BR83Q1 - 第1回質疑応答会合

イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年8月30日
テキストのみのバージョン
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0:49
クリシュナムルティ: 私たちは、ともに 対話をできたらなあ、と思います -
あなたと語り手との間の 会話を、です。
ですが、こういう大きな集団とでは、 それは可能ではありません。
対話を行うには、
同等に、見出したがっていて、
深刻な事柄へ入るほど、 熱心でなければなりません。
二人の人たちの間で、良い対話を 行うことは、全くわくわくします
- そうなさったことが、 あるなら、です。
なぜなら、そのとき、私たちの どちらもが、互いに挑戦しあい、
互いに質問しあっている からです。
そして、一定のためらい、
友情と、
それへの深い探究が、あるのです。
ですが、それは可能ではありません - 可能だったならと、思います -
あなたが、単独の人物として、
私はここで、演台の上ではなく - ありがたい。
静かな部屋に座って、これらのことを、 話し合っていることが、です。
2:36
私は、それができたならなあ、と 思いますが、それはできません。
で、私たちは、或る種の 質疑応答を、講じます。
またもや、それは、かなり 表面的になります。
それは、活力、エネルギー、性質を、 失ってしまいます -
対話のときのような、 真の意思疎通のそれらを、です。
で、私たちは、これらの質問に、入る でしょう。
それらが幾つも、あります。
私は知りませんが、百ほども、です。
それらは答えられません - それらすべては、です。
幾日も、掛かるでしょう。
あなたたちもきっと、それは、 気に入らないだろうと、思います -
次の二、三週間、毎日、 ここに来ることは、です。
私も、気に入らないでしょうね。なぜなら 私は、他にすることが、あるからです。
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3:42
で、私たちは、これらの問いに、 入らなくてはいけません。
まず第一に、大変尊敬をこめて、 お訊きしてもいいなら、
あなたは、誰から、 答えを期待しますか。
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4:03
質問することは、良い -
語り手に、だけではない。
または、あなたの友だち、 妻と夫に、質問する。
問い、疑い、探究し、 懐疑的であることが、です。
質問をするとき、 それは挑戦ですが、
あなたは、その挑戦が 誰に、または、誰から、
答えられるのを、期待しますか。
それは、自分自身への 挑戦ですか。
または、あなたは、語り手に、 挑戦していますか。
大変多くの違いが、 あります -
あなたは、あなた自身、自分自身に 質問をしているとき、
本当に、それを探査しています。 それに食い込んでいます。
5:13
自分が熱心であり、本当に深く 関心を持っているなら、
答えは、問いの中に 見つけられるだけです。
もし指摘してもよろしいなら、 答えは、
問いより、 分離していません。
答えはどこかにあり、問いは他の どこかにある、ということではない。
で、私たちは、問うことこそに、 答えがあると、言っています。
私たちがそれを理解することを、 願っています。
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5:58
で、私たちはともに、これらの 問いを、探究しようとしています。
ともに探究する中で、私たちは 答えを見つけるでしょう。
それは、語り手が答えようと している、ということではない -
政治家のように、です。
彼は、 あらゆる種類の答えを、持っています。
ですが、ここで私たちは、ともに、 これらの疑問を、探究しています。
問いのほうが、答えより、はるかに 重要です。
そうではないですか。
なぜ私は、自分自身にとか、世界にとか、 友だちに、質問をしますか。
私は、かなり表面的に、 質問をするなら、
答えは、必然的に、 表面的になるでしょう。
なぜなら、私の問いは、本当は、 あまり重要ではないからです -
私自身にとっても、 世界にとっても、です。
7:08
ですが、私は、質問をし、 本性を見つけよう、
問いの裏に何が潜むかを、 見つけようとするなら、
私は、問いを 開きつつあります。
それは、井戸を掘るのに 似ています。
掘れば掘るほど、 水があります。
で、私たちはともに、です - 私がまたもや指摘してもよろしいなら -
私たちはともに、これらの問いへ 入ろうとしています。
それは、だいじょうぶですか。
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7:47
第一の質問: 自分が仰っていることが、 真実であることを、
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8:08
あなたは、どうやって 知りますか。
なぜあなたは、私に その質問をされますか。
それは、真実ではないですか - すなわち、民族的な分割、
経済的な分割、人種的な分割 宗教的な分割が、あるかぎり、
葛藤があるにちがいないのです。
それは、事実です。
いいですか?
あなたは、 それを、受け入れるでしょうか。
で、それは、私が、真実だと 言うことではなく、事実自体です。
事実自体が、真理が 何であるかを、示します。
私たちが先日、関係について、 話したように、
二人の人間の間に、 この分離が、あるかぎり、
- 心理的に、ですが - 葛藤が、あるにちがいないのです。
9:15
それは、事実です。 それは、私が言うことではない -
私が言うことが真実であると、 私はどうやって知るのか、ではなく、
それは、事実です。
私が野心的であり、 自分の特定の形の楽しみ、
特定の充足を追求していて、私の妻や夫や ガールフレンドが、同じことをするかぎり、
私たちは必然的に、葛藤に 終わってしまうにちがいないのです。
それは、事実です。
で、それは、真理が何であるかを、 私はどうやって知るのか、ではない。
まず第一に、事実を 見つめましょう。
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9:58
私たちは、大いに 先入観をもった人々です。
私たちは、大変多くの 先入観を、持っています。
私たちは、それらを 養成してきました。
私たちは、それらを強めてきました - 世論などによって、です。
それで、私たちの先入観は、 他の人々を理解するのを、阻止します。
いいですか?
それは、事実です。
で、自らは、 先入観より自由でありえ、
一定の意見より、 自由でありえますか -
それらは、私たちの生において、 とても強くなるのですが。
そのとき、問いが生じます -
人間たちが、先入観より自由である ことは、どのように可能ですか。
それについて、私たちは 議論できます。
それについて、私たちは、 会話、対話を行えます。
そして、「ごらん、私は 先入観を持っている」と言えます。
仮に、私はそれらを持っている、 あなたはそれらを持っている、とします。
で、これらの先入観は、 理想主義的な先入観でも、
資本主義的な先入観でも、
全体主義的な先入観でも、 宗教的な先入観でも、
11:40
それらは、人々を分割します。 いいですか? これは、単純な事実です。
分割があるところ、 葛藤があるにちがいない
- アラブ人とユダヤ人、 イスラム教世界と、残りの世界、
ひどく頑迷な人たちと、
そうでない人たちは、
葛藤の中に、いるに ちがいないのです。
それは、事実です。
私は、それとは、 何の関わりも、ありません。
それは、私が言っていることが、 真実であるのを、
私はどうやって知るのか、 ということではない。
私たちはただ、 事実に向き合っているだけです。
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12:22
さて、事実は、何ですか。
あなたは、事実とは何であると、 考えますか。
前に起きてきたこと
- 出来事、車の事故 - それは、事実です。
または、今起きつつあること、
ここに座っていることは、 事実です。
ですが、未来に起きるだろうことは、 事実でないかもしれません。
で、事実は、前に起きてきたこと、 という意味合いです -
昨日、小道を歩いていて、 私は、毒蛇に会いました。
私は、それを見ました。
それは、私を 咬まなかった。それは事実です。
今、起きつつあること、 今、私が考えていること、
私がしていることは、 事実です。
私がするだろうことは、 事実でないかもしれません。
それは、起きるかもしれないし、 起きないかもしれません。
13:48
で、私たちは、事実が何であるかに ついて、明らかであるなら、
そのとき、観念とは何ですか。
理解されますか。
観念は、事実ですか。
「観念(アイディア)」という言葉、 ギリシャ語など、ラテン語は、
観察する、という意味です。
理解されますか。
その「観念」と いう言葉の根本の意味は、
観察すること、知覚すること、 見ることです。
私たちがすることは、事実を見て、 それから抽象化して、
それから、観念を 追求することです。
それは、いつも事実と、事実からの 結論が、ある、という意味です。
そして、事実、結論を追求する - 事実を理解するのではない。
私の話は、明らかに なっていますか。
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15:05
で、どうぞ、それは、あなたは、 自分が言っていることが、
真実であると、どうやって 知るのか、ではない。
語り手は単に、事実を 指摘しているだけです。
それら事実は、 個人的ではありません。
私が、自分は ヒンドゥー教徒だ、と言い、
私がそれに拘るなら、 それは事実です。
それが幻影であっても、
それが、或る種の迷信的、 感傷的な戯言であっても、
それもまた、事実です。
理解されますか。
事実は、幻影でも、 現実的でもありえますが、
私たちのほとんどは、 幻影とともに、生きます。
私はインド人です - それは、幻影です。
あなたは - 私が大変優しく 指摘してもいいなら -
あなたは、イギリス人です。
それもまた、幻影です。
16:17
この部族的、島国的な崇拝は、 世界を、破壊しつつあります。
それは、事実です。
私がアラブ人であり、あなたが 他の何かであるかぎり、
私は、あなたを 破壊しようとするでしょう。
なぜなら、私は、あなたを 破壊することにより、
自分は天国に行くだろうと、 信じているからです。
いいですか?
