、 ・・ ・私の隣人との間、 あらゆる物事への関係、 自然へ、です。 自然への、 私の関係は、何ですか。 私は、行って、アザラシの 赤ちゃんを、殺すのでしょうか。 |
| 18:23 A: いえ、いえ。 |
| 18:28 K: 私は、行って、人間たちを 破壊するのでしょうか - 彼らを敵と呼んで、です。 私は、自然を、あらゆるものを、 破壊するのでしょうか - 人は今、 そうしています。 人は、大地を、空気を、海を、 あらゆるものを、破壊しています。 なぜなら、人は、全的に 無責任に感じるからです。 |
| 18:51 A: 彼は、あちらにあるものを、何か それへ作動すべきものと、見ます。 |
| 18:56 K: ええ。すなわち、彼は、 アザラシの赤ちゃんを、殺します。 私は先日、映画で それを見ました。 それは、おぞましいことです。 そして彼らは、キリスト教徒です。 彼らは、キリスト教徒を 名乗っています - 行って、小さなものを 殺しています。 誰かご婦人が、毛皮として 着るために、です。 よろしいですか。 全部が、全的に不道徳です。 で、戻ってくると、 私は言います - この責任は、私の生において、 どのように現れますか。 私は結婚しています - 私はしていませんが、 仮に、私は結婚している、とします。 私の責任は、何ですか。 私は、妻に 関係していますか。 |
| 19:45 A: 記録は、あまり 良く見えません。 |
| 19:47 K: 記録だけではなく、 実際、です。 |
| 19:50 私は、妻に関係していますか。 A: はい。 |
| 19:51 K: または、私は、自分が妻について 築いてきたイメージに沿って、 彼女に 関係していますか。 そして、私は、そのイメージに 責任がある。よろしいですか。 |
| 20:02 A: ええ、なぜなら、私の入力は、 あのイメージに関して、 継続的であったからです。 |
| 20:06 K: ええ。 で、私は、妻と何の関係をも、 持っていません - 私が彼女について、イメージを 持っているなら、です。 または、私が自分自身について イメージを持っているなら、です - 私は成功を収めたい、 その他すべての ときに、です。 |
| 20:22 A: 私たちは、「今」について、話して いた上は - 今であること、です - 接触の点が、あると、 思います。 あなたが 仰っていることと、 私たちの前の会話の一つで あなたが使われた言い回し、 「現在の裏切り」との間で、です。 |
| 20:43 K: 絶対的に、です。 そうね、それが、 論点全体です。 私が、あなたに 関係しているなら - 私は、あなたについて イメージを持っていないか、 あなたは、私について イメージを持っていません。 そのとき、私たちは 関係を持っています。 私が、自分自身についてとか、あなたに ついて、イメージを持っているなら、 私たちは、何の関係をも 持っていません。 私たちのイメージが、 関係を持っています - 実際に、私たちが関係を 持っていないとき、です。 私は、自分の妻や誰かと 眠るかもしれませんが、 それは、 関係ではありません。 それは、 物理的な接触、 感覚的な興奮であって、 他の何でもありません。 私の責任は、イメージを 持たないことなのです! |
| 21:40 A: これは、心に 思い起こさせます - 私が思うに、英語の中で、 最も麗しい発言の一つです。 私はそれを、私たちが分かち合って きたことということに立って、 理解したいと思います。 キーツの詩「エンディミオン」からの これらの数行です。 この発言には、 何か奇跡的なもの、 驚くべきことが、 あります。 それは、 あなたが仰ってきたことに、 直接的に関係していると、 私には思われます - 「美しさのものは、 永遠に喜びなり」 それから、彼はこう言います。 まるで、それは十分でないかのように、 こう言います - 「その麗しさは、いや増す」と。 それから、まるで、それが十分では ないかのように、こう言います - 「それは、 けっして無に帰すまい」と。 さて、現在が 裏切られないとき、 それは、満ちています - 富みつづける充実をもって、です。 |
| 22:54 K: ええ、全くです。 理解できます。 |
| 22:55 A: 私はそこで正確でしょうか。 K: ええ、そう思います。 |
| 22:57 A: それが真に、彼が言っているに ちがいないことだと、思います。 |
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22:58
また、私の心を よぎったことの一つは、
彼がそれを、美しさのものと 呼ぶことです。
彼はそれを、美しいものと 呼びません。
