BR83DSS1.5 - あなたはどうやって、凡庸であるのを、止めるのだろうか。 home
学校討論会 第5回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年6月19日

0:19 クリシュナムルティ: 私たちは 何について、話しましょうか。 前回、私たちが ここで会ったとき、 私たちは話していたと、 思います・ ・・ 頭脳は、一般的に 衰退しますが、 それが、若く保たれるのか どうかについて、です。 私たちはそれに、いくらか 明瞭に、入りました。 あなたたちは、今朝、何に ついて、話をしたいのでしょうか。
1:20 質問者: 私たちは、関係における 思考の役割を、見つめられますか。
1:25 K: 関係における 思考の役割。
1:34 質問者: クリシュナジ、一グループの学生は、 死について、話したがっていました。
1:41 K: 死ですか。 うるわしい朝に、はい? あなたたちは、死について、 話したいですか。 
1:54 質問者: はい。
1:57 K: 二人の声? 本当にあなたたちは、 死について、話したいですか。 または、関係 - 関係における思考ですか。 関係において、思考は、 どんな所を、持っていますか。 または、おそらく、私たちは、 これらすべてを、含められます - 死と関係、ですが、 凡庸さとは、何ですか。 あなたたちは、 それについて、話したいのでしょうか。 あなたは、それについて、 話したいのでしょうか。 あなたにとって、 凡庸さとは、何ですか。 凡庸(ミーディオーカー) である。
2:51 質問者: まあ、その言葉は、丘の途中 まで上がっていく、という意味です。
2:55 K: 丘の途中まで、ええ。 その言葉の意味は、丘を 途中まで、上がっていき、 けっして、丘の頂上へ 行かないことです。 それが、その言葉(ミーディ オーカー)の根本の意味です。 さて、あなたは、何が 凡庸であると、考えますか - 凡庸であるとは。 偉大なテクノロジー研究者、 科学者、文学者たちが、います - 高度に知的で、 とてつもなく有能ですが、 あなたは、彼らを、そういう人々を、 凡庸だと考えるでしょうか。
3:52 質問者: 彼らの各自の分野では、 彼らは、そうではありません。 彼らの分野では、彼らは、 そうではありません。
3:59 K: 他の分野では、彼らは、 そうではありません。
4:01 質問者: いえ。彼らの分野では、 彼らは、凡庸ではありません。
4:04 K: 彼らの分野では、彼らは、 凡庸ではありません。 なぜあなたは、彼らの分野と 彼らの生を、分離しますか。
4:15 質問者: まあ、生のもう一つの部分では、 彼らは、凡庸であるかもしれません。 たとえば・・・
4:22 K: 私は、偉大な科学者 であるかもしれません。 けれども、私の生は、きわめて 凡庸であるかもしれません。 ですね? で、あなたは、何が凡庸さを 構成すると、思いますか。 質問者: 優秀でない。 

K: すみません。 もう一度。 
4:49 質問者: 優秀でない。
5:06 K: 私は、偉大な哲学者であり、 有名であり、 自分の表現は、 とてつもなく利巧であり、 自分の思考は、錯綜している かもしれません。 けれども、私は、とても狭い生、 日々の生を、生きるかもしれません。 ですね? あなたは、そういう人物を、 凡庸と呼ぶのでしょうか。 その人、 偉大な哲学の人で、 けれども、日々の生で 凡庸な生を、生きる。 で、凡庸であるとは、どういう意味かを 見出しましょう。 いいですね? それが、指摘されて きましたように、 その言葉の起源は、けっして 丘の頂上へ行かないで、 ただ途中まで 上がっていくことです。 それは、けっして、 優秀ではなく、 半分、優秀です。 6:17 ですね? 私が、嫉妬の生を 送るし、 私は、偉大な哲学者であるなら - 仮に、私がそうだ、とします。 そして、私は 嫉妬していて、怒ります。 私の個人的な思考は、 かなり制限されています。 ですね? 私の見通しは、哲学的には、 偉大なのかもしれませんが、 私の日々の生において、 私は怯えています。 ですね? で、あなたは、そういう人物を、 凡庸と呼ぶのでしょうか。 私は、偉大な技術官僚、すなわち、 偉大な技術者であるかもしれません。 けれども、私は野心的で、 かなり粗野で、低俗です。 そうね、 その他すべてです。 あなたは、その人物を、 凡庸と呼ぶのでしょうか。
7:27 質問者: クリシュナジ、私はそう できるだろうと、思いません。 なぜなら、私は、自分が彼より、 少しもましだ、と思わないからです。
7:33 K: はい。で、私は あなたに、訊ねています - あなたにとって、 凡庸さとは何ですか。
7:51 質問者: 自分がしていること、自分の 行為を、気にしないことです。 それは、自分の行為、 自分がすることを、 気にしないことです。
8:01 K: はい。 あなたは、或る人物を、 凡庸でないと、呼ぶでしょうか - 科学の区域で、だけでなく、また 自分の日々の活動で、日々の思考で、 他の一人への自分の関係でも、 優秀に生きる人を、です。 あなたは、 全体的である人物を、 凡庸でないと 考えるでしょうか。
8:39 質問者: その人物は、 凡庸ではありません。
8:45 K: はい。あなたも そうですか。
8:47 質問者: いいえ。ああ、 はい、私はそうです。
8:51 K: すみません。私は、個人的に申し上げて いません。私は訊ねているだけです。 で、あなたはどうやって、 凡庸であるのを、止めるのでしょうか。 他の誰かに適用しないでください。 私は、自分自身に、訊ねています。 私は、私が凡庸であると 悟ります。 すなわち、私は断片化しています。 理解されますか。 私は、偉大な科学者です。 けれども、私の関係において、 かなり、見かけ倒しです。 ですね? 私は、そういう人物を、 凡庸と呼ぶでしょう。 ですね?  一つの方向で、 優秀であり、 もう一つのでは、 優秀でない。 私は、そういう人物ですか。それを あなた自身に、適用してください。 9:47 あなたは、そうですか。 そして、自らが凡庸である ことを、悟るなら、 あなたは、それについて、 何をするのでしょうか。 あなたが凡庸であることを、 受け入れて、 余生の間、 やっていくだけですか。 あなたの行為は、何ですか。 あなたの振るまいは、何ですか。 あなたの生の道は、何ですか - それが、凡庸であるなら、です。 あなたはそれを、受け入れて、 そのようにやっていくのでしょうか。 または、その凡庸さをどう 破るのかを、見出すのでしょうか。 さあ、どうぞ。 あなたは、何を するのでしょうか。
11:05 質問者: それがどこへ繋がるのかを、 見ます - 凡庸さが、です。 凡庸さがどこへ繋がる だろうかを、見ます。
11:11 K: あなたは、それについて、 何をするのでしょうか。 仮に、私は自分が凡庸であると 悟ると、します。 私は、趣味を 持ちません。 趣味が何であるかを、 ご存じです。 衣服で、絵画での 良い趣味。 私は、することすべてに、趣味を 持ちません - 仮に、そうします。 そして私は、それを、自分の 生の道として、受け入れます。 私は、自分の趣味の欠如について、 批判されたくありません。 私は、自分がとても良い趣味を 持っていると、思いますが、 実際に私は、 持っていません。 ですね? そして、あなたが やってきます。 友人として、 あなたは、「ごらん。 あなたは、さほど・・・ お兄さん、あなたは、さほど良い 趣味を、持っていないよ」と、言います。 あなたは、それについて、 何をするのでしょうか。 私は、何を できますか。 12:09 私は訊ねています。あなたが、 考えぬいてください。 それは、私ではありません。 私は、あなたに訊ねています。 あなたは、何を するのでしょうか。 あなたの応答は、 何ですか - あなたが、自分の日々の生が、かなり 醜いことを、見つけるときに、です。 趣味の欠如、 礼儀作法の欠如、 良い振るまいの欠如 など、です。 あなたは、何を するのでしょうか。 ただ、それを 受け入れて、 「そのように・ ・・私は、 あのように生きたい」と言う。 すなわち、自分のあるがままに、 自分が持っているものに、 満足し、幸せである。 あなたは、それらを 受け入れるでしょうか。 または、あなたは、もたらす・ ・・ 全部を崩してしまうのでしょうか。 答えてくださるでしょうか。 今朝、 あなたたちはみんな、きわめて静かです。 答えてくださるでしょうか。
