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ML70I - 財団と学校の未来についての短いインタビュー

リー・シーゲルとメアリー・ジンバリストによるインタビュー
カリフォルニア、マリブ
1970年3月29日

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概要

質問: あなたが去って、今から百年後、あなたは、自らが言ってきたことすべてについて、何をしてほしいのか。

(三つの主要な)クリシュナムルティ財団は、法律上は分離しているが、道徳的に、倫理的に、そして深く、相互に関係し合っている。そういうわけで、アメリカ(の財団)からの人々の幾人かは、インドとイングランドへ行くべきである - 互いに敵対的であるのではなく、互いに触れあい、互いに出会うよう、互いが何をしているかを感じるように。
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質問: Kがもはや、あたりにいないとき、誰が彼の哲学を解釈するのか。

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SD70T1 - どうやって自分を知るか

第1回一般講演会
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ・ステート・カレッジ
1970年4月5日

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概要

もし救世主や権威を当てにしないなら、私たちはどこに光を求めるだろうか?

矛盾した欲望にバラバラにされ、愛もなく、私たちはどうやって観察するのか?一つの断片が残りの断片を観察するのか?

あなたは観察対象から分離しているか?暴力や怒りの真っただ中にいるとき、検閲官を介在せずに観察できるか?

観察者が観察されるものになるとき、矛盾は消え去るか?

蓄積された知識から自由になれるか?

まったく比較をしないなら、つまらないものなどあるだろうか?比較を通して何かを理解することがあるだろうか?

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SD70T2 - 人間の精神は恐怖から完全に解放されるか

第2回一般講演会
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ・ステート・カレッジ
1970年4月6日

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概要

自覚のある恐怖だけでなく、隠れている恐怖にどう対処するか?

恐怖とは「あるがままのもの」から離れることか? 恐れ依存している精神が、「喜び」または「愛」を知ることができるだろうか?

分析は恐怖から精神を解放するか?
分析には時間と分析者が伴うのではないだろうか?分析者は自我の断片なのか?

恐怖と快楽は互いに関連しているのか?

思考は快楽や恐怖を持続させ、自身を分析者として切り離すものである。

思考の明快さは必要だが、それは恐怖もまた生み出す。ならば私たちはどうするべきか?

中心となるものがあり、そこから観察するのか?

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SD70T3 - 瞑想を理解するのに必要なのは秩序である

第3回一般講演会
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ・ステート・カレッジ
1970年4月7日

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概要

私たちの実際の日常生活は無秩序ではないだろうか?

快楽には欲求不満・苦痛・依存が伴う。それが愛だろうか?

なぜ人生の中でセックスがそれほど重要になったのか?

生・愛・死を3つのバラバラなものではなく、統一体として人生を見ることはできるか?

経験や挑戦がなくとも精神は目覚めていられるか?

思考は愛ではない。愛は過去でも記憶でもない。

生・愛・死を理解しなければ、あなたの瞑想は単なる逃避であり、自己催眠の一種にすぎない。

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SD70T4 - 瞑想とは何か

第4回一般講演会
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ・ステート・カレッジ
1970年4月9日

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概要

瞑想において、私たちは何を探しているのか?

無秩序を理解せずに秩序を生み出せるか?

統制は秩序のために必要か?「あるがままのもの」を理解するとき、そこに統制の必要性があるだろうか?

快楽が愛に影響を及ぼすなら、瞑想は自己催眠である。

狭量な精神が、自身の投影や活動以外の何かを経験することができるだろうか?物事を明確に見るには、精神は静寂であるべきか?

この途方もないことが人生で行われるなら、それがすべてだ。そのとき、あなたは教師であり、弟子であり隣人であり、あの雲の美しさだ。そして、それが愛である。

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NY71T1 - 私達の過去を認識する

第一回
ニューヨーク、アメリカ合衆国
1971年4月17日

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概要

精査するには、いかなる歪みも存在すべきではありません。物事が断片的であれば、ご自身の一部がその事柄について見逃がしたり、非難する際に、必然的に歪みが起きます。

私達は幼少期から、これを信じろ・信じるな等と言われて来た事柄、プロパガンダの結果です。

知識は過去であり、現在の知識は存在しません。

選択なき観察は、観察者なき観察です。観察者とは過去であり、イメージを作りあげる大元です。

質問:自分を本当に愛せない人間が、他人を手助けすべきですか?そもそも人は誰かを助けるべきでしょうか?

質問:仏陀についてのご意見を聞かせてください。

質問:注意散漫について話をしてください。

注意:この動画は、全8分50秒が音声のみで構成されています。

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NY71T2 - 考える事柄が、あなた自身

第二回
ニューヨーク、アメリカ合衆国
1971年4月18日

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概要

心の深層には何が隠れていますか、無意識とは何でしょうか?

分析は抜本的な変化をもたらすでしょうか、それとも知的エンターテインメント、行動の回避でしょうか?

夢とは何でしょうか?

観察者を自身と観察される事を分離する際、葛藤が存在します。

終わった事柄に活力を与えるのは思考です。

質問:朝起きて、観察する物があり、自分がその物の観察者であることに気が付くと、どうこれを変えるのでしょうか?

質問:嫉妬が自分で、自分が嫉妬である事に気づくと、葛藤が終わります。なぜならそれを嫉妬だと認識し、それが無くなるからです。しかし、街中の騒音を聞くと、自分がその騒音で、騒音が自分だと、この騒音が永遠に続く場合、この葛藤を終えるには?

注意:この動画は、合計3分25秒が音声のみで構成されています。

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NY71T3 - 人間関係

第三回
ニューヨーク、アメリカ合衆国
1971年4月24日

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概要

人生は人間関係の中の動きです。

他人に慰めを求める時、そこにどんな人間関係が存在しえますか?

人間関係が存在せず、愛が存在しえますか?

ご自身の既知の事柄全てに今日、心理的な意味で死す事はできますか?

質問:自分が貪欲で、みだらで、自己中心的だとわかると、このような生き方の良し悪しが、よい事の先入観なくして、どう理解できるのでしょうか?

質問:過去の阻害なく、どう心を静め自由に解放できるでしょうか?

質問:人間関係について、常に男女の関係についてお話されますが、男性同士、女性同士についても同様なのでしょうか?

質問:過去の非常につらく恐ろしい経験の断片から、どう自分を解放するのでしょうか?

注意:この動画は、合計3分36秒が音声のみで構成されています。

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NY71T4 - 心を静めることは可能か?

第四回
ニューヨーク、、アメリカ合衆国
1971年4月25日

Video

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概要

宗教について問う心は、あらゆる信念や恐怖心から自由であるべきです。

その無秩序を問う中に、秩序が存在します。

何千年もの間を通し、知識の中で発達してきた脳細胞は完全に静かになる事が可能でしょうか?そして未知の領域に反応する事は可能でしょうか?

瞑想とは心の意志を空にする事です。

質問:気づく事に恵まれたら、どうのように、条件付いた他の人たちを手助けできるでしょうか?

質問:意識と、物事をありのまま見る事の関係について教えてください。

質問:心理的時間についてお話ください。

注意:この動画は、合計3分7秒が音声のみで構成されています。

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SD72CCTR - 冥想とは何なのか。

チョギャム・トゥルンパとの会話
カリフォルニア、サンディエゴ
1972年2月15日

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概要

もはや経験の母胎に捕らわれていない精神の性質とは、何なのか。

冥想とは何なのか。

なぜ冥想すべきか。

時と記憶なしの観察。

全的な観察。

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SM72T1 - 即座に行為することは、「有るもの」を実際に見ることである。

公開講話 第1回
カリフォルニア、サンタモニカ
1972年3月18日

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概要

行為はいつも、現在にある。明日や遠い未来に、ではない。行為は、今を意味している。

あなたの精神は、私の精神である。あなたの悲しみは、私の悲しみである。悲しみに分割はない。愛に分割はない。

あなたは、気づくために学ばなくてはいけないとの観念を、自分の精神より、片付けてしまえるか。

質問: あなたはいつ、喜びを経験してきましたか。

質問: 適応的な条件つきの振るまいから、自発性へ跳ぶには、何が掛かりますか。

質問: あなたが水面へ石を投げるなら、さざ波は止まりますか。

質問: 神自身と同一視することの、何が間違っていますか。

質問: 語り手は、自分の言葉、自分のメッセージと、自分の生、自分がしていること、自分のメッセージの媒体の間の矛盾に、気づいていますか。

質問: 私は、自分自身に気づくことに、どうやって取りかかりますか。

メモ書き: 合計3分の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

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SM72T2 - 狂気の世界において、正気であるだろう全的な行為が、あるのか。

公開講話 第2回
カリフォルニア、サンタモニカ
1972年3月19日

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概要

私たちの行為の裏の、動機、衝動、エネルギーは、何なのか。

楽しみ、楽しさと喜びの間の違いは、何なのか。

全的な行為とは、何であるのか。

事実だけがあるとき、あなたは、その事実を取り扱うための全的なエネルギーを、持つ。そのとき、その事実は、根本的な変化を遂げる。あなたが、事実を、「有るもの」を、結論、イメージ、先入観をもって、見つめるとき、あなたは矛盾の中で、エネルギーを散失させつつある。

質問: 私は、聖パウロの物語における愛や憎しみが、なぜ大事でないかを、理解したいと思います。

楽しみの追求は、人々を分割する。

関係とは何なのか。

質問: 私は、ウーマン・リブのために働いていますが、私たちは女性の意識を、より上の水準へ高めようとしています。これについて、あなたは何と仰いますか。

メモ書き: 合計15秒の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

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SM72T3 - 自由の中に秩序がある。

公開講話 第3回
カリフォルニア、サンタモニカ
1972年3月25日

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概要

私たちの生において、秩序は、どのように訪れるのか。

あなたが、自分自身を他の誰かと比較するとき、あなたは、自分の光を拒否しているだけではなく、あなたは、他の一人の光を模倣しよう、順応しようとしている。

思考はいったい、秩序を産出できるのか。

質問: 思考に、入っていただけるでしょうか - そして、なぜ私たちは、自分自身を互いより分離したいと願望するのかに、です。

質問: 新しいもの、新しい発明、新しい知覚は、どこから来るのか。

質問: 聴衆の多くが笑ったとき、あなたは、「どうぞ、笑わないでください。これはとても深刻です」と、言われました。それは、事態全体をいかに深刻にか、深刻でなく取るべきかの概念ではないですか。

質問: 自由であるには、実際に有るものを、見ることができなければならないと、私には思われます。けれども、実際に有るものを見るには、自由でなければならないと、思われます。それは、逆説ではないですか。

質問: さびしさについて、議論していただけるでしょうか - それがいかに私たちを、色々な方向へ駆り立てるのかについて、です。

質問: 私が、あなたを見つめていて、私が、自分に見えているものと、あなたが本当にそうであるものとの間に、イメージを持ち込むとき、それは思考ですか。

メモ書き: 合計13秒の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

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SM72T4 - 異なった種類のエネルギー

公開講話 第4回
カリフォルニア、サンタモニカ
1972年3月26日

Video

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概要

私たちの意識は、いつも制限されている。

精神はどうやって、葛藤なくそれ自体を変容させて、葛藤をとおしてもたらされるエネルギーより全然違ったエネルギーを、持つことになるのか - けっして衰退しないエネルギー、何も動機なく、いつの時もそれ自体を新たにするエネルギーを、ある。

思考は、止まりうるのか。

制御は冥想において、何の所をも持たない。

質問: あなたは、行為中の思考、対、思考を使わないことの間に、区別を付けていませんか。あなたは、あなたの住所のような事実の記憶 対、記憶の様式、特に記憶の様式との間に、区別を付けていませんか。

質問: この思考の観念は、いったいどのように訪れましたか。

質問: 大衆について話すと、人は、単一の均質な性格を、持っていますか。または、人は、総体を包摂する多くの面と顔から、作り上げられていますか。

質問: 真理を侵犯しない判断が、ありますか。

メモ書き: 合計2分20秒の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

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OJ72T1 - 何が、人類をまとめるのだろうか

第1回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1972年4月8日

Video

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概要

人間たちは、宗教的、民族的、政治的、経済的に、分割されている。何が、人をまとめるのだろうか - 私たちが平和に生きるように、正しい関係をもたらするのだろうか、と思われる。

明らかに見る、観察するとは、どういう意味か。

心理的な革命、精神と心の全的な変容が、必要である。なぜなら、それが、外的な現象と変化の根本原因であるから。

あなたは、特定の文化の中で、宗教的な教義、信念、儀式に沿って、条件づけられてきた。

私と他の一人との間に、測量、比較があるところ、分割がある。分割があるところ、葛藤がある。

質問: あなたは、内側に動機、霊感、衝動を持っている - それにより、あなたは、私たちと意思疎通するために、今日ここに、来たいと思った。その「私」への関係において、あなたはどこに立っていますか。

質問: あなたが樹を観察するときの感情の幾らかを、私たちと分かち合ってもらえるでしょうか。

質問: 私は、世界で起きていることに、鈍感ではありませんが、世界は、私が創り出したものではありません。なぜ私はそもそも存在しますか。

メモ書き: 合計35分間の失われたヴィデオは、音声のみにより、置き換えられている。

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OJ72T2 - 秩序は、自らの法を持っている

第2回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1972年4月9日

Video

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概要

健全さが秩序である。私たちが無秩序を理解するなら、この秩序は自然に、何の努力もなく訪れる。

あなたが実際に、自分の生での無秩序の本性を見るときにだけ、行為は起きる。その無秩序が、こんなに荒廃を引き起こしている。あなたは、自分なるものを、世界に投影する。

イメージをとおした観察は、エネルギーのむだである。あなたは、「有るもの」を変化させるために、エネルギーが必要である。

完全に秩序だち、何の矛盾もない生を、どのように生きるべきか。

意識の平野の中に、秩序は存在しない。

あなたは精神が静かであってこそ、完全に見つめられる。

精神により、思考により、想像により組み立てられていないものが、何かあるのか。測量可能でなく、人が何千年に何千年もの間探し求めてきたものが、何かあるのか。

質問: 私は恐れより自由であり、私の精神が静かであるなら、私は何かを探しているだろうか。

イメージを形成する機構は、何なのか。

メモ書き: 合計28分間の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

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SD74CA1 - 知識と人の変容

アラン・W.アンダーソンとの会話、第1回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月18日

Video

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概要

問い: 知識に自由はあるのか。

世界の甚大な苦しみ、悲惨、混乱を悟ることは、人間として、私たちの事業である。人類の全体に対する自らの責任を、私たちは、まったくの真剣さをもって、悟るのか。

私たちは、私たちは世界である、世界は私たちより分離していないとの基本的な要因が、見えるのか。

暴力的で些細で利己的で貪欲で野心的になってしまった精神の性質を、変化させる中で、知識、経験は、どんな所を持っているのか。

知識の制限は、何なのか。精神は、知られたものより自由でありうるのか - 言語的にではなく、実際にである。

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SD74CA2 - 人間関係における知識と葛藤

アラン・W.アンダーソンとの会話、第2回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月18日

Video

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概要

問い: 関係において、知識は、どんな所を持っているのか。

知られたものから、自由がなければならない。さもないと、知られたものは単に、過去、伝統、イメージの反復である。

観察者は、伝統、過去である - 物事を、それ自体を、世界を見つめる条件づけられた精神である。

観察者は、観察するとき、記憶、経験、傷、絶望、望みをもって、知識の背景をもって、そうする。

いつでも人が関係において、その知識をもって作動するとき、分割があり、ゆえに葛藤がある。

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SD74CA3 - 他の人たちとの意思疎通とは、何か

アラン・W.アンダーソンとの会話、第3回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月19日

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概要

問い: 真剣であるとは、どういう意味なのか。

「意思疎通」という言葉には、聞くことの芸術が、含意されている。

聞くことは、注意の性質を、要求する - 私たちが進むにつれて毎秒、洞察を持つ本当の感覚が、あるものを、である。

意思疎通は、私たちが、同じ時に、同じ強烈さをもって、同じ水準にいなければならないことを、含意する - 同じ道路をともに歩むこと、同じ言語でともに考えること、ともに観察すること、ともに分かち合うことを、である。

責任は、全的な参与を意味する。世界はめちゃくちゃになっている。このめちゃくちゃを創り出してきた人間として、この世界に生きていて、その解消について真剣であることは、私の責任である。

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SD74CA4 - 責任ある人間とは、何か

アラン・W.アンダーソンとの会話、第4回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月19日

Video

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概要

問い: 人間関係における責任とは、何か。

人間的な成長、人間的な文化、人間的な善に対するあなたの責任は、何なのか。大地に対する、あなたの責任は、何なのか。

あなたが、子どもに責任を感じるとき、本当の慈しみと気づかいが、花開くことがある。そして、あなたは自分の国のために、他の人を殺すよう、その子を訓練したり、条件づけたりしない。

人間たちは今、無責任であるよう、条件づけられている。真剣な人々は、無責任な人々を、どうしようとしているのか。

あなたが私に、いかに私が無責任であるか、責任は何を意味するかを、示すなら、あなたは私を気づかう。その中で自由と気づかいが相伴う全的な責任が、あるとき、精神は関係において、イメージを持たない。

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SD74CA5 - 私たちの無秩序を理解することから、秩序は来る

アラン・W.アンダーソンとの会話、第5回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月20日

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概要

問い: 自由における秩序とは、何か。

私たちは、無秩序の本性と構造を理解するのでなければ、秩序が何であるかを、けっして見つけられない。無秩序の現象全体は、どのように訪れたのか。

秩序は、何か賦課されたもの、規律なのか - すなわち、順応、抑圧、模倣なのか。秩序は、受け入れ、服従なのか。

私たちは、思考の動きを理解するのでなければ、無秩序を理解できない。測量の中に捕らわれている精神は、けっして真理を見つけられない。測量なく見ることは、可能なのか。

比較の影もなく、生を生きることは、可能なのか - 行為し、笑い、泣く生の全体を、である。

* * *

SD74CA6 - 恐れの本性と全的な根絶

アラン・W.アンダーソンとの会話、第6回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月20日

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概要

問い: 精神は、恐れより自由でありうるのか。

物理的な恐れと心理的な恐れは、相互に関係し合っている。意識的とともに、無意識的な恐れも、ある。

人種的な恐れ、社会が私に教えてきた恐れ、家族が賦課してきた恐れ。それらすべての、隠れている忍び寄り、醜く残忍なもの、それらはすべて、どのように自然に浮かんできて、露出されるのか - 精神がそれらを、完全に見られるように、である。

世代から世代へ持ち運ばれてきた、この恐れの事実に対する答えは、何なのか。

恐れの取り扱い方が、あるのか - その枝々ではなく、根を、である。

言葉、叙述、説明の裏で、恐れとは何なのか。

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SD74CA7 - 欲望を制御するのではなく、理解すること

アラン・W.アンダーソンとの会話、第7回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月21日

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概要

問い: 楽しみとは何なのか。欲望とは何なのか。

私たちは、楽しみを非難していなくて、それを観察している。楽しみの問いに入るには、欲望を覗きみなくてはならない。宣伝をとおして、欲望は、燃えさかっている。

欲望とは何なのか。このきわめて強い欲望が、生まれて、養成されることは、どのように訪れるのか。欲望はそもそも、制御されなければならないのか。欲望は、いつの時も進んでいく、きわめて活動的で要求しつづける本能だと、思われる。

楽しみは、セックス、所有、権力、知識や覚りのであれ、なぜ生において、こうもとてつもなく重要になったのか。楽しみは、とてつもないものである。美しいものを見て、それが楽しいこと。それのどこが、間違っているのか。

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SD74CA8 - 楽しみは、幸せをもたらすのか

アラン・W.アンダーソンとの会話、第8回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月21日

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概要

問い: 楽しみは喜びへ、どんな関係を持っているのか。楽しみは、幸せなのか。

楽しみと楽しさとの間に、関係があるのか。楽しみとは何か。何がそれを進めつづけるのか。その追求、常なる方向づけは、何なのか。

丘の上に立つ、唯一本の樹。あなたは、それが本当に美しいことを、見る - 花々、鹿、草地、水と唯一本の樹とその陰。それはほとんど、息を呑むほどである。

そのとき思考がやってきて、それは何ととてつもなかったのか、それは何という歓喜だったのかと、言うのか。そのとき、反復への欲望が、ないのか。それで、思考は、栄養を与え、それを維持し、楽しみへ方向づけを与える。思考はなぜ、そもそもそれに、入ってくるべきか。

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SD74CA10 - 聞くことの芸術

アラン・W.アンダーソンとの会話、第10回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月22日

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概要

問い: 見るとは、どういうことなのか。聞くとは、どういうことなのか。学ぶとは、どういうことなのか。

私たちは、実際に見るのか。または、スクリーンをとおして、ぼんやりとなのか - 私たちと知覚の対象との間に、先入観のそれ、自分たちの経験、願い、楽しみ、恐れのスクリーンをとおして、なのか。私たちはいったい、そのものを見るのか。

聞く行為は、すべての発言からの完全な自由を、もたらすのか。精神は、完全に注意深いのか。そのとき精神は、とてつもなく自由であり、行為できる。そのとき、見ることが、することである。

私は、褒賞を獲得するためか、処罰を回避するために、学ぶ。私は、生計を立てるために、特定の職や技能を学ぶ。学びは、蓄積の過程なのか。蓄積し、そこから行為することではない、他の種類の学びが、あるのか。

私たちは悲しみより、何かを学んできたのか。どんな学ぶべきことが、あるのか。

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SD74CA9 - 悲しみ、熱情と美しさ

アラン・W.アンダーソンとの会話、第9回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月22日

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概要

問い: 美しさとは何なのか。

私たちは、ますます人為的、表面的、言語的になりつつある。人は、自然との触れ合いを、失ってしまったのか。人は、精神、心、身体の繊細さ、敏感さを、失ってしまったのか。

美しさとは何なのか。それは表現されなければならないのか。それは、言葉、石、色、絵の具が、必要なのか。または、それは、何か言葉に、建物、彫像に表しえないものなのか。

熱情なしに、あなたは美しさを持てない。苦しみがあるとき、熱情は来る。その苦しみとともに留まること、それより逃避しないことが、熱情をもたらす。熱情は、「私」、自己、自我の完全な放棄を、意味する。ゆえに、大いなる美しさのきびしさを、意味する。


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SD74CA11 - 傷つくことと、他の人たちを傷つけること

アラン・W.アンダーソンとの会話、第11回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月25日

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概要

問い: 宗教的な生とは、何なのか。

「宗教」(レリジョン)という言葉は、すべての水準で、すべてのエネルギーを集めることを、意味している - それで、大いなる注意がもたらされるだろうように、である。精神は、名づけられないものが、生じてくるように、全的に注意深くありうるのか。

思考の測量を越えた何かを、知覚できる、精神の、ゆえに心と頭脳の性質、構造、本性は、何なのか - それ自体で神聖であり聖なるだけではなく、無量のものを見る能力がある何かを、である。

宗教について議論する中で、私たちは傷の本性を、探究すべきである。なぜなら、傷ついていない精神は、無垢の精神であるからである。私たちの傷は、跡が残らないように、癒やされうるのか。そして、未来の傷は、何の抵抗もなく、防止できるのか。

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SD74CA12 - 愛、性と楽しみ

アラン・W.アンダーソンとの会話、第12回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月25日

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概要

問い: 愛とは何なのか。

愛は、楽しみ、欲望の表現なのか。愛は、性欲の充足なのか。

愛は、欲望の目的の追求なのか。愛は、養成できるものなのか。

愛は、セックスと同一視されてきた - すなわち、基本的に楽しみと、という意味である。なぜ私たちはセックスを、こうも甚大な突飛でロマンチックで感傷的な事柄に、してきたのか。愛に対する喜び、楽しさ、楽しみの関係は、何なのか。

