OJBR80CB15 - 人間の問題は、解決できるのか

ディヴィッド・ボームとの会話、第15回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年9月27日
テキストのみのバージョン
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0:31
K: 私は、先日私たちが 話していたことについて、
議論、対話したいと思います。
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0:46
私たちは、ほとんど どのテクノロジーの問題をも
解決できる精神を、養成してきました。
見たところ、人間の諸問題は、けっして 解決されたことがありません。
人間たちは、自らの問題に、溺れています -
疎通、伝達の問題、知識の問題、
関係の問題、天国と地獄の問題。
人間存在全体が、広大な複雑な問題に なってきましたね。
見たところ、歴史をとおして ずっと、このようだったのです。
人は、自らの知識にもかかわらず、
自らの幾世紀もの進化にもかかわらず、
諸問題より、けっして自由でなかったのです。
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2:03
B: ええ。本当は解決不可能な諸問題より、です。 解決不可能な諸問題より、と私は加えましょう。
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2:09
K: 人間の諸問題は解決不可能なのか どうかを、私は問います。
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2:14
B: 今、それらが出ているようには、です。
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2:17
K: もちろんです。今、これらの問題は、 とても複雑になり、
信じがたく解決不可能になってしまいました - 物事のありようでは、です。
どの政治家、科学者、哲学者も、 それらを解決しようとしていません -
戦争などをとおして、以外は、です。
彼らの 誰一人として、それらを解決できません。
で、世界中で、人間たちの精神は、なぜ・
・・
人間の、日々の生の問題を、 解消することができなかったのか。
完全に、これらの問題を解決するのを、
阻止するものは、何でしょうか。
私たちは、自らの精神を、けっして それへ向けたことがない、ということですか。
なぜなら、私たちは、日々のすべてと、 たぶん夜の半ばを、テクノロジーの問題について
考えることに、使うからです。そして 私たちは、他への時間を持たないのですか。
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3:31
B: それは、その一部だけです。 多くの人々は、
他はそれ自体の世話を するはずだ、と感じます。
私が思うに、彼らは、これらの問題へ、 たくさんの注意を向けません。
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3:42
K: なぜですか?なぜですか?
私はこれに、かなり関心を持っています。
なぜなら、
このような学校において、または、 私たちが話をする人々すべてについて、
人間の問題は、常に 留まっているからです。
私は、この対話において、 問うています、訊ねています -
問題を、まったく持たないことは、 可能なのかどうかを、です。
人間の諸問題を、です。
テクノロジーの問題は 別です。それらは、解決できます。
しかし、人間の問題は、解決不可能に 思われます。
なぜですか?
それは、私たちの教育ですか。
それは、私たちの根深い伝統ですか -
私たちが物事を、ありのままに 受け入れる、ということは。
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4:56
B: ええ、それは確かに、その一部です。
文明が古くなるにつれて、 これら問題は、蓄積します。
人々は、物事を受け入れつづけますが、 それは、問題を作ります。
例えば、今、世界には、かつて あったのより、はるかに多くの
国家、民族があり、各々が、新しい問題を 創り出します。
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5:21
K: もちろんです。
B: もし、一定の時期へ遡るなら・
・・
K: あらゆる、つまらない小部族が、 国家になります。
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5:25
B: ええ、それから彼らは、その隣国と 闘わなければなりません。
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5:28
K: もちろんです。彼らは、互いに 殺し合うための、このすばらしいテクノロジーを、
持っています。
でも、私たちは、 人間の問題について、話しています
- 関係の人間的な問題、 自由の欠如の人間的な問題、
常の不安定、恐れのこの感覚。
そうね、人間的な格闘、
余生の間、生計のために働くこと。
それは、とてつもなく間違って見えます - 全部が、です。
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6:06
B: ええ。人々は、それを 見失ってしまったと、私は思いますね。
一般的に言って、彼らは一種、状況を、 ありのままに、受け入れます -
彼らはその中に、自分自身を見つけます。
それをできるだけ役立てようとし、
幾つかの小さな問題を、解決しようとします - 自分の状況を改良するために、です。
彼らは、この大きな状況全体を、 あまり真剣に、見ようとしないでしょう。
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6:28
K: 宗教的な人々は、人にとって、 ものすごい問題を、創り出してきました。
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6:33
B: ええ。彼らもまた、問題を 解決しようとしています。
あらゆる人が、しばしば、自分の 小さな断片を、持っています - 何でも自分が
解決できると思うものを、解決するものを、です。 それはすべて、加わって混沌になる。
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6:46
K: それが、私が言っていることです。 私たちは、人間として、混沌の中に生きます。
私は、自分が唯一つの問題もなく、
余生の間、生きられるのか どうかを、見出したい。
それは、可能ですか。
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7:09
B: 私たちはこれらのことを、問題と 呼ぶべきなのかどうかとも、思われます。
問題は、何か合理的に、解決可能で なくてはいけないものでしょう。
一定の結果をどう達成するかの、 問題を立てるなら、
それは、あなたが、そうする道を、合理的に 見つけられるだろうことを、前提としますね。
いいですか?
テクノロジー的に、です。 さて、心理的に、
問題は、そのように見つめられません -
達成する結果を提起し、 それから、それをする道を、見つけるように、です。
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7:42
K: これらの根は、何ですか。
これら人間的混沌の原因は、何ですか。
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7:52
B: 私たちは、長い間、これについて、 議論してきました。
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7:58
K: 私は、違った角度から それへ、来ようとしています -
問題に、終わることが、 あるのかどうか、です。
そうね、個人的に私は、 問題を持つことを、拒絶します。
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8:34
B: 誰かが、それについて、 あなたと論争するかもしれません -
あなたは、何かで挑戦される かもしれない、と言って、です。
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8:41
K: それは問題ではありません。 私は、先日、
きわめて深刻なことについて、 挑戦されました。
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8:47
B: それは、明瞭化の事柄です。
困難の一部は、言語の明瞭化ですからね。
K: 言語だけではなく・・・
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8:56
B: その裏にあるすべての、です。
K: ええ。
言語だけではない。 それは、関係と行為の問いです。
先日、一定の問題が、生じました。
それには、たくさんの人々などが、 関与していて、
一定の行為を、 取らなくてはいけませんでした。
私個人にとって、それは問題ではなかった。
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9:24
B: あなたが仰る意味を、 明らかにしなくてはいけません。
なぜなら、私は、実例なしでは、 知りませんが・・・
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9:29
K: 私がいう「問題」とは、 何か解消されなくてはいけないもの、
何か、気を揉むもの、 何か、果てしなく関心を持ち、
問い、答えるもの、という意味です - 疑い、不確実であり、
或る種の行為を取る。その終わりには、後悔する。
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9:46
B: 技術的な問題から、始めましょう -
そこで初めに、問題の観念が、生じました。
あなたは、挑戦を受けます。
何かが、されなくてはいけません。
K: 絶対に、です。
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9:57
B: あなたは、それは問題だ、と言いますね。
K: ええ、それは一般的に、問題と呼ばれます。
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9:59
B: 問題(プロブレム)という言葉は、
何か可能な解決案を出す、 それから、それを達成しようとする、
という観念に、基づいていますね。
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10:07
K: または、私は問題を持っていますが、 それをどう取り扱うべきかを、知りません。
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10:11
B: それは二番目です。 あなたは、問題を持っていて、
それをどう取り扱うかの観念を、 持っていないなら・・・
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10:17
K: それで、私は、人々に訊ねてまわり、
ますます混乱します。
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10:23
B: それはすでに、技術的な問題の 単純な観念からの、変化です -
技術的なところでは、ふつう、 何をすべきかの概念を、何か持っていますね。
K: 私たちは持っているかなと、思われます。
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10:35
B: 何ですか。技術的な問題ですか。
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10:36
K: 技術的な問題は、相当に単純です。
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10:38
B: それらはしばしば、 挑戦を、もたらします -
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10:42
とても深く行き、自分の観念を 変化させることを、必要とするものを、です。
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10:48
K: ええ。それが、私が 取りかかろうとしていることです。
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10:51
B: 技術的な問題さえも、 そうなるかもしれません。
しかし今、技術的な問題のために、 あなたはこう言うでしょう -
「私は一般的に、それを解決するために、 何をすべきかが、分かります」と。
例えば、食料の不足がある。
一般的に、しなくてはいけないことは、
もっと多くの食料を生産し、 そうする手段を見つけることです。
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11:08
K: 私たちは、それをできます!
