BO85T3 - 悲しみは、私たちの自己中心的な活動の一部である。

第3回、公開講話
インド、ボンベイ(ムンバイ)
1985年2月9日
テキストのみのバージョン
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0:18
クリシュナムルティ: 先の日曜日に話していたことについて、
継続してもいいですか。
強調しなければならない、と 思いますが・
・・
- 聞こえませんか。
いいかな。 彼らは聞こえていません。
私たちは先週、話していましたが・
・・
私たちは、全包括的な生について、 話していました -
私たちの生のように、 断片化していない、
砕けていない、生き方について、です。
全包括的であり、全体的である
生き方を、私たち自身で
見出すのです -
断片化していなくて、砕けていなくて、
割れていない生き方を、です。
私たちは、その問いに、 相当に深く、入りました。
私たちは、人間の頭脳と人間の生の この断片化の原因が
何であるかを、見ました。
また、私たちは、自らの社会的、道徳的、
宗教的な生における、 様々な要因について、話をしました -
私たちがそれを、ヒンドゥー教徒、 イスラム教徒、キリスト教徒、仏教徒などとして、
砕いてしまったことについて、です。
2:04
宗教は、人間存在のこの大惨事に対して、
大いに責任が、ありました。
私たちはまた、時について、 話しました。
時とは、過去だけではない。
すべての記憶、
蓄積された経験などが、
現在により修正されて、 未来へ継続します。
それが、私たちの生です。
私たちは、 生物学者や考古学者などによれば、
この地上に、三百五十万年以上の間、
存在してきました。
いわゆる進化の、その長い間隔の間に、
私たちは、甚大な量の
記憶を、蓄積してきました。
3:18
私たちはまた、記憶の制限、
ゆえに、思考の制限についても、 話をしました。
その思考の制限は、世界を、 地理的に、民族的に、
宗教的に、砕いてきたのです -
ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、 キリスト教徒などとして、です。
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3:45
私たちが先日、言いましたように、
これは講義ではありません。
講義は、情報を知らせ、教示することを、
標示しています。
私たちは、そうしていません。
私が、大変尊敬をもって、 指摘してもいいなら、
私たちは、一連の観念、結論を、
聞いていません。
むしろ、私たちは
- 聞こえませんか。
すみません -
彼らは聞こえません。
このように、もっと押しますか?
だいじょうぶですか。
どうぞ、今、聞こえますか。
はい?
ましですが、良くはない。
私は、より大きな声で、 話しましょうか。
いいですよ。
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5:47
私たちが言っていましたように、 これは、講義ではありません。
私たちはどちらも、一緒です。
あなたと語り手は、 旅を行っています。
二人の友として、
話し合っています - 自らの様々な、
家族の問題だけではなく、
世界の問題などをも、です。
で、これは、物事をはっきり言うことが、 語り手の責任なのと同じく、
気をつけて聞くことが、 あなたの責任です - そのため、
私たちはどちらも、自分たちが 話していることを、理解するように、です。
私たちは、多くの物事について、 話し合おうとしています -
この晩と明日の晩だけではない。
6:49
私たちはともに、話し合おうとしています - 秩序と無秩序について、
楽しみ、
愛、
悲しみについてと、
時間があるなら、死について、です。
これらはすべて、かなり錯綜した疑問です -
私たちがみんな、日常生活において、 向き合わなくてはならないことです。
あなたが豊かでも、貧しくても、
一連の官僚であっても、
私たちは、存在のこの問題に、 向き合わなくてはいけません -
その中で、私たちの生は、 無秩序の状態に、あります。
それは、相当に明白です。
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7:46
私たちの生、私たちの日常生活は、 無秩序の中にある。
それは、矛盾、という意味です -
一つのことを言い、別のことをする。
何かを信じているが、
実際には、自分たちが信ずることより、
全然違った方向へ、動いている。
この矛盾は、無秩序を、創り出します。
自らがそもそも、この問題に 気づいているのかと、思われます。
見たところ、世界には、ますます多くの 無秩序が、あろうとしています
- 悪しき政府、経済状況、
社会的な無秩序だけの
せいではない。
いつも、戦争の脅威 -
それは、ますます緊迫しつつあります。
ますます圧迫しつつあります。
8:56
世界中で、すべての政府は、
武器を買っています。
一番小さな国家、民族さえも、 武器を買っています。
それで、世界中を観察すると、
大きな無秩序が、あります。
私たちの生、私たちの日常生活もまた、 無秩序の中にあります。
私たちはいつも、秩序を追求しています
- 政府、法律などだけではありません。
私たちは、秩序をほしがります。
なぜなら、秩序なしには、
人間たちは、必然的に自分たち自身を、 破壊するであろうからです。
私たちがともに、問いを 分かち合っていることを、願っています -
あなたもまた、ともに、この問いについて、 考えていることを、です。
10:16
すなわち、ともに考え、
ともに観察し、ともに聞き、
あなたが参加している対話を 行っていることを、です。
で、それは、幾つか、わずかな観念と結論を 集めるとの事柄ではなく、
なぜ私たちは、無秩序の中に生きるのか、
ともに、見出すことなのです。
私たちの生に、全的な秩序は ありうるのか。
ゆえに、社会に、全的な秩序は、 ありうるのか。
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10:58
社会は
- あなたたちは、話をするのを、 終えましたか -
社会は、私たちにより、もたらされます。
私たちにより、組み立てられます。
私たちの貪欲、私たちの野心、 私たちの妬み、
この、自由の個人的な概念
- 私たちはそれへ、今すぐ入るでしょう -
これは、大変多くの無秩序を、 もたらしてきたのです。
この個人性の感覚が、です。
どうぞ、聞いてください。
言われつつあることを、ともに、聞きましょう。
実際に聞く。
解釈や抵抗や防御するのではない。
なぜなら、私たちは何をも、 攻撃していないからです。
私たちは単に、 世界で起きつつあることを、
ともに、観察しているだけです。
12:10
で、私たちが、これらすべての百万年の後、
今、それを生きているような、 私たちの生において、
私たちはいまだに、無秩序の中にいます。
人はいつも、秩序を探し求めてきました。
なぜなら、秩序なしには、
自らはとうてい、自由に、 全包括的に、機能できないからです。
ですね?
