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ボームとシャインバーグとの議論、第7回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月20日

0:11 クリシュナムルティ(K): 今朝(の対話)の後、 部外者として、あなたは 私を、完全に 空っぽにしてしまいました - 完全に、何の未来もなく、過去もなく、 イメージもなく、です。 で、私はどこに、いますか。
0:42 S: そうです。今朝、私たちを 見ていた誰かが、言いました。 または、このあたりの人々の 一人が、言いました - 「朝に私は、どうやって、 ベッドから出るんだろうか」と。
0:50 B: ああ、そうです。
0:53 K: いいえ。私は、それは相当に たやすいと、思います。 朝にベッドから出るという 問題は、相当に単純です。 なぜなら、私は起き上がり、色々と しなくてはいけないからです。 生は、私が行為することを、要求します - 余生の間、ベッドにいるだけでなくて、です。 私は、これらを 視聴している部外者、 これらを聞いている者として、「空白の壁」の 感覚とともに、取り残されています。 「あなたが言ってきたことを、 私は理解します」という感覚 - なぜなら、それは私へ、 きわめて明らかにされたからです。 私は一瞥で、体系すべて、 導師すべてを、 拒絶してしまいました。 禅仏教、この仏教、この冥想、 あの冥想などを、です。 1:51 私はそれらを捨て去りました。 なぜなら、私は、 冥想者が冥想であることを、 理解したからです。 でも私は、まだ・ ・・ 感じます・・・ 私は、自分の悲しみの問題を、 解決したのでしょうか。 私は、愛するとはどういう 意味かを、知っていますか。 私は、慈悲とは何かを、 理解しますか。 生きる - 理解するのではない・ ・・ 知的に私は、たくさんの言葉を、 紡げますが、 このすべて これら対話の後、 みなさんと議論し、 みなさんに聞いた後、 私は、この驚異的なエネルギー、すなわち 慈悲の、感覚を、持っていますか。 私の悲しみの終わり、です。 私は、誰かを愛するとは、 人間たちを愛するとは、 どういう意味かを、知っていますか。
2:45 S: 実際に愛する。
2:46 K: 実際に、実際に、です。 S: それについて、話をするのではない。
2:47 K: ええ、ええ。私は、 それらを越えてきました。
2:48 あなたはまだ私に、死とは何かを、 示していません。
2:59 B: ええ。
3:01 K: 私は、死について、 何一つ、理解していません。 あなたは、それについて、 私へ話をしていません。 で、私たちは今晩、終了する前に、 扱うべき、これらのことが、ある - 扱うべき、たくさんの地面です。
3:17 B: いいです。私たちは、 死の問いについて、始められるでしょうか。
3:20 K: ええ。死について、始めましょう。
3:24 B: 一つの点が、私に浮かんできました。 私たちは、午前に議論しましたが、 観察者が観察されるものであると 見える点に来た、 そのとき、本質的に、 それは死である、というのが、 あなたが言われたことです。ですね?
3:37 K: ええ。
3:37 B: さて、これは疑問を生じさせます。 もし自己がイメージでしか ないのなら - ですね? - そのとき、死ぬのは何なのか。 イメージが死ぬなら、それは何でもない。 ですね? それは死ではない。
3:51 K: ええ、そのとおりです。
3:52 B: で、何か死ぬ、 実在のものが、ありますか。
3:55 K: 生物学的な死が、あります。
3:57 B: 私たちは、当面、それについて 議論していません。
3:59 K: ええ。
4:00 B: あなたは、或る種の死について、 議論していました。
4:03 K: 私たちが今朝、話をしていたとき、 私は指摘しようとしていました - まったくイメージがないなら、 私の意識に、多様なイメージがないなら、 私は死んでいる、死がある!と。
4:18 B: それが、明らかでない点です。 死んだのは、何ですか。 死は、何かが死んだ、 という意味合いです。
4:23 K: 死んだ?イメージが死にました。 「私」が死んでいます。
4:26 B: でも、その何かは・・・ それは、真正の死でしょうか。
4:29 K: ああ、それが、私が 入りたいことです。もちろんです。 それは、言語的な了解でしょうか。
4:37 B: ええ。または、もっと深く、何か 死ななくてはいけないものが、ありますか。 何か実在物か、と私は言おうとしています。
4:41 S: 何か物が?
4:43 B: 言い換えると、有機組織が死ぬなら、 私はそれが、或る点まで、分かります。 何か実在物が、死んだのです。
4:49 K: ええ、何か実在物が、死んだのです。
4:51 B: でも、自己が死ぬとき・・・
4:53 K: ああ、でも、私はこれまで、 受け入れてきました・・・ 自己は、驚くほど実在物だったのです。
4:59 B: ええ。
5:01 K: あなたたちがやってくる。 あなたたち三人がやってきて、 そのイメージは虚構である、と私に語ります。 私はそれを理解します。 私は少し怯えています - それが死ぬとき、イメージがないとき ・・・よろしいですか・・・ 何かに終わりが、あります。
5:25 B: ええ。でも、終わるのは、何ですか。
5:28 K: ああ、全くです! 終わるのは、何ですか。
5:34 B: なぜなら、終わるのは、 何か実在物ですか。 または、イメージが終わるのは、 まったく終わりではない、と 言えるのでしょうか。いいですか?
5:39 K: まったくそうでない。何ですか?
5:42 B: 終わるのがイメージだけなら、 それは、終わることのイメージです。 私は言おうとしています - それが イメージだけなら、大したものは終わらない、と。
5:48 K: ええ、それが、私が 取りかかりたいことです。
5:50 B: 私がいう意味が、分かりますか。
5:52 K: それが単に、イメージが 終わることであるなら・・・
5:55 S: そのとき、何も大したことはない。 K: 何もない。
5:56 B: ええ。それは、テレビを 消すのに似ています。
5:57 K: ええ。それで、私には何も残りません。
5:59 S: それは、死とは何かですか。
6:04 B: それは、死とは何かですか。
6:06 または、死ぬのは、 もっと深い何かですか。 K: ああ、はるかに深いです。
6:10 B: もっと深い何かが、死ぬ。
6:11 K: ええ。
6:12 S: イメージ作りの 過程については、どうですか。
6:13 K: いえ、いえ。
6:17 それは、イメージの終わり、 すなわち死、ではなく、 それよりはるかに深い何かだ、と 私は言うでしょうね。
6:29 B: でも、それはやはり、 有機組織の死ではない。
6:31 K: やはり、有機組織の死ではない。 もちろんです。有機組織は・・・
6:35 B: 或る点まで、つづくでしょう。
6:37 K: ええ、或る点まで。 病気に罹る、 事故、老齢や老衰などまで、です。 しかし、死は・ ・・ それは、イメージが 終わることですか - それは、相当に単純だし、 相当に、そうね、受け入れやすいし、 通常ですが・ ・・ K: ・ ・・論理的に、または、実際にも。 でも、そうね、それは、 とても浅い水溜まりに、似ています。 わずかな水を 取り去ってしまうと、後には、 泥しか残されていない。 何もない。 で、何かはるかに大きなものが、ありますか。
7:27 S: 死ぬものですか?
