BR83T3 - 自己からの自由

第3回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年9月3日
テキストのみのバージョン
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1:06
残念ながら、こんなに 悪いお天気になっています。
私たちがもう二日間、 待っていたなら、と思います。
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1:42
私たちが先の日曜日に止めた ところから、継続してもいいですか。
まず第一に、ご注意を申し上げていいなら、 これは、講義ではありません -
特定の主題について、情報を与えられ、 教示される意図をもったもの、
講義ではありません。
私たちはともに、自分たち人間の 問題について、話し合っています。
存在の苦労すべてをともなった、 私たちの生の、日常的な問題だけではなく、
また私たちは、はるかに深く行くべきです。
おそらく、ともに探究へ入るのです -
何が、時すべてを越えているのか、何が、 創造物すべての起源、本源なのか、です。
それらの区域に入るには、確かに、 私たちの意識の内容すべてでもって、
私たちなるものでもって、 始めなければなりません -
私たちの反応、 私たちの心配、さびしさ、
憂鬱、昂揚、恐れ、 楽しみの継続でもって、です。
また、悲しみすべてを終わらせることが、 可能なのかどうかをも、探究するのです。
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4:20
また、私たちは今朝と、 おそらく明日の朝、探究すべきです -
死ぬことの本性、 宗教、冥想とは何かと、
時の制限全体を、です。
私たちは、これら二回の講話で、 大変多くに、及ばなくてはいけません。
で、私たちは、この事柄に、きわめて 深く入らなければなりません。
なぜなら、私たちは、いつも 表面を、引っ掻きうるからです -
私たちが、一般的にそうして、 ほとんど何も見つけないように、です。
ですが、私たちがもしも、きわめて、 きわめて深く、その問い全体に入れたなら
- 私たちの意識の内容が、そもそも 終わりになりうるのかどうか、
すなわち、私たちの負傷、心理的な傷、 恐れすべてが、終わることに、です。
私たちが縋りつくすべての記憶と、 痛みと楽しみ、
大変多くの嘆きと悲しみを 越えて、です。
そのすべてが、私たちの意識を、作り 上げます - それが、私たちなるものです。
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6:21
私たちのほとんどは、自分自身に、自分の 達成に、自分の成功、失敗に、関心を
持っています。
小さなことをする中で、 自分自身に重要性を与えていますが、
そのすべてが、 終わりうるのかどうか、です。
そして、全的に新たな何かを 発見するのです。
発見するだけではなく、 経験するのです。
その「経験」という言葉の使用には、 よく気をつけなければなりません。
本当は、経験すべきことは、 何もありません。
あなたが、時を越えるなら - それが可能だとして、ですが -
そして、恐れなどを越えるなら、 何か経験することが、ありますか。
7:27
私たちは、今朝と明日の朝、ともに これらに、入ろうとしています。
あなたは単に、語り手に、たくさんの 言葉を、聞いているだけではありません。
文章に組み立てられた、たくさんの 言葉と、観念を、ではなく、
私たちはともに、これらを探究しよう、 そして、見ようとしています -
私たちの頭脳は、重く条件づけられ、 プログラムされてきましたが、
それらのプログラムが、 終わりになりえて、
もはやこれ以上、プログラム されえないのかどうか、です。
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8:26
このすべては、大変多くの真剣な意図と、 相当の注意を、必要とします。
私たちは今朝と明日、進んで、自らの 興味を、注ごうとしているなら
- 表面的に、だけではなく、 深く、自らの注意をそれに注ぐなら、
おそらく私たちは、ともに これらに入り、
時すべてを越えた無際限な何かが、 あるのかどうかを、見られます。
私たちは、今朝と明日、 それをできますか。
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9:18
まず第一に、私たちは、 思考が、物質的な過程であり、
ゆえに制限されていることを、 悟りますか。
そして、その制限に基づいた どの行為も、必然的に、
葛藤を創り出すに ちがいないのです。
それで、思考は、 物質的な過程です。
物質は、制限された エネルギーです。
私たちの意識の内容全体は、 思考の物質的な過程の結果です。
いいですか。
私たちは、過去、数多くの年の間、 繰り返し繰り返し、
思考は物質的な過程であることを、 言ってきました。
そして、私たちの意識の内容は、 反応と応答などすべてとともに、
制限されている思考の物質的 過程により、組み立てられているのです。
それで、私たちの意識は - それが、私たちなるものですが -
私たちが、自らが何であると 考えようとも、いつも制限されています。
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11:24
自分自身に、関心を持っているとき - 自分の問題に、
自分の関係に、社会での 自分の地位などに、です -
この自分自身への関心は、きわめて 小さな事柄、制限された事柄です。
いいですか?
