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WO78DSS2 - 圧力より自由であることは、可能なのか
ウルフ・レイク学校 学校討論、第2回
カナダ、ヴィクトリア
1978年4月21日



0:17 クリシュナムルティ: 初めに私が、話すべきですか。 私が始めるべきですか。 あなたたちが、私のことを、厚かましいとか、個人的だとか、 詮索好きだとか、思われないことを、願っています。 私たちは - 私があなたたちに質問をすることから、 おそらく、私たちは互いを はるかによく理解し合えるだろうと、思うのです。 私はよろしければ、もう一度お訊きしたいと思います。 どうぞ、私が厚かましいと、考えないでください。 私たちは、教師、教育者として、 先のことへの踏み石として、ここにいますか。 質問を理解されますか。
1:25 質問者: 私たち自身が、ということですか。
1:28 K: 私たち自身と、私たちの仕事です。 これは、一時的な住居、 一時的な状態であり、ここから、 より上の水準へ動くか、さらに去って行くのか、です。 私たちは、この問いに答えるべきだと私は思います。なぜなら、 私たちは、この種の学校を、一緒に創り出そうとしているなら、 私たちは、自分たちの意図が何であるかが、きわめて明らかでなければなりません。 短期の間だけではなく、 私たちの生の全体にわたって、です。 私たちは、その事態について、明らかであるべきだと、思います。 なぜなら、私たちはこれを、単に先へ、 ここを離れて、より上への踏み石として、使っているなら、 それは、全く自らの動きを、持っています。 ところが、私たちが、これが、私たちが本当にしたいことであると言うなら - 完全に、全的に、それが、 こういう学校を創り出すことが、私たちの深い確信、 深い興味である、と言うなら、 そのとき、それは、全然違った動きを持っています。 理解されますか。
2:54 で、私は、どうぞ、よろしければ、お訊きしたいと思うのです。 おそらく、あなたはそれに、答えたくないでしょう。 たとえ答えなくてもいいが、私に、あなたへ質問をさせてください。 これは - あるいはむしろ、お訊きしてもいいなら、 あなたは、これらについて、真剣ですか。
3:30 私たちは真剣であるなら、 私たちの意図が、ともに学校を創り出すことであるなら - (創設者の)二人の(シドゥー)姉妹だけではなく、 ともに、私たちのみんなが、です - そのとき私たちは、互いの中に、集団を、形成しないでしょう - 互いに対立し合ったり、 敵味方に分かれたりする集団を、形成せず、 ともに、私たちは、同じ船に乗り合わせています。 ゆえに、私たちが本当に業務に真剣であることが、 すっかり確かであることが、とても深刻になるのです。 それが、私がお訊きしたいと思うすべてです。 業務、というのは、 私たちは、ものすごい上り坂の闘いを、抱えている、ということです - 特に、カナダでは、そうです。 私たちは、学校として、知られていません - カナダ中で、です。 おそらく、このあたり、 半径5マイル、3マイルの中で、私たちは知られているかもしれませんが、 カナダ中で、私たちは知られていません。 私たちは、カナダ中で知られなければなりません。 それはどうすれば、可能ですか。 なぜなら、私たちは明白に、もっと多くの子どもたち、もっと多くの教師が、 必要であるからです - それは、拡大しなければなりません。 私たちはともに、進んで、 この重荷を、分かち合おうとしていますか - 拡大の、強烈さ、興味関心のそれと、献身の感覚を、です。 それらをすべて、一つに表して、すみません。 私たちはそれを、二、三人の他の人に任せ、 (創設者の)二人の(シドゥー)姉妹や私自身や誰かに、任せてしまうなら、 それは、何にもならないでしょう。 私たちは、一緒であるなら、それを創造するでしょう。 この事柄で一緒であるとは、 私たちが真剣である、という意味合いです - それは私たちの家である、それは私たちの場所である、 私たちは全面的に、これに参与している、ということなのです。
6:17 そうね、 私たちが、インドで学校を始めたとき、 私は、たまたま、その長となりました。 それは、大事なことではありません。 私はそれについて、ふつうに話すでしょう。 私たちは、南インドのリシ・ヴァレーで始めたとき、 灯りも、電気もなかったし、水がほとんどありませんでした。 私たちは、日の出とともに起きて、日の入りとともに、ベッドへ行きました。 私たちは、いかなる種類の便利なものをも、持っていませんでした。 ですが、一団の人々が、いました - 校長と、わずかな教師、です。 彼らは、「これが、私たちが余生の間、したいことである」と言いました。 私たちは、床に眠りました。 私たちは、あらゆる種類の困難を、経てゆきました。 そこは、その献身的な数人から、成長して、 大いなる事態になりました。 300人の学生がいて、彼らは、教師の養成を行おうとしています。 そして、あらゆる種類のことが、起きようとしています。 ほぼ400エーカー(の土地)が、あります - ともあれ、それらです。 ですが、私は、単に指摘しようとしています - あなたが気になさらないなら、ですが - 始めた二、三人の人は、 完全に、全面的にこれに献身していたのです。 私たちは、その種類のことを、持っていますか - それが死んでいて、過去であるということではなく、 私たちは、その同じ立場に、いますか - そういう学校を創造したいという 全的で完全な衝動の立場に、です。 それを、一人や二人の人たちに任せておくのではなく、 私たちのみんなが、ともに、これを創り出すのです。 私たちが、ここ、この場所から、 ウルフ・レイクへ引っ越すべきかどうかは、 たくさんのお金を含意している、と私は聞かされてきました - それは拡大するだろう、と。 ここは、あまりに小さすぎます。私たちは、はるかに大きな場所が、必要です。 私たちがみんな、これをともに決断するなら、 私たちはそうするでしょう。 そうでないなら、私たちは、まさに始まりから、 自分たちが何を求めているのかが、きわめて明らかでなければなりません。 それは、私たち自身の間で、この小さな共同体において、 けんかがあるべきではない、 集団があるべきでない、という意味合いです - 集団は一つもなく、 わずかな私たちが、敵味方に分かれない、ということです。 私たちはともに、ここにいます。 この学校は、どうやって、カナダ中に知られることになりますか。 それが、私たちの問題の一つです。 ここが知られていないなら、あなたたちは、正しい種類の学生、 正しい種類の教師、支援、お金、その他すべてを、得ないでしょう。 さて、問いの一つは、こう言います - 私たちはどうやって、 私たちが存在することを、カナダに知ってもらうのでしょうか。 それが、一つの問題です。 それから、私たちが、ここからウルフ・レイクへ引っ越すなら、 そこで、学校へ、ハイスクール、大学へ拡大することが、 可能ですが・・・ そうね、拡大する - 小さな事柄であるだけではない。 そのとき私たちは、はるかにもっと多くの人々、はるかに多くのお金を、 必要とするでしょう - その全部を、です。 ですが、私たちは、正しく始めるのでなければ、 - まさに始まりから、正しい胚芽です - あなたたちは、何をも得ないでしょう。
11:18 私たちは、例えばインドで、新しい学校を、開こうとしています。 (南部の)バンガロールで始まったばかりです。 バンガロールがどこにあるかを、お聞きになりましたか - マドラス(チェンナイ)の西、です。 もちろん、マドラスはご存じです。 私たちはそこに、110エーカーか、115エーカー(の土地)を、持っています。 美しい土地で、ほとんど処女地です。 私は、こう言ってきました - これに完全に関与している人たちが、 そこに二、三人のいるのでなければ、始めないでください。 さもないと、その場所を閉じてください、と。 理解されますか。 すべてのけんかでもって 一集団が別集団と対立していて、始める甲斐は、ありません。 そうね、それらが始まります。 私は、言いました - あなたたちが正しい種類の教師を持っていて、 親たちが支援してくれて、一団の人々が完全に、 それに関与しているのでなければ、しないでください、と。 私がインドを離れてから、彼らは、そういう集団を集めています。 そこは、今年、次の6月か、7月に始まろうとしています。 で、私が、あなたたちに言おうとしていることを、理解されますか。 私たちが完全にそれに関与するまで、何一つ、しないでください。 さもないと、閉店してしまいましょう。
