BR7879CBS1 - あなたは、ブッダが言ったことを、言っていませんか。

仏教学者たちとの議論 第1回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1978年6月22日
テキストのみのバージョン
0:15
ギドゥー・ナラヤン: ご紹介を通じて、私は、
一つ、二つのことを、申し上げましょう。
そちらのシュレーゲル博士は、 禅仏教の有名な学者です。
彼女は日本に、十二年間、生活しました。
今は、ロンドンで、 禅仏教を教えています。
彼女はまた、ごく最近まで、
(ロンドンの)仏教協会の司書でした。
多くの人々が、彼女を知っています。
多くの人々が、彼女の学生であったからです。
K: 少し大きな声で。
N: 私たちは、クリシュナジとのこの対話を
手配したいと、昨年以来、 ずっと望んでいました。
が、それは可能ではなかったのです。
1:05
(ワールポラ・)ラーフラ博士は、 セイロン、スリランカからです。
彼は、上座部においても、大乗においても、
きわめて偉大な仏教学者です。
彼は、スリランカ、オックスフォードで 講義をされますし、合衆国、日本にも行かれます。
彼はすっかり有名ですし、 かなり多くの本を書かれています。
私たちが今日、クリシュナジとの この対話を行うことが、
可能であることに、私は喜んでおります。
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1:45
クリシュナムルティ: たぶん、みなさんは、 ボーム博士と私自身を、ご存じです。
ですから、私たちに紹介は要りません。
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1:56
ワールポラ・ラーフラ博士: ええ。私たちは、 あなたを、よくよく存じ上げています。
私は、あなたの教えを、 ずっと追ってまいりました -
(教えという)その言葉を使うのを、 許してくださるなら、ですが。
あなたがその言葉を お好きでないことは、存じています。
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2:08
K: よろしいですよ。
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2:12
R: ・・・私の若い頃からです。
私は、あなたの本のほとんどを、読んでいます - 大きな興味、深い関心をもって、です。
私は長い間、あなたとこの議論を 行いたいと思っておりました。
私たちが今日、この機会を得ていることに、
私はとても幸せで、とても喜んでいます -
これらの手配をしてくださった、 ナラヤンさんのおかげです。
私は、言わなければなりません -
私は長年、あなたの教え、あなたの本を、 追ってまいりましたので、
これを、言わなければなりません -
すなわち、ブッダの教えを充分に よく知っている人物にとって、
あなたの教えは、まったく親しみぶかいです。
そのような人物にとって、 それは、新しいことではありません。
それは、まったく親しみぶかい。
3:09
ブッダが 2500年前に教えたことを、
あなたは今日、新しい熟語、 新しいスタイルで、教えます。
あなたは、彼の教えに 新しい衣服を、まとわせます。
それが、私があなたの本を読むとき、 いつも感じることです。
私は、しょっちゅう書いてきました - 私はここに、それらの本を持っておりません。
実質的に、あなたの書物のほとんどが、 私のところにございます -
私は、あなたの本を読むとき、 ブッダのしかじかの教えと比較して、
しょっちゅう余白に書きこみます。
時々、私は詩頌を、引用すらします。
または、章と詩頌や、本文を、です。
3:55
ブッダの教え、いにしえの 元来の教えだけではなく、
後の仏教哲学者の観念すらも、です。
後で私は、あなたと議論するでしょうが、
それらのことですら、あなたは、実質的に まさしく同じことを、仰ります。
私は、いかにあなたが、これらのことを、こんなに 良く、みごとに得ることに、驚きました。
始めにあたって、私は、ごく短く、 二、三の点に、触れたいと思います -
それらは、ブッダの教えと あなたの教えとの間に、共通することです。
例えば、ブッダは、神を 受け入れませんでした -
世界を創造し、この世界を統治し、
人々の行為に対して、彼らに 賞罰を行う神を、です。
4:46
あなたもまた、この観念を 受け入れないと、私は思います。
それからブッダは、古いヴェーダの、バラモン的な 観念を、受け入れませんでした - 久遠で、恒常的で、
永続的で、変化しない霊魂、アートマン(我)を、 です。
ブッダはそれを否定しました。
あなたもまた、その霊魂、その種の魂を、 受け入れないと、私は思います。
それから、ブッダは、人間の生が、
苦境 - すなわち、苦しみ、 葛藤、悲しみ - にあるとの立場で、
教えを始めます。
あなたは本で、いつもそれを 強調なさるのが、見られます。
それからブッダは、この葛藤、苦しみの原因、
そのすべては、利己性のせいである、と 言います。
それは、自己についての
間違った観念により、創り出されます - 私の自己、私のアートマン(我)、です。
5:46
あなたも同じことを仰る、と思います。
それからブッダは、言います -
自らがその欲望、執着、自己より 自由であるとき、
彼は、苦しみより自由である、 葛藤より自由である、と。
事実、あなたはどこかで、仰りました。
私は憶えています -
自由とは、すべての執着からの自由、 という意味である。
あなたはどこかで、仰りました。
それはまさしく、 ブッダが教えたことです。
すなわち、執着すべては - そこには何も区別がありません。
良い執着も悪い執着も、ありません。
もちろん、相対的に、私たちの 普通の実用的な生には、ありますが、
究極的に、そういう分割はありません。
6:35
それから、 真理を見ること、真理を悟ること。
それは、物事をありのままに、 見ることです。
ブッダが、仏教用語で、 「如実に」と言ったように、です。
それは、物事のあるように、という意味です。
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6:54
K: ええ、如実、です。
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6:56
R: それを見るとき、 真実が見えます。真理が見えます。
あなたは、その葛藤より自由です。
これは、しばしばあなたが 仰ることだ、と思います -
あなたとボーム博士との間の 議論において、と思います。
それは『実在と真理』(という本)かと思います・
・・
D.ボーム: 『真理と現実』です。
R: あの議論の中で、あなたたちは、 この問いについて、議論されました。
私は近頃、あれを読んだとき、
これは、仏教思想において、 全く有名である、と思いました -
世俗諦と、勝義諦として、です。
世俗諦は、通常の真理です。
勝義諦は、絶対的か、究極的な真理です。
で、相対的か、通常の真理を 見ることなしには、
究極的な真理や、
絶対的な真理は、見えません。
それはまた、仏教者の態度でもあります。
あなたは同じことを仰ると、思います。
K: そうです。
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8:04
R: それから、あなたの一つの・・・
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もちろん、これは、 より通俗的な水準において、ですが、
それはとても重要です。
あなたはいつも、権威に 依存してはならない、と仰ります -
誰の権威にも、誰の教えにも、です。
あなた自身が、それを悟らなければならない。
あなた自身で、それを見なければならない、と。
これは、仏教できわめて有名な教えです。
ブッダは、カーラマたちに、 「何も受け入れるな」と語りました -
ただ、それが、宗教や聖典により、 または、教師により、
導師により与えられているから、 といって、です。
あなたが自分自身で、それが正しいと 分かってこそ、それを受け入れなさい。
それが間違っているとか、悪いとか 分かるなら、それを拒否しなさい、と。
私は、あなたが、(ヒンドゥーの) スワミ・
ヴェンカテーサーナンダと行われた
とても興味深い議論を、憶えています。
K: そうですね。
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8:58
R: 彼の論点は、大いに、
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9:00
導師の観念全体、導師の重要性 ということでしたが、
あなたはいつも、仰りました - 彼は何ができますか。
それをするのは、
あなたの仕事、あなたの用事です。
導師は、あなたを救えない、と。
これはまさしく、仏教的な態度です -
すなわち、あなたは権威を 受け入れるべきではない、と。
読んだ後、私は それをもまた聞きました。
私の友人が、その(録音)テープを 掛けてくれました。
後で私は、全体を読みました -
あなたの本・
・・ 『智恵の目覚め』において、です。
読んだ後、終わりに、私は 経文より書きました -
ブッダもまた、 これらのことを言ってきた。
これらの議論は、ブッダにより、
『ダンマパダ(法句)』の二行に、 要約される -
あなたが努力をすべきである。
ブッダは教えるだけである。
K: 全くです。
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10:02
R: これは、『ダンマパダ』にあります。
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10:03
あなたは、はるか昔に、若かったとき、 読まれました。
なぜなら、私はそれを、メアリー・
ラッチェンス (による伝記)の本に、見つけたからです。
あなたはどこかで、それを引用されました。
この行ではなく、他のを、です。
それから、もう一つ、 とても重要なことですが、
あなたが仰るとき、 多くの人々は理解しません -
私はこれを、あからさまに 申し上げなければなりません。
彼らが理解しないのなら、 彼らに知ってもらいましょう -
気づき、注意深さ(マインドフルネス)への、 あなたの強調です。
これは、ブッダの教えの中の、
きわめて重要な、 極度に重要なことです。
それは、『念住経』に示されています。 気づくこと、注意深いことが、です。
10:48
私自身は、『大般涅槃経』において 読んだとき、驚きました -
それは、彼の最後の数ヶ月についての 教説、経典です。
彼は、止まって、弟子たちに話をした あらゆる地点で、
物事に気づきなさい、気づき、注意深さを 養成しなさいと、いつも言いました。
それは、念住と呼ばれます。
それは本当は、 気づきの存在、注意深さの存在、
という意味です。
これもまた、あなたの教えの中で、 とても強い論点の一つです -
私はそれを大いに評価しまして、 従っています。
それから、もう一つの興味深いことですが、
あなたがいつも、 無常を強調されることです
- 苦しみ、無常を、です。
11:35
これは、ブッダの教えにおいて、 根源的なことの一つです -
あらゆる物事は、無常である。
恒常的なものは、何もない、と。
或る個所で、あなたは、 まさしく仰っています -
それは、『知られたものからの自由』 という本の中にあると、私は思います。
何も恒常的ではないと発見することが、 ものすごく重要である。
そのときにのみ、 精神は自由であるから、と。
それはまさしく、 ブッダの四聖諦にあります -
すなわち、あなたがそれを見るとき、です。
それから、もう一つの興味深い 小さな点に、私は触れたいと思います
- あなたの教えと、ブッダの教えが、
いかに何の葛藤なく、相伴うのか、です。
12:21
あの本、『知られたものからの自由』の
或る個所において、あなたは、仰ります -
制御と外的な修練は、道ではないし、
修練されていない生もまた、 何の価値をも持たない、と。
これを読んだとき、私は そこにもまた、余白に書きました。
ブッダは、バラモンに語った。
バラモンはブッダに訊ねた -
「あなたはいかに、これら高みに、
霊的で知的な高みに、 到達しましたのか。
どんな教誡により、
どんな修練により、
どんな知識により、 あなたは到達しましたか」と。
ブッダは言った - 「知識によってではなく、 修練によってではなく、
教誡によってではなく、言葉によってではなく、 また、それらなしに、でもない」と。
13:15
それは、重要なことです。
彼は、これらのことによって、ではなく、 それらなしにでもない、と言いました。
まさしく、あなたが仰ることです。
あなたは、 この修練への隷属を、非難されますが、
修練なしでは、生は何の価値もない。
それはまさしく、禅にあります - それは結局、仏教です。
禅仏教と呼ばれるものは、 何もありません。
禅は仏教です。
禅において、修練は執着であり、
それへの隷属は、きわめて 大いに非難されますが、
世界において、修練が
さほど強調される仏教宗派は、 ありません。
シュレーゲル博士は後で、これについて 話をされるだろう、と思います。
14:00
ゆえに、これらすべてのことは - 私たちは、 話をすべきことを、他に多く持っていますが、
始めるには、私は、これらのこと、 これら根源的なことが、
全く一致していることと、 あなたとブッダとの間には、
何の葛藤もないことを、 申し上げたいと思います。
もちろんあなたは、自らが仰るように、 仏教者ではない。
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14:21
K: そうです。
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14:22
R: ええ。私自身は、自分が何なのかを 知りません。それは大事なことではない。
ですが、あなたの教えと、 ブッダの教えにおいて、
ほぼ何も葛藤がありません。
あなたは、今日の人にとって、 明日の人にとって、
魅力的な形で、 同じことを仰るだけです。
今、私は、あなたがこれらについて、 何とお考えになるかを、知りたいと思います。
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14:50
K: しかるべき尊敬を込めて、申し上げて いいですか - なぜあなたは、比較されますか。
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14:59
R: いえ、これは、 私があなたの本を読むとき、
仏教学者として、
仏教の経文を研究してきた者として、
私はいつも、それは 同じことである、と見るからです。
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15:15
K: ええ。ですが、私が お訊きしてもいいなら、
比較の必要性とは、何ですか。
