BR7879CBS4 - 真理とは何なのか。

仏教学者たちとの議論 第4回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1979年6月28日
テキストのみのバージョン
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ギドゥー・ナラヤン: フェローズ・メータさんは、科学者であり、
二年前に、書物『宗教の核心』を 著しましたが、
それは大変好評でした。
彼は昨年、一回ここにいらっしゃったが、 彼はまた、ラーフラ博士をご存じです。
博士は、昨年の議論のために、 ここにおられました。
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クリシュナムルティ: 始めてください。
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ワールポラ・ラーフラ: あなたが初めに、一言、仰ったらどうですか。
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K: 私は、何を言うべきですか。 私は知りません。
みんなが加わりますか。
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R: 私は、今日、あなたに一つのことを、 お訊きしたいと思います。
そうね、私たちはみんな、真理について、 話をします - 絶対的な真理、究極的な真理、
それを見ることと、それを悟ることについて、です。
私たちはいつも、それについて話をします。
もちろん仏教では、 ブッダの教えによれば、
これらは、きわめて重要な中心的な点です。
それが、本当は本質です。
ブッダは、「唯一つの真理がある。
第二のものはない」と、言います。
「エカーム・
ヒ・サッチャム・ナ・ ディティヤマヴァティ」。それは明言されています。
ですが、これはけっして、 肯定的な用語では定義されません。
すなわち、この真理はまた、涅槃とも 同等視されます。
K: 何と?
R: 涅槃(ニルヴァーナ)と。
K: 涅槃と。
R: ええ。それは同等視されます。
時々、「真理」という言葉が、 涅槃の代わりに、用いられます -
究極的な真理、絶対的な真理、です。
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それから、涅槃は、ほぼ、否定的な 用語以外では、けっして定義されません。
それが肯定的な用語で 叙述されるなら、
それはほぼ、隠喩的に、 象徴として、象徴的なやり方で、です。
とても美しい大乗経典が、あります。
もちろん、私が「大乗」という 言葉を用いるとき、
みなさんは理解されると、 私は思いますが、
元来の真正なブッダの教えが、 ありました -
上座部として知られています。
それは、長老たちの伝統です。
それから、紀元前1世紀頃、 その時期あたりに、
大乗が、成長しはじめました - それは、後の発展です。
ブッダの教えの自由な解釈です。
3:12
とても美しい経典が、書かれています。
もちろんそれは、後の作品であり、 すべての研究者、信奉者が受け入れますが、
『維摩詰所説経』と呼ばれる、 維摩詰(ヴィマラキールティ)菩薩の教えです。
彼の邸宅で、菩薩、弟子たちの 集会が、あります -
この大きな集会のように、です。
そこで、その集会の中で、問いが 出されます - 「無二とは何か」と。
すなわち、無二(非二元性)は、 絶対的な真理や、涅槃の別名です。
それはサンスクリットで、 アドヴァヤ(無二)と呼ばれます。
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4:02
K: サンスクリットで、 アドヴァイタ(不二)。ええ。
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4:04
R: いいえ。アドヴァイタ(不二)は、 アドヴァヤ(無二)とは、違っています。
ええ。
これら・・・
ヴェーダーンタの 「アドヴァイタ(不二)」は、
あなたは世界である。
何も違いはない、です。 「アハム・ブラフマスミ」、それが観念です。
仏教では、仏教の用語では、 アドヴァヤ(無二)は、
有でもなく、無でもないことを、 意味しています。
ブッダは「世間は二である」と言います。
それは こういう意味です - 有るのか、あるいは、無いのか。
存在するのか、あるいは、存在しないのか。
正しいのか、あるいは、間違っているのか。
それが、ブッダの教えによるドヴァヤ(二)です。
ドヴァヤ(二)、それは二です。
ブッダは、世間はこのドヴァヤ(二)に 依存する、と言います。
ですが、ブッダは、このドヴァヤ(二)に 陥らずに、教えます。
それが、アドヴァヤ(無二)です。
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そして、問いが出されました - 無二(アドヴァヤ)とは何ですか、と。
菩薩たち、弟子たちによる、
三十二の定義が、あります。
様々な、長い項目の一覧です。
そのとき、維摩詰(ヴィマラキールティ)が、 この物語の主人公ですが、
彼らは、「それは、私たちの意見ではない。
私たちは、あなたの意見を知りたい」と言いました。
そのとき、経典は言います - それはとても興味深い。
維摩詰は、その問いに、 雷鳴のような沈黙で答えました。
K: 全くです。
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5:23
R: それなんです。
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5:25
あなたが語るなら、 それは二元性ではない。
私は、オックスフォードで、 連続講義を行ったとき、
或る教授から、訊かれました -
「この非二元性、または真理を、 定式化できますか」と。
私は言いました - 定式化した瞬間、 それは非二元性ではない。
定式化した瞬間、それは二元性になる、と。
で、ちょうど彼らが、維摩詰に訊ねたように、 今日、私はあなたに、お訊きします -
真理とは、何ですか。
絶対的な真理とは、何ですか。
究極的な真理とは、何ですか。
そして、あなたがご覧になる 非二元性とは、何ですか。
教えてください。
これは挑戦です。
K: 彼らはみんな、私たちを見ています。
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6:18
R: ええ、ええ。そのとおりです。
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みんな、見ています。むしろ、あなたを 見ています。 K: 私たちを、です。
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6:28
あなたは、
実在と真理との間に、違いがあると、 お考えですか。
そして、真理は、言葉により 測量可能ですか。
もしも私たちは、実在とは何かと、
真理とは何かの間を、区別できたなら、
おそらくもっと深く、この問いへ 透徹できるかもしれません。
実在(リアリティ)とは何ですか。
(ラテン語の語源の)レスという言葉こそが、 物事、物を、意味しています。
物とは何ですか。
私たちは、思考が創り出してきた物事すべては、 実在である、と言えるのでしょうか -
幻影、神々、様々なマントラ、 儀式を含めて、です。
思考の動き全体、
それが世界に、もたらしてきたもの、
大聖堂、寺院、モスクと、 それらの内容。
8:12
それは、実在です - マイクロフォンのように、です。
それは、思考により作られています。
それは、そこにある。現実的です。
ですが、自然は、思考により 創り出されていません。
それは存在します。
ですが、私たち人間は、物を生産する ために、自然を使ってきました -
私たちの住宅、椅子 などなどのように、です。
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8:45
R: 物事の本性(ネイチャー)、 ということですね。
物事の本性。
K: 自然(ネイチャー)です。
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8:50
R: ええ、自然(ネイチャー)です。
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8:52
大地の美しさ、河、
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8:55
水、海、樹々、
天空、星と吹く風と、それらです。
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9:07
R: この物の美しさは、ないんですか。
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9:10
K: ああ、これには美しさがあります。 R: そのとおりです。
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9:11
K: ですが、私たちは 言っていました - つまり、
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9:12
美しい大聖堂、美しい詩歌、
麗しい絵画はすべて、 思考の結果です。
で、私たちはそのとき、
何でも思考が創り出したもの、 もたらしたもの、
組み立てたものは、実在である、と
言えるのでしょうか。
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9:43
メアリー・ジンバリスト: あなたは、 対象物の美しさについて、語られるとき、
それらの美しさの性質を、 実在として含めておられますか。
または、対象物自体と、
美しさは、何か 他の性質なのかもしれません。
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9:54
K: 対象物自体が、美しいのかもしれないし、
それ自体では 美しくないかもしれないものへ、
自らが、美しさを 帰属させることも、ありえます。
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10:02
Z: では、あなたが、 この範疇に含めておられるのは、
その対象物の美しさの観念です。
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10:07
K: ええ、どちらもです。ええ。
で、私たちは、そうできるのでしょうか。
その実在は、それがテクノロジーの 知識などなどをとおして
創り出してきた物質的な物とともに、
それが創り出してきた幻影を含めて、
そのすべてが、実在です。
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10:29
R: ええ。私はそれに、少し 付け加えてもいいですか。
すなわち、実在(リアリティ)は - 私は言うべきでしょう。
私はあなたへ、この問題についての 仏教的な態度を、説明しています。
仏教思想、ブッダの教えによれば、
相対的な真理や実在が、あります。
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11:05
K: 真理と実在(という言葉)を、 使わないようにしましょう。ただ・・・
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11:08
R: ええ、実在と言いましょう。 実在は相対的ですし・・・
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11:12
K: もちろんです。 R: ・・・絶対的です。
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11:13
あなたが仰ることは、十分に 受け入れられます。それが実在です。
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11:19
K: すなわち、思考が創り出してきた 物事すべてが、実在です。
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11:24
R: 実在です。実在は・・・
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11:29
K: 夢・・・ R: 実在です。夢さえも、です。
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11:31
K: ええ。夢、感覚的な 感覚に訴える応答すべて。
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11:33
R: ええ。
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11:41
K: テクノロジー的な知識の世界すべて、
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11:42
文学、詩歌、絵画、 幻影、神々、象徴として、
思考が組み立ててきた物事すべて -
そのすべてが、実在です。
あなたはそれを、受け入れるでしょうか。
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12:13
フェローズ・メータ: ええ。ですが、この「実在」 という言葉は、指示的な意味を持っています -
その第一の意味を、 同じく含蓄とともに、です。
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12:29
K: ええ。
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12:30
FM: 幾世紀にもわたって、
人々は、実在(リアリティ)について、 究極的な実在という含蓄の一つに立って、
より多く話す傾向が、ありました。
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12:44
K: 知っています。知っていますが、 私は、二つを、
区別、分離したいと思うのです - 真理と実在を、です。
さもないと、私たちは、いつの時も 用語を、混ぜてしまいます。
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12:56
FM: それは本当です。
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13:00