K: ええ。 A: それは、美しさのものです。 まるで、 それが、美しさの子であるように、です。 この間の、 驚くべき継続です。 それは美しいと、私が考えるから、 それは美しい。 ゆえに、それは 外側にある、ではありません。 ええ、ええ、ええ。 |
| 23:29 K: 私たちは、戻ってきます。私は これに、拘らなければなりません。 なぜなら、これは、本当に、 全く重要であるからです。 なぜなら、 どこへ行こうとも、 人間たちの間に、 関係は、ないからです。 それは、悲劇です。 そこから、私たちの葛藤、抗争、 暴力すべてが、生じます - 事柄の全体が、です。 で、もし・ ・・もし、ではない。 この責任があるとき - この責任の感じが、です - それは、関係において、 それ自体を翻訳します。 それが誰とであるのかは、 大事なことではありません。 知られたものからの自由 - すなわち、イメージから、です。 ゆえに、その自由の中に、 善が、花開きます。 |
| 24:27 A: 善が花開く。 |
| 24:29 K: それが、美しさです。 それが、美しさです。 美しさは、 抽象的なものではありません。 それは、善さに 伴います - 振るまいでの善さ、 行いでの善さ、行為での善さに、です。 |
| 24:45 A: 時々、 私たちが話してきた間、 私は、「もし」のついた文章を、 始めていました。 私は、あなたの目を 覗きこんできて、 即時に私は、 それを外しました - 私は、自分が間違ったことを 言ったのを、知りました。 それはちょうど、一分前にあなたが、 「もし」と仰ったように、です。 あなたは、「いえ、~のとき」 と仰いました。 私たちはいつも、「もし、 しているなら」と、やっています。 |
| 25:02 K: 分かります - 「もし、しているなら」と。 |
| 25:04 A: それは、ひどい。 K: 存じています。 |
| 25:05 私たちは いつも、実在より、 むしろ抽象を、 取り扱っています。 |
| 25:12 A: 即時に私たちは、 「もし~なら」と、 あちらに 構造が、あります。 それについて、私たちは果てしなく 話します。 |
| 25:18 K: そのとおりです。 |
| 25:20 A: 私たちは、それについて ますます利巧になります。 それは、何とも、 何の関わりも、ありません。 ええ、ええ、ええ。 |
| 25:29 K: で、この責任は、 人間の振るまいにおいて、 どのように、自体を 翻訳しますか。 よろしいですか。 A: ええ。 |
| 25:41 暴力に、終わりが あるでしょう。 |
| 25:47 K: 絶対に、です。 A: 先細りしないでしょう。 |
| 25:50 K: 私たちが何を してきたのかを、ご覧ください。 |
| 25:54 私たちは、 暴力的な人間です。 性的に、道徳的に、 あらゆる面で、 私たちは、 暴力的な人間です。 それを解消できなくて、私たちは、 理想を創り出してきました - 暴力的でないことの、です。 すなわち、事実、 そして、事実の抽象化、 すなわち、非事実、です。 そして、非事実を 生きようとします。 |
| 26:28 A: ええ。即時に、それが 葛藤を、生み出します。 なぜなら、それは できないからです。 |
| 26:31 K: それは、葛藤、悲惨、混乱、 その他すべてを、生み出します。 さて、なぜ精神は、 そうしますか。 精神は、そうします。 なぜなら、 それは、この暴力の事実を、 どうべきかを、 知らないからです。 ゆえに、暴力的でないとの 観念を、抽象する中で、 それは、行為を 先送りします。 私は、非暴力的であろうと しています。 その間に、私はしっかり 暴力的です。 A: ええ。 |
| 27:05 K: それは、 事実からの逃避です。 |
| 27:07 すべての抽象は、 事実からの逃避です。 で、精神は、 そうします。 なぜなら、それは、事実を 取り扱う能力が、ないからです。 または、それは、事実を 取り扱いたくないからです。 または、それは、怠けていて、 こう言います - 「まあ、私は、いつの日か、 それをしてみよう」と。 それが事実より、引き下がるとき、 それらすべてが、関与しています。 さて、同じようにして、 事実は、こうです - 私たちの関係は、 存在していません。 私は妻へ、「愛しているよ」 等々と、言うかもしれませんが、 それは、 存在していません。 なぜなら、私は、彼女について イメージを持っていて、 彼女は、私について、イメージを 持っているからです。 で、私たちは、抽象の上に 生きてきました。 |
| 28:06 A: 私は思いついたんですが、「事実」 (ファクト)という言葉自体 - それについて、長い演説に 終わりは、なかったんですが - |