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15:25
R: まったく必要性は、ありません。
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15:28
K: もしもあなたが・・・
あなたが、仏教の学者でないなら、
すべての経典とブッダの言葉の (学者)ですが・
・・
もしも、あなたが学術的でなくて、
仏教に、とても深く 入ってきていなかったなら、
これを読んで、あなたはどのように、 打たれるのでしょうか -
それらの背景なしに、です。
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15:56
R: それは、私は申し上げられません。
なぜなら、私は、けっして その背景なしではなかったからです。
それは、条件づけられた状況です。
それは条件です。
私たちはみんな、条件づけられています。
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16:07
K: そのとおりです。
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16:09
R: ええ。ゆえに、私は その問いに、答えられません。
なぜなら、その地位が何であろうかを、 私は知らないからです。
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16:17
K: で、私が指摘してもよろしいなら -
あなたが気になさらないことを、願っています。
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16:27
R: ええ、まったく構いません。
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16:32
K: 知識は、人間たちを条件づけますか -
聖典の知識、
聖者たちが言ってきたこと などなどの知識、
いわゆる聖なる書物の全範囲 -
それはそもそも、人を助けますか。
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16:58
R: それは確かに・・・聖典と、 私たちの知識すべては、人を条件づけます。
それについて、疑いはありません。
それは条件づけます。それは条件づけです。
ですが、私は、知識は絶対的に 不必要ではない、と言うべきでしょう。
K: 絶対的に・
・・
R: 不必要ではない、と。 それは、ちょうどこのように、です -
ブッダは、きわめて明らかに、 これを指し示してきました -
あなたは、河を渡りたい。
橋はない。
あなたは、自分自身で舟を作る。
その舟の助けでもって、渡る。
向こう岸へ着いて、
あなたが、「この舟は、 私にとって、とても役立ってきた。
私にとって、とても助けになってきた。
私はここに、それを置いていけない。
それを運んで行こう」と考えて、
あなたがそれを担ぐなら、と。
18:03
彼は、比丘たちに訊ねます - 「その人は、正しく行為していますか」と。
彼らは、「いいえ」と言いました。
そのとき、あなたがすべきことは、 こう言うことです -
「もちろん、この舟は、私にとって とても助けになった。
だが、私は河を渡ってしまった。
今、それは私にとって、 もはや役立たない。
私はそれを、ここに置いていこう。
他の誰かが使うために」と。
それが、知識や学習への態度です。
ブッダは、言います - 教えさえも、 それだけではなく、美徳、
いわゆる美徳、道徳的な美徳さえもまた、 舟に似ている。
それらは、相対的な価値と、 条件づけられた価値を、持っている、と。
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18:44
K: 私は質問をしたいと思います。
私は、あなたが仰っていることを、 疑っておりません。
ですが、私は質問したいと思います -
知識は、その実際の意味において、
精神を解放する性質を、 持っているのかどうか、です。
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19:10
R: 私は、知識が解放できるとは、 思いません。
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19:13
K: その性質を持っていますか。
知識はできない。
ですが、あなたが 知識より招来する性質、です -
強さ、能力の感覚、価値の感覚、
自分は知っているとの感じ、 知識の重さ。
それは、自己を強めませんか。
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19:49
R: 確かに、確かに。
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20:02
K: で、知識は実際に、 人を条件づけますか。
そのように表しましょう。
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20:06
R: 知識が、ですか。 ええ、確かにそうです。
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20:11
K: で、「知識」という言葉は、 確かに、私たちが二人とも、
確かに、私たちのみんなが、 情報の蓄積、経験の蓄積、
という意味で、言います -
様々な事実と理論と原理の蓄積、 過去と未来、です。
そのすべての束を、私たちは 知識と呼びます。
そのとき、過去は、助けてくれますか。 なぜなら、知識は、過去であるからです。
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20:49
R: そのすべての過去、 そのすべての知識は、
真理が見えた瞬間、消え去ります。
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21:03
K: いえ。知識の重荷を負った精神は、 真理が見えますか。
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21:11
R: もちろん、精神が知識の重荷を 負い、混雑し、
それで覆われているなら、 その条件づけは・・・
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21:19
K: で、そうです。一般的に、そうです。
ほとんどの精神は、知識で満たされて、 不具になっています。
私は、「不具になった」という言葉を、 押しつぶされた、という意味で、使っています。
R: ええ、ええ。
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21:50
K: そういう精神は、 何が真理なのかを、知覚できますか。
または、それは、知識より 自由でなければなりませんか。
R: 真理を見るには、精神は、知識すべてより 自由でなければなりません。
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21:57
K: ええ。で、なぜ、知識を蓄積し、 それから、それを放棄し、それから、
真理を探し求めるべきなのでしょうか。
私が言っていることに、付いてきて おられますか。
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22:06
R: ええ、ええ。
私たちが生において、 通常の生活を取り上げるときさえ、
私たちが回避する物事のほとんどは、 始まりには、役立つ、と思うんです。
例えば、
私たちは、子どものとき、 学校での学習では、
罫線なしでは、書けません。
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22:33
K: もちろんです。もちろんです。
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22:35
R: でも、今日、私は、 罫線つきの紙には、書けません。
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22:38
K: ええ。
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22:39
R: でも、私はその段階では・・・
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22:42
K: ちょっと待ってください。 同意いたします。
学校、専門校と大学にいるとき、 線は、必要です -
書くための線、その他すべてが、です。
しかし、始まりは、 尋常でなく大事ではないですか -
彼が成長するにつれて、それは、 未来を条件づけるかもしれないでしょう。
私が言おうとしていることを、 理解されますか。
話が明らかになっているのかどうか、 私は知りません。
自由は、終わりにありますか。 始まりにありますか。
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23:36
R: それは、始まりも、 終わりもありません。
自由には、始まりも、 終わりもありません。
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23:49
K: ええ。ゆえに、自由は知識により 制限されると、仰るのでしょうか。
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23:58
R: 自由は、知識により制限されません。
おそらく、間違って適用されたり、 取得された知識は、
自由を、妨害するかもしれません。
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24:10
K: いいえ。知識の蓄積には、 間違ったとか、正しいとかは、ありません。
知識、です。
私は、一定の醜いことをして、 悔い改めるか、または、
それら醜いことを、 続けていくかもしれません。
それはまたもや、私の知識の一部です。
で、私は、知識は自由につながるのか どうかを、訊ねています。
あなたが仰るように、修練、規律は、 始まりには、必要です。
R: そのとおりです。
K: あなたが年を取り、成熟し、
能力などなどを取得するにつれて、
その修練は、精神を 条件づけてきていませんか -
それで、その言葉のふつうの 意味で、修練を
けっして放棄できないように、です。
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25:16
R: ええ。十分に、全く理解できます。
あなたは、修練が始まりに、 一定の水準において、
必要であることに、同意されます。
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25:25
K: 私はそれを問うのです。
私が、自分はそれを問う、と言うとき、
私は、それを疑うとか、それは必要でない、と いう意味ではありません。
私は、探究するために、 それを問うのです。
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25:37
R: ええ。一定の水準では、 それは必要だと、言うべきでしょう。
それをけっして放棄できないのなら -
例えば、今、私は、 仏教者の視点より、話しています。
道に関して、仏教には、 二つの言葉があります -
有学と無学、です。
有学は、道の途中にいて、
まだ到着していない人々すべてです。
それは、それらすべての修練、教誡と、
善し悪し、正しい、間違いの それらすべてのこと、という意味です。
真理を悟った阿羅漢は、無学と呼ばれます。
K: ええ。無学、ね。
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26:22
R: 彼は、何も修練を持ちません。
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26:23
K: ええ。ですが・・・
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26:24
R: 彼はそれを越えているからです。
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26:25
K: ええ。これは理解します。
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26:25
R: ですが、それは、生における事実です。
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26:28
K: 私はそれを問うのですよ。
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26:33
R: 私は、それについて 心に、疑いを持ちません。
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26:36
K: すると、私たちは、 探究を止めてしまいました。
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26:40
R: いいえ、そうではありません。
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26:43
K: いえ。私がいうのは、 私たちは知識について、話していますね。
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26:45
知識は、役立つとか、必要だとか、です。
河を渡る舟のように、です。
私は、その事実を、探究したいのです。
または、その直喩を、です。
それが真理であるのかどうか、
それが、真理の性質を、 持っているのかどうかを、です。
そのように表しましょう。
当分の間、私は、そのように表しています。
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27:31
R: 仰るのは、その直喩ですか。 または、その教えですか。
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27:36
K: その全体です。
その意味は・
・・ ちょっとお待ちください。
それは、進化を受け入れる、 という意味です。
R: ええ、進化を受け入れる、と。
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27:49
K: 進化を。
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27:53
次第に、一歩一歩、前進する。
そして究極的に、到る、と。
いいですね?