13:07 関与していることは - 私がお訊きしてもいいなら、 または、提案してもいいなら、または、私たちがともに探検してもいいなら - ともに探検する、究明するのです - この計画において、ともに、ということには、何が含意されていますか。 この学校において、何が含意されていますか。 私が指摘してもいいのなら、私にとって、お金は、二次的な問題です。 お金が必要でない、ということではない。 私たちはそれが、ものすごく必要ですが、 私たちがお金を主要なことにすると、 私たちは、それを得ないでしょう。 私たちは、学校を創造しないでしょう。 お金は必要ですが、 教師や教育者もまた、必要です - 私たちが何をしているのか、私たちがみんな、何を話しているのか、 何が関与しているのかを、知っている人たちが、です。 で、私は、それについて、できるなら、 あなたたちと議論したいと思うのです - よろしいですか? まず第一に、ここは、国際的な学校です。ですね? ここは、カナダの学校や、 ヴィクトリアにあるヴィクトリアの学校ではない - 特定の地点と、特定の人々の集団と同一視されたものではなく、 国際的な学校です。 オーハイのように、ブロックウッドのように、です。 (カリフォルニアの)オーハイは、一年前に、始まったばかりです。 イングランド(南部)、ハンプシャーの ブロックウッドは - あなたが、それがどこにあるかを、ご存じなら、それは、ウィンチェスターの隣、 サウサンプトンの近くにあります。 サウサンプトンから20マイル離れていて、 40エーカー(の土地)があり、60人の学生です。 私たちは、60人以上はだめだと、言いました。 なぜなら、そこは、古い邸宅、お屋敷であり、 一時、とても豊かな人々が所有していましたが、 彼らは、様々な理由のために、そこを売らなくてはいけませんでした。 私たちは偶然、そこを得ました。私たちは、1セントも持っていませんでした。 どうぞ、信じてください。 私たちはイングランドで学校を持たなければならない、 と言って、始めたとき、私たちは、1セントも持っていませんでした。 1ファージング、ペニーも、です。 そして、彼らが求めたのは・・・ 17世紀のあの邸宅のある、40エーカーですが、 私は忘れてしまいました - それは構いません。 彼らは、邸宅と40エーカーのために、10万ドルを求めました - あの頃、ハンプシャーでは、それは全く安かったのです。 理解されますか。私たちは、1セントも、持っていませんでした。 私は、カリフォルニアの、オーハイに、いました。 彼らは、写真すべてを送ってくれて、 私は、「それを得よう」と言いました。 或る人が、二、三日後に、「私があなたにそのお金をあげましょう」と言いました。 私たちは、そこを得ました。 今、寄付と講話、その他すべてをとおして、私たちは、 きっと、25万ドル以上を、使ってきたと、私は思います。 あの場所に、百万ドルの4分の1です。 なぜなら、「これがそれだ」と言った人々の集団が、いるからです。 私が言っていることを、理解されますか。 で、ここで、全く重要な物事は、何ですか。 私たちは、ごくごくわずかしかいないので、 私たち自身の中に、何の分割もあるべきではありません。ですね? すなわち、私たちはみんな、ともに、いろいろと話し合うのです。 それは、可能ですか。 それが、一つの点です。
17:27 そして、教師たち、ここの人々の、 学生たちへの関係は、何ですか。 なぜなら、私たちは、まさに最初から正しい方向へ始めないなら、 それは、ばらばらになるだろうからです。ですね? で、その関係は、何ですか。 それは、 本当は、正しい種類の教育に、興味を持たないで、 単に時間を過ごしているだけの 人々の集団ですか。 で、私たちは、よろしければ、 正しい教育とは何なのかを、探究すべきです。 このように進めるのは、だいじょうぶですか。 正しい教育とは、何ですか。 どうぞ、それについて議論しましょう。 私は、法を定めていません。 私にとって、正しい教育とは、 人の総体、全体の養成であるように、思われます - 学生の全体の、です。 身体の生物学的、生理学的な優秀さ、 正しい食べ物、などなどだけではなく、 また、あらゆる学生と私たち自身の一人一人の 心理的構造全体を、 理解することでもあります。 すなわち、学業面は別として、 一人の人間の全体性に、関心を持つことなのです。 そして、学業面で教えること、 そして、様々な科目を教える中でこそ、 愛情、気づかいを養成するか、 生じさせることは、可能ですか - そうね、現在、混乱していて、悲惨で、全く低劣である 心理的な存在全体を、養成するのです。 で、これは、二次的な問題です。 私たちは、自分たちはその能力がない、と言うなら - 私はただ、それを前に押し出しているだけです。 あなたたちは、大変にとてつもない能力を、持っているかもしれませんが、 私たちは、自分たちは、 この全的な献身と人間全体の養成の、 能力がない、と言うのなら、 私たちはそれをできない、と言うことは誤りだろうと、私は思います。 これが、私たちの興味、関心であるのなら、 あなたは、能力、エネルギーを持つでしょう。あらゆる物事が、そこから出てきます。 私がいう意味を、理解されますか。 例えば、ブロックウッドでは、そして、インドでも、 本当はまったく教師でない教師たちが、得られますね。 彼らは、学位を取るが、他の職を何も得られない。 それで、彼らは教師になります。 マドラス(チェンナイ)の新聞に広告が、ありました。 私はそれを読みましたが、 「コックを求む」と言うもので、 料理人の募集でした。 どれほどの人々が現れたのかを、ご存じですか。 私は知りませんが、少なくとも千人です- 博士、文学修士たちが、です。 あの国は、異例です。 なぜなら、人口過剰、その他すべてが、あるからです。 さて、私たちは、これができますか。 ともに、です。一人がそうして、他の人たちはそうしない、ではない。 一人がそうすると、他の人たちは、彼がしていることを、破壊する、ではない。 私たちはみんな、ここで一緒でなければなりません。 私たちは、これができますか。 すなわち、物理的に、 優秀な身体を持つこと - それは、正しい食べ物と正しい体操、 という意味合いです - タバコを吸わず、酒を飲まず、 薬物も摂らない、それら、ということです。 いいですか?当然です。 それは、精神に影響します。 それは、頭脳に影響します。 生理学的に、有機体の世話をすることは、 相当に単純であると、私は思います - 学生たちも協働するなら、です。 それは、私たちが、それらへ入らなくてはいけない、という意味です - なぜそれが必要なのかを、よく気をつけて説明するのです。 それから、心理的に、内的に、 優秀な頭脳を、もたらすことです。 私たちは、それをできますか。 私がいう、優秀な頭脳とは、損傷していない頭脳、 どの形の圧力をとおしても 変形していない頭脳、という意味です。 理解されますか。 私が話していることを、理解されますか。 いいえ? あなたが、何に対しても圧力を掛けるなら、それは、変形しますね。 あなたが、いつの時も、自分のお腹へ大きな重みを掛けているなら、 それは、間違った方向へ、膨張します。明白です。 で、私たちは、学生たちを、 どの種類の圧力をも持たないように、育てられますか。教育できますか。 それに入って、そこに何が関与しているかを、見てください。 例えば、或る学生は - 私は教育者であるなら、私は、彼が学習するよう、 助けなければなりません - たとえば、数学や歴史を、です。 それで、教えることこそに、彼に対する圧力が、関与しないように、です。 それは、可能ですか。 学生は、数学に興味を持っていません。 それは、退屈なものです。 で、あなたは、どのように彼を助けるのでしょうか。 歴史、数学など、物理学を、教えるには、 あなたはどのように、彼に、教えるのでしょうか、または、 数学について学ぶことの必要性を、理解するよう、助けるのでしょうか。 あなたからや、社会からや、親からの どんな圧力もなしに、です。 それは問題でしょう。あなたは、どのように、そうするのでしょうか。 あなたは、どの種類のどの圧迫も、 愛情の圧力 - 「お兄さん、私のために、そうしてください」も、 それは圧迫である、と見えるなら、ですが、 もしあなたが、 「適切に学習しなさい。すると、試験に通るだろう」と言うなら、 それは、圧力です。 もしあなたが、「数学を学びなさい。 すると、点数を取れるだろう」と言うなら、 それは圧力です。
26:22 質問者: 子どもの精神は、歪曲されます。
26:32 K: すでに歪曲されています。 同意します。 で、二つの問題が、あるのです - さらなる衰退、さらなる歪曲をどのように防止するのかと、 自由であるよう、彼をどのように助けるのか。 彼のすでに確立された歪曲より自由であるように、ですね? あなたは、どのようにそうするのでしょうか。
26:59 質問者: クリシュナジ、それは、私たちがここに持っている最大の問題の一つです。
27:03 K: 分かります。 どうぞ、それに入ってください。 あきらめないでください。 「私は知らない」と言わないでください。 私は何をするのでしょうか。 私は教師です。 私は、その子がすでに変形しているのを、知っています - 物理的に、ではなく、頭脳の中で、ですね。 あなたたちは、彼がすでに変形している、と仰るのでしょうか。
27:26 質問者: 私たちも、そうです。