| 28:15 K: もちろんです。事実、「有るもの」。 それを、「有るもの」と呼びましょう。 |
| 28:18 A: 実際、それ(ファクト)は(語源的に) なされたことを、意味しています。 |
| 28:22 K: なされた。ええ。 A: 何かの記録ではなく、 |
| 28:24 実際に、何かなされたこと、 遂行されたこと。行為、行為。 それは、あの「事実」 (ファクト)の意味です - その言葉「事実」の、 私たちの使用については、 「私に事実と数字を示してくれ」と、 私たちは、英語で言うでしょう。 「私に事実を示してくれ」と。 私たちが、そう言うとき、 そういう意味ではありません。 |
| 28:42 K: ええ、 A: ええ、ええ。 |
| 28:44 あの抽象的な意味での 事実と数字は、 たぶん、 要らないでしょうね。 |
| 28:52 K: そうね、これにより、 ものすごくたくさん開示されます。 |
| 28:55 A: 分かります。 |
| 28:57 K: あなたは、 責任を感じるとき、 自分の子どもたちの教育へ 責任を感じます - 自分の子どもだけではなく、 子どもの、です。 あなたは、 社会に順応するように、 子どもたちを、 教育していますか。 あなたは、単に就職するように、 彼らを教育していますか。 あなたは、ずっとあったものの 継続へ、彼らを教育していますか。 あなたは、抽象の中に生きるように、 彼らを、教育していますか - 私たちが今、そう しているように、です。 で、父親、母親としての あなたの責任は、何ですか。 あなたが誰なのかは、大事でありません - 教育において、責任をもつ。 一人の人間の教育に、です。 それが、一つの問題です。 あなたの責任は、何ですか - あなたが、人間の成長、 人間の文化、人間の善さに 責任を感ずるなら、です。 大地へ、自然への、 あなたの責任は、何ですか。 よろしいですか。 責任を感ずることは、 ものすごいことです。 |
| 30:35 A: ちょうど私の心に、 思いつきましたが、 私は、それについて、 お訊きしなければなりません。 私たちが先に見た書物の中で、 「否定」という言葉は - それは、私たちが言っている ことに、連続していますが - それ自体、かなり危険に 晒されていると、思います - 私たちが、否定について 持っている普通の概念によって、です。 それは、ただ単に、禁止です。 そういう意味ではない。 そういう意味ではないです。 |
| 31:13 K: ええ、ええ。もちろんです。 |
| 31:15 A: 私たちが、ギーターの中の、 将軍(アルジュナ)と 彼の御者、主クリシュナとの間の 出来事を、見直したとき、 主の応答は、否定でした - それが禁止である ことなしに、です。 |
| 31:35 K: 全くです。全くです。 A: ・・・そうでないですか。 |
| 31:36 K: 私は知りません。私は・・・ A: ええ、ええ。私たちが |
| 31:36 ちょうど、通りぬけて、言うことに なったことに立って、です。 |
| 31:38 K: ええ、 もちろんです。 |
| 31:43 A: そのとき、 違いが、あります。 |
| 31:45 子どもを育てる - 現在に根本的に子どもに 関係する、ということに立って、ですが、 その中で否定は、 私たちが見てきた書物に、ここで 触れられているとおりですが、 それは、継続的に、そして即時に、 活動的に、存在しています。 そして、ただ単に、 歩き回って、自分自身に、 「さて、私は子どもを育てている。 ゆえに、私は、 これらのことを、してはならない。 あれらのことを、してはならない。 あれをしなければならない」と言う こととの間に、です。 そのとおり。 全然違ったことですが、 否定を禁止と見る習慣を、 止めなくてはいけません。 |
| 32:30 K: もちろんです。 また、責任には、愛、 気づかい、注意が、伴いますね。 |
| 32:41 A: ええ。先に私は、 責任への関係で、 気づかいについて、 お訊きしようとしていました - 即時に、自然に流れるであろう 何か、です。 |
| 32:52 K: 自然に、です。 |
| 32:53 A: 私は、こう企画しなくては いけない、ということではありません - 私は後で、 気づかわなくてはならない、 それで、私は忘れまい。私は それとともに、あるだろう、と。 |
