OJBR80CB12 - 愛の智恵

ディヴィッド・ボームとの会話、第12回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年9月16日
テキストのみのバージョン
|
0:29
K: これは、私たちがカリフォルニア、 オーハイで(春に)行っていた対話です。
私たちはそこで、八回、対話をしました。
ボーム博士と私自身との間で、です。
ここで(6月に)二回、 (9月に)一昨日、一回です。
で、私たちは、その対話を 継続してもいいですか。
誰かが、これに加わるべきですか、 または、まったくなしですか。
私たちは、誰かが、これに加わりたいと 感じるのかどうかを、訊ねています。
それがきわめて真剣でないのなら・
・・
彼らは加わるのでしょうか。
または、 そうしたくないのなら、それはけっこうです。
で、それは、ボーム博士と 私自身の間の会話です。
それをつづけましょう。
|
|
1:49
私たちは先日、言っていました -
人間は、あがきながら、
生の問題すべて - 物理的なのも、心理的なのも - を、
切り抜けてきて、
心理的な記憶と葛藤と苦労からの自由の
十分な意義を、本当に掴みましたが、
彼は、或る地点に、来ます - 精神が自体は自由だと分かるが、
自体を乗り越える至高のエネルギーを、 まだ集めていない地点に、です。
それが、私たちが先日、 議論していたことです。
そこから、つづけていいですか。 いいですか。
|
|
2:59
B: ええ。
|
|
3:05
K: 精神は本当に・・・ 精神、頭脳、心理的な構造全体は、
いったい、葛藤すべてより、
どの動揺の陰すべてよりも、 自由でありえますか。
|
|
3:27
B: 自己動揺です。
|
|
3:30
K: 自己動揺、それらです。 それはいったい、自由でありえますか。
または、完全な自由との観念は、幻影です。
|
|
3:41
B: ええ、それは一つの可能性です。
|
|
3:44
K: 一つの可能性です。ええ。 それが私たちが・・・
|
|
3:48
B: 或る人々は、私たちは部分的な自由を 持てるだろう、と言うかもしれません。
|
|
3:51
K: ええ、部分的な自由を。
または、人間の条件は、過去により、 自らの条件づけにより、決定されるので、
それはけっして、それより 自由になりえない、と。
あれら知的な哲学者の数人は、 これを述べてきました。
|
|
4:12
B: ええ、或る人々は、それが実情だと、感じます。
|
|
4:16
K: 本当に、深い無宗派的な、宗教的な人々は -
すべての組織的な宗教と、 信念、儀式、教義から、
全的に自由な人が、幾らか いるにちがいありません。
彼らは、それはできる、と言ってきました。
ほとんどの人は、これを言ってきませんでした。
B: ええ、もちろん、輪廻転生をとおして、それは なされると、言ってきた人たちです。
|
|
4:39
K: ええ。
B: 加えて、その集団は、言います -
それには、とても長い時間が、 掛かるだろう、と。
|
|
4:47
K: ええ。彼らは、それには、とても 長い時間が掛かるだろう、と言います。
あなたは、様々な生を経ていき、苦しみ、
あらゆる種類の悲惨を 経ていかなければならない。
そして究極的に、あなたはそれへ来る、と。
でも、私たちは、時ということに立って、 考えていません。
私たちは、訊ねています - 人間は、 自らが深く、深遠に、自らが条件づけられていて、
それで、自らの全存在がそれであることを、
認め、知るか、気づいていて、
それはいったい、自体を 解き放てるのでしょうか。
もしそうなると、彼方に 何が、あるのでしょうか。
それが、私たちが来つつあったことです。
|
|
5:40
その問いは、合理的とか、 妥当なのでしょうか -
精神が本当に、それを終了してしまい、
生の苦労すべてを、終了したのでなければ、です。
私たちが先日、言いましたように、 私たちの精神は、人が作っています。
人が作っていない精神が、あるのでしょうか。
よろしいですか。
それが、私たちが来たところです。
私たちはどのように、これを 見出すのでしょうか。
私たちはみんな、 人が作った精神を、知っています -
その意識とともに、その内容すべて などなどとともに、です。
それをさらわなくてはいけませんか。 いらないね。
|
|
6:33
B: 私たちはすでに、そうしました。
|
|
6:35
K: それは、人が作った精神です。
それが、人が作った自らの機械的な精神より、
自由になることは、可能でしょうか。
|
|
6:51
B: ええ。そこには、一種、絡み合い、 表現するのが困難なことが、あると思います。
すなわち、この精神が全的に、人が作っていて、 全的に条件づけられているなら、
それは、どんな意味で、それを抜け出せるのか。
これは、こう言う種類のことです -
もしもあなたが、それは少なくとも、 彼方の何かの可能性を持っている、と言ったなら・・・
|
|
7:14
K: そのときそれは、報賞、誘惑、 あるべきものに、なる・・・
|
|
7:21
B: 私は、問いはこうだと、思います -
これを整合的に、論理的に 表すことができるには、
精神は、全的に条件づけられているけれども、 抜けだそうとしている、と
言うことには、非整合性がある、 と見えるんです。
私は、それが非整合的であるとは、 言っていませんが、
非整合的であるように 見えるかもしれませんね。
|
|
7:44
K: その問いは理解しますが、
条件づけられていない部分が あると、認めるなら、
私たちは、全く別のへ、入ってしまい・・・
|
|
7:56
B: ええ、それはもう一つの非整合性です。
|
|
8:01
K: ええ。もう一つの非整合性へ、です。
私たちの議論では、
精神は、深く条件づけられているが、 それは、洞察をとおして
自由になりうる、と言ってきました - それが、これへの真の手がかりです。
あなたは、それへ同意されるでしょうか。
|
|
8:20
B: ええ。
|
|
8:22
K: その洞察 - 私たちは、それが何なのか、 その本性へ、入りました。
その洞察は、精神を、
条件づけから、完全に解き放てますか。
幻影すべて、欲望すべてなどを、 拭い去れますか。
その洞察はそれを、完全に拭い去れますか。 または、それは部分的ですか。
|
8:58
B: 第一の点は、こうだ、と思います - 精神は静止的でないと、言うなら・・・
それは全的に条件づけられている、と言うなら、
それは、何か静止的なものを、提起します - それは、けっして変化しないでしょう。
K: ええ。
B: さて、精神はいつも 動きの中にある、と言うなら、
この瞬間に、それが何であるかを、 言うことと、
それは全的に条件づけられてきた、 と言うことは、
何らかの形で、不可能になると、思われます。
|
|
9:24
K: いえ。仮に、私が全的に 条件づけられている、とします。
それは動きの中にある。でも、 その動きは、境界の内にある。
|
|
9:33
B: ええ、それは、境界の内にある。
|
|
9:35
K: 一定の分野の内に。 B: ええ。
|
|
9:36
K: 分野は、とても明確に区切られています。
|
|
9:37
それは、自らを拡張、収縮できます。
しかし、境界は、きわめて制限され、明確です。
|
|
9:51
B: ええ。そしてまた、
この構造全体は、死に絶えるかもしれません。
私たちは、その構造の内で動くなら、 何らかの境界に留まります。
|
|
10:03
K: さて、それはいつも、 その境界の内で、動いています。
それは、それに対して、死に絶えられますか。
|
|
10:12
B: それが、もう一つの次元での、
もう一種類の動きです。あなたは、 それを仰ったと、思います。
|
|
10:21
K: ええ。
K: 私たちは、洞察をとおして、 それは可能だと、言います -
洞察もまた、動きです。
全的に違った種類の動きです。
|
|
10:38
B: ええ。でも、今、私たちは、 その動きは、個人において発生しない、と
言います。私たちは、それを言いましたか。
|
|
10:43
K: ええ。
|
|
10:46
B: 一般的な精神において、でもない。
|
|
10:48
K: それは・・・ええ、全く正しい。
それが、私たちが先日、議論したことです。
それは、特定のものの洞察ではなく、 一般のもののでもない。
私たちはそのとき、何か全く 法外なことを、述べています!