で、秩序とは何かを、見出すには
- 青写真ではなく、
何か枠組みに入れて、従うものではなく、
秩序は、何か活動的で、 生きているものです。
様式へ順応することではない
- 様式が、理想主義的で、
歴史的で、弁証法的な結論であっても、
あるいは、宗教的な裁可であっても、です。
13:29
世界中の宗教すべては、 一定の法、一定の裁可、
命令を、定めてきました。
ですが、人間たちは、まったく それらに、従ってきていません。
で、私たちは、それらすべての イデオロギー的な結論を、脇に置けます。
また、あなたの宗教的な信念をも、 脇に置けます -
それらは、日常の存在と、 何の関わりもありません。
あなたは、宗教が定めた法に、
順応し、従うのかもしれません。
しかし、それはまた、 大きな頑迷さをも、もたらす、
などです。
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14:19
で、秩序とは何ですか。
そして、私たちの頭脳が混乱し、 無秩序であるとき、
秩序とは何かを、見出すことは、 可能ですか。
ですね?
で、私たちは、初めに、秩序ではなく、 無秩序とは何かを、見出さなければなりません。
なぜなら、無秩序がないとき、自然に、 秩序があるだろうからです。
ですね?
で、私たちはともに、 探究しなければなりません
- どうぞ、ともに、です -
無秩序とは何なのか、なぜ私たちは、 無秩序の中に生きるのかを、です。
この無秩序の原因の一つは、
おそらく、主要な原因は、
葛藤です。
私たちは、ここ三回の講話で、 それについて、話をしました -
私たちは、今晩それへ、はるかに 深く入らないでしょう。
葛藤があるところ、 無秩序があるにちがいない。
男と女の間だけではなく、
国家、民族の間、
宗教的な信念、信仰の間、
順応に、
無秩序があるにちがいない。
無秩序の主要な原因の一つは、
私たちがみんな、個人であるとの この概念、この幻影です。
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16:17
私たちが以前の講話で、 言いましたように、
あなたは、問い、 疑わなければなりません -
語り手が言っていることを、疑い、
彼が言っていることを、問う。
誰から何をも受け入れないで、問う。
抵抗するのではなく、究明する。
言われつつあることが、 真実だろうが、虚偽だろうが
私たちは単に、それに抵抗するだけなら、
私たちの会話は、終わりになります。
二人の人々が、自分たちの問題について、
ともに話し合っているのなら、
自らは抵抗しているのなら、
そのとき会話は、終わります。
しかし、彼らのどちらも、 互いに説得し合っていなくて、
互いに情報を知らせ合っていなくて、
互いに感化しようとしていなくて、
ともに、友好的に - なぜなら、彼らは友人であるからです -
この問いに、入ろうとしています。
私たちが、この幻影 - 私たちはみんな、 分離した個人であるということ - の中に、
生きているのかどうか、です。
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17:46
共産主義の理論は、
あなたたちのほとんどが、おそらく すでに知っているように、
私たちは、環境の連続の
結果である、ということです。
だから、環境を変化させろ。
すると、人間たちは、変化する、と。
それは、すっかり不条理です。
なぜなら、それは、示されてきたからです。
ロシアの全体主義は、
とても明らかに、指し示してきたのです -
わずかな人たちの権勢が、人々に信じ込ませ、
人々の思考を制御する、などなど、ですが、
それは、望まれたような、個人性の終わりを、 もたらしていないのです。
反対です。
18:36
で、私たちはともに、 見出そうとしています。
なぜなら、私たちが言いましたように、
それは、私たちの生における、無秩序の 主要な原因の一つであるからです。
各々が、自分は自由であると、考えます。
各々が、自分の充足、自分の欲望、
自分の野心、自分の私的な楽しみを
考えています。
私たちはともに、見出そうとしています - それは、事実であるのか、
または、長く確立された 体裁のいい幻影であるのかを、です。
私たちはともに、これに入っていいですか。
ともに、です。
受け入れるのでも、拒否するのでもない。
「私はあなたに同意します」とか、「あなたに 同意しません」とか言うことは、愚かです。
なぜなら、あなたは、日の出や日の入りに、 同意や不同意をしないからです。
19:58
それは事実です。
あなたはけっして、「私はあなたに同意します。
日は東から昇ります」と、言いません。
で、おそらく、あなたは、 同意と不同意の感覚を
脇に置けるでしょうし、
ともに、
気をつけて、何の偏見や抵抗もなく、
探究できるでしょう -
実際に、個人性があるのか、
何か全然違ったものが、 あるのかを、です。
いいですか?