13:24 質問者: クリシュナジ、そのとき、 変化しようとすると、思います。
13:29 K: そうしてきましたか。 許してください。私は個人的に 言っていません。 
13:34 質問者: はい。 私が用いる手段が、私をどこかへ導いて くれるのかどうか、私は知りません。 が、しかし・・・
13:51 K: これは、なかなか 重要な問いです。なぜなら、 初めの問いが、出されたとき、 何が・・・
14:05 質問者: 役割は、何なのか。
14:06 K: 関係において、思考の所、 役割は、何なのか。 そして、もしその役割・ ・・ 思考が単に、かなり浅くて、 自分自身に関心を 持っていて、 自らの見通しと活動が 制限されているなら、 それは、関係において きわめて破壊的です。 ですね? そして、それが、 ほとんどの・ ・・ 99パーセントの人々は、 そのように生きます。 人類の大多数は、 そのように生きます。 で、あなたは・ ・・ もし自らが、 凡庸さの活動を、 悟るなら、 私はそれを、どうやって 終わらされますか。 まず第一に、私は、自分自身を 凡庸だと見ると、恐怖するでしょう。 あなたは、そうですか。
15:34 質問者: たぶん、なぜ私たちが その凡庸さを免れたいかの理由は、 凡庸さ自体であると、 思います。 すなわち、あなたは 凡庸であるのを、恐れています。 私は思うのですが、 たぶん 私たちが自分の凡庸さを 免れたいと思うところの動機は、 私たちが恐れている、ということか、 私たちが、何か大きいものと 何か本当に良いものでありたい ことです。 
16:04 K: いいえ。いいえ。 私は、あなたが私へこう言うのが、 聞こえます - 私は凡庸である、と。 私は、自分が凡庸であると、 悟ります。 私は、その状態に 留まりたいですか。 なぜなら、それは、とても 快適であるからです。 私は、何もしなくていい。 ですね? 私は、余生の間、 やっていくだけです。 が、私は、その凡庸さが、かなり 不条理で、かなり醜いことを、悟るなら、 私は、何を することになりますか。 その問いに、 お答えください。
16:44 質問者: まあ、私は、自分が凡庸 であることを、見つけるなら、 私はどうして、 何かをできますか。 K: いいえ。なぜですか。
16:48 質問者: まあ、私は凡庸です。
16:49 それは、丘の途中まで、 上がっていくことです。 私は、丘を途中までだけ、 上がっていけるなら・・・
16:55 K: 残りの道を、上がって いきなさい - 丘の上へ、です。
16:57 質問者: どうして 私にできますかね。
16:58 K: あなたが、途中まで上がっていける なら、残りを上がっていきなさい。 「どうして私にできますか」と 言わないでください。 そうね、「どうして私にできるか」 というその発言は、 すでにあなたを、 制限します。 質問者: それが凡庸さです。
17:16 K: それが凡庸さです。
17:20 私たちは、そのようですか。 「どうして私にできるのか」と。 私は、強さを持っていない。 私は、怠けている。 私は、他にすることを、 多く持っている。 私は、残りの者のようでいたい。 私にはできない。よろしいですか。 すべての言い訳、理由 - 論理的なのと、非論理的なの - すなわち、私を丘の途中に 留めておくものです。 あなたは、何を するのでしょうか。 あなたはどうやって、丘の頂上へ上がって いくエネルギーを、集めるのでしょうか。 さあ、どうぞ。
18:21 質問者: まあ、凡庸さへ繋がる行為が、 何かあるにちがいありません。
18:32 凡庸さへ繋がる行為が、何か あるにちがいありません。 K: はい。私は、お訊きしています。
18:33 質問者: それを言うことにより・・・
18:33 K: 私は、自分が丘の途中にいるのを 悟ります。 質問者: はい。
18:37 K: 私は、そこに留まるための 言い訳を、大変多く見つけます。
18:41 あなたは、それが自分に 起きつつあるのを、見つけますか - 大変多くの言い訳です。 おそらく、それらの幾つかは、 正しいか、必要です。 他のものは、 想像力豊かなだけですね - あなたが丘の頂上へ上がって いくのを、阻止するように、です。 さて、それを見て、あなたは 何を、するのでしょうか。
19:21 質問者: その変化を することは、 一定量の努力を 含意していませんか。 それはしばしば、あなたを、おそらく きわめて欲求不満にさせるか、 自分は、その凡庸さを変化させようとする 葛藤の中にいるかのように、感じさせます。 それを感じるなら、明白に、あなたの 生の中で、何かが間違っています。 あなたは、それを 改良したがります。 しばしばそれは、 必要とする・ ・・ しばしばそれは、葛藤が あることを、意味しています。 なぜなら、あなたの一部分は、 完璧に、それで幸せでいるし、 他の部分は、自分が少しまし だったらと、願っているからです。
19:57 K: はい。ですが、その終わりに、 あなたは、何をするのでしょうか。 あなたは、凡庸さへ、凡庸である ことへ、一定の理由を示してきました。 そして、自分はそこで 止まります。 ですね? 何が、あなたを押して、丘を 上がらせるのでしょうか。 それを、直接的に 表しましょう。 何があなたを、駆り立てるのか、 押すのでしょうか。 または、あなたは、自分を押して、丘を 上がらせてくれる誰かが、必要ですか。 または、あなたは、自分を押し上げて くれるチェアリフトが、ほしいですか。 チェアリフトが何かを、 ご存じですか。 
20:36 質問者: いいえ。
20:38 K: そうね、スイスでは、そして、ここにも また、それはきっとあると、思います。 世界の色々な地方に、ですが、 丘の頂上へ到るために、 ケーブルに吊り下げた 電動の椅子が、あります。 彼らはスキーをするとき、まっすぐ 上がってゆき、それから滑り降ります。 あなたも、それをできますが、 それは・ ・・ 理解できますか。 で、誰が、あなたを押し あげてくれるのでしょうか。 はい? 理想ですか。 欲望ですか。
21:23 質問者: それなら、 できます。
21:26 K: それに入ってください - ゆっくり、 一歩一歩。見出してください。 あなたは、自分を押し上げて くれる他の人物が、必要ですか。
21:34 質問者: 必ずしも、 そうではない。
21:35 K: いえ。必ずしもそうではない、 と言わないでください。 あなたは、それが必要ですか - 丘の 頂上へ上がっていくために、です。 実際の丘ではなくて・ ・・ 理解されますか。 凡庸だと、私たちは 言いました - 丘を途中まで上がって いく人物は、です。 それは、 暗喩、直喩です。 が、実際に、人間たちは いつも、少し道を行きます。 彼ら自身において、 ですね。 テクノロジーの世界で、 ビジネスの世界で、 科学の世界などで、 ではない。 彼らはそこで、自分たちの 一番上へ、行きます。 ですね? ですが、それが、 彼ら自身の生に来るとき、 彼らは、1インチ(2. 54cm)ずつ 動くか、まったく動きません。ですね? 彼らはけっして、自分自身に 優秀さを、要求しません。 ですね? で、私は訊ねています - あなたは、その状態にあるとき、 あなたは、自分を押し、駆り立てて くれる誰が、必要ですか。 あなたに褒美をくれるか、あなたを 処罰する誰かが、です。
23:13 質問者: そうであるなら、私たちは、 凡庸に留まっています。
23:16 K: はい。 で、ただそれを聞いて ください。 すなわち、 褒賞と、処罰。 褒賞があるか、処罰があるから、 行われるどの行為も、 それは、凡庸さの 本質の一つです。 あなたは、それを 考慮するのでしょうか。 私が言ったことが、 聞こえましたか。 私は、褒美を得るだろうから、 丘を上がっていきたいなら - または、私は処罰 されるだろうから、ですが、 それが、凡庸さです。 それが、 世界中の人々が・ ・・ 王でも、領主でも、 偉大な司祭者でも、何でも、 彼らは、褒賞と処罰に、 依存します。 24:17 ですね? 褒賞は、権力である かもしれません。 褒賞は、金銭である かもしれません。 褒賞は、評判である かもしれません。 褒賞は、達成感である かもしれません。 理解されますか。 で、あなたは、どの褒賞の ためにでも、するなら - それは、あなたが処罰 されたくない、という意味です - それは、凡庸である 精神の性質です。 あなたは、丘の頂上へ 登っていきます - 褒賞を得る ために、です。 それはまるで・・・ いいですか?