|
|
11:06
B: ええ。それを見つめていると、 それはかなり、
人々が使ってきた、ほとんどの 種類の論理に、違反します -
すなわち、特定と一般は、
普通の論理ということに立って、 あらゆるものを、覆うはずだ、ということです。
さて、あなたが、両者を越えた何かがある、 と仰っているなら、
これはすでに、少なくとも、
述べられたことがない、問いです。
私は、それは、大きな重要性を 持っている、と思います。
|
|
11:33
K: すると私たちは、どうそれを述べますか。 または、すると私たちは、どうそれへ来ますか。
|
|
11:41
B: 私は注目してきました -
人々は、大まかに、二つの集団に分割される、と 私は思うんです。
一つの集団は、
最も重要なもの、基盤は、特定である。
具体的な、特定の日々の活動である、と感じます。
もう一つの集団は、
一般、普遍が基盤である、と感じます。
|
|
11:58
K: 全くです。
|
|
12:00
B: 一つは、より実践的なタイプです。
もう一つは、より哲学的なタイプです。
一般的には、この分割は、歴史をとおして、
可視的でした。また、日常生活においても、 どこを見ようとも、です。
|
|
12:15
K: しかし、一般は - 私たちは、少し議論できます -
特定より、分離していますか。
|
|
12:22
B: していませんが、ほとんどの人々は、 それに同意すると思いますが、問いはこうです -
主要な価値を与えられよう としているのは、何なのか。
人々は、一方か、他方へ 強調を、置きがちですね。
或る人々は、特定へ、おもな強調を置きます。
彼らは、一般はそこにある、と言います -
特定へ気をつけるなら、
一般は、だいじょうぶだろう、と。
|
|
12:40
K: ええ。
|
|
12:41
B: 他の人たちは、一般が おもなものである、
と言います - 普遍が、です。
それを正す中で、特定を正すだろう、と。
|
|
12:48
K: 全くです。
|
|
12:50
B: で、一方へか、他方へ一種の不均衡が、
ありました。
人の精神における偏見です。
さて、ここで上げられつつ あるのは、この概念です -
一般でもなく、特定でもない、 すると、何か、と。
|
|
13:10
K: そのとおりです。まさにそうです!
私たちは、それについて議論や会話を することが、できますか - 論理的に、です。
あなたの専門知識、あなたの科学的な頭脳、 その他すべてを、使って、です。
そして、それらではない、この人が、います。
で、私たちは、見出すように、 会話をできませんか -
一般と特定が一つであり、
まったく分割されていないのか どうかを、見出すように、です。
|
|
13:54
B: またそれは、どちらか一方への けっして偏見でないのでなくてはいけません。
|
|
13:57
K: どちらか一方、ではない。全くです。
どちらか一方に、強調を置くのではない。
すると、私たちがそうしないなら、 そのとき、何がありますか。
話が明らかになっているのか どうか・・・
|
|
14:16
B: そのとき、私たちは、それについて たやすく話す道が、ありません。
|
|
14:20
K: ええ、ええ。
|
|
14:24
B: でも、私たちは議論した、と思います - カリフォルニアで、基盤について、です。
問いは、特定の精神は、一般的な普遍的な精神へ、
または、空っぽへ死ぬ、 と言える、ということでした。
そのとき、究極的には、空っぽと普遍さえも、
基盤の中へ死ぬ、と言いました。
|
|
14:40
K: ええ、そのとおりです。私たちは それについて、議論しました。
|
|
14:42
B: 私が思うに、これは一種、つながる・・・
|
|
14:45
K: しかし、普通の人物、相当に智恵がある人は、 これらに同意するでしょうか。
これらが、分かるでしょうか。
|
|
14:51
B: 私は、確かでありません。
|
|
14:53
K: または、彼は、「これらは 何という戯言か」と、言うでしょうか。
|
|
14:55
B: もしも、それが彼に、ただ投げつけられたなら、 彼はそれを、戯言として拒否するでしょう。
それは、よく気をつけた提示を、 必要とするでしょう。
すると、或る人々は、それが 分かるかもしれません。
しかし、それを、誰かへ言うだけなら・・・
|
|
15:05
K: もちろんです。
|
|
15:07
B: ・・・彼らは、言うでしょう - 誰でも、それについて聞いた人は、です。
|
|
15:10
K: で、私たちは今、どこにいますか。 待ってください。
私たちは、特定でも、一般でもありません。
それは、ほぼ合理的に 受け入れられない発言です。
|
|
15:28
B: まあ、思考を、内容というより、 むしろ、動きだと
捉えるなら、という意味では、
それは、合理的です。
|
|
15:41
K: 思考を、動きだ、と。全くです。 私たちは、それに同意します。
|
|
15:44
B: そのとき、思考は、
特定と一般の間の動きですね。
|
|
15:48
K: ですが、思考が、一般です。 思考が、特定です。
|
|
15:51
B: しかし、思考はまた、動きです。 K: ええ。
|
|
15:53
B: それで、動きの中、それは、 どちらか一つであるのを、越えます。
|
|
15:54
すなわち、動きの中で、です。
|
|
16:01
K: そうですか。
|
|
16:03
B: まあ、それはありえます。私は、 ふつうはそうでない、と言いました。
なぜなら、ふつう、思考は、どちらか 一つの側に、捕らわれているからです。
|
|
16:08
K: それが、全論点なのでしょう。
ふつう、一般と特定は、
同じ区域に、ある。
|
|
16:15
B: ええ。あなたは、 どちらか一つに、固定する。
|
|
16:18
K: ええ。でも、同じ区域に、同じ分野にある。
思考は、二つの間の動きです。
または、思考は、両者を創り出してきた。
|
|
16:32
B: ええ。それは、両者を 創り出してきたし、間を動く。
|
|
16:34
K: 間と、そのまわりを。
|
|
16:36
B: その区域のまわりと中を、です。
|
|
16:38
K: ええ、あの区域に、です。
