BR7879CBS3 - 自由意志は、存在するだろうか。

仏教学者たちとの議論 第3回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1979年6月23日
テキストのみのバージョン
|
0:17
ギドゥー・ナラヤン: 私は、ラーフラ博士が、 自らが書き留めておいた質問すべてを、
出していただくことを、提案しています -
それで、議論の途中に、
私たちが、地盤のほとんどに 及べるように、です。
私もまた、一つ、二つ言うべきことを、 持っています。
私もまた、それを表したいと思います -
議論が、それら問いのまわりに、 集中できるように、です。
|
|
0:45
ワールポラ・ラーフラ: ええ。初めに、 あなたの問いを、出されてはどうですか。
|
|
0:48
N: ええ。私の問いは、 大乗の哲学において・・・
|
|
0:54
クリシュナムルティ: 仏教哲学における
大乗とは何かを、 説明していただけるでしょうか。
|
0:59
N: 1世紀の、たぶん最大の思想家、
ナーガールジュナから来ています。
R: 2世紀ね。
N: 彼は、空性について、大変多く
話しました - 空虚です。
それは、洞察と、とても近い連係を、 持っています。
R: ええ。
N: 後の仏教思想全体は、その強さを、
このナーガールジュナの空性の観念に、 負っていると、私は思います -
何か純粋で、 清浄であるものとして(空性に)、です。
空性なしに、洞察はありません。
私はそのように、表しましょう。
それから、彼はまた、 外を理解することなしに、
内へ行く可能性はない、と言いました。
それから、彼はまた、誤謬だと 思われる発言を、しました -
輪廻は涅槃である。涅槃は輪廻である、と。
|
|
2:06
B: 輪廻(サムサーラ)とは何ですか。
|
|
2:09
K: あなたは、サンスクリットの言葉を 使っておられます。
おそらく私たちの数人は、 理解しそうですが、
あなたは、よく気をつけて、 それを、説明しなくてはいけません。
|
|
2:15
N: 輪廻は、世間的な生です - その苦労、苦しみ、苦すべてとともに、
その悲しみすべてとともに、です。
輪廻は、です。
涅槃(ニルヴァーナ)は、 自由、至福、解放の状態です。
彼は、輪廻は涅槃である。
涅槃は輪廻である、と言いました。
これは、仏教の学者たちにより、
縁起をとおして、説明されました -
全部のことが、相互に関係しあい、 条件づけられた生起です。
で、私が理解するところ、これは今日、
仏教思想に対して、 とても強力な影響力を、持っています。
私はこれを、私たちが 話していたことの脈絡において、
検討したいと思います。
|
|
3:02
K: 私は、その発言を 理解していません。
|
|
3:05
N: 一番目のことは、空性の重要性です。
|
|
3:13
K: 空性というその言葉は、 どういう意味ですか。
|
|
3:17
R: 説明してもいいですか。 仏教の視点より、私は説明しましょう。
空性は、文字通りには、 空虚、空虚だ、空っぽを、意味しています。
|
|
3:30
K: 何もないこと。空性。 私はその意味を知っています。
|
|
3:33
R: それが、文字通りの意味ですが、
意義は、それが、 西洋の仏教学者たちにより、
ほぼ、ナーガールジュナへ 帰せられていることです。
それは不正確です。
初めにこれを言ったのは、ブッダです。
偉大な思想家、哲学者としての ナーガールジュナは、
それを体系へ発展させました。
ところが、ブッダはそれを、 ごく単純な形で言いました。
アーナンダは、ブッダの一番親しい側近、 仲間、弟子でしたが、
彼は或る日、訊ねました - 「世間は空、空っぽだと言われます。
それは、どういう意味ですか。
どんな程度に、それは空、空っぽですか」と。
彼は、「アーナンダよ、それは 我が無い」と言いました。
彼は、アッタ、アートマン(我)という その言葉を、使いました。
「我と、我に所属するものが、無い。
ゆえに、それは空である」と。
4:35
それは、きわめてはっきりと 説明されています。
多くの他の所で、彼は 或る人に、語りました -
「世間を空と見なさい。
すると、あなたは解脱する」と。
これらが、元来の発言です。
ナーガールジュナは、これらの観念を取って、
自らの『中論(中の詩頌)』により、 発達させました -
縁起に基づいて、です。
それは、依存した発生です。
私はむしろ、それを、 条件づけられた生成と、呼ぶでしょうね。
その哲学において、
すなわち、あらゆる物事は、 相互依存していて、相対的である。
何も絶対的ではない。
あらゆる物事が、因と果であり、
因は果より分離できない、 というものです。
例外は、それは消失しうるなら、 継続であることです。
5:22
それは、時でもあります。
この哲学において、ナーガールジュナは、 きわめて高度に体系として、
空虚、空っぽとしての この空の教えを、発達させました。
それはまさしく、 クリシュナジもまた、仰ることです。
自己は無い。
それを見ると、 あらゆる問題が解決される。
紛糾はない。
問題はない。
それが、私が、彼の説明との関係において、 それをどのように、見るのか、です。
それから、あなたが仰った二番目のこと。 二番目の問いは、何でしたか。
|
|
6:01
N: 外と内との間の関係です。
|
|
6:06
R: それがまさしく、 クリシュナジとボーム博士が、
「現実と真理」か、「実在と真理」として 議論されたことです。
それは、あの新刊において 公表されています。
それは、世俗諦と勝義諦です。
これらもまた、 認められた仏教哲学の主張です。
世俗諦は、慣習的な真理です。
それは、私たちがすること、話す、 食べる。
これらすべての物事です。
二元性の中、相対性の内での、 世俗諦です。
これは偽りであるとは、言えません - このテーブルは、です。
しかし、一定のもう一つの意味では、 そうではない。
ですが、世俗諦は、その慣習的な真理です。
勝義諦は、究極的、絶対的な真理です。
これら二つはまた、分離できません。
|
|
7:01
N: そのとおりです。
|
|
7:03
R: さて、ナーガールジュナは、『中論』の 一個所で、はっきりと言います -
慣習的な真理を見られない者、見ない者は、
究極的な真理に到ることが、 不可能であると、彼は言います。
あなたが出された三番目の立場、問いは、 涅槃と輪廻だったと、思います。
それもまたですね、ナーガールジュナは 『中論』において、言います。
はっきりと私は、言葉を 暗記すらしています -
涅槃は輪廻より、いかなる違いもない。
輪廻は涅槃より、いかなる違いもないと、 彼は言います。
輪廻(サムサーラ)という 言葉を、明瞭にすると、
厳密な定義において、輪廻は、 私たちの存在の継続です。
私は、かつてパリで、自分がこの問いを クリシュナジにしたのを、憶えています。
個人的に、です。彼と私自身以外に、 誰もいませんでした。
|
|
8:08
K: 二人の賢者か!
|
|
8:12
R: 私は知りません。
ですが、私は、クリシュナジに、 それを出しました -
偉大なナーガールジュナの、 このような発言が、ある、と。
今日、それを言うことは、 とても興味深いです。
私は彼に、どうお考えになるかを、 訊きました。
そのとき、私が驚いたことに、彼は、 「ナーガールジュナとは誰ですか」と仰った。
私は、「それはあなたの同胞です」と 言いました。
なぜなら、彼は(インド南部)アーンドラの 人であるからです。
アーンドラからだと思われています。
|
|
8:37
K: ああ!
|
|
8:41
R: それから私は彼に、ナーガールジュナが 歴史的に、思想家と哲学者として、
誰であるかを、説明しました。
私は、仏教の歴史において、彼は、おそらく 最も大胆な思想家である、と言いました。
そのとき彼は、私に訊ねました - 彼の到達は何でしたか、と。
私は、私たちは言えない、と言いました - すなわち、私たちは知らない。
私たちは、彼の著作を知っているだけで、 著作をとおして彼について、です、と。
だが、彼の到達、霊的な悟りについて、
私たちは何も言えません、と。
そのときクリシュナジは、一分間止まって、
私に、「ブッダはこれらについて、 何を言いましたか」と訊きました。
私は何も言いませんでした。
「それは正確です」と、
そのときあなたは、その指で言われました。
私はこれを、よくよく憶えています -
シュアレスのところか、誰の住宅でしたか?
|
|
9:28
K: シュアレスです。
|
|
9:30
R: 「そのとおりです」と。
なぜなら、私はいつも疑いを持っていて、
ナーガールジュナの、涅槃と輪廻は 同じであるとの発言を、
さほど明らかに、明確に 受け入れなかったからです。
|
|
9:44
K: 私たちが、みんなが理解するのか、 私はあまり確かではありません。
|
|
9:48
R: ええ、あなたが、この立場を、 説明してくださるでしょうか。
|
|
9:50
K: いえ。少し説明するために、私はこれを、 お訊きしてもいいですか。 R: ええ。
K: サムスカーラ(諸行)は、実際に何を意味しますか。
|
|
9:56
R: サムサーラ(輪廻)です。
|
|
9:58
K: サンスクリットでサムスカーラ(諸行)。
|
|
10:00
R: サムサーラ(輪廻)。サンスクリットでも、 パーリでも、サムサーラです。
サムスカーラ(諸行)は別のことです。
|
|
10:07
N: サムスカーラ(諸行)は、別の言葉です。
|
|
10:15
R: 輪廻(サムサーラ)は、文字通りには、さまよう、 つづいていく、巡っていく、という意味です。
|
|
10:21
K: サムスカーラの意味は? R: サムスカーラ(諸行)は、構成を意味します。
|
|
10:23
それは、私たちの思考する過程すべてです。 K: 過去です。
R: それは、過去に所属しています。
|
|
10:28
K: そのとおりです。
|
|
10:30
R: それは、過去に所属しています。 K: ええ。それは理解しました。
|
|
10:31
R: ええ。それは、過去に所属しています。
|
|
10:32
私たちの諸行(サムスカーラ)すべては、
|
|
10:33
記憶、知識、学習とそれらの働きです。
|
|
10:35
K: 老人が遡って、過去に 生きるように、です。
|
|
10:43
それです。 R: 諸行はそれです。
ですが、輪廻(サムサーラ)は継続です。
|
|
10:48
K: 継続。理解できます。
|
|
10:51
R: 涅槃(ニルヴァーナ)を、私たちは定義できません。 K: ええ。それが何であっても、です。
|
|
10:53
R: それが何であっても、
|
|
10:56
それはけっして、ブッダにより、 肯定的な用語で、定義されません。
|
|
10:59
彼はいつでも訊ねられたとき、いつも言いました - 「いいえ、それは涅槃ではない」と。
|
|
11:09
K: 全くです。
で、あなたは、質問をしましたか。
|
|
11:11
N: ええ、しました。
|
|
11:12
K: さて、あなたもまた、 彼が言ったこととの関係で、
ご自分の質問を、なさったほうがいい。
|
|
11:21
R: ああ、いえ。その問いは、 彼から、あなたからではない。
私は、自分の問いを、あなたから 訊ねています。
|
|
11:27
K: 何ですか。
|
|
11:28
R: 多くの問いが、ありますが、 私たちは、さほど時間がありません。
|
|
11:32
K: 私たちは、たっぷり時間がありますよ。
|
|
11:34
R: 一つの問いは、こうです -
どちらも、私は、すぐに申し上げるでしょうから、 あなたはそれらを受けられます。
一つの問いは、
西洋哲学、西洋思想において、
自由意志が、きわめて重要な役割を、 果たしてきたことです。
K: 自由意志ね。
|
|
11:52
R: 自由意志、絶対的な自由意志です。
|
|
11:53
K: 自由意志。 R: ええ、自由意志です。
|
|
11:54
ナラヤンさんが言った同じ哲学によれば、
|
|
11:56
条件つきの関係、
すなわち因果、縁起ですが、
その哲学、仏教によれば、
そういうものは、ありえない。
なぜなら、私たちの思考すべて、
私たちの構成すべて、私たちの働きすべて、 私たちの知識すべては、条件づけられているからです。
|
|
12:21
K: ええ。
|
|
12:22
R: ゆえに、もし自由意志があるのなら、
それは、相対的な意味においてのみ、自由である。
それは、絶対的な自由ではない。
それが、仏教の立場です。
それが、私が出した一つの問いです。
|
|
12:39
K: それについて話しましょう。
意志とは何ですか。
意志とは何ですか。
あなたは、意志とは何かを、 どのように説明しますか。
|
|
12:55
R: 意志は、あなたが決断する、 あなたが欲する、ということです。
|
|
13:02
K: いえ。意志の起源、始まりは、何ですか
- 私はこれをしよう、 私はあれをすまい、と。
さて、意志の意味は、何ですか。
|
|
13:33
R: 意志の意味は、したいということです。
|
|
13:36
K: いえ、いえ。
いいですよ。
では、つづけましょう。
それは、欲望ではないですか。
|
|
13:45
R: 確かに、それは欲望です。
|
|
13:47
K: 際立った、高まった、強まった欲望。 私たちはそれを、意志と呼びます。
|
|
13:55
D.ボーム: 私たちは、それを決定させる ように、私には思われます。
私たちは、欲望の対象を決定します。
私たちは、「私は決心した」と言います。
K: そこには、決定があります。
|
|
14:02
B: そこで固定します。
|
|
14:04
K: 私はあれを欲望する。
|
|
14:05
それを達成するために、 私は努力します。
その努力、その努力の動機が、欲望です。
R: ええ、確かに。
|
|
14:24
K: で、意志は欲望です。
ですね?