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11:10
B: ええ。また私たちは、全面的に新しい アイディアなどを、発見できるかもしれません。
今、私たちは、心理的な問題を、持っています。
私たちは、同じことをできますか。
K: ええ、それが論点です。
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11:18
B: ええ。
K: 私たちは、どのように このものを、取り扱いますか。
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11:28
B: どんな種類の問題について、 私たちは議論しましょうか。例えば・・・
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11:32
K: 人間的な問題です。
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11:33
B: どんな種類の問題ですか。
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11:35
K: 人間関係において生ずる、どんな問題でも。
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11:39
B: 人々は合意できない、としましょう。
彼らは常に、互いに闘いますね。
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11:44
K: ええ。とても単純なこととして、 それを取りましょう。
ここ(学校)での、一団の人々との、 私たちの議論において、
ともに考えること、 同じ見通し、同じ態度を持つことは、
ほぼ不可能なように、思われます -
互いにまねをしあうのではなく、
通常で、健康的に思われる態度、です。
各人物が、自分の意見を押し出すし、
彼は、他の人により、反論されます。
で、これが、世界とここで、 いつの時も、つづいています。
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12:30
B: いいですよ。 さて、私たちは、私たちの問題は、
ともに働くこと、 ともに考えることだ、と言いますね。
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12:36
K: ええ、ともに働く、ともに考える、 ともに協働することです -
そこに金銭問題が、 関与することなしに、です。
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12:48
B: それは、もう一つの問いですね -
人々は、多く支払ってもらうなら、 ともに働くだろう、ということです。
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12:54
K: もちろんです。それが 起きつつあることは、見られます。
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12:56
B: しかし、これが私たちが望むものでない 状況を、与えられると、
私たちは、問題を持っています。
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13:01
K: ええ、そのとおりです。さて、私たちは、 そういう問題を、どのように解決しますか。
私は、自分の意見を提示します。
あなたは、提示します。彼など、
私たちのみんなが、意見を提示しています。
それで私たちは、まったく 互いに出会いません!
B: ええ。
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13:21
K: で、私たちは何を、するのでしょうか。
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13:22
自分の意見をあきらめることは、 ほぼ不可能に思われます。
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13:28
B: ええ、それは、困難の一つです。 もし、あなたが、
「自分の意見をあきらめることが、 私の問題です」と言うなら、
それは、意味をなしません。
そういうわけで、言おうとしていたのですが、それを 問題と見做せるのか、私は確かではありませんね -
「自分の意見をあきらめるために、 私は何をしようか」と言って、です。
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13:47
K: ええ、もちろんです。でも、それは事実です。
で、それを観察して、
私たちはみんな、ともに まとまるべきだとの必要性を、見ると、
これが、他の人たちへ出されるとき、 それは、彼らにとって問題になる。
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14:09
B: それは、人々は、意見をあきらめるのは、 難しいと見るからです。
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14:13
K: そうなんです。意見、 予め構想された観念、彼ら自身の経験、
彼らの結論、彼らの理想、信念、
そうね、それらを、です。
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14:22
B: それすら、その瞬間には、意見のように思われない かもしれなくて、真理のように感じます。
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14:25
K: 彼らはそれを、事実と呼びます。 B: 事実や真理だ、と。
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14:27
K: で、私たちは何を、するのでしょうか。
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14:28
あなたは、それが重要である、と 分かるなら -
人間たちが、ともに働くことが、です。
何か理想のため、何か信念のためや、
何か神のため、何か原理のためではなく、
ともに働くことの重要性、必要性が、です。
つまり、国際連合で、彼らはともに 働いていません。
B: ええ。
K: インドでは、彼らはともに働いていません。
どの国のどの人々も、ともに働きません。
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15:18
B: ええ。さて、或る人々は、こう言う かもしれませんね - 私たちは、意見だけでなく、
自己利益をも持っている。
それは、とても類似している、などとです。
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15:28
K: それらです。それは問題になる。
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15:33
B: それは、問題と呼ばれますね。二人の人々が、 異なった自己利益を、持っているなら、
彼らがそれを維持するかぎり、私の見るところ、
彼らがともに働ける道は、何もないですね。
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15:46
K: 同意します。でも、仮に、 この(学校の)ような場所だ、とします -
そこには、人々の集団がいるし、
私たちがみんな、ともに働くことが、重要です。
B: ええ。
K: たとえ、小さな村、小さな国、何であっても、 私たちはみんな、ともに働かなければなりません。
見たところ、それはほぼ、 信じがたいほど困難になるんです。
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16:09
B: ええ。さて、あなたはどのように、 これに割って入りますか。
K: それが、私が議論したいことです。
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16:13
B: いいですよ。それについて、議論しましょう。
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16:20
K: あなたがそれを、私へ指摘してくれるなら - 私たちは、ともに働かなければならないことを、です。
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16:26
そして、その重要性を、私に示してくれる。
私もまた、それが重要だと、分かりますが、 私はそれができません!
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16:45
B: それが、論点です。それが重要だと見て、
そうしたいとの意図を 持つことさえも、十分ではないです。
ふつう、私たちが、「私は重要性は分かるし、
私はそうしたいとの意図を、持っている」と 言うとき、私は行って、そうします。
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16:58
K: でも、私はそれをできません!
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16:59
B: で、ここで、新しい要因が、入ってきます -
或る人物は、何かが重要だと分かり、
彼は、そうしたいと意図するが、それをできない。
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17:06
K: それは、彼に、問題を創り出す!