ソックスを引き上げて(気を引き締めて)、
ともに話し合いましょう。
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20:57
私たちの意識は、
百万年以上の結果であったのです。
私たちの意識は、
動物的欲望の、原始的な本質すべてを、
収容しています。
なぜなら、私たちは、動物より、 自然より、来ているからです。
で、私たちの意識の奥深くにおいて、
さらに深く、 動物たちの応答と恐れと、
安全への欲望が、あることが、
見つかるでしょう。
それは、私たちの意識の部分です。
ですね?
また、私たちの意識は、
無数の信念、信条、 反応と行為(反作用と作用)
すべてを、収容しています。
私たちの意識は、
恐れ、楽しみ、様々な記憶、
悲しみと、 完全な安全を所有するために、
何かを探求することです。
22:45
それが、私たちなるものすべてです。
あなたは、自分の一部は神聖であると、 考えるかもしれません。
それもまた、あなたの考えることの一部です。
で、それら意識は、各々であると、 私たちは考えます -
それは、私たちの一人一人に、 所属している、と。
ですね?
宗教は、あなたたちは、分離した魂である、と 主張してきました -
キリスト教とヒンドゥー教と、
様々な他の形の宗教的活動の中で、です。
今、私たちは、それの全体を、 問うています。
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23:34
あなたは、残りの人間たちの悲しみを、 分かち合っていませんか。
世界中の人間すべては、
様々な形の恐れ、
様々な形の楽しみを、持っています。
あなたが苦しむように、 彼らは、苦しみます。
彼らはほしがる。
彼らは祈る。
あなたがそうするように、彼らは、 あらゆる種類の不条理な儀式を、します。
儀式をとおして、刺激を 探し求めます - 感受を、です。
あなたがそうするように、です。
で、私たちは、人類すべての
意識を、分かち合っています。
で、あなたは、全人類です。
ですね?
初めにそれを、 論理的に見てください。
論理的に、この地上のあらゆる人間は、
宗教、信念などが何であれ、
彼らは苦しみます。
この地上の、あらゆる人間は、苦しみます
- 深くか、表面的にか、です。
苦しみを回避する、などです。
私たちは、今すぐ、それに入るでしょう。
25:28
この意識を、私たちは、 私のだ、個人的意識だと
考えてきましたが、 それは、事実ではありません。
なぜなら、私たちが指摘したように、
このすばらしい、美しい地上に 生きている、あらゆる人間は
- 私たちは、その大地を 気をつけて、破壊しつつあります -
私たちはみんな、一つです。
なぜなら、私たちはみんな、同じ問題、
同じ痛み、心配、さびしさ、憂鬱、
涙、笑い、矛盾、葛藤を、
経ていくからです -
男と女、夫と妻の間で、です。
(ソヴィエト・
)ロシアですら、 これが、つづいています。
で、あなたたちは、自らの意識において、
個々人ですか。
なぜなら、それが、あなたなるもので あるからです - あなたの意識が、です。
あなたが、何を考えようと、 あなたが、何を想像しようと、
あなたの傾向、適性、才能、
素質、能力が、何であろうとも、
それは、他の人間すべてが、 分かち合っています
- まさしくあなたのような、 あなたと同様な人たちが、です。
27:07
これは、論理的な事実です。
論理は、一定の所を、持っています。
自らは、明らかに、論理的に、合理的に、 健全に考えなければなりませんが、
それは、思考に基づいています。
自らが、どれほど論理的であろうとも、
思考は制限されています。
私たちが幾度も、それに 入ったように、です。
私たちは今晩、それに 入らないでしょう。
思考は、合理的になるが、それは 制限されている、ということ、です。
で、自らは、思考を乗り越え、
理性の制限の必然性を、
乗り越えなければなりません。
それは、論理的です。
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28:10
それで、あなたは、全人類です。
理解されますか。
あなたは、個人ではないのです。
あなたは、その発言を聞くのか -
すなわち、あなたは全人類である、と。
あなたは人類です。
インド人と、分割のゴミすべてではない。
あなたが、その種の発言を、聞くとき
- あなたは全人類である、と -
あなたはそれを、抽象化しますか。
すなわち、事実から、観念を 作るか、もたらしますか。
理解されますか。
事実は、一つのことです。
事実についての観念は、 別のことです。
ビャン?