質問者: 私たちもまた、変形しています。
27:30 K: 待って。私はそれへ行こうとしています。
27:32 初めに、子どもを取り上げてください。 彼は、変形しています。 彼は、条件づけられています。 彼はすでに、ものすごい圧力のもとに、います - 親から、他の学生から、自らの友だちから、ですね。 彼は、すでに歪曲されて、ここに来ます。ですね? あなたは、それに同意なさるでしょうか。 それは事実でしょう。 で、私たちは、学生との関係において、どのように、 彼を、自由にするのか、自由であるよう、彼を助けるのでしょうか - その歪曲より、その条件づけより、その圧力より、自由に、です。
28:13 質問者: おそらく、彼に、彼自身の条件に気づかせることによって、です。
28:20 K: あなたは、どうやって、そうするのでしょうか。 どんな様態で、ですか。 これへのあなたの接近は、何ですか。
28:26 私がいう意味を、理解されますか。

質問者: 理解できます。
28:29 K: 私はここに、学生を持っています。 私の接近は、何ですか。 なぜなら、それが重要であるからです。 私がそれに、正しく接近するなら、問題はとても単純です。 いいですか? さて、私は、どのようにそれに接近しますか。 私は、変形しています。 学生は、変形しています。ですね? 私は、「私の頭脳は、一流だ。 どの種類の変形もない」とは、言いません。 「それは、どの種類の圧力のもとにも、なかった。 ゆえに、それは、きわめて純真に生きて、 明晰であり、損なわれていない」と言いません。 私は、そうでないし、学生も、そうでない。 それで、彼との私の関係は、この問いに関して、例えば、 ごらん。私たちは、同じ船に乗り合わせています。 私たちは、同じ水準にいます。 君の頭脳は、圧力のもとにあります。私のも、そうです。 それについて、ともに話し合いましょう。 それで、それをともに話し合う中で- 単に言語的に、ではありません - 私は、自分が変形していることが、分かります。よろしいですか。 で、それは、自分の圧力への 相互の究明です。 それが明らかにできているのかどうかと、思われます。
30:02 質問者: でも、それは、双方でなくてはいけません。
30:07 K: もちろんです。 それが、私が言ったことです。
30:09 質問者: たくさんの子どもたちと、私たちのほとんどは、気づいていません。
30:13 K: 私たちは、そうしようとしています。 学生と話し合うことにより、私たちは、究明しはじめます。 彼は、言いはじめます - 「お兄さん、私は君と似ている。 何の違いにもならないよ」と。 あなたは、言います - 「私は、偉大な人であるという意味では、君の教師ではないが、 ここに私たちは、どちらも一緒に、同じことに捕らわれている。 君の頭脳は、様々な圧力をとおして、歪曲されている。 私のも、そうだ」と。 私たちは正直に、それを学生へ言えますか。 そうでないなら、学生は、「彼は偽善者だ。 彼は、僕とゲームをやっている」と思います。 私たちは、ともに言えますか - これが、第一のことです。 同じ足場で、学生との関係を確立するのです。
31:11 質問者: 私たちはまた、言語的と非言語的に、探検しなくてはいけません。
31:16 K: 私たちは、そうするでしょう- どちらも、です。
31:18 質問者: それに少し入っていただけるでしょうか。
31:20 K: どちらが、初めですか。 言語的に、です。 あなたは、私の学生です - 当分の間は、そうしましょう。 実際には、そうではないが、当分の間、あなたは学生です。 私は、あなたに言います - 「ごらん、あなたが授業に入って来るとき、 少なくとも十分間、 私たちが学習しようとしている科目について、忘れよう。 これについて、話をしよう」と。 学生は、窓の外を見ています。ですね? 彼は、あなたが言おうとしていることに、退屈しています。 彼は、あなたが何を言おうとしているかを、知りませんが、 彼はすでに、確信しています - あなたが自分へ、何かひどいことや 自分がすべきことや、すべきでないことを、語ろうとしているということを、です。 で、彼は、あなたへ注意を払いませんね。 彼は、窓の外を見ています。 あなたは、どうやって、彼の注意を得るのでしょうか。 それが、第一のことなのでしょう。 あなたはどうやって、彼の注意を得るのでしょうか - 圧力なしに、です。
32:20 質問者: おそらく、彼がその真剣さを感じるなら・・・
32:23 K: いえ、いえ。見てください。 あなたは、彼の注意がほしい。 あなたは、自分が言おうとしていることへ、彼に、注意を払ってほしいのです。 あなたが、数学、歴史や地理を教えようとしているとき - それが何であっても、ですが - あなたは、彼に注意してほしいが、 彼は、窓の外を見ています。 あなたは、注意するよう、彼をどのように助けるのでしょうか。 何かについて、あなたの教科や、あなたが言おうとしていることに、ではなく、 注意できる能力を持つように、です。 それが明らかになっているのかどうかと、思われます。 いいえ、ですか?
33:04 質問者: 彼とともに、窓の外を見ることができます。
33:08 K: ええ。進んでください。 それを追求してください。 あなたは、窓の外を見ています。 彼は、何に興味を持っていますか。 現時点で、彼は窓の外を見ていて、 あれらすべての鳥たちや樹々と花々が、見えています。 彼は見ています。 彼の興味、彼の注意は、そこにありますね? で、彼に、もっとはっきり見るよう、頼んでください - あなたへのどんな抵抗もなしに、です。 私がいう意味を、理解なさるのかどうかと、思われます。 で、あなたは、彼がより大きな注意をもって、 もっと見るのを、助けます。
33:58 質問者: 彼がすでに見つめているものを、です。
34:03 K: ええ。それは、床を進んでいくアリなのかもしれません。
34:07 質問者: 彼が、夢想に耽っているなら、どうですか。 彼が、窓の外の鳥たちを見ていなくて、 夢想に耽っているなら、どうですか。
34:14 K: 夢想に耽っている。 彼を、夢想に耽らせましょう。 私は、ごく穏やかに、それに取りかかります。私は、彼に話をします。 あなたは、何について夢想に耽っていますか。それについて、話しましょう。
34:25 質問者: そのとき、どうやって彼を、数学へ引き戻しますか。
34:30 K: 私は、数学に興味を持っていません。 数学に、私は興味はない。 私は彼に、注意を学んでほしいのです。 教師としての私の関心事は、彼が注意をもって話を聞くべきだと、 いうことです - 私からのどんな圧力もなしに、ですね。 なぜなら、ひとたび彼がそれを持つなら、 あなたは、数学や歴史や何にでも、向かえるからです。 ですが、あなたがその注意を持っていないなら、 彼は、あなたに聞くでしょうし、彼は、機械的になるでしょう。 理解されますか。 

質問者: どうやってその注意をもたらしますか。
35:12 K: 私はあなたに、示そうとしています。
35:14 さあ、私に訊ねないで、あなたが究明してください。 私は、もうすぐそれを、あなたに示しましょう。 あなたは、どのようにそうしますか。 これは、教師として、教育者として、 あなたの問題です。 あなたは、彼に、この注意の能力を学んでほしいか、持ってほしい。 あなたは、どのように、そうするのでしょうか。 そして、どの種類の圧力のもとで、でもありません。 そうなら、それは注意ではない。 進んでください。 あなたはどのように、これをなしとげるのでしょうか。
35:54 質問者: それはおそらく、彼が、その瞬間に注意しているものへ、
35:58 関係するかもしれません。

K: ええ。それを継続してください。 彼は、アリを追っています。 または、壁のカブトムシを、です。 または、窓の外を見ています。 あなたは、「いいよ。もっと気をつけて、アリを見なさい。 いくつ足があるかを、見出しなさい。 よく気をつけて、それを見守りなさい」と、言います。 で、彼は、あなたがそれを非難していないことを、知ります。ですね? 彼は、あなたがまた、自分が見るのを助けていることを、知ります。 で、あなたは、彼の中に、抵抗を創り出していません。ですね? で、彼は、自由に見つめられます。 進んでください。私は、そこで止まるでしょう。あなたたちが、進んでください。 彼は、自由に見つめられます。 で、あなたは、彼との関係を確立したのです - その中で、彼の側に抵抗はありません。いいですか。
37:12 質問者: でも・・・

