BO85Q1 - 第1回、質疑応答会合

インド、ボンベイ(ムンバイ)
1985年2月5日
テキストのみのバージョン
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0:08
クリシュナムルティ: 朝、ちょっと早いですね。
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0:22
幾つもの質問が、(書面で)出されていて、
ここにあります。
私は、それらを見ていません。
質問をすることは、重要である、と 思います。
問いの本性を、本当に探究する -
なぜ私たちが問いを出すのかと、
誰に、私たちは問いを出すのか、です。
私たちは、誰かから答えを見つけるために、 問いを出しますか。
または、私たちは、自分自身に、 問いを出しますか。
私たちが、自分自身に問いを出すなら、
どの深さからなのか、
表面的にか、 私たちは、自分自身に問いを出します。
私たちは、自らの問いへ、自らの問題へ、
自らの様々な複雑な生の道への答えを、
どこに見つけますか。
それは、何か、私たちの外側のものですか。
または、それは、何か私たちが、見出すために、 きわめて深く、掘り下げなくてはいけないことですか。
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2:26
私たちは、これらの問いが 何であるかを、知りません。
私たちは、今すぐ、それらに入るでしょう。
問いが、重要でしょうか。
問いへの答えは、
問い自体に、あるのでしょうか。
私たちがこれに 出会っていることを、願っています。
答えは、問いの外側にありますか。
または、答えは、 問い自体にありますか。
質問を理解されますか。
私たちは、どのように 問いに、接近しますか。
答えを見つけたいとの願望をもって、
動機をもって、ですか。
または、動機なく、問いを出しますか。
それは、可能ですか。
私たちが互いに出会っているのか どうか、私は知りません。
出会っていますか。
または、あまりに、朝早すぎますか。
あなたが、すてきな眠りを 取ったことを、願っています。
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4:11
私たちは、答えが問いの外側に あるのか、または、
問い自体にあるのかを、訊ねています。
それは、誰かが答えるために、 外側にあるのなら、
問いは、意義深くありません。
しかし、問いが深刻であるなら、
ゆえに、問い自体が、答えを持つのです。
いいですか?
私たちは、それを見出そうとしています。
なぜなら、私たちは、答えではなく、 問いを、究明しようとしているからです。
私たちは、これを進めていいですか。
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5:11
仮に、自らは問題を持っている、とします。
私たちはいつも、問題の解決、その解消を、
見出したいと思っています。
しかし、私たちは、問題の本性を 理解しはじめ
- 問題の含意が何なのか、
問題がどう生じたのかを、です -
そして、問題を究明するなら
- 問題の究明の、 まさにその過程において、
解決は、問題にあるのです。
私たちはそれを、しようとしています。
そうしてもいいですか。
私たちは、問いに 答えようとしていません。
たぶん、私たちが問いを 近くで見つめるとき、
答えは、出てくるでしょう。
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6:32
第一の質問: 「私のすべての愛、気づかい、
注意にもかかわらず、
私は、娘を育てる中で、自分は どこが欠けているかを、知りません。
あなたは、子どもを教育する一番良い道に、 何か光を、照らせますか。」
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7:00
「私のすべての愛、気づかい、 注意にもかかわらず、
私は、娘を育てる中で、
自分はどこで欠けているかを、知りません。
あなたは、子どもを教育する一番良い道に、 何か光を、照らせますか。」
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7:25
いいですか?
あなたたちは、みんな親ですか。
たぶん、あなたは、親でないなら、 それを望むかもしれません。
そうなりたいかもしれません。
私たちは、子どもを教育するとは、
どういう意味なのかを、 ともに、探究すべきです。
私たちがいう教育とは、 どういう意味ですか。
私たちはみんな、見たところ、 とても良い教育を、受けています。
そして、子どもを育てる中で、
母親や父親の本性とは、何ですか。
それが本当に、問いなのです。
あなたは、その子を愛しているかもしれないし、 愛していないかもしれません。
あなたは、その子が成長するにつれて、
その子に、技術者や科学者、
物理学者になってほしいかもしれません。
または、あなた自身のような、 或る種の職歴、です。
一般的に、それが、親の野心です。
8:54
ですね?
私たちは、これが見えますか。
親は一般的に、自らの子どもに、
自分の特定の様式に、従ってほしいとか、
自らの生計に適している生の様式を、
確立してほしい、
などなどと思います。
それで、私たちはともに、問いについて、
話し合うべきです - 教育とは何でしょうか。
なぜ教育は、こんなに信じがたく 困難になったのでしょうか。
なぜ、彼らは成長するにつれて、 そして、彼らが幸運にも、
専門校や大学を出て、学位を得るなら、
それから、職を探し、
結婚し、子どもを設け、
サーカス全体が、始まります。
ですね? 問題全体が、始まります。
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10:14
で、問いはこうです - 私たちがいう、 教育とは、どういう意味ですか。
それは、全包括的な教育ですか。
または、職歴志向だけの教育ですか。
質問を理解されますか。
私が子どもを持ち、
子育ての問題すべてを、持っているなら、
自らが愛情、優しさ、気づかいを
持っているなら
- 私たちはいつも、その子を 使いたいのです -
一種の人形としてなのか。
私が言っていることを、理解されますか。
あなたは、人形とは何かを、 知らないですか。
私たちは、自らの子どもたちを、 自分自身を満足させるために、使いませんか。
違いますか?
やれまあ。
あなたたちは 今朝、かなり静寂です。
私は訊ねています -
私たちは、生の問題全体に、 生の複雑で分割的な道全体に、
向き合うよう、子どもを教育しますか。
または、私たちは、良い記憶を持つよう、 彼らを教育しますか -
蓄積されてきた記憶を、
15年、20年、30年の教育の間に、 たくさん憶えて、
それから、技術と職を取得するために、
それら記憶を行使します。
12:38
私たちは、生の他の側面を、 生の心理的な側面を、
全的に無視します。
私たちは訊ねています - 教育は、一方に 傾いていますか。
または、全包括的ですか。
質問を理解されますか。
よろしいですか。
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13:11
全包括的な教育とは、何ですか。
部分的な教育、制限された教育とは、
何ですか。
制限された教育は、今、 行われているものです
- 記憶し、記憶し、記憶する。
学ぶのではない。
学ぶことと記憶することの間には、 違いがあります。
記憶することは、相当に、 比較的に簡単です -
学校へ行く。
歴史、地理学、物理学、理科
などについて、すべてを学ぶ。
そしてあなたは、記憶します -
次々、本を、 教育者が言うことを、です。
で、それは、頭脳の中に、 知識として、蓄えられます -
本などをとおして取得されて、です。
それが、現代の教育なるものです。
生をとおしてずっと、 それが、作動中です。
私たちは、訊ねています - なぜ私たちは、心理的な分野の
区域全体を、無視するのですか。
それは、無量に重要なのに。
14:54
いいですか?