初めに、私は修練します。
制御、努力です。
私は、もっと能力を、もっとエネルギー、 もっと強さを、得るにつれて、
それを放棄して、先へ進みます。
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28:30
R: そのような計画は、何もありません。
そのような計画、プログラムは、 何もありません。
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28:36
K: いえ、私は、計画があるとは、 言っていません。
私は、探究のために、 訊ねています -
そういう動き、そういう前進が そもそも、あるのかどうか、です。
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29:00
R: あなたは、どうお考えですか。
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29:03
K: 私はどう考えるか、ですか。 ないですね。
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29:05
イルムガルト・シュレーゲル博士: 私は、あなたに 大いに同意します。私は、それを信じられません。
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29:11
R: ええ。前進はありません。
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29:14
K: いえ、私たちは、よく気をつけて、 それに入らなければなりません。
なぜなら、伝統全体が、
仏教のでも、ヒンドゥー教のでも、 キリスト教のでも、
すべての宗教的と、非宗教的な態度が、 時に、進化に、捕らわれてしまっているからです
- 「私は、もっと良くなるだろう。
私は、善くなるだろう。
私は最後に、善に花開くだろう」と。
いいですか。
私は、そこには、非真理の根がある、と 言っています。
そこには、非真理があります。 そのように表して、すみません。
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30:05
S: 私が入っても、よろしいでしょうか。
私は全面的に、それに同意いたします。
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30:10
K: 不同意ですか。
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30:12
S: 全面的に同意です。 K: 同意ね。
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30:13
S: 十分な理由のために、です -
|
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30:14
すなわち、私たちが知るかぎり、 人間たちが存在してきて以来、
私たちはいつも、 自らの様々な脈絡において、
自分たちは良くあるべきであると、 知ってきました。
もしも、何かこのようなことにより、 前進することが、可能であったなら、
私たちは、今日そうであるような 人間ではないでしょう。
私たちはみんな、充分に 進化してきていたでしょう。
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30:38
K: 私たちは、そもそも 進化したことがありますか。
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30:40
S: それが正確に - 私たちは進化したことが ありません - あったとしても、ほとんどありません。
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30:46
私たちは、テクノロジー的に、 科学的に、保健衛生的に、
その他すべてでは、 進化したかもしれません。
しかし、心理的に、内的に、 私たちは進化していません。
私たちは、一万年か、もっと前の 私たちのままなのです。
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31:01
S: で、私たちが、良いことをすべきだと 知っていて、
それをどうするかの体系を、多く 進化させてきたという事実は、
私たちが正確にそうなるのを、 どうやら助けてこなかったのです。
私たちが見るところ、私たちの みんなに、特定の障害があるし、
この障害が、必要とする・
・・
なぜなら、私たちは、全く正直に、 真心からするからですが、
私たちのほとんどは、良くなりたいが、 私たちのほとんどが、それをやってのけない。
ですが、私にとって危ういと思われるのは、 この切り抜けていくことです。
|
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31:36
K: そうね、私たちは、進化を 受け入れてきました。
生物学的には、進化があります。
私たちは、その生物学的な事実を、
心理的な存在へ、移行させてきました -
心理的に自分たちは進化するだろう、と 考えて、です。
|
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31:59
R: それがその態度であるとは、 私は思いません。いいえ。
|
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32:03
K: ですが、「次第に」と仰るとき、 それが、その意味することです。
|
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32:07
R: いいえ。私は、次第に、とは 言いません。私はそう言いません。
真理を悟ること、 真理を達成することや、
真理を見ることは、
計画なしのことです。立案なしです。
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32:25
K: 時の外にある。
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32:26
R: 時の外です。そのとおり。 時の外です。
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32:31
K: すると、それは、こういう意味です -
私の精神は、幾世紀、幾千年をかけて 進化してきました。
それは、時により条件づけられています。
それが、進化です。
それは、知識を取得することです - 知識を、もっともっと多く、です。
それが、とてつもない真理を、 開示するでしょうか。
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32:57
R: 開示するのは、 その知識ではないでしょう。
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33:00
K: では、私はなぜ、知識を 蓄積すべきでしょうか。
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33:02
R: でも、それはどうやって、 回避できますか。
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33:05
K: 心理的に回避する。 テクノロジー的には、そうではない。
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33:09
R: ええ、心理的にさえ、私は
どのように、それができますか。
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33:12
K: ああ、それは、違った事柄です。
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33:14
R: ええ。どのようにできますか。なぜなら、 あなたは、条件づけられているからです。
私たちはみんな、条件づけられています。
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33:18
K: ちょっと待ってください。 もう少し、それに入りましょう。
私はだいじょうぶでしょうか。
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33:28
B: いいですよ。
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33:33
K: 生物的、身体的に、
子どもの頃より、一定の年齢、成熟、
思春期などまで、
それは事実です。
小さなオークの木は、成長して、 巨大なオークの木になる。
それは事実です。
それは、事実ですか。
または、私たちが創り出したのか、 そうだと想定したのですか -
心理的に私たちは 成長しなければならない、と。
すなわち、心理的に、最終的に私は、 真理を達成するだろう、とか、
私が地盤を準備するなら、 真理が起きるだろう、とか、いうのは。
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34:22
R: いえ、いえ。
それは、あなたが到ったのは、 間違った結論です。
それは、間違った結論です。
真理を悟ることは、
進化(エヴォルーション)ではなくて、 革命(レヴォルーション)である、ということです。
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34:39
K: ええ。ゆえに、なぜ - 理解されますか -
精神は、この前進という観念より、
自由でありえますか - 心理的に、です。
R: もう一度、お願いします。
K: 精神は、この前進の観念より、心理的に、 自由でありえますか。
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35:02
R: それはありえます。
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35:04
K: いいえ、ありうる、ではない。そうでなければ なりません。さもないと、ありえません・・・
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35:08
R: それが、私が申し上げたこと、 革命(反逆)です -
革命は、進化、次第の前進ではない、と。
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35:20
K: で、心理的に、革命はありえますか。
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35:24
R: ええ、ええ。確かに。
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35:27
K: それは、どういう意味ですか。 時がない。
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35:30
R: 時が、ありません。
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35:33
K: ですが、宗教すべて、聖典すべては、
それがイスラムであっても、 または、何であっても、
あなたは、一定の体系を経て行かなければ ならない、と主張してきました。
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|
35:48
R: でも、仏教はそうではない。
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35:49
K: いいえ。ちょっと待ってください。
私は仏教と呼びさえしないでしょう。
私は知りません。私は、少年だったとき以外、
読んだことがありません。
それも、 私の精神から、出て行ってしまいました。
最終的に、と言うとき、
初めに修練してから、 その修練を手放さなければなりません。
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|
36:09
R: いいえ、私はそうは言いません。
私は、そのように想定しません。 ブッダもまた、しませんでした。
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36:16
K: では、どうぞ、私は間違っているかも しれませんが、あなたはどうお考えですか。
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36:21
R: お訊ねしますが、あなたは どのように進行しますか。
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36:25
K: 何の進行ですか。
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36:27
R: それを、真理の悟りを、あなたはそれを、 どのようにしますか。教えてください。
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36:30
K: ああ、それは、違った事柄です。 R: それをどうするかを、教えてください。
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36:31
K: それは、全く違った事柄です。
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36:32
R: ええ。私がいうのは、ちょうど・・・ そのようではない。
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|
36:35
私が言うのは、私たちが 条件づけられている、ということです。
誰も、それを回避できません - どれほどやってみても、です。
革命(反逆)は、あなたが 条件づけられていることを、見ることです。
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36:55
K: いいですよ。始めましょう。
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|
36:57
R: それは時を持たないことが、見えた瞬間、
それは、全面的な革命です。 それが、真理です。
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37:04
K: 仮に、自らが、進化の様式に 条件づけられている、とします - 進化の様式、です。
私はそうだった。
私はそうである。 私はそうなるだろう。それが進化です。
ちがいますか。 ナラヤン: ええ。
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|
37:25
K: 理解されますか。
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|
37:26
私は昨日、醜かった。
しかし今日、私はその醜さについて 学んでいて、自由になりつつある。
明日、私はそれより自由になるだろう。
いいですね?