K: 待って。 初めに、あなたが何をしてきたのかを、見てください。 すなわち、あなたは、関係を確立したのです - その中で、あなたが大きな人であり、彼が小さな人である、のではなく、 そこには、抵抗がないのです。 いいですか? あなたは、それができますか。 彼の側に、絶対的に何の抵抗もない。
37:43 質問者: それはできると、思います。
37:46 K: ええ。そのとき、何ですか。 それは、どういう意味合いですか - あなたと他の人と学生との間に、 抵抗がないとき、です。 それの関係は、何ですか。
38:03 質問者: 意思疎通です。
38:07 K: 実際の関係は、何ですか。
38:12 質問者: 二人の人たちが、探究しています。
38:15 K: いいえ、彼は、あなたに抵抗していません。 いいですか? 彼は、障壁を立てません。 ですね? それで、私は訊ねています - あなたと学生との間に、障壁がないとき、 その関係は、何ですか。
38:36 質問者: 調和の関係?
38:40 K: 調和ではない。どうぞ、それを見つめてください。 あなたは、私が言おうとしていることへ、何も抵抗を持たないとか、 私が言っていることへ、何も抵抗を持たないなら、 私たちの関係は、何ですか。
38:59 質問者: 何も圧力がありません。
39:02 K: それは、どういう意味ですか。
39:04 質問者: その意味は・・・
39:07 K: 推量しないで、 何が起きるかを、実際に見てください。
39:13 質問者: 私は、あなたと私との間に、何が起きるかを、見出そうとしています。
39:18 K: はい。何が起きますか。 あなたが私に抵抗するなら - 私が言おうとしていることについて、ですが - あなたは、聞こうとしないでしょう。 ですが、私は、あなたが私に抵抗しない状態を、もたらすなら、 - すなわち、アリを見守るのですが - そのとき、抵抗がありません。 ですね? カブトムシが進んでいくのを、見守る。 それで、私たちはどちらも、見守っています。 いいですか? 私たちがどちらも、見守っているとき、その関係の状態は、何ですか。
40:00 質問者: その状態を見出すことが、なぜ、そんなに重要なのですか。 なぜ、あなたがその状態を同定することが、重要なのですか。
40:09 K: 私は、自分自身を同定しません。 私たちはどちらも、カブトムシを見守っています。
40:14 質問者: まあ、なぜあなたは、私に訊ねていますか。
40:18 なぜあなたは、私に訊ねていますか。

K: 私は、あなたに訊ねています - あなたが、私が言おうとしていることや、私が言ったことに、抵抗を持たなくて、 私たちがどちらも、カブトムシを見守っているなら、 私たちの関係は、何ですか。 学生と教師 - 私たちの関係は、何ですか。 何が、起きてきましたか。
40:46 質問者: それは、学んでいる関係です。
40:51 質問者: 学んでいます。

K: いいえ。
40:54 質問者: 相互の興味が、あります。
40:57 思考は何もない。 ゆえに、あなたは・・・
40:59 K: いえ、いえ。もう少し。 ゆっくり行ってください。 あなたは、推量しています。 すみません。 私は失礼にしていませんが、あなたたちは、推量しています。 あなたたちは、実際に見ていません - 私が抵抗していなくて、あなたが抵抗していないとき、 起きる本当の関係、です。 私たちは、見守っています。
41:30 質問者: 私は、それを協働と呼ぶでしょう。
41:37 K: すみません。 ごらんください。あなたたちの何人かは、ガールフレンドを持っていたり、 結婚していたり、何であれ、持っています。ですね? 一人が相手に抵抗するとき、何が起きますか。
41:52 質問者: 葛藤です。

K: 葛藤です。ですね?
41:57 二人の間に葛藤がないとき、 何が起きますか。 実際に、何が起きてきましたか。 おやまあ。
42:16 質問者: 何が起きるかを知ることが、なぜそんなに重要なのですか。
42:21 K: なぜなら、実際に何が起きるかを知らないなら、 あなたは、理論の中に生きているからです。
42:33 質問者: 実際に - 実際に、と仰るのは、どういう意味ですか。 同定することにより、精神的に、ですか。
42:37 K: お嬢さん、私は同定していません。 いえ、いえ。 神様! そうね、私は、あの植物を、見守っています。 そして、あなたは、私の学生です。 またはむしろ、あなたは、学生です。私は教師です。 あなたは、あれを見守っていますね? あなたの注意全体が、そこにある。ですね? そして私は、あなたに、注意の性質を、 もたらしたいと思います。 それが、私が関心を持っているすべてです - 当分の間、数学ではない。 それで、あなたは、あれを見守っています。私もまた、そうです。 私は、「いいよ。二人で一緒に見よう」と言いますね。 私たち二人が見るとき、 あなたと私の間の関係は、何ですか。 私たちのどちらも、注意するよう、互いを説得していません。 私たちのどちらも、「あなたは注意しなければならない」と言っていません。 それは、私たちの間に、圧力がない、という意味です。ですね? そこに圧力がない関係の状態は、何ですか - あなたからも、私からも、ない。
44:23 質問者: 私は知りません。 愛情ですか。
44:28 K: 推量しないでください。
44:32 質問者: それを言葉に、表せますか。
44:35 K: 私は、それを言葉に表すでしょう。
44:39 質問者: それは、自由の道ではありませんか- 見ることを学びはじめて・・・
44:44 K: 私は見てきました。私たちの間には、抵抗がありません。 私たちはどちらも、あれを見つめています。 そうね、あなたたちは、実際にそうしていません。それが難事です。 それは、観念になってしまいました。
45:02 質問者: それは自発的ではない。
45:04 K: そして、観念が、私たちを分離しているものです。 あなたは、観念を持ちません。 私は、観念を持ちません。 私はただ、あのひどく小さなものを、見つめているだけです。 いいですよ。 男と女が、互いに抵抗を持っていなくて、 互いとのどんな種類の圧力のもとにも、いないとき、 彼らの関係は、何ですか。
45:37 質問者: 愛です。
45:40 K: 当て推量!ノム・ド・シアン(やれ、まあ)! 見たところ、あなたはそれを知りません。 それだけです。
45:59 質問者: 分割がありません。 あなたは、分割がない、分離がない、と仰っていますか。
46:06 K: 何が起きますか。
46:09 質問者: 私は、本当にそれを、言葉に表せません。
46:11 K: それを見守ってください。
46:16 質問者: 統合ですか?
46:20 K: あなたは、推量しています。

質問者: 分かります。
46:25 K: 見てください。 アラブ人とユダヤ人が、います。 互いに闘っていますね。 アラブ人は、「私はおまえを、おまえの国から、 追い出さなければならない。 それは私の国だ」と言います。 イスラエル人は、「いや、私は居つづける」と言います。 それで、分割されています。 ですね? で、分割があるところ、葛藤がある。 それは、法則です。ですね? 私は、妻と分割されているとき、私たちは必然的に、闘うでしょう。 または、私の彼女と、です。 で、どの種類の圧力の分割も、ないとき、 何が起きますか。
47:19 質問者: あなたと私の感覚が、ありません。
47:22 K: いいえ。 私たちの間の関係は、何ですか。 私は、あなたの当て推量すべてを、受け入れるのを、拒否します。 まあ、お嬢さん。 マリア、どうぞ。 あなたは、そうするのでしょうか。
47:57 質問者: 葛藤なしには、平和があります。
48:00 K: 葛藤なしに。