私たちの教育は、単に、職を得ること、 生計を立てることなどに、
関連しているだけですか。
または、それは、 世界と心理的な分野のような分割が
何もない生の道を、生きるよう、
人間を助けることに、関連していますか。
理解されますか。
これは可能ですか。
世界には、これをしている学校や
大学が、ありますか -
すなわち、頭脳を、その一部分ではなく、 全体として、養成することを、です。
私たちは、どこかで、 一緒に出会っていますか。
私たちは訊ねています - それは可能ですか。
頭脳の一部ではなく、
全体の養成のために、です。
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16:15
これを理解するには、 私たちは、自らの意識の構造全体を、
究明しなくてはなりません -
あなたが進んで、それらに 入ろうとするなら、です。
語り手は
- 彼は、虚栄とか、或る種、 変わっていることから、
これを、言っていません -
彼は、どの哲学書をも、 読んだことがありません。
また、ギーター、ウパニシャッドとそのすべての 事柄をも、読んだことがありません。
なぜ読むべきですか。
なぜあなたは、以前の著者、 以前の思想家、
いわゆる宗教的な体験をした以前の人々などの
知識すべての重荷を、負うべきですか -
なぜあなたは、それらを読むべきですか。
17:20
なぜなら - 私たちは訊ねています -
あなたは、人類の物語ではないですか。
質問を理解されますか。
あなたは、人類の歴史ではないですか。
質問を理解されますか。
あなたは、人間として、
あなたは、人類の書物です。
あなたは、その書物を どう読むのかを、知るなら、
他のどの書物も、読まなくていい -
おそらく、生計を立てるために、
テクノロジーの知識を学ぶの以外は、です。
何ですか?
私たちは少し、ともに考えていますか。
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18:39
私たちは、どのように この問いに、接近しますか -
頭脳の一部分のみではなく、その全部を
養成することは、可能なのかどうか、です。
それが、教育の本当の問いです。
頭脳にとって、それは可能でしょうか -
最新の科学的な発言によれば、
それは、三百五十万年以上、 生きてきました。
ものすごい知識を蓄積してきた頭脳、
動物とともに始まった頭脳。
そして、動物の恐れと心配すべてが、
やはり、私たちの意識の中に、ある。ですね?
19:33
いや、あなたは同意しません - 私が言っている ことには、どれにも、どうぞ同意しないでください。
ただそれを、聞いてください。
私たちの意識、私たちの頭脳は、
動物的な反応、恐れ、それらを
すべて、収容しています。
それは、私たちの遺伝の一部です。
なぜなら、私たちは、 類人猿などより、来たからです。
それが、私たちの意識の一部です。
ですね?
ただ、それを聞いてください。
あなたは、同意しないかもしれませんが、 見出してください。
さて、私たちは、頭脳の 部分でもってのみ、機能するよう、
訓練され、教育されてきました。
すなわち、特定の主題について、
その修練でもって、 大変多くの記憶、知識を取得する -
生計を立てるために、です。
20:41
ですね?
技術者になるため、
専門化した科学者、物理学者や
心理学者になるため、です。
私たちは、そのように訓練されます。
そのように教育されます。
ゆえに私たちは、頭脳の部分を、 使っているだけです。
明白です。
他の部分、心霊的な部分は、 教育されていません。
放って置かれています。
で、私たちの教育は、一方に傾いています。
ですね?
つづけてもいいですか。
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21:33
気の毒なお母さんが、この質問をしました。
それは、かなり複雑になります。
で、知識、記憶を養成するだけではなく、
また同時に、あるいは、違った期間に、
人間の心理的な内容全体を、 養成し、理解することは、
可能でしょうか。
それらの両方が、一緒に動いている。
ビヤン(よろしいですか)?
それは可能ですか。
語り手は、それが唯一つの正しい 種類の教育であると、考えます。
教育の一つの種類だけではない。
他の側面をも、理解する - すなわち、心理的な世界をも、です。
あなたは、人類です。
あなたは、人の歴史です。
あなたは、人の物語です。
明白です。
なぜなら、あなたは、苦しんできた、 あらゆる種類の困窮を、経てきたからです -
他のあらゆる人間のように、です。
あなたは、残りの世界と一つです。
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22:57
すてきな鳩が、通っていきました。
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23:08
で、あなたは、人類の書物を、読めますか - それは、あなたです。
質問を理解できますか。
あなたは、人間として、
一方向に教育されるだけではなく、
また、人間として、
あなたは、人類の全歴史です -
王たちと時代と女王たちの歴史ではなく、
経験、悲しみ、痛み、
それらものすごく複雑な心理的な世界です。
あなたは、その書物を読めますか - ふつうの書物を読むように、です。
私たちは、そうする能力が、ありません。
なぜなら、私たちは、
その書物を読んでもらうために、 他の人たちに、依存してきたからです。
あなたがこれらに付いてきて おられるのかどうか、私は知りません。
よろしいですか?
自分は、導師に、司祭者や心理学者に、 依存しました
- あなたが神経症でなければ、ですが、
おそらく、私たちのほとんどは、 かすかに神経症なのです。
24:34
私たちは、歪曲なく、 その書物を読めますか。
なぜなら、あなたは、良い科学者であったり、
科学の初歩を学んでいるなら、
あなたは、とても精確で、とても明晰であり、
その特定科目に関与した修練すべてに、 従わなければならないからです。
で、同様に、
この書物を、どの種の歪曲もなく、 読まなくてはなりません。
いいですね?
