BR81T4 - 冥想とは何なのか。

公開講話、第4回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1981年9月6日
テキストのみのバージョン
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1:11
これが最後の講話です。
一週間全部、こうも良い天気に 恵まれたことが、うれしいです。
イングランドにしては、 変です!
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1:33
今朝、私たちはともにじっくり 話し合うべきだと思います -
冥想についてだけではなく、
宗教的な生が何であるかに ついても、です。
私たちはまた、ともに考慮すべき です - 美しさとは何ですか。
宗教的な生、美しさと 冥想は、相伴います。
それらは、分離した 状態(ではなく)、
部門化され、分離しておかれる べきものではありません。
で、もしも今朝、私たちが ともに初めに考慮できたなら、
美しさとは何ですか。
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2:50
これは重要な問いであると 私は思います。
美しさは、人が創り出してきた あれらの物事にあるのかどうか
- 絵画、彫刻、詩歌、 文学(にあるの)か、
そして、自然の美しさ、
麗しい夕べ、 明るい星と、
輝く日の光 - 丘、山と谷の 中の沈む夕日の光、
そして、野生の動物、
ここ、この国で私たちは ほとんど彼らすべてを
滅ぼしてしまいました。
彼らは今でも存在しています。
で、私たちはともに 考慮すべきです -
美しさは 絵画や詩歌にあるのか、
または自然にあるのかの 問いを、です。
またはそれは、何か 全面的に違ったものですか。
4:30
顔の美しさ、
詩歌の麗しさ、
日の入りの大きな喜びと、
広い水面と、 飛ぶ鳥と、
木の葉の間のそよ風。
そのすべてが 美しさであるのかどうか。
または、あなたが青空に 聳える山を見つめるとき
- 深い谷と影、
あなたが何か尋常でなく 大きなものを見つめるとき、
自らが持っている問題すべてが この瞬間に拭い去られています。
あなたはその前にいます。
静寂で、静かです。
そこでは、 山の大きな、壮大さが
あなたの自己を 追い払ったのです -
日々の生の問題すべてを ともなった自己を、です。
あの大きな岩があなたの諸問題を 一秒間、追放したのです。
6:17
で、玩具をもらった子どもの ように - 複雑な玩具を、です。
彼はしばらくの間、 それに没頭します。
ついに彼がそれを壊すのか、 それに飽きてしまうまで、です。
で、人間たちもまた山の玩具に 没頭します(占有されます)。
または、サッカーに、です。
または、自らが寺院に入るとき - 世界の寺院、神殿に、です -
そこには一定の静寂の性質と それらが、あります。
それもまた、人間たちが当分の間 彼ら自身を忘れるのを助けます。
その忘れる中で、彼らは 美しいものを堪能します。
一秒の間です。
すなわち、自己がないところ、 美しさがあります。
7:26
その美しさは、映像、 絵画に、ありますか。
モーツアルトやベートーヴェン の協奏曲に、ですか。
または、 キーツの詩に、ですか。
または、自分自身から 全的に自由であり、
世界を見つめることは、 可能ですか。
そのとき、そこには 大いなる美しさが、あります。
そこであなたは何にも没頭して (占有されて)いません。
何かがあなたを 連れ去りません。
または、何かの 壮大さ、荘厳さこそが、
自己を一秒間、追い払う。
問題すべてをともなった その自己の不在が、あるとき、
そのとき、大いなる 美しさが、あります。
何かにおいて、外面的にか 主観的に、ではなく、
自らの生のきわめて 複雑な諸問題です。
それは、自己の問題です - 利己性、苦悶などです。
そのすべてから自由である - 全的に、完全に、です -
そのとき、大いなる 美しさが、あります。
地上の、他のどこにも 見つけられない美しさです
- どの絵画や どの詩歌においても、です。
9:23
で、それは 冥想の一部です。
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9:28
また私たちはともに、じっくり 話し合おうとしています
- 宗教的な生は何ですか。
そして、冥想は何ですか。
私たちは冥想でもって始める べきだと、私は思います。
冥想とは何ですか。
その言葉は、インドから もたらされてきました
- 不幸にも、 ごく最近に、です。
なぜなら、彼らはそれとともに たくさんの体系、方法と、
あらゆる種類の空想的な 想像力豊かな思想と、
様々な種類の思考の投影物を もたらしてきたからです。
禅の冥想があります。
たぶんあなたは、これら すべてのことについて、
聞いたことがあるでしょう。
そしてまた、チベットの冥想、 仏教の冥想、
多様なヒンドゥーの 冥想も、です。
そして、自分の冥想をも 創案できます。
11:01
そして、自らが論理的に 観察でき、見られます
- すなわち、 どの形の課業も、
何度も何度も何度も 反復すること、
一定の言葉、(例えば) アヴェ・
マリアや、
あなたがコインで買って きた何か言葉を、ですが、
それらの言葉を 反復することは、
精神をもっと 鈍くするだけです。
精神や頭脳を、一定の 様式で継続させるのです。
これらすべての冥想は 基本的に
- もしあなたがそれに入って、 それを研究してきたか、