それは、彼らが事実として 受け入れてきた幻影です。
その幻影のために、 彼らは進んで、
闘おう、殺そう、破壊しようと しています。
いいですか?
で、私たちは、いつも 事実を、取り扱えますか。
私は訊ねています -
私たちは、いつも 事実とともに、いられますか。
私の先入観に応じて、 事実を翻訳するのではない -
私の信念に応じて、
私の神経症的な幻影に応じて、 ではない。
それらが、どれほど尊くても、
私は、これら事実を 見つめられ、
それら事実が何を言っているかを、 理解できますか。
17:46
仮に、私は車で事故を 起こした、とします。
私は、自分がかなり気をつけていなかった という事実を、見つめられますか
- あまりに速く運転していて、
自分がしていることに、 完全な注意を払っていなかった。
なぜなら、私は、隣の友人に、 話をしていたからです。
それは事実です。
ですが、私はそのとき、「いや、 それは、あなたの過失だ」と言います
- そうね、「相手のやつが、 ばかだから!」と。
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18:27
さて、私たちが理想を持って いることは、事実です。ですね?
あなたたちは、みんな 理想を持っていませんか。
いいえ?
私たちは、仲良く対話をでき、 お互いに話せたらなあ、と思います。
あなたは、理想を 持っていませんか。
残念ながら、持って おられると、思います。
理想 - それら理想は、何ですか。
それらは、事実ですか。
私たちは平和に生きなければ ならない、との理想。
いいですか?
何であれ、私たちがそうでなければ ならないとの理想
- 非暴力的でなければ ならないとか、
共産主義者の理想とか。
それらは、歴史研究より 引き出されていますが、
それら研究は、私の条件づけの 先入観に、染まっています。
で、なぜ私たちは、そもそも 理想を持ちますか。
これを言うことは、危険なこと であると、私は知っています。
なぜなら、私たちのほとんどは、これら、とてつもない理想とともに、生きるからです。
19:50
私たちは、問うています。
どうぞ、私は、あなたが 理想を持つべきだ、とか、
持つべきでないとか、言っていません。
私は、こう言っています -
なぜ私たちは、理想、信条、 信念を、持ちますか。
キリスト教徒として、仏教徒として、 ヒンドゥー教徒として、です。
私は、アメリカ人です。
あなたは、イギリス人です。
そうね、その他すべて、です。
なぜですか。
私たちの頭脳は、何の幻影もなく 生きる能力がない、ということですか。
あなたは、それに 何と仰りますか。
私の頭脳は、能力があり、 強く、活発ですか -
物事をありのままに、 理解できて、
未来の理想を 創り出さないように、です。
理想は、存在していません。
いいですか?
キリスト教徒すべてと、 宗教的な人々すべては、
殺してはならないことを、 信じています。いいですね?
21:05
たぶん、キリスト教徒は、 他の誰より、多く殺してきたのです。
いいですか?
そして、イギリス人、
そして、イスラム世界は、 もっと多く殺してきました -
キリスト教徒ほど、多くはない。
たぶん、仏教徒とヒンドゥー教徒は、 もっと小規模に、来ます。
なぜなら、彼らは野蛮人であり、
彼らは、未開の 人々であるからです。
で、それが、進んで行きます。
私たちは、あらゆる種類の 理想、信条、信念が、
人々を分割することを、知っています。 ですね? それは事実です。
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22:04
で、私たちは、理想より、 信条より、自由でありえますか -
一つの集団に同一視され、 別の集団に反することより、です。
そちらは、別の集団に同一視します。
よろしいですか。
これらより、 自由である -
私たちは、そう できるのでしょうか。
または、それは、 不可能ですか。
もしも、これについて 対話をできたなら、
私たちは、やりとりを できるでしょう -
ええ、それは可能である。
それは可能でない。
なぜそれは可能でないのか、と。
理解できますか。
私たちは今、それを できるのでしょうか。
自由な精神、 自由な頭脳を、持つ -
たくさんのごみ、 たくさんの幻影でもって、
取り散らかっていない ものを、です。
それは、可能ですか。
あなたたちの何人かは、「いや、それは 可能でない」と言うかもしれません。
「なぜなら、私は、自分の 信念なしには、生きられないから。
23:22
私は、自分の理想、自分の信条を 持たなければならない。
さもないと、私は迷ってしまう」と。
あなたの信条をもって、あなたの 信念をもって、理想をもってしても、
あなたは、すでに迷っています。
それは事実です。
あなたたちは、 すっかり迷った人々です。
ですが、ところが、私たちは、 もしも、対話、会話を行えて、
こう言えたなら - なぜ私は、
自分の特定の先入観、 特定の理想などに、縋りつくのか。
なぜ私は、自分自身を、 それらと同一視してきたのか。
なぜ私は、自分自身を、何かと 同一視するのか、と。
よろしいですか。
推し進めてください。
それを深く 押す進めてください -
なぜ私たちが、これらすべてのことを するかを、見出すように、です。
なぜ私たちは、自分自身がプログラム されるのを、許してきたのか、
なぜ私たちは、世論を恐れて いるのか、などなどを、です。
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24:40
で、質問 - あなたが仰っていることが、
真実であることを、あなたは どうやって知りますか、ですが、
残念ながら、それはほとんど 意味がないと、私は思います。
真理は、何か神秘的な ものではありません。
あなたがいるところに、 真理は、あります。
そこから、私たちは 始められます。
真理は、私は怒っている、 私は嫉妬している、
私は攻撃的である、 私はけんかをする、ということです。
それは、真実です。
それは、事実です。
で、大変尊敬をこめて、 指摘してもよろしいなら、
自らがいるところから、 始めなければなりません。
そういうわけで、 自分自身を知ること、
自分自身について、完全な知識を 持つことが、重要であるのです
- 他の人たちから、ではなく、
心理学者、頭脳の専門家など から、ではなく、
あなたが何であるかを、 知るのです。
25:53
なぜなら、あなたは、 人類の物語であるからです。
これらを理解されますか。
あなた自身である書物を、 どう読むのかを、知るなら、
そのとき、あなたは、 人類のすべての活動と
残忍と愚かさを、知ります。
なぜなら、あなたは、残りの 人類であるからです。
ですね?
