BR83T4 - 冥想のために、どんな種類の頭脳が、必要なのか

第4回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年9月4日
テキストのみのバージョン
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0:36
こんな天気の中、出てくることは、 何かを標示しているにちがいありません
- このひどい天気の中で、私たち みんなが、ここに座ることは、です。
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1:00
これは、一緒の最後の対話です。
私たちは、この一連の講話を、 訊ねることから、始めました
- なぜ、この地上に 生きている人間たちは・
・・
このような雨の日を除外して、 こんなに美しい大地ですが、
なぜ私たちは、互いに 平和に生きられないのか、
なぜ私たちは、戦争を しなければならないのか。
経済的、社会的、人種的な違い。
そして、なぜ私たちは、互いとともに 生きられないのか - 親密にか、その他で、
平静さ、一定の静穏の 性質をもって、です。
見たところ、それは 可能ではありません。
なぜなら、世界中の大多数の人々は、 きわめて暴力的であるからです。
2:16
彼らは、平和がほしくない。 政府もまた、そうです。
彼らは、それについて 大変多く話をしますが、
彼らはみんな、果てしない 戦争の準備を、しています。
そして、宗教もまた、人に 平和を与えてきませんでした。
部族的な分割、地域的な神と救い主、 宗教的な位階制度、
そのすべてが、阻止してきました。
または、 私たちが、これらを創り出してきました。
ゆえに地上に、平和はないのです。
(ラテン語で)パーチェム・ イン・テリス(地上の平和)です。
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3:12
私たちは、ともに話し合ってきました - 私たちが、自らの日常生活において、
自分たちの間の葛藤を終わらせられ、 どの恐れの影からも、自由でありえ、
苦しみを終わらせられ、自己中心的な 活動より、全面的に離れられるか、です。
その活動がおそらく、葛藤の 原因の一つか、主要な原因です
- 外的に、だけではなく、 また内的にも、です。
きわめて、きわめてわずかな人が、 これに深く入るほど、真剣であり、
おそらく、全然違った生き方が あることを、悟るように、思われます。
4:21
今朝、私たちはよろしければ、 ともに、この問いに入ります -
平和について、だけではなく、 私たちが言いましたように、
存在すべての起源、 始まりは、何ですか。
なぜ人は、今あるものに、 なったのですか。
なぜ私たちは、 幾千年に幾千年もの後で、
私たちは心理的に、きわめて 原始的で、野蛮なのですか。
そして、テクノロジー的に、 私たちは、ものすごく前進しています。
そのテクノロジーこそはまた、おそらく 私たちを、破壊しようとしています。
私たちは今朝、ともに行き、 真剣に探究すべきです。
それが、人の定めで、回避不可能ですか - 人がこのように生きることが、ですか。
5:52
または、人間の進化全体について、 何かが間違ってしまったのですか。
または、人間の度量を越えた何かが、 外側にありますか -
自らが理解し、それに深く入るなら、 おそらく扉を開きそうな何かが、です。
私たちの目を開き、おそらく 私たちの心をもまた開く何かが、です。
それで、私たちが自然に、楽に、幸せな 静穏な生を、生きられるように、です。
それが、今朝私たちがともに 探究しようとしていることです。
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6:57
まず第一に、私たちは、「経験」という 言葉を、理解しなければなりません。
経験は、知識を取得する過程、 何かに親しくなる過程です。
この知識は、 私たちの葛藤、私たちの無知の
根源的な理由の一つなのかも しれません。
外側の知識が、ではない。
テクノロジー的、科学的な知識、
医学的な知識などではなく、 人類の蓄積された知識、
すなわち、過去の重荷全体が、です。
それが、葛藤の基礎的な原因の 一つなのかもしれません。
私たちは、それについて、 ちょっと話してきましたし、
私たちは、さらに、 それに入るでしょう。
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8:19
私たちはともに、探究すべきです - 外側の機関が、人の度量を越え、
度量としての人自身を越えて、 あるのかどうか、です。
私たちが訴えかけられ、祈られて、 導きを頼まれる外側の機関、
または、基本的に それとともにいられて、
それで、私たちはそれであり、 それで、外側の機関が、ないのです。
私たちがともにここにいることを、 願っています。
これは、私たちが先日言いましたように、そして、これを何回も反復してきましたが、
これは講義ではないし、日曜日の朝の お説教でもありません - とんでもない!