R: それは、一つの形の欲望です。
|
|
14:28
K: それは、一つの形の欲望です。
さて、欲望は、いったい 自由でありえますか。
|
|
14:33
R: 絶対にです。それが、私が あなたから、聞きたかったことです。
R: いえ。なぜなら、あなたは、そう仰りたくない からですが、私はそれを言いたいと思います。
|
|
14:50
K: 欲望はけっして、自由でない。
それは、欲望の対象を、 変更するかもしれません。
私は或る年、これを 買いに行きたいと、欲望します。
翌年、あれを、です。
変化します。
ですが、欲望は常です。
対象物は変わります。
そして、欲望の強まり -
私はあれをしよう、と。
意志が作動中です。
意志は欲望です。
さて、欲望は、いったい 自由でありえますか。
|
|
15:27
R: いいえ。
|
|
15:29
K: しかし、私たちは、 自由意志が存在すると、言います。
なぜなら、私は、これとあれとの間で、 この職とあの職との間で、
選択できる、私は行けるからです -
全体主義国家以外では、
私は、イングランドからフランスへ、 自由に行けます。
で、自由意志の観念は、
人間たちは自由に選択できるとの 感覚でもって、養成されます。
それは何を意味しているのか - 選択するとは。
私は、ブルージーンズと他の何かの間、 この車とあの車の間、
あの住宅となどの間で、選択できます。
しかし、私はなぜ、そもそも 選択すべきでしょうか。
物質的なものは別として、
一定の書物などは別として、
なぜ選択がありますか。
私は、カトリックです。
私は、カトリックをあきらめて、
禅仏教者になります。
私は、禅仏教者であるなら、 他の何かになります。
私は選択します。なぜですか。
16:58
なぜそもそも、選択がありますか -
それが、私は自由に選択できる との印象を、与えてくれます。
よろしいですか。
で、私は、なぜそもそも、選択の必要性が あるのかと、訊ねています。
私がカトリックであり、
カトリックの意義全体が、見えた。
その抽象とともに、 その儀式、教義とともに - そうね、
そこでのサーカス全体が、です。
そして私は、それを放棄するなら、
なぜ私は、他の何かへ、 加わるべきですか。
なぜなら、私は、これを 究明してきたとき、
私は、宗教すべてを、 究明してきたからです。
どうですか・
・・
で、選択は、精神が混乱しているときだけ、 存在するにちがいないのです。
ちがいますか。
それが明らかであるとき、 選択はありません。
それはいいですか。
|
|
18:21
R: いいです。あなたは、 その問いに答えられた、と思います。
私にとって、あなたは、 その問いに答えられました。
|
|
18:26
K: 私はそれに、十分に 答えていません。
|
|
18:28
B: 西洋の哲学者たちは、
それらに同意しないかもしれない、と 私は思います。私は、確かではありません。
|
|
18:32
K: もちろん、同意しないでしょう。
|
|
18:33
B: 彼らは、選択は欲望ではない。
意志は欲望ではない。
意志は他の何かである、と言います。
それが私の印象だと、思います。
|
|
18:39
K: ええ。意志は他の何かである、と。
|
|
18:41
B: 意志は、自由な行為、健全な行為である、と。 K: 意志は、継承された何かである。
|
|
18:45
または、それは、遺伝子的な過程の一部である、と。 あろうと、意志することは。
|
|
18:56
B: ですが、私は例えば思います - 私は、自分が それについて多くを知っているとは、言えませんが、
カトリックの哲学者たちは、アダムが罪を犯したとき、 彼が、間違って意志した、と言うかもしれません -
そうね、彼が間違った選択をした。
そして、彼が、私たちを、 この道へ逸れさせた、と。
|
|
19:12
K: それは、とても便利な、
あらゆる物事を 説明してしまうやり方ですね。
B: 私はそれを理解できます。
|
|
19:17
K: 初めにアダムとイヴ、
|
|
19:19
蛇とリンゴと神を、考案する。
それから、あらゆる物事を、 原罪として表す。
|
|
19:30
R: ええ。そこには、たくさんの創造、 精神的な創作です。
|
|
19:36
B: 自らが観察するなら、 意志は欲望の結果であることが、
見られると、思いますが、
人々は、意志は、何か全然 違ったものであるとの印象を、
持っていると、私は思います。
|
|
19:44
K: ええ。
意志は、何か神聖なものの一部である、と。
|
|
19:51
B: ええ。それが、 多くの人々が考えることです。
|
|
19:52
K: ええ。神聖な存在に 由来した何かだ、と。
|
|
20:02
R: 西洋の考え方によれば、ね。
|
|
20:04
K: 多かれ少なかれ、ね。
私は、西洋哲学について、 あまり多くを知りませんが、
私が話をしてきた人々から -
彼らは、充分な情報を、 持っていないかもしれませんが、
彼らは、私にその印象を、 与えてきました -
意志は、何か全くは人間的でないもの、
全くは欲望ではなく、
全くは養成されるものではない との印象を、です。
それは、原罪の中より、生まれます -
元来の神などなどなどより、ね。
しかし、それらを脇に置くなら - それらは、すべて理論的で、
問題を含み、かなり迷信的です。
あなたがそれらを脇に置くなら、
意志とは何ですか。
選択とは何ですか。
選択と意志なき行為とは、何ですか。
よろしいですか。
それが問題です。
意志と混合していない
行為が、ありますか。
理解されますか。私は、ブッダが 何を言ったのかは、知りません。
|
|
21:35
N: あなたは、洞察は意志の結果ではない。
それは意志とは何の関わりもない、と 仰るのでしょうか。
K: ああ、意志とは、いかなる関わりもない。 または、欲望や記憶とも、ね。
|
|
21:43
R: ええ。
|
|
21:50
N: で、洞察は、意志より自由である 何かです。また、分析よりも、です。
|
|
21:58
R: ええ、洞察は見ることです。
その見る中に、選択はありません。
区別はありません。
判定はありません。
道徳的とか非道徳的な価値、 価値判断は、ありません。
あなたは見ます。
|
|
22:17
N: で、洞察は、意志の結果ではない。
またそれは、分析の結果でもない。
K: ええ。
|
|
22:23
R: ええ。
|
|
22:24
K: そうね、これは、 理論的になりつつあります。
|
|
22:25
あなたはそれを、理論的にしつつある。
N: なぜなら、分析をとおして・・・
|
|
22:31
K: すみません。
|
|
22:32
あなたは、それを理論的にしつつある。 あなたは、それを定義してしまった。
それはこれではない、あれではない、 あれではない、と。
そしてあなたは、自分が洞察を持っていると、 考えます。持っていますか。
|
|
22:43
N: いいえ。私が洞察を 持っているとは、考えません。
|
|
22:44
K: それなら、なぜ それについて議論しますか。
|
|
22:46
N: いえ。私たちはこれまで 洞察について議論してきたか、
または、私たちは見てきているからです。
|
|
22:52
K: いや、今、ナラヤン、 私が指摘してもいいなら、
私たちはともに、行為について 話し合っています -
そこでは、何も選択がなく、 そこには、意志としての努力が、ない。
そういう行為が、ありますか。
私は知りません。どうぞ。
|
|
23:21
R: あります。 そういう行為が、あります。
|
|
23:25
K: あなたはそれをご存じですか。それは理論ですか。 お許しください - 私ははっきりしなければ・・・
そうね、許してください。
私は動いて離れたいと思います。
許してくださるなら - 私は不遜になっていません。
理論から、観念から、結論から、 動いて離れるべきです。
自分自身で、その事態の真理を、 見出すべきです。
すなわち、そこに 意志の努力がまったくない、
ゆえに選択がない
行為が、ありますか。
で、その中に、意志がなく、 選択がなく、欲望がない、
正確な行為とは、何ですか。
なぜなら、意志は、 欲望の一部などであるからです。
24:27
それを見出すには、欲望の本性について、
とてもはっきりして いなければなりません。
そうではないですか。
欲望は、感受の一部です。
欲望は、感受の一部であり、
思考は自体を、その感受と同一視します。
同一視をとおして、「私」が、 自我が、築き上げられます。
そのとき自我は、「私はしなければならない」、 「私はすまい」と言います。
で、私たちは、理想の原理に、 欲望に、意志に基づかない
行為が、あるのかどうかを、
見出そうとしています。
自発的な(行為)、ではない - その言葉は、かなり危険な言葉です。
なぜなら、誰も 自発的ではないからです。
自らは自発的でありうると、考えますが、
そういったものは、ありません。
なぜなら、自発的であるには、 全的に自由でなければならないからです。
25:52
よろしいですか。
で、そういう行為が、ありますか。
なぜなら、私たちの行為のほとんどは、 動機を持っているからです。
ですね?