7:30 K: いえ。 死ぬものではなく、死の意味です。
7:39 S: 死ぬイメージより、 何かもっと、あるのか。 または、イメージの死を越えて、 死には、意味があるのか。
7:50 K: もちろんです。それが、 私たちが訊ねていることです。
7:52 S: それが問いです。 死について、イメージの死より 何か大きなものが、ありますか。
7:56 K: 明白です。あるにちがいない。
7:59 B: これは、有機組織の死を、 含むのでしょうか。
8:02 K: ええ。有機組織の死は・・・ つづくかも・・・ いや、有機組織は、つづく かもしれない、ということですが、 最終的に、終わりになる。
8:09 B: でも、もしも私たちは、 死が何を意味するかが、普遍的に、 全体として、見えたのであれば、 そのときまた、有機組織の死が 何を意味するかも、見えるでしょう。
8:18 K: ええ。
8:19 B: でも、自己イメージの死にも、また 何か意味がありますか。 同じ意味ですか。
8:25 K: それはただ、とても小さな部分だ、 と私は言うでしょう。
8:29 B: それは、とても小さい。 S: そうです。
8:29 K: それは、きわめて小さな部分です。
8:30 B: でも、そのとき、こう 考えられるかもしれません -
8:32 自己イメージの死が、あるかもしれない。 そのとき、自己イメージを越えて、 過程や構造が、あるかもしれない - 死ぬかもしれず、 自己イメージを 創り出すものが、です。
8:45 K: ええ、それは思考です。
8:46 B: それは思考です。あなたは、 思考の死について、議論していますか。
8:49 K: ええ、それもただ、またもや表面的です。
8:52 B: それは、とても小さい。 K: とても小さい。
8:53 B: 思考自体を越えて、 何か死ぬべきものが、ありますか。
8:54 K: それが、私が取りかかりたいことです。
8:56 S: 私たちは、死の意味に、 取りかかろうとしています。
8:57 B: 私たちは、すっかり 明らかではありません。
8:59 S: ・・・それは、自己、思考や イメージの死を、越えている。
9:01 K: いえ、ただ見てください。イメージは死ぬ。 それは、相当に単純です。
9:04 それは、とても浅い事柄です。 B: ええ。
9:12 K: そのとき、思考が終わることが、ある
9:14 - それは、終わること・・・ 思考へ死ぬことです。
9:18 B: 思考は、イメージより深いが、 やはりさほど深くない、と 仰るんでしょうか。
9:21 K: さほど深くない。それで、
9:24 私たちは、イメージを作る者と、 イメージ自体を、取り除きました。 さて、もっと何かが、あるのでしょうか。
9:34 B: どういう意味で、もっと何か、ですか。 もっと何か、存在するものか、 もっと何か、死ななくてはいけないものか・・・
9:41 S: これは、起きるのは、 何か創造的なことですか。
9:43 K: いえ。私たちは、 見出そうとしています。
9:45 B: でも、あなたが、「もっと何かが、 あるのか」と言われるとき、 質問が明らかでない、 ということです。
9:49 K: ありますか・・・いや。 それは、すべて死ですか。
9:56 B: ああ、分かります。それは、 死であるすべてですか。
9:59 K: ええ。 S: これが死です。
10:00 K: いえ、いえ。私は、イメージを、 イメージを作る者を、理解します。
10:02 でも、それは、とても浅い事柄です。
10:08 S: で、そのとき、他の何かがある。
10:10 K: そのとき私は、「それがすべてですか。 それが、死の意味ですか」と言います。
10:16 S: 私は思うに、あなたと進んでいますが・・・ それが、死の意味ですか - あの小さな部分においてのみ、です。 もっと大きな意味が、ありますか。
10:23 K: 死は、甚大に意義深い何かを、 持っているにちがいない。
10:26 S: そうです。
10:27 B: あなたは、死は意味がある、 と仰っています - あらゆる物事にとって、 生の全体にとって、 意義がある、と。
10:32 K: ええ、生の全体です。そのとおり。
10:33 B: さて、初めに、なぜそう仰るのかを、 仰れるでしょうか。言い換えるなら、 私たちが視聴者について、考えているなら、 死がその種のことであることは、 一般的に受け入れられていません。 言い換えると、今、私たちが 生きるさま。死は・・・
10:45 K: ・・・その終わりにある。
10:47 B: ・・・終わりにある。 それについて、忘れようとする。 それを、目立たぬように しようとする、などです。
10:52 K: でも、あなたは・・・あなたたち三人が、 それに取り組み、指摘してきたように、 私の生は、騒動の中にあったのです。 私の生は、常なる葛藤、抗争、心配、 その他すべてであったのです。
11:07 S: そうです。
11:09 K: それが、私の生でした。 私は、知られたものへ、縋りついてきました。 ゆえに、死は、知られていないものです。 で、私は、それを恐れています。 あなたか、私たちがやってきて、 「ごらん。 死は部分的に、イメージや、 イメージの作り手が、終わることです。 死は、単にこれより、空っぽの皿より、 はるかに大きな意義を、 持っているにちがいない」と言う。
11:38 B: なぜそれが、持っている「にちがいない」かを、 もっと明らかにできたなら・・・
11:43 K: 「なぜそれは持っているに ちがいないのか」。なぜなら・・・
11:49 S: なぜそれは、 持っているにちがいないのか。
11:53 K: 生は、浅い空っぽな 水溜まりだけでしょうか。 その終わりに、空っぽの泥ですか。
12:00 S: まあ、なぜあなたは、他の何かが ある、と、想定されるんでしょうか。
12:03 K: 私は知りたいのです。
12:05 B: でも、他の何かがある、としても、 私たちは訊ねなくては いけません - 死が、それを理解する 鍵であるのは、なぜですか。
12:13 K: なぜなら、それは、あらゆる物事が 終わることであるからです。
12:16 B: よろしいです。 S: あらゆる物事が、です。
12:18 K: 実在、 B: ええ。
12:20 K: 私の概念、イメージのすべて・・・ 記憶すべての終わり。
12:22 B: でも、それは、思考が 終わるところに、ある。ですね?