また、あなたに教示しよう、 説得しようとか、
或る種のばかげた宣伝を しようとか、するのでもない。
もしも私たちが、どちらも ともに旅をでき、
9:57
ともに歩めて、物事をありのままに 見て、越えて行けたなら、
人は、物事すべての 度量(尺度)でしょうか。
人とは、自らの意識、反応、自らの 記憶ですが、彼は、度量ですか。
または、人の外側に、 何かが、ありますか -
私たちが接触できるのなら、
私たちを助けてくれるかも しれないものが、です。
いいですか?
これが、宗教の 活動だったのです。
世界中で、古代の日々より、
人は、自分自身の外側の 何かを、探し求めました。
または人は、自分の中、人間の中に、何か 神聖なものがある、と言ってきました
- だが、それは、自分の 貪欲でもって、妬みでもって、
自分の野心、残酷さ、獣性でもって覆い隠されている。
それらは、剥ぎ取ってしまえる。
そのとき、それが、正義の振るまいの 長続きする要因だろう、と。いいですか?
11:58
理解されますか。私たちは、ここに 一緒にいて、互いに付いてきていますか。
私たちの醜く、残忍で、心配で、 野心的で、攻撃的な生の表層すべてを、
剥ぎ取ってしまうために、きわめて 多くの体系が、あったのです -
すみません。
この天気です。 きわめて多くの体系、多くの呪文、
多くの形の儀式、魔術、です。
彼らは、あらゆる形の物理的苦行を、試してきました
- 断食し、あらゆる感覚的応答を拒否 しました。
この点に来るため、です。
人が、違った生の道を、理解できて 生きられる地点に、です。
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13:33
科学者もまた、試しています - 遺伝子工学をとおし、
化学、他の形の薬物をとおして、 人を変化させるように、です。
人は、外的に、あらゆる方向を 見てきたが、
おそらく内的に、けっして 見なかったのです。
人は、自らの存在の表面を、皮相的に 引っ掻いてきたかもしれませんが、
おそらく、わずかな人を除いて、 自らはけっして、深い関心をもち、
自分自身に入ったことが、ないのです。
というのは、人は物質でもあり、
思考の動きでもあるからです - 思考もまた物質ですが。
人自身に入るための、究明の道具は、 思考だったのです -
14:53
思考は、正しい道具ではない。なぜなら、 思考自体が、制限されているからです。
いいですか。
で、世界中の宗教は、 組織されたのも、組織されていないのも、
個別の分離した集団も、 覚りを開くために あらゆる形の試みを、してきました
- 導師たちにより腐敗させられてきた その言葉を、私が使っていいなら、です。
私たちは、すべての宗教的な教義、 信仰、象徴、人物像、儀式と、
それらすべての呪術を、脇に置けるなら - それらは今、ほとんど意味がありません。
それらはおそらく、一度もなかったのです。
もしも私たちは、それらを
完全に脇に置けたなら - どの集団にも、 どの霊的な権威にも、所属しないのです -
それら二つの言葉、「霊的な」「権威」は、 霊性の否定です。
16:30
で、もしも私たちが、そのすべてを立ち去れたなら - それは、完全に自由に、恐れず、
立つことができる、という意味です。
それで私たちは、現実を探究できるのです
- 思考の創案でない次元が、 あるのかどうかを、です。
そのとき、宗教とは何ですか。
いいですか?
私たちは、これらに 入ろうとしています。
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17:30
存在すべての起源と始まりは、 何ですか -
最も微少な細胞から、 最も複雑な頭脳まで、です。
そもそも始まりが、あったのかどうか。
そしてこのすべてに、終わりがありますか。
また私たちはともに、探究しようと しています - 創造とは何ですか。
さて、これらを見出すには、 これらを明るみに出すには、
どんな種類の頭脳が、必要ですか。
理解されますか。
どんな種類の能力、どんな種類の エネルギー、どんな種類の熱情が、
このすべてを探究し、本当に 探査するには、必要とされますか。
理解されますか。
全然知られていない何かを、探査する には - 予め構想されていなくて、
どの感傷的、ロマンチックな幻影にも、 捕らわれていない何かを、です -
完全に自由である頭脳の性質が、 なければなりません。いいですか?
19:25
自らの条件づけすべて、プログラムすべてから、あらゆる種類の影響から、自由であり、
ゆえに、大いに敏感で、ものすごく 活動的であるのです。
いいですか?