それは可能でしょうか。
私たちの一人一人が、その書物を 読むのを助けてもらうのを、
他の誰にも依存しないことは、 可能でしょうか。
それは - どんな歪曲もなく、読むことは、 可能でしょうか。
質問を理解されますか。
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25:44
あなたが、髪を櫛ですいたり、髭を剃るとき、
鏡に自分の顔を見るように、
そこに、あらゆる物事が、 きわめてはっきりと、明瞭に、
反映している鏡が、ありますか -
それで、その書物が、 鏡に反映するように、です。
私が訊ねていることを、理解されますか。
ああ、神様。
どうぞ、眠らないでください。
仮に、私は、その書物をどう読むのかを、 知らない、とします。
なぜなら、私の頭脳は、 かすかに歪曲されているからです。
私の先入観、私の民族性など - それは、歪曲されています。
ゆえに、私はその書物を、 ほとんどはっきりと読めません。
で、私は、自らが蓄積してきた先入観より、 自由でありうるでしょうか。
27:00
書物は、先入観に満ちている かもしれません。たぶんそうです。
理論、仮説に満ちています。
で、私は、それらなしに、それを 読むことができなければなりません。
さもないと、私はそれを、読めません。
いいですか?
で、私は、自分の先入観、意見より、 私が近頃集めてきた結論より、
自由であることは、可能ですか。
なぜなら、その書物は、伝統に 満ちているかもしれないからです。
理解されますか。
ゆえに、私は、伝統を読むには、
伝統より自由でなければなりません。
あなたは、これを理解されましたか。
はい?
あなたがこれに入るなら、 それは、かなり興味深いのです。
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28:03
私は、気の毒なご婦人に、答えています。
彼女は、自分の子どもを、愛しています。
彼女は、娘を、気をつけて育て上げ、
よく教育したいと思います。
教育期間に、彼女は、
社会の戯言すべてを、 取得します。
ですね?
彼女は、あらゆる種類の・
・・そうね、
世の中で起きつつあることを、 取得します。
私が、それらへ入らなくてもいい。
彼女は、何をすべきかを、知りたいのです。
私たちは、まず最初に、その 「何をすべきか」を、終了させるでしょう。
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29:13
私たちは本当に、子どもを愛していますか。
あなたは本当に、自分の 娘、息子を、愛していますか。
その愛は、どういう意味ですか。
もしもあなたが、自分の娘や息子を、 本当に、深く愛していたなら、
あなたは、その子が成長して、
このものすごい葛藤と狂気の世界に、
捕らわれるのを、
許すのでしょうか。
あなたは、もしも本当に、 自分の息子を愛していたなら、
彼が軍隊に加わるのを、許す -
行って、他の一人を殺す、 不具になるのを、許すのでしょうか。
私たちは、アメリカで、 きわめて有名な医師により、
病院へ連れて行かれました。
30:28
それは、ほとんど人々が 行かない病院でした -
入ることを許されません。
そこには、腕と脚のない人、眼のない人
顔がつぶれた、
人々が、いました。
いびつで、負傷していて、 ぞっとする光景です。
それは、戦争の結果です。
彼らの母親たちは、「私たちは自分の子どもたちを 愛している」と、言っていました。
彼らはそこに、あの病院に、 行き着いてしまいます。
あなたがこれらを悟られるのか どうかと、思われます。
或る人たちは、発狂して、 拘束衣を着せられていました。
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31:43
で、私たちがいう愛とは、 どういう意味ですか。
私たちは、彼らに、 あなたが愛する自分の子どもたちに、
この狂気の世界に、 入ってほしいのですか。
これは、ものすごい問題です。
しかし、あなたは、その世界に、 入らなくてはなりません。
あなたは、職業を 持たなくてはなりません。
あなたは、生計を立てなくてはなりません。
あなたは、世界より、 ただ退くことはできません。
なぜなら、あなたは世界であるからです。
で、母親は訊ねます - 社会が腐敗していて、
とてつもなく不均衡であるのを、知って、
私は、何をするのでしょうか。
あらゆる人が、自分自身のために、 がんばっています - 自己利益です。
母親は、何をすべきでしょうか - または、親は、です。
33:20
で、愛は、一定の年齢の後で、 止まりますか。
あなたは、自分の子どもを、 学校へ、専門校へ送ってきました。
おそらく、あなたが運が良く、
あなたが十分なお金を持ち、
その子を行かせられるなら、 大学へも、です。
結婚し、落ち着く。
いいですか?
それが、ほとんどの親が、 関心を持っていることです。
これが、愛と呼ばれます。
私たちは、それがそもそも 愛なのかどうかを、問うています。
私は、何も軽蔑的とか不作法とか、
無礼なことを、言っていません。
私は、問います。
私たちは、問います - それが愛なのかどうかを、です。
もしもあなたが、本当に 深く愛していたなら、
それは、何か全的に違ったことを、 意味しています。
34:43
自己利益があるなら、 愛はありえません。
いいですか?
これは事実です。
私は、いつの時も自分自身に、関心を 持っているなら - 私たちはそうなのです -
どうして、愛がありうるでしょうか。
あなたは、それについて話をし、 それについて、ロマンチックにし、
映画へ行き、愛とセックスと それらの事柄について、
それら戯言を見るかもしれません。
それで、この問い、愛とは何かに、 入らなくてはいけません -
その子への私たちの関係は、何なのか、
世界への私たちの関係は、何なのか などに、です。
それが、その一つの側面です。
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35:36
私たちは、あなたが人類の物語を
読めるのかどうかについて、話しています
- 私がその言葉を、使えるなら、 あなたである書物を、です。
あなたは、その書物を、読めますか。
書物の始まり、
第一章やその数行だけではなく、
まさにその終わりまで、 すっかり行くのです。
それは、関係の鏡においてのみ、 可能です。
いいですか?
なぜなら、その関係の鏡において、
あなたは、自分が何なのか、 見えるからです -
あなたの反応と応答が、です。
生物学的な応答だけではなく、
野心、貪欲、妬み、へつらい、侮辱の
応答すべても、です。
よろしいですか。
あなたがよく見守っているなら、
あなたの意識の内容全体が、開示されます
- 何も歪曲なく、ごく近くで見守るのです。
36:58
そのとき、それは動きです。 全包括的な動きです。
科目を学ぶ -
その科目は、自体の修練を 持っています。
数学などのように、です。
また、自らは、生の中で、いつも あらゆる物事に関係しているので
- 私は、あなたに関係しています。
私は、他の一人に関係しています -
それで、その鏡において、
歪曲なく、気をつけて見守る。
それには、ものすごい興味と エネルギーが、必要とされます。
これらは、どちらもできますか。
質問を理解されますか。
それが、本当の教育です。
そのときあなたは、心理・
精神について、
一冊の書物をも、読まなくていい。
あなたは、他の物事について、 たくさんの書物を、読めます。
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38:18
第二の質問: 「私たちが、
二分間以上の間、注意を維持できないのは、
なぜでしょうか。」
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38:36
「私たちが、二分間以上の間、 注意を維持する
能力がないのは、なぜでしょうか。」
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38:49
あなた自身に、 その質問をしてください。
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38:57
まず最初に、
なぜあなたは、何かを、いつの時も、 維持したいのですか。
あなたは、楽しみを いつの時も、維持したいですね。
あなたは、喜悦がほしい。
あなたは、一定の結論に、 継続的であってほしい。
あなたは、一定の関係が、長続きし、
維持され、育まれてほしい。
なぜ、継続性を持ちたいとの、 この願望ですか。
質問を理解されますか。
あなたは、注意を維持したいと思います。
なぜですか。
誰かがあなたに、注意はとても重要であると、 語ってきたからですか。
または、あなたは、注意の本性を 自分自身で発見しましたか。
ゆえに、あなたは、不注意とは何かを、 探究しなくてはなりません。
40:26
理解されますか。
重要なのは、注意ではなくて、
不注意とは何か、です - 注意することではない。
いいですね?