愛と呼ばれる、このものに、出くわすには、あなたは、楽しみの所を理解しなければならない。この腐った社会的条件づけの中で、訓練され、維持されてきた精神は、愛について話せる前に、初めに、自由でなければならない。


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SD74CA13 - 異なった生き方

アラン・W.アンダーソンとの会話、第13回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月26日

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概要

問い: 生きるとは、何なのか。

実際に、存在、生きることは、何なのか - テクノロジーの世界でだけではなく、また心理的にも、自分自身をより良くしようとする人の尽力の、この平野全体とは、である。人は、異なっていたい、人は今の自分以上でありたいと思う。

私たちが生きる道は、大変非実践的で、狂気の生き方でないのか - 破壊的であり、大地に対して全く無頓着である。これは、振るまう道、生きることの美しさを堪能する道なのか。葛藤なき生き方が、あるのか。

人間として、私はいったい意識しているのか。そして、意識とは何なのか。意識は、その内容なのか。死は、その意識の継続なのか。または、意識がその内容とともに終わることなのか。

* * *

SD74CA14 - 死、生と愛は、分割不可能である

アラン・W.アンダーソンとの会話、第14回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月26日

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概要

問い: 死とは何なのか。

自らが怯えていないなら、死とは何なのか。死において、自らが怯えているのは、何へなのか。それは、意識の内容を失うことへ、なのか。

意識の内容は、自らの辺境、自らの制限を作るが、内容が終わりになるとき、死は、生きることになる。その内容は、それ自体を空っぽにできるのか。

精神は、すべての内容に、全的に気づきうるのか - 集合的なもの、個人的なもの、人種的なもの、推移するものに、である。

あなたは、内容に対して死ぬときだけ、今、転生できる。あなたは、内容に対して死ぬなら、全的に生まれ変われ、再生できる。で、生きることは、死ぬことである。

生きること、愛と死は、一つであり、動いていて、分割不可能である。それは不死である。

* * *

SD74CA15 - 宗教、権威と教育 - 第一部

アラン・W.アンダーソンとの会話、第15回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月27日

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概要

問い: 宗教とは何なのか。

西洋と東洋において、イスラム教、仏教、キリスト教の世界において、同じ原理が進んでいく - 創り出されたイメージを、崇拝する。イメージを創り出してきたのは、人間である。精神は、この現象を観察できて、安全、恒常性への自身の要求を見て、それらを拒否できるのか。

なぜ精神は、生を分割するのか - 一通りに権威を受け入れ、もう一通りにはそれを拒否して、である。私たちは、突飛な観念をもった些細な小さな導師の暴虐を、受け入れるが、政治的な暴虐や独裁制を拒絶する。

権威の重要性とは、何なのか。この権威の受け入れの裏に、何があるのか。

* * *

SD74CA16 - 宗教、権威と教育 - 第二部

アラン・W.アンダーソンとの会話、第16回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月27日

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概要

私はどうやって、宗教を探究することになるのか。

宗教とは何なのか。神とは何なのか。不滅性(不死)とは何なのか。美しさとは何なのか。精神は、宗教に関して思考の構造を、全的に脇に置けるのか。

精神は、他の一人の権威より、自由でありうるのか - どれほどそれが神聖でも、神聖でなくても、である。精神は、人が宗教、神について教えてきて、考案してきて、想像してきた物事すべてを、脇に置けるのか。英知は、書物、教師をとおして、他の一人から、犠牲、苦行、放棄をとおして、探し求められるのか。

精神は、恐れ、欲望、楽しみより生まれた物事すべてより、自由でありうるのか。

あなたの思考、言語、振るまいは、宗教のまさに本質である。そうでないなら、宗教は存在できない。

* * *

SD74CA17 - 冥想 - 自らの生のすべてに浸透する注意の性質

アラン・W.アンダーソンとの会話、第17回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月28日

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概要

問い: 冥想とは、何なのか。

私たちは、正統的、伝統的な、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教、スーフィーの冥想を、受け入れるのか。または、私たちは、そのすべてを脇に置いて、「冥想とは何であるか」と訊ねられるだろうか。

冥想が何であるかを知らないことから、出発する。そのとき、私は自由であり、探究の中を流れてゆける。

冥想は、日々生きることより離別しているのか。または、冥想は、存在の平野全体を掩うのか。

私は、自分の探究の中で、目覚めているのか。または、過去がこうも生きているので、それが、現在において、私の生に指令しているのか。

制御なく生きる道が、あるのか。私は、そこに制御がない冥想の生を、生きられるのか。

* * *

SD74CA18 - 冥想と神聖な精神

アラン・W.アンダーソンとの会話、第18回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月28日

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概要

問い: 冥想において意志は、どういう所を持っているのか。

あなたは、この欲望、制御、意志、行為の動きに、選択なく気づけるのか。

空間とは何なのか。私たちは、空間を持っているのか。精神は、空間を持てるのか。精神が、家族、ビジネス、神、飲酒、セックスで占有されているとき、空間があるのか。知識が、精神の平野全体を占有するとき、空間がない。外的な空間は、内的な空間を与えようとしていない。

方向があるとき、静寂はない。精神はそれ自体より、その内容を空っぽにできるのか。精神、頭脳、身体は本当に、静寂でありうるのか。精神が全く静寂であるとき、測量不可能なものは、何なのか。静寂の中、時は止まる。

* * *

BR76CTM1 - 私たちは、自分たちが断片化していることに、気づいているのか。

ボームとシャインバーグとの議論、第1回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月17日

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概要

自らが断片化しているなら、どうして生の全体性に気づけるのか。

私は断片であり、ゆえに、もっと多くの断片、もっと多くの葛藤、もっと多くの混乱、もっと多くの悲しみを、創り出している。中心が、断片化のまさしく原因なのか。

私が安全を探し求めているとき、断片化の始まりが、起きるのか。

安全は、知識にあるのか - 間違って使われると、断片化の要因の一つだが。

私は、心理的に安全でありたいとの願望から、自由でありうるのか。

* * *

BR76CTM2 - 機械的な生き方は、無秩序へつながる。

ボームとシャインバーグとの議論、第2回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月18日

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概要

そもそも、心理的な安全は、あるのか - しっかり根拠づけられ、深く根ざした存在の感覚は。

あなたは、安全がないと聞くとき、それは抽象的な観念なのか、または実際の事実なのか。

私の安全は、何かイメージ、映像、結論、理想にある。

頭脳は、機能するために、秩序が必要である。それは、機械的な過程に、秩序を見つける。なぜなら、それは子どもの頃から、そうするよう訓練されるから。

過去が現在に出会って、継続するとき、それは、時、束縛、恐れの要因の一つである。しかし、過去が現在に出会い、私が完全にこの瞬間に気づくとき、それは止まる。そのとき、私はまるで初めてのように、あなたに出会う。

* * *

BR76CTM3 - 私は、まさしく根において、完全に変化できるのか。

ボームとシャインバーグとの議論、第3回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月18日

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概要

なぜ人間たちは、こういうおぞましい悲惨を幾千年もの間、受け入れて、そこに生きるのか。

人間が自らの存在の根本において、変化することは、可能なのか。

誰が私に語ろうとしているのか。それは、マルクス、レーニン、毛、教皇や、地元の司祭者なのか。人間たちが無秩序の中にいるから、権威が存在する。権威を拒絶する中で、私はとても健全になる。私は、権威を拒絶するとき、もっと多くのエネルギーを持つ。

生における正確な行為とは、何なのか。私は、自分の中に無秩序がないときにだけ、それを見出せる。「私」は無秩序である。「私」がどれほど実在であっても、それは、無秩序の起源である。

* * *

BR76CTM4 - 一人であることにおいて、完全に安全でありうる。

ボームとシャインバーグとの議論、第4回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月19日

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概要

人間たちは、集団へ、何か明確なものへ所属しないことに、本当に怯えているから、根本的に変容しないのか。彼らは、完全に一人で立つことを、恐れているのか。

一人であることは、伝統の重荷を持ち運ばないことを、含意している。伝統は知識である。一人であることは、全的な自由を、含意している。

断片化がないとき、一人(アローン)とは、すべて一つ(オール・ワン)である。それは、全的な秩序である。

私たちは、この全くの混乱、無秩序、悲しみ、望み、苦労、絶望の流れから、歩み出せるのか。

私たちの社会全体、すべての宗教、すべての文化が、思考に基づいている。思考は、自らがこの乱れ、この混沌を作ってきたことを、悟るのか。思考は、それ自体を、動きとして気づくのか - それが、断片的な行為をもたらすのだが。

思考の動きが終わりになるとき、全的な行為がある。

あなたが、事実に向き合うとき、恐れはない。

* * *

BR76CTM5 - 自分自身についてのイメージは、他の人たちとの関係を、阻止する。

ボームとシャインバーグとの議論、第5回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月19日

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概要

無意識といったものがあるのか。

断片化の過程は、分割する精神、無意識と意識があると言う精神の状態である。

あらゆる人間は、自分自身のイメージを持っているが、それを意識していなくて、気づいていない。自分自身についてイメージを作る起源は、何なのか。

イメージの作り手は、誰なのか。イメージを作っている機構や過程は、何なのか。私たちの意識は、私たちのイメージ、結論、観念である。イメージ作りがないなら、意識とは何なのか。

私たちがイメージを持っているかぎり、世界に平和はないだろう。世界に愛はないだろう。

事実とともに留まるなら、変容がある。

* * *

BR76CTM6 - どの形のイメージも、関係の美しさを阻止する。

ボームとシャインバーグとの議論、第6回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月20日

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概要

何が、人間たちの全意識に、根本的変容をもたらすだろうか。

正しい関係は、私が自分自身に持っている責任を、悟ることでもって、始まる。

観察者は、観察されるものより、違っているのか。観察者と観察されるものとの間に違いがあるなら、分割がある。ゆえに、葛藤がある。

私の意識は、世界の意識である。なぜなら、それは、思考の物事、悲しみ、恐れ、楽しみ、絶望、執着でもって、満たされているから。その状態であなたは、どの人間とも、どの関係をも持てない。

思考の動きは、イメージ作りであるが、その動きがないとき、何が起きるのか。分割を創り出す物事が何一つないとき、何が生ずるのか。

* * *

BR76CTM7 - 生は神聖である。

ボームとシャインバーグとの議論、第7回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月20日

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概要

あなたは、誰かを愛するとは、どういう意味かを、知っているのか。

慈悲なしでは、人間たちは、自分たち自身を破壊している。

慈悲は、悲しみが、普遍的な悲しみが終わることの結果なのか。

悲しみへの洞察を持ちなさい - 思考の悲しみではなく、人類の普遍的な悲しみへ。その洞察の中から、慈悲がある。慈悲は、生すべての終わり、死すべての終わりなのか。

真実の透徹する冥想は、洞察をもたらす。

* * *

BR76CTM0 - 序章

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概要


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WO78DSS1 - クリシュナムルティ学校の目的

ウルフ・レイク学校 学校討論、第1回
カナダ、ヴィクトリア
1978年4月20日

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概要

質問: 私たちは、クリシュナムルティ学校の目的について、議論できるでしょうか。

教育を受けるとは、どういう意味なのか。

自由と権威はどういう意味か、そして、学ぶとはどういう意味かを、理解することが、重要である。
I
「学校(スクール)」という言葉は、「余暇」という語源から、来ている。

自由とは何なのか。

秩序は、服従することを、意味するのか。秩序は、機械的な課業に従うことを、意味するのか。

なぜセックスは、非常に重要になったのか。

私たちがいう権力とは、どういう意味か。

教師と学生の機能とは、何なのか。

メモ書き: 合計5分33秒の失われたヴィデオは、音声のみにより、置き換えられている。

* * *

WO78DSS2 - 圧力より自由であることは、可能なのか

ウルフ・レイク学校 学校討論、第2回
カナダ、ヴィクトリア
1978年4月21日

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概要

この学校で、一緒であることには、どういう意味合いがあるのか。

あなたは、何の圧力もなく学科を学ぶ必要性を、学生が理解するように、どのように助けるのだろうか。

学生とともに話し合うことにより、私たちは、探検しはじめる。

何により、私はあなたに聞くのだろうか。

教育者と学生が、どちらも相手に圧力を掛けていないとき、彼らとの間の関係は、何なのか。

圧力のもとに生きることは、破壊的であり、無秩序を創り出す。

褒賞と処罰はどちらも、恐れを創り出す。恐れは、ものすごい圧力になる。私たちは、褒賞と処罰を回避できるのか。

メモ書き: 合計11分5秒の失われたヴィデオは、音声のみにより、置き換えられている。

* * *

WO78DSS3 - 聞くことと学ぶことの芸術

ウルフ・レイク学校 学校討論、第3回
カナダ、ヴィクトリア
1978年4月23日

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概要

適切な種類の教育は、人の全体性の養成である。

カリキュラムを実施し、また、教育者と教育される者との両者の心理的な本性に、関心を持つことは、可能なのか。

教師は、数学を教える中でまた、秩序とは何かをも、究明している - 彼自身において、だけではなく、学生においても。

あなたが学べるのは、余暇を持っているときだけである。

教育者として、私の主な関心事は、本や科目ではなくて、学生が聞くのを助けることである。

非蓄積的な学びが、あるのか。

記憶は、知識の機械的な蓄積である。ゆえに、思考は機械的であり、制限されている。

メモ書き: 合計9分7秒の失われたヴィデオは、音声のみにより、置き換えられている。

* * *

BR7879CBS1 - あなたは、ブッダが言ったことを、言っていませんか。

仏教学者たちとの議論 第1回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1978年6月22日

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概要

質問: 知識は、人間たちを条件づけるのか。

知識は、情報、経験、事実、理論、原理の蓄積、過去と現在を、意味している。この束を、私たちは知識と呼ぶ。

知識の重荷を負っている精神は、真理が見えるのか。

私たちは、ブッダやキリストが言ったことを読むことにより、もっと多くの知識を得るだろうか。私たちは、自分たちが天国へ跳び込むのを助けてくれるだろうと思われる、この蓄積的な本能に、満ちている。

私は、暗示、内容、伝統すべてをともなった言葉なしに、事実を見つめられるのか。

私は、言葉の連想と過去の思い出なしに、何かを見つめられるのか。そのときにのみ、私は事実が見える。

* * *

BR7879CBS2 - 自己なしの精神の状態が、ありますか。

仏教学者たちとの議論 第2回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1978年6月23日

Video

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概要

質問: 死ぬ過程にある精神の状態は、何なのか。

死とは何か。死後に生があるのか。継続があるのか。ないのなら、生きることの意味はそもそも、何なのか。

なぜ、同一視の過程全体が、あるのか - 私の所有物、私は何になるのか、成功、権力、威信というように。

同一視の過程が、自己の本質である。

自己の構造と本性をもたらし、思考の結果である、この同一視の過程なしに、日常生活において、生きることは、可能なのか。

これらの混沌、常なる努力を生み出す「私」より、自由であることは、可能なのか。

思考は終わりうるのか。

死は、自己が終わることであるが、死とともに日常生活を生きることは、可能なのか。

* * *

BR7879CBS3 - 自由意志は、存在するだろうか。

仏教学者たちとの議論 第3回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1979年6月23日

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 日本語    English-日本語

概要

私たちは、これとあれとの間で選択できるから、自由意志が存在する、と言う。物質的なものを別として、なぜ選択があるのか。

その中に意志の努力がまったくなく、ゆえに選択がない行為が、あるのか。

なぜ思考は、感受と同一視するのか。同一視する中に、二元性があるのか。

私の中で、思考はどのように始まったのか。それは、親たち、教育、環境、過去により、手渡されてきたのか。

言葉が、思考を創り出すのか。または、思考が、言葉を創り出すのか。

なぜ思考が、行為に入るのか。部分的でなく、完全で、総体的で、全体的な行為が、あるのか。

あなたは、誰かを、全体的なものとして、見られるのか。そのとき、愛がある。

* * *

RV78DS2 - 怯えないことの重要性が、分かりますか。

学生との議論、第2回
インド、リシ・ヴァレー
1978年12月5日

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 日本語    English-日本語

概要

君は、誰かに怯えていますか。

君はどうやって、何が正しい行為であるかを、見出すのでしょうか - 君がけっして怯えないように、です。

恐れがあるなら、君は愛せない。または、他の一人に愛情深くありえない。

君の興味は、社会と世論を堪えるほど、強くて生命力を持っていますか。

君は、物理的な恐れと非物理的な恐れを、区別できますか。

自己保存、身体を保護することは、恐れではない。

未来があるから、恐れは存在する。

君はどうやって、過去の痛みを、取り除けますか。

君の精神と身体は、絶対的に静かであり、それでたくさんのエネルギーを集められますか。

メモ書き: 合計2分39秒の失われたヴィデオは、音声のみにより、置き換えられている。

* * *

RV78DS3 - 自分の思考を観察できますか。

学生との議論、第3回
インド、リシ・ヴァレー
1978年12月7日

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 日本語    English-日本語

概要

君は、何かを見つめるとは、どういう意味なのかを、知っていますか。

君は、思考を観察するとき、何を見つけますか。

君は、一つの思考を、飛び回らせることなく、見つめられますか。

思考が生まれてくるところの背景は、何ですか。

君は、初めて何かを見るとき、それを名づけられない。君がそれに名づけた瞬間、それは記憶になる。

自分の試験について考えることにより、君は恐れる。

恐れより自由であることは、過去や未来に関与しないことである。

考えること自体が、恐れの動きである。

信念、先入観や意見がないとき、正しい行為が、ある。

* * *

RV78DS4 - 正しく振るまうことは、配慮と尊敬を持つことである。

学生との議論、第4回
インド、リシ・ヴァレー
1978年12月12日

Video

 日本語    English-日本語

概要

君は、自分の教師たちに、怯えていますか。

なぜ君は競争しますか。なぜ、どの集団の人々も、競争しますか。

振るまいとは何ですか。礼儀と配慮です。他の一人の願いに、強制されることなく、喜んで譲るとは、どういうことですか。

正しい振るまいは、他の人たちへの礼儀、丁重さ、配慮、尊敬を、含意している - 総理大臣であっても、召使いであっても、です。

土が正しくないのなら、どれほどの量の種子を植えることをもってしても、何も成長しないだろう。君が注意をもって聞くとき、その土の中に種子は根づいて、花開くことができる。

* * *

RV78DS5 - 言葉ではなく、人間を見なさい。

学生との議論、第5回
インド、リシ・ヴァレー
1978年12月14日

Video

 日本語    English-日本語

概要

なぜ君は、精神が静かに保たれるべきだと、考えますか。

君は、山に名づけることなく、それを見つめられますか。

言葉はそのものではない。言葉が、観察者と観察されるものとの間に、入ってくるとき、それは散漫にさせる。

同一視は、君が人間を見つめるのを、阻止する。

君は、精神がおしゃべりするのを、観察できますか。

君が怒りより自分自身を分離するなら、君は、それを制御しよう、抑圧しようとか、それより逃げ去ろうとする。だが、君がそれであるなら、君が怒りと呼んできたものこそが、完全に変化する。

習慣とは何ですか。

精神はおしゃべりしていないとき、なぜ怯えたり、退屈したりしているのか。

言葉はけっして、そのものではない。私は、あの丘の絵画を描けるが、絵画は丘ではない。

* * *

BR7879CBS4 - 真理とは何なのか。

仏教学者たちとの議論 第4回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1979年6月28日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問: 実在と真理との間に、違いがあるのか。

思考が組み立ててきた物事すべて - 文学、詩歌、絵画、幻影、神々と象徴 - それは、私たちにとって、実在である。しかし、自然は、思考により創り出されていない。

精神は、感覚すべてのネットワークは、真理を把握でき、見られ、知覚できるのか。

心理的な時は、思考の創案である。私たちはそれを、覚りを達成する手段に使う。そういう時は、幻影なのか。真理は、言葉により測量可能なのか。真理は時がなく、思考は時のであり、二つは一緒に動けない。

愛なしに、慈悲なしに、真理はありえない。私は真理へ行けない。私は真理を見られない。自己がないときだけ、真理は存在できる。

* * *

BR7879CBS5 - 死後の生があるのか。

仏教学者たちとの議論 第5回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1979年6月28日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問: 死後に生はあるのか。

身体が死ぬとき、欲望、心配、悲劇、悲惨は、つづいていく。それらは、その中に人類が生きる広大な共通の流れに、寄与しつづける。私たちの一人一人は、あの流れの全体の代表である。

苦しみの本性全体を探究することにより、それを終わらされ、その流れより外に出られるのか。苦しみへの自由な探究は、洞察である。 私が、仏教やその他でも、どの権威をも受け入れるかぎり、洞察はありうるのか。

もはや流れの顕現ではない人にとって、智恵、愛、慈悲が作動している。

質問: あなたは、注意深さ(マインドフルネス)、気づき、注意の間で、どのように判別するのか。

* * *

RV79DS1 - 敏感であるとは、君がしていることに、気づくことである。

学校討論、第1回
インド、リシ・ヴァレー
1979年11月17日

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 日本語    English-日本語

概要

若い間に、頭脳の敏感さと幅広く考えられる能力を養成することが、とても重要である。

私たちの感覚すべてを養成することが、いかにとても重要であるのか。

君自身のために、極度に注意深いこと、人々を見守ること、人々に聞くこと、まわりのあらゆる物事を見ることを、学んでください。

何百万年以上、私たちの頭脳は、多くの経験、逆境、困難、苦しみ、楽しみと苦悩を、経てきた。君の頭脳は、君の頭脳ではない。それは、人間たちの頭脳である。

君はなぜ、肉を食べますか。

メモ書き: 合計2分46秒の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

* * *

RV79DS3 - 君は、イメージより自由でありえますか。

学校討論、第3回
インド、リシ・ヴァレー
1979年11月21日

Video

 日本語    English-日本語

概要

精神と目が即座にまとまるとき、君は、とてつもない注意の性質を、持つだろう。

思考は、言葉と象徴の動きである。

知識はけっして、完全ではありえない。だから、思考はけっして完全ではない。

きわめて制限された知識より、君が何かをするとき、何が起きますか。

私たちは、傷より自由であるように、何をするのだろうか。

君がイメージを持っているかぎり、それは傷つこうとしている。 君はどうやって、イメージから自由でありうるのか。

社会、親、祖父母、友だちは、君を条件づける。

君は、教育されてきて、事実とではなく、観念とともに生きてきた。

メモ書き: 合計4分5秒の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

* * *

RV79DS4 - 君は誰かを、信頼か信用していますか。

学校討論、第4回
インド、リシ・ヴァレー
1979年11月27日

Video

 日本語    English-日本語

概要

君は誰かを尊敬しますか。

教えることは、世界で最も偉大で最も尊い職業である。なぜなら、あなたは、新しい世代の人々を、もたらしているから。

君が智恵を持つよう助けることが、学校の機能である。君は、怯えているなら、智恵を持てない。教師と学生は、怯えないよう、互いに助け合えるのか。

君は、いかに調和的に葛藤なく生きるかを、知らないなら、いつも恐れを持つだろう。

信用には、自由がある。

君が誰かを完全に信用するとき、君の精神に、何が起きてきたのか。

私たちはこの学校に、君たちみんなが信用できる人々を、創り出さなければならない。

* * *

OJBR80CB1 - 心理的な葛藤の根

ディヴィッド・ボームとの会話 第1回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月1日

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 日本語    English-日本語

概要

人類は、間違った方へ曲がってしまったのか。

人類の、このものすごい内的な葛藤の根は、何なのか。

私は何かになろうとしているとき、それは、常なる闘いである。

頭脳自体は、自らが時の中に捕らわれていること、そして、自らがその方向へ動いているかぎり、葛藤は永遠で、終わりがないことを、見られるのか。

精神は、心理的な問題を、即時に悟り、解消できるのか。

人類は、幾千年をかけて、ここに来るために、旅をしてきたのか - すなわち、私は何物でもない、ゆえに、私はあらゆる物事であり、すべてのエネルギーである、と。

* * *

OJBR80CB2 - 精神より、時の蓄積を浄化すること

ディヴィッド・ボームとの会話 第2回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月2日

Audio

 日本語    English-日本語

概要

時は、人の敵である。

時に絡みとられていない始まりが、あるのか。

私たちは、何物もないことは、あらゆる物事である、ゆえに、それは全的なエネルギーであることを、言った。それは、純粋、清浄な、腐敗していないエネルギーである。それを越えて、何かがあるのか。