25:07 質問者: 何ですか。私たちは、 処罰されたくないのですか。 そのとき、私たちは、処罰 されたくないのですね。
25:11 K: または、あなたは、処罰 されようとしているから、 丘の頂上へ行くのです。
25:16 質問者: そのとおりです。
25:18 K: で、凡庸さは、 褒賞と処罰に、 依存します。 あなたは、それが 見えるでしょうか。 私たちは、 そのようですか。 私たちの一人一人が、です。 私は、何かをします。 なぜなら、私は、何かを、 得ようとしているからです。 それは、褒賞です。 または、私は何かをします。 なぜなら、私は、処罰される かもしれないからです。 ですね? で、私は、自分の行為のために、 褒賞や処罰に、依存します。 そして私たちは、それが、凡庸さの まさに本性であると、言います。 ですね? 私たちは、そのようですか - 私たちの一人一人が、です。
26:15 質問者: それは、あなたが、 私の昔の学校の日々を、
26:19 叙述なさっているように、 聞こえます。 K: 私は今、あなたに お訊きしています。 私たちは、そのようですか。 私たちの一人一人が、です。 褒賞と処罰に 依存して、です。 これは、とても 深刻な問いです。 なぜなら、 心理学者の何人かは、 褒賞を 提唱しているからです。 あなたがこれらを理解されるのか どうかと、思われます。 なぜなら、人はいつも、 処罰されてきたからです - 「あなたが、こうしないなら、 私はあなたを、罰するだろう」と。 宗教において、特に、 キリスト教の一部において、 「あなたが、あれを信じないなら、 私は、あなたを拷問しよう」と。 ですね? で、私は、「はい、私はあれを 信じます」と、言います。 で、あなたの行為は、 褒賞と処罰に、基づいていますか。 これは、とても良い問いです。 進んでください。 気をつけて、それを 検討してください。
27:38 質問者: あなたが、何かを 拒絶するから、行為するなら - 言い換えるなら、あなたは、 自分が凡庸であることが、見えるし、 あなたは、その凡庸さを 拒絶しますが・ ・・ K: あなたは、凡庸さを拒絶できません。
27:48 質問者: なぜできませんか。
27:51 K: なぜなら、あなたは、凡庸さの 本性を、理解しないからです。
27:53 質問者: まあ、おそらく理解します。 言い換えると、あなたは認識し・・・
27:56 あなたは、自分自身の中の 凡庸さに、気づきます。 そしてあなたは、 その凡庸さを、拒絶します。
28:06 K: はい。でも、それは、とても 表面的な拒絶なのかもしれません。
28:11 質問者: まあ、そうではない、 と想定しましょう。
28:14 K: ああ、いいえ。 何も想定しないでください - 気にされないなら、です。 実際に、私は 自分自身で、見つけます - すなわち、私は、自分の行為のために 褒賞と処罰に依存することを、です。 仮に、私はそうすると、 しましょう。 そしてあなたが、 やってきて、言います - 「ほら、それは、まさに 凡庸さの本性ですよ」と。 いいですね?  私は、 そのとおりだと見ます。 そのとき、何が 起きますか。 質問を 理解されますか。 あなたは、真理が 見えますか - すなわち、 褒賞と処罰に 基づいた、どの行為も、 きわめて、きわめて浅く、凡庸で、 かなり不条理であることが、です。 あなたは、それが 見えますか。
29:13 質問者: はい。
29:15 K: 私は、教会へ 行きます - 或る像が、 私が何かをするのを、助けてくれる かもしれないために、です。 私の痛みを 乗り切るように、です。 私は、神を崇拝します。 なぜなら、 私は怯えているからです。 理解されますか。 その崇拝は、 凡庸な崇拝です。 あなたは、それに 同意されるでしょうか。 そんなに愕然としたり、 虚ろであったりしないでください。 あなたはこれらに、 何と仰いますか。 で、褒賞と処罰に基づいて いない行為が、ありますか。 あなたは、その質問を しないのでしょうか。
30:14 質問者: それは、大いに自由に 関係していると、私は思います。 なぜなら、 依存していないことは・ ・・ あなたは、褒賞、あるいは、 処罰に、依存しています。 あなたの行為が、 それに依存するなら、です。
30:31 K: あなたは・・・ それは・・・ それは、何か価値がありますか - その発言は、あなた個人にとって、です。 すなわち、褒賞と処罰は、 値しない、と。 そうね、私たちは 動いて、 その問いを理解する 責任より、離れますか。 それで、私は、他の人たちは凡庸であるが、 私はそうではないと、言うのです。 または、あなたは、「ほら、これを 見つめよう」と、言いますか。 私は、行為し、 考えていますか - 私の動機は、褒賞と処罰に、 基づいていますか。 それが、凡庸さの様相の 一つです。 ですね? 私たちは、他のものへ入られます。 初めに私は、それを理解しますか。 私は、何も褒賞や処罰なしに、 行為できますか。 そこに、何が含意されて いるかを、見てください。 私は、褒賞と処罰なしに 行為するなら、 私は、もはや 嫉妬していません。 私はもはや、妬みを 持ちません。 ですね? あなたは、それが 見えますか。 いいですよ。 他のほうを、 見つめましょう。 あなたは、 嫉妬していますか。 私たちは、嫉妬していますか。
32:18 質問者: はい。
32:20 K: 大いなる静寂です。 それは、私たちがそうである、 という意味ですか。 
32:28 質問者: はい。
32:31 K: 単純であってください。私たちは、 そうであるなら、そうなのです。 正直であって、それを 見つめましょう。 私たちとともに、 大人たちは・ ・・ つまり、 「私たち」ではないね。 私たちはみんな、嫉妬して います。 そうでしょう? 妬んでいるとは、 どういう意味ですか。
32:59 質問者: それは、 こういう意味です -
33:07 私は、ジョンがポルシェを持って いるのを、見るなら、こう言います・・・ K: いいえ。感情を見出してください - 妬みの感情を、です。
33:12 質問者: 何も持って いないとの感情です。
33:15 K: そして、相手の人は? 質問者: 何かを持っています。
33:16 K: で、その感情です。
33:17 あなたが、妬んでいるとき、 あなたの感情は、何ですか。 質問者: 貪欲です。
33:28 質問者: 彼は、貪欲と言いました。
33:32 K: いえ、それは、 もう一つの言葉です。 私は訊ねています - この言葉が あるときの感情は、何ですか。 すなわち、あの感情を伝えるために 使われたものが、です。 その感情です。 あなたは、誰かが車を 持っているのを、見るし、 あなたは、それを 持っていないとき、 私はあなたに、訊ねています - あの感情は、何ですか。 誰かは、大変多くのお金、 大きな邸宅を、持っています。 麗しい絵画などを、です。 あなたは、それを見つめて、 「神様! 」と言います。 それは、あなたに 起きますか。 または、あなたたちは みんな、聖人ですか。 それは、あなたに 起きますか。 はい? あなたはそれを、凡庸と 呼ぶのでしょうか。 それの本性を 理解してください。 なぜなら、関与した褒賞もまた、 あるからです。 ですね? 処罰は、妬みなのかも しれません。 理解されますか。 いいえ。 私は・・・ それは、あまりに・・・・ さて、それに 拘ってください。 あなたは、この感情を 持っています。 そうでしょう? さあ、みなさま。 はい? よし。 さて、なぜあなたは、 それに留まりますか。
35:14 質問者: すみません。私は それが聞こえませんでした。
35:18 私は、仰ったことが、 聞こえませんでした。 K: 彼らは、はい、と 言いました。 多数、 あなたたちのみんなが、妬んで います。 明白です。いいえ? 質問者: はい。 
35:23 K: なぜあなたたちは、 こうも恥ずかしがりですか。
35:25 もし私が、あなたは何と 美しいのか、と言うなら、 あなたは、 目覚めるでしょう。 さて、気をつけて、 見つめてください。 妬み。 あの感情と、あの言葉は、 処罰と、連携しています。 ですね? 「自分は妬むべき ではない」、 「大っぴらに妬むことは、 ひどいことだ。 が、内密に、秘密主義で、妬む ことは、だいじょうぶだ」と。 理解されますか。 しかし、あなたは、「ええ、私は あなたを妬んでいます」と、言います。 理解されますか。 いいえ。 これは、あまりに・・・ それに入ってください。 私たちはみんな、 妬んでいます。 それは、人間すべての 共通の要因です。 ですね? いいですか。よろしいですか。 大勢: はい。
36:32 K: 私たちは、妬んでいます。 私たちの一人一人が、です。
36:34 あなたはそれを、凡庸だと 呼ぶのでしょうか - 誰かを 妬んでいることを、です。 私たちは、私たちのあるがままではない。 私たちは、あなたのようでありたい。 理解されますか。 私は、自分のあるがままに、 不満足です。 私は、あなたの ようでありたい - 利発で、智恵があり、 知的であり、 利巧で、美しい、何やら かんやら、それらです。 すなわち、私は何物でもないが、 あなたは、あらゆるものです。 それを 理解されますか。
37:32 質問者: クリシュナジ、 私は妬んでいます。 が、そのとき、私が、 それは凡庸さだと、言うなら、 実は、私は、自分が妬んでいるとの 事実を、回避しつつあります。
37:43 K: はい。私は、そこへ来ようと しています。私は妬んでいます。 私は当面の間、それを、凡庸さと 呼びさえしないでしょう。 私は妬んでいます。 世界のほとんどの 人々が、そうであるように、です。 世界において、だけではなく、 ここでも、です。 私たちは、その言葉の意味に、気づいて いますか - それがどう生ずるのか、 妬みの帰結が 何であるのかに、です。 私たちは、その感情と、その言葉の 内容に、気づいていますか。 いいですよ。 私は妬んでいます。 幸運にも、私はそうなったことが ありませんが、仮に、私はそうだとします。 私は、あなたを妬んでいます。 それは、どういう意味ですか。
38:49 質問者: まあ、まず第一に、それは、 あなたが、自分が持っているものと、 自分のあるがままに、 不幸せである、という意味です。
38:55 K: はい。私は、私のあるがままに、 私が持っているものに、不満足です。 物理的に私は、自分が持って いるものに、不満足です。 なぜなら、私の住宅やアパートは、 きわめて狭く、二部屋だけであるからです。 そしてここに、私は、1ダースの部屋と 麗しい庭のある邸宅を、見ます。 そして私は、「神様。 私はあれを 持っていたらなあ」と、感じます。 ですね? それは、どういう 意味ですか。 それに入ってください。友よ、 それに入ってください。
39:31 質問者: あなたは 比較しています。