それは可能ですか。
あなたは、対話に加わっていて、 そういう頭脳を、持っていますか。
またはそれは、すごくだらしなく、怠けて、 自分の自惚れの中に、生きていますか。
どちらですか。
なぜなら、私たちは、
とてつもなく生きている精神、 頭脳を、要求する何かを、
探究しようとしているからです -
とてつもなく、どの形の課業、機械的な ことにも、捕らわれていない頭脳を、です。
それは可能ですか。
私たちは、そういう頭脳を、持って いますか - その中に、恐れがなく、
自己利益がなく、自己中心的な活動が ないものを、です。
21:39
さもないと、それは、いつの時も 自らの影の中に、生きています。
いいですか。
それは、自らの部族的な、制限された 環境、平野に、生きています。
それは、杭に繋がれた動物に、 似ています。
綱は、とても長いのかも、 とても短いのかもしれませんが、
それは、柱に繋がれています。
ゆえに、 その動きは、制限されています。
あなたはそれに、きわめて、きわめて長い ロープを、与えてやるかもしれませんが、
その長さこそが、制限の標示です。 ですね?
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22:32
頭脳は、空間を 持たなければなりません。
それで、空間とは何ですか。
こことそこの間の 空間だけではない。
空間は、「中心なし」を、 標示します。
いいですか?
あなたが中心を持っていて、 その中心から動いて、周囲へ去るなら、
周囲がどれほど長く、広くても、 それは、やはり制限されています。
いいですか?
私たちは、互いに これに付いてきていますか。
で、空間は、中心がないところを、 標示するのでしょう -
そして、周辺がなく、 境界がないところ、です。
私たちは、そういう頭脳を、 持っていますか -
それで、自らは、何にも所属していない、 何にも執着していないのです。
自分の経験、結論、希望、理想などへ 執着していない -
それで、頭脳は、本当に、完全に 自由であるのです。
24:24
いいですか? それが重荷を負っているなら、
あなたは、あまり遠くへ歩めません。
あまり遠くへ行けません。
それは、粗野で、卑俗で、自己中心的で あるなら、無量の空間を、持てません。
空間は、空っぽを標示します - その言葉は よくよく気をつけて、用いています。
付いてきておられますか。
これらに、興味はありますか。
あなたは、ひどい雨と風にも かかわらず、ここに来ていますが、
確かに、私たちは互いに 意思疎通していると、思いますか。
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25:32
私たちは、見出そうと しているのでしょう
- この世界に、何の恐れもなく、 何の葛藤もなく、
ものすごい慈悲の感覚をもって生きる ことは、可能なのかどうかを、です
- それは、大変多くの 智恵を、要求します。
あなたは、智恵なしには、 慈悲を持てません。
その智恵は、 思考の活動ではありません。
特定のイデオロギーに、特定の狭い 部族主義や、どの宗教的な概念にも、
執着しているなら、慈悲深くありえません - それは、制限するからです。
慈悲は、悲しみの終わりがあるとき、 来られるか、ありうるだけなのです
- すなわち、自己中心的な動きが 終わるとき、です。いいですか?
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27:10
で、空間は、空っぽなこと、 何物でもないことを、標示します。
その空間は、そこに、思考により 置かれたものが、何もないから、
その空間は、ものすごい エネルギーを、持っています。
これは、科学者たちも言っていることです - ただ、それは、彼らの結論です。
それは、科学者の現実生活ではありません。
なぜなら、科学者は、他のあらゆる人、
他のあらゆる人間と同じく、貪欲であり、 自分自身のために頑張っているからです。
または、彼は、政府を代表しています。
または、彼は野心的である、などです。
彼は、他の誰とも、よく似ていますが、 彼は、とてつもない能力を、持っています。
一定の区域で知識を 集積するために、です。
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28:29
それで、頭脳は、完全な自由と空間の 性質を、持たなければなりません。
すなわち、自らは、何物でもないので なければなりません。
ところが、私たちは みんな、何物かです -
分析者、心理療法者、医師です。
それは結構ですが、
私たちは、療法者であるとき、 私たちは、生物学者、技術者であるとき、
まさにその同一視こそが、 頭脳の全体性を、制限します。
いいですか?