それをしてきた人々へ 話してきたか、
あなた自身がそれを してきたなら、
それらの基礎は、制御です - 思考を制御すること
修練すること、 気づいていること、
大きな努力を 行使することです -
気づいているよう、集中する よう、注意するように、です。
12:48
このすべてには、 意志の行使があります -
あなたがそれを 研究してきたなら、
または、あなたたちの 幾人かが
様々な形の冥想を 実践してきたなら、です。
またあなたが、一定の マントラを反復することにより、
- 良い言葉が 台無しにされました -
いわゆる超越冥想のどれかを やったことがあるなら、です。
これらすべての形、
これらすべての努力、 実践ですが、
それらは、日々の生に どんな関係を持っていますか。
それは逃避の形ですか。
または、何かを 理解しようとか、
何かを経験しようと することですか -
すなわち、そのとき あなたが考える道筋全体を
変更するであろうものを、 です。
そしてそのとき、
あの経験は、自らの生の道を 全的に変更するでしょう。
14:12
すなわち、冥想する
- それが 何を意味しようとも、です -
そのときその冥想が、 どうにか
自らの生きる道筋を 変更するでしょう。
それが、この冥想の問題 全体への一つの接近です。
私たちがなぜそれを問題に してしまったのかを
私は知りませんが、
見たところ、それは 問題になったのです。
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14:53
または、自らの日々の 生に、秩序をもたらす。
何らかの形の順応、模倣に 基づいた秩序ではなく、
思考の動き全体を 理解することです -
日々の生において、私たちの 互いとの関係において、です。
それで、私たちは初めに、 自分の家を秩序立てるのです。
そして、日々の生に その秩序をもたらすことが
冥想の一部です。
これら二つの接近が あります。
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15:51
第一は、伝統的なものです - 初めに冥想しなさい。
あなたの思考を制御し、 集中しなさい。
あなたの手、足指のあらゆる動き に、気づきなさい。
それらです。
それでもって始めなさい。
するとそれが、あなたの日々の 生を変容させるだろう、と。
初めに、それについて じっくり話しましょう。
そういう冥想の含蓄は 何ですか。
私たちはどちらか一方を、拒否 したり非難したりしていません。
私たちは、冥想の問い全体を ともに検討しています -
それが本当に 理解されるとき、
とてつもない意義を 持つものを、です。
で、初めにともにこの冥想 の問いを、検討しましょう
- そのときそれは、 私たちの生へ流れ込み、
生の悲惨全体を 変更するでしょう。
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17:20
あなたが、第一の範疇で 冥想するとき
- もしそのように 表せるなら、です -
あなたは、一定の姿勢で 座り、適切に呼吸し、
自分の思考を制御し、 集中します -
何かの言葉に対して、あるいは 言葉である響きに対して、です。
そして、あなたのエネルギー 全体を、何か概念に載せます。
そして、自分の思考を 彷徨わせません。
それで次第に、無数の 実践の日々をとおして、
あなたは自分の身体を 制御するだけではなく、
あなたはまた、思考の 動きこそをも制御します
- 集中をとおして、です。
それが一般的に、 実践する人たちにより
冥想だと理解されて いるものです。
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18:49
さて、集中において 何が起きますか。
どうぞ、私たちが 言いましたように、
私たちはともに 考えています。
私たちは、どんな法をも 定めていません。
私たちは、このためや あのために
どんな種類の宣伝も していません。
私たちはともに、何が正しい冥想 であるかを、検討しています。
その検討の中で、 私たちは、
集中に関与している含蓄 すべてを、考慮すべきです。
観念へ、画像へ、象徴への 集中には
- あるいは、 言葉へ、です -
そして、 言葉の響きに従う。
なぜなら響きは、とてつもない 重要性を持っているからです。
私たちは時間があるなら、 今すぐそれに入るでしょう。
集中は、あなたの エネルギーすべてを
焦点化することを、 意味しています
- 力で思考を一方向に、 一定の点へ強いることを、です。
学校で学生は それをします。
20:23
彼は窓の外を見たい。
あのヤモリが 通り過ぎるのを見たい。
あの蜘蛛が巣を紡いで いるのを、見守りたい。
または、鳥を、です。
そして教師は、「あなたの 本に集中しなさい。
窓の外を見るな」と 言います。
で、彼は次第に 集中するのを、学びます。
それは、思考を焦点化する、 という意味です。
しかし、思考は彷徨います。
それが、その本性です。
動き、流れです。
で、制御者と 制御されるものが、あります。
それが、集中に含蓄 されているものです。
抵抗、 それを狭めることと、
それを一定の点へ 焦点化することです
- 言葉の反復によってか、 マントラを買うこと、
相手を大金持ちに することと、
それらを追求する ことによって、です。
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22:02