それが、私たちの態度全体、
私たちの存在の心理的な構造です。
これは、毎日の事実ですよ!
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37:59
R: 私たちは、それが見えますか。
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38:01
K: 待って。私たちは、それが見えます。 いいですか?
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38:05
R: いいえ。そうね、理解は、 知的に、言語的に、一つのことです。
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38:12
K: いいえ。私は、知的にとか、 言語的にとか、話していません。
それは事実です -
「私は良くなろうとしよう」。
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38:21
R: 良くなろうとするとの疑問は、 ありません。
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|
38:23
K: いえ、いえ。ブッダによって、ではなく、
聖典によって、ではなく、
毎日の生活の、平均的な人間 -
彼は、「私は、自分があるべきほどに、 良くない」と、言います。
ですが、「私に二週間か、二年間を与えてくれ。
最終的に、私は、 怖ろしく良くなるだろう」と。
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38:46
R: 確かに、それが、人々の態度です。
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38:49
K: 実質的に、あらゆる人の、です。
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38:50
R: 実質的に、あらゆる人の、です。 全く同意します。
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38:52
K: さて、ちょっと待ってください。
それが、私たちの条件づけです。
キリスト教徒、仏教徒 -
全世界が、この観念により 条件づけられています。
それは、生物学的な前進より、動いて来て、
心理的な分野へ、入ったのかもしれません。
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39:16
R: ええ。それが、あなたとの論点です。
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39:19
K: さて、人は - 女も、ですが - 人間は、どのように
時なく、この様式を 破るべきでしょうか。
質問を理解されますか。
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39:41
R: ええ、ええ。
それはただ、見ることによって、です。
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39:45
K: いえ、いえ。私は、このいまいましい前進の 醜さに、捕らわれているなら、見えません。
あなたは、ただ、見ることによって、だ、と仰るが、 私は、「私には見えない」と言います。
|
|
39:57
R: すると、できませんね。
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|
39:58
K: いえ。でも、私は、それを 探究したいのです。
すなわち、なぜ私たちは、 括弧付きの「前進」へ、心理的に、
こんなに重要性を、与えてきたのでしょうか。
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|
40:16
I.シュレーゲル: 私は、学者ではありません。 それで、私は実践的な面から、参ります。
ちょっとの間、私が 入ってきてもよろしいですか。
私は実践者ですが、
私は、自らの実践を、 仏教の分野で行ってきました。
西洋人で、かつての科学者としての 私にとって個人的に、
私は、最も満足できる答えを、 仏教の教えに、見つけてきました -
すなわち、私は自分自身を盲目にする。
私が自分の障害である。
私が、自分の条件づけの束すべてと ともに、ここにいるかぎり、
私は見えない、行為できない、と。 それが、可能性だと思われます。
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|
40:58
K: それは助けになりません。 それは助けになりません。
あなたは、「私はそれを 学んできた」と、仰っています。
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41:05
S: 私はそれを学んできましたが、
私は、むしろ、ピアノ演奏を学ぶのと 同じように、それを学んできました -
教科を学習するように、 というよりは、です。
それが、私が寄与したいと思う点です。
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41:24
K: いえ。またもや、あなたは、 ピアノの演奏に、戻ろうとしています。
それは、実践という意味です。
すみません。実践ではない。良いピアニストは 実践しないと、私は聞かされてきました。
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41:35
S: 私は、それになるために、 実践してきたにちがいありません。
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41:41
K: で、私たちは、この終わりに、 何について、話していますか。
|
41:46
ナラヤン: ここには、一つの困難が あるように、思われます。
知識は、一定の魅惑、 一定の力を、持っています。
自らは知識を蓄積します - それが仏教的でも、科学的でも、です。
それはあなたに、独特の自由の 感覚を、与えてくれます -
それは自由ではないけれども。
それは、もっと、通常の自由の領域に、 あるんです。
何年もの研究の後、これから抜け出すことは、 とても困難だと、見ます。
なぜなら、長年をとおして、
二十年、二十五年をとおして、 あなたは、これに到着するし、
あなたは、それを評価します。
それは、真理と呼んでもよさそうなものの 性質を、持っていません。
R: 確かに。
N: すべての実践に 関する困難は、あなたが実践するとき、
何かを達成する、ということである、と 思われます。
達成は、通常の真実の種類のです。
それは、一定の力、一定の魅惑、 一定の能力を、
持っています - たぶん一定の明晰さを、です。
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42:47
R: それにより、それへ執着します。
|
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42:48
N: ええ。それから離れ去ることは、 初心者にとってより、はるかに困難です。
これらのものを持っていない初心者は、
取得した英知を、多く持っている人より、
何かを、直接的に見るかもしれません。
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43:09
R: たぶんね。
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43:12
N: そうですか。
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|
43:14
R: それは、個人に依存します。
一般化はできません。
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43:21
N: ええ。一般化はできません。
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43:23
K: できますよ。私が指摘してもよろしいなら、 原理として一般化できます。
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43:28
R: 原理として、どのようにですか。
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43:33
K: つまり - それへ戻りましょう。
私たちはみんな、この前進の観念に、 捕らわれています - いいですか?
-
到達の(観念に)、です。
|
43:49
R: その点で、合意に到りましょう -
すなわち、前進が、次第の 進化的な事柄であることを、
人類は、事実として受け入れる、と いうことです。
K: ええ。
R: あなたが仰ったように、生物学的に、 彼らは受け入れたし、証明してきました。
だから、彼らは、同じ理論を 心理的なことへ、応用します。
私たちは、それが人類の地位であることに、 十分に同意します。
|
|
44:13
K: で、私は、それは真理ですか、と 言います。
私は、生物学的な前進を、生物学的な進化を、 受け入れてきたかもしれません -
それを、私は次第に、心理的な存在へ、 移行させてきたのです。
今、私は、それは真理ですか、と言います。
|
|
44:37
R: 今、私は、あなたの問いが、分かります。
私は、それが真実だとは、思いません。
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44:41
K: ゆえに - ちょっと待って -
ゆえに、私は、修練の観念全体を、 放棄します。
R: それが見えるとき、
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44:49
K: いえ、いえ。
|
|
44:51
R: 放棄するという疑問はない、と 私は言うべきでしょう。
|
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44:53
意識的にそれを放棄するなら・・・
|
|
45:00
K: いいえ。ちょっとお待ちください。
私は、人間たちがしてきたことが、 見えます -
それは、生物学的なことより、 心理的なことへ、動くことです。
そこに彼らは、この観念を、 創案してきました - すなわち、
最終的にあなたは、神性に 到るだろう、とか、
または、進化、覚り、です。
ブラフマンに到る、
何であれ、それに到る - 涅槃や天国に、また地獄にも、です。
人間が、それの偽りを見るとき
- 理論的にでなく、実際に、です -
そのとき、それは終了しています。
|
|
45:52
R: 絶対的に、です。それが、私が 今回ずっと、申し上げることです。
|
|
45:55
K: ゆえに、それなら、なぜ私は、 聖典や、あれやこれの
知識を、心理的に取得すべきですか。
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46:04
R: それは必要ではありません。
|
|
46:05
K: すると、私は、なぜ ブッダを読むのですか。
|
|
46:08
R: それが、私が申し上げたことです。 私たちはみんな、条件づけられています。
|
|
46:12
D.ボーム: 私があなたに言ってよろしければ、私は 質問をできるでしょうか。 K: 口出ししてください。
B: すなわち、あなたは、私たちがみんな 条件づけられていることを、受け入れますか。
|
|
46:21
K: ボーム博士は、訊ねます - 私たちはみんな、自分 たちが条件づけられていることを、受け入れますか。
|
|
46:25
R: あなたがそれを受け入れるか、受け入れないかを、 私は知りません。私はそれを受け入れます。
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|
46:30
K: いいえ。 R: 時の中に・・・ (いない人は、)誰もいません。
時の中にいることが、条件づけられることです。
|
|
46:42
K: いえ。ボーム博士は訊ねています。
彼の問いの意味合いは、こうです -
あなたが訊ねていることを、 私が翻訳しなくてはいけませんか。
進んでください。今、あなたの出番です。
|
|
46:59
B: まあ、私は単に、こう言っています - 私はそれを、どう表されるのか。
クリシュナジは、少なくとも、私たちの議論の 幾つかにおいて、こう仰っていたと、思います -
自分は始まりに、 深く条件づけられていなかった。
ゆえに、彼は、普通にならない 一定の洞察を、持った、と。
それは、公正ですか。
|
|
47:22
R: 私はそれは・・・
|
|
47:24
K: 彼は、私に言及しています。 私を放っておいてください。
私は、生物学的な変種なのかもしれません。
だから、私を、その外に放っておいてください。
それは全然、重要ではありません。
私たちが議論しようと していることは、こうです -
心理的に私たちは、
前への動きはないという真理を、 認められますか -
それの観念ではなく、それの真理を、です。
私が言ったことを、理解されますか。
|
|
48:14
R: ええ。理解します。
|
48:15
K: それの真理を、です。 私はそれの観念を受け入れる、のではない。
観念は真理ではありません!