質問者: 平和がある。
48:04 K: いいえ。まだ、それに名を、付けないでください。 葛藤なしに、あなたが存在するとき - それは、あなたから圧力がない、私から圧力がない、という意味です。 お互いに、ゆえに葛藤がないのです - 私たちの関係は、何ですか。 実際に、です。それは調和である、それは愛である、 それは平和である、それはこれであると言わずに、です。
48:28 質問者: 関係がない?
48:31 K: 私たちが知っているような関係は、ない。 確かに。いいですか? 私たちが知っているような関係は、 私のイメージ - 私があなたについて創り出したものと、 あなたが、私について創り出したイメージとの間です - それらは、圧力の結果です。 で、圧力がないなら、私の関係とは、何ですか。 後生です。何事ですか。 それは、教育者や親や、 男や女、 女や男として、あなたたちは、 この問いに、一度も入ったことがない、という意味です - 何の圧力もないことと、 分割がないとき、その関係が何であるかを 見出すことに、です。 ですね? 私たちが知っているすべては、分割です。 あなたは、女です。 私は、男です。 私は、あなたに圧力を掛けます - 性的に、たくさんの形で、です。 あなたは、私に圧力を掛けますね。 これが、私たちが関係と呼ぶものです - 今、理解されているようなものは、です。 それは、まったく関係ではありません。 それは、イスラエル人とアラブ人が、ジュネーヴで会うようなものです - それは、起きるかもしれないし、起きないかもしれない。 でずね? で、私たちは、教育者として、どのように 学生とあなた自身の間に、関係をもたらすのでしょうか - その中に、いかなる圧力もない関係を、です。
50:21 質問者: 圧迫があるとき、何が起きるかを、探究するほうが、 よくないのかと、思われます。
50:33 K: ああ、はい、それは、とても単純です。 あなたが私に圧力を掛けるとき、何が起きますか。 何が起きますか。
50:42 質問者: 歪曲です。

K: 私は、あなたに抵抗します。
50:46 質問者: 痛みがあります。 

K: もちろんです。私はあなたに抵抗します。 なぜなら、私は、あなたの圧力が好きではなく、 私は、あの圧力が好きであるからです。

質問者: ああ、分かります。圧力は・・・
50:58 K: いえ。待って、気をつけて、聞いてください。
51:00 私は、あなたの圧力が、好きでないが、私は、あのご婦人の圧力が、好きです。 で、私は、あなたに抵抗します。 私は、彼女を歓迎します。 ですね? でも、私たちは、圧力について、話しています - 快い圧力や快くない圧力、ではなく、 ただ、圧力の本性全体について、です。 私たちは、こう言っています。 どの種類でも圧力があるとき - 快いのや、快くないのではなく、どの種類でも、です - 歪曲が、あるのです。 それは事実です。 いいですか? さて、あなたはどのように、 学生との関係において、 圧力より自由になるのでしょうか。 それで、あなたは、彼や彼女に圧力を、行使しないで、 彼は、あなたに圧力を行使しないように、です。 質問を理解されますか。あなたは、どのように、そうするのでしょうか。 あなたが、それを解決しなくてはいけません。 あなたにそれを語ってくれる人は、誰もいません。 たぶん、どの教育者も、この問いに入ったことがないでしょう。誰もない。 で、私たちは今、そうしようとしています。 さもないと、 学校が、圧力のもとに築かれつつあるのなら、 それは、他のどの愚かな学校のようにも、なるでしょう。 ですが、私たちは、関係を創り出すため、もたらすために、 ともに働いているなら - その中で、学生と教師が、圧力の最も微かな影もなく、 ともに働いている関係を、です。
52:49 質問者: クリシュナジ、私はここで、一例を挙げてもいいですか。 なぜなら、私には思われますが、 たくさんの子どもたちと、たぶん成人さえも、ですが、 具体例を示させてください。 或る子どもたちは、大きな音で、音楽を掛けるのが、好きです。 さて、私たちが行って、私たちがかつて合意したことを、言うたびに - それをあまりに大きな音で掛けないことを、です - 行って、子どもたちに、「この音楽を、 あまり大きな音で掛けないでください」と頼みます。 彼らは、こちらが自分たちに圧力を掛けていると、感じます。 さて、あなたはどのように、彼らに説明しますか。
53:19 K: お示ししましょう。なぜ、あなたは、私にお訊きになりますか。 あなたたちが、それに関与している人々です。
53:25 質問者: そうね、私たちは、いつの時も、これで紛糾しています。
53:29 K: 私は、何をするのでしょうか。 私は苛立ちます。ですね?
53:34 質問者: ええ、そうです。

K: 待って、それを見つめてください。
53:37 私は、「いったい、これは何ですか」と言います。 私は、困惑します。 それで、私は落ち着きます。 私は行って、「どうぞ、そうしないでください」と言います。 が、彼は、あなたが困惑しているが、 あなたが、柔らかい声を使っているのを、知ります。 で、彼はすでに、あなたに抵抗したのです。ですね? 彼は、自分がそうしているべきでないことを、知っています。 なぜなら、あなたたちは、同意したからです。 で、彼の反応は、あなたに逆らうこと、 保護することです。 よろしいですか? で、あなたは、どのようにそれを乗り切るのでしょうか。
54:24 質問者: 座って、自由について、話をします。
54:29 K: 私たちはどちらも、合意しました - このジャズや、現代の音楽が何であれ、それを静かに掛けることを、です。 あなたは、彼とともにそれを、話し合ってきました。 あなたは、騒音は本当に、迷惑であることを、彼に分からせました。 それは、彼の頭脳にも影響します- この常なる騒音は、です。 で、あなたは、それらに入ります。 あなたは、それを、 大きな忍耐をもって、説明します、などなどです。 彼は、当分の間、それを分かりますが、彼は、それを忘れてしまいます。 彼は、まだ若いから、それを忘れて、鳴らしてしまいます。 では、あなたはどのように、それを取り扱うのでしょうか - あなたの圧力なしに、と私は言いました。 彼を叩きますか。 

質問者: 私はそうしたい気持ちです。
55:16 K: あなたは、そうしたいのでしょうが・・・
55:20 質問者: あなたは、たぶんそれを、きわめて多くの回数、 取り扱おうとしています。 あなたは、たぶんその状況を、 一度ならず、取り扱おうとしています。

K: 十何回も、です。
55:30 で、あなたは、何をなさるのでしょうか。 あなたは、適切な睡眠を、取っていません。 あなたは - 教師としてのあなたは、そうしていませんでした。 悩み事とセックス、その他、嫉妬- そのすべてが、あなたの中で、 進んでいます。そして彼は、大きな音で音楽を掛けています。 あなたは、彼を叩きたいと思います。 あなたは落ち着きます。なぜなら、それはできないことを、知っているからです。 で、あなたは、自分自身の中で抵抗しています。 彼は、あなたがしているのと、まさしく同じことを、しています。 で、私たちは、何をするのでしょうか。
56:09 質問者: 彼は、あなたから来る愛情が、ないことと、 あなたの抵抗を、感じます。
56:15 K: それは、圧力がないときの、関係の状態ですか - あなたからも、愛情からも、ですが。 あなたは、そう仰っていますか。 いえ、当て推量ですか、または、現実的ですか。
56:30 質問者: それは現実的です - 私が彼に、愛情なしに何かを言うなら、
56:34 そのとき、彼は・・・

K: いいえ。愛情からではない。
56:37 質問者: 愛情なしに、です。
56:39 K: いいえ。あなたは、私の論点を、逃しています。 私は、あなたに、話を聞いていただきたいと、思うのです。 私はただ、話を聞いてくれるよう、お願いするだけです。 私は、どんな圧力をも行使していません。 私はあなたに、何か麗しいことを、語らなくてはいけません。 そして、私からの圧力は、ありません。 あなたは、自分の内側に、あらゆる種類の圧力を、持っています。 あなたは、「いったい彼は、何のためにここにいるんだ?」と言います。 「彼は何について、話しているのか。 彼は私に、何を語りたいのか。なぜ私はそうすべきなのか・・・」と。 それがすべて、あなたの内側で進んでいます。 それで私は、言います - 「どうぞ、私はあなたに、何かとてつもないことを、 語りたいのです。どうぞ、聞いてくれるでしょうか」と。 聞いてくれるでしょうか。 聞いてくれるでしょうか。 いいえ、あなたは聞かないでしょう。 まさにそうなんです。 あなたは、聞かないでしょうし、彼は聞かないでしょう。 彼女は聞かないでしょう。 いいですか?
57:57 質問者: なぜですか。