その問いは、明らかですか。
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26:23
第二の質問: 欲望は、人間たちにおいて 何か根源的なものですか。
欲望なしに、私たちは、いったい この世界に機能できるのでしょうか。
欲望は、人間たちにおいて、 何か根源的なものですか。
欲望なしに、私たちは、いったい この世界に機能できるのでしょうか。
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26:55
私たちは、これについて、 話をできるでしょうか。
会話を行えるでしょうか - 欲望とは何ですか。
なぜ欲望は、私たちの生において、 こんなに重要になったのですか。
なぜ欲望は、支配しますか。
なぜ欲望は、年々、その対象を 変化させますか。
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27:25
いいですか? 理解されますか。 なぜですか。
世界中の様々な 修道士、僧侶すべては、
彼らは、真剣な人々だと、思われて います - 献身的で、参与していて、
彼らは、自分の欲望を 抑圧します。
彼らは、自分の欲望により 苦悶します。
いいですか?
彼らは、いかなる象徴をも、いかなる 人物をも、崇拝するかもしれませんが、
欲望は、そこにあり、火のように 燃えています。
ですね?
これは、ありふれた事実です。
欲望の本性全体を 理解するには、
よくよく気をつけて、それに 入らなければなりません。
それについて、ともに 話しましょうか。
どうぞ、私に 加わってください。
なぜ人間たちは、欲望に 屈してきたのですか。
自らがしたいことすべてを、する ように、です。
一方では、です。
そして、あなたは欲望を 抑圧しなければならないと言う、
28:46
他の人間たちが、います。 これを理解されますか。
修道士、インドのサンニャーシ、 仏教の僧侶は、みんな、
あなたは自分の欲望を、 制御しなければならない、と言います
- または、自分の欲望を、神へ 変容しなければならない、と。
これらを理解されますか。
あなたの欲望を、 救い主の崇拝へ、向けなさい。
この強い欲望を、向けなさい。
それを抑える誓いを、立てなさい
- 純潔の誓い、沈黙の誓い、
一日一食の誓い、です。
理解されますか。
あなたは、修道院、僧院へ 行ったことが、ありますか。
ないか。
私は、面白いので、しばらくの 期間、一つへ入っていました。
私は、見守りました。
私は、聞きました。
そこで眠り、 彼らがすることを、しました。
それは本当に、残酷な事柄でした。
沈黙の誓いを立てて、 二度と話さない。
それがどういう意味かを、 理解されますか。
30:36
けっして女を 見てはならない。
これらを理解されますか。
けっして空を、見てはならない
樹々の美しさ、
野原の孤独な樹を、 見てはならない。
自分の感じていることを、けっして 他の一人へ、伝達してはならない。
これらを理解されますか。
奉仕の名、神の名において、
人間たちは、自分自身を 拷問してきました -
光明を見つけるため、 覚りを見つけるため、
何らかのもの、天国を 見つけるために、です。
それは、ものすごく 苦悶する事柄です。
そして、欲望が、これらの根に、 あります。
ですね?
あなたがこれらを理解されるのか どうかと、思われます。
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31:55
人間たちは、 インドで、西洋で、極東で、
彼らは、この炎を抑圧するために、 あらゆることを、してきました。
私はかつて、或る人に会いました - インド人です。
彼は、高度な教育を 受けていて、
西洋に行ったことが ありました。
優秀な英語を話しました。
学識豊かですが、けれども、 彼は、誓いを立てていました -
結婚した夫婦の住宅には、 けっして入らない、と。
どうぞ、あなたは、それを お笑いになるかもしれません。
なぜなら、彼は、セックスは、忌避 すべきことである、と言ったからです。
彼が、それは忌避すべき ことだと、言ったとき、
彼が経てきた苦悶が、 感じられました。
これらを理解されますか。
これらは、あなたにとって 何かを、意味していますか。
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33:17
で、この問いに入ります - 欲望は何ですか。
なぜ、生には、これら二つの 要素が、ありますか -
抑圧、制御と、
他方、自分がしたいことを することです。
「あなたがしたいことをしなさい」 と言う導師たちが、います -
「神が祝福して くださるだろう」と。
もちろん、彼らは、 きわめて人気があります。
何千人も行って、自らが持っているもの すべてを、差し出します。
世界で、それらが起きているのを、 ご存じでしょう。
で、私たちは、この問いに 入らなければなりません。
欲望とは何ですか。
そして、それは、 生の、生きることの
根源的な衝動なのかどうか、です。
これは、明らかですか - 今までは?
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34:32
で、それに入りましょう。 欲望とは何ですか。
理解されますか。
私たちは、欲望を 拡大させてきました。
世界で起きつつあること、 ナイト・
クラブ、
セックス、フリー・
セックス。 自分のしたいことを、する。
導師は、あなたが、したいことを するのを、助けてくれる。
それは、あなたの抑制 すべてを、解放してくれる。
カウンター・
グループ、 ご存じですね。
神様、この世界は、 狂っていますよね!
ですが、彼らは、けっして その問いを訊ねません -
見たところは、です。
私は、間違っているかもしれません。
欲望の本性は、何ですか。
欲望を制御する実体は、 何ですか。
言っていることを、 理解されますか。
衝動 - 何かを持ちたい、 何かを所有したいとの衝動と、
「するな」と言う実体。
35:43
いいですか? この闘いが、進みつつあります。
一つの欲望が、別の欲望に 反対する。
いいですか?
私たちは ここに、一緒にいますか。
私たちは、会話をしています。
私は、お説教をする人ではありません。
私たちは、ともに 対話をしています。
すなわち、なぜ 人間たちの中に、
この二元的過程が、 進みつつあるのか。
対極の過程 - 欲しがることと、 欲しがらないこと。
抑圧することと、 思い切りやること。
質問を理解されますか。
私たちには、なぜ この矛盾が、ありますか。
私たちが事実に、向き合っていない から、矛盾が存在しますか。
事実は、矛盾を持っていません。 それは、事実です。
36:54
理解なさるのかどうかと、 思われます。
私は怒っている - それは、事実です。
私は暴力的です。
私は嫉妬深い、貪欲だ。
それは事実です。
ですが、私が、 「私は暴力的だ」と言うとき、
即時に、「私は暴力的であっては ならない」との観念が、あります。
ですね?
