BO85Q2 - 第2回、質疑応答会合

インド、ボンベイ(ムンバイ)
1985年2月7日
テキストのみのバージョン
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0:10
クリシュナムルティ: これら質問に答えるか、
これら問いを探検する前に、
私たちは、問い、危機、挑戦に、
どのように接近しますか -
何か私たちが 究明しなくてはいけないものに、です。
私たちはそれに、どのように接近しますか。
接近は、おそらく問い自体より、
はるかに大事だと、私は思います。
なぜなら、私たちは、それに 怠惰に、何気なく、接近するなら、
問い自体は、ほとんど 意味を持たないからです。
ですが、私たちはそれに、
何の偏見もなく、
楽になる解決への願望もなく、
接近するなら、です -
問いを征服するとか、
危機を片付けてしまうとの感覚ならば、
私たちは問いを、さほど深刻にでなく、
かなり些細にするだろうと、思います。
それで、接近が、尋常でなく大事です。
1:51
で、私たちは本当に、 ともに話し合うべきです
- 私たちは、どう接近するのか、 私たちの動機は、何なのか、
私たちは、どの挑戦、どの問いをも、
どのように見做し、 受け取るのかについて、です。
いいですね?
私たちは、
このホールの中の、私たちのみんなは
- かなりみじめなホールです。
すみません。
汚れて、快適でない。
神様、どうしてこれは・
・・ 私は、それに入らないでしょう。
この国で、私たちはなぜ、 これら汚物を、堪えますか。
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2:46
それに入りましょう。
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2:50
仮に、私は問題を 持っている、とします。
初めに、私は、 問題とは何かを、問います。
問題(プロブレム) -
その言葉の、まさに語源的な意味は、
何か投げつけられたものです。
それが、問題(プロブレム)という 言葉の、実際の意味です -
何か投げつけられたものや、 何か挑戦してくるもの、です。
私たちはどのように、 その問題を、見つめますか。
その問題への、私たちの 即時の応答は、何ですか。
それは、問題より、 後ずさりすることなのか、
または、問題を征服しようとするのか。
私たちがみんな一緒に、ここに いることを、願っています。
私たちは少し、そうではないですか。
朝もかなり早いですが。
または、私たちは、問題への答えを、
見つけようとします -
境遇的に快く、満悦できるだろう 答えを、です。
または、
私たちは、問題を、まるでそれが、何か新しく 新鮮なものであるかのように、見つめます。
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4:42
どの問題も、古いのですか。
これは、だいじょうぶですか。
私はこのように、進んでいいですか。
私たちは、ここで、少し一緒にいますか。
どの問題、危機、問いも、
それは、何か新しいものですか。
または、それは、何度も何度も何度も
反復されてきた問題ですか。
いいですか?
それが、反復的な問題であるなら、
なぜそれは、反復的な問いに なったのでしょうか。
私たちの頭脳は、反復的などですか。
いいですか?
私たちは今朝、一緒に これらにいますか。
タンピ(仕方ない) それは、あなたしだいです。
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6:00
何ですか?
悪いタイプライターです!
私には分かりません。
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6:23
第一の質問: 「神は、一つの法則を作り、 眠りに就いた。
あなたは・
・・ 」 いったい何? -
「あなたは、蒔いたように、刈り取るべし。
理性的な行為に向かって、 現在の人間の尽力により、
これの効果を、希釈することは、
可能でしょうか。」
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6:56
それらはどういう意味ですか。
そのほうが良い。
ここには、逆光がある。
そういうわけで、困難なんです。
私の視力は、かなり良いが、 それはさほど良くない。
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7:39
(同じくバイブルからのことわざに) 笑う時があり、泣く時がある。
ですね?
私は、これは笑う時である、と思います。
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7:55
第二の質問: 「あなたはしばしば、私たちに、 自らの頭脳を行使するよう、言われます。
またあなたは、 私たちが聞いてきたことに則って、
行為することなく、 単に聞くことを、提案されます。
これら二つの発言は、矛盾して見えます。
どうか、説明してください。」
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8:20
「あなたはしばしば、私たちに、 自らの頭脳を行使するよう、言われます。」
- ああ、そのほうが良い -
「またあなたは、私たちが 聞いてきたことに則って、
行為することなく、 単に聞くことを、提案されます。
これら二つの発言は、矛盾して見えます。
どうか、説明してください。
」
あなたはしばしば、私たちに、 自らの頭脳を行使するよう、言われます。
私たちは、ほとんどの時間、 自らの頭脳を行使しています。
あなたは、お金を稼いでいるとき -
あなたは、お金を稼いでいるとき、 行くとき・
・・
それを、いつの時も、行使しています。
しかし、私たちは、自分が考えること、
自分が慣れていることより、 何か全然違ったことを
言っている誰かに、聞くとき
私たちは、他の一人が述べた発言を、 ほとんど聞きません -
ふつうの発言ではない かもしれないものを、です。
9:46
で、語り手が、「あなたの頭脳を使いなさい」 と提案したとき -
頭脳の一部だけではなく、 その全体を、使ってください。
理解されますか。
また、聞くこと。
彼は、私たちは聞くべきだと、 提案してきました。
彼は、聞くとはどういう意味かを、 説明しました。
耳で聞こえることが、あるだけではない。
また、耳の裏に聞こえることも、ある。
理解されますか。
あなたは、一つの言葉を聞きます。
この街のスモッグは、すさまじいね。
すみません。
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11:08
私たちが言いましたように
- すみません。
私たちが言いましたように、
聞くことは、芸術です。
芸術はまた、あらゆる物事を、その正しい 所に置くことを、意味しています。
聞くことは、注意を必要とします。
気づかいの感覚、
受け取るか、何かに聞く感覚を、 必要とします。
それは、意味を持つかもしれないし、 意味をもたないかもしれません。
それは、偽りの発言なのかもしれません。
そして、その偽りの発言の中に、
その偽りの発言の真理を 見ること、聞くこと。
これらに付いてきておられますか。
聞こえることは、大変多くの 敏感さを、含意しています -
ただ聞こえるとか、
あなた自身の快や不快に応じてとか、 あなたがすでに知っていることに応じて、
翻訳するだけではない。
言われつつあることを、
まるで初めて聞いているかのように、 聞くこと。
13:03
それが芸術です。
他のどの芸術とも同じく、それは、 大変多く・
・・聞く能力を、必要とします。
ですね?