K: ただ見てください。
57:59 あなたは、聞こうとしません。 学生は、聞こうとしません。 あなたは、どのように聞くのでしょうか。 何により、あなたは聞くのでしょうか。 あなたが私に対して、私は愚かな人物であると、語りたいとき、 何により、私は聞くのでしょうか。
58:23 質問者: 私は学びたいなら、です。
58:26 K: いえ、いえ。あなたは私に対して、私は愚かであると、語りたいのです。 なぜなら、私は、泥の中の棒切れであるからです。 私は、身動きしようとしません。私は、勿体ぶった男とか、何であっても、です。 あなたは、私に、それを語りたいのです。 私は、あなたが私に、私は勿体ぶった男だと語ろうとしているのを、知ります。 で、何が起きますか。 私はすでに、抵抗しています。 私は、あなたに聞こうとしません。 で、何により、私は、あなたに聞くのでしょうか。 私に言ってください。 実際にそうしてください - 理論的に、ではない。 何により、私は、あなたに聞くのでしょうか。 あなたに聞く - あなたが私に対して、私は愚かなばかだと、 語るということではない。 あなたに聞く。
59:28 質問者: そのとき私は、実際にあなたに示さなくてはいけないでしょうね - あなたにちょうど今、語る。 何か観念ではなくて・・・私は、あなたに語りたいなら・・・
59:38 K: いえ。私は、あなたに聞いてほしいのです。
59:42 それがすべてであり、他の何でもありません。
59:44 質問者: あなたは初めに、私の注意を、捉えなくてはいけませんね。
59:47 K: それは、どういう意味ですか。 あなたは、窓の外を見ていない、ということ、 あなたは、自分の妻と子どもについて、自分の彼女や彼氏について、 悩んでいない、ということです。 彼は、言いたいのです - 「どうぞ、聞いてください」と。ですね? あなたは、そうするのでしょうか。 それがすべてです。 あなたは、そうなさらない。 そして、あなたは、その子が、自分に聞いてくれるのを、期待します。 あなたが、どう聞くかを知らないとき、あなたは彼に、聞くよう、頼んでいますね。 あなたが、実際に聞いていないとき、 あなたは、彼が聞くよう、助けています。いいですか?
1:00:35 質問者: クリシュナジ、あなたは私たちに、こう示しておられます - 私たちは圧力を持っていて、その子もまた、その圧力を感じること、 ゆえに、私たちは、ここで始めなければならないことを、です。
1:00:43 K: いいえ。

質問者: なぜですか。
1:00:47 私が抵抗していて、その子は、私が抵抗しているのが、見えるなら・・・
1:00:50 K: あなたは彼と、圧力について、議論できます - 私の圧力について、ではない。 彼は、圧力のもとにいますね。 私は、圧力のもとにいます。 で、私は、「ごらんよ、私たちはどちらも圧力のもとにいる」と、言います。 私はここで始めなければならない、ということではない。 で、私たちは、どちらも、圧力のもとにいます。 私たちはどちらも、圧力のもとに生きてきました。 私たちの社会は、圧力のもとにあります。 私たちの社会は、圧力を創り出します。 私たちの親、私たちの文化全体、あらゆる物事が、圧力のもとにあります。 さて、どうぞ、話を聞いてください。 あなたと私は、圧力のもとにあることに、同意します。 同意します - それは明白です。 そのとき教師は、「どうぞ、聞いてください」と、言います。 あなたは、彼に聞くのでしょうか。 あなたは、ここにいます。 あなたは、話を聞くのでしょうか。
1:01:49 質問者: はい。

K: 今は聞いていません。
1:01:56 質問者: それを、他の人物に、もたらせますか。
1:01:59 K: 私は、お示ししようとしています。 何により、あなたは聞くのでしょうか。
1:02:05 質問者: まあ、私たちは知らないようです。
1:02:08 K: 何により、あなたは、私が言うべきことに、注意を払うのでしょうか。
1:02:15 質問者: もし私たちが、初めに愛情を持っているなら、です。
1:02:18 K: いいえ。「もし」を持ち込まないでください。
1:02:20 質問者: まあ、私たちは、愛情を持たなければなりません。
1:02:22 K: 私たちは、それを持っていません。 私はよそ者です。 私は昨日、(ここに)来ました。
1:02:27 質問者: ですが、私たちはあなたの本を、読んできました。
1:02:32 K: 何により、あなたは、私が言うべきことを、聞くのでしょうか。 または、逆に表すと、 何により、私は、あなたに聞くのでしょうか。 あなたは、何か私に語るべきことを、持っています - 快いか、快くないのか。 あなたは、何か私に語るべきことを、持っています。 何により私は、あなたに聞くのでしょうか。 一般的に、あなたが他の人に聞くのは、 褒賞か、あるいは処罰によって、です。 それが、私たちが知っているすべてです。 褒賞は、圧力です。 処罰は、圧力です。 もし私が、「ごらん。私は、あなたが何らかのものになるのを、助けよう。 あなたに、もっとお金を与えよう。もっとあれやこれを、与えよう」と言うなら、 あなたは、「熱心に話を聞きましょう」と、言うでしょう - 褒賞です。 また、もし私が、「私はあなたを処罰しよう」と言うなら、 私はまたも、聞いています。 ですね? それら二つを、取り除いてください。 それができるなら、 そのときあなたは、褒賞と処罰の圧力なしに、聞くでしょう。 それはできますか。
1:04:00 質問者: 子どもたちが、いかに私の注意を、自分たちへ向けさせるか、 お話ししたいと思います。 子どもたちが、いかに私の注意を、 自分たちへ向けさせるかを、お話ししたいと思います。
1:04:13 K: ええ。何らかのことをして、注意を引くことによって、自分たちへ、です。
1:04:16 質問者: ええ。彼らがいかに、そうするかを、ご存じでしょう。
1:04:18 K: ああ、むしろ、私は、彼らを見守ってきました。
1:04:20 質問者: 私を悩ますことによって、です。

K: ええ。あなたを引っ張る。 私を押すことによって、です。
1:04:26 ええ。私は、それを、生涯ずっと見守ってきました。 彼らは、あなたの注意の中心に、いたいのです。
1:04:32 質問者: でも、私は、彼らは正しいと、思います。 

K: いいえ!あなたはすでに・・・
1:04:36 質問者: 彼らは私に対して、私が気づいていない何かを、指摘しています。
1:04:44 K: ほとんどの子どもは、あなたの注意をほしがります。ですね?
1:04:50 質問者: 彼らは、私に何かを、語りたいんです。 

K: ええ、ええ。
1:04:58 さて、あなたは、その子に聞くのでしょうか。
1:05:01 質問者: おそらく聞きません。

K: なぜですか。
1:05:04 質問者: 私は愚かであるからです。
1:05:06 K: いいえ! 分かりますね!

質問者: ええ、私は気づいています。
1:05:12 K: いいえ、あなたは、愚かではありません。
1:05:15 質問者: まあ、私は気づいていません。

K: いいえ! ごらんください。 あなたは、小さな赤ちゃん、 子どもを、腕に抱いたことが、ありますか。 その子は、あなたに何かを語りたいと思います。 あなたは、聞きませんか。 それがすべてです。 聞きませんか。

質問者: ええ。
1:05:35 K: なぜですか。 あなたは、まぬけです!なぜあなたは、聞きますか。 あなたは、好奇心があり、あなたは、愛情深くて、 あなたは、その子を愛しているからです。 彼は、自分自身について、あなたにたくさんのことを、語りたいのです - 自分が見たこと、これとこれを、です。 あなたは聞きます。 あなたは、「黙りなさい! 私は他にすることがある」とは言いませんね。 いいですか? あなたは、そうするのでしょうか。 あなたが、それを自分の子どもで、できるなら、 なぜあなたは、それを自分の学生で、できないのですか。 なぜなら、その子は私のであるからです。ですね? 私は、自分のお腹から、その子を産みました。その子は、私のです。 あなたの子どもたち - ええ、私は行って、彼らを教えましょう。
1:06:33 質問者: 子どもがロック・ミュージックを掛けているときについては、どうですか。
1:06:36 K: いいえ。私は、ロック・ミュージックから、始めません。 私は、言おうとしています - あなたは、聞くのでしょうか。 彼が、私たちは一緒であると言ったとき、あなたは聞きましたか - 私たちは、この学校を一緒に築くための、 小さな共同体である、と。 あなたは聞きましたか。 聞きましたか。いいえ。 さて、まさにそうなんです。 すると、あなたは、なぜそこに座っていますか。
1:07:24 質問者: 私は知りません。