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17:08
B: ええ。そして、あらゆる人に、です。 K: ええ、あらゆる人に、です。
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17:10
B: でも、そのとき、なぜ私たちは、 自らの意図を、果たせませんか。
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17:13
重要性が分かり、 私たちはそうしたいことを、知り、
けれども、私たちはそれができない。 それは、謎めいて見えます。
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17:21
K: それには、多くの理由を示せます。
ですが、それら原因と理由と説明は、
その問題を、解決しません。
その主題を、解決しません。
何が、人間・
・・ 私たちは、同じことへ戻ってきます。
何が、人間精神を、変化させるのでしょうか。
それが必要であることは、見えるけれども、
能力がないとか、進んで変化しようとしない。
ここには、どんな要因が、必要ですか。 何か新しい要因が、必要です。
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18:01
B: ええ。それは知覚だと、私は感じます -
何であれ、その人物を保って、 変化するのを阻止しているものを、
観察する能力だ、と。
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18:14
K: では、新しい要因は、注意ですか。
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18:21
B: ええ。それが、 私が言おうとしたことです - 注意です。
でも、そのとき、人々の集団の中で、 これへ、割って入ろうとするのなら、
あなたがいわれるのは、 どういう種類の注意ですか。
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18:33
K: 私たちは、それについて議論できます - 注意とは 何なのか。私たちは、それについて議論できます。
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18:37
B: それは、異なった人々にとって、 多くの意味を、持っているかもしれません。
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18:40
K: もちろんです。明白に、いつものように・・・ 注意について、多くの意見です。
私たち、あなたと私は、注意とは何かを、 見られるのでしょうか。
誰かが書いて、今朝、手紙が来ました。
その中で、その人物は、こう言います -
「注意があるところ、問題は何もない。
不注意があるところ、 あらゆることが生ずる」と。
さて、注意を問題に変えることなく、
私たちがいうそれは、どういう意味ですか。
それで、私がそれを理解するように、です 。
言語的にでなく、知的にでなく、 深く、私の血潮に、
注意の本性を、理解する -
そこには、何も問題がけっして 存在しえないものを、です。
明白に、それは集中ではない。
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20:17
B: ええ。私たちはそれへ、入ってきました。
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20:20
K: 私たちはそれへ、入ってきました。 明白に、それは、
注意深くあるための尽力、経験、格闘ではない。
ですが、あなたは私に、注意の本性を、 示してくれます - すなわち、
注意があるとき、 そこから私が注意をする中心は、何もない。
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20:49
B: ええ。でも、それは困難なことです。
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20:51
K: もちろんです。それを、 問題にしないようにしましょう。
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20:54
B: ええ。でも、私たちは長い間、 それを、試してきました。
まず第一に、注意というのが、 どういう意味かについて、
幾らか困難がある、と思うのです。
なぜなら、思考の内容自体は、 或る人物が、それを見つめているとき、
彼は、自分は注意していると、 考えるかもしれないからです。
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21:16
K: いいえ。その注意の状態には、 何も思考がありません。
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21:19
B: ええ。でも、すると、どのように 思考を止めますか、と。
考えがつづいている間、 注意の印象が、ありますが、
それは、注意ではないですね。
自分は注意を払っている、 と考えます。思います。
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21:36
K: いいえ。自分は注意を払っていると思うとき、 それは、注意ではありません。
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21:43
B: ええ。でも、それが、しばしば起きることですね。 では、私たちはどうやって、
注意の真の意味とは何かを、 伝達しようとしていますか。
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21:51
K: またはあなたは、こう仰るのでしょうか - 注意とは何かを、見出すには、
私たちは、不注意とは何かを、議論 できるでしょうか、と。
B: ええ。
K: 否定をとおして、肯定へ来る。
私が不注意であるとき、何が起きますか。
私が不注意であるとき・・・
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22:23
B: あらゆる種類のことが、起きます。
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22:28
K: いえ。それよりはるかに多い。 私の不注意さにおいて
- 「不注意さ」といった言葉が、 あるとして、ですが -
私はさびしく、絶望的で、憂鬱で、 心配だ、などと、感じます。
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22:46
B: 精神は、壊れはじめ、混乱へ入ります。
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22:50
K: 断片化が、起きます。
または、私は、自らの注意不足において、
自分自身を、他の多くの物事と同一視します。
B: ええ、それもまた、楽しいのかもしれません。
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23:03
K: もちろんです。それはいつも楽しい。
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23:06
B: まあ、でも、それはまた、 痛いのかもしれません。
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23:08
K: 私は後で、楽しかったことが、 痛みになることを、見つけます。
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23:11
で、それらが、中に注意がない動きです。
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23:21
ですね?
私たちはどこかへ、着こうとしていますか。
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23:38
B: 分かりません。
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23:42
K: 私は、注意はこれらへの 真の解決であると、感じます。
本当に注意深い精神 -
不注意の本性を理解してしまい、
それより動いて、離れたものは、です。
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24:07
B: すると、不注意の本性は、何ですか。
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24:10
K: 不注意の本性ですか。
怠惰、怠慢、
この自己関心、この自己矛盾。
それらが、不注意の本性です。
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24:33
B: ええ。でも、自己関心を 持っている人物は、
自らは、自分自身の関心事に、 注意していると、感じるかもしれませんね。
彼は、「私は問題を持っている。私は、 それらへ注意を払っている」と、感じます。
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24:46
K: ああ、あなたがそれを、どう 使っているのかが、分かります。全くです。
私に自己矛盾があって、
そのとき、自己矛盾にならないために、
私がそれに注意を払うなら、 それは、注意ではありません。
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25:03
B: ええ、あなたは、それを明らかにできますか。 ふつうは、それが注意だと、考えるかもしれないからです。
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25:07
K: いいえ。それは単に、思考の過程です -
「私はこれだ。私はあれでなければ ならない」と言うもの、です。
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25:18
B: あなたは、なろうとするこの試みは、 注意ではない、と仰っています。
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25:24
K: ええ、そのとおりです。そうなんです。 心理的に、なることは、不注意を、生み育てます。
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25:36