私たちは実際に、これが見えますか。
または、それは、 観念だけですか
- 追求、探究されるためであり、 それから、結論に到り、
その結論を受け入れて、 「私はそれだ」と言うのですか。
または、私たちは、 自己中心的な活動すべてが、
きわめて、きわめて制限されている ことが、即時に、無媒介に見えますか -
それが、宗教の名、平和の名において、でも 良き生を送るとの名などにおいて、でも、
この自己中心的な活動は、 いつも制限されています。
ゆえに、葛藤の原因です。
私たちは、実際に それを、悟りますか。
またはそれは、単に 観念だけですか。
私たちは、現実と観念の間の 違いが、分かりますか。
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13:32
観念を追求するなら、あなたは、 或る種の幻影を、追っています。
ですが、実際に悟るなら - 自己中心的な、自我本位の活動が、
きわめて、きわめて小さく、 分離していること、
ゆえに、葛藤の基本的な原因は、 自己であることを、です。
私たちのどれほどが、これを聞いて、 実際にそれを悟るのかと、思われます。
自己、心理(サイキ)、ペルソナは、 私たちの意識の内容全体です
- それは、私たちの条件づけです。
それは、私たちが、幾千年に幾千年もの間、プログラムされていることです。
それは、知識の構造全体です。
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15:02
私たちは、このすべてに、 一緒にいますか。
または、私は、(理解できない) ロシア語や中国語を、話していますか。
語り手が、中国語や特有の言語に 耽溺していないなら -
ゆえに、私たちの間に、 何も意思疎通がないのでなければ、
私たちがどちらも、これら甚大で複雑な 存在の問題を、見つめているとき
- 私たちの日常生活の存在の、です - 明瞭さと意思疎通が、あるべきです。
単調で、退屈で、興奮し、耽溺し、 様々な形の楽しみを追求する。
究極的に、自らが、とても良い生活を しても、悲惨な生活をしても、
究極的に、死に終わる。 いいですか?
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16:23
で、私たちの生は、 一般的に、かなり浅い。
私たちは、その浅さに、意味を 与えようとしますが、
その意味、その意義も、 やはり浅いのです。
で、私たちは今朝、これらを悟って、私たち自身で進み、見出せるのでしょうか -
語り手から情報を与えられるのではなく、 語り手から教示されるのではなく、
私たちが実際に何であるかを、 ともに探検し、
この制限を壊してしまい、 可能なら、さらに行けるでしょうか。
これは、明らかですか -
私たちが今朝と明日、ともに 何をしようとしているのか、です。
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17:55
私たちの意識の内容は、恐れです - 要因の一つです。
私たちのほとんどは、恐れが何かを、知っています - それが、表面的であっても、
または、私たちの頭脳の自らの奥底に、 深く埋め込まれていても、です。
私たちはみんな、何かを 恐れています。
いいですか?
で、その恐れは、心理的に 終わりえますか。
それで始めてください。
そのとき私たちは、訊ねられます - 物理的な恐れも、あるのかどうか、
そして、それらの、心理へ、心理的な 恐れへの関係です。
いいですか?