| 33:00 K: そうね、そこにはまた、 大変多くが、関与していますよ。 なぜなら、母親は 子どもに依存するし、 子どもは、母親に 依存するからです - または、父親に。 それが誰であっても、です。 で、その依存が、 養成されます - 父親と母親の 間だけではなく、 教師にも、依存します。 何をすべきかを語ってくれる 誰かに、依存します。 自分の導師に、 依存します。 よろしい? A: ええ、ええ。分かります。 |
| 33:39 K: 次第に、その子は、その人は、 一人で立つ能力が、ありません。 |
| 33:40 ゆえに、彼は、言います - 「私は、 妻に、依存しなければならない。 自分の慰めのため、 セックスのため、 自分のあれこれや 他のことのために。 私は、彼女なしでは、 迷ってしまう。 私は、導師なしには、 教師なしには、迷ってしまう」と。 それは、こうも 滑稽になります! で、責任の感じが、 存在するとき、 このすべてが、 消え去ります。 あなたは、 責任があります - あなたの振るまいに、 あなたの子どもの育て方に、 あなたの犬の、 隣人、自然の扱い方に、です。 あらゆる物事が、 あなたの手に、あります。 ゆえに、あなたは、 自らがすることに、 驚くほど 気をつけなくてはいけません。 34:43 気をつける - 「私はこれをしてはならない。 私はあれをしなければ ならない」、ではありません。 気づかう - それは、 慈しみを、意味しています。 それは、配慮、勤勉を 意味しています。 そのすべてが、 責任に伴いますが、 現在の社会は、それを 全的に拒否します。 私たちが、様々な導師について、 議論を始めるとき - それは、この国に 輸入されていていますが - それが、 彼らがしていることです - こんなに 害毒を創り出し、 あれらの人々、 不幸で無思考であり、 興奮を求める人々を、 集めて、 あらゆる種類の、滑稽な たわけたことを、させています。 で、私たちは、 戻ってきます。 自由は、責任を 含意しています。 ゆえに、 自由、責任は、 気づかい、勤勉を、意味しています - 怠慢、ではありません。 35:53 あなたがしたいことを、 することではありません。 それは、アメリカで 起きつつあることです - 自分がしたいことを、 しろ、と。 この放任は、ただ、自分が したいことを、することです。 それは、 自由ではありません。 それは、無責任を 生み育てます。 私は先日、デリー、 ニューデリーで、 或る女の子に、 会いました。 彼女は、チベット人になって います。 よろしいですか。 アメリカに生まれて、キリスト教徒であり、 それらの中で育ってきて、 それらを投げ捨てて、 行って、チベット人になる。 それは、違った言葉での 同じことです。 |
| 36:43 A: ええ。チベット人がこちらへ 渡ってきて、それをやっているように。 |
| 36:47 K: それは、すべて滑稽です。 A: ええ。 |
| 36:48 K: 私は彼女を、何年か 知っていました。 |
| 36:49 私は、「あなたのお子さんは、 どこにいるの?」と、言いました。 その子は六歳でした。 彼女は、 「ああ、私は、あの子を、 他の解脱したチベット人たちに、 任せておいたわ」と、言いました。 私は、「六歳で? あなたは、 母親ですよ」と、言いました。 彼女は、「ええ、彼はちゃんと面倒を 見てもらっています」と、言いました。 私は翌年、戻ってきて、訊ねます - 「お子さんは、どこにいるの? 」と。 「ああ、彼はチベットの僧侶に なりました」と。 その子は、七歳です。 彼は、七歳ですが、 チベットの僧侶になったのです! |
| 37:23 理解されますか。 A: ああ、はい。分かります。 |
| 37:25 K: その無責任さ。 なぜなら、母親は、 「彼らのほうが、私より、よく 知っている」と、感じるからです - 「私はチベット人だし、 ラマたちは、 私が変わるのを、助けてくれる だろう」等と。 |
| 37:40 A: それは、あのバイブルの発言に かなり不吉な色合いを、与えます - 「子を、その行くべき道に 従って教えよ。 そうすれば、年老いても、 それを離れることが、ない」と。 そこには、 不吉な音色が、ありますね。 |
| 37:52 K: 絶対に、です。 で、これが、世界で いつの時も、進んでいます。 本当に真剣な人は、 それを、否定します。 なぜなら、彼は、 それらの含意、内面性を、 理解するからです。 で、彼は、それを 拒否しなくてはなりません。 それは、意志や 選択の問いではありません。 彼は、「それはあまりに、ばかげている。 あまりに不条理だ」と、言います。 で、自由は、責任と、 無限の気づかいを、意味しています。 |
| 38:37 A: あなたがちょうど仰った言い回し、 「無限の気づかい」・・・ |
| 38:40 K: そうです。 |