「マントラ」という言葉は
- 不幸にもみなさんは、それに ついて聞いてきました -
その根本的な意味は、
冥想する、ならないことに ついて熟慮する、です。
そしてまた、自己中心的活動 すべてを、片付ける、です。
それが、その意味です。
ならないことについて 熟慮する、
あらゆる種類の自己中心的な 活動を片付ける。
意味を理解されますか。
あなたはそれを買えません。
あなたは、 二十分、三十分の間、
反復し、反復することにより それを実践できません。
よろしいですか。
それとともに 進んでいく戯言すべて、です。
また、冥想センターも あります -
仏教のもの、ヒンドゥーのもの。 それは、良い集り(たかり)です。
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23:23
そして、集中。
誰が制御者であるのかを 理解しなければなりません。
「私は、自分の思考が 彷徨わないように
制御しなければならない」と 言うのは、誰ですか。
誰が制御者ですか。
そして、彼が制御しようと しているものは?
それらは、二つの 別々のものですか。
これは、理解することが きわめて重要です -
それが指摘されるのを、 お気にされないなら、ですが。
制御者と制御されるものとの 間に、分割があるかぎり、
格闘があるに ちがいありません。
思考は 彷徨ってしまいます。
あなたは意志により、 それを引き戻します。
意志は、欲望の本質です。
24:30
その欲望は、一定の結果を 達成すること、
または、一定の状態を 経験することです。
それで、集中の中で、この 闘いが、進みつつあります。
もちろんあなたが、完全な 集中を達成できるまで、です
- それは、思考が思考により 制御されることです。
それで、思考はその焦点から けっして動いて離れないのです。
それは機械的です。
明白です。
あなたは それらを見られます。
それは、自らの日々の生を 変更しません。
なぜなら、その冥想の中、 その集中の中で、
あなたは、何でも欲しい ものを、経験できるからです -
あなたの条件づけに応じ、 あなたの知識に応じ、
あなたの欲望に 応じて、です。
25:44
で、それが、一つの 種類の冥想です。
それは、アジア世界中で 実践されてきたのです。
一定の姿勢を取り、 集中し、反復しなさい。
それで、精神や頭脳を 静かにしなさい。
それは頭脳を、ますます課業にし、 鈍らせ、昏睡させることです。
そういう冥想を 実践する人たちは、
社会的な変化を もたらしてきませんでした。
または、彼ら自身に 根本的に変化を、です。
彼らは、 もっと洗練されている、
もっと理論的に関与して いる、などかもしれません。
それが、一つの種類です。
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26:38
他方は、初めにあなたの家を 秩序立てることです。
もし家が、深い基礎を 持っていなかったなら、
家は、ほとんど重要性が ありません。
で、私たちが今 考慮している他方は、
私たちが秩序をもたらせるのか どうかを、見ることです。
それは芸術です。
秩序の青写真に従う だけではない。
なぜなら、秩序は 生き物であるからです
- 道徳が生き物である ように、です。
美学や行いは、生き物です。
で、私たちがその家を 秩序立てないなら、
愛なく、私たちが 何をしようとも、
恐れなく、人間の間の 正しい関係を見出す。
そこに、深い基礎を 敷くことなく - すなわち、
私たちの日々の生に、です。 「生」と呼ばれる抽象ではない。
28:21
で、その秩序における修練が 何であるかについて、
考慮しなくてはいけません - そして記憶がそこで
どんな役割を果たすのかに ついて、です。
すなわち、知識が、ですが、 昨日私たちはそれに入りました。
で、それは可能ですか - この現代世界に生きていて、
社会は崩壊しつつあり、
諸政府の権威 -
それら(政府)は無能であり、 部族主義に従うし、
ゆえに、もっともっと 戦争を創り出し、
人類にもっともっと悲惨を 創り出していますが、
私たちはこの世界に、 現代世界に生きられますか。
私たちの日々の生を 追求しつつ - 職、関係、
自らの日々の生の存在の 問題全体、ですが -
絶対的な秩序が ありえますか。
それが本当に、冥想に おける第一の問いです。
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29:49
「冥想」(メディテーション) という言葉はまた、
測量することをも 意味しています。
サンスクリットでも、その言葉 「冥想する」の根本の意味は、
測量することです。
測量は、この、 なる行為だけではない
- 「私はこれだ。
私はあれになるだろう。
私はさらに 良くなるだろう、と。
この登るとの観念 - もっと もっともっと良くなる、
もっともっと尊くなる、 もっともっと怒らないとか
暴力的でなくなるとかなど (の観念)は、測量です。
私たちの頭脳は、測量する よう訓練されています。
この測量は、 古代ギリシャ人により
西洋世界に 与えられました
- それらギリシャ人からの 彼らの哲学、民主主義に、
西洋世界の数学的、哲学的 世界全体は、基づいています。
測量はテクノロジーです。
31:15
それが、私たちが理解しつつ ある言葉の一部です。
その言葉の意味は、 測量することです。
アジア世界は、「測量は 幻影である」と言います。
これに付いてきてください。
面白半分で、です!