スコット・フォーブス: あなたはまた - すみません -
あなたはまた、自然をも、 実在に含めておられますか。
K: いいえ。 S
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13:04
F: いいえ。いいです。
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13:05
K: ええ。あの樹は、思考により 創り出されていません。
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13:06
ですが、あの樹から、人は 椅子などを、生産できます。
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13:16
SF: ええ。すると、物事の 第三の範疇が、ありますか。
すなわち、真理でも、 実在でもないもの、です。
あなたは、自然をそう呼んで・
・・
K: 自然は、思考により 創り出されていません。
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13:25
SF: ええ。
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13:27
K: 虎、象、鹿。
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13:29
跳んでいくガゼル。それは明白に、 思考により、創り出されていません。
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13:40
R: それは、あなたが、樹を 実在と取らない、という意味です。
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13:46
K: 私はそれを、実在と取ります。 もちろんそれは実在です。
ですが、それは、思考により創り出されていません。
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13:52
R: それは本当です。
するとあなたは、 思考により創り出された物事だけを、
実在に含める、と仰るつもりですね。
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14:00
K: ええ。
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14:01
R: もちろん、それは、 あなた自身の定義です。
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14:04
K: いえ、いえ。私は、私たちが 理解することを、はっきりさせようとしています。
これら二つの用語 - 真理と実在 - に、 巻き込まれないように、です。
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14:17
R: ええ、理解できます。
「真理」という言葉を、別の目的のために 取っておいて、私たちは・・・
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14:22
K: いえ。別の目的ではない。
実在を見つめましょう。
実在とは何ですか。
その壁は、実在です。
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14:35
R: ええ。
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14:36
K: これらランプは、実在です。
あなたがそこに座っている、この人物が そこに座っているのは、実在です。
自らが持っている幻影は、現実の実在です。
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14:51
メアリー・ジンバリスト: ですが、そこに座って いる人々は、思考により創り出されていません。
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14:54
K: ええ、ええ。
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14:55
MZ: では、私たちは、多かれ少なかれ、
生き物、自然、樹々、動物、人々のために、
もう一つの範疇を、定義できるのでしょうか。
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15:04
K: 人間は、思考により、創り出されていません。
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15:07
MZ: ええ。ですが・・・
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15:08
K: ですが、彼が創り出すものは・・・ MZ: ええ。
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15:10
で、あなたが語っておられる 実在の範疇は、
或る意味で、人が作ったものです。
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15:17
K: 人が作ったものです。
戦争が実在であるように、です。
私たちは・
・・あなたは、これについて ちょっと躊躇っていますね。
R: ええ、ちょっと躊躇っています。
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15:30
FM: ええ。私たちは、感覚をとおして把握され、
それから、頭脳により解釈されるすべては、 実在と見做せるのでしょうか。
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15:41
K: ええ、そのとおりです。
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15:44
SF: 或る時に私たちは、話す中で、
実在と現実との間に、区別を付けました。
実在(リアリティ)は、 何でも精神により創り出されたもの、
現実(アクチュアリティ)は、
何でも精神により、捕捉できるだろうもの、
何でも時と空間の中に、存在したもの、です。
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16:00
K: ええ。
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16:01
SF: それから、真理がありました。
さて、実在(リアリティ)は、 現実(アクチュアリティ)の一部でした。
言い換えると、樹は、現実でしたが、 実在ではなかった。
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16:14
K: なぜあなたは、区別したいのですか・・・
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16:16
SF: さもないと、 たいへん混乱するからです。
なぜなら、私たちが、そうね、 あなたと私は、人々として、
私たちは、思考により創り出されていない。 それで、私たちは実在ではない。
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16:25
K: あなたは、現実、実在、真理を、 分離したいと思う。そういうことですか。
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16:31
SF: まあ、私はそれを、前に私たちが 使った便利な言葉の定義として、
提示するだけです - それで、 間の区別ができるように、です・・・
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16:39
K: 私たちは、現実は、今起きつつある ことである、と言うのでしょうか。
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16:49
FM: ええ。それは、その良い表し方です。
そこに生ずる点は、こうです -
私たちは、今起きつつあることの総体を、
把握可能なのか、です。
私たちは、それの一部分のみを、 把握します。
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17:10
K: ええ。ですが、それは、違った点です。 それは違った・・・
私たちは、それに入られますが、
実際に起きつつあること、
起きつつあることは、現実的です。
それだけです。
私たちがその全体か、その部分を
理解するのか、了解するのか、 などではない。
起きつつあることは、現実的なことです。
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17:30
FM: ええ。
それは事実です。
K: それは事実です。
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17:34
FM: ええ。
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17:36
K: それで、あなたたちは、 これらに、何と仰りますか。
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17:37
R: 私はまだ、躊躇っています。 私は、もっと見ようと待っています。
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17:43
K: で、精神は、現実的なものを 見られますか -
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17:52
不完全にか、完全にか、 それは当分の間、論点ではありません。
そして、実在から真理へ行けないことを、
精神は、把握か、知覚か、観察できるのか、 見えるのかどうか、です。
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18:29
ステファン・スミス: それはたぶん、すっかり大きな飛躍ですね。
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18:39
K: 私たちは、このようにもまた、 表せるのでしょうか -
あなたが指摘なさったように、 すべての感覚的な応答は、
思考の始まりである、と。
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18:56
FM: ええ。
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18:59
K: 思考は、その複雑な動き すべてとともに、
起きつつあることです - 今、私たちが話しているときに、です。
FM: ええ。
K: いいですか。
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19:12
FM: ええ。
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19:18
K: そして、起きつつあることは、 現実的なことです。
起きつつあることの解釈や理解は、
思考に依存します。
FM: ええ。
K: そのすべては、 幻影とその事柄全体を含めて、
実在です。
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19:35
FM: ええ、ええ。そのとおりです。
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19:45
K: すると、私たちが、当分の間、 それに同意するか、受け入れるなら、
問いが生じます -
精神は、
すべての感覚、現実などの ネットワークですが、
それは、真理とは何かを、把握できますか。 見られますか。観察できますか。
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20:14
FM: 精神が、その条件づけすべてより 自由でありうるという条件を付けて、です。
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20:19
K: 私は少し後で、そこに来るでしょう。 ですが、それが問題です。
絶対的な真理が何であるかを、見出すには、 思考が、理解されなければなりません。
思考の動き全体と本性が、入られ、
観察されなければなりません。
それは、自らの相対的な所を、持つ。
すると、そのとき、精神は、 絶対的に静まります。
おそらく、その中から、その静けさの中、
真理が知覚されます -
それは、言葉により、 測量されることになりません。
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21:11
FM: ええ。そこで私は同意します。 完全に、です。
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21:14
R: ええ、十分に。 ええ、私はそれに同意します。
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21:15
K: さて、これらが、二つなのでしょう。 R: ええ。
K: 人間は、思考の動きに、捕らわれて います。
そして彼は、投影します・・・
この動きは、真理が何であるかを、 投影します。
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21:37
FM: これが、人がやる間違いです。
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21:39
K: もちろんです。 私は来ようとしています・・・
彼は、ここより、投影します。
真理とは何かを見つけたいと望んで、です。
または、自らが真理であると 考えることを、投影します。
そして、真理は、 違った言葉に表せます - 神。
インドでそれは、 ブラフマン(梵)と呼ばれます。
または、涅槃とか、解脱とか。
そうね、 それらの事柄です。
FM: ええ。
K: すると、私たちの問いは、こうです -
精神は、測量するのを 止められますか。
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22:27
FM: それは、こう言うことです -