それは、幾千年の間、こうしてきました。
|
|
16:48
B: ええ、ほとんどの人々は、それが、 思考ができるすべてである、と感じるでしょう。
|
|
16:52
K: さて、私たちは、こう言っていますか -
思考が終わるとき、
思考が創り出してきた動きもまた、 終わりになる。
ゆえに時は、終わりになる。
B: 私たちはここで、もっとゆっくり 行くべきです。
|
|
17:09
K: すみません。
|
|
17:10
B: ・・・それは、思考から時への飛躍です。
|
|
17:11
私たちは前に、それへ入ったことが ありますが、それはやはり、飛躍です。
|
|
17:18
K: そうです。なぜなら、 初めに、見てみましょう。
思考は、一般と特定を、創り出してきた。
思考は、両者を連結させる動きです。
思考は、それを巡って動く。 で、それはやはり、同じ区域にある。
|
|
17:38
B: ええ、そうして、それは、時を 創り出してきました -
時は、一般と特定の部分です。
時は、特定の時です。
また、一般的な時です。
すべての時、永遠です。
それは、時の全体において、 この特定の時を、見ます。
|
|
17:54
K: ええ。でも、そうね、思考は時です!
|
|
17:57
B: それは、もう一つの問いです。 私たちは、 議論していましたね。
思考は、内容を持っているんです - それは、時について、です。
それに加えて、私たちは、思考は動きである、と 言います - それこそが、時です。
それは、過去から未来へ、動いている、と
言えるでしょう。ですね?
|
|
18:15
K: ですが、思考は、時に基づいています。
思考は、時から出てきたものです。
|
|
18:22
B: ええ、でも、そのとき、それは、
時は、思考を越えて存在する、 という意味ですか。
思考は時に基づいている、と仰るなら、
時のほうが、思考より根源的です。
それが、あなたが仰りたいことですか。
|
|
18:32
K: ええ、ええ。
|
|
18:33
B: では、私たちは、それへ入るべきです。
時は、思考の前にあった何かである、と
言えるでしょう。
そう表されるでしょうか。
または、少なくとも、それは、 思考の起源において、ある、と。
|
|
18:45
K: 知識の蓄積があるとき、時はあった。
|
|
18:53
B: 或る程度まで、それは、 思考から出てきました。
|
|
18:58
K: いいえ、私は行為し、学びます。 B: ええ。
|
|
19:00
K: その行為は、以前の知識に、 基づいていませんが、
|
|
19:01
私は、何かをするし、する中で、学びます。
|
|
19:16
B: ええ、そのとき、その学びは、 記憶に登録されます。
|
|
19:19
K: 記憶などなどに、です。
で、思考は本質的に、時の動きではないですか。
|
|
19:30
B: どんな意味で、この学びは、 時の動きですか。
私たちが学ぶとき、それは登録される、 と言えますね。
そのとき、その同じ学びが、 次の経験で、作動します -
学んできたことが、です。
|
|
19:50
K: ええ。過去はいつも、現在へ 動いています - いつの時も、です。
|
|
19:55
B: ええ、現在と混ざり、融け合う。 K: ええ。
|
|
19:56
B: 二つは一緒に、またもや、
|
|
19:57
次の経験として、登録される。
|
|
20:02
K: で、私たちは、こう言っていますか - 時は、思考より異なっている、
または、時は思考である、と。
|
|
20:12
B: ええ、この学びの動きと、 経験の中への記憶の応答、
それから、再び登録すること - それは時であると、私たちは言います。
それはまた、思考なのでしょう。
|
|
20:25
K: ええ。それが思考です。
|
|
20:30
思考を離れて、時がありますか。 B: それはもう一つの問いですね。
|
|
20:34
私たちは、こう言うのでしょうか - 物理的にか、宇宙において、
時は、思考を離れて、意義を持っている、と。
|
|
20:42
K: 物理的に、ええ。それは理解できます。
|
|
20:45
B: そのとおり。で、そのとき、私たちは、 精神においてか、心理的に、と言っています。
|
|
20:49
K: 心理的に、
知識として、「私」などとして、 心理的な蓄積が、
あるかぎり、時がある。
B: ええ。
|
|
21:03
K: それは、時に基づいています。
B: どこでも、蓄積があるところ、時がある。
|
|
21:06
K: ええ、それが論点です。
どこでも、蓄積があるところ、時がある。
|
|
21:10
B: すると、いろいろと逆になる。ふつう、時が 最初であり、時の中で蓄積をする、と言うからです。
|
|
21:15
K: いえ、いえ。私個人はそれを、 逆に表したいと思います。
|
|
21:18
B: それが逆に表せることを、 見ることは、重要です。
仮に、蓄積が何もない、とします。 そのとき、どうですか。
|
|
21:25
K: そのとき - それが全論点です - 時は何もない!
私が、蓄積し、集め、なっているかぎり、
時の過程がある。
しかし、集めることがなく、 なることがなく、蓄積がないなら、
心理的な時は、どこに存在しますか。
|
21:53
B: たぶん、物理的な時さえも、 或る種の物理的な蓄積に、
依存しなければならない、と言えるのでしょう。
K: もちろんです。それは全く別の事柄です。
B: それを、私たちは否定していません。
私たちは、心理的な蓄積の意義を、
否定しています。
|
|
22:06
K: そのとおりです。で、思考は、
心理的な蓄積から、出てきたものです。
その蓄積、その集めることが、
それに、継続性の感覚を、与えます - それが、時です。
|
22:25
B: ええ。
B: まあ、それは、動きの中に あると、思われます。
何であれ、蓄積されてきたものは、
現在へ応答しています -
未来の投影をもって、です。
K: もちろんです。
B: すると、再びそれが、登録されます。
さて、登録されているすべての蓄積は、
時の秩序に、ある - 一つの時、次の時・・・
|
|
22:43
K: そのとおりです。
K: で、私たちは、思考は時である!