動機は、動きを意味しています。
私は、住宅を建てたい。
私は、あの女や、あの男がほしい。
心理的にか、生物学的に 私は傷ついているが、
私の動機は、傷つけ返すことです。
それで、行為には、いつも 或る種の動機が、あるのです。
私たちは日常生活で、そうします。
で、そのとき、行為は 動機により、条件づけられます。
動機は、同一視過程の一部です。
で、私は理解するなら - 理解する、ではない。
同一視が、自己の本性全体と構造を
築くとの真理へ、
知覚があるなら、
そのとき、思考より発しない 行為が、ありますか。
27:26
私は知りません。私は正しいですか。
|
|
27:28
B: ええ、私たちは、なぜかを訊ねても いいでしょうか。それに入る前に、ですが、
なぜ、同一視があるのか。
これが こんなに流布しているのは、なぜなのか。
K: なぜ思考は、同一視するのか。
|
|
27:34
B: 感受と他の物事と、です。
|
|
27:38
K: なぜ思考は・・・ なぜ、何かとの同一視が、あるのか。
|
|
27:42
B: 特に感受と。 K: ええ、感受と、です。
|
|
27:46
さあ、どうぞ。それに答えてください。 私は知らない。あなたたちはみんな、専門家です。
|
|
27:51
N: 同一視するのは、 思考のまさしく本性ですか。
|
|
28:02
または、感受と同一視しない 思考の形態が、ありますか。
|
|
28:19
K: ナラヤン、なぜあなたは -
またもや私は、大変礼儀正しく 尊敬をこめて、等々ですが、
なぜあなたは、その質問をしますか。
それは、理論的な問いですか。
または、実際の問いですか。
なぜあなた、ナラヤンは、 同一視しますか。
|
|
28:39
N: このように表させてください・・・
|
|
28:42
K: いいえ。私は、違ったように 表さないでしょう。
|
|
28:45
N: 私が同一視できる一つのものは、 感受です。
私は、同一視できるものを、 他に持っていません。
|
|
28:53
K: で、なぜあなたは、感受に 重要性を与えますか。
あなたは、「私は感覚的な存在だ。
他の何ものでもない」と言いますか。
N: いえ、いえ。
|
|
29:05
K: ああ、それなんです。
|
|
29:08
N: 私は何かと同一視しなくては いけないのなら、
|
|
29:11
それはただ、感受とだけになりえます。
|
|
29:14
B: 同一視に、二元性はありますか。
|
|
29:17
K: もちろんです。 B: 私たちは それを、明らかにできるのでしょうか。
|
|
29:18
K: 同一視には、 あなたが指摘なさったように、
|
|
29:20
二元性があります - 同一視するものと同一視されるもの、です。
|
|
29:27
B: あなたが、同一視により、 「私は異なっていない」と言うことにより、
二元性を乗り越えようと していることは、可能ですか -
あなたが現にそうであるときや、 あなたが、自分はそうであると感じるときに、です。
|
|
29:39
K: そうね・・・私は・・・
私は、イデオロギー、理論の分野へ、 入りたくないんです。
私にとって・
・・私はそれに 何の興味もありません。
ですが、私は本当に、究明する中で、 見出したいのです。
おそらく私は見出したのですが、 ともに話し合っていて、
そこに自己がない行為が、ありますか。
日常生活において、です。
涅槃において、とか、
私が自由に到ったとき、 その他すべて、ではない。
私は、この生において、自らが 生きていながら、それをしたいのです。
それは、私は見出さなくてはいけない、 という意味です。
精神は、原因を持たない行為を、 見出さなくてはいけません -
それは、動機がない、という意味です。
結果や効果ではない行為、
一連の因果のではない行為を、です。
因果が存在するのなら、 行為は、いつも縛られ、鎖に繋がれます。
私の話は、明らかになっていますか。
|
|
31:00
R: ええ。進めてください。
|
|
31:03
K: で、そういう行為がありますか。
|
|
31:10
B: まあ、私たちが 同一視しているかぎり、
それを見つけられないと、 私には思われます。
|
|
31:13
K: ええ。 そういうわけで、私は言ったのです -
同一視が存在するかぎり、 私は答えを見つけられない、と。
|
|
31:21
B: ですが、思考はなぜ同一視しますか。
|
|
31:24
K: なぜ思考は、感受と同一視しますか。
|
|
31:28
B: それは、抵抗不可能ですか。または、 それは、何か脇に置けるものだけですか。
|
|
31:33
K: それが抵抗不可能なのか、または、
それは感受の一部であるのか、私は知りません。
B: それは、どのようにですか。
|
|
31:41
K: 究明しましょう。
|
|
31:43
私がやりたくない・・・
|
|
31:45
B: 感受がその裏にあると、お考えですか。
|
|
31:48
K: おそらく、ね。
私が、おそらくと言うとき、
その言葉は、 究明の目的のために、使われます。
「私は知らない」ではなく、究明しましょう。
だが、そうかもしれません。
で、なぜ感受は、生において、 こんなに重要になったのですか。
性的な感受、力の感受 -
それが、オカルト的な力や、 政治的な力、経済的な力や、
男に対する女や、女に対する男の力、
環境の力、
環境の影響力、圧力であっても、 なぜですか。
なぜ思考は、この圧力に、 屈してきましたか。よろしいですか。
|
|
32:41
B: 感受は必ず、圧力を生みますか。
|
|
32:47
K: それは同一視されるとき、 生みます。
|
|
32:49
B: ええ。ですが、そのとき、 それは二つが一緒に、です。
|
|
32:51
K: 知っていますよ。ですが、 少しさらに検討しましょう。
私たちがいう感受とは、どういう意味ですか。
B: 私たちは感覚の観念を持ち・・・ 感覚は・・・まあ、
|
|
33:10
私たちは、楽しみの憶えた感受を、 持つかもしれないと、私には思われます。
|
|
33:16
K: 感覚。感覚の作動。
触れる、味わう、見る、匂う、聞こえる。
|
|
33:23
B: そのとき起きる経験。
また、それの記憶も、です。
|
|
33:30
K: いえ。記憶は、それとの 同一視があるときだけです。
|
|
33:37
B: ええ、同意します。
|
|
33:38
K: 同一視がないとき、感覚は感覚です。
ですが、思考はなぜ、自体を 感覚と同一視しますか。
|
|
33:52
B: ええ。それはまだ、 明らかではありません。
|
|
33:54
K: 分かります。私たちは、それを 明らかにしようとしています。
|
|
33:58
B: 物事、感受が憶えられるとき、 私たちは同一視を持つと、
仰っていますか。
|
|
34:06
K: ええ。
|
|
34:09
B: それをもっと明らかにできますか。
|
|
34:11
K: もう少し明らかにしましょう。 それに取り組みましょう。
気持ちいい湖を、知覚することがある。
美しい湖が、見える。
その見える中に、何が起きますか。
視覚神経、眼で見えることが、 あるだけではなく、
また、諸感覚が目覚めます。
水の匂い、湖畔の樹々。
|
|
34:59
B: 一瞬間、止まってもいいでしょうか。
見える、と仰るとき、もちろん 視覚をとおして見えます。
|
|
35:05
K: 私は、純粋な視覚を、使っています。
|
|
35:07
B: ええ。今、ゆえに あなたは、単に見るために、
すでに視覚を目覚めさせている。
それが、あなたが仰る意味ですか。
|
|
35:13
K: ええ。私はただ見ています。
|
|
35:16
B: 視覚的に。 K: 視覚的に、視力的に、
|
|
35:17
私はただ見ています。 そのとき、何が起きますか。
|
|
35:22
B: 他の感覚が、作動しはじめます。
|
|
35:24
K: 他の感覚が、作動しはじめます。
なぜそれは、そこで止まりませんか。
|
|
35:30
B: 次の歩みは、何ですか。
|
|
35:31
K: 次の歩みは、 思考が入ってくることです -
「あれは、何と美しいのか。
私はここに留まれたらいいのにな」と。
B: で、思考がそれを同一視します。
|
|
35:39
K: ええ。
|
|
35:40
B: それは、「それはこれだ」 と言います。
|
|
35:41
K: ええ。なぜなら、そこには、 楽しみがあるからです。
|
|
35:42
B: どこにですか。
|
|
35:46
K: 見ることと、見ることの喜び。
|
|
35:48
そのとき、思考が作動を始めて、 「私はもっと持たなければならない」、
「私はここに住宅を建てなければならない。 それは私のだ」と、言います。
|
|
35:57
B: でも、なぜ思考は、そうしますか。
|
|
36:00
K: なぜ思考は、感覚に介入しますか。 そうですか。
さて、ちょっとお待ちください。
感覚が楽しみを得た瞬間、
「なんと喜ばしい」と言って、
そこに止まる。
思考は、入ってきません。
いいですか?
|
|
36:27
B: そのとおりです。
|
|
36:29
K: さて、なぜ思考は入ってくるのか。
|
|
36:31
それが痛いのなら、思考は それを回避します。
|
|
36:42
B: そうです。
|
|
36:45
K: それは、自体をそれと同一視しません。
|
|
36:47
B: それは、それに抗して、同一視します。 それは、「私はそれをほしくない」と言います。
|
|
36:50
K: いえ、それを放っておくか、 それより去ってしまうのか。
それを拒否するか、 それより動いて離れるのか。
ですが、それが楽しめるなら、 感覚が楽しみはじめ、
「何とすてきだ」と言うとき、
思考が自体を それと同一視しはじめます。
|
|
37:10
B: でも、なぜか、ということです。
|
|
37:12
K: なぜか。楽しみのためです。
|
|
37:16
B: でも、これがどんなに無益なのかが分かるとき、 なぜ思考は、それをあきらめませんか。
|
|
37:22
K: ああ、それははるかに後です。 B: それは、長い道のりを行って、です。
|
|
37:23
K: それが痛くなるとき、
|
|
37:24
それは、同一視が、楽しみをも恐れをも、 生み育てることに、気づくとき、
それは問いはじめます。
|
|
37:35
B: まあ、あなたは、思考が始まりに 単純な間違いをしたと、
仰っていますか - 一種の無邪気な間違いを。
|
|
37:40
K: ええ、そのとおりです。
思考は、 自らに楽しみをもたらす何かと
同一視する中で、 間違いをしました。
または、何かに 楽しみが、あるんです。
B: そして、思考は、引き継ごうとする。
|
|
37:53
K: 引き継ごう、と。
|
|
37:55
B: それを、おそらく、恒常的にするために。
|
|
37:56
K: 恒常的に。そのとおりです。 それは、記憶という意味です。
|
|
38:00
水仙と樹々と水と日射し、その他すべてを
ともなった湖の思い出、です。
|
|
38:13
B: 今、思考が間違いをしてしまい、
後でこの間違いを発見することは、 理解できます。
ですが、それはあまりに遅すぎると、思われます。 なぜなら、それはどう止まるのかを、知らないからです。
|
|
38:21
K: それは今、すでに 条件づけられていて、強いからです。
|
|
38:24
B: で、私たちは、なぜそれがそれを あきらめられないのかを、明らかにできますかね。
|
|
38:27
K: なぜそれは、それをあきらめられないのか。
それが、私たちの問題全体です。
|
|
38:30
B: 私たちは、 それをもっと明らかにしようとしますか。
|
|
38:33
K: なぜ思考は、
何か自分が、痛い、破壊的であると
知っているか、気づいているものを、
あきらめないのか。
|
|
38:40
B: ええ。
|
|
38:42
K: なぜか。
進んでください。
なぜですか。
単純な例を、取ってみましょう。
心理的に、自分は傷ついています。
|
|
39:07
B: まあ、それは後で、です。
|
|
39:08
K: 私はそれを、例として取り上げています。 後ででも、構いません。
自らは傷ついています。
なぜ即時に、その傷を あきらめられませんか。
なぜなら、傷が、大変多くの損害を 創り出そうとしているのを、知っているからです。
すなわち、私は傷ついているとき、 もっと傷つかないために、
自分自身のまわりに、壁を築きます。
恐れが、あります。
そして、孤立、 神経症的な行為。それらが、続いてきます。
思考は、私自身について、 イメージを創り出しました。
そのイメージが、傷つきます。
なぜ思考は、 「ええ、何とまあ。
私はこれが見えた」と言って、 即時にそれを落とさないのか。
いいですか?それは同じ問いです。
|
|
39:59
B: ええ。
|
|
40:01
K: なぜなら、それがイメージを落とすとき、 何も残されていないからです。
|
|
40:06
B: そのとき、あなたは、 別の素材を持っています。
なぜなら、思考は、そのイメージの記憶に、 取りすがりたいからです。
|
|
40:12
K: イメージを創り出してきた 記憶に、取りすがる。
|
|
40:16
B: それは再び、それを 創り出すかもしれません。
思考は、それらがとても貴重だ、 と感じます。
|
|
40:21
K: ええ。それらはとても貴重だ、 懐かしい、その他すべて、です。
|
|
40:26
B: ええ。で、どうにか、思考はそれらに、 きわめて高い価値を、与えます。
それは、どうして、 そうすることになったのか。
|
|
40:34
K: なぜそれは、イメージを、 そんなに価値づけてきたのか。
|
|
40:38
B: ええ。
K: 思考が創り出してきたイメージは、
なぜそんなに重要になったのか。
|
|
40:47
B: 私は、始まりに、
それは単純な間違いだった。
思考は楽しみのイメージを作ったと、 言っていいのなら、
それは、とても重要に、 貴重になると思われたし、
それをあきらめることは、 できなかった。
|
|
41:02
K: ええ。
K: なぜそうしないのか。
私が楽しみをあきらめるなら、
思考が楽しみをあきらめるなら、 そこには、何が残されていますか。
|
|
41:13
B: それは、何も無かったときの 始まりの状態に、
戻るとは、思われません。
|
|
41:17
K: ああ、それが純真な状態です。 それが、そのものです。
|
|
41:21
B: それは、その状態に 戻ることができません。
|
|
41:22
K: 戻れません。なぜなら、 思考、そうね、その他すべてのためです。
|
|
41:25
B: ええ、私が思うに、起きることは、
思考が、とても貴重になった楽しみを
あきらめるのを考えるとき、
それについての単なる思考も、 痛い、ということです。
|
|
41:36
K: ええ。あきらめることは、痛い。
|
|
41:37
B: ゆえに、思考は、それより逃げ去ります。
|
|
41:40
K: ええ。で、それは、 楽しみに縋りつきます。
|
|
41:44
B: それは、痛みに 向き合いたいと願いません。
|
|
41:46
K: 楽しみに代わる、 より良い報賞があるまで、です。
それは、より良い楽しみに、なるでしょう。
B: それは、変化ではないでしょうね。
|
|
41:50
K: もちろんです。
|
|
41:52