あなたの妻に、夫に、友だちに聞く、
あなたの子どもに聞く、
または、鳥などに、です - それで、
自らは、とてつもなく敏感になる。
それが、聞く芸術です。
彼は、問いは矛盾している、と 言います。
すなわち、聞こえることと、
頭脳の活動、です。
そうではないですか。
聞こえることは、何か 頭脳の活動より、違ったことですか。
あなたは、この問いに、興味がありますか。
または、私たちはそれを、 飛ばしましょうか。
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14:34
私たちは、自らの頭脳がいかに働くかに、 注目したことがありますか。
私たちの頭脳、です。
- 科学者、生物学者などに沿ってではなく -
あなたは、自身の頭脳が働いているのを、 観察したことがありますか。
ありますか。
なぜそれは、一定のことを考えるのか。
なぜいつも、問題の反復があるのか。
なぜそれは、先入観を持っているのか。
なぜそれは、信念に、観念などに、
取りすがるのか。
あなたは、それが作動中なのを、 見守ったことがありますか。
あなたがそれを見守るのではなく、 それが生ずるままに、それを見つめている。
これらに付いてきておられるのかと 思われます。
あなたはこれらを、 試したことがありますか。
いいえ、ありません。
それで今、私が大変尊敬を込めて 提案してもよろしいなら、
あなたは、語り手に聞いているとき、
まるで初めてかのように、 聞いていますか。
16:03
彼は、英語の言葉を用います。
見たところ、私たちは、 あなたと語り手は、英語を理解します。
さて、あなたは、一つの言葉を聞くとき、
言葉は、響きを持っています。
響きは、頭脳へ伝導されます。
そのとき頭脳は、その言葉の意味と、
その言葉の意義と、その言葉の了解を、
翻訳します。
ですね?
よろしいですか。
で、あなたは今、まるで初めてかの ように、聞いていますか。
または、あなたは、語り手が これらのことの多くについて話すのを、
すでに聞いてきた。
あなたはたぶん、本を読んだり、 テープなどを聞いてきた。
あなたは、それらを脇に置いて、
言われつつあることを、
まるで初めてかのように、聞けますか。
17:24
または、初めてのように、 日の出や日の入りを、見つめますか -
海を見つめるとき、です。
それで、頭脳が物事に、 慣れてしまわないように、です。
私が言っていることを、理解されますか。
頭脳は、日の入り、日の出が、
あなたの妻、夫、その他すべてが、 慣習化しない -
それで、あらゆる物事が、 新たで、新鮮であるのです。
それが、聞くことの芸術です -
まるで初めて、それを 見つめているかのように、
何かが見える芸術です。
それは、記憶が差し控えられている、 という意味です。
これは修練です -
服従の修練ではなく、
どう見るか、どう聞くかを学ぶ修練です。
18:42
「修練(ディシプリン)」という言葉は、
語源的に、
学んでいる学徒を、意味しています。
自らの師匠からや、自らの導師からや、
知っている人から、ではなく、
学んでいる人、です。
それは、まるで、前に、 何も知らなかったかのように、
彼は今、学んでいる、という意味です。
それが、その「修練(ディシプリン)」 という言葉の意味です -
「学徒(ディサイプル)」という 言葉から、来ています。
さて、私たちは、いつの時も、 学んでいるなら、
あなたは、同時に、導師と学徒になる。
これらに付いてきておられますか。
ああ、いいえ。
私がお訊きしてもいいなら、
あなたは、語り手から学んでいますか。
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19:47
聴衆: ええ、そうです。
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19:49
K: あなたは本当に、学んでいますか。
誰がそう言ったのかを、 気に掛けないでください。
あなたは学んでいるなら、
その言葉は、どういう意味ですか - 学ぶとは。
記憶することですか。
または、付け加えの過程が、 何もないのですか。
私が言っていることを、 理解されますか。
あなたがすでに蓄積してきたことへ、 付け加えない。
むしろ、蓄積していなくて、
学んでいて、動いている。
たぶんあなたは、これらのことを、 一つもしたことが、ありません。
それはすべて、新しい。
で、学ぶこと、
聞こえること、見えることは、 大きな芸術です。
あらゆる物事が、ありのままに見える -
外的に、だけではなく、 特に内的に、です。
物事が、まさにあるとおりに、見える。
それが、本当の正直です。
そこには、何も欺瞞がありません。
なぜなら、私たちは、自分自身を 欺瞞しがちであるからです -
進んでなのか、気が進まずに、です。
神様!今朝は、あらゆる物事が、 かなり、ぎこちないのでしょう。
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21:51
聴衆: 口で言う質問と一緒の対話を 許可してくださるよう、
要望してもいいですか -
書かれた質問を読むよりも、です。
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22:01
K: 何ですか。
残念ながら、私はそれが、 適切に聞こえませんでした。
誰か聞こえた人は、私に 言ってくれるでしょうか。
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22:19
聴衆: 彼は、対話を望みます。 彼は、直接的な対話を、お願いしています。
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22:23
K: あなたは、対話を望みますか。 聴衆: ええ。