と言っています。
B: または、時は思考です。
|
|
22:47
K: ああ、そうです。どちらでも、です。
|
|
22:49
B: しかし、時の動きは、思考です。
|
|
22:51
K: 時の動き・・・ B: 心理的な時・・・
|
|
22:54
K: 動き・・・あなたは、何を仰っていますか。
|
|
22:56
B: 心理的な時の動きは、その蓄積ですが・・・
|
|
22:59
K: 時です。 B: それは時ですが、それはまた思考です。
|
|
23:02
二つは、同じことを、意味しています。
|
|
23:06
K: で、心理的な蓄積は、思考と時です。
|
|
23:08
B: ええ。私たちは、本当は一つの言葉が 必要なとき、たまたま二つを、持っています。
|
|
23:14
K: 一つの言葉。全くそうです。B: 私たちは、二つの 言葉を持っているから、二つのものを、探しますね。
|
|
23:20
K: ええ。ただ一つの動きが、ある。
|
|
23:29
それは、時と思考です。 時+思考、時/思考、です。
さて、精神は、幾千年もの間、 その区域で、いつの時も
動いてきましたが、それより自由になりえますか。
|
|
23:50
B: なぜそれは、縛り上げられていますか。何が 精神を、捉えているのかを、正しく見ましょう。
|
|
23:54
K: 蓄積です。
|
|
23:56
B: ええ。でも、なぜ精神は、 蓄積しつづけますか。
|
|
24:02
K: それは相当に明らかだと、思います。
なぜなら、蓄積には、安全がある、
安心があるからです - 見かけの安全です。
|
|
24:11
B: それは、少し議論が必要だ、と思います。
一定の区域では、それはさらに真実です。
物理的な食べ物の蓄積は、
一定種類の安全を、提供するかもしれません。
|
|
24:21
K: もちろんです。
|
|
24:22
B: そのとき、外と内との間に、
何の区別も、付けられなかった上は、
内的に蓄積できるとの感じが、ありました
- 経験、あるいは、何をすべきかの 何らかの知識を、です。
|
|
24:35
K: 私たちは、こう言っていますか - 安全のための物理的な蓄積の
外的な必要は、必要である。
その同じ動き、同じ観念、同じ衝動が、
心理的な思考の分野へ、動いて入る、と。
そこであなたは、安全でありたいと望んで、 蓄積します。
|
|
24:54
B: ええ。内的に、蓄積できると望んで、です
- 現在の記憶や関係、・・・
|
|
25:07
K: ええ、それらです。
B: ・
・・頼りにできそうな物事、 頼りにできそうな原理を、です。
K: で、蓄積、心理的な蓄積は、
安心、保護、安全です。
|
|
25:17
B: ともあれ、幻影です。
|
|
25:19
K: いいですよ。それらの幻影、安全の幻影。 この幻影の中に、それは生きてきました。
|
|
25:28
B: ええ。で、最初の間違いは、人がけっして
区別を理解しないことだった、と、見えるのです -
自らが外側でしなくてはいけないことと、内側で しなくてはいけないことの間の区別を、ですね。
|
|
25:37
K: ええ。私たちは、それを言いました。
それは、同じ動きです - 外と内は。
|
|
25:42
B: でも、人は、その動きを、 運んできました -
外的には正しい手順を、人は、知らずに、
内的に運んできました。
それが紛糾を起こすだろうことを、
おそらく全面的には知らずに、です。
|
|
25:53
K: で、私たちは今、どこにいますか。
私、或る人間は、これらを悟ります。
彼は、「私は本当に、
この蓄積された安全と思考と時より、 自由でありうるか」と言う
時点に、来たのです。
心理的な時より、です。ですね?
それは可能ですか。
|
|
26:21
B: 私たちは、それは、この起源を 持っていた、と言うなら、
それを分解することは、可能なはずでしょう。
もしも、それが私たちに、 組み込まれていたなら、何もできないでしょう。
|
|
26:29
K: もちろんです。それは確かに、 私たちに、組み込まれていません!
|
|
26:32
B: ほとんどの人々は、まるでそうだと信じているかの ように、行為します。K: それは不条理です!
|
|
26:34
B: それは、私たちに組み込まれていないのなら、
|
|
26:35
私たちが変化する可能性が、存在します。
なぜなら、何らかの形で私たちは、 それは最初に、時をとおして、
築き上げられると、言ったからです。
|
|
26:50
K: もし、それは 組み込まれている、と言うなら、
私たちは、望みのない状態に、あります。
|
|
26:58
B: ええ。それが、進化を使う人々の 困難の一つだと、私は思います。
進化を持ち込むことにより、
彼らは、この静的な境界より、 抜け出したいと、望みます。
K: 全くです。
|
|
27:21
B: 彼らは、進化が同じことである、と悟りません
- それはさらに悪い。
それは、 罠が作られた、まさしく手段です。
K: で、私は、その点に来ます。
人間として、
私はこれらを悟ります。
私は十分に、これの本性に、気づいています。
私の次の問いは、こうです -
この精神は、この分野より すっかり動いて出て、
おそらく、全然違った次元に 入れるのでしょうか。
私たちは言いました・
・・
それは、洞察があるとき、起こりうるだけです
- 私たちはそれを、通ってきました。
|
|
28:08
B: ええ。この全体のことを、とても深く問うとき、
洞察が生ずるように、思われます。
|
|
28:20
K: ええ。
B: それは意味をなさないことが、見えます。
K: 今、それへ洞察を得て、
その制限を見てきて、 ゆえに、それを乗り越える -
越えて、何がありますか。
これについて、私たちは、少し話をしました
- オーハイでだけではなく、ここでも、です。
|
|
28:59
B: 私たちは、これを言葉に表すことさえ、 とても困難だと、感じました。
でも、私たちは、この線で何かが、されなくては いけない、と言った、と思いますね。
|
|
29:09
K: ええ。それは、言葉に表されなくては いけない、と私は思います。
|
|
29:12
B: なぜかを、仰られるのでしょうか - なぜなら、多くの人々は、
これは全面的に、非言語的なままに しておくべきだ、と感じるかもしれないからです。
|
|
29:26
K: 私たちは、言葉はそのものではない、と 言えますか -
どんな叙述でも、実物ではない。
真理ではない。
どれほど装飾や縮小をしても、
ただの言葉は、それではない。
それを認識すると、そのとき、 これらを越えて、何がありますか。
私の精神は、欲望なしで、
それで、幻影を、越えた何かを、 創り出さないでしょうか。
|
|
30:03
B: ええ、すると、 欲望のその問いにおいて、
欲望は、この時の過程に、 あるにちがいないですね。
|
|
30:08
K: もちろんです。欲望は時です。
|
|
30:11
B: 明白な形の欲望とともに、
とても微妙な形のものが、ある上は・・・
|
|
30:19
K: 結局、あること、なることは、 欲望に基づいています。
|
|
30:26
B: ええ、それらは本当は、一つで、同じです。
|
|
30:28
K: ええ、それらは、一つで、同じです。
さて、自らは洞察を持つとき
- 私は、その言葉を、何度も何度も 使うのは、嫌ですが -
欲望の動き全体と、 幻影を創り出すその能力へ、
持つとき、 それは終了しています!