B: ですが、思考は、 自らが作ってきた罠に、
|
|
41:54
陥ったように、思われます。
なぜなら、それは、無邪気に 楽しみを憶えていて、
それから、次第にそれを、重要にしてきて、
それから、それをあきらめることが、
あまりに痛くなったからです。
|
|
42:09
K: それを、あきらめることは。
|
|
42:10
B: なぜなら、楽しみを即時に取り去るのより、
どの変化も、とても痛いからです。
|
|
42:14
K: なぜなら、それはそのとき、後で、他に何も持って いないからです。そのとき、それは怯えています。
|
|
42:18
B: でも、そうね、始まりに、
それは、他に何も持たないことに、 怯えていませんでしたね。
K: ええ。
|
|
42:22
B: 今はそうです。
|
|
42:23
K: ええ。始まりに -
|
|
42:24
それは、始まりとは、 人の始まりだ、という意味です。
|
|
42:31
B: ええ。
|
|
42:32
K: 人の始まりに - 私たちはそれさえも、問えますか。
|
|
42:37
B: おそらく、できないかな。
|
|
42:38
K: 類人猿の始まり、です。
|
|
42:41
B: 十分に遡るなら、です。
あなたは、こう仰りたい - それは長い時間、つづいてきたが、
思考が、この罠を築いてきた。それが 次第に、もっと悪くなってきた、と。
|
|
42:53
K: 私たちは、頭脳はとても古いと、 言えるでしょうか -
私たちの頭脳すべては、とても古い。
単にそれをさらに、さらに、さらに辿って 遡るだけでは、
けっして見出せません。
ですが、私は、自分の頭脳は、 今あるとおりである、と言えます -
それは、とても古い。楽しみと痛みと いうことに立って、条件づけられている、と。
|
|
43:23
B: ええ。古い頭脳はまた、
頭脳の情動的な部分であるとも、 言われています。
|
|
43:27
K: もちろん、情動的、 その他すべて、感覚的です。
それで今、私たちはどこにいますか。
|
|
43:36
B: まあ、私たちは、こう言います - この頭脳は、
楽しみのイメージの持続的な記憶、 それをあきらめることの不快さと、恐れとにより、
自体を条件づけてきた、と。
|
|
43:46
K: で、それは、自らが 知っている何かへ、縋りつく。
|
|
43:48
B: 自らが知っていて、 自らにとって、とても貴重なものへ。
|
|
43:51
K: でも、頭脳は、それが恐れを 生み育てようとしていることを、知りません。
|
|
43:55
B: それは、知っているときさえ、 やはり縋りつく。
|
|
43:56
K: ですが、それは、はるかにむしろ、 恐れより逃げ去るでしょう
- 楽しみが継続するだろうと望んで、です。
|
|
44:01
B: しかし、それは結局、非理性的に なりはじめる、と思います。
なぜなら、それは、 頭脳を非理性的にし、
これをまっすぐ捉えられなくする圧力を、 創り出すからです。
|
|
44:12
K: ええ。
これの終わりに、 私たちは今、どこにいますか。
私たちは出発しましたね - 私たち、ボーム博士は、
そこに動機、原因がなく、 自己がそこにまったく入らない
行為が、あるのか、と。
もちろん、あります。
自己がないとき、あります。
それは、同一視する過程が起きない、 という意味です。
美しい湖を知覚することが、ある -
そのすべての色と輝きと 美しさとともに、です。
それで十分です。
記憶を養成するのではない -
それは、同一視の過程をとおして 発達させられます。
いいですか。
|
|
45:25
B: これはいつも、問いを 生じさせます -
私たちはどうやって、この同一視を 止めようとするのか、と。
|
|
45:30
K: 私は、「どうやって」が あるとは、思いません。
|
|
45:32
B: そうです。でも、そのとき、 私たちは何をしますか。
|
|
45:34
K: それは、冥想、制御、 実践、実践、実践、実践、という意味です。
その道は、精神を 機械的に、鈍くします。
お許しください。
文字通り、新しいものを 何も受け取ることが、不可能です。
|
|
46:00
シュレーゲル: それが模倣するなら、 それがただ、それを模倣するなら、
これは正確に、起きることです。
これら実践が、模倣、模倣、 模倣でもって、なされるなら。
|
|
46:14
R: それは、その実践が 模倣になるなら、という意味であり・・・
|
|
46:18
S: そのとき、これはひどい条件づけです。
|
|
46:20
R: そのとき、精神は機械的です。
|
|
46:22
K: あなたがいわれる「模倣」とは、 どういう意味ですか。
|
|
46:25
S: あなたが私に語るなら - 私はそれをとても単純にすると -
一日ちょうど三回、手を床に置く。
すると、何かが起きるでしょう。
|
|
46:34
K: そして、そうします。
|
|
46:35
S: 私はそうします。私は、 それについて考えません。
私は、それについて探求しません。
私は、「なぜか」と言いません。
さて、何が起きますか。
なぜ私は?と、
私がそれを問わないなら、
私がただ機械的にそれをするなら、 何も起きないでしょう。
私は、ますます 曖昧になるだけでしょう。
ですが、私がそれを探究し、なぜか、 何のためか、私の反応は何なのか、と・・・
|
|
46:56
K: いえ、私の問いはこうです
- 私は、誰かに聞いてきました - 彼は、「手をそこに置きなさい」と言います。
そのとき私は、探究しはじめます。
ですが、誰かが私に、「私は手を そこに置かなければならない」と
語るのを、私は受け入れません -
そのとき、私は探究しなくていい。
或る導師のあの有名な物語を、 憶えていますか。
彼は、(アシュラムで)お気に入りの猫を、 飼っていた。
彼は、多くの弟子を、持っていた。
毎朝、彼らがみんな 冥想を始める前に、
彼は、猫を捕まえて、それを 膝の上に載せ、冥想した。
師が死んだとき、弟子たちは、(儀式として) 猫を、探し回らなくてはいけなかった。
|
|
47:43
R: 私はそれを、違うように 聞いてきました。
その猫は、来て、(みんなの冥想の)じゃまを しないように、どこかにつながれた、と。
|
|
47:48
K: 同じことです。
いえ、そうね、
私たちの精神は とにかく、機械的です。
機械的にされてきました。
私たちはむしろ、
なぜ自分たちが、機械的になったのかを、 究明できませんか -
非機械的なことを、 実践するよりは、です。
そちらも、 機械的なのかもしれません。
|
|
48:27
S: それはできます。
私たちの前に、全体的になった人々が、 ずっといたからです・
・・
K: 私は知りません。
|
|
48:42
S: または、そう思われます。
|
|
48:44
私が、自分の探究を貫きとおすなら・・・ K: 私は、誰をも知りません。
S: ・・・そうなりそうに、思われます。
|
|
48:47
K: そうね、あなたは、それを受け入れます。
|
|
48:48
S: 私はそれを、可能な提言として、 見つめています。
|
|
48:50
K: 私は知りません。私は、 自分自身でもって、始めます。
|
|
48:52
私は、覚りを開いた誰をも、 頼りにしません。
|
|
48:56
私は知りません。彼らは、 自分自身を、欺瞞するかもしれません。
|
|
49:07
S: こういうわけで、私は 見つけようとしているんです・・・
|
|
49:11
K: で、自分自身でもって、 始めなければなりません。
自分自身はすでに、受け売りです。
他の人たちの陰に、生きています。
で、なぜ他の人たちに、頼りますか。
で、私はここにいます。
そこから、私は始めます。
それはとても単純です。
ところが、他は、 とても多くの錯綜へ、つながります。
|
|
49:38
S: 私は、必ずしもそれを、 錯綜とは見ません。
もし私は、観念を持っていて -
そこに自分がいて、 自分が向き合わなくてはいけない
自分の幻影、自分の苦しみ、 私の全般的な不満の状態以上の
何かがあるとの観念を、 持っているなら -
私は、可能性があると 考えないなら、
私はやってみようとすら しないかもしれません。
もし私が、可能性があるかも しれないと見るなら、
私はそれを、真理と 受け取らなくていい。
が、それは私に、 私自身の実験主題として、
自分自身でもって働こうとすることは、 甲斐があるとの感覚を、
与えてくれます - それを何とかやってみよう、と。
|
|
50:17
K: なぜあなたは、動機がほしいのですか。
|
|
50:22
S: その動機をもって始めないことは、 ほぼ不可能であると、思います。
なぜなら、それは自己より始まるからです。
|
|
50:28
K: いえ、マダム。
私たちは、同じことについて、 話しているのでしょう。
私はただ、自分自身を知りたいのです -
私は苦しむ、そうね、 私は経てゆくから、ではない。
私はただ、自分が何なのかを、 知りたいのです -
誰に沿ってでもなく、 ただ自分自身について知るんです。
で、私は探究しはじめます。
私は、鏡を見はじめます - それは私自身です。
鏡は言います - あなたの反応は、これらである。
これらの反応を持つかぎり、
あなたは、重い支払いを するだろう。
苦しむだろう、と。
で、それがすべてです。
で、今、私、普通の人間は、
すべての自分の反応、 醜いもの、気持ちいいもの、
憎いもの、 自らが持つ反応すべてを、知って、
どのように、観察を もたらすべきですか -
その中に、反応を抑制したり、拡大したりする 動機がない観察を、です。
私の話は明らかになっているのかと、 思われます。
|
|
51:45
S: ええ。
|
|
51:46
K: 私はどのように、原因なく、 自分自身を観察すべきですか。
原因は一般的に、処罰と報賞です -
それは明白に、あまりに不条理です。
調教されている犬のようです。
で、私は、何の動機もなく、 自分自身を見つめられますか。
進んでください。
|
|
52:19
S: 探究のこの段階において、 そういう探究の状態において、
私は、そうしようと しはじめていますが、
まず初めに、私は、それをできません。 私は、あまりに条件づけられています。
|
|
52:32
K: いいえ、いいえ。 私は、それを認めないでしょう。
あなたはいつも、助けを求めています。
|
|
52:39
S: いえ。でも、私は、身体的な鍛錬を できるのと同じように、できます。
私は、ゆっくりと、できます - 即時にではない -
通常私が自分自身において 見たくない、それらの物事を
見つめ、近接している ことが、できます。
|
|
52:59
K: マダム、それは理解できます。
それは、このようにです - 私は、 一定の運動をする筋肉を、持っていません。
体操をすることにより、一週間後に 私は、それら筋肉を持ちます。
その同じ精神性が、持ち越されます -
私は自分自身を知らない。
だが、私は次第に、 自分自身について、学ぶだろう、と。
|
|
53:21
S: それは、私が次第に学ばなくては いけない、ということではない。
私たちはここで、よく気を つけなくてはいけません。
それは、私が自分自身について、次第に 学ばなくてはいけない、ということではない。
それはただ、私が、 己に耐える勇気を、強さを
発達させなくてはならない、と いうことだけです。
|
|
53:37
K: それは同じことです。 それは同じことです。
私は、一定の運動をする強さ、
身体的な強さを、持っていない。
同じ精神的作動が、心理的に進みます -
私は、弱いが、 強くならなければならない、と。
|
|
53:54
S: それは、私は強くならなければ ならない、ということではない。
私が思うに、これは、 自分自身が入ってしまうところで・
・・
K: 袋小路です。
|
|
54:00
S: ええ。
|
|
54:01
それは、動機のためではない。
それは、まさに実在の 苦しみと見つめることです。
そして、苦しみと見つめること、 苦しみと見つめること。
そして、そこには、 変化する要因が、ある
- すなわち、終わりに、それを 可能にするものが、です。
|
|
54:18
K: それは、またもや 次第であって、進化です。
私は、それは全的に、と言います -
指摘してもよろしければ、 私は、あなたを訂正していません。
それは、どこにも、つながらない でしょう。それは幻影です。
|
|
54:34
S: それは、どこにも、 つながらなくていい。
でも、それは、あの精神で、 あの態度をもって、継続されるなら
- 私がそれから何かを得る、のではない -
そのとき、突然の可能な変化が あるし、それは起きるのです。
私たちがそれを、 してきたのかどうか。
それについて、もう一点を 申し述べたいと思います -
私たちは、その動機をもって 出発し、それをしてきて、
変化し、ゆっくりと 別の道を始めたのか。
あるいは、私たちは、自分自身に 知られぬまま、それをしてきて、
そのため、それは、私たちが 生きてきた生の基礎に則って、
突然起こりうるのかは、
本当に何も違いが、出ません。
|
|
55:11
K: マダム、あなたは即時に洞察を持つのか、 または、それを持たないのか、です。
|
|
55:15
S: ええ。それは真実です。
でも、何がそれへ、つながってきたのか - それが、論点です。
|
|
55:19
K: ああ、それは準備を意味しています。 - それは、時を意味しています。
それは、養成、同一視、 「私」を、意味しています。
S: いいえ。
|
|
55:28
K: もちろんです。
|
|
55:29
あなたが、時を認めた瞬間、 それは、自己の養成です。
|
|
55:35
S: 必ずしもそうではない。
|
|
55:38
K: なぜあなたは、 必ずしもそうでないと、仰るのですか。
|
|
55:43
S: 私が、その中から自分が獲得したい 何かのために、そうするなら、
それは確かに、自己の養成です。
|
|
55:54
K: マダム、あなたが仰るとき - 私たちがちょうど今、言ったように、
洞察は、時と記憶を欠如しています。
洞察は、時がない。
それは、起きなければなりません。
あなたは次第に、それへ来られません。
それは、思考により 養成されるものではない。
で、自分自身へ、段階的にではなく、 即座に洞察を持つこと。
それは可能ですか。
|
|
56:29
S: ええ。
|
|
56:30
K: いいえ。「ええ」と言わないでください。 私たちは、探究しています。
|
|
56:32
S: すると私は、自分の確信と経験をもって 言うでしょう -
私は、ええ、と言うでしょう。
K: 何ですか?何に対して、ええ、ですか。
|
|
56:40
S: それは可能です。
|
|
56:43
K: それは、あなたが洞察を持つなら、
|
|
56:46
その洞察は、自己を拭い去る、 という意味です -
瞬間的に、ではない。
瞬間的に、ではない。
で、あなたは、そのとき行為は
動機なしであると、仰るのでしょうか。
あなたは、そういう行為を 知っていますか -
時折に、ではなく、 毎日の生を生きていて、です。
私は、時折、食べ物をもらうのではなく、 毎日、食べ物をもらいたいのです。
私は、時折、幸せでありたくなくて、
私は・
・・ その他すべてを、ご存じです。
で、洞察は、時を欠如し、 記憶、思考より離別しているので、
ゆえに、洞察より生まれた 行為が、ありますか。
理解されますか。
K: 次は何?