人はいったい、「私」より自由でありうるのか。

その空っぽは、特定のものの死があるとき、存在しうるのみである。

* * *

OJBR80CB3 - なぜ人は思考へ、最高の重要性を、与えてきたのか

ディヴィッド・ボームとの会話 第3回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月8日

Audio

 日本語    English-日本語

概要

質問: 「基盤」は、人類へ無関心なのか - 物理的な宇宙はそのように見えるが。

単に物理的なもの以上の何かが、あるのかどうかを、どのように見出すのか。

質問: 外的に物質について事実を組織する中で、理論は必要であり、役立つけれども、内的に、心理的に理論がじゃまになり、まったく役立たないのは、なぜなのか。

私自身のため、私の家族のため、私の集団のため、私の部族のために、安全を探し求めることが、分割をもたらしてきた。

なぜ人は、最高のものとして、思考に重要性を与えてきたのか。

私は完全に非理性的であることを受け入れるなら、私は理性的である。

* * *

OJBR80CB4 - 自我中心的な活動の様式を破ること

ディヴィッド・ボームとの会話 第4回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月10日

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 日本語    English-日本語

概要

何が、人間を、深く根源的に、根本的に変化させるのだろうか。

私は、人間として、私の自我中心的な活動を、完全にあきらめるだろうか。

私が進化してくるにつれて、私が成長してくるにつれて、私が経験してくるについて、知識を多く取得すればするほど、それは、私を強めてきた。私は、あの道を幾千年の間、歩んできた。おそらく私は、この問題を、全然違ったように、見つめなくてはいけないかもしれない - それは、あの道をまったく歩まないこと、私が取得してきた知識すべてを、捨て去ることである。

説明は、向こう岸へ渡るための船であった。向こう岸の人は、「船はない。渡れ!」と言う。

何か完全に堅固であり、動かしえなくて、絶対的に真実であるものに、私が出会うとき、私に何が起きるのか。

心理的な知識は、私たちを鈍くしてきた。

* * *

OJBR80CB5 - 存在の基盤と、人の精神

ディヴィッド・ボームとの会話 第5回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月12日

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概要

なぜ、観念を持つことは、重要になってきたのか。

宗教的な精神と、哲学的な精神との間の違いは、何なのか。

基盤への人間精神の関係は、何なのか。

人はなぜ、知識を蓄積してきたのか。

あなたが誰かを愛するとき、「私」はない。それは愛である。同じように、私が、私は人類であると言うとき、そうである。それは観念ではない。それは結論ではない。それは、私の一部である。

唯一つのことがある。それは、私がしてきたことは、役立たない、灰であると、発見することである。それで自らは憂鬱にならないことが、分かる。それが、その美しさである。それは、不死鳥のようであり、灰の中から生まれる。

* * *

OJBR80CB6 - 洞察は、脳細胞の変異を、もたらせるのか

ディヴィッド・ボームとの会話 第6回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月15日

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概要

洞察は脳細胞を変化させられるのか。

頭脳には、意識により触れられていない活動が、あるのか。

洞察は、物質的な過程に、すなわち思考に、依存していない。暴力があるところ、平和は存在できない。平和があるところ、暴力があるのか。

洞察は、無原因であり、原因の中より生まれていないので、その洞察は、原因を持つものに対して、明確な効果を持つ。

物質的な過程は、無知の中、闇の中で作用する。この洞察の閃きは、平野全体を照明する。それは、無知、闇が消し去られた、という意味である。

* * *

OJBR80CB7 - 死はほとんど意味を持たない

ディヴィッド・ボームとの会話 第7回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月17日

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概要

生の騒動全体へ、全然違った接近法が、あるのか。

中心が闇を創り出していて、思考がその闇の中で作動しているかぎり、無秩序があるにちがいない。今の社会のような、あらゆる物事が、あるにちがいない。それより動いて離れるには、洞察を持たなければならない。

閃きがあるときのみ、洞察は訪れうる - 閃きは、闇だけでなく、闇を創り出すものをも、廃棄する。

人間たちは、一つの様式に沿って、行為してきた - 憎しみへ、憎しみによって応答するなどだ。そうしなかった者が、わずかに、おそらく多くいる。なぜこの分割は、起きてきたのか。

闇の中に生きている人は、どの時にも、他方へ動いて離れられる。どの時にも - それが論点である。

葛藤を持たない精神には、何が起きるのか。


* * *

OJBR80CB8 - 洞察は、他の人へ目覚めさせられるのか

ディヴィッド・ボームとの会話 第8回
カリフォルニア、オーハイ
1980年4月19日

Audio

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概要

洞察を持つ人の、社会への関係は、何なのか。戦争と世界全体に関して、彼の行為は、何なのか。

質問: 宇宙、万物において、または基盤において、人類の意義は、何なのか。

Yは、「私に示してください。私にそれを証明してください。それはどんな利益を持っていますか。私は自分の未来を得るのでしょうか」に、関心を持っている。彼は、この些少さが慣習となった眼でもって、Xを見つめている。彼は、あの無量性を、自分の些少さに還元してしまい、それを寺院、神殿に置く。ゆえに、それを完全に失ってしまった。だが、無量な何かが、ある。それで、Xは、「どうぞ、これを見てください」と言う。Yはこれを、「私にそれを示してください。私にそれを証明してください。私は、より良い生を得るのでしょうか」と、翻訳する。

Xは光をもたらす。それが、彼ができるすべてである。

人の破壊の進路を転換させるには、誰かが聞かなければならない。

* * *

OJ80T1 - 私たちは、自分たちが向き合っている危機について、ともに考えられますか

第1回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1980年5月3日

Video

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概要

私たちは、外的と内的に、葛藤を持っている。私たちがこの葛藤を、解消させるのでなければ、人類は自身を破壊しようとしている。

私たちは、自分の頭脳を究明している - 心理学者と神経学者による頭脳ではない。あなたが権威に沿って検討するなら、あなたが検討しているのは、権威であり、あなたの頭脳ではない。

葛藤は即時に終わりうるのか。それが終わらないとき、あなたが、それを即時に終わらせる切実さを、持たないとき、あなたは、時を入れる。

それを創り出してきた人間たちが、自分自身を変化させるときだけ、社会は変化させられる。

私たちの一人一人は、どうやって、この危機に接近するのか。

事実への接近が、大事である。あなたの接近は、理性的なのか、非理性的なのか。あなたの接近は、望みや欲望に基づいているのか。そうであるなら、あなたは自由に、事実を観察できない。

* * *

OJ80T2 - 観察は、分析の全的な拒否である

第2回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1980年5月4日

Video

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概要

観察は分析より、全然違っている。観察は即時である。あなたは樹を見る。あなたは、分析しはじめるなら、樹を見ない。

分析は、自分自身の外側の何かを分析している分析者を、含意している。あなたがよく気をつけて、観察するなら、分析者は、分析されるものである。

あなたはどのように、葛藤を観察するのか。

傷ついているものは、何なのか。それは、あなたの心理なのか。または、基礎的に、あなたが自分自身について築いてきたイメージなのか。

知識はけっして、完全ではありえない。自分がどんな心理的な知識を取得してきたのでも、それは、無知の影により取り囲まれている。

思考は、テクノロジー的に、心理的に、世界を築いてきた - そして、危害、騒動、心配、恐れ、破壊の世界を、である。考えることの本性は、何なのか。

* * *

OJ80Q1 - 第1回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1980年5月6日

Video

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概要

質問1: 若者の教育において、歴史の意義は何ですか。

質問2: なぜ知識はいつも、不完全なのですか。気づきは、分析につながりますか。

質問3: 思考は、痛みに対する防衛として、発生しませんか。子どもの頃に発達した防衛を、どうやって乗り越えますか。

* * *

OJ80Q2 - 第2回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1980年5月8日

Video

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概要

質問1: あらゆる物事が相対的であり、個人的な意見の事柄であるとの支配的な想定が、あります。この信念に対する、智恵ある応答は、何ですか。

質問2: 暴力に関する正しい行為は、何ですか。

質問3: 明日が私たちの問題を解決するだろうとの望みは、私たちが変化の絶対的切実さを見るのを、阻止します。これをどのように、取り扱いますか。

質問4: 私たち人間が、私たちの日常的な関係において、他の人たちと会うことに責任を持つ、心理的な必要がありますか。真の心理的な必要といったものが、ありますか。

質問5: 何かの総体を見るとは、どういう意味ですか。何か動いているものの総体を知覚することは、いったい可能ですか。

質問6: 対極を持たない状態が、ありますか。私たちは、それとどう親交し、疎通するのかを、知りえますか。

* * *

OJ80T3 - 心理的に何かを終わらせるには、時が必要なのか

第3回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1980年5月10日

Video

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概要

それは、あなたの頭脳や、特定の個人の頭脳ではない。それは、人類の頭脳である。その頭脳は、様々な様式 - 恐れ、楽しみと賞罰 - の中で、機能してきた。これらの様式を乗り越えることは、可能なのか。

あなたは、自分自身を変化させたり、自分自身に秩序をもたらしたりするために、他の人たち - 教会、政治、導師 - に、依存しているのか。

私たちは、世の中に存在している無秩序に、責任を持っているのか。この無秩序は、思考により創り出されている。

なぜ思考は、すばらしい医療をもたらし、また、戦争をも創り出し、人間たちを破壊してきたのか。

あなたはどのように、暴力に出会うのだろうか。

あなたの憎しみと嫉妬を即時に終わらせることは、可能なのか - それで、頭脳が様式を壊してしまい、全然違ったように考えられ、行為、観察できるように、である。


* * *

OJ80T4 - 欲望、執着と恐れ

第4回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1980年5月11日

Video

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概要

欲望は、どのように生じてくるのか。そしてなぜそれは、自分の生において、こういうとてつもない役割を、果たすのか。

貪欲は、一つの形の欲望である。貪欲は、実業家と広告により、助長される。

思考は、或る人物のイメージを、創り出すし、そのイメージに執着している。執着は、その帰結すべてとともに、終わりうるのか。

恐れとは何なのか。自分は、執着を手放すことを、恐れていないのか。

なぜ私たちは、自分の知識と経験すべてをもってしても、この恐れの問題を、完全に解消してこなかったのか。

恐れは、時なのか。恐れは、思考の動きなのか。

メモ書き: 合計5分の失われたヴィデオは、音声のみにより、置き換えられている。

* * *

OJ80Q3 - 第3回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1980年5月13日

Video

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概要

質問1: 真の創造性とは何ですか。それは、大衆文化で著名なものと、どのように違っていますか。

質問2: あなたは、見ることこそに、行為があると、仰ってきました。この行為は、行為の表現と同じですか。

質問3: イメージ作りが終わるには、思考もまた、終わらなければならないですか。イメージ作りの終わりは、単に、愛と真理が何であるかを発見しはじめられるところの基盤ですか。

質問4: どうぞ、輪廻転生の非存在について、断定的な発言をしてくださるでしょうか。ますます多くの「科学的な証拠」が、輪廻転生を事実として証明するために、今、蓄積されつつあるからです。

質問5: 「あなたは世界である」し - 括弧付きです - 自らがそれを感じ、それを見るなら、流れから歩み出るとは、何を意味でしていますか。誰が、その中から歩んで出ますか。

* * *

OJ80Q4 - 第4回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1980年5月15日

Video

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概要

質問1: 恐れの実際の実体は、何ですか。私は恐れ自体を見つめるとき、何を見つめることになりますか。

質問2: 私たちのまわりの世界に、何の立証可能な普遍的な正義の原理を、見ないとき、私は、私自身や、混沌とした外側の社会を変化させるための、説得力ある理由を、何も感じません。この事柄について、あなたの知覚を、私たちと分かち合ってもらえますか。

質問3: 私たちは心理的に、自己に対して死ねますか。私は、自分の現在の断片化の状態の中で、どうやって観察できますか。それは、「私」が「私」を見ようとしているのに似ていますか。

質問4: 観察者なしの観察の中で、事実とともに留まることから、変容がありますか - 注意の増加へ繋がるものが、です。

質問5: 思考に対する注意の関係は、何ですか。注意と思考との間に、隔たりがありますか。

なぜあなたの精神は、おしゃべりしていますか。

* * *

OJ80T5 - 心理的に私たちは、一つの単一の動きである

第5回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1980年5月17日

Video

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概要

私たちは、私たちの一人一人が世の中で起きつつあることに責任があるとの中心的な事実を、悟らないように思われる。

私たちの観察に、どんな恐れでもあるとき、歪曲が起きる。

なぜ世界中の人間たちは、果てしなく違った形で楽しみに従うよう、宣告されているのか。

精神は、記録しないでいられるのか。

憎しみと暴力は、終わりうるのか - いつか未来の時に、ではなく、あなたが聞いているとき、終わるのか。

心理的に私たちは、一つの単一な動きである。私たちは、自分たちの教育と自分たちの欲望をとおして、この広大な無量の精神を、私たちの些細な喧嘩、嫉妬、心配へ狭めてしまった。

苦しみは、意志の行為により、終わらされるのか。

心理的に、誰かの喪失があるとき、けっしてそれから逃避しないで、それを見つめてください。すなわち、歪曲なく観察するのです。

* * *

OJ80T6 - 行為、観察と、生きている間に死ぬこと

第6回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1980年5月18日

Video

 日本語    English-日本語

概要

完全な知識は、けっしてありえない。知識はいつも、無知と伴う。だから、私たちの行為は、知識に基づいているとき、不完全であるにちがいない。

時から生まれていない行為が、あるのか。

中心に対して死ぬ、けれども、生きて、活動的で、働いていることは、可能なのか。

私たちの精神は、継続へ縋りつく。継続には、安全がある - 私はそうだった。私はそうである。私はそうなるだろう、と。その概念や観念は、ものすごい強さを与える。死は、これらを拒否する。そして、私たちは恐れている。

あなたの執着や攻撃を、方向づけ、動機、欲望なしに、観察してください。まさにその観察の中に、それが終わることがある。

死は、生きている間にある - 生の終わりに、あなたが老いて、病気で、無意識でいるとき、ではない。精神が収集してきた物事すべてを、楽に、一定の優美さをもって、終わらせなさい - それで、違った精神の性質があるように、である。

何か物質すべてを越えたものが、あるのか。

* * *

OJBR80CB9 - 老衰と脳細胞

ディヴィッド・ボームとの会話、第9回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年6月1日

Video

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概要

人間の頭脳は、衰退しつつあるのか。

人間の頭脳は、特定の頭脳ではない。それは、私や他の誰にも所属していない。それは、何百万年もの間、進化してきた人間の頭脳である。

頭脳は、自らの動きに気づけるだけでなく、頭脳自体が、様式すべてを破り、そこから動いて出るほどのエネルギーを、持ちうるのか。

心理的な知識は、それ自体で、頭脳が縮むことの要因でないのか。

自己は時をかけて築かれているが、それがもはやそこにないとき、苦しみの終わりが、訪れる。

時の本性へ洞察があるなら、時の部分である脳細胞こそが、崩れてしまう。脳細胞は変異し、それら自体に変化をもたらす。

冥想は洞察である。

* * *

OJBR80CB10 - 宇宙的な秩序

ディヴィッド・ボームとの会話、第10回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年6月7日

Video

 日本語    English-日本語

概要

人が作っていない秩序が、あるのか。

頭脳は、賦課、圧迫、傷、負傷、すべての存在の些細なことより、いったい自由でありうるのか。

時は、私の全存在である。私は過去に避難するが、それは変化させられない。なぜ頭脳は、この生き方を受け入れるのか。なぜそれは、それを壊してしまわないのか。

私が過去に根を持っているかぎり、秩序はありえない。

宇宙・万物が時のでないならば、時の中で絡まってきた精神は、どうして、自体を解きほぐし、それで、宇宙・万物でありうるのか。

* * *

OJBR80CB11 - 洞察の解放

ディヴィッド・ボームとの会話、第11回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年9月14日

Video

 日本語    English-日本語

概要

洞察は、繋がれ、執着し、依存し、さびしい動き全体を、拭い去り、駆逐するか、解消させることができるのか。

人が作っていない秩序が、あるのか。

無秩序があるところにのみ、測量は存在しうる。

私たちは、人が作った世界に、生きる。私たちは、人が作った精神の結果である。精神は、それ自体の条件づけを完全に解き、自らがもはや、人が作っていないように、なりうるのか。

愛と憎しみの間の関係は、何か。

* * *

OJBR80CB12 - 愛の智恵

ディヴィッド・ボームとの会話、第12回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年9月16日

Video

 日本語    English-日本語

概要

精神、頭脳、心理的構造全体は、葛藤すべてより、動揺の陰すべてより、いったい自由でありうるのか。

思考は、心理的な蓄積から出てきたものである。その蓄積は、継続の感覚を与える - それが時である。

なぜ、世界中のすべての人間は、なろうとの衝動を、持っているのか。

蓄積において人は、心理的な安全を、探し求めてきた。蓄積をともなったその安全は、人間の分割の要因である。

何も動機なく、何も方向づけなき知覚、この蓄積の動きにより生じさせられてきた壁の知覚、それへの知覚こそが、智恵と愛である。

* * *

OJBR80CB13 - 心理的な知識が終わること

ディヴィッド・ボームとの会話、第13回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年9月18日

Video

 日本語    English-日本語

概要

なぜ私たちの精神は、いつも、一定方向に作動しているのか。

私は、知識が自然に、必然的に、私がそこに生きる轍を形成していることを悟って、人間として、何をするのだろうか。私はどうやって、それを壊してしまうべきなのか。

純粋な観察は、実際に聞くことであるが、その純粋な観察が、愛なのか。

私は、何をすべきかを言ってくれるよう、あなたに頼むとき、知識の分野に戻っている。

私たちは、あらゆる物事を、試してきた - 断食、「私」をその知識すべてとともに、その幻想すべてともに、取り除くためのあらゆる種類の物事を、だ。自らが、他の何かと同一視すようとするが、それは同じである。真剣な人は、これらをやってきて、根源的な問いに戻ってくる - 何が、この壁を、全的に消え去らせるのだろうか。

* * *

OJBR80CB14 - 宇宙・万物における精神

ディヴィッド・ボームとの会話、第14回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年9月20日

Video

 日本語    English-日本語

概要

思考は、物質的な過程なのか。

思考が組み立ててきた物事すべてについて、本当に完全に空っぽである精神を、持つことは、可能なのか。

反応の本性への洞察のみが、心理的な反応を、終わらせる。

絶対的な静けさが、ある。その静けさの中には、または、その静けさから、永遠に新しい動きが、ある。

私が、深い内的な心理的な秩序を持っているとき、秩序の静寂な動きは、私の日常生活に影響しうるのか。

自由は反応ではない。

普遍的な精神が、ある。自由があるとき、人間精神は、それのでありうる。

* * *

OJBR80CB15 - 人間の問題は、解決できるのか

ディヴィッド・ボームとの会話、第15回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年9月27日

Video

 日本語    English-日本語

概要

なぜ世界中の人間たちは、生の人間的な日々の諸問題を、解消することができなかったのか。これら問題の解決を完全に阻止する物事は、何なのか。

注意があるとき、そこから私が注意を行う中心は、ない。

貧しい人は、豊かになりたいし、豊かな人は、もっと豊かになりたい。それは、なっていく動きである - 外的にも、内的にも、なっていくことである。それは、大変多くの痛みと、時に楽しみをもたらすけれども、この心理的に、なっていく、充足する、達成する感覚が、私の生を、今あるすべてに、してきた。

愛は、何か、私たちのみんなに、共通しているものなのか。

特定から一般へ動く。一般から離れて、さらに深く動く。すると、おそらく、慈悲、愛、智恵と呼ばれるもののこの純粋性が、ある。しかし、それは、あなたの精神と心をこれへ注ぐことを、意味している。あなたの全存在が、これに関与していなければならない。

* * *

RV80DS1 - 君が自分自身にのみ関心を持つとき、何が起きますか。

学生たちとの議論、第1回
インド、リシ・ヴァレー
1980年12月11日

Video

 日本語    English-日本語

概要

自分自身に関心を持つとき、君は壁を築く - それが、君を他の人たちより分離する。

君は教科を、自分自身のために、学習していますか。または、試験に通り、職を得るためですか。

動機は、欲望の動きである。

なぜ君は、教育を受けつつありますか。

君は何を、良い生と呼びますか。

君が、誰とも関係を持たないとき、何が起きますか。

君は、人物に安全がないことを、悟りますか。

絶対的な安全はあるのか。

君のいう「私は傷つく」とは、どういう意味ですか。

誰かが、君が自己関心の壁を破るのを、助けてくれるだろうか。

* * *

RV80DS2 - 君は、テクノロジーの世界で起きていることに、気づいていますか。

学生たちとの議論、第2回
インド、リシ・ヴァレー
1980年12月13日

Video

 日本語    English-日本語

概要

コンピューターは、人間の頭脳ができることを、ほとんど何でもするだろう。

ロボットは、機械的な労働の問題を解決し、社会を変化させ、ますます多くの余暇を与えてくれるだろう。君たちは、その余暇をどうするのだろうか。

君は過去の結果である。君が考えるのは、知識、過去に基づいている。君が過去に生きているなら、君の精神に、何が起きつつあるのか。

君はどのように、自分自身を見つめますか。

君は、他の誰かと比較することにより、自分自身を破壊している。.