私たちは、二つを分割してきましたね。
完全な注意を持っていなくて、
また、それを欠いている -
それが、不注意です。
注意していないことです。
さて、どちらが重要ですか -
私たちはどちらを見るべきか、 という意味で、重要ですか。
不注意のほうが、注意より 重要ではないですか。
同意されるでしょうか。
なぜなら、私は、不注意が何かを 理解するなら、
そのとき、注意があるからです。
ですね?
で、注意しないとは、何ですか。
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41:47
私たちは今、ともに話し合っています。
あなたは、いつの時も、注意していますか。
または、一部の時間だけですか。
どうぞ、それを見つめて、答えてください。
あなた自身で、それを見つめて、
あなた自身で、それに入ってください。
あなたは、今言われつつあることに、 本当に、注意を払っていますか。
または、ほんの二、三秒や、 二、三分の間だけで、
それから、他の何かへ 逸れてしまいますか。
維持された注意が、ありますか。
もちろん、ありません。
で、なぜ不注意があるのかを、 理解することが、重要です。
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42:49
不注意といったものが、ありますか。
質問を理解されますか。
あなたは、これらに 興味がありますか。
不注意は、散漫です。
ですね?
それは、散漫と呼ばれるものです。
そもそも、散漫がありますか。
私は何かについて、考えたいと思います。
そのとき、まさにその思考は、 他の何かへ、逸れてしまいます。
逸れてしまうことを、 私は、散漫と呼びます。
いいですか?
思考自体が、散漫ではないですか。
あなたはそれが分かるのか どうかと、思われます。
私は、この主題に集中したい。
私は、ほんの二、三分の間だけ、 それをできます。
そのとき思考は、他の何かへ 逸れてしまいます。
私が、考えていると されていることの代わりに、
他の何かについて考えることは、
散漫と呼ばれます。
44:16
しかし、私はそれを散漫と呼ばなくて、 それに付いていくなら
- 理解されますか。
私は、或る章を読むことに、 集中しています。
私は、見守ります - 思考がまた、他の何かへ 逸れていっていることも、見えます。
そのとき私は、それは散漫だ、と言います。
しかし私は、それを散漫と、 呼ばないでしょう。
私個人にとって、それは そもそも、存在していません。
私にとって、散漫は何もありません。
なぜなら、私は、散漫と呼ばれるものへ、 付いていくからです。
私は、「この章や、この数行を、私は 読まなければならない」とは、言いません。
どんな方向に思考が動こうとも、 それを見守ります。
そのため、散漫の感覚が、ないのです。
それは、分割がない、という意味です。
45:12
あなたはこれが分かるのかと、 思われます。
そのため、見守りがあるのです -
注意と不注意、です。
そのとき、不注意は、注意です。
あなたはそれが分かるのかと、 思われます。
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45:35
私たちがいかに、言葉により 散漫になるかを、見てください。
散漫という言葉は、
とても破壊的な過程です。
なぜなら、あなたは、 何かへ集中したいと思い、
ゆえに、それから動いて離れてしまうことが、 散漫と呼ばれるからです。
思考はいつも、動いています。
それはけっして、静止していません。
それは、いつも作用中です -
あなたが眠っていても、
あなたが目覚めていても、 夢想に耽っていても、
何らかのことをしていても、です。
それは作用中です。
それは動いています。
そして、思考は、物質的な過程です。
あなたはこれを、理解されたのかと、 思われます。
なぜなら、思考は、記憶、経験、知識に
基づいているからです。
それは、頭脳に蓄えられています。
頭脳は、何百万、何千万の細胞を、 収容していて、
それら細胞が、記憶を保っています。
46:55
これは、科学的な事実です。
それらは、いつも動いています。
それで、頭脳は自らのリズムを 持っていることを、発見しはじます -
思考のリズムではない。
あなたが付いてこられるのか どうかと、思われます。
私は、それらに入らないでしょう。
今、私たちは訊ねています -
見守ることは、
可能でしょうか。
見守ること、 いつの時も、絶対的に見守っていること。
それは本当は、別の形で こう訊ねることです -
私は注意を、維持できますか、と。
注意は、努力をとおして、 もたらされますか。
あなたが努力をするなら、 それは注意ですか。
すなわち、注意を実践する。
うるわしい考えです。
来る日も来る日も、実践する。
自分の身体、動きを見守る -
自分がやるゲームのすべて、です。
終わりにあなたは、「ええ。私は 注意を学んだ」と言います。
48:38
注意は、注意について、記憶を 取得することの一つの形ですか。
質問を理解されますか。
注意は、実践をとおして、様々な形の
心理的な訓練をとおして、集められますか。
または、注意があるのは -
不注意が、ではない。
あなたが不注意を理解するなら、 注意があるのです。
それは、けっして維持されません。
なぜあなたは、いつの時も、 注意すべきなのですか。
そのときあなたは、星々を見つめられます。
またそれも、注意を必要とします。
それで、散漫はないのです。
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49:57
質問者: すみません、クリシュナジ。 一つ、短い疑問です・・・(聞き取れない)
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50:03
K: 何でしょうか。
私は、あなたの疑問を、 理解したいと思います。
それは、すっかり明らかではありません。
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50:25
聴衆: 彼は、あなたに質問をしたいんです。
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50:27
K: さあ、どうぞ。
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50:31
質問者: (聞き取れない)
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50:50
K: 何ですか。
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50:53
質問者: (聞き取れない)
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51:06
聴衆: もし、関係する人が誰もいないなら、 私たち自身を知ることは、可能ですか。
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51:10
K: ああ、あなたが、誰にも 関係していないとき、
自分自身を知ることは、可能ですか。
それが質問ですか。
あなたは、質問されました。