B: その人物は、自分は何かに 注意していると、考えるかもしれませんが、
彼は、この過程に従事しているとき、 そうしていない。
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25:46
K: なることから自由であることは、 とても困難ではないですか。
それが、その根なのでしょう。
B: 何から自由ですか。
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25:54
K: なることから。なることを、終わらせる。
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26:00
これで、何かが伝わりますか。 来て、私たちに加わってください。
私たちは、どこかに着こうとしていますか。
または、私たちは、円を ぐるぐると回っていますか。
ほとんどの人間は、何らかの種類の 問題を、持っています。
解決できる、テクノロジー的な 問題は、別として、
見たところ、人間的な問題は、 解決可能ではありません。
私は、なぜか、と言います。
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26:42
B: 私たちはちょうど、それに答えましたね。
なぜなら、彼らは本当は、それらに、 注意を払っていないからです。
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26:46
K: いいえ。でも、そのとき、 注意を払うことが、問題になる。
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26:49
B: そうなるのは、知っています。 でも、私は、注意は何もない。
そういうわけで、これらの問題が あるのだ、と言っています。
K: ええ。そのときあなたは、それを 指摘しますが、それは、問題になる。
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26:54
B: ええ。
K: 私はどうやって、注意深くすべきか、と。
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27:01
B: ええ。問いは、それを止めることです。
困難は、精神がいたずらをする、 ということですね。
これを取り扱おうとする中で、 それはまたもや、まさに同じことを、します。
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27:14
K: もちろんです。 それで、戻ってきましょう。
精神は、知識、自己の重要性、自己矛盾、
その他すべてに満ちていますが、 その精神、
人間の精神は、それ自体を 見つける地点に、来たのです -
心理的に、自らは動けない、と。
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27:45
B: ええ、動くところが、どこにもない。
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27:51
K: で、何ですか。
その点へ来た人物へ、私は、 何と言うのでしょうか。
私は動いて行っているのかと、思われます。 私たちはそうではないですか。
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28:11
B: それは、問いへ焦点を、 合わせはじめていると、私は思いますね。
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28:20
B: どうぞ。K: 私は、あなたへ来ます。 私は、この混乱、心配と、絶望感に、
満ちています。
世界のありさまに、 向き合うだけではなく、
また、私自身の中でも、です。
私は、その点へ来ます。
私は、それを突き破りたいと、思います。 で、それは、私にとって問題になります。
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28:48
B: ええ、そのとき、またもや、 なろうとの試みが、ある。
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28:52
K: ええ。それが、私が 取りかかりたいことです。
で、それが、これらの根でしょうか - この、なりたいとの欲望が。
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28:59
B: ええ、それは、根に近いに ちがいありません。
それは、予告なく、入ってきつづけます。
不注意は、そうなので、あなたは、 「私は自分の問題を見つめているし、
私の問題はいつも、なることです」 と言うのです。
それで、私は、「私は、なるのを止めたい」 と言う。
それはまたもや、不注意です。
K: それはまたもや、問題になる。
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29:18
B: そのとおりです。
K: で、私は、なる動きなしに、 どのように、私自身の
この複雑な主題全体を、見做すとか、 見つめますか。
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29:35
B: 全体を見つめなくては いけないと、思われますね。
「私はどうすれば、注意を 払えますか」と言ったとき、
私たちは、 なることの全体を、見つめなかった。
その一部は、すり抜けるように思われて、 観察者になりましたね。
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29:52
K: ほら、なることは、これの呪いだったのです
- 心理的に、呪いです。
貧しい者は、豊かになりたい。
豊かな者は、もっと豊かになりたい。
それは、この、いつの時も、
なってゆく動きです - 外的にも、内的にも、です。
それは、大変多くの痛みを、そして時には、 楽しみをもたらすけれども、
このなること - 心理的に、なる、 充足する、達成するこの感覚は、
私の生を、そうであるすべてに、 してきました。
今、私は、それを悟りますが、 それを止められません!
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30:40
B: ええ。でも、一つのことは、なぜ 私はそれを止められないのか、ですね。
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30:43
K: 少しそれに入りましょう。
部分的にそれは、私は、なる中で、 その終わりに報賞があることに、
いつも関心を持ってきたし、
私はいつも、痛みを回避しているからです - 処罰と報賞です。
その循環に、私は捕らわれています。
それがたぶん、
なぜ精神が、何かになろうと しつづけるかの理由の一つです。
他はおそらく、 深く根づいた心配、恐れです。
私は、何かにならない、 何かでいないのなら、迷っています。
私は不安定で、不安全です。
で、精神は、これら幻影を受け入れてきて、 「私はそれを終わらされられない」と言います。
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31:51
B: ええ。でも、すると、なぜ精神は、 それを、終わらせないのですか。
また私たちは、これら幻影には何の意味もない、と
言う問いへも、入らなくてはいけませんね。
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32:05
K: 私が幻影に捕らわれていることを、 あなたは私に、どのように確信させますか。
させられません - 私がそれを、 自分自身、見るのでなければ、です。
私はそれが、見えません。
なぜなら、 私の幻影は、とても強いからです。
その幻影は、宗教により、家族などなどにより 育まれ、養成されてきました。
それは、精神に、深く根づいているので、
私は、それを手放すのを、拒絶します。
B: すると、それは不可能に思われます。
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32:42
K: それが、起きつつあることです。
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32:45
それが、多数の人々において、 起きつつあることです。
彼らは、「私は、これをしたいが、 できない」と言います。
さて、その状況を与えられると、 何をすべきでしょうか。
それは、説明、論理ですか。
論理での、すべての様々な反駁などなど
- それが、彼を助けるでしょうか。 明白に助けません。
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33:25
B: ええ。なぜなら、それはすべて、 構造へ吸収されるからです。
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33:30
K: 明白に、助けません。 で、次のことは、何ですか。
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33:36
B: 私は問うでしょう - もし彼が、「私は変化したい」と言うなら、
変化したくないとの願いもまた、ありますね。 それはそこにあります。
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33:43
K: もちろんです。 「私は変化したい」と言う人は、
また、精神の裏に、「本当に、なぜ私は
変化すべきなんだ?」を、 隠し持っています。それらは、相伴います。
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33:57
B: ええ。すると、 あなたは、矛盾を持っていますね。
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34:00
K: それが、私がいう意味です - 矛盾です。
私は、この矛盾に、生きてきました。
私は、この矛盾を、受け入れてきました。
B: なぜ私は、それを受け入れたりして きましたか。
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34:07
K: それは習慣であるからです。
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34:09
B: でも、精神は、健康なとき、 矛盾を受け入れないでしょう。
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34:11
K: でも、私たちの精神は、 健康ではありません!