12:24 K: 思考が終わるところに、です。また、 それは、時が終わることをも、意味しています。
12:34 B: 時が終わること、です。
12:36 K: 時は全的に、止まってしまう。
12:40 そして、未来はない -
12:44 過去が現在に出会い、続けていく、 という意味で、です。
12:58 B: 心理的に言って、です。
12:59 K: ええ。もちろん、心理的に言って、です。
13:02 B: そこで私たちは、やはり 未来と過去を、認めます。
13:04 K: もちろんです。 S: そのとおりです。いいよ。
13:06 K: 終わること。あらゆる物事が、 心理的に終わること。
13:07 それが、死なるものです。
13:17 B: 有機組織が死ぬとき、 その有機組織にとって、あらゆる物事が死にます。
13:23 K: もちろんです。 有機組織、この有機体が死ぬとき、 それは終了しました。
13:33 S: そうです。
13:34 K: でも、一分間、待ってください。 私はイメージを終わらせないなら、 イメージ作りの流れは、 つづいていきます。
13:46 B: まあ、どこでそれがつづいていくかは、 あまり明らかでない、と私は思います - 他の人々において、ですか。または・・・
13:51 K: それは、他の人々において、顕現します。 すなわち、私は死ぬ。
13:57 S: そうです。有機組織が。
13:59 K: 私は死ぬ。有機組織は死ぬ。 最後の瞬間に、 私はまだ、自分の持つ イメージとともに、います。
14:08 B: ええ。で、そのとき、 それへ、何が起きますか。
14:10 K: それが、私が言っていることです。 そのイメージは、 継続性を持っています - 他の残りのイメージ、あなたのイメージ、 私のイメージとともに、です。
14:19 S: そうです。
14:20 K: あなたのイメージは、 私のより、違っていない。
14:22 S: そのとおり。私たちは、 それを分かち合っています。
14:24 K: いえ、それを分かち合っていない。 それは、違っていない。
14:26 S: そうです。
14:28 K: それは、少し多くのひだ飾り、 少し多くの色を、持っているかもしれません でも、本質的に、イメージ、 私のイメージは、あなたのイメージです。
14:34 S: そうです。
14:36 K: さて、それで、イメージ作りの この常なる流れが、ある。
14:42 B: それは、どこで起きますか。 人々において、ですか。
14:45 K: それはある。それは、 人々において顕現します。
14:49 B: ああ、それは、より広いと、 感じますか。 何らかの形で、それは、 より一般的で、より普遍だ、と。 K: ええ。はるかに普遍的です。
14:52 B: それはなかなか・・・
14:54 K: あ?
14:55 B: それはなかなか変だと、私は言います - それについて考えることは、です。
14:56 K: ええ。
14:59 S: それはある。
15:02 K: それは・・・
15:04 S: それは川です。ええ、 川に似ていて、そこにある。
15:06 それは、流れにおいて顕現する - それが人々と呼ばれる。
15:14 K: 顕現する。いえ。その流れは、 イメージの作り手と、イメージです。
15:22 B: 言い換えると、 あなたは、こう仰っています - イメージは、頭脳において 発生するだけでなく、 何らかの意味で、それは普遍的だ、と。 K: そうです。普遍的です。
15:28 B: でも、それは明らかでない。
15:29 あなたは、それは、頭脳すべての 効果の総計だけだ、 と仰っているだけではなく、 何かもっと多くを、含意していますか。
15:38 K: それは、頭脳すべての効果です。 それは、人々において顕現します - 彼らが生まれるときに、です。 遺伝子と、その他すべて、です。 さて、 それがすべてでしょうか。 死により、私は・ ・・ 死は、甚大な、終わりなき このエネルギーの 感覚を、もたらしますか - 始まりもなく、 終わりもないものの(感覚)を、です。 または、それはただ・ ・・ 私は、自分のイメージを、 取り除いてしまった。 イメージの作り手は・・・ 私はそれを、止められます。 それは相当に単純です。 それは、止められます。 ええ。 でも、私は、はるかに深い物事に、 触れたことがありません。 生は、無際限の深さを、 持っているにちがいありません。
16:48 B: さて、それを開く死は・・・
16:51 K: 死が、それを開きます。
16:53 B: それは死だと言われましたが・・・ 私たちは、それは、 イメージ作りの死以上だ、と言います。 これが、明らかでないことです。 私は言おうとしています - 何か実在のものが、ありますか。 それが自体を悟るのを、 妨げているものが、です。
17:07 K: ええ。「私」が、イメージをとおし、 思考の作り手、イメージの作り手をとおして、 それ自体を、妨げています。
17:13 S: それが、それを妨げているものです。 イメージ作りと、 思考作りが、より大きいものを、 妨げています。
17:18 K: 待って。それを妨げている。
17:20 S: ええ、それを妨げている。
17:21 K: でも、さらに他の妨げ、 より深い妨げが、ある。
17:24 B: それが、私が 取りかかろうとしたことです。 すなわち、実在している、 より深い妨げが、ある。
17:28 K: それは実在しています。さて・・・
17:31 B: それらは本当に、死ななくてはいけません。 K: そうなんです。
17:33 S: それは、話しておられた、この流れに、 似ているんでしょうか。
17:34 K: いえ、いえ。 悲しみの流れがある。でしょう?
17:37 B: どういう意味で、ですか。 悲しみは、イメージより深いのですか。
17:43 K: ええ。 S: そうです。
17:46 B: それは重要です。 K: そうです。
17:47 S: そう思われますか。 K: そう思いませんか。
17:48 S: ええ、そう思います・・・
17:49 K: いえ、気をつけてください。これは、 とても深刻です - このことは。
17:50 S: そのとおりです。
17:52 B: 悲しみと苦しみは、同じである、
17:54 違った言葉だけである、と 仰るのでしょうか。
17:56 K: ああ、違った言葉です - 悲しみと苦しみは。
17:59 S: このイメージ作りより、 悲しみは深い。
18:01 K: そうでないですか。
18:05 人は百万年、悲しみとともに、 生きてきました。
18:08 B: 私たちは、悲しみについて、もう少し 言えるでしょうか。それは何ですか。
18:11 それは、痛み以上です。
18:19 K: ああ、痛みよりはるかに大きく、 損失よりはるかに大きい。
18:24 私の息子や親やあれこれを 失うより、はるかに大きい。
18:31 S: それより深い。
18:33 K: それより、はるかに深い。 S: そうです。
18:34 B: それは、イメージを越え、 思考を越えて行きます。
18:36 K: もちろんです。思考を越えています。
18:38 B: ああ。ふつう、感情と呼ばれる だろうものを、越えています。
18:40 K: もちろんです。感情、思考を、です。 さて、それは終わりうるでしょうか。
18:43 S: あなたが進む前に・・・
18:47 悲しみの流れは - 私が純真でありうるなら - イメージ作りの流れより、 違った流れである、と 仰っていますか。 それがある、と言わざるをえなかったなら、 それは、二つの違った流れですか。 K: いえ。それは、流れの一部です。
19:03 S: 同じ流れの一部です。
19:04 K: が、はるかに深い。 S: はるかに深い。
19:06 B: すると、とても深い流れが ある、と仰っていますか -
19:06 K: それだけです。 B: イメージ作りは、
19:07 この流れの表面にあり、 表面の波だ、と。
19:14 K: それがすべてです。でも、私たちは、 それとともに、残されてきました。 私は透徹したいのです。
19:17 B: 私たちは、この流れの 表面の波を理解した、 と言えるんでしょうか - それがイメージ作りと呼ばれますが。
19:22 K: イメージ作り。そのとおりです。
19:23 B: どんな動揺でも、 「悲しみ」の中にあるものは、 イメージ作りとして、表面に出てきます。
19:28 K: そのとおりです。
19:28 S: で、今私たちは、深海のダイビングを しなくてはいけません。ですね?