|
30:51
B: ええ。思うに、おそらく私たちは・・・
これは、きわめて決定的な点ですから、 私たちは、欲望について、
もう少し言おうとすべきです -
この蓄積過程において、それが いかに本来的であるか、
それがいかに、多くの形で出てくるか、です。
一つには、蓄積するにつれて、 何かが欠けているとの感覚が
来ることが、言えるでしょうね。
K: もちろんです。
B: あなたは、もっと多くを 持つべきだと、感じます
- 何か終了させるもの、 完成させるものを、です。
何でも、あなたが蓄積したものは、 完全ではない。
|
|
31:28
K: 私たちは初めに、なるという 問いへ、入れるでしょうか。
そのとき、欲望が、そこへ入ってきます。
|
|
31:34
世界中で、人間すべてが、 この、なろうとの衝動を、
持っているのは、なぜですか。
外的に、私はそれを理解します。単純です。
|
|
31:46
B: 私たちは、ますます強く ならなくてはいけません。
|
|
31:48
K: 物理的に、筋肉を発達させる・・・
|
|
31:51
B: 言語、論理・・・
|
|
31:53
K: それらです。また、より良い職、 もっと多くの快適さ、などなどです。
しかし、人間の精神には、なぜ、
なろうとする、この種子が、ありますか
- 覚ろう、と。
当面の間、その言葉を使いましょう。
より良くか、もっと良くなろうとする。
|
|
32:22
B: すでにそこにあるものへの不満足の感覚が、
あるにちがいありません - それが、一つのことです。
|
|
32:27
K: それは、不満足ですか。
|
|
32:29
B: 或る人物は、それに、 完全であってほしいと、感じます。
仮に、彼は、楽しみの記憶を 蓄積してきた、とします。
ですが、これら記憶は、もはや適切ではありません。
彼は、もっと何かが必要だ、と感じます。
|
|
32:44
K: それですか。
|
|
32:46
B: もっと多くを得ること - それが、問いの一つです。
結局のところ、彼は、全体、究極を 持たなければならない、と感じます。
|
|
32:59
K: 「もっと多く」という言葉が、 本当の刺でないのかどうか、
私はまったく、確かでありません。
B: 「もっと多く」という言葉ですか。
|
|
33:06
K: ええ、もっと多く、
|
|
33:08
もっと、です。私はもっとなるだろう。 私は、もっと多く持つだろう。
私は、なるだろう・
・・この動き、
前へ動き、獲得し、比較し、前進し、
達成する動き全体 - 心理的に、です。
|
33:27
B: 「もっと」という言葉は、 「蓄積」という言葉の
意味全体において、まさに暗示的ですね。
K: もちろんです。
B: あなたは、蓄積しているなら、 もっと多く蓄積していなくてはいけません。
それをする道は、他にありません。
|
|
33:38
K: で、なぜ、人間の精神に、 この種子がありますか。
|
|
33:42
B: 彼は、この「もっと」が、内的に、 間違っていることが、見えません。
もし、彼は外的に、「もっと」 という用語を、使いはじめたのなら・
・・
でも、それから、それを内的へ運び込んだ。
何かの理由のために、彼は、 それがどんなに破壊的かを、見なかった。
|
|
33:58
K: なぜです。なぜです。なぜです。
なぜ、相当智恵のある哲学者と、 宗教的な人々は、
自らの大きな生の大部分を、 達成することに、使ってきましたが、
なぜ彼らは、このとても単純なことを、 見なかったのですか!
偉大な知識人と、 いわゆる・
・・進化的な概念など。
なぜ彼らは、この単純な事実を、 見なかったのですか -
すなわち、蓄積があるところ、
もっと多くがあるにちがいない、 ということを、です。
|
|
34:33
B: ええ、彼らはそれを見たのですが、 そこに何の害をも、見ないのです。
|
|
34:35
K: 待って。いえ、彼らにそれが 見えるのか、私は確かではない。
|
|
34:37
B: 彼らは、自らが、もっと多くを 得ようとしていることを、見てきました -
彼らは、より良い生を得ようとしています。
そうね、十九世紀は、前進の世紀でした -
いつの時も、改善していました。
|
|
34:48
K: いいですよ。でも、外的な前進です。
|
|
34:50
B: でも、彼らは、人は内的にも、自己を 改善しているだろう、と感じました。
|
|
34:56
K: でも、なぜ彼らは、いったい これを、問うたこともないのですか。
|
|
34:59
B: ええ。何が、彼らをして、 それを問わせるのでしょうか。
|
|
35:05
K: 明白に、この常なる格闘です。 もっと多くへ、です。
|
|
35:11
B: でも、彼らは、それが 前進のために必要だと、考えましたね。
|
|
35:15
K: でも、それは前進ですか。
|
|
35:17
B: 私たちはそれを、明らかにできますか。 仮に、あなたが、十九世紀の楽観主義者の一人へ、
答えなくてはいけなかった、としますね -
人はいつの時も、もっと良くなるよう、 前進している、
外的にも、また内的にも、というものへ、です。
K: ええ、外的には認めましょう。
|
|
35:28
B: 彼はそれをできるでしょう。
|
|
35:31
K: 外的には、ね。その同じ、 「もっと良く」なる外的な衝動が、
|
|
35:34
動いて、心理的な領域へ、入ったのですか。
|
|
35:44
B: 私たちはそれを、明らかにできますか。
なぜそれは、心理的な領域で、害をなしますか。
|
|
35:50
K: 害は・・・ちょっと待ってください。 それを、考えぬきましょう。
心理的に蓄積することにおける、 害は、何ですか。
ああ、そうだ!