「私は暴力的であっては ならない」は、理想になります
- すなわち、非暴力は、です。
で、暴力 - 私はそれです - と、
非暴力的になろうとすることとの間に、 闘いが、あります。
理解されますか。
私たちは、なぜ こうしてきましたか。
非暴力は、非事実です。
私は知っています - それは流行です。
インドのが、トルストイなどを とおして、もたらされました -
私たちはみんな、非暴力的で なければならない、と。
37:59
ところが、私たちは、実際に、 暴力的な人間たちです。
あなたは、それを 認めるのでしょうか。
ゆえに、私たちは、なぜ その対極を、持っていますか。
理解されますか。
それは、事実からの 逃避ですか。
それが、事実からの逃避であるなら、 なぜ私たちは、逃避しますか。
それは、私たちが、事実をどう 取り扱うかを、知らないからですか。
ヴザヴェ・
コンプリ(理解しましたか)。 私は、何かから逃避します。
なぜなら、私は、それについて 何をすべきかを、知らないからです。
ですが、もしも、何をすべきかを 知っていたなら、
私は、それを取り扱えますね。
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38:47
で、見出しましょう - ああ、 それは、あまりに長く掛かります!
私は、それに入るでしょう。
どう事実のみを、取り扱うかを、 見出しましょう -
その対極を、 ではなくて、です。
私は暴力的です。
私は、何も対極を 持っていません。
なぜなら、それは、非事実であり、
それは、まったく妥当性を 持たないからです。
妥当性を持つこと、真理であること、 事実であることは、
私が暴力的であることです。
いいですか?
そして、暴力とは、 どういう意味ですか。
他の一人を害したり、爆弾を 投げたりだけではない -
世界で進んでいる、その他 すべてのこと、です。
それはまた、比較をも 意味しています。
いいですか?
私が自分自身を、 あなたと比較するとき
- あなたのほうが、利巧だ、利発だ、 尊い、その他すべて、です -
そのとき、私があなたと比較 しているとき、何が起きますか。
40:10
比較をとおして、私は、 自分自身を、つまらなくします。
いいですか?
あなたが、これらに付いて こられるのかどうかと、思われます。
これは、あまりに過ぎますか。
なぜ私たちは、比較しますか。
もちろん、あなたは、 比較しなくてはいけません。
あなたは、お金を持っているなら、 二台の車の間、
衣服の間などで、です。
それは、回避不可能ですが、
なぜ私は、心理的に、自分自身を 誰とでも、比較しますか。
それは、私が、自分自身をどう 取り扱うかを、知らないからです。
理解されますか。
あなたは、男の子に、「君はお兄さんの ように、ならなければならない」と
言うとき - ほとんどの親が そう言うように、です -
その男の子、Bである子には、 何が起きますか。
あなたが、BをAと比較しているとき、 Bには、何が起きますか。
あなたは、それについて 考えたことが、ありますか。
質問を理解されますか。
41:40
私は、二人の息子、 AとBを持っています。
または、二人の娘か、 何であっても、です。
私は、A、弟を、兄と 比較しています。
そして、
「おまえは、お兄さんのように、 ならなければならない」と言います。
それにより、Aは どうなりますか。
理解されますか。
私が、「おまえはBのように ならなければならない」と、言うとき、
Aに何が起きますか。
そのとき、彼は、模倣し、 順応しています。
あなたは、様式を 定めたのです。
この比較は、 一つの形の暴力です。
ですね?
それがお分かりになるのか どうかと、思われます。
ちがいますか?
で、模倣は暴力です。
あなたは、これに 入らなくてはいけません
- その微妙さすべてに、です。
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42:44
で、あなたが暴力を見つめるとき、 それは自体を、ますます開きます -
その言葉の内容が 何であるかを、です。
それは、大変とてつもない 物事を、開示します。
ですが、あなたは、非暴力を 追求しているなら
- それは、幻影であり、 それは、非事実です -
それは、何の意味も ありません。
これがお分かりになるのか どうかと、思われます。
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43:17
で、戻ってきましょう。 それは本当は、こういう意味です -
あなたは、暴力を どのように、観察しますか。
観察者は、暴力と呼ばれるものより 異なっていますか。
理解されますか。
私は、暴力的です。
その言葉は、反応を 標示しています。
私は、その言葉を、 使ってきました。
なぜなら、私はそれを、しばしば 反復してきたからです
- あの特定の反応を、 同一視するために、です。
付いてきておられますか。
常にその言葉を使うことにより、 私はその感情を、強めています。
で、私は、その言葉より自由であって、 見つめられますか。
これらを理解されますか。
いいえ、されません。
で、戻ってきましょう。
欲望とは、何ですか。
それは、どのように起きますか。
それは、理解され、 ともに生きられますか -
で、そこには、抑圧がなく、
非難がなく、 耽溺がないように、です。
44:47
いいですか? それを見つめる。
それを理解する -
それで、あなたが何かを きわめて明らかに理解するとき、
それは単純になるのです。
私は、車をどう分解するかを、 知っているなら
- 私は、そうしたことが、 あります。
現代の車を、ではない。
それらは、あまりに複雑です。
そのとき、誤った行動とか、 過失ある何かを
取り扱うことは、相当に単純です。
で、それにより、けっして 怯えません。
で、よく気をつけて、 これを見つめましょう。
欲望とは、何ですか。
欲望の根と始まりは、 何ですか。
よろしいですか。
私たちは、 それについて、対話をできますか。
何時ですか。
私は、多くの質問を、 持っています。
私が話すのを許された・
・・ 許された、ではない。私はさらに・・
12時半過ぎまで、話せます。私たちは、 それを、つづけていきましょう。
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46:29
私たちは、訊ねています - 欲望の根は、何ですか。
私たちは、その根を観察し、 その根とともに留まれますか。
理解されますか。
それは正しいとか、 間違っているとか、言わない -
欲望を持つことは良いとか、 欲望なしに、人間たちは、
何をするのだろうか、とか、 それらの種類の問いを、です。
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|
47:01
聴衆: 私は、あなたの問いに 答えを持っています。
母親からの分離が、 欲望の根であると、思います。
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47:10
K: 母親から?
赤ちゃんは、母親から 欲望を得ますか。
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47:16
聴衆: いえ。分離より 欲望を得ます。
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47:20
K: 母親からの分離より、 欲望ですか?
そうですか。
それは、真実ですか。
事実ですか。
私たちは、知りません。
赤ちゃんと子どもと母親と それらに、戻らないでください。
それは、異なった問いです。
それが生ずるとき、私たちは、 それを取り扱うでしょう。
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47:49
私たちは、訊ねています - 欲望の根は、何ですか。
あなたは、何か 美しいものを、見ます -
すてきな絵、
美しい家具の一品、 宝石類、
あなたは、それを ショーウインドゥに、見ます。
何が起きますか。
ゆっくり行きましょう。
ウィンドゥに、 特定の宝石を見ます。
それへの反応が、 あります。
ですね?
あなたは、店の中に 入ります。
あなたは、その人に、あの特定の宝石を 見せてくれるよう、頼みます。
あなたは、それに触れます。
そのとき、あなたは 一定の感受を、持ちます。
ですね?
すなわち、見る、中へ入る、 指で接触、
そのとき、感受です。
ですね?
見る、接触、感受。
そのとき、どうぞ、ゆっくり行ってください。
あなた自身で、それが見えるでしょう。
そのとき、思考が想像します -
その宝石を、手や、首や、耳に 着けると、
自分は何と麗しく 見えるだろうか、と。
49:36
いいですか?
で、その瞬間に、欲望が 生まれます。
私の話は、明らかになっていますか。
すなわち、
この感受を持つことは、 自然です -
ウィンドゥに、あの宝石を見る。
店の中へ入る。
手に取ってみる - 感受、
感じ。
そのとき、 思考がやってくる。
それはすべて、 一秒の閃きで、なされますが、
思考がやってきて、 こう言います -
「あれは、私の指で 何と麗しいだろうか。
もしも私が、あの宝石の一品を 所有したなら、何と麗しいだろうか」と。
その瞬間に、欲望が生まれています。
いいですか?