私はそれに、入っていいですか。
あなたはそもそも、一人ですか。
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51:32
質問者: ええ。
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51:33
K: いいえ。ちょっと待ってください。
あなたは、「一人」という言葉が、 どういう意味かを、ご存じですか。
その言葉の語源的な意味、です。
「一人(アローン)」は、すべて一つ、 という意味です。
ちょっと待ってください。
私は、冗談を言っていただけです。
私はその言葉で、遊んでいた だけです。
許してください。
私たちは、一人でしょうか。
または、あなたはいつも、 何かに関係していますか。
それは、あなたの妻や夫ではないかもしれません。
あなたは、独りぼっちなのかもしれません。
ですが、あなたは関係しています。
あなたは、自然に関係しています -
あなたは、その一部です。
あなたは、世界に関係しています。
あなたは、自分の母親、父親などに、 関係しています。
単独であるといった実体は、何もない。
生物学的に、あなたは単独であり、 物理的に関係していないかもしれません。
ですが、心理的に、あなたは 人類の全体へ、関係しています。
53:05
そのとき私たちは、自分自身に、 「私たちは さびしい」と言います。独りぼっち、ということです。
そして、独りぼっちであることの 問題すべてが、伴います。
そのとき、私は、他の一人と関係を 持とうとしますが、独りぼっちに留まります。
理解されますか。
私は、結婚し、子どもを持ち、
オフィスへ行く、 その他すべてをするかもしれませんが、
私は独りぼっちに留まります。
なぜなら、私は、 私の野心、私のその他すべてを、追求しているからです。
それで、関係していない人物は 世界に、誰もいないのです -
さびしい隠遁者を含めて、です。
彼は関係しています -
過去に、伝統に、
彼が取得してきた知識
すべてなどなどへ、
関係しています。
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54:08
第三の質問: 「苦しみと楽しさは、
以前の生と、現在の生の行いに、
何か係わりが、ありますか。」
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54:22
「苦しみと楽しさは、
以前の生と、現在の生の行いに、
何か係わりが、ありますか。」
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54:35
あなたは、輪廻転生について、 話しているのでしょう。
また、それは、「業(カルマ)」という 言葉に、含意されています
- 因と果です。
業(カルマ)は、私は聞かされましたが、
その言葉の根本の意味は、行為です。
私たちは、この問いへ、真剣に 入ってもいいですか。
あなたは、それに入りたいですか。
他のものが、真剣でなかった、 ということではない。
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55:15
行為とは何ですか。
行為とは、行為している、 という意味です。
ですね?
私は行為してきたとか、 行為するだろうとか、ではない。
行為は、今、という意味です。
いいですか?
行為は、ほとんどの人々にとって、
過去の思い出、動機や
未来の意図や、未来の理想など、
といった意味合いです。
過去が、行為を方向づけ、形作っているのか、
あるいは、未来が、行為を形作っているのか。
で、それは行為ではありません。
あなたはこれが分かるのか どうか、と思われます。
行為は、すること、能動的な現在を、 意味しています。
しかし、あなたが、行為のための 動機、原因を持つとき
- そして、未来のための行為、です -
能動的な現在は、拒否されます
56:34
それで、あなたは本当に、
未来や過去に依存するとき、 あなたは行為していません。
これがお分かりになるのかと 思われます。
私たちのほとんどにとって、行為するのは、 記憶に、動機に基づいています。
それについて、全く明らかであり、 正直でありましょう。
私は、あなたから何かがほしいから、 あなたにへつらいます。
あなたが私に何かを与えてくれたから、 私は、あなたを愛しています。
などと、です。あなたは、 そのゲームをやります。
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57:13
さて、
質問者は、訊ねます。
私は前に、この地上に生きてきましたか。
そして、私は、前世で 適切に物事をしなかったから、
ゆえに、私は今、苦しんでいる。
私は、今、正しい行為が何かを、 理解するなら、
来世に、私は、より良い機会を、 得るでしょう -
より良い家を、
より良い妻を、
より良い冷蔵庫を、得るでしょう。
さて、これは本当に、 とても深刻な問いです。
私たちはこれに入るべきなのか どうか、私は知りません。
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58:10
自己とは何ですか。
「私は継続しなければならない」と言う 「私」とは、何ですか -
すなわち、過去から、現在をとおして、
未来へ、継続性がある、と。
それが、一つのことです。
そのとき、他は、原因です。
因と果、
それは業の一部です。
私は、一定の種子を蒔いてきました
- 善し悪しの、です。
そして、それが花開く。
善し悪しの匂いがします。
効果はそれです。
さて、原因は、恒常的ですか。
効果もまた、恒常的ですか。
または、効果は原因になる。
ですね?
それは、もう一つの効果を持つ - そのとき、それは原因になる。
で、因果は動きです。
ですね?
理解なさるのかと、思われます。
あなたが、よく気をつけて入るなら、 それは、なかなか興味深い。
59:35
原因はこうです - 私は、病気で苦しむ。
原因の一つです。
私は苦しむ。
仮に、私は胃が痛い、とします。
なぜなら、私は、間違った食べ物を食べた、
あまりに多く飲みすぎたから、などです。
それで、私は適切に食べないなら、 効果は痛みです。
そのとき私は、痛みを 制御しなければならない、と言います。
私は、錠剤をとるが、
原因はやはり、つづきます。
なぜなら、私は、間違った食べ物を、 食べつつあるからです。
で、原因の継続と、 表面的な効果が、あります。
ですね?
しかし、私は、間違った食べ物を食べる という原因が、見えるなら、
それを変化させます。
効果は健康です。
健康は、(最終的な)結果ではありません。
それは、適切に生きることです。
これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
1:00:42
論理的に、それはこれらです。
で、原因は、けっして恒常的でないし、 効果もまた、そうです。
効果は、原因になる。
それで、それは連鎖です。
それは動きです。
そこで本当の問いは、こうです
- あなたが、興味があるなら、です -
この動きは、止まりうるのでしょうか。
理解されますか。
この動きは、因と果ですが、
効果は原因になる、などです。
この動きは、当然、時のです。
いいですか?