39:37 質問者: あなたは 比較しています。 K: 比較しているだけではなく、 私は比較する前に - 私はその言葉を、使いたくありません。 気をつけて、それを見つめてください - 私は、鈍い人です。 そして、 あなたは、とても利発です。 私は、あなたの ようでありたい。 それは、私が、自分のあるがままを、 拒否している、という意味です。 ですね?  が、私は、あなたの ようでありたいと思います。 ですね?  私は、私の あるがままを、拒否しています。 あなたは、 そうしていますか。 ああ、さあ、みなさま。
40:21 質問者: はい、自分は そうすると、私は思います。
40:24 K: あなたは、それに同意しますか。 質問者: はい。
40:26 K: 私は、「有るもの」を 拒否します。
40:28 で、私は、「あるべきもの」で なければなりません。ですね? 私は、私が貧しいこと、私が小さい家を 持っていることを、拒否します。 そして私は、 あのようでありたい。 で、比較が あるだけではなく、 私は、私のあるがまま、 私が持っているものに、 不満足であるとの感情です。 そして、満足を 追求します。
41:07 質問者: 私はまた、イメージを、 持っています - あなたのようであるとは、 どういうことであるかについて、です。 私はまた、あなたのようであるとは、どういう ことであるかの観念を、持っています。
41:16 K: どうしてあなたは、 私のようでありえますか。
41:18 質問者: まあ、あなたが 大きな邸宅を持っているなら、 私は、あなたは、大きな邸宅を 持つことにより、 何らかの形で、より良いとか、 より大きいと、想定します。 K: 私は、あなたほどに間抜けなのかも しれません。 
41:26 質問者: そのとおり。
41:29 K: 私は、私を妬む人ほど、 凡庸なのかもしれません。
41:31 ですね? あなたがこれらを、捉えつつ あるのかどうかと、思われます。 そうですか。
41:51 質問者: そのことは、 私自身を他の一人と比較するほうが、 はるかに容易い、と いうことです - 「いいよ。 これが、私の あるがままだ。私は、 私の問題に向き合わなくては いけない」と言うより、です。
42:02 K: それが、私が言っているすべてです。 それでもって、始めてください。 理解されますか。 あなたが何であるかで、始めて、 あなたが何であるかを、見てください。 比較して、「私は あれを欠いている。 私は、あの人の富を持っていたら なあ」と、言わないで、です。 または、彼の見映えや、 彼の智恵を、です。 理解されますか。 私は・ ・・ ご覧ください。 私は、比較により、私自身を 鈍くします。 ですね? あなたは、利発だ。 私は、そうでない。ですね? 私自身を、利発であるあなたと、 比較することにより、 私は、自分自身を 鈍くします。 ですね? が、私が比較しないなら、 何が、起きますか。 私は鈍いですか。
42:53 質問者: いいえ。 気をつけて、その問いを、 私に答えてください。
42:58 質問者: そのとき、あなたはただ、 あなたのあるがままです。
42:59 K: いいえ、そう言わないで ください。実際に、 それが、あなたが言うこと、 あなたが感じることですか。 あなたが、あなた自身を、 比較しないなら - ひどく生きている、ひどく 智恵のある人と、です - あなたが、比較しないなら、 あなたは、何ですか。 あなたは、鈍いですか。
43:27 質問者: 私は、鈍いかもしれません。私は 鈍いかも、鈍くないかもしれません。
43:33 K: 比較が、あなたを 鈍くしますか。 または、あなたは 鈍いですか。
43:41 質問者: または、 私は鈍いですか。
43:43 K: あなたは、どうやって知りますか。 質問者: うーん・・・
43:44 K: 気をつけて、それを考えぬき、 ゆっくりそれに入ってください。
43:46 質問者: 私は自分自身について、 イメージを持っています。
43:52 K: いいえ、 いいえ、いいえ。
43:54 あなたは、自分自身を、 鈍くない他の一人と 比較するから、 鈍いのですか。 あなたが、比較しないなら、 あなたは、鈍いですか。
44:08 質問者: いいえ。
44:09 K: あなたは、 あなたなるものです。 それでもって、始めてください - 比較することなしに、です。 質問を 理解されますか。 私は、私自身を、 あなたと比較します。 ゆえに私は、自分が鈍いと 感じます。 私は比較しないなら、 私は、「私は、鈍さが何であるかを、 知らない」と、言います。 で、私は、そこから出発します。 それが、私の基礎です。 それが、私の基盤です。 ですね?  あなたは、 そうするのでしょうか。 ゆえに、比較しないで ください。 私が言っていることを、 理解されますか。 ああ、後生です。 さあ、みなさま! 私たちは、訊ねることから、出発 しました - 凡庸さは何ですか、と。 その言葉の根本の意味は、丘を 途中まで、上がっていくことです - 物理的にも、 心理的にも、です。 ですね? それは、けっして私たち自身に、 優秀さを要求しない、という意味です。 ですね? 質問者: すべての区域において。
45:30 K: すべての区域において。
45:31 物理的に、テクノロジー的に、 そして、内的に、 優秀だ、優秀な振るまい、 優秀だ、などです。 私たちは、こう言います - あなたが、丘の途中に留まって、 けっして、あなた自身に 最高のものを、要求しないかぎり、 それは、それ自体が、 凡庸さの本質です。 ですね? ですね? これは、明らかですか。 あなたは、そうですか。
46:11 質問者: それを、繰り返して いただけるでしょうか。 私は知りません。 私はただ・・・
46:15 K: ああ、あなたは、 他のどこかに、いました。 私は、それを 繰り返しましょう。 私たちは、その言葉の意味を、 言いました - 丘の途中まで上がった。 私たちは、けっして 自分自身に訊ねません。 自分自身に要求しません - 至高であるように、です。 テクノロジーの世界で 至高だ。 その分野で、です。 また、内的にも、です。 理解されますか。 その意味は・ ・・ 至高だ、 優秀とは、けっして 嫉妬を意味していません。 もちろん、嫉妬は・ ・・ いいですか? いいですか? 理解されますか。
47:07 質問者: はい。
47:09 K: あなたは、要求するのでしょうか、 見届けるのでしょうか - 自分が嫉妬していない ことを、です。 あなたが そうであるなら、 あなたは、自分自身に、 最高のものを、求めていません。
47:28 質問者: 最高のもの、 至高と優秀といった言葉は、 比較上の用語でないですか。
47:32 K: ああ、はい。それが困難な 言葉であることは、存じています。 これらすべての言葉は、 困難ですが、 最高は、優秀を、 意味しています - あなたの要求の頂上に いることを、です。 私は、要求します - 何を?  私が嫉妬すべき でないことを、です。 私はそれを要求します。 そして私は、なぜ私は そうすべきでないか 嫉妬、妬みの原因が 何であるかなどを、見ます。 そして、それを 終了します。 が、余生の間、嫉妬し、妬み つづけることは、こうも・ ・・ それは、きわめて凡庸です。 理解されますか。 いいですか? さて、あなたは、 そうしていますか。 あなた自身に、優秀である ことを、求める - あらゆることにおいて、です。 一つの方向で、だけではない。 48:37 あなたが、庭仕事を しているなら、優秀である。 いいですか? あなたが、科学の世界で 働いているなら、優秀であること。 そしてあなたが、「私は自分自身を 理解しなければならないな - 私が何であるのか、私が何である べきか・ ・・」と、言っているなら、 それにおいて、 至高でありなさい。 ですね? あなたは、 そのようですか。 もしあなたが、 そうでないなら、 「私は凡庸だ」と呼ぶことにより、 それを非難しないでください。 理解されますか。 もしあなたが、 自分自身に、 括弧付きの「最高のもの」を、 求めていないなら、です。 質問者: 私がそうでないなら、ですか。
49:25 K: あなたがそうでないなら、です。
49:26 「私は凡庸だ」と言うことにより、 それを非難しないでください。 そのとき、なぜあなたはそうでないかを、 訊ねてください。 理解されますか。 しかし、あなたが、「ああ、それは 凡庸さだ」と、非難するなら、 あなたは、それを 非難するだけです。 しかし、あなたが、 「いいですよ。 なぜ私は、 自分自身に求めていないか。 内的に、 最高のものを」と言うなら - そうね、 最高のものを、です。 私は当面の間、その言葉を使っています。 一定のためらいをもって、です。
50:01 質問者: まあ、私は求めていません。 なぜなら、私は凡庸であるからです。
50:04 K: いいえ。そのとき、あなたは それを非難しています。 あなたは、それを 見逃しています。
50:12 質問者: 彼は、 こう考えます - 彼は一度、自分自身を凡庸だと 見てきたから、 それは、自分が永久にその状態に あることを、意味している、と。
50:20 K: ええ。 私が自分自身を・ ・・私は 凡庸であると、見つけるなら - これらが、今朝の言語的な 交換が、聞こえた後、です。 そして、私は、自分が 凡庸であるのが、見えます。 私は、「神様、なぜ私は、 あのようなのか。 それの理由は、何なのか」 と言います。 私は、凡庸さを受け入れません。 理解されますか。 私は、「なぜ私は あのようなのか」と言います。 私は、自分自身を、誰かと 比較していますか - 凡庸でない人と、です。 そうしているなら、私は 彼を、嫉妬しています。 比較は、嫉妬、妬みの 要因の一つです。 ですね? 妬みの、ですね。 で、私は 比較しないでしょう。
51:12 メアリー・ジンバリスト: あなたが、 自分は凡庸であることを、悟るなら、 それは、何かへの 比較において、です - 「凡庸さ」という言葉を、使う、 選ぶのは、ね。 そこに、 何か他の潜在能力が・ ・・ それは、他の誰かではないかも しれませんが、それは、何か価値がある。
51:33 K: 不幸にも、私たちのほとんどは、 自らが凡庸であるのを、悟りません。
51:37 MZ: ええ。それを 悟るためには、私たちは、 いつの時も、その物差しを 見なくてはいけなくないですか。
51:44 K: 物差しは、ありません。 それが、私が言っていることです。
51:47 MZ: あなたは、「途中まで 上がった」と仰いました。 あなたは、それは部分的だ、それは 道のりすべてではない、と仰いました。
51:51 K: 物差しは、 ありません。 あなたが、物差しを 持っているかぎり - より良く、より良くと、 これとあれ、と - それは、凡庸さです。
52:03 MZ: でも、あなたは、自分が 凡庸であると、どうやって決定しますか - もし、物差しを見ないなら、です。
52:08 K: 私はそれに、入ろうとしています。 私は、自分が凡庸であると、 どうやって悟りますか。 ジンバリスト夫人は 訊ねています。 あなたはどうやって、 悟られますか。さあ!