幻影です。
で、彼らは、テクノロジーの 世界を、見つめます -
彼らはそれに満ちている けれども、です。
現在、インド人たちが 西洋にやって来るとき、
彼らは、大変多くの 物事を発明していますが、
彼らの血に、彼らの過去には、 この観念が、あります -
すなわち、あらゆる形の測量は 技術的でなければならないし、
ゆえに霊的ではない。
ゆえに、測量不可能なものを 探し求めろ、と。
32:18
その順序に 付いてこられますか。
で、測量不可能なものを見つける ために、意志を行使しろ、
思考を制御しろ、と。
轍全体に戻っています。
これに 付いてきておられますか。
あなたがそれに入り、 それを観察するなら、
それはとても興味深い。
人がいかに 自分自身に悪戯をし、
測量は幻影であると 否認しながらも、
測量に捕らわれている。
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32:51
で、それが、 冥想の意味の一つです。
どうぞ、あなたがそれにきわめて きわめて深く入りたいのなら、
測量なく生を生きることは 可能ですか。
すなわち、比較なく、
どの形の心理的 模倣もなく、です。
なぜなら、そのすべては 測量であるからです。
頭脳は百万年間、測量する よう訓練されてきましたが、
その頭脳は、自らの 条件づけを脇に置き、
新鮮でありえますか。
それが、冥想における 主題の一つです。
答えられなければ ならない主題です
- あなたが本当に 見出したいのなら、です。
自らが本当に真剣であり、 永遠であるものを
- 永遠が存在するなら、です - 見出すのか、
生じさせるように するのなら、です。
それが冥想の一部です。
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34:29
また、自らが真剣であり、 それに入りたい、
知識に自らの所を 与えたいのなら、です。
なぜなら、知識なしには、
私たちは互いに意思疎通 できないであろうからです。
知識なしには、私たちは 車を運転したり、
オフィスへ行ったりなど できないでしょう。
で、知識は、私たちの日々の 生に、自らの所を持ちますが、
心理的な知識が、私たちが 関心を持っているものです。
その心理的な知識は、
世代に次ぐ世代をとおして 蓄積されてきました -
共同社会の知識、 家族の知識、
伝統的な知識だけではない。
自らが取得してきた知識。
そのすべての心理的な知識は 終わりえますか。
35:40
さもなければ、それは 投影するでしょう -
すなわち、記憶、思考、 行為の一部である知識が、です。
その知識の本性が、完全に 理解されないのなら、
それは必然的に、あらゆる種類の 幻影に繋がるにちがいありません
- あらゆる種類の 神経症的な行為に、です。
そこには、正気は ありません。
それが、冥想における 私たちの問題の一つです。
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36:31
もう一つの、より深い 問題は、こうです -
頭脳は、常に 記録しています。
意識的、無意識的な、あなたの 反応を記録しています。
心理に影響する、あらゆる 出来事を、記録していますが、
その記録は 止まりえますか。
どうぞ、冥想は何かあなたが 玩べるものではありません
- あなたが 真剣であるなら、です。
あなたはそれを、玩べます。
それは、あなたの案件です。
しかし自らが、冥想の本性全体へ きわめて深く入りたいのなら、
このすべてを究明し、絶対的に 明らかでなくてはいけません
- 漠然とし空想的だったり、想像力 豊かであったりではなくて、です。
37:43
この記録、すなわち 心理的な知識です。
なぜなら、それが、起きて いることであるからです -
あなたが、何か私に有害な ことを、私に語るとき、です。
すなわち、あなたは私を侮辱 するか、私にへつらいます。
どちらも同じです。
それは記録されます。
それは知識になります。
この頭脳のその記録は、
それが必要である ところで作動できて、
心理的に必要でない ところで、終わりえますか。
私たちは、これらにおいて ともに働いていますか。
または私が 話していて・
・・
たぶんそれはすべて、あなたに とって新しいのでしょう。
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38:44
で、何が、記録の終わりを もたらすのでしょうか。
その重要性を 理解されますか。
私は侮辱を記録します。
それは私を 損傷しました -
私が自分自身について持って いるイメージを損傷しました。