19:32 K: 川のダイビングです。
19:38 B: でも、悲しみは何でしょうか。
19:41 K: そうね・・・ 普遍的な悲しみが、あります。
19:46 B: ええ。それが明らかになるように、 しましょう。それは単に、 異なった人々の悲しみすべての 総計だけではない。
19:54 K: ええ、ええ。それはこの・・・ 私たちはそれを、このように 表されるでしょうか - 川面の波は、 慈悲を、もたらさない。 慈悲と愛は、同じです。 それらは、同義語です。 だから、 慈悲という言葉で、通しましょう。 波は、これをもたらさない。 何が、もたらすのでしょうか。 慈悲なしには、人間たちは、 自分たち自身を破壊しています。 今そうしているように、です。 で、慈悲は、悲しみの終わりと ともに、来ますか - それは、思考により 創り出された悲しみではない。
20:49 B: ええ。で、思考において、 あなたは、自己のために 悲しみを持っている、と言うべきでしょうか。
20:54 K: ええ、自己のための悲しみです。
20:55 B: それは、自己憐憫です。今、あなたは、 もう一つの悲しみがある、と仰る。 私たちは、それをすっかり 捉えていない、と思います。 より深い悲しみが、ある。
21:02 K: より深い悲しみが、ある。
21:04 B: ・・・それは普遍的である。 単に総計ではなく、 むしろ、普遍的な何かだ、と。 K: そのとおりです。
21:08 S: 私たちは・・・
21:10 それを詳しく綴れるでしょうか。 それに入れるでしょうか。 K: あなたは、それを知りませんか。
21:15 S: ええ。
21:17 K: 私にかかわらず・・・ 私はただ訊ねています。 あなたは、はるかに深い悲しみを、
21:18 知りませんか。それに気づきませんか - 思考の悲しみ、自己憐憫、 イメージの悲しみより、深く、です。
21:34 B: その悲しみは、 何か内容を、持っていますか。 それは悲しみである、と言うこと - 人がこの事態にある。それから 抜け出せない、という事実にとって、です。
21:44 K: 部分的にはそれです。それは部分的に、 無知の悲しみ、という意味です。
21:49 B: ええ。人は無知であり、 それから抜け出せない、と。
21:52 K: 抜け出せない。よろしいですか。 B: ええ、そうです。
21:53 K: そして、その悲しみへの知覚が、慈悲です。
21:55 S: そうです。
22:00 B: いいです。すると、 無知覚が悲しみですか。
22:01 K: ええ、ええ。
22:04 私たちは、同じことを言っていますか。
22:12 S: いえ、私はそう思いません。
22:14 K: 例えば、あなたは、 無知の中の私を、見ます。
22:18 B: または、人類の全体を、見ます。
22:20 K: ・・・無知の中の人類、です。 幾千年を生きてきた後、 彼らはやはり無知です。 私たちが話している意味で、無知です - すなわち、 イメージの作り手、その他です。
22:33 B: さて、そうね、私の精神が本当に、 正しい、良い、明晰であるなら、 それは、私に、深い効果を持つはずです。 K: ええ。
22:39 B: そうですか。
22:39 K: ええ。
22:40 S: 何が、深い効果を持つんでしょうか。
22:41 B: このものすごい無知を、この
22:42 ものすごい破壊を、見ることが、です。 K: 私たちは、それに取りかかっています。
22:45 S: そうです。
22:46 K: 私たちは、それに取りかかっています。
22:47 B: でも、そのとき、私は 十分に知覚しないなら、
22:50 私が、その知覚より逃れはじめるなら、 私もまた、その中にいますか。
22:59 K: ええ、あなたもまた、その中にいます。
23:01 B: でも、感情はやはり・・・ 普遍的な悲しみは、まだ 私が感じられる何かである - それが、あなたが 仰ろうとすることですか。
23:12 K: ええ。
23:14 B: それが何を意味するかについて、 私はあまり知覚できないけれども・・・
23:16 K: いえ、いえ。あなたは、 思考の悲しみを、感じられます。
23:21 B: 思考の悲しみね。でも、私は、 普遍的な悲しみを、 感知できるとか、何やら気づけます。
23:26 K: ええ。それはできます。
23:28 S: 普遍的な悲しみがある、と 言われます。
23:30 K: あなたはそれを感じられます。 B: それを感じるか、感知できる。
23:32 S: そうです。 B: そうです。
23:33 K: 人がこのように生きていることの悲しみです。 B: それが、その本質ですか。
23:34 K: 私はただ動いて、それへ入ろうと しています。動いて、入りましょう。
23:36 B: ええ。すると、それには、もっと多くありますか。 K: それには、はるかに多くです!
23:37 B: ああ、すると、おそらく、私たちは それを、はっきりさせようとすべきでしょう。
23:39 K: 私はそうしようとしています。 S: ええ、悲しみを、です。
23:41 K: あなたは、私を見ます。 私は、普通の生を生きます -
23:43 イメージ、悲しみ、恐れ、 心配、それらです。
23:44 私は、自己憐憫の悲しみ、 それらを、持っています。
23:46 括弧付きの「覚った」あなたは、
23:48 私を見て、言います・・・
23:49 あなたは、私のための悲しみに、 満ちていませんか。それが慈悲です。
24:17 B: それは一種のエネルギーだ、と 私は言うでしょう - この状況のために、 ものすごく掻き立てられている、と。
24:22 K: ええ。
24:23 B: ですね? K: ええ。
24:24 B: でも、あなたはそれを、 悲しみと、呼ぶのでしょうか。
24:25 または、慈悲と、 呼ぶのでしょうか。
24:29 K: 慈悲です - それは、 悲しみから出てきたものです。
24:32 B: でも、あなたは初めに、 悲しみを感じたのでしょうか。 覚った人物は、悲しみを感じて、 それから慈悲を感じたのか。
24:39 K: いえ。
24:40 S: 逆ですか。 K: いえ、いえ。気をつけてくださいよ。
24:42 よく気をつけて、行ってください。 そうね、あなたは、 慈悲を持つためには、 初めに悲しみを持たなければ ならない、と仰っています。
24:57 B: 私は言っていません。 私はただ、それを探検しています。
24:59 K: ええ。私たちは探検しています。 悲しみをとおして、慈悲へ来る。
25:03 B: それが、あなたが仰っているように 見えることです。
25:05 K: ええ。私は言っているようです。 でも、それは、私は、人類の恐怖すべてを 経ていかなければならない、 という意味合いです。
25:13 S: 経験する。
25:14 K: 順次に。 S: そうです。
25:16 K: いいえ。 S: いいえ?