(いいですか)
これは明らかですか。
事実 -
すなわち、私たちが、自らは個々人であると、 考えてきた、ということ、です。
私たちの宗教、私たちの日常生活、
私たちの条件づけは、私たちに、 自らは個々人であると、信じさせてきました。
29:45
語り手のような誰かが、やってきて、
「気をつけて見てください。
そうなのですか」と言います。
初めに私たちは、それに抵抗します。
私たちは、 「あなたは何について話しているのか」と言います。
初めに私たちは、それを押しのけます。
しかし、あなたが気をつけて聞くなら、
私たち、二人の友だちが、互いに 聞いているように、です。
そのときあなたは、自らが全人類であるとの この発言が、聞こえます。
あなたはどのように、その発言が 聞こえますか - その響きが、です。
あなたは、その発言の中から、 事実を離れて、
観念を作り、そして、 観念を追求しますか。
あなたがこれらに、付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
これらに、付いてきているのかどうか、 誰かが私に言ってくださいますか。
理解されますか。
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30:59
言葉は、そのものではない。ですね? 私たちは、それに入りました。
マイクロフォン - 「マイクロフォン」という言葉は、
語り手の前の、実際の そのものではない。
ですね?
で、あなたは聞きます - すなわち、 自分は全人類・
・・あなたはそうです。
なぜなら、あなたは、あなたの意識であるからです - その反応と行為すべてとともに、です。
その意識は、人類すべてが、 分かち合っています。
なぜなら、あらゆる人間は、
絶望、さびしさ、悲しみ、痛みを、 経ていくからです -
あなたが、そうなるように、です。
で、あなたは、全人類です。
さて、あなたは、その発言を どのように、聞きますか。
あなたは、それを拒絶しますか。
または、それを検討しますか。
あなたは、その問い、その発言を、 究明しますか。
または、単に、「何て戯言だ」と 言うだけですか。
あなたは、何をしていますか。
明日ではなく、今、です。
それへのあなたの反応は、何ですか。
なぜなら、これは、 とても深刻な発言であるからです -
あなたは全人類である、 ということは、です。
32:49
あなたは、その深さ、その響き、
その美しさ、その無量性を、
聞くのか -
そのものすごい責任とともに、です。
あるいは、あなたはそれを、 表面的、言語的に、取り扱い、
「ええ、私はそれを、知的に理解します」 と言う。
しかし、知的な了解は、ほとんど 意味が、ありません。
それは、自らの血に、自らの腸に、 なければなりません。
その中から、
違った頭脳の性質が、出てきます -
断片的ではなく、全包括的なものが、です。
無秩序を創り出すのは、断片です。
個々人として私たちは、人間意識を、 断片化させてきました。
ゆえに、私たちは、無秩序の中に、 生きます。
あなたが、これらを理解されるのかと、 思われます。
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34:07
あなたが、自分は全人類であることを、 悟られるとき、
それが、愛なるものなのです。
あなたは、他の一人を、 殺さないでしょう。
あなたは、他の一人を、 害さないでしょう。
あなたは、すべての攻撃、暴力と、
宗教の残忍さより、動いて、離れます。
で、私たちの意識は、分かち合われ、 人類すべてと一つです。
あなたは、それの美しさ、 それの無量性が、見えません。
あなたは、自分の古い様式へ、 戻っていくでしょう -
自分たちはみんな、 個々人であると考えて、
戦い、闘争し、競争好きで、
各々が、自分のいまいましい 小さな自己を、充足したくて、です。
よろしいですね?