現在、個人としての私たちの一人一人に おいて、機能するような精神が、です。
K: ええ、人間として、です。
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22:34
FM: 人間として、です。
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22:36
K: 測量は、私たちの教育的、 環境的、社会的な条件づけ全体です。
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22:37
FM: ええ。
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22:46
K: 同意なさるでしょうか。 R: ええ。
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22:48
K: すると、測量とは何ですか。 FM: 制限です。
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22:52
K: いえ。測量とは何ですか - 測量するとは。
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22:56
私は、一枚の布を測量します。 または、住宅の高さを測量します。
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22:59
ここから一定の所への距離 などを、測量します。
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23:01
測量は、比較を意味しています。 よろしいですか。 R: ええ。
K: 私は話しつづけています。なぜみなさんが、 加わらないのか、私には分かりません。
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23:32
S・スミス: これらにはまた、 心理的な測量も、ありますね。
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23:35
R: ええ、ええ。 K: 物理的な測量と
心理的な測量が、あります。
自分自身を、心理的に 誰かと比べて測量します。
R: ええ。
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23:49
FM: ええ。
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23:51
K: それで、この常なる 比較の測量が、ある -
外的にも、内的にも、です。
よろしいですか。
私が、講義を行っています。
その観念は何ですか。
R: まあ、私があなたに質問をしました。
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24:11
K: はい。
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24:13
R: 彼らが維摩詰に質問をしたように、
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24:15
私はあなたに質問をしました。
K: 質問は何ですか。
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24:20
R: 非二元性(無二)とは何ですか。
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24:22
真理とは何ですか。 K: ああ、いえ、いえ。
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24:25
R: あなたは、説明なさっています。
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24:26
K: 思考が測量をしているかぎり、 二元性があるにちがいない。
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24:27
R: 絶対的に、です。 それは事実です。そのとおりです。
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24:34
K: さて、この条件づけは、 どのように訪れたのですか。
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24:39
理解されますか。
さもないと、私たちは、これを離れて、 あれへ動けません。
この常なる測量、比較、模倣、 順応は、どのように -
そうですね、測量の動き全体は、 どのように・
・・
なぜ人は、これに 捕らわれてきましたか。
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25:11
R: 測量全体が、自己に 基づいています -
測量の使用がなされて・・・
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25:24
K: ええ。ですが、それは、 どのように訪れたのですか。
人間たちは、どこに生きていても、
なぜ、この測量に、この条件づけをとおして、 条件づけられていますか。
私は、自らは、この測量の本源を 見出したいと思います。
よろしいですか。
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25:46
FM: ええ、ええ。
|
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25:47
ステファン・スミス: その一部は、 観察の果実だと思われます。
なぜなら、生の二元性を、 夜と昼、男と女、季節の変化と、
この種の物事ということに立って、 観察するからです。
それは、一定の種類の対比です。
見かけの一定の対比が、あります。
K: で、あなたが言っている・・・
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26:07
SS: で、ゆえに一種の対比や比較があると
|
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26:08
言うことは、自然な歩みに、 思われるかもしれません -
人自身の生において、 適用可能であるものが、です。
K: 闇、光、雷鳴と静寂が、ある。
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26:15
SS: ええ。
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26:22
T.K.パーチュリ: 思考は、測量するには、 静止点が必要だと、思われますが、
それ自体は、常に動いています。
継続的な流動や動きの状態において、 それは測量できません。
だから、それは、動かしえない静止点を、 創り出す -
それが、自己の中心と取られます。
そこからのみ、測量できます。
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26:50
K: ええ。そうです。
つまり、英語での「より良い」、 「より大きい」という
言葉こそが、測量です。
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26:59
R: ええ、確かに測量です。 確かに測量です。
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27:04
K: で、言語自体が、 測量に関与しています。
さて、自らは 見出すべきではないのでしょうか
- 私はただ訊ねています - この測量の本源は、何ですか。
なぜ人は、これを採用してきましたか - または、生活の手段として、です。
私の問いに、付いてきておられますか。
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27:33
FM: ええ、ええ。
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27:36
K: 夜と昼、高い山、低い谷、
背の高い人、低い人、女、男、 子ども、老齢は、分かります。
物理的に、これらすべての 測量の状態が、あります。
また、心理的な測量も、あります。
それが、私が話していることです。
距離などの単なる物理的な動きより、 はるかに、です。
なぜ人は、この測量の中に、 保たれてきたのですか。
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28:18
ステファン・スミス: たぶん人は、或る程度、 それが前向きの道である、と考えるのでしょう。
なぜなら、あなたが農民であり、一定の形で 収穫するよう植え付けるし、
この種の結果が得られるのなら、
来年は違った形で、それを植え付けて、
そのより良い結果を、得ます。
K: ええ。で、それは時です。
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28:32
SS: それは時です。
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28:34
K: もうちょっと、 つづけてください。時。
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28:35
SS: それは一種・・・ それは、反省する能力、
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28:45
経験をしたり、 経験について反省したり、
その経験の中から、何か、より良いものを 産出する能力を、含んでいます -
たぶん、何が、そうね、 持つには何が良いのか、
何がより良いのかとか、 物事の正しい状況が何かについて、
確立された概念、ということに立って、です。
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29:04
K: それはもちろんですが、私は それより、もう少し進みたいと思います。
すなわち、人はなぜ、前進の手段として、 時を使ってきたのか。
私は心理的に話しています -
言語を学ぶために 必要な時、ではありません。
一定のテクノロジーを発達させること などなどには、時が必要です。
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29:34
T.パーチュリ: おそらく、それ自体のための、 思考の安全の必要です。
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29:38
K: いえ、時 - それは測量です。
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29:43
FM: あなたは、こうお考えですか - 私たちの傾向は・・・
それは、事実でもって始まる -
大きさで、分量などでの違いの 物理的な事実でもって、と。
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29:59
K: それが、私が取りかかりたいことです。
|
|
30:00
FM: ええ。私たちは、またそれを、類推的に 心理的過程にも、適用します。
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30:05
K: ええ、ええ。
または、測量なしには、 テクノロジーは、何もなかったでしょう。
|
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30:16
FM: それは本当です。
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30:19
K: よろしいですか。 みなさんはどうなのか・・・
|
|
30:22
G.ナラヤン: 科学と数学において、 それが前進するにつれて、
測量は、ますます精妙になります。
測量での各々の精妙化、改良は、
さらなる前進の歩みに、 コンピューターなどに、つながります。
|
|
30:34
K: 私たちは、それを言っていません・・・ 私たちは、それを否定していません。
|
|
30:40
N: ええ、或る意味で、 測量と、測量の改良は、
科学とテクノロジーにおいて、 一定の種類の前進に、つながります。
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30:47
K: もちろんです。 私たちは、それを言いました。
|
|
30:49
R: ですが、私たちは、さほど 物理的な測量について、話していません。
むしろ、心理的な測量について、です。
|
|
30:54
K: ええ。
人はなぜ、心理的な時を、
自己成長、自己拡大の手段として、 使ってきましたか。
人はそれを、「より良くなること」と 呼びます -
より尊くなる、 啓明、覚りを達成すること、と。
そのすべてが、時を含意しています。
|
|
31:19
N: メータが言うように、それは、 持ち越されていますか -
測量の印の、日々の生活から、
心理的な分野へ。
それは持ち越されていますか。
または それは、これへの関連なく、
心理的な分野に、存在していますか。
|
|
31:37
K: それが、私たちが 議論していることです。
心理的な進化が、そもそも あるのかどうか、です。
|
|
31:49
スコット・フォーブス: 私たちは習慣の中から、心理的な分野に
測量を適用しはじめた、と 言えるのでしょうか。
なぜなら、それは、私たちが物理的な分野に 使ってきたことであるからです。
だが、私たちはまた、 この移行を行ってこられた。
こう考えるのは、とても快適であるからです -
K: もちろんです。
|
|
32:03
SS: 私は今、めちゃくちゃかもしれないが、
|
|
32:04
後で私は、だいじょうぶに なるだろう、と。
|
|
32:08
K: これについて、はっきりさせましょう。
テクノロジーの、物理的な水準において、 私たちは、時が必要です。
私たちは、言語を習得するために、 時が必要です。
住宅を建てるために時が、 ここからそこに行くために時が、
または、テクノロジー、科学の発達としての 時が、です。
私たちはそこで、時が必要です。
で、それについて、はっきりさせましょう。
で、私は、他の何かを訊ねています。
私たちは、他の何かを訊ねています。
すなわち、
私たちは、心理的に そもそも時が、必要ですか。