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22:24
K: あなたは、その言葉が どういう意味かを、ご存じですか。
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22:25
聴衆: 私たちは、あなたから学ぶでしょう。
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22:29
K: それは、二人の間の会話です。
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22:32
他の一人と本当に良い対話をするには、
私たちは同等に、それに興味を持つか、 参与していなければなりません -
私たちがともに議論し、 話し合いをしていることについて、です。
会話 - それは、
あなたと相手が、同じ水準に いなければならない、
同じ興味、同じ熱情を 持たなければならない、
という意味です。
さもなければ、あなたは 対話をできません。
対話をすることは、良い - 私たちは それをできたならと、私は思います。
しかし、聴衆と、 こんなに多くの人々とでは、
良い対話をすることは、 可能ではありません。
それができるなら、 それは、すばらしいことです。
私は、あなたが質問をなさるのを、 阻止していません。
ですが、良い、深い対話をするには、
あなたと語り手が、同じ方向へ
動くことを、必要とします -
同じ意味をもって、
理解の同じ即時性をもって、です。
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24:14
聴衆: 私は、あなたがちょうど今、 仰ったことを、明確化してほしいのです。
あなたは、真理か、 偽りの発言か、と仰りました。
真理と偽りとは、何ですか。
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24:25
聴衆: 彼はあなたに、真理と偽りとは 何かを、訊ねています。
真理か、偽りの発言か、です。
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24:32
K: 真理 -
真実の発言や、偽りの発言とは、何ですか。
あなたは、どのように 見出そうとしていますか。
他の一人からですか。
偽りの発言とは、何ですか。
偽り - あなたがいう偽りとは、 どういう意味ですか。
例えば、ですね、
多くの人々は
- それは、ごく普通の例です -
多くの人々は、民族主義は すばらしい事実であると、受け入れます。
私たちは、 民族主義的でなければならない、と。
それは、偽りの発言ですか、 真実の発言ですか。
あなたはそれを、どのように見つめますか。
あなたはどのように、見出しますか。
例えば、
世の中の、あなたたちのほとんどは、 神を信じています。
信じていませんか。
いいですよ。
あなたは、神を信じています。
25:57
それは、偽りの発言ですか。 または、真実の発言ですか。
あなたはどのように、見出しますか。
信念 - あなたは、何でも 好きなことを、信じられます。
どの幻影をも、
どの夢想的、ロマンチックで、 感傷的な概念をも、です。
信念は必ずしも、 真実でないかもしれません。
どの信念も、そうではない。
で、あなたは、どのように これらのことを、見出しますか。
あなたは、神があるのかどうかを、 どのように、見出しますか。
見出すには、あなたは、信じる精神ではなく、
自由な精神を、持たなければなりません。
あなたは、究明し、見つめ、 疑い、問うことが
可能な精神を、持たなければなりません -
恐れているのではなくて、です。
で、恐れは、 偽りであることを、真実として、
真実であることを、偽りとして、 創り出しうるのです。
27:18
ですね? これは、 世の中で起きています。
で、何が真実であるか、 何が真理であるかを、見出すには、
大きな敏感さ、自由の感覚が、
なければなりません -
自由の観念だけではなく、実際の自由、
恐れからの自由などが、です。
私たちのほとんどは、 多くの幻影を持っています。
それら幻影は、真理、実在に なってしまっています。
幻影より自由であることは、
最も必要で、難儀な仕事です -
幻影すべてより、全的に 自由であることは、です。
そのときにのみ、あなたは、何が真実であり、 何が偽りであるかを、見出せるのです。
ああ、ここにあります。
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28:45
第二の質問: 「あなたは、神と いったものはないと言われるし、
またあなたは、偶像崇拝をも 非難される上は、
私たちがどう生まれるかと、
自然がどう存在するように なったかの問いが、
画像に入ってきます。
どうぞ、説明してください。」 私が、説明しなくてもいい。
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29:26
「あなたは、神と いったものはないと言われるし、
またあなたは、偶像崇拝をも 非難される上は、
私たちがどう生まれるかと、
自然がどう存在するように なったかの問いが、
画像に入ってきます。 どうぞ、説明してください。」
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30:01
科学者たちは、 私たちが水から、細胞から
動物、類人猿から
来た、と言います。
それらは、自然の一部です。
人間になるためには、三百五十万年か、
そこらが、掛かってきました -
すなわち、今の私たちなるものに、です。
そのとおりなのか。
または、あなたは、 神が私たちを作ったことを、信じています。
ですね?