で、あなたにとって、それは、 何をも、意味していません。
なぜなら、あなたは、自分の古い生の道へ、 戻ろうとしているからです。
で、これらを聞かないほうが、はるかに良い。
あなたが、真理を聞き、 それに則って行為しないなら、
それは、毒として作用します。
これを理解されますか。
そういうわけで、私たちの生は、 見かけ倒しで、表面的であるのです。
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35:59
私たちはまた、ともに 話し合わなければなりません -
なぜ人は、何千年に何千年もの間、
無秩序とともに、生きてきただけではなく、
また、なぜ人は永続的に、楽しみを 探し求めているかを、です。
所有での楽しみ、
達成での楽しみ、
権力での楽しみ、
地位、象徴を持つ楽しみ。
性的な楽しみだけではない。
その楽しみは、維持されます - 常にセックスについて考えること、
想像すること、映像化すること、 イメージ作りをすることによって、です。
すなわち、思考が、楽しみを与えます。
感受は、楽しみへ変えられます。
これらに、付いてきて おられるのかと、思われます。
で、私たちは、楽しみとは何かを、 理解しなければなりません -
37:22
なぜ、私たちは楽しみを、 探し求めるのかを、です。
私たちは、それは正しいとか、 間違っているとか、言っていません。
私たちは、楽しみを非難していません -
私たちは、欲望を 非難していないように、です。
欲望は、楽しみの一部です。
欲望の充足が、
楽しみの本性です。
で、私たちはともに、 楽しみの本性だけではなく、
欲望とは何かについてもまた、 話し合うべきです。
欲望が、無秩序の原因なのかもしれません
- 各々が、充足したい、
自分の特定の欲望を、達成したい。
これらを理解されますか。
私たちはともに、旅を行っていますか。
または、語り手は、自分自身に 話しつづけているか、
自分一人で歩んでいますか。
38:36
これは集会だと思われています。
集会は、深刻な事柄に、
真剣な関心を持つ人々の集会、 という意味です -
娯楽に、ではなく、
知的な得に、ではなく、
私たちは、私たちの生に、 関心を持っています
- 私たちの日常的な、単調な、退屈な生
些細な生、見かけ倒しの生に、です。
で、どうぞ、私たちはともに、 究明しようとしています -
欲望が、無秩序の主要な原因の 一つであるのかどうか、そして、
無秩序は・
・・すみません。 欲望は、その充足において、
その達成において、どの方向でも、
楽しみを与え、満悦させます。
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39:53
で、私たちはともに、欲望とは何かを、
究明し、探検すべきです。
それを非難するのではなく、
それより逃避するのではなく、
それを抑圧しようとするのではない
- ほとんどの宗教が、「欲望を抑圧しろ」と 言ってきたように、です。
それは、不条理です。
で、私たちは、それを見つめましょう。
欲望とは何ですか。
あなたが、その問いを、 欲望とは何かを、自分自身にするとき、
たぶん、私たちのほとんどは、
それについて、まったく 考えたことがなかったのです。
私たちはそれを、生の道として、 受け入れてきました -
男や女の自然な本能として、です。
私たちは、「なぜそれについて 思い悩むのか」と言います。
いわゆる、世間を 放棄してきた人々以外は、です
- 彼らは、けっして そうしたことが、ありません -
そして、僧院、修道院、
組織化された僧院などに、入る人たち、です。
そこで彼らは、自らの欲望を、 昇華させようとします -
象徴や人物などの崇拝において、です。
41:20
で、私たちはそれを、非難していないことを、 どうぞ、心に留めてください。
私たちはともに、欲望とは何かを、 見出そうとしています。
なぜ人は、百万年の間、ずっと
物理的に、生物学的にだけではなく、
心理的にもまた、欲望の罠に、 欲望のネットワークに、
捕らわれてきたのか、です。
いいですか?
あなたは、語り手とともに、 究明するのでしょうか。
または、語り手が究明したり、探検したり、 説明したりする間、
ただ、語り手に聞くだけですか。
あなたは、説明に、叙述に 捕らわれることが、
いかにたやすいのかを、ご存じですね。
私たちは、注釈、叙述、説明に、
満足します。
42:35
しかし、私たちは ここで、それをしていません。
私たちは、説明しなくてはいけません。
叙述しなくてはいけません。
私たちは、指摘して、それを 言葉の枠組みに、入れなくてはいけません。
しかし、欲望は、理解するには、 最も複雑なことの一つです
- 知的にではなく、深遠に、です。
で、私たちは、見出そうとしています - いいですね?
- ともに、です。
欲望とは何ですか。
私のほうを、見ないでください。
私は、説明するでしょう。
私は、それに入るでしょう。 ですが、あなたもまたそれに、入らなくてはいけません
- ただ、「はい、同意します」とか 「同意しません」とか言うだけではなくて、です。
それは、バカげています。
欲望の本性を、見出す -
構築を、
欲望がいかに組み立てられているか、
欲望の起源、欲望の始まりが、
何なのかを、です。
43:50
この地上のあらゆる動物は、 欲望を持っています。
あらゆる人間は、この欲望の ネットワークに、捕らわれていますし、
自らの欲望が充足されないとき、 不幸せに感じます。
それら欲望が充足されないとき -
それら欲望が、イデオロギー的であれ、
宗教的であれ、プラトン的であれ、
単に物理的であれ、
欲望の起源、始まりは、何ですか。
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44:48
語り手は、分析しないで、
叙述するでしょう。
分析と知覚との間には、違いがあります。
分析は、分析者と、分析されるものとを、 含意しています。
ですね?
分析者と、彼が 分析しようとしているもの、です -
それは、分析者が、分析されるものより、 違っている、という意味です。
それらは違っていますか。
仮に、私は分析者であり、 私は妬んでいる、とします。
私は、なぜ自分が妬んでいるかを、 分析しはじめます -
まるで、私は妬みより 違っているかのように、です。
しかし、妬みは私です。
ですね?