K: そうね、見つめてください。
1:07:30 それがまさしく、学生たちにおいて、起きつつあることなんです。 あなたは、聞かないでしょう。 彼は、聞かないでしょう。 それは、あなたが本当は、学校を創り出すことに、 興味を持っていない、という意味です。
1:07:45 質問者: 私は、それについて、はっきりしていません。
1:07:48 K: ああ、あなたがはっきりしているなら、神様!そのとき、私は聞くでしょう。 或る人が、あなたへ来て、「私はあなたを愛しています」と言います。 あなたは、彼に聞きます。

質問者: いいえ。
1:07:58 K: ああ、どうぞ!
1:08:16 K: では、教育者と学生との関係は、何ですか - 彼らのどちらも、互いに圧力を掛けていないとき、です。
1:08:30 質問者: そこには、一緒ということが、あります。
1:08:34 K: それは、どういう意味ですか。 それに入ってください。 まだ、すばやく言葉を使わないで、 ただ見つめ、事実を見てください - あなたが、圧力のもとにいないし、学生が、圧力のもとにいないことを、です。 あなたが、「私は圧力のもとにいる。 君が圧力のもとにいるように。 私たちはどちらも、圧力のもとにいる」と言うなら、 そのとき、この関係の実際の事実は、何ですか - 私たちがどちらも、自分が圧力のもとにいるのを、認識するとき、です。
1:09:12 質問者: 二人の人々が、互いに関係しあうとき・・・
1:09:15 K: 実際に何が起きますか - 気をつけて、見つめてください。 気をつけて、見つめてください。 あなたは、圧力のもとにいます。 彼もまた、圧力のもとにいます。 彼らはどちらも、自分が圧力のもとにいることを、認知します。ですね? 彼らはどちらも、圧力のもとにいることは、 大きな悲惨であると、見ます。 当分の間、それらの言葉で表しましょう - 大きな悲惨、です。 彼らのどちらも、これが見えます。 言語的に、それを理解します。 ですね? 彼らの実際の関係は、何ですか。 答えないで、それを見つめてください。 それに入り、見守ってください。 圧力の中には、利害があります- あなたからと、私から、です。 探究は、圧力の理解と、それより自由であることとに 焦点を合わせます。 いいですか?それがすべてです。 なぜなら、圧力のもとにいることは、破壊的であることを、 あなたも認知するし、私も認知するからです。ですね? 私たちはどちらも、その論理、その理由が、分かります。 ですね? 私たちはどちらも、それより自由であることの 必要性、切実さが、分かりますね。 そのとき、何が起きましたか。 私たちの注意、あなたのと、私のとは、 圧力より自由であることに、焦点を合わせています。ですね? で、私たちはどちらも、圧力について、互いに聞いています。 あなたは、圧力について注意深いし、私は、圧力について注意深いのです。 で、私たちは、どちらも注意深いのです。 いいですか? さて、ちょっと待ってください。 そのとき、私たちの関係は、何ですか。 あなたは存在しない。 私は存在しない。 ただ、圧力をめぐる注意だけが、ある。 あなたは、自分の意見を持ってこないし、私は、自分の意見を持ってこない。 私たちはどちらも、圧力について、注意深いのです。 で、何が起きますか。 そのとき、私たちの関心事は、一緒に、 圧力を理解し、押しのけることです。ですね? それは、あなたと私が、「その中の意味合いすべてを見て、 それを拭い去ろう」と言う、という意味です。 で、私たちはそこで、一緒にいます。 私たちは、けんかしないでしょう。 私たちは、意見を差し出しません。 あなたの意見は、正しいのかもしれません。 で、私は、「意見を出さないでください」と、言います。 私は意見を出さないでしょう。 なぜなら、あなたの意見は、圧力のもとに、形成されているからです。 私のもまた、圧力のもとに形成されています。
1:12:46 質問者: それが、私たちがしていることです。
1:12:48 K: それが、私たちがしていることです。 で、それを切り捨ててください。
1:12:51 私が言っていることを、理解されますか。

質問者: 理解します。
1:12:55 質問者: でも、どの年齢で、ですか。 クリシュナジ。
1:12:58 K: いいえ。私たちは、これを理解するなら、 あなたは、それを誰とでも、できます。
1:13:07 質問者: それには、二年間が掛かるでしょうし、 他のあらゆることを、忘れますね。

K: いいえ。ごらんください。
1:13:13 彼は理解しました。 あなたは、理解していませんか。 あなたはそれを、精確に、明らかに理解しました - 私たちのどちらも、圧力のもとにいることを、です。 私たちのどちらも、圧力の理由、 圧力の破壊的な本性が、分かります - 論理的に、です。 それは、漠然とした観念ではありません。 論理的に、合理的に、健全に、私たちは、圧力のもとにいることは、 最も破壊的な生き方であることが、分かります。 いいですか? あなたは、それが分かりますし、私は、それが分かります。 私たちのどちらも、「私たちは、それより自由でなければならない」と言いますね。 で、私たちは、それに関心を持っています。 あなたが、長髪にするのか、短髪にするのか、口ひげのあるなし、ではない。 そのすべてを、切り捨ててください。 で、どちらも、それに関心を持っています。 さて、私たちは、これを学生へ翻訳できますか。 もちろん、できます。 なぜなら、初めにあなたたちは、進んで私の話を聞こうとしていないからです。 あなたたちに、話を聞いてもらうために、 一時間近くか、一時間以上が、掛かりました。 抵抗がありました。無頓着、その他すべてが、ありました。 話を聞くために、そんなに時間が、掛かりましたね。 私たちはどちらも、同じことが、見えます。 どちらも、同じことが、見えます。 理解されますか。

質問者: 理解できると思います。
1:14:58 K: 私たちはどちらも、圧力の危険が、見えますね。
1:15:06 で、私たちはどちらも、それが、見えます。 知覚の違いは、ありません。 詳細へ、私たちは後で入るかもしれませんが、 私たちはどちらも、圧力の本性と その変形させる性格が、分かります。 私たちはそれより自由でなければならないと、私たちは言います。 それで、すべてです。 ともにそれを見る - 理解されますか。 それで、すべてです。 そのとき、私たちは議論できます。 ですが、あなたはそれが見えなくて、私たちが議論しはじめるなら、 あなたは、「いったい、あんたは何について話しているのか」と言います。 これは、まったくギリシャ語(ちんぷんかんぷん)ですか。
1:16:02 なぜですか。
1:16:11 質問者: それは、長い問いです。
1:16:15 それは、長い問いなのかもしれません。

K: それは構いません。
1:16:19 質問者: で、当のことは、こうです - 彼はあなたに、何を語れますか。 私たちのどちらも、見ている、と?

K: あなたは、圧力のもとで機能すること、
1:16:33 生きることは、破壊的であることが、分かりませんか。
1:16:37 質問者: ええ。
1:16:39 K: それは、言語的な同意ですか。