52:21 質問者: 比較なしに、です。
52:29 質問者: 自分が何かへ十分に 応答していないことが、見えます。
52:36 K: はい。それが、要因の 一つなのでしょう。 すなわち、他の一人との あなたの関係において、 あなたは十分に 応答していない、と。 それは、どういう 意味ですか。
52:55 質問者: あなたは、一通りに考えるし、 あなたは、もう一通りに行為します。
52:58 K: いいえ。 彼は、こう言いました - 自分が十分に、 完全に、調和的に 応答するとき、 その状態は、何も・ ・・ それは、凡庸さの状態では ありません。 ですね? それは、どういう意味ですか - 「それに応答する」とは。
53:29 質問者: あなたが全的に 注意深いことですか。 あなたは、他の人物へ 完全に注意深いことですか。
53:34 K: それは、あなたにとって、どういう 意味ですか - 完全に応答するとは。
53:48 質問者: それは、こういう 意味かもしれません - あなたの応答は、断片のではない。 ゆえにそれは、分割的ではない、と。 K: え? 
54:02 質問者: それは、 こういう意味かもしれません。 あなたの応答は、断片からではない。 ゆえにそれは、分割的ではない、と。 K: で、あなたは どうやって知りますか - あなたが断片から行為 していないことを、です。
54:12 質問者: 自分は、自らが断片から行為 するのを、知ると、私は思いますね。
54:14 K: それが、私が見出したいこと です。どうやって知りますか。 まず第一に - もう一度、始めましょう。 私たちが断片化しているのを、 あなたは悟りますか。 質問者: はい。
54:32 K: はい?
54:34 あなたたちが違った人物である ことを、実際に悟る。 ですね?  あなたが、富裕で 権力をもつ誰かに、出会うとき、 それへの違った応答が、 あります。 ですね? ですね?  あなたが、 そうでない誰かに、出会うとき、 違った応答が、あります。 で、それが、 断片化です - 権力へ、違った応答が あるのと、 貧困へ、全く違った応答が、 あるとき、です。 ですね? 私が言っていることを、 理解されますか。 いいですか? あなたは、そのようですか。
55:23 質問者: はい。
55:25 K: それは、あなたが、断片化している、 という意味です。そうでしょう。ね? 一通りに応答し、 もう一通りに応答することは、 あなたが砕けてしまっている ことを、示します。 いいえ? で、あなたは、応答できますか- それが、富、貧困へ、でも、 司祭者へ、 などなどなどでも、 変動なしに応答する。
56:04 質問者: 私たちの応答は、境遇に 沿って、変動するかもしれません。
56:08 K: ゆえに、それは、 どういう意味ですか。
56:11 質問者: それは適切に違っているかも しれない、っていうことです。
56:14 K: 必ずしもそうではない。なぜ あなたは、適切に違っている、と? なぜ私は、教皇へ 違った応答をすべきですか。
56:25 質問者: 私は、権力への尊敬という 意味では、言っていません。
56:29 K: いえ、いえ、私はあなたに頼んでいます - それを、止めてしまいなさい、と。 教皇へ一通りに応答し、 首相へ一通り、 将軍へ一通り、 貧しい人へ一通り、 などとね。 違った応答です。 それらは、 適切ではありません。 なぜなら、私の中で、権力のほうが、 貧困より、重要であるからです。 ですね?  ゆえに、私は 違った応答をします - 権力へ、金銭、 地位、権威へ、です。 そして私は、何も持っていない人へ、 応答がありません。 ですね? あなたが、これらを理解されるのか どうかと、思われます。
57:26 質問者: 私には、 こう思われます - 私たちが今、 話していること、 それは、私たちが先日、 話していた尊敬の気持ちと 何か関わりが あるのだ、と。
57:41 K: はい。私たちは、 尊敬について、話していました。 当分の間、それを 持ち込まないでください。 私はどうすれば、あなたに、 或る感覚を、お伝えできますか - そこに比較がない、 ゆえに、妬みがない、 ゆえに、あなたの中で物事を、あるが ままに、見ているところの生、です。 そして、それを変化させる。 他のものに なろうとするのではなくて、です。 私が言っていることを、 理解されますか。 
58:25 質問者: いえ。
58:31 K: 仮に、 こうだと致します - 私は貧しくて、相当に 良い教育を受けた人です。 私は、あなたを見ます - 高度な教育を受け、 洗練されていて、自分がほしい ものすべてを、持っています。 そして私は、そうではなく、 私は、それらを持っていません。 私は、あなたを 妬んでいます。 私もまた、あなたが持っている すべてを、ほしい。 私は、それを持ちたいと 思います。 ですね? さて、私は、それが私をどこへ 導こうとしているかを、見ます - 私が自分自身を、あなたと 比較するとき、です。 あなたは、それが 見えますか。 あなたは、それが私を、どこへ 導くだろうかが、見えますか。 それは、私を、あなたとの 葛藤へ、導くでしょう。 あなたを嫉妬し、 私自身を拒否し・ ・・ 自分のあるがままを、拒否し、 自分のあるがままに、不満足です。 ですね? 私が、あなたのようで ありたいとき、そのすべてが、起きます。 59:42 ですね? それは、一連の 葛藤、抗争です。 ですね? さて、それを、逆のほうから、 見つめましょう。 私は、自分自身を、あなたと まったく比較しません。 私は、私のあるがままです。 ですね? 私は、アパートや 一部屋を、持っています。 私は、鈍くありません。 私は、私なるものです。 ですね?  私は、鈍くありません。 私が自分自身を、あなたと比較する ときだけ、鈍さは、存在します。 それに同意されますか。 で、私は鈍くありません。 私は、私なるものです。 それが、私が出発する ところの基礎です。 他方は、虚構です。 どうなのか・・・
1:00:58 MZ: クリシュナジ、比較が 人々の間にあるとき、 それは、大変 破壊的ですか。 たとえば、私は、 自分が無知であると、悟ります。 私は、物理学について 無知です。 まあ、私は、何か明白に中立的な ものを、取り上げています。 私は、自分がこれについて 無知であるのを、知っています。 私は、自分がケンより知っているとか、 ケンより知らないとか、言っていません。 私はただ、自分が物理学について 無知であると、言うだけです。 さて、そこには、比較的な 発言が、あります。 私は物理学を知らない - それは、比較ですか。
1:01:38 K: はい、確かに。 昨夜、あなたは、ナイポールがレヴィンに インタビューされているのを、 聞きましたか。 はい?