そのイメージは、あなたの 侮辱により傷つきます
- あなたの言葉により 仕草によって、です。
または、そのイメージは へつらいをとおして強まります。
あなたが来て、 私に、「あれは
何とすばらしい講話だった のか」と語るとき、です。
頭脳は、その知識を記録 します。
理解されますか。
で、あなたが侮辱するか、へつらう とき、何の記録をも持たないこと。
それは、学ぶことです。
記録する過程を 学ぶこと -
記録する中に、何が 含蓄されているのかと、
その記録することの 帰結を、です。
あなたが私にへつらうとき、 あなたは私の友だちです。
あなたが私を侮辱するとき、 あなたは私の敵です。
あなたは外国人、 野蛮人です。
しかし、あなたが快い、 その他すべてのとき、
そのときあなたは、 私の友です。
40:39
で、記録することの帰結は きわめて表面的ですが、
それは、 その、もっと深い層です。
深い出来事の(記録)、 深い関係、深い経験の記録です
- すなわち、自らは 取りすがるところのもの、
理論的、実践的などの 結論、
それらすべてが 記録することの形です。
その記録の上に、私たちは 生きます - 心理的に、です。
もちろん、どうオフィスへ行く のかを記録しなければいけません
- 一定の時間にバスに 乗る、などなどです。
もしあなたが大工、外科医や 科学者であるなら、
記録がなければ なりません。
科学者たちが世界を助けて いる、ということではない。
41:46
一定の形では助けていますが、 他の形では、彼らは、
人の破滅をもたらすのを 助けています。
なぜなら、詩人、芸術家、科学者は 部分的な洞察を持つからです。
全的な洞察を持つのは、 宗教的な精神だけです。
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42:18
で、それは可能ですか。
絶対的に必要なことを 記録するだけで、
他の何をも 記録しない頭脳を、持つ。
それの美しさを 理解されますか。
そこには、ものすごい 自由が、あります。
それが本当の自由です。
お金が与える自由とか、
何か空想的な、想像力豊かな 自由の観念ではありません。
それが、冥想における 問題の一つです。
すなわち、学ぶことです。
なぜなら、学ぶことは、一定の 秩序を要求するからです。
「修練」(ディシプリン)という 言葉は、学ぶことを意味しています。
それは、「学徒」(ディサイプル) という言葉から来ています
- すなわち、師匠から 学びつつある人です。
43:24
あなたは、私から 学びつつありません。
私たちはともに じっくり考えています。
しかし、学ぶこと - 順応するのではなく、
服従するのではなく、 反復的ではない -
「私はこれを読んできた。
あなたはあれを言ってきた。
あなたがいうこれは、 どういう意味か。
説明してください」 ではない。
それは、あなたが学んで いない、という意味です。
学ぶことは、 観察することです
- 頭脳がどう記録するのかを 観察することです。
あなた自身が それを見守れます。
それはきわめて単純です。
あるものを記録する・
・・
それは、あらゆる物事を記録する ことが必要であると、考えます。
なぜなら、それは安全を 探し求めているからです。
なぜなら、頭脳は オフィスへ行くとき、
記録しなければならないから です。
なぜなら、そこでは
お金を取得するなどなどのため にそれが必要であるからです。
44:32
またそれは、心理的な知識 すべてを蓄積することが
必要であると、考えます
- すなわち、過去の世代に 次ぐ世代において
集めて、まとめられてきた ものを、です。
それが、「私」の構造です。
そこに、それは 安全を探し求めます。
で、私たちはそれに 入りました -
智恵の中以外、 安全はないのです。
あなたのや私のではない 智恵です。
愛、慈悲があるときだけ、 その智恵は、訪れえます。
私たちは昨日、それに 入りました。
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45:21
で、冥想は、すべての体系 の無益さを理解すること、
それについて 学ぶことです -
すべての体系は 間違っているとか
正しいとか 言うことではなく、
体系の含蓄を学ぶことです
(含蓄)それは、誰かが 定めた様式に従うことです
- 「私は知っているが、 あなたは知らない。
私は導師だ。
これに従え」と 言う誰か(のものに)、です。
- それは、あまりに 子どもっぽい。
しかし、私たちはみんな、 誰かに従いたいのです。
それが奇妙であるか、不条理 であればあるほど、大きい。