それで、私は訊ねています -
行為のために、因果は必要ですか。
いいですか? あなたたちは、 みんな、眠そうに見えます。
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1:01:50
何かのためではなく、そのもののため、 それ自体のために、行為がありますか。
それを理解するには、私は、賞罰の問いへ、
入らなくてはいけません。
人間は、この原理に則って生きます -
報賞と処罰に、です。
すべての 動物が、そうであるように、です。
ですね?
あなたは、犬を飼っているなら、
犬が何かを適切にするとき、 犬に褒美を与えます。
あなたは、「従いなさい」と言うとき、
賞罰をとおして、次第に犬を調教します。
犬がこちらに来るとき、 ビスケットをやります。
来ないとき、ビスケットをやりません。
1:02:36
それで、犬は、 賞罰に依存するのを、学びます。
それから、次第にあなたは、 「従いなさい」と言い、
犬はそうします。
よろしいですか。
同じ原理に則って、私たちは働きます。
私は、この生や過去の生、 適切にしてこなかった。
私は今、それのつけを払っている。
だが、私は、適切に振るまうなら、 来世、報われるだろう、と。
いいですか?
で、それは、賞罰、同じ原理です。
さて、あなたは、動機なく、
この賞罰の原理なく、
行為できますか。
生きられますか。
それに入ってください。その含意が 何であるかを、見てください。
1:03:27
輪廻転生ではない。 私たちは後で、それに入るでしょう。
それは、とても些細な事柄です。
少なくとも、語り手にとっては、 それは戯言です。
私は今、それに入らないでしょう。
なぜなら、この問いに、 入らなくてはいけないからです -
継続性とは何か、終わることとは何か、 継続するのは、何かに、です。
理解されますか。
これら 三つのことが、含意されています -
それは、入るには、 幾らか時間が、掛かります。
私たちは、次の二つの講話で、 そうするでしょう。
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1:04:08
で、私たちは、訊ねています -
原因なしの行為がありますか。
それに入って、それがいかに、 とてつもなく興味深いのかを、見てください。
あなたが、輪廻を信じているのか どうか、だけではない。
それは、かなりバカげています。
何も原因を持たない行為を、見出すのです -
何も動機を持たないし、 何も自己利益を持たない行為を、です。
自己利益があるなら、 それは制限されています。
動機があるなら、それは やはり、さらなる制限です。
それで、行為は、けっして完全ではなく、 ゆえに、問題をもたらします -
あなたたちが、政治的に やっているように、です。
それで、私は訊ねています -
そのもので、それ自体のために、 行為がありますか。
あります。
それは愛です。
1:05:24
愛は、動機を持ちません。
愛は、報賞も処罰も、持ちません。
それは愛です。
その愛の性質があるとき、 正しい行為がある。
正しい行為は、利巧な思考の中から、 生まれていません。
全包括的な愛の感覚があるとき、 正しい行為は、起こります。
私は、妻を愛し、人類を 愛することができます。
なぜなら、それは愛であるからです。
それは、一人への愛であり、 他の者たちへ拒否される、のではない。
あなたはこれを理解されるのか どうかと、思われます。
それが、本当の慈悲です。
その慈悲があるとき、智恵がある。
その智恵は自らに、対極を持ちません。
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1:07:02
第四の質問: 「感覚 - 目、耳、頭脳など - すべてでもって、
同時に気づくことは、
可能でしょうか。」
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1:07:15
「感覚 - 目、耳、頭脳、神経等 -
すべてでもって、同時に気づくことは、
可能でしょうか。
」
何でも、可能です。
しかし、私たちは人間として、 どのように、機能しますか -
私たちの感覚すべてでもってか、 または、部分的な感覚でもってだけか。
質問を理解されますか。
感覚は、とても重要なのでしょう。
さもなければ、あなたは 生きられなかったでしょう。
触れ、感じ、味わい、見え、
見守り、聞こえるなどなど、
感覚すべてを、十分に 目覚めさせて、です。
しかし、私たちの感覚は、 そうではありません。
それらは、部分的に 目覚めているだけです。
ですね?
なぜなら、自分の感覚を制御することは、
世界中の宗教の教義の 一つであったからです。
ですね?
神のためのエネルギーを持つために、 感覚を制御する。
ですね?
性的な感覚、
聞こえる感覚 -
書物で言われないことは、何も聞くな、と。
1:09:03
いいですね?
何にも聞くな。
それは、疑惑、疑い、疑問を、 目覚めさせるかもしれないからです。
だから、聞くな、と。
もう一つの興味深いことは - あなたは、注目したことがありますか。
書物により生きる人々
- イスラム教徒とキリスト教徒 - は、 頑迷で、偏狭です。
私がこう言うのを、 気になさらないことを、願っています。
たくさんの書物を持っている人たち - ヒンドゥー教徒のように、彼らは遊び回ります。
彼らは、さほど頑迷ではない。
彼らは、寛容です。彼らは、吸収します。
彼らはその吸収を、大きな器量と考えます
- それは、そうではなく、ただの無頓着です。
で、同時に気づくことは、 可能でしょうか -
感覚すべてが十分に・・・気づく。
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1:10:12
あなたは、自らの感覚すべてでもって、 日の入りに、注目したことがありますか。
あなたは、自らの感覚すべてでもって、
海の動きに、青い光と波の動きに、 注目したことがありますか。
ありませんね。
あなたは、自らの感覚すべてでもって、 妻を見守ったことが、ありますか。
ない。
さて、あなたが、自らの感覚すべてでもって、 見守るとき、何が起きますか。
あなたは、その問いに答えられません。
なぜなら、一度も、そうしたことがないからです。
それで私たちは、感覚すべてが目覚めて、 十分に機能しているとき、
何が起きるかを、言ってはなりません。
私たちが、いつも部分的に 応答しているのは、なぜなのか。
おそらく、性的以外には、
部分的に応答している。
なぜですか。
理解されますか。
諸感覚の部分的な応答 -
なぜですか。
1:11:37
それは、私たちが、一つか二つの感覚に、 重要性を与えてきた、ということですか。
いいですか?
私はあなたに、訊ねています。
または、私たちは、これらについて、 考えたことすら、ありません。
それで、私たちは、自らの 諸感覚に、気づきはじめるなら -
他の感覚より、一つの感覚を、 より良いと選択するのではなく、
諸感覚の動き全体に、選択なく気づく。
その一部分に、ではない。
あらゆる感覚への 私たちの反応を、見守る。
味わい、聞こえる、見える、
匂う、感じる - それらです。
私たちは、それにより生きます。
私たちは、感受により生きます。
ですね?