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34:16
私たちの精神は、病気に罹り、 腐敗し、混乱しているので、
たとえ、あなたが、 これの危険すべてを指摘するとしても、
精神は、それを見るのを、拒絶します。
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34:41
で、仮に、私はその立場の人である、とします。
私たちはどうやって、彼が、なることの危険を
明らかに見るのを、助けますか。
そのように表しましょう。
心理的に、なること -
それは、民族、国家との同一視、 それらの事柄を、含意しています。
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35:05
B: または、意見へ取りすがること、です。
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35:07
K: 意見、信念へ、です。 私は経験をしてきた。
それは私に、ものすごい満足を、与えてくれる。
私は、それに取りすがろう。
私は知識を持ってきた。
そうね、それら、です。
あなたはどうやって、私を、そういう人物を、 これらより自由であるよう、助けますか
あなたの言葉、あなたの説明、あなたの論理、
あらゆる物事が、「全くそうだ」と言います。 でも、私は動いて、それから出られません。
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35:44
もう一つの要因があるのか、と思われます
もう一つの伝達の道 -
言葉、知識、説明、報賞に基づいていないものが、 です。
付いてきていますか。
もう一つの伝達の道が、ありますか
- 私たちが、テーブルで短い間、 話していたもの、です。
そうね、そこにもまた、危険があります。
私は、あると思います。
必ずあると、思います -
言語的でなく、分析的、論理的でない
伝達の道が、です。
それは、健全さの欠如を、意味していません。
私は必ず、もう一つの道がある、と思います。
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37:09
B: おそらく、あります。
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37:13
K: さて、あなたはどのように、 私と疎通、伝達しますか -
この罠に捕らわれている私と、非言語的に、です。
それで私が、それを深く掴んで、
それが、他のあらゆる物事を、 破ってしまうように、です。
そういう伝達が、ありますか。
私の精神はいつも、他の一人と 言葉でもって、疎通、伝達してきました -
説明でもって、論理でもって、 分析でもって、です。
強制的なのか、暗示的なのか、などなどです。
私の精神は、それらに捕らわれてきました。
それらを突き破る、もう一つの要素が、 あるにちがいありません。
さもなければ、それは不可能です。
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38:21
B: ええ。で、それは、 聞けない無能力を、突き破るでしょう。
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38:24
K: ええ。聞けない無能力、 観察できない、聞こえない
などの無能力を、です。
違った方法が、あるにちがいありません!
私はかつて、或る人に会いました
- 多くの人たち、です - 或る聖者ととともに
或る場所へ行ったことがある人で、 彼と一緒にいるとき、
彼らは、「私たちの問題すべてが、 解消された」と言います。
ちょっと待ってください。
彼らは、自分の生活へ戻っていくとき - 古いゲームへ戻っている。
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39:13
B: ええ。そこには、何も智恵はなかったですね。
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39:17
K: ええ、あなたは、危険が見えます - あの人、あの聖者は、静かで、非言語的なので、
彼のまさに面前で、彼らは静かに感じます。
私が言っていることに、 付いてきておられますか。
彼らは、自分の問題が 解消されたと、感じます。
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39:36
B: でも、それはやはり、外側からです。
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39:39
K: もちろんです。まさにそうです!
もちろん、そうです - 教会へ行くのに、似ています。
良い、いにしえの教会や、大聖堂の中では、
とてつもなく静かに感じます。
それは雰囲気です。
それは構造です。 そうね、それらです。
まさに雰囲気こそが、あなたを静かにさせます。
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40:04
B: それは、静けさというのは、 どういう意味かを、伝達する、と思います
それは、非言語的な伝達を、伝えます
- あまり深くないですが。
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40:13
K: それは、何でもない! それは、お香に似ています!
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40:17
B: ええ、それは表面的です。
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40:19
K: ええ、全く表面的です。 お香のように、それは蒸発します。
で、私たちはそれらを、脇に押しのけます。
そのとき、私たちは何を、残したのでしょうか。
外的な機関、神や、何か救い主、ではない。
それらを脇に押しのけて、私は、 何を残したのでしょうか。
伝達できる何か、 人間たちが自分自身で築いてきた壁を
突き破るだろう何が、そこにありますか。
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41:23
私たちが、二時間前に、昼食のテーブルで 言いましたように、
それは愛ですか。
もちろん、その言葉は腐敗し、含みがあり、 汚れます。
しかし、その言葉を浄化すること - それは、
これら利巧で分析的なそれらを、 突き破るだろう要因ですか。
それが、欠けている要素ですか。
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42:09
B: 私たちは、それについて 議論しなくてはいけません。
たぶん人々は、幾らか、この言葉に 用心しています。
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42:15
K: ああ、私は、言葉を越えて、用心しています!
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42:17
B: ゆえに、人々は、聞くのへ抵抗するので、
愛へもまた、抵抗するでしょうね。
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42:25
K: もちろんです。
K: そういうわけで、私は、それは かなり危うい言葉だと、言ったのです。
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42:31
B: さて、私たちは、先日にもまた 言っていました -
愛は、智恵を収容しており、 それは気づかいでもある。
私たちがいう愛が、
智恵と気づかいをも収容している エネルギーを、意味したなら・・・
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42:46
K: もちろんです。それを、先日 私たちは、通ってきました。話をしました。
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42:48
B: そのほうが、もっと意味をなしますね。
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42:52
K: さて、ちょっと待ってください。 あなたは、その性質を持っていますが、
私は、自分の悲惨、自分の心配 などに、捕らわれています。
あなたは、その智恵でもって、 透徹しようとしています -
この暗闇の塊に、です。
あなたはどのように、そうするのでしょうか。
それは、作用するのでしょうか。
しないなら、私たち人間は、迷っています!
付いてきていますか。
ゆえに、彼らは、イエス、ブッダ、 クリシュナを、考案してきました -
「彼らはあなたを愛している」と。
お分かりですか。
それは、全く無意味に、表面的で、
戯言になってしまいました。
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|
43:54
で、私は何を、するのでしょうか。
私は、それが要因だ、と思います。
注意、知覚、智恵と愛。
あなたはそれを、私に持ってくる。
私は、それを受け取る能力が、ない。
私は、「それはすてきに聞こえます。
私はそれを感じますが、
私はそれを保てません」と言う。
私はそれを保てません。
なぜなら、私は、この部屋の外へ 出て行った瞬間に、迷っているからです。
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44:47
B: それが、本当に問題です。
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44:49
K: ええ、そうです。それが、本当の問題です。
愛は、何か外側のものですか - 言っていることを、理解されますか -
救い主が外側にある、天国が外側にある、 それらのことのように、です。
しかし、愛は、何か・
・・
- 私はよく気をつけて、 その言葉を、使っています -
何か、私の外側のものですか。
あなたが私に持ってくる、
あなたが、私の中に目覚めさせる、あなたが 贈り物として、私に与えてくれるものですか。
または、それは、私の暗闇の中に、ありますか。
私の幻影、苦しみの中に、
その性質が、ありますか。
明白にありません。ありえません。
B: では、それはどこにありますか。
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46:07
K: まさにそうなんです。