| 38:43 A: ・・・それは、私たちが いうところの有限な存在にとって、 全的に不可能に なるでしょう - もしも、有限な存在が、現在を 裏切らなかったなら、です。 |
| 38:56 K: 分かります。 A: 「現在を 裏切らないことでもって」は、 |
| 38:57 またもや、否定語です。 それは、またもや否定です。 現在を裏切らないことでもって ・ ・・それは、そうでないなら、 何が起きるだろうかと 言うことではありません。 |
| 39:07 K: 「現在」、今という言葉は、 かなり難しいですよ。 |
| 39:12 A: ああ、はい。 哲学者たちは、それを、 見かけの現在と 呼ぶのが、大好きです。 |
| 39:16 K: 私は、哲学者が何を 言うのかを、知りません。 私は、それらの思弁的思考へ 入りたくありません。 が、事実、「今」とは、 何ですか。 今、現在の行為とは、 何ですか。 現在を理解するには、私は、過去を 理解しなければなりません - 歴史を、ではない。私は そういう意味で言っていません。 |
| 39:39 A: ああ、はい、 はい、はい。 |
| 39:40 K: 過去としての私自身を、 理解する。私は過去です。 |
| 39:44 A: 私たちが先に、知識について 言ったことに立って、です。 |
| 39:46 K: ええ。私はそれです。 A: ええ。 |
| 39:48 K: ゆえに、私は過去を、 理解しなければなりません |
| 39:50 - すなわち、私を、です。 「私」は、知られたものです。 「私」は、知られていない ものではありません。 私は、それは、知られていない ものだと、想像できますが、 事実は、「有るもの」は、 知られたものなのです。 それが、私です。 私は、自分自身を 理解しなければなりません。 そうしないなら、 今は、単に 修正された形での、 過去の継続です。 ゆえに、それは、今ではない。 現在ではない。 ゆえに、「私」は、 伝統、知識です - 錯綜した策略、工作 すべてにおいて、です。 ずるい、それらです。 よろしいですか。 絶望、心配、 成功への欲望、恐れ、 楽しみ、そのすべてが、 私です。 |
| 40:49 A: 私たちは、 まだ、ここで 関係についての議論に、 関与している上は、 私たちは、前にいたところへ、 一瞬、戻ってもいいでしょうか - 教育と関係に 関して、です。 私は、ここで自分がお話を理解した ことを、確かめたいと思います。 たとえば、自分は幸運にも、学校を 持っていたと、しましょう - あなたが指し示されておられることが、 起きつつあるところを、です。 |
| 41:19 K: 私たちは、そうしようとして います。私たちは、そうしています。 |
| 41:21 私たちは、七つの学校を持っています。 A: すばらしい。すばらしい。 まあ、私たちは、それについて 話をする機会が、あるでしょうね。 |
| 41:26 K: ええ。 A: 良いです、良いです。 |
| 41:29 私はここで通用しているなら、 こう思えるでしょう - 教師は、全的に子どもに 立ち会っているなら、 その子は、これを 感じるだろう。 その子は、そのとき、 これが何を意味するかを、 教示されなくていいだろう、と。 それは、正しいですか。 |
| 42:02 K: ええ、ですが、 教師の、学生への関係が、何であるかを 見出さなくてはいけません。 |
| 42:08 A: ええ、ええ。それは 全く分かります。 もちろんです。 |
| 42:11 K: その関係は、何ですか。 彼は単に、 情報提供者であり、 その子に、情報を 与えているだけですか。 どの機械も、 それをできます。 |
| 42:22 A: ああ、はい。図書館は、 それで充たされています。 |
| 42:23 K: どの機械も、それをできます。 または、彼の関係は、何ですか。 彼は、自身は あそこの教壇の上に立ち、 学生を、 下のそこに置きますか。 または、 教師と学生との間の関係は、 それは、中に 学びがある関係ですか - 学生とともに、 教師の側にも、です。 |
| 42:54 学んでいる。 A: ええ。 |
| 42:55 K: 私は学んできた。私はあなたに 教えようとしている、のではありません。 そこには、ゆえに、 分割が、あります - 教師と学生との間に、です。 が、学生の側とともに、 教師の側にも、 学びが、あるとき、 分割が、ありません。 どちらも、学んでいます。 |
| 43:17 A: ええ。 |
| 43:19 K: ゆえに、その関係は、 交友をもたらします。 A: 分かち合いを。 |
| 43:26 K: 分かち合いを。 |
| 43:27 A: ええ、分かち合いです。 K: ともに旅を行います。 |