25:17 K: いいえ! B: でも、そうね・・・
25:18 K: それが論点ですよ。お許しください。
25:19 B: そうね、覚った人は・・・
25:20 覚った人は、この悲しみを見る
25:21 この破壊を見る、としましょう。
25:22 彼は何かを感じます。ですね? 彼は何かを感知します。 それは、ものすごいエネルギーです。
25:33 K: ええ。
25:34 B: 私たちはそれを、慈悲と呼びます。 さて、彼は、人々が 悲しみの中にいることを、理解します。
25:40 K: もちろんです!
25:41 B: でも、彼自身は、悲しみの中にいない。 K: そのとおりです。
25:43 B: でも、彼は、何かをするための ものすごいエネルギーを、感じます。
25:45 K: ええ。慈悲のものすごいエネルギーです。
25:48 B: 慈悲です。彼らのために感じること。 K: 慈悲です。
25:51 S: するとあなたは、覚った人は、無能さを
25:52 - 私はその言葉を使うのは嫌ですが - 葛藤を、
25:54 知覚するか、それに気づくと、仰るんでしょうか。 彼は、悲しみに気づいていない。 彼は、生の不器用さ、 しくじり、損失に、気づいている、と。
26:19 K: いえ、シャインバーグ博士。 ただ聞いてください。 あなたは、これらを経てきました。 仮に、あなたがこれらを 経てきた、とします。
26:30 S: 悲しみを。
26:33 K: イメージ、思考、 思考の悲しみ、恐れ、心配を、です。 あなたは、「私はそれを理解した。 私の中で、それは済んだ」と言います。 でも、あなたには、ほとんど何も残っていません。 あなたは、エネルギーを持っていますが、 それは、とても浅い事柄です。 生は、それらほど浅いのでしょうか。 または、それは、無量の深さを、 持っていますか。 深さは、間違った言葉ですが・・・
27:05 B: 内面性を持っていますか?
27:07 K: 大きな内面性、です。 それを見出すには、・ ・・ あなたは、知られた物事すべてに、 死ななくてはいけなくないですか。
27:27 B: ええ。でも、これはどうやって、 同時に、悲しみに関係しますか。
27:30 K: 私は行こうとしています・・・ あなたはこう、感じるかもしれません - 私は無知だ、私は自分の心配、 その他すべてを持っている。 あなたは、それを越えている。 あなたは、いわば、流れの向こう岸にいる。 あなたは、慈悲を持っていませんか。 S: ええ、私は持っています。
27:59 B: ええ。
28:02 K: この上で、ではない。
28:04 S: ええ。分かります。 でも、私はそれが見えるし、私は・・・
28:05 K: 慈悲です。 S: ええ。
28:08 K: それは、悲しみが終わることの結果ですか - 普遍的な悲しみが、です。
28:10 B: 何ですか。普遍的な悲しみね。 K: 普遍的な悲しみ、です。
28:12 B: 待ってください。あなたは、 悲しみが終わることを、仰る。
28:18 今、あなたは、始まりに、
28:19 悲しみの中にいる人物について、 話しておられます。
28:20 K: ええ。
28:26 B: 彼において、この普遍的な悲しみが、終わる - それが、仰っていることですか。
28:27 K: いえ、いえ。それより もう少し多い。
28:32 B: それより多い。
28:34 でも、私たちはゆっくり、 行かなくてはいけません。 なぜなら、普遍的な悲しみが終わることを 仰るなら、悩むことは、 それがまだ存在する、と言うことです。
28:41 K: 何?
28:43 B: そうね、普遍的な悲しみが終わるなら、 それはすべて、去っています。
28:47 K: ああ!いえ、それはまだ、ある。 もちろんです。
28:49 B: そうね、言語には、 一定の謎があります。 或る意味で、普遍的な悲しみは、 終わりますが、 もう一つの意味で、それは存続します。
28:56 K: ええ、そのとおりです。
28:58 B: でも、私たちは、こう 言えるのでしょうか - 悲しみの本質、普遍的な悲しみへ、 洞察を持っているなら、その意味で、 その洞察の中、悲しみは終わる。 それが、仰る意味ですか。
29:08 K: ええ、ええ。
29:09 B: それはまだ、そこにあるけれども。
29:10 K: ええ。それはまだ、 つづいているけれども。
29:12 S: 私は今、より深い問いを、持っています。 その問いは・・・
29:15 K: ああ。あなたが理解なさったとは、 私は思いません。
29:17 S: 私は、そのことは理解したと思いますが、 私の問いは前に、来ます。 すなわち、私はここにいます。 イメージ作りは死にました。 ですね? それは波です。 今、私は、悲しみの中へ入ってきます。
29:36 K: あなたは、思考の悲しみを、 失ったのです。
29:39 S: そうです。思考の悲しみは、去ってしまった。 が、より深い悲しみが、ある。
29:43 K: ありますか。または、あなたは、 より深い悲しみがある、と想定していますか。
29:48 S: 私は、あなたが仰っていることを、 理解しようとしています。
29:50 K: ああ!いえ、いえ! 私は、こう言っています - 思考に関係していない慈悲が、 ありますか。 または、その慈悲は、 悲しみから生まれますか。
30:13 S: 悲しみから生まれる・・・
30:15 K: 悲しみが終わるとき、 慈悲がある、という意味で、生まれた。
30:19 S: いいよ。それで、少し明らかになる。 思考の悲しみが・ ・・ K: 個人的な悲しみ、ではない。
30:29 S: ええ。
30:30 K: 思考の悲しみ、ではない。
30:31 B: 思考の悲しみではなく、 何か、より深いもの。
30:33 S: 何か、より深いもの。 その悲しみが終わるとき・・・
30:35 K: そうなんです。
30:38 S: その悲しみが終わるとき、 誕生がある・・・
30:40 K: 慈悲の・・・ B: 慈悲の、エネルギーの(誕生)。
30:44 K: さて、思考の悲しみより、 深い悲しみが、ないでしょうか。
30:48 S: 悲しみがある、と ディヴィッドは言っていました。
31:01 無知のための悲しみは、思考より深い。 この悲しみの罠にかかった人類の 普遍的な災難への悲しみ。 継続的な戦争と、歴史と貧困の 反復の悲しみ。 互いに虐待しあっている人々。 それは、より深い悲しみです。
31:30 K: それらは理解できます。
31:32 S: それは、思考の悲しみより、深い。
31:43 K: 私たちはこの質問をできますか - 慈悲とは何でしょうか。 それは愛ですが。 私たちは、広い分野を扱うために、 その一つの言葉を、使っています。 慈悲とは何でしょうか。 悲しみ、思考、イメージの中にいる人、 彼は、それを持てますか。 持てません。 絶対に持てません。ですね?