1:01:47 質問者: はい。
1:01:48 K: あなたは、ナイポールが誰かを 知っていますか。 質問者: いいえ。
1:01:49 彼は、偉大な、 有名な作家です。 ものすごく有名です。 彼が、バーナード・ レヴィンから、 インタビューを受けていました。 バーナード・ レヴィンを、ご存じですね。 彼は、ここに来ていました。 彼は、この人物に インタビューを、しました。 私はそれを、 20分間ほど、観ました。 ナイポールは、きわめて、 きわめて利巧で、高度に知的で、 世界中を旅行し、 無数の本を読み、 報酬を得ています。 彼は、自分の子ども時代、 青年時代について、話しましたが、 彼は、自分の青年時代が 好きでなかった。 よろしいですか。 さて、私は、彼の話を 聞きました。 彼は、とても有名ですし、 私は、そうではありません。 仮に、私はそうでない、とします。 私は、有名でありたくありません。 ですが、私の中に、 妬みの感情が、生じましたか。 質問を 理解されますか。 ああ、さあ、どうぞ。
1:03:09 МZ: でも、それは、 またもや、人それぞれです。
1:03:11 K: 私は、そこへ来つつあります。私は、 人それぞれに、拘りたいのです。
1:03:15 質問者: で、違った性質の 比較は、主題でなく・・・
1:03:20 K: それらは理解できますよ、マリア。 私は言っています、 私は、あなたに訊ねています。 あなたが、美しい女優を、見るとき - または、美しい俳優を、です - あなたは、 「おやまあ、私はあのようで ありたい」という感情が、しますか。
1:03:43 質問者: はい。 はい。 それは、機械的な過程に なったように、思われます - それを見るやいなや、あなたは すでに、衝動を持っているんです。
1:03:52 K: ええ。で、その感情が、 存在します。ですね? あなたは何を・ ・・ それは、断片的ですか。 もちろん、そうです。 私は、シルクハットを被った誰かが、 歩いていくのを、見ます。 アスコット競馬場へ出かけてゆくのを、です。 それらのことをご存じですね。 そして、私は コックです。 あなたは、これらの感情を、 ご存じですね? そして、全世界が、このようです。 理解されますか。 あなたが、インドへ行こうが、 あなたが、シナへ行こうが、 あなたが、ロシアへ行こうが、 あらゆるところで、 それは、同じ現象です。 あらゆる人が、互いに 嫉妬しています。 ですね? これを ご存じないですか。
1:04:57 質問者: あらゆる人が、ですか。 どうして、あらゆる人が、と言えますか。
1:05:02 K: 例外は、あります。 いいですよ。 私の祖母と私の父は、 例外でしたが・ ・・ そうね、なぜあなたは、 例外でありえませんか。 例外的でないままで いることが、凡庸です。 私は、或る邸宅へ行きます。 私は、美しい家具を、見ます 麗しいカーペット、 すばらしい絵画を、です。 個人的に私は、その種類の 感情を、まったく持ちません。 それは、私にとって、 何一つ、意味しません。 私は、「ああ、神様、私はあれを 持てたらなあ」って、感情を持ちません。 なぜなら、私はどこにいても、自分自身を お客として扱ってきたからです。 私は、自分は世界のお客、 この地上のお客であると、 感じるでしょう。 ゆえに、私はお客です。 よろしいですか。 それは、とても単純です。 私が言っていることを、理解されますか。 あなたは、そのようであるでしょうか。
1:06:35 質問者: まあ、 もしも私が・・・
1:06:36 K: けっして、嫉妬する、妬む 感情を、許さないでください。 なぜなら、それは・ ・・それは、 こうも愚かであるからです。 それは、私が出発するための 基盤を持たない、という意味です。 理解されますか。 そういうわけで、私は混乱する、 私は格闘する、それらであるのです。 もし私が、私は私なるものである、 と言うなら - ですね? 私は鈍いかもしれない。 私は 愚かであるかもしれない。 私は、あれやこれ であるかもしれない。 それが、私のあるがままです。 ですね? それが、あなたがそこに家を 建てるための基盤です。 が、あなたはいつも、自分自身を 誰かを、比較しているなら、 あなたの基盤は、きわめて・・・ 何の基盤もありません。 1:07:37 あなたは、その上に家を 建てられません。理解されますか。 で、明瞭さを 持つこと、 安定して常なる基盤を 持つこと、 それは、壊れてしまいつつない、 変化しつつないのです。 あなたが、あなたなるものであり、 そこから動くかぎり、 その基盤は、 存在できるだけです。 ですね? で、比較、嫉妬は、 だめです。 それが存在するなら、 あなたは常に、不確実で、 くたびれようとし、 何かであろうと格闘しています。 よろしいですか。 あなたは、何かであるでしょう。 あなたが、 あなたなるものから、出発するなら、 - あなたが、何か でありたいのなら、です。 1:08:57 さて、あなたは、 問いを出しました - 関係において、思考は、 どんな役割を、持っていますか。 ですね?  あなたは、 それを出しました。 あなたは、私の問いに答えてください - その問いに、です。 関係において、思考は、 どんな役割、 どんな所を、持っていますか。 理解されますか。 役割、部分、 思考、関係。 さて、関係とは、 何ですか。 実際に、です。 それを理想化したり、 それを想像したり、 それはあるべきだと言ったり しないでください。 実際に、それは 何ですか。
1:09:44 質問者: まあ、あなたと私は、お互いに 直接的に接触しあっています。
1:09:49 K: いいえ。私は、あなたに お訊きしています。 あなたは、こう言います - あなたは、そうですか - 直接的な接触があるとき、 関係がある、と。 それが、あなたが言っている ことですか。 物理的な接触ですか。 質問者: それだけではありません。
1:10:02 K: 性的な接触ですか。
1:10:04 質問者: そのすべてです。 K: ちょっと お待ちください。「そのすべて」。
1:10:07 あなたの「そのすべて」とは、 どういう意味かを、私は知りません。
1:10:08 ゆっくり始めてください。 一歩一歩、です。 あなたが、関係は、他の一人と完全に 接触していることである、と言うとき、 あなたがいうのは、 物理的に、という意味ですか。 あなたは、はい、と 言いますか。
1:10:36 質問者: なぜですか。
1:10:38 私は、彼がなぜそう 言うのかを、知りません。
1:10:40 K: 彼はそう言いました。私は、 なぜかを、訊ねています。
1:10:42 質問者: 私が関係を持っている人々は、 おそらく大勢、います - そこで私は、親密な物理的な 接触を、持たないのですが。
1:10:50 K: お待ちください。 お待ちください。 私は、関係するとは、どういう ことかを、見出したいと思います。
1:10:55 質問者: ああ、いいえ。そういう つもりではなくて・・・
1:11:01 K: いえ。あなたが仰ったことに、 拘ってください。 質問者: ええ。
1:11:02 K: あなたが言ったことに、 拘ってください。
1:11:03 そこには、たくさんあります。言葉に より、だまくらかされないでください。 あなたが言ってきたことに、 拘ってください。 完全に・ ・・ それは、本当の事実です。 が、私たちは、 そうではありません。 あなたは、関係は、 他の一人と 完全に接触している、という 意味だと、言いました。 ですね? 私は訊ねました - それは、 物理的に、という意味ですか - それは、感覚的に、 セックス、という意味ですが。 またはそれは、心理的に、 内的に、あなたと、他の一人と、 完全に接触している、という 意味ですか。 いいですか? あなたがいうのは、どの意味ですか。 そのすべてと、あなたは言いました。 物理的に、 感覚的に、性的に、 そして、 内的にも、です。 1:12:12 それは、分割がない、 という意味です。 ですね?  ジョー氏や、 X女史ではない。 で、心理的に、 分割がない。 同意しますか。 で、分割が、あるところ、 関係が、ありません。 ですね? 私が、わが道を行くし、 私の妻や友だちや彼女が、 別の道を行くのなら - 物理的にではなく、情動的に、 想像力豊かに、宗教的に、です。 彼女は、カトリック教義を、信じて います。 私は、信じていません。 私は、仏教者です。 または、 気難しい何らかです。 彼女は、 そうではありません。 関係が、ありません。 彼女は、野心的です。 私は、野心的です。 関係が、ありますか。
1:13:23 質問者: 私たちがどちらも、 野心的であるなら、ですか。
1:13:25 K: 彼女は、自分自身のために 野心的です。 私は、偉大な画家に なりたいと、野心的です。 または、それが 何であっても、です。 私は、彼女と接触を 持っていますか。 いいえ。 で、私たちが、違った宗教を持っている なら、何も接触が、ありません。 ちょっと待って。 ゆっくり行ってください。 私は、カトリックであるかもしれません。 彼女は、カトリックであるかもしれません。 けれども、分割が あります。 いいですか。 それに同意されますか。
1:14:00 質問者: 私が、カトリックであり、 妻が、カトリックであるなら・・・
1:14:02 K: ・・・分割がない。 質問者: ・・・分割がない。
1:14:05 それが、あなたが 仰っていることですか。
1:14:06 K: 私たちは、分割が ないと、考えます。 ですね?  それは明らかですね? さあ、どうぞ。 私がプロテスタントであり、 彼女がカトリックであるなら、 格闘が、あります。 が、私たちが、同じ宗派に 所属しているなら - が、私は、彼女が信ずるより、 もうちょっと信じています。 ですね? 私のイエスは、彼女の イエスより、偉大である。 または、彼女は、私のより、 偉大な救い主を、持っている。 で、信念は、 分割する要因です。 質問者: はい。
1:15:00 K: いいですか?