で、私たちはともに、 恐れの本性を、探究しています -
恐れの様々な形を、ではない。
自らは、死を恐れているかもしれません。
妻や夫を、恐れているかもしれません。
様々な物事を、 恐れているかもしれませんが、
私たちは、恐れ自体に、 関心を持っています -
何かへの恐れや、 過去や未来への恐れではなく、
恐れと呼ばれる、 実際の反応に、です。
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19:49
私たちは、少なくとも ここに、一緒にいますか。
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19:59
で、恐れの原因、根は、 何ですか。
それは、思考ですか。
それは、時ですか。
私たちは、大変多くを 扱わなければならないから、
それで、私たちは、 手短でなければなりません。
それは、思考ですか - 未来について考えることや、過去について考えることですか。
それで、思考が、 恐れの原因の一つですか。
時もまた原因ですか。
時 - 老いるように、 です。私たちのほとんどが、そうですが。
私たちは、生まれた瞬間、 すでに、老いつつあります。
そして、未来としての時 - 時計によって、 日によってや、年によって、ではなく、
「あるもの」から、 「あるべきもの」への動きとしての時。
「あるかもしれないもの」、「ずっと あったもの」。
理解されますか。
時の動き全体、心理的な時の過程 - それが、恐れの原因の一つですか。
21:58
物理的にも、心理的にも、 何かの痛みの記憶 -
それは、二週間前に 起きたかもしれないが、
それを憶えていて、それが再び 起きるかもしれないと、恐れている
- それは、時と思考の動きです。
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22:28
で、時と思考 - それらが、恐れの原因ですか。
いいですか?
この時は、思考です - なぜなら、 私たちが言いましたように、
思考は、記憶の応答であるからです。
すなわち、知識と経験の、です。
で、知識は、時のです。
そして知識は、 恐れの原因の一つなのかもしれません。
あなたが付いてきておられるのか どうかと、思われます。いいですか?
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23:18
で、私たちは、こう言っています - 時、思考、知識は、分離していなくて、
それは、実際に単一の動きですが、 それが、恐れの原因なのかもしれません。
それが、恐れの原因です。
いいですか?
そのとき、それを悟るとき - たとえ知的に、言語的にも、ですが -
その恐れを終わらせることは、 可能ですか。
いいですか?
それは、思考は終わりうるか、 と・
・・
あなたの答えは、何ですか。
あなたは、私が教示するのを、 待っています。
ゆえに、私たちはともに、働いて、 考えて、究明していません。
いいですか?
あなたは、語り手が、その問いに 答えるのを、待っています。
それは、私たちの頭脳が、 条件づけられ、訓練され、
教育されてきた、という意味です -
他の誰かより学び、他の一人により 教示されるように、です。
ここで、私たちは、あなたに、 教示したり、
何をすべきかを語ったりするのを、 拒絶します。
私たちは、あなたに、何をすべきかを 語る権威を、何も持っていません
- これら醜く、獣みたいな 導師たちのようではありません。
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25:22
で、私たちは、ともにいます。
どうぞ、これを理解することが、重要です - 「ともに」が何を意味するかを、です。
あなたと私が個別に働いているのではなく、 ともにそれを見つめます。
ともに、恐れの動き全体を、そこに 何が関与しているかを、見ます。
なぜ人類は、この恐れを、 何千年もの間、抱えてきて、
彼らは、それを解決したことが ないのか、です。
彼らは、それを伝達し、 それを、生の規準として、
生きる道として、 受け入れてきましたが、
あなたが問いはじめるなら - 私たちが今しているように、です -
恐れがいったい心理的に、まったく 終わりうるのかどうかを、問う。
26:43
ゆえに、私たちは、原因を 理解しなければなりません。
原因があるところ、 終わりがあります。
自分が、或る種の病気を 持っているなら、
そして、診断の後、原因を見つける なら、それは終わりにできます。
同様に、私たちは原因を 見つけられるなら
- 基本的な原因、 根源的な原因を、です -
そのとき、恐れは終わりえます。 いいですか?