この問いに、 付いてきておられますか。
あなたは、科学的な理論や、 科学的な事実を
信じているのか、または、
神が私たちを作ったことを、 信じています。
または、私たちの中に神があることを、です。
あなたが、どんなゲームを やりたいにしても、です。
科学者たちは、これを 事実として、証明してきました
- 私たちが、小さな細胞として来て、
水より、それ自体を増殖させ、
次第に、陸生となり
類人猿より、私たちは、今ある私たちに なった、ということを、です。
31:38
すなわち、私たちは自然の一部です。
全世界が、私たちの一部です。
そしてあなたが、何か創造主が、 あなたを作ったことを、信じているなら、
その創造主は、 かなりバカ、かなり盲目的で、
白痴的な男や女であるに ちがいありません。
なぜなら、私たちを、 私たちが何なのかを、見てください。
今、あなたは笑います。
しかし、すべての寺院、神殿、 モスクと教会は、
これで満たされています。
私たちは、神の姿に似せて、 作られていません。
私たちは、自分たちの姿に似せて、 神を作ってきたのです。
違いを理解されますか。
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32:43
みなさま、その言葉ではなく、
記憶ではなく、伝統ではないものを、
時のなどではないものを、
見出すには、発見するには、
出くわすには、
私たちは初めに、自らが何であるかを、 理解しなければなりません。
なぜ私たちは、このようになったのか -
野蛮で、暴力的で、貪欲で、妬み、
金銭志向で、互いに憎み合っている。
世界で、つづいていること すべてを、ご存じですね。
誰が私たちを作ったのか、と言うより、
初めに、それを見つけるほうが、 はるかに重要です。
私たちは、今の私たちなるものです -
盲目的で、かなり愚かで、
だまされやすく、
怯えて、さびしく、憂鬱で、悲しんでいる。
それらが、私たちなるものです。
人間心理の、この構造全体を、 理解するほうが、
単に神について話をするより、 はるかに重要です -
または、何か反復的な儀式をしたり、
寺院に行って、一個の石を崇拝したり するより、はるかにそうです。
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34:39
語り手は、何をも非難いたしません。
これを指摘するのを、お許しください
彼はただ、私たち、人間が 何をしているかを、示すだけです。
彼は、鏡として作用しています -
あなたが、その鏡を のぞき見るように、です。
その鏡は、権威ではありません。
それは、何の権威をも持っていません。
それはただの鏡です。
その鏡は、あなたがそれを、明らかに見、
その鏡に見えるものを理解するとき、
鏡を投げ捨て、壊してください。
それを、もう一つの偶像や、
もう一つの個人崇拝に、しないでください -
ほとんどのインド人が、 そうしがちであるように、です。
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35:42
で、初めに、重要なのは、私たちが どう生きるかを、見出すことです。
なぜ私たちは、狭く、制限されていて、
自己中心的で、利己的なのか。
それは、反復的に聞こえるかもしれませんが、
それは、私たちの生すべてを形作る
最も重要な要因です。
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36:34
第三の質問: 「精神とは何ですか。
知覚者なしに、それが
それ自体を見つめることは、
いったい可能ですか。
それは、どの中心からでもなく、
花を見つめるほど、
単純だとは、思われません。」
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37:05
「精神とは何ですか。
知覚者なしに、それが それ自体を見つめることは、
いったい可能ですか。
それは、どの中心からでもなく、
中心なく、
花を見つめるほど、
単純だとは、思われません。」
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37:32
いいですか? 問いを理解されましたか。
はい?
どうぞ、言っていただけない でしょうか。
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37:41
聴衆: ええ。
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37:43
K: 精神とは何ですか。
そして、頭脳とは何ですか。
頭脳が、精神ですか。
または、精神が、頭脳ですか。
それが、一つの問いです。
他のは、こうです -
頭脳は、思考は、 それ自体が作用中なのを、
動いているのを、見ることが、 可能でしょうか。
それが、二番目の問いです。
そして、知覚者なしに、観察すること、
見ること、見えることは、 いったい可能でしょうか。
ですね?
それらが、 これに関与した三つの問いです。
あなたは、これに興味がありますか。
聴衆: はい。
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38:32
K: 私を喜ばせないでください。
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38:34
私は、立ち上がって、去ってもいい。 それは大事なことではないでしょう。
あなたがそれに、興味を 持っていることを、願っています。
または、あなたがそれに、関心を持っている ことを、です - 興味ではなく、関心、です。
精神は、頭脳より異なっていますか。
これは、とても重要な問いです。
なぜなら、私たちは、この事柄について、 幾人もの科学者とともに、
議論、その他すべてを、 してきたからです。
頭脳は、私たちの神経の
応答すべてにとって、 中心です。
ですね?
行為と反応(作用と反作用) すべての中心です
- 応答と、応答しないことのです。
それは、恐れの中心です - 嫉妬、憎しみ、暴力、悲しみ、
さびしさ、心配、憂鬱、悲しみ
などの中心です。
それは、すべての動きの中心、
時と思考の、中心です。
よろしいですね?
その頭脳は、条件づけられています - 思考により、
恐れにより、苦しみによって、です。
または、それは、知識によっても、 条件づけられています。
ですね?
これらに付いてきておられますか。
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40:14
聴衆: はい。
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40:15
K: それで、頭脳は、 この地上に、三百五十万年以上か、
四百万年の間、生きてきましたが -
人としてではなく、動物などとして、です。
ここ百万年か、五万年の内だけ、
それは、人間になったのです。
今、人間に収容されている頭脳、です。
これが、科学者たちが言うことです -
この頭脳は、紀元前八千年より、 存在してきたし、
おそらく、さらに長く、と言うのです。
で、この頭脳は、条件づけられています。
ですね?
それは事実です -
思考により、時により、 条件づけられています。
それは、制限された形で、部分的に、
行為できるだけです。
41:35
いいですか?