1:15:02 で、私は、関係において、 彼女と、 完全な心理的な接触を、 持てません - 私たちの間に、信念が あるなら、です。
1:15:18 質問者: 完全な接触、というのは、 どういう意味ですか。
1:15:22 K: 私たちは、完全な、と言いました - 物理的に、心理的に、 あらゆるように、です。
1:15:30 質問者: まあ、紛糾があるから といって、 それは、接触がない、 という意味ですか。
1:15:36 K: 私が紛糾を持っているなら、私が 問題を持っていて、彼女は持っていないなら、 私は、彼女と接触を 持てますか。
1:15:45 質問者: まあ、あなたは、 彼女と接触を持つんです。 つまり、見てください。 私は、 毎日、これらの人々と生活します。 そして、私は、彼らの何人かとは、 うまく行きません。 それは、関係がない、という 意味ではありません。
1:15:56 K: いいえ。私は、「うまく行く」とは 言いませんでした。 私が言ったことを、ただ聞いて ください。 私は、こう言いました - ああ、私は、反復、反復、 反復をしたくありません。 ただ 聞いてください。 彼女は、カトリックです。 私は、プロテスタントです。ですね? 彼女は、アメリカ人です。 私は、ズールー族、野蛮人です。 その言葉「野蛮人」(バーバリアン)が どういう意味かを、ご存じですか。 それは、古いギリシャ人と ローマ人から、来ています。 同じ言語を話さなかった 人たちです。 それは、ラテン語か、 ギリシャ語です。 または、それは、帝国の中に いない人たちを、意味しています。 ローマ帝国か、 国家の中、 ギリシャの諸国家、そうね、 スパルタ、アテネなど、ですが、 1:16:59 彼らが国家に 所属しているかぎり、 彼らは、野蛮人ではないし、 同じ言語を話します。 しかし、彼らが、国家の外、 帝国の外にいるし、 同じ言語を 話さないのなら、 彼らは、野蛮人 (バーバリアン)です。 それは、「野蛮」の 一面の説明だけです。 私は、幾つもの辞書で、よく気を つけて、その言葉を調べてみました。 で、私は、全体的に、 他の一人と、接触を持てますか - (首相)サッチャー夫人の 崇拝者である人と、です。 私はそれを、ぐさりと させつつあります。 私は、支持者でないのですが。 質問者: 私たちは、持てません。
1:17:52 K: あなたは、持てません。
1:17:54 ですね? 質問者: 私たちはどうやって、
1:17:58 接触が完全であるか どうかを、知りますか。
1:18:01 K: 私は、 お話ししましょう。 私たちは、こう言いました - 接触は、彼によれば、 物理的な接触だけではなく、完全な 心理的な接触をも、意味している、と。 他の一人との私の関係に、 分割がない、という意味で、完全です。
1:18:19 質問者: 私は 持っていません。
1:18:22 K: 困難は、何ですか。
1:18:24 質問者: 私は理解しません。 残念ながら、私は理解できません。 あなたが、完全な心理的な関係、 と仰るとき、 それが、どういう 意味なのかを、です。
1:18:33 K: そういうものは、ない、と 私は言っています。 彼は、あれがそれだと、 言います。 私は 説明しましょう。 完全な接触は、心理的に分割が ない、という意味です。 ですね? それが、すべてです。 質問者: まあ、いいよ。
1:18:50 K: 「いいよ」ではない。
1:18:52 質問者: そうねえ、そのことは、 私たちがそれを、
1:18:54 私たちの定義と取っていること なんですね。 それから私たちは、回って行き、 こう言っています・・・
1:18:59 K: いいえ、私はそうしていません。 それは、定義ではありません。 私たちは 訊ねています・ ・・ 彼は訊ねました。 元来の問いは、こうでした - 関係において、思考は、どんな役割を 果たしますか。 いいですね? 私は、言いました - あなたがいう、その言葉 「関係」は、どういう意味ですか、と。 そして彼は、他の一人との 完全な接触、と言いました。 ですね? 彼が、そう言いました。 質問者: あなたは、完全な接触と言いましたか。
1:19:30 質問者: ええ、言いました。
1:19:31 K: はい、ダーリン。 質問者: はい。
1:19:33 K: そして私は、こう言いました
1:19:34 - あなたがいう、完全な 接触とは、どういう意味ですか。
1:19:35 そして、私たちは、 それに入りました。 私たちは、こう言いました。 心理的に、分割があるかぎり - 理解されますか。 内的に、です - 完全な接触は、 ありえない、と。 私が、一つの道を行っているし、 彼女が、別の道を行っているが、 私たちは、ベッドで 出会うのなら、 それは、完全な接触 ではありません。 ですね?
1:20:00 質問者: そうです。
1:20:01 K: もし、彼女が 野心的であり、 私は、私なりに野心的であるし、 彼女は、別通りに野心的であるなら、 何も接触が、 ありません。
1:20:09 質問者: 何か接触があるかも しれませんが、それは、表面的です。
1:20:12 K: ああ、それは・・・ ご覧ください。 私たちは、 完全な接触、と言いました。 「表面的」という言葉を、 導入しないでください。
1:20:18 質問者: ケイティは、こう言おうと していると、私は思います - 私たちはやはり、色々について不同意 しようとも、別々の道を行こうとも・ ・・ K: すると、私たちは互いに 忍耐しあいます。 
1:20:23 質問者: はい。
1:20:24 K: ああ、神様! あなたは 自分の妻を、忍耐しますか。
1:20:25 みなさんは、何について 話していますか。
1:20:33 質問者: (聞き取れない)
1:20:38 K: 私は・・・ 彼が、それを使いました・・・ 私は、示そうと しています - どうぞ、私が指摘するのを、 お許しください - 現在、他の一人とは、 完全な接触が、ありません。 分割があるかぎり、です。 それがすべてです。いいですか? 質問者: はい。 K: 同意しますか。
1:21:00 質問者: いいよ。
1:21:00 K: 確かですか。 質問者: はい、はい。
1:21:02 K: すなわち、分割が、 どのようにも、あるかぎり
1:21:04 - 心理的に、 内的に、です -
1:21:05 何も関係はない、 ということです。
1:21:07 私は、「完全」という 言葉を、使いません。
1:21:22 質問者: はい。もし関係が、 完全な接触であるなら、はい。
1:21:25 K: ええ。 で、私が誰かを 嫉妬しているかぎり、 私が自分の野心を 追求しているかぎり - 自分の貪欲、 自分のこれ、これを - そして、彼女が、彼女なりに 同じことを、しているかぎり、 何の関係も、 ありません。 同意しますか。
1:21:45 質問者: はい。
1:21:46 K: で、私は、 指摘しています - すなわち、私たちの間に、 分割があるかぎり、 何も関係が ないのです。 表面的なのも、 深いのも、です。 性的な応答は、あるかも しれません。 よろしいですか。 それは、何か違ったことです。 いいですよ。 さて、彼は 訊ねました - 関係において、思考が 果たす役割は、何ですか。 私たちは、関係が何であるかへ 明確化してきました。 ですね? さて、私たちは、 問おうとしています。 思考とは何ですか。 いいですね? 私たちは、先日、よくよく 気をつけて、それに入りました。 私たちは、再び、 それに入りましょう。 私たちは、思考は 制限されていると、言いました。 なぜなら、すべての経験は、 制限されているからです。ですね? 1:22:48 あなたは、それが見えます。 それは、事実です。 完全で、満ちていて、 終わる経験は、ありません。 で、経験は、 制限されています。 経験から、 知識が、あります。 ゆえに、知識はいつも、 不完全であるでしょう。 同意されますか。 あなたは、それを見られます。 科学は、多かれ少なかれ、 機能してきました - ここ二千から三千年 以上の間、です。 ガレリオは、 地球が・ ・・ いいえ。 教会、 ローマ・カトリック教会は、 全宇宙が、地球のまわりを 回る、と言いました。 ガリレオは、いいえ、と 言いました。 地球が回る、と。 そして彼らは、彼を拷問しようと しましたが、彼は、「だいじょうぶです。 だいじょうぶです」と言いました。彼は それを受け入れました。気の毒に。 1:23:58 あなたは、同じことをするでしょうし、 私は、同じことをするでしょう。 しかし、科学が やってきて、言いました - 「ガリレオ、あなたが 正しい」と。 ですね? 知識の段階的な蓄積、です。 ですね? 明らかですか。 で、知識は、もっともっともっと 付け加えられつつあります。 ですね?  ゆえに、 それは、制限されています。 同意しますか。 知識は、いつも 制限されています - 過去においても、あるいは、未来に おいても、です。 同意されますか。 それで、知識は、 記憶です。 ですね? それに同意しますか。 それが、見えますか。 記憶なしに、 知識はありません。 で、経験、知識、 記憶です。ですね? 1:25:06 どうぞ、あなたは これらを、聞いていますか。 私は、数え切れないほど、反復しなくて いい。 それは、こうも明白です。 経験。 経験から、 知識があります。 その知識は、いつも制限されています。 なぜなら、経験が制限されているからです。 そして、記憶です。 記憶は、制限されています。 記憶から、 思考が生じます。 記憶がないなら、思考は ありません。 ですね? あなたは、すっかり確かですか。
1:25:41 質問者: はい。
1:25:43 K: 私は、生物学を 研究します。 私は、たくさん情報を、 蓄積してきました。 いわゆる知識を、ですね? その知識は、 制限されています。 そこから私は、生物学的に、 考えはじめます。 ですね? さて、彼は 訊ねました - 関係において、思考は どんな役割を、持っていますか。 ですね? 私たちは、関係が何であるかを、 言いました。 ですね? さて、私たちは、思考が何であるかを、 言いました。 ですね? あなたは、疲れつつ ありますか。 あなたたちが、疲れているなら、 止めましょう。 あなたは、疲れていますか。
1:26:38 質問者: いいえ。
1:26:40 K: 疲れていませんか。 あなたは、疲れている はずでしょう。 私たちがしているように、 あなたが、能動的に考えているなら、 あなたの頭脳は、混乱し、ガタガタ いっているに、ちがいありません。 終了させましょう。 で、彼は、 訊ねてきました。 関係において、思考は、 どんな役割を、果たしますか。 私たちは、関係・ ・・ と言いました - 分割があるなら、 関係がない、と。 あなたたちは、 それらに同意しました。 何が、分割を 引き起こしますか。 質問者: 思考です。
1:27:21 K: 思考です。
1:27:26 気をつけて、 見守ってください。 私たちは、関係が何であるかを、 きわめて明らかにしました。 ですね? 私たちは、きわめて 明らかにしました。 私たちは、思考が何であるかを、 明瞭にしました。 ですね? そして、私たちは、思考は 制限されていると、言いました - それが、 科学者の思考でも、 教皇の思考でも、 首相の思考でも、 あなたの思考でも、 誰の思考でも、 東洋の思考でも、 西洋の思考でも、 思考は、いつも 制限されています。 そして彼は、訊ねました - 関係において 思考は、どんな役割を、持っていますか。 1:28:16 私は、言います、 私たちは、言います - すなわち、思考が、関係において 分割を、創り出してきたのです。 私は、偉大な人でありたいと 思うが、彼女は、思いません。 偉大な人でありたいと思うのは、 思考の動きです。 ですね? そして彼女は、「後生です。 私は、単純な 生活をしたいんです」と言いました。 また、彼女が、単純な生活をしたいと 思うのもまた、思考の活動です。 ですね?  ですね? これらに 付いてきていますか。 で、思考が、分割を もたらしてきました - 関係において、 心理的に、です。 ですね?