私は圧迫のもとにいるなら、自分のエネルギーを制限する。私が自由であるとき、自分のエネルギーは甚大である。

君は、自分がいう学ぶとは、どういう意味かを見出さなくてはいけない。

メモ書き: 合計10分54秒の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

* * *

RV80DS3 - 未来について考えることが、恐れを引き起こす。

学生たちとの議論、第3回
インド、リシ・ヴァレー
1980年12月15日

Video

 日本語    English-日本語

概要

機械的とか反復的でない学び方が、ありますか。

君は、未来がどうあってほしいですか。

君が花を見つめるとき、何が起きつつありますか。

君は、何かのせいで恐れが存在するだけなことを、発見したとき、何を感じますか。

思考は、作動した瞬間、楽しみ、痛みや恐れをもたらす。

未来について思考が生ずるのを、君はどのように防止するのだろうか。

君の精神はなぜ、いつの時も、何らかのことに、占有されているのか。

* * *

RV80DS4 - 自由、責任と規律(修練)

学生たちとの議論、第4回
インド、リシ・ヴァレー
1980年12月17日

Video

 日本語    English-日本語

概要

精神は、プログラムに捕らわれていないときだけ、自由である。

問いはじめる精神の状態とは、何か。

「自分自身で考える」というは、危険な発言である。

智恵が作動していますか - 君がけっして何をも受け入れないで、いつの時も問い、探検し、目覚めているように、です。

私は、ここにいるとき、この場所が地上で最も美しい場所であるよう、責任を感じます - そこで、人々が成長し、花開き、智恵を持つように、です。

自由、責任、規律(修練)が何であるかが、分かるなら、それらはすべて一緒です - 分離していなくて、一つのものすごい動きである。

私は静かでありたいが、思考は進んでいく。私は、静かでありたいのではなく、なぜ思考が進んでいくかを、問うています。君は違いが分かりますか。

* * *

OJ81T1 - 人類の危機の根は、何なのか。

第1回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1981年5月2日

Video

 日本語    English-日本語

概要

危機は、政治的、経済的、宗教的ではない。危機は、意識にある。

ひどい混乱、人間たちへの、他の一人への全的な無視の起源は、何なのか。

危機をともなったこの意識は、私のやあなたのではなく、地球的であり、人間すべての一部である。

なぜ思考は、生において、こんなにとてつもなく重要になったのか。思考とは別に、もう一つの道具があるのか。

* * *

OJ81T2 - 生は、関係の動きである。

第2回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1981年5月3日

Video

 日本語    English-日本語

概要

思考は物質的な過程である。思考の動きには、いかなる神聖なものも、ない。

危機は、思考のまさしく本性に、ある。

美しさとは何なのか。

他の方向では利巧であり、博識である人間たちは、なぜ、今の私たちに、なったのか。

自己教育は、英知の始まりである。来る日も来る日もつづいている、私たち自身の利己的で狭く歪曲した活動を、理解することである。

精神はいったい、問題から自由でありうるのか。

関係が生である。関係なしに、自らは存在できない。

* * *

OJ81Q1 - 第1回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ1981年5月5日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問1: あなたは、条件づけの弊害について、話されます。けれども、多くの心理学者と哲学者は、適切な条件づけをとおしてのみ、人は明晰に考え、行為できる、と言います。あなたの答えは、何ですか。

質問2: 頭脳と精神の間に、違いはありますか。そうであるなら、その関係は何ですか。

質問3: 私は、子どもの頃に深く傷ついてきました。何が起きたかを理解しようとするにもかかわらず、その傷は残っています。私は何をすべきでしょうか。

メモ書き: 失われているビデオの合計6分12秒は、オーディオのみにより、置き換えられている。

* * *

OJ81Q2 - 第2回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1981年5月7日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問1: 私は、自分が神経症的に行為することを、悟ります。私は、心理療法を受けてきました。ですが、神経症はやはり、基本的にそこにあります。私は何をできますか。

質問2: この国の人間の振るまいは、なぜ急速に退廃しつつあるのですか。それを変化させるために、何をできますか。この国は、残りの世界へ、何を与えられますか。

質問3: 執着は愛ではないけれども、何か神秘的なさまで、二つは繋がっています。それらは自己矛盾しているように見えます。どうか、この見かけの逆説に、入ってください。

質問4: 関係の外側には、生きられません。けれども、そのすべての形に、葛藤がある。これはなぜ、そうなのですか。

質問5: あなたは、問題へ完全な注意を向けるとき、問題は花開き、萎れてしまうと、仰っていました。これをさらに、説明してもらえますか。

メモ書き: 失われているビデオの合計3分39秒は、音声のみにより、置き換えられている。

* * *

OJ81T3 - 思考は、正しい行為をもたらせるのか。

第3回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1981年5月9日

Video

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概要

知識はいつも不完全であり、いつも、無知の陰の中にある。

制限されていない、葛藤をもたらさない行為が、あるのか。

洞察は、過去の物事を憶えておくことではなく、何かを直接的に純粋に、方向づけなく、見ることである。その見ること、知覚は、全的な行為である。

* * *

OJ81T4 - 私たちは、自分自身に聞く辛抱を、持っているのか。

第4回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1981年5月10日

Video

 日本語    English-日本語

概要

辛抱は時がない。無辛抱は、時に満ちている。自分自身に聞くには、辛抱を持たなければならない。

葛藤は、無秩序を標示する。選択は、無秩序を標示する。選択する人は、実際に自由ではない。彼は混乱している。

すっかり違った接近があるのか - それは、分析ではなく、純粋な観察である。

修練は、欲望の動き全体を、学ぶことである - それがどう生ずるのか、その本性、それがどう作動するかを、である。その理解の充足の中、欲望における秩序が来る。

欲望と時は、無秩序の要因である。

* * *

OJ81Q3 - 第3回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1981年5月12日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問1: 智恵と責任との間の関係は、何ですか。

質問2: 休眠中の恐れの種子に、どのように取り組むのか。

質問3: あなたは、謙虚さの性質を、どのように定義し、評価するのでしょうか。

質問4: 「私」をどう解消するかを、示してください。それなしには、他のあらゆる物事が無益です。

質問5: 洞察と覚りとの間の違いは、何ですか。

* * *

OJ81Q4 - 第4回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1981年5月14日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問1: 思考の必要な使用と、イメージが幻影と葛藤につながるところのとの間の細い線が、いつも見えるように、常なる注意を達成することは、可能ですか。

質問2: 何かを見るか理解するが、その理解が全的でない人にとって、正しい行為は、何ですか。

質問3: 生における問いの役割は、何ですか。

質問4: 人々が物理的に存在するときだけ、彼らの間に、愛があるのですか。

質問5: 世界の葛藤への本質的な応答は、各個人の、意識の中の革命です。ですが、これは、その全的な行為なしには、より小さく、おそらく役立つ行為すべては、無用である、という意味ですか。

質問6: 私は、今日社会で起きつつあることに、愕然としています。私はその一部になりたくないと思います。けれども、私は、自分が分離していないことを、悟ります。社会に対する私の関係は、何ですか。

質問7: 私には、暴力の深い根が、あります。私は、自分の他の感情の裏に、それがあることを、知っています。私はそれを、どのように扱うのでしょうか。

* * *

OJ81T5 - 悲しみとともに留まること。

第5回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1981年5月16日

Video

 日本語    English-日本語

概要

恐れは、どのように生じて、どのように応えられるのか。

思考は、過去の物事を憶えていることや、ありうるものの投影である。思考は時の動きである。

恐れは、もう一つの形の楽しみである。

苦しみとは何なのか。

* * *

OJ81T6 - 終わることが、死であるが、そこには、大いなる美しさがある。

第6回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1981年5月17日

Video

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概要

恐れがあるとき、どうして愛がありうるのか。

悲しみは、いったい終わりうるのか。

死は、とてつもない美しさの感覚を、持っている。何かが終わることは、他の何かの始まりである - それは愛である。

私たちが、自分たちの意識は残りの人類の意識であることを、悟るとき、個人的な不滅性の観念全体は、無意味になる。

すべての時とすべての腐敗を越えているものが、何かあるのか。

思考が静寂になることは、時が終わることを、意味している。

* * *

AM81T1 - 思考と時間が恐怖の根源である

第一回
オランダ アムステルダム
1981年9月19日

Video

 日本語    English-日本語

概要

危機とは経済や政治の世界ではなく、私達の意識の中にあります。

私達は宗教的にも学術的にも、それぞれ別々の精神を持ち自身の為に努めるのだと教育され訓練されてきました。しかしそれは錯覚です。人間の意識とは全人類共通です。私達は同じ人類であり、自身の為に闘う別々の個人ではありません。

私達人間はなぜ何万年もの間生きてきながら、この人間関係の問題を解決してきていないのでしょうか?

思考は経験や知識から生まれます。ですから思考は神聖なるものでは全くありません。思考は実利主義的で、事柄の過程です。

知識は常に無知の影の中に潜みます。

欲望と意思の関係とは何でしょうか?

心理的、内向的な恐怖の根源は何でしょうか?

瞑想は自身に秩序を持ち始めるべきです。人間関係の秩序、欲望や享楽の秩序などとです。

慈悲の心は悲哀から自由です。

* * *

AM81T2 - 信仰心とは非常に事実に基づく心である

第二回
オランダ アムステルダム
1981年9月20日

Video

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概要

危機とは経済や政治の世界ではなく、私達の意識の中にあります。

私達は宗教的にも学術的にも、それぞれ別々の精神を持ち自身の為に努めるのだと教育され訓練されてきました。しかしそれは錯覚です。人間の意識とは全人類共通です。私達は同じ人類であり、自身の為に闘う別々の個人ではありません。

私達人間はなぜ何万年もの間生きてきながら、この人間関係の問題を解決してきていないのでしょうか?

思考は経験や知識から生まれます。ですから思考は神聖なるものでは全くありません。思考は実利主義的で、事柄の過程です。

知識は常に無知の影の中に潜みます。

欲望と意思の関係とは何でしょうか?

心理的、内向的な恐怖の根源は何でしょうか?

瞑想は自身に秩序を持ち始めるべきです。人間関係の秩序、欲望や享楽の秩序などとです。

慈悲の心は悲哀から自由です。

* * *

ND81DTV - 神について

ププル・ジャヤカルとアチュット・パトワールダーンとの会話
インド、ニュー・デリー
1981年12月

Video

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概要

質問: あなたは、神々は人が作ったのであり、私たちが作った神々は、私たちを作らなかったと、言う。それは、あなたの教えにおいて、神は存在しないことを、意味するのか。けれども、あなたは、唯物論者ではない。あなたはこの逆説を、どのように説明するのか。

人は、自らが心理的な知識として蓄積してきたすべてを、拭い去れるのか。

あなたはどのように、物質を否定するのか。なぜなら、まさにその否定において、肯定的なものが、起きつつあるから。

語り手は、一定の評判を持っているし、聴衆は、イメージを創り出しつつある。語っている人物は、彼らが彼について創り出してきたイメージより、活力を持っているのか。

原因を持たない、とてつもない静けさが、あるなら、空間であり、時がないその静寂こそは、際限がない。

メモ書き: 未知の長さの間隔が、幾つも、元来の録画から失われている。

* * *

RV81DS1 - 君は、知識が何であるかを、自分自身に訊ねたことがありますか。

インド、リシ・ヴァレーでの学校討論、第1回
1981年12月10日

Video

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概要

君は経験から、何を学びますか。

君は、知識の一項目から別へ動くが、知識は同じである。

知識はどこで必要であり、どこで必要でないのか。

君は、イメージなく、自分自身を見つめられますか。

私は、君たちの質問すべてに答えられるが、私は、君に、自分自身で考えぬいてほしいと思います。

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RV81DS2 - 君は、腐敗しないよう、責任を持つのでしょうか。

インド、リシ・ヴァレーでの学校討論、第2回
1981年12月15日

Video

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概要

私たちがいう学びとは、どういう意味ですか。

教育は基本的に、君自身と、世界への君の関係について、学ぶことです。

質問: あなたは、同情と慈しみをとおして学ぶことが、重要であると、仰いました。私はそれを理解できません。

腐敗は、この国では生の道です。君はそれについて、何をしようとしていますか。

君は、試験を受け、就職することに、代替案があるのかどうかを、見出したいですか。

私たちは、流れに逆らい、一人で立つことを、恐れています。なぜですか。

君の行為は、信念に、伝統の結果に基づいていて、君の両親に、他の人々が言うことに依存していますか。

君は、自分自身を誰かと比較することにより、けっして、自分が何であるかを、見出さない。君は何であるのか。

君は余生の間、何をしたいと思うのでしょうか。

* * *

OJ82CNM1 - 心理的無秩序の根源

第1部 ボーム博士、ヒドレー博士、シェルドレイク博士との対話
カリフォルニア州オーハイ
1982年4月16日

Video

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概要

心理的無秩序の原因は何でしょうか?

己があらゆる無秩序の原因ではありませんか?

不安、安全欲求、権力欲求によって、己が社会を作ったのです。動物のように、それは生物学的に受け継がれたものです。同様に、個人主義的な働きがこの社会を作ったのです。

条件付けから解放されることはできるのでしょうか?

人生との関わりが正しくないなら、どうして時間・思考・尺度を遥かに超えた何かを見つけることができるでしょうか?

知識は私を変えるでしょうか?

揺るぎない不変な安全はあるのでしょうか?

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OJ82CNM2 - 心理的苦痛

第2部 ボーム博士、ヒドレー博士、シェルドレイク博士との対話
カリフォルニア州オーハイ
1982年4月17日

Video

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概要

安全とは何でしょうか?

自己イメージがあります。私は腕の良い料理人である、優秀な科学者である、最高の大工である…等々。その自画像にクギを打たれると傷つきます。イメージが傷つくのです。そのイメージが私なのです。

人間とは何でしょうか?

私とあなたは基本的に何も違いません。あなたは背が高いかもしれない、イギリス出身かもしれない、アフリカ出身かもしれない、浅黒い肌かもしれない。しかし本来、川の中身は水なのです。川にアジアもヨーロッパもありません。それは単なる川なのです。

愛にイギリスもアメリカもインドもありません。苦悩はあなたのものでも私のものでもなく、それは苦悩なのです。しかし私たちは苦悩と自分を同一化します。これは私の苦悩であり、あなたの苦悩ではない、と。

なぜ私たちは何かと同一化したがるのでしょうか?

持続的な蓄積なしに、自分自身について知り得ることがあるでしょうか?

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OJ82CNM3 - 安心の必要性

第3部 ボーム博士、ヒドレー博士、シェルドレイク博士との対話
カリフォルニア州オーハイ
1982年4月17日

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概要

なぜ私たちは安全を欲するのでしょうか?

私は味わっている苦悩から分離した存在なのでしょうか?

怖がっているとき、私と恐怖に分離はありません。

人の全意識の内容は不明瞭で乱雑です。明瞭な部分がありません。私たちは混乱から分離された観察者がいるものと思っています。観察者は観察されるものなのです。

意識が乱雑であることに気づくとき、その事実は完全な注意があるときのみ存在します。完全な注意があるとき、もう混乱は存在しません。不注意のみが問題を生み出すのです。

もし自分のことがわかれば、教えてもらう必要はありません。しかし我々は決して自分という本を深く読もうとはしないのです。人のところへ行って「どうか読んでください」と言い、すべてが失われるのです。

調べるには自由でなくてはなりません。先入観、経験から自由でなければ、調べることはできません。調査できません。調査とは、先へ先へと押し進める探索です。それをやる意志はありますか?

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OJ82CNM4 - 健全な心とは

第4部 ボーム博士、ヒドレー博士、シェルドレイク博士との対話
カリフォルニア州オーハイ
1982年4月18日

Video

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概要

分析、観察とは何でしょうか?

注意は、多大な配慮、愛情、愛を意味します。それは単なる心の注意ではなく、全身全霊をかけた注意です。

愛があるとき、非常に深い人間関係を築いたことがあるでしょう。拒絶されたとしても、あなたには愛の責任があります。特定の人にだけでなく、全人類にです。

敵とは何でしょうか?敵などいるのでしょうか?

私が人類なのです。なぜなら、私は苦しみ楽しみ、あらゆる苦痛を経験するからです。そして、あなたも同じです。あなたは残りの人類です。それゆえに、それに対して大変な責任があるのです。

人生において、神聖なものがあるのでしょうか?思考が作り出し崇めている「神聖なもの」以外に。それはばかげています。
もし超越した何かがあるなら、なぜシンボルや仲介者を作り出すのでしょうか?

神聖なものがあるかどうかを確かめたいなら、非常に身近なところから始めるべきです。それは自分自身です。己を恐怖・苦悩・悲しみ・絶望から解放できるでしょうか?解放されたとき、前進し山に登ることができるのです。

心の静寂とは注意のある状態のことでしょうか?

健全な心とは何でしょうか?

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OJ82T1 - 私たちは、全的な人間存在に、関心を持っているのか

第1回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1982年5月1日

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概要

私たちは、世界の状況をどのように見るのだろうか。

私たちは、大いに教育を受け、ずるがしこく、自己中心的で、外的にはとてつもないことをできる能力がある。だが、内的に私たちは、多かれ少なかれ、百万年間、そうだったものである - 私たちは競争する。互いを破壊しあう。

私たちの責任は、或る種の利他的、政治的、経済的な行為ではない。私たちの存在の本性を、了解することである - なぜ私たち人間はこのようになったのかを、だ。

なぜ私たちは、国家主義、民族主義に取りすがるのか。

意識はあなたのだろうか。思考はあなたのだろうか。

神は、私たち自身の思考、私たち自身の要求の投影である。

まったく傷つかないことは、可能だろうか。

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OJ82T2 - 私たちの生における知識の持ち場は、何なのか

第2回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1982年5月2日

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概要

私たちはともに、近くで、ためらいながら、注意深く、動きを、潮を観察している - 出て行き、入ってくる満ち引き、すなわち、私たちなるものを、だ。私たちは世界を創り出す。それから世界により、私たちは罠に掛けられる。

私たちの意識のまさに構造と本性を、変容させること、変異をもたらすことは、可能だろうか。

そこにいかなる葛藤、抗争もない関係を持つことは、可能だろうか。

精神は、問題の解決へと方向づけられている。解決に思い悩んではいけない。あなたがどのように問題に接近し観察するかのほうが、問題自体よりはるかに重要である。

あなたは、自分自身で何かを発見するとき、無量のエネルギーを持つ。精神をその条件づけより解き放つには、エネルギーが要る。

生において、知識の持ち場は何なのか。

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OJ82Q1 - 第1回質疑応答会合

1982年5月4日
カリフォルニア、オーハイ

Video

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概要

質問1: 私たちの子どもたちは、テレビと他の媒体をとおして、自分たちの生きる脅威の世界に、気づきます - 犯罪の暴力、戦争と核の危険に、です。私たちはどのように、彼らがこれに向き合うのを、助けるのでしょうか。

質問2: ブッダとイエスのような偉大な教師たちが、地上にいました。あなたが立ち去るとき、葛藤は減り、理解が増えるだろうと、思われますか。または世界は、変更不可能な方向に動いているのでしょうか。

質問3: 私の振る舞いは、私が恐れていることを、表示しています。けれども、恐れへの実際の知覚は、とらえどころがありません。私は、深く根づいたこの無意識的な情動に、どのように到って、取り扱うのでしょうか。

* * *

OJ82Q2 - 第2回質疑応答会合

1982年5月6日
カリフォルニア、オーハイ

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概要

質問1: 私たちのほとんどにとって、注意の行為は、維持することが困難です。自らの小さな一部分のみが、乗り気で、真剣に興味を持っています。この注意を養うために、何ができるでしょうか。

質問2: 完全に純粋である行為と、存在の状態は、何でしょうか。

質問3: 言葉はそのものではないからには、私たちは言葉をとおして、真に覚りを開けるのでしょうか。象徴は、象徴によりなされた損傷をなくせるのでしょうか。または私たちは、覚りの幻影に誘惑されつつあるのでしょうか。

質問4: なぜ私たちは変化しないのでしょうか。

質問5: 聖なることの意味について、そして現代世界におけるその持ち場について、もっと深く話してもらえるでしょうか。

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OJ82T3 - 無秩序な私たちの精神は、秩序を創り出せるのか

第3回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1982年5月9日

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概要

秩序とは何なのか。

精神を秩序立つよう修練することは、とうていできない。なぜなら、秩序を願望する実体は、混乱の結果であり、ゆえに、それが創り出す秩序は何であれ、無秩序をもたらすにちがいないから。

欲望はそれ自体が、無秩序の根、起源、始まりだろうか。

なぜ思考は、感受に干渉するのか。

恐れは何なのか。

心理的に比較、模倣、順応をすることなく、生きられるのか。

時は恐れの要因だろうか。

思考は恐れだろうか。

心理的に記録しないことが、ありうるだろうか。

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OJ82T4 - 人間の葛藤の原因は、何なのか

第4回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1982年5月9日

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概要

人間たちは、テクノロジーの方向では、驚くほどに智恵がある。なぜ私たちは、この智恵の性質を自分たちの生へ適用して、葛藤、抗争なく生きることが可能なのかどうかを見ないのか。

心理的な分割があるところ、必然的に、論理的に葛藤があるにちがいない。

私たちは、外的にも内的にも、断片化の感覚をもって、生を生きる - それは、私たちが生の全体性をけっして感じない、という意味である。

世界全体への関係の欠如は、民族的、国家的、宗教的、経済的な分割により、もたらされる。地球的な関係の感情が、何もない。私たちがこの地球的な関係を持たないのなら、外的な諸問題は、けっして解決されないだろう。

なぜ楽しみは、生において、とてつもなく重要になったのか。

執着には、何が関与しているのか。

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OJ82Q3 - 第3回質疑応答会合

1982年5月11日
カリフォルニア、オーハイ

Video

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概要

質問1: 小さな幾らか選抜された子どもたちの集団を、教育するために、百万ドルが使われることについて、どう感じられますか - 彼らは、苦しんでいるとか困窮しているとか見えません。

質問2: なぜ私たちは機能を、役割と混同するのでしょうか。

質問3: 全的な変化をもたらすために、政治的な行動は、必要でないのでしょうか。

質問4: あなたが語られる真理は、人類への愛ある奉仕をとおして、愛と慈悲の行為をとおして、見つけられないのでしょうか。

質問5: 心霊的な癒やし、アストラル(次元の)投射、オーラと実体を見る能力は、これらにおいて、どんな役割を果たすのでしょうか。

質問6: 人類において、宗教や神と呼ばれる何かに向かって、いつも動いてきたのは、何なのでしょうか。それはただ、恐れと苦しみの結果としての投影、助けを探し求めることだけなのでしょうか。またはそれは、何か深く真実で、必然的で、智恵のあるものなのでしょうか。

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OJ82Q4 - 第4回質疑応答会合

1982年5月13日
カリフォルニア、オーハイ

Video

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概要

質問1: 世界の混沌が急速に増大しているのが、見られます。数十億ドルが武器に使われています。社会正義は浸食されています。全体主義でも民主主義でも、政府はますます、攻撃的で暴力的です。能動的な政治的関与の主題について、語り手が論評してもらえるでしょうか。

質問2: あなたは、否定的なものから肯定的なものが出てくると、言われます。抑圧や拒否なく、葛藤なく、どのように「私」を否定するのでしょうか。否定をするのは、誰でしょうか。

質問3: どうすれば、捕食者にならずに、餌食にならないのでしょうか。

質問4: 謙虚さと謙遜は、何でしょうか。

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OJ82T5 - 悲しみがあるところ、愛はない

第5回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1982年5月15日

Video

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概要

なぜ、このひどい個人主義的で競争的な衝動に、終わりがないのか - それは、世界を破壊している。

愛は欲望だろうか。

虚偽であるすべてのものごと - 誇り、傲慢、執着、欲望、楽しみ - は、終わりうるだろうか。それらは明白に愛ではない。愛、良い香り、熱情なしには、生の深さは、失われている。

毎年、殺害、戦争がある。何百万人たちが苦しみ、涙を流し、さびしさの炎を感じてきた。けれども、私たちは見たところ、この残虐性、この暴力の獣性を止めるために、自らの智恵を使わない。

問いに入らなければならない - 苦しむのは、誰なのか。

自分自身を深く知るには、以前の思い出と知識に持ち場はない。各出来事と各応答が、初めてかのように、観察されなければならない。

私たちの生とは、何なのか。

いつの時も、死とともに生きることは、可能だろうか。

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OJ82T6 - 生には、何か神聖なものがあるのか

第6回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1982年5月16日

Video

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概要

文化(カルチャー)とは何か。

真理は、完全に自由な精神を、要求する。

凡庸であるとは、どういうことなのか。

宗教は、書物に基づいているのか。

思考は、自らが創案してきたものが神聖であると言いうる。だが、思考は神聖ではない。

思考の起源、その始まりは、何なのか。

生において、何か神聖なものが、あるのだろうか。

欲望により、意志により、思考により組み立てられていない静寂が、なければならない。この冥想には、制御者がない。

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RV82DS2 - 規律(ディシプリン)は、学ぶという意味です。

学生たちとの討論会、第2回
インド、リシ・ヴァレー
1982年12月13日

Video

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概要

君の精神は、衰退するのを、止めましたか。

葛藤は、一つのことでありながら、別の何かをするふりをすることである。

自己制御が何を意味するかを、学ぶ。

私は、怒りの感情をどうするのか。

君という学びとは、どういう意味ですか。

君たちは、自分自身に規律を課しますか。自分自身について学びますか。

私は学んでいるなら、まさにその学びこそが、規律をもたらす。

なぜ君は、誰かに完全に聞かないのか。

言葉なしに見る。

何か新しいことを学ぶことの重要性。

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RV82DS3 - 頭脳の衰退をもたらす要因は、何ですか。

学生たちとの討論会、第3回
インド、リシ・ヴァレー
1982年12月16日

Video

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概要

君の頭脳は、自分がヒンドゥー教徒だ、イスラム教徒だ、ユダヤ人やカトリックだと考えるように、プログラムされている。それで、君の頭脳は機械的である。

何が頭脳を衰退させるのか。

君の中に矛盾があるとき、何が起きるのか。

何が葛藤をもたらすのか。

私はどうやって、葛藤を終わりにするのか。「どうやって」を訊ねるとき、それはどういう意味なのか。

体系は、君の頭脳へ何をするのか。

頭脳がますます機械的になるとき、それはまたもや衰退しつつある。

質問: 競争は、衰退をもたらしますか。

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OJ83CJS - 何が私達を変えるのか?