思考が、感受を引き継ぎます。
あなたは、それに 注目したことがないですか。
私は、それらに入りたくないが、
それは大事なことではない。 それに入りましょう。
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1:13:03
あなたは、店に、 何か美しいものを、見る -
すてきなシャツや、すてきなサリーや、
何であれ、店に見られる、美しいものです。
知覚がある。
見る。店に入る。 それに触れる -
それが、感受です。
ですね?
見る、接触、感受。
そのとき、思考がやってきて、 言います -
「あのシャツを、私が着るのは、 何とすてきか。
すてきに見える」と。
いいですか?
で、思考は、あのシャツやあのサリーを 着たあなたのイメージを、創り出します。
ですね?
そのとき、欲望が生まれます。
あなたが、これの順序全体に、 付いてきておられるのか、と思われます。
私たちはいつも、欲望と戦っています。
1:14:07
世界中の宗教は、 「欲望を抑圧しなさい」と、言います -
それと戦ったり、それを抑圧したり、 それを取り除いたりしないでください。
あなたはできません。
ですが、神への欲望は、 シャツへの欲望と同じです。
すみません。
なぜなら、どちらも、欲望に 基づいているからです。
で、見る、接触、感受。
そして、思考を許さない -
気をつけて。
あなたはそれを、許せません -
その真理を、見てください -
思考が来て、イメージを築いた瞬間、
欲望が生まれます。
それは、事実です。
単純で、観察可能な、日常的な事実です。
さて、感受は、正常で、健康的です。
さもないと、あなたは、死んでいるでしょう。
1:15:19
よく気をつけて、見守る - 思考がイメージを築かないように、です。
理解されますか。
そして、思考に、感受より イメージを、創り出させない。
あなたがこれを理解されるのか、と 思われます。
理解されますか。
私は、店にあのシャツを、見ます。
そのとき私は、内側へ入り、素材に触れて、
「美しい素材、手作りだ」と言います。
そのとき、思考がやってきて、
「もしも私がそれを着たなら、 何とすてきだろうか」と、言う。
「私は、それを着よう。
すてきな青だ」と。
いいですか?
思考がイメージを創り出すとき、
欲望が生まれます。
感受に、欲望はありません。
もちろんです。それは感受です。
1:16:16
あなたはこれが分かるのか、と 思われます。それは、本当に重要です。
そのとき、気づくのです -
思考が来て、感受より形を作り、
それにイメージを与える。
そのとき、欲望の葛藤です。
さて、観察がありますか - 大きい・
・・
明らかで、正確であり、 どんな歪曲もなく、強要もない
観察が、ありますか - 思考を、見るのです。
付いてきておられますか。
思考に、即時に反応するのを、許さない
- そのため、隔たりがあるように、です。
理解されますか。
それが、必要とする、ものすごい・
・・ 付いてきていますか。
そうしてください。そうして、 何が起きるかを、見てください。
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1:17:17
聴衆: 質問をしてもよろしいですか。
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1:17:22
K: いいですよ。
|
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1:17:24
質問者: あなたが仰ったことへの、 さらなる疑問です
- すなわち、 あらゆる感受や頭脳の応答は、
なぜいつも、 思考ということに立って、ですか。
あらゆる感受や、頭脳のあらゆる反応は、
なぜいつも、 思考ということに立って、ですか。
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1:17:41
K: 何ですか。
私は、質問を理解していません。
なぜ、あらゆることが、 思考に変わるのですか。
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1:17:54
聴衆: なぜ、あらゆる感受が、 思考に変わるのですか。
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1:17:57
K: 分かります。それが、 私たちが言っていることです。
あらゆる感受 -
なぜ思考は、あらゆる感受に、 介入しているのか。ですね?
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1:18:07
質問者: ええ。それが質問です。
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1:18:14
K: あなたは、なぜそうなると、 思いますか。
私に訊かないで、あなたが、その問いに 答えてください。
私は後で、あなたに言うでしょう。
他の一人に、どの質問もしないで、 見出してください。
あなたは、とても怠けています。
それが、現にあることです。
私たちは、思考によって生きます。
ですね?
それが、あなたが今持っている、 唯一つの道具です。
思考は、世界に、最も驚くべき物事を、 創り出してきました。
思考は、世界に、ものすごい混沌を、 もたらしてきました -
それは、戦争、分離した国家、民族、 分離した経済です。
思考は、諸宗教を創り出し、 諸宗教を分離してきました。ですね?
1:19:20
それで思考は、一方向で無量の害を、
別方向で、大いなる善を、なしてきたのです
- 保健衛生や、通信、
すばらしい良い外科医療を、
持つように、です。
あなたは、見たことがありますか -
彼らは、人工心臓を考案してきて、
移植するなどを、しています。
彼らは、信じがたいことを、 しています。
で、思考は、私たちの生の道です。
その思考は、とても制限されています。
ゆえに、それは、世界に 混沌を、創り出しています。
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1:20:04
私たちは、けっして訊ねません - もう一つの道具が、あるのでしょうか。
思考でない、もう一つの知覚が、 あるのでしょうか。
よろしいですか?
さて、それは、大変多く 入って行くことを、必要とします -
言語的にだけではなく、そうするのです。
その道具が、あります - すなわち、洞察です。
そこには、記憶がなく、 時がなく、未来がない。
それは、即座の知覚です。
その知覚は、行為です - 分離していません。
私は今、それに入らないでしょう。なぜなら、 それは、あまりに長く掛かるからです。
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1:20:54
質問者: なぜ・・・(聞き取れない)
|
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1:20:56
K: 私はここに、質問を持っております。
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1:21:06
質問者: 私たちは、努力により、 この思考の世界の中から、出てこられますか。
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1:21:19
質問者: 私たちは、努力でもって、 思考の世界の中から、出てこられますか。
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1:21:24
K: いいえ。
あなたは、努力でもって、 思考の世界の中から、出てこられますか。
あなたは、努力でもって、 思考の世界の中から、出てこられますか。
いいですか?