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46:11
それは、あるにちがいない・・・ さて、ちょっと待ってください。
愛は、あなたのや私のではない。
それは、個人的ではない。
それは、或る人物には所属して、 或る人物には・
・・という何かではない。
愛はある。
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46:32
B: これは、重要な点ですね。 議論の一つで、あなたは、
孤立は、どの人物にも所属しない、
それは、何かあらゆる人が見つめられるものだ、 と仰っていましたね。
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46:49
K: ええ。
ところが、私たちは孤立を、 私の個人的な問題と考えがちですね。
K: もちろん、そうではない。それは、 みんなにとって、共通の基盤です。
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46:51
B: でも、それは、手がかりなの かもしれませんね。
なぜなら、誰かが、愛を探していて、
「これが私の愛にちがいない。
あなたはそれを 持っているが、私は持っていない」と言うからです。
それが、考える道筋です。
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47:00
K: いえ、いえ。智恵は、個人的ではありません。
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47:04
B: でも、またもやそれは、私たちの考え 全体に、反しますね。K: 知っています。
B: あらゆる人が、この人物は智恵があるが、 あの人はない、と言う。
私は、智恵の欠如があるなら、それを自分自身で、 取得しなければなりません。
K: もちろんです。
B: で、これは、全部のことへの障壁の 一つなのかもしれません -
すなわち、ふつうの毎日の思考の裏には、
人類のより深い思考が、ある。
私たちはみんな、分割されていて、 これら様々な性質は、
私たちに所属するのか、 私たちに所属しないのだ、と。
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|
47:35
K: 全くです。これらを考案するのは、 断片化した精神です。
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47:40
B: ええ、すべては考案されましたが、 私たちは、それを拾い上げてきました -
言語的に、非言語的に、子どもの頃から、 含意によって、です。
K: 全くです。
B: ゆえに、それは、浸透します。
それは、私たちの思考の、
私たちの知覚の基盤です。
で、これは、問われなくてはなりませんね。
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|
47:58
K: 私たちは、それを問うてきました。 すなわち、
嘆きは、私の嘆きではない。 嘆きは、人間的です。
|
|
48:05
B: ええ。でも、人々はどうやって、 それを見ることになりますか。
なぜなら、嘆きに捕らわれた人物は、 それは自分の嘆きだと、感じるからです。
それは正しいと、思えませんか。
|
|
48:15
K: ええ。それは部分的に、 私たちの教育のせいだ、
部分的に、私たちの社会、 伝統のせいだと、私は思います。
|
|
48:21
B: でも、それはまた、私たちの 考え方全体に、暗示されています。
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|
48:23
K: 考え方全体に。全くそうです。 それで、私たちは、戻ってきます。
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48:27
B: すると、私たちは、それから、 跳び出さなくてはいけませんね。
|
|
48:30
K: ええ。でも、「それから跳び出す」ことが、 問題になります。
すると、私は何をすべきなのか、と。
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48:36
B: でもおそらく、私たちは、 愛は個人的でないし、
愛は、誰にも所属していないことが、 分かります。
他のどの性質も、そうであるように、です。
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48:43
K: 大地は、イギリスの大地や フランスの大地ではない。
大地は大地です。
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|
48:48
B: 私は、物理学での例を、考えていましたよ。
もし、科学者や化学者が、ナトリウムの ような元素を、研究しているなら、
彼は、自分のナトリウムを研究し、 他の誰かは、自分のを研究し、
彼らはどうにか、メモ書きを 比較する、のではない。
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|
49:01
K: 全くです。ナトリウムはナトリウムです。
|
|
49:04
B: ナトリウムは普遍的に、 ナトリウムです。K: ええ。
|
|
49:05
B: で、私たちは、愛は普遍的に愛だと、 言わなくてはいけませんね。
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|
49:08
K: ええ。でも、そうね、私の精神は、 それを見るのを、拒絶します。
なぜなら、私は恐ろしく個人的であり、
恐ろしく「私と、私の問題」、 それらであるからです。
私は、それを手放すのを、拒絶します。
あなたが、ナトリウムはナトリウムだと仰るとき、 それはとても単純です。
私はそれが分かります。
でも、あなたが私に、嘆きは私たちみんなに 共通している、と言うとき、それは・
・・
B: それは、同じ嘆きです。
|
|
49:38
K: ナトリウムは嘆きです!
|
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49:41
B: これは、時でもっては、 できませんが、人類が、
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|
49:43
ナトリウムはナトリウムだと悟るには、 ずいぶん長く掛かりましたね。
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|
49:59
K: で、それが、私が見出したいことです。
愛は、何か、私たちみんなに 共通するものですか。
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|
50:13
B: まあ、それは、存在するかぎりは、 共通でなくてはなりません。
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50:17
K: もちろんです。
|
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50:18
B: それは、存在しないかもしれませんが、 存在するなら、そのようでなくてはいけません。
|
|
50:21
K: それが存在しないことは、 私には確かではありません。
慈悲のように、です - 「私は慈悲深い」でない。
慈悲はそこにある。
それは、何か・・・ 「私は慈悲深い」ではない。
B: 慈悲はナトリウムと同じだと、言うなら、 それは普遍的です。
|
|
50:33
K: 普遍的です。
B: そのとき、あらゆる人物の慈悲は、同じですね。
|
|
50:41
K: 慈悲、愛と智恵。
智恵なしには、慈悲深くありえません。
B: ええ。で、私たちは、智恵もまた 普遍的だと、言います。
|
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50:48
K: 明白です。
B: でも、私たちは、特定の人々の知能を
テストする方法を、持っていますね。
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50:57
K: ああ、いいえ!
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50:59
B: でも、それはすべて、じゃまに なりつつあるものの一部です。
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51:02
K: この分割的、断片的な考え方の一部です。
考えることが、断片的です。
|
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51:10
B: 全包括的な考えが、あるかもしれません。 私たちはまだ、そこに入っていませんね。
|
|
51:15
K: ええ。そのとき、全包括的な考えは、 考えではないと、私は思います。
それは、何か他の要因です。
|
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51:40
B: 私たちが まだ入っていない何か他の活動です。
で、愛が、私たちみんなに共通しているなら、 なぜ私は、それに盲目なのですか。
B: 部分的に精神は、ひるむと、私は思います。
それはただ、 そういう概念の、見方の突飛な変化を、
考慮することを、拒絶しますね。
|
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51:49
K: でも、あなたはちょうど今、 ナトリウムはナトリウムだと、仰った!
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51:53
B: ええ、でも、人々は不安を感じます。 そのための証拠は、たくさん持っていますよ -
あらゆる種類の実験において、築き上げ・・・
|
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52:01
K: 塩は塩です。それが、 イギリスの塩であっても・・・
|
|
52:06
B: ええ。でも、それは、たくさんの 仕事と経験をとおして、築き上げられましたね。
今、私たちはここで、愛について、 それをできませんね。
K: ああ、そうです!それはできません。 愛は知識ではない。
|
|
52:18
B: 実験室へ入っていき、愛は愛だと 証明することは、できません。
|
|
52:25
K: なぜ自らの精神は、きわめて明白な要因を、
受け入れるのを、拒絶しますか。
なぜですか?