R: ええ。
K: で、私たちは人間として、
自分たちがしてきたことの 真理や偽りを、見ますか。
|
|
48:36
R: 人間たちが一般的に、ということですか。
|
|
48:40
K: 全世界が、です!
|
|
48:41
R: いいえ、彼らは見ません。 彼らは、確かに見ません。
|
|
48:46
K: それで、あなたが彼らに、語っているとき - もっと知識を得なさい。
これを読みなさい。
あれを読みなさい -
聖典を、 ブッダが言ったことを、
キリストが言ったことを - 彼がそもそも存在したとして、です -
などなど、と。
彼らは、この蓄積的な本能に、 満ちています -
それが、彼らを助けて、天国へ跳び込ませるのか、 彼らを推進して、突っ込ませるのでしょう。
|
|
49:15
R: ええ。あなたは、何かを仰りたいですか。
|
|
49:21
B: 私たちが、自分たちはみんな 条件づけられている、と言うとき、
私たちはそれを、どのように確立しますか。
私たちは、自分たちがみんな条件づけられて いることを、どのように知りますか。
それが本当に、私が言いたかったことです。
|
|
49:30
K: ええ。彼の問いはこうです - すべての人間は、条件づけられていますか。
|
|
49:42
R: それは、とても錯綜した問いです。
私たちの社会が、関連しているかぎり、 すべてが、条件づけられています。
条件づけられていない人は、 誰もありえません。
なぜなら、彼は、 類型の内にあるからです。
しかし、私たちが話していることは、
時を持たない、条件づけられていない
真理の悟りです。
ですが、あなたが人類を取るように、 それは、一人の人間であるとは、言えません。
|
|
50:19
B: ですが、私は本当に、これを 強調したいと思いました -
私たちはみんな条件づけられている、 と言うなら、
二つの道が、ありうるでしょうね。
一つの道は、私たちの条件づけについて
知識を蓄積しつつ、見ること、
私たちは、普通の人間的経験を観察する、と 言うことでしょう -
私たちは人々を見つめられ、
彼らは全般的に、 条件づけられていることが、見える、とね。
そして、他の道は、 こう言うことでしょう -
より直接的なさまで、私たちがすべて条件づけ られていることが、直接的に見えますか、と。
それが本当に、私が 目指そうとしていたことです。
|
|
50:48
R: それはもちろん、それが見える人々が いると、私は言うべきでしょう。
|
|
51:00
K: でも、それは、この事柄で 助けになりますか。
それは、いるかもしれないし、いないかも しれない、ということです。誰に分かりますか?
|
|
51:16
B: そうね、私が示そうとしていた 唯一つの点は、こうでした -
私たちが、自分たちはみんな 条件づけられている、と言うなら、
或る種の修練をしたり、 段階的なアプローチより他に、
何もすることはない、と思う、と いうことでした。
すなわち、あなたは、自分の 条件づけでもって、始めるんです。
|
|
51:29
K: 必ずしもそうではない。 私は、それが分かりません。
|
|
51:31
B: まあ、それを追求しようとしましょう。
それが、私があなたの問い、彼の問いの 意味合い、ラーフラ博士の問いを、受け取るさまです
- すなわち、私たちはみんな、 条件づけられて始めるなら・
・・
K: ・・・私たちはそうです。
|
|
51:42
B: 私たちはそうです。
|
|
51:43
そのとき、私たちは次の一歩に、 何をできますか。
|
|
51:47
R: 「次の歩み」と呼ばれるものは、 何もありません。
|
|
51:54
B: 私たちは、どのように 確かめられますか。
私たちは条件づけから、どのように 自由でありえますか -
何であれ、私たちがすることを、 しながら、です。
|
|
52:02
R: 条件づけからの自由は、 見ることです。
|
|
52:09
B: まあ、同じ問いです - 私たちはどのように見ますか。
|
|
52:12
R: それはもちろん、多くの人々が、 様々な道を試してきました。
|
|
52:19
K: いえ、いえ。 様々な道は、ありません。
あなたは、道と言った瞬間、 すでに彼を、条件づけています。
|
52:28
R: それが、私の言うことです。
それらは、終了してしまいます。
それが、私の言うことです。
あなたもまた、自らの講話により、 条件づけつつあります。
K: 何ですか。
よく分からない・・・
R: ですが、私が言うのは、
あなたの講話、講義と教えもまた、 条件づけています。
精神の条件づけを解こうと することもまた、それを条件づけています。
|
52:57
K: いえ、いえ。私は その発言を、問います -
私たちが話していることが、精神を 条件づけるのかどうか、です。
R: ええ、それが論点です。
K: 精神とは、頭脳、思考、感情、
人間の心理的な存在全体です。
R: ええ。
K: Kが話していることが、精神を 条件づけるのかどうか、です。
私はそれを疑います。私はそれを問います。
|
|
53:34
R: 私が思うに・・・
|
|
53:37
K: 申し上げていいなら、私たちは 中心的な主題より、逸れていきつつあります。
|
|
53:40
R: ええ。
問いは、どのようにそれを 見るのか、です - こうですか。
|
|
53:53
K: いいえ。いいえ。
「どのように」ではない。
「どのように」は、ない。
初めに、この単純な事実を 見ましょう。
私は、一人の人間として、
ゆえに、人類すべての代表として
- 私は人間です。
いいですか?
ゆえに、私は、 人類すべてを代表します。
いいですか?
|
|
54:30
S: 個人的なさまで、です。
|
|
54:32
K: いいえ。人間として、です。私は、 あなたたちを、全世界を、代表します。
なぜなら、私は苦しむし、 私は苦悩を経てゆく、
精神的に・
・・等々々であるからです。 あらゆる人間もまた、そうなのです。
で、私は、一人の人間として、 偽りが、見えますか -
人間たちが進んできた歩み、
生物学的なものから、心理的なものへ、
同じ精神性をもって、動いたことが、です。
そこでは、前進 - 小さなものより 大きなものへ、などなど、
車輪からジェットへ、です。
一人の人間として、私は、人間たちが 創り出してきた悪さが、見えますか -
そこからここに動いて、です。
理解されますか。
|
|
55:44
R: ええ、ええ。付いていっています。
|
|
55:45
K: 私はそれが見えますか。 そのテーブルが見えるように、です。
または、私は、「ええ、私は、それの理論、 それの観念を、受け入れます」と言うのですか。
そのとき、私たちは迷っています。
話が明らかになっているのかどうか・・・ ゆえに、観念、理論は、知識です。
|
|
56:14
S: 私はそれが、このテーブルのように 見えるなら、それはもはや理論ではありません。
|
|
56:19
K: それは事実です。
しかし、あなたが、事実より 動いて離れた瞬間、
それは、観念、知識、その追求に、 なります。
|
|
56:27
S: それは、それ自体を創り出す 絵図を、さらにさらに、持っています。
|
|
56:29
K: さらに事実を離れて、です。
話が明らかになっているのか どうか、私は知りません。
|
|
56:35
R: ええ、全くそうです。 そのとおりかと思います。
|
|
56:40
K: 何が、ですか。 人間たちは動いて、離れると?
|
|
56:46
R: 人間たちは、そこに 追い込まれています。
|
|
56:51
K: いえ、いえ、いえ。
それは、事実です。
そうではないですか -
すなわち、生物学的な前進は、あるのです。
小さな木が、巨大な木になる。
赤ちゃん、その他すべてより、 少年期、思春期と。
さて、私たちは、その精神性とともに、 その観念とともに、その事実とともに
動いて、心理的な分野へ入り込み、
自分たちは前進するとの事実を、 そこで創り出してきたのでしょうか
- それは、偽りの動きですが。
私の話が明らかになっているのかと、 思われます。
|
|
57:39
B: あなたは、それは条件づけの 一部であると、仰っていますか。
|
|
57:42
K: いえ、そうせず・・・当分の間、 条件づけは、放っておいてください。
私はそれに、入りたくありません。
あなたは、こう仰るのでしょうか -
なぜ私たちは、生物学的な成長より 心理的な成長へ動き、
持ち越してきたのでしょうか。
なぜですか。
それは事実です。なぜ私たちは、 これをしてきましたか。
|
|
58:08
S: 私は、何かになりたいと思いました。
|
|
58:11
K: すなわち、あなたは、満足がほしい。 あなたは、安全が、確実性が、
達成感が、ほしいのです。
|
|
58:20
S: 推し進めるのは、 そのほしがる中に、あります・・・
|
|
58:23
K: で、なぜ私は、人間は、 自らが何をしてきたのかを、見えませんか -
理論的に、ではなく、実際に、です。
S: 普通の人間として。
|
|
58:32
K: あなた、私、X、Y、あなたが、です。
|
|
58:34
S: 私は、それを見たくありません。 私は、それを恐れるのです。
|
|
58:36
私はそれを、極端に遠ざけようとします。
|
|
58:43
K: ゆえに、あなたは、 幻影の中に生きています。
|
|
58:46
S: 当然です。
|
|
58:48
K: なぜですか。
|
|
58:52
S: 私は何かになりたい・・・ K: いえ、いえ。
|
|
58:53
S: 私は、同時に、 それが見えないことを、恐れます。
|
|
58:54
これが、分割があるところです。
|
|
59:01
K: あなたは、偽りの恐れを、持っています。 何も恐れは、ないのです。いえ、実際に、マダム。
あなたは、自らが何をしてきたのかが、 見えるとき、何も恐れは、ないのです。
|
|
59:13
S: ですが、事実は、私がふつう それを見ない、ということです。
|
|
59:16
K: なぜあなたは、 それを見ないのですか。
|
|
59:20
S: 私は、恐れのために、疑ってみます。
私は、なぜかを知りません。 私は、そうしたくないのです。
|
|
59:29
K: あなたは、全く違った 恐れの分野へ、入りつつあります。
が、私は、探究として 知りたいと思うのです -
なぜ人間たちは、こうしてきたのか。
幾千年もの間、このゲームを してきたのか、です。
理解されますか。
なぜ、この偽り・
・・ この偽りの構造の中に、生きること。
それから、人々がやってきて、
「利己的になるな。これであれ」、 その他すべてを、言います。
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1:00:05
R: なぜですか。
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1:00:09
S: 私たち、人間すべて、私たちは、 自らの中に、とても強い非理性的な側面を、
持っています。
非理性的な側面 - それは すっかりは拒否できないと、私は思います。
K: 私は、これらを問います。
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1:00:19
S: あなたは、それを問いますか。
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1:00:20
K: なぜなら、私たちは、 事実とともに、ではなく、
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1:00:22
観念と知識とともに、 生きているからです。
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1:00:33
R: 確かに、確かに。
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1:00:36
K: 事実とともに、ではない。
事実は、こうです - 生物学的には、ある。
心理的には、ない。
それで、私たちは、 知識、観念、理論、哲学、
その他すべてへ、重要性を与えます。
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1:00:58
R: あなたは、心理的にすら、 一定の発達、進化に、
まったく同意されない。 まったくそれを、見ないのですか。
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1:01:11
K: ええ。
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|
1:01:15
K: きわめて望ましくなかった人、 犯罪的で、嘘をつく、盗む、
これらすべてのことですが、
あなたは彼に、一定のきわめて根源的な、 きわめて初歩的なことを、説明します。
彼は - 通常の意味で - より良い人に、変化します。
今、彼は盗まない。
今、彼は、嘘をつかない。
今、彼は、他人を殺そうとしない。
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1:01:44