妬みは、私より分離していません。
46:02
貪欲、競争、比較、
そのすべてが、私です。
で、私たちは、分析していません。
私たちは、見ています。
聞こえています。
そして、学ぶ過程です。
学ぶことは、単に、記憶を 蓄積することだけではありません -
それは必要ですが、
学ぶのは、何か全然 違ったことなのです。
それは、蓄積的な過程ではありません。
あなたは、動いています。
けっして記録していなくて、新鮮です
- 私は今、それに入らないでしょう。
それは、私たちを、すっかり 違った方向へ、連れて行きます。
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46:56
で、ともに私たちは、欲望とは 何なのかを、観察しています -
欲望の起源は、何なのか、
なぜ人間たちは、果てしなく それに捕らわれているのかを、です。
あなたは、少しお金を持っているなら、 もっと多くお金がほしい。
あなたは、小さな権力を持っているなら、 もっと多く権力がほしい。
ですね?
どの形でも権力は
- あなたが、自分の妻や子どもに対して、 権力を持っているのでも、
政治的に、宗教的にも、 忌まわしいものなのです。
それは邪悪です。
なぜなら、それは、真理と 何の関わりも、ないからです。
私たちはそれに、入るでしょう。
で、欲望の起源は、何ですか。
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48:04
私たちは、感受により生きます。
もしも、感受がなかったなら
- 生物学的にも、心理的にも、です -
私たちは、死んだ人間でしょう。
ですね?
私たちは、感受により生きます。
あのカラスが、鳴いている -
あれは、耳の鼓膜、神経に 作用しています。
そして、その物音を、 カラスの声として、翻訳する。
それは、感受です。
聞こえることや見えること、それから 接触により、感受は、もたらされます。
ですね?
私は、これらすべてのバカげたことを、 説明しなければなりませんか。
あなたは、すてきな庭園を見ます - 美しく保たれています。
緑は豊かで、完璧です。
そこには、雑草がありません。
その芝生は、四百年間、 保たれてきました。
それは、見守るには、見るには、 麗しいものです。
そのとき、見える。
そのとき、あなたは敏感であるなら、 行って、芝生に触れます。
49:47
その接触 -
見える、接触、そのとき、感受。
ですね?
これに付いてきておられますか。
見える - 麗しい庭、
すてきな車、すてきな樹や、
美しい男や女が、です。
見える、接触、そのとき、感受です。
私たちは、感受により生きます。
それは必要です。
あなたは、敏感でないのなら、
あなたは、鈍いなら、半ば死んでいます
- 私たちのほとんどが、 そうであるように、です。
で、感受 - そのとき、何が起きますか。
とても単純な例を、 取ってみてください。
あなたは店に、すてきなサリーや、 シャツが、見えます。
あなたは、それを見る。
内側へ入ってゆき、 それに触れる。ですね?
そのとき、それに触れる感受。
あなたは、「おやまあ、 あれは何と麗しい素材なのか」と言う。
そのとき、何が起きますか。
理解されますか。
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51:17
見えること、接触、感受が、ある。
そのとき、その後、何が起きますか。
あなたは、私があなたへ語るのを、 待っていますか。
そうね、どうぞ、これを聞いてください。
あなたは、他の一人から語られるのではなく、 自分自身で、これが見えるなら、
そのときあなたは、 教師と学徒になるのです。
ああ、これらを理解してください - 愚かなみなさん。
しかし、あなたが、誰かが言ってきたことを 反復し、反復し、反復するなら
- 語り手のそれを、含めて、です -
そのときあなたは、凡庸に、無思慮に、
反復的に留まります。
で、それに入りましょう。
見えること、接触、感受が、ある。
あのすてきな車が、見える。
ヨーロッパの最新の車の一つです - ここの、ではない。
インドには、美しい車は、ありません。 海外より輸入されたもの以外は、です。
52:44
あなたは、美しい車を、見ます。
あなたは、つやに触れます -
その形、そのきめに、です。
そのとき、その中から、感受がある。
そのとき、思考が来て、
「もしも私が、あれを得たなら、何と すてきだろうか」と言う。
「もしも私が、それに乗り込み、走り去った なら、何とすてきだろうか」と。
ですね?
で、何が、起きてきましたか。
思考は、感受に、形を与えてきました。
ですね?
これに付いてきておられますか。
思考は、感受に対して、 イメージを与えてきました -
あなたがその車に座り、 走り去るとの(イメージ)、です。
思考が、あなたが車に座っている イメージを、創り出すその瞬間に、
その秒に、欲望が生まれます。
いいですか?