|
|
32:49
シャクンタラ・ナラヤン: 時を創り出すのは、何ですか。
|
|
32:52
K: 思考です。思考が時です。
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|
32:56
SN: 思考は、それと何か 関わりが、ないですか。
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|
32:58
K: すなわち、私たちは言っています - 時は、動きなのでしょう。
で、思考は動きです。
思考は動きです。
時は動きです -
ここからそこへ。
自分は貪欲で、妬んでいる。
私は、それより自由になるために、 時が必要です。
物理的な距離と、心理的な距離。
私は、問うています。
自らは、問うています - それが幻影でないのかどうかを、です。
物理的な距離が、ではなく、
心理的な距離が、です。
それを、とても簡潔に表すなら、
心理的に、明日はありますか。
|
|
33:56
FM: 予期ということに 立ってだけです。
|
|
33:58
K: ああ、それに立って・・・なぜなら、 思考が、「私はしたいと望む」と言うからです。
|
|
34:04
FM: 思考に付け加えて、
私たちの物理的な経験の事実が、 あります - 昼と夜の、です。
ゆえに、「明日」、「今日」 という言葉、です。
|
|
34:12
K: 私たちは、きわめてはっきりと、 それを言いました。
昨日、今日、明日があります。
それは実在です。
それはまた、測量です。
ですが、私たちは訊ねています - そもそも、心理的な時が、ありますか。
または、思考が、時を、心理的な時を、 創案してきましたか -
自らは、或る種の安全を 達成できるとか、
それに生きられるとか、 感じるために、です。
|
|
34:52
R: 時とは何ですか。
|
|
34:54
K: 時ね。時は動きです。 R: ええ。
|
|
34:56
時は、途切れない因と果の 継続に、他なりません。
それは動きです。
|
|
35:06
K: 動きです。私たちは言いました。
因、果。果は因になる・・・因は果に、 などなどなどなど、です。
|
|
35:14
R: そうです。それが時です。
私たちは、その動きへ 「時」と呼ばれる言葉を、付けます。
|
|
35:21
K: ええ。それは動きです。
今、12時5分です。
それは動きであり、ついに1時になる。
R: ええ、それは動きです。
|
|
35:28
K: それは動きです。
|
|
35:29
R: 因と果の動きで、継続的です。
|
|
35:30
K: ええ。それが、時の一つの様相です。
|
|
35:33
また、物理的距離である、 時の様相です - ここから、
私は、ロンドンへ行かなくてはいけない。 そこに着くには、時が掛かります。
|
|
35:48
R: ええ。それは、 時のもう一つの概念です。
|
|
35:52
K: もう一つの時です。私たちは、 時の様々な局面を、見つめています。
|
|
35:56
R: ええ。もう一つの時です。
|
35:57
メアリー・ジンバリスト: 思考自体は、 時を含意する、と仰るのでしょうか。
なぜなら、精神の行為が・
・・
K: もちろんです。
MZ: ・
・・思考を参照して、 思考過程を経て行くのは、
たとえそれは、きわめてすばやくて、 少量の時間だとしても、掛かるからです。
それはやはり時です。
|
|
36:13
K: 確かに。なぜなら、思考は 記憶の応答であり、記憶は時であるからです。
|
|
36:21
MZ: すると、自らは・・・ K: ええ。記憶は時です。
|
|
36:24
よろしいですか。 FM: ええ。
|
|
36:29
K: で、どうぞ、行ったり来たりを しないでください。
|
|
36:30
一つのことで通しましょう。すなわち、
物理的な時が、ある - 昨日、今日、明日。
動きとしての時です。
FM: 年代順の時と呼ばれるものです。
|
|
36:44
K: 年代順の時です。
|
|
36:46
いいです。それを 年代順の時と呼びましょう。
また、距離から、としての時も、です。
また、因、果のための時 - ドングリと(オークの)樹。
山に登る - 時です。
で、私たちは、時は物理的に 存在する、と言っています。
FM: ええ。
|
|
37:15
K: よろしいですか。
|
|
37:15
物理的に、です。
赤ちゃんが人に成長する、など。
で、時は必要です。
時は存在します。
それは現実です。
それは実在です。
私は問うています。
私たちは、問うています -
心理的に、そもそも 時があるのかどうか、
または、思考がそれを、 創案してきたのか -
安全を達成する手段としての時か、
あるいは、それは、自体を 完全に変容させるのを、怠けています。
FM: 即時に、です。
|
|
37:59
K: 即時に、です。
|
|
38:00
で、それは、 「私に時をくれ」と言う。
「心理的に強くなるための時を、 私にくれ」と。
FM: 精神が強くなる。
|
|
38:11
K: 強い。心理的に強い。
|
|
38:13
心理的に、私に時をくれ - それで私は 自分の怒り、自分の嫉妬を取り除くだろう、と。
それが何であっても、です。
私は、それより自由になるだろう、と。
で、彼は時を、心理的に何かを 達成する手段として、使っています。
|
|
38:36
MZ: ですが、そのとき、この場合に、
「心理的に」という言葉の使用について、 お訊きしなければなりません。
なぜなら、思考過程が 関与しているなら、
私たちはちょうど、時は思考の中に 暗黙裡にある、と言いましたし、
どうしてあなたは、心理的に 思考なしでいられますか。
|
|
38:55
K: 私たちは、それに 来ようとしています。
|
|
38:56
MZ: または、この議論の中での 心理的な領域は、
思考の外側にありますか。
思考の一部ですか。
または、どちらか 一つでありうるのでしょうか。
|
|
39:06
K: 心理全体が、思考により 組み立てられていませんか。
|
|
39:16
ステファン・スミス: ここに問いがあるように 思われます - そうであるのか、そうでないのか。
|
|
39:19
K: 私は訊ねています - ゆっくり行ってください。
心理全体が、「私」でないですか。
SS: それが心理ですか。
|
|
39:25
K: それが、その一部が、「私」ではないですか
|
|
39:28
- 私が考えること、私が欲しいこと、 私が欲しくないこと、私が願うこと、
私は願う・
・・など、 「私」の動き全体、
自己中心的な動きは、 思考により、組み立てられています。
|
|
39:43
MZ: そうであるなら、では、 どの心理的な動きにも、
関与した時がないことは、 可能でしょうか。
|
|
39:50
K: 私たちは、それへ 入ろうとしています。
私は初めに、私たちの問いが理解されるよう、 はっきりとしたいと思います。
|
|
39:59
N: あなたは、望みと切望との間に、 区別をされるのでしょうか。
なぜなら、多くの人々は、切望することは、 何か尊いことであると、言うが、
望むことは・・・
|
|
40:11
K: 切望することは、時です。
|
|
40:13
N: ええ。時がある。ですが・・・ K: 望みもそうです。ええ、私は望みます。
|
|
40:15
N: ええ。ですが、切望には、何かとても 正しいことの観念があるように、思われます。
|
|
40:17
K: 私は、神になりたいと切望します。 それは、バカげています。
|
|
40:24
N: 宗教的な尽力全体には、 切望がある -
|
|
40:29
あなたは、そう仰るのでしょうか。
|
|
40:35
R: もちろん、宗教的伝統には、 いつも切望があります。
私たちが議論することは、こうです -
私は、論点は、
考えることや時なく、 真理を見られるのか、
真理を見ることは今、 この瞬間であるのか、または、
あなたが、より良くなるまで、 それを先送りするのかである、と思います。
K: ああ、いえ。分かりますね!
|
|
40:57
R: それが問いです。
|
|
40:59
K: それが全部の・・・あなたが、 「より良く」という言葉を導入した瞬間・・・
|
|
41:00
R: それが、私が言うことです。 K: ええ、もちろんです。
|
|
41:05
R: それが、私が言うことです。 それが、別の問いが生ずるところです。
|
|
41:06
さて、問いはこうです - それは真実です。 あなたはそれを今、見ます。
|
|
41:08
K: ああ、いえ、いえ。私たちは まだ、真理へ来ていません。
|
|
41:20
私はよく気をつけています。私はまだ、 真理の世界に、入りたくありません。
自らが考えるのが、論理的で、
健全で、理性的であることを、 はっきりしたいのです。
あるいは、それは、結論に到るのか、です - すなわち、幻影上のものに、です。
それで、時のこの本性全体を、
心理的に、検討したいのです。
それが、私が話しているすべてです。
心理的に、明日がないのなら、
私たちの行為全体が、違っています。
ですが、心理的に私たちは、 明日は重要である、と言います -
明日、私はこれをするだろう、
明日、心理的に、私は 変化したいと望む、と。
私はそれを、問うています。
なぜなら、私たちの切望、望みすべて、
あらゆる物事が、未来に、基づいて いるからです。すなわち、時に、です。
|
|
42:51
FM: ええ。
|
|
42:54
N: すると、あなたは仰るでしょう - どの切望も、どれほど尊くても、
実在の分野にある、と。
|
|
43:01
K: 思考の分野にある。ええ。
|
|
43:05
FM: ええ。なぜなら、それは 定式化であるからです。
|
|
43:07
K: 思考による定式化です。 FM: そのとおり。
|
|
43:12
で、私はこう言うのは、正しいのでしょうか - あなたは、心理的ということに立って、
時の要因より、全的に自由であることに、 関心を持っている、と。
|
|
43:25
K: そうです。
さもないと、私は、捕らわれています。 私たちの精神はいつも、円周の中で生きています。
|
|
43:32
M: ええ。それは真実です。
私たちは、過去へ、繋がれています - 化石化したものへ、です。
|
|
43:40
K: ええ。で、過去が現在を修正して、 進んで行く。
この過去が自体を修正して、 未来になるのが、時です。
で、「私は、より良くなるだろう」、 「私は理解するだろう」、
「私はやってみるだろう」と言うとき、
これらすべてが、 時に関与しています。
で、私はそれを問います -
それは単に、自らのための・
・・ 思考の創案なのかどうか、です -
理由が何であっても、私たちは入ってゆけます。
で、それは幻影のようですし、
で、明日はないのです。
|
|
44:41
FM: 心理的なことに立って、です。
|
|
44:43
K: もちろんです。私たちはそれを、 きわめてはっきりと言いました。
で、自らが妬んでいるなら - それは、感覚的な応答です。
ゆえに、思考が、この妬みを、 創り出してきたのです。
さて、私たちは言います。
一般的に、私たちは言います -
その妬みより自由になるために、 私に時をください、と。
|
|
45:13
FM: ええ。私たちが、これは妬みであるのを 知覚する、という条件つきで、です。
|
|
45:17
K: ああ、そうです。私は妬んでいます。 あなたのほうが、大きな住宅を持っている。
より良い衣服を着ている。
より多くお金を 持っている、その他すべてです。
あらゆる人が、この妬み、 この嫉妬、この敵対を、知覚します。
で、妬んでいて、
即座にそれから自由であることは、 可能でしょうか - 時に介入させずに、です。
それが、論点全体です。
|
|
45:55
FM: 妬みとは、 感覚をとおして知覚されるものへの、
心霊的な反応ではないですか。
|
|
46:05
K: ええ、そのとおりです。
|
|
46:06
FM: 感覚の機能は・・・
|
|
46:11
K: ・・・現実的です。 FM: ええ。それらは・・・
|
|
46:18
現実の、物理的な条件により、 決定されます。
|
|
46:31
K: ええ、明白です。
|
|
46:33
FM: で、感覚的活動に、 心霊的な反応が、つづきます。
そこには、私たちの中での、 楽しみ、痛みの駆り立てが、関与しています。
|
|
46:45
K: 明白です。
あなたが、大きなすてきな車を、 運転しているのが、見えます。
私は小さな車を運転しています。 それで、比較があります。
|
|
46:57
FM: ええ。
比較は確かに・
・・ すみません、どうぞ。
比較は、部分的には、他の人たちが 私たちの前に置いたものをとおして、生じます -
これは、あれより良い、と。
|
|
47:16
K: 確かに。あれより良い。
|
|
47:17
FM: こちらのほうが、快いとか、 こちらのほうが、快くないとか。
|
|
47:20
K: ですが、それは 子どもの頃から、始まります。
|
|
47:23
FM: で、私たちは、 心理的な習慣に入ります。
|
|
47:26
K: ええ。それは、子どもの頃とともに、 始まります。 FM: ええ。
|
|
47:27
K: おまえは、試験で
|
|
47:28
兄さんほど良くない、と。
そして、教育体制全体が、 自分の能力への、
この比較的な評価に、基づいています。
|
|
47:48
FM: ええ。
K: 今、私たちは進んでいます。
そうね、私たちは動いて、離れていきます・・・
R: ええ、主なことから、ね。
|
|
47:51
スコット・フォーブス: ええ。私たちは、
何でも測量と思考に関与しているものは、 測量と思考を取り除けないとの
事実へ、来ませんでしたか。
|
|
48:06
K: 初めにそれは、それの現実性を、 悟らなければなりません -
「ええ、私はそれを、知的に理解した」 と言わずに、です。
|
|
48:15
SS: それを、思考でもって悟るのですか。
|
|
48:19
K: いいえ。
|
|
48:20
SS: すると、何が・・・
|
|
48:21
K: 待ってください。私たちはそれへ、ゆっくりと 来ようとしています。待ってください。
私たちは、自らが心理的に 時を使ってきたこと、
それで、時の心理的な使用が 幻影であることが、見えますか。
それが、初めに私が見たいことです。
私たちは、その点について、はっきり しなければなりません -
私は天国に到るだろう。
私は覚りを開くだろう。
私は結局、様々な生の連続をとおしてか、
または一生にか、
涅槃、解脱、これらを 達成するだろう、と。
そのすべてが、心理的な時です。
私たちは、そのものが幻影であるのか どうかを、問うています。
それが、幻影であるのなら、 それは、思考の一部です。
|
|
49:18
SS: そうです。今、 私たちは、思考を使えません -
これらを見るために、 私たちは、使いません。
|
|
49:23
K: いえ。待ってください。
私たちは、言語的にすら 理解しますか。
SS: たとえ思考でもって、でも?