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27:34
で、ともに私たちは、時と思考が、 または、二つの分離したものではなく、
時・
思考が、恐れの根であると、 言っています。
いいですか。
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27:55
聴衆: 恐れには、いつも 欲望が先行しますか。
K: 私たちはその問いに、入りました。 どうぞ、今、質問をなさらないでください。
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28:05
それは、一昨日(木曜日)と、 火曜日でした。
欲望もまた、恐れの一部です。
私たちは先日、よく気をつけて、それに 入りました - 欲望の本性に、です。
あなたは、私に、もう一回 それに入ってほしいのですか。
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28:30
聴衆: いいえ。
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28:33
K: なぜ、「いいえ」と仰るのですか。
私たちは、欲望の本性と 動き全体を、理解しましたか。
そうね、どうぞ、私たちは聞きません - 語り手に、ではなく、私たち自身に、です。
私たちはけっして「欲望とは何なのか。
なぜ私たちは欲望の奴隷なのか」と言いません。
私たちは、欲望は 感受である、と言いました。
その感受 - 見る、接触、感受。
そのとき、欲望が入ってきます。
すなわち、思考が、その感受の中から、 イメージを創り出す。
そのとき、その瞬間、一秒に、 欲望が生まれます。
明らかですか。
いいえ。
私はそのすべてに、入らないでしょう。
なぜなら、私たちは先日、それに入ったからです
- きわめてよく気をつけて、深く、 欲望の本性全体に、です。
欲望もまた、恐れの要因の一つです。
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30:08
欲望は、そのイメージをともなった 思考です。
あなたが欲望を持っているなら - イメージなしに、欲望はありません。
ショーウインドゥに、青いシャツや、 スカートや、何であれ、見る -
ウインドゥに入る、 それに触れる、感受。
そのとき思考は、あなたがそのシャツを 着ているイメージを、創り出す。
そのとき、その瞬間に、 欲望が生まれるのです。
私たちは、それに入りました。
私は、それに入らないでしょう。
で、思考は、本質的に欲望の動きです。 そして、時・思考は、恐れの根です。
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31:05
さて、自らは、 この実際の事実を、悟りますか。
そのとき、あなたは、どのように その事実を、観察しますか。
付いてきておられるのか どうか、分かりません。
仮に、私は、思考が恐れの根で あることを、悟る、とします
- その複雑さすべてとともに、です - そして時も、またそうである、と。
そのとき、私はどのように、それを悟り、 それを感じ、それに気づきますか。
質問を理解されますか。
私はそれを、何か私より 分離したものと、見ますか -
時・
思考を、何か私より分離した もの、と。または、私はそれですか。
それはすべて、かなり 複雑になりつつありますか。
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32:30
私は怒りです。 そうでないですか。
怒りは、何か私より 分離したものではありません。
私は、貪欲、妬み、心配です。
いいですか?
私は、何か分離したものが、 すなわち、
私が制御しているものが、 あると、考えたいのですが、
実際の事実は、 私はそれらである、ということです。
制御者さえも、私です。
いいですか?
で、貪欲、怒り、嫉妬などとの間に、 分割はありません。
それは、私です。
それは、観察者です。
いいですか?
さて、では、私は、どのように 観察しますか。
時・思考が恐れであるとの、この事実を、 どのように観察しますか。
33:37
あなたは、それを どのように観察しますか。
理解されますか。
あなたは、それを どのように、見つめますか。
何かあなたより、分離したものとして、 ですか。
または、あなたはそれですか。
あなたはそれであり、それは、あなたより 分離していないなら - いいですか?
行為すべてが、停止します。
そうでないですか。
前に、私は制御しました。
私は抑圧しました。
私は恐れを、合理化しようと しました。
いいですか?
今、自分はそれらであることが、 分かります。
ゆえに、時と思考の動き全体が、 止まります。
私は、進まなければなりません。 さもないと・・・
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35:01
私たちは、一緒にいますか - 私たちの幾人か、私たち二人は?