質問者: いいえ。
1:16:42 K: それは、事実の実際の知覚です。 待って、気をつけて。私はそれを、気をつけて使っています。 それは、圧力の事実とその破壊的な本性について、 実際の知覚です。 実際に、です。ええ、私はそれが分かります。 なぜなら、私は圧力のもとにいるし、 それは破壊的であるからです。 いいですか? いいえ。そうね、あなたはすでに、聞いていません。あなたは、外れています。 私たちはどちらも、言いました - 詳細について、私たちは後で、議論するでしょうが - その事実の認識、です。 それはカーペットである、と。 私たちはどちらも、それをカーペットとして、認識しますね。 なぜなら、私たちはどちらも、それをカーペットとして名づけてきたからです。 私たちがどちらも、「まあ、あれは水泳プールだ」と言うなら、 それは、水泳プールです。 で、私たちのどちらも、 論理的に、合理的に、健全に同意します - どの種類の圧力のもとにもいることは、破壊的であることに、です。ですね? それは、観念ではありません。 それは、事実についての観察です。 いいですか? で、私たちがどちらも、一緒に事実を観察するとき、 どちらのほうが、重要ですか。 進んでください。 どちらのほうが、重要ですか。 事実を見ることのほうが、です。 ですね? あなたは重要ではない。 私は重要ではない - 事実を見ることが、重要です。 ですね? そのとき、私たちは事実について、議論できます。 または、事実が、あなたに、物語を語るでしょう - 私が、いかに事実を聞くかを、知るなら、です。 理解されますか。 私たちが、事実に対して、自分が考えることを語るのか、 あるいは、事実が、私たちに語るのか。 すなわち、私は子どもに聞くなら、 私が、その子、赤ちゃんに、語らなくて、 その子が、自分自身について、私へ語ります。 で、同じように、私は事実を聞きます。 それは、私に語ってくれるでしょう。 理解されますか。私たちの間に、不同意はありません。 それが、初めに確立されるべきことです。
1:19:33 質問者: クリシュナジ、すると、あなたは、こう仰っていますか - 私たちの言語化する本性が、私たちを分割的になるのを、許す、と。
1:19:43 K: ええ。私たちは、それに入らなくてはいけません。 すなわち、言語が私たちを、駆り立てます。 私たちが、言語を使わないで、言語が、私たちを使います。 共産主義という言葉、それは言語ですが、 あなたは、それに抵抗します。 または、それを受け入れます。 で、言語は、ものすごい圧力です。 私は、それらに入らないでしょう。 当分の間それは、あまりに錯綜しています。
1:20:18 質問者: 意見と観念もまた、そうです。
1:20:21 K: そうです。観念は、ものすごい圧力です。
1:20:27 質問者: 私たちが、それにしがみつくなら、です。
1:20:30 K: で、あなたは、お聞きになるのでしょうか - 二分間だけ、一秒間だけです。 あなたは、事実を聞くとき - 圧力のもとに生きることは、破壊的であるとの、 その事実を、です。 あなたは、それから結論を作りますか。 それから抽象化しますか - それが、観念になるのです。 または、単に、事実とともに留まるだけですか。 あなたは、違いが分かりますか。 あなたが、それを抽象化して、それが観念である、と言い、 その観念のために働くとき、あなたは、事実より離れています。
1:21:10 質問者: 私たちはそうします。

K: あなたはいつの時も、そうしています。
1:21:13 なぜなら、それが、私たちの文化の一部であるからです。
1:21:16 質問者: それは、私たちの圧力の一部です。
1:21:19 K: あなたたちは、これに退屈しつつありますか。
1:21:21 聴衆: いいえ。
1:21:26 K: で、抽象化すると、それは観念になりますが、 そうしないで、 あなたは、事実を聞けますか。事実を、です - 圧力のもとで生きることは、大変破壊的であることを、です。 それは、事実です。あなたはそれが、自分自身において見えます。 そのとき、問いが生じます - あなたは圧力より、自由でありえますか。 圧力より自由である可能性は、ありますか。 マダム、よろしいですか。 理解されましたか。 あなたは、圧力より自由でありたくないですか。 または、あなたは、快い圧力が、好きであり、 快くない圧力を、取り除きたいのですか。
1:22:21 質問者: 私は、何かの圧力のもとにいると、私には思われます。 なぜなのかは、分かりません。
1:22:27 K: いいえ、これはとても単純です。 私は、妻の圧力が、好きです。
1:22:34 質問者: それは、それ以上です。
1:22:36 K: 待ってください。私は、有ることにおいて、圧力、という言葉を、使っています。 妻は私に、「私はあなたを愛しているわ」と、言います。 「私に車を買ってちょうだい」と。 それは圧力です。 「私はあなたを愛しているわ。今夜私と寝てね」。それは圧力ですね? 恥ずかしがらないで。 これが、起きていることです。 生が何であるか、です。 彼女は、「あなたは、けだものだわ。 あなたは、醜い人だわ」と言います。 それもまた、圧力です。 ですね? いいですか? で、私の、妻への関係は、何ですか - 妻が私に、圧力を行使していて、 私が妻に、圧力を行使しているときに、です。 快くても、快くなくても、です。 明白に、何も関係はありません。 私は彼女に、「私はあなたを愛している」と言うかもしれません - 言葉だけです。 それが、私が取りかかろうとしているすべてです。 で、私は学生に、語ります - 「ごらん。 君は圧力のもとに生きるし、私は圧力のもとに生きる。 その事実を確立しよう」と。 それは、意見ではありません。 それは、判定ではありません。 それは、日常生活での実際の事実です。 私が教師であるなら、私は、 それが、私が、彼とともに確立したい第一のことである、と言います。 「私は、圧力のもとにいないようにしよう。 あなたは、そうならないようにしよう」と 言わないでください - それは、何の意味もありません。 が、彼が見て、私が見るとき- 論理をとおし、理性をとおし、 言語的、その他すべての説明、例をとおして、 私たちのどちらも、事実を見るとき、です。 いいですか。 そのとき、何が起きますか。 私の、学生との関係を、見守りましょう。 私の、学生と関係は、事実に基づいています - 私の情動と彼の情動、 私の先入観、私のあこがれ、私の褒賞に、ではなく、 事実のみに、基づいています。 子どもたちは事実を、理解します - 意見を、ではない。 そこにあなたは、います。あなたはすでに、彼を捉えています。 やれ、私が説明するために、一時間が、掛かりますか。 さて、或ることへ、戻りましょう。 すなわち、あなたは
1:25:22 - この質問をするのを、許してください - あなたは、学校を築くことに、この種類の学校をもたらすことに、 全面的に関与していますか。 まったく圧力がない学校、です。 おそらくその中から、秩序が出てきます。 いいですか?
1:26:00 質問者: 職員と学生のどちらにとっても、です。
1:26:10 K: 圧力は、無秩序を創り出します。ですね? もし私は、圧力を持っていないなら - 私たちが昨日、言っていたように、ですが - あらゆる物事を、その正しい所に置いて、秩序があるのです。 私は今、それに入らないでしょう。 今、何時ですか。
1:26:26 質問者: 12時30分です。
1:26:28 K: ふぅー。それで、十分ではないですか。 さて、私は、私たちは、教師としてこれを、もたらせますか。 褒賞と処罰の回避。 それらのどちらも、恐れを、創り出します。ですね? 恐れは、ものすごい圧力になります。 で、私たちは、それら二つを回避できますか。 どの形の圧力も、破壊的であることを、 現実的に知って、です - 現実的に、です。 それで、褒賞、点数、その他すべて、 彼らの背中を軽く叩く - 「あなたはとても良くやっている」と。 それは、圧力です。 または、処罰は圧力です。 私たちは、ともに働けますか。 あなたが、あなたなりに、私は私なりに、ではない - いいですか? ともに見て、学生に、説明します - 圧力の本性を、 その破壊的な本性、破壊的な性質を、です。 そして、「それより全的に自由であるように、ともに働こう」と、言うのです。 やれまあ、もしも、あなたたちが、そうしたならば、 これは、何という学校になるでしょうか。 あなたたちは、完璧な秩序に生きる自由な人間たちを、持つでしょう。 そうではないでしょうか。 で、私たちは、事実が見えますか。 私はそれが見えて、あなたはそれが見えない、ではない。 または、あなたが、「私は事実をそのように見ないな」と、言うのではない。 私がいう意味を、お分かりですか。 そのとき、私たちは、自らの様々な歪んだ道を、離れています。 が、私たちは、事実を見るとき、それを見つめます。それは事実です。 私は貧しい人です。それは事実です。
1:28:47 質問者: 理論上は。
1:28:50 K: 私は貧しい人です。

質問者: まあ、私も、です。
1:28:52 K: で、それは事実です。 私たちは、そこから始めます。 それは、とても単純です。 ですが、私は、とても豊かなふりをするなら、それは、ばかげてきます。 ですが、私たちは、いつの時も、ふりをしています。 私たちは、事実に向き合っていません。 で、私たちが、ともに事実に向き合うとき、 私たちの関係は、全面的に違っています。ですね? で、彼女が事実を見ないなら、 私の仕事は、「事実を見つめて、 幾らか時間を過ごしましょう」と言うことです。 「あなたがそれを分かるまで、それについて、あなたへ語らせてください」と。 私は、それを分かるよう、あなたを説得しているのではない。 私は、「それを論理的に、合理的に、見つめましょう」と言います。 あなたは、「すみません。私は、あなたの論理や何にも、興味がありません」 と言います - 「私は、自分の圧力を、知りたくない」と。 それもまた、結構です。 ですが、この種類の学校では、 私たちは、圧力より自由であるように、ともに働いています。 世界にかつて、一度も存在しなかった学校です。ですね? それが、あなたたちに、活力を与えます - 私は知りません。
1:30:21 質問者: それで、私たちは開拓者になります。
1:30:28 K: 西部へ行って、かわいそうなインディアンと闘うのです。 もう、それで十分でしょうね。