誰が、努力を行う者ですか。
努力を行う者は・
・・
思考もまた、言います -
「私は、この中から抜け出すなら、 もっと良い報賞を、得るだろう」と。
そうね、私たちは、自分自身で 考えぬくことなく、
これらの質問をしますね。
語り手は、あなたを 助けようとしていません。
彼は、あなたを、助けたくありません。
ですが、私たちはともに、話し合えます。
私たちはともに、対話をできます -
それで、私たちのどちらもが、 同じことを、明らかに見るように、です。
|
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1:22:34
第五の質問: 「私は、神聖な魂たちの
教義と命令に、従いません。
だから、私は、彼らが私に、何か間違った ことをしかねないと、恐れを感じます。
私はいつも、不安に感じるし、 恐れる状況に生きます。
どうか、私を導いて、助言してください。」
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1:23:00
「私は、神聖な魂たちの 教義と命令に、従いません。
だから、私は、彼らが私に、何か間違った ことをしかねないと、恐れを感じます。
」
神聖な魂たちが、あなたに、 何か間違ったことをするの?
「私はいつも、不安に感じるし、 恐れる状況に生きます。」
|
|
1:23:38
私たちは、最もとてつもない観念を、 持っていますね。
- おそらく、それらは 病的で、神経症的です -
すなわち、誰か邪悪な者、
邪悪な魂が、私たちを制御している。
私たちを形作り、 何をすべきかを、語っている、と。
そして、善い魂、神聖な魂たちが、いて、 「そうするな」と言い、
悪玉の対極を助言している。
なぜ私たちは、呪いに、 怯えていますか -
或る人々が心理的に 私に害を加えることに、
黒魔術に、です。
そうね、この国の、それら暗黒面です。
あなたたちは、それをよくよくご存じです - この国の暗黒面、です。
他の国々は、暗黒面を持っていない、と いうことではなくて、
それは、さほど公言されません。
私たちはなぜ、いつも、 これに、捕らわれていますか -
誰かが私に害を加えている、と。
あなたは、他の人たちへ、 害を加えていませんか。
あなたは、一日一食をとる貧しい人々へ、
害を加えていませんか。
|
|
1:25:18
そこで、本当に問いは、
善と悪なのです。
ですね?
その単純なことで、通してください。
善と悪。
尊いものと、卑しいもの、など。
善は、悪に関係していますか。
さて、気をつけて、見出してください。
善は、悪に関係していますか。
それは、関係しているなら、善ではない。
ですね?
で、善は、思考により、 呼び起こされますか。
気をつけて。
社会は、「これは善い」と言います。
命令は、「これをするな、これをするな、
これをするな、これをするな」と言います。
世界中の宗教は、
道徳的な生き方を、定めます -
「殺すな、盗むな、これをするな、 あれをするな」と。
すべての宗教が、そうしてきました。
1:26:36
私たちは、それらの全く対極を、します。
「殺すな」 - 私たちは、殺します。
ですね?
「だますな」 - 私たちは、だまします。
「二重基準を持つな」など、です。
私たちはみんな、対極をします。
で、私たちは、なぜ命令を、 気に掛けますか
- それらが、神聖であっても、 神聖でなくても、
それらが、馬の口から直に、 であっても、です。
その言い回しを、ご存じですか。
いいですよ。
私は、その言い回しを、 使わないでしょう。
誰か聖人や、何か神さまから、 直に、です。
なぜ私たちは、これら命令を、 受け入れますか。
それは、不条理に思われます。
それは、何か自然でないことを、 生きようとする、という意味です。
で、なぜ私たちは、自然であることを、 変化させないのですか -
1:27:38
命令に従うのではなくて、です。
私は貪欲です。
いいですよ、私は貪欲です。
私はまた妬んでいる、その他すべて、です。
私は妬んでいる。
それは、貪欲の一部です。
私は、妬むのが好きです。
それのどこが、間違っていますか。
しかし、命令は、「妬むな」と言います。
「他人の妻を見るな」、
など、その他すべてを、です。
なぜ私は貪欲なのか。
それが、私の問題です。
他の誰かの問題ではない。
で、私はなぜ貪欲なのか。
なぜなら、私の教育全体が、もっともっと 多くを持つことであるからです
- もっと多くのお金、もっと多くのこれ、 もっと多くのあれを、です。
ですね?
そうではないですか。
もっと多ければ多いほど、良い -
それは、比較、という意味です。
それは、測量、という意味です。
1:28:37
ですね?
測量 - 私は、自分自身を、 あなたと比較します。
あなたは利発だ、聡明だ、美しい、等です。
私はそうでない。
で、あなたとの比較において、 私は鈍くなる。
あなたと比較しないなら、 私は鈍いですか。
私は、ありのままの私です。
私は、そこから動けます。
しかし、私はいつも、自分自身を あなたと比較しているなら、
私は、疲弊します。
あなたと戦い、 あなたを嫉妬します。
ですね?
それで、私は、まったく 比較しないでしょう。
そうしたことが、ありますか。
あなた自身を、何とも比較しないのです。
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1:29:26
そうね、あなたは、美術館へ 行ったことがあるなら、
一方には、ミケランジェロがある。
他方には、何か他がある、などです。
あなたは、他の絵と比較せずに、
その絵を、見つめられますか。
あなたは、その絵画が見えますか
- 古い、いにしえの絵画です。
脇への散漫なく、それを見つめる。
すなわち、比較なく、です。
ただ、それを見つめる。
あなたは、比較せずに、 妻と自分自身を、見つめられますか。
あなたはこれを、試したこと、 したことがありますか。
何の比較もなく、生を生きること。
それが、本当の自由、自由の始まりです
- そのとき、あなたが 何かになる測量は、何もない。
おそらく、ビジネスの世界以外では、ね。
それですら・・・
しかし、内的に、心理的に、 何も測量がありません。
1:30:52
それは、あなたが、暴力において、 ますます良くならない、という意味です。
理解されますか。
それは、非暴力と呼ばれますが。
あなたは、これの冗談が分かるのかと、 思われます。
暴力において、ますます良くなる。
それは、あなたたちが、みんな やっていることです。
で、頭脳は、測量へ、
比較へ、条件づけられてきましたが、
それを、完全に脇に置けますか。
そのとき、自由のあの性質が、あるのです。
そこにまた、愛もあるのは、
あの自由の深さが、または、
ただ自由が、あるときだけです。
それは、あなたが自由である、という ことだけではない。
それは戯言です。
自分は自由であると気づいているとき、 あなたはもはや、自由ではありません。
「私は知っている」と言うとき、 あなたはもはや、知りません。
これらを理解されますか。
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1:32:13
止めたほうがいい。すみません。
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