ジョナスソークとの対談
オハイ、アメリカ合衆国
1983年3月27日

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概要

子供を持つ人達は、同じ古いパターンを繰り返すでしょうか、それとも彼らの意識に根本的な変化があるでしょうか?

何が私達を学ばせ、変えるでしょうか?

時間とは宿敵か、それとも手助けでしょうか?

あなたは人類の一員として、他の人類に責任があります。

意識とは自分のものではなく、人類の心です。我々は人類です。

問題を解決するように習慣づいている心理は、常に問題を見出します。脳が問題解決に慣らされていなければ、問題に直面しますが、自由です

なぜ心理的に何かを記録する必要があるのでしょうか?

認識、帰属意識とは自己中心の活動の形です。

慈悲の心は思考からくるものではありません。

注記:全6分15秒分の一部動画は音声のみに置き換えられています。

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OJ83T1 - 思考と知識は制限されている

第1回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1983年5月14日

Video

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概要

地上や天の誰もあなたを助けてくれないだろうことを、あなたは悟るのか。

この危機 - 外的にだけではなく、私たち自身の中の危機に - に向き合って、私たちの行為は、何だろうか。

思考者はいつも、思考を訂正し、制御している。それで、思考者と思考との間に、分割がある。その分割は実在なのか、虚構なのか。

知識の制限があるところ、思考の制限があるにちがいない。制限があるところ、分割があるにちがいない。分割があるところ、無秩序があるにちがいない。

他の一人との関係において、葛藤なく生きることは、可能だろうか。

私たちの関係は、記憶に基づいているのか。

あなたは、自然との関係を失うなら、人との関係を失う。

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OJ83T2 - 戦争は症状である

第2回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1983年5月15日

Video

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概要

人は、葛藤と戦争に生きるよう、永遠に運命づけられているのか。または、これから抜け出す道があるのか。

私たちはそもそも、個人だろうか。

「有るもの」を、私たちがそうあってほしいものに変化させるのではなく、それを終わらせることは、可能だろうか。

観察者は、樹より異なっているのか。もちろん彼は異なっている。しかし、観察者は心配より異なっているのか。

条件づけられないことは、可能だろうか。何が頭脳を、条件づけさせるのか。

恐れに、終わることがあるのか。

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OJ83Q1 - 第1回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1983年5月17日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問1: 芸術家の役割は何でしょうか。お互いへと世界への関係において、音楽、詩歌と芸術の意義は、何でしょうか。

質問2: 思考の観察は、継続的な思考の使用であり、ゆえに矛盾ではないのでしょうか。

質問3: あなたは、男と女が結婚なしにともに生活すべきである、またはすべきでない、と考えますか。

質問4: あなたは、静けさ、静寂は探し求めずに来る、と言われました。私たちは、それにもっと容易に来させるように、生きられるでしょうか。

質問5: 真のグル(導師)といったものが、あるのでしょうか。マントラ(真言)の正しい使用は、いったいあるのでしょうか。

* * *

OJ83Q2 - 第2回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1983年5月19日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問1: なぜあなたは、自らの言っていることにおいてそんなに抽象的でなく、もっと実践的でないのでしょうか。

質問2: 私のエネルギーと時間のほとんどは、生計を立てるための格闘へ、注がれます。私が、深く非利己的で、智恵を持つことは、可能でしょうか。

質問3: あなたは、世界を大変多く旅行して回りますが、私は、家族とともに一か所に留まり、制限された地平線に生きなければなりません。あなたは、地球的な視野(ヴィジョン)について語ります。私はどのように、それを得るべきでしょうか。

質問4: あなたは、恐れとともに留まり、逃避しようとしないで、自らが恐れであることを悟るなら、そのとき恐れは去っていくと、述べられました。これはどのように訪れるのでしょうか。それが他の機会に違った形で戻ってくるのを、何が防ぐのでしょうか。

質問5: 私たちが、問題のまさに終わりへ行くのを妨げるのは、何かエネルギーの欠如でしょうか。これは、特別のエネルギーを必要とするのでしょうか。または、生すべての根には、唯一つの基本的なエネルギーが、あるのでしょうか。

質問6: 知覚が起こるとき、顕現する智恵の本性に、入ってもらえるでしょうか。これは、行為の唯一つの真の本源でしょうか。

メモ書き: 欠落したヴィデオの合計2分28秒は、オーディオのみにより、置き換えられている。

* * *

OJ83T3 - 何の動機もなく終わること

第3回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1983年5月21日

Video

 日本語    English-日本語

概要

あなたは静寂の中、美しさを観察するとき、それは大いなる意義を持っている。

なぜ世界中の人間たちは、この楽しみと呼ばれるものを、追及するのか。

欲望の理解は、智恵である。その智恵が、欲望を修練するだろう。

人は、この地上に平和に、苦しみや葛藤なく、生きられるのか。

悲しみの本性を理解することなしに、愛はありえない。

死のうとしているのは、誰なのか。死は何なのか。

私は人類である。これを悟るなら、その裏には、ものすごい意味、深さと熱情がある。これの責任は、無量である。

あなたは、妬んでいるかぎり、世界に存在する妬みを助長し、維持している。あなたは、妬みを終わらせられるのか。

* * *

OJ83T4 - 何の思考の動きもなく見守ること

第4回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1983年5月22日

Video

 日本語    English-日本語

概要

どこに正義、平等は見つかるのか。

脳細胞自体は、変容できるのか。

あなたが、方向づけ、制御、動機なく気づくなら、思考と心配をただ見守ることは、可能である。

私たちには、理想と事実との間に、常なる比較がある - 暴力の事実と非暴力の理想である。冥想において、比較は全的に終わらなければならない。

冥想は、思考を制御することや、体系を実践することではない。頭脳を自らの条件づけより、解き放つことである。

静寂は、何かとてつもないものである。それは、二つの物音の間の静寂ではない。平和は、二つの戦争の間にはない。

あなたが動機なく見守っているとき、静寂は自然に来る。その見守る中には、何か言葉を越え、度量すべてを越えているものが、ある。

* * *

BR83CB1 - 思考が関係しない行動は存在するのか?

デービッドボームと談話 第一回
ブロックウッドパーク イギリス 
1983年6月11日

Video

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概要

質問: 人類の未来とは?

昨今、全人類の抱える問題とは心理的にそして他方にも、思考の結果です。

私達は同じ思考のパターンを続けています。思考は問題を解決しません。

「自己」の全ての構造とは思考により構成されています。

その「自己」が私の意識であり、自分の名前、外見や経験です。

意識とは個々のものでしょうか?それとも人類共通の分離できない意識が存在するのでしょうか?

限定的な思考からうまれる行動とは、不可避的に対立をうみます。

地理的、そして宗教的に人類を分離した事が世界に大惨事をもたらしてきました。

「自己」とは分離的な存在です。

なぜ分離が存在するのでしょうか?

* * *

BR83CB2 - 意識の進化とは存在するのか?

デービッドボームと談話 第二回
ブロックウッドパーク イギリス 
1983年6月20日

Video

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概要

時を経る事で人類の意識とは変わるのでしょうか?

脳は物理的、化学的に条件づいているのでしょうか?

心理的な条件付けとは自己の中心にあるのでしょうか?

その自己を決定付ける条件が大きなダメージをうんでいます。

条件づいた脳の細胞は変わるのでしょうか?

脳が条件づいている限り、心理との関係性は限定的です。
条件づいていない場合、脳とは心の機器でしょうか?

脳が静かな際、心と関連するでしょうか?

知覚とは知性と異なるでしょうか?知覚の行動自体が知性でしょうか?

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BR83CPJ1 - 何が頭脳に、変化をもたらすのだろうか。

ププル・ジャヤカルとの会話 第1回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年6月24日

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概要

ただ思考だけが、ある。それは、東洋の思考や西洋の思考ではない。思考の表現は、インドでと西洋とでは違っているかもしれないが、それはやはり、思考の過程である。

何が、人間の頭脳に、変化をもたらすのか。

何が、人間たちをして、自らの振るまい方を、変更させるのだろうか。このおぞましい残忍さ - 何が、これらを変化させるのだろうか。誰がそれを、変化させるのだろうか。

私の息子は、死んでしまった。それは事実である。私は、事実を変化させられない - 彼は去ってしまった。それを言うことは、残酷に聞こえるが、彼は、去ってしまった。しかし、私はいつの時も、彼を持ち運んでいる。頭脳は彼を、記憶として持ち運んでいる。思い起こさせるものが、いつもある。私はけっして、「彼は去ってしまった。それは事実だ」と言わない。私は、記憶の上に生きる - それは、死んだものである。記憶は、現実的ではない。

洞察は、時、憶えていること、思考としての思考の動き全体の、全的な不在である。

私たちは、自らが自分の夢想、想像、結論、観念の囚人であることに、気づいているのか。

あなたはどうやって、維持されたエネルギーの動きを、持つのか - 思考により、どの種の活動によっても消散されないものを、である。

* * *

BR83CPJ2 - なぜ私たちは、何物でもないことに、怯えているのか。

ププル・ジャヤカルとの会話 第2回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年6月25日

Video

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概要

人間の頭脳には、終わりなき空間、時の外の永遠が、あるのか。または、ありうるのか。

精神は、思考とは接触を持たない、全体的に違った次元である。頭脳は - 思考の道具として機能してきた頭脳の部分、その頭脳は、条件づけられてきた。頭脳のその部分が、その状態に留まるかぎり、精神との疎通は、ない。

思考と時の終止があるときだけ、洞察は可能である。

言語的な響きがあるなら、私は聞いていない。私は、言葉を理解しているだけだ。しかし、あなたは私に、はるかに言葉を越えた何かを、伝えたい。

心理は、記憶の束であるし、それらの記憶は、死んでいる。それらは作動する。それらは機能するが、それらは、過去の経験 - すなわち、去ってしまったもの - より、出てきたものである。私は、記憶の動きである。私はそれへ洞察を持つなら、私は何物でもない。何物もない。私は存在していない。

心理であり、時・思考である動きが、終わること - それが終わることは、何物でもないことである。そのとき何物もないのが、宇宙、万物全体を収容している - 私の些細な小さな恐れ、心配、問題、悲しみではない。結局のところ、何物でもないとは、慈悲の全世界を、意味している。

* * *

SA83T1 - 平和に生きることは、可能なのか。

公開講話、第1回
スイス、サーネン
1983年7月10日

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概要

どこに平和を見つけるのか。

あなたは、何かを真実だと見るとき、その知覚こそが、行為である。

私は、平和が何であるかを探検しているなら、「私」は、探検されつつあるものより、分離している。それで、分割がある。

平和は、記憶の中にあるのか。

葛藤の原因とは、何なのか。

頭脳の深く根源的な機能は、何なのか。

* * *

SA83T2 - 頭脳の機能

公開講話、第2回
スイス、サーネン
1983年7月12日

Video

 日本語    English-日本語

概要

頭脳の機能は、何なのか。

私たちは、一連の記憶と時の動きである。

あなたは、現在が何であるのか、「今」が何であるのかを、探究したことが、あるのか。

なぜ頭脳は、自己のこの狭い円環に、捕らわれてしまったのか。

考えるとは、どういうことなのか。

頭脳は、単に物理的とともに心理的な安全に、関心を持っているだけの道具なのか。

葛藤の本性を理解するには、そして、関係において葛藤を終わらせることは、可能なのかどうかを見るには、私たちは、思考が関係を支配するのかどうかを、探究しなくてはいけない。

智恵とは何なのか。

* * *

SA83T3 - どこに、完全な安全を、見つけるのか。

公開講話、第3回
スイス、サーネン
1983年7月14日

Video

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概要

語り手が言っていることを、疑いなさい。また、あなたが聞くことへのあなた自身の反応をも、はるかに疑いなさい。疑いの種子に、動き、花開き、成長するよう、させなさい - ついにそれが、何が真理であるかを、見つけるまで。

物理的な安全は別として、安全とは何なのか。

「私」、心理的な構造とは、何なのか。

あなたの頭脳は、記憶に他ならない。それらの記憶は、制限されている。それで思考は、間違いなく制限されている。それで、何でもそれがすることは、制限されている。

暴力の本性、構造、因果を、理解する、観察する、知覚するには、時は要らない。


* * *

SA83T4 - 至高の智恵とは何なのか。

公開講話、第4回
スイス、サーネン
1983年7月17日

Video

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概要

智恵とは何なのか。

葛藤は、頭脳の衰退の、主な要因の一つである。

頭脳の衰退要因を終わらせることは、事実に取りすがり、非事実すべてを片付けることである。理想主義もなく、結論もなく、先入観もなく、事実だけである。

時は、心理的にも、また物理的にも、思考の動きである。

事実は、今ある。事実は、すべての過去、現在、未来を、収容している。事実が、その内容を開示するには、事実を聞きなさい。あなたが、事実へ、その内容が何であるかを、語るのではない。

そこに葛藤の影もない、生きる道を、見つけることは、可能なのか。

* * *

SA83T5 - 脳細胞の条件づけを解くこと

公開講話、第5回
スイス、サーネン
1983年7月19日

Video

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概要

人類の未来は、何なのか。

考えることは、私たちのみんなに共通である。ゆえに、それは、あなたが個人的、私的に考えることではない。

コンピューターとロボットが、引き継ぐとき、産業が超知性機器を発明するとき、私たちの頭脳に、何が起きようとしているのか。

私たちは、たとえわずかな者でも、変化でき、脳細胞こそに、変異をもたらしうるのか、

恐れはいかに生ずるのか。

私たちは、明日ではなく、今、すべての比較を、終わらされるのか。

あなたが執着しているとき、あなたが、何かへ繋がれているとき、腐敗が始まる。

変化が、条件づけに根本的な変異が、あるとき - それは、すべての条件づけからの自由を、意味している - その自由は、愛である。

* * *

SA83T6 - 宗教と冥想

公開講話、第6回
スイス、サーネン
1983年7月21日

Video

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概要

私たちが自らの生に秩序を確立したときだけ、宗教とは何かを、訊ねられる。

聞くことの芸術は、最高の注意を要求する。

何か思考の活動でないものを、探査できる道具は、何なのか。

あなたは、言葉なく、観察できるのか。

冥想とは何なのか。

何か神聖なもの、何か聖なるものが、あるのか。

思考以上の何かがあるのかどうかを、見出す必要性 - その必要性こそが、エネルギーを創り出す。そのとき、それが、思考を終わらせる。

自己がなく、思考の活動がないとき、頭脳に、広大な静寂がある。

* * *

SA83Q1 - 質疑応答会合、第1回

スイス、サーネン
1983年7月24日

Video

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概要

質問1: 深い洞察を持つには、考えるのが止まらなければならないことを、私は理解します。考えるのが止まるには、すでに深い洞察が、なければなりません。自らはどこで出発しますか。頭脳は、何かを達成するために働いていて、かくして洞察を阻止していませんか。

質問2: 私は、愛されることに、焦がれています。それは常なる苦悩です。私は何をすることになりますか。

* * *

SA83Q2 - 質疑応答会合、第2回

スイス、サーネン
1983年7月25日

Video

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概要

質問1: 正しい教育といったものが、ありますか。

質問2: 私たちは、頭脳と精神について、話せるでしょうか。

質問3: 私はかつて、或る人を大いに傷つけました。なぜ、罪悪感は、それより自由であろうとするあらゆる努力にもかかわらず、持続する、こうも深い強固なものなのですか。

* * *

SA83Q3 - 質疑応答会合、第3回

スイス、サーネン
1983年7月26日

Video

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概要

質問1: 欲望とは何ですか。欲望は、外的な対象により、目覚めますか。

質問2: あなたは、何についても意見を持たないことが、必要であると、言いました。私は、ナチズム、共産主義、軍備の拡散、政府による拷問の使用といった深刻なことについては、意見を持つことが、必要であると、感じます。これらのことが起きるのを、ただ座視できません。何かを言うか、おそらく何かをしなければならないのではないですか。

質問3: 私たちが読むことから、あなたは、ふしぎで神秘的な経験を、してきました。これは、クンダリニーや、何かもっと大きなことですか。私たちはまた、あなたが、自分が経てきたいわゆるプロセスを、或る種の意識の拡大だと考えることをも、読みます。それは、代わりに、緊張により引き起こされた、自己誘引された心因性のものでありうるのでしょうか。Kの意識は、思考と言葉により、組み立てられていませんか。

質問4: あなたにとって、死とはどういう意味ですか。

質問5: お話を聞いて、これらの事柄について自分で考えた後、私はどのように、自分の問題を解決するだけではなく、根本的に私の生に変化をもたらすことになりますか。

質問6: 霊的な生とは、何ですか。

* * *

BR83T1 - 頭脳はどうやって、それ自体を変容させられるのか

第1回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年8月27日

Video

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概要

数千年の間、条件づけられた、まさに脳細胞自体に、変異をもたらすことは、可能ですか。それは可能でないと言って、扉を閉じるのか、あるいは、「私は本当に知らない」と言うのか。

何の選択もなく、私は、自分の頭脳が条件づけられていることに、気づいているのか。

条件づけの本性は、何なのか。それは本質的に、経験と知識である。

なぜ心理の構造は、本質的に、知識に基づいているのか。

記憶なしに、私は何なのか。心理的に記憶なく、生きることは、可能なのか。

記憶と観察者との間の分割が、葛藤を創り出す。

* * *

BR83T2 - 平和においてのみ、人間精神は自由でありうる

第2回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年8月28日

Video

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概要

人は、こんなに多くを学んできたが、なぜ人は、平和に生きられないのか。

あなたは、個人ですか - 各々が自分の充足を探し求めている別個の魂ですか。

人間たちは、自らが分離していると考えて、各々が、自分の形の安全を探し求めているが、必然的に他の者たちと、葛藤にならなければならないのか。

愛情がある近い関係においてさえ、なぜ葛藤と騒動があるのか。他の一人と、完全な平和に生きられるのか。

あなたは、他の一人との関係を、どのように観察するのか。あなたは、何の同一性もなく、見られ、観察できるか。

* * *

BR83Q1 - 第1回質疑応答会合

イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年8月30日

Video

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概要

あなたは、誰から答えを期待しますか。

質問1: あなたは、自分が言っていることが真実であると、どうやって知りますか。

質問2: 欲望は、人間たちにおいて、何か根源的なものですか。欲望なしで、私たちはそもそも、この世界で機能できるのでしょうか。

質問3: 嫉妬と不信は、私の或る人との関係を、毒しています。彼以外の他のあらゆる人間より、自分自身を孤立させるより、他の解決が、何かありますか。

質問: どうやって習慣を止めるのですか。

* * *

BR83Q2 - 第2回質疑応答会合

イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年9月1日

Video

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概要

あなたの頭脳は、問題より自由ですか。

質問1: 意識、精神、頭脳、思考、知能、冥想と智恵の間の関係は、何ですか。思考がないとき、気づき、注意は、やはりありますか。気づきは、時を越えていますか。

質問2: 私たちは、Kに聞くより、互いからもっと多くを学べます。なぜあなたは、人々に、特定の主題について集団討論を行って、対話と関係を促進する組織的な活動を行うよう、奨励しないのですか。

質問3:  言われつつあることを理解し、違った生き方をしたいと思う一方で、失業と有限な機会のこの世界での生計の問題に、どうやって接近すべきですか。

質問4: あなたは、暴力と自由について話されます。ですが、あなたは法律について、ほとんど仰りません。なぜそうなのですか。どの文明社会も、法律なしには、存在できません。そして法律は、ときどき、力により支えられなくてはいけませんが、それは暴力という意味です。 テロリストが人質を取るとき、あなたは何をしますか。あなたは、彼らが殺されるのを、許しますか。または、建物を強襲しますか。これらには、どこに自由が入ってきますか。

質問5: あなたは、 人が建てた大聖堂を、思考からできたものとして、ゆえに、理解にとって何の価値もないと、取り扱います。ですが、私にとって、それらは、何か普遍的なエネルギーの霊感を受けているように、思われます - 人生において最も重要な二つの要因、物質と霊魂を繋ぐエネルギーのそれを、です。この統合が、人類の核心と動きです。霊感を受けた人の仕事、作品に、霊的な価値は、ないのですか。