32:15 B: ええ。
32:18 K: さて、それはいつ、生じますか。 それなしには、生は何の意味もない。 あなたは、それなしに、 私を残していきました。 で、あなたが私から取り去って しまったものすべてが、 表面的な悲しみであるなら - 思考とイメージです・ ・・ 私は、はるかに多くの何かが、 ある、と感じます。
32:49 B: そうするだけでは、 より空っぽな、無意味なものが・・・
32:53 K: ええ。 B: ・・・残っていますね。
32:54 K: この浅い小さな事柄より、 はるかに大いなる何か、です。
32:55 B: 私たちが、悲しみと自己憐憫を産出する 思考を、持っていて・・・
33:03 でも、また、人類の悲しみへの 悟りも、持つとき・・・ こう言えるでしょうか - より深いそのエネルギーは、何らかの形で・・・
33:15 K: 動かされる。
33:16 B: まあ、まず第一に、 この悲しみの中には・・・ このエネルギーは、渦巻きの中に 捕らわれています。
33:21 K: ええ、そのとおりです。 小さな分野に。
33:24 B: それは、思考より深いが、或る種の・・・ エネルギーのとても深い動揺が、ある・・・
33:30 K: ええ。全くそのとおり。
33:31 B: ・・・それを私たちは、深い悲しみと呼ぶ。 K: 深い悲しみです。
33:33 B: 究極的に、その起源は、 思考の中の妨げなのでしょう。
33:36 K: ええ。それは、人類の深い悲しみです。
33:40 B: ええ。人類の深い悲しみです。
33:42 K: 幾世紀に幾世紀もの間、それは・・・
33:45 それは、広大な悲しみの 貯水池に、似ています。
33:52 B: それは一種、動き回ることであり・・・ 何らかの形で、それは無秩序であり・・・
33:57 K: ええ。
34:00 B: ・・・明晰さなどを阻止し、 無知を永続化させている。
34:04 K: 無知を。そうです。 無知を永続化させている。
34:07 B: なぜなら、そうですね、 もしも、それがなかったなら、 人の自然な学ぶ能力は、 これらすべての問題を、 解決するでしょう。 それは可能でしょうか。
34:14 K: そのとおりです。
34:15 S: そうです。
34:17 K: あなたたち、三人が、私に 与えてくれたり、助けてくれたり、 示してくれたり、 はるか大いなる何かへ、 洞察を持っているのでなければ、 私は、「ええ、これは とてもすてきです」と言って、 私は去ってしまいます。付いてきていますか。
34:35 B: ええ。
34:39 K: 私に見えるかぎり、私たちが しようとしていることは、 死を越えた何かへ、透徹することです。
34:48 B: 死を越えて。
34:50 K: 死は、有機組織の終わりだけでない、と 私たちは言います。 また、意識の内容すべてと、 私たちが今、知っているような 意識が、終わることなのです。
35:05 B: それはまた、悲しみの 終わりではないですか。
35:07 K: その種の悲しみの終わり・・・
35:10 B: 表面的なものの。 K: ・・・表面的な種類の、です。
35:11 それは明らかです。 B: ええ。
35:14 K: それらを経てきた人 -
35:16 彼は、「それは十分でない」と言います。 「あなたは私に、花を、 香りを、与えてくれていない。 あなたは私に、その灰を与えただけだ」と。 今、私たち三人は、灰を越えているものを、 見出そうとしています。
35:37 S: そうです。
35:39 B: 死を越えているものが、ある、と あなたは仰る。
35:42 K: 絶対にです。
35:44 B: それは永遠であるとか、 仰るのでしょうか。
35:47 K: 私は、それらの言葉を、 使いたくありません。
35:49 B: ええ。でも、或る意味で、 時を越えている、ということです。
35:52 K: 時を越えています。
35:53 B: ゆえに、「永遠」は、 それにとって一番良い言葉ではない。
35:56 K: ゆえに、この表面的な死を 越えた何かが、ある。 始まりも、終わりも 持たない動きです。
36:05 B: でも、それは動きです。
36:07 K: それは動きです。 動きだが、時の中ではない。
36:10 B: 時の中ではなく・・・
36:12 S: 時の中の動きと、 時の外の動きの間の違いは、何ですか。
36:22 K: 常に新たになりつつあるもの、 常に・ ・・「新しい」は、その言葉でない。 常に新鮮で、花開いていて、 果てしなく花開いている。 それは、時がない。 それはすべて・・・ 花開くは、時を含意しています。
36:41 B: ええ。まあ、私たちはその点は 分かる、と思います。
36:43 S: 私たちはそれを捉える、と思います。 創造において、新たになる感じ・・・ 推移なく、持続なく、直線性なく、 来ることと行くこと、それは・・・
36:56 K: そうね、違った形で、それへ 戻って来させてください。 通常に、相当に智恵のある人であり、 様々な書物を読み、 様々な冥想を試した - 禅、これとあれと、他のことを、です。 私は一瞥で、それらへの洞察を、持つ。 一瞥で、です。 それは終了しました。 私はそれに、触れないでしょう! それは、このイメージ作りとそれらの 終わることなのかもしれません。 そこで、冥想が起こるにちがいない - 掘り下げるように、 精神がかつて触れたことがない何かへ、 洞察を持つように、です。
37:54 B: でも、たとえそれに触れるとしても、 次回に、それが知られるだろう、 という意味ではないですね。
38:02 K: ああ!それは、けっして知られません・・・
38:04 B: それは、けっして知られません。 それは、何かの意味で、いつも新しい。
38:06 K: ええ。それはいつも新しい。 それは、記憶が蓄えられ、変更され、 変化して、「新しい」と呼ばれるのではない。 それはけっして、古かったことがない。
38:20 B: ええ。
38:21 K: 私は、それをそのように 表せるのかどうか、知りません。
38:23 B: それは理解できる、と思います。 悲しみを知ったことがない精神のよう、 と言えるでしょうか。
38:30 K: ええ。
38:31 B: それは、初めに、分かりにくく 見えるかもしれませんが、 それは、悲しみを知ってきたこの状態より、 抜け出す動きです - 悲しみを知ったことがない状態へ、です。 K: ええ。そのとおりです。
38:40 B: でも、あなたはない。それで・・・
38:42 K: そのとおりです。
38:43 S: それは、このようにも言えますか -
38:44 それは、「あなた」がないところで、 動いている行為である、と 言えるでしょうか。
38:53 K: そうね、「行為」という 言葉を使うとき・・・ 行為は、未来においてや、 過去において、という意味ではない。 行為は、することです。
39:03 S: ええ。
39:06 K: 私たちの行為のほとんどは、 原因や過去の結果です。 または、未来に沿って、です。 理想などです。 S: これはそれではない。
39:14 K: それは行為ではない。
39:15 それは順応だけです。
39:18 S: そうです。いや、私は、違った種類の 行為について、話しています。
39:21 K: で、いや、私は・・・ 行為の含意は・・・ 幾つものことが、関与していますね。 これへ透徹するには、精神は、 完全に静寂でなければなりません。
39:38 S: そうです。
39:39 K: さもないと、あなたは、その中へ、 何かを投影しています。
39:43 S: そうです。それは、何の中へも 投影していません。
39:47 K: 絶対的な静寂です。 その静寂は、制御の産物ではない - 願われ、予め計画され、 予め決定されたのではない。 ゆえに、その静寂は、意志をとおして もたらされていない。ですね?