| 43:27 ゆえに、どちら側にも、 無限の気づかい、です。 |
| 43:30 で、それは、 こういう意味です - 教師は どのように、学生に 数学なり、何なりを 教えますか。 なおかつ、 あなたは、その子に智恵を 目覚めさせるような形で、 教えるのです - 数学について、 ではありません。 |
| 44:04 A: ええ、 もちろんです。ええ。 |
| 44:07 K: あなたは、どのように、 この教える行為を、もたらしますか - その中に、秩序が あるものを、です。 なぜなら、数学は、秩序を 意味しているからです。 最高の形の秩序が、 数学です。 さて、あなたは、どのように 学生に、伝えるのでしょうか - 数学を教える中で、 彼の生に、秩序があるべき である、ということを、です。 青写真に沿った秩序、ではありません。 それは、秩序ではありません。 よろしいですか。 A: ええ、ええ。 |
| 44:51 K: ゆえに、それは・・・ それは、創造的に教えることです |
| 44:52 - 創造的、ではない。それは、 いつの時も学ぶ行為です。 で、それは、 生きているものです。 何か私が 学んできて、 私があなたに授けようと しているもの、ではありません。 |
| 45:16 A: これで、私は、昔自分の読んだ 小さなエッセイを、思い起こします - シモーヌ・ ヴェイユによるもので、彼女は それを、「学術研究について」とか、 何かそのような題名で、呼びました。 彼女は、こう言いました - 科目を教える者は誰もみな、 学生に対して、 関係を教えることに、 責任がある。 彼らが研究していることと、 学生が純粋な注意の行為を していることとの間の関係を、です。 |
| 45:47 K: 分かります。もちろんです、 もちろんです。 |
| 45:49 A: しかも、 それが起きないなら、 この全体は、何一つ、 意味をもちません。 |
| 45:53 K: そうなんです。 |
| 45:54 A: 立ち止まって、教師が何と 言うだろうかを、考えるとき、 もしも、学生が歩んできて、 彼を見つめて、こう言った、とします - 「いいですよ。 私たちはちょうど 今、微積分を研究しています。 今、あなたは、私がこれを どう見るべきかを、語ります。 私が純粋な注意の行為をしていることへの 関係で、追求しているこれを、です」と。 それは、少し厄介に なりそうですね - この、現在を掴んでいる、 最も異例な人物以外は、ね。 |
| 46:22 K: 全くです。 で、まさにそうなんです。 教育において、 学生に対する 教師の関係とは、 何ですか。 彼は、単に順応するよう、 彼を訓練していますか。 彼は、単なる記憶を養成するよう、 彼を訓練していますか - 機械のように、です。 彼は、学生が、生について学ぶよう、 訓練しているか、助けていますか - セックスについて だけではなく、 生について、 生きることの無量性全体、 その複雑さ、です。 私たちは、そうしていません。 A: ええ。 |
| 47:07 ええ、私たちの言語に おいてさえ、 私たちは、学生たちに 科目に、注目させます。 彼らはこれを取る、彼らはあれを取る、 彼らは他を取る、と。 実は、これら他のものを 取るためには、 必須条件が、あります。 これにより、教育の概念が、 築かれます - それは、絶対的に 何の関係もない・・・ |
| 47:31 K: まったくない。 |
| 47:32 A: けれども、 それでも驚くべきことに、 国中の大学や 専門校の要覧には、 最初のページかそこらに、 かなり敬虔な所見が、あります - 彼らが学校へ行くことと、 文明の価値との間の、 関係について、です。 それは、一連の観念を学ぶこと であると、分かってしまいます。 まあ、それをまだするのか どうか、私は知りませんが、 そこには、「人格」という言葉を 入れたものです。 たぶん、それは不人気だと 判断されたし、 今では、たいがい捨てられて しまったかもしれません。 それは、確かではありません。 ええ、ええ、ええ。 |
| 48:12 仰っていることに、 付いていっていますよ。 K: で、あなたが、 責任を感じるとき、 本当の慈しみが、 花開くのです。 理解されますか。 子どもへの気づかいが、 花咲くのです。 あなたは、自分の国のために、 行って、他の一人を殺すよう、 その子を訓練したり、 条件づけたりしません。 よろしいですか。 そのすべてが、 そこに関与しています。 で、私たちは、或る点に来ます - そこで、人間は、 今、そうであるように、 無責任であるよう、 こうも条件づけられています。 真剣な人々は、無責任な人々を、 どうしようとしていますか。 理解されますか。 教育、政治、宗教、 あらゆる物事が、人間たちを 無責任にしつつあります。 私は誇張していません。 そうなのです。 |