あなたが、技術者として、 専門化しているなら、
余生の間、それは、
特定の方向で、機能しています。
あなたは、お金に興味があるなら、 それは、その方向で働いています。
ですね?
あなたは、 学者、パンディットであるなら、
情報を集めるでしょうし、
あなたの頭脳は、 その知識に、はまり込んでいます。
で、頭脳は、経験により、知識により、
記憶により、条件づけられています -
すなわち、思考と時によって、です。
これは、明白な事実です。
精神は、頭脳の内にありますか。
質問を理解されますか。
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42:42
聴衆: ええ。
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42:44
K: 精神は、頭脳の内にありますか。
または、頭脳の外側にありますか。
私はこれを、あまり長くつづけない でしょう。
なぜなら、私たちは、
これについて対話をできないからです - 私たちはそれができたら、と思います。
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43:14
そうね、愛は、頭脳の内にありますか。
この問いに、答えてください。
愛は、(ともに苦しむ)慈悲ですか -
同情や共感や、
優しさとそれらではない。
愛は、それらを、 持っているかもしれませんが、
頭脳は、制限され、 条件づけられています。
愛は、頭脳の内にあるなら、
愛は、条件づけられ、制限されています。
いいですか?
愛は、制限されていますか。
慈悲は、
その無際限の智恵とともに、
それは、頭脳の内にありますか。
または、その外側にありますか。
聴衆: はい。
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44:23
K: いいえ。 「はい」と言わないでください。
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44:25
どうぞ、これは、 とても深刻な問いなのです。
きわめて深く、それへ 入らなくてはいけません。
あなたは・
・・いや、 頭脳は、自らの制限に気づいてこそ、
見出しうるのです -
その制限を悟り、それに注意していて、
そのとき、それは、まったく自由になり、 ゆえに、静かになるのです。
そのとき、精神は、
頭脳と接触する可能性が、あるのです -
頭脳が、精神と、ではない。
これらを理解されるのか どうか、私は知りません。
あなたは、これらに、少し 付いてきておられますか。
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45:24
聴衆: はい。
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45:27
K: 本当に、ですか。
あなたは、それがどういう 意味かを、ご存じですか -
自分の日常の生き方を理解し、
あなたの日常生活の真理と虚偽を見て、
その日常の作動、日常の存在が、いかに 条件づけられていて、狭くて、
制限され、自己利益に基づいているかを、 見ることなのです。
そして、その自己利益より、 自由であることは、
可能なのかどうかを、です。
そのとき、何が起きるかを、 見てください -
何が起きるかもしれないと、 想像するのではない。
そのすべては・
・・ あなたが、多くの年を掛けるのか、
あるいはまた、一瞬に それを捉えられるのか、です。
これは、とても深刻な事柄です。
なぜなら、精神は、 とてつもないものであるからです -
あなたが入り、 それがそもそも存在するなら、
すなわち、愛がそもそも 存在するなら、です。
愛は、条件づけられていません。
私は、自分の妻や父や 母や息子を、愛せます。
けれども、あの香りは、いつも そこにありえます。
それは、個人的ではありません。
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47:36
第四の質問: 「恐れ、さびしさ、悲しさといった、
人間の問題を理解するためには、
あなたの、「観察者は 観察されるものである」との発言ばかりが、
重要であるように、思われます。
けれども、その発言の論理は、
知的な水準を、
越えていくように、
思われません。
一定の事実が、 単なる概念に留まるのは、
なぜですか。」
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48:26
「恐れ、さびしさ、悲しさといった、
人間の問題を理解するためには、
あなたの、「観察者は 観察されるものである」との発言ばかりが、
重要であるように、思われます。
けれども、その発言の論理は、 知的な水準を、
越えていくように、思われません。
一定の事実が、単なる概念に 留まるのは、なぜですか。」
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49:12
私たちのいう、理解とは、 どういう意味ですか -
「理解する」という言葉です。
あなたが、「私は理解する」と言うとき、 それは、どういう意味ですか。
あなたは、それら言葉の意味を、 理解しますか。
または、それら言葉の含意を、 理解する、ということですか -
それは、それら言葉の響きですが、
または、あなたはそれを、 いわゆる知的に、理解しますか。
すなわち、あなたは 言葉の意味を、理解したのです。
意味は頭脳に、概念として残ります。
ですね?
で、理解する -
それは単に、言語的な了解、 という意味だけですか。
または、理解する -
すなわち、あなたは、究明し、 観察し、探求し、
問い、疑ってきて、
「よし、分かった」と 言う点に、来ます。
50:31
あなたが、「理解する」という言葉を 使うとき、それはどちらですか。
それが、私たちの困難です。
あなたは、発言が聞こえます - 私たちが ちょうど今、行ったような、です。
あなたは、その発言より、 抽象化をします。
その発言のジュース、です -
それから、それを観念にします。
そして、事実ではなく、 観念ばかりが、重要になる。
ですね?