あなたが理解なさるのか どうかと、思われます。
もしも私たちは、ゆっくり一歩一歩、 欲望に接近できたなら、
欲望がどう生まれるのかが、 分かります - 見る、接触、感受。
50:58
そのとき、思考が、 あの車を見ます。
その車を見る。
それに触れる、それを回ってみる、 それを感じる、ドアを開ける。
そして、感受です。
そのとき思考は、 「私はあの車をほしいな。
そこに座って、 運転したい」と、言います。
理解されますか。
これらが 即座に、起こります。
さて、私たちは、それを 分離しています - 一歩一歩です。
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51:45
で、あなたが、この過程全体に 気づくなら
接触 - 見る、接触、感受、
思考が、自分が車に乗り、それを 走らせて行くのを、想像する。
それを理解されますか。
その瞬間が、欲望の誕生です -
思考が、感受に 介入するとき、です。
分かりましたか?
これは、事実ですか。
あなたが言うこと、ではない。
それは 真実ですか。これは、事実ですか。
これは、事実です。
あなたは、ウィンドゥに、ブラウスや スカートや、すてきなシャツを、見ます。
あなたは、一秒の閃きで 過程全体を、経て行きます。
ですが、あなたは、 それを緩やかにするなら
- 一歩一歩、映画のように、です - その動き全体が、見えます。
接触・・・
いや。
見る、接触、感受。 イメージをともなった思考、
そのとき、欲望が生まれます。 いいですか?
53:05
私たちは、これについて 明らかですか。
私がこう言っている、と いうことではない。
「こう言うとは、あなたは、 何の権利を持っているのか」と、
言わないでください。
それは、事実です。
そのとき、なぜ思考がこう するのかを、見出しましょう。
なぜ、思考は、感受を捉えて、
その中から イメージを作るのか。
私が言っていることを、 理解されますか。
なぜですか。
さて、そうね、 思考はなぜ、こうしますか。
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53:49
聴衆: 記憶に囚われていますが、 それが、自体を反復したがります。
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54:05
K: 記憶? 何ですか。 ええ、いいえ。
これは、習慣なのでしょう。
これは、私たちの無意識的な、 気づかない動きです。
ですね?
私は、何かを見ます。
即時に・
・・
私たちはけっして、感受より 思考を分離しません。
私が言っていることを、 理解されますか。
理解してくださると いいのに、と思います。
私は、意味のあることか、話して いますか - 意味ないこと、ですか。
あなたが、判断します - どうぞ、あなたが 私が言っていることを、問います。
で、思考のほうが、欲望より 支配的です。
いいですか?
それがお分かりに なるのかどうかと、思われます。
すなわち、思考は、 感受を形作ります。
いいですか?
あなたは 昨夜、セックスをしました。
そして、思考が進んでいます -
イメージ、映像、欲求。 よろしいですか。
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55:42
で、欲望と思考は、 相伴います。ですね?
付いてきておられますか。
そうですか。
または、欲望は、何か思考より 全然違ったものですか。
または、それらはいつも、相伴って います - 二頭の馬のように。
そのとき、二頭の馬が、一緒に 小走りに行くように、ですが、
そのとき思考は、「私は制御 しなければならない」と言います。
理解なさるのか どうかと、思われます。
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56:32
で、自らが、この動きに気づくとき - すなわち、接触、感受・・・
見る、接触、感受、
そして、思考が感受を取らえ、 イメージを創り出す、
その瞬間に、欲望が 生まれます。
さて、隙間、隔たり、間隔が、 ありえますか -
感受と、思考が感受を捉える 瞬間との間に、です。
私がいう意味を、理解されますか。
これを 理解なさるのかどうかと、思われます。
私は見ます。
車を見ます -
きわめて良いモデルで、
美しい光沢があり、
美しい線と、空気力学、 その他すべて、です。
57:36
あなたは、それを見ます。
見る。
それを回ってみる。 それに触れる。感受。
なぜ、あなたは そこで止めませんか。
なぜ思考が、そんなに速く 引き継ぎますか。
あなたが、この動き全体に、 気づくなら、
観察がありえます - きわめて明らかに、です。
思考が入ってきはじめる ときに、です。
ですね?
あなたが間近で、それを観察するとき、 思考は、ためらいます。
よろしいですか。あなたが、これらに 付いてきておられるのかと、思われます。
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|
58:20
で、これらへの注意は、 どの制御をも、全的に拒否します。
これを理解なさるのか どうかと、思われます。
結局のところ、私が、 自分の欲望を制御するとき、
制御者は、別の形の欲望です。
ですね?
で、一つの欲望が、別の欲望と 葛藤になっています。
ですが、私たちは、欲望の 動き全体を理解するなら、
そのとき - 理解されますか -
修練の一定の性質が、 あるのです。
制御ではない。
ですが、この動き全体への
気づきや注意は、 それ自らの修練です。
私は、話をしていますか・
・・
いいえ。
あなたは、これのどれをも、 したことがない。
で、それはすべて、全然新しい。
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|
59:26
聴衆: 思考について、 質問をしてもいいですか。
私たちが今、このテントから 去って行くとき、
私たちは、自らの思考が始まらないよう、 それらを、どうしますか。
|
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59:40
K: マダム、私は先日、 これを説明しました。
思考は、一定の区域で 必要です。
さもないと、あなたと私は、 英語を話せないでしょう。
思考は、あなたが家に 帰るには、必要です -
あなたが仕事をするには、 あなたの技能には、必要です。
思考は、世界のとてつもない物事を、 築いてきました -
大聖堂、原子爆弾、 すばらしい潜水艦、
また思考は、大聖堂の中にある 物事すべてを、
創り出してきました -
衣装、衣、その他すべてを、です。
また思考は、戦争を 創り出してきました -
私の国、あなたの国、 私の部族とあなたの部族。
で、私たちが言っている すべては、こうです -
思考は、一定の所には、 必要です。
思考は、他の区域には、 必要ではない。
それは、大変多くの観察、注意、 気づかいを、必要とします -
どこで思考が必要でないかを、 見出すには、です。
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|
1:01:04
いいですか? ですが、 私たちは、辛抱できません。
私たちはすばやく、それに 取りかかりたいのです
- 頭痛に錠剤を飲むように、です。
ですが、私たちは、頭痛の原因が 何かを、けっして見出しません
- 理解されますか - その他すべてを、です。
で、これが、きわめて 明らかであるなら
- 欲望の起源と始まりが、です -
そのとき、まさにその明らかなことが、 自らの秩序です。
そのとき、欲望に規律を課すことは、 何もありません。
いいですか? 私はこれを、 幾らか明らかにしましたか。
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1:01:50
聴衆: 何かを買う欲望の性質と、
真理を探したいのとの間の、 違いは、何ですか。
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1:02:10
K: 青いスーツ、青いシャツ、 青いブラウスか、
何であれ、それへの欲望と、
真理への欲望は、 まさしく同じです。
なぜなら、それらは、どちらも 欲望であるからです。
私は、美しい車を、 欲望するかもしれません。
あなたは、天国を 欲望するかもしれません。
違いは何ですか。
私たちは、欲望を、 理解しようとしています
- 欲望の対象を、ではない。
あなたの対象は、神の横に 座ることかもしれません。
私の欲望の対象は、すてきな庭を 持つことかもしれませんが、
欲望は、私たちの どちらにも、共通しています。
私たちは、欲望を 理解しようとしています -
あなたの天国や 私の庭を、ではない。
私は欲望を理解するなら、
あなたが、天国を持つのか どうかは・・・よろしいですか。
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1:03:30
第三の質問: 嫉妬と不信が、
私の、或る人との関係を、 毒しています。
彼以外の他のあらゆる人間より 自分を孤立させるより、
他の解決が、ありますか。
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1:03:52
なぜあなたが、お笑いに なるのかと、思われます。
これは、ありふれた毎日の 人間生活です。
ですね?