私たちは、 そこから進行できますか。
そのとき 私たちは、訊ねます。
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29:46
そのときだけ、私たちは本当に 訊ねられます - 冥想とは何ですか。
なぜなら、あなたが、冥想とは何かを 訊ねたり、冥想しようとし、
すべての体系に従うのなら、 それが、禅、仏教の形の冥想、
チベットの形の冥想、 ヒンドゥーのものでも、
キリスト教の形でも - それは、かなり制限されています。
そして、神秘的な冥想への 特有の招待をもった、最新の導師すべて -
あなたがそれに、たくさんのお金を 支払うという条件つきで、だけですが。
これらすべての形の 冥想が、あります。
30:49
それらはすべて、思考を静寂に することに、基づいています -
見境の無い思考ではなく、思考を静かに することに、です。
いいですか?
すなわち、制御しようとしている 制御者が、あるのです -
体系をとおし、実践をとおし、 静けさのために
日々の割り当てられた時間 などなどをとおした、制御です。
見守っている制御者が、 いつも、あるのです。
そして、制御者自身が、 思考の活動です。
ですね?
で、それらは、ぐるぐる円周を、 回っています -
自分のしっぽを追いかける 猫のように、です。
それが、冥想と呼ばれます。
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31:57
さて、冥想は、全然 違った何かです。
私たちの生に、秩序の基礎を、敷いてきていないのなら - 理解されますか。
秩序です - 恐れがあるなら、 秩序は、ありえません。
どの種でも葛藤などが、あるなら、 秩序は、ありえません。
私たちの家が - 外の家ではなく、 私たちの家、内の家が、完全な秩序にあり、
それで、大きな安定がある。
まぜこぜにすることがなく、
まさにその安定こそに、ゆえに、 その秩序の中に、大きな強さが、ある。
そのときにだけ、真の冥想とは 何かを、訊ねられるのです。
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33:30
家が秩序立っていないのなら、あなたの 冥想は、ほとんど意味がありません。
いいですね?
あなたは、どの種の幻影、どの種の覚り、 どの種の日々の修練をも、創案できます。
それは、やはり 制限されて、幻影でしょう。
なぜなら、それは、無秩序より 生まれているからです。
いいですね?
これはすべて論理的です。
どうぞ、健全で、理性的です。
それは、何かあなたが受け入れるために、 語り手が考案したことではありません。
この種の - 私はこの言葉を 使っていいですか -
「修練されていない秩序」が、 ないのなら、
それは、良い言葉です。
私は、ちょうど今 それを思いついたのが、うれしいです!
修練されていない秩序が、 ないのなら、
冥想は、きわめて浅く、 無意味になるのです。
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34:58
では、そのとき、 秩序とは何ですか。
思考は、秩序を創り出せません。
なぜなら 思考自体が、無秩序であるからです。
あなたは、それを 受け入れるのでしょうか。
あなたは、それが 分かりますか。
なぜなら、思考は、 知識に基づいていて、
知識は、経験に基づいていて、知識 すべては、制限されているからです。
いいですか。
これは事実です。
それで、思考もまた 制限されています。
思考が、秩序を創り出そうとするとき、 それは、無秩序をもたらします。
ですね?
私たちは、この現実の事実が、 見えますか - 理論として、ではない。
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36:06
思考は、無秩序を創り出して きました。すなわち、
それは、「あるもの」と 「あるべきもの」との葛藤をとおして、
無秩序を創り出してきました - いいですか?
-
現実的なことと 理論的なことをとおして、です。
理論的なことではなく、 現実的なことだけが、ある。
思考は、制限された視点より、 現実的なことを、見つめます。
ですね?
ゆえに、その行為は、必然的に 無秩序を、創り出すにちがいないのです。
私たちは、これが真理として、法として 見えますか。
または、観念だけですか。
理解されますか。
私は貪欲です。
仮に、私は 貪欲である、妬んでいる、とします。
それが、「あるもの」です。 対極はない。
37:19
ですが、対極が、人間たちにより、 思考により、創り出されてきました -
「あるもの」を理解する手段として、
そしてまた、「あるもの」より逃避する 手段として、です。
いいですか?