|
|
49:27
K: 思考でもって。
|
|
49:29
今の伝達は、私たちの間で、 言葉をとおして、です。
それら言葉は、蓄積されてきた、 などなどです。
私たちはどちらも -
見たところ、当分の間、 私たちはどちらも、英語で話します。
私たちは、その意味を理解します。
さて、私たちは、見ますか -
論争をとおし、説明をとおし、
合理化をとおして、ではなく、 見ますか。
すなわち、思考が、 何かを達成する手段として、
この心理的な時を 創り出してきたことを、です。
|
|
50:12
メアリー・ジンバリスト: で、私たちは、 それは、やはり思考過程の内だ、
やはり思考の領域の内だと、見られます。
|
|
50:18
K: さて、待って。そうですか?
|
|
50:20
MZ: それが、あなたが話しておられる、 見ることですか。
|
|
50:22
K: いえ。私はそれに、来ようとしています。 私はそれに、ゆっくりと来ようとしています。
私は、そこへ導いていきたいと思います。
さもないと、それははっきりとしないでしょう。
私は、だいじょうぶですか。私たちは、 互いに付いてきていますか、どうですか。
|
|
50:33
R: ええ、私は付いていっています。
|
|
50:34
K: これは正確ですか。
|
|
50:37
R: 私はまだ、それを言えません。
私はまだ、あなたに言えません。
なぜなら、私たちがどこへ行っているかを、 私は知らないからです。
|
|
50:45
K: ああ、私も、自分がどこに行っているかを、 知りませんが、これは事実です。
|
|
50:49
R: ええ、ええ。そのとおりです。 すなわち、私は見守っています。
|
|
50:53
N: また、あなたが仰っていることを 把握するには、
何か困難があるとも、私は思います。
なぜなら、自然には、成熟と成長が あるからです - 時をかけて、です。
|
|
51:04
K: 私たちは、それを通ってきました。 ナラヤン、それに戻らないでください。
|
|
51:06
N: ええ、私はそれへ 戻って行っていません。
ですが、無意識的に、 それと同一視がされます。
人間たちには、時をとおして 成熟と成長が、ありますか。
時をとおして、 或る種の成熟は、あります。
|
|
51:18
K: 私たちは、それを言いました。
|
|
51:19
N: ええ。それで、そこに 填まり込んでしまいます。
|
|
51:22
K: 自らは、自己改善としての この時の観念に、
取りすがり、執着しています -
物理的に、だけではなく、 心理的にも、です。
|
|
51:37
N: 私は、自己改善と言うことさえも しません - 成熟です。
|
|
51:40
K: いいえ。
|
|
51:41
N: 一種の自然な・・・ FM: ・・・成長。
N: 自然であり、自分自身を自然と 比較する - 至るところに見られるように、です。
|
|
51:48
K: ええ。ゆえに - 待ってください。 あなたのいう成熟とは、どういう意味ですか。
私たちは、その言葉「成熟する」に、 違った意味を、持っているかもしれません。
樹は、一定の年齢で、成熟しています。
人間は、身体的に 一定の年齢で、成熟しています。
そして、成熟したチーズ!
|
|
52:15
N: ええ。全体です。蕾から果実。
|
|
52:19
K: ええ。果実は、摘み取られるべく 成熟している、などなどなど、と。
ですが、心理的な成熟が、 そもそもありますか。
それが、私の論点全体です。
|
|
52:33
T.パーチュリ: おそらく、生の要因が、あります -
精神的な水準である、知的な成熟と、・・・
|
|
52:40
K: ええ。同意です。あなたは今・・・
|
|
52:43
MZ: 幻影のような世界の内に、
心理的に、一定の成熟がある。
が、それはやはり 思考と時に、基盤を置いています。
|
|
52:53
K: ええ。ですが、私は訊ねている だけです。マリア、
私たちは、言語的にすら、ゆえに 知的にも、はっきりと理解しますか -
私たちが、変化をもたらすための 心理的な触媒として、
時を使ってきたことを、です。 いいですか?
|
|
53:17
R: それは・・・
|
|
53:18
K: 私は、その触媒を問うています。
|
|
53:22
FM: 探究してもよろしいですか。
あなたが、「私たちは、心理的な時が 幻影であることが、見えますか」と仰るとき、
それは正確には、どういう意味ですか。
あなたのいわれる「見る」とは、 どういう意味ですか。
|
|
53:35
K: 私は来ようとしています・・・ 見る - 私がいう、「見る」というその言葉は、
思考の介入なく観察する、という意味です。
|
|
53:45
FM: それは、心理的な時が 幻影であることを、
事実として、完全に意識する、
完全に気づく、という意味です。
|
|
53:53
K: ええ。これを見るのは・・・ 私が蛇を見るように、です
FM: ええ。
|
|
54:01
K: 私はそれを、縄と間違えません。
FM: ええ。
で、あなたは、同意されるの でしょうか - それには・・・
それには、あなたの気づき、 あなたの意識の様態の
完全な変容が、関与していることに、
同意されるのでしょうか。
あなたは、本当に何かを意識するとき、 なくていい・・・
|
|
54:17
K: 今、ちょっと待ってください。
またもや、「意識」と 「意識する」という言葉は・
・・
FM: それらは、難しい言葉です。
|
|
54:22
K: それらは、難しい言葉です。
|
|
54:26
私はこれが見えます。
私はこれが見えて、それをマイクロフォンと 呼ばないことが、できますか。
M: ええ。
|
|
54:40
K: そう呼ばないで、形を見る。
|
|
54:41
何の省察もなく、ただ観察する。
M: 全くです。それに名づけることなく・・・
|
|
54:48
K: それに名づけること、その他すべてなく。
|
|
54:49
M: 分析することなく。 K: 分析することなく。
|
|
54:51
FM: 言い換えると、見ることは、 見ること全体であって・・・
|
|
54:52
K: 見ること。
|
|
54:53
FM: ・・・ほぼ、あなたは、 見えるものであるとの意味で。
|
|
54:56
K: いえ、いえ。
|
|
54:57
そのとき、それは二元性になります。 あなたはそれになる - いいえ。
|
|
55:01
FM: いえ、あなたは、それにならない -
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55:07
あなたがそれに溶け込む、 という意味では、です。
ですが、あなたは、統一的な全体 ということに立って、目覚めている。
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55:19
K: ちょっとお待ちください。 これらはまたもや、かなり難しい言葉です。
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55:22
R: いえ。私は、それが、彼のいう 意味であるとは、思いません。ええ。
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55:28
K: 観察する、というのは -
初めに、それを、一般的に理解されて いるように、見つめましょう。
樹を観察する。私はそれに名づけます。
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55:38
FM: ええ。
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55:40
K: 私はそれが好きか、好きでないか、 などなどです。
ですが、私たちがいう 観察、見ることとは、
初めに聞くことです。
そして、それを抽象化して、観念にし、
それから観念が見る、のではない。
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56:04
FM: 全くです。
K: お分かりになるのかどうか・・・
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56:09
R: ええ、ええ、ええ。
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56:12
K: 例えば、
私は少し前に、
心理的に、時はない、と 言いました -
心理的な時は、思考の創案である。
幻影なのかもしれない、と。
さて、それを解釈することなく、聞く -
「仰るそれは、どういう意味ですか」とか、 それを合理化したり、
「私は理解できない」「私は理解できる」と 言うことなく、
ただ、その発言を聞く。
そこから観念を作らないで、
ただ聞く。
そのように聞きながら、 同じように、観察し、見る。
あなたは何と仰りますか。
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57:23
R: 私は、あなたにお訊きしたい - あなたは私たちに、何を語ろうとしていますか。
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57:26
K: 私は、こう言おうとしています -
真理は、時をとおして、とうてい 知覚できない、見られない、と。
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57:44
R: そうです。
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57:46
K: ああ、ちょっと待ってください。 あなたは同意できません。
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57:48
R: 同意ではない。私はそれを見ます。
そういうわけで、私は、あなたに お訊きしようと待っていたのです -
あなたは何を仰ろうとしていますか、と。
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57:56
K: 私は、こう言おうとしています -
私は、言おうとしていません。 私は、言っています。
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58:02
R: そのとおりです。もちろんです。 あなたが仰りたいことです。
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|
58:07
K: すみません。
私は、こう言っています - 人は、外の世界との比較をとおして、
心理的な時を、創り出してきた。
欲望した報われる目的を 達成する手段として、と。
|
|
58:34
R: 同意します。
|
|
58:35
K: ああ、いいえ!あなたは、それが 事実として、見えますか -
そうであるとの意味で、 事実として、です。
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58:50
スコット・フォーブス: それが見える精神の器用さは、
真理が見える同じ器用さですか。
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58:58
K: いいですか、スコット。初めに あなたは、その発言を聞く。そうでしょう?