それは、手放すことの恐れですか - 私の古い価値、標準、意見、
それらを、手放すことの。 でも、またもや・・・付いてきておられますか。
|
|
52:49
B: たぶんそれは何か、より深いものだと、思います。 それをピン留めすることは、難しいですが、
それは、あれら単純な物事のどれでもない。
あれは、部分的な説明ですね。
|
|
52:58
K: あれは、表面的な説明です。 私はそれを知っています。
深く根づいた心配や、
全的に安全でありたいとの、あこがれですか。
B: でも、それはまたもや、断片化に 基づいています。
|
|
53:19
K: もちろんです。
B: 私たちが断片化していることを、 受け入れるなら、私たちは必然的に、
全的に安全でありたくなるでしょうね。
なぜなら、断片化していると、 いつも危険の中に、いるからです。
|
|
53:31
K: で、それが、その根ですか。
|
|
53:34
全的に安全でありたいとの、 この衝動、この要求、このあこがれですか -
あらゆる物事との私の関係において、 確実でありたい、と。
|
|
53:48
B: ええ。たとえそうでも、或る面で・・・ あなたは、しばしば仰ってきました -
本当の安全は、何もないことに 見つかる、という意味で、
安全への探求は、 合理的でありうるかもしれない、と。
|
|
53:58
K: もちろんです。何もないことに、 完全な安全があります。
|
|
54:01
B: 間違っているのは、安全への要求ではなくて、
断片が安全であるべきとの要求です。
断片はとうてい、安全でありえません。
|
|
54:09
K: それは、各国が、安全であろうとするのに、 似ています。それは、安全ではありません。
|
|
54:12
B: もしも、すべての国々が、まとまったなら、 完全な安全が、達成できるかもしれません。
|
|
54:17
K: もちろんです。 部族主義は、何もないでしょう。
|
|
54:20
B: で、私が思うに、あなたがそれを表すさまは、 まるで、私たちは、
永遠に不安全の中に 生きるべきかのように、聞こえますね。
|
|
54:26
K: いいえ。私たちはそれを、 きわめて明らかにしました。
|
|
54:30
B: 安全を求めることは、意味をなしますが、
私たちは、間違った形で、 それに取りかかっています。
|
|
54:35
K: ええ、そのとおりです。
愛は普遍的であり、個人的でないことを、 あなたはどのように、伝えますか -
個人的達成の狭い轍の中に
完全に生きてきた人に、です。
|
|
55:01
B: すると・・・第一の点は、こうです -
彼は、自らの狭い特異な性格を、 問うのでしょうか。
|
55:10
K: 彼らは、それを問います - 私はこれについて、多く議論してきました -
彼らは、それを問います。
彼らは、それの論理が、見えます。
彼らは、これらの非論理が、見えます。
けれども・・・
面白いことに、これらの事柄で、 とても真剣であった人々は、
生の全体性を、 飢餓をとおし、苦悶をとおして、
見つけようとしてきました - あらゆる種類の道で、です。
彼らは、見つけませんでした。
彼らは、自らが 見つけたと、想像します。
B: それはまたもや・・・
K: つまり、苦悶をとおして、 全体を把握や知覚したり、
全体的であったりできない、ということです。
苦悶は、修練、その他すべてを、 含んでいます。
それらは、ご存じですね。
で、私たちは何を、するのでしょうか。
私は、これらを見るのを 拒絶する兄弟を、持っています。
私は、彼が好きなので、 私は、彼とともに生きてきたので、
彼へ、大きな愛情を持っています。 私は彼に、動いて、そこから出てほしい。
56:48
私は、彼と、疎通、伝達しようと してきました - 言語的に、
時には、非言語的に、身振りにより、 眼差しによって、です。
でも、これらはやはり、外側からです。
おそらくそれが、なぜ彼が 抵抗するかの理由です。
私の兄弟であり、私は彼へ 大きな愛情を持っているので、
私は彼を助けられるなら - 私は、「助ける」 という言葉を、使わないでしょう -
彼自身の中に、この炎を 目覚めさせられることを、指摘する。
それは、彼が私に聞かなければ ならない、という意味です。
またもや、戻っています。しかし、 私の兄弟は、聞くのを拒絶します!
|
57:53
B: 可能でない行為が、幾つか あるように、思われますね。
或る人物が、断片化といった一定の思考に
捕らわれているなら、 彼は、それを変化させられません。
なぜなら、その裏には、他の思考が、 たくさんあるからです -
想定上、彼が知らないものが、です。
K: もちろんです。
B: 彼は、そこで行為をできるよう、 実際に自由ではないですね -
彼を保っておく思考の構造全体のせいです。
私たちは、どこか彼が自由に行為でき、 動けるところを、見つけなくてはいけませんね -
条件づけにより制御されないところを、です。
|
|
58:28
K: で、私はどうやって - 私は、大きな用心を もって、「助け」という言葉を、使いましょう -
兄弟を助けますか。
彼は、自分への私の愛情を、知っています。
彼は、私の・
・・その他すべてに、 気づいています。
これらの根は、何ですか。
私たちは、なることを、言いました - それらは言語的です。
それらは、十の違った形で、説明できます
- 原因、結果と、その他すべてです。
これらを説明した後、彼は、
「あなたは、私を、今いるところに、 取り残してしまった」と言います。
私の智恵、私の慈しみ、愛は、
「私は彼を放っておけない」と言います。
私は、「まあ、地獄に行け」と言って 立ち去れません。
私は彼を、放っておけません。
それは、こういう意味ですか - 私は彼に、圧力を掛けていますか。
|
|
1:00:02
私は彼に、どんな種類の圧力も、 掛けていません
- どんな種類の報賞も、 それのどれ一つとして、です。
ああ、そうだ。
私の責任はこうです -
私は、もう一人の人間を、 放っておけません。
それは、義務の責任、それらの 種類の汚いことではない。
それは、それらを言う智恵の責任能力です。
|
|
1:00:36
B: それは、明らかです - 彼を放っておくなら、
全部のことは、何の意味もないだろう、 ということが、です。
|
|
1:00:47
K: ああ。
B: そのときそれは、断片化へ 戻っていくでしょう。
K: そうね、インドには、そしてたぶん チベット、それらには、或る伝統があります。
いわゆるマイトレーヤ・
ブッダが、います -
自らは、人間たちを解放してしまうまで、
究極的なブッダにならないだろう との誓いを、立てたもの、です。
B: みんなを、ね。
|
|
1:01:12
K: ええ。
|
|
1:01:21
K: その伝統は、何をも 変化させてきませんでしたね。
私は、どうやって・
・・ 自らは、どうやって・・・
彼は、その智恵、その慈悲、 その愛を、持っているなら
- それは、国のや、人物や 理想、救い主のではない。
それら戯言のではなく、 あの清浄さを持っている・
・・
あれは、他の一人へ、伝導できますか。
または、彼とともに生きる、彼へ話をする - それはすべて、機械的になりますね。
|
|
1:02:57
B: この問いはけっして本当に、解決されたことが ないと、仰るのでしょうか。
|
|
1:03:02
K: そう思いますね。 B: そのとおりです。
K: でも、私たちは、それを 解決しなければなりません。
それは、解決されたことがないが、
私たちの智恵は、 「それを解決しなさい!