K: 彼は、テロリストです。
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1:01:47
R: そのように変化した人、です。
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1:01:49
K: ええ。
あなたは、こう仰っていますか。
邪悪な人 - 括弧付きの「邪悪」です。
世界に出回っているテロリストたち。
彼らの未来は、何ですか、と。
あなたは、それを訊ねていますか。
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1:02:14
R: いいえ。
あなたは、認められた意味での犯罪者が ・・・というのに、同意されませんか。
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1:02:27
K: 認められた、 「犯罪者」という言葉ね、ええ。
|
|
1:02:31
R: あなたは、そのような犯罪者に出会います。
あなたは彼に、 彼の間違った生き方を、説明します。
彼は、あなたが言ってきたことを、 悟ります。
彼が悟った観念のためか、
あなたの人格的な影響力のためか、 それが何であろうとも、
彼は変容します。彼は変化します。
|
|
1:02:53
K: 私は、確かではありません。 私は、確かではありません。
その言葉の正統的な意味での 犯罪者ですが、
あなたは彼に、そもそも 話をできるのかどうか、です。
|
|
1:03:08
R: それは、私は知りません。
|
|
1:03:09
K: つまり、あなたは彼を宥和できる。 「してはいけない」とか・・・
彼に、褒美とあれとこれを、 与えられますね。
ですが、実際の犯罪的な精神の人 -
彼は、いったいどの正気にも、 聞くのでしょうか。
テロリストは、そうね、テロリスト -
彼は、あなたに、あなたの正気に、 聞くのでしょうか。もちろん聞きません。
|
|
1:03:32
R: それは言えません。私は知りません。 私はそれについて、さほど肯定的ではありません。
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1:03:36
K: それが、起きつつあることですよ。
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1:03:40
R: しかし、私は何も証明を 持っていません。私はそう言えません。
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|
1:03:43
K: 私もまた、証明を持っていません。 ですが、何が起きつつあるかを、見られます。
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1:03:48
R: 起きつつあることは、です - テロリストたちが、いる。
私たちは、テロリストが変容して、 善人に転向したのかどうかを、知りません。
私たちは、何も証明を持っていません。
|
|
1:04:00
K: そうね、それが、私の全部のことです。
悪人が進化して、善人になる。
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1:04:12
R: 通俗的な意味と通常の意味において、
それは、確かにあります。 私は、それを否認できません。
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|
1:04:22
K: 私はよく付いていけません。
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|
1:04:24
R: 悪人が・・・ K: 括弧付きの「悪人」ね。
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1:04:25
R: ええ、そのとおりです。 括弧の中の、です。
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1:04:27
悪人、または犯罪者が、 自らの生の道を、変化させて、
善人になる。 善もまた、括弧の中の、です。
|
|
1:04:43
K: ええ。私たちは、それを知っています。 私たちは、何十もの実例を、持っています。
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|
1:04:49
R: 私たちは、それを まったく、受け入れませんか。
|
|
1:04:51
K: ですが、いえ、いえ。ちょっと待って。 ちょっと待ってください。
悪人 - 嘘をつく人
残酷なことなどをする人は、
たぶん或る日、それが 醜い事柄であることを、悟って、
「私は変化して、良くなろう」と 言います。
ですが、それは善さではない。
善さは、悪さより生まれない。
|
|
1:05:26
R: ええ。確かに、悪さより、ではない。
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1:05:29
K: ゆえに、括弧付きの「悪人」は、
けっして、括弧なしの 善人に、なりえません。
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1:05:39
R: いや、私はきっと、善さを 括弧に入れるでしょう。
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1:05:43
K: ああ、善さは、 悪いことの対極ではありません。
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1:05:48
R: その水準では、そうです。 K: どの水準でも、です。
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|
1:05:50
R: 私はそれを受け入れません。
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1:05:52
N: 私たちはそれを、このように 表してもいいかもしれません。
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1:05:59
実在の水準、通常の水準において、
悪人は善人になる。
私たちは、その言い回し、 その態度を、心理的に
前進へ運んで行く、と思います。
それが、私たちがする一つのこと、 人間精神がすることです。
|
|
1:06:24
R: それが、私たちが話していたことです。
すなわち、この観念の、 心理的な領域への移行です。
|
|
1:06:31
K: いいえ。私はむしろ・・・
あなたは、何かを 言おうとしていましたか。
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1:06:37
N: 他のことは、こうです -
私たちは、心理的な前進が、 相対的な水準で悪人が善人になる、
ただ一つの道であると、 感じるように、思われます。
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|
1:06:50
K: 私はそうしたくもないのですが・・・
そうね、ナラヤン、あなたは再び、 それを、相対的なことにしつつありますよ。
私はそれを、このように表しても いいですか - 対極は、ありますか。
N: 相対的な水準には。
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|
1:07:09
K: いいえ。どの水準においても、です。
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|
1:07:12
心理的な、です。もちろんです。
あなたは、黄色の服を着ているし、 私は、ブラウンのを着ている。
対極 - 夜と昼。
男と女などなど、です。
ですが、恐れの対極は、ありますか。
善さの対極は、ありますか。
愛は、憎しみの対極ですか。
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|
1:07:53
R: ええ。あなたが私に、 お訊きになるなら・・・
|
|
1:07:54
K: 対極。それは、二元性を意味しています。
|
|
1:07:57
R: ええ、確かに。 私はこう言うでしょう -
私たちは、二元的な用語で、 話をしている、と。
|
|
1:08:07
K: 言語すべては - 言語は、 今あるように、二元的です。
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|
1:08:11
R: 二元的なアプローチなしに、 あなたは話せません。私は話せません。
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|
1:08:14
K: ええ。比較し、判定して、です。が、 私は、それについて、話していません。
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|
1:08:17
R: この瞬間にあなたは、絶対について、 究極について、語られます。 K: いえ・・・
R: 私たちは、善と悪について話すとき、
二元的な水準で話しています。
|
|
1:08:32
K: いいえ。そういうわけで、 私は動いて、離れたいと思うのです。
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1:08:34
R: あなたは、善と悪ということに立って、 絶対について、話せません。
絶対的な善や悪と呼ばれるものは、 ありません。
|
1:08:39
K: いいえ、いいえ。
勇気は・
・・勇気の対極は何ですか。
B: 恐れです。
K: 恐れ。
勇気は、恐れの対極ですか。
すなわち、恐れが不在であるなら、 それは勇気ですか。
または、それは、何か全然違ったものですか。
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|
1:09:11
S: それは、何か全然違ったものです。
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|
1:09:13
K: ゆえに、それは対極ではありません。
善は、けっして悪の対極ではない。
で、私たちは、何を話しているのか - 私たちが、「私は自分の条件づけより、
動こう、変化しよう」と言うとき、 すなわち、悪いものより、
条件づけからの自由、 すなわち善へ、です。
ゆえに、自由は、 私の条件づけの対極です。
ゆえに、それは、まったく 自由ではないのです!
その自由は、私の条件づけより、 生まれています。
なぜなら、私はこの牢獄に、捕らわれているし、 私は自由になりたいからです。
それは、牢獄への反応です - それは、自由ではありません。
|
|
1:10:23
R: 私はよく付いていけません。
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|
1:10:33
K: 私たちは一分間、 考慮できるでしょうか。
愛は、憎しみの対極ですか。
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|
1:10:51
R: ただ一つ、言えることは、
愛があるところ、憎しみはない、と いうことです。
|
|
1:10:57
K: ああ、いえ、いえ。私は、 全く違った質問をしています。
私は訊ねています - 憎しみは、 慈しみ、愛の対極ですか。
そうであるなら、その慈しみの中、 その愛の中には、憎しみがある。
なぜなら、それは、憎しみの中より、 対極の中より、生まれているからです。
すべての対極は、それら自らの対極の中より 生まれています。ちがいますか。
|
|
1:11:30
R: 私は知りません。 それは、あなたが仰ることです。
|
|
1:11:35
K: ですが、それは事実です。 ごらんください。私は恐れています。
私は、恐れをなくしてしまうために、 勇気を養成します。
私は、恐れを取り除くために、
そうね、酒を飲むとか、 その他すべてをします。
その終わりに、私は、 「私はとても勇敢だ」と言います。
戦争の英雄すべてと、残りの彼らすべてが、
このために勲章をもらいます。
なぜなら、彼らは怯えているし、
彼らは、「私たちは行って殺さなければ ならない」と言うか、何かをするからです。
そして、彼らは、 とても勇敢です。英雄です。
|
|
1:12:15
R: それは勇気ではない。
|
|
1:12:18
K: ゆえに私は、言っています - その対極の中より生まれたものは、
どれも、それ自らの対極を 収容している、と。
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|
1:12:29
R: どのように?