私たちは少しは、 一緒にここにいますか。
あなたは今、そうではないですか。
語り手が、「あなたがいう、理解するとは、 どういう意味ですか」と、言うとき、
あなたは、そうではないですか。
それは、単に言葉ですか。
意味を知的に掴むこと -
意義、言語的な含蓄、
などを、だけですか。
51:43
あなたはそれを、知的に掴みます -
それはただ、理解の ごく、ごく一部の役割です。
知能は、役割を持っています。
しかし、その役割ばかりが、 重要になるとき、
あなたは、あらゆる他の部分を、 放置します。
で、あなたが何かを理解するとき、
その理解は、行為です - ただの理解だけではない。
例えば、私は、 暴力の本性を、理解します -
物理的な暴力だけではなく、
暴力の複雑な本性全体を、です。
私は、それを理解するだけではなく、
暴力すべての帰結と、
暴力の含意、様々な形が、見えます。
52:47
私は、それの一部分だけではなく、 それの全体を、見つめます -
私たちがいかに、この非暴力の夢想的な 観念の中へ、逃避するのかを、です。
私は、それらを含めて、 それを見つめます。
そのとき、見ることが起こるとき、
あなたは、それに注意を注いでいます。
ゆえに、それを越えていきます。ですね?
さて、人間存在すべて、 恐れ、さびしさと悲しみといった
諸問題の理解のためには、
「観察者は観察されるものである」との あなたの発言ばかりが、
重要だと思われます。
それに入りましょうか。
観察者と観察されるもの。
あなたは、月を 見つめたことがありますか -
満月や、新しい月を、です。
54:01
新しい月の美しさ、
西の空の、薄く細長い光や、
先日の夜の満月。
あなたは、それを 見つめたことがありますか。
あなたが、それを見つめるとき、
誰が、それを見つめていますか。
気になさらないなら、どうぞ、 少し、これに付いてきてください。
退屈しないで、 ただ付いてきてください。
私は、あの新しい月を、 見つめます。
私は、まるで初めてかのように、 それを見つめますか。
または、私はそれを見つめて、 「あれは新しい月だ。
二週間後に満月になるだろう」と 言います。
で、私は、見えるものを、 即時に言葉に表します。
ですね?
私は、あの新しい月を、 その言葉なしに、見つめられますか。
55:21
ですね? なぜなら、 その言葉は、月ではないからです。
「月」という言葉は、 空の実際の月ではない。
しかし、私たちが、何かを見つめるとき、
即時の反応は、それを 言葉に表すことです。
これは明白です。
私は、自分の妻を見つめるとき、 「彼女は私の妻だ」と言います。
私たちは、まるで初めてかのように、 けっして、彼女を見つめません -
言葉なく、記憶なく、
妻や夫の含意すべてなしに、です。
で、あなたは - それをごく単純にすると -
あなたは、樹や花を、言葉なしに 見つめられますか。
あなたは、それを試したことが、ありますか。 それをしたことが、ありますか。
56:20
言葉なしに、です。
そのときあなたは、言葉がいかに 事実を歪曲するかが、見えるでしょう。
あなたは、「彼女は私の妻だ」とか、 「彼は私の夫だ」とか、
「ガールフレンドだ」などと言うとき、
或る人間のまさにその言語化は、
- 生きている人の、です -
あなたは、その人間を、 言葉に入れたのです。
ゆえに、その言葉は、制限されています。
これらを理解されますか。
私たちは、これらを少し、理解しつつありますか。
で、あなたは、言葉なしに、 何かを見つめられますか。
あなたは、そこに座っていて、
この姿を見つめていながら、
言葉なく、イメージなく、
この姿形を、見つめられますか -
評判なく、それらの戯言なく、
57:40
あなたは、彼を見つめられますか。
言葉が、観察者ではないですか。
これを理解されますか。
言葉と、
イメージ、記憶 -
それらが、観察者ではないですか。
ヒンドゥー教徒であるとの背景が、
迷信すべてとともに、
信念すべてとともに、含意すべてとともに、
または、あなたがイスラム教徒であるなら、 そのすべてとともに・
・・それが、その背景です。
観察者に、まるでそれは、観察されるものより
異なっているかのように、 するのは、記憶です。
ですね?
少しこれに、 付いてきておられますか。
または、私たちは時間を、 むだにしていますか。
で、あなたは、背景なく、 見つめられ、観察できますか -
観察されつつあるものに対して、
過去の記憶が、障ることなしに、です。
59:20
あなたが、そうするとき、 観察されつつあるものだけが、ある。
観察されるものを、 観察し、見ている観察者は、ない。
これを少し、理解されましたか。
観察者や目撃する者との間に、
違いがあるとき、
観察者と、観察されるものとの間、
二つの間に、分割があるとき、
私たちが前に言いましたように、
どこでも、分割があるところ、 葛藤があるにちがいない。
ですね?
そして、なぜ人間たちが、 葛藤の中に生きるかを、理解することは
- 生まれた瞬間から死ぬまで、です -
なぜこの分割が、 観察者と観察されるものの間などに、
存在するかを、見出すことなのです。
または、観察されるものだけが、ある。
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1:00:42
聴衆: (聞き取れない)
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1:00:45
K: 何でしょうか。
ええ、喜んで。
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1:00:55
聴衆: (聞き取れない)
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1:01:12
K: あなたはここに来て、彼らが言っていることを、 翻訳してくださるでしょうか。
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1:01:17
聴衆: 彼は、観察者は 死んだものであると、考えます。
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1:01:27
聴衆: 私が参りましょうか。
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1:01:29
K: お出でにならないでください。 それには、あまりに長く掛かります。
いいですよ。
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1:01:51
彼は、消えてしまったのですか。
私は何かを、言ってもいいですか。
これが、あなたたちがどのようなのか、です -
話をする、叫ぶ。
彼は、消えてしまったのですか。
いいですよ。進みましょう。
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1:02:52
あなたたちが、娯楽を 楽しんでいるのが、うれしいです。
後生ですから、これは 娯楽ではありません。
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1:03:07
私たちが言っていることは、
どこでも分割があるところ、葛藤が あるにちがいない、ということです。
ですね?