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59:04
SS: ええ。
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59:05
K: あなたは、その発言を どのように聞きますか。
|
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59:12
SS: まあ、初めに、私はただ聞きます。 K: あなたは聞く。
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|
59:13
あなたはそこから、観念を作りますか。 SS: しばしば、後で、ええ。
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59:18
K: いえ。それは、同時的な過程が、 つづいているのです。
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59:20
あなたは聞く。その観念を得る。
観念は、実際の観察ではない。
それが、私が言っていることです。
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59:41
SS: ですが、それがあるなら・・・
|
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59:43
K: いいえ。これは、ギリシャ人と ヒンドゥーからです。
私たちのすべての構造全体が、 観念に基づいています。
私たちは、観念は実際の 出来事ではないと、言っています -
すなわち、実際の聞くことではない、と。
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1:00:11
FM: 観念は、実際に聞くことの映像だけです。
|
|
1:00:14
K: ええ。それは、
実際の観察の回避、忌避です。
FM: 無媒介の事実から、です。
|
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1:00:21
K: ええ、見つめるのや聞くのから、です。
|
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1:00:24
ステファン・スミス: そのとき、私たちが常に 回避していることが、何かあるかもしれません。
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1:00:27
K: ええ。
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1:00:32
SS: 私は提案したいと思います - 私たちは、思考について話し、
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1:00:35
そして、或る種の自由や解放や
救済や贖罪を創り出すために、
思考が案出してきた様々な物事について、 話してきたので、
思考の一部である駆動要因が、 何かあるかもしれない、
または、これを説明する駆動要因が、 あるかもしれない、ということです。
それは、悲しみなのかもしれません。
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1:01:03
K: ええ。痛みより、 報賞をとおして逃避する。
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1:01:11
SS: これは、最も洗練された文明と、
より原始的な文明、それらのすべてに、
適合するように、思われます。
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1:01:17
K: 明白です。
なぜなら、私たちが考えるすべては、
これら二つの原理に、基づいている からです - 報賞と処罰、です。
私たちの報賞は、覚り、神、
涅槃です - それを何と呼びたくても -
心配、罪悪、すべての存在の痛み、
そうね、すべてのそれらの悲惨を 離れて、です。
|
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1:01:43
FM: 報賞や処罰の観念より
自由であることは、可能ではないですか。
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1:01:47
K: それが、私が言っていることです。
私たちの精神が、報賞と処罰ということに 立って、考えているかぎり、
それは時です。
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1:02:01
FM: 私たちの精神がそのように 考えるのは、どうしてですか。
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|
1:02:05
K: なぜなら、私たちはそのように 教育されるからです。 FM: ええ、本当です。
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1:02:07
K: 私たちは、子どもの頃より、 条件づけられています -
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1:02:08
西洋では、ギリシャ人の時からですが、
なぜなら、そこでは、測量が 重要であったからです。
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|
1:02:24
FM: ええ。
さもないと、これらのテクノロジーの知識は、 得られなかったでしょう。
FM: ええ。
あなたは、 これは、私たちがその観念に繋がれている、
という事実のせいだ、と仰るのでしょうか - 分離した「私」という観念に、です。
仮に、すべて全体性ということに立って、 見る、聞く、触れる等をすると、します -
全体性の気づき、です。
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1:02:48
K: あなたは、思考の動きを 理解していなかったなら
- あなたが、ではない -
自らが、その動きを 理解していなかったなら、
全体性に気づけません。
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1:03:02
FM: 思考の動きを、ね。
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|
1:03:03
K: なぜなら、思考は、それ自体が 制限されているからです。
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1:03:07
M: ええ、もちろんです。
それは、何か分離したものとしての、
自意識の侵入を、意味しています。
K: ええ。
|
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1:03:16
FM: さもないと、 それはそこにないでしょう。
|
|
1:03:18
K: この自己分離的な意識は、 どのように、生じたのでしょうか。
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1:03:20
FM: まず第一に、条件づけです。
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1:03:27
K: それは明白です。
|
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1:03:29
FM: 私、あなた、私。 K: もちろんです。測量です。
|
|
1:03:31
FM: 測量。そのとおり。
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1:03:32
それは類推的に、必然的に、
|
|
1:03:33
心理の領域へ、精神の領域へ、
移転されます。
|
|
1:03:46
K: もちろんです。
|
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1:03:47
M: ・・・または、何にでも、です。
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1:03:48
K: で、私たちは、この点に来ます。
あなたは、発言をします -
心理的な時は、人により、 自らの報賞を達成する手段として、
使われてきた、ということを、です。
FM: ええ。
K: それは明白です。
その報賞は、人が受けてきた痛みから、 離れています。
で、私たちは言っています -
報賞へのこの探求や、報賞の達成は、
時の動きである。
そういうものが そもそも、ありますか、と。
私たちは、それを創案してきました。
それは、幻影なのかもしれません。
この幻影より、私は、実在へ行けません - というか、真理へ、です。
で、精神は、測量のこの動きより、 全的に、完全に
自由でなければなりません。
それは、可能ですか。
|
|
1:05:21
FM: 短い答えとして、私は単純に 「ええ」と言うでしょう。
|
|
1:05:26
K: ええ。あなたは、論理的な帰結や、
思索的な主張や、願望した概念として、
「ええ」と言うのか、
あるいは、そのとおりなのか。
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|
1:05:53
FM: ええ、「もちろん」と いうことが、そこにある。
「もちろん」という感覚があるなら
- 「もちろん、そのとおりだ」と -
そこには・・・
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|
1:06:01
K: そのとき私は、 そのとおりだと想定しますが、
私は余生の間、 別の方向に、動きつづけます。
FM: 自らが本当に見るなら・・・
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1:06:10
K: ああ、それが、私たちが言っていることです。
|
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1:06:12
FM: そのとき、別の方向に行きません。
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1:06:14
K: で、それが、私たちが言っていることです - 私たちは、それが見えるのか。
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|
1:06:17
または、私たちはそれが見えると 考える、ということなのか。
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|
1:06:26
FM: 全くです。
|
|
1:06:29
メアリー・ジンバリスト: 私たちは、 一瞬の間、戻られるでしょうか。
あなたは、観察する、その発言が聞こえる、と 仰りました - それを観察します。
実際に、精神は、その観察の中で、 何をしますか。
|
|
1:06:47
K: どうぞ、私がこのように 表されるなら -
どうぞ、言われていることを、 受け入れないで、
見出しましょう。
観察は、名づけることなく、 測量することなく、
動機なく、終わりなく、
見ることを、含意しています。
明白です。
それが、実際に見ることです。
ギリシャ語からの「観念(アイディア)」という言葉、 その言葉自体は、観察することを、意味します。
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|
1:07:31
MZ: ですが、私たちは、たぶん みんな、それに同意するでしょう。
その瞬間に、何が作用していますか。
それは、ほとんどの人々において、 一種の論理であると、思います。
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1:07:40
K: いいえ。
|
|
1:07:41
MZ: あなたが仰ったことは、 きわめて明瞭だと、思われます。
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1:07:42
K: 観察は、静寂を含意します。 そして、 何も結論を形成しないこと、
何も心理的、感覚的な応答なく、
ただ静寂に観察する -
例外は、記憶の応答なしの
視覚的、あるいは内的な洞察、です。
R: 価値判断なしに。
|
|
1:08:13
K: ええ。
|
|
1:08:16
FM: こう仰るのでしょうか - それは、頭脳や感覚からの、何の反応もなく・・・
|
|
1:08:20
K: ええ、そうです。
|
|
1:08:29
待ってください。頭脳を 持ち込むのは、危険なことです。
なぜなら、そのとき私たちは、 その問題全体に、
入らなくてはいけないからです。
そうね、私は、当面、 頭脳の問題に、入りたくありません。
それは、含意しています。
それは、観察の中、思考が絶対的に 静かであることを、意味しています。
|
|
1:09:00
FM: 例えば、科学者たちは、
本当に新しい際立った霊感を、 持つとか、
またもや、偉大な芸術家たちは、 すばらしいものを創り出すとき、
これが、起こります - 内側で、 あらゆる物事が静かであるとき、です。
それにより、この新しいものが、 出現するのを、許されます -
新しいもの、真に新しいこと、 創造の波動が、です。
|
|
1:09:32
K: ええ。ですが、 その洞察は、部分的です。
科学者の洞察や知覚は、部分的です。
|
|
1:09:45
FM: ええ、部分的です。
それは言うならば、 その洞察の定式化が、です。
|
|
1:09:52
K: ああ、彼の洞察は、 定式化だけではなく、
彼の洞察のまさしく事実が、です。
なぜなら、洞察は、彼の日常生活の 全体的変容を、含意しているからです。
それは、「私は科学者である。
私は、数学へ洞察を持つ -
物質へ、原子へ」というだけではない。
洞察は、全体として人が生きるさまを、 含意しています。
|
|
1:10:24
R: ええ、そのとおりです。 それは、完璧にそうです。