私たちは、ともに歩んでいますか。
互いに意思疎通していますか。
で、「あるもの」だけが、ある。
あなたが、「あるもの」を、 その対極なしに、知覚するとき、
まさにその知覚こそが、 秩序をもたらします。
私たちは、一緒にいますか。
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38:08
私たちが言っていましたように、私たちの 家は、秩序立っていなければなりません。
この秩序は、思考により もたらされません。
思考は、自らの規律を創り出します - 「これをしろ。
あれをするな。これに従え。
あれに従うな。
伝統的であれ。 伝統的であるな」などと、です。
思考は導きです。
自分は、秩序をもたらしたいと、願い ますが、思考自体が、制限されています。
ゆえに、それは必ず、無秩序を 創り出すことになる。
私は、余生の間、「私はイギリス人だ。
イギリス人だ。イギリス人だ」と
反復しつづけるなら - または、 「フランス人だ。
フランス人だ」と。
または、あなたは、他の国籍がお好きでしょうか。
ヒンドゥーだと、仏教徒だとか、
何であっても、です。
その部族主義は、 きわめて制限されています。
その部族主義は、世界に、大きな 荒廃を、引き起こしています。
ですね?
私たちは、その根に行きません。
すなわち 部族主義を終わらせるように、です。
より良い戦争を、いかに 創り出すのか、ではない。
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39:40
で、同様に、私たちは言っています - 思考は、一定の区域では必要ですが、
心理的な世界では、何の所をも持たない とき、秩序は、生じうるだけです。
ゆえに、その世界には - 思考が不在である とき、その世界自体が、秩序立っています。
言っていることを、お分かりですか。 私たちは、互いに出会っていますか。
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40:20
で、冥想は - 冥想(メディテーション) という言葉こそが、
測量することを、意味しています。
「あるもの」と「あるべきもの」と の間を、測量する。
「今の私なるもの」と、冥想をとおして 「私がなるだろうもの」との間、です。
で、冥想(メディテーション)は、 サンスクリットでも、ラテン語などでも、
測量の性質です - いいですか?
- それは、比較です
そして、比較は無秩序です。
いいですか。
その説明が必要ですか。
私が 自分自身を、あなたと比較しているとき、
すなわち、私があなたと競争して いるとき、私は、あなたより
良くなろうとしています。そのとき、 これは、常なる葛藤なのでしょう。
41:36
で、どんな比較もなく、 生きることは、可能ですか -
生物学的に、物理的に、だけではなく、 はるかに心理的に、内的に、
けっして自分自身を、何とも、 誰とも、比較しないのです。
そのため、精神、頭脳は、この傲慢の 葛藤より、自由です。ですね?
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42:24
で、そのとき、私たちは 訊ねられます - 冥想とは何ですか。
なぜなら、絶対的に静かな頭脳を 持つことは、必要であるからです。
頭脳は、自らのリズムを 持っています。
どうぞ、私は科学者、
脳の専門家ではありませんが、これらを 自分自身において、見守ってきました。
それは、語り手がとてつもない、 という意味ではありません。
感傷的で個人的に ならないようにしましょう。
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43:18
頭脳は、果てしなく 活動的であり、
おしゃべりしていますね - 一つの主題から、別のへ、
一つの思考から別のへ、 一つの連想から別のへ、
一つの状態から別のへと、 それは常に、占有されています。
一般的に自らは、それに 気づいていません。
ですが、何の選択もなく、気づくとき - この動きへの選択なき気づき、です -
そのとき、その気づき、その注意こそが そのおしゃべりを、終わらせます。
どうぞ、そうしてください。それらが どんなに単純なのかが、分かるでしょう。
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44:25
で、頭脳の性質は、それが自由で なければならない、ということです -
空間と、静寂です。
心理的に、静寂です。理解されますか。
今、自らは、話しています。
あなたと私は、互いに聞き合っています。
互いに話し合っています。
そこで、 思考が、使用されつつあります。
なぜなら、私たちはみんな、 英語を話しているからです。
ですが、この静寂の中から、話すこと - 私が言っていることを、理解されますか。
どうぞ、或る種のたわいもない想像へ、 入ってしまわないでください。
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45:41
これは、言語の問いを、 もたらします。
言語は、頭脳を 条件づけますか。
あなたは、これらについて、 考えたことがありますか。
または、それはすべて、 何か全然新しいことですか。
英語やフランス語や何でも、 ロシア語や中国語は、
それらの言葉の使用こそが、 頭脳を形作り、
それで、それは 条件づけられるのですか。
言語は、頭脳を条件づけるのです。
いいですね?