* * *

BR83T3 - 自己からの自由

第3回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年9月3日

Video

 日本語    English-日本語

概要

時の心理的な過程、「あるもの」から「あるべきもの」への動きは、恐れの原因の一つなのか。

恐れを終わらせることは、可能ですか。

悲しみは、記憶の継続の一部である。私の悲しみの、だけではなく、人類の悲しみの記憶は、終わりになりうるのか、

生きている間に、原因や未来なしに、私たちは何かを、終わらされるのか。

あなたが時を乗り越えるなら、何か経験することが、あるのか。

自己、「私」、自我は、記憶の動きであるすべての自己中心的な活動は、終わりうるのか。

* * *

BR83T4 - 冥想のために、どんな種類の頭脳が、必要なのか

第4回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年9月4日

Video

 日本語    English-日本語

概要

創造とは何なのか。すべての存在の起源は、何なのか。始まりがあったのか、そして、このすべてに終わりはあるのか。

起源を顕わにするには、どんな種類の頭脳が、必要なのか。自己利益なしの頭脳が、あるのか。

私たちは、何にも所属していない頭脳を、持っているのか - それで、頭脳は完全に自由であるように。

言語は、頭脳を条件づけるのか。

冥想とは何なのか。秩序とは何なのか。冥想は、完全な全体性と生の統合の感じなのか。

始まりもなく終わりもない、顕現していないものが、何かあるのか。

* * *

RV83DS1 - 君の未来は、何ですか。

インド、リシ・ヴァレー
学生との討論、第1回
1983年12月12日

Video

 日本語    English-日本語

概要

理想は、人々を分離させている。民族主義、国家主義は、戦争を創り出している。

君は、民族主義的であることや、自分自身をヒンドゥー教徒、イスラム教徒、シーク教徒と呼ぶことを、止めるでしょうか。

私は今変化しないなら、私の未来はまさしく、今の私のままになるだろう - わずかに修正されて。

民族主義は、君たちの安全を否定している。

君たちの一人一人にとって未来は、何ですか。

未来と過去について考えることが、痛みと恐れを引き起こすが、君は、実用的な事柄について、考えなければならない。

未来と過去は、現在に含まれている。

君は、恐れより自由になりたいですか。または、それが好きですか。

メモ書き: 合計31秒の失われたビデオは、音声のみにより置き換えられている。

* * *

RV83DS2 - 教育者の機能は、学生たちが、良い学業面での頭脳を持ち、良い人間であるよう、助けることです。

インド、リシ・ヴァレー
学生との討論、第2回
1983年12月14日

Video

 日本語    English-日本語

概要

教師であることは、世界で最大の職業であると、私は思います。なぜなら、彼らは、新しい世代の人々を、準備しているからです。

社会と政府は、君は殺さなければならないと、君に対して圧力を掛ける。君はそうするのだろうか。

良い人間は、全体的である - 断片化していて、一つのことを言い、別のことをする、一つのことを考え、全然違ったように行為するのではない。

君は、野心が何をするかを、知っていますか。

君は、凡庸な生を送りたいですか。

この関係において、良くあるように互いに助け合うことが、私とともに君の責任です。

何が頭脳を衰退させるのか。

コンピューターとロボットが、人間たちの活動に取って代わるなら、私たちに何が起きようとしているのか。

社会を変化させるには、自分自身を変化させなさい。

メモ書き: 合計2分41秒の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

* * *

RV83DS3 - 私は、自分が何であるかを見るために、どこを見ますか。

インド、リシ・ヴァレー
学生との討論、第3回
1983年12月16日

Video

 日本語    English-日本語

概要

関係は、生の中で最も神聖な物事の一つです。関係の中で君は、自分である物事すべてを、発見する。

私たちの行為、感情、私たちがすることすべてが、制限されている。なぜなら、それは思考により制御されるから。

君が自分の関係をとおして、自分が何であるかを知り、それへ透徹するとき、君は内的に、測量不可能な距離を行ける。

私は民族主義が、戦争の原因、人々を百万ずつ殺すことの原因の一つであることが、分かるなら、私はもはや、どの国にも所属していない。

君は、自分が凡庸であることを悟り、それを破って抜けるとき、凡庸でなくなるし、智恵がある。

君は何を、宗教と考えますか。

メモ書き: 合計1分15秒の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

* * *

MA8384T1 - 私たちは、根本的に私たち自身に、変化をもたらせるのか。

公開講話、第1回
インド、マドラス(チェンナイ)
1983年12月31日

Video

 日本語    English-日本語

概要

分割と断片化があるところ、葛藤があるにちがいない。

子ども時代から、そして、教育をとおして、あなたの頭脳は、問題を解決するよう、訓練される。だから、あなたは生を、解決されるべき問題として、取り扱う。

新しい文化や文明は、経済的や政治的な行為をとおして、訪れえない。宗教は、ただ一つの要因である。その宗教は、私たちの探究である - 頭脳は本当に宗教的でありうるのかどうかを、見出すように、である。

自己中心的に考えることは、制限されている。

何であれ制限されているものは、葛藤と分割をもたらすにちがいない。

生きることは、関係である。

なぜ思考は、私たちの生において、こうも重要になったのか。

メモ書き: 合計12秒の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

* * *

MA8384T2 - 時は恐れに、どんな関係を持っているのか。

公開講話、第2回
インド、マドラス(チェンナイ)
1984年1月1日

Video

 日本語    English-日本語

概要

テクノロジー的に私たちは、すばらしいかもしれないが、心理的に私たちは、野蛮で、暴力的で、残酷であり、どの美しさと道徳的清廉潔白さの感覚をも欠いている。

今の私たちなるものに、私たちは明日、なるだろう。私たちが今、心理的に、根本的に変化するのなら、そのとき未来は今である。

暴力の分析者もまた、暴力的である。一つの暴力が、もう一つの暴力を検討する。だから、矛盾がある。

思考は、思考者より分離していない。

恐れの原因は、何なのか。

あなたは、恐れを持っていないなら、どうして愛せるのか。

あなたが、感覚すべてでもって、樹、空や、光に満ちた雲を、見つめるなら、そのときその観察の中に、自己や「私」はない。

メモ書き: 合計10秒の失われたヴィデオは、音声のみにより、置き換えられている。

* * *

MA84DSG1.1 - 生きることは、絶えざる動きである。

小グループ討論会、第1回
インド、マドラス(チェンナイ)、
1984年1月2日

Video

 日本語    English-日本語

概要

あなたは、物質が、固体化したエネルギーであることに、同意するのだろうか。

知識は、思考として、物質的な過程の一部である。

記録の過程が進みつつあるとき、知識が生まれる。

動きがあるところ、また、動かぬこともある。両方が一緒に調和的に働くとき、生は、何か全然違ったものである。

執着がないなら、それは、慈しみ、愛の欠如を意味していない。

執着からの自由は、死、動かぬことである。

同時に生きることと死ぬこと。

集めることと手放すことが、あるとき、間隔はない。それは絶えざる動きである。保つことが、二つを分離する。保つことが、「私」である。

保つことが、頭脳を老いさせるし、エネルギーのむだである。

メモ書き: 一人の参加者は、ヒンディー語で話し、通訳される。

* * *

MA8384Q1 - 第1回質疑応答会合

インド、マドラス(チェンナイ)
1984年1月3日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問1: どうすれば、単なる個々人が、全体を変化させ、影響することができますか。

質問2: 冥想は純粋に、心理的な出来事ですか。

条件づけの鎖が壊されるとき、根本的な変化や変異が、ある。

質問: あなたは、愛と慈悲を持っていると、主張します。あなたは貧困について、何をしてきましたか。

* * *

MA84DSG1.2 - 死を理解すること

小グループ討論会、第2回
インド、マドラス(チェンナイ)、
1984年1月4日

Video

 日本語    English-日本語

概要

時と思考の動きより全然違った動きが、あるのか。

精神は、何か、頭脳の条件づけに全然、無関係なものである。それは、何か、言葉や思考により測量可能でないものである。

自己は、時の産物である。

私の頭脳が条件づけられているかぎり、それは、きわめて制限される。頭脳は、際限なき能力を持っているが、その能力は、自らの制限により、拒否されつつある。

私の父と母が出会って、私は生まれた。私の生の終わりに、私は死ぬ。この因果と、因果の終わりが、あなたが死と呼ぶものなのか。

あなたは、死を説明し、叙述してきたが、あなたは、死ぬことの性質を理解したのか。

私は来世に転生したくない。重要なのは、今、転生することである - それは、私が知ってきた物事すべてに、死ぬ、という意味である。

私たちは、生きている間に、死ぬとはどういう意味かを、経験しなければならない。

メモ書き: 一人の参加者は、ヒンディー語で話し、通訳される。

* * *

MA8384Q2 - 第2回質疑応答会合

インド、マドラス(チェンナイ)
1984年1月5日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問1: 私が試みてきたどんな仕事も、失敗に終わってきました。この事態の原因は、何ですか。そして、対処法は何ですか。

欲望の起源、始まりは、何ですか。

質問2: 私たちはどうすれば、「有るもの」を見るように、自らの全エネルギーを、集められますか。

* * *

MA8384T3 - 生きることはまた、終わることをも意味している。

公開講話、第3回
インド、マドラス(チェンナイ)
1984年1月7日

Video

 日本語    English-日本語

概要

芸術は、あらゆる物事を、その正しい所に、収めることである。

聞くこと、学ぶことと知覚の芸術。

なぜ、世界中の人間たちは、心理的に傷つくし、この痛みの重荷を生涯ずっと運んでいくのか。

私が、「昨日あなたが言ったことにより、私は傷ついている」と言うとき、傷ついている「私」とは、誰なのか。

イメージは、頭脳の中の、記録する過程である。

悲しみを終わらせることは、可能なのか。

すべての人間が、死に怯えているのは、なぜなのか。

愛は、時のではないし、また、思考により組み立てられていない。愛は、頭脳の外側の何かである。

* * *

MA8384T4 - 宗教は、あなたの日常生活と、どんな関わりを持っているのか。

公開講話、第4回
インド、マドラス(チェンナイ)
1984年1月8日

Video

 日本語    English-日本語

概要

宗教とは何なのか。

平和とは何なのか。

分離、二元性と対極があるとき、葛藤が生ずる。

あなたは、自分が暴力的であるとのその事実を、保ち、それから動いて離れないでいられるのか。私たちの頭脳は、コンピューターのようになってしまった。

知識の権威を含めて、権威すべての全的な放棄が、冥想の真の意義を、見出すことである。

頭脳が、完全に条件づけを解かれ、伝統すべてより、そして、なっていく感覚すべてより、全的に自由であるとき、冥想がある。

* * *

BO84T1 - 生の異なった性質

公開講話、第1回
インド、ボンベイ(ムンバイ)
1984年2月4日

Video

 日本語    English-日本語

概要

学ぶことは、川が動いているのに似ていて、いつの時も自体を新たにしている。

私たちは、世界で何が起きつつあるかを、観察できるのか。

戦争の原因は、何なのか。

私たちの意識、すなわち、あなたが感じること、あなたが考えること、あなたの反応、信念、痛み、心配、さびしさ、悲しさ、愛の欠如は、すべての人間が分かち合っている。

あなたの責任は、何なのか。

問題を解決するために、自由である頭脳を、持つことは、可能なのか - 問題を持ち、それから問題を解決しようとするのではない。

あなたは、誰かを愛していますか。

* * *

BO84T2 - 行為と反応の終わりなき循環

公開講話、第2回
インド、ボンベイ(ムンバイ)
1984年2月5日

Video

 日本語    English-日本語

概要

なぜ、私たちの生に、葛藤があるのか。

過去、未来、現在の間に、分割がないように、日々の生を生きることは、可能なのか。

侮辱やへつらいを記録しないことは、可能なのか。

あなたが、何かについて考えるとき、あなたがいう考えるとは、どういう意味なのか。

時は、人の敵である。啓明は、時をとおした覚りではない。それは、成功に次ぐ成功の、段階的な過程ではない。

暴力は私である。貪欲は私である。怒りは私である。後で私は、「私は怒っていた」と言うが、事実は、怒りは私なのである。それで、観察者は、観察されるものである。

* * *

BO84Q - 質疑応答会合

インド、ボンベイ(ムンバイ)
1984年2月9日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問1: 美しさとは何ですか。なぜ私たちは、美しい物事を好きなのですか。

質問2: 実際のことへの知覚は、思考の干渉なしに、可能ですか。

質問3: 気づかわない夫と、どうやって生活できますか。

質問4: 生において結婚することは、必要ですか。男と女の間の物理的な関係は、何ですか。

質問5: 頭脳と精神との間の違いは、何ですか。

質問6: 信とは何ですか。

質問7: 人間の意識が一つであるなら、一人の人物が幸せであり、他の人が不幸せであるのは、どうしてですか。

質問8: 世界の偉大な宗教が、宗教ではないのなら、そのとき宗教とは何ですか。

* * *

BO84T3 - 生きることと死ぬことの芸術

公開講話、第3回
インド、ボンベイ(ムンバイ)
1984年2月11日

Video

 日本語    English-日本語

概要

この狂った世界において、そこにあらゆる種類の問題と葛藤が存在しない生を、生きることは、可能なのか。

生きることの芸術とは、何なのか。

私たちに心理的に、分割があるところ、葛藤があり、ゆえに無秩序があるにちがいない。 無秩序があるかぎり、秩序を見つけようとすることは、やはり無秩序である。

恐れの多くの根があるのか。または、たった一つの、単一の根なのか。

過去は、経験、知識であり、頭脳に記憶として蓄えられている。記憶から、思考が生ずる。時は過去であり、記憶は過去である。それで、時と思考は、同じであり、分離していない。

死とは何なのか。

悲しみに、終わりはあるのか。または、人は永久にこの重荷を、持ち運ばなければならないのか。

* * *

BO84T4 - 愛、自由、善さ、美しさは、一つである。

公開講話、第4回
インド、ボンベイ(ムンバイ)
1984年2月12日

Video

 日本語    English-日本語

概要

自由とは何なのか。揺るぎえない自由の、内的な、真正な、深い感覚 - 何かからではない - その自由とは、何なのか。

宗教とは何なのか。

幻影を創り出すのは、慰めへ、助けへの欲望である。

あなたが冥想において、自分の思考を制御したいとき、制御者は誰なのか。あなたが、ビジネスや他のどこにでもいるときも、制御者は誰なのか。それもまた、思考の一部でないのか。

欲望の起源は、何なのか。

意識的な冥想は、まったく冥想ではない。なぜなら、それは、欲望より生まれているから。

* * *

LS84S1 - 思考は創造的でありうるのか

科学者たちとのセミナー、第1回会合
アメリカ合衆国、ロス・アラモス
1984年3月20日

Video

 日本語    English-日本語

概要

知識とは何か。

思考は、創造的でありうるのか。

条件づけられた頭脳は、愛しうるのか。

冥想は、意識的、意図的な冥想、脚を組んで座ったり、一定の文句を反復したりするものではない。それは、冥想しようとの意図的、意識的な努力である - それは欲望の一部である。

質問: 私は、あなたのいう創造性はどういう意味かを理解するのに、苦労していた。ちょっとそれに留まってもらえるだろうか。

生物学的に私たちは違っている。あなたは背が高く、私は低い。あなたは女であり、私は男である。だが、内的に私たちは何なのか。私たちは一連の記憶である。

質問: イエス・キリストを知ることなしに、どうやって自由が得られるのか。

質問: 私たちが、自分たちを問題へ連れてきた知識すべてから離別することができるとき、それが創造性なのか。

メモ書き: 失われたビデオの合計39秒は、オーディオのみにより、置き換えられている。

* * *

LS84S2 - 創造は冥想の中から出てくる

科学者たちとのセミナー、第2回会合
アメリカ合衆国、ロス・アラモス
1984年3月21日

Video

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概要

質問: 冥想とは何なのか、それはどのように創造性に関係しているのか。

欲望とは何なのか。

質問: 感受へ完全な注意を注ぐなら、私は欲望を焼きつくすだろうか。

質問: 自らが社会を変化させるなら、自らの自己イメージに何が起きるのか、

質問: 私たちはどうすれば、見えるほど強くなるように、見守りを助けられるのか。

集中とは何なのか。注意とは何なのか。

質問: もしもあなたが、国防の責任をもった研究所の所長であったなら、あなたはどのように、研究所の活動と調査を、指令するのだろうか。

メモ書き: 元来の録画には、1時間2分から始まって、未知の場面数が欠落している。

* * *

OJ84T1 - 真理は葛藤を終わらせる触媒である

第1回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1984年5月19日

Video

 日本語    English-日本語

概要

私たちはあらゆるものを問おうとしています - 語り手が言っていることを含めて、です。

もしあなたが、人が組み立ててきたことすべてに不満であるなら - 反逆しているのではないなら - あなたはそれを探究しはじめています。

根源的に人間の行動を変化させることは、可能でしょうか。

愛と単純さは、きびしさの本質です。内的な明晰さなしに、きびしさがありうるでしょうか。

私は問題に対して、自由に接近するのでしょうか。それとも、自分がもたらしたい解決をもって、でしょうか。

考えるとはどういうことでしょうか。知識と思考は制限されているので、葛藤をもたらすにちがいないのです。

思考の場所は何でしょうか。


* * *

OJ84T2 - 楽しみのどこがいけないのか

第2回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1984年5月20日

Video

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概要

秩序は何でしょうか。

学びは、常なる動きという意味合いです - 動機なき観察です。

なぜ私は生涯、楽しみを探し求めてきたのでしょうか。楽しみのどこがいけないのでしょうか。

恐れはいったい終わりうるのでしょうか。またはそれは、永久に人類の重荷でなければならないのでしょうか。

あなたの頭脳は、見出すほど情熱的でしょうか。

コンピューターがほとんどすべてのことをできるとき、頭脳に何が起ころうとしているのでしょうか。

私はどうすれば、時と思考の動きを止められるのでしょうか。それは正しい問いなのでしょうか。



* * *

OJ84Q1 - 第1回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1984年5月22日

Video

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概要

質問1 すべての人々が同様な意識を持っていることは、理解できます。しかし、すべての人々が同じ意識を分かち合っているというのは、大きな飛躍に思われます。

質問2 あなたは、自らが去った後、教えを引き継ぐ特別な教師や人物を、指名したのでしょうか。誰かがこの地位を主張しています。

質問3 思考をまさにその根まで観察するとは、どういうことでしょうか。私は、自分の思考を見守りますが、果てしない連鎖で一つが別のへつながります。何がこれを終わらせるのでしょうか。何が変化をもたらすのでしょうか。

質問4 真理を知覚し、行為しないなら、それは毒として作用すると言われるのは、どういう意味なのかを、説明してください。

質問5 真理の探求者にとって、なぜ静寂の遵守がそんなに重要なのでしょうか。

* * *

OJ84Q2 - 第2回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1984年5月24日

Video

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概要

質問1 大いなる明晰さがある瞬間があります。そういう持続的明晰さ、強烈さ、存在の全体性を許すには、何が必要なのでしょうか。

質問2 判断とは何でしょうか。意見と事実の知覚を分割する線を、どのように決定すべきでしょうか。

質問3 同性愛に関して相当の困難を抱えた人々が、多くいます。たとえ短くても、この問いに何か光を照らしてもらえるでしょうか。

質問4 どうすればこの地上に、その美しさへ害や破壊なく、他の人たちへ苦しみと死をもたらさずに、生きられるでしょうか。

* * *

OJ84T3 - 注意は火のようである

第3回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1984年5月26日

Video

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概要

すべての時が今にある上は、行為は何でしょうか。成りゆくこととの関係で、行為は何でしょうか。

暴力は検討者から異なっているのでしょうか。

私は混乱していたり不安定であったりするなら、頭脳は安全でありうるでしょうか。頭脳が明晰であるとき、そもそも選択があるのでしょうか。

心理的に私たちはみんな、何かになろうと試みています。すべての時は現在にある。未来は今です。

観念ではなく、事実を扱えるでしょうか。

愛はそれ自体での行為でしょうか。

注意は、そこで悲しみが終わる炎です。

なぜ私たちは、生きることから死を、はるかに遠ざけてきたのでしょうか。死とともに生きるように、今、野心を終わらせられるでしょうか。物理的な身体は別にして、あなたは何でしょうか。

* * *

OJ84T4 - 愛は意識の一部だろうか


第4回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1984年5月27日

Video

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概要

自由であるとは、どういうことでしょうか。何か「から」でなく反動でない自由は、何でしょうか。

思考がいつの時も作動しているとき、自由は可能でしょうか。

欲望と思考の間の関係は、何でしょうか。思考は欲望により駆り立てられるのでしょうか。

美しさは何でしょうか。あなたは、無量性の感覚と、美しさの真理を、いつ知覚するのでしょうか。

あなたの感覚すべてが充分に生きて鋭敏で、何かを見つめられるでしょうか。全的な注意があるとき、自己があるのでしょうか。

愛は思考の領分にあるのでしょうか。愛の深さ、偉大さ、炎を理解するには、嫉妬、野心、暴力は、終わりうるでしょうか - 明日にではなく、今、です。

宗教は何でしょうか。

なぜ、そもそも冥想することは、必要なのでしょうか。

* * *

SA84T1 - すべての時が今であるなら、行為とは何か。

第1回公開講話
スイス、サーネン
1984年7月8日

Video

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概要

あなたが問題を持っているとき、知覚は否定される。

私が根源的に変化しないなら、未来は、今の私なるものである。

心理(サイキ)、自己の本質は、なる、ということに立って考える。

過去は、恐るべきものであり、それは私たちの行為を制御し、形作る。または、あなたは未来の理想を持っていて、それに応じて行為する。

今完全であり、断片的でない行為が、あるのか。

思考により組み立てられた物事すべては、制限されているのか。

* * *

SA84T2 - 健康の、自由への関係。

第2回公開講話
スイス、サーネン
1984年7月10日

Video

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概要

自由は選択なのか。なることに、自由はあるのか。自由は、野心を表現することや、欲望を充足することに、あるのか。

言語は、頭脳の制限された活動を、助長するのか。

人間たちが生きるところの常なる葛藤は、健康に寄与するのか。

私たちの頭脳は、葛藤をとおして進化してきたのか。葛藤により汚染されていないエネルギーが、あるのか。

頭脳自体が問題なのか。問題より自由であることは、時への探究を、含意しているのか。

* * *

SA84T3 - 思考と分割的な過程。

第3回公開講話
スイス、サーネン
1984年7月12日

Video

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概要

私たちはなぜ、こんなに内的に制限されていて、自分自身に関心を持っているのか。

頭脳は、分割を創り出しながら、安全を探し求めるのか。思考は関係において、分割を創り出しているのか。

完全な経験は、いったいありうるのか。経験者は、蓄積された記憶である。

愛は、思考、時、楽しみや欲望なのか。

思考がイメージをとおして、感受を形作るとき、その瞬間に欲望が生まれる。思考は、感受を捉えないで、ゆっくりとなりうるのか。

* * *

SA84T4 - 無秩序を今、終わらせること。

第4回公開講話
スイス、サーネン
1984年7月15日

Video

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概要

私たちの一人は、無秩序の中に生きる。原因は何なのか。時はその無秩序を、解決するのだろうか。

今の私なるものを変化させるために、時と思考を行使することは、無益なのか。

すべての時が今に収容されているとの知覚が、あるなら、何が起きるのか。

自己中心性の活動は、さびしさを生み出しているのか。

あなたは、自己の世界において時と思考が必要であると考えるかぎり、永続的に恐れの中にいるだろう。

* * *

SA84T5 - なぜ私たちは、未解消の問題とともに、生きるのか。

第5回公開講話
スイス、サーネン
1984年7月17日

Video

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概要

私たちの頭脳は、問題の解消に、条件づけられているのか。自由な頭脳だけが、問題を終わらせられる。

あなたはいったい、自分の妻や夫に完全に聞くのか。私たちはともに、聞く芸術を学べるのあか。

私たちの意識は永続的に、自らの反応と葛藤になっている。それは、すべての人間により、分かち合われている。この意識は全面的に、止まりうるのか。

自らは、「私は苦しみとともに生きて、なぜ私が苦しむかを見出そう」と、けっして言ったことがない。あなたは、内的に苦しんでいるなら、どうして他の一人を愛せるのか。

悲しみが終わることでもって、熱情、エネルギー、愛、智恵がある。

* * *

SA84T6 - 死と生と一緒に生きること。

第6回公開講話
スイス、サーネン
1984年7月19日

Video

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概要

なぜ人は何千年もの後に、平穏、静けさ、平和を見つけていないのか。

なぜ私は傷ついているのか。すべての傷を終わらせて、二度と傷つかないことは、可能なのか。

人間たちは、死を生より、可能なだけ、はるか遠くに置いてきたのは、なぜなのか。

私たちが継続に安全を探し求めているとき、死の本当の恐れが、あるにちがいない。すなわち、終わることの、である。

あなたは、毎日終わること、すなわち死とともに、生きていられるのか。

宗教的な精神とは、何なのか。

宗教と私たちの日常的な存在との関係において、冥想とは何なのか。

宗教と冥想は、知識より自由である。ゆえに、宗教的な頭脳は、創造の状態にある。

* * *

SA84Q1 - 第1回質疑応答集会

スイス、サーネン
1984年7月22日

Video

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概要

私たちは、生において、何かとても深刻なことを実行したり、追求したりする中で、どれほど行くのか。

質問1: 私たちはどうやって、あなたがいう意味で自分自身を観察することと、単に自分自身について考えることの間の違いを、言いあてるのか。

質問2: 記憶に侵入させない行為は、何なのか。それは、それが生ずるままに、その存在を見て、即座にそれを落とすことなのか。または、記憶が、必要でないのなら、頭をもたげない状態に、いるべきか。