|
|
58:24
R: あなたは洞察を持つなら、
私は「持った」とは言いません。
なぜなら、「持った」は またもや記憶を、過去を、意味しているからです。
K: 洞察を持つ。
|
|
58:30
R: あなたは洞察を持つなら、
|
|
58:32
例外はない。あなたの行為 すべては、動機なしです。
|
|
58:43
K: またもや、お許しください。
私たちは、理論的に話していますか。 または実際に、ですか。
|
|
58:48
R: 実際に、です。
|
|
58:51
K: それは、行為が正確である、精密である、 生涯をとおしてずっと、という意味です。
|
|
59:03
R: ええ。
あなたは、技術的には、間違いを するかもしれません。
|
|
59:11
K: いいえ、私は、技術的について、 話していません。
|
|
59:13
R: ですが、あなたはその洞察を持つなら、 自己がない。動機がない。
あらゆる行為は・・・
|
|
59:21
K: あなたは、その洞察を持っていますか。 あなたが、ではない。自らは洞察を持っていますか
- 自己の本性全体へのあの洞察を、です。
論争ではなく、帰納ではなく、 演繹ではなく、結論ではなく、
自己の本性へ洞察を持つ。
ゆえに、自己は -
自己への洞察が、あるなら、
そのとき行為は、必然的に、 その洞察より、つづくでしょう。
|
|
59:59
S: 私が強く感じる一点を、 明らかにしてもいいですか。
それは、私が洞察を持っている、という ことではない - それは、可能ではない。
あの洞察が、ある。
K: 何?そういう洞察が、ありますか。
|
|
1:00:12
S: 洞察があります。
|
|
1:00:14
それは、私が持っているかの ようではない。
|
|
1:00:19
N: それは、私が洞察を持っている、と いうことではない。洞察がある。
|
|
1:00:24
K: 洞察がある。私はそれを言いました。私は、 何も洞察を持っていません。私は、ただ盲目です。
私は、「私はあれへの洞察を 持っている」と言うなら、
私は少し、精神的に錯乱しています。
で、私たちは、何について 話していますか。
あなたは、質問をされました。
|
|
1:00:44
R: もちろん、私たちは、当初の質問より、 はるか遠くに、来てしまっています。
|
|
1:00:47
K: 分かります。
|
|
1:00:49
R: さて、その問いをすっかり 忘れましょう。それは答えられました。
|
|
1:00:52
K: あなたのへ戻りましょう。
|
1:00:55
R: いいえ。その問いに、あなたは 答えられました - 以前の問いに、です。
それから、もう一つの問いが、あり、 また、関係しています。
K: どうぞ。
R: そうね、おそらく
あなたは、この理論に 気づいておられるでしょう。
多くの人々が、です -
すなわち、私たちは、言語において 考えます。
信念があります。
多くの人々が、そう言います。
|
|
1:01:17
K: 何ですか。
|
|
1:01:17
R: あなたは言語において、考えます。
しょっちゅう彼らは、私に訊ねます - あなたはどの言語で考えますか、と。
私は知らないと、私は言います。
考える中に、言語はありません。
思考は言語を持ちません。
思考は即時に、
人々が用いる一番近い言語へ 解釈されます。
|
|
1:01:41
K: あなたは、ご自分の思考を、言葉なく 私に、伝えられるでしょうか。
|
|
1:01:45
R: それが、私が言うことです。
思考を伝えるとき、それは不明確です。
|
|
1:01:49
K: いいえ。あなたは、自分の思考を 言葉なく、私に伝えられますか。
|
|
1:01:58
R: それは、その水準に依存します。 K: それは、どういう意味ですか。
|
|
1:02:01
R: あなたが、 それを受け入れるのか、または、
|
|
1:02:04
その経験をお持ちなのかどうか、 私は知りません。
話すことなく、言葉なく、 疎通が、あります。
|
1:02:16
K: すなわち、 あなたと私が、同じ水準に、
同じ強烈さをもって、 同じ時に、いるとき、
疎通、親交が、ありえるだけです。
いいですか?
R: ええ。
K: それは、どういう意味ですか。
あなたと私が、同じ水準に、
同じ強烈さをもって、 同じ時にいるとき、
そのことは、何ですか。
そのとき、言葉は必要ではありません。
R: ええ。
|
|
1:03:04
K: そのことは、何ですか。
|
|
1:03:07
R: あなたがお好きなら、 それは思考である、と言えます。
|
|
1:03:10
K: いいえ、いいえ。
|
|
1:03:17
私たちのどちらもが、そのようであるとき、 その状態の性質は、何ですか。
思考の不在ではない。
その性質、その香り、そのもの、です。
あなたはそれを、愛と 呼ばないのでしょうか。
R: ええ。
|
|
1:03:53
K: いえ、いけません。
|
|
1:03:54
R: ですが、あなたは、私にお訊きになったのか、 ただ、あなたが問いに、答えようとしています。
|
|
1:03:56
あなたがそれを、私に出されて、
人々は、私がそれに答えるのを 期待しているとき、私は混乱します。
|
|
1:04:08
K: いえ。二人の人々が、
この状態の、このとてつもない性質を、 持っているとき、
言葉は、必要でありません。
あの愛の性質が、あります。
存在します。
ゆえに、言葉は不必要になります。
即座の疎通が、あります。
さて、私たちのほとんどにとって、 言語は、私たちを駆り立てます。
ですね?
よろしいですか。
言語は、私たちを駆り立て、 私たちを推し進め、私たちを形作ります。
私たちの精神は、言語により 条件づけられています。
すなわち、言語、言葉は、私たちを 駆り立て、無理強いします。
「私はイギリス人です」 -
言語、その言語の内容、です。
いいですか?
言語が、私たちを方向づけずに、 私たちが、言葉を使うなら、
そのとき言葉は、全然 違った意味を、持っています。
|
|
1:05:52
N: 言語が、あなたを駆り立てません。 あなたが、言語を駆り立てます。
|
|
1:05:55
K: そのとおりです。
|
|
1:05:57
B: 普通、私たちは、 自らの言語と同一視されている。
ゆえに、それが私たちを 駆り立てていると、私は思います。
しかし、私たちが、同一視より 自由であるなら・・・
|
|
1:06:07
K: そういうわけで・・・
言語がいかに、私たちを作ってきたかは、 とてつもないのです -
「私は共産主義者です。
私はカトリックです」と。
B: ええ、それは同一視です。
|
|
1:06:14
K: そうなんです。そうなんです。
|
|
1:06:15
B: でも、あなたは、言語は
|
|
1:06:17
同一視の主要な起源である、と 思われますか。
|
|
1:06:21
K: それらの一つです。
|
|
1:06:22
B: 大きなものの一つです。 K: ええ。
|
|
1:06:25
R: それが役立つだろうか、 私は知りませんが、
|
1:06:27
私はここで、とても重要な 大乗仏教の哲学的態度に、
注意をしたいです。
K: それは・・・
R: すなわち、世界は言語に 捕らわれている、と言われます。
名の集積体、句の集積体、音節の集積体 - それが、使われる言葉です。
K: これらも、サンスクリットの言葉です。
|
|
1:06:44
R: ええ。これらは、もちろんサンスクリットの言葉です。
|
|
1:06:47
普通の人は、言葉の中に 填まり込んでいると、言われます -
ちょうど泥の中の象のように、です。
で、言葉 - 名、句、音節 - を 見るためには、
それらを越えなければなりません。
|
|
1:07:18
K: いえ、ですが・・・
R: なぜなら、あなたが仰るように、 言語により駆り立てられているかぎり・
・・
K: あなたはそうですか。
|
|
1:07:23
R: あなたは、個人的に訊ねていますか。
|
|
1:07:25
K: ええ。あなたはどうですか。 私はどうですか。
ボーム博士、彼は、 言語により駆られていますか。
|
|
1:07:41
R: それは、私には言えません。 あなたが、それに答えてください。
|
|
1:07:46
K: 私は、自分自身で答えられますが、 私は、あなたに訊ねています。
|
|
1:07:52
R: ええ。あなたは、あなた自身で答えます。 K: ああ、絶対的に、です。
|
|
1:07:54
R: ええ、それで十分です。
|
|
1:07:56
K: いえ、いえ。 それで十分ではありません。
|
|
1:07:59
N: しかし、思うのですが、 言語について、熟達するとか
|
|
1:08:03
学術的になればなるほど、
言語に捕らわれる可能性が、
より大きくなる、と思います。
|
|
1:08:15
R: ええ、確かに。
|
|
1:08:20
N: ところが、田舎の人たちはただ、単純な 疎通のために、それを使うだけかもしれません。
|
|
1:08:26
K: それが、あなたの問いでした -
思考は、言葉を持っているのか、
思考は、言葉の一部なのか、です。
言葉が、思考を創り出しますか。
または、思考が、言葉を創り出しますか - 卵・・・
|
|
1:08:57
R: ええ。
B: あなたはかつて、その質問をされました - 言葉なしに思考があるのか、と。
|
|
1:09:01
K: それが、私がしたいことです。
それは、とても興味深いですよ。
私たちは少し、それに入りましょうか。
あなたは、それに入りたいでしょうか。
|
|
1:09:10
R: ええ。言葉なしに、 思考はありますか。
|
|
1:09:11
B: それが問いです。
|
|
1:09:17
R: 思考は何も言葉を持たない、と 私は思います。
思考は、言葉を持ちません。 思考はイメージです。
|
|
1:09:25
K: いえ、いえ。私たちは その意味で、言葉を使っています・・・
象徴、イメージ、映像、言葉を、 含めるために、です。
それらです。
|
|
1:09:38
B: 言葉は、容易に イメージへ、変えられますね -
例えば、芸術家によって、です。
叙述は、芸術家によって、 イメージへ変えられます。
または、その逆に、イメージが叙述されて、 言葉へ変えられるかもしれません。
で、それらは、等価の内容を 持っています。
|
|
1:09:58
K: 思考の起源とは、何ですか。
もしもあなたが、見出さなくては いけなかったなら -
ブッダが言ったことではなく、
あなたが、人間として、何かを 見出さなくてはいけなかったなら・
・・
あなたが、見出さなければなりません。
さもないと、あなたの頭は、 叩き切られるでしょう。
それは、あなたが見出さなければならない ものすごく重要な何かです -
あなたは、何をするのでしょうか。
思考の起源は、何ですか。
神が世界を作った。
言葉が受肉した - それは何ですか。
バイブルの始まり、「創世記」ですか。
K: 私は、それを忘れてしまっています。
|
|
1:10:52
B: 私は、それを忘れてしまっています。
私は、「創世記」を思い出せません。
|
|
1:10:55
R: あなたのほうが、みんなより読んでいます。
K: いえ、いえ、すみません。これは、 ありふれています。それは、どこかで聞かれます・・・
|
|
1:11:02
K: どうぞ、その問いに、 答えてください。
|
|
1:11:08
R: 起源が、ありますか。
|
|
1:11:11
K: ありますか。 R: 起源が、ありますか。
|
|
1:11:12
K: あるにちがいありません。 R: なぜ、ちがいないのですか。
|
|
1:11:13
K: さもないと・・・ あなたにおいて、起源は何ですか。
|
|
1:11:15
R: 起源はない。
|
|
1:11:16
K: もちろん、思考の始まりは、 あるにちがいないですよ。
|
|
1:11:24
R: それは、またもや誤謬です。 それへの間違った見方です。
|
|
1:11:26
K: いえ、いえ、いえ。
|
|
1:11:33
R: あらゆる物事に、始まりがあるに ちがいないと、訊ねることによって、です。
|
|
1:11:39
K: いえ。私は、あらゆる物事に 始まりがあるとは、訊ねていません。
|
|
1:11:41
私はただ、見出すために、 訊ねています -
|
|
1:11:44
思考の始まりは、何ですか。
思考は、どのように始まりましたか。
犬については - よろしいですか -
動物、生きものすべてについて、
彼らはみんな、様々な形で考えます。
または、感じるなどです。
それの始まりが、あるにちがいありません。 人間たちにおけるそれは、何ですか。
|
|
1:12:38
S: 私たちは、もしもまったく欲望を 持たなかったなら、思考を持たないでしょう。
|
|
1:12:42
K: いいえ、いいえ。それは、 それについての問いではない。
|
|
1:12:45
B: あなたは、 同一視なしの、または同一視つきの
思考について、議論していますか。
|
|
1:12:48
K: いいえ。
思考は、私自身において どのように、始まりましたか。
それは、私の父により、手渡されましたか - 私の両親により、教育により、
環境により、過去によって、ですか。
私は知りたいのです。
どのように・
・・ 何が私に、考えさせましたか。
進んでください。
何があなたに、考えさせましたか。
|
|
1:13:28
R: 問いは、こうです -
あなたは、この裏に 何か原因を、置いています。
しかし、私は言うでしょう - 何も、私に考えさせなかった。
それは、考えることは、 あなた自身の本性にある、と。
|
|
1:13:40
K: いいえ。
|
|
1:13:41
R: 他の起源、原因はありません。 K: ああ、いえ。あります。
|
|
1:13:43
R: それは何ですか。
|
|
1:13:46
K: 私は、一分後に、 あなたに言いましょう。
|
|
1:13:46
いえ。私は、 最終的な権威ではないですよ。
|
|
1:13:49
私はそれについて、話し合いたいのです。
もしも私は、記憶を持っていなかったなら、 考えることが、あるのでしょうか。
|
|
1:14:04
R: もう一回、伺います - 記憶の起源は何ですか。
|
|
1:14:07
K: それに答えるのは、 相当に簡単です。
私は、パリであなたに会ったのを、 憶えています。
私は憶えていませんが、
仮に、私がパリであなたに 会ったのを憶えている、とします。
それは、記録されているでしょう。
よろしいですか。
|
|
1:14:30
R: もちろん、それが頭脳に記録されていることは、 一般的に受け入れられています。
K: いえ、それは普通の事実です。
|
|
1:14:35
R: いえ。それを、私は受け入れません。
|
|
1:14:37
それは、古い19世紀、20世紀の理論です -
あらゆる物事が、どこか頭脳に 記録されている、というもの、です。
|
|
1:14:48
K: いいえ。見てください。 私は今週、あなたに会いましたね。
あなたは一年後に、戻ってきます。
- そうなさることを、私は願っています -
そのとき私は、「はい」と言います。
私はあなたを認識します。いいですか?