それは分割します。
|
|
36:09
B: それは、何を分割しますか。
|
|
36:11
K: 蓄積のまさに本性が、
分割をもたらします - あなたと私と彼らなどの間に、です。
|
|
36:21
B: 私たちはそれを、明らかにできる でしょうか。それは、決定的な点ですね。
私は、一つのことが、見えます -
仮に、あなたが、あなたの形で蓄積していて、 私は、私の形で蓄積する、とします。
|
|
36:29
K: そうなんです。 彼、彼女は、別の形で蓄積します。
|
|
36:33
B: そのとき私たちは、共通の 蓄積の仕方を、課そうとします。
それは、もっと多くの葛藤です。
|
|
36:37
K: それは不可能です! それは、けっして起きません。
|
|
36:40
B: ええ。彼らは、あらゆる人がもっと なるべきだ、と言います。K: ええ、ええ。
|
|
36:43
K: 私は、蓄積してきました - 心理的に、 ヒンドゥー教徒として、です。ですね?
他の人は、イスラム教徒として、 蓄積してきました。
|
|
36:57
B: 幾千もの分割が、あります。
|
|
36:59
K: 幾千もの分割です。
|
|
37:00
B: 一つの職業やもう一つの中にも、と 言えるでしょう。
|
|
37:02
K: もちろんです。幾千もの分割です!
ゆえに、蓄積は、まさにその本性において、 人々を分割します。
ゆえに、葛藤です。
|
|
37:15
B: 各人が、自分特定の形で、蓄積します
- それは、他の誰かより、違っています。
共通の蓄積の仕方は、作られません。
|
|
37:23
K: 作られませんか。で、みんな、蓄積しよう!と。
|
|
37:25
B: それは働きません。なぜなら、 あらゆる人がすでに、違った関係を・・・
|
|
37:29
K: もちろんです。
|
|
37:31
B: ・・・持っているからです - あなたが、何をしようとも、です。
|
|
37:34
K: すると、私たちは、こう言えますか -
蓄積において、人は、心理的な安全を 探し求めてきました。
その安全は、その蓄積とともに、
人間の分割の要因です。心理的に、です。
|
|
37:52
B: ええ。蓄積しようとするどの試みも、 分割するでしょう。
幾らかの社会学者も、 カール・
マルクスのように、
幾らかの人々を、他の人々より分割するのは、
彼らによる、この資本の蓄積だった、と 言ってきました。
|
|
38:13
K: そうです。
B: それが、ものすごい葛藤を、始めた、と。
K: で、 そういうわけで、人間たちは、
その帰結を悟らずに、蓄積してきた、と 私たちは言いました。
それを悟って、蓄積しないことは、 可能でしょうか。
それは、ものすごい!
ということです。
B: ええ。人間精神は、自動的に蓄積します。
|
|
38:38
K: 知っています。
|
|
38:43
K: なぜですか。とても明らかで 単純な理由のため、です。
外的に、と同じく、蓄積において、 それは、安全だ、安心だと感じます。
|
|
38:57
B: おそらく、こう言えるでしょうね - この罠にはまったので、
精神が抜け出すことは、とても難しかった。
それはすでに、占有されていました。
精神は、この蓄積の過程に 満たされています。
|
|
39:11
K: ええ。
B: 何を見ることも、とても難しくなります。
K: さて、仮に、私の精神は、この占有の過程に 満たされている、とします -
すなわち、心理的な知識、それらでもって、です。
それは、終わりえますか。
もちろん、終わりえます!
|
|
39:24
B: 精神がその根へ、到るだろうなら、です。
|
|
39:27
K: もちろん、終わりえます!
すなわち、蓄積において 安全がある、ということ
- それは、幻影です。
|
|
39:37
B: これは、一定の水準で、見られます。
そうね、これについて、議論します - 知的に、ではなく、
私は、地図のように、言うのを 選ぶでしょうね。
この過程全体の地図を、描いてきました。
そのとき、問いはこうです - あなたは、地図を持っているとき、
今、国を見つめることが、できなければならない。
地図に載っているものを、見なさい、と。
|
|
39:58
K: ええ。地図を見つめているとき、
国は見えません。
B: ええ。地図は、役立つかもしれませんが、 それは十分ではないですね。
|
|
40:02
K: 全くです。
でも、今、私たちは、こう言っています -
欲望は、人々をして、それを つづけさせるものである、と。
|
|
40:16
K: 欲望だけではなく、 この深く根づいた、蓄積する本能です。
|
|
40:23
B: リスのように、です!K: ええ、リスのように。 未来のため、安全のため、です。
|
|
40:28
それと欲望が、相伴います。ですね?
|
|
40:38
B: それは、築きあがり、強烈な欲望になりますね。
|
|
40:42
K: もちろんです。それで、欲望+蓄積が、
分割、葛藤、その他すべての要因です。
|
|
40:53
B: 本当は、欲望(デザイア)という言葉は、 必要を、意味することを、言えます。
或る人物は、自分に必要であるから、 もっと蓄積しなければならない、と感じます。
|
|
41:01
K: ええ、必要です。さて、私は 訊ねています - それは、終わりえますか。
それが、意志の行為をとおして、終わるなら、 それはやはり、同じことです。
B: それは、欲望の一部です。
|
|
41:14
K: もちろんです。
|
|
41:17
それが、処罰や報賞ゆえに、終わるなら、 それはやはり、同じことです。
で、自らの精神は、これが見えて、 それらを脇に置きます。
ですね?
しかし、精神は・
・・
蓄積より自由でしょうか。
そうです。
私は、それはありうる、 と思います。そうすると思います。
すなわち、心理的な知識を、まったく持たない。
知識は蓄積です。ゆえに、などなどです。
|
|
42:10
B: ええ、思うのですが、 私たちは、考慮しなくてはいけません -
知識は、普通に意味しているより、
きわめてはるかに行く、ということを、です。
|
|
42:21
K: もちろんです。
B: ただの・・・
|
|
42:23
K: 書物の知識、経験より、もちろんです!