私たちは、こうも 騙されやすい。
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46:18
他方の問いは こうです -
その知識は 一定の所を持っているし、
心理的な知識は 全然、不必要です。
なぜなら、もし私が あなたに関係しているなら
- 妻や夫や、彼女として (のあなたに)です -
その関係が、記憶に 基づいているなら
- 記録された出来事に (基づいて)です。
あなたについてイメージを築く し、あなたは私について築く。
そのとき その関係において、
その記録において それは単に記憶です。
そして私たちは、言って きました - 記憶は愛ですか。
私たちは昨日、 それに入りました。
知識は愛ではありません。
反対です。
知識は悲しみをもたらします - 心理的な知識は、です。
で、それが、冥想における 問いの一つです。
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47:32
他方は、常なる観察と学びの 状態に、あることです。
それが、それ自らの 秩序をもたらします。
学ぶことは秩序です。
私は、良い大工でありたいなら、 学ばなくてはいけません。
木の性質、 正しい種類の道具、木目、
木の美しさ、その他すべてを 私は学ばなくてはいけません。
あなたは、庭師であるなら、学ば なくてはいけない、などなどです。
が、私たちの頭脳は 弛んでいます。
で、私たちは、最も容易い ものに、従います。
ゆえに、最も容易いものに 従わないことは、
あらゆる物事を疑う、 懐疑的であることです -
あなたの聖典について、 あなたの導師について、
あなたの政治について、 あなた自身について、です。
なぜなら、疑いと懐疑は、 頭脳を浄化する、
頭脳を鋭くする、 明瞭さを与えるからです。
48:58
しかし、あなたは いつの時も疑えません。
あなたはそれを抑えておき、時々 それを放さなければなりません
- 革紐に繋いだ犬の ように、です。
また、集中の動き 全体についても学ぶ -
(集中)それはただ、思考の エネルギーを強めること、
制御することです。
思考のエネルギーを 制御することです -
意志により、順応により、 測量によって、です。
みなさんがこれらを しているのを望みます。
これは、一回の朝には 多すぎますか。
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49:54
冥想はまた、 頭脳がけっして
没頭しない(占有されない) ことが可能であるのかどうかを
見出すこと、 学ぶことでもあります。
なぜなら、私たちの頭脳は いつの時も
没頭して(占有されて) いるからです
- 神について、 セックスについて、
自分自身について、自分の 結論、信念について、ですね。
きっとあなたは自分自身を 見守ると思います -
いかに自分の精神、頭脳が没頭して (占有されて)いるのか、です。
頭脳が没頭して(占有されて) いるとき、何も空間はありません。
知識が頭脳を没頭させてきた、 占有してきたとき、
どうしてその頭脳は、何か 本源的なものを経験できますか。
で、頭脳が混雑し、 没頭しているとき、
何か本源的なものを経験 するために、あなたは
薬物を摂ります - 何か奇抜な ものを経験するために、です。
あなたがそうします。
語り手は薬物 を摂ったことがあるのではないが、
彼は、薬物を摂ったことのある 多くの人々へ、話してきました。
51:33
彼らは、一定の経験をします - 彼ら自身の条件づけにより、
彼ら自身の欲望、意志など により投影されたのを、です。
(条件づけなど)それらを 彼らは、意識していません。
化学薬品はそれらの焦点を 変更するだけです。
時々、それは 大きな害を与えます。
二年間、薬物を 摂ってきたなら、
そのとき、あなたの 頭脳は、おしまいです。
または、あなたがしばらくの 間、それを玩んできたなら、
まだ何か希望があります。
で、自らは見出さなくては いけません - 頭脳はいったい
すべての没頭(占有)から自由で ありうるのかどうかを、です。
すなわち、私たちは 言われつつあることを、
没頭した(占有された) 頭脳でもって聞いていますか。
52:38
または、あなた自身の頭脳が 今、没頭しているのかどうかを
見るように、その活動を 見守っていますか。
そこに静かに座って、それが没頭 しているのかどうかを、です。
あなたは聞くことに 没頭していますか。
または、ただ 聞いていますか。
違いが分かりますか。
理解されますか。
私はこれを 続けていいですか。
やれまあ!