あなたたちはみんな、熱心に 行為しようとします。
行為しなければなりませんが、
ここで、あなたは、全部のことを、 見守らなくてはなりません -
何かをするとの感覚なしに、です。
いいですか?
ただ観察する。
観察されるものへの何の反応や 応答もなく、です。いいですね?
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35:54
そのときまた、私たちは、なぜ人が 苦しんできたのかと、そして、
苦しみに終わりが、あるのかどうかの 問いにも、入るべきです -
個人的な悲しみだけではなく、 広大な人類の悲しみも、です。
ですね?
これについて、感傷的に ならないでください。
実際に、私たちのみんなが、 何らかの形で苦しみます。
鈍い人も、苦しみます。
最も知的な、学識ある人、芸術家、
地上のあらゆる人間が - (ソヴィエト・
)ロシアの指導者を含めて、
あらゆる人間が、苦しみます。
私たちは、とても深刻な 質問をしています -
その苦しみは、 終わりうるのかどうか、です。
または、私たちの幾人かは、苦しみを楽しみ ます - それは、神経症的になります。
で、どうぞ、苦しみを楽しむ人々について、 思い悩まないでおきましょう -
何らかの形で苦しみが、私たちが この宇宙・
万物を理解するのを、
生を理解するのを、助けるだろうなど と考える人たち、です。いいですか?
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37:54
で、自分は苦しみます。
私の息子は、 死にました。
去りました。
ですが、その記憶は、 残っています
- 彼の交友、私の愛情、 彼への愛などについて、です。
記憶は残っています。
いいですね?
その記憶は、悲しみですか。
どうぞ、ともに 探究してください。
私は、妻を失ってしまいました。
または 私は、あなたほど、利巧ではない。
私は、あなたほど鋭敏、敏感ではない。
私は、それをとおして、苦しみます。
または、私は、十の 異なったさまで、苦しみます。
そして、苦しみ、涙を流すこと - それは、失ったことですか。
実際に失ったことや、様々な 記憶、思い出をもたらす喪失ですか。
これらに 付いてきておられますか。
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39:54
それは、苦しみの原因の一つか、 おそらく主要な原因ですか。
人(マン)は、女を含めて、 人の始まりから、
人は、戦争を行ってきました。
人々を殺してきました。ですね?
それが、私たちの存在の 様式だったのです -
戦争に次ぐ戦争、 何千何万の人々を殺すこと。
人類は、苦しんできました。
私たちは、いまだに、 その戦争の道を、追求しています。
それが、人類にとって、ものすごい 悲しみを、もたらしてきました。
いいですか?
私たちは、自分の個人的な悲しみを、 持っています。
41:12
悲しみは、同じです - それが、 あなたのでも、私のでも、です。
私たちは、自分自身を、自分の 悲しみと、同一視したいのです。
あなたは、自分自身を、自分の 悲しみと、同一視したいのですが、
あなたの悲しみと 私の悲しみは、同じです。
悲しみの対象は、異なるかも しれませんが、悲しみは悲しみです。
ゆえに、それは 個人的ではありません。
これを悟られるのか どうかと、思われます。
いいですか? いいえ。自らが、これの 真理を見ることは、きわめて困難です。
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42:08
あなたが苦しみ、私が苦しむなら - あなたは、一つの理由で苦しみます。
私は、別の理由で苦しみます。
私たちは、自分自身を同一視します -
私は、自分の特定のものと、 あなたは、自分のものと。
そのとき、私たちは、 自分たち自身を、分割します。
そのとき、それを抑圧するため、合理化する ための道と手段などを、見つけます。
ですが、私たちは、悲しみが .