その認識は、どのように起きますか。
|
1:15:09
R: あなたが進められたのは、とても良い。
なぜなら、これは、私があなたに お訊きしたい問いであるからです。
K: 私は訊ねています。
R: 記憶はどのように、生じますか。
私はそれを、訊ねませんでしたが、
これは、私が大いに、あなたに 訊ねたかった問いなんです。
|
|
1:15:23
K: 私はそうしております。
私は今、あなたに会います。
一年後に、あなたは、戻ってきます。
- 私は、あなたがそうされることを、 願っています - 議論のために、です。
そのとき私は、「はい、ラーフラさん。
私たちは昨年会いました」と言います。
それは、どのように起きますか。
とても単純です。記憶です。
頭脳は、その記憶を、 記録していました -
あなたに会い、 あなたの名前を学んだことを、です。
で、それが記憶です。
私は、次回あなたに会うとき、 あなたを認識します。
ですね? 非論理的なことは、何もなくて・・・
|
|
1:16:06
R: それは、どう起きますか。
それが疑問です。
|
|
1:16:11
K: それはとても単純です。
あなたは、私へ紹介されました。
私たちは、二回の午後、一回の午前の間、 ここに座っていました。
それが憶えられています。
来年あなたが戻ってくるとき、 私は、「はい」と言います。
もしも、憶えていないなら、 私は、あなたを認識しないでしょう。
ですね?
で、記録することが、つづいています。
それは、19世紀や、1世紀や、 20世紀ではありません。
記録することは、 つづかなければなりません。
技術を学ぶ精緻な教育の過程、
車をどう運転するのかとか、 月へ行くとか、何であってもですが、
それは、気をつけた記憶の蓄積です -
それが、そのとき作用します。
そこには、何も 間違ったことは、ないでしょう。
|
|
1:17:18
R: それは、どのように起きますか。
|
|
1:17:20
K: 私は、車の運転の仕方を、知りません。
それで私は、運転の仕方を 教えてくれる人のところへ、行きます。
私は、二十四時間の教習を受けます。
その終わりに、私は試験を受けて、
その人は、「あなたは、 なかなかよろしい」と、言ってくれます。
あなたは、「私は、彼と運転することにより、 それを学んだ」と、言います。
彼は私に、語っています - 「気をつけなさい。
左へ曲がりなさい」と。
彼はいつの時も、私を指導しています。
それで、二十四時間の教習の終わりに、 私は良い運転者です。
そう願います。
それですべてです。
そこには、何も正しいとか 間違ったことは、ありません。
同じように、今日、私はあなたに会います。
来年、私は思い出すでしょう。
すなわち、思い出がある。
それは、記録する過程です。
ちがいますか?それはとても単純です。
|
|
1:18:15
R: まだそれは、私にとって、 完全に明らかではありません。
それが記録されることは、認めましょう。
私たちが来年会うとき、その記録は、 どのように浮かんできますか。
|
|
1:18:28
K: ああ、私があなたに会うとき、です。
その記憶が、跳ね上がって、 「ああ、彼はラーフラさんだ」と言います。
記録は、イメージです - 快くても、快くなくても、です。
|
|
1:18:44
R: それが快いであろうことを、 私は願っています!
|
|
1:18:51
K: 快くても、快くなくても、 それが記録されます。
次回、私があなたに会うとき - 私はあなたに会いますが、
それは快くなかったなら、私は、 「うーん、何て退屈なんだ」と言います。
私は、そっぽを向いて、 他の何かについて、話をします。
で、この過程全体が、記録です - 私がどう、車を運転するかを、学んだのか、
私がどう、英語、フランス語、ドイツ語を 話すかを、学んだのか - それが何でも、です -
記録が、なければなりません。
ちがいますか?
R: 確かにそうです。
|
|
1:19:24
K: ですが、 あなたは、19世紀のと仰った・・・
|
|
1:19:26
R: ええ。私が言いたいのは、 それは頭脳にはない、ということです。
|
|
1:19:29
それが、そのことです。 K: ああ、分かります。
|
|
1:19:36
それは、どこにありますか。
|
|
1:19:37
R: それは、一般的に精神的能力(意根)と 呼ばれるものの本性に、あります。
ちょうど眼、耳、鼻等のように、
精神能力、精神的能力もまた、能力です。
|
|
1:19:51
K: ええ。
|
|
1:19:52
R: それは、潜在的能力の一つです。
|
|
1:19:58
K: 記録するのは、頭脳の能力です。
|
|
1:20:05
R: それは、物理的な頭脳ではない。
それが私の論点です。
|
|
1:20:12
K: ああ、あなたは、他の何かへ 逸れて行ってしまいました。
|
|
1:20:14
R: ええ。それが、私が言うことです。
|
|
1:20:15
N: あなたは、 精神的な能力は、身体全体に
拡がっている、と仰っていますか - 必ずしも頭の中ではない、と。
それが、あなたが、 それは頭脳にはない、と仰るとき・・・
|
|
1:20:23
R: 私たちの精神的な能力は、 感覚器官の一つです。
身体的な感覚器官が、五つあります。
そうね、眼は、 見たり検討する力を、持つ。
耳は、それをできない。
それは、聞けるだけです。
そして、精神的な能力が、ある。
ちょうど、眼、耳、鼻、舌、身といった、
身体的な能力のように、 (意の)精神的な能力が、ある。
その眼、耳、鼻、舌、身は、
外的な世界、物質的な世界を、 取り扱う。
しかし、世界は、それで 終了していません。
世界の、より大きな部分は、 それにより触れられません。
|
|
1:21:05
K: 世界の、より大きな部分は、 何ですか。
|
|
1:21:07
R: 世界の、より大きな部分 -
それは、私たちが話していたこと、 これら感受と、
これらすべての物事です。
それらは、 身体や、そのようなものにより、触れられません。
それから、精神能力、精神的な能力は、
きわめて多くの様相、 多くの潜在能力を、持つものです。
一つが、この記憶です。
私があなたより明瞭にしたいことは、 それはどのように起きるのか、です。
もちろんあなたは、 頭脳の観念でもって、始められます。
|
|
1:21:42
K: いいえ。
|
|
1:21:43
R: 頭脳の中の記録、と。 私はそれに、異議を唱えます。
|
|
1:21:47
K: 当面の間、頭脳は切り離しましょう。
今日、私はあなたに会います。
一週間後、私はあなたを見ます。
認識の過程があります。
いいですよ。
それは、その能力の一部です。
その能力の他の部分は、 考えることです - 論理的にか、
非論理的にか、です。
で、幾つもの様相、
作り上げられた能力が、精神にある。
|
|
1:22:32
R: ええ。
頭脳なしに、精神は持てません。
R: いえ。
確かに、頭脳だけではなく、
身体なし、胃腸なし、 心臓なしでも・・・
|
|
1:22:40
K: 何ですか。
|
|
1:22:40
N: 彼は、身体的なもの すべてを、含めます。
|
|
1:22:43
R: 身体的な存在なしには、 精神を持てません。
|
|
1:22:46
K: それがすべてです。 R: なぜ頭脳だけですか。
|
|
1:22:47
K: ゆえに、精神は、諸感覚の部分です。
|
|
1:22:49
ですね? 精神は、思考、情動、
考えるなどなどの一定の能力の 部分です。
それは、外側にありますか。
または、有機的組織の構造全体、
頭脳全体、身体、眼、耳、
そのすべてが、考える過程である この精神の部分ですか。
ちがいますか。
|
|
1:23:34
B: あなたは、精神は思考である、と仰っていますか。 または、それは思考以上でもある、と。
|
|
1:23:41
K: 私は知りませんが・・・ B: それは思考を含む、と。
|
|
1:23:42
K: 私はそう言いたくありません。 B: 思考と言うだけです。
|
|
1:23:43
私はただ、こう言いたいだけです -
|
|
1:23:45
精神は、思考の分野の中で 機能しているかぎり、
制限されている、と。
|
|
1:23:56
B: で、意識、という意味です。 精神はそれだ、と。
|
|
1:23:58
K: ええ、意識は制限されています。
|
|
1:24:03
B: 私たちは、それは、これら能力により制限される、 と言います - それらがどこにあっても、です。
|
|
1:24:06
K: ええ。そのとおりです。 それらが何であっても、です。
|
|
1:24:14
B: しかし、認識が及ぶかぎり、
人々は、 認識の過程を模倣できる機械を、
作ってすらいます。
|
|
1:24:20
K: もちろんです。
|
|
1:24:22
B: すでに、コンピューターの手段により、
単純な物事を認識できるんですね。
|
|
1:24:26
S: けれども、私が一瞬の間だけ、 あなたに会ったことがあり、
あなたの、その出会いの充分な衝撃が、 私になかったなら、
来週、私はあなたを通り過ぎて、 あなたを認識しないでしょう。
K: もちろんです。
|
|
1:24:44
B: それが論点です。
|
|
1:24:44
それは、何らかのエネルギーをもって、 記録されなくてはならないですね。
|
|
1:24:48
S: それが、私が言った意味です - 充分な衝撃のエネルギーが、なければなりません。
|
|
1:24:51
K: もちろんです。すべての記録は、 エネルギーを持たなければなりません。
|
|
1:24:54
B: マイクロフォンをオンに しなかったなら、何も記録されません。
|
|
1:25:00
R: そうです。もちろんです。私たちは、 自らが見聞きする多くの物事を、憶えません。
一定の印象を残す物事だけ、です。
|
|
1:25:08
B: ですが、記録が、いかに
認識と次の経験を 生じさせられるだろうかは、
相当に明らかだと、思うんですよ。
次回あなたが、その人物に会うとき、 記録が比較されます。
R: それは戻ってきます。
|
|
1:25:22
B: ええ、それは戻ってきます。
|
|
1:25:24
R: それは、まさしく、コンピューターが 取り上げるのに、似ています。
|
|
1:25:25
K: で、私たちの頭脳は、コンピューターです。
|
|
1:25:29
R: 私は、いいえ、と言うべきでしょう。 頭脳ではない。
|
|
1:25:33
K: 頭脳とは何ですか。 R: 頭脳は、基礎なのかもしれません -
|
|
1:25:36
なぜあなたは、頭脳を仰るだけなのか。 なぜ身体全部、心臓全部ではないのか。
|
|
1:25:38
心臓なしに、考えられますか。 K: いいえ。
|
|
1:25:44
ゆえに、私たちは、 それを申しましたよ。
頭脳、精神 -
精神は、頭脳、感じ、心、構造全体を、
収容しています。
|
|
1:25:56
B: 神経中枢すべてを、です。
|
|
1:25:57
K: 私たちは、精神という言葉を、 意識として使っています。
すなわち、心臓が機能しないなら、 私は意識を持てません。
|
|
1:26:09
R: ええ。そういうわけで、私は、 精神とか意識とかの代わりに、
精神的な能力という言葉を、 使ったのです。
能力という言葉でもって、それらの 部門が、包摂され、関与しています。
|
|
1:26:23
K: あなたが仰る、能力という言葉は、 どういう意味ですか。
その言葉は、何を意味していますか。
私は忘れています。私は知りません。
B: 何らかの器量と能力を、持つこと。
|
|
1:26:29
R: ええ、そのとおりです。
B: 何かをできる能力です。
|
|
1:26:36
R: する能力。 視力と言うときのように、です。
|
|
1:26:41
K: いいえ。する能力は、 知識に依存します。
もしも私が、ピアノの弾き方を 知らなかったなら、
すなわち、それを学んで・・・
|
|
1:26:56
R: いいえ、すみません。 あなたは、論点より離れて行っています。
私は、精神の能力と言いました。
精神は、それらをするための力、 能力、潜在能力を、持っています。
それらは、そのものの異なった様相です。
|
|
1:27:09
K: ああ、分かります。
|
|
1:27:10
B: その能力は、生まれつきである、と 仰っていますか。