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53:24
あなたが聞こうと 試みているとき -
努力して、「私は あいつが言うことを
理解しなければならない」 と言っているとき、
あなたは、聞くために 自分の意志を行使しています。
あなたは、没頭して (占有されて)います。
しかし、あなたが 聞いているなら、
語り手が言っていることは 理性的です。
彼はあなた自身を 説明しています。
で、あなたは語り手に 聞いていません。
あなたは、あなた自身に 聞いています。
ゆえにあなたは、きわめて 静かに聞いています
- 何の没頭(占有)も なく、です。
すなわち、あなた自身に 気づいている
- あなたはどう 聞いているのか、です。
54:21
この聞く中で、あなたは 学んでいますか。
または単に観察していますか。
違いが分かりますか。
あなたが観察しているなら、 蓄積がありません。
しかしあなたが、「私は彼が言って いることを学ばなければならない。
私は、彼が言っていることを憶え なければならない」と言うなら、
そのときあなたの精神は 没頭しつつあります。
ゆえに、その中であなたが 聞ける空間が、ありません。
同じように、没頭(占有)なく 観察する、ただ見る。
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55:03
他方の、 もっと深い問題は、
頭脳がいったい静かで、
絶対的に止まりうるのか どうか、です。
それは、自らのリズム、 自らの動きを持っています -
私たちはそれについて 話していません。
あなたはそれを 止められません。
もちろん、あなたは 何かを摂るなら、
それを止められます - または死ぬなら、ですが、
私たちは思考が創り出してきた 動きについて話しています -
それで思考は、いったい完全に 止まりうるのかどうか、です。
それが、冥想への 探究の一部です -
頭脳をどう止めるのか、 ではない。
そのときあなたは、何かの 形の愚行を実践できるし、
あなたは力で、頭脳を 強いられます。
力で思考を止められます。
よろしいですか。
それは機械的です。
で、冥想には、意志の行使が まったくありません。
ああ、あなたは、これらの 美しさが見えません!
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56:46
思考が完全に止まる ことは、可能ですか
- すなわち、 時が止まることは、です。
SFの時間ではない。
思考としての実際の 時の動きが、です。
この問いは きわめて複雑です。
自らが思考の動き全体を 理解するのでなければ
- 思考がどう作動するのか、
それが外側の世界と内側の 世界で何をしてきたのか、
知識の本性は 何であるのか、
経験をする経験者は 何であるのか、
または、考える思考者は (何であるのか)、ですが、
そのすべてが 思考の動きです。
百万年の間、考えるよう 教育されてきた頭脳 -
なぜなら、私たちが することすべては
思考をとおして であるからです。
58:09
腕の動き - 私はそれを あの方向へ動かしたいから、
それはすべて 思考の動きです。
頭脳は、それに 条件づけられています。
あなたは、何か甚大に意義 深いことを、訊ねています
- 条件づけに反して、です。
で、自らは、 思考の本性を学び、
自分自身で見出さなくては いけません
- 強制、模倣、順応、意志を とおして、ではありません -
思考が絶対的に止まることが あるのかどうかを、です。
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58:55
静寂は、多くの種類です。
あの犬の吠える声の間には、 静寂があります。
雑音が止まるとき、 一定の静寂があります。
二つの思考の間に、 静寂があります。
あらゆる物事が静かである とき、夕べの静寂があります。
ちょうど夜明けが来る前に 動きがないとき、
朝の静寂があります。
しかし、全面的に違った 静寂が、あります -
すなわち、 頭脳の静寂であり、
思考の動きを 持たないものが、です。
その静寂にのみ、 神聖なものがありえます。
1:00:07
思考が創り出してきた物事は 神聖ではありません。
思考が創案してきた物事は、聖 (ホーリー)ではありません。
しかし私たちは、思考が創り 出してきた物事を、崇拝します。
私たちがやるゲームを 見てください。
すなわち、私は象徴、 人物像を崇拝します -
その人物像、その象徴は、思考に より創り出され、創案され、
手によってか、精神によって 型枠に入れられています。
そのとき思考は、「私はあれを崇拝 しなければならない」と言います
- それは、それ自体を 崇拝しています。
これをご覧になるのか どうかと、思われます!