| 49:36 A: ああ、そうです。あなたは、 誇張なさっていません。ええ。 |
| 49:39 K: 今、私は、人間として、 これを見ます。 私は、「私は何をすべきか」 と言います。 よろしいですか。 無責任な人たちに向き合って、 私の責任とは、何ですか。 A: まあ、それがどこかで 始まるのであれば、 |
| 49:54 英語で言うように、それは、家(ホーム)で 始まらなければなりません。 それは、私で始まらなければならない でしょう。 |
| 49:58 K: ええ、家で。 で、私は言います - それが、論点全体です - |
| 50:02 私は、自分でもって始めなくては なりません。 A: そのとおり。 |
| 50:04 K: そのとき、そこから 問いが、生じます - そのとき、あなたは、無責任な 人たちについて、何もできません。 A: ええ、そのとおり。 |
| 50:12 K: ああ、いいえ。 |
| 50:13 何かふしぎなことが、 起こります。 |
| 50:18 A: ああ、お話を 誤解しました。すみません。 私が、そこで 返事をした意味は、 私は無責任な人たちを、 攻撃しない、ということです。 |
| 50:25 K: ええ、ええ。 A: ええ、ええ。 はい、どうぞ進んでください、ええ。 |
| 50:26 K: 何かふしぎなことが、 起こります - すなわち、 |
| 50:27 意識、 (応答できない)無責任な意識は、 一つのものですが、 (応答できる)責任の意識は、 別のものです。 さて、人間が、全的に 責任があるとき、 その(応答できる)責任は、無意識的に、 無責任な精神に、入ります。 何かが伝わっているのか どうか、私は知りません。 |
| 51:05 A: ええ。いえ、いえ。 先に進んでください。 |
| 51:09 K: ご覧ください。 私は、無責任です。 仮に、私は無責任であり、 あなたは、責任がある、とします。 あなたは、私について 意識的に、何もできません。 なぜなら、あなたが、能動的に 私に対して、作動すればするほど、 私は抵抗するからです。 |
| 51:29 A: そのとおりです。 そのとおりです。 それが、私が、攻撃しないと 言ったことの意味です。 |
| 51:33 K: 攻撃しない。私は、あなたに 暴力的に反応します。 私は、あなたに対して、 壁を築きます。 私は、あなたを傷つけます。 私は、 あらゆる種類のことを、しますが、 あなたは、自分が意識的に、何も できないことが、分かります - 能動的に、です。 そのように表しましょう。 A: 意図的に。 |
| 51:48 K: 意図的に、計画的に、です。 |
| 51:50 それが、彼らがみんな しようとしていることですが、 あなたは、私に、私の無意識に 話をできるなら - 無意識は、はるかに 活動的であり、はるかに鋭敏で、 はるかに・ ・・危険を見る。意識 より、はるかに素早いからです。 で、それは、 はるかに敏感です。 で、あなたは、私に、 無意識に、話をできるなら、 それが、作動します。 で、あなたは、無責任な人たちを、 能動的に、意図的に、攻撃しません。 彼らは、 そうしてきました。 彼らは、それを めちゃくちゃにしてきました。 |
| 52:39 A: ああ、はい。それは、そのことを 混交させ、さらに錯綜させます。 |
| 52:41 K: ところが、あなたが彼に話をする、 あなたが、私に話をするなら、 あなたの内的な 意図全体は、 私がいかに無責任であるか、 責任が何を意味するかを、 示すことです。 よろしいですか。 あなたは、気づかいます。 言い替えるなら、あなたは、 私を気づかいます。 |
| 52:58 A: はい、はい。私は、 くすくす笑っていました。 なぜなら、全くの対極、正反対が、 私の心をよぎったからです。 それはただ、絶対的に不条理だと、 思われました。ええ。 |
| 53:11 K: あなたは、私を 気づかいます。 なぜなら、私は 無責任であるからです。 よろしいですか。 A: そのとおり。 |
| 53:16 K: ゆえに、あなたは、 私を気づかいます。 |