B: でも、蓄積する中で・
・・例えば、
このマイクロフォンの知識を持っていて、 マイクロフォンのイメージ、映像を、築き上げます。
あらゆる物事が、それに入っていく。自分は、それが 継続することを、期待しますね。
|
|
42:46
K: もちろんです。
あなたが、自分自身について、知識を持っているなら、 それは、あなた自身の映像を、築き上げます。
K: ああ!自分自身について、知識を持てますか。
|
|
42:48
B: いいえ。自分は持っていると考えるなら、
自分がどんな種類の人物なのかについて、
知識がある、と考えるなら、
それは、築き上がって、映像になる。 その期待とともに、です。
|
|
42:59
K: でも、結局、あなたは、 自分自身について、知識を持っているなら、
すでにイメージを、築いてきました!
|
|
43:05
B: ええ。それは同じです。 傾向は、こうです -
あなたが外側ですることの移転が、あります。
あなたが、このマイクロフォンを 観察すると、知識を築き上げます。
それは、それについての、あなたの映像、 あなたの知覚へ、入ってきます。
そのときあなたは、「私は自分自身について、 同じことをするだろう」と言います。
私は、私がそうであるべきとか、 私がそうである、種類の人物を、知っています。
それは、築き上がります。
たくさんの蓄積が、築き上がります -
ふつうは知識と呼ばれない形で、です。
例えば、嗜好、好き嫌いです。
|
|
43:38
K: 理解できます。
K: でも、ひとたび、 知識としての心理的な蓄積が、
幻影であり、破壊的であり、 無際限の痛みと悲惨を
引き起こすことを、悟るなら -
あなたは、それが見えるとき、 それは終了しています!
|
43:58
B: 私は、こう言おうとしています - そう仰るとき、問いは・・・しょっちゅう、
知識という言葉は、含まれるべきものすべてを、 伝えないんです。
K: もちろんです。
B: 私は、こう言えるでしょう - 「いいよ、 私は、知識において、一定の物事を知っている。
自分自身について、その知識を 築き上げることは、愚かしい」と。
でもそのとき、他の種類の知識が、 あるかもしれない -
私が知識として認識しないものが、です。
|
|
44:23
K: 自らが持っている、 他の種類の知識は、何ですか。
嗜好、好き嫌い、
先入観。
|
|
44:32
B: 習慣。
|
|
44:33
K: 習慣。そのすべてが、 自らが創り出してきたイメージに、ある。
|
|
44:45
B: ええ。人は、イメージが とてつもなく実在に見える形で、
発達してきました。
|
|
45:00
K: ええ。
B: ゆえに、その性質は、知識だとは思われません。
K: いいですよ。
で、私たちは、言いました -
蓄積は時である。
蓄積は安全である。
心理的な蓄積があるところ、
分割があるにちがいない。
思考は、特定と一般との間の動きである。
思考はまた、イメージの中から、
蓄積されてきたものの中から、生まれた、と。
ですね?
そのすべてが、自らの内的な状態です。
それは、私の中に、深く埋め込まれています。
|
|
45:43
B: ええ、物理的と精神的に、です。
|
|
45:45
K: すっかり、ね。私は、物理的にそれが 必要であると、認識します - 幾らかは、ね。
|
|
45:50
B: でも、それは物理的に、やられすぎている。
|
|
45:53
K: もちろんです。何でもやりすぎが、ありえます。
しかし、心理的に、それを悟るには、
私はどう、それに取りかかるのか。
私は、蓄積してきました。
幾千年もの間、蓄積してきました -
一般と特定、です。
それはずっと習慣でした。
私は、どうやって、習慣を認識するだけではなく、
習慣を認識するとき、
その動きは、どうやって、終わりになりますか。
それが本当の問いです。
|
|
46:38
B: ええ。
|
|
46:43
K: 智恵は、これらの中で、 どこで役割を、果たしますか。
私が言っていることに、 付いてきておられますか。
|
|
46:51
B: これを見るには、 智恵がなくてはいけませんね。
|
|
46:55
K: それは智恵ですか。
それは、いわゆる普通の智恵、知性ですか。
または、智恵は、何か全然違ったものですか。
|
|
47:05
B: ええ。人々がいう智恵が、ふつう 何を意味しているかを、私は知りませんが、
それが単に、能力だけを意味しているなら・・・
|
|
47:12
K: 判別できる、区別できる、
B: それらです。論理を使える。
|
|
47:17
K: ・・・技術的な問題、経済的な問題を 解決できる能力、などなどなど、です。
|
|
47:18
私はそれを、部分的な智恵と呼ぶでしょう。 それは本当の・・・
|
|
47:26
B: それは、思考の技能と、呼べるでしょう。
|
|
47:27
K: 思考の技能。いいですよ。思考の技能。
でも、智恵は - ちょっと待ってください。
それが、私が見出そうとしていることです。
私はこれを悟ります - 蓄積、分割、安全、
一般と特定、思考。
私は、それらの道理、それらの論理が、 分かります。
しかし、論理、道理と説明は、 そのものを、終わらせません。
もう一つの性質が、必要です。
その性質が、智恵ですか。
私は、しばらくの間、洞察より、 離れようとしています。
B: その言葉をあまりに反復しすぎないように。
|
|
48:19
K: しすぎないように。
|
|
48:25
智恵は、思考と連係していますか。
|
|
48:39
B: あなたが言われる「連係」という言葉が、 どういう意味かを、私たちは知りません。
|
|
48:42
K: それは、関係していますか。 それは、思考の一部ですか。
それは、とても明らかで精密、正確で論理的な
思考の結論から、出てきたものですか。
|
|
48:56
B: いいえ。それはやはり、 もっともっと多くの技能でしょう。
|
|
48:59
K: 技能ね。ええ、私は同意します。
|
|
49:02
B: 少なくとも、私たちは、智恵は違った 性質であると、提案しています。K: ええ。
|
|
49:11
K: その智恵は、愛に関係していますか。
|
|
49:18
B: それらは伴うと、私は言うでしょうね。
|
|
49:21
K: ええ。私はゆっくり動いて、 それへ入ろうとしています。
そうね、私はすでに・
・・私は、今朝私たちが 議論してきたことすべてを、悟ります。
私はすでに、出口のない壁、堅固な壁に、 来ています。
私は越えて行けません。
観察する、見つめる、あさる中で、
私は、この言葉「智恵」に、出くわします。
私は、いわゆる思考の智恵、技能とそれらは、
智恵でないことが、分かります。
で、私はさらに訊ねています -
この智恵は、愛と連係や関係していますか。
その一部ですか。
愛を蓄積することはできません。ですね?
|
|
50:28
B: 人々は、しようとするかもしれません。
|
|
50:30
K: それは、バカげて聞こえます!