そして私たちは それへ祈ります。
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1:00:55
で、これが冥想です。
あなたは、このすべてを 一歩一歩、通っていくのか
- それは不可能です。
あるいは、あなたは 一目で、その全体を見ます。
違いを理解されますか。
私たちは、恐れ、楽しみ、 痛み、負傷、それらを
少しずつ、少しずつ考慮に 入れて、分析するのか
各々へ わずかな洞察を持つ。
そのとき冥想しようとする - それは明白に不完全です。
あるいはあなたは、それの 動き全体を見守ります。
それらはすべて互いに 関係し合っています。
あなたは、それらを 分離して、
「私は今日、これを分析しよう。
明日これをしよう。
明後日、あれを」とは 言えません。
1:02:13
しかしあなたが、それの動き 全体を観察できるなら -
そして、動機や方向が まったく無いときだけ、
あなたはそれを 観察できますが、
その頭脳の静寂は 必要です。
というのは、その静寂の中に、 何か崇高なもの、
何か時がないものが 生じてこられるからです。
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1:02:51
さて、問いはこうです -
そのすべては日々の生において どんな価値を持っていますか。
冥想はどんな価値を 持っていますか。
私たちが話してきたことは - 第一の範疇ではない。
その冥想は、どんな価値を 持っていますか。
その質問をする中で、自らは また訊ねなければなりません
- 宗教的な生は何ですか。
世界が今、存在するように、
テクノロジーは 最も重要なものです。
原子爆弾をもった すばらしい潜水艦、軍艦。
機械的な文化が、世界中に 拡がりつつあります。
それは、新しい宗教を もたらそうとしていません。
1:04:09
古い諸宗教は、自らの意味を すっかり失ってしまいました。
それらはやはり人気があり、 大変多くの資産、金銭、地位、
その他すべてを 有していますが、
それらはすべて 宗派的です -
カトリックの世界、ヒンドゥー の世界、よろしいですか。
それらは、世界を砕いて、
彼ら自身の特定の形の 信念にしてきたのです。
一つの宗教が、残りの世界を 征服しようとしていません。
彼らはそうしたいのですが。
ヒンドゥー教徒、キリスト 教徒はそうしたいのです。
そして、機械的な世界は、今 組み立てられつつありますが、
それは新しい社会、新しい文化を もたらそうとしていません。
宗教だけが、いつも そうしてきたのです。
現在の宗教が、ではない。
1:05:25
で、宗教がなくてはなりません - 信仰の(それ)ではない。
信念ではなく、儀式 ではなく、権威ではない。
どれほど収益があり、 どれほど慰めになっても、
(上下の)位階的な 宗教構造は、
どの智恵ある 思慮深い人にとっても、
その意味をすっかり 失ってしまったのです。
思慮深い人は、それらを 全的に拒絶します。
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1:06:09
で、宗教は、生の道です - すなわち、
私たちの日々の生において
正しい秩序の上に 築かれるものです。
そして、その中に
最も神聖なものが 生まれるところの冥想は -
神聖なものは、私の経験と あなたの経験であるのではない。
神聖であるものは 経験を持ちません。
あなたはそれを 経験できません。
なぜなら、あなたが それを経験するなら、
経験者があるに ちがいないからです。
これらに付いてきておられる のかどうか、私は知りません。
そのとき、私たちは 戻っています。
もし、「私は達成した。
私は開明した」と
言っている経験者が、 あるのなら、
まさにその言葉、 「私は開明した」 -
それは、何か 忌まわしいものです。
で、その悟り - もし私たちの みんなが、それをできるなら、
私たちは、最も宗教的な 人々であるでしょう。
そのとき私たちは、新しい 文化に、責任があるでしょう
- 恐れに基づかない ものに、です。
1:07:40
私たちは、腐敗不可能な 社会を、持つでしょう。
なぜなら、私たちは 腐敗不可能であるからです。
それが 冥想の意味です -
私たちのエネルギー すべてを、集める。
それは今、消散されつつ ありますが、
それで、私たちの意識は、
恐れなどのその内容に ついて全的に空っぽです。
で、この空っぽと 空間があるところ、
広大なエネルギーが あります。
そのエネルギーが神聖です。
それは、神への信念の エネルギーではありません。
神へのその信念は、 恐れをとおし、
思考により 創り出されています。
しかし、恐れがなく、 悲しみがないとき、
そのとき、あの静寂の 性質があります -
その中に、名のないものが生じて こられるところのものが、です。
それは、日々の生において 無量の意義を持っています。
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1:09:06
いいです。
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