嫉妬と不信が、私の、或る人との 関係を、毒しています。
彼以外の他のあらゆる人間より 自分を孤立させるより、
他の解決が、ありますか。
あなたは、この問いに、 どのように答えますか。
私が、あなたに この質問をするなら、
あなたは、それを、どう 取り扱うのでしょうか。
この問いへの、あなたの反応、 あなたの応答は、何でしょうか。
あなたは、笑うのでしょうか。
あなたは、「私は嫉妬していない」 と、言うのでしょうか。
で、ともに、このとても 複雑な問いに、入りましょう -
すなわち、人間の問いに、です。
それは、天国や涅槃や啓明についての 何かではありません。
そうね、私たちは、自分の家を 秩序立てておくのでなければ、
冥想と、他のことは、何の価値も ありません。いいですか?
1:05:42
私の家が - すなわち、私が、です - 何も葛藤なく、
完全な秩序にないのなら、
冥想は、何になるのですか。
それは、もう一つの逃避、 もう一つの幻影です。
ですが、私の家に、 何の影もなく、
私の家が、完全に、 秩序立っているなら、
そのとき、冥想は、 何か全然違ったものです。
ですが、私たちは、冥想により - 何なのか、誰も知りませんが -
そのとき、自分の家が、 秩序立つだろうと、考えます。
私たちがいかに欺瞞的なのかを、 見てください。
で、これに入りましょう。
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1:06:39
嫉妬と不信が、 自分の生活を、毒しています。
私は、彼女、または彼と ともにいるために、
自分自身を孤立させなくては いけませんか。
なぜ私たちは、人々を 所有しますか。
いいですか?
なぜですか。
どうぞ、私たちは、 対話を行っています。
なぜ私は、妻を所有しますか。
私の妻は、私を 所有することを、喜びます。
なぜですか。
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|
1:07:29
聴衆: 私には、地位が必要ですし、 一人であることの恐れが、あります。
|
|
1:07:34
K: それは、どういう意味ですか。
ご覧ください。
私たちは、 この質問をしています -
嫉妬を終わらせるように、です。
余生の間、つづけにつづけて いかないように、です。
欲望のように、です。
それを十分に理解する - それは、とても単純になります。
で、なぜ私は嫉妬しているかを、 私は見出したいのです -
なぜ、私は妻に嫉妬しているか、 または、彼女は私に嫉妬しているか。
それは、私たちが互いに 所有したがる、ということですか。
それは、どういう意味ですか。
私は、何を所有していますか。
身体を、ですか。
どうぞ、私とともに 探究してください。
身体、有機体。
そして、所有には、 何が含意されていますか。
支配すること。
ですね?
そうでないですか。
さあ、どうぞ!
1:09:06
私は、彼女を 所有したいと思います。
それに入ってください。
なぜ私は、所有したいのですか。
なぜなら、私はさびしいからです。
彼女は、私に慰めを 与えてくれるからです。
彼女は、私のです - 法的に、道徳的に、です。
教会は、それを 祝福してきました。
または、登録官が、それを 祝福してきました。
そして、私は、彼女を保ちます。
なぜですか。
それは、私が さびしいからですか。
私は、さびしいのなら、
あのものすごい空虚から、 逃避したいと思います -
私が使う「さびしい」という 言葉の空虚さから、です。
それから逃避するために、
どちらへ私が逃避するかが、
まったく重要になるのです。
理解されますか。
私は、神を考案することにより、 生から逃避します。
私は、その神に 取りすがります。
なぜなら、それは、私が持つ 唯一つのものであるからです。
|
|
1:10:26
それで、私は、彼女を所有します。
誰かを所有する中で、 それは、どういう意味ですか。
支配すること、
自分自身を、彼女と 同一視すること。
ゆっくり行ってください。
ゆっくり探究してください。
それは私に、力の感覚を、 与えてくれます。
いいですね?
これらの終わりに、私は、 「彼女は私のだ」と言います。
人々は、所有されるのが、 好きです。
あなたは、そうでないですか。
ちがいますか?
あなたは奥さんに、「私は あなたを所有しない」と言えますか。
ああ、みなさんは、何をも したことが、ありません。
私は嫉妬しています。
すなわち、彼女は、行ってしまい、 他の誰かに話をするとき、
私より、私の安定、 私の安全を、剥奪しています -
または、他の誰かを見つめたり、
他の誰かと、何らかのことを、 するとき、です。
1:12:02
私は、途方に暮れています。
彼女は、私より、私の同一性を、 剥奪したのです。
私を、私のさびしさへ、 追いやったのです。
私は、それらを憎みます。
で、私は、彼女に 嫉妬しています。
それは・
・・嫉妬は、 憎しみを、含意しています
- 怒り、暴力、叩くことを、です。
神様!
あなたは、これらを 知らないのですか。
私は、彼女を手放せないし、 彼女は、私を手放せません。
私たちは、そのように 生きます。
嫉妬、不信、深く内側で さびしく感じること、
だが、それから 逃避しようとすること、
それが、私の生なのです。
それが、私たちが 関係と呼ぶものです。
それが、私たちが 愛と呼ぶものです。
理解されますか。
|
|
1:13:12
それで、はるかに深い問いを、 訊ねます - 愛は欲望ですか。
進んでください。
愛は、楽しみですか。
あなたが、その問いに、答えなくては いけません - 私が、ではない。
それは、あなたの生です - 私の生ではない。
私たちの一人一人が、 この事実を、見られますか -
所有、支配、力が、私たちの 一人一人に、何をするかを、です。
男が、初めに、それを見るかもしれません。
または、女が見るかもしれません。
そのとき、彼女は、これらを見る ように、彼を助けるでしょうか。
彼は進んで、これらを 聞くのでしょうか。
これらに 付いてきていますか。
または、これらは、 みなさんの見知らぬことですか。
彼や彼女は、互いに 聞くのでしょうか -
その基礎、 失うのを恐れることを、です。
理解されますか。
関係の中で、自分の安全を 失うのを、恐れている。
1:14:39
その安全が、揺らぐとき、 私は嫉妬しています。
妻は私に、聞くのでしょうか。
私は、彼女に言います - 「ねえ、君。
私は、あなたを愛しているが、私は あなたを、所有しない」と言います。
あなたは、それを 言えるでしょうか。
やれまあ。
「私は、あなたより自由だし、 あなたは、私より自由だ」と。
それは、自由恋愛、去ってしまう、 という意味ではない。
分かりますか?