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|
1:12:33
K: 誰かが憎んで、それから、
「私は愛さなければならない」と言うなら、
その愛は、憎しみの中より生まれています。
なぜなら、彼は、憎しみが何かを知っているし、
彼は、「私はそうであってはならない。
私は そうでなければならない」と、言うからです。
で、それは、これの対極です。
ゆえに、その対極は、 これを収容しています。
|
|
1:13:05
R: それが対極なのかどうか、 私は知りません。
|
|
1:13:08
K: それが、私たちの生き方ですよ!
これが、私たちがすることなのです!
私は性的ですが、 私は性的であってはならない。
私は純潔の誓いを立てる。
私が、ではなく、
人々は、純潔の誓いを立てる - よろしいですか - それは、対極です。
で、私たちはいつも、この対極の 回廊に、捕らわれています。
私は、回廊全体を問うのです。
私は、それが存在するとは、 思いません。
私たちは、それを創案してきました。
ですが、実際に、 それは存在していません。
つまり、どうぞ、これは説明です。 何をも、受け入れないでください。
|
|
1:14:05
S: 個人的に、私は、
この瞬間の自分のさま、立場より、 それを見ます。
私は、それの真理、あるいは
何かへの可能性を、主張しません。
それは、作業仮説です。
|
|
1:14:20
K: いえ。マダム、あなたは・・・
|
|
1:14:22
S: 私は、この経路を 人間らしくなる要因と、見ます。
|
|
1:14:26
K: どれを、ですか。
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|
1:14:28
S: この対極の経路を、です。 私たちは、それに捕らわれています。
|
|
1:14:31
K: ああ、いいえ。それは、 人間らしくなる要因ではありません!
それは、こう言うのに似ています -
「私はずっと部族的な実体だった。
今、私は民族になった。
それから究極的には、国際的になる」と。 それはやはり、部族主義がつづいているんです。
|
|
1:14:50
S: いえ。それには、全く同意します。
私はそれを、本当に野蛮な段階、 という意味で、見ます。
あなたが、脚を折ったとき、 私は、笑っていたかもしれません。
この頃、私はもはや笑いません。
そういう意味で言っています。
|
|
1:15:09
B: 私が思うに、私たちは実際に・・・
あなたたちはどちらも、私たちは、何らかの意味で 前進をする、と仰っていると、思います -
私たちは、かつてそうだったほど 野蛮ではない、という意味で、ですね?
|
|
1:15:22
S: それが、私が、人間らしくなる要因として、 言っていることです。
|
|
1:15:24
B: それが、あなたたちがどちらも 仰っていると、思うことです。
|
|
1:15:26
K: 私は、それで人間らしくなっているのか どうかを、問います。
|
|
1:15:29
R: 私は、事実の極端へ、 行きたくありません。
|
|
1:15:34
K: いいえ。これは、極端ではありません。これは、 ただの事実です。事実は、極端ではありません!
|
|
1:15:39
B: あなたは、これは、真正の 前進ではないと、仰っていますか。
そうね、過去に、一般的に人々は、 今日そうであるより、
はるかに野蛮でしたね。
ゆえにあなたは、それは本当に 大した意味がない、と仰るのでしょうか。
|
|
1:15:53
K: よく付いていけません。
|
|
1:15:54
B: まあ、或る人々は、 自分たちの過去を指して、
あのとき、大変多くの野蛮性が あったと、言います。
K: 私たちは、いまだに野蛮です。
|
|
1:16:00
B: ええ、そうです。
|
|
1:16:01
が、或る人々は、私たちは さほど野蛮でない、と言います・・・
|
|
1:16:04
K: 「さほど」ではない。
|
|
1:16:05
B: 私たちがそれを正せるのか どうかを、見てみましょう。
今、あなたは、それは重要でない、 それは意義深くない、と仰るのでしょうか。
|
|
1:16:12
K: ええ。私が、「私は かつての私より、良い」と言うとき、
それは、何の意味もありません。
|
|
1:16:18
B: それを言うことには、 何の意味もないと、あなたは仰る。
|
|
1:16:20
K: 絶対的に、それは意味がありません。 B: 私たちはそれを明瞭にすべきだと、思います。
|
|
1:16:24
R: 相対的な、二元論的な意味では、 私は、それを受け入れません。
|
|
1:16:28
私は、それが分かりません。
ですが、絶対的な、究極的な意味では、 そのようなものは、ありません。
|
|
1:16:44
K: いいえ、究極的に、ではない。私は、「究極的に」 というその言葉を、受け入れもしないでしょう。
私は、いかに対極が 生まれるのかが、毎日の生活において
見えます - 究極的に、ではない。
私は貪欲です。
それは事実です。
私は、無貪欲になろうとします - それは、非事実です。
ですが、私は、自分が貪欲であるとの 事実とともに、留まるなら、
私は、それについて 実際に、今、何かができます。
ゆえに、何も対極はありません。
そうね、暴力と非暴力です。
非暴力は、暴力の対極です -
ですね?
理想として、です。
で、非暴力は、非事実です。
暴力が、ただ一つの事実です。
ですね?
で、そのとき私は、事実を取り扱えます - 非事実を、ではない。
|
|
1:18:17
R: では、あなたの論点は、何ですか。
|
|
1:18:18
K: 私の論点はこうです - 日常生活にすら、 二元性はない、ということです。
それは、これらすべての 哲学者、知識人たちの創案です -
彼らは、「二元性がある。
そのために働きなさい」と言います。
ユートピア論者、理想主義者です。
事実は、私は暴力的である、 ということです。
それだけです。
私はそれを、取り扱いましょう。
それを取り扱うには、 非暴力を、創案しないでください。
|
|
1:18:47
S: ゆえに問いは、こうです - 私は、 自分が暴力的であるとの事実を、受け入れてきて、
今、それを、どのように 取り扱おうとしているのか。
K: いいえ。受け入れて、ではない。それは事実です。
|
|
1:18:53
S: ・・・それを見てきて・・・
|
|
1:18:55
K: 待って。そのとき私たちは、進行できます。 私はあなたに、示しましょう。
|
|
1:18:57
S: 問いは、どう進行するのか、です。
|
|
1:18:59
K: 私たちは、それとともに 前進するでしょう。
|
|
1:19:02
ですが、私は初めに、自らがしてきた ことを、見なければなりません。
私は、事実を回避し、 非事実へ逃げ去ります。
それが、世の中で起きつつあることです - いたるところで、です。
で、逃げ去らずに、 事実とともに留まってください。
あなたは、それをできますか。
|
|
1:19:39
S: それは、私たちの訓練の一部です。
それは、私が学んだ訓練の一部です。
それが、正確に論点です。
|
|
1:19:46
K: すみません。私は、「訓練」と いう言葉を、受け入れないでしょう。
|
|
1:19:48
S: まあ、それは正確には、この 「あなたはそれをできますか」です。
|
|
1:19:52
K: 私は、もちろん、あなたは それをできると、言いました。
|
|
1:19:54
S: 自らは、しばしばそうするのが 好きではないけれども、そうします。
|
|
1:19:59
K: いいえ。それは、何か危険なものを 見るのに、似ています。
あなたは、「それは危険だ。
私は それに近づくまい」と言います。
事実より逃げ去ることが、危険です。
終了しました。
あなたは逃げません。
それは、あなたが訓練する。
逃げないように 実践する、という意味ではありません。
あなたは逃げません。
導師たちは、この逃げることを、 創案してきたと、私は思います -
哲学者たちは、ね。 すみません。
|
|
1:20:36
R: 逃げ去ることは、ありません。 それは、全然違っています。
それは、その間違った表し方です。
|
|
1:20:43
K: いいえ。
|
|
1:20:46
R: あなたは、逃げ去れません。 K: いいえ。私は、「見なさい」と言っています。
|
|
1:20:48
R: あなたはそれが見えるなら、 そこに、逃げることは、ありません。
|
|
1:20:51
K: 私は、「逃げるな」と言っています。
|
|
1:20:55
そのとき、見えます。
ああ、いいえ、逃げるな。
そのとき、見えます。
しかし、私たちは、「私は見えない。私は それに捕らわれているから」と言います。
|
|
1:21:22
R: 今、私は全く、それが見えます - あなたが仰ること、
あなたの論点が、です。私は、よくよく見えます。
|
|
1:21:31
K: で、二元性はありません。
|
|
1:21:36
R: どこに、ですか。
|
|
1:21:37
K: 今、日常生活において、です。 究極的に、ではない。
|
|
1:21:43
R: 二元性とは何ですか。
|
|
1:21:44
K: それは対極です。
暴力と非暴力。
その全体です。
そうね、インドは、 非暴力を実践してきましたが、
それは戯言です。
ただ暴力だけがある。
私は それを、取り扱いましょう。
人間たちは、暴力を取り扱いましょう - 非暴力の理想を、ではなくて、です。
|
|
1:22:13
R: ええ。それはもちろん、 全く違った問いです -
あなたが、話しておられることは。
|
|
1:22:19
K: いいえ。
|
|
1:22:21
R: 私は十分に同意します。
事実が見えるなら、これは事実です。 私たちは、これを扱わなければなりません。
|
|
1:22:27
K: ゆえに、前進はありません。
|
|
1:22:33
R: それは、どのようにも 使える言葉です。
|
|
1:22:35
K: いえ、どのようにも、ではない。 R: それは単純に言葉です。
|
|
1:22:37
K: いいえ、いいえ。
|
1:22:38
私たちが理想を持つとき、
その理想を達成するために、 私は時が必要です。
ですね?