| 53:17 ゆえに、あなたは、 見守っています - 私を傷つけないように、 ・ ・・よろしいですか。 そのようにして、 あなたは、 きわめて、きわめて深く、 私の無意識の中に、浸透します。 それは、知らずに作動します。 そのとき私は、突然に、 「おや、私は何と 無責任なのか」と、言います。 お分かりですか。 それは、作動します。 私は、これを 見てきました - 作動中なのを、です。 なぜなら、私は、幸か不幸か、 五十年の間、大きな聴衆に、 話をしてきたからです - どの新しいことへも、 ものすごい抵抗です。 たとえば、もしも私が、 「聖典を読むな」と、言ったなら - 私は、いつの時も そう言います - なぜなら、あなたはただ、 順応し、服従しているからです。 あなたは、生きていません。 あなたは、自分が読んできた 何かの書物に沿って、 生きています。 即時に、抵抗があります。 「私たちに 語るあんたは、誰なんだ?」と。 A: 何かをしないように、と。 |
| 54:24 K: これを したり、あれをしたりしないように、と、 |
| 54:26 で、私は、「いいですよ。 見てください」と、言います。 私は、指し示しつづけます。 指し示しつづけます。 私は彼らを、変化させようと していません。 私は、宣伝を していません。 なぜなら、私は、宣伝を信じていない からです。 それは、嘘です。 で、私は言います - 「ご覧なさい。 あなたが無責任であるとき、 何をするかを、ご覧なさい。 あなたは、自分の子どもたちを 破壊しています。 あなたは、彼らを 戦争へ、送ります - 殺され、不具にされるように、 そして、殺し、不具にするように。 それが、愛の行為ですか。 それが、 慈しみですか。それが、気づかいですか。 なぜあなたは、そうしますか」と。 私はそれに、入ります。 彼らは、困惑します。 彼らは、何をすべきかを、 知りません! よろしいですか。で、それは ゆっくりと、染み込みはじめます。 |
| 55:15 A: まあ、初めに、 それは衝撃です。 それは、或る人たちには、 断然、破壊的に聞こえます。 |
| 55:23 K: ああ、絶対に、です。 絶対に、破壊的です。 |
| 55:25 A: もちろんです。 ええ、もちろんです。 |
| 55:31 K: で、私たちは今、 何かへ入ります。すなわち、 他の一人への、 私の関係です - 全的な責任が あるとき、です。 その中で、自由と気づかいが、 相伴います。 精神は、関係において、 まったくイメージを、持ちません。 なぜなら、イメージは、 分割であるからです。 気づかいが、あるところ、 イメージは、ありません。 |
| 56:12 A: これにより、私たちは、 おそらく後で追求できるかもしれない ことへ、導かれるでしょう - 愛、です。 |
| 56:22 K: ああ、それは、ものすごい ことです。 A: ええ、ええ。 |
| 56:24 K: 私たちは、それに 入らなくてはいけません。 |
| 56:26 A: 私たちは、その前に、二言、 三言を、言っておけるでしょうか。 |
| 56:27 私は必ずしも、次回、私たちがそうする だろうとは、知りませんが、 それは、自然に 来るでしょう。 私は、仰ってきたことを、 聞いてきましたが、 こう思いつきました - 自らが、責任を持ち、 気づかいが、それに接続しているなら、 自らは、恐れないだろう、と。 恐れるわけがないだろう。 ないだろう、ではない。 わけがない。 |
| 57:03 K: わけがない・・・ |
| 57:04 その可能性が、ない。 A: 恐れるわけがないでしょう。 |
| 57:06 K: ちょっと待って。 そうね、それは本当は、 |
| 57:13 自らが恐れを理解しなければ ならない、という意味です。 A: 自らが、恐れを 理解しなければならない。 |
| 57:15 K: また、 楽しみの追求をも、です。 それら二つは、相伴います。それらは、 二つの分離したことではありません。 |
| 57:24 A: 私たちの議論の中、ここで 私が学んできたことは、 それが何なのか、私がお話に 正確に付いてきたなら、 私たちは、理解の方に 向かうべきですが、 価値と呼ばれるものではない、という ことです。 |
| 57:41 K: ああ、はい! |
| 57:43 A: 私たちは、 愛を理解しません。 私たちは、 自らがしてしまっている、 それらすべてのことを、 理解します - いかなる可能性をも、 妨害することを、です。 これは、こうも 聞きづらいことです - 何の可能性もないのだと、 告げられることは。 これは、無量の恐怖を、 生み出します。 次回、私たちは、 一緒に会話をするとき、 この地点で始められると、 お考えですか - 私たちが、恐れについて 議論できるかもしれないところ、です。 |
| 58:17 K: ああ、はい。 A: いいです。 |
| 58:18 K: ですが、私たちは、恐れに 入る前に、何かが、あります |
| 58:18 - 私たちが、よく気をつけて 議論すべきこと、です。 自由の中で、 秩序とは何ですか。 |
| 58:36 A: よろしい、よろしい。 ええ、ええ。 |