人類すべて、人間すべての 悲しみであることを、悟るなら -
そして、私たちは、残りの人類です。
なぜなら、私たちは、恐れ、悲しみ、
楽しみ、心配を、持っているからです - 残りの人類のように、です。
もし私たちが、悲しみは 私の悲しみではないと、悟るなら、
それは、こんなに 小さな事柄になる。
すなわち、私たちは、人類の全体です。
私たちは、残りの人類です。
そして、苦しみがあるとき、 苦しみは、人の苦しみです。
43:45
そのとき、あなたは、問題へ 全然違った接近を、持つのです。
理解されますか。
私の苦しみではない -
「どうぞ、神様、私がそれをどう乗り切るのか、それをどう理解するのか、
助けてください。
私は祈ります」 ではない。
そのすべては、個人的、まやかしの 些事になります。
いいですか?
ですが、苦しんできたのが、 残りの人類であるとき、
苦しみは、自らがよく気をつけて 見つめなくてはいけない、
とてつもないことに、なる。
そして、一人の人間が、苦しみの本性を 理解し、それを乗り越えるなら、
そのとき彼は、残りの人類を、 助けます。いいですか?
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44:53
さて、苦しみは、思い出ですか。
息子が殺されてしまった 母親や父親 -
あなたたちの特定の小さな戦争、最近の 戦争、フォークランド、そこで殺されて、
母親と父親は、彼がしたこと すべてを、憶えています -
死亡、誕生、映像、写真、 すべての出来事と事故と、
笑い、涙、叱ったこと。
よろしいですか。
それで私たちは、訊ねています - どうぞ、あなた自身で、見出してください。
悲しみは、この記憶の継続の 一部であるのかどうか、です。
もしそれが記憶であるなら、記憶を、 二言、三言だけに、還元しないでください。
それは、ものすごい内容です。
それが記憶であるなら、 その記憶は、
私の特定の息子の、だけではなく、
人類の悲しみの記憶、 悲しみである記憶ですが -
その記憶は、終わりに なりえますか。理解されますか。
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46:52
ゆえに、探究しなくては いけません -
特定の記憶だけではなく、記憶の 動き全体を、です。
いいですか?
私たちは、記憶に頼って生きます。
私たちは、記憶です。
私たちは、言葉です。
その言葉への反応、 その言葉に由来する楽しみです。
かつてあった物事すべての思い出、 その象徴、
その出来事、事故が、 頭脳に、蓄えられています。
それは、出来事が起きるとき、 目覚めます。
いいですか?
そして、記憶は過去です。 いいですか?
48:11
で、私たちは過去です。
この過去の動き全体は、時であり、 思考ですが、それは終わりえますか。
私たちの日常生活での思考が、ではない。
私たちは、それについて、話していません。
私たちは、車を運転するため、 手紙を書くため、詩歌を書いたり、
あれこれを書くために、思考が 用いられるときについて、話していません。
そこで、思考、知識は、 絶対的に必要です。
私たちは、記憶に基づいている、この 心理的な動き全体について、話しています。
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49:08
で、私たちは、はるかに深い質問を、 しています - すなわち、
自己、「私」、自我、 これら自己中心的な活動は、
記憶の動きですが、 その自己は、終わりえますか。
修練によって、 制御によって、抑圧や、
より大きな何かとの 同一視によって、ではない -
それはやはり、自己の動きです。
その自己は、終わりえますか。
そのときあなたは、こう訊ねていい かもしれません - 自己が終わるなら、
社会の中で、私にとって、 どんな所がありますか。
私は何をするのでしょうか、と。
いいですか?よろしいですか?
初めにそれを終わらせなさい。それから、 見出しなさい。逆に、ではない。
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50:29
これは、きわめて、 きわめて深刻な問いです。
世界の中で、または世界を越えて、 誰もあなたに、語れません。
おそらく、私たちのほとんどは、 世界を越えた教示を、得ようとします。
地上の誰も、あなたに、それをどう 終わらせるのかを、語れません。
ですが、これらすべての事実を、 何の反応もなく、観察するなら -
私は、自分が傷ついているという事実を 観察します - 心理的に、です。
なぜなら、私の娘、私の息子、私の父は、何か私を傷つけることを、してきたからです。
私は、唯一つの抵抗もなく、 その傷を観察できるなら -
私は傷つくべきでないとか、 傷を保つとかの、行為もなしに、です。
ほとんどの人々は、そうします。
彼らは、人生をとおして ずっと、傷を運んで行きますが、
51:46
この傷、心理的な負傷を、 それへの反応なしに、観察する。
そのとき、傷がすっかり消え去る ことが、分かります。
いいですか?