40:07 B: ええ。
40:09 K: さて、その静寂には、 何か、時すべて、死すべて、 思考すべてを越えたものの 感覚がある。 付いてきていますか。何か・・・ 何もない! 何一つない。 理解できますか。 何もない!ゆえに、空っぽです。 ゆえに、ものすごいエネルギーです。 B: これは・・・
40:47 S: 動いている。
40:48 K: エネルギーです。それを 放っておいてください。放っておいてください。
40:49 B: これはまた、慈悲の本源ですか。
40:52 K: それが、私が・・・ そうです。
40:54 S: 「本源」といわれるのは、 どういう意味ですか。
40:57 B: まあ、このエネルギーの中に 慈悲がある、と。
40:58 K: ええ、そのとおりです。 S: このエネルギーの中に・・・
41:01 K: このエネルギーが、慈悲です。 B: 慈悲です。
41:02 S: それは違っている。 K: ええ、もちろんです。
41:04 S: このエネルギーが、慈悲です。
41:05 それは、「本源」と言うのより、 違っている。
41:06 K: そうね、それを越えて、 もっと何かが、ある。
41:08 S: それを越えて? K: もちろんです。
41:09 B: まあ、なぜあなたは、 「もちろん」と仰るのですか。
41:14 もっと多くなのは、 何でありうるのでしょうか。
41:19 K: それを違ったように表し、 接近しましょう。
41:20 思考が創り出してきた 物事すべては、神聖でない。
41:21 B: ええ。それは断片化しているから。
41:37 K: 断片化しています。 私たちは、それを知っています。
41:49 イメージ・像を掲げ、それを 崇拝するのは、思考の創造です。
41:51 手により、精神により、作られていて、 それはやはりイメージです。 で、そこには、何も神聖なものはない。 なぜなら、彼が指摘したように、 思考は、断片化し、制限され、 有限であるからです。 それは、記憶などの産物です。 だから、何も・・・
42:12 B: ゆえに、神聖なものは、 制限なきものですか。
42:16 K: そうです。 慈悲を越えた何かが、ある - それは神聖です。
42:23 B: ええ。それは、動きを越えていますか。
42:26 K: 神聖です。動きとか、 動きでないとか、言えません。
42:31 B: 何も言えない。
42:33 K: 生きているものは・・・ あなたは、死んだものを、 検討できるだけです。 生きているものを、検討できません。 私たちがしようとしていることは、 神聖だと呼ばれる、その生きているものを、 検討することです。 それは、慈悲を越えています。
42:52 B: そのとき、神聖なものへの、 私たちの関係は、何ですか。
42:57 K: 無知である人にとって、 何も関係はありません。 いいですね? それは本当です。 イメージ、それらを取り除いた人、 イメージと、イメージの作り手から 自由である人 - 彼はやはり・ ・・ それは、まだ意味を持っていません。 いいですね? 彼が、あらゆる物事を越えていくときだけ、 それは、意味を持っています - 彼が、あらゆる物事へ死ぬとき、です。 死ぬとは、一秒の間も、 けっして何をも、心理的に 蓄積しない、という意味です。
43:50 S: あなたは質問をされましたが、 何かあると、仰るんでしょうか。 神聖なものへの関係は、何ですか。 神聖なものへ、いったい関係があるのか。 または、神聖なものは・・・ K: いえ。彼は何かを訊ねています。
44:01 S: ええ。
44:02 K: 彼は訊ねています - 神聖なものとの間、
44:04 実在への関係は、何でしょうか。
44:13 B: ええ。ともかく、それは暗黙裡です。
44:16 K: え? B: それは含意されている、という意味です。
44:17 K: もちろんです。
44:18 私たちは、幾らか前に、 それについて話してきました。 この問いについて、です。 すなわち、 思考の産物である実在は、 それへ何も関係を、持っていません。 なぜなら、思考は空っぽで小さな・・・
44:33 S: そうです。
44:34 K: ・・・事柄であるからです。あれは、 これと関係を持つかもしれません。
44:38 B: 何らかの形で。
44:44 K: 関係は、 洞察、智恵、慈悲をとおして、来ます。
44:58 S: どう・・・ その関係は何ですか、 智恵とは何か、と私たちは訊ねている、と 私は思います。
45:06 K: 智恵ですか。 智恵は何でしょうか。
45:10 S: 智恵はどのように、作用しますか。
45:13 K: 待って、待って!あなたは、 イメージへ、洞察を持ちました。 あなたは、思考の動きへ、 洞察を持ちました。 思考の動きは、自己憐憫ですが、 それは、悲しみとそれらを、 創り出します。 あなたは、それへ本当の洞察を、 持ったのでしょう。 それは、言語的な同意や不同意や、 論理的な結論ではありません。 あなたは、その事柄へ、 本当の洞察を持ったのです - 川の波へ、です。 さて、あなたはまた、洞察を持ちますか・ ・・ その洞察が、智恵ではないですか。 それは、利巧な人の智恵ではない。 私たちはそれについて、話していません。 で、それがあるなら、あなたはすでに、 その智恵を持っています。
46:04 S: そのとおりです。
46:06 さて、その智恵とともに動いてください。 それは、あなたのや私のではない。 智恵です。 シャインバーグ博士のや、 Kのや、誰かのではない。 それは、普遍的な智恵です。 地球的とか宇宙的な智恵です - その洞察は。 さて、さらに一歩動いて、それへ入ってください。
46:30 S: ええ、ともに動く。
46:33 K: 悲しみへ洞察を持ってください - それは、思考の悲しみ、それらではない。 人類の、無知の、甚大な悲しみです。 付いてきていますか。 そのとき、その洞察の中から、慈悲です。 さて、慈悲への洞察です。 慈悲は、生すべての終わり、 死すべての終わりですか。 そう見えます。 なぜなら - そうですね - あなたは、重荷を・・・ 精神は、重荷すべてを、 放りすてたからです - 人が自分自身へ課してきた そのすべてを、です。 ですね? で、あなたは、あのものすごい感じを、 あのものすごいものを、 47:29 内側に持っています。 さて、その慈悲 - それを 掘り下げてください。 何か神聖な、人が 触れていないものが、ある。 人の精神により、人の渇望により、 人の要求により、人の祈りにより、 人の永久のごまかし、仕掛けにより 触れられていない、という意味で、です。 それは、あらゆる物事の 起源なのかもしれません - 人はそれを、誤用してきました。 付いてきていますか。 それが人の中に存在する、ということではない。 すると、私たちは迷ってしまうからです。
48:21 B: それは物質すべて、自然すべての 起源であると仰るなら・・・
48:25 K: あらゆる物事、 物質すべての、自然すべての(起源)、です。
48:27 B: 人類すべての(起源)、です。