それは法則です。
永遠の法則です。
分離、分割があるところ -
二つの部分に割れてしまうことが、 あるところ、葛藤があるにちがいない。
その葛藤は、究極的に 戦争に、人々を殺すことになる。
世界で、今、 示されつつあるように、です
- アメリカ、ロシア、レバノンで、 イスラム教徒、
イスラム世界と、非イスラム世界 -
彼らは、葛藤、抗争になっています。
で、葛藤を理解し、自由になること、
本当にそれから自由であることは、
なぜ観察者が、観察されているものより、 自らを分離して、
支配的になるかを、理解することです。
1:04:26
いいですね?
私は観察するとき、
私は結婚していたり、 ガールフレンドを持っているなら、
私たちの間に、分割があります
- 実際の、です。
物理的な分割だけではなく、
伝統的な分割、親の権威
誰かの権威 -
それで、私たちの関係には、 いつも分割が、ある。
ゆえに、いつも、人間たちの間に、 葛藤、抗争がある。
葛藤が存在しない関係を 持っている人は、
世界に、ほとんどいないのです。
葛藤は存在します。
なぜなら、
私たちは、観察されるものより、 観察者を分離してきたからです。
1:05:25
私は、自分の怒りより違っている。 ですね?
私は、自分の妬みより違っている。
私は、自分の悲しみより違っている。
ゆえに、違っているので、葛藤がある。
すなわち、私は、悲しみを 取り除かなければならない。
または、私は、悲しみを乗り切らなければならない。
悲しみをどう乗り切るのかを、教えてくれ。
私の恐れをどうするのかを、教えてくれ
- それで、葛藤、抗争がある。
いつの時も、です。
しかし、あなたは悲しみです。
あなたは、悲しみより、 違っていないでしょう。
あなたは、怒りより、 違っていないでしょう。
あなたは、自分の性欲より、 違っていないでしょう。
1:06:17
あなたは、自らが感じる さびしさより、違っていません。
あなたがさびしいのです。
しかし、私たちは、「ええ。
私はさびしいが、私は それより逃避しなければならない」と言います。
それで、私は、寺院に行くとか、 娯楽で楽しむ、などです。
あなたは、自分がなっている性質より、 違っていません。
その性質は、あなたです。
私は怒りです。
私は悲しみです。
私はさびしい、憂鬱です。
さて、前に、私は分離したとき、
私は、自分の悲しみに対して、 行為しました。
理解されますか。
私はさびしいなら、そのとき私は、 さびしさより逃避します。
それを乗り切ろうとか、 それを分析しようとします。
そして、あらゆる種類の面白いことや、 宗教的な活動でもって、
さびしさを満たそうとします。
1:07:25
しかし、私がさびしいなら、 それについて、何もできません。ですね?
この事実を理解されますか。
いいえ?
どうぞ、私に言ってください。
私はさびしいなら - そして、私がさびしいのです。
私はさびしい、私より何か違ったものだ、 というのではない。
私はそれです。
前に私は、それに対して行為しました。
今私は、それに対して行為できません。 なぜなら、私はそれであるからです。
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1:07:52
で、観察者が観察されるものであるとき、 何が起きますか。
理解されますか。
怒りが私であるとき、何が起きますか。
あなたは、これを探究したことが ありますか。
または、ただ、「ええ、私は観察者、 観察されるものです」と言うだけですか。
それは意味がない。
しかし、見出すか、経験するには、
それに入って、怒りがいつも、あなたより 違っているのかどうかを、見出してください。
それはずっと、伝統でした。
それはずっと、条件づけでした - 「私は 自分の怒りより違っている」と言うことが、です。
ゆえに、あなたは、 それに対して、行為しました。
1:08:42
しかし、あなたは、自分が 怒りであると、悟るとき、
あなたは何をしますか。
何が起きますか。
初めに、葛藤すべてが、止まります。
ですね?
あなたは少し、これに 付いてきておられますか。
あなたが、自分はそれであると悟るとき、 葛藤すべてが、止まります。
私は褐色です - 終了しました。
それは事実です。
薄い褐色か、濃い褐色か、紫か、 どんな色であっても、です。
で、あなたは、この分割的な過程を、
すっかり消去します - あなた自身において、 葛藤をもたらすものを、です。
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1:09:42
質問者は訊ねます - 私たちが、
事実より抽象化するのは、なぜですか。
事実は、私が怒りであることです -
私は嫉妬深い。
私はさびしい。
なぜ私たちは、それを観念にし、 それを抽象化しますか。
事実に向き合うより、むしろ、 抽象化するほうが、簡単ですか。
なぜなら、観念でもって - 私はそれでもって、遊べるからです。
私は、「ええ、これは良い観念だ。
これは悪い観念だ。
それについて、私を納得させてください。
私を納得させない」と、言います。
よろしいですか。
私はつづけられます。
しかし、抽象化がなく、事実があるとき、
私はそれを、扱わなくてはなりません。
そのとき、私は自分自身を分離し、
そのとき、「私はそれについて、 何かをしよう」と言います。
1:10:51
しかし、分離がない、と悟るとき -
あなたは、それです。
あなたは、「有るもの」です。
あなたは、ヒンドゥー教徒です。
あなたは、イスラム教徒です。
あなたは、キリスト教徒です。
あなたは、ビジネスマンです。
あなたは醜い。あなたは残忍です。
あなたはそれらです。
そのとき、あなたは、 自分の中の分割の感覚を、
すっかり消去したのです。
ゆえに、葛藤がありません。
あなたは、葛藤がないとき、 頭脳がどのようなのかを、知っていますか。
頭脳が、永続的な葛藤の中にあるとき
- ほとんどの人々の頭脳は、そうですが -
その頭脳には、何が起きますか。
それは負傷します。
ですね?