あなたは、これを理解しましたか。
理解できますか。
思考が感受に形を与えるとき、 感受にイメージを、与えるとき、
欲望は、生まれます。
54:18
さて、問いはこうです -
感受は、存在の道です。
それは、存在の一部です -
敏感であることは、です。
私たちは、欲望を抑圧したり、 征服したり、ともに生きることを、
学んできました - その問題すべてとともに、です。
さて、これを、知的にではなく、 実際に理解するなら -
すなわち、思考は、イメージを とおして、形を与えるが、
その秒に、欲望が、 欲望の起源が、そこにあるのです。
そのとき、問いが生じます -
車を見る - それは感受です - それに触れるが、
思考に、イメージを 創り出させないことは、可能ですか。
それで、隔たりを保つのです。
理解されますか。
これを理解されますか。
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55:43
この問いにおいてもまた、 見出さなければなりませんね -
修練とは何ですか。
この国は、世界で 最も修練されていない国です。
世界の地方です。
あなたたちは、 いたる所に、唾を吐く。
あなたたちは、だらしない。
修練 - 修練とは何ですか。
なぜなら、それは、欲望に 関係しているからです。
で、修練について、話しましょう。
私たちは後で、欲望へ、 戻ってくるでしょう。
欲望(デザイア)という言葉は - すみません。
修練(ディシプリン)は、学徒 (ディサイプル)という言葉から、来ます。
その言葉の起源、語源的な意味は、
「学んでいる人」です。
自らの師匠より学んでいる学徒、です。
学んでいる。
順応しているのではなく、
制御しているのではなく、
抑圧したり、従ったり、
服従したりではない。
反対です。
観察から学んでいる。
57:24
すなわち、あなたは、 欲望が何かを、学んでいます。
それについて、学んでいる - それは、 それについて記憶することではない。
で、私たちのほとんどは、訓練されます。
特に、あなたが、軍隊にいたり、 それらの事柄にいるなら、
様式に沿って規律をもつよう、 訓練されます
- まねをし、従い、服従するように、です。
あなたたちがみんな、何を しているのかを、見てください。
それが、修練と呼ばれます。
修練が、秩序をもたらすだろうと、 望んで、です。
しかし、学ぶなら、学んでいるなら、
- それが、その言葉の根本の意味です -
そのとき、まさにその学ぶことこそが、 それ自体の秩序になります。
あなたは、法律や他の何かにより 課された秩序を、持ちません。
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58:41
で、思考が、感受にイメージを 与えることにより、
それに形を与えるところ、
まさにその秒に、欲望が生まれます。
そして、学ぶ、見出すのです -
感受に、花開くのを許し、
思考を、それに介入させないことが、
可能なのかどうか。
分割を保つことが
- 私は、「分割」という言葉を、 使わないでしょう -
それらを、別けておくことが、 可能か、です。
あなたは、そうするのでしょうか。
あなたはできません。
あなたは、これらすべての ことを、一度もしたことが、ありません。
そのときあなたは、 欲望は、自らの正しい所を
持つことを、見出すでしょう。
あなたが、欲望の本性を理解するとき、
それについて、葛藤は何もないのです。
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59:58
私たちはまた、ともに話し合うべきです
- 愛と悲しみと死は、何なのか、です。
進みましょうか。
あなたは、語り手に、 進んでほしいですか。
確かですか。
知っています。
もちろん、あなたたちは、 誰かが話すのを、聞くのが好きなのです。
どうぞ、これはあまりに深刻です - これらは、です。
それは、あなたの日常生活に、影響します。
それは、何か、あなたが 知的に玩ぶことではない。
それは、あなたの生に関連します -
他の誰かの生に、ではなくて、です。
あなたの生きる道に、です。
これらすべての百万年の後、
私たちの生が何であるかを、 見てください -
いかに空っぽで、浅く、
いかに暴力的で、残忍で、無配慮、 無思慮、その他すべてであるかを、です。
それを見てください。
これらは、世界に荒廃を、 創り出してきました。
1:01:56
あなたたちはみんな、 高い地位を、ほしがります。
何かを達成したい、
何かになりたいのです。
これらを見つめると、
大きな悲しみが、あるのでしょう。
世界のあらゆる人間は、
高い所にいても、ただの無知な村人でも、
彼は、大きな悲しみを、経てゆきます。
彼は、悲しみの本性と美しさと強さを、
認識しないかもしれません。
ですが、彼は、痛みを経てゆきます。
あなたがそうするように、です。
人類は、百万年の間、 悲しみを経てきました。
彼らは、その問題を 解決したことが、ありません。
彼らは、それより逃避したいのです。
彼らは、それを組織したいのです。
そして、愛と死に対する、 悲しみの関係とは、何ですか。
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1:03:42
悲しみに、終わりはありえますか。
これは、人類が百万年の間、訊ねてきた
問いの一つだったのです。
すべての痛み、心配に、悲しみの嘆きに、
終わりが、ありますか。
悲しみは、あなた自身の特定の 悲しみだけではない。
人類の悲しみが、あるのです。
歴史的に言って、 五千年の戦争が、ありました。
毎年、それは、誰かが他の誰かを殺す、と いう意味です -
自分の部族のため、
自分の宗教のため、