毎年、新しい男や、 新しい女と交換することではなく、
問題全体を見ることです -
嫉妬だけ、
いかに嫉妬や不信を 取り除くかだけ、ではなく、
関係の問題全体を、見ることです。
それは、とても複雑です。
それは、 微妙さ、敏感さを、要求します。
もう一度、お願いします。
|
|
1:16:09
聴衆: 私はそれが分かります。
|
|
1:16:12
K: ですが、あなたは、それについて、 何かをするのでしょうか。
自らは知的に、これらを 理解できます -
言語的に、です。
それが、知的に、と呼ばれます。
それは、どんな価値を 持っていますか -
私は、余生の間、嫉妬を 続けていき、
その嫉妬が、私の中に、心理的に 傷を創り出すときに、です。
私は、内的に 傷ついています。
私は、その傷を、その嫉妬を、 その不信を、
続けてゆきます。
これが、生きる道ですか。
で、単にそれらを 知的に見ることは、
ほとんど意味が、ありません。
ですが、あなたが、「ほら、私は 嫉妬している。
それに入ろう。
それが終わりうるのかどうかを、 見出そう」と言うなら、
それは、こういう意味です - 私はいったい、何かを所有しますか。
1:17:23
私は、何かに 執着していますか。
自分の妻、夫に執着し、 理想に、自分の未来の成功に、
執着しています - 分かりますか。
執着です。
あなたが執着しているとき、 嫉妬があります。
心配があります。
痛みがあります。
それがきわめて明らかに見えるなら、 そのことは、とても単純になります。
ですが、あなたは、それを 明らかに見たくない。
なぜなら、私たちは、自らが百万年の間、 生きてきたそのように、生きたいからです。
いいですか?
私たちは、 次の質問へ行っていいですか。
または、あなたは、これらの疑問より 逃避したいですか。
|
|
1:18:19
聴衆: 質問してもいいですか。
どうやって、習慣を抜けて、 自由になりますか。
ひとたび、知的に 理解に到ったなら、
ちょうど議論してきたように、 そういうことから、
そのとき、どうやって 習慣を抜けて、自由になりますか。
|
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1:18:38
K: 何かを言語的に、 いわゆる知的に、
理解するとき、
どうやって、その習慣を 抜け出しますか。
それが、そのお方が 訊かれた疑問です。
|
|
1:18:58
習慣とは、何ですか。
それは、反復なのでしょう。
朝、午後、晩ごとに、歯を磨く - それは、課業になります、
あなたは、注意を 払いません。
あなたはただ、ごくすばやく そうして、止めます。
で、頭脳は、様式を 確立します -
飲酒、セックス、 何であっても、です。
それは、様式を確立します。
そのとき、それを反復します。
そのとき、 それは機械的になります。ですね?
これらに、付いてきていますか。
で、常なる習慣をとおして、頭脳は、 今あるものに、なってきたのです
- 活動的で、生きているのではない。
1:20:00
で、そのお方は、訊ねます -
あなたはどのように、習慣を抜け 出しますか。
習慣が何であっても、です。
神を探求する習慣、 何か異国風の導師へ行く習慣 -
あなたに、あらゆる物事を約束し、あなたに 好きなことをさせてくれる人へ、です。
世界で進んでいる、狂ったこと すべてを、ご存じでしょう。
さて、あなたは、どのように 習慣を、抜け出しますか。
葛藤なしに、です。
いいですか?
理解されますか。
私は習慣を持っていると、 しましょう - 何のですか?
どうか、私に習慣を、ください。
|
|
1:20:47
聴衆: 喫煙。
|
|
1:20:50
K: 喫煙は、とても簡単な事柄です。 それは、止めるのが簡単な事柄です。
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1:20:58
聴衆: いつも、同じ答えを言うこと。
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1:21:16
聴衆: 彼は、習慣はいつも、同じ答えを 言うことだと、言いました。
K: 私が同じ答えを言っていない ことを、願っています。
どうですか?
それは構いません。
私は習慣を持っています - 喫煙です。
頭を掻く、 口を開けつづけている、
同じことを、何度も何度も 何度も、考える習慣、
または、おしゃべりする習慣、
おしゃべりを、 取り上げましょう。
|
|
1:21:55
私は、自分自身とおしゃべり しているだけではない。
私はいつも、果てしなく 他の人たちと、話をしています。
いいですね?
先日、或る人が、私に会いに 来ました。
それは面談でした。
私は、もはや面談を行いませんが、 彼女は主張し、彼女は来ました。
彼女は入った瞬間 - どうぞ、それは、 ここのあなたたちの誰でもありません。
彼女は、話しはじめ、 話し、話しました。
彼女は、去るとき、 「お会いできて、うれしいです」と。
私たちはみんな、果てしなく おしゃべりします -
幾らかは、行ったり来たりするだけ でなく、また内的にも、おしゃべりします。
それは、ほとんどの人々にとって、 とてつもない習慣になっています。
彼らはけっして、静かでなく、 けっして、静寂でない。
1:23:06
頭脳が完全に止まっている、 という意味での静寂ですが、
それは、違った事柄です。
私たちは後で、それに入られます。
で、このおしゃべりの習慣は、
私は、どうやって それを止めますか。
まず第一に、誰が、それを 止めることになりますか。
もう一つの おしゃべりする者です -
「私はこのおしゃべりを、 止めなければならないが、
私は、自分のおしゃべりを 行うだろう」と言う者、です。
理解されますか。
で、誰が、おしゃべりを 止めることになりますか。
恐れですか。
おしゃべりに、おしゃべりする - それが エネルギーのむだであることを、見て
そのとき、あなたは、それを 止めるでしょうか。
|
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1:24:07
で、私たちは、質問しなくてはいけません - そのほうが、はるかに深刻です。
あなたの外側か、あなたの内側に、 おしゃべりに対して、
歯止めとして作用するであろう 実体が、ありますか -
「いや、私はおしゃべりすまい」 と言うだろうものが、です。
それは - どうぞ、気をつけて 聞いてください - それは、意志ですか。
おしゃべりしないとの決断ですか。
それが意志であるなら、 意志とは何ですか。
欲望の精髄です。
いいですか? いいですか?
あなたたちは、みんな 疲れていますか。
聴衆: いいえ。
|
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1:24:58
K: いいです。
|
|
1:24:59
どんなに速く、 あなたが答えたのか。
|
|
1:25:13
で、あなたは、どうやって おしゃべりの習慣を、止めますか。
|
|
1:25:18
まず第一に、
あなたが、意志をとおして、 欲望をとおして、それを止めるなら、
それは、別の葛藤を 創り出すのでしょう。
葛藤なく、おしゃべりを 止めること
- 質問を理解されますか -
それは、可能ですか。
私は、おしゃべりします。
まず第一に、私は、自分がおしゃべりしていることに、気づいていません。
あなたは、私に それを、指摘します。
そして、「君、そんなにおしゃべり するのを、止めなさい」と言います。
私は、それにより、 かなり傷つきますが、
私は、それを乗り越えるなら、 こう言います -
「さて、いかに、どんな様態で、私は それを、止めることになるのか」と。
そのとき、私は、意志という正統的な 手段を、持っています - ですね?