1:29:16 質問者: で、それを見て、 それは、役割を持ちません。 それを見て - 思考は制限されている、と。
1:29:20 K: さて、ちょっと待って。 ゆえに、完全な・ ・・ または、関係を持つこと - 深くて根源的である 関係を、です。 思考は、関係において、 何の所をも、持ちません。 思考が、関係において 役割を、持っているなら、 それは、分割、葛藤を、 生み育てます。 ですね?  ですね? あなたは、そういう関係を、 持っていますか - その中で思考が、 働かないものを、です。 持っていますか。 持っていますか。 もちろん、あなたは、 持っていません。 で、見出してください。 「はい、私の関係において、 思考が、 役割を果たします」と 言わないでください。 それに入ってください。 それを止めてしまってください。 「はい、それは自然です。 それは、 回避不可能です」と言わないでください。 よろしいですか。 見出してください。 そこから 動いてください。
1:30:47 質問者: 思考は、私たちが 持っているすべてですよ。
1:30:51 私たちは、どうやって 動けますか。 K: ご覧ください。 あなたにお話しましょう。 あなたに、お示ししましょう。 あなたは、これの真理が、 見えますか。 真理 - それの観念や、 理論や説明だけではなく、 あなたは、その真理が 見えますか - すなわち、関係において 分割があるし、 制限されている思考が、この分割を 創り出してきたことを、です。 ゆえに、葛藤と、 その他すべてを、です。 で、あなたは、 それを見ます。 それは、事実です。 それは、 真理です。ですね? それは危険であるのを、見るなら、 あなたは、何かをします。 あなたは、「はい、いいですよ。 いいですよ」と、言いません。 危険な蛇に会うとき、あなたは、 それより動いて、離れます。 あなたは、 何かをします。 ここで、見たところ、 あなたは、そうしません。 これは、蛇より、 はるかに危険です。 政治家たちより、 はるかに危険です。
1:32:03 質問者: もしも見たなら、 私は動くでしょうね。 もしも私は、 それを見たなら - すなわち、それは、毒蛇より はるかに危険であることを、です - 私は、それについて、 何かをするでしょうが、 現時点で、私は、それを そのように見ません。
1:32:14 K: なぜですか。 このすべての説明の後、 あなたは、それを 見ませんか。 いいえ、あなたは、すっかり正しいです。 私たちの誰一人として、見ません。 あなたは正しい。 それに拘ってください。 私たちは、部族主義が危険で あるのを、見ません。 ですね? 民族主義は、毒です。 私たちは、それを見ません。 私はイギリス人です。 私はフランス人です。
1:32:38 質問者: まあ、私たちは、 一定の点まで、見られます。
1:32:41 K: いえ、いえ。あなたは、それを見る なら、フランス人でいないでください。 イギリス人やアメリカ人やヒンドゥーで いないでください。 それが何でも、です。 パスポートを持っている けれども、です。 気をつけて。 それが、 私がいう意味です。 あなたが、何かを真実だと、見るなら、 偽りのことを、片付けてください。 論争しないでください - 誰がそれを見るのか、と。 私は後で、そこへ 来るでしょう。 が、何かが真実であるか どうかを、見てください。 すると、偽りのことは、 どこにも、所を持ちません。 もしあなたが、民族主義、 部族主義を、見るなら - それは今、ますます 人気になろうとしています。 大規模に危険です。 ですね?  なぜなら、それは、戦争を もたらそうとしているからです。 そしてあなたは、「まあ、私は どの部族にも所属すまい」と言います。 あなたが、戦争に影響するだろう、 というのではないが、 あなたは、どの部族にも 所属しないでしょう。 違いを 理解されますか。 質問者: でも、クリシュナジ・・・ 
1:33:54 K: あなたは、正しいことをしつつあります。
1:33:56 質問者: ちょうど今、彼は、
1:33:58 思考は、私たちが持っている すべてであると、言いました。 彼は、思考は、私たちが持っている すべてであると、言いました。 私は、そのとおりであるのか どうかを、問います。
1:34:07 K: 私は、けっして、思考は ・・・と言いませんでした。
1:34:09 質問者: ケンは、ちょうど今、 そう言いました。
1:34:11 K: 彼がそう言ったのは、 存じていますが、 私は、彼のほうに付きたく ありませんでした。 なぜなら、それは、正しい 機会ではないからです。 なぜなら、私たちは、一つの ことを、追求しているからです。 ですね? あなたは、偽りを、 偽りと見ますか。 民族主義は、 偽りです。 それは、中に何をも 持っていない、 ただ言葉、言葉、言葉だけ、 という意味で、偽りです。
1:34:53 質問者: 私は、民族主義が、 偽りであることが、見えません。
1:34:58 K: あなたは、民族主義が、 毒と見えませんか。
1:35:07 質問者: まあ・・・ K: ちょっと待って。
1:35:08 私は、この小さな島に、 所属しています。ですね? 私はイギリス人ですが、あそこを 22マイル(35kmほど)渡ると、 フランス人、フランス人、 フランス人です。 もう少し北は、オランダ人、 ドイツ人、ノルウェー人。 みんな、自分たちは・ ・・ と言っています。 言い換えると、彼らは 部族主義に、取りすがっています。 ですね?  そして部族主義は、 間違いなく戦争を、もたらします。 それが、すべてです。 あなたが戦争を好きで、 他の人たちを殺し、殺されるのが、 好きなら、だいじょうぶです。 が、あなたが、これの危険を、 見るなら - ですね? - あなたは、「すみません。 それはだめだ」と、言います。 1:35:58 努力は、ありません。「私は、 何をすることになるか。 何をすべきかを、 教えてくれ」は、ありません。 あなたは、「あれは危険だ。 私は それに近寄るまい」と、言います。 ですね? あなたは、そう していますか。 いいえ。 まさにそうなのです。 私たちは、危険を見ますが、 私たちは、何もしません。 あなたたちのどこが、 間違っていますか。 あなたが蛇を見るなら - 危険な蛇を、です - 私は、それを 踏みつけるでしょう。 あなたは、「私は気にしない。 それは だいじょうぶだ」と、言います。 だいじょうぶだ - それは、 一通りの生き方です。
1:36:46 質問者: または、 死に方です。
1:36:47 K: ええ。そのとおりです。あなたは、 死にます。それは、だいじょうぶだ、と。 が、それは蛇だ、危険だと 見て、動いてください。 で、あなたのどこが、 間違っていますか - あなたが危険を見て、 動かないとき、です。 それは、あなたが本当は、民族主義の 危険を見ない、という意味です。 あなたは、こうも 条件づけられている、 コンピューターのように、 プログラムされているから、 あなたは、反復し、 反復し、反復します - 私はヒンドゥーだ、私はドイツ人だ、 私はスイス人だ、と。 これらすべての所へのパスポートを得る ことは、ひどく困難になりつつあります。
1:37:31 質問者: で、あなたは、 こう仰っています - 思考は、制限されているが、それが 私たちの知覚を、曇らせる、と。
1:37:36 K: そのとおりです。 今そうであるように、ね。 で、あなたは、明らかに 見たいのなら、 どの先入観も、 意見も、結論もない。 偏向しないでください。 偏見を持たないでください。 それは、とても単純です - あなたがそうしたいなら、です。 あなたは、そうしたくないなら、 そのとき理由すべてを、持ち出します。 幸運にも、 少なくとも、あなたたちは、 これらを聞きますね? おそらくそれは、いつか、 あなたの頭脳に、入るでしょう。 しかし、教皇や、(英首相) サッチャー夫人や、政治家たちへ話すと、 彼らは、それが 聞こえないでしょう。 彼らは、あなたを、 近づけさえしないでしょう。 昔、彼らは、あなたを 焼き殺したでしょう。 それが、 それの終わりです。 私たちは止めたほうが、いいと 思います。 そうでないですか。 あなたたちは、疲れています。 よろしいですよ。 すみません。 立ち上がってもいいですか。
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