それは負傷し、傷ついています。
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|
1:11:59
聴衆: 一つ、質問をしてもいいですか。
|
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1:12:05
K: 私は、途中なんですが・・・
ここに来てください。
来て、座ってください。 私はそうしたい・・・すみません。
気の毒に。
彼は、はるばる来ました。
彼に質問を、してもらいましょう
- 少し後で、です。 私に終了させてください。
|
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1:12:41
たぶん、あなたは、
葛藤とともに、 痛み、悲しみ、恐れとともに、
長く生きてきました。
この葛藤を、あなたは、
「それは自分の生の一部だ。
私は葛藤を 受け入れよう」と、言ってきました。
あなたは、そのように、 つづけてきました。
しかし、あなたは、葛藤が頭脳に、 人間に、心理に、何をするのかを、
一度も探究したことがありません。
そうね、それは永続的に、 殴られています。
物理的に、自らが常に殴られているなら、
何が起きるかを、ご存じですか。
常に、葛藤で爆撃されています。
頭脳に、何が起きますか。
それは縮みます。
それは、とても小さくなり、 制限され、醜くなります。
それが、私たちのみんなに、 起きつつあることです。
1:13:57
で、相当に智恵のある人は、 訊ねます -
なぜ私は、余生の間、葛藤の中に 生きるべきなのか、と。
で、彼は、葛藤とは何かを、 探究しはじめます。
分割があるところ、葛藤は 存在するにちがいない -
外側とともに、内側でも、です。
この分割は、深く、根源的に、 「私」です。
観察者と観察されるものです。
二つの分離した活動が、進んでいます - それは真実ではありません。
なぜなら、あなたは怒りであり、 あなたは暴力的であるからです。
で、あなたがこの点に来て、
観察者が観察されるものであることを、 悟るなら、
全的に違った活動が、あって、 進んでいるのです。
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1:15:05
さて、あなたは、何を仰りたいですか。
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1:15:12
質問者: あなたは私に、私は怒りである、 と仰っています。
なぜなら、怒りは、私の精神の 状況であるからです。
悲しみもまた、私の精神の状況です。
幸せと不幸せ、怒り -
これらはすべて、私の精神の状況です。
なぜなら、私は自分の精神を知っているからです。
なぜなら、私は自分の精神ではないからです。
私の精神は、私より違っています。
それは、私の精神であるからです。
質問者: 私は精神ではありません。
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1:15:34
K: 理解できます。
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1:15:35
質問者: 精神は、私より全然違っています。
|
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1:15:36
だから、私は、自分の精神の 状況を、知っています。
なぜなら、それは時々、幸せな状況にあり、
それは時々、不幸せな状況にあり、
それは時々、悲しみの状況にあるからです。
なぜなら、私は以前、記憶の世界に、 一つの思考を得るとき、
私は、想起するかもしれません。
私の精神は、その記憶を想起しつづけるし、
いつも、嘆き悲しんでいます。
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1:15:59
K: ええ、そうです。
K: なぜですか。
私はそれを、 よくよく理解します。
あなたは、ここに来て、 私たちへ講話をしたいですか。
さあ、さあ、来てください!
では、彼らへ講義をしてください。
質問者: いえ、いえ、勘弁してください。
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1:16:42
K: 仰ったでしょう。
質問者: 私が、自分の怒りを知るとき、 それは怒りではありません。
なぜか。
私は、自分の怒りを、 知りつつあるからです。
私が、自分自身を怒りと同一視するとき、
即時に行為が、出てくるでしょう。
それは正確ですか、どうですか。
どうぞ、理解してください。私は、誰をも、 思いとどまらせようとしていません。
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1:17:08
K: ああ、はい。
私たちは、理解しようとします。
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1:17:13
質問者: クリシュナムルティさん、 誤解しないでください。
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1:17:19
K: 静かにここに座ってください。 質問者: いえ、いえ。
静かに座ってください。座ってください。今、 あなたはここにいるので、座ってください。
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1:17:34
もう止める時間です。
もう止める時間です。
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1:17:50
あなたたちは今朝、Kが話してきたことが、 聞こえてきました。
あなたは、質問に対する様々な応答が、
様々な答えが、聞こえてきました。
私たちは、はっきりしないで、 かなり混乱して、去ってゆきます。
しかし、私たちが互いに聞くなら
- 私は、このお方に、聞いてきました。
本当に聞きました。
そして、語り手と彼自身との間に、 葛藤は何もない。
なぜなら、彼は聞いてきたからです。
彼は、彼が言うべきことを、知っています。
もしも私たちが、一日か、一時間だけでも、
葛藤が何なのかを、見られたなら -
なぜ私たち、人間が、 葛藤に捕らわれているか、
痛みと心配すべて、
それらとともに、です。
そのときおそらく、私たちは、
けっして害されていない、けっして 負傷や衝撃を受けなかった頭脳でもって、
生を生きることが、 できるかもしれません
- で、それが自由な頭脳であるように、です。
精神が - すなわち愛が、です -
頭脳に接触できるのは、おそらく、 そのときだけなのです。
それだけです。
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