R: ええ。
K: ゆえに、私は それへ進化するでしょう。
R: それで?
|
|
1:23:10
K: それで、理想はない。
|
|
1:23:13
事実だけです。
|
|
1:23:22
R: それは完璧にそうです。 違いは、論争は、何ですか。
私たちは、ただ事実だけが あることに、同意します。
|
|
1:23:30
K: それは、事実を見るには、
時は必要でない、という意味です。
|
|
1:23:37
R: 絶対的にそうです。
|
|
1:23:40
K: ゆえに、時が必要でないのなら、
私は今、それを見られます。
R: ええ、確かに。
|
|
1:23:46
K: あなたは今、それが見えます。
|
|
1:23:48
なぜ見ませんか。
|
|
1:23:52
R: なぜ見ないのか - それは、別の問いです。
|
|
1:23:54
K: いえ、いえ、いえ。 R: いいえ。
|
|
1:23:55
K: いえ、いえ。別の問いではありません。 B: それは同じです。
|
|
1:23:56
あなたがそれを、真剣に取るならば - 時は必要でないと - そのとき、
|
|
1:23:59
ただちに今、おそらく、全部のことを、 すっかりきれいにできるでしょう。
|
|
1:24:10
R: ええ。それは、すべての人間がそれを できることを、意味しません。
それをできる人々も、います。
|
|
1:24:16
K: いいえ。私が、それを見られるなら、 あなたも、それを見られます。
|
|
1:24:22
R: 私はそう思いません。 率直に言って、私はあなたに同意しません。
|
|
1:24:28
K: いえ。それは、同意という 問題ではありませんよ。
私は、この事柄について、 論争しようとしていません。
で、同意や不同意は、ないのです。
ですが、私たちは、事実より離れて、 理想を持っているとき、
そこに着くには、時が必要です。
前進が必要です。
私は、前進するには、知識を 持たなければなりません。
そのすべてが、入ってきます。
いいですね?
で、あなたは、理想を放棄できますか。
R: それは可能です。
|
|
1:25:17
K: ああ、「可能だ」ではない。
|
|
1:25:19
あなたは、「可能だ」という 言葉を使った瞬間、
時が必要である、と言います。
|
|
1:25:26
R: つまり、事実を見る、という意味で・・・
|
|
1:25:29
K: 今、そうなさってください。 そうしてください。
お許しください。
私は、 権威主義的になっていません。
それは可能だと仰るとき、 あなたはすでに、動いて離れたのです。
|
|
1:25:41
R: 私が言おうとするのは - あらゆる人は、それを できない、と言わなければならない、ということです。
|
|
1:25:48
K: どうして分かりますか。
|
|
1:25:50
R: それは事実です。それは事実です。
|
|
1:25:53
K: いいえ。私は、それを 受け入れないでしょう。
|
1:25:55
S: おそらく私は、具体例をもって、 入ってきてもいいですか。
私たちはおそらく、それに関して、 まとまれようかと、思うんです。
私が、水泳プールの高い所 - 具体的な事実です -
高い飛び込み台に立っていて、 私は泳げないのなら、
私は、「ただ跳び込みなさい」と言われます - 「完全にリラックスしなさい。
あなたは水に浮かぶでしょう」と。
私がそれを できるということ、これは完璧に真実です。
私を阻止するものは、何もありません -
私がそうすることに怯えている、 ということ以外は、ね。
それが、問題の点だと、思います。
K: ええ。溺れかねない、と。
S: ゆえに、これが問いなのだと、思います。
もちろん、私たちはみんな、見られる。
困難は何もない。
ですが、この基本的な恐れが、ある -
それは、道理に適っていなくて、 私たちを尻込みさせるのです。
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1:26:47
K: どうぞ、お許しください。 私たちは、それを話していません。
私たちは、そう言っていません。
自らが貪欲であることを、悟るなら、 なぜ私たちは、無貪欲を創案しますか。
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1:27:13
S: 私は知らないでしょうね。なぜなら、 私は貪欲であるなら、貪欲であることは、
私にとって、明白に思われるからです。
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1:27:18
K: さて、なぜ私たちは、対極を 持っていますか。なぜですか。
すべての宗教は、「私たちは 貪欲であってはいけない」と言います。
すべての哲学者は - 彼らが役立つのなら -
彼らは、「貪欲になるな」とか、 他の何かを、言います。
または、「あなたは、貪欲であるなら、 天国に行けないだろう」と。
で、彼らはいつも、伝統をとおし、 聖者たちをとおして、
その全範囲を、養成してきました。
この観念を、養成してきました - 対極を、です。
いいですか?
で、私はそれを、受け入れません。
それは、これからの逃避であると、 私は言います。
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S: そうです。それは、 一番良くても、中間段階です。
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K: それは、これからの逃避です。 いいですか?
それは、この問題を解決しないでしょう。
S: それは、解決してきませんでした。
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K: 解決してきませんでした。
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で、問題を取り扱うには、 それを取り除いてください。
私は、そこに片足を置き、 ここに片足を置けません。
私はここに、両足を 置かなければなりません。
S: 両足がここにあるなら?
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K: 待ってください。いいえ。直喩、直喩です。
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で、私は対極を持ちません。
それは、時、前進、実践、 しようとすること、なること、
その全範囲、という意味合いです。
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S: で、私は、自分が貪欲であるとか、 自分が暴力的であることが、分かります。
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K: で、それは今、私たちが 何か全然違ったことへ、
入らなくてはいけないことを、要請します。
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S: それから、何?
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K: 自らは、一人の人間は、どのように - 「どのように」ではない。
一人の人間は、貪欲より 今、自由でありえますか。
それが問いです。
最終的に、ではない。
そうね、私は、来世、貪欲であることに、 興味を持ちません。
誰が気に掛けますか。
または、明後日に - 私はそれに、興味がありません。
私は、悲しみ、痛みより、 今、自由でありたいのです。
で、私はまったく、理想を持ちません。
よろしいですか。
そのとき私は、この事実だけを 持っています - 私は貪欲です。
さて、私たちは、それに入りますか。
貪欲とは何ですか。
その言葉こそが、非難がましい。
よろしいですか。
その言葉は、幾世紀もの間、 私の精神に、あったのです。
「貪欲」というその言葉は、 即時に事実を非難します。
1:30:21
「私は貪欲だ」と言うことにより、 私はすでに、それを非難したのです。
いいですか?
さて、私は、その言葉なしに、その事実を 見つめられますか -
その暗示すべて、その内容すべてをともない、 その伝統をともなった言葉なしに、です。
それを見つめてください。
あなたは、言葉に捕らわれているなら、
貪欲の深さと感じを理解したり、
それから自由であったりできません。
で、私の全存在は、貪欲に 関連しているので、それは、
「いいよ。
私は、それに捕らわれまい。 私は、貪欲という言葉を、使うまい」と言います。
いいですか?
さて、その感情は、 その「貪欲」という言葉を、欠如し、
その言葉より、別離していますか。
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S: いいえ、そうではありません。
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R: それは、言葉を持ちません。 K: いえ、いえ。
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S: どうぞ、つづけてください。
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K: で、私の精神は、言葉に満ちていて、
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言葉に捕らわれていますが、
それは、何かを、貪欲を、 その言葉なしに、見つめられますか。
R: それが本当に、事実を見ることです。
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K: そのときにのみ、私は事実が見えます。
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そのときにのみ、私は事実が見えます。 R: ええ。その言葉なしに、です。
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K: ゆえに、それは、何の価値をも 持ちません。終了しました!
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1:32:21
これが、困難のありかです。
私は、貪欲より自由でありたい。
それは、私の血の中にあり、
それは、私の伝統、 私の育ち、教育であるから、
あらゆる物事が、「あの醜いものより 自由であれ」と、言います。
で、私はいつの時も、あれより 自由であろうと、努力をしています。
ですね?
私は、ありがたいことに、 それらの路線で教育を受けていません。
で、私は言います - いいよ、
私は、事実だけを持っている。
事実は、私が貪欲であることだ、と。
いいですか?
私は、あの言葉の、 あの感情の本性と構造を、
理解したいのです。
それは、何ですか。
あの感情の本性は、何ですか。
それは思い出ですか。
理解されますか。
それが思い出であるなら、
私は、それを、現在の貪欲を、 過去の思い出でもって、
見つめています。
過去の思い出は、「それを非難しろ」と 言ってきました。
私は、過去の思い出なしに、 それを見つめられますか。
S: そのとおり。
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K: 私はあなたに、お示ししようとしています。
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1:34:10
よろしいですか。
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R: ええ。それなしで見られるのか。ええ。
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K: 私は、あなたに示し、 もう少し、それに入るでしょう。
なぜなら、過去の思い出が、 これを非難する。
ゆえに、これを強めるからです。
いいですか。
それが、何か新しいものであるなら、 私は、それを非難しないでしょう。
ですが、それは新しいが、
思い出により、記憶により、 経験により、古くされるから、
私はそれを非難します。
で、私は、その言葉なく、 言葉の連想なしに、
それを見つめられますか。
それに、修練は要りません。
それに、実践は要りません。
それに、何か案内は要りません。
ただ、「見なさい。
私はその言葉なしに、それを 見つめられますか」と言うだけです。
1:35:25
私は、あの樹を、女、男、空、 天、鳥を、
その言葉なしに見つめられ、 見出せますか。
ですが、誰かがやってきて、私に、
「私があなたに、それをどうやるのかを、 示しましょう」と語る。
そのとき、私は迷っています。
どうなのかな・
・・
「それをどうやるのか」が、 聖典全体です。
すみません。
すべての導師、すべての司教、教皇、
連中(ギャング)全体、 みんなぐるになって、です。
で、今、私たちは止めますか。
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N: ええ。今、止めると、思います。
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1:36:14
K: おやまあ。私たちは 一時間半、話していました。
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1:36:19
R: それはあなた次第です。
私は、大いに興味を持っています。 私は、まったく疲れていません。
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1:36:25
K: 私たちはそれを、明日の朝と、 明日の午後に、
取っておくほうがいい。
食べ過ぎないようにしましょう!
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1:36:34
R: 明日の午前と午後、私があなたに お訊きしたいと思うことが、
他に幾つも、あります。
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1:36:39
K: ええ。私たちは、それに入りましょう。
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