で、同じように、ただ観察する。
記憶を、生ずるままに、観察する。
その本性、その進化を、見る。
私たちの日常生活の活動の 本性全体が、これに基づいています。
そして、記憶は、 きわめて制限されています。
思考は、無際限なものを 創案するかもしれませんが、
思考はそれ自体、制限されていて、 その無際限もまた制限され、有際限ですが、
無際限があるふりを、 するかもしれません。
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53:17
で、これらは、完全な自由を、 含意しています。
いいですか?
何かからの自由だけではなく、
どの反応やどの賞罰にも 基づいていない自由の性質です。
それを探究するには、また、死、死ぬことの 本性を、理解しなければなりません。
あなたは、これらに 興味がありますか。
それは、あなたにとって、面白く さえありますか。
とても静かに探究しなければ ならないことが、分かりますね -
ヒステリックに、ではなく、 このきわめて複雑な問題を、です。
死ぬことや、終わりになることが、 私たちが関心を持っていて、
話をしていることです。
なぜなら、それは 私たちの生の一部であるからです。
私たちは、生まれて、 教育すべてと、紛糾すべて、
心配すべてなどだけではなく、 死もまた、私たちの生の一部です。
それはある - あなたが、それを 好きでも、好きでなくても、
あなたがイギリス人でも、 フランス人でも、それはある。
あなたが、若くても、 中年でも、老いていても、
病気、事故。 それはある。
55:58
それが何であるかを、 理解しなければなりません。
死の前に、生を 理解しなければならないからです。
私たちはともに、死の前に何が あるかを、理解しようとしています -
恐れ、傷、悲しみ、痛み、 心配、労働、
朝から晩まで、事務所へ行くこと。
そのすべてが、私たちの生、 生きることの一部です。
また、そのすべての 終わりも、です。
このハエが、そちらへ行くことを、私は願っています。これは、私が大好きなようです。
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57:03
自分は、とても良い生活を、してきた かもしれません - 快く、成功を収め、
世の中でひとかどの者で、権力、地位、 金銭ですが、そのものが、終わりにある。
私たちは、それを可能なだけ、延期したい、 はるか遠くに置いておきたいのです。
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57:34
で、私たちは、ともに 探究しようとしています。
有機体は死にます。
自然です。
私たちがそれを適切に扱うなら、 それは、可能なかぎり、生きるでしょう。
私たちは、健康の問いには、入らないでしょう。
みなさんが、健康に興味があるのは、
存じていますが、私たちは 今、それに入らないでしょう。
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58:03
死ぬとは、どういうことですか。
橋から飛び降りるのでもなく、自殺 するために、何かをするのでもなく、
私たちが今、そうであるように、 生きていて、
ここに、テントの中、この天幕の中に、 座っていて、死とは何ですか。
物理的な有機組織全体は 別として、
頭脳は酸素を欠いて、萎れてしまう。
そして、死があります。
ですが、私たちは訊ねています - 死は、終わることですか。
いいですか?
私が持ってきた物事 すべてに対して、終わること -
私の妻、子ども、私の書物、 私の地位、権力、立場。
そうね、そのすべてが、 終わりになろうとしています。
59:20
また私たちは、問いを、 探究しなければなりません -
それは、東洋の問いです。
すなわち、 輪廻転生、来世、生まれ変わることです。
それで、何であれ、あなたが到るものに、 到るまで、生の連続です -
そうね、最高の原理などに 到るまで、です。
彼らは、とても強く、 それを信じ込んでいますが、
彼らは、継続するのが何であるかを、 深く探究しません。いいですね?