|
|
1:27:12
R: ええ。生まれつき、生来的で、 それは自体で、力を持っています。
なぜかとどこからかを、訊ねられません。
|
|
1:27:18
K: いいえ。私は、それを訊ねたいのです。
私は、精神が生まれつきの能力を 持っていることを、受け入れないでしょう。
B: 考えるように、です。
|
|
1:27:26
R: ええ。
|
|
1:27:30
K:生まれつき(を受け入れない)とは、それは、 遺伝子的ではない、遺伝ではない、という意味です。
|
|
1:27:34
B: いえ。生まれつきは、 遺伝子的、という意味です。
|
|
1:27:36
R: いえ、いえ。それは正しくない。 K: では、それは何ですか。
R: 例えば、精神は、ちょうど私たちの 眼のように、見る能力を持っています。
K: で、精神は力を持っている・・・
|
|
1:27:47
R: ・・・それらすべてのごまかしをし、
|
|
1:27:50
私たちが話しているそれら すべてのことを、するように、です。
記憶、反応、感受とそれらです。
|
|
1:27:58
K: ええ。精神は、これらをする 活動的なエネルギーです。
|
|
1:28:04
B: また、物理的な構造も、 身体中にありますね。
こう言うことは、良い類似であると、 私は思います -
眼は、一定の可能性を持っているし、
この全身において、幼児は すでに遺伝のせいで、
考える能力を、すでに自らに 組み込まれている、と。
|
|
1:28:23
R: そうです。
K: この「組み込まれた」は、 どのように、生じてきましたか。
|
|
1:28:28
B: 眼が成長したのと同じように、 成長することによって、です。
そうね、眼は、ものすごく持っています・・・
|
|
1:28:31
K: それは、進化を意味しています。
|
|
1:28:33
B: ええ、進化です。 K: 待って、 待って。ゆっくり行ってください。
|
|
1:28:34
それは、まさに始まりから、 それは進化してきた、
という意味です - ついに、私たちが今、 猿であるまで、です。
より大きな猿、です。
すみません!
|
|
1:28:48
R: またもや、私はそれを問います。
あなたは、ダーウィンの理論を、 当たり前と取られました。
|
|
1:28:55
K: 私は、ダーウィンを取りません。 私は、これが世界で起きているのが、見えます。
|
|
1:28:59
R: いえ。あなたが、私たちは 猿から進化したと、仰ったときです。
|
|
1:29:05
K: いいですよ。私たちは、 不完全な人から、進化してきました。
または、完全な人から、 進化していません。
私たちは、丘を登る代わりに、 丘を降ろうとしています。
または、私たちは、坂を登っている。 ゆえに、私たちは、不完全な人です。
|
|
1:29:23
B: 私たちは、これらすべてのことについて、 議論したいのかどうかと、思われます。
それらは本当に、確実でない詳細です。
|
|
1:29:34
R: ええ。
そういうわけで、私は、猿から進化することに ついてのその発言に、反対するのです。
私たちは、それについて知りません。
|
|
1:29:43
K: 私は知りません。私は、私たちが どのように進化してきたのかを、知りません。
ですが、私は、ごく単純なことを 知っています - すなわち、
記録することなしに、 思考はない、と。
|
|
1:30:02
R: それは、思考は 記憶であることを、意味しています。
|
|
1:30:05
K: もちろんです。 R: ええ、そのとおりです。
K: 思考は記憶です - それは経験です。
それは知識です。
蓄えられています -
どこにか、私の足の親指にかは、 大事なことではない。
蓄えられています。
それは、挑戦されるとき、作動します。
|
|
1:30:26
B: まあ、私たちはまた、思考は、 論理的に、記憶に沿って
推理する能力であるとも、言ってきましたね。 そのすべてをまとめて、です。
|
|
1:30:35
K: ええ。論理的にか、非論理的にか、 考える、などです。
|
|
1:30:39
B: そのすべてが、あなたが能力と 呼ばれたものです。 K: ええ。
|
|
1:30:41
R: 私はその言葉を使いました。なぜなら、それは、 より大きな分野を使う、包摂するからです。
|
|
1:30:48
B: ですが、あなたは、それはやはり 記憶に依存すると、仰っています。
|
|
1:30:52
K: もちろんです。 その、思考の本質が、記憶です。
|
|
1:30:55
B: 記憶なしには、他の能力の どれ一つとして、作動できないでしょう。
|
|
1:30:58
K: もちろんです。
私は、あのものが見えます。
それは、樹と呼ばれてきました。
私はそれを、樹と呼びます。
それだけです。
それは、いつの時も、記録されます。
その記録なしには、
思考の始まりは、ありません。
思考はありません。
もしもあなたが、 カトリックの世界に生まれて、
カトリックの世界により、 条件づけられたなら、
あなたは、カトリック世界に沿って、 考えているでしょう -
キリスト、そうね、その事柄全体です。
で、あなたは、宣伝により、書物により、
司祭者により、つづくサーカスすべてにより、 条件づけられます。
あなたが、インドやセイロンなどで、 条件づけられるように、です。
で、この条件づけの 起源、始まりは、何ですか。
なぜ人は、自分自身を条件づけるのか。
安全のため、 危険を回避するためですか。
1:32:24
明白です。
私は、キリストを信じています。
なぜなら、私は、キリスト教世界で 育てられてきたからです。
それが、私の条件づけですし、
この生は、悲惨な生、不幸せな生です。
ですが、私は、 キリストを信じています -
それは、私に、一定の慰め、強さの 感覚を、与えてくれます -
このおぞましいもの、 世の中に向き合うように、です。
で、それは、私に 大きな慰めを、与えてくれます。
それですべてです。
それは私に、この不安全な世界で 安全を、与えてくれます。
心理的に、父が、私を 見守ってくれている、と。
それですべてです。
ヒンドゥー教徒、仏教徒、 イスラム教徒 -
彼らはすべて、同じ範疇にいます。
で、人間の本能的な応答は、 安全だと感じることです。
子どものように、です。
明白です。
ちがいますか。
|
|
1:33:54
R: それはどのように、訪れますか。 その安全の感覚、
安全の感じ - それの起源は、何ですか。
|
|
1:34:02
K: 母親と子ども、赤ちゃんは、
小さな安全を、持たなければ なりません。
さもないと・・・
赤ちゃんは、安全を、持たなければ なりません - 物理的な安全を、です。
食べ物を、とらなければなりません -
正しい時、正しい時刻に、 その他すべて、です。
|
|
1:34:22
B: 赤ちゃんは、同時に 安全の感じを、持ちますか。
|
|
1:34:26
K: たぶんね。私は知りません - 赤ちゃんではないので。
私はそれを憶えていませんが、私は、 その子は、きっと安心を感じると、思います。
|
|
1:34:32
B: その子は、安心を感じます。
|
|
1:34:33
K: 安心だ、見守られている、 静かだ、と。
その子が泣きはじめた瞬間、 母親がそこにいます -
おしめを替えるため、 お乳をやるため、その他すべてです。
それのどこが、いけませんか。
その物理的な安全から、私たちは 心理的な安全へ、向かいます -
それをキリストが、私に与えてくれます。
それは、戯言なのかも、
不合理で、あらゆる種類のこと なのかもしれません。
ですが、私はそれが好きです。
少なくとも、 私は、何らかの幻影に、慰めを持っています。
ですが、私はそれを、幻影とは呼びません。
あなたがそれを、幻影と呼ぶなら、 私は、あなたを蹴飛ばすでしょう。
で、私たちは、そのようにつづけます。
あなたは、何かに 自分の安全を、持っている。
私は、自分の安全を持っている。
他の一人は、 イスラムに、自分の安全を持っている、などです。
で、私たちの一人一人が、 自分の特定の形の安全に、縋りつく -
それが合理的で、健全で、理性的であるのか どうか、それは大事なことではない。
|
|
1:35:54
B: それは、楽しみの問いに 類似しているように、私には思われます。
すなわち、あなたは、 楽しみの感じを、登録します。
それから、それを 築き上げようとします。
|
|
1:36:01
K: ですが、私は、 あきらめられません。
私は、「まあ、私はキリストを 手放そう」と言えません。
私は、「神様、私はできない」と言います。
|
|
1:36:06
B: それは、楽しみと同じです。 あなたは、楽しみをあきらめられません。
|
|
1:36:09
K: もちろんです。 もちろんです。同じ問題です。
|
|
1:36:13
S: それは、楽しみについてのほうが、 きついと思います。
なぜなら、この頃、人々は、
あまり多くの困難なしに、 自らの宗教をあきらめたり、
変更したりするかのように、 思われるからです。
ですが、それが本当にそこに来るとき、 私たちはみんな、
自分の楽しみをあきらめることに、 はるかに反対します。
|
|
1:36:28
K: ああ、それは、 すっかり違った事柄ですね。
身体的な楽しみは・
・・
S: または、精神の楽しみは。
|
|
1:36:35
K: もちろんです。
|
|
1:36:37
R: ですが、私たちは、 どこへ行っていますか。
|
|
1:36:40
K: 私たちはどこへ、行っているのか。 私はまだ、終了させていません。
|
|
1:36:44
私たちはまだ、生の中心的な主題について、 議論していません -
動機、反応、後悔、痛み、悲しみの
この甚大な複合体なしの 行為とは、何ですか。
私は・
・・人間は、これら怖ろしい 混乱なしの行為に、生きられますか。
それだけです。
あなたは、「ええ、生きられる」と 言いますね。
あなたは、私に語ります - あなたはキリスト教徒であるなら、
「神を信じなさい。
キリストを信じなさい。
彼があなたを、これらより 救ってくださるだろう」と。
私は、とても不幸せなので、「後生ですから、 助けて」と言って、それに縋りつきます。
1:37:45
あなたは、Xであるなら、 こう言います -
「私は、ブッダが言ってきたこと すべてを、信じている。
私にとって、それで十分だ。
私はそれに慰めを得よう」と言います - 「私はブッダに帰依いたします」と。
で、私の行為は、報賞と処罰に、 基づいています。
よろしいですか。
私は、これをするなら、 涅槃に到るだろう。
私は、そうしないなら、 地獄に行くだろう -
それは、キリスト教と、 その他すべての、です。
で、そのすべてを、 船から放り出してしまい、
相当に智恵があり、 教育を受けているので、
自らは、「それはすべて戯言だ」 と言います。
私は、努力と後悔の陰もない行為が、
あるのかどうかを、見出したいのです。
1:38:48
理解されますか。
見出すことは、重要です - 理論的にとか、何気なくとか、ではない。
それは私にとって、燃えさかる問いです。
私が見出さなければならない、 熱情的なことです。
なぜなら、私は籠の中、さもしい 競い合いの中に、入りたくないからです。
で、私は、何をするのでしょうか。
すべての境遇のもとで、 正しい行為とは、何ですか -
境遇に依存しないもの、です。
境遇 - 私の妻は、 「これをしなさい」と言います。
「私は、あなたを愛しているが、あなたは、これを しなければならない」と。
または、他の何かを、です。
私は、それらすべての影響力や 圧力を、片付けてしまいます。
私は、それ自体で完全である行為が、
あるのかどうかを、見出したいのです。
1:39:56
で、私は、理解しなければ なりません -
総体的であり、完全で、全体的であり、
部分的でない行為が、ありますか。
それは、私が自分自身を、断片においてではなく、 全体的に観察できるか、という意味です。
または、断片をとおして、 即座に全体が、見えますか。
で、全体的な行為が、ありますか。
私は、「ええ、あります」と言います - 明確に、です。
それは何なのかと、 私に訊ねないのですか。
|
|
1:41:02
R: 私は、訊ねたかったのですが、 私は、返事を待っていました。
|
|
1:41:05
K: それを訊ねなさい!