|
|
1:10:25
FM: どの洞察も、
全体の背景に根ざした、 特定の顕現です。
|
|
1:10:36
K: ああ、いえ。私たちは、 何かへ逸れていきます。
すみません。
私は、受け入れません - 「私は受け入れない」ではない。
それでは、かなり混乱します。
洞察や、見ることについて、 少し話しましょう。
洞察とは、
そこに、過去の物事の思い出が ない観察を、含意しています -
ゆえに、精神は鋭敏です。
価値判断すべてなどより、自由です。
ただ観察する。
そのときにだけ、洞察を持ちます。
ですが、私たちが話している洞察は、
彼の生全体を、含意しています - 科学者として、芸術家として、ではない。
彼らは、部分的な洞察を 持ちます。
|
|
1:11:38
R: それは、小さな断片だけです。
|
|
1:11:40
K: 断片です。そのとおりですが、それは、 私たちが話していることではありません。
R: ええ。
|
|
1:11:47
K: で、それはここに来ます。
R: 私たちが話すことは、存在全体です。
K: もちろんです。人の存在です。
|
|
1:11:51
R: ええ、存在です。
|
|
1:11:55
FM: で、あなたが話しておられる その観察の状態には、
|
|
1:11:59
いかなる反応も、ありません。 K: もちろんです。明白です。
それは、因果の反応ではない。
|
|
1:12:09
FM: 全くです。
それは、因果関係より自由です。
|
|
1:12:14
K: もちろんです。明白です。
|
|
1:12:18
さもないと、私たちは、古いことに戻っています - 原因は動機である、などなどです。
|
|
1:12:27
R: その見ることは、時を越えています。
それは、時を越えています。
その見ることは、時の中に、 制限されたり、捕らわれたりしていません。
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|
1:12:41
K: そのとおりです。その洞察は、 時に関与していません。
|
|
1:12:45
R: そのとおりです。
当然、それは、因でも果でもありません。
|
|
1:12:52
K: ええ。ですが、待ってください。
あなたは - あなたが、ではない - 私たちは、この洞察を持っていますか。
- ちょっと待ってください。
話を終了させてください -
何か結果を達成することとしての、
思考による、心理的な時の創案の中へ、
洞察を持っていますか。
あなたは、それが見えますか。
または、それはただ、 言語的、思想的な水準にありますか。
R: または、それは事実であるのか -
|
|
1:13:22
K: ああ、いいえ。
|
|
1:13:23
R: 心理的な時が、見るために 必要だということは。
|
|
1:13:25
K: いいえ。私たちは、 この問いに入りました。
|
|
1:13:30
人は心理的に、時を 考案してきました -
願望する終わり、目的、報賞を 達成するために、です。
これを、観念として見るのか。
または、そうであるのか。
そうであることは、明白です。
そのとき、人はどのように - これが論点です -
人は、人間はどのように、 変容して・
・・
全的に、それより動いて、 離れるべきなのか。
全的に、この時の概念全体を、 変容させるべきなのか。
私は、こう言います - あなたが、この全体のことへ
洞察を持つとき、 それは可能であるだけだ、と。
そこに、努力は関与していません。
そこに、集中は、関与していません。
それらは・・・
これは、本当の冥想です。
|
|
1:14:47
FM: 事実、それは起こります。
|
|
1:14:49
K: それは、本当の冥想です。 R: 全くです。
|
|
1:14:51
スコット・フォーブス: 多くの人々が、それを聞くとき、
|
|
1:14:52
陥っているのに気づくと、 私が思う二律背反が、あります -
それは、この洞察を持つために・・・
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|
1:15:07
K: ああ、あなたはそれを持てません。
|
|
1:15:09
SF: まあ、この洞察が起きるためには、
思考への洞察が、なければなりません。
それは幾らか・・・
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|
1:15:20
K: いいえ。
|
|
1:15:21
SF: ・・・閉じた円周に似ています。 K: いいえ。私たちは、これに入りましたよ。
|
|
1:15:23
私たちが言いましたように、 思考は、記憶の応答です。
記憶は、知識、経験です。
それで、過去より、 思考は動いています。
|
|
1:15:39
SF: ええ。
|
|
1:15:40
K: ですが、いつも、過去より、です。 それはけっして、過去から自由ではない。
|
|
1:15:45
SF: 私たちは、 見えること、観察することが、
なければならないと、言いました。
|
|
1:15:49
K: 見ること。それを見る。
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|
1:15:52
SF: そうです。 さて、私たちは思考でもって、
それが見えません。 私たちは、見なければならない・・・
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|
1:15:56
K: 待ってください。 いえ、そう言わないでください。
私はちょうど今、言いました - すみません。忘れてしまいました。
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|
1:16:04
SF: 私たちは、見ること、観察が なければならない、と
言っていました - それは、洞察です・
・・
K: 思考へ、です。
|
|
1:16:09
SF: ・・・思考へ。
|
|
1:16:10
K: 待って。それを保ってください。
|
|
1:16:11
さて、思考は、記憶の応答です。
記憶は、経験をとおして、 頭脳に蓄えられている。
それが知識になってきた。
|
|
1:16:27
SF: ええ。
|
|
1:16:29
K: で、知識は、いつも過去です。
そこから、思考が生じます。
これは、反論不可能です。 つまり、これはそうなのです。
|
|
1:16:41
SF: ええ。
|
|
1:16:46
K: さて、これは、観念ですか。
または、あなた自身が 知覚してきた、現実ですか。
すなわち、知識をとおした 人の向上は、そうでない、と
あなた自身が見るのか。
人は、おそらくテクノロジー的に、 向上できるだけです。
ですが、心理的に、
知識の蓄積を継続するなら、
人は、その罠に捕らわれている。
あなたは、それが見えますか。
または、それを観念にして、
「それはどういう意味ですか」 などなどと、言いますか。
|
|
1:17:40
スコット・フォーブス: ですが、ただそれが 見えるには、私は自由でなければなりません。
|
|
1:17:44
K: いいえ。観察しなさい。あなたは 初めに聞きました。 SF: ええ。
|
|
1:17:46
K: 分析なく、解釈なく、聞く。
|
|
1:17:48
好きや嫌いなく、ただ聞く。
あなたは、そう聞くなら、 それを吸収したのです。
事実を、吸収したのです -
すなわち、思考は 記憶の応答であることを、です。
そのときあなたは、進行できます。
そのとき、思考は、いったい その母親より、その根より、
その起源より、自由になりえますか。
明白に、なりえません。
|
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1:18:32
ステファン・スミス: ですが、 思考は、自らの活動に気づけます。
|
|
1:18:35
K: もちろんです。私たちは、 それらを通ってきました。
|
|
1:18:38
MZ: こう仰るのでしょうか -
その瞬間に、洞察が生ずるなら、
そのとき、その洞察は、もとの思考の 機構に、陥ってしまわない、と。
|
|
1:18:49
K: ああ、ええ、もちろん陥りません。
例えば、あなたは洞察を持つし、 行為します。
さて、はっきりさせましょう。
洞察は、行為を意味しています - 即座に、です。
洞察を持ち、後で行為するのではない。
まさにその洞察こそが、 行為を含意しています。
そしてあなたは、行為します。
その行為は、いつも正しい -
正しいとは、 正確である、精密であることです
- 何も後悔なく、努力なく、
何も報賞や処罰なく、 それはそうなのです。
|
|
1:19:29
SS: その行為は、必ずしも、 何かをすることではないですが。
外的にいろいろとするということに 立っては、無行為なのかもしれません。
|
|
1:19:35
K: ああ、しなくてはいけないかも しれません - 外的にも、内的にも、です。
私は、執着へ洞察を持つなら -
観念への執着、結論への執着
人物への執着、
私の、そうね、 知識、経験への執着です。
あなたは、それへの洞察を持つなら、 全部のことが、放棄されます。
|
|
1:19:59
R: 私はそれを、別の形で 表してもよろしいですか
- あなたが同意されるかどうか、私は 知りません - この幻影を見ること、
この幻影を見ることが、
|
|
1:20:11
K: ええ、ええ。
ですが、それが幻影であることが、 確かでなければなりません。
|
|
1:20:20
R: それを幻影と呼ぼうと、 または、それにどんな名前を付けようと、
見る・
・・
K: 「有るもの」を。
|
|
1:20:26
R: 「有るもの」を。
|
|
1:20:27
K: それだけです。 R: ええ。「有るもの」を見る。
|
|
1:20:28
それに用語を付けないで、です。 K: ええ、「有るもの」を見る。
|
|
1:20:29
R: 「有るもの」を見ることが、 真理を見ることです。
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1:20:33
K: ああ、いえ、いえ。そうね、
|
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1:20:35
あなたは、真理を持ち込んでいますよ。 私はまだ、その準備ができていません。
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1:20:39
R: 私は1時前に、それを得たいと思います。
|
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1:20:44
ええ、私はそれを、 先送りしたくありません。
ですが、あなたの主な命題は、 時を入れるな、です。
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1:20:59
K: ええ。私は言ってきました - ちょうど今、1時に、です。
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1:21:02
R: いえ、いえ。まだ1時ではない。ええ。
「有るもの」を、ありのままに 見ることが、真理を見ることです。
手短に言えば、それが、 私が表したいと思うことです。
|
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1:21:23
K: あなたは・・・
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1:21:29
R: そして、真理は、 離れていなくて・・・
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1:21:33
K: 私は、それが何なのかを、 知りません。
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1:21:36
R: それが、私が申し上げることです - 見る。
|
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1:21:39
K: 私は、見るとは どういう意味かを、知りません。
あなたは私に、見るとはどういう意味かを、 語ってきましたが、私は見えないかもしれません。
私は、自分は見えると、 考えるかもしれません。
|
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1:21:53
R: ええ。そのとき、 あなたは見えていません。
|
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1:21:56
K: 私は、きわめてはっきりしなければなりません - 自分は見えていると、考えていないことを、です。
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1:22:00
R: ええ。
|
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1:22:02
K: 私の生全体が、そうなのです。 私は、自分は見えると考えます。
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1:22:09
R: それは、見えるのとは、違っています。
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1:22:12
K: あなたはそう仰るが、普通の人物は、 「ええ、私は見ます」と言います。
すなわち、私は、あなたが言っていることが、 見えると考える、と。
ですが、私は実際に、「有るもの」を 見ないのかもしれません。
私は、自分は「有るもの」を 見ると、考えます。
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1:22:29
SF: クリシュナジ、これは 単純な問いなのかもしれませんが、
普通の人物は、「私は見る。
あなたが 言っていることが、見える」と言うと、
あなたは仰ります。
ですが、事実、彼は見ない、と。
K: ええ。
|
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1:22:40
SF: それはただ精神的に、
|
|
1:22:40
彼が何かを見る、というだけです - または、知的に、です。
私たちは、こう言えるでしょうか -