あなたが、ロシア人やフランス人に 話をするなら、
もちろん、英語を使うイギリス人や アメリカ人に、話をするなら、
あなたが見守るなら、彼らの見通し全体が、 彼らが使う言語により、制限されています。
いいですか?
これらに 注目したことが、ありますか。
で、言葉のネットワークより 自由であってください!
よろしいですか。
言語を使うこと - 英語のように、です。
そして、
それが、存在の全体への私たちの見通しを 形作るのを、許さないのです。ですね?
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47:47
あなたたちが、これらのことのどれをも、 したことがないのが、分かります。
で、それはすべて、 何か空想的なことだけです。
で、言葉のネットワークに、捕らわれない。
それもまた、全く複雑です。
あなたが、「私は共産主義者だ」と言う とき、あなたの反応全体が、違っています。
あなたたちは、最近、フォークランドで 戦争を行ったので、
あなたたちが、アルゼンチン人に ついて話をするとき、
そのラベルのほうが、 その人物より重要です。
で、言葉からの自由が、 なければなりません。
そのとき、頭脳は 全く静かです
- それは、自らのリズムを、 持っていますが。いいですか?
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49:06
さて、そのとき、 創造とは何ですか。
このすべての始まりは、何ですか。
いいですか?
私たちは、それを、探究しています - 生すべての始まりの本源、です。
あなたの生だけではなく、 あらゆる生き物の生、です。
深い底のクジラ、 イルカ、小さな魚、
微細な細胞、広大な自然、 虎の美しさ。
あなたは、林の中で 虎を見たことがありますか。
いいえ、もちろんありません。
あなたはそれを、見ないでしょう。
それは本当に、最も とてつもない動物です。
50:10
私はそれに入らないでしょう - すなわち、今回は、です。
私はほとんど、それに 触れました - 野生です。
人の生活は、最小の細胞より、 最も複雑な人まで、
彼の創案すべてとともに、彼の幻影 すべてとともに、彼の迷信とともに、
彼のけんかとともに、彼の戦争とともに、 彼の傲慢、卑俗さとともに、
彼のものすごい切望と、 彼の大きな憂鬱とともに、
このすべての起源は、何ですか。 いいですか?
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51:13
さて、冥想は、 これに出くわすことです。
あなたが、それに 出くわすのではない。
あの静寂の中、あの静けさの中、 あの絶対的な平静さの中で、です。
始まりは - 始まりが、ありますか。
始まりがあるなら、 終わりがあるにちがいない。
ですね?
あなたが お分かりになるのかどうか・・・
原因を持つものは、終わるに ちがいありません。
ですね?
もし私が癌を持っているなら、 原因は、何であれ、その病気です。
私は手術を受けなければなりません。
すると、それが、その終わりになるでしょう。
または、それで、 私は死ぬでしょう。
ですね?
どこでも原因があるところ、 終わりがあるにちがいない。
それは法則です。
それは自然です。
で、人の創造にとって、 そもそも、因果がありますか -
この生の道すべての、 創造にとって、です。
質問を理解されますか。
このすべての始まりが、 ありますか。
私たちは、どのように 見出そうとしていますか。
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52:57
諸宗教は、「神がある」と言ってきました - 「神が、すべての物事の
始まりと終わりである」と。
それは、その 問題のきわめて簡単な解決の仕方です。
ヒンドゥー教徒は、それを 一通りに、言ってきました。
おそらく仏教徒も、そうです。
キリスト教は、「神」と言いました。
ただ、原理主義の信念ですが、人は 四千五百年前に創造された、と。
ですね?
それは、かなり不条理に思われます。
なぜなら、四千五百年前、 エジプト人は、暦を発明したからです。
それは、彼らが、とてつもなく進歩して いたことなどを、意味しています。
あなたは、原理主義者であるなら、 言われつつあることに、怒るでしょう。
私たちの誰一人として、どの種の 原理主義者でもないことを、私は願います。
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54:16
で、創造とは何ですか。
絵画を創造する画家ではない。
詩人でもない。
大理石より何かを 作り出す人でもない。
それらはすべて、顕現したものです。
いいですか?
顕現していないものが、 何かありますか。
何かが、ありますか - それは顕現していないから、
そのものは、始まりもなく、 終わりもない。
顕現しているものは、 始まりがあり、終わりがある。
いいですか?