または、自分を鎮めてくれる だろう薬物を、摂る。
鎮まってしまうと、私は、自分を目覚め させおくために、別の薬物を摂ります。
私は、その課業を つづけます。
1:26:32
で、私は、どうやって習慣を 止めるかを、見出したいのです -
たとえば、おしゃべりする、 口を開いていく、
体を掻く、 あらゆる種類のことを、
どんな種類の努力もなしに、です。
質問を理解されますか。
これは、重要な疑問です。
努力なしに、何かをすること。
それは、おもしろいですか。
それは楽しいです。
あなたは、これを するのでしょうか。
あなたの特定の習慣を、 見出し、それに気づき、
こう言ってください -
「今、それは、何の意志、決断、 強制、褒賞の作用もなく、
終わらされるのか」と。
理解されますか。
褒賞と処罰 -
それらは、私たちが頼って 生きる二つの要素です。
で、私は、どんな副作用もなく、 その習慣を、抜け出せますか。
1:27:46
いいですか? 私たちは、これに入れますか。
私は、それに入りましょう。
まず第一に、私は、自分の習慣に、 気づいていますか -
あなたがそれを、私に指摘し、それから 私はそれを悟る、ということではなく、
私は、自分の習慣に 気づいていますか -
誰かが私に、私の習慣について 語らずに、です。
理解されますか。
違いを見てください。
あなたが私に、私の習慣を 語るなら、
私は、それに抵抗するか、 あるいは、
「ええ、私はそれを 止めなければならない」と言います。
ですが、私は、それが 自分自身で見えるなら、
私は、一歩先にいます - 私はそれを表せるなら、です。
いいですか?
さて、私たちは、自らの特定の 習慣に、気づいていますか -
おしゃべりに、です。
私たちは、それを取り上げました。
さて、その気づきは、 何を意味していますか。
気づきとは、
何かを見つめる、という意味です - 何の反応もなく、
何の選択もなく、です。
1:29:12
私は、自分がおしゃべりしていることに、 気づいています。それが第一です。
それから、気づく、 それを見守る -
何の非難、正当化や説明もなく、
ただ、それを見守る。
あなたは、そうするのでしょうか
- それで、古い反応が、入ってこない ように、です。
理解されますか。
古い伝統が、入ってきて、 「私はそれを止めなければならない。
私はこれをしなければならない。
あれをしなければならない」と 言わないように、です。
で、よく気をつけて、 おしゃべりを見守る。
それを見守るとは、過去の記憶の 何の反応もなしに、という意味です。
これは、とても困難になります 理解されますか。
私は、風の中、動いている あの樹を見守るなら、
それは、美しいものです。
私は、風が好きではない。ゆえに、 私は、それを見守らないでしょう。
1:30:30
同様に、一定のさまで、私は、 自分のおしゃべりを、見守れます。
見守る者は、おしゃべりより、 異なっていません。
ですね?
で、見守る者は、言葉、記憶の 構造ではありません。
彼はただ、見守っているだけです。
それを理解されますか。
どうぞ、これは、かなり複雑であり、 大変多くの探究を、必要とします。
|
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1:31:03
私たちは、自分の先入観をもって、 物事を見守ります -
自分の意見をもって、 自分の記憶、
言葉の構造全体をもって、です。
いいですか?
私たちは、あらゆる物事を そのように、見守ります。
さて、あなたは、そのすべての 記憶、構造なしに、見守れますか。
それが、芸術が入ってくるところです - 見守る芸術です。
さて、私は見守ります - 私の おしゃべりへの見守りが、あります。
私は気づいています。
その気づきの中、私は、何も 褒賞や処罰を、探し求めていません。
私はただ、見守っています。
それは、どういう意味ですか。
私はその瞬間に、完全な注意を、 注いでいます - ですね?
1:32:02
よろしいですか? その一秒に、私のエネルギーすべて、
私の能力と注意すべてが、 そこにある。
それは、
完全な注意があるとき、と いう意味です - 完全な、です。
どの形の欲望をとおして、 どの形の褒賞と処罰をとおして、
もたらされた注意でもなく、
ただ完全な注意です。
そのとき、その習慣は、何の所をも 持ちません。
理解されますか。
そうしてください。
どうぞ、 一回、試してください。
さて、あなたは、こう言うでしょう - 「ええ、当分の間、それは可能です。
私は、自分が、何かに、 完全な注意を注ぐなら、
それが終わりうるのが、 分かります。
それに、終わりがあります。
ですが、それは戻ってきます」と。
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いいですか?
あなたは、 付いてきておられますか。
それは、戻ってきます。
おしゃべりは、戻ってきます。
そのとき、あなたの反応は、 何ですか。
私は一回、そうしました。
完全な注意を払いました。
それは、一秒間、鎮静するように、 思われます。
さて、私が、同じ注意を払うなら、 それは、再び鎮静するでしょう。
それで、あなたは、 機械的になったのです。
これがお分かりになるのか どうかと、思われます。
これを理解されますか。
私は、自分のおしゃべりへ、注意を、 注ぎました - 完全な注意を、です。
注意のその炎は、二、三分間、 おしゃべりを、拭い去りました。
私は、そのことが働くのを、 見てきました。
そのとき、次の瞬間や、次の時間か、 いかなる時の期間にでも、
あなたは、おしゃべりしはじめるし、 突然、自分自身に気づいて、
「私は注意を払わなければ ならない」と言います。
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で、またもや、あなたは反復します。 またもや、それは消え去ります。
で、次第に、あなたが学んでいる ことは、注意を払うことです。
それは、あなたが注意して いない、という意味です。
あなたは、私が言っていることを、 理解しましたか。
あなたが常に、注意するよう、 思い起こしているなら、
それは、注意ではありません。
ですが、注意は、 時を持ちません。
ああ、私は、これらに 入らないでしょう。
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あなたが、 完全な注意を注ぐなら
- それは、エネルギーの むだが、ない、という意味です -
そのとき、そのものは、 去ってしまいます。
で、あなたの関心事は、 注意ではなくて、
エネルギーをむだにすることです。
よろしいですか。
私たちは、千もの形で、 エネルギーを、むだにします。
おしゃべりすることは、 その形の一つです。
で、いいですよ、私はもはや、 おしゃべりについて、注意を払いません。
私は、いかに私がエネルギーをむだに するかを、見はじめます。
いいですか?
私は、それを 追求しようとしています。
私は、どこで自分がエネルギーを むだにしているかを、
見守ろう、学ぼう、 見ようとしています。
ああ、多くの形が、 ありますね?
で、私の精神は、今、 機械的になっていきません -
私は注意しなければならない、 との反復によって、です。
それは、動いています。
いいですか?
いつの時も、新しい物事を 拾い上げています。
これらをお分かりになるのか どうかと、思われます。
それで、頭脳は、とてつもなく 鋭敏になるのです。
それが鋭敏であるとき、習慣は、 何の所をも、持ちません。
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今日は、それで十分ですか。
何時ですか。
聴衆: 1時5分です。
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1:36:41
K: ああ!
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1:36:44
すみません。私は、 止めなければなりません。
私たちは、明後日、継続するでしょう - あなたが、そうしたいなら、です。
私たちは、あなたに、ここへ 来るよう、説得していたり、
あなたに、何をも確信させようと したりしていません。
私たちがしようと していることは、
あなたと語り手との間で、 仲の良い対話を、行うことです。
不幸にも、彼は、演台に 座らなくてはいけません -
あらゆる人が、彼を 見られるように、ですが、
少しの高さは、彼に 何も権威を与えません。
私はかつて、或る導師に 会いました。
彼は、私に会いに来ました。
私たちは マットレスに、座っていました。
礼儀から、私は、立ち上がって、 床に座りました。
彼は、マットレスに座り、 即時に、導師になりました。
それで、終わりです。
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