何が、普通の人物にとって、 この正確な見ること、
思考なきこの見ることを、 もたらそうとしているのか、と。
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1:22:57
K: 私は説明しましたよ。 私はそれを説明しました。
初めに私は、聞かなければなりません。
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1:23:03
SF: ええ。
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1:23:04
K: ああ、私たちは聞きますか。 または、私たちは、
自らの精神を、あらゆる種類の 結論で満たし、一杯にしていて、
そのため、それは、 聞く能力がないのですか。
あなたは、私を見ます。
そして、
「彼はインド人だ。
何だよ。彼を外せ。 彼は何も知らない」と言います。
または、「まあ、彼はうぬぼれた人物だ」とか、 あれやこれやを、言います。
あなたは実際には、聞きません。
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1:23:33
SF: まあ、そのとき問いは、こうです - 私は、用語を変えるだけでしょう -
何が、その正確な聞くことを、 もたらせるのでしょうか。
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1:23:43
K: それは、苦しみをとおしてだ、と 言われてきました。
それは戯言です。
努力しなさい、と言われてきました。
それは戯言です。
誰かが、「私はあなたを愛している」と 言うとき、あなたは聞きます。
そうでしょう。
で、同じことです。
あなたは、
自分が不快だと考えることを、 聞けますか。
で、今、この真理の問いに、 戻ってきます。
私たちは、この午後、 議論を行いますか。
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1:24:27
MZ: 3時30分に会うだろう、と 言われたと、思います。
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1:24:30
K: 3時30分ね。
そのとき私たちは、真理を 追求できますか。
R: いいえ。私は、真理を 待ちたいと思いません。
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1:24:45
K: あなたは、そのすべてを 5分間で、お望みですか。
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1:24:49
R: 5分間ですら、ない。
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1:24:50
K: 1分ですか。 R: 1分です。
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1:24:52
それを1分で、できないのなら、 5時間でも、できません。
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1:24:57
K: 全く同意します。
よろしいですよ。
1秒で。
真理は、時をとおして 知覚可能ではない。
自己があるとき、真理は存在しない。
思考が、どの方向にでも、 動いているなら、
真理は、生じない。
思考は、何か測量できないものです - 測量できない。
R: 真理は、です。
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1:25:46
K: 真理は、と言いました。ああ、真理は、です。
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1:25:51
愛なく、慈悲なく、
それ自らの智恵なしに、 真理は、ありえない。
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1:26:09
R: ええ。今、またもや、あなたは それを、否定的な用語で示されました
- ブッダの本当の 伝統において、です。ええ。
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1:26:20
K: そうね、いえ、いえ。ご自身が 何をなさったのか、見てください。
あなたはそれを、伝統ということに立って 翻訳しました。
ゆえに - 指摘するのを許してください。
私は、不遜になっていません -
あなたは、これを実際に聞くことより、 動いて離れてしまったのです。
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1:26:41
R: いや、私は聞きました。 私は、よくよく聞きました。
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1:26:44
K: それなら、あなたは、 それの香りを、捉えたのです。
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1:26:49
R: ええ。私は、あなたが仰ったことの 香りを、捉えました。
そういうわけで、私は、それを 1分間で行いたいと思ったのです。
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1:27:01
K: あなたは・・・
そのとき、真理の、実在への 関係は、何ですか。
気をつけてください。
気をつけてください。
これら二つは、永久に分割されている、 ということですか。
R: いいえ。
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1:27:18
K: いえ、いえ。
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1:27:20
R: いえ。私は躊躇いません。 私は、そのように躊躇っていません。
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1:27:22
それらは、分割されていません。
K: どうして分かりますか。
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1:27:28
R: 私はそれを分かります。
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1:27:30
K: いいえ。
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1:27:31
ふーん? それらは分割されていない?
では、あなたがいわれるそれは、 どういう意味ですか。
R: それが、私が言ったことです - 見る。
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1:27:45
K: いいえ、ちょっとお待ちください。
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1:27:48
真理と実在 - それらは、分割されていない。
それは、思考と真理が、いつも 一緒にある、という意味です。
ちがいますか?
それらが分割されていないなら、
何かが、離別、分離していないなら、
それらは、一緒にある。
統合的な動きです。
思考は・・・
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1:28:17
R: 思考ではない。
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1:28:19
K: 待ってください。実在は - そういうわけで、私はそれに入ったのです。
実在は、思考が 組み立ててきた物事すべてです。
私たちはみんな、同意しています - そのとおりです。
私たちは、その言葉、用語、 「実在」という言葉を、
他の何かとして、使うかもしれません - 私は気にしません。
ですが、当分の間、私たちは、
実在は、思考が組み立ててきた物事 すべてであると、言っています -
幻影を含めて、です。
真理は、これとは、いかなる関わりをも、 持ちません。
持てません。
ゆえに、その二つは、 一緒にいられません。
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1:29:01
R: その幻影を見る - または、それが何であろうと、です。
「有るもの」を見ることが、 真理を見ることです。
「有るもの」が、真理です。
「有るもの」が、真理です。
それより離れて、真理はありません。
「有るもの」が、真理です。
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1:29:23
K: いいえ。
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1:29:26
R: そうなのです。そうなのです。 「有るもの」が、真理です。
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1:29:28
K: 「有るもの」。 R: 無いものは、非真実です。
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1:29:31
K: いいえ。「有るもの」 - 私たちは、 実在は思考の動きである、と言いました。
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1:29:34
よろしいですか。
そして、真理は、時がない。
真理は、時がない。
それは、あなたの真理、 私の真理、彼の真理ではない。
それは、何か、時を越えたものです。
思考は、時のです。
二つは、一緒に走れません。 それが、私が言っている・・・
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1:30:08
R: 私が言ったことは、 二がない、ということです。
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1:30:13
K: ああ、あなたは・・・
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R: それは、またもや二元性です。 またもや、あなたは分割しています。
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1:30:20
K: いいえ、私はそうしていません。
私は指摘しております -
私は間違っているかもしれませんが、 私はただ、指摘しています -
すなわち、思考は、 こんなに幻影を、創り出してきた。
こんなに多く欺瞞を、 それは、もたらしてきた、と。
それは、「ええ。
私は真理を見た」と言う ことにより、自体を欺瞞するかもしれません。
ゆえに、私は、きわめて はっきりしなければなりません。
いかなる欺瞞も、ないように、 明瞭さが、なければなりません。
私は、欺瞞が存在する、と 言っています -
私が実在の本性を、理解しないのなら、 必然的に存在するだろう、と。
私たちは、これを継続できます。 なぜなら、昼食の後、私たちは・・・
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1:31:13
R: 私は、この午後、別の疑問を 取り上げたいと思います。
なぜなら、この問いには、 終わりはないだろうからです。
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1:31:20
K: ええ。その問いは何ですか。
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1:31:22
R: 私たちが話をしたいと思った 別の問いは、
後の存在、継続が あるのかどうか、です -
人々が一般的に、 生まれ変わりと呼ぶものが、です。
K: 生まれ変わり?
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1:31:33
R: ええ。
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1:31:33
K: ええ。私たちは、昼食の後、 そうしましょうか。
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1:31:34
R: そう思います。 K: いいですよ。
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1:31:38
R: ここで私たちは真理へ来たと、 私は思います。
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1:31:39
あなたがどうかは、存じませんが・・・
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1:31:40
K: 私は、真理へ来ていません。 私は、真理へ行けません。
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1:31:49
R: ええ。あなたは、真理を見ます。 K: ああ、私は、真理を見ません。
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1:31:54
ああ、ものすごい違いが、あります。
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1:31:57
私は、真理へ行けません。 私は、真理を見られません。
真理は、自己がないときにのみ、 存在できる、ありうる。または、あるのです。
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1:32:15
R: そのとおりです。そのとおりです。
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1:32:20
K: 行って食事をしましょうか。
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