48:29 K: ええ。そのとおりです。 私は、それに拘りましょう。 で、これら対話の終わりに、 あなたは何を、 視聴者は何を、得ましたか。 彼は何を、捉えましたか。
48:54 S: 彼が何を捉えたのを、 私たちは望むのでしょうか。 彼が何を捉えたのを、私たちは望むと、 仰るのでしょうか。または、 彼は実際に、何を捉えたのでしょうか。
49:02 K: 彼は実際に、何を捉えたのか、です。 - 望むのではない。 彼は実際に、何を捉えたのでしょうか。 彼のお椀は、満たされましたか。
49:14 S: 神聖なもので満たされた・・・
49:17 K: または彼は、 「まあ、私は、たくさんの灰が、 残されています。 ありがとうございました。 でも、私はどこにも、 それを得られません」 と言うのでしょうか。 どの論理的な、理性的な人間も、 言うでしょう - 「ええ。 議論することにより、 あなたはこのすべてを拭い去れるが、 私には何も残されていない」と。
49:35 S: 彼は得ましたか・・・
49:37 K: ええ、それが、私が・・・ 彼は、あなたへ来ました。 私は、見出したくて、 自分の生を変容させたくて、 あなたたち三人へ、来ました。 なぜなら、私は、それが絶対的に 必要だと、感じるからです。 そうね・ ・・自分の野心と、 人類が収集してきた バカげたものすべてを、 取り除くためではない。 私は自分自身から、 そのすべてを空っぽにします。 私は・ ・・どうぞ、私が「私」という 言葉を使うとき、それは・・・ 「私」は、それ自体を空っぽにできません。 「私」は、それらへ死にます。 さて、私は、これらから、 何かを得ましたか。 あなたは私に、あのものの香りを、 与えてくれましたか。
50:32 S: 私はあなたに、香りを与えられますか。
50:34 K: または・・・ ええ、それを私と、分かち合う。
50:42 S: 私はそれを、あなたと分かち合えます。 視聴者は、私たちと分かち合いましたか・・・
50:48 B: ええ。
50:49 S: ・・・私たちが一緒にいて、 してきた経験を、です。
50:51 K: あなたたち二人は、このものを この人と、分かち合ってきましたか。
50:54 S: そうです。私たちはこれを この人と、分かち合ってきましたか。
51:04 K: そうでないなら、何ですか。 利口な議論、対話。 ああ、私たちは、 それに飽き飽きしています! あなたは、本当に空腹であるとき、 分かち合えるだけです。 - 付いてきていますか - 空腹で燃えているとき、です。 さもなければ、あなたは 言葉を、分かち合う。 で、私はその点に来ました。 私たちはその点に来ました - そのとき私たちは、 生がとてつもない意味を 持つことが、見えるのです。
51:51 B: そうね、それは、私たちが普通考えることを、 はるかに越えた意味を、持っています。
51:55 K: ええ。これは、とても浅くて空っぽです。
51:57 B: まあ、この神聖なものはまた、 生でもある、と仰るのでしょうか。
52:00 K: ええ。それが、 私が取りかかっていたことです。 生は神聖です。
52:07 B: 神聖なものは、生です。
52:09 K: ええ。 S: 私たちはそれを、分かち合ってきましたか。
52:10 K: あなたはそれを、分かち合ってきましたか。
52:11 それで、私たちは生を、 誤用してはなりません。
52:21 B: そうです。
52:23 K: 理解されますか。 私たちはそれを、むだにしてはなりません。 なぜなら、私たちの生は、とても短いからです。
52:33 B: 仰るのは・・・ 私たちの生の各々は、あなたが話される この神聖なものの中で、 果たす役割を、持っていると、 あなたは感じられますか。
52:39 K: 何ですか。
52:40 B: 私たちの生の各々は、 或る意味で、果たすべき 重要な意味を、持っている。
52:43 K: それは部分です。それはそこにある!
52:45 B: それは、全体の一部です。 それを誤用することは・ ・・ まあ、それを正しく使うことは、 ものすごい意義を持っています。
52:54 K: ええ、全くそうです。 でも、それを理論として受け入れることは、 他のどの理論とも、同じようなものです。
53:06 S: でも、何かがあって・・・ 私は困った感じです。 私たちは、それを分かち合ってきましたか。
53:16 K: ええ、そうです!
53:18 S: それは焼けつきます。 その問いは、焼けつきます。 私たちは、神聖なものを、 分かち合ってきましたか。
53:27 K: それは本当は、 これらすべての議論、対話は、 冥想の過程であった、という意味です。 利口な論争ではなく、 本当の透徹する冥想です - 言われつつあることすべてへ、 洞察をもたらすものです。
53:53 B: ああ、私たちはそうしてきたと、 言うべきでしょう。
53:56 K: 私たちはそうしてきたと、 私は思います。
53:57 S: 私たちは、そうしてきました。 私たちは、それを 分かち合ってきましたか。 B: 誰と、ですか。私たち自身の中で、ですか。
54:02 S: 視聴者と、です。
54:03 B: まあ、私が思うに・・・ K: ああ!
54:05 B: ・・・それが困難です。
54:06 K: あなたは、視聴者のことを、 考慮していますか。または・・・
54:07 視聴者は、まったくいないのですか。
54:08 あなたは、視聴者に語っていますか。 または、あのものだけですか - 視聴者、あなたと私と、 あらゆる物事がそこにある、あのもの。 私が言っていることを、理解されますか。 もう二分間、あります。
54:41 S: まあ、すると、「私たちは冥想の中に いた」と、ディヴィッドが言ったことへ、 あなたは、どう応答されるんでしょうか。 「私たちは冥想の中にいた」と、 あなたは言います。 私は言います。 私たちは、冥想の中、どう 分かち合ってきましたか。
54:53 K: いえ、いえ。それは冥想であったのか、 というのです -
54:57 S: ええ。
54:59 K: この対話は、です。 冥想は、論争だけではありません。
55:06 S: ええ。私たちはこの中で、 分かち合ってきた。私はそう感じます。
55:08 K: あらゆる発言の真理を、見る。 または、あらゆる発言の虚偽を、見る または、虚偽の中に真理を見る。
55:17 S: そうです。 私たち一人一人の中、 私たちみんなの中の、虚偽に気づく。 - それが出てきて、 明瞭化されるままに、です。
55:23 K: そのすべてを見る。ゆえに、 私たちは、冥想の状態にある。 そのとき、何でも私たちが言うことは、 あの究極のものへ、つながるにちがいない。 そのときあなたは、分かち合っていません。
55:42 S: あなたはどこにいますか。
55:45 K: 分かち合うことは、ない。 もう一分間あります。 K: 分かち合うことは、ない。 それは、あれだけです。
55:49 S: あれです。 冥想の行為はあれです。
55:56 K: いいえ。そこには何も・・・ あれだけがある。
56:00 S: いいです。
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