質問3: 私は、内の静寂を実践したり、追い求めたりできないことは、理解しますか、それが訪れるかもしれないところの基盤とは、何ですか。

質問4: どうすれば、社会の要求を、全的な自由の生と、和解させられますか。

* * *

SA84Q2 - 第2回質疑応答集会

スイス、サーネン
1984年7月24日

Video

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概要

最終的な問い - すべての問いに答えでああろう、一つの問いが、ありますか。

質問1: 芸術は単に思考の産物であり、ゆえに創造ではないとのあなたの発言は、多くの芸術家、詩人、音楽家を、悩ませてきました - ここにいて、自分は創造者であると考える私たちを、含めて、です。創造は、思考の活動を、含められませんか。

質問2: 私は、助けを求めて泣き叫びたいと思いますが、どうすれば、自由へ助けてもらえますか。

質問3: 私たちはどうすれば、今日の世界において、子どもたちを、智恵があり、自由であり、責任をもつ人間であるよう、教育できますか。

質問4: あなたの、私たちへの関係は、何ですか。

* * *

SA84Q3 - 第3回質疑応答集会

スイス、サーネン
1984年7月26日

Video

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概要

自らは全的に正直に生きられますか。

質問1: どうすれば、ここに来たい、お話を聞きたいとの動機、欲望なしに、このテントへ来られますか。どうすれば、動機なく生きますか。

質問2: 初めに、私たちのほとんどは、意識的に注意深くなければなりませんが、この注意はどうすれば、常の自発的な行為の状態に、なりますか。

質問3: あなたは、この広大な智恵について語りますが、それについて、もっと何かを話していただけるでしょうか。それは、頭脳の中の未開封の能力ですか。または、それは、私たちがそれへ開かれるかもしれない、何か具体化していない力ですか。

質問4: なぜあなたが差し出す教えは、私たちに、ほとんど効果を持たないのですか。

* * *

BR84T1 - 関係における葛藤の原因

第1回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年8月25日

Video

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概要

葛藤の原因は分析できるのか。

分析者は、彼が分析するものより、異なっているのか。

分析は、エネルギーのむだである。

自らは、葛藤の原因へ、洞察を持ちうるのか。

分割の原因は、今の私なるものと、私があるべきものとの間に、あるのか。

わずかな者が、葛藤より自由でありうるのか。

思考の甚大なエネルギーは、何なのか。

思考は、無制限のものを想像できるが、それはいつも制限されている。

あなたは、考えるとはどういうことかを、見出そうとするのか。または、あなたは聞くのか - それは、静寂の性質、という意味である。

私たちの関係に、愛はあるのか。

関係における葛藤の原因は、何なのか。それは、互いの知識なのか。

内的に、そもそも安全がありますか。

* * *

BR84T2 - 恐れを、あのとてつもない宝石を、見つめること

第2回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年8月26日

Video

 日本語    English-日本語

概要

すべての時が、今に収容されているのなら、私たちの、互いへの関係は、何なのか。そして、行為とは何なのか。

もしも内的に恐れがなかったなら、私たちは神々を持つだろうか。

恐れは内的に、思考から生まれるのか。そうであるなら、あなたは、思考をどうするのだろうか。

思考を止めようとする実体は、誰なのか。それは、別の思考なのか。

時は恐れの要因なのか。時の中に、安全があるのか。

あなたはかつて、恐れを保ったことが、ありますか。

意識の中に、時と思考の動き全体が、ある。意識は、あなたなるものである。意識は、みんなが分かち合っている。

* * *

BR84Q1 - 第1回質疑応答会合

イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年8月28日

Video

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概要

問題を理解すること、そして、生きることの芸術

質問1: 注意が、思考とは何の関わりもないのなら、それは何なのか。それは頭脳の活動なのか。それは、物理的な過程なのか。それはどのように、生ずるのか。私たちは意志の行為により注意をもたらせないと、あなたは言う。注意を存在させるために、何をしてはならないのか。

質問2: 生の全体が、それ自体の秩序をもった、一つの動きであるなら、なぜ人は、こんなに無秩序なのか。

質問3: 私たちが聞くことは、どうすれば、あなたが言っていることの深さに、相応しいのか。あなたが言っていることの充実を、私たちの中に行為させるであろう、精神の性質は、何なのか。

質問4: 世の中には、善と悪といったものが、あるのか。または、これらは、人間的な概念、価値、仮説と投影物なのか。

* * *

BR84Q2 - 第2回質疑応答会合

イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年8月30日

Video

 日本語    English-日本語

概要

どうやって世界と自分自身に、平和を見つけるのか。

質問1: 善や悪の性質が、外側の機関や、世界に存在している力なのか、または、私たち自身の思考の投影だけなのかについて、私はまだ、あまりはっきりしていません。

質問2: あなたの学校は、学生たちに、全的な人間の問題、人生の無量性と、その可能性への理解を、与えますか。

質問3:未来は今だと言われるのは、どういう意味なのかについて、詳しく述べてもらえるでしょうか。それは、未来の種子が、現在に収容されている、ということですか。または、未来が、違った時間の尺度で、すでに十分に存在している、ということですか。

質問4: なぜあなたは、祈りに価値を見つけないのですか。

質問5: あなたがもはや、物理的に私たちとともにいないとき、私たちの中で、たとえ知的にだけでも、あなたのメッセージを理解する者は、何をすべきですか。私たちは、自分自身に取り組むのを継続し、残りの世界を忘れるのですか。または、私たちが分かるところの、あなたの教えを、広めようとしますか。

* * *

BR84T3 - すべての悲しみを終わらせることは、可能なのか

第3回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年9月1日

Video

 日本語    English-日本語

概要

相対的でないとか、制限されていない道徳が、あるのか。

何かから離れてとか、何かへ向かってではなく、自由そのものが、あるのか。

私たちは、人類の、私たちの一人一人の大きな苦しみに、いったい気づいているのか。

自己中心的な追求があるとき、苦しみが来る。

自らが悲しみより完全に自由であるなら、それは世界に対して、どんな効果を持つのか。

根本的な変化がないなら、今あるものが、明日になるだろう。苦しみが即座に終わることが、あるのか。

見出すことは、智恵のエネルギーを、必要とする。

* * *

BR84T4 - 死の本性、深さと美しさ

第4回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年9月2日

Video

 日本語    English-日本語

概要

思考の行為こそに、時があるのか。

愛が真理であるように、美しさは真理である。観察者がないとき、美しさがあるのか。

死は、あなたが何にも取りすがらないことを、意味する。

あなたは、生きることより死を分け隔てておかずに、それとともに生きられるのか。

知識が必要であるところ以外、知識からの全的な自由をもって、日々、この世界に生きることは、可能なのか。

冥想は、測量を - すなわち、比較を - 理解することである。

私たちは、どの形の比較もなく、日々の生を生きられるのか。

自由であるとき、静寂は自然に来る。

* * *

BR84CMZ1 - 私たちのいう条件づけとは、どういう意味なのか。

メアリー・ジンバリストとの会話、第1回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年10月5日

Video

 日本語    English-日本語

概要

頭脳は、自らが受けてきたプログラムすべてから、いったい自由でありうるのか。

これは、まさに思考の活動を見守ることをとおして、可能なのか。

この見守りは頭脳を、とてつもなく鋭く、冴えて、明晰にする。

この明晰さが、自由である。

* * *

BR84CMZ2 - 恐れの事実とは、何なのか。

メアリー・ジンバリストとの会話、第2回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年10月5日

Video

 日本語    English-日本語

概要

私たちは、恐れを見つめられ、まさに見つめる行為において、それの起源を発見できるのか。

恐れの特定の枝や葉ではなく、その本性、構造、性質全体を、見つめる。

* * *

BR84CMZ3 - あなたにとって、宗教は何なのか。

メアリー・ジンバリストとレイ・マッコイとの会話、第3回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年10月14日

Video

 日本語    English-日本語

概要

人間たちは、自らの些細な自己中心的な活動より他の何かを、探求しているのか。

宗教は、権威すべてを脇に置き、動機、道、方向づけのない探究である。

* * *

RV84DS2 - 頭脳はいつも記録している

第2回、学生たちとの討論会
インド、リシ・ヴァレー
1984年12月18日

Video

 日本語    English-日本語

概要

問い: 君は敏感ですか。

私は、君を予め判断するなら、気味を直接的に見られない。

この谷の色すべてと、朝早くのあの丘の日の照る岩 - 君のまわりのこれらの美しさ - は、君にとって、何かを意味していますか。

君は、よく気をつけて見守りますか。よく気をつけて見守るなら、それはけっして課業にならない。君は、見守っている間、考えていますか。君は、目だけで見守りますか、それとも、すっかりですか。君は見守るとき、学びはじめます。

私はあれらの樹々を見守っています。私はまた自分自身をも見守っています。君は、そうするなら、ものすごく生きてきます。君の頭脳は、とてつもなく敏感になります。

君は人々へ、苦しみへ敏感ですか。世の中で起きていることへの、君の関係は、何ですか。

教育は何の役に立ちますか。

* * *

RV84DS3 - 腐敗の原因は何なのか

第3回、学生たちとの討論会
インド、リシ・ヴァレー
1984年12月20日

Video

 日本語    English-日本語

概要

問い: 腐敗の原因は何なのか。


人間たちは、能力と才能を持っている。才能は、絵を描くこと、楽器を演奏することや、とても善い人間であることである。君自身の才能を見出しなさい。教育、親、社会により課されたのではなく、何か君が持っているものを、自分自身で見出しなさい。

君自身の才能を発見し、それに拘りなさい - 君が貧しくなっても、豊かになっても、成功を収めても、です。君の頭脳は、社会により条件づけられている。だから、君の自身の才能は、この圧迫により破壊される。

腐敗の原因は何なのか。君が、自分自身に、自分が欲しいものに、自分がならなければならないものに、興味を持つなら、君が貪欲で、妬み、きつく、残忍であるなら、そのとき腐敗がある。

腐敗の真の原因は、君の内側にある。それを見出し、それを変化させるのでなければ、君は、腐敗した人間になるだろう。

* * *

MA8485Q1 - 第1回質疑応答会合

インド、マドラス(チェンナイ)
1985年1月1日

Video

 日本語    English-日本語

概要

問題とは何なのか。

質問1: 私は、あなたが仰っていることを、どんな圧迫、緊張、努力もなく、捉えられますか。

質問2: 私自身とは、何ですか。そして、宇宙(コスモス)へのそれの関係は、何ですか。

質問3: 心理的な時は、事実でないのですか。

メモ書き: 合計1分29秒の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

* * *

MA8485Q2 - 第2回質疑応答会合

インド、マドラス(チェンナイ)
1985年1月3日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問1: あなたは、思考が制限されていることを、示しましたが、他のどんな探究の器具が、利用可能ですか。

質問2: 静寂は、あなたの教えすべての中で、人の変容にとって、中枢の点です。この変容を達成するための実践的な歩みを、どうぞ、私たちに教えてください。

質問3: 人類は、普遍的な道徳律なしに、生存できますか -すべての時とすべての気候において、真実であるものなしに、です。

* * *

MA8485T2 - 思考は人間たちに、安全を与えられるのか。

第2回公開講話
インド、マドラス(チェンナイ)
1985年1月4日

Video

 日本語    English-日本語

概要

人類の残りは、私たちより分離しているのか。

思考は、分割を創り出すのか。

考えることの起源は、何なのか。

唯一つの問題もなく、生を生きられるのか。

条件づけられた頭脳は、問題を解決できるのか。

感情、情動、情緒もまた、思考の一部であるのか。

二元性は、そもそもあるのか。または、事実だけなのか。私の頭脳は、私があるべきものではなく、私のあるがままの事実を、取り扱えるのか。

時は、恐れの要因なのか。思考と時を止めることは、可能なのか。

あなたは、完全な、熱情的な注意を注ぐのだろうか。または、ただ聞いて、自分の恐れを続けていくのだろうか。

メモ書き: 合計14秒の失われたヴィデオは、音声のみにより、置き換えられている。

* * *

MA8485T3 - 熱情なしの生の浅さ

第3回公開講話
インド、マドラス(チェンナイ)
1985年1月5日

Video

 日本語    English-日本語

概要

頭脳は、葛藤より自由でありうるのか。頭脳は、健康で、理性的で、正気でありうるのか。

利己なく、世界に生きられるのか。

美しさを探究するには、なぜ人間たちが物事に没入するかを、理解しなければならない。あなたは没入するとき、何が起きるのか。

あなたは、何にも没入することなく、自己より自由でありうるのか。

私たちは、一つか二つの感覚だけでもって、機能するのか。または、私たちの感覚すべてが十分に生きて、なのか。

世界の悲しみは、終わりうるのか。

私が自分の悲しみを終わらせるなら、それは、残りの世界に、どんな効果を持つのか。私が変化したからといって、世界は変化するのだろうか。

あなたが苦しむとき、それは自己憐憫なのか。

あなたは、熱情が何であるかを、知っているのか。

メモ書き: 合計8秒の失われたヴィデオは、音声のみにより置き換えられている。

* * *

MA8485T4 - 死は、生の遠い終わりに、ない。

第4回公開講話
インド、マドラス(チェンナイ)
1985年1月6日

Video

 日本語    English-日本語

概要

死、愛、宗教と冥想は、どういう意味なのか。

私が死ぬなら、生きるのは、何なのか。死において、私の意識は死ぬのか、または継続するのか。

あなたは自発的に、何かを終わらせたことが、あるのか。

あなたは、生きている間に、死とともに生きられるのか - 自分の経験を毎日、終わらせて、である。

愛は、あなたが集めてきた思い出なのか。または、それは、記憶と欲望より、全然違っているのか。

あなたはどうやって、愛が何であるかを、見出すのだろうか。

あなたの意識は、他の一人のより、異なっているのか。

心理的な知識の蓄積は、大いなる神聖さの状態を、もたらすのだろうか。

* * *

BO85T1 - 私たちの頭脳とは、何なのか。

第1回、公開講話
インド、ボンベイ(ムンバイ)
1985年2月2日

Video

 日本語    English-日本語

概要

自己利益があるところ、腐敗が始まる。

私たちの頭脳はとてつもなく有能であるが、私たちはその頭脳を行使してこなかった。私たちは、自らのエネルギー、自らの能力を、一方向にのみ費やしてきた - それが、テクノロジーの世界である。だが、私たちは、人間の振るまいを、けっして理解したことがない。私たちはなぜ、この進化の長い期間の後、今ある私たちのままなのか。

なぜ私たちは、葛藤、抗争を持つのか。

外的にだけでなく、内的にも、誰が、分割を創り出してきたのか。

世界には、いったい正義があるのか。

誰が、このとてつもなく複雑な社会を、創り出してきたのか。

対極がないときにだけ、暴力は、人間の精神と心において、完全に終わりうる。

考えるとは何なのか。なぜそれは、とてつもなく重要になったのか。

あなたは、自分と他の一人との間に、唯一つのイメージもなく、生きられるのか。

問題を理解し、それらを全的に解消するには、頭脳は自由でなければならない。

メモ書き 合計5秒間の失われたビデオは、オーディオのみで、置き換えられている。

* * *

BO85T2 - 思考と時は、いつも一緒である。

第2回、公開講話
インド、ボンベイ(ムンバイ)
1985年2月3日

Video

 日本語    English-日本語

概要

安全への探求の中、私たちはけっして、非安全とは何かを、探究しない。

宇宙と大地は、響きでもって満たされているが、私たちは静寂を探し求める。あなたは響きを理解するなら。響きが聞こえる中に、静寂がある。静寂は、響きより分離していない。

全包括的な生の道とは、何か。

時とは何か。

人間の頭脳が今、即座に変化しないなら、未来は、今のあなたなるもの、あなたがずっとそうだったものに、なるだろう。未来にではなく、今、根本的、根源的に変化することは、可能なのか。

思考と時はいつも、一緒である。それらは、二つの分離した動きではなく、一つの常なる動きである。

「恐れ」という言葉のように、もしも言葉がなかったなら、恐れがあるのだろうか。

恐れの原因は、何なのか。

* * *

BO85Q1 - 第1回、質疑応答会合

インド、ボンベイ(ムンバイ)
1985年2月5日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問1: 私のすべての愛、気づかい、注意にもかかわらず、私は、娘を育てる中で自分がどこが欠けているのかを、知りません。子どもを教育する一番良い道について、いくらか光を投げかけてもらえますか。

質問2: 私たちが二分以上の間、注意を維持することができないのは、なぜですか。

質問: あなたが誰にも関係していないとき、自分自身を知ることは、可能ですか。

質問3: 苦しみと楽しさは、前世と、現世の行いに、何か係わりがありますか。

質問4: 感覚すべて - 目、耳、頭脳など - でもって、同時に気づくことは、可能ですか。

質問5: 私は、神聖な魂たちのどの教義と命令にも、従いません。だから、彼らが私に何か間違ったことを、するかもしれない、と恐れます。私はいつも不安に感じ、 恐れる状況に生きます。どうか、私を導き、私に助言してください。

メモ書き: 合計1分21秒の失われたビデオは、オーディオのみで、置き換えられている。

* * *

BO85Q2 - 第2回、質疑応答会合

インド、ボンベイ(ムンバイ)
1985年2月7日

Video

 日本語    English-日本語

概要

質問1: あなたはしばしば、私たちに、自らの頭脳を行使するよう言われます。またあなたは、私たちが聞いてきたことに則って行為することなく、単に聞くことを、提案されます。これら二つの発言は、矛盾して見えます。どうか説明してください。

質問: 真理と偽りとは何ですか。

質問2: あなたは、神といったものはないと仰るし、また偶像崇拝を非難される上は、私たちはいかに生まれるのかと、いかに自然が存在するに到ったかの問いが、画像に入ってきます。どうぞ、説明してください。

質問3: 精神とは何ですか。知覚者なしに、それが自体を見つめることは、いったい可能ですか。中心なしに花を見つめるほど、それは単純だと思われません。

質問4: 恐れ、さびしさ、悲しみといった人間の問題を理解するためには、「観察者は観察されるものである」とのあなたの発言ばかりが、重要だと思われます。けれども、その発言の論理は、知的な水準を越えていくように、思われません。一定の事実が単なる概念に留まるのは、なぜですか。

メモ書き: 合計8分13秒の失われたビデオは、オーディオのみで置き換えられている。

* * *

BO85T3 - 悲しみは、私たちの自己中心的な活動の一部である。

第3回、公開講話
インド、ボンベイ(ムンバイ)
1985年2月9日

Video

 日本語    English-日本語

概要

私たちの頭脳が、混乱し、無秩序であるとき、見出すことは、可能なのか。

あなたは、残りの人類の悲しみを、分かち合っていないのか。

あなたは、自分が全人類であることを悟るとき、それが、愛なるものである。あなたは、他の一人を殺さないだろう。あなたは、他の一人を害さないだろう。あなたは、すべての攻撃、暴力と、宗教の残忍性より、動いて離れる。

私たちの意識は、人類すべてとともに、分かち合われていて、一つである。それの美しさ、それ無量性を見てください。

人はなぜ永続的に、楽しみを探し求めているのか。

欲望の起源、始まりは、何なのか。

修練とは何なのか。

悲しみに終わりは、ありうるのか。

メモ書き: 合計50秒の失われたビデオは、オーディオのみで、置き換えられている。

* * *

BO85T4 - 思考により、もたらされていない冥想が、あるのか。

第4回、公開講話
インド、ボンベイ(ムンバイ)
1985年2月10日

Video

 日本語    English-日本語

概要

私たちは、自らの生をむだにしているのか。

なぜ頭脳は、生きることと死を、分離してきたのか。

自己、「私」、自我、ペルソナは、古代と現代の錯綜した記憶の束である。

その中で、生きることと死ぬことが、いつの時も起きている、全包括的な生きる道が、あるのか。

愛は、思考により、組み立てられていない。ゆえに、それは、頭脳の構造の中にない。

頭脳は、感受と神経的な反応の道具である。単なる感受があるところ、愛は存在できない。

記憶は、愛ではない。

宗教とは何なのか。何か、すべての時と思考を越えたものが、あるのか。

欲望、意志や努力により組み立てられていない冥想が、あるのか。

あなたが響きを聞くとき、まさに聞くことこそが、静寂である。静寂と響きは、分離していない。

あなたがいるところに、あの祝福がある。

* * *

UN85T - なぜ人は地上に、平和に生きられないのか。

公開講話
アメリカ合衆国、ニューヨーク、国際連合
1985年4月11日

Video

 日本語    English-日本語

概要

国家、民族は互いに戦争をし、集団は互いに戦争をし、イデオロギーは互いに戦争し、葛藤、抗争を創り出している。こんなに多くの世紀の間、生きてきた後、人が、このすばらしい大地に、平和に生きられないのは、なぜなのか。

それが世界組織であっても、平和をもたらすための特定種類の組織であっても、そういう組織は、けっして成功しないだろう。なぜなら、人間たちは、個人的、集団的、民族的、国家的に、葛藤、抗争になっているからである。