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1:00:13
継続しようとしているのは、 「私」ですか。
または、継続しようとしている何かが、 「私」を越えてありますか。
いいですか?
そして、「私」を越えて、 私の観念、私の意見、私の結論など
- 私たちが前に話をしたものです - を越えて、何かが、あるなら、
その「私」が、その言葉、 その名前、思い出であるなら、
それが、継続しようと していますか。
いいですか?
または、霊的な実体が、 ありますか -
キリスト教世界では、魂、 仏教世界、ヒンドゥー教世界は、
異なった言葉を、持っていますが、 それが、継続するのでしょうか。
1:01:16
そのとき、そのものは、 私を越えているか、
私の中にあるが、「私」が それを覆い隠している。
そのとき、それが 霊的な実体であるなら、
それは、時を越え、死を越えているに ちがいありません。
いいですか?
ゆえに、それは、輪廻転生 できません。
いいですか?
で、人々は、それらを信じたいのです。
なぜなら、それは、大きな慰めであるからです。
私は、来世、生まれるだろう。
私は、貧しい生活をしてきたが、
来世、私は、もっと良い住宅を 持つだろう。
別の生で私は、もっと大きな住宅で 生活するだろう。
または、私は、王になるだろうとか、 何らかの腐ったものです。
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1:02:12
で、私たちは、それらの種類の幻影の 追求を、脇に置き、事実に向き合うなら -
すなわち、心理的に、終わりがある、と いうことに、です。
完全な終わりです。
「私」は、その記憶すべてとともに、 終わりになった。
それが、死ぬことです。
私たちは、それが 好きではありません。
それで、私たちは、様々な形の 慰め、信念、信仰、
復活、そうね、それらを、 探し求めます。
さて、生きている間、私たちは、 何かを終わらされますか -
何も原因なく、何も未来なく、 何かを終わらせる。
質問を理解されますか。
例を取ってみてください。
あなたは、執着すべてを、 終わらせるでしょうか。
ふーむ。
自分の名前への執着、自分の家具への執着、 自分の妻へ、夫へ、庭への執着を、
自分の観念、 先入観への執着を、です。
生きている間に、 執着すべてを終わらせる。
1:04:17
それが、あなたが実際に死ぬとき、 起きようとしていることです。ですね?
で、今そうして、それが何を 意味するかを、見てください。
その終わりは、ものすごい。
ものすごい性質を、秘めています。
何への執着も、ありません。
それが自由です。
その種の自由があるとき、
死は、何の恐れをも、持ちません。
理解されますか。
なぜなら、あなたはすでに、 死とともに、生きているからです。
二つは、相伴います - 生きることと死ぬこと自体は、です。
いいえ、あなたは、 お分かりにならない。
それの美しさを、理解できますか -
恐れすべてからの 完全な自由の性質、です。
なぜなら、執着があるところ、嫉妬、 心配、憎しみが、あるからです。
1:05:49
あなたが、執着すればするほど、 痛みがあります。
これらは、ご存じでしょう。
もしもあなたが、行って、 妻や夫に、
「私はもう、あなたに執着していない」 と告げたなら、何が起きるでしょうか。
それは、愛を否定しますか。
それは、関係を否定しますか。
執着は、愛ですか。
進んで、これらを 探究してください。
あなたが深く探究すればするほど、 活力と安全と強さを、持つのです。
それは、どの薬物、どの刺激にも 由来していません。
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1:07:00
私たちは今、止めて、明日の朝、 継続したほうが、いい。
どうぞ、私たちは明日の朝、よく 気をつけて、議論しようとしています
- このすべての起源、 このすべての始まりは、何なのか。
なぜ人は、このすべての悲惨、混乱、 時折の楽しみと喜びを、
経て行かなくてはいけないのか。
まさに始まりから、 創造を理解しないなら -
そして、それを理解する中で、
時がなく、始まりもなく、終わりもない このものすごい感覚、です。
立ち上がってもいいですか。
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