|
|
50:32
B: 人々は、愛を保証しようとします。
|
|
50:35
K: それはすべて、 ロマンチックな戯言、映画のものです。
愛を蓄積することは、できません。
それを、憎しみ、それらと 連係させることは、できません。
で、それは、全然違った何かです - あの愛は。
あの愛は、智恵を持っていますか - そのとき、 それが作動する。
付いてきていますか。
そのとき、それが、壁を破ってしまう。 どうでしょうか・・・
|
|
51:21
B: ええ。
|
|
51:36
K: いいですよ。もう一回、始めましょう。
私は、あの愛が何なのかを、知りません。
私は、物理的な欠片すべて、それらを、 知っています。
私は、楽しみ、欲望、蓄積、思い出、映像は、 愛でないことを、悟ります。
それらを、私ははるか昔に、悟りました。
しかし、私は、この壁が甚大であり、
それを飛び越えもできない地点に、来ています。
で、私は今、あさっています -
人が作った動きでない、違った動きが、
あるのかどうかを、見るため、です。
その動きは、愛なのかもしれません。
その言葉を使うのは残念ですが、 当分の間、それを使いましょう。
なぜなら、その言葉は、台無しにされ、 誤用されてきたからです。
B: あなたは、愛は動きである、と仰っていますね。 感情だけでない、と。
|
|
52:39
K: ええ、ええ。
|
|
52:42
B: それには、感情が関与するかもしれないが、 それは感情ではない。K: それは何の関わりもない。
|
|
52:45
K: で、智恵をともなった愛 - それは、
|
|
52:51
この壁を破ってしまうか、解消するか、 壊してしまう、要因でしょうか。
「私はあなたを愛している」、「あなたは 私を愛している」ではない。
ですね?
それは、個人的や特定ではない。それは、一般や 特定ではない。それは、越えた何かです。ですね?
|
|
53:25
B: ええ。それが論点です。
もちろん、人の背景の、もう一つの部分は、
愛を、特定化することです - 特定の物事や個人に、です。
|
|
53:40
K: あの智恵をもって愛するとき、
それは、全体を覆うと、思います。
それは、特定や一般ではない。
それは、あれです!
それは光です。
それは特定の光ではない。
いいですよ。
すると、 それが、私の前にある壁を、
壊してしまう要因であるなら、
そのとき・
・・ 私は、あの愛を知りません。
人間として、私は、一定の点に到ったが、
それを越えて行き、あの愛を見つけることが できません。
私は、何をするのでしょうか。
何が・
・・ するとか、しないとか、ではない。
私の精神の状態は、何でしょうか -
壁のこちら側のどの動きも、
やはり壁を強めていると、 悟ったときに、です。
ですね?
で、私はそれを悟ります。
そして、 冥想や何でもすることをとおして、
何の動きもない。ですが、 精神は、それを越えて行けません。
|
|
55:09
しかし、あなたは、やってきて、 こう言います -
「ほら、あなたが、智恵をともなった あの愛の性質を、持つなら、
あの壁は解消できる、壊してしまえる」と。
私は、「すばらしい。
でも、私は、 それが何かを、知りません!」と言います。
私は何をするのでしょうか。
私は何もできません。私はそれを悟ります。
何でも私がすることは、やはり、 壁のこちら側の内に、ある。ですね?
|
|
55:45
で、私は絶望していますか?
明白にそうではない。
なぜなら、 私は、絶望したり、憂鬱であるなら、
やはり、同じ分野で、動いているからです。
で、そのすべてが、止まったのです。
私はとうてい何もできないこと、 どの動きも、だと、悟って、
私の精神に、何が起きますか。
私が訊ねていることへ、 付いてきておられますか。
それは正しいですか。
それは相当に論理的だと、私は思います。
私は、自分が何一つ、 できないことを、悟ります。
いいですか?
で、私の精神は、蓄積するよう、なるよう、
いつも動いてきましたが、 その精神の性質へ、何が起きたのか -
そのすべてが、止まったのです。
私は悟った瞬間、できません・
・・ 何の動きもない。ですね?
それは可能ですか。
または、私は 幻影の中に、生きていますか。
または、私は、あの点へ来るために、 本当にこれらを、通りぬけてきましたか。
または、私は突然に、 「私は静かでなければならない」と言いますか。
それが伝わっているのかどうか、 私は知りません。
|
|
57:19
B: ええ、それは理解できます。 それは、同じ過程の一部です。
|
|
57:21
K: 同じ過程の、ね。 B: 過去から投影するんです。
|
|
57:24
K: で、私の精神は・・・
|
|
57:27
私の精神に、革命がありますか。
その動きが、完全に止まってしまった、
という意味での、革命です。
止まったのなら、愛は、壁を越えた何かですか。
|
|
58:09
B: それは、何をも意味しないでしょう。
|
|
58:11
K: もちろんです。するはずがない。
|
|
58:13
B: 壁自体が、過程の産物であり・・・ K: そのとおり。
B: ・・・それは幻影です。
|
|
58:18
K: いいですか。それで、私は、
壁はこの動きであると、悟っています。
で、この動きが終わるとき、
智恵のあの性質、愛などが、そこにある!
ですね?それが、論点全体です。
|
|
58:45
B: ええ。その動きは終わる、と 言えるのでしょうか。
その動きは、自らが 何の意味もないことを、見る。
|
|
58:56
K: それは、危険を見ることについては、 いわゆる、技能を持っています。
|
|
59:05
B: まあ、そうかもしれません。
|
|
59:07
K: ええ。どの危険も、一定量の気づきを、 要求します。B: ええ。
K: しかし、私は人間として、蓄積過程が、
ものすごい危険である、と悟ったことがない。
B: ええ、それは、安全の本質だと見えるからです。
|
|
59:23
K: もちろんです。その他すべてです。
|
|
59:28
K: あなたがやってきて、それを私へ指摘します。
私は、よく気をつけて、あなたに聞いています。
私は実際に、それの危険を知覚します。
知覚は、愛の一部なのでしょう。ああ、 私はそれに、取りかかろうとしています。
|
|
59:59
B: あなたは、愛はエネルギーの 一種だと、提案なさっています
- それは、特定でも、一般でもない。
そして、それは瞬間的に、 一定の物事を包み込むかもしれない、と。
|
|
1:00:13
K: で、どんな動機もなく、方向等もない知覚、
私の・
・・この蓄積の動きにより
生じさせられてきた壁への知覚 -
それへの知覚こそが、智恵と愛です。
ですね?
私たちは止めたほうがいい。 十二時半です
|
|
1:00:47
B: いいです。
|
|
1:00:55
K: 私たちは、つづけるべきでしょうか。
|
|
1:00:57
B: あなたはどう、感じられますか。 たぶん、止めるのが一番いい。
|
|
1:00:59
K: 止めたほうがいい。私たちは、或る点に来ました。
私たちはいつ、また会いますか。
|
|
1:01:06
B: 二日後、木曜日です。
|
|
1:01:10
K: よろしいです。
|