|
|
1:41:07
R: 私は訊ねたい - それは何ですか。
|
|
1:41:15
K: まず最初に、あなたは、自分の眼で 樹を、全体として見られますか。
あなたは、自分の妻や夫や、 自分のガール・
フレンドや
ボーイ・
フレンドを、 全体として、見られますか。
質問を理解されますか。
あなたは何かを、全的に見られますか。
または、あなたは、いつも 部分的に見ていますか。
|
|
1:42:03
R: あなたが、「全的に」という言葉を、 使われるとき、意味は何ですか。
|
|
1:42:07
K: 全包括的(ホリスティック)、 全体的です。
待って。
何かへ、入らないでください。
私はあなたを、全体のものとして 見られますか。
理解されますか。
お待ちください。
私は人類を、私自身として、 見られますか -
すなわち、全体として、です。
それで十分です。
私は人類を、私自身として 見られますか。
なぜなら、人類は私と似ているからです - 苦しみ、悲惨で、混乱し、
苦悶、恐怖し、不安全で、悲しみに 打ちひしがれ、他の一人に似ています。
いいですね?
で、人、人類を見る中で、 私は、自分自身を見ます。
|
|
1:43:22
R: またはむしろ、逆に、です。 あなた自身を見ることにより、人類が見える。
|
|
1:43:28
K: それは私です。
あなたが、私は自分自身を人類として見る、と 言うのかどうかは、大事なことではない。
そのとき、人類は私です。
私は、人類より分離していない。
私は、「私はエリートだ。
私はこれだ」と言いません。 私は、残りの連中(ギャング)に似ています。
マフィアの一員ではなく、普通の連中です。
で、私は世界が、自分自身として見えます - それは、全体です。
それは単純ですよ。いや、単純ではない。 それは・・・それで、よろしいでしょうか。
|
|
1:44:18
B: 私は、思い迷っていました - あなたが仰ったことですが、
私たちは一瞬の間、その樹を 考慮できるのかどうか、です。
|
|
1:44:23
K: その樹は、あまりに些細です。 私はそうしたくなくて・・・
|
|
1:44:26
B: あなたが、その樹が全体として見える、と 仰るとき、それは明らかではありません。
|
|
1:44:30
K: 全体のもの。何かが、 全体的に見えることですよ。
|
|
1:44:33
B: そのすべてが見えるだけ、ですか?
|
|
1:44:36
S: 私たちは、かすかな言語の困難に、 はまっていると、私は思います。
なぜなら、私たちは、他の可能性を 持っていないからです。
この、「私は全体として見る」 -
本当にそれは、自己、または 自己の誤謬が、はっきりと見抜かれて、
崩されてしまったことを、 意味しています。
なぜなら、さもないと、どれほど 私が樹を全体として見ても、
それはやはり、 私の思考であるからです。
K: それが、究極的なことです。
|
|
1:45:02
S: ええ。
|
|
1:45:04
K: しかし、あなたは、自分の夫、 自分の妻や自分のガール・フレンドを、
|
|
1:45:05
全体のものとして、見られますか。
全的に、ですよ。
できるでしょう。
あなたが誰かを、全体的に見られるとき、 それは、どのように起きますか。
|
|
1:45:33
S: ものすごい - だが、私のではない - 暖かさ、です。
|
|
1:45:37
K: いえ、いえ・・・ S: 暖かさが、入ってきます。
|
|
1:45:42
K: あなたは、あの樹を愛しているなら、 それが、全体的に見えるでしょう。
|
|
1:45:47
S: ですが、私たちはまた、自らのいう愛が 何を意味するのか、気をつけなくてはいけません。
|
|
1:45:54
K: マダム、それをとても単純なままにしておいて ください。当面の間、それを知的にしないでください。
|
|
1:45:57
私たちは後で、そうするでしょう。
私は誰かを愛しているなら、
愛は、所有したがる、取得したがる、 その他すべての戯言ではありません。
私は愛しているなら、 全部のことが、そこにある。
その男や女の総体が、そこにある。
で、私は自分自身を、全体的に 見られますか - 自分自身とは人類です。
私は、人類より異なっていません。
私は、個人ではありません。
それはすべて、まやかしです。
私は、残りの人類です。
私は、世界です。
私はそれを、全体として見られますか。
私は、共産主義者ではありません。
なぜなら、共産主義者もまた それを言うからです。
ですが、私は、 あの愚かな共産主義者ではない。
|
|
1:46:58
R: なぜあなたは、そのように 共産主義を、否定したいのですか。
|
|
1:47:01
K: いえ、いえ、いえ。
|
|
1:47:04
R: あなたが共産主義者であるなら、 何がいけませんか。
|
|
1:47:06
K: いえ、いえ。 あなたは誤解なさった。
共産主義者は、理論に満ちていて、
それら理論を実践に移し、
理論に沿って、人を形作っています。
私は、それについて話していません。
当面の間、それは放っておいてください。
私がそれを持ち込んで、すみません。
私自身を見つめるには、
私は実際に、残りの人類であるとき、
私自身を、全体として 見られるだけなのです。
|
|
1:47:33
B: 本質において、ということですね。
本質的に私は、全体と同じである、 という意味です。
K: 本質的に、基本的に、です。
|
|
1:47:39
B: 基礎的な性質が、です。
|
|
1:47:41
K: ええ。私は、長い鼻や短い鼻をし、
|
|
1:47:43
歪んだ眼や青い眼を しているかもしれません。
私は、それについて話していません。 基本的に、です。
|
|
1:47:48
S: 人間です。
|
|
1:47:49
K: 人間として、です。
そのとき、個人的な努力もなく、
また、集団的な努力もない。
ですね?
|
|
1:48:19
自らが自分自身を、全体として 見るとき、諸部分は、消え去ります。
しかし、私たちは、諸部分を収集することにより、 全体が作られると、考えます。
で、私は自分自身が全体として 見えるとき、諸部分は消え去ります。
ゆえに、自己はない。
私は、あのもの、あの樹が、 完全に見えるとき・
・・
私は、非難しないなら、私が「それは私の樹だ。
それは私の庭だ」と言わないなら、
それを完全に見られるだけなのです。
いいですか。
私が言っていることを、理解されますか。
|
|
1:49:15
R: ええ、ええ。
|
|
1:49:16
K: で、私があの樹を愛しているとき、 私はそれが、全体として見えます。
|
|
1:49:35
B: そのとき、それはすべての樹と 類似していると、仰るのでしょうか。
私が自分自身を全体として見るなら、
私は、すべての人類と 同じである、と言うように。
|
|
1:49:48
K: それで、すべての樹を、 私は愛しています。
|
|
1:49:50
B: それは同じですか。 K: もちろんです。明白です。
|
|
1:49:51
B: それは、あの単一の樹に 依存しない。 K: ええ、ええ。
|
|
1:49:53
B: あなたが愛しているのは、 この樹だけではない。
|
|
1:49:56
K: 私が愛しているのは、 あの楡の樹ではない。
|
|
1:49:58
B: それはまさに、ここ、 この場所において、です。
|
|
1:49:59
K: 樹々を、私は愛している - それらが、あなたの庭にあっても、
私の庭にあっても、他のどこかに あっても、野原にでも、です。
|
|
1:50:03
B: どこにあっても。
|
|
1:50:04
で、それは大事ではない - 特定の樹々は。
|
|
1:50:05
K: そうなんです。
|
|
1:50:07
S: それがどちら側であるかは、大事でない。 なぜなら、それらは同じであるからです。
|
|
1:50:09
私はその樹を愛していて、それが全体だと 見える。なぜなら、私はそれを愛しているから。
それは大事ではない - その一つと他は同じである。
K: いえ、いえ。
|
|
1:50:26
S: これは同じです。
K: ごらんなさい。
私は、全体的に 見るという問いを、出しました。
なぜなら、断片化していない行為とは、 何ですか -
ビジネスマンとして、 芸術家として、講演者として、
教授として、司祭者として、 砕けてしまっていない、
全的である行為です。
「自己がないなら、あなたは、それを 持つだろう」と、言わないでください。
私は自己を持っています。
自らは、自己に捕らわれています。
むしろ、自己はそこにある。
B: 自己を全体だと見る、すると私は変化するだろう。 あなたは、提言なさっています -
|
|
1:51:11
自己を全体だと見なさい。そのとき、 それはそこにないだろう、と。
|
|
1:51:16
K: そのとおりです。
|
|
1:51:21
B: ゆえに、あなたはまた、自己を 愛さなくてはならない、とも仰るのでしょうか。
|
|
1:51:26
K: それは、危険な発言です。 私は、それを言おうとして、
言わない内に、止めました。 なぜなら、それは・・・
|
|
1:51:33
B: 或る人々は、言ってきましたね - 知っています。
|
|
1:51:35
K: ええ。広告をする人々は、言います - あなた自身を愛しなさい、ご褒美を与えなさい、
あなたの髪を愛しなさい、 このシャンプーを使いなさい、と。
|
|
1:51:41
B: 代わりに、自分は人類である、自分は 人類を愛している、と言えるのでしょうか。
K: ああ、いえ、いえ。
|
|
1:51:47
B: それは、真実ではない。
|
|
1:51:47
K: さて、気をつけてください。
|
|
1:51:48
B: なぜなら、その類推は、制限されて いるように、思われるからです。
|
|
1:51:49
K: 類推は、制限されています。
|
|
1:51:53
S: 言葉も、それ自体ではそうです。 B: ええ。
|
|
1:51:56
K: さらに質問が、おありですか。
|
|
1:51:58
もはや質問をお持ちでないのなら、 私たちは、止めるでしょう。
|
|
1:52:07
R: これらの問いには、 終わりがありません。
ゆえに今日は、そのように 終了しましょう -
他の人々、ナラヤンさんと他の誰かが お持ちでないなら・
・・
ですが、あなたは、私の問いすべてに、 答えてくださりました。
とても啓発的な説明すべてを、 ほんとに、ありがとうございました。
また私は、ナラヤンさんに、この手配を してくださったことに、感謝しなければなりません。
|
|
1:52:33
K: そして、ここの、 これらすべての人々に、です。
|
|
1:52:36
R: もちろん、彼らはみんな一つです。
|
|
1:52:38
K: いえ、いえ。
|
|
1:52:41
R: 私は、あなたやナラヤンや、 他のみなさんに、感謝するとき・・・
K: いえ、私は、ここの すべての人々に、感謝しました。
|
|
1:52:46
いえ。あなたは私に感謝し、ゆえに みんなに感謝するのではない。
私たちはみんな、感謝しています。
R: ええ、そのとおりです。
|
|
1:52:51
S: 私たちはみんな、互いに感謝します。
|
|
1:52:53
R: ええ、そのとおりです。 S: 私たちはみんな、互いに感謝します。
|