」と言う。
いや、智恵は、「それを解決しろ」とは 言わないと、私は思います。
智恵は、これらは事実である、 と言います。
おそらく、幾らかの人は、 それを捉えるでしょう。
|
|
1:04:05
B: 私には、本当に二つの要因が、 あるように、思われますね -
一つは、それはすべて意味をなさないことを 示す、道理による準備です。
|
|
1:04:21
K: 全く無意味です。
B: でも、そのとき、そこから、おそらく 幾らかの人は、それを捉えるでしょう。
K: 私たちは、それをしてきました。
あなたは 私に、これらを語りはじめました。
あなたは、地図を きわめて明らかに、広げました。
私は、それを、きわめて明らかに、 見てきました
- すべての河、葛藤、悲惨、混乱、
不安全、なること。
それらが、きわめて、きわめて明らかです。
章の終わりに、私は始まりに、戻っています。
または私は、それを一瞥してきました。
それは、私の渇望になります -
あの一瞥を捉える、それに取りすがる、 それを失わないことが、です。
そのときそれは、記憶になります。
悪夢すべてが、始まります。
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あなたは私に、地図を きわめて明らかに示す中で、また、
それよりはるかに深い何かを、 私に、指摘してきたのです -
それは愛です。
あなたの人物により、 あなたの推理により、論理により、
私は、手探りし、それを追い求めています。
しかし、私の身体、私の頭脳、 私の伝統の重み、
それらが、私を引き戻します。
で、それは、常なる闘いです。
付いてきておられますか。
私は、全部のことが間違っている、 と思います。
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B: 何が間違っていますか。
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K: 私たちが生きているさま、 全部のことが、間違っています。
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B: 多くの人は今までに、それが 分かるにちがいないと、私は思います。
少なくとも、相当数が、です。
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K: 私たちはかつて、 オーハイで話していました -
人は、間違った方へ曲がってしまい、
何も逃げ道がない谷へ、 入り込んだのかどうか、です。
それはありえません。それは、 あまりに憂鬱で、あまりにすさまじい。
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B: それでも、思うのですが、あなたがそう仰るなら、 或る人々は、異議を唱えるかもしれません -
それはすざまじいとの単なる事実から、 それは非真実にはならない、と。
あなたは、なぜそれを非真実だと 感じるかの、もっと強い理由を、
何か仰らなくてはいけないだろう、と 私は思います。
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1:07:03
あなたは、人間の本性に、 何か本当の変化の可能性を、知覚されますか。
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1:07:11
K: もちろんです。さもなければ、私たちは・・・ B: それは無意味になるでしょう。
K: ・
・・猿、機械になるでしょう!
根本的な変化へのその能力は、
何か外側の機関へ、帰属させられますね。
ゆえに、私たちはそれを頼みにし、 そこに迷ってしまいます。
私たちは、誰をも頼みにしないで、
それらより完全に自由であるなら、
その孤独は、私たちみんなに、共通しています - 明らかになっていますか。
B: ええ。
K: それは、孤立ではない。
それは、明白な事実です。
あなたは、これらを見て、 「これはとても醜く、非現実的で、愚かだ」と
言うとき、あなたは自然に単独で・
・・
あなたは自然に一人です。
その一人の感覚は、共通しています。
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1:08:26
B: ええ。
B: ええ、もちろん、さびしさの普通の感覚の中、
各人物が、それは自分の さびしさだと、感じます。
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1:08:33
K: もちろんです。さびしさは、孤独ではなく、 一人ということではない。やれまあ!
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B: 私は思うのですが、根源的な物事すべては、 普遍的だ、と言えるでしょうね。
ゆえに、あなたは、こう仰っています -
精神が深く行くとき、それは、何か 普遍的なものへ、入ってくる。
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1:08:53
K: そのとおりです。
B: それを、絶対、神聖と呼ぼうとも・
・・
K: そのとおりです。
それが問題です
- 精神を、きわめてきわめて深く、 それ自体へ、入って行かせることです。
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1:09:01
B: ええ、今、私に思いついた一つのことは、
私たちが、自らの特定の問題でもって 始めるとき、それはとても浅い。
そのとき私たちは、何かもっと 一般的なことへ、行く。
K: ええ。
B: 一般(ジェネラル)という言葉は、興味深くも 生成する(ジェネレイト)と同じ語源を、持っていますね。
K: もちろんです。
B: 類(ジーニャス)は、 来たるべき生成・世代(ジェネレイション)です。
で、何かもっと一般的なものへ、行くにつれて、
生成されるものの深みへ、行っています。
K: そのとおりです。
B: さて、そのとき、 そこから、さらに先へ行くと、
一般は、やはり制限されている。 なぜなら、それは思考であるからです。
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K: 思考です。全くそうです。 でも、それほど深遠に行くには、
ものすごい・
・・勇気だけではなく、
同じ流れを常に追求する感覚が、 必要とされます。
B: ええ。
思うに・・・すっかり正しくはないが。 それは、「勤勉」と呼ばれるかもしれません。
それはやはり、あまりに 制限されていますね。
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1:10:01
K: ええ。勤勉は、あまりに制限されています。
それは、宗教的な精神と伴います -
それは、行為において、思考において、活動など において、勤勉である、という意味で、です。
でも、それはやはり、制限されています。
それは正しいと、私は思います。
精神が、特定から一般へ、
そして、一般から行けるなら・・・
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B: 絶対へ、普遍へ・・・
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K: ・・・それより動いて、離れる。
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B: 多くの人々は、それはすべて、 とても抽象的であり、
日常生活とは何の関わりもない、 と言うでしょうね。
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K: 知っています。それは、 最も実践的なことです。抽象ではない。
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B: 実は、特定は抽象です。
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K: ええ。特定は、最も危険なものです。
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B: それはまた、最も抽象的なものです。
なぜなら、全体より、抽象することによって、
特定へ到るだけだからですね。
K: ええ、もちろんです。
B: しかし、それは、その一部なの かもしれないと、思います。
そうね、私たちは日常生活で、何か本当に 自分たちに影響するものが、ほしいのです。
私たちは、話をすることに、 我を忘れたいだけではないですね。
ゆえに、彼らは、これらすべての空漠とした 一般論に、興味は持てないと、言います。
K: これらは抽象だ、と。
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B: 抽象だ。私たちは、日常生活の現実的で
確固たる具体的な事実へ、 入ろうとしている、と。
さて、それが日常生活で働かなければ ならない、というのは、真実ですが、
日常生活は、その諸問題の解決を、 保有していません。
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K: ええ。日常生活は、一般的な生です。
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B: 一般と特定です。 K: そして、特定です。
B: でも、そうね、日常生活で生ずる諸問題は、
そこでは、人間的な問題として、 解決できません。
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K: そのとおりです。
特定から一般へ動く。
一般から動いて離れ、さらに深く。
そこにはおそらく、あのものの この清浄さが、ある -
慈悲、愛、智恵と呼ばれるものの、です。
でも、それは、あなたの精神を これへ注ぐ、という意味です -
あなたの心、精神、あなたの全存在が、 ここに、関与していなければなりません。
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まあ、私たちは止めたほうがいい。 五時十五分です。
すみません。
私たちは、 長い間、進んできました。
私たちは、どこかに到ったのでしょうか。
私はそう思います。
B: おそらくそうです。ええ。
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K: そう思います。
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B: おそらくそうです。ええ。 K: そう思います。
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