自分の民族、国家のため、 自分の共同体のため、
自分個人の保護などなどのために、です。
1:05:03
あなたは、戦争が何をしてきたかを、 悟ったことがありますか。
あなたたちは、 イスラム教徒と戦っています
- パキスタン人とヒンドゥー教徒、です。
あなたたちは、 荒廃を創り出してきた戦争という、
問いに、入ったことがありますか。
何百万人が、泣いてきたのか、
何百万人が、負傷してきたのか、
腕もなく、脚もなく、目もなく、
顔さえもない。
みなさんは、これらについて、 何も知りません。
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1:05:58
で、悲しみと、その中での痛みすべてに、 終わりが、ありますか。
そして、悲しみとは何ですか。
あなたは、悲しみを知りませんか。
知りませんか。
あなたは、それを認知するのが、 恥ずかしいですか。
あなたの息子、娘と、
自分が愛していると考える誰か -
彼らが取り去られるとき、 あなたは、涙を流しませんか。
あなたは、ひどくさびしく感じませんか。
あなたは仲間を、永久に 失ってしまいました。
私たちは、死について、 議論していません -
この無量のことについて、です - 人が経てゆき、
けっしてそれへの解決、答えを 持っていないこと、です。
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1:07:26
悲しみを終わらせることなしには、 愛はありません。
悲しみは、私たちの 自己利益の一部です。
私たちの自我本位の、 自己中心的な活動、
利己の一部です。
私は、もう一人のために、泣きます -
自分の息子、兄弟、母のために、です。
なぜですか。
なぜなら、私は、何か自分が 執着しているものを、失ってしまった、
何か自分に仲間付き合い、慰め、 その他すべてを、与えてくれたものを、
失ってしまったからです。
その人物のその終わりでもって、
私は、自分の生が、いかに まったく空っぽなのかとか、
自分の生が、いかに さびしいのかを、悟ります。
そのとき私は、泣きます。
すぐに私を慰めようとする人々が、 何千、何万といます。
私は、きわめて安易に、 そのネットワークの中へ、
その慰めの罠の中へ、滑り込みます。
神の慰めが、あります -
すなわち、思考により 組み立てられたイメージです。
または、何か幻影上の概念、 観念の慰めです。
ですが、それは私に、慰めを与えてくれるし、 それが、私が気づかうすべてです。
1:09:14
しかし、私は、慰めへの まさしく衝動、欲望を、
けっして問いません -
そもそも、慰めがあるのか どうかを、です。
快適なベッドは、必要です。
それは、だいじょうぶです。
すてきな安楽な椅子も、です。
しかし、慰めへの衝動、欲求 -
私たちは、そもそも慰めがあるのか どうかを、けっして問いません
- 心理的、内的に、です。
またはそれは、私たちの真理に なってしまった幻影ですか。
理解されますか。
幻影は、私たちの真理になりえます。
あなたがこれらを理解されるのかと、 思われます。
神がおられる、神があるとの幻影 -
その神は、思考により、恐れにより、 創り出されてきたのです。
もしもあなたが、恐れを 持たなかったなら、神はありません。
しかし、神は、人により 創案されてきたのです -
恐れをとおし、 さびしさをとおし、絶望をとおし、
この永久の慰めがほしくて、です。
1:10:55
で、私たちは、そもそも慰めがあるのか どうかを、けっして問いません -
すなわち、深い、 長続きする満足が、です。
なぜなら、私たちはみんな、 満足したいからです -
自分たちが食べる食物に、 だけではない。
性的に満足する。
何か権威の地位を達成すること、
ゆえにその地位に、その状態に、 慰めを持つことにより、満足する。
これらをご存じないですか。
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1:11:45
で、そもそも慰めが、あるのか どうかを、訊ねましょう -
私たちが生まれた瞬間から死ぬまで、
満悦できて、満足できるだろうものが、 何かあるのかどうか、です。
私に聞かないで、見出してください。
見出すように、あなたのエネルギー、
あなたの思考、あなたの血、 あなたの心を、注いでください。
何も幻影がないなら、 何か慰めがありますか。
何も恐れがないなら、 あなたは慰めをほしいですか。
慰めは、もう一つの形の楽しみです。
で、これは、私たちの生の とても複雑な問題です -
なぜ私たちは、こんなに 浅く、空っぽであり、
他の人々の知識により、書物により
満たされているのか。
なぜ私たちは、依存なき、 見出せる自由な人間でないのか。
なぜ私たちは奴隷なのか。
これは、修辞的な問いではありません。
これは、私たちの一人一人が、 訊ねなければならない問いです。
まさに訊ねて、疑う中で、
自由が来るのです。
そして、自由なしには、
真理の感覚は、ありません。
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で、私たちは、明日の午後、 死の問いを継続し、
おそらく、この悲しみの問いに 入るでしょう -
宗教的な生とは何か、
宗教とは何か、
そして、何か全的に神聖な、聖なるもの、 思考により
何も創案されていないものが、 あるのか。
私たちは明日、それに入るでしょう。
語り手が、明日来るよう、あなたを 招待している、ということではない。
あなたが来ても、来なくても、 彼は、ちっとも気にしません。
それは、あなたの生なのです。
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