平和は、大変多くの智恵を、必要とする - 特定の形の戦争や核爆弾に反対するデモ行進、だけではない。

人類が、あなたと私が、自分たち自身に葛藤を持たないとき、平和がありうるだけである。

* * *

WA85T1 - 現在には、時の全体がある

第1回公開講話
アメリカ合衆国、ワシントンDC
1985年4月20日

Video

 日本語    English-日本語

概要

なぜ私たちは、この長い進化の後、永続的に葛藤(状態)にあるのか。

詩歌、顔に没入すること、それが美しさだろうか。

なぜ人類は、私たちの一人一人は、恐れを生の道として、受け入れてきたのか。

今、全的な変異が、ありうるだろうか - 私たちの行動、生き方、考え方と感じ方のすべてにおいて。

もしもあなたは、記憶をまったく持っていなかったなら、考えられるだろうか。

記憶は、知識と経験から生ずる。経験は、経験者より異なっているのか。経験者がないなら、経験はあるのか。

* * *

WA85T2 - 悲しみの終わりには、熱情がある

第2回公開講話
アメリカ合衆国、ワシントンDC
1985年4月21日

Video

 日本語    English-日本語

概要

秩序と無秩序は、何か。行為に対するそれらの関係は、何か。私たちの日々の生において、無秩序は終わりうるのか。

私たちは自分の苦しみに関心を持っているので、どうして愛がありうるのか。

悲しみは、自己憐憫により、もたらされるのか。

死の後、何が起きるのか。自らの生の記憶を、持ち運んでいくのか。

私たちが何一つへ縋りつかないのなら、そのとき死とは何か。

生の終わりにおいてではなく、自らのエネルギー、活力のすべてをもって、私はいつの時も、死とともに生きられるのか。

自らの生に本当の秩序があるなら、そのとき冥想とは何か。

体系に従い、来る日も来る日も実践すると、人間の頭脳に何が起きるのか。

決定されていない冥想が、あるのだろうか。

自分自身を自ら理解することをとおして、永遠であるものが、ある。

* * *

OJ85T1 - なぜ私たちの家は無秩序なのか

第1回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1985年5月11日

Video

 日本語    English-日本語

概要

戦争は最大の無秩序である。

秩序は、イデオロギーによりもたらされるのか。

宗教的訓戒すべてが「殺すな。他者はあなた自身だ」と言ってきた後、なぜそれはいまだに、つづいているのか。

疑いは本質的である。なぜなら、それにより頭脳は浄められ、はっきりと見えるから。

私たちの生に、秩序をもたらすことは、可能だろうか。

なぜ人間たちは、無秩序とともに生きてきたのか。

分割があるかぎり、葛藤があるにちがいない。

なぜ私たちは選択するのか。

ただ一つも理想や権威なく生きて、そのため大きな秩序に生きるように、できるだろうか - 明日にでなく、今に。

* * *

OJ85T2 - 私たちの意識の危機

第2回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1985年5月12日

Video

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概要

なぜ人間たちは、罪悪感を持つのか。

私たちは過去である - その過去が一日であっても、千年であっても。

意識に、全的な変異がありうるだろうか。

考えるのは、記憶に頼るのだろうか。

思考は無限のものを想像できるが、それはやはり制限されている。

思考の活動が何であれ、その行為はいつも制限されているにちがいない。ゆえに思考は全包括的ではない。

思考と思考者は一つである。ゆえにそれらは、いつも制限されている。

思考を越えた何かが、あるのだろうか。

欲望・願望は何だろうか。

* * *

OJ85Q1 - 第1回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1985年5月14日

Video

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概要

質問1: 罪悪のメカニズムと、自我に対するその関係を、さらに探検してもらえるでしょうか。

質問2: 人種の身体的な違いは、条件付けに影響するのでしょうか。

質問3: あなたは、収入に関して、どのように生活されるのでしょうか。

質問4: なぜ、心理的な進化はない、と仰るのでしょうか。

質問5: 平和に生きるには、大きな智恵が必要です。

質問6: 私たちみんなが願望するのは、何でしょうか。

* * *

OJ85Q2 - 第2回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1985年5月16日

Video

 日本語    English-日本語

概要

私たちが自己を理解するのを妨げる障壁は、何でしょうか。

質問1: 恥ずかしがりと恐れの間の違いは、何でしょうか。

質問2: 私たちは、変化を求める中で、自らの基本的本性に対して、格闘しているのでしょうか。

質問3: 人間すべてには、何か本質的な宗教的本能が、あるのでしょうか。

質問4: 観察と洞察を妨げている基本的な障害は、何でしょうか。

質問5: 私たち自身と他の人たちに対する責任は、何でしょうか。

* * *

OJ85T3 - 創造は決して終わらない

第3回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1985年5月18日

Video

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概要

最高の形でのヨーガの真の意味は、単に様々な体位を行うだけではなく、きわめて深く秩序だち、道徳的、倫理的な生活をすることであった。

美しさは、あなたがないとき、起こるものだろうか。

楽しみは、恐れと伴う。それはコインの裏側である。

私たちは、権力を賞賛、礼賛、礼拝する - それが、宗教的位階制度の霊的な権力、政治家の権力、金銭の権力であっても、である。語り手にとって、権力は悪である。

成功は、全くの凡庸さである。

悲しみに、終わりがあるのだろうか。

愛は、どの組織や人物とも、何の関わりをも持たない。

愛や真理への道は、ない - それは、生きられなくてはならない。

* * *

OJ85T4 - 継続が終わること

第4回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1985年5月19日

Video

 日本語    English-日本語

概要

思考は、経験に基づいている。経験はいつも制限されている。ゆえに知識は、いつも制限されている - 今も、未来にも、過去にも。
 
私たちの記憶は、制限されている。なぜなら、それらは知識と経験に基づいているから。制限があるところ、葛藤があるにちがいない。

完全な、砕けていない自由が、いったいありうるだろうか。

私たち一人一人の心理的分割が、無秩序の主な要因の一つなのかもしれない。

死はどういう意味だろうか。

創造は、終わりに関係しているのか。

深い記憶に、終わりがあるのだろうか。執着に、終わりがあるのだろうか。

一日中、死とともに生きられるだろうか。

思考が創案した宗教でなく、真の実際の宗教は、何だろうか。

意図的な冥想は、他のどの形の達成とも似ている。

* * *

BR85DS1.1 - あなたの背景は、どのようでしたか。

四人の学生との議論、第1回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年6月2日

Video

 日本語    English-日本語

概要

問い: 生への私たちの関係は、何ですか。

あなたの両親は、どのようでしたか。彼らはどのように、あなたを扱いましたか。母親、父親、兄弟姉妹への、あなたの関係は、何でしたか。あなたは、何を感じましたか。

あなたの母親は、単にあなたの世話をしていましたか。または、大変多くの愛情、気づかいと責任が、ありましたか。全部へ - 生、樹々、草、花々へ、両親へ - の、あなたの関係は、何でしたか。

あなたは、自分の背景が何なのか、自分の条件づけが何なのか、なぜ自分がこう考えて、ああ考えないのかを、自分自身で発見したことがありますか。

あなたは、自分自身について学びはじめるところ、自分の見方について学ぶ。

* * *

BR85DS1.2 - 学びがあるとき、自由がある。

四人の学生との議論、第2回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年6月9日

Video

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概要

問い: 学ぶことと、知識を蓄積することの間の違いは、何ですか。

あなたは、試験に通るため、技術を持つため、職を得るために記憶することと、学ぶこととの間の違いが、見えますか。

あなたは、数学や歴史を学んでいるとき、情報を蓄積しているし、それはほとんど自動的になる。頭脳は機械的になる。あなたは、舞踏の仕方やフットボールの仕方を学ぶとき、プログラムされつつある。あなたは、ヒンドゥー教徒やキリスト教徒であるよう、プログラムされてきた。あなたはこれを、事実として悟るのか。

同じように、あなたが、私について学んできたことの知識を使い、それが記憶になるなら、そのときそれは、障壁になる。あなたは私を、新鮮に見つめない。

* * *

BR85DS1.3 - 比較は、一つの形の暴力ではないのか。


851014,Yes,BR85DSG1.1,https://youtu.be/IRDcsAbKqc8,BR85DSG1-2,https://www.youtube.com/playlist?list=PL1n30s-LKus7KzbZiU2pOS5NqLtt0wzUJ,,,,,,BR85DSG1.1 - ,BR85DSG1-2 - ,,,,,,BR85DSG1.1 - ,BR85DSG1-2 -

Video

 日本語    English-日本語

概要


851019

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SA85T1 - なぜ人は葛藤の中に生きるのか

第1回公開講話
スイス、サーネン
1985年7月7日

Video

 日本語    English-日本語

概要

二人の友だちのように、いろいろと話し合おう。

葛藤の原因は何なのか。

自分自身の中に、分析者と分析されるものといった違いが、あるのか。

私たちは人類であることを深く悟るとき、他の一人との葛藤は止む。なぜなら、あなたは私に似ているから。

私たちは、蓄積することを、いったい止めるのか。

* * *

SA85T2 - 無秩序から全く自由であること

第2回公開講話
スイス、サーネン
1985年7月10日

Video

 日本語    English-日本語

概要

世界で外的に起きていること、また私たちみんなに内的に起きていることに、誰が責任があるのか。

秩序は何か、無秩序は何か。

私たちは、心理的、主観的、内的に無秩序に生きているかぎり、何をしようとも、無秩序を創り出すだろう。

あなたは、非暴力的になろうとしているとき、いつの時も暴力の種子を蒔いている。

愛が憎しみから生まれるなら、それは愛ではない。

思考は、秩序をもたらせるだろうか。



「有るもの」、過去は、完全に終わりうるのか。

* * *

SA85T3 - 利己が恐れの根だと見ること

第3回公開講話
スイス、サーネン
1985年7月14日

Video

 日本語    English-日本語

概要

なぜ私たちは、こんなに根深い利己性を、持っているのか。

私たちは自分たち自身のまわりにフェンスを築くことに、あなたは注目したことがあるのか。

あなたは、言葉なく自分自身を見つめられるのか。

なぜ私たちは、恐れを堪えるのか。

恐れのまさに根を理解するには、私たちは時を理解しなければならない。

考えるのを止めることは、可能だろうか。

私たちの意識、私たちの存在は、全人類である。

* * *

SA85T4 - 美しさは、自己が忘れられた静けさである

第4回公開講話
スイス、サーネン
1985年7月17日

Video

 日本語    English-日本語

概要

美しさと愛なしには、真理はない。

自意識的な尽力があるところ、美しさがあるのか。

利己性は分割する - 利己性は最大の腐敗である。

他の人に全く見えないきびしさが、あるのか。

欲望は、何か感受より分離したものなのか。

利己性があるかぎり、悲しみは存在するのか。

* * *

SA85T5 - 永遠のものの基盤としての静寂

第5回公開講話
スイス、サーネン
1985年7月21日

Video

 日本語    English-日本語

概要

人間が、自分自身の中に全的な心理的革命をもたらすことは、可能だろうか。

愛は、思考により組み立てられるのか。

苦しみが終わるときだけ、熱情は存在しうる。

利己性は時の輪であるが、それがあるかぎり、死があるにちがいない。

生きることと死ぬことは、いつも一緒である。

言葉は真理ではない。象徴は真理ではない。人物は真理ではない。ゆえに、個人崇拝はない。

方向を持たない、意識的、意図的でない冥想が、あるのか。

* * *

SA85Q1 - 第1回質疑応答会合 

スイス、サーネン
1985年7月23日 

Video

 日本語    English-日本語

概要

なぜあなたは、これらの会合に来るのか。

質問1: 様々な教師、導師たちは、本質的に自分たちは、あなたと同じ教えを与えていると言います。あなたは何と言いますか。

質問2: 罪悪とは何か。

質問3: あなたがいう創造とは、どういう意味ですか。

* * *

SA85Q2 - 第2回質疑応答会合 

スイス、サーネン
1985年7月24日 

Video

 日本語    English-日本語

概要

私たちの責任は何なのか。

質問1: 何かを理解するとき、この理解によって行為しなければならないのか。または、理解がそれ自体で行為するのか。

質問2: あなたは、暴力について、多くのことを言ってきました。あなたは、自分の友だちの一人が目の前で攻撃されるのを、許すのでしょうか。

質問3: 智恵とは何なのか。

質問4: 身体的な病気には、人間にとって何か利益があるのか。

質問5: なぜあなたは、頭脳と精神を区別するのか。

* * *

SA85Q3 - 第3回質疑応答会合 

スイス、サーネン
1985年7月25日 

Video

 日本語    English-日本語

概要

最大の芸術は何か。それは、聞く芸術、見える芸術、学ぶ芸術だろうか。

質問1: 私は、思考が自分の混乱に責任があることが、分かります。けれども、それに入る中で、もっと多くの思考が発生するし、それには終わりがありません。どうか批評してください。

質問2: どうか、時と死について、さらに語ってください。

質問3: 他の人たちが飢えている間、物理的な安全を持つことは、暴力と腐敗ではないですか。

質問4: 私たちの制限された頭脳は、無制限のものを、すなわち美しさ、愛、真理を、掴まえられるのか。慈悲と智恵の基盤は何なのか。それは本当に、私たちの一人一人にありうるのか。

* * *

BR85T1 - なぜ私たちは、こんなに多くの問題を持っているのか。

第1回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年8月24日

Video

 日本語    English-日本語

概要

あなたは問題や挑戦へ、どのように接近するのか。

頭脳は、問題とともに生きるよう教育されているが、問題をまったく持たないことが、できるのか。

私たちは、自らの頭脳が問題とともに生きることに、気づくのか。

頭脳は、それ自体、その思考、その反応、その生き方に、気づけるのか。

利己は、腐敗の始まりと葛藤、抗争の起源であるが、頭脳はそれから自由でありうるのか。

この錯綜した世界に、葛藤なく生きることは、可能なのか。

答えではなく、問いが、ものすごい意義を持っている。

静かに留まって見守れるのか。観察と愛は関係しているのか。

* * *

BR85T2 - 恐れに対する時と思考の関係

第2回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年8月25日

Video

 日本語    English-日本語

概要

美しさの本性は何なのか。思考、時、愛へのその関係は、何なのか。記憶は、美しいものを堪能できるのか。

時は、記憶、知識、経験の動きである。この動きはいったい終わりうるのか。

思考と時の間の関連は、何なのか。

頭脳の最も深い谷で考えることは、いったい止まりうるのか。

関係、近さ、互いへの感情は、思考に基づいているのか。

恐れは、時と思考に関係しているのか。あなたが自由であるように、今、恐れを完全に終わらせることは、可能だろうか。

* * *

BR85Q1 - 第1回質疑応答会合

イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年8月27日

Video

 日本語    English-日本語

概要

なぜあなたは、ここにいるのか。

質問1: 私たちは、実在を知るのでなければ、神秘的で霊的な経験が幻影であるのかどうかを、どうやって知りうるのか。

質問2: 病気は単純に、身体の衰退や濫用のせいなのか。または、それは、何か他の意義を持っているのか。

質問3: 現在の世界危機に対する私の責任は、何なのか。

質問4: 案内を探し求めることは、必ず理解を阻止するのか。
助けを探し求めることは、私たち自身の発見の手段なのか。そうでないなら、あなた、クリシュナムルティに聞くことの意味は、何なのか。

質問5: 全的なヴィジョンとは何なのか。それは、私たちの通常の頭脳機能の延長なのか、または、全的に違ったものなのか。

* * *

BR85Q2 - 第2回質疑応答会合

イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年8月29日

Video

 日本語    English-日本語

概要

影響から全的に自由であること、すべての物事の起源、始まりを見つけることは、可能なのか。

質問1: 真理への道はないことを見る能力は、私自身の外側にあるのか。何が私に、この方向へ動く必要、エネルギーを、与えてくれるのだろうか。

質問2: 私は変化するのを恐れている。私が変化するなら、後で何が起きるだろうか。

質問3: そこから逃避できない近い親戚からの侵略と心理的な攻撃を、どのように迎えるのか。

質問4: あなたが言うことから、自分たちの問題や利益に適う諸部分を拾い上げ、それから残りを捨て去るように見える人々へ、あなたは何と言うのか。

質問5: 特定の修練に従い、無量なものに出くわす人々の報告が、多くある。彼らは、自己妄想になっているのか。または、彼らは、自らの努力にもかかわらず、どうやらこれへ到ったのか。


* * *

BR85T3 - 利己に対する自由の関係

第3回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年8月31日

Video

 日本語    English-日本語

概要

私たちは、自分たちがどんなに自由を持っていないのかを、悟るのか。

楽しみ、恐れ、利己、時、思考は、すべて一つの動きなのか。

変化は、時の中の動きを、含意しているのか。私たちは、すべての時が今であることを理解するなら、そのとき変化は無意味なのか。

なぜ人は、記憶なき時から、苦しんできたのか。悲しみに終わりはあるのか。

愛は、楽しみの継続と思い出なのか。または、それは全面的に、思考と時を越えているのか。愛は、悲しみと慈悲へ、どんな関係を持っているのか。

愛があるところ、絶対的な自由がある。私たちは、その香りをもって、日々の生を生きられるのか。

* * *

BR85T4 - 宗教的に生きる頭脳の本性

第4回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年9月1日

Video

 日本語    English-日本語

概要

私たちが世界であり、世界は私たちであることを、私たちは悟るのか。

私たちはともに、世界、私たち自身と、世界への私たちの関係を、理解できるのか。

私たちはともに、なぜ自分たちが継続を欲しがるのかと、終わるとはどういうことかを、探究できるのか。時と思考は、この過程に、どのように関与しているのか。死とは何なのか。

私たちは日々の生活で、死と呼ばれる終わることとともに生きることの無量の意義を、悟るのなら、脳細胞にさえも、本当の変容、本当の変異がある。

頭脳は、無制限であるものを、いったい理解できるのか。頭脳は静かでありうるのか。あの無量性を理解するように、精神、すなわち頭脳でないものが、あるのか。

* * *

RA85T1 - あなたが何と考えるのでも、あなたはそれである

インド、ラージガート
第1回公開講話
1985年11月18日

Video

 日本語    English-日本語

概要

私たちの、自然との関係は何か。私たちのお互いとの関係は、何か。

利己は、私たちの生の主調である。

考えるとはどういうことか。

頭脳は、問題を解決するよう、問題からいったい自由になりうるのか。

経験があるとき、知識が来る。

私たちは全く無自己でありうるのか。

生は、安全を持たないかもしれない。生は、生きられるためにある。問題を創り出し、それからそれらを解決しようとするためではない。悲しみ、痛みを持つためではない。それは、生きられるためにあり、それは死ぬだろう。

* * *

RA85T2 - すべての時は、今、含まれている。

インド、ラージガート
第2回公開講話
1985年11月19日

Video

 日本語    English-日本語

概要

美しさは何か。

あなたがそれら山々の壮大さ、威厳を見るその瞬間に、あなたに何が起きるのか。あなたは何を感じるのか。あなたは、その瞬間か二、三分間、そもそも存在するか。

世界の分割。

欲望は何か。なぜそれは、私たちを支配するのか。

感受が、思考により捕らわれないことは、ありうるのか。

感受と思考の間に時、間隔があるならば、あなたは欲望の本性を理解するだろう。

恐れの起源は何か。

時のすべて - 過去、現在、未来 - は、今、含まれている。

あなたは、今、今日、変異がないならば、明日、まさしく同じになるであろうことの重要性が、見えるだろうか。


* * *

RA85D - なぜ私たちは、霊的なものと世俗的なものを、分割するのか

インド、ラージガート
公開討論会
1985年11月21日

Video

 日本語    English-日本語

概要

なぜあなたは、生、日常生活を、霊的なものの観念から、分離するのか。

なぜあなたは、条件付けられているのか。なぜあなたは、これを受け入れるのか。

私たちは、自分たちの気質に依存し、知識に依存し、幻想に依存し、空想に依存して、他の一人について、イメージを創り出す。

あなたのいう「関係する」とは、どういう意味か。「私は彼と関係がある」 - それはどういう意味か。

なぜ私たちは、霊的なものと世俗的なものを、分割するのか。

あなたが語り手に質問するなら、問い自体が活力、エネルギーを持つ。答えが、ではない。なぜなら、答えは問いの中にあるから。

質問者: インド・クリシュナムルティ財団の様々なセンターは、常に継続的に、自分たちはKの教えの中心であると、言う。では、今、私たちは仏教の教え、キリストの教えとクリシュナムルティの教えを持っているとき、これらいわゆるKの教えは、ブッダとキリストのそれらと、同じ運命に会うのだろうか。




* * *

RA85T3 - 冥想者がいるかぎり、冥想はない

インド、ラージガート
第3回公開講話
1985年11月22日

Video

 日本語    English-日本語

概要

単に記憶するだけでない、別の種類の学びが、あるのか。

なぜ私たちは、何をするにも、こういう無限の努力をするのか。

悲しみがあるところ、愛は存在しうるのか。

この地上の誰もがみな、最も貧しい者から最も豊かな者まで、最も権力を持つ者から、最も持たない者まで、苦しむ。

苦しみは、あなたのではない。なぜなら、あなたのまわりのあらゆる人が苦しむから。

なぜ私たちは、こんなに死に怯えているのか。

なぜ私は今、自分の執着から自由になれないのか。

宗教は、儀式、象徴とはいかなる関わりもない。

冥想者がいるかぎり、冥想はない。


* * *

RV85DS1 - 恐れの味とは何か

第1回、学生たちとの討論会
インド、リシ・ヴァレー
1985年12月5日

Video

 日本語    English-日本語

概要

問い: 恐れとは何なのか。

君は、何かを恐れていますか。君のいう恐れとは、どういう意味ですか。君が怯えているとき、持つ感じは、何ですか。それの動機は何か、何が恐れを始めるのか、その原因、根、基礎は何ですか。

人々は、恐れのために、戦争へ行き、互いに殺し合ってきた。私たちの間には、分割がある。国家主義、人種主義、部族主義が存在するかぎり、君は誰かを殺すだろう。または、誰かが君を殺すだろう。君は、民族性、国籍を持っていないなら、何と同一視するのか。

恐れは、時に関与している。私たちの生は、時と絡み合い、関係している。過去が現在を制御し、現在が未来を形作りつつある。だから、未来は今、形成されつつある。時から自由である道が、あるのか。

* * *

RV85DS2 - 一日中、自分自身について考えていること

第2回、学生たちとの討論会
インド、リシ・ヴァレー
1985年12月11日

Video

 日本語    English-日本語

概要

私たちの頭脳とは、何なのか。

頭脳は、君が学んできたことすべてを、収容していて、記憶で満ちている。君はいつも、自分が学んできて、情報として取得してきたことの円環の中に、生きている - それは知識となる。

私の頭脳は、知識、不条理、想像、幻想で満ちている。このもの全体が、「私」である。私はそれら、恐れ、痛み、苦しみである。私は、そのすべての蓄積である。

思考の起源、始まりは何なのか。思考は、経験に根を持っているのか。なぜ頭脳は、こんなに思考に占領されているのか。

言葉は実際ではない。過去の記憶すべてなしに、考える道が、あるのか。

私たちの頭脳は、いったい静かでありうるのか。

* * *

MA8586T1 - 過去や未来を持たない行為

インド、マドラス(チェンナイ)
第1回公開講話
1985年12月28日

Video

 日本語    English-日本語

概要

私たちは、地上に幾千年間も生きてきて、なぜ、今のような私たちであるのか。

私たちみんなの未来は何なのか。

経験、知識のその進化の間、実際には、私たちの一人一人に何が起きたのか。

私たちが全人類であるとの事実が見えるなら、何をするのだろうか。

この腐敗した社会に生きていて、私は何をすべきなのか。

何をしようと、私は社会に影響するだろうか。

私は社会と異なっているのか。

動機、利己のない、または、得を求めていない行為 - 過去や、未来の様式に依存していない行為が、あるのだろうか

* * *

MA8586T2 - 恐れは愛を破壊する

インド、マドラス(チェンナイ)
第2回公開講話
1986年1月1日

Video

 日本語    English-日本語

概要

愛を探究するためには、私たちは、訊ねなければならない - エネルギーは何か。このエネルギー、その本源、起源は何か。それはどのように始まったのか、誰がそれを創り出したのか。

知識の中に収容されていないエネルギーが、あるのか。

恐れの本源は何か。

恐れがあるところ、愛は存在できるのか。

私の人生において、死、苦しみ、痛み、心配、さびしさは、どんな持ち場があるのか。

苦しみは、時とどんな関わりがあるのか。

経験、知識、思考は、制限されていないのか。私たちは思考によって生きないのか。

意識は、その内容により作り上げられていないのか。

私たちはそもそも個人なのか。

死は、執着すべての終わりなのか。あなたは毎日、それを実験できるのか。

* * *

MA8586T3 - 創造、本源、始まりは何か

インド、マドラス(チェンナイ)
第3回公開講話
1986年1月4日

Video

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概要

生は何か、これらの本源は何か - 川、谷、土地の輝きの本源は。

二百万年の果てに、私たちはどこにいるのか。

人はいつも、宗教をとおして、何かを探し求めてこなかったのか。

頭脳は精神と異なるのか。頭脳は精神と疎通できるのか。

遺伝子工学とコンピューターが出会うとき、人間としてのあなたは、何か。

創造とは何か、そして、創案、発明とは何か。草の葉に生命を与えるのは、何か。

努力なく、決まった行程、測量、比較のない冥想が、あるのだろうか。

環境、伝統、社会によって、ごた混ぜになり、汚れていない頭脳が、あるのだろうか。

* * *



Copyright ©1980 Krishnamurti Foundation Trust Ltd.