私たちは、顕現なのでしょう。
何らかの神聖なものの、ではなく、 私たちは、結果です。
私たちは、何千年もの、いわゆる 進化、成長、発展の結果です。
私たちはまた、終わりになります。
顕現しているものは、 いつも破壊されえますが、
そうでないものは、 時を持ちません。いいですか?
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56:23
さて、私たちは 訊ねています -
すべての時を越えた何か、 といったものが、ありますか。
これが、哲学者、科学者と、宗教的な 人々の探究であったのです -
人の度量を越えていて、時を 越えているものを、見出すように、です。
なぜなら、それを見つけ、出くわし、 発見できるか、それが見えるなら、
それは、不滅、不死です。
いいですか? それは、死を越えています。
これらを理解されるのか どうかと、思われます。
これらに、付いてきておられますか - 少なくとも、少しは?
57:37
どうぞ、私を 励まそうとしてください。
私は、あなたの励ましを ほしくないのですが、
あなたは、これが見えます - 人は本当に、探し求めてきました。
様々な道で、世界の異なった地方で、 異なった信念をとおして、です。
なぜなら、それを発見したり、 それを悟ったりしたとき、
生は、始まりもなく、 終わりもないからです。
ゆえに、それは、すべての概念、 すべての望みを、越えています。
付いてきていますか。 それは、何か無量なものです。
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58:38
さて、実地に戻ってきますと、
そうね、私たちは、けっして生を、もの すごい動きとして、見つめないのです -
私たち自身の生を、ものすごく幅広くて、 大きな深み、広大さをもっている、と。
私たちは、自らの生を、こんなにごまかしの 小さな事柄に、縮小してきました。
生は本当に、存在の中で、 最も神聖なものなのです。
誰かを殺すことは、 最も非宗教的な恐怖です -
誰かに怒ること、 暴力的であることは、です。
語り手は、一回だけ、 怒ったことがあります。
彼が怒った人物は、彼に 思い起こさせてきました。
だから、彼はまだ、 怒りを続けています。
理解されますか。
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1:00:19
本当に、そうね、私たちはけっして、 世界を、全体として見ないのです。
なぜなら、私たちは、 こんなに断片化していて、
私たちは、こんなにひどく 制限され、些少であるからです。
私たちは、この全体性の感覚を けっして、持ちません。
よろしいですか。
そこでは、海の物事、 大地の物事、
自然と空は、宇宙です。
私たちの一部です。
想像したのではない。
あなたは、或る種のたわいも ない想像に、彷徨い込めるし、
私たちは宇宙であることを、 想像できます。
そのとき、あなたは 間抜けになります。
ですが、この小さな自己中心的な 興味を、壊してしまうこと、
それを何も持たないこと - そのとき、 そこから、あなたは無際限に動けます。
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1:01:49
冥想は、これなのです。
ただ脚を組んで座ることや、
逆立ちをすることや、何であれ、 それをすることだけではない。
完全な全体性と、生の統合の この感じを、持つことなのです。
愛と慈悲があるとき、それは、 来られるだけなのです。
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1:02:28
そうね、私たちの困難の一つは、
私たちが、愛を、楽しみと、 セックスと、関連させてきたことです。
愛はまた、 私たちのほとんどにとって、
嫉妬、心配、所有欲、執着を、 意味しています。
それが、私たちが 愛と呼ぶものです。
それで、愛は執着ですか。
愛は、楽しみですか。
愛は、欲望ですか。
愛は、憎しみの対極ですか。
それが、憎しみの対極であるなら、 それは、愛ではありません。
いいですか?
これが、分かりますか。
すべての対極は、自らの対極を 収容しています。
いいですか?
私が、勇敢になろうとするとき、 その勇気は、恐れから生まれます。
いいですか?
これを理解されるのかどうかと、 思われます。
いいえ?
で、愛は、その対極を 持ちえません。
嫉妬、野心、攻撃性があるところ、 愛はありえません。
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1:04:36
あの性質があるところ、 そのとき、そこから慈悲が生じます。
あの慈悲があるところ、 智恵があります。
利己の智恵ではなく、 思考の智恵ではなく、
大変多くの知識の智恵ではない。
慈悲は、知識とは 何の関わりもない。
そのときだけ、 あの智恵が、ある -
人類に、安全、安定、広大な強さの 感覚を、与えるものが、です。
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1:05:42
で、私たちは、 対話の終わりに、来たのです。
私たちがまた来年、お会いする だろうことを、願っています。
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